今日も私は一人、本に向かう。
私は目。そして手。自分が自分であるために必要な部位はそれだけ。
耳も鼻も口もいらない。聴覚も嗅覚も、発音能力などもっての外。何故ならば私は常に一人、この閉鎖された空間で本を読む。文章を書く。
物を見る瞳と文章を書くこの右手さえあれば、他には何も必要などないのだ。
――そんな私を人は「動かない大図書館」と呼ぶ。
「――ふぅ、疲れた」
黒と赤のコントラストに彩られた図書館に溜息が響く。見事なまでの独り言だったが、それを気にする私でもなく、それを気にする他人もいない。
完全なる孤独である、少なくとも現時点では。
私はこの孤独を何よりも愛する。本よりもか、と聞かれるとと悩むところではあるが本を読むこと、それは孤独であることと等価ではないだろうか。
もう一度言おう。私はこの孤独、そして静寂を愛している。
「……お茶でも飲もうかしら」
いつもならこちらが集中してる時に限って「お茶々ですよー」と能天気120%なアニメ声で邪魔が入り、私の書く細長い文字は強すぎる筆圧で歪むことになるのだが、今日に限ってあの小悪魔(空気←読めない)は姿も朝から姿も見せない。
「まぁおかげで写本もはかどっていいんだけどね」
一人とわかっているためだろう。本来必要のない言葉も気楽に発することができる。……別にボッチってわけじゃないんだからね。
誰にとも無く言い訳を唱えつつ、私は幻想郷中一、二を争う重い腰を持ち上げる。
「よっこいしょ……」
……ありえない。耳に届いたのはコバルト文庫も羨む文学少女たる私らしからぬババ臭い言葉。
バッ!バッ!と普段の動作からは想像もできない敏捷さで周りを見渡す。よし、よし、周辺に敵機なし。オールクリア。せん滅すべき目撃者がいないことを確認した私は律儀にももう一度腰を下ろし、再び禁断のワードを繰り返さないよう、立ち上がる。
危ないところだった。生誕百周年を超えた今、人間の常識からすれば遠くから聞こえた気がする幻聴のような言葉を吐いてもまったくおかしくはないのだろうが、それは私の矜持が許さない。許せない、許してたまるもんですか!見事に三段活用を使いこなしつつ、私は本の返還場所を探して通路へ目を向ける。
――――もしもし。
あれ、どこから持って来たかしらこの魔導書。必死に記憶の糸をたどる私。
――――はい、ワンスルー。
確かこの本を持って来たのが……うぅ……これが逆向性健忘症って奴かしら……
――――くっ、聞こえちゃいねえ。ねえ!そこのおばさん!?
……あ?いや落ち着け、何か聞こえたような……。私は怒りに任せてスペルカードをまさぐる手を休め、チラリと周りを確認する。この空間には先ほどまで私しかいなかったはず。
――――あ、ようやく聞こえたみたいだね。もう耳遠くなってんの?まぁ『よっこいしょ』っていうくらいだもんね。……クスス。
――ビキキィ!
病弱な文学少女からは最もかけ離れた効果音が主にこめかみあたりから発せられた、気もする。いや気のせいだろう。青筋とか立てられる血圧ないし、手にした本がミシリと音を立てるほどの握力もないはず。……どうやら私の愛する本の城に不届きな侵入者が入り込んでいるようだ。私を限りなく不快にさせる音声の発信元を探す。右だ!左よ!普段の私ならば見せることはないだろう速度で図書館を駆け抜ける。もちろん図書館を走るなんてマナーに反した行為は行わない、徒歩よ徒歩。
(……この辺から聞こえたような)
本棚の前に立ち、周囲に人の気配はないか確認していると
――ゴズン
「――――ッ」
そこに突如飛び出す重量感溢れる本、位置としては地面からおおよそ20㎝ほどの高さ――ー般的な体格の女子からするとちょうど脛の辺りだろう――。
「はうぅぅ……」
そしてステレオタイプなドジっ子のような悲鳴をあげる私。いたい、超いたい。突然の意味不明な痛みに半泣きで片足ケンケン。あぁ、何て無様。ギリギリ残った理性をかき集め、現状を把握しようと五体満足であった十秒前を振り返る。
なるほど、理屈はわかった。しかし納得できねええ。いきなり本が飛び出すとかどういう仕組みよ……サービスか、サービスのつもりなのか。
――――『はうぅぅ』って……その年で『はうぅぅ』って……
……おーけー、落ち着こう。目の前の本棚に正中線五段突きをかましても手が痛いだけだわ。冷静に声の出どころを探ることに集中する。しかしゆっくりと辺りを見渡し様子を窺っても、そこにあるのは相変わらず山のように積まれた物喋らぬ本のみ。ということは……
素早く身をひるがえした私は通路から本棚の裏側を覗きこむ。が、そこには先ほどと大して変わらない山積みの本が置かれているだけだった。
(……そんな……)
一体誰なの……するとまた私の目の前で再びあの神経を逆なでするくぐもった声が響いた。
――――いい加減気づいてよ……
「……ありえない……まさか、本棚が喋っているの?」
しかしその声は間違いなくみっちりと本の詰まった、目の前の本棚から聞こえてくる。一見普通の本棚……というかどこから見ても本棚、原材料は……ヒノキあたりか?
