※にとりと雛がデフォ恋人で大変に百合ましい話ですのでご注意ください。
河童という種族がなぜ帽子を被るかといえば、頭にお皿があるからである。
皿が割れたり乾いたりすると河童は死んでしまう。急所を隠すのは、生存本能が導き出す当然の帰結だ。
故に河童は帽子を被り、屋内であろうと他者の前で脱ぐことはまずない。それは河童の世界の常識である。
常識が生まれれば、次いで非常識に対する羞恥というものが集団に芽生える。
皿を隠すのが当たり前となれば、人前で皿を露出することが「してはいけないこと」「恥ずかしいこと」になるのも、極めて当然だ。
――さりとて、「してはいけない」と言われるとしたくなるのが、理性と感情を併せ持つ生き物の性というもの。
人前で帽子を脱ぐという禁忌、「いけないこと」の共有。それが恋愛感情と結託するのは無理からぬことと言えるだろう。
というわけで。
河童にとって、帽子の下を見せていい相手とは、即ち自分が全てを捧げると誓った相手に他ならない。
もう少し有り体に言えば。
「帽子を脱いでもらえませんか」は、河童の間では求婚の言葉であるので、注意が必要である。
迂闊に河童に対してそんなことを言えば、有無を言わさず河童と結婚させられ、河童社会に組み込まれてしまう。
もちろん、それを望むのなら別だが。
(稗田阿求『幻想郷縁起 第一二四季版』より抜粋)
◇
「なあ、どうでもいいんだが」
「うん?」
「河童ってのは家の中でも帽子を脱がないもんなのか?」
場所は霧雨邸。トレードマークの帽子を壁に掛けつつ、霧雨魔理沙はそんなことを言った。
「ひゅい!?」
思わず帽子を押さえて、河城にとりは悲鳴をあげる。
「そ、そそそ、そういうものなんだよっ」
身を縮こまらせてそう答えたにとりに、「ふうん」とそれ以上興味も無さそうに魔理沙は鼻を慣らす。
――ああ、びっくりした。跳ねた心臓を落ち着かせるようににとりは息を吐き出す。
魔理沙にいきなり求婚でもされたらどうしようかと思った。いや人間は盟友だけど、それとこれとはまた別問題である。
そもそも、自分には心に決めた人――厄神様がいるわけで。
その顔を思い浮かべたら顔がにやけて、魔理沙が訝しげに目を細めているのに気付くのに少しかかった。
「で、今日は何の用だ? また地底に行けとかは勘弁してほしいんだが」
ポットからキノコスープを注いで、それをすすりながら魔理沙は椅子に腰を下ろす。にとりも向かいに腰を下ろして、雑然とした――というか散らかり放題の部屋の中を見回した。
部屋の中のアイテムに興味がある――というよりは、帽子を脱いでいる魔理沙とあまり目を合わせないようにするために。
「んーと、単刀直入に申しますれば」
「おう」
「あのミニ八卦路を貸してほしいなーと」
「駄目だZE☆」
いっそ気持ちいいほどの即答だった。
「えー、いや一日だけでいいからさ、そこを何とか」
「断る。こいつが無いと色々と不便でな」
ポケットからミニ八卦路を取り出して、手のひらで転がしながら魔理沙は肩を竦める。むむぅ、とにとりは唸った。
「具体的に言うと、どのへんが不便?」
「コンロから暖房まで、こいつがあれば一通り何とかなるからな。というかこいつが無きゃ晩飯も作れん」
「河童技術者協同組合謹製のコンロとヒーターを提供するよ、というか今から作るよ!」
「いや間に合ってるぜ」
「そんなぁー」
頬を膨らませてにとりが呻いても、魔理沙はやれやれと肩を竦めるだけだ。
「だいたい、こいつで何をしようってんだ?」
「いやほら、あの新エネルギーの研究してるんだけど」
「原子力とかいうアレか?」
「そうそう。将来的なあのエネルギーの小型軽量化、ポケットサイズの核融合炉を目指す上で、その八卦路の構造を参考に出来たらなーと」
「こいつをバラそうってんならなおさらお断りだぜ。元に戻らなくなったらたまらん」
「そこは河童の技術力を信頼してほしいんだけど」
「私より香霖のところに行けよ。こいつを作った本人だしな」
ほへ、とにとりは目を見開く。こんなアイテムを作れる技術者が、この幻想郷に居たのか。
「ん、香霖のことは知らないのか?」
「知らないよー」
「この森の近くに香霖堂って古道具屋がある。似たようなものなら貸してくれるかもしれないぜ」
「マジですか」
「保証はしないがな」
「さすが盟友、話せば解る!」
「だから勝手に盟友にするなって」
握手しようとしたらキノコスープの入ったカップを握らされた。仕方ないのでそれに口をつける。……変な味だ。
