Coolier - 新生・東方創想話

言葉と腕と指先と

2009/07/27 15:59:40
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 怖い夢を見た。とても怖い夢。いつも色付いている夢の中は、今日に限ってモノクロで、モノクロの世界には何の音も無かった。普段、門を守っているときは、草木のざわめき、鳥の鳴き声、妖精たちの話し声、様々な音が私の耳に届くのに、何も聞こえない。空気の流れが感じられない。まるで絵画の中にいるみたいに辺りは異様な静寂に包まれて、微動だにしない。
 違和感を覚えた私は、誰かー! と叫んだ。自分で出した声だったけれど、何の音も拾えずにいた耳にようやく音が届いて、少し安心した。けれど、その安心も束の間、しばらく待っても誰からの返事もなく、辺りに再び静寂が戻ったので、余計に混乱した。……え? 誰もいないの。何これ。と私の困惑した声ばかりがやけにはっきり耳に届いて焦りが募っていく。無音が嫌で、足踏みしたり飛び跳ねてみたりした。私の立てる無意味な音だけが静かな世界に響き、吸い込まれていく。悪寒が走るほどの嫌な予感がして、踵を返し、門を開いて駆けだした。
 紅魔館の中に入って、お嬢様の部屋や妹様の部屋や図書館を片っ端から見て回るけれどやっぱり誰もいない。普段なら廊下でたくさんの妖精メイドと挨拶を交わすのに、誰とも擦れ違わない。長い廊下を走って走って、階段を駆け上がって、色んな名前を叫んでも、誰の返事もない。息が切れて、汗と涙が滲む。体力があるはずの身体が異様に重たくて仕方ない。突然の異変に心が折れそうだからかもしれない。
 言うことを聞かない身体に鞭打って最上階へと続く階段を駆け上がった。がくがくと脚が震えて、喉がからからに乾いている。息が苦しい。汗と涙が頬を伝う。そうなって初めて、咲夜さんの名前を呼んだ。最後まで呼ばずにいたのは、返事がなかったら、今度こそ心が壊れてしまいそうだったから。最後の頼みだったから。
 とうとう足が立たなくなって、廊下にくず折れたときに返事があった。「美鈴」と馴染みのある澄んだ声が聞こえた。はっとなって顔を上げるけれど姿はない。もう一度呼ぶと今度は外のほうから声が聞こえた。力が入らないがくがく震える膝を無理やり立たせて、すぐ近くの窓まで歩いていき全開にした。
開けた途端、モノクロの世界は水に絵の具を垂らしたみたいに開け放した窓から色付いていって、真っ白だった空に青が戻って、草木に緑が戻って、有るべき姿に戻っていった。そのこの世のものとは思えない鮮やかな光景に目を奪われていると、空の上のほうから再び咲夜さんの声が聞こえてきて、今度は世界に音が戻った。
 けれど、咲夜さんの姿は見えない。安心感と焦燥感が募って、行儀が悪いのは承知で窓から外へ飛び出した。持てる力を振り絞って窓枠を蹴って外に飛び出すと、普段は感じない重みを全身に受けて落下した。そこで私は、自分が空も飛べないただの人間だったということに気付いて、けれど気付いたときにはもう遅くて、あ……っ! と声にならない声を上げて落ちていった。ぐんぐん落ちていって、とうとう地面が目の前に迫ったときに、目を瞑って最後に咲夜さんの名を呼んだ。精一杯耳を澄ましたけれど返事はなく、身体中から血の気が引くほどの恐怖感に襲われた瞬間、私の意識はふつりと途絶えた。