私も動かない引きこもりとか自宅警備員(主に図書館)とか言われて久しいが幻想郷内の一般常識は持ち合わせているつもりだ。その常識に照らし合わせると本棚というものは通常喋ったりはしない……よね?
――――イイネ……そのありえないようなものを見る目。そそるわー。
なんとただ根性ヒネただけでなく変態スキルも持ち合わせているマルチな本棚だった。……でも本棚がそそったところで一体どうなるのだろう。隣の本棚とまぐわって新しい小さな本棚でも生まれるというのか、ならば何と経済的な本棚だろうか。
――――ふぅ……いやよく考えたら……明るい子の方がタイプだしなぁ……浜辺でじくじくしてるカニ穴みたいな子はちょっと……
「誰が甲殻類の住処よ!……じゃなくて、本棚は普通喋らないわよ。それが何故いきなり意識を持って、しかも腐ったミカン以下の性格になってるの?」
――――腐ったもやしよりはマシだよね。
「腐ってねえよ。てかもやし言うな。いいから早く答えなさい、木材」
――――いやまぁそんなの聞かれてもねぇ。ていうかそんな態度じゃ知ってても教えたくないなぁ。紅魔館の、いや幻想郷有数の知識人を
自認してやまない君にも知らないことなどあったのかい?フフ……どうしても知りたいんだったら、ほら、ひざまずきなよ。そして乞うんだ。
『素敵な素敵な本棚様、アァ……美しくカンナがけされたすべすべのボディ、そして広辞苑でも大辞林でも収納可能な広く大きな収納スペース
をお持ちの本棚様、私のような下賎で、低俗で、極めて無知の輩にどうぞご理由をお教えください』ってね。
あぁ、嫌ならいいよ?嫌なら。知識人である君が知らないことを放置しておくってだけだもの。まぁ君が識者ってアイデンティティーなくしても先っちょが
折れたマッチ棒以下の存在になるだけだし問題ないよ、うん。
火符「アグニシャイン」発d……いやいや本日三回目の自戒、落ち着け私、ここで火付けなどしてみろ。私のこれまで集めてきた宝物たちまでもが犠牲になってしまう。それどころか紅魔館自体に火が広がることも考えられ、どこぞの新聞に「紅魔館で火事――その名にふさわしく赤く燃え上がる」などと一面記事で取り上げられたら笑い物どころの騒ぎじゃない。
とりあえずこの植物のなれの果ての処遇は後々考えるとしてだ、事実としてこの本棚は意識を持っている。それは認めざるを得ない。私がここを訪れたとき、物音ひとつしない無人の図書館だったのだし、依然周囲に人影は見えない。人的要因がない以上、この本棚は何らかの事情で意思を持ったとしか考えられない。
――――んじゃまぁこれからどうしようか。
「燃えればいいと思うけど……どうするというか、そもそも何を目的に存在しているの貴方」
――――目的か……。そうだな……
僕は君と――話がしたいかな、ゆっくりとね。
「……私には貴方と話す理由などないわ」
にべもなく断る私。まぁ今現時点で会話しちゃってるわけだが、いきなり不可思議な現象に出会ってしまったのだからしょうがない。本来会話なんて無駄なことする私ではないのだ。ましてやこんなファッキン本棚なんかと不可抗力以外で楽しくトーキング、なんてもっての外。
――――えー、あんだけコキ使っといてそんなこと言うんだー。
「コキ使うって……紅魔事変のこと?あなたは私の魔力にしたがって動いていただけでしょう。本棚風情が疲れるわけもないくせに何恩着せがましいことのたまってるんだガッ」
突然放出される無数の本たち。うちの一つ(背表紙には”レメゲトン”と書かれている)がマイヘッドにクリーンヒットしたりもするが私は全く意に介さない。ええ、全く。奥歯からはギリリ、と不快な音がしてるけどね。
――――ブーブー、鬼ー、あくまー。
「……うっとうしいわ」
――――そんなこと言わないでよ。君は僕がどれだけ君と話してみたかったか……今この瞬間をどれほど待ちわびていたか、わからないだろう?
