夏が過ぎ、あれ程までに青々としていた木々も一年の終わりを迎える為の身支度を始めていた。
銀杏は葉を鮮やかな黄色に衣替えし、地面に落ちた種子は独特の臭いを放ち、その季節の到来を告げる。
既に昼と言えども吹き付ける風は冷たく、里の人間達は冬への蓄えとなる稲穂を身を震わせながら刈り取っている。
その為か人ひとり通らない山道の奥から、久方振りの人影が到来する。
生い茂る椛達は来客に喜ぶかの様に身を震わせ、枝先に咲き誇る黄色い手形を敷き詰めてゆく。
しかし、少女はなんら感慨を見せる様子は無く、頭に乗せられた髪飾りを払い落とすと、静かに歩を進めた。
その次には赤、黄、緑と様々な彩りの葉が舞い散り、彼女の視界を覆い尽くした。その光景にも、彼女は瞬き一つくれてやらない。
ならばこれではと突風が吹き遊び、秋色の絨毯が螺旋を描いて舞い上がる。だが、少女の俯いた顔は動かない。
これには流石に山も意気消沈してしまったのか、すっかりと静まり返ってしまう。
少女は歩き続けた。
視線を足元に落としたまま、ただ静かに。しかしその足取りは確りとしており、何らかの意思は感じられる物ではあった。
しかし、目的があるかと問われれば怪しいだろう。目の前に用意された道を、用意されるがままに進んでゆく。その程度の物だった。
この山も妖怪の山ほどではないが決して低い山ではない。彼女の服装は黒を基調としたシックな長袖とミニスカートと、自殺志願者だと思われても可笑しくはない格好だった。だがそれも、彼女の実情を知る物からすれば要らぬ心配と言えるだろう。
彼女は一つのバイオリンを共に山を登っていた。彼女の周囲を浮遊するそれは時おり近くの木にぶつかり、そしてすり抜ける。
”バイオリンの霊”とでも表現するべきだろうか。確かにそれは存在していたが、現世はそれをそこに在る物だと認識してはくれない。
お陰で、彼女は手ぶらのまま登山をする事が出来るのである。
やがて彼女は山の二号目程だろうか。周囲の開けた所謂空き地へと辿り着いた。
そこで足を止めると、彼女は緩慢な動作で辺りを見渡し始めた。誰も居ない事を確認し終えたのか彼女は一つ溜め息を吐き、そして目の前に浮遊するバイオリンへと手を伸ばした。
「あら、久しぶりのお客様ね」
「うん?」
弦へと弓を近づけ、今にもその音色を響かせようとした刹那、彼女の耳に聞き慣れない女の声が聞こえてくる。
その声に反応し顔を向けた少女の目が見開かれる。彼女の振り向いた先、開けた空き地の出口付近には、秋と言う季節の体現者が立っていた。
稲穂を思わせる黄金色の髪色に紅葉をあしらったワンピース、そしてそれと同じ意匠の髪飾りをした彼女は、物珍しそうにバイオリンを持った少女を見詰めていた。
しかし二人は最初の一言を最後に一切会話をせず、静かに互いを見詰め合っていた。
辺りを囲う紅葉はそれを囃し立てる様に散り急ぎ、彼女達の視界を遮ってゆく。
「貴女、誰?」
「人に名前を聞く時は自分から名乗る物よ。
生憎、私は人じゃないけどね」
ようやくバイオリンを持った少女が口を開いたが、対する少女の返事は聞いての通りだった。
にべもないその一言にも激昂する事も無く、今度は一拍の間を置いて再び口を開く。
「失礼、私はルナサ・プリズムリバー。騒霊バイオリニストよ。
たまにライブとかやってるから、よろしく」
僅かな首の動きだけで会釈し、そう告げた。
それに満足そうな笑みを返した秋色の少女は、胸元に手を当てて自己紹介を返す。
「そう、よろしく。私は秋静葉。一応神様やってるわ」
言いながら、少女――静葉はスカートの裾を掴み、恭しい礼をする。
それにもう一人の少女――ルナサは律儀に会釈をもう一つ返す。
互いに自己紹介を終えると、再び辺りは静寂に包まれる。
時おり傍らを通り抜ける風にルナサは鬱陶しそうに髪を戻す仕草をし、静葉は対照的に体いっぱいに秋風を受け、心底心地良いと言った表情を浮かべている。
対照的な二人だ。この場に第三者が居たならば遠慮なく口にしていたであろう。
