決まった。
あまりにも理想的なダブルノックアウトである。
そこで早苗が見たものは、
諏訪子と神奈子が互いに互いの顔を殴りあい、
拳と拳が十字を描いているショッキング映像だった。
時間を巻き戻す。
一刻ほど前。
現代風に言えば二時間ほど前。
諏訪子と神奈子はスーファミをしようとしていた。
言うまでもないことだが説明すると、スーファミとは例の白っぽい色をした国民的ゲーム機器のことを言う。いちおう略語にしてみたのは、高度な政治的配慮である。
もともと外の世界から持ちこんだ二十年程度の時を耐え抜いた古物であったが、なかなかどうして最新機器のような繊細さがないぶん、ぞんざいに扱っているのに長持ちしていた。
ふたりは時々協力プレイやら対戦プレイやらをして、神遊びに興じることがあるのだ。
カセットを入れて電源をいれて、画面からどこか懐かしい余計な装飾のない音が流れてくる。
内容は巫女さんがお祓い棒を装備しつつ、紅い色をした御札を投げて妖怪を退治するというお決まりのゲームだった。
ちなみにシューティングではなくアクションであって、タイトルは東方ではない。
たぶんわかる人はわかる程度の知名度であろうが、別に知らなくてもこの物語としては特に問題はない。
さて、このゲーム。
いちおうふたりプレイができるのであるが、巫女の相方はなんといえばいいか、ぶっちゃけ間抜けな妖怪狸であって、見た目年齢と魂の年齢が少女な彼女たちにとっては巫女さんでプレイしたいというのが素直な気持ちだった。主人公である巫女さんの性格も多少おっとりとしていて、それでいてやるときはやるところがなんとなく早苗に似ている。これはもう使わざるをえない。
いやむしろ使いたい。
まずふたりはとってもさりげなくにこやかなムードを維持しつつ、いずれも巫女さんを選択しようとしたのであるが、残念なことにこのゲームは同じ巫女さんを両方が選択できるようにはできていなかった。
最初の選択時には神奈子がとった。
刹那。
諏訪子はガシャっとリセットボタンを押した。
スーファミのリセットボタンはわりと固めであり、偶然押すといったことは本来ありえないはずなのだが、諏訪子はこれまたありえないほどにこやかに笑ってこう言った。
「ごめん。手がすべっちゃったよ。はは」
「手がすべったならしょうがないね」
再び、選択時。
今度は諏訪子がとった。
瞬間。
今度は神奈子が電源ボタンを切った。
スーファミの構造上、電源ボタンはこれまたなかなかガチャリという音がする程度の硬さを誇り、偶然切ってしまうということはほとんどありえないと言ってよかった。
にっこりと神奈子が笑う。
「偶然って怖いな。諏訪子」
「そうだね。偶然って怖いね。神奈子」
「ふふふ」
「あはは」
「うふふふふふふふふふふ」
「あっはっはっはっは」
神奈子がすっと立ち上がった。
「久々に切れちまったよ。屋上へ行こうぜ」
「屋上ねーよ」
家の中でやると早苗が怒るので、外で弾幕ごっこを数セットこなした。
軽いスポーツ感覚である。
結局勝負はつかず、二柱仲良く疲労感ばかりがたまって再びスーファミの前にどっかりと座った。
「ジャンケンしよう」
と、諏訪子が提案する。
「ジャンケンか。いいだろう。我の信仰の力をもってすれば、ジャンケンに勝つことなどどうということもない」
「それは私も同じだ……。今でも忘れぬ。神の王として君臨しつづけた私が経験した、たった一度の敗北! 屈辱にまみれたあの日を私が覚えていないとでも思ったか」
「貴様こそ、我との神威の差をあれほど見せつけられてもまだ懲りないとは、愚かな」
「今こそ、あのときの雪辱をはらす」
「来るがいい!」
「じゃーんけん」
「ぽん!」
勝ちを拾ったのは諏訪子だった。
「神奈子の力も地に落ちたものだ」
「クソ……ディモールトクソ」
「ざまぁ」
「だが、巫女を使うなら貴様が先行しろ。私はカヴァーに徹する」
「カバでもワニでもかまわないけど、ちゃんとピンチになったら助け合おうよ」
いきなり諏訪子がフランクモードになる。
ちなみにシリアスモードは三十秒も持たない。
「いまさら仲良しごっこをさせるつもり? 諏訪子のくせに生意気よ」
「どこのジャイアンですか」
「く。ジャンケンはやはり運次第だったのだ。実力が反映されない」
「神奈子がそれでいいって言うからジャンケンで決めたんじゃん」
「ゲームのことはゲーム内で決着をつけるべきじゃない?」
「あー? なにいってんの」
「ストⅡで決めるっていうのはどう?」
「私が格ゲーちょっと苦手なの知ってて選んでるな」
「いやならマリカーでもいいんだけど」
「いいよ。ストⅡしようじゃない。一回だけね」
「おっけおっけ。じゃあ、私はリュウを選ぶよ」
「また中ニキャラを……、じゃあ私はダルシムを」
「手長足長さまとか似合いすぎ」
言って、神奈子は腹を抱えて笑い始めた。
「さっさと始めるよ。神奈子。夕飯まで時間がないんだ」
「そうだな。神の本当の実力を見せつけてやろう……。波動拳」
「技のたびに叫ぶのうぜぇ」
今度もなんとか諏訪子が勝った。
ダルシム使いは侮れない。
いまさらながら、そう確信する諏訪子である。
「さて、今度こそ観念しただろうね」
「なぜリュウで負けるのだ。諏訪子の神力が我を上回っているというのか」
「愚直に小キックを繰り返すだけでは勝てないよ」
「うぬぬ。いいだろう。神に二言はない。是非もなし。ならばいっそ貴様と協力し、一気に敵を駆逐し、ゲームをクリアせんっ!」
「かっこいいんだか、かっこ悪いんだかわからない口調になってるねぇ。まぁ、それが、いまどきの神様ってやつなのかもしれないけどさ」
実は冒頭のゲーム。
難易度はかなり鬼畜である。なにしろ、主人公の巫女さんは別に霊夢のように飛べるわけもないので回避方法は無難に避けるしかないのである。
これが難しい。弾幕ごっこのように精細な動作が必要というわけではないのだが、ともかく自機がでかすぎて当たる。