イライラを募らせる私に日和ったか、いきなり声色変えてきたわね。まぁこの変化を一般的にとらえるならば……今までの気に食わない態度は好きな子に対する意地悪という奴?。……ありきたりすぎるかしら。しかしそう考えるとこれまでの不遜な態度にもそんなに熱くならずともいいかな、とも思えてしまう。私は心やさしき文学少女なのだ。
――――そう、僕らはロミオとジュリエット。僕は触れることのできないまま、ずっと君を見てきたんだ……君のことなら何でも知ってるんだよ。
まったく……最初からこういう態度をとっていればもう少しこっちもやさしく
――――そう、例えば……そうだね、こぼしたヨダレを吹かずに本を閉じたこと。あの時の君は、ああ、そうそう、うろたえていたんだ。
『はっ、ここはどこ? 私は誰? ってうわやべえティッシュ、ティッシュ……な、無い』、こんな風にね……フフ。
引火してあげるのに……一瞬描きかけた善良本棚説をそっと心のゴミ箱で完全削除。ていうか見られていたとは……ま、まぁいいわ。これも子供の戯言よ。更に私の気を惹きたいんでしょうけど残念ね、言葉なんかじゃ紅魔館の大図書館は動じないわ。
――――あとはねぇ……難しそうな魔導書見てるフリして裏で違うの読んでるよね。この前はなんだったっけ……そうそう『胸が大きくなるh』
「い、いやああぁぁぁぁ!」
ごめん嘘。無理。死ねる。いやむしろ殺して。
――――胸なんて飾りですよ?
「うるさいわあぁぁ!」
更に追加される燃料に、羞恥心よりも怒りが若干上回る。うぅ……でもまだ死にたい。
――――穴があったら入りたい、という感じだね。フフフ、いいんだよ? 僕のスキマに入っても……見てごらん、ソロモンの鍵とネクロノミコンの間に丁度良い
スペースが……
ようは燃え広がらなければいいわけよね、と私は冷静なのかそうじゃないのか定かでない考えに従い、どこからともなくノコギリを取り出す。本棚の中心部にあてがい、狂気のともなった笑顔とともにさぁ引く、今引くぞといった瞬間に飛び出す絵本(中身の話でなく)。今度は的確に人中にヒット。ノコギリなど放り投げ、のたうち回るのもしょうがないわよね。
ようやく鼻の下のジンジンする痛みも引き、発言可能になった私は本棚に向かう。
「わかった……大いに馬鹿にされているのだけはよーくわかったわ……それで貴方は私を辱めて一体何が楽しいっていうの?
ヨダレを垂らした本の復讐のつもり?」
先ほどの痛みの名残か、うっすらと涙を浮かべて静かに私は問いただす。冷静さを取り戻したように見えるが怒りを忘れたわけではない。決してない。だって我慢の限界ならばもうそこまで来ている。
――――いや、そうじゃないよ。本当に僕は君と話したかっただけ。
「話したい……そんなことだけのために私はここまで精神的ダメージを負わされたの……」
――――もちろん。
「はぁ……」
二つ返事だよこのヒノキ科ヒノキ属(推測)の針葉樹。
「もういいわ。貴方と話しても無駄どころか損害しか被らない」
――――そんなことないさ。ほら、君の心にはいつの間にか美しい花が。
「ない」
――――会話って心のオアシスだよね。
「黙りなさい」
――――喋らない本棚は、ただの本棚さ。
「……」
――――あぁ! とうとうシカトしだしたね。ひどいなぁ。
そんなことされると傷つくね。胸が痛むよ……そうそう、胸といえばね、バストアップにはキャベツがいいらし、
「黙れつってんのよこの木材! ほとんどが植物の死んだ細胞のくせに!湿気に弱くたわみやすいくせに! 材木中のセルロースをシロアリに狙わやすいくせに! 板目に沿ってに避けるくせに!」
ハァハァと肩で息をして一気に捲し立てる。限界だった。うっすらにじんでいた涙はもはやポロポロと流れ落ちそうなほど膨らんでいる。臨界点を超えたエンジンのように加熱する思考、その一方で私はおかしなくらい冷静に考えていた。何故? 何故こんなにもイライラしている? いや、そりゃこの本棚はこの上ない罵詈雑言を並べ立てているわけだけど……いつもの私ならスルーしているところじゃないだろうか。
――――そんな木材の豆知識披露されても……
「う、うるさいっていってるでしょう……!大体ね、私と会話が目的? バカバカしい。私は会話なんて大嫌いなの。それをましてや本棚と? 冗談はよして!」
――――嫌い嫌い、とさっきから言っているけどどうして会話が嫌いなの?動機無き感情はただの欺瞞じゃない?