しかし別段互いを遠ざける素振りも無く、二人はただその場に在り続けた。
「ねぇ」
「何?」
不意に、静葉が声をあげた。特に沈黙に耐えられなかったという風ではなく、その言葉は抑揚のある、しかし何処か儚さを感じさせる呟きにも聞こえた。
そこに、彼女にも勝るであろうほどに繊細なルナサの声が重なる。
返事とともに俯いていた顔を上げると、静葉は黄色く染まった椛を拾い、指先でくるくると玩んでいた。
二三回ほどそれを回した後に投げ捨てると、彼女はルナサへと顔を向け、興味の色を含んだ視線を投げかけた。
「貴女、何しに来たの?」
幾らでも降り注ぐ枯葉を空中で掴み取り、再び玩びながら訪ねる。
「ん、ちょっと……散歩がしたくなってね」
「ふぅん……」
彼女の質問に、ルナサは視線を逸らしながら言葉を返した。
しかしその言葉は歯切れの悪い、逡巡を孕んだ物だった。
その様子が気に食わなかったのか、静葉の口元がへの字に曲げられる。
「でもその顔、どう見ても散歩って感じじゃないわね。
何、自殺なら他所でやってよね。これ以上葉っぱを紅くされても堪らないわ」
「いや、そういうわけじゃ……それに私は霊だし。
ていうか、まだ殆ど緑じゃない」
静葉の抗議に、ルナサは抑揚の無い声で反論した。
しかし、何が面白いのか静葉は含みのある笑いでルナサの事を見詰めた後、彼女の元へと歩み寄って行く。
ルナサの目の前で足を止めた静葉は突然振り返り、両腕を左右いっぱいに広げる。
そして、演技臭い声音で観客に語りかける様に声を大にした。
「そう思うでしょ? でもね、この山はもうすぐ終焉を迎えるわ。
貴女はこれからその瞬間の目撃者になるのです」
「私が……?」
「そう、貴女が」
そう言うと静葉はにんまりと、まるで悪戯娘が浮かべる様な笑いを浮かべ、広げた右腕を体の左へと動かしてゆく。そして一瞬の静止の後、その腕を薙ぎ払う様に右へと振るう。
――目の前に広がった光景に、ルナサは開口した。
それまで生命の息吹を微かに残していた緑の木々が、静葉の腕が通り過ぎた方角から次々に紅へと染まってゆく。
緑から黄色、そして紅へ。舞い散る木の葉さえも例外ではなかった。
静葉は舞い踊る。くるくると、螺旋を描く様に。彼女の楽しげな様子に、自然とルナサはバイオリンへと手を掛けていた。
目を閉じ、心底楽しそうに舞い踊る静葉の耳に荘厳な弦楽器の独奏が聞こえてくる。
テンポの良い三拍子が規則正しく産み出され、それに合わせる様に静葉は軽快なステップを刻んでゆく。
一糸も乱れぬ舞踏に観客達は拍手を送り、彼女達の演奏に彩りを与えながらその身を揺らし続ける。
時間にすれば三分にも満たない短い時間であるが、彼女達の舞踏会は大盛況の内に幕を閉じた。
観客はみな顔を紅潮させ、素晴らしい舞台劇を披露した彼女達へと惜しみない拍手を降り注いだ。
投げ込まれるチップはどんどんと積もっていき、やがては会場を覆い尽くす程の量になっていた。
紅一色に染まった絨毯の中、再び二人は顔を突き合わせる。
今度はルナサの顔にも笑みが浮かんでいる。どうやら、彼女の迷いは吹っ切れたようだ。
「――ありがとう、騒霊さん。今までにない最高の舞台だったわ」
「……私も、これだけ気持ち良く演奏(でき)たのは久々。ありがとう」
互いに笑みを交わすと、静葉は疲れた等と叫びながら絨毯へと身を委ねる。
それに倣い、ルナサも観客達のチップの海へと背中を預けた。
見上げた空には雲が点在し、空の遠近感を鮮明に映し出している。
枝葉の擦れる音だけが耳に入り込み、それが止むと隣に横たわる静葉の規則正しい呼吸音が聞こえてくる。
もしかして寝てしまっているのではないだろうか。不意に訪れた沈黙に不安を覚えたのか、ルナサは右隣に横たわる静葉へと目を向けた。
すると、彼女もルナサの方へと顔を向けている最中だった。
最初は呆気に取られた様に互いを凝視していたが、直ぐにどちらとも無く小さな笑い声が空き地に響き渡る。それもすぐに、風に乗って運ばれてしまった。