「だーっ。ボムったって。いま絶対ボムったって!」
神奈子が絶叫した。
あまつさえコントローラーを床に叩きつけた。憤懣やるかたないといった様子。
その間も諏訪子は冷静に巫女を操作して、小豆洗いと思われる妖怪をフルボッコしていた。
「一面はまだいいけど。二面で河なのが困るよね。河童に引きずりこまれたりするし」
「ふん。にとりごときに遅れをとっているようではまだまだね」
「そんなこと言うけどさ。実際、めっちゃ難しいよ。ここ」
「くだらない。泣き言を言っている暇があったら、私と役割を交代してみてはどうよ」
「決まりごとをいまさら覆すというのもおかしな話さ」諏訪子は言う。「神奈子ともあろう神が二言する気か」
「そうは言っていない。ただ、クリアもせずに終わりたくはないでしょ」
「べつにクリアなんてひとりでもできるし」
「あー。そういうこと言うわけね」
「本当のこと言っているだけだし」
「諏訪子のバカエル」
「いいにくい駄洒落をよくもまあ、いけしゃあしゃあと言うもんだ。さすが脳みそがおばあちゃんに近づいているだけのことはあるね。知ってる? 脳が衰えはじめると刺激を求めてどうでもいいようなダサいギャグを言いたくなってしまうんだってよ。気をつけたらいいよ」
「あん? 私と同年代だろうが。バカ諏訪子」
「二度もバカと言った。バカはチルノだけにしとけ」
「あんたなんかチルノと遊ぶのがお似合いよ」
「ちょっ。ふざけんなよ。おばあちゃんのほうが孫と遊ぶべきだろ。ねえ。おばあちゃん?」
「若作りしてるのはあんたのほうでしょ。このロリコン」
「ロリコンは意味違うでしょ。幼女に萌える人間のことをロリコンというのであって、幼女なのはロリコンではないわよ」
「じゃあ幼女なボディでロリコンどもの信仰心を集めてるわけね。ご精がでますこと」
「うるさいなババァ」
「あぁん? 私がババァならあんたもババァだろうが。このロリババァ」
「うっさい。神奈子はすぐ怒るから近所のオバサンみたいって意味で言ったんだよ」
「私に負けた分際でよくそんなことがいえるな」
「ニ千年前の古い話をよくもまあ鬼の首をとったようにいえるものだね。しょうがないか。そのときぐらいしか私に勝ったことないからね。神奈子さまは!」
「じゃあ試してみようか」
「そうね。私も久しぶりに試してみたくなったわ」
それからどちらかということもなく、ニ柱は本気ぎみに殴りあった。
諏訪子が鉄の輪をメリケンサックにして殴れば、神奈子はオンバシラを鈍器にして殴り返す。
喧嘩するほど仲が良いとは言うものの、一国を統べてきた神の力はそこらの妖怪を気迫だけで消滅させてしまうほど強大である。
当然のことながら家は震え、それどころか地面が割れ、天が引き裂かれた。
手を組み合って、「うおおおおぉぉぉ」と無駄に気合を入れた叫び声をあげている。
畳が気合だけで反重力状態。
単純なパワーだけならやはり神奈子が上だったのか。床に叩きつけられたのは諏訪子。
しかし、床に転ぶと同時に手を伸ばして神奈子の足をとる。
神奈子の天地が逆転し、諏訪子がマウントポジションをとる。これなら手足の長さはほとんど関係がない。
手足が短い諏訪子でも十分に殴れる。
諏訪子が肩を後ろの方へと持っていき、大砲のように撃ち抜く!
神の非情なる一撃に躊躇などというものは存在しない。
見た目は可憐な少女がただ単に殴っているように見えるが、実際のところ数十トンを越える威力である。
そしてまさに文字通りの意味で、神速でもある。
神奈子の周りに張り巡らされている三千個ほどある結界を紙のようにブチブチと貫きながら、諏訪子の見た目幼女なパンチが突き進む。
しかしその攻撃を神奈子はすんでのところで避けて、ほとんど刹那の瞬間に諏訪子の無防備だった腹を蹴り上げた。諏訪子はとっさに神力を使って逆噴射。もし威力を殺していなかったら、家の壁を数枚ぶち抜いて、数キロ先まで吹っ飛ばされていたに違いない。
それからふたりは、もはや作業感が漂うかのように、単純きわまりない、計算もなにもない、純然たる暴力――すなわち殴り合いに身を興じ始めた。
「十分間、時間をやろう。十分後、オンバシラがこの場所を直撃する。十分の間に私を倒せば貴様は逃げ切れる。諏訪子、人生最高の十分間にしよう」
「つーか、それだと早苗が危ないだろうがっ!」
常識的に考えて――
晩御飯のしたくをしていた早苗はふたりの喧嘩に気づいた。
そして冒頭に至る。
早苗はふたりの家族に等しい神様たちが本気の殴りあいをしているのを発見した。
「なにしてるんですか?」
底冷えのする声である。
諏訪子と神奈子がピタっと止まる。
ふたりが振り返ると、早苗は一見にこやかな笑顔だった。
しかし、笑顔であればあるほど、背筋を凍らせるような嫌なオーラが漂っていた。
「正座」
と、早苗。
神奈子も諏訪子もびびってしまい、ふたり仲良く小さくなって、グチャグチャになっている畳の上に正座した。
早苗曰く――
「いい大人がたかがゲームのことで喧嘩なさらないでください。その程度のことで喧嘩していると知られると信仰にも疵が生じます」
「ごもっとも」と神奈子。
「おっしゃるとおり」と諏訪子。
ふたりはともかく素直に謝ることにした。
「それに、お二方の力は尋常ではないのですから迷惑がかかります」
「ごもっとも」
「おっしゃるとおりで。へへっ……」
「しかし、早苗よ」
と、神奈子が顔をあげる。
早苗は神奈子のほうへと視線をやった。
「今回の件に関しては諏訪子が悪い。もともと、私が先に自機として早苗ちゃん(仮)をとったのに。諏訪子のやつがズルするから」
「早苗じゃなくて『さよ」だよ。『さ』しかあってねぇ。それはともかく。いいがかりはよしてほしいね。その件に関してはちゃんと事前に了解して二回も譲歩してやったじゃないか。いまさら自機で早苗ちゃん(仮)を取れなかったからって、その件を持ち出すとは……。いかにも神代の時代のたった一度の勝利を持ち出すねちっこい神様だけのことはあるね」
