天狗の里にある小粋な喫茶店で、文は椛と休んでいた。
取材をする時には、得られた情報を簡潔に纏める必要がある。そういう場合メモするのが一番だが、取材中に書くメモなど走り書き程度にしか出来るものではない。特に文はあまり字が綺麗とは言えないほうなので、覚えているうちにメモを清書する必要がある。家に帰ってから纏めてもいいが、やはり早く纏めてしまいたい。喫茶店はそういう場所に最適なので、文は取材の後にこの店でメモを清書する事が多かった。
しかし、この日文がこの店を訪れたのには別の経緯があった。この日もネタを探しに街へ飛び出した文だが、記事になりそうな事を一切見つけられなかった。ネタが不足しているのは最近の傾向から仕方のないことだが、気になる出来事が何も見当たらないというのは文にとってはじめての経験だ。やり方がまずいのだろうか、或いは云々と暫く一人で悩んではみたものの、解決策が見つかるわけでもない。
仕方ないから、いつもの喫茶店で頭でも冷やすとしよう。全てはそれからだ。そう考えて、文は店へと向かった。
その途中で、文は椛を見つけた。彼女を見かけた瞬間、文の心に少しばかり意地の悪い考えが浮かぶ。
こんな日は椛に八つ当たりしよう。一応都合くらいは聞くが、有無を言わせる気はない。
「あら、奇遇ね」
「文様。取材ですか?」
この言葉を聞いて文の口元が引き攣る。そうだよ、取材だよ!ネタは全然見つかってないけどね!
とはいえ、怒った顔を見せるのもかわいそうなので、文は感情を表に出さないよう努めた。
「ねえ、貴女これから暇?」
「ええ、もう仕事は終わりましたから大丈夫ですよ」
椛はどこかうれしそうだ。なるべく隠そうとしたつもりだが、文が密かに彼女との時間を楽しみにしていた事も、彼女は既にお見通しだったようだ。こんな顔をされては、八つ当たりする気も失せてしまう。仕方ないから、今日は普通にデートしてやるか。
「じゃあちょっと喫茶店に付き合ってよ」
「はい、よろこんで!」
椛は尻尾まで振っている。文が無言でそれを見ていると、彼女は「あっ」と小さく声を上げて尻尾を押さえた。どうやらあれは意識とは無関係に動いてしまうらしい。
ああ、可愛いなあ。
席に着いて早々、椛は文に切り出した。
「文様、今日はネタが見つからなかったんでしょう?」
危うく含んだ珈琲を噴きそうになりながらも、文は冷静に答える。
「そんなわけないでしょ、私を誰だと思ってるの?」
「じゃあ、明日のネタはなんですか?ほら、いつもうれしそうに話してくれるでしょう?」
「そ、それは……」
焦らす事を覚えさせたのが失敗だったか、と文は一人自らの軽はずみな行動を後悔した。彼女に色々教え込まなければ、こんな屈辱を味わうこともなかっただろうに。
「文様、私にくらい話してくださってもいいじゃないですか。それとも、文様にとって私なんて……」
椛の瞳が潤む。これは反則だ。こんな事をされては、彼女の望むようにしてやらなければならないじゃないか。
「……ごめんなさい、私が悪かったわ。実はね、記事になりそうな出来事が見つからなかったのよ」
「あ、やっぱり!なんだか元気なさそうだったから心配してたんですよ」
どうやら、彼女の千里眼というのは伊達ではないらしい。文が感心していると、椛は腕組みをしながら唸り出した。
「うー……最近は目新しい出来事もありませんからね……あ!季節の事とかどうです?」
「うーん、毎年なんだかんだで書くからなあ」
