懐中時計を開き時間を確認。
一秒の狂いもなく私は厨房に辿り着く。
釜戸に火を入れお湯を沸かし茶器を用意する。
悪魔のメイドたるものティーも優雅に淹れねばならない。
茶器を温め茶葉を厳選し絶妙にブレンドし、隠し味に毒を少々。
同じ味は二度とない。
500年の倦怠に浸る吸血鬼は刺激を求めてやまないのだから。
時計を確認。茶葉の蒸らし時間はこれでいい。
ティーポットと温まったティーセットの時を止め盆に乗せる。
その盆が吸血鬼を灼く純銀製なのは軽い洒落。
悪魔のメイドたるものジョークにも悪意を織り交ぜる。
物騒極まりない仕込みを用意。死に至る悪意であれば尚更いい。
我が主にとって最高の刺激となろう。
最後に純金製のティースプーンを盆に乗せテラスへ向かう。
確認はしていないがこんな月夜はまず間違いなくあそこに居る。
主人の行動予測も職務の内。己の確信に従い歩を進める。
階段を上る、下りる、廊下を歩く。右へ、左へ、迷路を進む。
床も壁も天井も、内装は全て紅。
故にその名を紅魔館。外壁だけが紅いのでは名乗れぬ名。
館を支配する悪魔まで紅いからこそ名乗れる名。
私の力で迷路と化した通路を進む。
塵一つ落ちていない深紅の廊下。
私が掃除しているのだから当然だ。
時計はそのまま。時間を確認するまでもない。
全て予定通りに時間が経過。
テラスに一歩を踏み入れると同時に刻限に至り残された時間はゼロになる。
「お嬢様、お茶の時間でございます」
恭しく一礼。
「ん」
返ってくるのはぞんざいな一声。否一文字。
些か礼儀に欠くが客どころか他の使用人も居ない今それを糾弾するのも無礼。
貴族たるレミリア・スカーレットにもプライベートというものはあって然るべき。
私は流してお茶の用意を始める。
「咲夜、飽きたわ。次の曲を」
「かしこまりました」
主が自分で持ち込んだのだろう蓄音器のレコードを替える。
彼女が言い出したのだからお茶が僅かに遅れても文句は言うまい。
さて、今の主は相当に退屈を持て余しているようだ。選曲にも気を遣う。
ならばここは物静かなノクターンでも…………いや。
針を替え題名の読めないレコードを入れる。
きりきりとゼンマイを巻き針を落とす。
下手にメジャーどころを選ぶよりはギャンブルに走った方がよい。
我が主人はそういう性格だ。
「ん。まぁまぁな選曲ね」
「ありがとうございます」
レコードから流れるのは異国の歌。異国の言葉。異国の曲。
何をどう歌っているのかもわからなければリズムも変で気持ち悪い。
正直私には何がいいのかさっぱりわからない。
しかし彼女は気に入ったようで僅かながら声に宿る不機嫌も薄れる。
「変わり映えしないなぁ」
さてお茶を、と思った瞬間呟きが滑りこむ。
顔を上げれば不機嫌顔の少女。我が主レミリア・スカーレットの横顔。
行儀悪く頬杖を突くその姿は正に倦怠。
退屈で退屈でどうしようもないと物語っている。
よくわからない音楽で紛れたのはあまりにも僅か過ぎた。
どうしたものか。如何にして退屈を紛らわすか。
種なし手品でお嬢様を蜂の巣にするはどうだろう?