「あーん? あんたが私に負けたのは本当の話だろうが。この田舎神」
「黙れ侵略者」
「ふん。追い出されなかっただけマシと思いな」
「その気になれば奪還できたさ。ただ余計な混乱を招きたくなかっただけだ」
「ほう。じゃあ、今から再戦してみるか」
「望むところ」
「いい加減にしてください!」
早苗は眉に力をいれて、ふたりの神様を睨みつけた。
びくっと身体をふるわし、ニ柱の威厳は霧散する。
ふたりがまるで借りてきた猫のようにおとなしくなったのを見て、早苗は長嘆息した。
「お二人ともどうかしてますよ。普段仲良しなのに。もしかしてゲームのしすぎが原因なのかな……」
早苗の頭のなかには、現代社会の知識がうずまいている。現代人であるから当然である。
考えたのはゲーム脳という言葉。
詳しいことはよくわからないが、ゲームをしすぎるといろいろと良くないらしい。
身体疲労、記憶力の減退。それだけでなくキレやすくなるとか。
ゲームは害悪とは言いたくないが、嵐でも過ぎ去ったかのような部屋の様子と、ぼろぼろになったふたりの姿を見ると、どうも一笑にふしてしまうわけにもいかない気がしてきた。
ただ、早苗の立場としては、ふたりの声を聞かずに一方的に叱るわけにもいかない。
早苗にとっては家族に等しく、そして敬い、尊敬すべき対象でもあるのだから。
つまり、母親のようなもの。父親のようなものである。ダメな母親、ダメな父親かもしれない。そもそも父親はいないが――。
そんなわけで、早苗はとりあえず両者の言い分を聞くことにした。
「どういったわけなんです?」
「諏訪子が悪い。諏訪子が――」
「神奈子が悪いに決まってる」
「人が話しているときに割りこんでくるな。肌ぬめってるぞケロ子」
「神奈子も人のこと言えないっしょ。そもそもゲームするときぐらい注連縄はずせよ。邪魔い。うざい。ババ臭い」
「国道三号線でつぶれているお仲間と同じようにしてやろうか」
「KO☆RO☆SU」
ふたりは取っ組み合いを始める。
早苗が割って入った。
「あー、もう、二人とも離れてください。じゃあ、まず神奈子さまから話を聞きますから」
神奈子は腕を組み、諏訪子とは反対の方向へと頭をやった。
顔も見たくないというのをアピールしているようだ。
「先にも言ったとおりさ。私が先に早苗ちゃん(仮)をとったのに、諏訪子がズルをして早苗ちゃん(仮)をとったんだ」
「早苗ちゃん(仮)というのはちょっと恥ずかしいです。神奈子さま」
「ふむ。まあよいではないか。ともかく、自機として先にとったのは私だ。私こそが早苗ちゃん(仮)を使う権利があったはずなんだ。それなのに諏訪子のやつはごねて、早苗ちゃん(仮)を自分ものにしようとした。だから、諏訪子が悪い」
「いいがかりはよしてくれないかな」
諏訪子が背中を向けつつ言った。
「では、次は諏訪子さまのお話をききます」
「うん。はっきりいって、あの女が悪いんだよ。早苗ちゃん(仮)をどちらが使うかは事前に了解を得て、ちゃんと勝負したんだ。そして私が勝った。だからそのことに関して、私に非は一切ないよ」
「そうなのですか?」
早苗は神奈子に向かって言った。
「ふん。確かに勝負はしたさ。しかし――、そのあと諏訪子は私の悪口を言ってきたのでな。さすがに腹に据えかねたというわけだ」
「そのあたりは売り言葉に買い言葉だったから平等に悪いかもしれないけどね。おおかた早苗ちゃん(仮)を使えないことが悔しかっただけだろうさ」
「うーん。勝負に負けたのに喧嘩を始めたのは神奈子さまですか」
「しかし、言っていいことと悪いことがあるだろう。諏訪子はあろうことか私をババァ呼ばわりしたんだよ。早苗。ひどいだろ」
「ババァですか。確かにそれはひどい……」
早苗は頬に手をあてて、畳を見つめた。
喧嘩の端緒をつくったのは神奈子で、実質的にひどい言葉を先に言ったのは諏訪子といったところだろうか。
「でも神奈子だって、私のたった一度の敗北を何度も何度もネチネチと言ってきたんだよ。ひどいじゃない」
「ううむ……」
「どう考えても諏訪子が悪い。そうだろう。ねぇ早苗」
「いけすかない女だ。神奈子が悪いに決まってるよ。でしょ早苗」
早苗は困惑気味にふたりの顔を交互に見る。
どちらとも、懇願と愛情と信頼とその他もろもろの感情を惜しげもなくさらけ出している。
諏訪子が瞳はきらめく星のようにまたたかせれば、神奈子は負けじと指をからめてお願いポーズ。
正直いつもの威厳がちっとも感じられず、それどころか妙に媚を売ってるようで気持ち悪かった。
さて、どうしたものか。
早苗は目の前に選択肢が出現したかのように感じた。
「神奈子さまのおっしゃるとおりです」
「諏訪子さまのおっしゃるとおりです」
・
・
・
「やっぱり私にはお二方のうちどちらかを選ぶということはできません」
早苗は涙目になりながら、うーっと唸っていた。
かなり長い間真剣に考えていた様子が見て取れた。
ふたりに問いを投げかけられたら早苗は考えずにはいられない。
そんなことはわかりきっているはずだったのに――
早苗は不安そうな瞳でふたりの神様を見ている。
神奈子は拳を硬く握りしめ、諏訪子は自前の帽子を深くかぶった。
しばらく、無音が続いた。
やがて、早苗が三つ指をついて、畳の上で頭を下げた。
「喧嘩しないでください」
声が震えていた。
目尻に涙をたくさんためて、それでもキッと前を向いて、怒りの表情を崩さない。
その怒りは神奈子や諏訪子に対するものではなく、ふたりの仲が引き裂かれるかもしれないという暗い未来に対するものだった。
まるで儚げなヒロインのようだ。
その様子に、ふたりの神様はたとえようもないいじらしさを感じた。
どちらかということもなく、顔を見合わせ、それからバツが悪そうに頬をかく。
「悪かったよ」
声が重なった。神奈子と諏訪子はほとんど同時に同じ言葉を発した。
