妖怪、幽霊、妖精。今では御伽噺の中でしか名前を聞くことのできない、ある意味では忘れ去られたといってもいい存在。発達した文明の中に生きる人々は、彼らをまだ無知で文明の力が乏しかった先祖たちの恐怖心、信仰心が生み出した虚構のものだと信じて疑わなかった。
山奥にある結界に護られたとある土地の住民が今日も暢気で平和な日常を謳歌しているとは夢にも思っていないだろう。
この幻想郷と呼ばれる土地には、大きいものから小さいものまで実に様々な物語があふれている。大きいものは別の人たちに任せるとして、ここでは影の薄く埋もれがちな小さな物語を語るとしよう。
- 今日はこんな話である。 -
今年は冬が異常なほど長く続いたが、遅れてやってきた春は当然のことながら例年通りのタイミングで終わってしまい春特有の心地よさはもうどこにも残っていなかった。
季節は初夏、もとい梅雨へと移り変わり、じめじめとしたうっとうしさが幻想郷全体を包み込み徐々に蒸し暑さが不快になり始めていた。空を見上げればいつも灰色に染まっていてゆったりと日光浴をすることはもちろん洗濯物を晴天の下に干すことすら出来ない日々が何日も続いていた。
今日はそんな梅雨にあって晴天に恵まれている日である。
前日まで降り続いていた雨も今日は一切感じ取れず、若干灰色にくすんだ雲はあったものの久しぶりに青空を見上げることが出来た。人間の里では久しぶりに差し込む陽光の恩恵にあずかりたい者達の勢いに押されたかのように少し騒々しく感じられた。
久しぶりにその姿を現した太陽もずいぶんと上機嫌であるかのように輝いていて、本格的な夏にはまだ早いもののセミの声が喧しく聞こえてくるような気さえした。
突然ではあるが、もしこのような時に唐突に通り雨が降り始めたらどのような状況になるだろうか。予想するまでもなく悲惨な状況であることは間違いがない。
つい先ほどまで目の前がそのような状況だったからこそ良く分かる。
突然の通り雨が降ってきたのはちょうど正午に差し掛かった時分であった。外に出ていたものは例外なくずぶ濡れとなり、叫び声や恨み言、時には怒声が響き渡りさながら戦場のようであった。
まあ当人達にしてみれば実際に戦場だったのだろう。
雨自体はおよそ10分程度で止んだものの辺りの惨状については若干誇張はあるがオーバーロード作戦時のオハマビーチのごとく凄惨を極めた。
ただこの通り雨によって空に浮かんでいた雲が一掃され完全な青空が広がったのだから、その点で言えば私としては先ほどの通り雨もそこまで悪いものではないと思う。
降られて被害を受けた側にとっては堪ったものではないだろうが。
今はひと悶着あった後の昼下がりである。
途中通り雨が降り注いだとはいえ、今は雲ひとつない青空である。
他の季節に増して晴天を目にすることが少ないということもありこんな日にはどこかに出かけたくなる気分に満ち溢れる。
出かけるといえば、ちょうど目線の先に一人の少年がまだ乾ききっていない踏み均された小道を歩いている。踏み均されたとはいっても他の道と比べると往来がずいぶんと少ないように思われるのだが、どうやらこの少年にとっては踏み慣れた道であるようだった。
道を進んでいけば進むほど春から夏への移り変わりの中で育っていった青くたくましい植物も鳴りを潜めていき、逆に薄暗かったり毒々しいほど色彩豊かだったりする植物がだんだんと目に入るようになっていった。
特に苦もなさそうに、むしろ通いなれたかのように進んでいく少年の瞳には、つい先ほど歩いていた道から目にすることのできた晴れやかな情景とはうって変わって黒々とした原生林の生い茂る深い森とその森と他の場所を繋ぎとめるかのように建っている一つの若干風変わりな建物が映っていた。
その建物の正面には大きくも小さくもない「香霖堂」と書かれた看板が掛かっており何らかの店であることはかろうじて知ることが出来た。
店の周りには中には入りきらなかったと思われる商品、もとい珍品がとても整理されているとは思えないほどに無造作に積み上げられていた。