「そうですか……それにしても嫌な天気ですね」
椛は傍の窓から外を眺めた。空は厚い雲に覆われ、いつ雨粒が落ちてきてもおかしくない。しかしながら、雨は一向に降る気配はなく、いつ降りだすのかという懸念が気分を余計に重くするようだ。
それを見て、文は思わず立ち上がった。
「そうだ、これよ!今までどうして気づかなかったのかしら、ああでもよかった!」
異様に興奮する文に置き去りにされた椛が不思議そうに訊ねる。
「な、何を思いついたんですか?」
「天気よ天気!あれを予想する仕組みが出来ればすごいでしょ?便利だし!」
「確かに便利ですし、それを記事にすれば売り上げも伸びるかもしれませんが、どうやって予想するんですか?」
椛の一言で、文は我に返った。そういえば、どうやったらあんなものを予測できるのだろう。統計でもとればいいのだろうか。しかし、それでは確実とは言えない。「明日の天気は~かもしれない」という可能性の段階を越えられなければ、予報として意味を成さない。やはり、変わりゆく天候を予測する事など出来ないというのか。
いや、待てよ。そういえば、人間の里には龍神像があるじゃないか。あれは当日のものしかわからないし、絶対ではないが、それでもあれは予報といえるレベルの精度を持っているだろう。あれを造った河童達なら、何か知っているかもしれない。
「文様、大丈夫ですか、文様!」
「あ、ああ、大丈夫よ。ごめん椛、私用事ができたから、またね!」
そう言うと文は二人分の代金を置き、疾風の如く駆け出した。一瞬で見えなくなった彼女を見送りながら、椛は溜息をつく。
あーあ、せっかくの機会だったのに。もう少しお話できたらよかったな。
――でも、いつもの元気な文様に戻ってくれてよかった。
* * *
重たい雰囲気の空とは対称的に、山の河は相変わらず綺麗だった。水は澄んでいて底まで見渡せるほどだし、流れも穏やかで一定のリズムで時を刻んでいる。その河の傍に、にとりの家がある。家といっても、色々な機械が乱雑に放置されていて、まるで物置のようなものではあるが、にとり本人が「寝る場所があればそれでいい」と言うのだから特に問題ではない。
「おお、文じゃん」
「こんにちは。今日はにとりさんにお願いがありまして」
文の口調で、にとりは文が記者としてやってきたのだと気づいた。普段の用事なら「相変わらず汚い家ね」とか「ねえ、お茶は?」などと言ってくるはずだ。ああいう態度は好きではないが、こういう馬鹿丁寧な態度もいいものではない。おまけに彼女はわざとなのか天然なのか時々失礼な言動を混ぜるので、目上の人と話す際には問題だろうと思う。尤も、それは文の素が出てきているという事なので、否定する事は出来ないのかもしれないが。
「にとりさん、天気予報について教えてください!」
「て、天気予報だって?」
「そう、そうなの!天気が事前にわかれば色々と便利でしょ?人間の里にある龍神像は河童の仕事だって聞くから、貴女なら何か知ってるかもと思ったのよ!」
文は取材用の言葉遣いをすっかり忘れていた。それほど興奮しているのだろう。彼女の口調や表情から、それが伝わってくるようだ。
以前からあの龍神像を越えるものを造ってみたいと思っていたにとりも、文に負けないくらいに目を輝かせている。どうせなら週間予報くらい出来るようにしよう。そのためにはどれくらいの規模のコンピューターが必要だろうか。どんなに大掛かりなものになったとしても、絶対に私一人で完成させてやる!
