博麗の巫女が死んだ。
……いや、私も博麗の巫女なんだけど。
亡くなったのは私ではなく、先代の博麗の巫女だ。
半年ほど前のことだ。引退後、人里の外れで暮らしていた先代の巫女が買い物の途中で突然倒れた。どうやら彼女は不治の病を患っていたらしい。
彼女は独り身で、当然子供もなく(言っておくが私は彼女の血縁者じゃない)、看病をしてくれる人物は誰もいない。だが、彼女も腐っても博麗の巫女。病に倒れた彼女の世話をしたいとたくさんの人が名乗りを上げた。
しかし、彼女はそれらをすべて断り、かつて生活していた博麗神社に――現在私が暮らしている博麗神社に戻ってきた。
私が彼女が倒れたと聞いたとき、てっきり今にも死にそうな状態なのかと思っていたがそうでもなかった。
久しぶりに会った彼女は、別れた時と何の変わりもなく、非常に元気だった。
彼女が引退したのはおよそ七年前。私が十一歳で、彼女が二十五歳の時だ。私が一人の巫女として胸を張り、一人で妖怪退治ができるようになったあの頃だ。
彼女の姿は三十を超えていながら、あの頃と何も変わっていなかった。ただ、あえて言うなら、少し肌が白くなったような気がする。
ともに暮らし始めてから、彼女は私に「少しは修行しなさいよ」とか、「もう少し巫女らしくしたら?」と毒を吐き、時には私の代わりに境内の掃除をしたりしていた。
私はそんな彼女を見て「こりゃ、殺しても死なないな」と思った。不治の病というのは嘘で、本当は人里での暮らしに飽きて神社に帰りたかっただけなんじゃないかとも思った。
しかし、やっぱりそれは間違いだった。
すべて空元気だったのだ。
三日前の昼、彼女は死んだ。
何の予告もなく、いきなり死んだ。
彼女が息を引き取った時、私は人里に買出しに出かけていてその最期を看取ることができなかった。
だが、彼女は寂しいだなんてひとつも思っていなかっただろう。
息を引き取った彼女は、満足そうに笑っていたから。
*
通夜が明け、彼女の遺体の入った棺が人里の人たちによって神社から運び出される。目的地は人里にある寺だ。
天気は生憎の晴れ。ぜんぜん湿っぽくない。雨とまではいかないが、せめて曇っていているべきじゃないだろうか。
私は葬式なんて寺でやっても神社でやっても同じじゃないかと思った。しかし、そのことを紫に言ったところ、紫は無言で失笑した。どうやら紫は私が神社と寺を同じものだと考えていると思ったようだ。失礼な。
紫、といえば、そういえば紫はどこに行ったのだろう? 朝食を終えて片づけをしている時にはいたはずなのだが。
紫は先代の巫女が亡くなった時、真っ先に駆けつけてきた。
いや、駆けつけてきたというか……
先代の巫女が亡くなったあの日、私が買出しから帰ってきたあの時、紫はもうすでに神社にいた。すでに冷たくなった先代の巫女の、枕元に座っていた。
「……あら、おかえり。……遅かったわね」
紫は私に気づくと私の方に振り返り、笑いながらそう言った。
泣きそうになりながら、そう言った。
私はそんな紫の姿を見て、少し戸惑ったが何が起こったのかを悟った。
ああ、本当に遅かったんだと思った。
その後、紫とその式の手配によって通夜や葬式の準備が行われた。
紫は、通夜の間中、ずっと棺のそばでずっと遺体を見つめていた。
一言も言葉を発しなかった。
ただ黙ってひたすら一晩中、彼女の亡骸を見つめていた。
きっと紫は、何度も何度も同じことを歴代の博麗の巫女に対して行ってきたのだろう。
あいつは、あれで意外と感情が豊かだ。何を考えているのか分からない奴だが、内心で喜んだり悲しんだりしているのがなんとなく分かる。
きっと、巫女が死ぬたびに紫は喪に服しているのだろう。
それにしても紫は本当にどこに行ったのだろう? そろそろ私たちも人里に向かわなければならないのに……
「――探すか」
呟いて、私は外に出る。
「あ」
「お?」
「あら?」
賽銭箱の前に魔理沙と咲夜が立っていた。珍しい、二人だけで行動しているなんて。異変でも起きるのだろうか。