「無意味だからよ。意思疎通のツールでしかないくせに、伝えたいことが伝わらなかったり、一方的に湾曲して伝わったり……非効率な上にそれ自体は生命活動に何の影響も及ぼさない、これが無意味じゃなくて何が無意味っていうの!?」
――――……そんなことはない。ほんのいくつの例から無意味だなんて断定すべきじゃないよ。
「無意味よ!少なくともここでは!こんな閉鎖された薄暗い本しかない場所で会話する機会なんてそうそうあると思う?さらに言えばそこにいるのは年がら年中本しか読まない陰気な魔法使い、話したって何も楽しいことなんてないわ……だからここでは会話なんて言葉は意味を持たない、不必要なものなの……」
もはや怒りを通り越し、激昂といえるほどの剣幕は長続きせず、これまでにないほど張りつめた私の心は途端に冷静さを取り戻していった。
――――そんなこと……ありません。
心なしかやさしさを帯びた声。それはさきほどからの激辛コメントを述べていた人物(木材だが)と同一とは思えないほどだ。ふわりとした袖の部分で私は涙をぬぐう。
「あんたに……何がわかるのよ」
例え今まで私のことを見続けてきたと言ってもそれは外面だ。外見の何倍も、何十倍も大きな私の精神世界を理解した、ということなどありえない。
――――ずっと、見てきましたし。ずっと考えてきたんです。貴方のことだけを……
「……?」
おかしなことを言う。そりゃあこの本棚もいつ持ち込まれたかさっぱりわからないくらい図書館になじんでいるのだから、それなりの時間、私を見続けたのだろう。しかしだからといって何か得たものはあったのだろうか。
――――何でもないような顔をして本を読む貴方。時たま手を休め、紅茶をおいしそうに飲む貴方。大きな本を読んでいる、と見せかけて
子供向けの絵本を優しい目で読む貴方。たまに来るレミリア様と楽しげに、本当に楽しげに談笑して……帰った後、どこか寂しげな貴方……
色んな貴方をずっと見てきたんですよ?
「……」
――――先ほどから私と会話しててどうでした?そこには苛立ちしかありませんでしたか?
あれだけ人を罵倒しておいてまぁぬけぬけと……と思わないでもなかったが、本棚と話している間、私は確かにこれまでにないほど饒舌だった。そして苛立ちこそしたが、何も考えずに思いのままを言葉にするということは……楽しかったのだろう。言葉の数がそれを表している。
――――会話が嫌いだなんて、無意味だなんて言わないでください……嘘なんて付かないでください! 貴方はいつも会話を楽しんでいた
……そうですよね?そしてそれは貴方の話し相手も同様です!貴方は気付かれないんですか?深い教養を持ちながら
決して我を通すことのない自分に。そんな人と話してて楽しくないわけないでしょう?現に私だって……
「もういいわ……」
――――よくありません!パチュリー様は自分を卑下なさりすぎです!
