Coolier - 新生・東方創想話

紅に染まりし黄昏

2009/06/28 00:41:16
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~Prologue 始まりはいつも~

夢は、いつも唐突に終わりを迎える。
そして、その終わりは、一寸たりとも変わりはしない。
その夢の中で、蓮子は、私に微笑みかけて、さよならを言うだけ。
毎回、同じ。その終わり方は、やはり何度でも、変わらない哀しみを私にもたらす。

目が、覚める。
また、同じ夢を見てしまった。
どれだけの時を経てども、夢の中の蓮子の姿に、周りの風景は色褪せないまま。
それが、私の心に毎度々々、同じ哀しみをもたらすのも、やはり変わりはないこと。
昔から言われている様に、夢と現は密接に関係しあっている。
夢の中での哀しみが、現の心を引き裂く。
少しずつ、少しずつと、私の心は哀しみに蝕まれ、千切れて細かくなり行くよう。
平穏な日常がそれを忘れさせてはくれるけれど、時たま、やり場のない哀しみを、どうすればいいのか分からなくなってしまう。

遠くから、藍が私を呼ぶ声が聞こえてくる。
香しい朝餉の匂いがこの部屋にも漂ってくる。時間的にはもう昼になるのだから、朝餉という表現は奇妙だけれど。
橙の楽しげな声も聞こえる。
私は、藍がもう一度呼びかけてくる前に急いで向う事にした。だって、いつもと同じ日常がそこにはあるのだから。
……でも、私が会いたい人の姿は、その日常の中には、ない。


~第一章 離別~

また明日ね。
そう言って別れたのは、いつのことだっただろうか。
十字路を、私たちは別々の方向へと進む。
少し進んだ所で、蓮子はこちらに振り返って、笑顔でこう呟いた。さよなら、と。

人生は、常に十字路の様なもの。
ただ、十字路においては進む方角が四に対して、人生においては八にも十六にも無限大にもなり得てしまう。
近道をするか、しないか。寄り道をするか、しないか。足を止めるか、止めないか。
そんな些細なことでも世界は分岐し、平行に、そして交わることのない世界が生まれる。
今、私がいるのも、その分岐の結果、生まれた世界の一つなのだろう。

そんなことを考えながら、お味噌汁を飲んでいると、藍と橙に心配されてしまった。
どうやら、私の顔色が少し悪い様に見えたらしい。
こういうとき、私は彼女たちの気遣いが、本当に嬉しく思える。
心配をしてくれる、気の許せる存在が近くにいるというのは、本当にありがたいと思う。
少し身体が重く感じられるし、それに今日は特に用事も無い。
ゆっくりと(といっても、いつもそんな感じだけれど)休むのも良いかも知れない。
ご飯を食べてから、部屋に戻り、少し横になるということを伝えると、後でお薬を持っていきましょうか、という藍の言葉が返ってきた。
お願いするわ、と言った後、すぐに部屋に戻り、布団に潜る。
すると、あっという間に白銀の世界へと意識は落ちていった。


 ―Tips もふもふ狐クロニクル―

ご飯を食べている紫様は、どこか調子が悪い様に見えた。
その姿は、いつもどおりに見えたのだけれど、どこか歯車が噛み合っていないよう。
えっと、どう形容すればよいのだろうか。言葉では上手く言い表すことが出来ない。
お身体の調子でも悪くされましたか、と聞いてみたら、大丈夫、と返されてしまった。
橙も、やはり紫様を心配していた。
朝ご飯(実際はもうお昼ご飯だけれど)が終わり、片付けをし始めた時、部屋に戻り少し横になると、紫様がおっしゃった。
いつもとは、違う。やはり、調子が悪いのだろうか。
後でお薬を持って行くかどうか聞くと、お願いすると返された。
主のこのような姿を見るのは、とてもとても珍しい。
二日酔いで気だるそうにしているのは度々見るけれど、それ以外で身体が不調になるというのは、本当に。
橙に、里でお薬を買ってきてもらおう。
そのお薬が、紫様に効果があるのかは分からないけれど……。それでも、頼まれたのだから。


