「……はぁ」
これで何度目の溜息だろう。
無意識の内に頬に添えていた手を下ろす。
待ち合わせの時間だというのに、相方は姿どころか、足音すら聞こえてこない。
まぁ、いつもの事といえばそれまでだけれど。
「にゃぁん」
か細く、しかしはっきりと何かを訴えるような声が、私――マエリベリー・ハーン――に向けられる。
「ん?」
きょろきょろと周囲を見渡すと、居た。
「あ、猫だ」
私を呼んだ猫は、警戒する様子も無くその場にちょこんと座り、こちらを見ている。
猫の年齢とかは良くわからないけれど、見た感じ大人の猫という気がする。
「おいで」
私はその場にしゃがみ、ちっちっと舌を弾いて音を鳴らし、手を差し出す。
「にゃあ」
猫はぴんと尻尾を立たせると、ゆっくりと私に近寄る。
スンスンと指先の匂いを嗅いで、頬を摺り寄せる。
「あはっ、くすぐったい」
手を引っ込めると、今度は私の膝に頬摺りをする。
「ふふ、なに? エサでも欲しいの?」
なんとなく猫に話しかける。
人の言葉が猫に通じる筈も無い。
擦り寄ってきた猫はピンと尻尾を立て、目の前をうろうろとするだけである。
「ごめんね、今は持ってないの」
背中を撫でつけ、私は一人悦に浸る。
すると、私の背後から声が掛かる。
「ずいぶんと人懐っこい猫ね」
やっと来たのね……
私は振り返るなり、いつもの言葉で返す。
「もう、遅いわよ蓮子」
ただし、猫にかまけていたので遅れた時間については省く。
「まぁ、今日の遅刻はこの猫に免じて許して……」「何を言ってるのメリー」
……へ?
呆気にとられる私をおいて、蓮子は続ける。
「こいつは妖怪すねこすりよ」
と目の前の猫をビシッと指差す。
猫は我関せずと、私の膝に頬摺りをする。
「ほら、ほら、足に擦り寄って歩きにくくしてくるでしょ」
まさにすねこすりの伝承そのままよ!と蓮子は力説する。
「……なに、遅刻したことへの新手の言い訳?」
つまり、すねこすりに出会ったから遅刻したと蓮子は言いたいのだ。
せっかく許してあげようと思ったのに、この娘は……
「だってそうでしょ? メリーなんか歩きにくくなるどころか、しゃがみこんでるじゃない」
妙に勝ち誇った笑みを見せる蓮子に私は肩をすくめる。
「はいはい、今日はそう言う事にしてあげる」
私は立ち上がると、猫――蓮子曰くすねこすり――と別れ、目的地へと歩き出す。
道すがら、言い訳として切り出したと思った蓮子の妖怪話がまだ続いていた。
「つまり、私の予想としては、捨てられたり、家主に先立たれた結果、寂しさを募らせた猫が妖怪になった姿なのよ」
うーん、倶楽部活動でもどこからか情報を仕入れてきてくれるけど、蓮子って何気に物知りさん?
相方の意外な一面を知り、少しだけ見直してみたり。
「今や伝承にしかない妖怪も、実は隠れてこの世に居るのかもしれない。」
「もしくは、あちら側と密かに行き来しているのかも」
蓮子の言うあちら側とは私が夢で訪れる世界である。
確かに、向こうでは妖怪が跋扈し、人工物でない本物の自然が溢れる世界である。
その後、妖怪リモコン隠しに出くわしたなど他愛の無い話をして、目的地へと到着する。
「……」
「ん? 入らないの?」
到着したにも関わらず、足を止める私を蓮子は不思議そうに見つめる。
「蓮子……、実は私も妖怪に出くわしたのよ」
「……寝てるとき? 起きてる時?」
「夢の話ならいつもそう伝えてるでしょ?」
「それもそうね。 それでどんな妖怪に出くわしたの?」
「きっと、……かなりの大物」
「地獄の鬼も、お城の悪魔も、脱走した宇宙人すらも裸足で逃げ出すくらい?」
おどけた様子の蓮子の言葉に、私は無言で頷く事で肯定する。
「……ま、またまたぁ、与太話の続きでしょ?」
「私がその証拠」
私の手が、無意識に頬に伸びる。
「だって、今の私はその妖怪の呪いに掛かってるんですものっ!」
「の、呪い――っ!?」
私の悲痛な叫びに、蓮子は半歩後ずさり驚愕する。
「……」
「……」
暫くの間、奇妙な沈黙が二人を支配する。
「って、それって殿下の呪いでしょ」
「……、……うん」
私は、こくりと頷く。
「だから神社とかお寺にでも……」
「あー、殿下の呪いはお祓いも念仏も効かないってメリー知らなかった?」
「じゃ、じゃあ教会……」
蓮子は力なくフルフルと横に首を振る。
「うぅ、助けてよぉ、れんこぉ……」
私は目に涙を浮かべて蓮子にすがる。
「大丈夫、一番効果のある方法を知ってるわ」
「あぁ、やっぱり持つべき物は友ね! 蓮子愛してる!」
蓮子に飛びつき、首に腕を回す。
私の熱い抱擁に対し、当の本人は至って冷静にその方法を伝える。
握った拳を肩まであげると、親指を出して己の背後を指差す。
「今すぐ入れ」
と建物を指す。
「や」
私は蓮子から離れるとぷいっと横を向く。
「何を子供みたいな事言ってるのよ!」
「嫌な物はイヤなの!」
蓮子が指差す建物――目的地――には、『~歯科』の看板がでかでかと掲げられている。
「大体あんたが付き添ってって半べそかいて電話してきたんでしょうが!」
「ひっく、それでも、殿下の呪い――虫歯――を治す別の方法があるかもしれn」
「無いわ。歯痛殿下の呪いは人類の英知の結晶によってのみ治療可能よ」
問答無用と蓮子に襟首を掴まれ、私はズルズルと引っ張られて建物――歯科医院――へと引きずり込まれる。
「いやぁぁぁあドリルこわいぃいいいっ」
それだけでもテンション上がりました。
女の子らしく可愛いメリーに頬が緩みましたw
確かに「おめぇ・・・ 踏むぞ?」と言いたくなるほどまとわりついて来ますよね。
大抵飯の要求なのですが。
お話はあっさり前菜風味に楽しめました。
なのでちょっと食い足りなくも感じたり。
それはそうと、欧米では麻酔を使って、意識を朦朧とさせた状態の痛くない治療が十年ほどまえから流行っているみたいです。
だから、未来の日本も虫歯治療は痛く無くなるかも。
いや、どうだろうなあ…日本だしなあ…