「なぁ妹紅」
「んー?」
「カモメカモメカチンカチン」
寺子屋小学校の日常についての考察
「……何を言っているんだ慧音」
「うん、やはり意味が分からないよなぁ。……その憐れみを込めた目はやめてくれないか? 正直傷つくぞ」
近頃日課、というかそれが当たり前にもなってきている慧音との夕食、その後に少し話をしてから帰る。話題は大体その日寺子屋で起きたこと。
今日は、いきなりある男子が授業中に立ち上がって叫んだ言葉について。
その男子が叫んだあと、男子全員によってカモメカモメカチンカチンコールが起き、全員に頭突きをして黙らせることになった、らしい。その所為で少しおでこが赤くなっている。
「で、だ。妹紅、カモメカモメカチンカチンとはどういう意味だと思う?」
「うーん、どういう意味って言われてもなぁ……手がかりが少なすぎるぞ」
「そう、だな……たしか、カモメカモメカチンカチンコールが起きた後に女子が皆俯いてしまったな。耳まで真っ赤になっている子もいたと思う」
「つまり、恥ずかしい言葉、っつーことだな? 少なくとも女子にとっては」
「ああ、そうなるな」
腕を組んで首をかしげる。慧音は対面にすわり、茶をすすっている。
とりあえず、何度か言ってみればわかるかもしれない。小さく呟く。
「カモメ、カモメ、カチン、カチン……カモメがカチンカチンになるってわけじゃないよな。別にそれだったら恥ずかしくないもんな」
「ああ、私もそう考えたが違うだろうな」
「ふむ」
そう言って再び腕を組み首を傾げ、小さく呟き続ける。茶をすする慧音。
「カモメ、カモメ、カチン、カチン……これって全部頭に『か』が入るな」
「カモメ、カモメ、カチン、カチン……そうだな、確かに。何か気付いたか?」
「いや、もう少しな気がする」
そして三度腕を組み、首をかしげる。慧音はもう一口茶をすする。
「カモメ、カモメ、カチン、カチン……かもめ、かもめ、かちん、かちん……もめ、もめ、ち……」
「ん? わかったのか? ……妹紅?」
ああ、なるほど、わかった。あまり口に出したくはないけど。
顔をあげてみれば、呟きが止まったことに気づいた慧音がこちらを見ていた。
「ああ、ひたすらくだらないが。……とりあえず、この言葉から『か』を抜いて言ってみな」
「カモメカモメカチンカチン……かもめ、かもめ、かちん、かちん……もめ、もめ、ちん、ちん……もめもめちんち……ああ、そういうことか」
慧音はちゃぶ台に肘をついて頭を抱えた。前髪で顔が隠れ、表情が見えなくなる。
「……くだらないな」
「ああ、くだらない」
しばらく押し黙ったかと思えば、次に発せられた言葉はくだらない、の一言。茶をすする私。
「とりあえず、男子全員頭突き追加だ」
南無三、がんばれ男の子。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
またある日、慧音の家にいつものように夕飯をご馳走になりに行く。
「うぉーい、けーねー」
「……ああ、妹紅か。よく来たな、今用意する。少し待て」
家の奥から声が聞こえる。少し元気がないような気がしたが、気にせずに居間に入りくつろぐ。
正直、慧音は真面目だが、だからこそ気にし過ぎなきらいがある。もう少し柔らかくなればいいんだけどなぁ。
「待たせたな、妹紅。……さぁ、頂こうか」
「うん、美味そうだ。頂きます」
やはり何かあったらしい。暗い顔をした慧音が姿を現す。
手を合わせて食前のあいさつの後、会話もなく黙々と箸を進めた。
「で? なにがあったのさ」
食後のいつもの時間。ちゃぶ台の上には湯気の立つ湯呑が二つ。慧音の言葉を促す。
慧音は俯いたまま、しばらく押し黙っていたかと思うと、おもむろに口を開いた。
「なぁ、私は、常識に、とらわれすぎなのか?」
あぁ、やはりこういった類の悩みか。