この店はどこをどうみても客を歓迎しているようには見えなかった。
幻想郷は結界によって護られており通常の方法では結界を越えることは出来ない。
それゆえに幻想郷は楽園のごとく平穏を保っているのだが、幻想郷という名の通り外の世界において忘れ去られ幻想の存在となったものが流れ着くことがよくある。
そうしたものの中でも特に人間が作り出した文明の結晶ともいえる様々な物品を取り扱う道具屋がこの幻想郷に一軒あった。
それがこの香霖堂である。
店先に積み上げられている奇妙なガラクタも実際には外の世界から流れ着いてきた立派な道具なのである。
とはいえこの香霖堂という道具屋は人里から離れ、なおかつ妖怪ですらなかなか足を踏み入れたがらない魔法の森の入り口という最悪の立地条件を満たしており本当に客が寄り付くかどうかは不明である。
というよりもこの店に商売という概念が存在するかどうかという点からはなはだ疑問であった。
店主自身も商売よりも趣味を優先させているようで商品の中で便利だったり、気に入ったりしたものはすぐに非売品にしてしまうということがよくある。
それでも完全に商売を捨てたわけではないようで店の外まであふれ出ている珍品も一つぽっかりと口を開いている入り口まで覆い尽くすということはなかったが、このありさまで店として成り立っているとはとても信じられなかった。
店の前までたどり着いた少年は積み上げられた、おそらくは商品であると思われる道具類を一瞥すると、店の中へ入っていった。そのときの歩き方、呼吸、姿勢など全てが特に乱れているようには感じられず、少年がこの店に来るのは今回が初めてではないということがはっきりと分かった。
店の中も外と同じように幻想郷にとっては不釣合いなものが陳列というよりも、どちらかといえば無造作に散らばっていた。
ある程度足の踏み場はあるものの店内をくまなく見てまわろうとするにはちょっとした慣れでも必要ではないだろうか。
奥には店主が店番をするための机と椅子があり、その後ろ側は居住スペースが広がっている。
店主はたいていそのどちらかで商品を使って何かしていたり、本を読んでいたりと積極的な接客はせずのんびりしていた。
入り口付近で立ち止まっている少年は、はじめに机の方に目を向けてみたが読みかけと思われる数冊の本があるだけで店主の姿は影すら見えなかった。
次にその場から奥を覗いてみたがやはり目に見える範囲には店主の姿はなかった。いつもいるはずの店主がいないという状況にいささか困惑気味の少年であったが、店自体は空いているのだからどこかに出かけていたとしてもすぐに戻ってくるだろうし少年も特別目立った用事があったわけでもなかったので適当に店の中の商品類を弄ったり見てまわったりとしていた。
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店の奥から物音がしたのは、少年が宇宙旅行や衛星、開発といった単語が表紙を彩っている雑誌を眺めていた頃であった。
断続的な足音や布を摺る音が不意に耳に入ったことにより顔を上げたが、少年の見える範囲には相変わらず珍品だらけの店内しか映らなかった。
ごく自然に考えれば店主がいるのだろうということなのだが、気になった少年は奥を覗いてみることにした。
少年自身も自身の発する物音以外何も聞こえてこない静かな店内に若干嫌気が差し、なにか別の刺激が欲しいということもあったのだろう。
奥を覗き込んだ少年は特に辺りを見回すことをしなかった。
というのもちょうど少年の目の前に物音を立てた本人が立っていたからである。
外見から判断する限り二十代後半で髪の色は白に近く眼鏡をかけ、穏やかそうな表情をしていた。彼がこの香霖堂の店主の森近霖之助である。
彼は奥で衣服を干していたのだが、少年の顔を見ると作業の手を止めることなく、いらっしゃい、と声をかけた。
その言葉からはこの商売気のあるのかどうか分からない店主の穏やかそうな人柄が感じ取れた。
少年はその言葉に返事をしながら先ほどまで店に出てこなかった店主の姿を奇妙なものを見るような目で見ていた。