咲夜はいつものメイド服ではなく、喪服を着ている。おそらくこれから葬式に出るのだろう。一方の魔理沙はいつもの白黒服だ。確かに白黒だが、これが喪服の代わりになるとはとても思えない。
「あんたたち、なにやってんの?」
「あら、この格好を見て分からないのかしら? これからお葬式に出るのよ」
私が聞くと、咲夜が答える。
『この格好』、ね……
はっきり言ってあんたならその格好でも平気でハイキングにでも結婚式にでも行きそうだわ。言わないけど。
「で、魔理沙は?」
「おいおい。私も葬式に行くに決まってるじゃないか」
「なら喪服着ろ」
「大丈夫だ。十分代わりになる」
ならねえよ。
まあ、馬鹿はほっておいて。
「ところで咲夜」
「何かしら?」
「レミリアは葬式に出るの?」
私がそう聞くと咲夜は微笑みながら「まさか」と答えた。
「吸血鬼であるお嬢様が葬式なんかに――それも人里で行われるのに出席なされるわけ、ないでしょう?」
「まあ確かに。しかも今日は生憎の快晴だし、里の人もたくさん出席するそうだし、それに吸血鬼のお嬢さんには人間の生き死になんてどうでもいいことだろうしね」
そもそも、あいつが仮に葬式に出たとして、大人しくしていられるかが謎だ。湿っぽいの嫌いそうだし。
「まあ、妖怪が人間の葬式に出るってのがおかしいんだけどね」
「まあそりゃ、そうだろうな。なんたって妖怪だし」
魔理沙はそう言ってニヤニヤと笑った。
私も釣られて少し笑う。
「別にあんたらも出なくてもいいわよ」
私は物のついでに二人に言う。
すると魔理沙が、
「そういうわけにもいかないだろう」
と、笑うのをやめて辛気臭い顔で言った。
「魔理沙?」
私は思わず咲夜の方を見る。
咲夜は無表情のまま、目を閉じている。無表情のはずなのだが、どこか辛気臭い。
「な、何よ、別にあんたらがそんな顔しなくたっていいでしょう?」
「そんな顔ってどんな顔かしら」
咲夜がそのままの表情で私に訊ねる。
「今あんたら、悲しんでない?」
「気のせいだろ」
今度は魔理沙が野暮っぽく答える。
何だか二人とも様子がいつもと違う。咲夜の素はよく分からないが、魔理沙は明らかに変だ。
「それより、もう移動しようかと思うんだが、いいか?」
「あ、ちょっと待って」私は話を切り上げようとした魔理沙を引き止める。「あんたたちさ、紫どこにいるか知らない?」
「紫? ……知らないな」
「私も知らないわ。そもそも、あの人の行方なんて知っていても、それは知らないのと何も変わりないんじゃないの?」
「まあ、確かに……」
神出鬼没の紫のことだ。たとえ目撃証言があったとしても、その場所にいる可能性は極めて低いだろう。聞き込みするくらいなら自分で探したほうが早い。
「んじゃあ、私たちはもう行くぜ」
「また後でね」
「ん。じゃ」
魔理沙と咲夜は適当に私に挨拶をして飛び去っていった。
「んー……」
何だか紫が近くにいるような気がしない。あいつの事だから、先に行ってるんじゃないだろうか?
私も人里に向かってみようか?
と、思ったその時、どこからともなく何者かがすすり泣く音が聴こえた。
……まずありえないが、紫だろうか。
いや、もしかすると……
「萃香ぁ、いるんでしょう?」
そう私が呼ぶと、案の定、萃香がすすり泣きながら、「なぁに?」と姿を表した。
泣いてる? マジで泣いてる? あの萃香が? いや、呼んだの私だけど。でも、まさか本当に萃香が泣いているとは思わなかった。しかも萃香、素面だ。信じられん。槍でも振りそうだ。
「……萃香、何? どうしたの?」
「『どうしたの?』って、そっちが、ぐすっ、呼んだんじゃん」
「いや、まあ、確かにそうなんだけど」
いつもへらへら酔ってる奴が素面で泣いてたらそりゃあ私だって『どうしたの』って訊くよ。
しかも萃香は鬼だし、これでかなり生きてるし、とてもじゃないが何かあって泣くとは思えない。ましてや人が死んだくらいで泣くわけがない。
もしかすると、これは異変か?
