「あーやだやだ、真っ白なんてつまんない!」
紅魔館の一日はレミリアのワガママで始まり、レミリアの尻ぬぐいに終わる。それが、紅魔館の日常。
硝子一枚を隔てた、穢れ無き一面の雪景色。真冬の儚い黄昏を受けて、微かに綺羅綺羅しく、淡く輝く光景は一幅の絵画の様。が、冬にありがちなその光景は、生憎紅魔館の主のお気には召さなかったらしかった。火をくべた暖炉の前でぬくぬくと熱を貪り、無垢の雪原と同じくらい白い陶製のティーカップを血の如き紅茶で充たしながら、紅魔館の主人、レミリア・スカーレットは苛立たしげに呟いた。
「この紅魔館においては」レミリアは語気を強める。「紅こそが最高の色でなければならないの。白に埋もれる紅など許されてはならないのよ、解って?」
「はい、お嬢様」傍らにはメイド長が慎ましく定位置を占めている。カップに残された紅茶の分量を目視し、適度な量まで素速く――時間を止めて、継ぎ足す。「ここ数日は雪女が大寒波に乗って大暴れしているようですわ。昼過ぎに去っていきましたので、先程妖精メイド達に雪かきを命じたところです、ほら」
どそっ。
レミリアが窓に目を転じると、不定期な鈍い音に混じって、窓の外を白い塊が通り過ぎるのが見える。断続的な乾いた音はどこか心地よい響きをもたらしてくれる。そつのない従者の心配りに、主は御機嫌を若干取り戻したように見えた。
「……ま、当然ね。でもね、咲夜。私が言いたいのはそういう事ではないわ」
「と、仰いますと」瀟洒な従者は、主の意図を測りかねて僅かに首を傾げた。
「つまりね、肝腎なのは、攻撃こそが最高の防御という事なのよ。白を取り除くという対処は間違ってはいないけれど、策としては消極的だわ。白を圧倒する紅こそが、私が必要とする物。咲夜、門番を呼んできなさい」
は、と意味は解らぬ侭、咲夜は定位置から姿を消した。
暖かすぎるなぁ。
メイド長に連れられ居間に立ち入った時の、美鈴の第一印象である。
そう言えば夏は夏で暑い暑いとぐったりしていたし、吸血種というものは暑さ寒さには弱い生き物なのかも知れない。
「美鈴、ぼーっとしてないで。お嬢様のお呼びよ」
益体もない思考をぼんやり弄んでいると、メイド長に背中を軽く小突かれる。美鈴は慌てて、主の前に進み出る。
「お嬢様、どの様な御用でしょうか」
「庭の薔薇を咲かせて欲しいのよ、今すぐ」
「は?」
「白い雪に紅い薔薇、柔肌に浮かぶ鮮血の如き光景は、さぞかし美しいでしょうね」レミリアは陶然の面持ちで言葉を紡ぐ。「紅魔館の庭を侵食する不逞の輩に紅魔の威信を知らしめる為、庭中の薔薇を今すぐ咲かせなさい。これは命令よ」
紅魔の主は威厳たっぷりに翼を翻した。
決まった。
ポーズを決めつつ、レミリアは内心ほくそ笑んだ。
「出来ません」
レミリアの手から陶磁のカップが落ちた。メイド長は時間を止めるのを忘れて、カップが絨毯の上で血色をぶちまけるのをわけもなく見つめていた。
場に控えていたメイド達の体感気温がマイナス10度を超えた。変わらないのは門番唯独りであった。
「ちょ、ちょっと、美鈴貴女!」
「確かに」美鈴は噛んで言い含める様に小さく頷く。「私の能力をもってすれば、今すぐとは行かないにせよ明日には紅魔館中の薔薇が大輪を花開かせましょう。しかしこの紅美鈴、例えお嬢様のご命令といえども、道理の通らぬ御命令には承諾致しかねます」
丁寧だが、故に明確で強固な拒絶であった。
「こ、この私の命令でも聞けないというの?」
拒絶など想定の埒外だったのだろう、思わぬ反旗に、レミリアは戦慄き、怒りを叩き付ける。
「申し訳御座いません、こればかりは……」
レミリアの手がティーポットを掴んで、投げた。ティーポットは過たず、門番の頭の上で砕け散った。
「この役立たず、カカシ!」レミリア・スカーレットは泣かんばかりに地団駄を踏んだ。レミリアの足下でティーカップが砕ける。「白黒も紅白も薬屋も素通りさせてる癖に、花も咲かせられないのかこの無能門番が! 出て行け! 出てけったら!」
「申し訳御座いません」美鈴が頭を下げると、白い破片が、続いて透明な、そして濁った紅い雫が、遅れて絨毯の上に零れ落ちる。美鈴はそのまま、居間から静かに退出する。
気遣う眼差しを投げるメイド長の袖を、レミリアが引っ張った。
「咲夜、貴女が何とかしなさい」
そう来たか。
覚悟はしていたが、若干面倒な事になった、と顔には出さずに咲夜は思考を巡らす。咲夜の能力をもってすれば薔薇の一輪や二輪は朝飯前だった。が、紅魔館中の薔薇を一度に咲かせる等という芸当は、咲夜とて如何ともし難い。
さて、どうする?