目を伏せ気味にしていた早苗が両方の顔を交互に見やる。
「本当ですか?」
「本当だよ」
また、声が重なった。
「早苗が悲しむようなことを私たちがするわけないだろう。なぁ、諏訪子」
神奈子はこれ以上ないほど優しげな声で問いかけた。
「ああ、そうだよ。早苗の前で無様な姿は見せられないからね」
「じゃあ、ちゃんと仲直りしてください」
「ごめんな。諏訪子」
「うん。ごめん。神奈子」
ふたりはすっと手を差し出した。握手をするのは照れくさいのか、グーを軽く付き合わせた。
そこへ、早苗がそっと手のひらを差し出して、ふたりの手を包みこむ。
「さすがです。神奈子さま。諏訪子さま」
すでに満ち溢れたダムのようになっていたのだろう。早苗の双眸からはポロポロと透明なしずくが流れ出し、畳の上を濡らしていた。
「どうしたんだい。哀しかったのか」
と、神奈子が聞いた。
「そうではないのです。なんだか安心しちゃって」
「ごめんね。早苗。心配させるつもりはこれっぽちもなかったんだよ」
と、諏訪子。
「そうだ。今日は久しぶりにいっしょの布団で寝ようか」
神奈子が楽しそうに提案する。諏訪子も三度うなずいた。
「ええ!? この年になっていっしょに寝るなんて、なんだか恥ずかしいです」
「だって早苗を不安にさせたのは私たちだからね。その不安を取り去るのも私たちでなければならないだろう」
「神奈子のいうとおりだよ。小さい頃は早苗の寝顔をこっそり見ていたもんさ」
「そ、そうなんですか。諏訪子さまが私の寝顔を……」
両手をほっぺたに当てて、早苗が恥ずかしそうに目をうるうるさせる。
「いつまでたっても早苗がかわいいのは変わりないさ。なぁ、諏訪子」
「そうだね。いつも早苗はミラクルかわいかったよ」
「わかりました。じゃあ今日は特別にお二方とごいっしょさせていただきます」
「ねんねしようね。早苗」
「諏訪子さま。その言い方はちょっと恥ずかしさで頭がフットーしちゃいそうです」
それから、早苗たちは仲良く夕食をたべて、仲良くお風呂に入り、仲良くいっしょの布団で眠りに落ちた。
就寝中、早苗は当然のことながら真ん中に配置された。
諏訪子が腰に抱きつき、神奈子が胸に抱き寄せる格好になったので、ちょっと暑苦しかった。
暑くて死にそうで、なんだか溶けそう。
なめくじみたいに溶けてしまいそう。
しかし、これが『充電中』というものだろうかと早苗は思うのである。
いささかゲーム脳的な発想だろうか。
TRUE END
あとがきへ
「神奈子さまのおっしゃるとおりです」早苗は神奈子を選んだ。「ゲームのことはゲームのこととして、悪口のことは悪口として考えると、やはり致命的な悪口を先に言ってしまった諏訪子さまのほうが若干悪いのではないかと思います」
「早苗は神奈子の肩をもつんだ……」
諏訪子が青い顔をしていた。
目は虚ろに空中をさまよい、口から魂が抜け出そうな勢いである。
早苗の信頼がないように感じることは、信仰を糧に生きている神にとって甚大なダメージだったのだ。
選ばれた神奈子もいささか諏訪子の落ち込みようがひどすぎて心配そうな顔になった。
早苗は慌てて口を開く。
「あの、そうは言ってもやはり神奈子さまも悪いのは悪いのです。どちらがより悪いかの程度問題にすぎませんし、神奈子さまの肩を持ったわけではないです」
「いいんだよ。長年連れ添ってきた神奈子のほうが早苗にとっては大事だということなんだろう……。まさか神奈子に子孫を寝取られるとは思わなかった。欝だ死のう……」
「うわぁぁぁ。死なないでください。そうではないですって。だいたい寝取られってなんですか。サトラレの一種ですか。諏訪子さまもご冗談が過ぎます」
「はは……、私はどうせバカな蛙に過ぎないからね。永劫の無の向こう側に帰ろうかな」
「諏訪子さま!」
「とりあえず、ひとりにしてくれないかな」
諏訪子はフラフラとした足取りで部屋の外へと出て行った。
そのあまりの様子に早苗は胸のあたりを押さえた。
早苗の心境としては、もちろん諏訪子をないがしろにしようといった気持ちは少しもなかった。
しかしそういう受け取られ方をしてしまう恐れは、神奈子を選択した時点であった。
早苗は顔を青くして、神奈子の顔を見た。
どうすればよいか神奈子に聞きたかった。
しかし、神奈子もどうすればよいかわからず、
「しばらく放っておくしかないだろう。べつに早苗が悪いことをしたわけじゃないんだから気にすることはないよ」
と言った。
数日後、諏訪子は自分の本殿に引きこもり、早苗たちに顔を見せることがなくなった。
さすがに心配になった早苗は諏訪子に会いに行くことを決めた。
「諏訪子さまの様子を見てこようと思います」
「世話のかかるやつだ。私のことは気にしないでいいから行ってきなさい」
「では失礼します」
早苗が本殿に行ってみると、そこには膝を抱えてテレビのノイズ画面を見ている諏訪子の姿があった。
虚空の瞳。そしてなにかの中毒患者のように覇気のない口元。
きわめつけは体育座りである。
まごうことなき体育座り。
幼女の身体で体育座りをしていると、どうみても小学生にしか見えない。
下手すると幼稚園児。
実際――そう思わせる要素がもうひとつ。
神にはあるまじき、幼稚園児が着るようなスモックを着用していた。水色でふわっとしていて、そこにちょこんと手の先がつきでている状態。庇護欲をそそり、いますぐにでも駆けよって抱き寄せたくなる姿態である。
「ど、ど、どうなされたのですか。諏訪子さま」
早苗が慌てて駆け寄り、諏訪子の身体を優しく揺する。
諏訪子は一瞬早苗のほうを振り返ったが、その瞳にはいつものような精細さは微塵も感じられなかった。
「諏訪子はね。諏訪子はね。洩矢諏訪子、八歳児なの」
「幼児退行!?」
「さなちゃん、あーうー」
「早苗ですよ。諏訪子さま、ご冗談はよしてください!」
少し大きな声になってしまったのがよくなかったのか。