却下。私が殺されて終わりである。
彼女のわがままは底が知れない。迂闊に事を起こせば逆効果。
「また異変でも起こそうかしらね」
呟きに視線を戻す。紅い悪魔はその名に相応しい邪悪な笑みを湛えている。
「それは名案ですわ」
追従する。現状最高の手段だ。
お嬢様が起こす異変ならば巫女や妖怪退治の専門家たちと十二分に遊べる。
ただ一つ、心配なのは何も考えずに話を進めるお嬢様自身。
「そうだろうそうだろう。じゃあさっそく」
「どのような異変を起こされるおつもりで? よもやとは思いますが……
紅霧異変を繰り返されるのであれば、それは紅魔館の名に泥を塗りますわ」
最初に腰を折っておく。
「どういう意味よ?」
案の定機嫌を悪くされるが後でヒステリーを起こされるよりはましだ。
あんなお嬢様は見てて楽しいものでもない。
「仮にも紅魔館の主、夜の王たるお嬢様が同じ異変を二度起こすなどと……」
「うぐ」
図星だったようだ。呻いたきり苦虫を噛んだ顔で口を尖らせている。
巫女などはくちさがなく指摘するだろうし、止めておいてよかった。
恥をかかされるお嬢様と云うのも捨てがたいのだが。
やはりそれは予期せぬものであって欲しい。
私の予測の範疇で恥をかかれても楽しみが三割減だ。
娯楽と云うものは、須らく最高に熟したものを楽しみたい。
「じゃあ咲夜、あなたは何かいい案でもあるの?」
「メイドが主人に指図など恐れ多い」
「っち。上手くかわすわね」
「はしたのうございますお嬢様」
いよいよ黙り込む。
なんかしらの入れ知恵をした方がよいのだろうが……
生憎と私はお嬢様と違って異変を起こす専門家ではない。
いい案どころか、とっかかりさえ見えてこない。
ティーセットに目を落とす。時を止めているから冷めはしない。
ここは一つ毒入りのお茶で気分転換でもしてもらおうか。
「ああもう変わり映えしない」
これまた案の定と言うべきか。
またもや不満げな声に遮られお茶を淹れられない。
「毎日毎日平穏無事で退屈だったらありゃしないわ。平和で平和で退屈よ!
ったく、平和の使者だとかいう鳩を皆殺しにすれば平和じゃなくなるのかしらね」
それで平和じゃなくなるのはお嬢様の周囲だけです。
それに鳩を食べられなくなってしまうのは困りものですわ。美味しいのだから。
「私が首を突っ込むほどの異変もさっぱり起こらない」
妖怪は異変を起こすもの。他人の異変に首は突っ込めませんわお嬢様。
永夜異変のような変わり種なら話は別ですけれど。
「パチェがやって来て以降、この館はまったく変わらない。
居候でも募集しようかしらね。なんか面白い特技ある奴とか」
――予測できなかった娯楽が訪れる。
お嬢様は、レミリア・スカーレットは変化を望んでいる。
それは私も含まれる。私が参加できる。私の一存で手が届く。
二度あるとは限らないチャンス。存分に私が楽しめそうな機会。
彼女の肩に手をかける。
「変わらない顔ぶれ。変化のない日常。つまらない毎日」
これを逃す手はない。
「――『十六夜咲夜』はもうご不要ですか? お嬢様」
口が三日月形に歪むのを自分で感じる。
「咲夜? ……何を」
「あなたが望む刺激を得られる方法をお教えしましょう」
彼女が訝しむ前に己の首に銀のナイフを添える。
「何を、している。咲夜」
見ればわかるでしょうお嬢様?