美鈴を説得して、お嬢様の許しを戴くか?
咲夜の視覚に、紅い薔薇が飛び込んだ。否、先程からずっと居座り続けていたのに、あまりにも当たり前に存在していたが故に、背景に溶け込み切ってその存在を暫し、忘れていたのだった。
何とか、なりそうだわ。
「何とか致しますわ、お嬢様」
居間中の欠片と紅茶と血の痕を供に、咲夜は姿を消した。
「あら、ここだけは一年中夏なのかと思ってたわ」
タイツにブーツ、コートにマフラーの重装備で太陽の丘に降り立った咲夜が見たのは、一面の平らにならされた元・向日葵畑であった。鋤でよく手入れされた畑はしかし、一面雪に覆われ、ただの一本も、すっくと立ち上がって太陽の光を待ち焦がれるあの雄姿を見せてくれる向日葵はない。勿論、お目当ての妖怪もまた、姿を見せていない。咲夜は小さく肩を竦めた。
「冬季休業って看板でも立ててくれないとね」
幸い、咲夜には心当たりがあったので、冬季休業中の向日葵畑を後にするのに何の未練もなかった。
咲夜が向かったのは幻想郷と顕界の狭間に位置する幻夢界の更に奥、紅魔館にも比せられる巨大洋館・夢幻館である。ここでも咲夜は唯一本の向日葵だに見付ける事はかなわなかった。らしいものといえばただ、常緑樹が視線を遮断するべく敷地の周りを取り巻いているだけである。門番のエリーが冬季装備でうとうと、船を漕いでいるのを見て、門番という人種はどこの世界も似たような生き物と相場が決まっているようだ、と咲夜は理解した。
「ちょっと?」
脇を擦り抜けようか、それとも起こすか。刹那の逡巡はあっさり看過され、足下に音もなく伸びた鎌によって遮られる。あまり手入れされている様子はない。
「勝手に通り抜けないで貰えるかしら」
「通り抜け自由なのかと思って」
「玄関は閉まっていたでしょ」
「そうだったかしら。飛び越えたから見えませんでしたわ」
「門は飛び越える為にある物じゃないのよ」
「ぶち破る為だったかしら」
あくまでも瀟洒に、にこやかに返す。エリーも負けじと笑顔で迫るが、目が笑ってないのでとても怖かった。メイド長以外には。
「何よ、騒々しい」
すわ、弾幕ごっこへ移行か、と思われた二人のニコニコ睨めっこは唐突に終わりを告げた。パジャマ姿の乙女な幽香が、寝ぼけ姿で立っていた。
「呆れた、お客様の前にパジャマ姿で現れるホストがどこの世にいるのかしら」
「門を飛び越えておいてゲストを自称する泥棒はここにいるわ」わ、の発音が、欠伸混じりのおかげで、ふぁ、に近い音になっている。本当に寝起きだったらしく、ただでさえ緩く撥ねている癖毛が、今日は特別フルコースってな具合であっちゃこっちゃに飛び跳ねまくっている。目許をこしこし擦る様子はどこかお嬢様の仕草を想起させて、咲夜はちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、幽香を可愛いと思わなくもなかった。「で、何の用ぉ」
「貴女にお願いがあるの」
「だが断る」前言撤回。やはり可愛くなかった。
「最後まで聞きなさいよ」
「どうせ聞いたって断るに決まってるでしょ」幽香は枕をぎゅっと抱く。「こんな非常識な時間に非常識な方法で人の屋敷に侵入して、非常識な理屈をこねる奴のお願いなんて、どうせ非常識に決まってるんだから!」
抱き締めた枕が不意に宙を舞って、極太レーザーの消し炭と化した。