「フフッ……ねえ、そろそろ聞かせて頂戴よ。
貴女が何しにここまで来たのか」
彼女の問い掛けに、ルナサは気恥ずかしいのか顔を紅く染めながら、静かに体を起こした。
視線の向こうには先程下ってきた山道が広がっている。やはり、その先も紅く染められていた。
「笑わないでよ……その……秋の山って、何処かもの哀しい雰囲気じゃない。
だから、良い感じに気が鬱ぐかなぁ……って」
鼻の頭を掻きながら呟いたルナサの言に、静葉は目を丸くした。そして次の瞬間には口元を手で覆い隠し、肩を振るわせていた。
表情は俯いている為窺えないが、きっと笑い声を必死に殺しているのだろう。それに気付いたルナサの内心は、あまり快い物ではなかった。
不満げな視線で自分を見詰めるルナサに流石に悪いと思ったのか、静葉は笑いを何とか押し止めて、しかし口元は引き攣ったままに彼女に弁解を始めた。
「ご、ごめんなさい、でもなんでわざわざ自分のテンション下げようとしてるのか全然分からなくて……」
「別に。気にしてない……うん、本当に。うん……うん……」
そう言うとルナサは拗ねた様にそっぽを向いてしまう。
背中を見せた彼女に、静葉は何かを思いついた様に笑みを浮かべると、紅葉の上を転がりながら近づいていく。
やがて互いの体が密着するかしないかといった辺りまで近づいた静葉は、息を殺しながら彼女の顔元へと両腕を伸ばした。
「ごめんってば。 ほら、笑って笑って」
「やめへ、いはい、いはいはら」
そうして背中越しに伸ばされた手によって、ルナサの両頬は左右目一杯へと広げられ、伸縮が繰り返される。
楽しそうに笑いながら彼女の顔を玩ぶ静葉の手を払う事もせず、ルナサは為すがままにさせていた。
良く言えば大人しい、悪く言えば自己主張が苦手なのだろう。暫く両頬を玩ばれるが、それでも拒否の声をあげることは無かった。
漸く満足した静葉が彼女の両頬を解放した頃には、ルナサの頬はやや紅く染まっていた。
両頬を抑えたルナサは、満面の笑みを浮かべる静葉へと振り向き、抗議の目線を送る。
それでも静葉は悪びれる様子も見せず、楽しくてしょうがないといった顔でルナサへと笑顔を向けた。
「ああ面白かった。妹じゃこうはいかないわ」
「おや、貴女にも妹が居るの?」
静葉の言葉に、ルナサは眉尻を上げた。
その様子に、静葉も彼女と表情を同じくする。
「貴女”にも”ってことは、そっちにも?」
「ええ、二人。五月蝿いのと厄介なの」
「そう。大変ね”お姉ちゃん”は」
「本当にね」
言いながら、ルナサは仰向けに寝そべり直した。静葉も同じ様に、空を見上げる。
先程まではあれほど晴れていた青空は僅かに雲がかり、吹き付ける風も勢いを増していた。
「……降るかな」
「……積もるかもね」
ルナサの呟きに、静葉は応える。
時おり顔に降りてくる紅葉を払いながら、二人は青空を観察し続けた。
どれ程の時間そうしていただろうか。不意にルナサは起き上がり、辺りを見渡した。気付けばあれほど強く吹き付けていた風も静まりを見せ、周囲の木々も眠りに落ちたかの様に動きを止めていた。
「あら、今年は早いじゃない」
突然の出来事に眉を顰めていたルナサの耳に、静葉の声が聞こえてきた。
しかし彼女の言葉が自分に向けられた物ではないと知ると、彼女の視線の先、いつの間にか鈍色の広がった空へと顔を持ち上げる。
「あ……」
ふわりと額に舞い降りた”何か”に、ルナサは呟きを漏らす。
それは一瞬だけ彼女の額を冷やすと、水滴となって彼女の鼻先へと流れていった。
それは次々と降り注ぎ、深紅の山を白く染め上げていく。
「もうちょっと寝てたら? 後が辛いわよ」
「今年は早起きを心掛けてたからね。おはよう秋さん」
聞こえてくる声の方向に振り向こうとすると、それまでしんと静まり返っていた山に突然の突風が吹き荒んだ。
荒れ狂う風雪に、ルナサは思わず瞼を瞑ってしまう。風を切る音に混じって静葉と誰かの会話が聞こえるが、上手く聞き取る事が出来ない。
漸く静まった風に恐る恐る目を開けると、静葉は空を見上げて笑顔を浮かべている。しかしその表情は、何処か切なげだった。
