レミリア・スカーレットは焦っていた。
今日、起きた時は―といっても先ほど起きたばかりだが―、いつも通り、普通に過ごせると思っていたのに。なぜ、なんのために、だれがこんなことを。
一人でひたすら身悶えたあと、まずは落ち着かねばと深呼吸する。それでもまだ悶えそうになるのをぐっと我慢し、今の状況を冷静に判断する。
このようなことが起きたのはなぜなのか。まずは、私が起きたところから思い返すとしよう。
レースに囲まれた、どこまでも澄んだピンク色のベッドに入り、深く、心地よい眠りについていた私を揺り動かしてくる二つの柔らかい手。
「お嬢様……レミリアお嬢様」
声を聞いていると余計に眠くなってくる。何故、咲夜の声はこんなに安心できるのだろうか。
余計に眠くなってきたのでもう一眠りしようかと思い、無視を決め込んでいると、だんだんと私を起こそうと躍起になってきたのか、力が強くなってきた。しかし私は吸血鬼。人間風情がすこしぐらい力を強めたところでさしたる影響は――
「起きないとおやつ抜きですよ」
「おはよう咲夜。いやぁ、良い夜ね。こんな時にいつまでも寝ているのはもったいないわ。そうよね?……別におやつがどうとか、本当に貰えなかったら嫌だからとか、そんなことで起きたんではないわ。決して。」
「はいはい」
「にやにやしながら生返事するのはやめて。……いまから着替えるから、咲夜はティータイムの用意をしてちょうだい」
「かしこまりました」
にやにやしている従者を速やかに追い払ったあと、早速着替えに取り掛かることにする。今日は少し軽めの服にしよう。他の人には私が一張羅しかないように見えるようだが、何故だろうか。一目見ただけでも違うとわかるのに。今から着ようとしているこの服だって、昨日着ていた服と比べてスカート丈が2cmも差があるが、きっとこの違いに気づくのは咲夜だけなのだろう。
下らない事を考えているうちに着替え終わる。後はいつも通り咲夜を呼ぶだけだ。今日の紅茶はどんな味なのかな、と楽しみにしつつ、独り言のように―はたから見れば本当に独り言だが―呼ぶ。
「咲夜、着替えが終わったわ。もう来てもいいわよ」
……あれ、来ない。いつもなら尻尾を振って飛んでくるのに。
何回か同じように呼んでみるが、まったくこちらに来る気配がない。
一体何をしているのだろうか、心配になってくる。……もしかして、なにか大変なことが咲夜の身に?
そう考えた私はいてもたってもいられず、部屋を飛び出た。大事になってなければいいがと思いながら、長い通路を駆け抜けていく。
何回か角を曲がり、目的地にたどり着く。調理場だ。たしか咲夜はいつもここで紅茶をいれてたはず。中に入り、人影はないかと辺りを見回す。
すると、早速物陰でなにか動いているものを見つけた。
「……咲夜?」
従者の名を呼びながら、その影に近づく。……咲夜だ!
「咲夜! だいじょう……」
言いかけ、そこで止まる。咲夜だ、咲夜に間違いないのだが
……耳と尻尾が生えてる。身長も若干縮んだように見える。しかも手を床につき俗に言うお座りのポーズをとっている。
私の中の時が一瞬止まった――
そして今に至る。……駄目だ、冷静に思い返しても意味不明だった。こうなる理由がまったくわからない。理解不能理解不能理解不能。
ショートしそうになるのをこらえ、もう一回冷静にしてみる。koolになるのよ、レミリア・スカーレット。この場をなんとか出来るのはわたししかいないのだから。……とりあえず、咲夜(犬)にしゃべりかけてみよう。もしかしたら普通に会話できるかもしれないし。薄い望みに全てをたくし、目の前で不安そうにしている咲夜に呼びかける。
「……咲夜、なにがあったのかしら? 答えてちょうd「わん!」
やっぱり駄目だった。ちくしょう。しかも話しかけた途端に晴れ晴れとした笑顔に変わったし。めっちゃ尻尾振ってるし。目キラキラしてるし。やばい。色々とやばい。私の中の何かが変わりそう。いやむしろ自分から変えても――
「……はっ!」
ぎりぎりで正気を取り戻す。もうちょっとで何かを間違えるところだった、危ない。
とりあえずどうしようか。目の前の咲夜(犬)は尻尾をぶんぶん振っている。かわいい。
……せっかくの機会だし、ちょっと遊んでみようかな。減るもんじゃないし。
そうと決まればすぐ行動だ。犬と言ったらやっぱり――
「咲夜ー! 行くわよー!」
「わん!」
やっぱり犬と言えばボール遊びだろう。主人がボールを投げ犬がそれを取りに行く。単純だが、自分に対する犬の忠誠心がよくわかる、奥の深い遊びだ。
咲夜(犬)はというと、文字通り振り切れそうなぐらい尻尾を振り回しながら、いつものクールな咲夜ではまず見られない子供のような笑顔でこの遊びに興じていた。かわいい。よし、まだまだ時間はある。
たっぷりと楽しむことにしよう。
「……咲夜さん!?」
ボールを取りに行く咲夜をほわほわした気分で眺めていると、唐突に、部屋を揺らす程の大きな声が響いた。
声のしたほうへ振り向いてみると、そこには館で門番をしてくれている美鈴がいた。
「どうしたの、美鈴?」
「……」
とりあえずなにがあったのか聞いてみようと思ったのだが、無視されてしまった。しょうがない、無視できないように力づくで――
「咲夜さんとお嬢様にこんな趣味があったなんて……!」
へ?