しかし幻想郷の理は常識に囚われた者に敗北をもたらす仕組みになっていた。メイド長の瀟洒なナイフ裁きとチート級の時間制御能力の前に寝不足の幽香は地を舐め、敗北を喫した。シルクのパジャマも、翠なす黒髪ならぬ緑髪のゆるふわ愛され天然パーマも、鋤きたてほやほやの畑にダイヴした衝撃で泥に塗れていた。
「ふ……この幽香様が非常識の権化如きに、地を舐めるとは……」
いやいや、非常識なのはアンタだから。と非常識の権化は自分の非常識を棚に上げる。幽香は呆れつつも、よろよろと起き上がり緩慢な仕草で泥を払い除けた。
「解ったわよ、アンタの下らない用件とやらを聞いてやろうじゃないの……」
「そこ、欠伸しながら言わない」咲夜は拾ったナイフを丁寧に拭う。「うちのお嬢様が、紅魔館の薔薇を咲かせて雪の白に対抗したいと仰るのよ。貴女の力ならちょちょいのちょいでしょ?」
「そんな事だと思ったわ」幽香は頭に付いた泥土を、首を振るって払い除けた。「吸血鬼の僕になるような非常識人間のお願いが非常識じゃない訳がないのよ。……解った。待ってなさい」
エリーに押されて、如何にも億劫そうに夢幻館の奥へ消える幽香を見届け、咲夜は漸く安堵の溜め息を吐いた。
その日、紅魔館は一面の紅に覆われた。
この世の春を集めたかと見まごう朱、紅、茜。雪の白が赫を引き立て、優しく甘く、蠱惑的な薫りが華やかに屋敷を彩った。
レミリア嬢は殊の外御満悦の様子、足が地に着かぬ勢いで庭中を飛んで跳ね回り、挙げ句には庭師も門番も咲夜が勤めればいいわ、無能な門番よりメイド長の方が何倍も役に立つ、などと吹聴して回る始末。それでは仕事が増えすぎて手が回らなくなってしまいます、などと返され、流石は咲夜、謙虚で瀟洒で完璧なんて、と褒めちぎる。
今宵はパーティをしましょう、とはしゃぐレミリアを尻目に、当の奇跡の主役・風見幽香は欠伸を一つ。パーティなんて真っ平御免とばかりにエリーを引き連れて紅魔館を後にする。エリーはパーティに未練たらたらの様子だったが、幽香が軽く脇を小突くとへいへい、と幽香の後を付いていった。
門前を通り過ぎるかと思われた幽香が、ふと門番の前で足を止めた。
「アンタも大変ね」
「申し訳有りません、お嬢様のワガママにお付き合いさせてしまって……」
「いーのよ」幽香は肩を竦めた。「貴女こそ後始末ご苦労様」
幽香はひらひらと手を振って去り、門番も小さく頭を下げた。
蔓薔薇で真っ赤に染まったテラスからの雪景色は、何時にも増して格別だ。今日は北国の作法に則って、ジャムを舐りながらのティータイムと洒落込んでみた。ジャムは勿論薔薇製で、ほんのりと柔らかい甘みが口に広がるこの感じが典雅で、この屋敷には相応しいとレミリアは思う。
隣でパチュリーが、如何にも無関心且つ投げやりに茶を啜った。パチュリーはスプーンにジャムを付けるとくちゃくちゃと汚らしい音を立ててカップを掻き混ぜ、ずぞぞ、と控え目ながらも嫌みったらしくテーブルマナーを蹂躙する。
「パチェが最初に言ったんじゃない。露西亜じゃジャムを舐め舐めお茶を飲むって」
「熱いと舌を焼けどするじゃない」話している間も茶を飲む間も、パチュリーの視線は一心不乱に手許の分厚い紙束に注がれ、冬にも咲き誇る真紅は未だ一顧だにされる様子がない。
「ねえパチェ」レミリアは気付いて欲しくて、寧ろ誉めて欲しくて親友のローブを引っ張る。「ねえ、観て? 私の庭。素晴らしいじゃない?」