私は自殺をしようとしています。
吸血鬼を殺せる銀のナイフは『十六夜咲夜』も殺せる。
妖怪を殺せる道具は人間だって殺せる。
ほんの少し横に滑らせるだけで血が噴水のように噴出します。
たったそれだけで『十六夜咲夜』は死んでしまいます。
「あなたが一言、そうたった一言『要らない』と申せば全ては変わります」
ナイフを首に添えたまま顔を近づける。
「紅魔館も幻想郷も世界も、欠けたピースによって歪んで狂って変わり果てます」
三日月形の笑みのまま語りかける。
「それは些細な変化。だけれど二度と戻らぬ一方通行。
それはあなたが望む変化となるでしょう」
きっとあなたは泣くでしょう。
「さぁレミリア・スカーレット。ご命令を。ただ一言の勅命を。
それだけであなたが望む世界が訪れる。500年の憂鬱を打破する未来が訪れる」
悪魔に相応しくない優しいあなたは従者の死を悼むでしょう。
「さぁレミリア・スカーレット。ご下命を。嘗ての契約の破棄を。
あなたの娯楽はすぐそこに。手を伸ばさずとも一声かければ手に入る」
誤った選択をしたと嘆き悔いることでしょう。
「それはとても簡単なこと。『十六夜咲夜』の消失を以って完成いたします」
私はそれが愉しみでしょうがない。
私の死体を前に呆ける顔が見たくて堪らない。
間抜けに子供染みた泣き方をするのかと思うと心が躍る。
運命を手繰るあなたが望まぬ未来を手に取ってしまう不幸に震える様を見下ろしたい。
悪魔が、レミリア・スカーレットがそんな不様を晒す姿が待ち遠しい。
レミリア、『お嬢様』、あなたの苦しみが、悲しみが、苦痛こそが、私の至福なのです。
銀のナイフがはたき落される。
時を止める暇もない、全く見えない動きで首に添えたナイフが弾かれる。
埒外の能力を持つ『十六夜咲夜』の機能でも追いつけない。
流石は吸血鬼。流石は真祖。高貴なる夜の王の血統。
この『十六夜咲夜』如きでは敵わない。
血色の瞳に射竦められて、指一本動かせない。
レミリアの手が私の首に伸びる。
ああ、なんて、恍惚。千回の快感に勝る悦楽。
神話の女神のように運命を紡ぐその指で、私の首を潰してください。
傲慢にも神を気取って命を刈り取ってください。
夜の王。あなたにはその権利がある。その資格がある。
それを勘違いしたまま行使すると考えただけで震えが走る。
あなたの娯楽のためなら『十六夜咲夜』などすり潰しても構わない。
私の悦楽のためなら『十六夜咲夜』など消し去っても構わない。
もとより人間の器にありながら弱さを持たぬ『十六夜咲夜』に未練はない。
そんなものより悪魔のくせに弱さを持ったあなたをしゃぶり尽くしたい。
悪魔の涙をこの舌で味わいたい。
さあ、この関係の破壊を。
さあ、積み重ねた年月の放棄を。
さあ、この私の全てのリセットを。
さあ、『お嬢様』、あなたの手で。
――さあっ!
がっ と、襟首を掴まれた
「主を試すな。戯けめ」
笑みが消し飛ぶ。
真摯な怒りに燃える紅い瞳に睨まれて、笑ってなどいられない。
「おまえは私が死ねと言うまで仕えてればいいんだよ」
ああ――流石はレミリア。レミリア・スカーレット。紅い悪魔。
この方はいつだって私の期待を裏切る。私の予想を上回る。
いつだって私に未知の喜びを与えてくれる。
私の企みを見通しもせずに打ち砕いた。
運命を操るでもなくただの一言で再び私を支配した。
総身が震える。雷に打たれたに等しく震えあがる。
その血色の瞳に見下されるだけで億回の快感にも勝る悦楽。
私がただ一人認めた王。我が主。
私がただ一人恋い焦がれる紅い月。永遠の少女。
太陽に勝る月の輝き。太陽を呑み込む無限の夜。
私が仕えるのは――この方以外あり得ない。
「……承知いたしましたわ。お嬢様」
声が震えるのを抑えるのがひどく難しい。
きっと今の私の顔は感激に緩み切っている。
だらしのない笑みを零してしまっている。
「ふん」
ボタンが飛びリボンが切れた襟を正す。
そんなものじゃ誤魔化せないくらい、緩んだ笑みが溢れてしまう。
「あなたさまが望む限り、この身は朽ちることなく未来永劫お仕えします」
「当然よ」
――咲夜は、幸せですわ、お嬢様。
隠しきれない笑みを湛えたままティーセットに手をかける。
止めた時を解除して、温かなティーカップにお茶を注ぐ。
「ではお茶を」