 ぱちりと目を開けた瞬間、全身から汗が噴き出ているのを感じた。瞬時に意識は覚醒して、瞬きすると涙が零れた。息は荒く、心臓がどきどきどきどき狂ったように鳴り響いている。……うっ。と嗚咽が零れた。最悪な夢だった。凍てついた恐怖が全身を支配して、涙が止めどなく零れ落ちてきて、腕で目頭を覆った。はぁ……と吐き出した息は熱い。息をついた瞬間、反射的に、ひっ! としゃっくりが出た。
 目を強く擦ってから、むくりと起き上がり、衝動的に裸足のまま廊下に飛び出した。ひんやりした感触が足裏から伝わってくる。細長い窓からは薄明るい月の光が降り注ぎ、廊下にほの白い光を落としている。何となく気分が悪くなってきて、慌てて窓から目を逸らして逃げるように駆けだした。廊下を蹴った途端、夢の中で館内を走り回ったシーンが蘇ってきて、足がもつれそうになる。けれど懸命に走り続けた。擦れ違う者は誰もいない。ひたひたと廊下を蹴る音と、自分の息遣いだけが聞こえる。胸が潰れるほどの焦燥感が募り、また涙がこみ上げてきた。
 身体に纏わりつく恐怖から逃れるように走り続けて、やっと咲夜さんの部屋に辿り着いた。ほんの少しの時間だったにも関わらず、酷く長かったように感じる。いつものようにドアをノックしようとして、ためらった。もし、夢のときのように咲夜さんがいなかったら、私はどうしたら良いのか分からない。それくらい私は咲夜さんに依存していた。声が聞きたい。手のひらで、指先で触れて欲しい。抱きしめて欲しい。他に我侭は言わないから。世界中の全ての人がいなくなってしまっても、隣に咲夜さんさえ居てくれたら、きっと私はやっていける……。そんな突飛なことを考えるくらい、私の心は憔悴しきっていた。
 ごくりと唾を飲みこんで、恐る恐るドアをノックした。けれど手は空を切り、ドアは音を立てて内側から開いた。手を握りしめたまま、私は呆然と咲夜さんを見つめた。「全く、何もたもたしてるの……」という咲夜さんの悪態は、目が合った瞬間ぴたりと止まり、青い瞳が驚きに見開かれた。

「――美鈴? どうしたの? とりあえず入って」
「……咲夜さん……」

 目覚めて初めて出した声は酷く掠れていた。私の弱々しい声を聞いた咲夜さんの眉が寄ったけれど、それに構う余裕はなく、こみ上げる想いのまま咲夜さんに抱きついた。

「……さくや……さんっ」
「美鈴……?」
「怖かっ……どこにも、行かないでっ」

 一人になるのは嫌だった。それほどあの夢は強烈で恐ろしかった。いつもなら夢の内容なんて覚えていないのに、館内を走り回ったルートや、廊下に伸びていた月の光の長さまで、細かく覚えている。
 震える声で懸命に訴えると、頭に手のひらの感触を受けた。宥めるように緩々と撫でられ、片方の腕は背中に回され引き寄せられた。ますます密着度が高まり、咲夜さんの体温を肌で感じて、ようやく身体の力が抜けた。

「……行かないわよ。どこにも」
「咲夜さん……」
「逆に泣いて懇願したって放してあげないから、安心して。私が独占欲強いの知ってるでしょ?」

 優しい声音で囁かれた。少し過激な告白を受けた気がするけれど、今の私にはこのくらいの束縛のほうが心地良い。ぐっと咲夜さんの肩に顔を押しつけるように頷くと、ふっと微笑んだ音が耳に届いた。

「入りましょ」
「はい。すみません……」
「謝る必要なんてないわ」

 咲夜さんの腕が緩んで、私もしがみついていた腕を緩めた。間近で咲夜さんと目が合う。青い瞳は穏やかな色を湛えていたが、心配そうな色が見え隠れしていた。ちくりと胸が痛む。たかが悪夢で、こんな表情をさせてしまった。罪悪感から俯いて腕を離すと、咲夜さんは「さぁ……」と私の手を取って部屋に招き入れ、ドアを閉めた。途端に居心地が悪くなる。今何時か確認していなかったけれど、まだ辺りが暗かったから深夜のはずだ。咲夜さんは寝巻姿だし、休んでいたところを起こしてしまったに違いない。
 そう思い至った途端、さぁっと血の気が引いて、ぐらぐらと頭が揺れた。どうしよう。いつも忙しなく働く咲夜さんのお荷物にはなりたくなかったのに、思い切り邪魔してしまった。休む間も惜しむ咲夜さんの睡眠を妨害するなんて最悪だ。悪夢にうなされたくらいでこうして押しかけて、申し訳ないし、館を守る門番として情けない。