~第二章 日常~

今日もまた、講義が始まる。
憂鬱な月曜日は、本当に辛い。ブルーマンデーという言葉を、真に理解できる様な気さえするぐらいに。
前も、辛いとは思っていたけれど、今ほどではなかった。
今は、本当に辛い。月曜日でなくても、だ。
何事も、最初と最後は俄然やる気が出るけれど、真ん中になると停滞してしまうのは何故なのかしら。
だけれども、いくら辛いとはいえ休む訳にも行かない。しょうがなく身体を起こし、身支度を整える。

トースト一枚という簡単な朝ごはんを終えて、私は家を出発する。
家の近くの十字路へ、自然と足が向かう。
意識もしていないのに、右足と左足が交互に動き、それにつれて目の前の風景が少しずつ変化していく。
人の気配が疎らな通りをまっすぐ。車の往来は少ないけれど、赤信号はちゃんと待つ。
そうこうして、いつもの十字路へとたどり着くのに、ものの十分もかからなかった。
いつもの待ち合わせの時間よりも、少し早い。もう少し、遅く出ても良かったかな、と思ってしまう。
未だ蓮子の姿は見えない。やれやれ、と私は思いつつも、鳥のさえずりなどに耳を傾け、ゆったりとした時を感じる。

蓮子、遅いじゃない。
その言葉が、私の唇から出ることは、なかった。


 ―Tips アフターアウェイクニング―

身体が重い。少し頭痛もする。これは、風邪、なのかな。
季節の変わり目の気温変化が、私の身体に風邪をもたらしたのだろうか。
今日は、月曜日。一週間の始まりから、いきなりハードよね……。
午前中の講義は休むことにして、病院に行くのが一番だろうか。
お薬を飲めば、きっと午後には大丈夫……なはず。
そんな安易な考えを持って、用意を済ませて病院へと向かう。

どうしてだろう、大切なことを忘れてしまっていた。
メリーに、連絡をしていない。今日は待ち合わせの場所に行けない、と。
病院への道すがら思い出したものの、もうとっくに待ち合わせの時間を過ぎている。
きっと、きっと、先に行ってるわよね……。ごめんね、メリー。


~第三章 孤独~

カタンっ。突然に聞こえてきた、襖の開く音で目が覚めてしまう。
襖の方に目をやると、藍が申し訳なさそうに謝っている。その手には、お薬とお水が乗ったお盆があった。
別に気にしなくても良いのよ、と言うと、藍の顔には安堵の表情が浮かぶ。
本当に、心配してくれているのだ、と嬉しくなってしまう。
お盆を布団のそばに置いて、何かあったらすぐにお呼びください、と言って、藍は戻る。

カタンっ。襖が閉められる。
また、部屋は一人きりの静寂に包まれる。一人は、怖い。孤独は、心を蝕んでいく。
静かすぎる世界の中、色々な考えが頭の中を過ぎる。
そうしていると、ふと、こういう時間を過ごすのは久しぶりだと思ってしまう。
何かしら、最近は忙しかったから。といっても、宴会ばかりだったけれど。
今日の用事は何もない。あったとしても、行けないだろう。
……流石に、この状況で出歩けば、藍に何を言われるか分からないし、分かりたくもないから。

身体が、だるい。お腹を出して寝た覚えは無いのだけれど……。それならば。もしかすると、あの夢が原因なのだろうか。
しかし、今、私がすべきことは、あれこれと原因を考えることではなく、藍の持ってきた薬を飲んで横になること。
重たい身体を起こし、薬を飲む。
……苦い。
良薬は口に苦しというけれど、本当に良い薬なら、味も良いと思うんだけれど。そんな変なことを考えてしまう。
更に変なことを考えて、体調を悪くしては大変なことになる。
だから、私は意識をシャットダウンした。
また、白銀の世界へと、私の意識は落ちていく。


~第四章 希薄~

何時まで経っても蓮子は現れやしない。
もはや、鳥のさえずりはもちろん、人の喧騒も聞こえるような時間になってしまっていた。
もちろん、私は仕方がなしに、大学へと向かった。一人きりで。
一人で行くのは、本当に久しぶりのことだった。少し、寂しいと感じてしまったのは内緒。

