-3-
「暇──そうには見えないけど、ちょっと時間あるかしら。」
おもむろにレミリアがそう言うと、それが束縛を解く呪文であるかのように、少女は慌てて一礼する。
意外な言葉だ。
「は、はい!何か言い付けでしたら…。ああ、ええと…その、あまり役に立たないかもしれませんけど…。」
うろたえるように恐縮する少女を見て、レミリアはくすっと笑った。言葉遣いもなんだか滅茶苦茶だし、ここまで近寄ってからやっと挨拶をしたことといい、問い質すまでもなく新入りだということはすぐに分かる。
レミリアにつられるように、少女も安堵と共に笑みを返す。
と同時に、先程の想像を頭の中から消し飛ばした。頭ごなしに命じるのではなく、自分への配慮をしてくれたことが無性に嬉しい。
「ここは広すぎるわね、あっちに行きましょう。」
少女の手を取ると、レミリアは厨房の隅にあるドアへと向かった。広間へと続く通路的な役目を果たす、メイド達の控えの部屋の方である。
レミリアは必ず広間で食事を取るが、メイド達が同席するようなことはなく、賄いは控えの部屋のほうで取る。言わばメイド達にとっては食堂ということになるのだが、この時間は誰もおらず、静まり返っている。
手近な椅子を引くと、レミリアは少女を座らせた。
「あの…どんな御用なのでしょうか。」
人間では無い筈のレミリアの手は、人間のそれと同じように温かく、血の気のない白い肌にも確かに生気を感じさせる。それが少女の不安と困惑と和らげ、恐る恐るながらも用件を尋ねさせた。
レミリアは少しだけ首を傾げ、
「…んー、まあ、ちょっとお腹が減って。」
と、視線を外しながらそう答えた。
年齢的には自分の数十倍の年月を生きてきたことは知っているが、超然としたレミリアの姿とは裏腹に、外見相応の仕草で子供っぽい返答が返ってきたことに、少女はまた安心する。
それに、レミリアが顔を逸らした事が、らしくもなく恥ずかしそうにしているように見えたせいもあって、少女は強張っていた表情を崩した。
「あ、そうなんですか。それなら、簡単なものしかできませんが何か──。」
そこまで言った所で、少女が絶句する。
唐突に、レミリアは少女の膝に馬乗りになるように座ったのだ。当然、少女の膝の上にレミリアが跨るような格好なわけだから、お互いに顔を合わせることになる。
銀色の前髪が揺れ、不思議な香りが少女の鼻腔に届く。そして、その下にある、血のように鮮やかな紅い瞳が少女の目を見据えた。
あまりの出来事に少女は声を失い、目を背ける事もできずに硬直してしまう。
ゆっくりと、少女の右頬に手を添えるレミリア。その顔は物憂げな表情に彩られていたが、それが単に夕食が食べたりなかったせいなのか、それともこれから少女の身に起こる出来事を考えてのことなのかは分からない。
だが、両の紅い瞳には反駁や拒絶を容認しない、魔力めいた輝きが宿っていた。
そして──。
緩慢な動作で、レミリアは少女の首筋に顔を近づける。
それが何を意味しているのか、少女はここに至ってようやくのことで理解することができた。
やっぱりそうなんだ、という残念な気持ちも僅かに生まれたが、それでもいいやという思いがその気持ちを塗り潰していく。
それだけではなく、少女はレミリアの肩に腕を回し、細く小柄な身体を抱きしめる。従者の身にあって、それが不遜な行為だとは分かってはいたものの、何故かそうしたかったのだ。
少しの間だけだったけど、自分が仕えた主へ、何かの気持ちを伝えたくて。
少女の手が、自分と主との間で唯一、外見上の相違を生み出している黒光りする二枚の翼に触れた。陶器のような不思議な感触に、それを撫でるように手を動かすと、くすぐったそうに翼が僅かに反応を示す。
だが、レミリアの口からは何の言葉も発せられることはなかった。