だいぶ時間がずれてしまったけれど今はお茶の時間。
敬愛する我が主に温かいお茶を差し出す。
「ん…………変わった味ね」
「はい。毒を少々」
にっこりと微笑む。
「小さじ一杯で500人は殺せると云う代物です。人間なら即死しても余りある毒ですが、
お嬢様にはちょうどいいスパイスになると思いましたので」
「そう。そのスパイスは破棄しなさい」
「かしこまりました」
「美味しくないわ」
「ではお下げいたします」
「そのままに。出されたものは飲むわ」
言って彼女は砂糖を純金のスプーンで掬う。
毒のお茶を砂糖で薄めて口にする。
毒を毒と知りつつ啜る少女。
その身は致死の毒さえ捩じ伏せる。
純粋な悪意さえ飲み干してしまう。
この私の愉悦すら飲み込んでしまう。
あまりにも埒外。あまりにも規格外。
長年お仕えしてるのに、上限なんて欠片も見えない。
きっとあなたには限りなんてありはしない。
私を飽きさせることなんてありはしない。
ずっとずっとこの世界の誰よりも私を楽しませてくれる。
それはとても得難い至上の幸福。
あぁ――お嬢様……
本当に、あなたにお仕えできて……咲夜は幸せです。
再び三日月形の笑みが浮かぶ。
「この悪魔め」
一秒の狂いもなく私は厨房に辿り着く。
釜戸に火を入れお湯を沸かし茶器を用意する。
悪魔のメイドたるものティーも優雅に淹れねばならない。
茶器を温め茶葉を厳選し絶妙にブレンドし、隠し味に毒を少々。
同じ味は二度とない。
500年の倦怠に浸る吸血鬼は刺激を求めてやまないのだから。
時計を確認。茶葉の蒸らし時間はこれでいい。
ティーポットと温まったティーセットの時を止め盆に乗せる。
その盆が吸血鬼を灼く純銀製なのは軽い洒落。
悪魔のメイドたるものジョークにも悪意を織り交ぜる。
物騒極まりない仕込みを用意。死に至る悪意であれば尚更いい。
我が主にとって最高の刺激となろう。
最後に純金製のティースプーンを盆に乗せテラスへ向かう。
確認はしていないがこんな月夜はまず間違いなくあそこに居る。
主人の行動予測も職務の内。己の確信に従い歩を進める。
階段を上る、下りる、廊下を歩く。右へ、左へ、迷路を進む。
床も壁も天井も、内装は全て紅。
故にその名を紅魔館。外壁だけが紅いのでは名乗れぬ名。
館を支配する悪魔まで紅いからこそ名乗れる名。
私の力で迷路と化した通路を進む。
塵一つ落ちていない深紅の廊下。
私が掃除しているのだから当然だ。
時計はそのまま。時間を確認するまでもない。
全て予定通りに時間が経過。
テラスに一歩を踏み入れると同時に刻限に至り残された時間はゼロになる。
「お嬢様、お茶の時間でございます」
恭しく一礼。
「ん」
返ってくるのはぞんざいな一声。否一文字。
些か礼儀に欠くが客どころか他の使用人も居ない今それを糾弾するのも無礼。
貴族たるレミリア・スカーレットにもプライベートというものはあって然るべき。
私は流してお茶の用意を始める。
「咲夜、飽きたわ。次の曲を」
「かしこまりました」
主が自分で持ち込んだのだろう蓄音器のレコードを替える。
彼女が言い出したのだからお茶が僅かに遅れても文句は言うまい。
さて、今の主は相当に退屈を持て余しているようだ。選曲にも気を遣う。
ならばここは物静かなノクターンでも…………いや。
針を替え題名の読めないレコードを入れる。
きりきりとゼンマイを巻き針を落とす。
下手にメジャーどころを選ぶよりはギャンブルに走った方がよい。
我が主人はそういう性格だ。
「ん。まぁまぁな選曲ね」
「ありがとうございます」
レコードから流れるのは異国の歌。異国の言葉。異国の曲。
何をどう歌っているのかもわからなければリズムも変で気持ち悪い。
正直私には何がいいのかさっぱりわからない。
しかし彼女は気に入ったようで僅かながら声に宿る不機嫌も薄れる。
「変わり映えしないなぁ」
さてお茶を、と思った瞬間呟きが滑りこむ。
顔を上げれば不機嫌顔の少女。我が主レミリア・スカーレットの横顔。
行儀悪く頬杖を突くその姿は正に倦怠。
退屈で退屈でどうしようもないと物語っている。
よくわからない音楽で紛れたのはあまりにも僅か過ぎた。
どうしたものか。如何にして退屈を紛らわすか。
種なし手品でお嬢様を蜂の巣にするはどうだろう?
