小町は自分の耳を疑った。
ため息がきこえたのだ。
ここには小町と映姫しかいないのだから、それが小町から出たものでないならば、それは映姫のため息に違いないのだ。
それは珍しいことだった。あの映姫が自分の部下にため息をきかせるなど誰が考えようか。
しかし彼女にも悩みがあるに違いない。
彼女は自分のため息に気がついていないようだった。だから小町は思ったのだ。「これは大変なことだ」と。
「映姫さま……」
そして小町は考える。これは並じゃない。私の声が彼女の耳に届かないなんて!
「映姫さま!」
映姫は小町の存在に気がついたようだ。
「ああ、小町、どうしましたか?」
「映姫さま……何かありました?」
しかし映姫はとぼけたような表情をする。
「何もありませんよ。何故ですか?」
もしかすると彼女自身、気がついていないのかもしれない。そう、きっと彼女は疲れているのだ。そして小町は思った。その疲れを取り除くのは、私の役目じゃないか?
「映姫さま、あなたはきっと疲れているんです。たまには仕事をサボってみませんか?」
「何を――! いいですか、私は――」
しかし、小町は映姫に話させなかった。
「ええ、そうです、あなたの体が休めない立場にあることはわかっていますよ。しかし今日一日だけで良いですから、休みませんか? おねがいします」
小町は頭を下げた。それを見て、映姫は少し笑った。
「何故あなたが頭を下げますか。はい……わかりました。今日は部下の言葉に従いましょう」
やはり彼女は疲れていたのだ。彼女の体は休みを欲していた。彼女は周りを見るばかりで、自分を見ていなかったのである。
さて、この一日、どのように使おうか。小町は思い巡らしていた。
◇
「では、映姫さま、オセロでもしませんか?」
そう小町は言った。
映姫の口が開いて、しかし言葉を発することなく、また閉じた。その言葉が、せっかくの小町の好意を台無しにしてしまいそうだったからだ。映姫はただ頷いた。
「いや、久しぶりです! ルールは知っていますよね?」
「もちろん、オセロは好きですよ」
「そうですよね、失礼しました」
向かい合う二人。その間にオセロボードはあった。(このオセロボードは怖いもの知らずだ。何故ならエンマと死神に睨まれて、逃げ出さないのだから。私ならすぐに走り出すだろうと思うのだ)
先攻は映姫で黒。小町は白。
「オセロは先攻が有利だときいたことがあります。私は大差ないと思いますがね」
「あなたはあっさり先攻をくれましたけど、良かったのですか?」
「もし先攻が有利とするならば、私はそれをゆずったつもりです。私はオセロが強いですからね!」
「そうですか。しかし私を甘く見てもらっては困りますよ」
――そして一つ目の角を取ったのは小町だった。ボードが半分ほど埋まった時だった。
「……あの、映姫さま、何か悩みがありますか?」
小町はいきなり訊いた。
「あなたがサボらなくなれば、私の悩みは全て無くなりますよ」
小町は先ほどのため息の原因を自分なりに考えてみたのだった。そして一つの推理が浮かんでいた。
「近頃、映姫さまの判決はひどくキレが悪いです。使いすぎたハサミのようですよ。それは何か悩んでいることがあるからでしょう?」
「ええ……」
映姫はあきらめたように話し始めた。
「そう、私は悩んでいるのです。今まで私はここに来た者の生前だけを見て、その者の未来は見ていませんでした。天国は美しく、幸せに溢れている。しかしそれに比べて地獄はあまりに辛い。まさに天と地の差です」
小町は静かにきいていた。映姫は苦しそうに話している。二つ目の角は、映姫が取っていた。
「そして、私の一言で、その人の未来は決まってしまう。私の判決というのは『辛』という字に一本加えて『幸』にするような小さいことですが、それが持つ力というのはあまりに大きい。そのようなことを思うと、昔のように判決が出ないのです」
小町はじっとしていた。
「人を裁く者は、己も裁かれる。私は怖いのです」
小町は何も言わずにオセロを進めた。そして映姫も、何も言わなかった。
三つ目の角は映姫が取った。四つ目の角は小町。そしてゲームは終了した。白と黒はほぼ互角だった。
「31……32です」
「ということは……ドローですね!」
「ドロー? 小町、ドローですか?」
「はい、そうです。あなたはオセロが好きだと言いましたよね? それは、まさか、オセロが白と黒だからという理由ではないですよね? オセロにだって引き分けがあります。オセロなのに『白黒はっきりしない』というのは、面白いですね」
映姫はドローがショックらしい。小町は言う。
「そう、どんな人でも黒の部分を持っているし、またどんな悪人も白の部分を持っています。だから生きる者は皆、灰色をしているのですよ。あなたはその灰色が白黒どちらに近いかを見るわけです。それはとても難しいこと。しかしですね……それはあなたにしかできないのですよ、映姫さま!」
「ありがとう」
映姫の眼に力が戻るのを、小町は認めた。
「あなたに力をもらうとは、思ってもいませんでした」
小町はにっこり笑った。映姫はこう言った。
「この、ドローゲーム、私が白黒つけてあげましょう!」
「ほうほう!」
「あなたはオセロの強さに自信がありました。そしてこのゲームを引き分けにした。引き分けは、時には勝つことよりも難しい(囲碁であれ麻雀であれ)。つまり私はあなたに踊らされていただけでした。よって、白(小町)!」
「ばれていましたか」
「天知る地知る、私を誰だと思っていますか」
元気になった映姫を、小町はにやにやしながら見ていた。
◇
(小町の日記より)
今日は映姫さまとオセロをした。(二度とないだろうと思う)
オセロに勝ったのは映姫さまだった。
ゲームが終わり、映姫さまの方が一枚多かったのでこっそり一枚ひっくり返して、引き分けにした。
日々、銭と触れ合っているから、オセロを数えるのは一瞬です!
色んな意味で、今回は私の勝ちですな。
何故なら、私は本当は負けていたのですからね!
オセロから、白黒とは‥‥お見事でした。
なんだか、人生考え直そうかと思いました。
今後もすばらしい作品を期待しています!!!