紅魔館の図書館。主であるパチュリー・ノーレッジが本棚に張り付いている。
空間制御によって拡張され、数えるだけ無駄な程の数が群集する本棚を一段一段調べ一冊の本を探していた。
その速度は異常であった。
普段の愚鈍な動きからは想像も付かぬ速度で飛翔し、その瞳は絶え間なく動く。一つの本棚を僅か一分ほどで調べ終わると次の本棚へと取り付く。
何かに取り付かれたように一心不乱に体を動かすパチュリーからは、何か鬼気迫るものが感じられた。
それもそのはずである。
現時点で紅魔館はすでに落館しかかっているのである。
恐るべき本性を現した彼女によって、門番妖精や妖精メイド達が全て倒され、残りはもはやパチュリーを含む数人だけとなっている。
この状況を打開する為の方法はもはや、パチュリーが調べている方法を試すか、あるいは時間が経つか……だが、彼女を前にして自分達が朝まで持つとは到底思えなかった。
「小悪魔!……そっちはどう?」
パチュリーはもはや何度繰り返したかわからない問いを己が使い魔に向けて放つ。
小悪魔は今、パチュリーとは別のエリアの本棚を調べているはずだ。
先ほど呼びかけたのはおおよそ十分前。無駄とわかっていても口から付いて出る。
「小悪魔?」
しかし返事はなかった。
呼べば必ず返って来ていた小悪魔の声は聞こえずにパチュリーは眉を潜めた。
そこでパチュリーは一つの可能性に思い至った。
考えたくはないことだが……彼女が図書館に進入してきたのだ。小悪魔はやられてしまったのだと……
もちろん防衛策は張ってあった。図書館の入口には三重の封印をかけておいたのだ。
それが突破されたならばすぐさまにパチュリーや小悪魔が察知するはずだ。
現時点でそれらが破られた痕跡はない。
「小悪魔!」
もう一度呼びかける。
ただ単に、呼びかけが聞こえなかったのだろうと淡い期待を抱いて……
だが、返って来るのは静寂ばかり。パチュリーの表情が引き締まる。
二度の呼びかけに返事があらず、この期に及んで何も無いと思い込めるほどパチュリーは楽観主義ではなった。
懐から取り出すは一枚のスペルカード。月符「サイレントセレナ」
自分を中心とし、強固な魔力の結界を張るものだ。
また、威力をとってもパチュリーの知る魔法の中で二番目の威力を誇る。
直撃すれば彼女とてただではすまない。また、その性質上どこから襲われても全方位をカバーする事ができる。
強力ゆえに欠点も存在するのだが。……まず一度発動してしまうと中断ができず、また術が終わるときの隙も大きい。
つまりは外したら終わりなのである。
もちろん全方位をカバーする魔法は他にもあるのだが、どれも今の彼女を止めるには威力が足らないと計算する。
パチュリーは周囲を警戒しながら小悪魔が調べていたエリアへと歩を進めた。
もちろん飛翔は解いてある。空中ではサイレントセレナが発動できない。
やがて、拍子抜けするほどあっけなくそのエリアにたどりついた。
パチュリーの視線の先に一人の人影が立っていた。黒いブレザーとタイトスカート。赤い髪に二対の蝙蝠の羽。
背を向けているが確かにパチュリーの使い魔である小悪魔だ。
「なによ、いるなら返事くらい……」
呼びかけたパチュリーの目の前で小悪魔が傾ぎ、仰向けに倒れこんだ。
力無く図書館の床に投げ出された使い魔は息が荒く、時々引きつるような痙攣を起こす。
その瞳は虚ろで、とても意識があるようには思えない。
パチュリーのスペルカードを持つ手に力が篭る。
間違いないと、パチュリーは確信した。この、小悪魔の有様は彼女にやられたものだ。
いまや館中に転がっている、妖精たちと同じ有様を小悪魔は晒している。
どうやって誰にも気付かれずにあの結界を突破したのか興味があるがそんな事は後回しだ。
今は集中。彼女の襲撃に、一瞬でも反応が遅れればパチュリー自身も小悪魔や妖精たちと同じ末路を辿る事になるだろう。