私がいろいろと混乱している間にも、萃香はえぐえぐと泣いている。どう見てもただの子供だ。角生えてるけど。
「あんた、何で泣いてんの?」
このままだと埒が明かないので訊いてみる。
「『何で』って、これが泣かずにいられるわけないじゃん!」
萃香は叫ぶように私の問いに答える。
「いや、何が起こったのかわかんないし」
「分かんないの!? 分かってよ!!」
そんな無茶な。
「ああもう!」私は思わず怒鳴るように言う。何だか腹が立ってきた。「何で泣いてんのか教えてくれないと分かんないでしょ!」
「分かるでしょ!!」
萃香が怒鳴り返してくる。
「だって、だって――
霊夢、死んじゃったんだよ――」
「……………」
なぜか何も言えなくなった。
「あんた悲しくないの? 霊夢に可愛がってもらったんでしょ!? 霊夢、あんたの為に無理してたんだよ! あんたは知らないだろうけど、霊夢、あんたの見てないとこで何回も吐血してたんだよ! で、そのたびに、『あの子には内緒にしといて』って決まって言うんだよ! なのに何!? 悲しまないのが普通みたいな顔して――」
「――黙ってよ」
それが、ようやく出た一言だった。
「……………」
「葬式、出るんでしょう? もうすぐ棺がお寺に届く頃だと思うから、先行ってて。……たぶん、紫も向こうにいると思うし」
「……………」
萃香は何も言わずに涙をぬぐって姿を消した。
何なんだろう。なんでみんなこんなにも悲しんでるんだろう?
「ねーねー」
呆然と立ち尽くしていた私に、一人の氷精が話しかけてきた。
「霊夢じゃない巫女、何かみんな騒がしいけどなんかあった? っていうか霊夢は?」
「……霊夢は死んだよ」
「……なにそれ。そんな嘘じゃあたいは――」
「嘘じゃないわよ」
「嘘!」
言いながら、氷精は泣き出し、どこかへ飛んでいってしまった。
「……何よ、もう」
腹が立つ。
腹が立って仕方がない。
何でみんなこんなに悲しんでるのだろう?
「なんでよ……」
何であの人は――博麗霊夢はこんなにもたくさんのものを残して逝ったのだろう?
こんなに、背負えるわけないじゃない。
ただでさえあんたの後で、大役だっていうのに……
畜生。
こうなったら……
私は、全速力で台所に駆け込んだ。
――塩、ぶつけてやる。
*
飛ぶ。
飛翔する。
今までに無いような速さで飛ぶ。今なら幻想郷で三番目の速さを名乗れそうだ。一番と二番は知らないけど。
私は今、人里に向けて飛んでいた。
右手には塩が握られている。
畜生。イライラする。早く全力で塩を投げつけてやりたい。
だいたい、何が“永遠の巫女”よ。
死んじゃったじゃないの。しかも短命だし。
馬鹿馬鹿しい。
馬鹿馬鹿しくて涙が出てくる。
「見つけた!」
お寺から少し離れた所に人ごみを発見。
あれだ。間違いない。魔理沙や咲夜、萃香もいる!