はふ、と一息ついて椅子に座り直し――それからふと、にとりは魔理沙の顔を見る。
帽子を被っていない魔理沙の。
「…………」
いや、帽子で頭のてっぺんを隠すのが河童だけの風習だというのは承知しているのだが。
やっぱりこう、頭のてっぺんを晒している者と正面から相対するのは苦手だ。
急に黙ったにとりに、魔理沙は不思議そうに首を傾げた。
◇
香霖堂という店自体は、割合すぐ見つかった。
――のだが、間の悪いことに店主は不在で、店内では妖怪がひとり本を読んでいるだけだった。店主はどこかに出掛けているらしい。
「それで、その店の方はいいの?」
「うん、店の中も面白そうだったんだけどねー。日を改めることにしたよ」
場所を移して、いつもの川べり。大きな石に腰を下ろして、にとりは傍らに佇む厄神様――鍵山雛を見上げた。
「雛に会うのと、店の中を漁るのとだったら、そりゃあ雛を選びますって」
「……もう、にとりってば」
にっと笑ってそう言うと、雛ははにかんで目を細めた。えへへ、とにとりの頬もだらしなく緩む。
もちろん機械いじりも好きだけど、雛と一緒にいる方がもっと好きだ。
そりゃあもう、――恋人同士なのだから当たり前である。
「ひな」
「なに?」
「んー、呼んでみただけ」
なんて馬鹿みたいなことを言ってみるだけで幸せなのだから、全く雛といる間は幸福の大バーゲンだ。
雛は小さく苦笑して、にとりの方に歩み寄ると、その両手をにとりの肩に置いた。
すっと顔が近付く。吐息の感触がくすぐったくて、雛の瞳に映る自分の顔は真っ赤だ。
「にとり」
「……な、なに?」
「呼んでみただけ」
こつん、と額をぶつけて雛は笑った。その笑顔がもう可愛すぎて死ぬかと思った。
――というかこの体勢は、ちゅーしていいよね、ちゅー。
目を閉じて唇を持ち上げる。しかし触れたのは、雛の唇ではなく指先だった。
「ふえ?」
目を開けると、雛が軽く頬を膨らませてこっちを見ている。
「にとりって、あの魔法使いさんと仲良しよね」
「え? 魔理沙のこと?」
「この前は何か、ふたりでやってたんでしょ?」
「あーいやそれはその」
あれは新エネルギーの調査のために魔理沙に協力してもらっただけで、そんな浮気とかそういうわけでは。
というかその話は前にもしたじゃん、ねえ?
困り顔でにとりが首を傾げると、雛は少し口を尖らせて。
「……ふたりきりのときに、楽しそうに他の子の話をされたら、私だって拗ねるわ」
先生、雛が可愛すぎて生きるのが楽しいです。いや先生って誰だ。
辛抱たまらなくて、雛の首に手を回してこっちから唇を重ねた。いつもより少し長く雛の唇の柔らかさと温もりを楽しんで、顔を離すと吐息がふたりの間で混ざる。
「雛が、一番だよ」
「……知ってるわ」
「だからこうして、行動で示してるじゃん。ね、雛」
「うん……」
「好きだよ」
「……うん、私も」
そんな調子で、今日もにとりと雛は完全無欠にラブラブなのだった。
――のだけども。
「にとり」
囁かれる声と一緒に、雛の手が髪に触れて、にとりは思わず小さく身を竦めた。
強ばったにとりの身体に気付いて、雛は手を離す。それが名残惜しくて、反応してしまった身体が恨めしい。
いやまあ、恋人同士になってそれなりに経つけれども。
やっぱり、髪に触れられるのはあんまり得意ではないのだ。
――それは、頭のてっぺんに通じているから。
「ご、ごめんなさい」
「あいや、別に謝らなくても……」
何となく気まずい空気。うう、髪を撫でられるのぐらい平気になれ自分、とにとりは自分を叱咤する。
頭のてっぺんがデリケートというか恥ずかしいのは河童だけで、厄神様の雛には関係のない話なわけで――。
雛の顔を見上げると、その頭のてっぺんで揺れるリボンが目に入った。
「…………うー」
普段はなるべく意識しないようにしてるのだけど、気付いてしまうとやっぱりこう、むずがゆい。
河童とは違うのだ、ということぐらいは解っているのだけども。
雛の場合リボンがあるから、何も被っていないよりはマシだというのも解っているのだけども。
――雛の頭のてっぺんが晒されている事実は、河童の自分にはこう、何と言いますか。
「あ、あのさあ、雛」
「なに?」
「やっぱりその、帽子とか被らない? ね?」
目をしばたたかせて、雛は頭のリボンを押さえる。
「……リボン、変?」
「いやそういうわけじゃないんだけど、河童的にはやっぱり心許ないと言いますか」