諏訪子はビクっとその場で震え、そして涙目になり始めた。
「お、お姉ちゃんがいじめう」
「いじめてませんよ。ああ……これはいったいどうしたことなんでしょう。劇的ビフォアーアフターみたいな」
とりあえず早苗は床に膝をついて、諏訪子と視線を合わせてみる。
諏訪子は少しだけおびえた姿勢を解除した。
「諏訪子さま。諏訪子さまはご自分の記憶をなくされたのですか。そこまで信仰力を失ったはずは……」
早苗ももちろん諏訪子のことを人一倍信仰しているが、その信仰も一連の喧嘩によってなくなったわけではない。
諏訪子は家族であり、家族は言わば宇宙の原理に等しいのだから、信仰が途絶えるはずもなかった。
しかし――現状の諏訪子の様子を見てみると、どうもひどく放心しているようだった。
こんなに精神的痛打を与えることといったら、早苗に関してのことしか考えられない。どういう原理かはわからないが、神とは精神生命体であるから、精神的なダメージがもろに心に影響を及ぼしているのかもしれない。
「諏訪子さま。一度、神社のほうへと行きましょう。神奈子さまなら何かがわかるかもしれませんし」
「やー。なんか怖い人いる感じがする」
「大丈夫です。わたしもいっしょに行きますから。ね?」
早苗が優しく言うと、しぶしぶながら手をつないできた。
こうしてみると、諏訪子の姿は幼児とは言わないまでも十分に子どもっぽいので、早苗は不埒ながらもかわいいと思ってしまった。
小さな手をつないで、神社へと帰る。
神奈子は諏訪子の姿を見るなり、厳しい表情になった。そんな顔つきを自分が怒られていると思ったのか、諏訪子は早苗の後ろに隠れるようにして、巫女服の袴にあたる部分を小さな手で握っていた。
ぷるぷると震えている。
普段の横柄な態度はどこへやら。
今は吹けば飛びそうなたんぽぽの綿毛のような儚さだ。
「早苗。諏訪子はどうやら信仰を失ったらしい」
「え? でもわたしはずっと諏訪子さまを信仰しています。それに山の妖怪の方々だって、最近じゃ麓の人たちだって……」
「そうじゃないんだよ。早苗。信仰とは相互連関的な行為だ。言わば会話のようなものでな。一方が奉っても、他方が受け取らなければ意味がない。諏訪子は奉られた祈りを拒否しているのさ」
「どうしてですか」
「早苗に嫌われたと思ったのがよっぽどショックだったのだろう」
「精神が退行したのは?」
「神は信仰が精神的な支柱だからね。今の諏訪子はすかすかの空洞のようなものさ。いつもの精神構造では一気に崩れてしまう。ゆえに一時的に精神を退行することで全滅を防いでいるのだろう」
セーフモードのようなものかと、早苗は思った。
「では、どうすれば元に戻るのですか」
「わからないな。引きこもりになったニートを外に出すときにどうすればいいかという問題があるが……、それと同じだな。相手にその気がなければ難しいだろう。たとえ飢え死にしようがそれでいいと思っている場合はなおさらだ」
「そんな。だめです。諏訪子さまを助けてください。神奈子さま」
「わかってるよ。なんとかしよう……」
神奈子は早苗の頭を撫でた。早苗は長い息を吐いた。呼吸に乱れがなくなった。
それから神奈子が踵を返し
「諏訪子。こっちに来い!」
叫ぶようにして諏訪子を呼んだ。
諏訪子の身はすくみ、ちょうど蛇と蛙のような関係が体現されたといってもよかった。
しかし――逃げることも隠れることもできない状況である。
早苗も極力おびえる諏訪子を怖がらせないように前に促しているが、逃げることは許さなかった。
「うー。うー。諏訪子なにも悪いことしてない」
「阿呆。早苗の信仰も受け取らず、何が悪いことをしていないだ。バカ者が!」
「あー。うー」
諏訪子は涙まじりの声を出した。
その様子はまるっきり幼児であり、見た目年齢の差が十歳ぐらいは違うふたりでは、神奈子が一方的に叱っているようにしか見えない。
「かつての地上の神の頂点がこのザマか。情けない」
「お姉ちゃん。諏訪子おうちかえるー」
諏訪子が早苗のほうに逃げ帰ってきた。
「かえるだけにかえるか……」
神奈子が呆れた顔でつぶやいた。
ここまで精神構造に欠落が生じているとは神奈子も思っていなかったらしく、目に力をいれて諏訪子を睨んでいる。
「これでは自己修復は不可能かもしれんな」
「どういうことです」
「いまさら元に戻しても記憶ごと吹っ飛んでいるかもしれんということだ」
「それは――私たちのことも忘れてしまうってことですか。そんなの嫌です」
「わかってるさ。私も仲直りもしないまま、忘れ去られても寂しいからな」
神奈子は脅える諏訪子にゆっくりと近づいた。
普段見せない満面の笑みを浮かべている。
「諏訪子ちゃんはお姉ちゃんといっしょに遊びたくないかなー?」
「うー。おばちゃんと?」
「ぐっ……お姉ちゃんでしょ? お姉ちゃんと遊びたくないかなぁ?」
「お姉ちゃんっていうのは、早苗お姉ちゃんみたいなことを言うんだよ」
「こいつわかってて言ってるんじゃないだろうな」
「抑えてください。神奈子さま」
早苗が小さく耳打ちする。
「ふん。まあ私の責任も少しはあるところだしな……」
曖昧ながらも神奈子は頷く。幼児の精神は自由である。神奈子の内的葛藤も知らず、諏訪子はごろりと畳の上に転がって、ものめずらしそうにゲーム機を見ていた。
心の奥底にある記憶がそうさせるのかもしれない。
「諏訪子、いっしょにゲームしないかい?」
「おばちゃんとゲーム?」
「お姉ちゃんとゲーム」
ニコニコしながら、青筋をたてている様はシュールそのものである。
しかし、諏訪子は心が幼くなっているせいか、神奈子の心情など知ったこっちゃなかった。
「するするー」
と、明るい声をだしている。
「よーし。じゃあ、桃鉄でもするか」
「桃鉄するー」
「ちょっと、神奈子さま。幼児にそのゲームは少しばかり厳しいのでは?」