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
雄たけびを上げて急降下する。すぐに地面が近くなる。
人々が私を見つけて声を上げる。だが、誰も私を止められない。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおお――っが!?」
一瞬、何が起こったか分からなくなった。
何かに叩き落されたと気づいたのは、地面に叩きつけられて転がっている最中だった。
私はすぐに顔を上げる。
目の前に、風見幽香が微笑みながら立っていた。倒れた私を見下すように見ている。
「えらく猛々しく雄たけびを上げていたけど、どうしたのかしら?」
私は答えずに立ち上がる。
悪いけど、今はあんたみたいな鈍足妖怪には興味ないのよ。
「邪魔すんなら殺すわよ」
「あら、それが巫女の言うこと?」
無視する。
「大体スペルカードルールがあるから殺すことなんてできないんじゃないかしら」
無視してお札を懐から取り出す。今気がついたけど、さっきので握ってた塩がどこかに行ってしまった。まあいいか。
あと、スペルカードルールとか知るか。今の巫女は私だ。私がルールだ。
「……そう」
幽香の顔から一瞬だけ笑顔が消え、すぐにシニカルな笑いが帰ってきた。
「その覚悟あるのなら、本気でやってあげるわ。ちょうど今日は快晴で調子も良いし」
黙れよ鈍足。あんたなんか霊夢に負けたくせ――
「ぐっ!?」
一瞬にして傘で殴り飛ばされる。まわりにいる人たちが悲鳴を上げる。
え? 何? もしかして地上戦強いの!? 飛んでる時のスピードからは想像もつかないほど速い!
これはまずい。早く飛ばないと――
「ごっ!」
立ち上がってすぐに次の打撃が襲い掛かる。いたい、今ので腕折れた。やばい、次が来る、立てない、やばい、やばいやばいやばいやばい……!
次来たら、間違いなく死ぬ!!
刹那、打撃が飛んでくる――
しかし、次に来たのは幽香の傘ではなく――
式・八雲藍の蹴りだった。
脳天直撃。
意識が遠のく。
霞む視界の中で、幽香を取り押さえる紫の姿が見えた。
なんだ。
紫、ここにいたの。
*
私が博麗霊夢に初めてであったのは物心つく前だと、以前紫に教えてもらった。記憶がないほど前ということは、ほんの赤ん坊の頃だろう。
私が五つの時、私の巫女になるための修行が始まった。よく覚えてはいないが、よく泣きべそをかいていたような気がする。あまり才能には恵まれなかったのかもしれない。
霊夢はそんな私を見ていつも笑っていた。才能のある人間からしてみれば才能のない人間は面白いのかもしてない。
霊夢が私を見て笑っていたのと同時に、私は霊夢を見ていた。人間とも妖怪とも一応うまくやっていっている霊夢を、修行をろくにしていないのに異変を解決する姿を、ずっと見ていた。
今思う。私はずっと博麗霊夢にあこがれていた。
いや、私は“博麗霊夢”になりたかったのだ。
でも、私がいくら努力しても、いくら真似をしても、私は“霊夢”になることは不可能だ。
だから、
私は、霊夢に“永遠の巫女”であってほしかった。
「………………………うおっ」
目を覚ますとすぐそばに紫が座っていた。
びっくりした。死んで霊夢になったのかと思った。
「おはよう」
紫が笑う。
とりあえず私は上体を起こそうとする。が、体が動かない。
「無理に動かさない方が良いわよ。今は永遠亭秘伝の麻酔で分からないけど、あなた、今背骨が折れてるから」
「え?」
「大丈夫。後遺症は残らないから」
それはなにより。
とりあえず、今視界にあるもの(天井と紫の顔)で今の状況を確認する。
どうやらここは博麗神社らしい。そして人工的な明かりが灯されていることから今の時刻は夜だということが分かる。
「何か訊きたいこと、ある?」
「ええっと、葬式はどうなった?」
「心配しなくても無事に終わったわ。火葬もね。ここに骨壷あるけど、骨、見たい?」
「いや、いい」
「あら、残念」
普通誰も見たがらないって。
「他に何か訊きたいこと、ある?」
「ええっと――」