そんな事を考えながらにとりは微笑んでいたが、その表情はすぐに暗くなってしまった。その変化を見逃さなかったのだろう、文の顔も少しずつ曇っていく。
やがて、にとりが口を開いた。
「あのね文、天気を予測するにはたくさんの情報を収集してそれを分析する必要があるんだ。とんでもない量の情報が複雑に絡み合うから、とてもじゃないけど私達の頭じゃ演算できないんだよ。だから、予測のためのコンピューターを造る必要があるんだけど」
「ちょ、ちょっと待って!あの龍神像はそんなに大それたものじゃないでしょ?もしかして、当日の天気とその先の天気では予測できる範囲が全然違うって事?」
「そうなんだ。当日のなら割と予想が立てやすいんだけど、翌日とか、その先とかは可能性の幅が広がりすぎるんだ。だから、予測専用のプログラムが必要なんだけど、難しすぎて私達には組めないんだよ。造るのは得意なんだけども、どうにもそういうのはねぇ」
にとりの言葉を聞いて、文は黙ってしまった。にとりの言う“こんぴゅうたあ”や“ぷろぐらむ”という言葉がさっぱりわからなかったからだけではない。詳しい所まで理解できたとはいえないが、どうやらこのままだと天気予報など出来ないらしい。なんとかしなければいけないが、河童の出来ない技術を誰が出来るというのだろうか。
考えても仕方ない。まずは“ぷろぐらむ”について詳しく知らなければ。そうすれば、該当する人も見つかるかもしれない。
「ねえにとり、ぷろぐらむについて説明してくれる?」
てっきり落ち込んでいると思っていた文がこう訊ねたものだから、にとりは一瞬驚いた。しかし、文の立ち直りが早いのはいつものことだ。壁にぶつかると、すぐに乗り越える方法を考え出す。彼女はいつもそうやってきたじゃないか。そう考えて、にとりは文に気づかれないように微笑んだ。
「ええっとね、簡単に言うと起こり得るパターンを予めたくさん用意しておいて、コンピューターが事態を処理できるようにする事だよ。天気予報の場合、膨大な量の情報からコンピューターが次に天気に起こる変化を当てられるようにするんだ」
「じゃあつまり、大変だって事ね。誰なら出来るんだろう……」
どのくらい沈黙が続いただろうか。二人とも言葉を発することなく、誰に頼むべきかずっと考えていた。簡単に言ってしまえば、頭のいい人物にしか出来る仕事ではない。しかも、やった事のない者にできるような芸当ではなさそうだ。賢く、こういったものに触れた事がありそうな者。そう考えると、思い当たる人物は一人くらいだ。
「ねえ、あの人なら……」
「そうだね、外の世界で知ってそうだし」
「じ、じゃあ私聞いてくるから、準備お願い!」
「おう、まかせとけ!」
ふわりと舞い上がる文を見送って、にとりは部品置き場へと向かった。最近部品弄りもほとんどしていなかったので、ここに来るのも久々だ。ああ、やっぱりここの匂いは落ち着く。周りに機械が見当たらない生活なんて想像も出来ない。そんな事を考えながら、にとりは持ってきた胡瓜を頬張った。
さて、外組みだけでも造っておきますかっと。
世間が如何に梅雨の湿気で参っていようと、この屋敷の者達にとってはなんでもない事らしい。文が屋敷の玄関の前に着くと、中から二人のやり取りが漏れてきた。立ち聞きするのは悪いと思ったが、聞こえてしまったのだから仕方ない。
「紫様、する事がないからといって居間でごろごろするのはやめてください。御自分の部屋でおくつろぎになったらよろしいでしょう?」
「いやよ、そんなのつまらないじゃない。貴女もわかってるんでしょ?何故私がわざわざ貴女を困らせているのか」
「ふざけるのも大概にしてくださいよ。さあ、もうすぐお昼ご飯ですからシャキっとしてくださいね」
「もう、つれないわねぇ」
どうやら二人はいつも通りのようだ。紫も暇そうだし、後は頼むだけだ。意思を固めて、文は戸を叩いた。
「はーい、どちら様で……ああ、お前か。何か御用かな?」
「ええ、今日は紫さんにお話したい事がありまして」