少年がそんな目つきをするのも無理はない。
霖之助は態度こそ平然としていたが見た目が褌一丁という格好だったからである。
いくら幻想郷が外の世界に比べて文明という点で遅れているとはいっても完全に隔絶されているわけではないので、この店の商品や時には人間などのように外からなにかしらは入ってくる。
幻想郷の住人の中にはそういったものに影響を受ける者も多く、便利だったり面白かったり快適だったりすればあっという間に普及するということも度々あった。
衣服にしたって今では人間も外の世界の衣服の構造を部分的にまねることが多いので完全に昔と同じものを着ている者はかなり少なく、ひょっとしたら日常においては誰も着ていないのではないだろうか。
今目の前にいる店主が穿いている褌にしても最近ではほとんど見かけることがなかった。
ましてやこの少年はよく香霖堂を訪れていて外の世界の進んだ文化に触れる機会が多いのだから褌なんて時代遅れの骨董品程度のものとしか思っていなかったのである。
というわけで少年は霖之助に対してなぜいまどき褌を穿いているのだろうということとついでになぜ下着一枚しか着ていないのだろうという二つの疑問を上乗せした視線を送っていたのである。
そんな少年の視線に気づいたのだろうか、霖之助は衣服を干し終わると腰を下ろしながら少年の疑問に答えるようにことの経緯を話し始めた。
「まったく、今日はまいったよ。久しぶりに晴れたからちょっと外に出ていたんだけど、いきなり降りだしてくるとはね。
急いで店に戻ったけどずぶ濡れになってしまったんだ。
しかも運の悪いことに着られそうな替えの服も今はなくてね。
しょうがないから乾くまではこのままでいようと思ってこんな格好になってるというわけさ。
まあ晴れてくれてよかったよ。この分だとじきに乾くだろう。」
霖之助は若干ため息混じりに話すと外を見た。
外は澄んだ青空が広がっていて、少なくとも今日はもう雨が降ることはないだろう。
だからなのか話の合間にするため息がずいぶんと重いように感じられた。
とはいえ開店中の店の店主がこんな格好ではさすがにまずいだろうと少年は口には出さず心の中でつぶやいた。
口に出したところでこの店主は特に気にも止めないのは明らかだったし、第一この店に頻繁に客が訪れることがないのだから少年としても特に口に出して指摘する必要がなかったのである。
まあ客に限らなければ頻繁に来店する少女が主に二人ほどいるが、おそらく霖之助はその二人に対してもこんな感じなのかもしれない、と実際のところは分からないのだが少年はそう感じていた。
ところで今日はなにをしにきたんだい、という霖之助の問いかけによって、この店の接客のあり方についての話題から離れることの出来た少年は一瞬どのように答えるべきか迷った。
いつもなら暇つぶし兼品定めなどと適当に言っているのだが、今日は少し疑問が頭の中に浮かんでいた。
いつも同じような返答というのも面白くはないし、霖之助と会話を始める前に店内の商品を適当に見ていたが目新しいものが特になかったということもあったので少年は頭に浮かんだ疑問をぶつけることにした。
「なんだって、いまどき褌なんか穿いてるんですか。」
少年の疑問は褌に関するものであった。
香霖堂という外の世界の文化に非常に近い環境にいるのにもかかわらず時代遅れの下着を使っているということが少年にとってはとても不可解なことに思えたからである。
霖之助はその問いを聞いて一瞬頭を使って考えを巡らしたような動作をすると、どうしてそう思うんだい、と少年の問いには答えず逆に聞き返した。
一方、少年はまさか聞き返されるとは思っていなかったようで若干困惑しながらも褌を含むいわゆる時代遅れのものに対して抱いている考えを簡単に答えた。
「やっぱり褌なんて時代遅れだし、便利なものが他にいろいろあるからわざわざ使う必要はないんじゃないかと思って。
それに霖之助さんは外の物をいろいろ見たり使ったりしてるから、それこそ新しくて便利なものを使ってると思ったし、正 直な話褌とかはもう時代遅れだし無意味なものになってるんじゃないかなと思って。」