河童の里で、河童が頭のてっぺんを晒して歩いたら公然猥褻物陳列罪である。雛のリボンもかなり危ない。
自分の帽子を押さえつつ、にとりは小さく呻く。
――河童が、人間を盟友と呼びつつも距離を置いているのも、結局はそれが原因なのだ。
何しろ人間はみんな、頭のてっぺんを無防備に晒して歩いているから。
そんな大勢の人間たちに囲まれたら、河童は恥ずかしすぎて悶死してしまうのである。
あの時紅白の巫女でなく霧雨魔理沙に協力を依頼したのも、魔理沙が普段帽子を被っているから――というのが決定的な理由だったりするのだ。いや本気で。
「河童としましてはですね、恋人がその頭のてっぺんを晒しているのはその道徳的倫理的に、青少年の健全な育成において大変な問題でありましてですねそのね?」
「……そう言われても」
困り顔で首を捻る雛に、ううう、とにとりは唸る。
「私は、気にしないわ」
「私が気にするんだよー!? いやその、雛のファッションを否定するわけじゃないんだけどさぁ、でもさぁ……」
恥ずかしいものは恥ずかしいのである。こればっかりは認識に刷り込まれているのだからどうしようもない。
上目遣いで雛を見上げると、雛は口元に指を当てて「んー」とひとつ首を傾げ。
「ねえ、にとり」
「な、なに?」
「そうやって避けてるから、余計に恥ずかしくなるんだと思うの」
「え、あ、あの、雛さん?」
しゅる、と雛が頭のリボンを解いて、こちらにかがみ込んだ。いやちょっと待って雛、それはさすがに刺激が――。
「……撫でて、にとり」
「わひゃあー!?」
爆弾発言すぎてのけぞって、その拍子に座っていた石からにとりは転がり落ちた。
――雛の慌てた声と一緒に、視界が暗転した。
◇
「……ごめんなさい」
「いや、雛のせいじゃないから、うん……」
後頭部のたんこぶを冷やしつつ、たはは、とにとりは苦笑した。
いやまあ、雛にこうやって弄ってもらえるのも結局のところ幸せだったりするあたり、自分も処置なしだなあとにとりは思う。
――どっちにしても、やっぱり帽子を脱いだりとかに慣れるのは、今のところまだ無理そうだ。
だいいち平気になってしまったら、雛の家ではともかく河童の里では色々と問題がある。
いや、雛の家に嫁入り(婿入り?)してしまえばそれも解決なのだろうか?
想像したらまた顔がだらしなく緩んで、次に後頭部の痛みが蘇って泣きたくなった。幸福にぐらい浸らせてほしい。
呻いていると、雛が申し訳なさそうに顔を伏せている。ああ、そんな顔をしてほしいわけじゃないのに。
「あ、あのね、雛」
「うん」
雛の傍らに寄り添うようにして、にとりは囁きかける。
ごくり、とひとつ唾を飲んで、それから帽子に手を掛けて――いち、に、さんで、えいやっと帽子を脱いだ。
「……私が帽子を脱ぐのは、雛の前だけなんだからね」
「にとり……」
恥ずかしくて死にそうだったけれど、雛の手がそっと髪を撫でてくれる感触は、今度はすごく心地よかった。
――帽子を脱ぐのは、特別だっていうことの証。できれば、そのままでいたい。恥ずかしいけど。
「……撫でても、いい?」
「うん」
雛の手が、頭のてっぺんに触れた。溶けてしまいそうな気持ちで、にとりは雛にすがりついた。
河童以外にしてみればちょっと変なのかもしれないけど、こんな愛情表現もあっていいじゃない。
「雛……」
「……にとり」
どちらからともなく唇を寄せ合って、額を合わせて笑い合った。
やっぱり河童と厄神は、今日も徹頭徹尾ラブラブなのだった。
今はあんまり見掛けないし。
ええい、メガネとパーマさんはまだか!?
っていうか、すごい甘いよコレ。
雛の前でだけ帽子とるとか可愛い過ぎでしょ。
二人は結婚してしまえ。
しかしそうか… 求婚の言葉になるというのもうまいなぁ。
言われてみれば最近は見ませんね、にと雛。
あんたならもっと甘甘な作品が書けると思うから期待してるZE
リボンパン思い出した。
にとりも雛も可愛すぎなのぜ。糖分補給できました。
もっと! もっと 糖分を!!
いやー、発想が素晴らしいね。設定が上手い。
ということは、にとり視点では雛は常に際どい水着を着ているようなものなのか…そりゃ辛抱堪らんな
× その表紙に座っていた石からにとりは転がり落ちた。
○ その拍子に座っていた石からにとりは転がり落ちた。
良いね良いね、実に甘いね。
昨日食ったクリーム入り餡ドーナツより甘い匂いがプンプンするぜェーーーッ!
ほどよい甘さだ!