「うーむ……一応紫様に通すが、話を聞いてくれるかどうかはわからないぞ?今日はいつも以上に怠惰だからな、まともに相手してくださるかどうか」
「そうですか……」
「まあ、立ち話も何だから上がりなさい」
「え、ええ、ではお言葉に甘えて」
玄関から居間に向かう間、文はこれからの事を考えていた。もし紫に断られたらどうしたらいいだろう。藍に頼んでもいいが、彼女は紫と違っていつも忙しい。そんな彼女にわざわざ頼むのは気が引ける。かといって、この二人の他には「ぷろぐらむ」できそうな者などいない。天気予報を実現するためには、やはり八雲家のどちらかに頼むしかないだろう。
ずっと俯いていた文だったが、居間に着いた瞬間その表情は晴れ始める。
「待ってたわよ。私に相談でしょ?」
先程まで、八雲家の居間にはすっかりだらけきったスキマ妖怪・ゆかりんが畳の上にだらしなく寝っ転がっていたはずだ。しかし、藍に連れられて居間に入った文が見たのは、髪を美しく束ね、妖しく微笑む大妖怪・八雲紫の姿だった。玄関での会話を聞いて準備したのだろうか。まさかとは思うが、この人のことだからもっと前から私が訪ねてくる事がわかっていたという可能性もある。どちらにせよ、ちゃんと話は聞いてくれそうだ。
「珍しいですね、御自分でシャキっとするなんて」
「あら、私がそんなだらしのない女性に見えて?藍、悪いけどお茶を淹れてくれるかしら」
「はい、ただいま」
そう言って居間を後にする藍の後姿はどこかうれしそうだった。
「それで、天気予報のプログラムだけど」
挨拶もそこそこに、紫はそう切り出した。やはり文とにとりの会話が耳に入っていたらしい。なんでも知っているのは便利だが、情報通もここまで来ると最早恐怖の対象だ。
「は、はい。それで、紫さんにお願いできますか?」
「ええ、任せなさい。あっちでそういう知識も得ているし楽勝よ。あ、でも少し時間を頂戴。今日中にってわけにはいかないわ」
紫の言葉を聞いて、文は笑みを零す。本当にうれしそうに笑う文を見て、紫の口元も緩んでいく。
「ありがとうございます!それで、どのくらいかかりそうですか?」
「一晩ね」
「ええ!?そ、そんなに早く出来るんですか?」
「あまり侮ってもらいたくないわね。まあ本気出せば今日中に組めるけど、それだと藍や霊夢をからかう時間がなくなっちゃうでしょ?それじゃあ私のモチベーションが上がらないわ」
「な、なるほど……では、また明日、今頃の時間帯に伺ってよろしいですか?」
「ええ。ああ、その時はあの河童の子も連れてきなさい。組み立てはあの子がするんでしょ?色々伝える事があるから」
「はい。では、また明日。紫さん、本当にありがとうございました」
紫に挨拶して、文は空へ飛び上がった。上空から雲を眺めると、雲の隙間から薄日が差している。なんだか誰かに応援されているような気がした文は両腕を高く掲げ、誰もいない空中ではしゃぎ回った。
よっしゃああああ!!
この事が後に人間の里で奇声を上げて飛び回る天狗として広まってしまい取材にも悪い影響を与えてしまうのだが、この時の文の頭にはそんな事を気にする余裕などなかった。誰もが達成できなかった予測を、自分達は今成し得ようとしている。勿論、にとりと紫の協力がなければ実現できなかったし、そもそも椛がヒントをくれなければ天気予報など考えもしなかっただろう。
文が喜んでいるのは、予報を自分の手柄に出来るからではない。この幻想郷で前例のない偉大な功績の達成に立ち会えた事が、うれしくてたまらないのだ。記事なんて、その副産物でしかない。記事やその他の媒体は、起こった出来事や賞賛すべき功績など、真実をより多くの人々に伝えるためのツールなのだから。
でも、勿論独占記事はいただきだけどね♪
* * *
翌日、文とにとりは再び八雲家を訪れた。
「出来てるといいね」
「あの人は胡散臭いけど嘘は吐かないから大丈夫だよ」
「そうかなぁ……一日で出来る代物じゃないと思うんだけどなあ……」
にとりは心配そうな顔をしている。確かに、河童の技術力で出来ないものを一日で終わらせるのはかなり無茶な気もするが、この手の分野は完全に文の専門外なので確かな事は言えない。とにかく、訪ねてみればいいことだ。そう思って、文は八雲家の玄関を開けた。