苦笑が漏れ、それに反応して慧音は顔を上げる。
「……笑わないでくれ、真面目に聞いているんだ」
「ごめんごめん、つい、ね」
茶を一口。うん、うまい。
「慧音は気にし過ぎなんだよ。何があったかはわからないけど、たぶんそこまで気にすることじゃないと思うよ」
「……そうなのだろうか」
「そうだって。もっと肩の力を抜いて、さ。そんなんじゃ疲れるだろう?」
私は両の腕を横に広げ、くねくねと動かしてみせる。気分は海月。
「ほれ、慧音もやってみなって」
「え、あ、こう、だろうか」
慧音も私に倣ってくねくねと体を動かす。少々ぎこちないが、先ほどまでの気分も少しは紛れてくれたようで、表情も少し明るくなったように思う。
「で、なにがあったのさ」
くねくね。
「いや、そうだな。もう何だかどうでもよくなってきたが、一応話しておくか」
どうやら慧音にはこの運動は効果覿面だったようだ。まさか、慧音の口からどうでもいいという言葉を聞くことになるとは思わなかった。慧音は続ける。くねくね。
「妹紅、1+1はなんだ?」
くねくね。
「そりゃ、2だろう」
何を聞くのだろうか、そんなこと当たり前だろうに。くねくね。
「いや、どうも1+1=田んぼの田、らしい」
「なんじゃそら」
くねくねくねくね。
「まぁ、紙に書いてみればわかりやすいのだが……いったんこれ、やめていいか?」
くねくね。
「ああ、別にいいよ」
くねくねしながら鉛筆と紙を取りに行った慧音を見送り、くねくねしながら戻ってきた慧音を迎える。くねくね。
「すぐにわかるから、見ておけ」
「あいあい」
くねくねしながら慧音の手元をのぞきこむ。
「いち、たす、いち……」
慧音は一言ずつ区切りながら数式を紙に書き込んでいった。1+1のそれぞれの文字の間隔が狭く、田の字の上下の棒をなくしたような形になっている。くねくね。
「はっ……と」
最後に等号をその上下に分け、書き込む。うん、紛れもなく田んぼの田だ。くねくね。
「って、なんじゃそら」
私は抗議の意を示す。ぐねんぐねん。
「私に言われても困るのだが」
律儀に再びくねくねし始める慧音。気に入ったのかな? くねくね。
「子供からこの回答が返ってきて……正してやったら先生は常識にとらわれすぎだ、と返された」
思い出して少し気分が沈んだのだろうか、動きが遅くなる。くーねくーね。
「それは明らかに気にし過ぎだろう。というか、だ」
いったんここで言葉を区切り、正面から慧音を見据える。くねくね。
「慧音、なら常識にとらわれないために必要なのはなんだと思う?」
くねくね。
「……それは、柔軟な発想、というものではないのか?」
少しの思考の後、慧音が口を開く。くねくね。
「違うね。慧音、必要なのは常識、だよ」
が、やはり勘違いしていたようだ。慧音のその間違いは教師としては致命的である。くねくね。
「柔軟な発想とやらを持っていても、打ち破るべき常識を知らなければただの阿呆だ」
くねくねしながら続ける。
「だから慧音。お前のような良識ある者、そういう指導者が必ず必要なんだよ」
「妹紅……」
いいことを言っているつもりだが、くねくねはやめない。だって慧音も律儀にやってくれているんだ、私だけやめるわけにはいかないのさ。くねくねくねくね。
「うん……そう、そうだな、ありがとう妹紅。元気出た」
うん、どうやら完全に立ち直ったようだ。少しスピードが上がっている。うにうにうにうに。
「はいよ、どういたしまして、だ」
その後の会話では、少しだけ、いつもより慧音の笑い声が大きい気がした。くねくねうにうに。
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さらにある日。いつものように慧音の家に夕飯をご馳走になりに行く。今日は昼まで大雨で、そのせいで歩いてくるのが大変だった。里に来るときは飛ぶな、って慧音に言われてるし。