パチュリーの頬を一筋の汗が伝う。そして、何かの気配を感じ、ためらい無くパチュリーは月符を発動させた。
パチュリーを中心に結界が発動する。
光の奔流の中心にたたずむパチュリーは見た。
彼女が笑っていた。魔力の結界の外で悠々と。そして、パチュリーは理解した。
外してしまったのだと、先ほどの気配は恐らくフェイント。
見事に自分はそれにかかってしまったとパチュリーは苦笑する。
実戦経験ではるかに差がある彼女に反応すべく、気を張りすぎていた所をまんまと突かれてしまったのだ。
同時に、それはパチュリーの命運が尽きた事も決定付けていた。
今はまだ、自分を守る光に包まれながらパチュリーはどうしてこんな事になってしまったのかを思い出していた。
☆☆☆
時を半日ほど遡る。
「酔っ払っている所が見たいわ」
と、全ては紅魔館の主レミリアの一言で始まった。
彼女の部屋には親友であるパチュリー、従者である咲夜、妹であるフランドールが集まっていた。
「酔っ払っている所? 誰のかしら?」
「美鈴よ」
返ってきた答えにパチュリーは首を傾げる。
「先日の博麗神社での宴会のときに酔っ払っていたわよね?」
「うん、美鈴、顔が真っ赤だったよ?」
「そうではないのよ……」
二人の疑問にレミリアが首を振る。
「美鈴ったら、どれだけ酒が入っても態度が変わらないじゃない? 素のままというか」
「それはたしかに、美鈴たら、どれだけ酔っても何時も通りですわね」
そうなのだ。
美鈴に限りどれだけ酔っても態度に変わりは無い。
たとえば咲夜なら酒乱で、酒が入ると瀟洒の仮面を投げ捨てて玩具にはしゃぐ悪魔の犬になる。
たとえばパチュリーなら、酒が入ると酷い暑がりになり急に服を脱ぎ始める。
たとえば小悪魔なら、普段の明るさはどこへやら、どんな明るい歌を歌っても鎮魂歌に聞こえる程にテンションがダウンする。
たとえばレミリアなら、幼児退行を起こしうー……
「ともかく、私は美鈴が本格的に酔うとどう変わるのかが見たいのよ」
フランドールはまだお酒を飲んだ事がないのでわからない。
まあ、様はあの飄々とすました美鈴が、酒に酔ってどのような醜態を晒すのかを見てみたいだけなのだ。
「でも、レミィ。それは難しいのではなくて? 聞いた話によると鬼と飲み比べしてもけろっとしていたらしいし……」
「ああ、その話だけど、飲み比べした鬼に聞いたのよ、あいつはズルをしているって」
「ズル、ですか?」
レミリアの言葉に皆の視線が集まる。
どうやら興味を引く事には成功したと彼女は内心でほくそ笑んだ。
「一定以上の酒分はこっそり気で分解しているらしいのよね。私と同じだわ」
レミリアも吸血鬼の再生力を使いアルコールを分解できる。
その気になれば延々と、まったく酔わずに飲み続ける事もできるのだ。
まあ、飲み比べの時は真祖の誇りにかけて、そんなズルはしないのだが美鈴は違うらしい。
「それじゃ、どうするの? 美鈴はいくら飲んでも平気だと言う事になっちゃうよ?」
「そうね、それについて何か良い方法は無いか皆の意見を聞きたいのよ」
レミリアが皆を見回した。
「そうね、それならば、魔法で酔わせてみるというのはどうかしら?」
パチュリーが提案する。
「ふむ、そんな魔法があるのね?」
「正確には魔法薬だけどね、先日、新書を整理していたらたまたま見つけたのよ、ただ……」
「ただ? なにかしら?」
「その本は上巻しか見つかっていないの。解毒薬は下巻の方らしくて、酔わせたら覚ます事はできないわ?」
魔法の酔いだから、魔法でしか解除できないらしい。
何でそんな不便な魔法薬を作ったのかとレミリアは疑問に持ったが、あえて質問はしなかった。
まあ、ずっと酔いに溺れ続けていたかった魔法使いでもいたのかもしれない。