そうだ。この際だからずっと気になっていることを訊いてみようか。
きっと、いくら考えても私には理解できないのだから。
「紫」
「なにかしら?」
「“永遠の巫女”って、どういう意味?」
紫は、やさしく笑いながら、答えた。
「一瞬で消える、生命のことよ」
……いや、私も博麗の巫女なんだけど。
亡くなったのは私ではなく、先代の博麗の巫女だ。
半年ほど前のことだ。引退後、人里の外れで暮らしていた先代の巫女が買い物の途中で突然倒れた。どうやら彼女は不治の病を患っていたらしい。
彼女は独り身で、当然子供もなく(言っておくが私は彼女の血縁者じゃない)、看病をしてくれる人物は誰もいない。だが、彼女も腐っても博麗の巫女。病に倒れた彼女の世話をしたいとたくさんの人が名乗りを上げた。
しかし、彼女はそれらをすべて断り、かつて生活していた博麗神社に――現在私が暮らしている博麗神社に戻ってきた。
私が彼女が倒れたと聞いたとき、てっきり今にも死にそうな状態なのかと思っていたがそうでもなかった。
久しぶりに会った彼女は、別れた時と何の変わりもなく、非常に元気だった。
彼女が引退したのはおよそ七年前。私が十一歳で、彼女が二十五歳の時だ。私が一人の巫女として胸を張り、一人で妖怪退治ができるようになったあの頃だ。
彼女の姿は三十を超えていながら、あの頃と何も変わっていなかった。ただ、あえて言うなら、少し肌が白くなったような気がする。
ともに暮らし始めてから、彼女は私に「少しは修行しなさいよ」とか、「もう少し巫女らしくしたら?」と毒を吐き、時には私の代わりに境内の掃除をしたりしていた。
私はそんな彼女を見て「こりゃ、殺しても死なないな」と思った。不治の病というのは嘘で、本当は人里での暮らしに飽きて神社に帰りたかっただけなんじゃないかとも思った。
しかし、やっぱりそれは間違いだった。
すべて空元気だったのだ。
三日前の昼、彼女は死んだ。
何の予告もなく、いきなり死んだ。
彼女が息を引き取った時、私は人里に買出しに出かけていてその最期を看取ることができなかった。
だが、彼女は寂しいだなんてひとつも思っていなかっただろう。
息を引き取った彼女は、満足そうに笑っていたから。
*
通夜が明け、彼女の遺体の入った棺が人里の人たちによって神社から運び出される。目的地は人里にある寺だ。
天気は生憎の晴れ。ぜんぜん湿っぽくない。雨とまではいかないが、せめて曇っていているべきじゃないだろうか。
私は葬式なんて寺でやっても神社でやっても同じじゃないかと思った。しかし、そのことを紫に言ったところ、紫は無言で失笑した。どうやら紫は私が神社と寺を同じものだと考えていると思ったようだ。失礼な。
紫、といえば、そういえば紫はどこに行ったのだろう? 朝食を終えて片づけをしている時にはいたはずなのだが。
紫は先代の巫女が亡くなった時、真っ先に駆けつけてきた。
いや、駆けつけてきたというか……
先代の巫女が亡くなったあの日、私が買出しから帰ってきたあの時、紫はもうすでに神社にいた。すでに冷たくなった先代の巫女の、枕元に座っていた。
「……あら、おかえり。……遅かったわね」
紫は私に気づくと私の方に振り返り、笑いながらそう言った。
泣きそうになりながら、そう言った。
私はそんな紫の姿を見て、少し戸惑ったが何が起こったのかを悟った。
ああ、本当に遅かったんだと思った。
その後、紫とその式の手配によって通夜や葬式の準備が行われた。
紫は、通夜の間中、ずっと棺のそばでずっと遺体を見つめていた。
一言も言葉を発しなかった。
ただ黙ってひたすら一晩中、彼女の亡骸を見つめていた。
きっと紫は、何度も何度も同じことを歴代の博麗の巫女に対して行ってきたのだろう。
あいつは、あれで意外と感情が豊かだ。何を考えているのか分からない奴だが、内心で喜んだり悲しんだりしているのがなんとなく分かる。
きっと、巫女が死ぬたびに紫は喪に服しているのだろう。
それにしても紫は本当にどこに行ったのだろう? そろそろ私たちも人里に向かわなければならないのに……
「――探すか」
呟いて、私は外に出る。
「あ」