彼女の視線を追い、ルナサは顔を持ち上げる。そこには冬の代名詞、白と青とを基調とした服装の少女――レティ・ホワイトロックが浮かんでいた。
「あら、プリズムリバーの……どうしてこんな所に?」
レティは首を傾げてルナサを見た。
薄紫色の髪が風に揺られ、粉雪の様に持ち上がる。
「それが中々教えてくれないのよ」
静葉は苦笑いを浮かべながら両腕を持ち上げるジェスチャーを見せると、ルナサへと振り向いた。レティもそれに続き、ルナサへと目を向ける。
二人の視線を受けたルナサは肩を小さく跳ね上げさせ、狼狽する様に視線を彷徨わせた。
「別に……特に隠してる訳じゃ……」
「じゃあそろそろ教えてよ。隠されると余計に気になるのよ?」
詰め寄る静葉に、ルナサは照れているのか頬を紅くしてモジモジとしだす。
その仕草は静葉の庇護欲を掻き立てるには十分であり、俯くルナサの頭を撫でながら、優しい声音で話しかける。
「なんか嫌な事でもあったの? お姉さんに話してごらん?」
「子供扱いしないで……」
頭に乗せられた手を払いのけると、ルナサは抗議の視線を静葉へと向ける。
静葉の浮かべる小生意気そうな表情は、彼女の良く知る”姉”のそれだった。
「……音を」
「ん?」
静葉と戯れる内、やがてルナサはポツリと声を放った。
降り続く雪に向かって投げられた言葉は、自然と延長線上のレティにぶつかる。
「音を、見に来たの」
「音を?」
ルナサの呟きは、場に居る二人の首を傾げさせた。
不思議そうな顔をするふたりを他所に、ルナサは独白を重ねていく。
「私の音は寂しさや物哀しさとかが源だから……秋の山とか、イメージが膨らむの。それで……」
「ふぅん……アーティストねぇ」
細切れにされて出されるルナサの言葉に、静葉は頭に降り積もる雪を忌々しげに払いながら応える。
最後に肩に積もった雪を払い落とすと、空を見上げて立ち尽くすルナサの眼前へと歩き、彼女の顎を掴んだ。
そして、顔を自分へと向けさせる。
「で、インスピレーションは湧いたかしら? バイオリニストさん?」
意地悪そうな笑みを浮かべながら、挑発する様な口調で語りかける。
しかし、ルナサの表情は不敵とも表現出来る笑顔を返し、静葉の手首を掴んだ。
その様子を、レティは口笛を一つ浮かべて眺め続ける。
「ええ、御陰様で。今なら楽しく弾幕(やれ)そうよ……」
一触即発。
二人の間に漂う緊迫した空気に、山々は息を飲みその様子を見守っている。
「はいはい、そこまでよ」
対峙する二人の頭上から、手を叩く音と共に声が聞こえてくる。
何事かと見上げれば、レティが呆れた様な表情をしながら二人を見下ろしていた。
静かに二人の間に降り立つと、両者の顔を交互に見やり、溜め息を一つ吐く。
「私がここに居る意味、全然分かって無いわねぇ。流石に自信が無くなりそうよ。
それとも、分かっていて……かしら?」
レティの言葉に、静葉は表情を曇らせていく。
一方のルナサは目を丸くしたまま、間に立つ彼女を見詰めている。
その顔を見たレティは再び溜め息を吐くとルナサへと向き直り、彼女の視線を真っ直ぐに見詰めた。
「私のこと、冬にしか見た事が無いでしょ? それは逆に、私が来たと言う事は冬の到来を告げているのと同じ事なのよ。
あの春告精みたいなものね。ここまで言えば、どういう事か分かったでしょう?」
それだけ言うと、解けかけた白いマフラーへと手を掛ける。
長く伸びたそれを再び首へと巻き付けながら、今度は静葉へと体を向けた。
「ま、とりあえずそういう事だから、もうそろそろ秋はお仕舞いよ。
ほら、店じまいの準備してらっしゃい」
しっしっと犬を追い払う様に手を払う仕草に、静葉は心底不満だと言った表情でレティを睨み付ける。
だが、そんな事をしても意味が無いと分かっているのだろう。直ぐさま、諦めた様な笑みを浮かべながらレティを……正確には、レティの向こう側に立ち尽くしているだろう人物へと向ける様に声を上げた。