「ああ、お前達か。紫様がお待ちだぞ」
二人を出迎えた藍は今日もうれしそうにしている。おそらく、彼女は主の立派な姿に惚れているのだろう。二人とも彼女の様子に気づいたらしく、その後姿を見てニヤリと笑った。
「来たわね。はい、これ。このディスクを組み込めば機能してくれるわよ」
彼女はこの日も八雲紫だった。適度に妖しく、どこか親しみ易そうな表情。まさに胡散臭いという言葉がぴったりだ。紫とは宴会で偶に顔を合わせる程度の付き合いのにとりも、彼女の性格を十分に窺い知る事が出来ただろう。
紫が二人に見せたのは一枚の薄い円盤のようなものだった。その方面はまったく詳しくない文が不思議そうに見ていると、横でにとりが今まで見たこともないような顔をしているのに気がついた。驚きと羨望、嫉妬に純粋な尊敬の念が入り混じったような顔をした彼女は、なにやらぶつぶつと呟いている。
「こんなに薄く……すごい……でもどうやって……」
「後で教えてあげてもいいわよ」
ディスクと呼ばれる円盤とにらめっこしているにとりを見て、紫は微笑みながら語りかける。
「え?あ、あの……」
しかし、にとりはどこか恥ずかしそうにしている。普段の気さくな様子からしばしば忘れられてしまうが、にとりは意外と人見知りするほうだ。そのため、あまり話した事のない紫と話すのがどうも恥ずかしいらしい。
「あら、そんなに緊張しなくてもいいのよ?」
紫は相変わらずニコニコ笑っている。もしかすると、彼女はにとりの人見知りも知った上で声をかけたのかもしれない。こういう反応を楽しむなんて、この人のよくやる手だ。
しかし、この手も今回ばかりは失敗のようだ。にとりは何も答えられず、頬を染めてしまうし、紫はそれを眺めてニヤニヤしている。紫としてはこれでいいのかもしれないが、このままでは帰るに帰れない。とはいえ、ここでいきなり話し出すのも妙な話なので、文は仕方なくその場に流れる沈黙に身を任せることにした。
「あ、あの!」
この沈黙はしばらく続いたが、にとりの意を決するような言葉で破られた。
「私、紫の事、すごいと思う!たった一枚のディスクに膨大な情報を詰め込めるなんて、すごいよ!」
「ふふ、ありがと。でもすごいのは私ではないわ。本当にすごいのはこのディスクを創ったエンジニア達よ。私はただ、それをうまく利用させてもらっただけ。いつの時代も、本当にすごいのは新しいモノを創り出す人だからね」
紫の話を聞くにとりの眼は輝いていた。今の彼女には、紫の姿はさぞや美しく映っているのだろう。別に彼女の問題だからどうこう言うつもりもないが、今は早く帰って装置を作るほうが大事ではないだろうか。そんな事を思いながら、文はわざと大袈裟なそぶりで立ち上がった。
「さあ、今日のところはこの辺で帰りましょう。それを組み込んで予測装置を作らなきゃ。でしょ、にとり?」
「あ、うん。じゃあ紫、あの……」
「ええ、また来なさい。話の続きはその時にね」
相変わらず妖しい笑みを浮べる紫に見送られて、二人は家を出た。帰り道から作業中に至るまでにとりが終始ニヤついていたのが気になったが、特に気にしないことにした。
* * *
その日の夕方、にとりの家に二人の雄叫びが響いた。
「できたー!!」
「いやったああ!!ねえ、早速予測してみようよ!」
「うん!」
にとりは完成した装置のスイッチを押した。静かな起動音とともに装置の電源が入る。二人がしばらく様子を見守っていると、ディスプレイに測定中の文字が浮かんできた。
「はぁ……」
「うおお……」
何が起こっているのかさっぱりわからない文とは対称的に、にとりは興奮した様子で装置を眺めている。
しばし沈黙が流れた後、ピンポーンという音とともにディスプレイに結果が映し出された。
「明日の天気は……晴れ!的中確率80%だって。おお、週間天気まで出てるよ!」
「すごいね!後は明日確かめるだけね」
「うん!いやーやっぱり紫すごいね。エンジニアを認めてるだけあるわ」