「ふふん。早苗。それは違うぞ……。諏訪子はこういう経営系のゲームは得意なんだ。シムシティとかも得意だしな」
「へぇ……」
「早苗お姉ちゃんもしようよ」
「え、私もですか。私はこういうゲームは苦手で……」
「しようよ」
幼い瞳に見つめられると、嫌とは言えない早苗である。
「わかりました。じゃあ、おふたりの神遊びに参加させていただきますね」
神遊びの内容はなんでもよかった。
それは結局のところ、神さまが遊び、人も遊び、信仰を深めることを言う。信仰とはそっくりそのまま親交なのだ。
だから、神遊びは神の力を賦活する。
久しぶりのゲームに早苗は心が躍るのを感じた。
ボタンを押すたびにドキドキして、
運も不運もなぜだか笑えた。
こんなにもゲームとは面白いものだったのだと、早苗は思い出した。それと不思議な魔法のような働きがあることも。いつのまにやらあまり遊ばなくなっていった遊び。テレビゲームもそのうちのひとつだったけれど、時々は思い出して遊んでみるのも楽しい。
もしかすると、ずっと幼いころ、神さまたちといっしょに遊んでいたのかもしれない。
そんな思い出にすら残らない記憶の残滓。
いつのまにか、諏訪子も元気になっていった。
というより――
調子に乗っていた。
「だっせぇ。キングボンビーだっせぇ」
本日十回連続最下位になった神奈子を、作法どおり腹に手をあてて右手で指差しながら全力で笑う諏訪子。
完璧なプギャーだった。
いつのまにやら完全復活である。
「諏訪子。おまえ信仰戻ってるな……」
最下位なのは悔しいが、諏訪子が元に戻ったのは嬉しいので、神奈子は微妙な顔つきのまま確認した。
「あ。ああ……そういえば、諏訪子さま。記憶も戻られていますか?」
「あーうー? なんのことかな」
「いつもの諏訪子さまだ……」
早苗はぽろぽろと泣きながら、諏訪子の身体を抱きしめた。
諏訪子はちょっと苦しそうに唸る。
「うー。うー。どうしたのかな。早苗?」
「おまえがちょっと弱っていたから、早苗が心配したんだよ。このバカ」
「あん。そうか……。そういえばそうだった気もするよ。ごめんね。早苗」
「もう、諏訪子さま。私は怒ってるんですよ」
「えー」
「私は絶対に諏訪子さまのことを嫌いになったりしませんし、ただお二方が不仲なことが許せなかったんです」
「うんうん」
「諏訪子さまに忘れられたらどうしようと思いました」
「そうか。すまないね。だが、早苗も私をもう少し信仰してほしいな」
「え?」
「私が早苗を忘れるわけないだろう。たとえ消滅間際になっても、私自身のことを忘れても、絶対に早苗のことは忘れないよ」
そして、諏訪子は付け加えるように、
「神奈子のことも忘れないでおいてやる」
と言った。
神奈子はほんのりと頬を染め、明後日の方向を見ながら、「バカ者が」と呟くのだった。
諏訪子 END
あとがきへ
「諏訪子さまのおっしゃるとおりです」早苗は言った。「やはり喧嘩のきっかけをつくってしまった神奈子さまのほうがわずかながら悪いのではないかと思います」
「なんだと、バカな……」
神奈子はよろめき、注連縄を柱にぶつけ、それから手を床についた。
「あ、あ。でも、そのなんというか……、神奈子さまだけが悪いのではないです。諏訪子さまがひどいことを言ったのは事実ですし、程度の問題にすぎません。両方悪いのです」
「だが、早苗は諏訪子よりも私が悪いのだと思ったわけだな」
「ええ、それはそうですが……」
「諏訪子のほうがいいんだね。早苗は」
「なぜそうなるんですか」
早苗は泣きたい気持ちだった。
しかし、神奈子は注連縄を音もなくはずすと、そのまま神社を出て行こうとしていた。
慌てて早苗が神奈子を呼び止める。
「どこへ行かれるのですか」
「ちょっと頭冷やしてこようかと思ってね。なに、たいしたことじゃない。たいしたことじゃないさ」
早苗は神奈子が出て行くのを止めることができなかった。
それから諏訪子と目を合わせる。
諏訪子も何を言っていいかわからない様子で、困惑した眼差しを早苗に向けていた。
やがて、帽子を宙に投げながら軽い口調で話し始める。
「神奈子はああ見えて繊細だからね。早苗に選ばれなかったのがとてもショックだったのだろうね。でも早苗が気にすることはないよ。早苗は自分が思ったことを素直に述べただけだからね。誰にも責められることはない」
「ですが」
「あいつも言ってたとおり、頭が冷えたら帰ってくるんじゃないかな」
しかし、そうはならなかった。
いや、ある意味ではとてもクールになったといえるのかもしれない。
神奈子は80年代の不良女子高生スタイルで帰ってきた。
具体的には北斗の拳の雑魚キャラがつけてそうな大仰なマスクを口にあて、髪はパーマ、細身のオンバシラを肩にかつぎ、大またで歩いてきた。
そんな神奈子の様子を見て、早苗は卒倒した。
「神奈子。その格好はなんだ?」
諏訪子は思い切って尋ねることにした。
「あん? てめぇには関係ねーだろ。すわぼうよぉ」
「あきれて物も言えない。バカらしいから私は本殿に帰るよ」
「けぇれ、けぇれ」
「神奈子さまがグレた……」
気絶から復帰した早苗がようやく言えたのは、その一言のみだった。
神奈子は早苗の肩を強引に寄せて、蛇のような視線で睨む。
「今日の早苗はどんなお夕飯を食べさせてくれるのかねぇ」
「言いかたは不良っぽいけど、言ってる内容はいつもと同じ!」
「ふん。あてぇはいつもと変わらないさ。早苗よぅ」
神奈子はどこからか仕入れてきたのか紙巻煙草を取り出して、ライターで火をつけようとする。
早苗が風のようなスピードでそれをとりあげた。
「だめです。煙草は健康に悪いですから」
「肺に煙をためて何が悪いってんだい。この娘は」
「いつもの神奈子さまらしくないですよ」
「煙草ぐらいのこまけぇことで口出すなって言ってるんだよ。早苗よぅ」
「だめですって」
早苗が取り上げると、実力行使までするつもりはないらしい。
アザラシのように寝そべって、テレビを見始めた。