「お?」
「あら?」
賽銭箱の前に魔理沙と咲夜が立っていた。珍しい、二人だけで行動しているなんて。異変でも起きるのだろうか。
咲夜はいつものメイド服ではなく、喪服を着ている。おそらくこれから葬式に出るのだろう。一方の魔理沙はいつもの白黒服だ。確かに白黒だが、これが喪服の代わりになるとはとても思えない。
「あんたたち、なにやってんの?」
「あら、この格好を見て分からないのかしら? これからお葬式に出るのよ」
私が聞くと、咲夜が答える。
『この格好』、ね……
はっきり言ってあんたならその格好でも平気でハイキングにでも結婚式にでも行きそうだわ。言わないけど。
「で、魔理沙は?」
「おいおい。私も葬式に行くに決まってるじゃないか」
「なら喪服着ろ」
「大丈夫だ。十分代わりになる」
ならねえよ。
まあ、馬鹿はほっておいて。
「ところで咲夜」
「何かしら?」
「レミリアは葬式に出るの?」
私がそう聞くと咲夜は微笑みながら「まさか」と答えた。
「吸血鬼であるお嬢様が葬式なんかに――それも人里で行われるのに出席なされるわけ、ないでしょう?」
「まあ確かに。しかも今日は生憎の快晴だし、里の人もたくさん出席するそうだし、それに吸血鬼のお嬢さんには人間の生き死になんてどうでもいいことだろうしね」
そもそも、あいつが仮に葬式に出たとして、大人しくしていられるかが謎だ。湿っぽいの嫌いそうだし。
「まあ、妖怪が人間の葬式に出るってのがおかしいんだけどね」
「まあそりゃ、そうだろうな。なんたって妖怪だし」
魔理沙はそう言ってニヤニヤと笑った。
私も釣られて少し笑う。
「別にあんたらも出なくてもいいわよ」
私は物のついでに二人に言う。
すると魔理沙が、
「そういうわけにもいかないだろう」
と、笑うのをやめて辛気臭い顔で言った。
「魔理沙?」
私は思わず咲夜の方を見る。
咲夜は無表情のまま、目を閉じている。無表情のはずなのだが、どこか辛気臭い。
「な、何よ、別にあんたらがそんな顔しなくたっていいでしょう?」
「そんな顔ってどんな顔かしら」
咲夜がそのままの表情で私に訊ねる。
「今あんたら、悲しんでない?」
「気のせいだろ」
今度は魔理沙が野暮っぽく答える。
何だか二人とも様子がいつもと違う。咲夜の素はよく分からないが、魔理沙は明らかに変だ。
「それより、もう移動しようかと思うんだが、いいか?」
「あ、ちょっと待って」私は話を切り上げようとした魔理沙を引き止める。「あんたたちさ、紫どこにいるか知らない?」
「紫? ……知らないな」
「私も知らないわ。そもそも、あの人の行方なんて知っていても、それは知らないのと何も変わりないんじゃないの?」
「まあ、確かに……」
神出鬼没の紫のことだ。たとえ目撃証言があったとしても、その場所にいる可能性は極めて低いだろう。聞き込みするくらいなら自分で探したほうが早い。
「んじゃあ、私たちはもう行くぜ」
「また後でね」
「ん。じゃ」
魔理沙と咲夜は適当に私に挨拶をして飛び去っていった。
「んー……」
何だか紫が近くにいるような気がしない。あいつの事だから、先に行ってるんじゃないだろうか?
私も人里に向かってみようか?
と、思ったその時、どこからともなく何者かがすすり泣く音が聴こえた。
……まずありえないが、紫だろうか。
いや、もしかすると……
「萃香ぁ、いるんでしょう?」
そう私が呼ぶと、案の定、萃香がすすり泣きながら、「なぁに?」と姿を表した。
泣いてる? マジで泣いてる? あの萃香が? いや、呼んだの私だけど。でも、まさか本当に萃香が泣いているとは思わなかった。しかも萃香、素面だ。信じられん。槍でも振りそうだ。
「……萃香、何? どうしたの?」
「『どうしたの?』って、そっちが、ぐすっ、呼んだんじゃん」
「いや、まあ、確かにそうなんだけど」
いつもへらへら酔ってる奴が素面で泣いてたらそりゃあ私だって『どうしたの』って訊くよ。
しかも萃香は鬼だし、これでかなり生きてるし、とてもじゃないが何かあって泣くとは思えない。ましてや人が死んだくらいで泣くわけがない。
もしかすると、これは異変か?