蓮子がやってきたのは、昼食の頃になってからだった。
ここ最近、蓮子と一緒にお昼ごはんを食べているベンチに座って食べていると、遠くから蓮子が歩いてくるのが見えた。
ごめんね、朝は待ち合わせの場所に行けなくて、と言う彼女の顔は、少し青白かった。
それはまるで、今にも倒れてしまいそうなほどに、儚げで、掻き消されてしまいそうな色。
蓮子は、朝一で病院に行って、風邪の薬を貰ってきたらしい。
その足で、直接大学に来るあたり、蓮子って真面目だと思ってしまう。
私ならきっと、直接家へと足を運ぶ。私って不真面目なのでしょうね、きっと。

お昼ごはんを食べ終わった後、帰りの待ち合わせ場所を確認してから、
それぞれの講義が行われる教室へと向かうことにした。
その時の蓮子の後姿は、どことなく、希薄に見えた。


~第五章 悲愴~

少し、寒い。それで目が覚めてしまった。先ほど寝てから、そんなに時間は経ってはいない。
それなら、気温が変化したのではなくて、私自身の体温が急変したのかもしれない。
自分の額に手を当ててみる。
……あっつい。
この分だと、38℃はあるのかもしれない。
気だるさや寒気はするものの、幸いなことに吐き気や腹痛、頭痛はしない。
いくら妖怪といえども、心の調子が崩れると人間と同じように身体に不調が現れる。
薬を使えば、身体の方は治るかもしれない。けれど、それで心も治る訳はない。
一時的に、体調を抑えるだけ。根本的な解決にはならない。

やっぱり、こうなったのはあの夢が原因なのだ、と確信してしまう。
蓮子がいない世界。もう随分と年月が経ったけれど、未だにそれには慣れないし、慣れたくもない。
もう一度、話がしたかった。もう一度、笑いあいたかった。もう一度、色々と旅行をしたかった。もう一度……。

色々な思いが溢れては渦巻き、形を成さずに心の中に留まり続ける。
昔の事が脳裏に過ぎり、自然と涙がこぼれていく。
こんな姿、他の誰にも見せることなんて出来ない。でも、どう頑張っても、涙を止める術なんて、今の私にはない。
そうしている内に、いつの間にか再び、私の意識は白銀の世界へと転がり落ちていく。


~第六章 黄昏~

講義が終わり、私は蓮子との待ち合わせの場所へと向かう。
こういう時は、案外、蓮子の方が早く着いていたりする。
蓮子の顔は、相も変わらず青白い。けれど、そこまで気にするほどではないと思えるぐらいには回復している。
立ち話もなんだし、どこか座れる場所にでも行きましょ、という蓮子の提案に、私は乗ることにする。

他愛もない話。サークルの話。
色々な話が目まぐるしくテーブルの上を駆け巡る。
運ばれてきた紅茶の香りが、それを止めるが、一瞬のこと。会話はまた交わされ始める。
時間とは、残酷なもの。誰にでも、絶対に平等に与えられるのだから。
しかし、楽しい事があれば、あっという間に過ぎ去ってしまう様にも感じてしまう。
その日も、やはりあっという間に過ぎ去ってしまった。

カフェテラスから出ると、辺り一面は紅に染まり初めていた。
そろそろ月と太陽が入れ替わろうとする時間帯。少し、会話が長引きすぎたかもしれない。
歩きながらも更に会話を交わしているうちに、十字路へと着いた。

また明日ね。
そう言った蓮子に、私も言葉を返す。えぇ、また明日、と。
十字路を、私たちは別々の方向へと進む。
少し進んだ所で、蓮子はこちらに振り返って、笑顔でこう呟いた。さよなら、と。
私も、それに応えて、手を振り、さよならと言う。
何時もと変わらない日常。紅に染まっていた世界は、もうそろそろ黒一色へと変わり行く。
太陽は山の端に隠れ、月が天頂へと向かう。
夜が、始まろうとしていた。


~第七章 軌跡~

頬に何か冷たいものが当たった気がして、目が覚める。枕が、微妙に湿っていた。
……冷たい。
私は、いつの間にか泣き疲れて眠ってしまっていたらしい。
泣くのは、久しぶりだ。
昔は、孤独に耐え切れずよく涙を流していた。もう、袖を濡らす様なことは無いと思っていたけれど。
……この場合は枕か。