にとりはうれしそうに笑う。どうやら、この一日で彼女は紫を気に入ったらしい。誰とどう関わるのかなんて個人の自由だが、たぶんあの人の心に入り込むのは不可能だろう、と文は思う。あの人の心は既に二人の式と一人の人間で一杯だろうから。
「ところで文、この予報どうするの?記事にでもして配る?」
にとりの言葉で、それまで落ち着いていた文の心は僅かに乱れ出した。これまで文は、どうやって天気を予測するかという点に頭を悩ませていた。予測した後、それをどうするかはまったく考えていなかったのだ。確かに、これを自分の記事に独占的に載せて売ればかなりの売り上げが見込めるだろう。けれど、それで本当にいいのだろうか。この装置の恩恵は、幻想郷で暮らす全ての人々が享受するべきものではないだろうか。自分一人では全ての人々に周知する事は出来ない。だったら、今一番求められているのはこの二人の功績を世間に伝える事だろう。
しかしながら、一記者としてこれを独占したいという欲望もまた心の片隅に残り続けている。皆が自分の新聞を求める姿など、夢に見た光景だ。予報を伝える媒体が増えてしまえば、もうこの欲望は満たせないかもしれない。かといって、独占していては本来の目的を果たせない。
さて、どうしたものか……
「あのさ、これ文が独占していいと思うよ。だって、文が言い出さなかったらこんな装置完成しなかったんだからさ」
悩んでいる文の肩を叩きながらにとりが言った。文が見上げると、彼女は困ったように微笑んでいた。それを見て、文の心は一つに決まった。
記事はこの功績を讃えるものにしよう。そして、この予報を皆で共有できるようにしよう。
「にとり……ありがとう。でも、記事はこの装置の紹介に留めておくわ。私ね、なんとかしてこの予報が幻想郷全体に行き渡る様にしたいの。やっぱりそれが一番でしょ?」
「うん、そうだね!じゃあどうやって伝えようか……」
「里の龍神像みたいなのを各地に造ったらどうかな?そっちは目の色だけの簡易予報で、詳しい予報は私の新聞とかでやればよさそうじゃない?」
「うまく連動させるのが難しそうだけど、それが最良かな。じゃあ仲間達と造ってみるよ!皆竜神像を造った代の技術を越えたいと思ってるから喜ぶと思う。じゃ、またね!」
そう言ってにとりは河童の遊び場へ向かった。彼らの物創りに対する情熱は異常なので、きっとすぐに完成する事だろう。
さて、私も記事書こうっと。
文が家の玄関を開けると、中で紫が待っていた。椅子に優雅に腰掛け、文を見つけるとまたあの妖しい笑みを浮べた。
「な、なんで勝手に入ってるんですか!?プライバシーくらい考えてくださいよ!」
「ふふ、ごめんなさいね。予報はどうだった?」
「まったく……週間予報まで出ていましたね。的中率も80%だそうです」
「あらそう。さすがにまだ遊びは出ないようね」
「は?ど、どういう事ですか?」
「簡単に言うと、あの予報適度に外すようにしてあるのよ」
「な、なんでですか!そんなの確実に当たるほうがいいでしょう?」
訳がわからず取り乱している文を見て、紫は椅子から立ち上がった。顔にはあの胡散臭い笑みを貼り付け、文のほうに近づいてくる。
「あのね、天気予報に100%は有り得ないのよ。ほんの僅かなズレでさえ、時間が経てば大きなズレになってしまうの。専門的な言葉を避けるとこういう説明しか出来ないけど、確率はせいぜい上がって90%って所ね」
「そんな……でも、じゃあどうして80%に留めたんですか?」
「外れたほうが面白いからよ。完璧が有り得ないなら、欠点は多いほうが楽しいでしょう?それにね、まだ貴女は知らないかもしれないけど、思いもしなかった雨は、思いがけない幸福を運んでくるものよ。さて、この辺で私は帰るわ。じゃあ記事頑張ってね~」
そう言うと紫はスキマに姿を消した。なんだかもやもやした気分を胸に秘めながら、文は机に向かった。記事を書きながら、先程の紫の言葉を反芻する。