「まあ、大丈夫よ。何かまずい癖だとしても、ここにいる皆でかかれば抑えられるでしょう?」
「それもそうね」
レミリアの言葉にパチュリーが頷く。
「魔法薬はすぐに作っておくわ。後は……」
「そうね、咲夜」
「はい」
「美鈴の夕食に仕込んでおきなさい。しばらくしたら様子を報告する事も忘れずに」
「了解しました」
「美鈴って酔っ払っちゃうとどうなるか楽しみだね」
それで、酔っ払った美鈴の行動を見て、皆で笑い合って終わる予定だったはずなのに……
☆☆☆
光が、収まっていく。
パチュリーの目の前で彼女、美鈴は笑みを浮かべていた。
頬は林檎のように赤く、瞳は潤んでいる。
幸せそうに、この世は幸せに満ち溢れていると何の疑いも持っていないような笑みだった。
これが厄介だった。この笑みにだまされて、何人もの妖精達が散っていった。
パチュリーは光が収まる瞬間に、次のスペルカードを取り出していた。
最後の悪あがき、敵わないまでもせめて一矢報いようと考えての事だった。
「パチュリー様ぁ~」
初めて聞く甘ったるい声で美鈴が距離をつめてくる。
パチュリーはスペルカードを発現させるべく宣言を放った。
「エレメンタ……」
だが、美鈴の方が早かった。
彼女は恐ろしい速度でパチュリーと間合いをつめるとそのまま彼女の顔を両の手で挟んで……そのまま……
唇を重ね合わせた。
「んぅぅぅぅぅ~~~!」
動かない大図書館のくぐもったっ悲鳴が響いた。
抵抗するように腕が、足が激しく美鈴に叩きつけられた。
「んう、んんん~~~……んぅ……」
が、やがて声は収まり、パチュリーの瞳が虚ろと化していく。
数分後、完全に力を失ったパチュリーが小悪魔と同様に地面に投げ出された。
投げ出されてなお、息は荒く、時折痙攣するようにはねる。
これが、美鈴の酒癖であった。
つまりはキス魔なのである。
しかも、数百年も人との間を渡り歩き培った経験を惜しみなく発揮した、一切の手加減なしである。
紅魔館の、そちら方面に免疫の無い妖精や、そして小悪魔、パチュリーがとても耐えられるものではなかった。
彼女らが抱いていた、まだ知らぬものに対する憧れや怯え、興味や期待といったものを木っ端微塵に破壊してしまうのである。
もちろん紅魔館総出で取り押さえようとはしたのだ。
だが、この状態の美鈴はなぜか全ての攻撃を異常に避けるのだ。
攻撃を避けながら美鈴は一人、また一人とその毒牙にかけていき、今に至った。
「うふっ、ご馳走様でしたぁ……」
再び甘ったるい声で倒れ伏すパチュリーに告げると美鈴は踵を返した。
☆☆☆
図書館の入り口の扉の封印は解けてはいない。
その威厳さえ感じさせる佇まいは、変わらず侵入者を拒んでいる。
が、その横の壁がちょうど人が通れる位に切り取られていた。
これではいくら封印が強固であろうと無意味である。
その穴から美鈴が危なっかしい足取りで出てくる。
頬は高潮し、瞳は潤み。どこからどう見ても酔っ払いの様子である。
千鳥足で、もう動くもののいない紅魔館を進んでいく。
そこらに転がっている妖精にはもう目もくれずにただ気の進むまま散策する。
やがて美鈴は見つけた。数少ない、動く者の姿を。
こちらに背を向けて、辺りを警戒するように歩を進めている。
気配を感じたのか振り向いて……
「美鈴!」
咲夜がその名を呼んで、迷うことなくその手に銀製のナイフを構える。
美鈴に向かい手を振り上げナイフを……
その手を、掴まれた。
「なっ!?」
咲夜の視界が反転する。
投げられたのだと理解するのに僅かな時を要した。
そのまま、着地の衝撃に備えるが、衝撃どころか痛みも無かった。
まるで羽毛の布団に落とされたように優しく床へ仰向けに倒される。
「さ~く~や~ちゃ~ん♪」
その咲夜に美鈴が当然のように圧し掛かった。
ご丁寧にその両手も押さえ、まさに、組み伏している状態だ。
「め、美鈴? なにを……」