「いやいや、いいんですよ? 世の中には色んな性癖をもった人たちがいるというのはわかってましたから! 別に犬耳と尻尾をつけられて、しかも今まで見せたことのない笑顔で投げられたボールを四足で取りに行く咲夜さんと、それをにやにや眺めるお嬢様を目撃したことくらい、どうってこと……どうって、こ……」
そこまで言い終え、震えだす美鈴。
確かに、ちょっと調子に乗りすぎていたのかも知れない。美鈴と反対の立場になってみると、自分がいかにぶっとんだ行動をしていたのかがわかる。にやにやしながらボールを投げる美鈴と、それを笑顔百パーセントで取りに行く咲夜(犬)を想像してみる。……なにか異常な性癖をもっていると思われても、しかたないだろう。
「美鈴、ごめんなさい……」
あいかわらず笑顔でおすわりしながら次のボールを今か今かと待っている咲夜(犬)はいったん置いておき、完全に変態になっていたことに気づかせてくれた美鈴にあやまる。……しかし、これも無視される。
愛想をつかされてしまったのだろうか。……まあ、しかたないだろう。もう一回、ちゃんと顔を見てあやまろうと美鈴の顔を覗き込む。多分泣いてるだろうなあ。
……いや、泣いていない。泣いてるというよりこれはむしろ……
「お嬢様! 私も混ぜてください!」
満面の笑顔でそう言われた。
返事の代わりに小さなため息を一つと、スペルカードを返してあげることにした。
廊下で真っ黒に日焼けしている美鈴を横目に、この事件の解決策を考える。
……人間を犬に変えるなんて、よっぽど高等な魔術かなにかでも使わなければ不可能だ。そして、時間が余って余ってしかたない暇人でなければ、こんな面倒で誰も得しないことは行わないだろう。
高等魔術が使え、すこぶる暇を持て余しているモノ……そんな都合のいい人物、存在するのか?考え、一瞬で答えが見つかる。
いるじゃないか。そういえば。
こんなにすぐに犯人の顔が思い浮かんでしまうとは、さすが私。いや……だいたいこんなことする暇人は一人しかいない。早速真偽を確かめに行こう。目指すはもちろんあの場所だ。
颯爽と大図書館に到着。もちろん咲夜と一緒に。しかし、さすが完璧で瀟洒なメイドだ。首輪なしでもきっちりついてきた。犬になっても忠誠心は変わらないようだ。これはこれで嬉しいのだが、なぜだか少し残念に思ってしまっている自分がいる。首輪、ちょっとつけてみたかったのに。
いらぬ雑念を振り払い、ある人物を探すことにする。といっても、咲夜(犬)にかかれば人探しなどお茶の子さいさいだろう。あいつのお気に入りである本の匂いを嗅がせて……
やっとみつかった。
やはり犬は鼻が効く。これは私の推理通りだったのだが、まさか能力を使って移動するとは思わなかった。おかげで一人取り残された私は、この無駄に広く薄暗い図書館の中をかけずりまわらなくてはいけなくなってしまった。しかし、犬になっても能力はつかえるのね。自分が犬にされたときのために覚えておこう。
さてと、目的を完遂させるとしよう。向こうの様子を見てみると、パチェと咲夜がじゃれていた。
「ちょっと、パチェ」
「あら、レミィ。どうしたの? なんで咲夜がこんなことになってるのかしら? ……レミィにもこんな趣味があったのね」
レミィに”も”?危うく突っ込みかけるが、長くなりそうなので流すことにする。
しかし、怪しさ百点満点の白々しい返答だ。……さっさと問い詰めてしまおう。
「白状しないとグングニルのサビにするわよ」
「話がわからないわ。落ち着いて、レミィ」
パチェならこの程度の魔術、少し準備すれば簡単におこなえるだろうし、なにより日ごろの行いがパチェが犯人だと物語っている。何度、パチェの実験という名の暇つぶしで紅魔館を半壊させられたことか。今回もどうせ暇つぶし目的でこんなわけのわからないことをしたのだろう。疑わない理由は無い。
「こんなことしそうなのはパチェしかいないの。白状してくれたら半殺しで許してあげるから、さっさと吐きなさい」
「なんでよ。覚えがない罪で半殺しになるのは嫌だわ。だいたい証拠でもあるの?」
「パチェの存在そのものが証拠よ」
「たしかに一理あるわね」
自覚してたのか。余計にたちが悪い。
「でもそれだけじゃ九里ほどたりないわ」
なに意味不明なことを言ってるんだ、この知識の魔女は。
「……タイムオーバーよ。なにか言い残したことは?」
これ以上話しても時間の無駄なので、スペルカードを取り出し発動させることにした。すると、先ほどから落ち着いた態度だったパチェが、よりいっそう落ち着き払った。こんどはなんだ?