「……ごめんなさい。咲夜さん、私……!」
「えっ? ちょっと!」

 勢い良く咲夜さんの手を振り切って、ドアノブに手をかけた。頭が混乱してきて、何が何だか分からない。けれど一刻も早くここから出なければいけないという強迫観念に襲われてドアを開いて飛び出した。開いた途端、細長い窓から一直線に降り注ぐ月の光を浴びて、私の混乱はピークに達した。あの窓から、私は……。

「――っ、嫌!」
「美鈴!」

 一瞬怯んだところで再び腕を掴まれて力任せに引っ張られた。がくりとバランスを崩して倒れこみそうになるのを脚を踏ん張って何とか耐えると、その間に咲夜さんはドアを閉めていた。ガチャリと鍵がかけられる。けれどそんな鍵をかけたところで、妖怪の私には何の意味も持たない。当初の目的も、何故部屋を出ようとしたのかも半ば忘れて急かされるままにドアに近付くと、振り返った咲夜さんに腕を取られた。邪魔をしないで欲しくて咲夜さんを睨むと、至近距離で合わさった瞳は、赤い血の色をしていた。激しい怒りの炎が燃えたぎり、私の瞳を貫く。けれど表情は涼しいままで、余計に怒りが伝わってきた。足が竦み、目が泳ぐ。恐怖が背筋を這い上がり、息を飲んだ。

「……私、泣いて懇願したって放してあげないって、言ったでしょ?」
「あ……」
「私から逃げるのは許さない」

 捕まれた腕が痛い。鋭い眼差しが痛い。強引に腕を引かれて、よろめきながら咲夜さんの後をついて行った。抵抗する意識はもはやなかった。今は恐怖に支配されて、これ以上咲夜さんを怒らせないように従うしかなかった。
 俯きながら付いて行くと、ベッドの前で思い切り腕を引かれて、反動でベッドに前のめりに倒れこんだ。ぼふっと柔らかな掛け布団に顔がうずまった。反射的に身体を反転させて起き上がろうとすると、咲夜さんに肩を押されて圧し掛かられた。いまだに赤い瞳に射すくめられて、身動きが取れなくなる。

「咲夜さん……」

 肩を押さえつけたほうと逆の手が振りかぶられた。殴られる! と思った瞬間、反射的に目をつぶっていた。身を固くして衝撃を待っていると「ふぅ……」と小さなため息が聞こえて肩から手のひらが離れ、代わりに今度は、頭に優しい手のひらの感触を受けた。おずおずと目を開けると、咲夜さんの赤い瞳は、いつの間にか青く戻っていた。安心したのか、心が折れたのか、涙が再びこみ上げてきて頬を濡らした。

「怖がらせてごめんなさい。だけど、パニックになった貴女に本気を出されたら、悔しいけど人間の私の力じゃ抑え切れないから、奥の手を使わせてもらったの。ごめんね」

 そう言うと咲夜さんは私の上からどいて、私の背に腕を回して起きるのを手伝ってくれた。

「……いえ、すみません。私……」
「謝る必要はないって言ったでしょ?」
「はい。でも……」
「でも、は余計」

 子供を窘めるようにそう言うと、咲夜さんはするりとベッドから足を下ろした。急に離れたぬくもりに驚いて、慌てて袖を掴むと、立ち上がりかけた咲夜さんの動きが止まった。振り向いた咲夜さんも、少し驚いた表情をしている。