雨が幸せを運ぶことなど有り得るだろうか。自分の経験上、雨は嫌なことしか生まないはずだ。飛べなくなるし、気分も滅入る。それなのに、幸せを生む事などあるのだろうか。何度も考えてみたが、どうにも結論は出ない。仕方ないので、文は一度この疑問から離れることにした。今は目の前の記事に集中して、その後考えよう。そう考えて、文は相棒の万年筆を走らせた。
翌日の文々。新聞は大好評だった。こんなはっきりしない天気だから、やはり皆事前に天気を知りたいと思っていたらしい。読者の反応もよく、様々な質問が寄せられていた。記者の集会所で文がその質問を片付けていると、にとりがうれしそうに訪ねてきた。
「文、大ニュースだよ!龍神像が完成したんだ!」
「ええ!?すごいじゃん!」
「うん、なんか皆張り切っちゃってさ、もう何箇所か置いてあるよ。この里の入り口にも、ほら」
にとりが指差す方を見ると、確かに立派な像が建っていた。朝ここにやってきた時には気づかなかったから、きっと昼間のうちに置かれたのだろう。そういえば先程外がなにやら騒がしかった気もする。
「これで天気予報計画も完成ね!」
「うん!ありがとう、文。私達も先代を越える仕事が出来てうれしかったよ。じゃあまたね!」
そう言ってにとりはうれしそうに帰っていった。それを見送って、文は未だに自分の机に積み重なっている質問の山に目を向けた。やれやれ、売れ過ぎるというのもいささか問題だ。
その日の午後、仕事を片付けた文は疲れた様子で街を歩いていた。天気予報は無事的中したようで、雲一つない快晴が広がっている……はずだった。確かに午前中は晴れていたのだが、現在の空には重たい暗い雲が広がり、今にも雨粒が落ちてきそうだ。どうやら紫の言っていた通り、天気予報に完璧はないらしい。ちゃんと記事にもそう記しておいてよかったと胸を撫で下ろしながら、文は家路を急いだ。
しばらく歩いていると、ぽつりと雨粒が落ちてきた。ああ、ついに降りだしたか。文は走り出したが、雨はみるみるうちにその強さを増していく。さすがにカメラや手帖を台無しにはしたくないので、文は雨宿りできる場所を探すことにした。辺りを見渡すと、ちょうどあの喫茶店の前にいる事に気がついた。仕方ないから、少しここで時間を潰そうか。ここでなら、それも苦ではない。
偶然に入った喫茶店だが、この場所で文は紫の不可解な言葉の答えを見つけることになる。
店は妙に混雑していた。やはり皆思う事は同じのようで、席はほとんど空いていなかった。
「申し訳ありませんが、相席でも宜しいでしょうか?」
忙しそうな店員が文に訊ねる。文はもうここで時間を潰すつもりでいたので、躊躇することなく答えた。
「ええ、構いません」
「かしこまりました。それでは、こちらへどうぞ」
店員に促されて、文はある席に向かった。そこは二人用の席で、銀髪の少女が一人座っていた。
「お客様、こちらのお客様と相席していただいても宜しいですか?」
「あ、はい、いいですよ」
少女は顔を上げ、文と目が合った。その瞬間、彼女は固まってしまった。
店員に飲み物を頼んで、文は彼女の正面に座った。その瞬間、固まっていた少女がうれしそうに笑いかけた。
「こんな所で会えるなんてうれしいです、文様」
椛の顔は眩しいくらいの笑顔を湛えていた。もう尻尾や耳がぱたぱたしてしまうのは気にしない事にしたようだ。
「私もよ、椛。貴女も雨宿り?」
「はい。でも、残念ですね。せっかくの予報が外れてしまって……」
「ううん、いいの。紫さんも外れるものだって言ってたし、それに……」
「それに、なんですか?」
「ふふ、内緒。」
「もう、教えてくださいよぉ」
「だーめ。ねえ、雨が止んだら、一緒にどこか行かない?」
「いいですよ。楽しみですね!」
この時まで、文は紫の言葉が理解できなかった。雨は嫌いだから、それが幸せを運んでくるなんて有り得ないと思っていたからだ。
けれど、今日の出来事で彼女も紫の言葉の意味を知る事ができたようだ。だって、彼女は今こうして雨が運んできた幸せを享受しているのだから。
なにはともあれ最初と最後にしか出番のなかった椛がいい味をだしてくれました。
もみじもかわええ~