「咲夜がこうなってしまったのは、誰のせいでもないわ」
「……じゃあ何故咲夜は犬に?」
そのまま打ち抜いてしまってもよかったのだが、そこまで聞き分けがない私ではない。とりあえず話を聞いてみることにする。
「一種の退行化ね」
「退行化?」
なんらかの理由により日に日に幼児のようになっていく、あの現象のことだろうか。何故いまそれを?
「退行化と言ったら幼児化が主だけど、それだけではないわ。中には咲夜のように動物になってしまうものもいる。そしてその主な理由は……ストレス」
「……咲夜が、ストレスを受けていたというの?」
意外だった。いつも優しく笑ってくれる咲夜が、ストレスを感じていたなんて。
「きっと咲夜自身も自分にストレスが溜まっていることに気づかなかったのでしょうね。それで自発的に発散することが出来ずに……」
「……」
なるほど、確かにそれなら合点がいくかもしれない。
「それに咲夜は誰からも頼りにされているじゃない? しかもあの子は常に自分の世話より他人の世話を優先的に行っていた。今までこうやって形になって現れなかったのが不思議なくらい、疲労は溜まっていたはずよ。」
「そうだったのね……」
言われてみればそうかもしれない。咲夜はいつも笑顔だった。少し考えれば、無理しているであろうことなんて赤子でもわかる。
思えば咲夜に甘えすぎていたのかもしれない。今日だって咲夜に起こされて目覚めたのだ。ティータイムの用意もさせようとしていた。
「……これからは少し態度を改めなければいけないわね」
もうこんな事があってはならない。反省し、変わっていかなければ。
「そうね。私も咲夜に負担をかけすぎていたかもしれないし、人のことは強く言えないけど。……まあ、がんばっていきましょう」
「ありがとう、パチェ。……ごめんなさい、犯人扱いなんてしてしまって」
「いいわよ、誤解もとけたみたいだし。咲夜も多分明日には戻ってるわ」
「……今日は本当にありがとうね。じゃあ、咲夜も待ちくたびれて寝ちゃったみたいだし、部屋に戻るわ。」
「ええ、わかったわ。それじゃあ、また」
にこやかに手を振ってくれるパチェに見送られ、咲夜を抱っこし自分の部屋に戻ることにする。
それにしても、いい親友をもった。怒られてもいいような事をしてしまったのに、気にせず笑いながら見送ってくれるだなんて。
……私も変わっていかねば。紅魔館の主として、みんなを守れる存在になろう。
がんばれば、いつかかならずこの願いも叶うだろう。
危なかった。こんなにも早く私のところに来るとは。やはり日ごろの行いが悪いのだろうか?……まあ、ひまだからしょうがない。
しかしレミィも馬鹿正直なんだから……あんな適当な話信じてしまうなんて。だいたいストレスで身長は急に縮まないだろう。
親友に嘘をつくのは心苦しかったが、ああしないと夜空に輝く六等星にされてただろうし、しょうがない。
……さっきから”しょうがない”ばかりだ。こんなだから真っ先にうたがわれてしまうのだろうか。……しょうがないけど。
しかし、咲夜には悪かったけどいいサンプルが取れた。このサンプルを使えば――
一週間後、猫になったレミリアとそれにじゃれつくフランの姿が紅魔館内で目撃されたが、それは別のお話。
笑わせていただきましたw