夢は、違う世界そのものではなく、私の過去のある一日をそのまま映し出していた。
もう一度、あの日の軌跡をなぞるだけ。抗い様の無い事実を、もう一度見せられるとは思わなかった。
途中までは、良く見る断片的な記憶の欠片だと思っていた。けれど、何時まで経っても途切れることは無かった。
どうして、今になってあの日を追体験しなければいけないのか。
夢ならば、夢であって欲しい。そう、何度も願ったあの日を。
今までは、断片だけしか現れなかった。それでも、私の心を哀しみで満たしていた。
このまま再生され続けてしまうと、私の心はどうなるのだろう。
分からない。誰にも、そんなことは。

ふと、部屋の外を見る。
もう既に、太陽は沈み、夜の帳が降りているのだろうか。薄暗さが襖から見てとれる。
夜が、始まってしまう。

夢は、夢。変えられないものだ。変えられないのは何故なのか。
それは、断片的にしか事実を覚えていないから、夢の世界が不完全なものになっているから。
不完全な世界に介入することなど、神にだって出来はしない。
x^2+y^2=4という数式だけを与えられて、xとyの正しい答えを得られないのと同じこと。
それと同じく、思い出せない記憶は、変えようにも変えることなど出来はしない。

もし、夢が断片的でも、不完全でもなければ。
事実をありのままに、たった今、ここで経験したかのごとく思い出せるのであれば。
きっと、この能力であれば、変えられるだろう。夢と現の境。それを越え、事象を変えてしまえば良い。
夢は現。現は夢。現を変えることが出来るのなら、夢もまた、変えることは出来る。
ただ、現よりも夢を変えることは遥かに難しいことなのだけれど。

でも、夢の中の事実を変えることが出来たとしても、その世界は、私のいるこの世界ではない。
分岐し続ける世界の中には、夢の中のままに進む世界もあれば、そうでない世界もあるだろう。
私が夢を変えたとしても、私のいる世界は既に起きてしまった事象であるからこのままで、変えられた世界がこの世界とは交わることなんてない。
でも、考えているうちに、私の心には一つの確信が芽生えた。
それが果たして正しいのかどうか。それを確かめるために、私はもう一度目をつぶる。
そして、あの日の夢へと、白銀の世界へと。私はゆっくりと沈んでいく。


~第八章 蒼白~

夜ご飯も食べて、手持ち無沙汰な時間を読書という有意義な使い道で潰す。
……有意義かどうかは、読んでいる本によって変わってくるのだろうけれど。
今読んでいる本は、独特な名前に惹かれて書店で買った本。“IQ84”ってタイトル、独特よね。
本を読み始めてから、どれだけの時間が経ったのだろう。
静寂が、甲高く鳴り響く電話の音により、突然切り裂かれる。
時計を見ると、八時。こんな時間に掛けてくるのは、蓮子ぐらいだろうか。
そんなことを考えながら、電話に出る。
それが、平穏な時間の終わりであり、この物語の始まりでもあった。

電話を終えた時の私の顔は、今までに無いほどに蒼白だった。昼間に見た、蓮子の顔よりも、ずっと、ずっと。
蓮子が、病院へと搬送された。自動車に、轢かれて。
蓮子の持ち歩いていた手帳の中に私の電話番号もあって、それで救急隊員が電話を掛けてきた。
世界が、希薄になった気がした。
足元が、突然頼り気の無いものに感じられてしまった。まるで、今にも割れてしまいそうな薄氷の上に立っているかのように。
目からはとめどなく涙が溢れ、その場にへたり込んでしまう。立ちたくても、足に力が入らなくて、立てない。
急いで病院へと向かわなければならないと、頭の中では思うけれど、どうしても立てない。
色々なことが脳裏に浮かんでは、意味をなさない文字列や景色となり、ぐるぐると回り始める。
それでも、無理やりソファにつかまり、立つ。
けれど、目の前がぐらぐらとして、まともに歩くことも出来ない。なんとか台所まで行き、一杯の水を飲むまでは。
水を飲んだからか、少し落ち着きを取り戻した気がする。それでもまだ、少しふら付く。
けれど、そんなことをいっている場合じゃない。私は、急いで、搬送された病院へと向かう。