「美鈴、私、冷たい水とハンカチを取って来ようと思ったんだけど……」
「あ、すみません。つい。ありがとうございます」

 慌てて手を離すと、咲夜さんは目を細めて、困ったように笑った。

「どこにもいかないから、大丈夫よ」
「はい」

 立ち上がった咲夜さんをしばし見送ってから、私もベッドから足を下ろした。すぐ目の前のカーテンは両脇にたくし上げられ、風を通すためか窓は少しだけ開いている。窓を見ても、さっきよりは幾分冷静でいられた。けれど少し落ち着かなくて、目の前が壁のベッドの端のほうに移動した。そこでようやく一息ついて、涙に濡れた目元と頬を袖口で拭った。目元がひりひりして少し痛い。

「――あ、強く擦ったら腫れるから、やめなさい」
「す、すみません」

 思いがけず声をかけられ、上擦った声を上げながら見やると、咲夜さんにハンカチをぽんと投げられた。空中で綺麗に弧を描いたハンカチは、慌てて差し出した私の手のひらに、すとんと落ちた。

「拭くならこれで拭きなさい」
「ありがとうございます。さすがですね」
「これくらい当然よ。何てことないわ」

 と言いつつ得意そうに言われて、自然と笑みが零れた。好意に甘えてハンカチを開くと、手に馴染む滑らかな感触がして、高そうなハンカチだなと思った。涙を拭うのが戸惑われたけれど、ここは素直に甘えることにした。
 目を閉じて瞼にハンカチを押し当てた。もしかしたらさっきの悪夢に襲われるかもしれないと思ったけれど、押し当てたハンカチから馴染みのある咲夜さんの香がほのかにして、安心からか恐怖に襲われることはなかった。

「どうぞ」
「ありがとうございます」

 ハンカチを目に当てたまましばしじっとしていると、咲夜さんに声をかけられ、水を手渡された。薄く濡れたグラスの冷たさが手のひらに心地良い。中ほどまで飲み干すと、ふぅと一息ついた。

「少しは落ち着いた?」
「はい。ありがとうございます」

 私の隣に座った咲夜さんに尋ねられて、私は今度こそ心からの笑みを浮かべることが出来た。

「そう。良かった」

 私の笑みを見てほっとしたように咲夜さんの表情が緩み、少し空いていた距離を縮められて、腕が触れ合った。

「……ねぇ、何があったか聞いても良い?」
「たいしたことではないんですが……」
「それでも構わないから、話して」
「はい……」

 夢の内容を話すのは戸惑われたけれど、これだけ迷惑をかけておきながら言わないわけにもいかないだろうと、覚悟を決めた。今も鮮明に覚えている内容を順を追って話した。本当に、普段なら時間が経てば夢の内容なんて忘れ去ってしまうのに、今回はまるで今しがた経験したことのように忘れられない。夢で意識が途切れた瞬間まで話し終えると、咲夜さんは眉を寄せて、何とも言えない複雑そうな表情をしていた。当然だと思う。私自身こんなに良くしてくれる咲夜さんが、何であんなポジションで登場したのか分からない。咲夜さんの声に導かれるまま、私は窓から飛び出した。まさか落ちるとは思っていなかったけれど、それは夢の中の私にとって死出の旅立ちの瞬間で、声で窓の外へ誘った咲夜さんは、言うなれば私を死へと導く死神だった。

「……私、間違っても貴女を殺したりしないから、安心してね?」
「分かってます。本当に自分でもどうしてこんな夢を見たのか、全然分からないんです」
「そうねぇ……でも仮に私が貴女を殺すとしたら、そんな間接的なことはしないわ。さっきみたいに馬乗りになって、自分の手で息の根を止めるわ。最後の最後まで、貴女を感じていたいから」
「えぇ!? 怖いですよー」
「仮に、の話よ」
「うぅ……」

