夜闇には見事な満月が浮かんでいた。
門扉の前で椅子に座り、美鈴はぼんやりとそれを眺めている。
静かだ。生ぬるい風と虫の音だけが辺りを覆っていた。
冷たい光を放つ満月をただ、美鈴は眺め続けている。
本日、美鈴は夜が明けるまで門の守護に当たる。
本来ならば美鈴のほかに数人、門番妖精がいるはずなのだが今は美鈴一人。
それは美鈴本人が望んだ事だからだ。なぜなら今日は満月。
「そんなに凝視をすると、狂わされてしまうわよ?」
不意に掛かった声に美鈴が見上げれば、門扉に腰掛ける影が一つ。
その背には蝙蝠の翼、爛々と輝く紅い瞳。彼女こそが永遠に幼き紅き月。
紅魔館の主にして、美鈴の主人であるレミリア・スカーレットであった。
「これはお嬢様、夜風にでもあたりに来ましたか?」
主に対し恭しく一礼。
まさに、美鈴の予想通りに彼女はやってきた。
彼女はそんな美鈴を一瞥すると同じように満月を見上げる。
「ふん、白々しいな。……こんなにも月が赤い夜にじっとなどしていられないわよ」
満月は人を狂わせる。昔からよく、そういわれていた。
あながち迷信ではなく、特に吸血鬼であるレミリアは強くその影響を受ける。
情緒が不安定になる。理性の箍が外れる。より、吸血鬼としての本能が顕著になる。
普段では抑えている欲求を素直に実行してしまう。
このような危険な状態の主の前に、可愛い部下を置いておいたらどうなるかわからない。
「左様ですか、これからお出かけで? それともお戻りですか?」
言葉に答えず、レミリアはそのまま己の指を凝視する。
美鈴が見た限りではそこにはすでに、赤黒い何かが付着していた。
レミリアがそれを一舐め。
しばらく口内で味わうかのように頬を動かしていたが顔を顰めて一言、まずいと呟いた。
「お嬢様…」
「人は襲っていないわ、そういう取り決めだものね」
何かを言いかけた美鈴を遮るようにレミリアが言葉をかぶせた。
「だが、妖怪はその取り決めに入ってはいないわね」
美鈴を見て傲慢な笑みを浮かべる。
「おかしかったわ、いまだにこの紅い月を知らないのか襲い掛かってきてね」
心底愉快そうに、きゃらきゃらと笑い声を響かせた。
「最後は命乞いまでして助かろうとしたのよ」
そんな主の様子を美鈴はただ、見上げている。
一通り笑い声を響かせて、満足したのかレミリアは声を止める。
だが、いまだ消えぬ傲慢な笑みの中に違う感情が混じっていた。
「昂ってしまったわ……」
そう言って、美鈴に微笑。
幼き容姿にアンバランスな、むせ返るほどの妖しさを滲ませて彼女は腰掛けていた門扉を軽く蹴った。
瞬間、その姿が消える。美鈴の背に移動し首元に寄りかかるように腕を回す。そして彼女の耳元に口を寄せた。
「お前が、血を分けてくれたら鎮まるかもしれないわね」
その様子に美鈴は困ったように嘆息。
不満そうにレミリアが鼻を鳴らした。
「冷たいわね、この前はあれほど情熱的に、私を求めてくれたと言うのに」
美鈴が苦笑する。
この前、咲夜に一服盛られて酔っ払ったときの話だろう。
だれかれ構わず見境なしにキスして回ったと言うが、生憎と美鈴にその記憶は無かった。
あれ以来、部下の門番妖精達はベッドに潜り込んでくるようになるわ、小悪魔に熱い視線を向けられるようになるわ
パチュリー様に冷たい目で見られるようになるわ、妹様が此方を見るなり逃げるようになるわ……散々だ。
しかも、魔理沙にもしたらしく、最近彼女から感じる視線が少しおかしいのだ。……勘違いであることを願おう。
そんな事を思いながら困ったように頬を数度指で掻いて、彼女はため息と共に吐き出した。
「どうぞ、貴方の望むままに」
言葉に遠慮なく、レミリアが美鈴の首元に顔を埋めた。
しかし、突き立てようとした牙は美鈴に食い込まず、皮膚で止まる。
しばらく口元をもごもごと動かして、やがて諦めたのかレミリアが美鈴から離れた。
「お前は、何時になったら私に血を吸わせてくれるのかしら?」