少年の考えはもっともだった。
便利なものがある以上それを使えばいいわけであえて古いものに手を出す必要はないんじゃないかというのは外の世界においては文明の中心を担っている考え方であると少年は思っており、少なくとも少年にとって褌は幻想郷の中ですらごくたまに行われる行事以外ではとっくの昔に廃れたものだと考えていたからである。
もっと言ってしまえばそうった古い行事にしたって時代に合わせて新しくしていった方が幻想郷の発展のためにもいいのではないかと、いささか行き過ぎた考えも持ち合わせていた。
そんなわけで少年は少なくとも自身にとっては至極まっとうな意見を持って返答したのである。
その返答を聞いた霖之助は、なるほど、とまるで少年が話す内容を事前に知っていたかのようにうなづき苦笑気味の声で、
この世に無意味なものなどないのだよ、
とまるでどこかの古本屋の店主のように答えると近くに無造作に置かれていた雑誌を一冊少年に手渡した。
それは見るからに外から流れてきたもので表紙を見た限りは衣類を中心とした情報発信目的の内容であるということが分かった。
少年は霖之助に目線で促されたので雑誌を適当にめくっていくと、その中の記事に驚かされることになったのである。
その記事がどのような内容であったのか簡単に説明すると、褌の特集であった。
おそらく外の世界の流行にあわせて色やデザインなどを改良したと思われる様々な褌の写真がちょっとした紹介文と共に大きく載っていて、余ったスペースには簡略な褌の歴史や褌そのものの変遷が写真と共に紹介されていた。
それが何ページにも渡っていたのだから外の世界について断片的にしか分からない少年でも外の世界において褌が今流行しているということが見て取れた。
それがどういうことになるのかといえば、少なくともこの雑誌の内容から外の世界において褌というものが意味のあるものとされていることである。
それは少年にとってさらに理解に苦しむことであった。
外の世界は幻想郷とは比べ物にならないほど発展している以上、褌のような時代遅れのものを使わなくても便利なものが数 多くあるのだからそれをつかえばいいのに、
と少年はまたも心の中でつぶやいた。
だが今回は目の前の事実があまりにも衝撃的だったせいなのか、知らず知らずのうちに口から出てしまったようで、その言葉を聞いた霖之助は予想通りと言わんばかりの顔をしていた。
「どんなものでも必ず意味があるということさ。
君の言うとおり褌なんて使わなくても便利なものはいくらでもある。
外の世界の人間だって君と同じような考え方だったとおもうよ。
とはいっても完全に無意味だったらそのまま廃れていくだけでその本に書かれているような事態にはならなかっただろう。
まあ当然だろうね。
大部分の人間が無意味なものと認識していても祭や相撲なんかでは使うのだから、そういったものに関係のある人間にとっては褌も意味のあるものだったのさ。
そうして細々と存在していたある時に、だれか社会に影響のある人が言い出したのか、それとも一般的な有効性でも研究されていたのか、それは分からないがともかく褌というものが再び世界の中で大きな意味を獲得したということさ。
それに褌に限らず外の世界では時代遅れの技術や知恵が新しい技術よりも優れているということもよくある。
例えば、酒にしても外の世界の技術なら人の手によらず安価で大量に作ることが可能だけど最高級といわれる酒は昔ながらの手作りでしか出来ないみたいだし、外の世界で使われている高性能な道具だって必要とされる性能が高ければ高いほども長い経験を持った職人の手によって生み出された部品の集合体だと言われている。
時代遅れであっても時代の先端を担っているということさ。」
黙って霖之助の言葉を聞いていた少年は、その話に納得できたようだが不完全なようで、ずいぶん頭を抱え込んだ様子であった。
考えても見ればどのような物だって存在している以上何かにとっては意味がある。