鋭い痛みが首筋に走り、少女は短く悲鳴じみた声を漏らす。
暫くの間の後、ちゅっ…という細い音がレミリアの唇の端から漏れ、少女の耳にも届いた。
少女は目を閉じる。
もう再び開ける事はないのだろうと思いながら。
それは意外と早く訪れた。
というか、レミリアが血を啜っていたのはほんの少しの時間だけだった。
首筋に当たっていた温かい感触が離れると、
「…え?」
と、少女は拍子抜けしたように両手の力を緩める。唇を離したレミリアは頭を上げ、再び少女の瞳を息がかかるくらいの距離で見つめた。
どきっとして、少女が肩をすくめる。それだけで気が付いたのか、レミリアは瞳だけを動かした後、可愛い舌を出すと唇の端についていた血を舐め取った。
そして、少しだけ微笑むと、少女の腕を振り解いてその膝の上から飛び降り、おもむろに取り出した絆創膏を少女の首に貼り付けた。
きょとんとしたままの少女に、
「…ごちそうさま。」
と、酷く場違いのように聞こえる言葉をとぼけたように告げると、レミリアはひらひらと手を振ってさっさと出て行ってしまった。
取り残された少女は呆然としたまま、首筋に手をやる。
二箇所に僅かな痛みと、絆創膏の手触り。
何かの夢を見ていたような気分で、少女は呆然と主の消えた扉を見つめ続けていた。
いっぽうのレミリアは、黒い翼をパタパタとリズミカルに動かしながら、長い廊下を歩いていく。
新人のメイドだったとは、重畳だったと言えるだろう。なぜなら、メイド達はほぼ全員が、レミリアに対して尊敬と思慕の念は抱いていても、畏怖する感覚は抱いていないからである。
やはり、恐怖で味付けされた人間の血は美味しい。
まして、うら若い少女の血となれば絶品だ。これで彼女の血液型がB型であったなら、文句のつけようはなかったのだが、それは少しばかり望み過ぎというものだろう。
それでも、久しぶりに美味しい血を味わうことができて、頭の後ろで手を組んで歩いていくレミリアは、鼻歌でも聞こえてきそうなほど上機嫌である。
だが、これであの新人のメイドが自分に対して恐れを抱かぬようになっただろうと、彼女は残念に思った。
生きるためには、人間の血を吸わなければならないが、血を吸われた人間がどうなるのかについてはレミリアは無関心だ。
──いや、訂正しよう。
血を吸われてヴァンパイアとなる者がいたとして、その者がその後どうなるのか無関心なのである。
幸いなことに、彼女が少食なおかげで、ごくたまに間食がわりにされる側近のメイド達にも、ヴァンパイアと化した者はこれまでのところいない。
-4-
しばらくの間、放心していた少女だったが、不意の物音に振り向いてみると、何時の間にか開いていた広間へのドアから、今度は別の三人のメイド達が覗き込んでいるのと思いっきり目が合った。
三人とも、年の頃は少女とそう大差はない。
一様に、何だかにやにやと笑みを浮かべていることに気が付くと、完全に一部始終を見られていたことを悟る。
「…あ、あのっ。先輩方、これは…。」
慌ててそう取り繕おうとするが、どう説明したらいいものか思い浮かばない。
仕えるべき主に対してあんな行為に及んだなど、新入りが取り入ろうとしていたと思われたかと、狼狽の色を濃くする少女。
そういう卑屈な考え方しかできないことが、少女の不遇な過去を窺わせる。
が、当人の思惑はまったく外れていた。
三人は心底羨ましそうに、そして事前に打ち合わせていたかのように、異口同音にこう言ったのである。
『いいなぁ~~~。』
もう何をどう理解して、何を説明すればいいのかまったく見失った新人メイドの少女は、目を点にしたまま、「いいな~」を連呼する先輩メイド達を呆然と見やった。
と、そこへ、
「何言ってるの、あなたたち!」