 ―Tips 紅に染まりし黄昏、天には望月―

メリーと別れてから、急に暗くなった。紅に染まっていた黄昏も、今やもう過去の遺物に思える。
これ以上暗くなる前に、早く帰らないと。望月が天頂へと昇り行き、星々が煌きを増す前に。

少し、ふらつく。流石に、今日は休めばよかったかも、と今更になって思ってしまう。
ただ、今は大事な時期。最初と最後も大事だけれど、真ん中はそれよりも大事。
お薬を飲んで、一時的に抑えたとはいえ、どうしてカフェテラスに行っちゃたんだろう。
今更、後悔しても遅い、かな。自業自得という言葉が、こんなにも身にしみるのは久しぶり。

後、十数分も歩けば、家にたどり着く。今日は、お薬を飲んで直ぐに寝ないと……。
明日には、治っているかな。……流石にそこまで都合が良い訳は無いわよね。
それにしても、メリーには心配を掛けすぎた。
明日も体調が悪いのであれば、やっぱり休むべきよね……。

私は、気付かなかった。赤信号を無視する、恐ろしい存在というものに。
倒れてしまったのかと思った。ぐにゃり、と。
けれど、それは違った。何故なら世界が一回り。
意識が、遠のく。


~第九章 境界~

ここから先は、出来れば思い出したくもない。

人間とは、呆気なく終わりを迎えてしまうもの。
私は、思いがけずにそれを知ってしまった。友人の、死によって。
失意の底に沈み、夢と現の境が希薄になり、私自身の存在も希薄になっていったのだろう。
自身の境界も、世界の境界も虚ろ。そうして、私という存在が生まれた。
死により分岐した世界の一つが、私がいるこの世界。
では、蓮子が死ななかった世界は、どうなるのだろう。
結局、一つに収束して死んでしまった世界の未来と変わらないのかもしれない。
そうであれば、私が夢を変えたとしても、意味が無い事になる。
それでも、私は変えずにはいられなかった。
あの日を再び、一から見るという稀有な体験で、細部すらたった今、見たかのごとく覚えているのだから。
夢が、完全に、過去のある一日となっていたのだから。

生と死の境界は、おぼろげだ。
生者を死者にするのは簡単だが、死者を生者にするのは無理なこと。
反魂の術があれば無理ではないが、私に使えるはずも無い。
だが、蓮子はまだ、死んではいない。蓮子が儚くなるのは、事故にあってから一週間の後だから。
それならば、きっとまだ間に合う。
よもつへぐい。黄泉の国の食物を食べる、という禁忌を犯してはいない。
伊邪那岐(イザナギ)は、伊邪那美(イザナミ)と共に葦原中国(あしはらのなかつくに)へと戻ってくることは出来なかった。
彼女は、黄泉の国の食物を食べてしまったのだから。
だが、蓮子はまだ黄泉へと至ってはいない。黄泉比良坂(よもつひらさか)の辺りには至っているかもしれないけれど。
それならば、まだ手を引いて戻ってくることは、出来るだろう。

夢は、過去の一日と完全に同化していた。
私という存在は、マエリベリー・ハーンという存在から離れ、意識体となって世界を彷徨う。
夢は現となり、過去は現在となった。
私は、集中治療室に入っている蓮子の前へとたどり着く。
絶対に、手を引いて戻ってくるんだから・・・!


 ―Tips 世界の終わりとファンタズマゴリア・ワンダーランド― 

何処からか、声が聞こえる。ここは、何処なのだろう。
目に見える世界には、靄しか映っていない。
また、声が聞こえてくる。今度は、はっきりと聞こえる。
それは、私の目の前から聞こえてくるのに、不思議なことに、その声の主の姿を見ることは出来ない。