潤んだ瞳で見つめられ、咲夜は声を上ずらせた。
何をするかなど、今までの美鈴の行動を見ていればわかりきった事。
「ま、まって!?」
「ん~~~~」
咲夜の瞳を覗き込むように美鈴の顔が近付く。
動揺した声が漏れた、完全で瀟洒である前に彼女もまだ少女なのである。
「駄目、まだ心の準備が……」
時を止める事すら忘れているようである。
「や、やぁ……」
泣きそうな表情でいやいやするように首を振っていたが、やがて観念したように強く瞳を瞑る。
咲夜の口元がきゅっと引き締まった。来るべき感触に、覚悟を決めたようだ。
だが……
何時まで経っても感触がこなかった。
恐る恐る目を開けた咲夜が見たのは、主の横顔だ。
呆けた目で咲夜が見渡すと、やや離れた所に美鈴が倒れている。
「いや~いきなり蹴り飛ばすなんて、酷いじゃないですかぁ~お・じょ・う・さ・まぁ」
無駄に甘ったるい声にレミリアが顔をしかめた。
そのまま美鈴から視線を離さずにレミリアは言う。
「咲夜」
「は、無様な所をお見せしました」
「いいわ、それより聞きなさい。私は勝てないわ」
「……それはどのような意味で?」
「運命をどう弄っても、あの美鈴には勝てないみたい」
困ったわね、とレミリアが呟いた。
「良くて引き分け、いったいどういうことなのか……」
純粋な戦闘力を見れば美鈴と比べてレミリアは遥かに上を行く。
だが、美鈴には武術の達人と言う要素がある。
武術とはひ弱な人間があらゆる研磨の末に体得した技術であり、大層な実力差をもひっくり返す事もあるのだ。
「だから、咲夜、保険をかけておきたいの。お前は博麗神社に行きなさい。何をするかはわかるわね?」
「お嬢様、しかし……」
「二度は言わないわ、従いなさい?」
何かを言いかけて、それを押し殺して咲夜はその場から姿を消した。
残るのはレミリアと美鈴のみ。お互い笑みを向けている。
「美鈴、身内の恥は主君自ら雪ぐもの……」
レミリアが己の両手を腰元へと自然に垂らす。
「倒させてもらうわ、我が館を守るためにね……」
床を軽く蹴る音。
直後に、レミリアは美鈴の目の前まで移動が完了している。
そのまま半回転、その右腕を裏拳気味に振るった。頭を狙った一撃を美鈴は頭を逸らして回避。
レミリアは構わず勢いを利用して胴を刈り取るようなけりを放つ。美鈴が一歩そのまま下がって避ける。
そのままレミリアはバランスを崩さぬように着地。更なる攻撃を開始する。
美鈴はそれらの攻撃を全て回避する。
酔ったような千鳥足にもかかわらず、レミリアの動きに的確に対応する。
押せば引き、引けば押してくる。
まるで空気でも相手にしているようだとレミリアは思う。
「つーかまーえたー!」
一瞬の隙を突いて美鈴がレミリアの腕を掴む。
掴まれた腕を軸にして、美鈴の顎を蹴り上げようとする。
が、顎を逸らして美鈴それも回避。そのまま腕を離さずに引き寄せ思いっきり抱きしめた。
「むぎゅう~」
二つの豊かな胸に挟まれてレミリアがくぐもった声を上げる。
振りほどこうと腕に力を入れて、力が入らない事に気が付いた。
「これは……なんだ?」
美鈴が抱擁を解いて、レミリアを地面へと座らせる。
レミリアがいくら力を入れても指一本動かせない。
「えとですねぇ、私の気をお嬢様に送り込んだのですよ~」
へらへらと美鈴が笑いながら説明する。
溶け合っちゃいましたねえ~となんだか嬉しそうだ。
「しかも、陽の気ですねぇ。お嬢様でも十分くらいは動けませんよ~」
説明されてもレミリアにはさっぱりわからなかったが……
だが、この状況は説明されずともわかる。
「まーいいです、ちゅーましょ~」
相変わらずの笑みのまま、美鈴が指でレミリアの唇をなぞった。
「あら、美鈴。私の唇は高いわよ? 貴方の命では足りないかもしれないわ」
「それならそれで本望ですよ~」