その格好だけ見ていれば、普通なのだが――
やっぱり、ちょっと拗ねているのだろうか。
早苗は不安げに神奈子の後姿を見ていた。
「今日はお味噌汁のなかに素麺をいれてみました」
早苗が夕飯の用意をして戻ってきた。メインは言ったとおり。そしておにぎりもついてきている。
非常にシンプルになってしまったのは、喧嘩の仲裁をして時間がなくなってしまったためと、動揺激しく何度か失敗してしまったためである。
「早苗にしてはずいぶん貧相な食事だねぇ」
「ううッ」
「こんな食事じゃ胸が大きくならないよ」
「関係ないじゃないですか」
「ふん。そういや早苗は私が嫌いなんだった」
「違います!」
「いいよいいよ。早苗は諏訪子のほうが好きなんだからね。あちきはひとり寂しくご飯を食べるのさ」
「そんな子どもみたいなことをおっしゃらずに機嫌を直してください」
「蛙ごときに負けたとあっては蛇の名折れ」
「蛇を丸呑みする蛙だっているそうですよ」
「知ったこっちゃないね。あんなちびがえるに負けたとあっては、私の神力も地に落ちたも同然だ」
「負けたとか勝ったとか、なんですか。私は公平に判断したつもりです」
「公平ねぇ」
神奈子の視線がいつもと違い、冷たかった。
早苗は心が冷えてくるのを感じた。
「いったい、どこが公平だというんだい。あんなわからずやの肩を持つなんて、早苗、おまえもどうかしているよ」
「神奈子さま! いい加減にしてください」
「ふんッ。気分が悪い。私はしばらくオンバシラの上で食事するよ」
「どうぞご勝手に!」
言ってから、早苗はしまったと思った。
しかし、言霊の効力はけっして消えることはない。どんな言葉であれ発せられればそれは永久に続く。
世が続く限り、あるいは発した人が死んだあとも。
「か、神奈子さ――」
「さようなら。早苗」
いつもどおりの口調で、そしてとても寂しいそうな声で、神奈子は家を出て行った。
「わ、私。一人になっちゃった。神奈子さまに嫌われちゃった。どうしよう……」
早苗はどうすることもできずに、ひとりぼっちになった家の中でひそかに泣いた。
夜中になっても神奈子は帰ってこなかった。
早苗はひとりぼっちのご飯の後片付けをして、それからすることもなく、畳の上で正座したままうな垂れていた。
「早苗!」
突然の声。
一瞬だけ神奈子かと思った。
しかし、聞き間違えようもない。神奈子ではなく諏訪子の声である。
振り返ると、諏訪子が眉毛を八の字にして、心配そうに早苗を見ていた。
「諏訪子さま……」
「泣いていたの?」
「ん……ん。はい」
「神奈子が泣かせたのか……。あいつはちょっと痛い目見ないとわからないらしいね」
怒気――。
一瞬で背筋が粟立つのを感じた。
諏訪子の本気の怒りだった。
早苗はぞっとした。
ふたりが戦う姿など絶対に見たくなかった。
「やめてください。おふたりが戦う姿だけは見たくありません」
早苗の必死の懇願に、諏訪子はいつもの暢気さを取り戻す。
「わかったわかった。早苗は純粋培養娘だね。まったく……。だけど、どうしたものか。神奈子がへそをまげたらなかなか戻らないんだ」
「そうですね」
「問題となっているのが早苗のことだけに、神奈子も笑って流せないんだと思うよ」
「私がですか」
「そう。早苗に嫌われたというか――そういうふうに思っちゃうんだろうねぇ。そういう心の動きを止められないっていうかさ」
「そうなんですか? 私程度のことで、いつも飄々としている神奈子さまが――。信じられません」
「早苗はかすがいどころの話じゃないからね。早苗はわたしたちのオンバシラだよ」
大黒柱のような意味らしい。
「あう」
「ふ。かわいいね。こんなかわいい早苗を泣かせるなんて、神奈子も罪創りなやつだ」
「喧嘩はだめです」
「しないさ。早苗がそういうのなら喧嘩はしない。ただ――遊ぶだけだよ」
「弾幕ごっこ?」
「ああ、そうさ」諏訪子は不敵に笑った。「第二次諏訪大戦を始めよう」
びょぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ――。
風が天空をかき乱していた。
暮れる落ち葉も木々も暴力的な風の前には、ただなすすべもなく、来し方行きし方へと従うしかない。
月光がうつろいゆく世界を冷たく照らしだしている。
御柱の上には、神奈子が黙然と座っていた。
顔には憂鬱そうな表情が張りついている。
「つまらなそうな顔つきだね」
上空から声が聞こえた。
神奈子が顔をあげると、そこには諏訪子がいた。かたわらには早苗がいる。
神奈子はギリっと歯をかみしめた。
「なにしにきた」
「なーに。簡単なことだよ。神奈子。ゲームをしよう」
「ゲーム?」
「私と弾幕ごっこをしろ」
「いつもしているでしょう。今日はそんな気分じゃないの」
「私のチップは早苗だ」
「それでおまえは何を得る?」
「二千年前の汚辱を雪ぐ」
「いいだろう。私の神力はおまえを遥かに凌駕していることを思い知らせてやる」
風が、吹き荒れた。
早苗の耳に風が反響して聞こえた。
すさまじい戦慄が早苗の細身の身体を突き抜けていった。
早苗は神奈子と諏訪子が本気で戦うところを見たことがない。弾幕ごっこはそもそも半分は本気ではないのかもしれないが、それでもいつものふたりがいかに冗談半分で戦っているのかがわかった。
それほどに、非常な――
速さ。
弾幕が認識する刹那の瞬間には後方へと飛んでいく。
黒色で覆われた夜の世界を、彩色豊かな弾幕が彩った。
「諏訪子。おまえの鉄の輪は私には通じない」
「二度も同じ轍は踏まないさ」
諏訪子は眼光鋭く神奈子を睨んだ。
光のような一閃が左右同時に迫る。
神奈子はあぐらをかいたまま動こうとすらしない。
――当たれ。
諏訪子はそのまま逃げ道を塞ぐように光の束を絞っていく。
神奈子がようやく立ち上がった。
背中に装備したオンバシラから、速射砲のような一撃。
――相殺した!?