私がいろいろと混乱している間にも、萃香はえぐえぐと泣いている。どう見てもただの子供だ。角生えてるけど。
「あんた、何で泣いてんの?」
このままだと埒が明かないので訊いてみる。
「『何で』って、これが泣かずにいられるわけないじゃん!」
萃香は叫ぶように私の問いに答える。
「いや、何が起こったのかわかんないし」
「分かんないの!? 分かってよ!!」
そんな無茶な。
「ああもう!」私は思わず怒鳴るように言う。何だか腹が立ってきた。「何で泣いてんのか教えてくれないと分かんないでしょ!」
「分かるでしょ!!」
萃香が怒鳴り返してくる。
「だって、だって――
霊夢、死んじゃったんだよ――」
「……………」
なぜか何も言えなくなった。
「あんた悲しくないの? 霊夢に可愛がってもらったんでしょ!? 霊夢、あんたの為に無理してたんだよ! あんたは知らないだろうけど、霊夢、あんたの見てないとこで何回も吐血してたんだよ! で、そのたびに、『あの子には内緒にしといて』って決まって言うんだよ! なのに何!? 悲しまないのが普通みたいな顔して――」
「――黙ってよ」
それが、ようやく出た一言だった。
「……………」
「葬式、出るんでしょう? もうすぐ棺がお寺に届く頃だと思うから、先行ってて。……たぶん、紫も向こうにいると思うし」
「……………」
萃香は何も言わずに涙をぬぐって姿を消した。
何なんだろう。なんでみんなこんなにも悲しんでるんだろう?
「ねーねー」
呆然と立ち尽くしていた私に、一人の氷精が話しかけてきた。
「霊夢じゃない巫女、何かみんな騒がしいけどなんかあった? っていうか霊夢は?」
「……霊夢は死んだよ」
「……なにそれ。そんな嘘じゃあたいは――」
「嘘じゃないわよ」
「嘘!」
言いながら、氷精は泣き出し、どこかへ飛んでいってしまった。
「……何よ、もう」
腹が立つ。
腹が立って仕方がない。
何でみんなこんなに悲しんでるのだろう?
「なんでよ……」
何であの人は――博麗霊夢はこんなにもたくさんのものを残して逝ったのだろう?
こんなに、背負えるわけないじゃない。
ただでさえあんたの後で、大役だっていうのに……
畜生。
こうなったら……
私は、全速力で台所に駆け込んだ。
――塩、ぶつけてやる。
*
飛ぶ。
飛翔する。
今までに無いような速さで飛ぶ。今なら幻想郷で三番目の速さを名乗れそうだ。一番と二番は知らないけど。
私は今、人里に向けて飛んでいた。
右手には塩が握られている。
畜生。イライラする。早く全力で塩を投げつけてやりたい。
だいたい、何が“永遠の巫女”よ。
死んじゃったじゃないの。しかも短命だし。
馬鹿馬鹿しい。
馬鹿馬鹿しくて涙が出てくる。
「見つけた!」
お寺から少し離れた所に人ごみを発見。
あれだ。間違いない。魔理沙や咲夜、萃香もいる!
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
雄たけびを上げて急降下する。すぐに地面が近くなる。
人々が私を見つけて声を上げる。だが、誰も私を止められない。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおお――っが!?」
一瞬、何が起こったか分からなくなった。
何かに叩き落されたと気づいたのは、地面に叩きつけられて転がっている最中だった。
私はすぐに顔を上げる。
目の前に、風見幽香が微笑みながら立っていた。倒れた私を見下すように見ている。
「えらく猛々しく雄たけびを上げていたけど、どうしたのかしら?」
私は答えずに立ち上がる。
悪いけど、今はあんたみたいな鈍足妖怪には興味ないのよ。
「邪魔すんなら殺すわよ」
「あら、それが巫女の言うこと?」
無視する。
「大体スペルカードルールがあるから殺すことなんてできないんじゃないかしら」
無視してお札を懐から取り出す。今気がついたけど、さっきので握ってた塩がどこかに行ってしまった。まあいいか。
あと、スペルカードルールとか知るか。今の巫女は私だ。私がルールだ。
「……そう」
幽香の顔から一瞬だけ笑顔が消え、すぐにシニカルな笑いが帰ってきた。
「その覚悟あるのなら、本気でやってあげるわ。ちょうど今日は快晴で調子も良いし」
黙れよ鈍足。あんたなんか霊夢に負けたくせ――
「ぐっ!?」
一瞬にして傘で殴り飛ばされる。まわりにいる人たちが悲鳴を上げる。
え? 何? もしかして地上戦強いの!? 飛んでる時のスピードからは想像もつかないほど速い!