却下。私が殺されて終わりである。
彼女のわがままは底が知れない。迂闊に事を起こせば逆効果。
「また異変でも起こそうかしらね」
呟きに視線を戻す。紅い悪魔はその名に相応しい邪悪な笑みを湛えている。
「それは名案ですわ」
追従する。現状最高の手段だ。
お嬢様が起こす異変ならば巫女や妖怪退治の専門家たちと十二分に遊べる。
ただ一つ、心配なのは何も考えずに話を進めるお嬢様自身。
「そうだろうそうだろう。じゃあさっそく」
「どのような異変を起こされるおつもりで? よもやとは思いますが……
紅霧異変を繰り返されるのであれば、それは紅魔館の名に泥を塗りますわ」
最初に腰を折っておく。
「どういう意味よ?」
案の定機嫌を悪くされるが後でヒステリーを起こされるよりはましだ。
あんなお嬢様は見てて楽しいものでもない。
「仮にも紅魔館の主、夜の王たるお嬢様が同じ異変を二度起こすなどと……」
「うぐ」
図星だったようだ。呻いたきり苦虫を噛んだ顔で口を尖らせている。
巫女などはくちさがなく指摘するだろうし、止めておいてよかった。
恥をかかされるお嬢様と云うのも捨てがたいのだが。
やはりそれは予期せぬものであって欲しい。
私の予測の範疇で恥をかかれても楽しみが三割減だ。
娯楽と云うものは、須らく最高に熟したものを楽しみたい。
「じゃあ咲夜、あなたは何かいい案でもあるの?」
「メイドが主人に指図など恐れ多い」
「っち。上手くかわすわね」
「はしたのうございますお嬢様」
いよいよ黙り込む。
なんかしらの入れ知恵をした方がよいのだろうが……
生憎と私はお嬢様と違って異変を起こす専門家ではない。
いい案どころか、とっかかりさえ見えてこない。
ティーセットに目を落とす。時を止めているから冷めはしない。
ここは一つ毒入りのお茶で気分転換でもしてもらおうか。
「ああもう変わり映えしない」
これまた案の定と言うべきか。
またもや不満げな声に遮られお茶を淹れられない。
「毎日毎日平穏無事で退屈だったらありゃしないわ。平和で平和で退屈よ!
ったく、平和の使者だとかいう鳩を皆殺しにすれば平和じゃなくなるのかしらね」
それで平和じゃなくなるのはお嬢様の周囲だけです。
それに鳩を食べられなくなってしまうのは困りものですわ。美味しいのだから。
「私が首を突っ込むほどの異変もさっぱり起こらない」
妖怪は異変を起こすもの。他人の異変に首は突っ込めませんわお嬢様。
永夜異変のような変わり種なら話は別ですけれど。
「パチェがやって来て以降、この館はまったく変わらない。
居候でも募集しようかしらね。なんか面白い特技ある奴とか」
――予測できなかった娯楽が訪れる。
お嬢様は、レミリア・スカーレットは変化を望んでいる。
それは私も含まれる。私が参加できる。私の一存で手が届く。
二度あるとは限らないチャンス。存分に私が楽しめそうな機会。
彼女の肩に手をかける。
「変わらない顔ぶれ。変化のない日常。つまらない毎日」
これを逃す手はない。
「――『十六夜咲夜』はもうご不要ですか? お嬢様」
口が三日月形に歪むのを自分で感じる。
「咲夜? ……何を」
「あなたが望む刺激を得られる方法をお教えしましょう」
彼女が訝しむ前に己の首に銀のナイフを添える。
「何を、している。咲夜」
見ればわかるでしょうお嬢様?