そのまま美鈴がレミリアの顔を寄せる。
レミリアは脂汗を流しながらそれでも勝気な笑みを崩さない。
そして……
「美鈴~」
呼びかける声。
「フラン!」
「妹様ぁ~」
フランドールが笑みを浮かべていた。
「お姉さまより私と遊ぼうよ~」
「フラン、やめなさい!」
美鈴の手がレミリアから離れる。
そのまま、ふらふらとフランドールへと歩を進める。
「いいですよ~ちゅ~しませんか?」
「うん、美鈴とだったら、いいよ?」
レミリアは見る。フランドールの瞳。
あれは……殉教者の目だった。己を犠牲にしてまで姉を助ける悲痛な決意がこめられていた。
「フラン!」
無力に苛まれながらレミリアが叫ぶ。
「美鈴!やめなさい、まずは私を……」
「失礼いたします」
咲夜がレミリアの傍に現れる。
そのまま動けない彼女を抱き上げた。
「咲夜、ま……」
言葉が途切れ、二人の姿が消えていた。
フランドールが囮となり、咲夜がレミリアを助ける手はずは成功した。
だが、もう、フランドールに助かるすべは残っていなかった。
力の限り抵抗すれば美鈴を退ける事ができるだろう。だが、フランドールはそれができなかった。
なぜなら、彼女は美鈴の事が好きだったからだ。
あの日。全てを失い、己自身を閉ざした遠い昔より。
友となり、部下となり、ときには親となり、自分たち姉妹を守り続けてくれた美鈴を傷付ける事が、フランドールにはどうしてもできなかったのだ。
「いもうとさま~」
潤んだ瞳の美鈴の指が、フランドールの顎にかかる。
「美鈴、私達……」
悲しそうに、フランドールが呟いた。
「もう少し……違う触れ合い方ができたかもしれないね」
最後まで、彼女は一切の抵抗をしなかった。
☆☆☆
美鈴はただ歩を進めていた。
目指すは紅魔館の主レミリア・スカーレットの部屋だ。
なぜだかそこに向かわなければいけないと思ったのだ。
まあ、先ほど目を放した隙にいなくなってしまったので単に追いかける、とそれだけなのだが。
不意に、美鈴が足を止める。
一瞬後、彼女の周りを無数のナイフが取り囲んだ。
ナイフはそのまま美鈴を貫くべく動き出す。
そのナイフに混じって、背後から美鈴に向かうものがあった。
メイド長十六夜咲夜だ。彼女は最後の勝負に出ようとしていた。
博麗神社へと向かうために時を止め、だいぶ魔力を消費してしまった。
能力を使用できるのは恐らく、後、二度ほど。ただ、もう咲夜の世界の様な大技は使えない。
一度目の発動で美鈴の隙を作り、美鈴に触れる。
この手で触れさえすれば魔力を使い、対象の時間を止められる。
逆に、手でつかめなければ止めることができない。
時を止めて、直接触れてから解除すればよいとも考えたのだが、瞬時に反応され手を解かれてしまえばおしまいだ。
すくなくとも、咲夜の知る美鈴は、零距離からの超反応を普通にやってみせる。
だから、わざわざこのような方法を取ったのだ。
攻撃による目くらましをかけて先手を取る。
美鈴が反応し、体に力を入れる。
彼女に殺到していたナイフ達はその役目を果たす事ができずに、美鈴に弾かれ地面に落ちる。
だが、それも咲夜の計算済みだ。硬気功と言う、気を応用し体の硬度を上げる技だと知っていたからである。
昔、何度も行った美鈴との模擬戦で、不意をついてナイフで囲むと大体この技で防いでいた事を知っていたのだ。
そして、この技の発動中はすぐには動けない事も知っていた。
勝利を確信して咲夜が美鈴に手を伸ばす。
そして、その肩に手を掛けて……掴めなかった。
「えっ?」
咲夜の視界から美鈴の姿が突然掻き消えた。
そして、先ほどと同じように視界が反転。地面に仰向けに倒される。
「だめですよ~咲夜ちゃん~」
再び咲夜に圧し掛かかりながら美鈴は言った。
「背後から襲撃する癖、なおってませんね~」
言葉に、咲夜が顔を歪めた。