これはまずい。早く飛ばないと――
「ごっ!」
立ち上がってすぐに次の打撃が襲い掛かる。いたい、今ので腕折れた。やばい、次が来る、立てない、やばい、やばいやばいやばいやばい……!
次来たら、間違いなく死ぬ!!
刹那、打撃が飛んでくる――
しかし、次に来たのは幽香の傘ではなく――
式・八雲藍の蹴りだった。
脳天直撃。
意識が遠のく。
霞む視界の中で、幽香を取り押さえる紫の姿が見えた。
なんだ。
紫、ここにいたの。
*
私が博麗霊夢に初めてであったのは物心つく前だと、以前紫に教えてもらった。記憶がないほど前ということは、ほんの赤ん坊の頃だろう。
私が五つの時、私の巫女になるための修行が始まった。よく覚えてはいないが、よく泣きべそをかいていたような気がする。あまり才能には恵まれなかったのかもしれない。
霊夢はそんな私を見ていつも笑っていた。才能のある人間からしてみれば才能のない人間は面白いのかもしてない。
霊夢が私を見て笑っていたのと同時に、私は霊夢を見ていた。人間とも妖怪とも一応うまくやっていっている霊夢を、修行をろくにしていないのに異変を解決する姿を、ずっと見ていた。
今思う。私はずっと博麗霊夢にあこがれていた。
いや、私は“博麗霊夢”になりたかったのだ。
でも、私がいくら努力しても、いくら真似をしても、私は“霊夢”になることは不可能だ。
だから、
私は、霊夢に“永遠の巫女”であってほしかった。
「………………………うおっ」
目を覚ますとすぐそばに紫が座っていた。
びっくりした。死んで霊夢になったのかと思った。
「おはよう」
紫が笑う。
とりあえず私は上体を起こそうとする。が、体が動かない。
「無理に動かさない方が良いわよ。今は永遠亭秘伝の麻酔で分からないけど、あなた、今背骨が折れてるから」
「え?」
「大丈夫。後遺症は残らないから」
それはなにより。
とりあえず、今視界にあるもの(天井と紫の顔)で今の状況を確認する。
どうやらここは博麗神社らしい。そして人工的な明かりが灯されていることから今の時刻は夜だということが分かる。
「何か訊きたいこと、ある?」
「ええっと、葬式はどうなった?」
「心配しなくても無事に終わったわ。火葬もね。ここに骨壷あるけど、骨、見たい?」
「いや、いい」
「あら、残念」
普通誰も見たがらないって。
「他に何か訊きたいこと、ある?」
「ええっと――」
そうだ。この際だからずっと気になっていることを訊いてみようか。
きっと、いくら考えても私には理解できないのだから。
「紫」
「なにかしら?」
「“永遠の巫女”って、どういう意味?」
紫は、やさしく笑いながら、答えた。
「一瞬で消える、生命のことよ」
なんだかすっきりする作品でした。
ミスリードがいいアクセントになっていたと思います。
いやぁ、これはいい。
(病気を必死に隠したり、最後を一緒に過ごそうとしたりするくらいですし)なんだかほろっと来ました。
霊夢が見込んだ子なんだから大丈夫、安心して悲しんでいいんだよ。と肩でも叩いてやりたい。
やはり前半のミスリードが上手いと思いました。
それぞれのキャラの心情もよく描けていると思います。
>槍でも振りそうだ。