私は自殺をしようとしています。
吸血鬼を殺せる銀のナイフは『十六夜咲夜』も殺せる。
妖怪を殺せる道具は人間だって殺せる。
ほんの少し横に滑らせるだけで血が噴水のように噴出します。
たったそれだけで『十六夜咲夜』は死んでしまいます。
「あなたが一言、そうたった一言『要らない』と申せば全ては変わります」
ナイフを首に添えたまま顔を近づける。
「紅魔館も幻想郷も世界も、欠けたピースによって歪んで狂って変わり果てます」
三日月形の笑みのまま語りかける。
「それは些細な変化。だけれど二度と戻らぬ一方通行。
それはあなたが望む変化となるでしょう」
きっとあなたは泣くでしょう。
「さぁレミリア・スカーレット。ご命令を。ただ一言の勅命を。
それだけであなたが望む世界が訪れる。500年の憂鬱を打破する未来が訪れる」
悪魔に相応しくない優しいあなたは従者の死を悼むでしょう。
「さぁレミリア・スカーレット。ご下命を。嘗ての契約の破棄を。
あなたの娯楽はすぐそこに。手を伸ばさずとも一声かければ手に入る」
誤った選択をしたと嘆き悔いることでしょう。
「それはとても簡単なこと。『十六夜咲夜』の消失を以って完成いたします」
私はそれが愉しみでしょうがない。
私の死体を前に呆ける顔が見たくて堪らない。
間抜けに子供染みた泣き方をするのかと思うと心が躍る。
運命を手繰るあなたが望まぬ未来を手に取ってしまう不幸に震える様を見下ろしたい。
悪魔が、レミリア・スカーレットがそんな不様を晒す姿が待ち遠しい。
レミリア、『お嬢様』、あなたの苦しみが、悲しみが、苦痛こそが、私の至福なのです。
銀のナイフがはたき落される。
時を止める暇もない、全く見えない動きで首に添えたナイフが弾かれる。
埒外の能力を持つ『十六夜咲夜』の機能でも追いつけない。
流石は吸血鬼。流石は真祖。高貴なる夜の王の血統。
この『十六夜咲夜』如きでは敵わない。
血色の瞳に射竦められて、指一本動かせない。
レミリアの手が私の首に伸びる。
ああ、なんて、恍惚。千回の快感に勝る悦楽。
神話の女神のように運命を紡ぐその指で、私の首を潰してください。
傲慢にも神を気取って命を刈り取ってください。
夜の王。あなたにはその権利がある。その資格がある。
それを勘違いしたまま行使すると考えただけで震えが走る。
あなたの娯楽のためなら『十六夜咲夜』などすり潰しても構わない。
私の悦楽のためなら『十六夜咲夜』など消し去っても構わない。
もとより人間の器にありながら弱さを持たぬ『十六夜咲夜』に未練はない。
そんなものより悪魔のくせに弱さを持ったあなたをしゃぶり尽くしたい。
悪魔の涙をこの舌で味わいたい。
さあ、この関係の破壊を。
さあ、積み重ねた年月の放棄を。
さあ、この私の全てのリセットを。
さあ、『お嬢様』、あなたの手で。
――さあっ!