お久しぶりね、蓮子。
そう、はっきりと声の主は私へと語りかけていた。
お久しぶりも何も、私には何も分からないのですけれど、と声の主へと返す。
こんなよく分からない場所で、お久しぶりと言われ、お久しぶりと返すことの出来る人なんて、両の手の指で数えられるほどにしかいないと思う。
そんなことを考えていると、声の主は驚くことを述べた。
貴女、死ぬのよ。
やれやれ、と私は思う。突然に告げられても、どう反応していいのか困る。
ねぇ、生きるのと死ぬ、どちらが良いかしら。
そんな意味深な言葉を間髪いれずに述べる声の主。
それは勿論、死ぬよりは生きる方が良いに決まっているじゃない。そう返す。
人生に絶望をしている訳でもないし、生きることに楽しみを見出せないということもない。
……ただ、メリーがいない世界であれば、絶望もするし、生きることに楽しみなんて見出すことは出来ないと思う。
そう。
それだけ。短い言葉が、彼女の口から出てきただけ。短い沈黙が、場を支配する。
耐え切れずに、私は疑問を目の前の存在へと簡潔に問いかける。
ここは何処なのか、貴女は誰なのか、そしてその質問の意図は何なのか、と。
ここは黄泉比良坂、生と死の境界。私は誰でもないし、気にする様なことでもないわ。
質問の意図なんて、決まっていることじゃない。このまま進めば、死ぬ。引き返せば、きっと息を吹き返す。
目の前の存在は、ぞんざいとも取れる答えを口にした。
この答えから分かることは、ここが死後の世界に一番近いということ。そして、引き返せば、戻ることが出来る。
ならば、答えは決まっている。どうしてここで前へと進もうか。
それなら、私は引き返しますわ、と目の前の存在へと返す。
すると、目の前には一本の手。細く、綺麗な手。
では、これにお掴まりなさい。元の世界へとエスコートいたしますわ。
そして、私はその手に掴まった。
……暖かい。
どこか懐かしい、不思議な感覚。前にも、この暖かさを経験したことがある気がする。
けれど、それはどこでなのかは思い出せない。

靄が、次第に薄れていく。声の主の姿も、少しずつ見えてくる。
どこか見覚えのある後姿。死にそうな時にも、彼女の姿が出てくるなんて、私って少し変なのかしら。
さぁ、ここからはお一人でお行きなさい。
声の主がそう述べる。先へ目をやると、白い光が見える。そんな気がした。
ありがと、メリー。
私は声の主にそう言って、白い光へと一直線に歩み始めた。

そして、世界は分岐した。


~第十章 安寧~

「心配……したんだからっ……!」
悲愴な声が、喉から漏れる。
「……ごめんね、メリー。心配、かけちゃって……」
そう、蓮子が呟く。

運び込まれたとき、蓮子は重症で、助かる見込みはなかったらしい。
けれど、奇跡的に蘇生し、無事に目を覚ました。
頭へのダメージが大きかったものの、今のところ目に見える障害は無いというから、奇跡としか言いようが無い。

事故から、一ヶ月が過ぎた。
まだまだ退院は出来ないらしいが、蓮子は見た感じ以前の様に元気に見える。
お花畑が見えたなんていうベタなジョークを口にするぐらいに、回復してきてはいるようだ。

「ねぇ、蓮子。林檎でも食べる?」
「ん、食べたいな」
その返事を聞いて、私は林檎の皮をむき始める。
紅色の皮が取り除かれていく様は、太陽が沈む様を思い出す。
それと違うのは、紅の下には黒ではなく、白が広がっているということ。

林檎を食べながら、話は弾む。
事故にあっても、話題はつきるということが無い。
ふとしたことから、日常の話からサークルの話へとそれていく。
かつての、境界の向こう側に見えた桜の話とか、これからの話とかへ。

ふと、蓮子が疑問を口にする。
「境界って、どうしてあるんだと思う?」
私には、言っていることが良く分からなかった。
「難しいことを言うのね。んー、そうねー……。生まれつき、最初から持っているんじゃないの?」
そう応えると、少し考えた後、こう返してきた。
「確かに、生まれついたものなのかもしれない。けれど、それとは違う性質の境界も、きっと存在すると思うの。
 すぐそばにあって、手が届かない場所。平行した世界は、生まれつきある訳ではないでしょ?
 人がいて、初めて平行する世界が生まれる。観測は出来ないから、仮定の話になっちゃうけれど。
 人が行動するか、行動しないかで、世界は沢山の世界へと分かれていく。
 どちらかを選ばなければならない。どちらか一方を選べば、どちらか一方の可能性は潰えてしまう。
 そんな可能性の世界を、境界という区切りで区切っているんじゃないかしら」
突然、難しいことを言い出した。
確かに、この世界と、平行した世界とは、境界という区切りで区切られているのかもしれない。
けれど、考えれば考えるほどに、混乱していく。
「つまり、蓮子は何が言いたいのかしら」
「境界は、人の思い、なんじゃないかしら。あの時にこうすれば良かった。しなければ良かった。っていう、後悔の感情。
 それが、境界を作り出しているのかも。……ごめん、忘れて。少し混乱してきたかも……」
なんて言って、一方的に打ち切ってしまう。
その後は、また、取り留めのない話が続いていく。
平穏な昼下がりは、まだまだ続く。そんな風に思えた。