パチュリーはしばらく本に熱中しているフリをして友人を無視していたが、やがて、渋々顔を上げ
「ホントくだらない事思い付くわねぇ、レミィには呆れるわ」
と一言、此又親友に一瞥すら投げかけずに、再び二次元の世界に没入する。
「パチェ、アンタも少しは活字から離れるべきじゃない? こんなに美しく花が咲き誇っているというのに」
無邪気な親友の顔を、パチュリー・ノーレッジは此処で初めてまじまじと見つめた。見つめて、パタンと本を閉じると
「寒いから入るわね」と言い捨てて奥へと引っ込んでしまった。
「まったく……だから鬼にあれこれつけ込まれるんでしょうに」レミリアはあからさまな不機嫌を押し隠そうとはしなかった。カップの中の冷め切ったジャム入り紅茶を代わりに、啜る。「ほら、やっぱり美味しくない。冷たいし」
「何がお気に召さなかったんでしょうね?」
レミリアのカップに新しい紅茶を注ぎ入れ、咲夜は呟く。白い息が、湯気が零れてはいるけれども、足下を調理と暖房の機能を兼ね備えた薪ストーブが温めているので見た目程寒くはない。レミリアが望めば、その場で軽食を出す事だって朝飯前だ。
「こんなに綺麗なのにね。来年もこうしましょうね」
真冬に外で、美しい薔薇を引き立てる雪を眺めながら温かい紅茶を飲むなんて、こんな素晴らしい贅沢を味わわないなんて!
レミリアは束の間の至福を、華やかな紅茶の薫りと共に味わった。
2週間程で薔薇は真冬の諸力に圧倒されて呆気なく散った。レミリアは今度こそあの雪女に目にもの見せてくれると喚いたが、また来年があると宥められて漸く御機嫌を取り戻した。この調子だと紅魔館から冬を追い払えなどと言い出しかねない。
花が散ってからの紅魔館はいつもの紅魔館だった。レミリアは相変わらず窓の外を眺めて不平を零し、門番と妖精メイドは雪かきをする。その雪も徐々に占めていた面積を減らし、やがてすっかり面影が奪い去られたころに、アレは来た。まだ春風と言うには肌寒いそれに乗って。
「なんぬぁの? ほれ」
メイド長が鼻を摘みながらぼやいた。そは、まごう事なき肥やしのかほり。妖精メイドどもは臭い臭いとキャーキャー煩くて仕事にならない。紅魔館は人里からは遠いから、里の人間が買っている家畜の臭いとも思われなかった。
欠伸など零しつつ門の前でのんびりしていた門番が、不意に立ち上がった。衣服についた砂埃を払い落としていると、何やら遠くから微かな匂いに混じって、牛の鳴き声やら足音やら車輪が軋む音やらが、のったりのったり近付いて来る。美鈴がいそいそと鉄の門を開けると、道の向こうから牛車を引く牛の背中に跨った少女が、鼻歌歌いながら紅魔館に向かって歩を進めて来た。
「穣子様! ようこそいらっしゃいました」
門番は恭しく牛に跨った少女を招き入れる。少女は門番に軽く手を差し上げると、牛の尻を軽く叩いて促した。牛はモオ、と気の抜けた鳴き声を返して、のそのそと紅魔館の門を潜る。
「ちょっと待ちなさい」
門番の代わりも果たします、とばかりに、メイド長が立ちはだかっていた。
牛はくんくん匂いを嗅ぎ、ついでにべろっと顔も舐めた。メイド長は苦い顔をした。
「とにかく、こんな臭いものをお屋敷には入れられません!」メイド長はいそいそと、懐からハンケチを出して顔を拭った。まだ臭い。「大体、何よこれ。さっきから臭ってたのはこれが原因なの?」