咲夜は美鈴の行動を読んだつもりであったが、逆に読まれてもいたのだ。
「さて~」
美鈴がそのまま、咲夜の瞳を覗き込むように顔を寄せる。
咲夜は取り立てて慌てない、今度こそはあくまで完全で瀟洒らしく。
「美鈴……」
少しでも時間を稼ごう、と咲夜は思う。
レミリアが動けるようになるまでにはあと数分。
このまま、美鈴の唇が重なったら首を抱えて押さえ込もうと思っていた。
「私は、激しいわ、覚悟なさいね」
うっすらと笑みさえ浮かべて咲夜が呟く。
そして、瞳を閉じた。
「ん~~~~」
が、美鈴は何か考えるように眉を潜めた。
「やっぱり……」
「え?」
「眠いんですね、咲夜ちゃん」
予想外の言葉に戸惑う咲夜を眺め、美鈴は体をずらすと起き上がった。
「ちょ……」
「さっきも目を瞑っていましたし。気が付かずにすいませんでした」
「美鈴?」
そのまま、咲夜に背を向けレミリアの部屋へと向かおうとする。
もう、何かをする様子は無い。これで、少なくとも咲夜自身は唯一助かった事になる。
「おやすみなさい」
「め、美鈴!」
だが、千鳥足で去っていく美鈴に咲夜は慌てて声をかけた。
振り向いた美鈴に咲夜は一瞬、ためらう。だが、言わなくてはならない。
あと少しだけ、時間を稼がなくてはいけないのだ。
「お、おやすみの……」
完全で瀟洒であれと咲夜は己に言い聞かせた。
全ては主の為に、だからこれは当然のことなのだと。
だが、頬が熱を持つのは何故だろう?
「おやすみの……キスが……まだ……」
言葉に、納得したように美鈴がうなずいて。
さーくーやーちゃーん、と甘ったるい声で近付いてくる。
それを泣き笑いのような表情で咲夜は見つめた。
☆☆☆
レミリア・スカーレットは待っていた。
可愛い己の僕を。そして、倒すべき敵を。
彼女の脳裏に様々な光景が浮かんでいた。
自分たちの隊長の異変に気が付き身を挺して止めようと散っていった門番隊。突然襲撃され、抵抗するまもなく毒牙にかかっていった妖精メイド達。
悪魔だからと、魔女だからと一切手加減されずに、色々な幻想やら憧れやらを粉々にされたパチュリーと小悪魔。
身構えていたが、親愛の軽いキス一度で済み、逆に恥ずかしくなって耳まで真っ赤にしてうずくまり再び世界を拒絶し始めたフラン。
自分が助かる道を捨て、主君の為に己を犠牲にし、いまとても満足そうな顔で倒れている咲夜。
それらの犠牲の無念を持って……
我がスカーレットの誇りにかけて……
「私は、お前を打倒するわ!美鈴」
レミリアの視線の先には笑みを浮かべる美鈴。
彼女の忠実な僕であり、今まさに紅魔館に滅びをもたらそうとする者だった。
「お嬢様、どうぞお見せください。この美鈴に」
美鈴の笑みが消えた。
初めて両の手で構えを形成する。
レミリアが笑みを浮かべた。
もう、美鈴は酔いなど醒めたのかもしれない。
だが、いまさら終わりにする事などできるものかと。
レミリアの姿が霞み、蝙蝠と変わる。
紅い蝙蝠、それは見る間に数を増やしあっという間に部屋中へと散らばった。
美鈴が蝙蝠に手を伸ばすと、焼ける音と共に蝙蝠が霧散し、美鈴の手には火傷の様な跡が残る。
この蝙蝠は魔力の具現。
自らの意思を持って、相手の障害たり得るもの。
蝙蝠「ヴァンパイアスウィープ」
それらの蝙蝠が美鈴に殺到し、美鈴が虹色の気を発動させ打ち払い退ける。
それだけではない。
膨大な魔力を感じて美鈴がとっさに身を捻った。
先ほどまで彼女が立っていた場所を、圧倒的な魔力の塊が凶器となり通過していく。
それは壁際に向かいながら回転を緩めレミリアの姿を取り、再び蝙蝠として霧散する。
夜王「ドラキュラクレイドル」
蝙蝠の対処で動きを制限された美鈴を狙い打つ。
二つのスペルカードの同時発動。
二度、三度、美鈴がそれらを捌き、避けいなす。
「何時まで持つか!」
「いいえ、次で終わりです」
「おもしろい!」