という声と共に、四人よりも少し年上と思しき長身のメイドが踵を鳴らしながら、部屋へと入ってきた。
メイド長・十六夜咲夜その人である。
「あのねぇ!お嬢様に間食はおやめ下さいと再三に渡って申し上げているのに、従者のあなたたちが止めないでどうするの!!」
腰に手を当てて、一同を見渡す咲夜。
その表情は厳しく、それまで優しげな顔しか見たことが無かった新人の少女は、肩をすくめて俯いてしまった。
「それに、お嬢様を何だと思ってるの!まるで愛玩動物みたいな言い方は、失礼極まりないわよ!!」
厳しい口調でそうたしなめる咲夜。後ろめたいところがある少女は、ここに穴があったら多分自分で入り込んでいるだろうと思われるほど、さらに縮こまってしまう。
ところが、残りの三人はというと、飄々とした表情でそれを受け流した。
『それはメイド長だと思いまーす。』
今度も、打ち合わせたか練習していたかのように異口同音の三人に、流石の咲夜も面食らう。
「な…、何よそれ。どうして私が。」
咲夜がらしくもなく一瞬戸惑いを見せたのは、後ろめたいところがあるからなのかどうなのか。
そして、超腕利きの彼女は、レミリアに仕えるメイド達が、咲夜には及ばないものの一騎当千の腕利き揃いだということを思い知る。
「たまに、メイド長が血を差し上げていることくらい知ってまーす。」
「レミリア様が、『最近、咲夜に頼んでもおやつが貰えない』とおっしゃってましたー。」
「私達は必ず二人以上でレミリア様のお側に参りますが、メイド長だけは一人でもOKという内規は、職権濫用ではありませんかー?」
「安全のため、とは、誰を何から守るためなのか教えて下さーい。」
「なんで、お風呂はメイド長が直接担当するんですかー?」
「そーいえば、お風呂の時も、他のメイドは控えているのも許可されていないのはなんでですかー??」
「浴室内はたぶん、あらゆる意味で無防備だと思うのですが、そのへんの”安全について”は咲夜様お一人だけでいーのかどーか、お考えをお聞かせ下さーい。」
「レミリア様を愛玩動物のように独り占めしているのは、咲夜様じゃないんですかー?」
絶妙な連携で波状攻撃をかける三人のメイド達。咲夜相手に一対一では勝算は無いが、三対一ならどうだろう。
『三人寄れば文殊の知恵』という言葉もある。
今のやり取りは『女三人寄れば囂しい』という言葉しか当てはまらないだろうが。
もっとも、完璧で一分の隙も無い筈の咲夜が、ほんの一瞬でも隙を垣間見せたのがそもそもの彼女の敗因である。
咲夜がやや目を伏せて俯き、拳を握って肩がわなわなと震えていることに気が付いた時であっても、腕利き揃いのメイド達の連携は少しも揺るがなかった。
華麗に優雅に大胆に。
先手必勝、一撃離脱。
やられる前にやれ。
「あ、じゃあ私はそろそろ中央回廊の見回りの時間ですのでこれで!」
「今日はもう定時ですので上がりまーす、おつかれさまでしたー!」
「外の警備に夜食を用意する当番ですので、失礼します!」
同時に言い残して寸劇のようなやり取りを一方的に切り上げると、百八十度回転し、驚異的な瞬発力で脱兎の如く駆け出す三人。
「ちょっと待ちなさいっっっ!!私のナイフから逃げられると思ってるのっ!!」
その後を追って厨房へと飛び込んだ咲夜だったが、そこで動きを止めた。
流石はここ紅魔館のメイド達。三人は、各々が厨房から回廊側への出口、隣接する倉庫のそのまた奥にある外への出入口、さらには裏の通用口からと、バラバラの逃走経路を辿るという、最後まで隙の無い完璧な連携を見せていたのである。
舌打ちし、苦虫を噛み潰したような表情で控えの間に戻って来た咲夜を見て、新人の少女は思わず声を上げそうになった。
その両手の指の間に、何時の間にか、輝く銀のナイフが四本ずつ挟まっていたのである。
だが、それは一瞬で消えた。