諏訪子は心中の驚きを隠せない。そのわずかな虚をついて神奈子が距離をつめた。
嵐のような淡く緑色に輝くナイフの弾幕が諏訪子に肉迫する。
諏訪子は鉄の輪を両の手に持ち、演舞するように打ち落としていった。
しかし――。
鉄の輪はナイフに触れると同時に錆びていき、わずかずつだが、諏訪子の防御は崩されていった。
「あのときと同じだな」
神奈子が過去を回想するような口ぶりで言った。
二千年前と同じ。
そう言いたげである。
そして、それは結局のところ、あの頃の本質的な対立がいまだ解消されていないことを物語っていた。
「あのころと同じだ。結局、我は洩矢の一族とは相容れぬか」
それから早苗の姿を双眸にいれた。
神奈子は目を閉じた。
荒れ狂う風のような一撃が諏訪子を襲う。
諏訪子はその場からとびすさった。
規則性もなにもない混沌とした風の化身に向かって、諏訪子はわずかに芯をずらして半身で避け続ける。
その嵐のさなか、必死で声をはりあげた。
「神奈子。ひとつ教えてあげる。この世界ではどうやら悪いほうが負けるらしい」
「ぬかせ。だとすれば、おまえの国を侵略してきた私が悪くなかったとでも言うのか?」
「弱さも悪だということだろうさ」
諏訪子は弾幕をギリギリのところで避けながら、それでも余裕たっぷりに答えた。
「ならば負けたほうが悪か」
「そうとは限らない。でもひとつだけはっきりと言えることがある。自分の大切な家族をないがしろにするやつは最低だってことだ」
「私はもともとおまえの神社を間借りしているようなものじゃないか。早苗とも繋がりがない」
「阿呆!」諏訪子がかすれた声を発する。「言ってやれ。早苗!」
暴風のなか、早苗は奇跡の力を行使して、自らの周りの風を停止させていた。
「神奈子さまとは家族だと思っています。ずっとずっと家族です」
それが早苗の信仰――いや、信念だった。
絶対的に揺るがない祈りに似た思いである。
――いい声だな。
と、神奈子は場違いなことを思った。
風がやみ、凪になる。
諏訪子は空中を奔った。まだゲームは続いている。たとえそれがただのゲームに過ぎなくても、それは本気の戦いだった。だから、油断をした神奈子は言い訳ひとつできない。
眼前に迫る翡翠のような弾幕を見て、神奈子は自らの負けをあっさりと認めることができた。
そうであるほうがよいと思った。
なぜなら、早苗の言葉が正しいと信じたかったからである。
「ふぅ……、これで一勝一敗か」
周りの木々はおおかた葉っぱを落とし、瓦のいくつかは落ちてしまっている。
そんな惨烈な状況で、諏訪子は
「くっくっく」
と笑った。
想念のなかには、まじりけひとつなく、ただ勝ったことが単純に嬉しいようだった。
早苗は気が抜けて、ふわりふわりと地上へと降りた。
神奈子は――
当然のことながら生きている。
ところどころ服が破れていたりするが、たいしたことではない。
早苗は不意に不安になった。神奈子が心に疵を負ったのではないかと考えたからである。しかし、神奈子の表情はさっぱりとしていた。
「負けちゃったよ」
「そうですね。おふたりともとても強かったです」
「あれでも往時よりはずいぶん優しげな弾幕だったさ。早苗が側にいるからね。ついつい力をセーブしてしまったよ」
「すいません。見届けたかったものですから」
「かまわないさ。早苗もいずれは私たちと同じぐらい強くなるだろう」
神奈子は早苗の頬に優しく手を触れた。
なぜなら――とは、つけくわえなかった。
家族がいろいろなことを共有することは当然であり、当然であるがゆえに、あえて言う必要はないからである。
神奈子 END
あとがきへ
しかしクリックしたらどうなるのか知りたくなってきた
ついでに、携帯では全ページ読み込まないと意図した効果が現れないかもしれん。不具合が多くてすまんとしか。
ついでのついでにここで謝っておきます。橙難しくてこっちを先に書きました。
三倍疲れて三倍薄くなるんだから割に合わない。あーうー。
話自体は結局オチとしてはあまり変わらないので、折角の仕込みが面白さに繋がっていないのが残念でした。
イメージ的には「星をみるひと」のマルチエンディング。
○発想が面白かった
さすがまるきゅー氏は格が違った!!
奇々怪々面白いですよね(/ω\)
さて、今度は選択肢を選んでみるか……
これは勝ったといえるのか
三分間はミスってました、すぐ訂正します。
>coahではクリックしても飛ばない
ちょっ、まっ。
同一ページ内リンクが効かないようですね。
たぶん分割投稿して絶対パス挟めば、こぁでもいけそうな予感はするのですが、さすがにそれはスペースとりすぎな気がするのでやめておきます。こぁ使ってる人が少ないことを祈るばかり。タグにケータイとこぁは無理と書いとこう……。
ともあれ、感謝。
ク、クリアできればいいんだよクリアできれb(ry
とりあえずスルーするのが正解だったのかどうなのか……
3分間の下りでたけしの挑戦状思い出した、触れたこと無いけど。
あの選択肢は鳥肌もの
これを最後に読むかととりあえず選択肢押してみたのはどうなんでしょうか?
グッドエンディングとか考える時点でゲーム脳か。
てかギャグと想ってたら途中からいい話にw
>人生最高の十分間にしよう
なにザ・ボスになりきってんですか神奈子様w
まるきゅーです。感想ありがとうございます。ザ・ボスは萌えキャラ。
いまある種の作品を思いついていたのですが、ある種の困難につきあたり、ある種の没になりました。
難しいなぁ。
信念としては、ともかく新しいことを試してみて、楽しんでもらうことです。
とってもおもしろかったです GJ!!
とりあえずリンクなんて機能があること自体知らなかった……どうやってやるんだ?
さて、放置してたマザー3やってきます
問題の本質に気づかないってケースは結構ありそうですね~。
あと身体疲労、記憶力の減退って、分かった風にそんな簡単に言われてもね~。
問題の本質はそっちじゃないはずなのにね。と、ちょっと愚痴る。
面白い試みで大変面白く読ませていただきました
そしてザ・ボスwww
むしろ「選ばない」の選択肢がデフォで幻視できるのも立派なゲーム脳な気がする件www
ただ、ひねくれ者の自分はスクロールにこんだけ余裕あるし、どうせ全部読むんだから選択肢選ばなくてもそのまま読めばよくね? とか考えてそのまま通しで読んだがなwww
試みとしても非常に面白かったです。
幻想郷は、世界についての豊かな物語を殺してしまう分析的合理主義社会へのカウンター的概念だと思いますが、その意味でこの作品は非常に幻想郷的ではないでしょうか。
先のコメントにもありましたがゲームブックを読んでいるようで面白かったです。
主人公がプレイヤーから一度だけ脱却する、そして一度だけ主人公としてではなく、一人の少年として動くのです。
糸井さんは最高のゲームメーカーですよ。
まったく同じで吹いたww
(両方読みたかった)
RPGツクール製のとあるフリーゲームで、「はい」と「いいえ」の二択が出てくるシーンで「いいえ」ではなくキャンセルボタンを押すと道が開く、みたいな仕掛けを見たことがあります
予想の上をいく発想は見ていて飽きないですね