再び門扉に腰をかけてレミリアが不満そうに言う。
「お嬢様が私に牙を突きたてられるようになったときですよ」
飄々とした様子で美鈴が答える。
今のは硬気功と言う、体の強度を上げる技を使ったのだ。
「いつまで……」
呆れたようにレミリアがため息を吐いた。
「お父様に義理立てしているの? もう、五百年近くも経ったと言うのに」
レミリアの言葉に、いつもの様子で美鈴が肩をすくめた。
つまらなそうに息を吐き、小さく言葉を紡いだ。
「もう、滅んでしまったのよ。……すでに魂すら存在しないのに」
「いいえ」
レミリアが美鈴に顔を向ける。
「あの方はきっと、亡くなった後も私達を見守ってくれているのですよ」
そこにあったのは懐かしむような、穏やかな笑み。
「夜空に広がる、星のひとつとなって……」
「案外ロマンチストなのね」
レミリアが呆れたような笑みを浮かべる。応じるように美鈴が小さな笑みを見せた。
再び彼女がは門扉を蹴る。今度は美鈴の正面に降り立った。
「では、別のやり方で鎮めて欲しいわ」
両手を美鈴に伸ばす。
応じるように美鈴がレミリアを強く抱きしめた。
同時にレミリアの手も、美鈴の背に回され強く締められる。
美鈴の胸にうずもれたレミリアの顔は見えない。息使いだけが聞こえた。
暫しの時が過ぎる。
レミリアが腕を解き、美鈴から離れた。
「いかがでしょうか?」
「まあ、少しは鎮まったかしらね。頭が冷えるくらいには」
そのままくるりとターンして美鈴に背を向ける。
伺うように首だけで美鈴を振り返った
「だから考えてみるわ。お前が血を吸わせてくれるには、何が足りないのかを」
蝙蝠の羽を羽ばたかせ、レミリアは満月に引き寄せられるように宙へと消えていく。
その様子を見送って、彼女は長い息を吐いた。
そのまま、門扉に寄りかかるように倒れこむ。
「ん、背骨と腰の骨にひび。肋骨もかな? あとは筋肉断裂が数箇所か……」
硬気功を使っていてこれである。この状態では美鈴自身は鉄並に固くなると自負しているが……
それでもこの有様である。まことに吸血鬼の本気は恐ろしい。美鈴でなければすぐさま肉の塊にされていただろう。
だが、それがわかっていてなおレミリアは美鈴の所に来たのだ。
美鈴の頭上には変わらない満月が煌々と光を放っている。
満月は人を狂わせる。昔からよく、そういわれていた。
あながち迷信ではなく、特に吸血鬼であるレミリアは強くその影響を受ける。
情緒が不安定になる。理性の箍が外れる。より、吸血鬼としての本能が顕著になる。
普段では抑えている欲求を素直に実行してしまう。
月の魔力に狂わされた幼き紅き月。彼女が望んだものは……甘える事。
「可愛い所もあるんですけどね……」
先ほど、飛び立つ前。僅かに朱に染まった頬を思い出して美鈴は穏やかな笑みを浮かべる。
そのまま、再び頭上を見上げると、そこには変わらぬ満月だけが浮かんでいた。
-終-
美鈴とおぜうの絶妙な空気がとても良いです。
そんな彼女を止めようとする美鈴との話も良かったですし、前回のキス魔になった話の
皆のその後が書かれていたり、レミリアとの会話なども面白かったです。
幻想郷ってひんぬーばっかだからなぁ……
いや、咲夜さんなら何事も無かったかのように生存してると信じてる
ほら、ご覧…あれがメイド長の星だよ……
お嬢様になら抱きしめられて星になったってかまw(ry
ただ、タイトルを見て、満月ポンを思い出しました。関係ないか。
星になって、がまさか咲夜さんだったとは……
無茶しやがって……www
ところで
>>二対の蝙蝠の翼
の部分は誤字でしょうか? これだとおぜうさまの翼が四枚になると思うのですが。
その夜新たに発見された星は「十六夜星(イザヨイボシ)」と名付けられた。
美鈴に血を吸わせて(認めて)貰う為に、血と汗に塗れて修練を積む先代スカーレットを幻視した。
しかし咲夜さんェ・・・