牛の上で裸足の足をぶらぶらさせていた少女は目を瞬かせる。「帰って良いなら帰るけど」
「いや、それは困ります。是非とも」
「ちょっと美鈴、何言ってんのよアンタ」
「いやだって咲夜さん、私がお呼びしたんですよ?」
「はぁ? どういう事よ。とにかく」
「ねえ、あんた達どうでもいいけど」言い争う二人に割り込んで、牛の上の少女が身を乗り出した。「要るの、要らないの? どっちなの?」
二人は牛少女に向き直った。
「お入れしなさい」
鶴の一声を発したのは、門番でもメイド長でもなかった。ヴェランダの上で本に釘付けの、七曜の魔女であった。
「パチュリー様、不躾ながら申し上げますが」メイド長は首を傾げる。「お嬢様がお怒りになられますよ」
「レミィは自業自得だからいいのよ」パチュリーはことも無げに返した。
「じゃあ、御邪魔するわね」牛少女はぺちぺちと牛のお尻を叩いた。牛はモウと鳴いて、晴れて紅魔館の賓客として迎え入れられた。
「どういう事です」
メイド長の詰問に、七曜の魔女は手許の本を放って寄越した。メイド長が受け取ると本は独りでにめくれてあるページを指す。
「薔薇の……肥料?」
「薔薇は肥料食いなんです」後を続けたのは美鈴だった。「冬のうちに、芽吹いて花開くのに使う栄養を使い果たしてしまったから、このままだと5月になっても花は付かないんです。ただでさえバラは肥料食いなんですよ。漸く寒肥が終わったばかりなのに、お嬢様が無茶を仰るから……花が咲き終わった後のお礼肥も上げなければいけないし、やり過ぎても良くないし、今年は花を諦めて戴く、って訳にもいかないでしょう?」
「穣子様特製ブレンドの牛糞と草木灰、骨粉に米ぬかをよーくブレンドした逸品よ! よおく発酵させてあるから、ちょっと匂うけど花には優しいわよ」穣子、と名乗った少女は胸を張る。
「本当に無理を申し上げてすみませんでした。わざわざいらして戴いたというのに」
「話してなかったの? しょうがないわね~、でも良いわ」穣子はひょいと牛から降りて、手綱を引く。牛車には桶いっぱいの肥料がほんわか、春の温もりを放っている。「今回は特別におまけして、ちょちょいのちょいっと、こんなもんかしら」
穣子から差し出されたそろばんを見て、咲夜は仰天した。
「ちょっと、この糞尿でお金取るの?」
何言ってんのこの子、という目で、二人は咲夜を凝視した。咲夜は何も言えなかった。
言えない中でも何かを言わねばならぬ。言いたい事は山程あったが、結局咲夜がどうにかこうにか絞り出せたのは「今まではどうしてたのよ」という一言くらいであった。
「少しずつ分けて与えて、臭いが気にならない様にしてたんです。あまり臭わない肥料をやったり。けど……流石に季節外れの花を付けさせてしまったからには、少しサービスしないとダメかなあと思いまして、穣子様に御相談申し上げた訳です。咲夜さん、お茶持ってきて差し上げて」
「ちょっと、何どさくさに命令してるのよ!」
いきり立つメイド長に、美鈴は素速く耳打ちした。この方は、幻想郷の豊穣神だと。
咲夜はいそいそとお茶を取りに戻った。
咲夜が庭に戻ると、穣子が土壌を見て回りながら唸っているところであった。
「少し土を貰ってたけど、改めて見ると予想以上にひどいねー」
「やっぱりですか」
咲夜はお茶を注いでみた。牛糞に負けないものをと正山小種にしてみたが、注いでみても牛糞の薫りが強すぎて、訳が解らない匂いになっていた。咲夜はハンカチで口元を押さえた。