「うぉい、慧音ー。来たぞー」
「あぁ、妹紅。上がって待っていてくれ、すぐに行く」
ひょこりと風呂場の仕切りから顔だけ出して告げる慧音。少し青みがかった銀色の髪が水を吸い、垂れている。まだ服も着ていないのだろう、上気した肩が覗き見える。
あいよ、と返すと慧音が首を引っ込める。湧き上がる悪戯心。
しかし、ここでそれを放出してしまえばひどいことになるのは目に見えている。というか、前、風呂上がり慧音にいたずらしたい一心で脱衣所に特攻したらひどい目にあった。
……正直、思い出したくもない。おとなしく居間で待っていることにした。
「待たせたな」
慧音が戻ってきたらすぐに夕飯になる。それを見越して、すでに作ってあった夕飯を温めなおしていると、後ろから声がかかった。
真白い浴衣に紺の帯、肩には浴衣が髪の水分を吸わないように手拭いがかかっている。
「うん、じゃあ座っててくれ。持ってくから」
「そうか? じゃあ頼んだ」
踵を返し、居間に戻っていく。艶やかな髪が歩に合わせて右へ左へと揺れた。
盆を持って居間に戻ってみれば、今日は寺子屋でよほど疲れたのか、舟を漕ぐ慧音の姿。正座したまま、こっくり、こっくりと頭が揺れている。とりあえず、配膳を先に終わらせる。
「おーい、けーねさーん?」
正面に座って声をかけると、びくりと反応して顔を上げた。口の端には銀色の筋。
「……私は寝ていたのか?」
「まぁ、ね。とりあえず、拭いたら?」
ちょいちょい、と唇の端を指し示し、促す。
一瞬、慧音は呆気にとられていたが、すぐに何を指しているか気づき、慌てて肩にかかった手拭いで口を拭う。
ここまで疲れているのは珍しい。遊び疲れた子供を見ているような気分で箸を進めた。
「で? なんでそんなにお疲れだったのさ」
毎日恒例、夕食後の談話にて。湯呑を手の中で弄びながら、問いかける。
夕食が食べ終わると、慧音は珍しいことに片付けを私に頼み、ちゃぶ台に突っ伏し、すぐに寝息を立て始めた。
とはいえ、洗いものが終わって戻ってきてみれば湯呑二つを前に正座で待っていたが。
「いやぁ、久しぶりに本気で子供たちと遊んでな」
「ほう、何をやったんだい? 鬼ごっこ? 蹴鞠?」
「いや、けーどろ、という遊びだ」
「けーどろ?」
聞いたことがない。
「なんだそれ? どんな遊び?」
「うん、子供たちが言うには、『けーね先生をドロドロにする遊び』を略してけーどろ、らしい」
「……あー、なるほど。けー、ドロ、ね」
「うん、そうなんだ。……それで、動きやすくて汚れてもいい服で来い、と言うから体操服で行ったら本当に容赦なくどろっどろにされたよ。出て行ったととたんにべちょべちょの泥団子をぶつけられたりして、な。まぁ、地面に力いっぱい蹴りを入れて泥の雨を降らせたりと、相応の仕返しはしたが」
子供のように笑い、子供のように喜々として今日の出来事を話す慧音。最近はなんだか悩んでばっかりだったから、こういう顔を見せてくれるとこっちも嬉しい。自然と顔が綻ぶ。
「でも、さすがに30対1は厳しかったみたいだ。おかげであんな状態だよ。いや、子供の体力というのは本当にすごいな」
次ははにかんだような笑いをこちらに向けてくる。
本当に楽しかったようで、ひとつの話題の間にも表情がころころ変わる。
慧音が疲れているのは明らかだけど。
今夜は帰るのが遅くなりそうだ、と。そう思った。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「みきみき。つんぱ、かるていは?」
「なにを言っているんだ慧音」
またある日。毎日恒例慧音の家での夕食後。開口一番に言われた言葉がそれだった。
「うん、やはり意味が分からないよなぁ。……その阿呆を見る目をやめてくれ」
「……で、いきなり何さ」