少年が先ほど無意味だと考えていた褌だって穿いている人間にとって見れば、それはれっきとした意味を持っているのだった。
それならば何かの拍子に再び脚光を浴びたとしても特に不思議なことではない。
しかし、自分達よりもはるかに進んでいるはずの外の世界の中で部分的にであっても時代遅れのものが使われたり広まったりするということが少年にとっては理解しがたいことなのであろう。
少年自身は外の世界に対して一種の幻想を抱いていたようで、それが大きく崩れ去ってしまいそれなりに落胆しているようだった。
自身の考えが大きく崩れれば誰だってこうなることは霖之助もよく理解していた。
まあこんなことなかなか気づかないさ、とフォローは入れたのだが少年にとってそれが役に立ったかどうかは分からない。
少年はしばらく黙って考え込んでいたがやはり霖之助のフォローは何の影響も与えてはいないようだった。
たかが褌一つでここまで落胆している様は、はたから見れば滑稽に映るのだが本人にとってはよほど大きなことなのだろう。
少年はかねてから外の世界に憧れを抱いていたのだが、外の世界のどこに惹かれたのかといえば常に新しいものに向かって進んでいるという点であった。
次々と新しいものを生み出し続けるその存在に信仰に近いものまで感じていたのだから、まさか幻想郷ですら時代遅れのものが外の世界の文化の発達している地域で流行しているとはにわかに信じられないのである。
少年には少し時間が必要であった。
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時間にして数秒か数分か、少なくとも数十分は経っていないと思われるが少年はまだ先ほどの話から完全に立ち直ってはいなかった。
とはいえ自身の幻想が打ち崩されたとしても物に対する見方が大きく変わったことは間違いなく、これもいい経験だと自分に言い聞かせることで先ほどの調子には届かないまでも気を取り直したようである。
そうして改めて自分の周りを見回すと今少年の周りに置かれている道具類もかつては外の世界で使われ、そのうちに無意味なものとされてしまい幻想郷にやってきたということにいまさらながら改めて気づくこととなった。
そしてこれらは幻想郷の住人にとっては嗜好としてまたは実用として意味のあるものである。
こういったものに日々囲まれているからこそ物の意味や価値ということをはっきりと理解しているのであろうと、少年は目の前の褌一丁の店主を見てただただ頭が下がる一方だった。
「どれだけ進歩したとしても、どんなに時代遅れでも、決して完全にはなくならないって事なんですね。」
少年はそうつぶやいた。
その言葉の隅々からは新しいもの、進んだもののみに目を向けていた自分を恥じているようであった。
二度目だが、元を辿ればたかが褌一丁の話なのでそこまで悩むほどのものではないと思う。
まあそれはいいとして。
「古きを省みず新しい物のみに注視するのは君に限らず若い世代に良く見られるものだし気に病む必要はないよ。
とはいえ幻想郷全体がそうなっていくとそのうち幻想郷から忘れ去られたものが外の世界に流れ着くということがあるかも しれないな。」
少年のつぶやきに対して独り言のように冗談交じりで返答した霖之助だったがその返答を言い終わるやいなや少し考え込んだ表情をして店内を見渡した。
少年はそんな霖之助に対して特に言葉をかけることはなかったもののいったいどうしたのかという疑問を乗せた視線を送った。
そのためか霖之助は頭の中で思いついたこと考えたことを独り言のようにつぶやいたのだった。
「もし、あるひとつの物が幻想郷で忘れ去られたらどうなるのかと思ってね。
例えば神なら信仰が完全になくなれば消えてしまう。
それは物にとっては忘れ去られたということと同義だし人間や妖怪にとっては死ということになる。
…そうか。物が忘れ去られるということは、物にとっての死を迎えるということだな。
そう考えると外の物が無縁塚に流れ着くのも納得がいく。
つまり幻想郷は外の物にとっての冥界であり、ここに流れ着いた物というのは言ってみれば物の幽霊ということだな。