再び、美鈴に特攻ををかけるべく、具現したレミリア。
その目に映ったのは美鈴であった。そのまま、レミリアを抱きしめるように捕獲する。
レミリアに打撃は効果が薄い事を見越しての行動だ。先ほどのように気を流し込むつもりかもしれない。
「いかに強力な攻撃とはいえ発動前に止めてしまえば意味はありませんよ、お嬢様」
レミリアを抱えながら美鈴は言う。
「数度の攻撃で、お嬢様が具現する位置は蝙蝠の密度が濃くなると……」
「見破ったのね!信じていたわ!」
嬉しそうにレミリアが言う。それこそが彼女の狙いであった。、
そのまま彼女自身も美鈴に手を回し抱きしめ、体を固定する。
美鈴のが怪訝そうな様子を見せ、警戒するように身を離そうとする。
だが、しっかりとレミリアに抱きつかれ離せない。
「待っていたのよ、お前が私を捕まえに来るのを、此方からでは抱きつかせてはくれぬだろうから」
先ほどの戦い、攻撃を当てる事ができなかった。それなら、避けれぬ状況で当てればよい。
紅い光がレミリアから溢れ、部屋の天井を砕いて立ち上った。
抱えた美鈴を巻き込んだままそれは紅き十字を形成する。
紅魔「スカーレットデビル」
何もかもを紅く染めて、光が炸裂した。
☆☆☆
レミリアは地面に仰向けに投げ出されていた。
さすがに疲れたと、彼女は思った。
魔力と生命力を使いすぎたのだ。しばらく指一本まともに動かせ無い。
「くくくっ」
結果は恐らく。相打ち、だ。
だが、悪くない。
と、レミリアは思った。
何の計算もなしに、後先考えずに全力を振るう。なんと気持ちの良い事か。
破った天井から注ぐは冷たい月光。
それがとても心地よい。
「お見事です」
声が聞こえた。
やや離れた所で倒れている美鈴だ。
「もう、お嬢様は先代様に勝るとも劣りませんね」
「そうか……」
嬉しそうな響きにレミリアは少しだけ歯痒さを覚えた。
静かな夜。このまま眠ってしまいたい。
だが、それだと朝日で消滅してしまうだろう。
誰かが来る気配もない、ならば自分か美鈴が動けるようになるのを待つしかない。
大丈夫だ。
もう、美鈴の酔いは醒めているだろう。
「んっ!」
声と共に美鈴が立ち上がるのをレミリアは感じた。
真祖より早いとはたいした再生力だと苦笑する。
何とか首をめぐらして美鈴を見て……
「………なっ!?」
レミリアのの視線の先、美鈴は笑みを浮かべていた。
頬は林檎のように赤く、瞳は潤んでいる。
幸せそうに、この世は幸せに満ち溢れていると何の疑いも持っていないような笑みだった。
つまり、まだ酔っている……のか?
「美鈴は~うれしゅうございます~」
ふらふらとした千鳥足で近付いてくる。
「ま、待て!来るな!」
焦ったようにレミリアが声を上げる。
まだ、再生が済んでおらずにうまく体を動かせないのだ。
「もう、念入りに、それは丹精こめて……」
美鈴がレミリアを見下ろすように膝をついた。
「チューさせて頂きます」
とてもとても晴れやかな笑顔に対してレミリアは引きつった笑みを浮かべる事しかできなかった。
「やめ、おちつ……アッーーーーーー!?」
☆☆☆
誰もいなくなった紅魔館を、美鈴は歩いていた。
ふらりふらり、よたよたり。魔法の酔いは決して醒めない。
「んっ?」
美鈴が声を上げる。
紅魔館を覆う、気の結界に誰かが掛かったのだ。
感じからして……
「霊夢と魔理沙? 何の用かしら~?」
魔理沙は図書館かもしれない。
だが、こんな夜遅くに訪ねて来ることは珍しい。
そこで美鈴は閃いた。
「ああ、二人ともちゅーされたいのね~。可愛い所もあるじゃない~」
上機嫌で呟くと、二人の侵入者を迎え撃つべく彼女は軽い足取りで駆け出した。
-終-
となるとピーター・マクドナルド役は文か……ハマリ役だ。
とりあえず、紅魔館に就職してくる
別の元ネタがあるんだろうか。
恥がどうとかじゃなくてだな