 確かに咲夜さんの性格上、あんなやり方で殺すなんてありえない。普段は冷静だけれど、その実血の気が多い性格だから、自分の力で相手をねじ伏せ屈伏させて、それこそさっきみたいに馬乗りになって相手の恐怖に歪んだ顔を見ながらナイフを振り下ろすだろう。相手を殺した感触もしっかりと受け止める。そういう人だ。
 たまにアリスとお茶を飲みながらお互いの近況について話すと、決まってお互いどうしてひと癖もふた癖もある人間を選んでしまったんだろうって話になる。どうせ人間を好きになるなら、人里の人間らしい温かみを持った人を選べば良いのに、どうしてよりにもよって妖怪じみた相手を選んでしまったんだろうって……。そのたびにアリスに言われる。魔理沙も大概だけど咲夜ほどじゃないわよって。正直、言い返す言葉がない。あのお嬢様やパチュリー様に涼しい顔して毒を盛れる人間なんて咲夜さんぐらいのものだろう。普通の人間だったら発想すらしないはずだ。妖怪の私だって恐れ多くて出来ない。だけど、そんな突飛で破天荒な咲夜さんにどうしても惹かれる。手を引かれて行けば、今とは違った景色を見せてくれるんじゃないかという期待と、繋ぎとめていてくれる安心感がある。だから、たまに怖い目にあっても、意地悪を言われても、露骨に支配欲をぎらつかせられても咲夜さんが好きなんだ。もちろん人並みに優しい部分だって、温かな部分だってちゃんと持っている。そんな二面性にたまらなく惹かれる。

「ところで、貴女って、元は人間だったりするの?」
「え? 違いますよ。私は根っからの妖怪です」
「そうなんだ。そうよね。夢の中では人間だったから、ひょっとしてって思っただけなんだけど」
「あぁ、あれは本当にびっくりしましたよ。……そうですよね。人間って飛べなくて普通なんですよね」
「何か引っかかる言い方だけど、まぁ良いわ。どんな感じだった? 人間になって」
「うーん、疲れやすかったような気がしますけど……それ以外には特に違和感はなかったですね。最後の最後まで人間なんだって気付きませんでしたし……。空が飛べなかったことくらいでしょうか」
「ふぅん……そうなんだ。そうよね。貴女は、じっとしてれば人間そのものですもんね」

 そうからかうと、咲夜さんは私の肩に頭をもたせかけた。何だか少し上機嫌になっている。

「……それって、馬鹿にしてます?」
「まさか。貴女だって今のは人間を馬鹿にした発言よ」
「う、そういう意味では……すみません」
「謝らなくても良いって言ったでしょ」

 子供に言い聞かすように窘めると、咲夜さんは私の手のひらからグラスを奪い取った。あっ……と間抜けな声を上げている間に、サイドボードにコトリと置かれた。振り返った表情は相変わらず機嫌が良さそうだった。

「本当に貴女は……時を止める必要もないわね」
「酷い。やっぱり馬鹿にしてるじゃないですか」
「してないわよ」
「私はちょっと気を抜いてリラックスしてただけなのに」
「へぇ、それは光栄だわ」

 ああ言えばこう言う。咲夜さんに文句を言っても喜ばせるだけ。そう思い至って、ぐっと口をつぐんだ。かと言って無言で睨みつけても神経を逆撫でするどころか煽るだけ。それも学習済みだった。でもそうしたら、どうやってこの強くて素敵な人に抵抗すれば良いんだろう。いまだにその術は見つけられていない。

「……おとなしくなったところで、もう寝ましょ。私、明日も早いのよ」
「あ、はい。そうですよね。すみません……」
「ちょっと待った。どこ行くつもり?」

 お礼を言わなくちゃと立ち上がったところで腕を掴まれた。

「え? 自分の部屋に帰ろうかと……ハンカチは洗って返しますね」
「謙虚もそこまでいくと嫌味ね。一人で寝られるの? 暗い廊下を歩けるの?」
「それは……」
「ここで寝て行けばいいじゃない。私、そこまで人でなしじゃないわよ」
「良いんですか?」