一度忘れ去られていた物が再び脚光を浴びるというのは新しく外の世界に生まれ変わるということになるし…。
まてよ、幽霊というのは言ってみれば気そのものだ。
それが死ぬということは完全になくなるということでありその霊の完全な消滅を意味する。
物が幽霊としての死の前に思い出されれれば、さっきの褌のように新しく生まれ変わるということができる。
ということは外の世界で忘れ去られ、幻想郷でも忘れ去られてしまえばこの世から完全に消え去るということなのか。」
こんな感じで初めのうちは独り言のようなものであったのが次第に語気を強めていき最終的には一つの理論として成り立ってしまった。
突っ込むところはあるのだが言っていることはあながち間違いでもないように思われる。
どちらの世界からも忘れ去られてしまえばいったいどこから思い出されるのかと聞かれれば当然答えとしてはどこからも思い出されることはないということになるし、それは完全にこの世から消え去ってしまったということでもある。
霖之助のやけに広げられた理論はある程度立ち直っていたとはいえ気落ちしていた少年を活性化させるきっかけとなった。
今日、この香霖堂を訪れるまでは新しい物、発達した技術や文化を追い求め、香霖堂において憧れの全てが崩れ去ってしまった少年だが霖之助の話を聞いていろいろ思うところがあったようである。
この突拍子のない理論を妄信するというわけではないのだが、少年は以前とは違い時代遅れのものに対して少し興味を持ったのである。
霖之助の理論が正しいかどうかは関係なく、忘れ去られるということは目にすることもほとんどできなくなるということでもある。
それは少し寂しい気がすると少年は思い始めていた。
外から流れてくる物はこの香霖堂の店主が集めることで、この幻想郷に存在し使われていく。
外の世界の流行だっていつまで続くかはわからないのだし、それならば自分はこの幻想郷において忘れ去られようとしている物、例えば褌あたりを自分が使っていくことで、どんなものでもいつまでも世界に物として存在させることができると少年は思ったのである。
三度目だがたかが褌一つで一方は新たに一つ理論を導き出し、もう一方は新たなる使命を見つけ、それに向かっていこうとしている。
くだらないきっかけではあったのだが結果的には霖之助はもちろん、少年にとっても褌というものはこの場において意味のあるものだったのである。
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そんな感じでどのくらい話をしていたのであろうか。
外を見るとまだまだ一片の陰りのない青空が広がっていたのでたいして時間は経っていないようだが、霖之助の服が乾ききるほどには話し込んでいたようである。
いくら初夏とはいえ、いつまでも褌一丁でいるわけにも行かないので霖之助は、それじゃちょっと失礼するよ、と言って立ち上がると少年との話しに切をつけて干していた服を取りに行った。
少年の方も、もともとなにか用があったわけではなく、さらにはいろいろ古いものを見てみたいという衝動に駆られていたので少し頼りなさそうな褌一丁の後姿に声をかけると香霖堂を後にしたのである。
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少なくとも少年の気が変わらないうちはこの世から物が忘れ去られるということはないだろう。
とはいえこの少年だけでは当然限界がある。
かつて自分が慣れ親しんだ物がいつの間にかこの世から姿を消してしまっているということは十分に起こりうるのである。
それがいやなら、物に対する考え方、接し方を考え直してみるのもいいだろう。
それではまた、縁があるのであればそのときまで。
東方に脇役は存在しないでしょうし。
それと視点がややばらついているかと。
内容ですが、"何故褌がいいのか"について(香霖の)考察等が無くただの伝聞だけの評価になってしまっているので、これらを鑑みてこの点で。
どーしても気になってしまって。