「やり過ぎは肥焼けを起こすから様子を見ながらお願いね……まあこんなに土が痩せてしまってる訳だし、この広い庭じゃあちょっとやそっとじゃ足りないと思うけど」穣子は手についた土を軽く払うと、メイド長の方に歩み寄った。「じゃ、皆さんで頑張って頂戴ね」
メイド長はカップを倒した。またも、時間を止めるゆとりはなかった。
「皆さ、ん……?」
「美鈴に一人でやらせるの?」どこかから二冊目の本を取り出して読み耽っていたパチュリーが顔を上げていた。「いいけど、この量じゃ春までに終わりゃしないわよ。手伝ってあげたら?」
メイド長の白皙が、この上なく醜く、切なく、そして、やるせなく歪んだ。
その日から、紅魔館は牛糞のかほりに包まれた。
ある者は鼻を摘み、マスクをかけ、顰めっ面で堆肥を施す妖精メイド達の様子を窓の外から眺めながら、紅魔館の主人・永遠に幼く紅い月は如何にも業腹、といった面持ちで不味そうに茶を啜っていた。メイド長が気遣って選んだレディグレイも、堆肥のお陰でまったくさっぱり楽しめそうにはない。
「まったく……臭いったらありゃしないわ」
「致し方ありません。ああしないと今年の春は花が咲かないのです」
「遊びに行きたいのに、これじゃ出て行ったら吸血鬼は臭いって笑いものにされるじゃないの」
「致し方ありません。何でしたら、香水でもお付けあそばしますか?」
「要らないわよ」レミリアはむくれる。何度この遣り取りを繰り返したか解らない。今日だけで、恐らく5回目。
「いい? 絶対に紅魔館に人妖を近付けてはならないわよ! 紅魔館が異臭を放っているなんて知れたら、吸血鬼の名折れよ!」
「善処致します、お嬢様」
主人をいなしながらも、メイド長はさほど心配していなかった。恐らく春先になれば、どこの畑も同じ様な臭いに包まれるのが解っていたからだ。
近くで妖精メイドが間違って堆肥をぶちまけたらしく、異臭の濃度が爆発的に上昇した。
「うきゃーっ! もうやだっ! 当分薔薇は出さないで頂戴っ!」
レミリアはとうとうキレた。糖分の取り過ぎ、あるいはカルシウム不足やも知れない。今夜の夕飯はかぶの葉の胡麻和えに、エダムチーズでもお出ししよう、そう咲夜は決めた。
「致し方ありません、お嬢様」
メイド長は瀟洒且つ完璧な所作で花瓶から薔薇を取り除けた。
「御邪魔しますね」
「あら珍しい」
図書館の主は相変わらず顔を上げようとはしない。声が聞こえさえすれば、否、足音で大体誰かは解る。
本特有の黴臭さを吸い込む魔女の鼻腔に、何やら柔らかい、甘い薫りが加わった。薫りの素に目を転じると、花瓶と紅い薔薇、傍らには紅茶と、大きなかりんとうに似た焼き菓子が添えられている。
「天津大麻花です。お茶請けに」
「レミリアのお下がりね、まあ受け取っておくわ」
門番はすみません、と頭を下げた。「この度は有難う御座いました」
「いいのよ、気にしなくて。偶にはいいじゃない」パチュリーは一つまみ、麻花を囓る。口腔で金木犀の香りがふわっと広がる。パチュリーはお茶をすすり、紅い薔薇に顔を近付けて匂いを嗅いだ。
「自然に逆らった者にはしっぺ返しが来るもんよ」
もうなんじゃこりゃって感じです。
実用SSというのも少々疑問、例えるなら材料と料理名だけが書いてあるメモをレシピ扱いするようなものです。
思いついた話に合わせてキャラいじるとろくなもんにならん。