まぁ、この前のカモメうんぬんの時と同じであろうが、一応聞いておく。
「いや、男の子にいきなり聞かれてな。はいか、いいえか、半分か、と」
「半分? 半分って何だ?」
「さぁ? 私にもさっぱりだ」
そう言って茶を含む。私もつられて一口。
はふぅ。
「で? なんて答えたの?」
「とりあえず、よくわからないからいいえ、と答えておいた。適当に肯定すると面倒だったりするからな」
「そしたらその子はなんて?」
「けーね先生ははいてないぞー! と言って駆けて行ってしまった」
「え、慧音、はいてないの?」
「阿呆、はいているに決まっているだろう」
「……だよな」
ちょっと安心。慧音にそんな趣味があったら……大変だ。色々と。
「つまりアレか。その問いかけは、はいてるか、はいてないか、半分はいてるか、を聞いているのか」
「そうなのだろう。半分というのは意味が分からないが」
確かに。半分はいている状態というのは何なのだろうか。穴が開いている? それともずり落ちかけている状態だろうか。
「それで、なぜあの問いでその趣旨の質問になるかわかるか?」
「うーん……」
腕を組み、体を前後に揺らす。
みきみき、というのは文頭に来るからおそらくは呼びかけ。とはいえ、慧音はみき、などという名前ではない。ならばこれは普遍的な呼びかけの言葉であるということが推測できる。
「みきみきみきみきみきみきみきみ……」
これは文節ごとに逆から読んでいるのではないだろうか。みきみき、を逆さに読むときみきみ、君、君という呼びかけになる。
そうすると……。
「つんぱ……」
パンツ。
「かるていは……」
はいてるか?
……間違いないな。
「はぁ」
「おお、わかったのか、妹紅。さすがだ、私などさっぱりだったぞ」
私の漏らすため息に反応して、慧音がこちらを向く。
まぁ、そうだろうな。意味のわからない言葉を聞いたらまず古文書を漁る人物、それが慧音だ。こういった言葉遊びには向いていない。
「ああ、今回もくだらないぞ。……まず、みきみき、を逆から読んでみな」
「みきみき……きみきみ。君、君という呼びかけか?」
「そうだろうな。で、その調子で文節ごとに区切って、同じように逆から読んでみればいい」
手を振りながらそう告げ、ちゃぶ台に突っ伏す。……阿呆くさすぎてなんだか疲れた。頭上から慧音の呟く声が聞こえてくる。
「……今回も、全くもってくだらないな」
「ああ」
「きみきみ、パンツ、はいてるか、か。……なぜそんなことを思いつくのか」
その頭を算数に回せ、とぶつぶつ呟いている。……おそらくあまり点の取れない子からの問いだったのだろう。
「……とりあえず、あの子は次の試験で点が悪かったら頭突きだ」
「えっと、ほどほどに、な?」
一応そう言っておこう。南無、男の子。負けるな男の子。
――――――――――――――――――――――――――――――
そして今日も慧音の家に向かう。さて、今日はどんな話が聞けるのか。
「楽しみだ」
唇の端がつりあがるのを感じながら、空を仰ぐ。
満天の星空が私を見下ろしていた。
End.
ちょっと大ちゃんが飛んでそうな場所さがしてくる。
うねうねけーねに吹いた
さて、ちょっと大ちゃん探してローアングルで写真撮ってくるわ
ただ…わしらの学び舎にはけーね先生いなかったからけーどろのルールが違ったんじゃよ…
やってみたいなあ…本当のけーどろ…
高校生の時クラス全員でやった全力のケイドロは、楽しくて仕方がありませんでした。
あとがきの破壊力が大きすぎますwww
しかしいい慧音と妹紅だ。ごちそうさまでした。
後書きの大ちゃんを見て不覚にも……いかん、落ち着かないとくねくね
素晴らしいぞ。
けードロしたい(ry
くねくね慧音をくにく(ry
俺のせ(ry
どうしてくれるwww
ちょっと大ちゃん探してくる。
それにしても、常識に囚われない大ちゃん、か……アリだ。