「うん、わかったわ。ありがとう、小悪魔……」
「……あ……」
3分前ほどの私と同じくらいか、もしくは凌ぐほどの涙を撒き散らしているだろう、かわいらしくも迂闊な使い魔は自らの失策にも気付かないほど興奮していたらしい。
「……あ、あの、すみません。これはですね、本棚の中でお昼寝してたら隙間からパチュリー様が見えて……」
「いいのよ、もう。貴方の言いたいことはわかったし……私も隠れてたことを吐き出せてすっきりしたもの」
「とんだご無礼を……」
「ううん、本当にいいの。それよりも、ありがとうね」
「……そんな」
私は先ほども述べた感謝の意をまた繰り返す。実際にそこまで気分は悪くない。むしろ良好だ。変化という変化は感じていないが、奇妙な本棚に与えられた暖かく不思議な何かは今も実感できる。おあ、本棚の時より無口だなこいつとか思ったら何かだばーって勢いで泣いてるし。
「ばちゅりーざまぁ……」
「やれやれ……」
しゃくり上げながら、かけよる小悪魔。素っ気ないイメージが先行しがちな私だが、使い魔にここまで思われて悪い気がするほど冷淡ではない。自然と表情はやわらかになり、しがみ付く小さな小悪魔をやさしく包み込む。
「私も嘘ばかり並べてたわ……今度からはもっと素直になる」
「そう、ですよ……もし……誰かと話がしたいなら……私に言ってください……いくらでも話相手になりますから……」
「うん、わかった。今度からはそうするわ……」
私はより強く抱きしめる、このやさしく、それ故に愛おしい小悪魔を。そして呟く。
――――被疑者確保、と。
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ガチャリ、キィィ――
図書館唯一の出入口が音を立てて開き、薄暗かった室内に一筋の光が伸びる。
(あぁ、もう。せっかく興が乗ってきたところなのに……)
舌打ちさえ聞こえてきそうな表情も客の正体がわかると途端に変わる。そりゃあそうよ。訪れたのは紅魔館の主であり、私の友人であるレミリア・スカーレットだった。
「どうしたの?レミィ。今日はお茶の約束があったかしら」
「いえ、そうじゃないわ……ただ、いつも無音のあなたの書斎から楽しげな声が聞こえてきたものだから、ね」
先ほどまでの楽しい会話が外まで聞こえていたのかしら。やはり人間興奮すると周りが見えなくなるというのは本当みたいね。まぁ人間じゃないけど。
「やだわ……恥ずかしい。ちなみにどういった声が聞こえてきたの?」
「『この自堕落小悪魔め!いつまで【小】なんて修飾語つけてるつもりよ!もうン十年生きてきてるくせに!』とか『ヒィィ、そこには触れないでくださいぃ』とか『とんだ雌豚ね!どうせ小悪魔って名前で○○して×××なんでしょう?この△△△△△め!』ってな感じのとても興をそそる会話かしら」
うわぁ……図書館の中……とても耽美ナリィ……と、どこからともなくナレーションが入りそうな状況ではあるがまぁこれぐらいならCEROも通るだろうしきっと大丈夫。ちなみに先ほどまでこれまでに見たこともない表情で何かと反論していた小悪魔はレミィが入ってきたことで緊張の糸が切れたのか、上記の会話が外に漏れていたという事実が原因なのかは知らないが、顔から絨毯に突っ伏して悶絶していた。
「あら……まだ休憩は与えたつもりはないんだけど……まだ貴方が隠れて読んでいた『現役肉屋に聞く、二の腕の肉はこう落とせ!』の話が残っているわ。」
――ビクン、ビクン
突っ伏した小悪魔の身体が震える。その震えが小刻みになり、やがて静まってから私は得体のしれない高揚感につつまれながらつぶやく。
「――――カ・イ・カ・ン」
「……仲がよいのね、羨ましいわ。
ね、ねえパチェ?できればでいいのだけれど……今度私のことも……その、今小悪魔にしたみたいに醜く罵ってもらえないかしら」
非常に熱のこもった目で私を見つめるレミィ。若干ではあるが呼吸も乱れつつある。言葉の中にも罵るとか不穏当な発言が聞き取れた気もするが、ササッと目をそらしここは華麗にスルー。会話技術上達の第一歩は空気を読むことから始まるのだ。
「その話は置いといて……せっかく来てくれたんだしお茶にでもしましょう?小悪魔、痙攣してないで準備をお願い。あぁ、貴方も一緒にどう?」