「全く、忌々しいわね。これからが良い所だったって言うのに。
もう少しくらい舞台の続きをさせて貰っても良いじゃない。
アンコールだって貰ったのよ」
大袈裟な身振り手振りを交えたそれを、レティは呆然とした表情で見守っていた。
しかし、すぐに小さな笑いを漏らして静葉に近づいていく。
「別に今生の別れじゃないんだから、また今度何処かで会えば良いじゃない」
「馬鹿、空気読みなさいよ」
目の前に立つレティの額をコツリと叩く。
力無いそれでも、彼女の白雪の様な肌には紅い跡が残される。
「読んだからずっと出られなかったのよ。これでも冷気を抑えるのに凄い苦労したんだから……」
「……え?」
レティの言葉に、静葉の体は氷精にでも抱きつかれてしまったかの様に硬直する。
訳の分からないといった表情を浮かべる静葉の事が心底面白いのか、レティはにやにやと意地の悪い笑みを浮かべて話を続けた。
「あら、気付かなかったの? 私、ずっと見てたのよ? 綺麗だったわぁ、二人の舞台」
その瞬間、静葉の顔は身に纏う衣装よりも紅く染まり上がる。
くるくるとその場で回り始めるレティの姿に、ついに羞恥の限界に達したのか、目尻に涙を浮かべながら体をわななかせていた。
散々弄んで満足したのか、レティは楽しげな表情のままに、静葉へと話しかけた。
「ああ面白かった……それじゃあ、貴女の妹さんにもよろしく言っといてね」
「無事に春を迎えられると思わない事ね……」
「おぉ、怖い怖い」
わざとらしく身を引かせるレティに呆れ返りながら、静葉はその隣を通り過ぎていく。
向かう先には、言葉を掛けるに掛けられずに立ち尽くしていたルナサが、きょとんとした顔で静葉を見ていた。
「……そう言う訳だから、また今度何処かでゆっくりお話ししましょう」
「……ん。幸い妹の愚痴なら掃いて捨てるほど溜まってるわ」
二人は笑い合い、再会を誓う握手を交わした。
そして別れを名残惜しむかの様に互いの手が離れ、共に粉雪が舞う空を見上げた。
しんしんと降り続く雪は、いつの間にか紅白模様の絨毯を山中に敷き詰めていた。
「さて、それじゃあそろそろ帰るわね。
妹にも声掛けてやらないと、一人で帰ったって五月蝿いでしょうし」
そう告げると、静葉はルナサの横を通り抜け、山の下り道へと歩いて行く。
踏み出した足元から、葉の擦れる音と雪の結晶が崩れる音とが混ざり合い、季節の変わり目を想起させる音が奏でられる。
ルナサは暫し目を閉じ、彼女の残す寂しげな音に聞き入った。
「……あら、何か弾くの?」
「ん、鎮魂歌」
いつの間にか、彼女の肩にはバイオリンが乗せられていた。
次々と降りてくる雪はバイオリンの上にも乗ろうとするが、その甲斐もなく木製の体を擦り抜けてゆく。
片手につがえた弓は静かに弦の上を踊り、秋の終焉を山々へと伝えた。
「そう。物哀しいわね」
「冬だからね」
やがて秋の神の後ろ姿が見えなくなった頃、静かに彼女は演奏を止めた。
観客は皆聞き入っているのか、それとも払うことの出来るチップが無くなってしまったのだろうか、舞台に一切の拍手は無い。
耳が痛くなる程の沈黙に包まれる。小さく、鼻を啜る音がルナサの耳に飛び込んだ。
「そう。これ良い曲ね」
「ほら、ハンカチ」
渡されたハンカチで、レティは目元を拭った。
湿り気を含んだそこもすぐに雪解け水を含み、涙の跡を掻き消してくれる。
「そう……貴女、やっぱりお姉さんね」
「苦労してるのよ、色々と。
さて、次は何を弾こうか――――」
実りの季節を終えた山はそれまでの全てを捨て、冬支度を始める。
一度白粧粧を施してしまえば、この山に訪れようとする者は居ないだろう。
静寂と終焉を一度に迎えたその場所に、寂しげなバイオリンの音が静かに響き渡る。
最後の演目を終えたのだろう彼女が礼を一つ捧げると、生い茂る木々は最後のチップを彼女に渡し、残る木の葉を全て散らしていった――――
Go to next season...
この年は秋が妙に短かったのですね(笑)
あと、個人的にはルナ姉が好きです。