~Epilogue 終わりの始まり~

目が覚めると、もう外は明るんでいた。久々の早起きだろうか。
身体の気だるさも取れ、昨日の体調の悪さが、嘘だと思えるぐらいに回復している。
・・・結局、私のしたことには意味があったのだろうか。結局は、ただの自己満足にすぎなかったのではないだろうか。
でも、いくら考えても、私には分からない。
私の存在する世界には、蓮子はもういないのだから。
願わくば、交わらざる世界においては、メリーと蓮子が共に歩める未来がありますように。
そう、願うことだけしか出来ない。

朝餉の香りがする。今日こそはきっと朝餉のはず。
私には、藍と橙という気の置けない式達がいる。これが、私の世界なんだ。

「―、―――!」

何処からか、声が聞こえてくる。きっと、藍の声だろう。
でも、その声が、どことなく懐かしく思えてしまうのは、なぜかしら。
そう思いながらも、いつもの日常を始めるために、私は襖を開けた。



「ねぇ、蓮子。二人で境界を越えたはいいけれど、ここは何処なのかしら……?」
「メリーに分からないのなら、私にも分かる訳ないでしょ……。
 でも、あそこに都合よく家があるじゃない。聞きに行きましょう?」

向こうに見える家からは、美味しそうなご飯の匂いがする。
きっと、平穏な世界が展開されているのだろう。

「えーと、すみませーん!」
蓮子が、呼びかける。すると、奥の部屋の襖が開いた。


Next Dream...?
久々に長い文章を書くと、しどろもどろになって、右往左往してしまいます。

Ifの世界。もしも・・・なら。
根底条件(メリー=紫)からして、Ifの世界なのは、考え物でしょうか。
合間合間にある、Tipsは、章の補足説明みたいなものです。その題名は、まぁ、色々と。
読み飛ばしても意味はきっと通る・・・のかな。
大仰なことばかり書いてしまったと、終えてから軽くない後悔。
簡潔にまとめると、本当にちょっぴり。だからといって、ここまで長くしなくても、といわれそう。
今度からはがんばって減らしてみます。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
または、ここだけ読んでくださり、ありがとうございました。
メリーベル
簡易評価

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コメント



0.690簡易評価
3.60名前が無い程度の能力削除
この題材ってけっこう難しいんだよね…。
書ききるには長編になるし、二次設定でほとんど書かなきゃならないし…(´・ω)
薄っぺらく感じてしまいました
4.10名前が無い程度の能力削除
上の方と同じく冗長な気がしました。
要らない文章が多いのが原因かと思いますので、次はもっと簡潔にまとめてみるといいかもしれないですよ。
12.100名前が無い程度の能力削除
なかなか素晴らしい

平行した世界、興味深いです


これは、立派なSSだと思うのはこれしかり
20.100名前が無い程度の能力削除
文の運び方から会話の選び方から物語の展開からその性質から終わらせ方まで
全部が全部ストライク。

平行世界というものと、八雲紫の存在と。
それから、分岐した世界との交わり。

なんというか、体中がむずむずすると言いますか、例えようのない、
こう…うわーっと叫びたくなるような。

それほどの感慨を受けたということです。ディスプレイが霞んで見えるくらいには。
それにしても一文一文が意味がある、と言うか、凝縮された小説というのは
こういうものをさして言うんだろうな、と思いました。
21.100名前が無い程度の鋼鉄削除
これはすごい。
こんな結末、こんな分岐、なにもかも胸にきました。
面白かったです。