最初は泣き喚いていたが、楽しく会話するうちに何故か恍惚の表情すら見せ始めていた小悪魔。今もまだ悶絶しているように見えたがさすが長年無精な私に使えてきただけあって、公私の切り替えは素早かった。すぐさま立ち上がり紅茶を用意する。ちなみにレミィは『放置ね……ウフフ』といいながら満足気だ。
「それにしてもパチェ、貴方随分楽しそうだったわね。そういう趣味があったのなら私のことも早く嬲っ……私にも早く教えてほしかったわ」
「いいえ、それが昨日まで会話なんて大して意味のあるものだとは考えていなかったわ」
「あら、酷いことを言うわね。もっと言ってほしいものだわ……じゃなくて私たちの今までの会話も含まれるの?」
「ううん、そんなことはないのだけれど……とにかく会話自体に苦手意識を持っていたのは事実ね」
不思議である。昨日までの私ならばこのようなことは決して認めなかっただろう。恥である、とか考え、人知れず心のうちに留めていたに違いない。
「……ある人から会話の大事さ、ってのを教えてもらったのよ」
「ふぅん、それはいいことね。どのように教えてもらったかを是非詳しく聞きたいわ」
紅い悪魔の名前通りか、目までが血走って赤いレミィ。興奮しているように見える。いやきっと違うだろう。風邪か何かで体調が悪いだけだ。
「フフ、それは秘密……」
言えるわけねぇ。ミステリアスぶっては見たものの右頬に光る汗は止めようもない、が、充血した目に加え鼻息までも荒くなってきたレミィがそんな瑣末な事柄に気付くはずもない。
「まぁ、これから誠心誠意を尽くして、お礼していくつもりなんだけどね」
怪しく光る左目で人知れず(レミィはヨダレを垂らしつつ、明後日の方向を見て何か考えている様子だ)小悪魔にウインクする私。ワケがわからない様子で首をひねる小悪魔。この反応……まったく成長していない……
「さ、どうぞ~」
お気楽な様子で紅茶を二人分出してくる。喉元すぎれば何とやら……という奴である。なかなかに強かな小悪魔だが、まぁ今日はこの辺にしておこう。ここ数年で一番の恥辱を受けたことは確かだが、同時に大切なことに気付かされたのも事実である。
「あ、パチュリー様。ミルクはどうされます?」
「いただこうかしら。レミィはどう?」
振り返ると既にレミィの紅茶には鼻から滴る真っ赤な血が投下されている。ミルクと血を混ぜ合わせる……というのもぞっとしない話だ。不要だろう。
「じゃあ私も頂いちゃいますね」
「貴方と一緒にお茶を飲む、なんて随分と久しぶりね」
私は手元のミルクを紅茶に落とす。絹を思わせる白い糸は紅茶に触れた途端、形をゆがませる。マーブル状に広がり、混ざるミルクを静かに眺める。
「パチュリー様」
声につられて正面を見ると、小悪魔がえへへ……と笑いながらこちらを眺め、カップを差し出している。
「あまり上品な作法とは言えないわね……」
と言いつつも私もカップを差し出す。二つのカップはぶつかり、カチン、と涼やかな音を立てた。
――楽しいお茶会はこれからである。
カーテンで閉ざされた時間間隔のない部屋。今日も私は一人、本に向かう。
私は目。そして手。本を読み、綴る際に必要とする二つの部位はそれだけ。
耳も鼻も口もあまり使わない。でもこれらは必要なもの。人の話は聞きたいし、紅茶のよい香りも嗅ぎたい、そして私は喋りたい。
何故ならば私は常に一人、この閉鎖された空間で本を読む。文章を書く。そのような生活での友人との会話とは――そう、紅茶におけるミルクのようなもの。
単調になりがちな人生におけるひとつのアクセントなのだ。
――そんな私を人は「動かない大図書館」と呼ぶ
(了)
誤字報告
招待→正体ですかね。
お嬢様少し自重しろwww
分かります。
小悪魔の悪戯が発覚し、パチュリーが報復する。これだけならば最初の独白と相まって…静かな図書館で陰うつに暮らすサドっ気のある魔女…という印象を残しお茶目な小悪魔に注意を持っていかれるだけの話だった。
しかしそこに登場するお嬢様。
見事なカリスマブレイクで読者のハートをがっちり掴み前半の相関図をもブレイク!
そんな中、パチュリーの方が一枚上手で、オチであるお茶会へと繋げていく。これにより、最後のパチュリーの独白に…実は世界は彼女を中心にまわっている!…なニュアンスを自然かつ最大限に付加している。
これは、メイン人物であるパチュリーの魅力を引き出す役としても、構成としても、まさに神の一手なのだ!
メタな長文失礼。
要するに、この構成は盗ませてもらいます(^q^)
ここが「パチュリーざまぁwwww」の意味に見えた。
いい話かと思ったらお嬢様wwww