少女が瞬きをした程度の間に、咲夜の手にはもう何も無くなっていた。
幻を見たのか。
少女が顔を上げると、先程までの剣幕が嘘のように、これまで目にしてきたものと同じ微笑みを浮かべている咲夜の姿が映った。
少しの間があり、咲夜は何を言うべきか迷っているように見える。
だが、やがて自嘲めいた笑いを漏らすと、伏せ目がちに口を開き、呟くようにこう言った。
「…お嬢様はお優しい方。心より、お仕えなさい。」
静かに、簡潔に告げられた咲夜の言葉を受け止めると、少女はやおら立ち上がる。
そして、その言葉と、もう立ち去ったこの館の主を思い、深く一礼した。
先程の三人について何も言及しなかったのは、心の底では咲夜も別な想いを抱いていたからかもしれない。
さて──。
何故、レミリアは絆創膏を持っていたのだろうか。
いつも持ち歩いているのだろうか。そんなわけはない。
結局、レミリアは自分がメイド達に慕われている理由に気がつかないのだ。
気まぐれで我侭で自己中心的、そのくせ肝心なところで感情表現が不器用な夜の眷族のお姫様は、人間ではないのに、人間とは違うことも知っているのに、その自分が人間の子供っぽいことには気がついていない。
そして、幼い姿のまま、永遠に近い退屈な時間を無為に過ごす彼女は、これから先も気付くことはないのだろう。
(つづく)
レミリアのちょっとした気遣い、優しさが読んでいて心地良いです。
そういえば彼女のこうした側面を描いた話ってあんまり見ないかも…
これから明かされていくであろう紅魔館の話が楽しみです。
次回作を楽しみにしております。
>先手必勝、一撃離脱。やられる前にやれ。
それはフライトシミュレータの基本ですな。東方なら先手必勝、一撃必殺ですよ!w
また若干やられ気味の咲夜さんも( ´∀`)b
しかし、MUI氏のことだからとある程度は予想していましたが、ここまで一気に雰囲気を変えてしまうあたりが凄い。
そしてメイドさん達。本編に出てこない東方世界の住人という感じで、その切り口も新鮮に感じました。でもなんか女子校みたいじゃありません?(笑)
ところで、咲夜はレミリアの我侭に振り回されていると思っていたのですが、実は逆で、レミリアは咲夜のおもちゃだったんですね?
ということは、咲夜が黒幕ですか?(笑)
レミリアに吸血される事に脅えつつも、あきらめる新人の描写が良い感じでした。
レミリアも凄く良いんですが、メイドの女の子に萌えた私は異端でしょうか(汗)
メイドの背景設定が物凄く自然で、そして上手い。性格設定も、名前も無いのにどうしてこれだけ書けるのか……っていやー、MUIさんと私を比べてはいけませんねw
>少女はレミリアの肩に腕を回し、細く小柄な身体を抱きしめる。
凄く可愛い……いえ、本当に。こういう子っていいなぁ、憧れるなあ、落ちてないかなあ(ぉ)
そしてレミリアの、みょんに子供っぽい仕草なんかも(膝から飛び降りる所とかー)シーンとのギャップが凄くレミリアらしい状況になっています。
さて。で。私はMUIさんを地の文の美しさで攻める人だと思っております。逆に言うと、こういう勢い一直線な台詞で攻める話は苦手なのかなー、とか思ってました。
『いいなぁ~~~』とは、私の心情でもあったり。
…………上手い人はやっぱり何だって書けるんだよなー、ちぇー(苦笑)
この絶妙な連携攻撃が最高。この三人は、ひょっとするとパチュリーの4面ラストで連携攻撃をかけるあの3人のメイドかしらとか、そんな事を思ったり(笑)
そんな雰囲気が嘘のように、すっと消えて、咲夜さんの台詞がこれまた綺麗。一瞬、あまりに綺麗な幕引きでこのまま話が終わるのかしらとか思ったりしました(苦笑)3話以降も期待しております。
以上、年中頭の中が春なはね~~でしたw