 憮然とした表情を浮かべる咲夜さんに尋ねると「当たり前でしょ」と即答された。

「貴女の夢の中の私は、言葉で貴女を死へといざなったみたいだけど、私には、ねぇ……」

 掴まれた腕に少し力が込められた。片方の手のひらは私の頬をなぞっている。

「こうして一番近くに繋ぎ止めておいてあげるから、安心して良いわよ」
「……それもそれで、何だか少し怖いですね」

 一歩間違えば、それは狂気となりえるんじゃないだろうか。私の身の振り方一つで、その想いは薔薇の紅から、血の赤へ、容易く変わってしまうような気がする。気がすると言うか、本当は確信している。アリスの「魔理沙も大概人間離れしてるけど、咲夜ほどじゃないわよ」という言葉が再び頭をよぎった。アリスはこうも言っていた。「咲夜にはね、人間が持つには重過ぎる力があるでしょ。時と空間を支配する能力。そんな力を、群れを作って生活する、他者に依存する人間が持ってるのって、実はすごく怖いと思うの。そんな人間に狂おしいほど好きな人が出来たら、果たして力を使わずに、自制していられるかしら……?」

「美鈴、怖いなんて酷いわ」

 何食わぬ顔でにっこり微笑む咲夜さんも、きっとその狂気性に気付いている。あの夢は、ひょっとして咲夜さんの狂気性が見せたものだったのかな、とふと思った。咲夜さんの愛情はきっと、愛憎と隣り合わせに出来ている。

「……でも、私は咲夜さんが好きです」
「そう。物好きね。貴女も」

 頬笑みが少し意地悪そうに歪んだけれど、喜色が混じったのが分かった。物好きなのかな。でも好きなんだから仕方ない。意地悪だけじゃなく優しいのも知ってるし。と言うかきっと私は意地悪なところも好きなんだ。言葉で腕で指先で束縛されるのが好きなんだ。これじゃ物好きと言われても仕方ないかもしれない。当の本人に言われるのもどうかと思うけど……。今度アリスと会うときに、そう話してみよう。呆れられるのは目に見えているけれども。

「何考えてるの?」

 分かっているくせに、そんなことを聞くんだ。真っ直ぐな青い瞳が私に沈黙することを許さない。さっきはあんなに優しくしてくれたのに、意地悪することも忘れない。それが咲夜さん。分かってる。羞恥の炎が心の奥でくすぶるけれど、私は精一杯、にっこりと微笑んだ。咲夜さんの笑顔に対抗するように。

「そんなの、咲夜さんのことに決まってるじゃないですか」
「そう、奇遇ね。私も貴女のことを考えてたとこよ」

 咲夜さんの笑みが深まった。その鮮やかな微笑みも好き。
 一緒になって微笑みながら、そんなことを思った。
前回、甘々な話を投稿させて頂いたので少し辛さ(?)も混ぜてみました。
優しいしっかり者の咲夜さんも好きですが意地悪な咲夜さんも好きです。
意地悪なところを隠さないというのが何か良い。
振り回される美鈴はたまったものではないですが(笑)
頑張って抵抗されると何かわくわくする(私が)

さくめーマリアリがジャスティスなので、アリスと美鈴が仲良し設定です。
お茶でも飲みながら、世間話や相談事をする間柄だと萌えます。
月夜野かな
http://moonwaxes.oboroduki.com/
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コメント



0.2150簡易評価
18.100名前が無い程度の能力削除
狂気のある咲夜さんは実に魅力的ですね。
甘い話も好きだけど、辛味の入った味はもっと好き。
20.80名前が無い程度の能力削除
・・・ごブふっ!
な、なんだよこれ・・・なんじゃこりゃー!?(鼻血
22.100名前が無い程度の能力削除
良いさくめーだったw
辛さもある甘い話、大好きです!
27.100名前が無い程度の能力削除
咲夜さんの最後の台詞がクリティカルヒット。
おかしいな……、ありがちな台詞なんだけどな……