がっ と、襟首を掴まれた
「主を試すな。戯けめ」
笑みが消し飛ぶ。
真摯な怒りに燃える紅い瞳に睨まれて、笑ってなどいられない。
「おまえは私が死ねと言うまで仕えてればいいんだよ」
ああ――流石はレミリア。レミリア・スカーレット。紅い悪魔。
この方はいつだって私の期待を裏切る。私の予想を上回る。
いつだって私に未知の喜びを与えてくれる。
私の企みを見通しもせずに打ち砕いた。
運命を操るでもなくただの一言で再び私を支配した。
総身が震える。雷に打たれたに等しく震えあがる。
その血色の瞳に見下されるだけで億回の快感にも勝る悦楽。
私がただ一人認めた王。我が主。
私がただ一人恋い焦がれる紅い月。永遠の少女。
太陽に勝る月の輝き。太陽を呑み込む無限の夜。
私が仕えるのは――この方以外あり得ない。
「……承知いたしましたわ。お嬢様」
声が震えるのを抑えるのがひどく難しい。
きっと今の私の顔は感激に緩み切っている。
だらしのない笑みを零してしまっている。
「ふん」
ボタンが飛びリボンが切れた襟を正す。
そんなものじゃ誤魔化せないくらい、緩んだ笑みが溢れてしまう。
「あなたさまが望む限り、この身は朽ちることなく未来永劫お仕えします」
「当然よ」
――咲夜は、幸せですわ、お嬢様。
隠しきれない笑みを湛えたままティーセットに手をかける。
止めた時を解除して、温かなティーカップにお茶を注ぐ。
「ではお茶を」
だいぶ時間がずれてしまったけれど今はお茶の時間。
敬愛する我が主に温かいお茶を差し出す。
「ん…………変わった味ね」
「はい。毒を少々」
にっこりと微笑む。
「小さじ一杯で500人は殺せると云う代物です。人間なら即死しても余りある毒ですが、
お嬢様にはちょうどいいスパイスになると思いましたので」
「そう。そのスパイスは破棄しなさい」
「かしこまりました」
「美味しくないわ」
「ではお下げいたします」
「そのままに。出されたものは飲むわ」
言って彼女は砂糖を純金のスプーンで掬う。
毒のお茶を砂糖で薄めて口にする。
毒を毒と知りつつ啜る少女。
その身は致死の毒さえ捩じ伏せる。
純粋な悪意さえ飲み干してしまう。
この私の愉悦すら飲み込んでしまう。
あまりにも埒外。あまりにも規格外。
長年お仕えしてるのに、上限なんて欠片も見えない。
きっとあなたには限りなんてありはしない。
私を飽きさせることなんてありはしない。
ずっとずっとこの世界の誰よりも私を楽しませてくれる。
それはとても得難い至上の幸福。
あぁ――お嬢様……
本当に、あなたにお仕えできて……咲夜は幸せです。
再び三日月形の笑みが浮かぶ。
「この悪魔め」
咲夜さんはよくわからない位が素敵。
純粋な狂気ってイイですよね。
最後の
「この悪魔め」
で締める所が、個人的にとてもツボに入りました。
私はどうも締めとかオチをつけるのが苦手な性分で、物凄くうらやまs・・・いえ、パルかったです。
もっと怠惰に、もっとおどけて、極めつけに爛れまくってほしいのです
でも極めたら以下炉行き…
ただ『っち』には何かの息吹が感じられますぞ。
オチに洒落が効いてる。
自らの命さえも弄んで、退屈しない人生をレミリアとおくれるんでしょうね。
この後、お嬢様はベッドの上でお腹かかえて、痛いのを我慢するんですね?やっぱり毒は毒だったと。
そして、陰から見守る咲夜さん。
ああ、悪魔の下僕は狂気に彩られている!
刹那快楽主義で尚且つ倒錯的な咲夜さんも中々いいかもしれない。
けど、とてもじゃないけどこの子はレミリア以外には飼い馴らせまい…
危うい主従だな。