――霊夢と魔理沙が邂逅する前後。
その日、十六夜咲夜はどうも落ち着かない気分になっていた。
申し分のない月と、申し分のない仕事の出来栄え。しかし、何かがかみ合っていないような違和感。
それが外の気配が尖っているせいだと気づくのは、一刻の後。
また、その源が馴染みのある神社からだと気づくのは、さらに半刻。
とりあえず、半日だけ暇を頂いて見てこようとお嬢様の部屋に向かったが、見事にもぬけの殻。
まさか一人で行ったのかと彼女にしては珍しく焦って外に出ると、
「あら、咲夜。まだ起きてたのね。平気?」
いつもの幼き、しかし威容ある姿で、彼女の主にして夜の女王であるレミリア・スカーレットが、月を映す広大な湖のほとりに立っていた。いや、少し浮いているので舞っていた、が正解だろうか。
「はい、この時間ならば。しかし、レミリア様もお気づきだったのですか?」
「ええ。ちょっと危ない感じだったから行ってみようかな、って思ったんだけど」
その言葉で、咲夜は自分の幸運に感謝した。どうやら置いてけぼりにされる可能性はなくなったようだ。
「それなら、私もご一緒いたします」
「ああ、そういう意味じゃなくてね。行く必要がなくなった、っていうことよ――ほら」
そんなことを言いながら、レミリアは博麗神社の方角を指差した。
首を傾げながら、完全で瀟洒な従者は永遠に紅い幼き月の指が示す方角に意識を集める。
と、
まるで音がはじけるような錯覚。
同じくしてあの尖った気配が唐突に消えてしまった。
「これで私たちはもう関われないわね」
肩をすくめそうな微笑を浮かべて、レミリアは己が従者に告げた。
「……結界。しかし、なぜ張られると?」
「運命、かしらね。いずれは訪れ、迎えねばならぬこと。それはあの無重力の巫女とて同じ。それが今この場でやってきているというだけ」
レミリアはそう言うと、まるで霊夢の面影を浮かべているかのように月を見上げて、溜息をついた。それは、おそらく身を案じているのだろう。その様子は恋する乙女、ともいえなくもない。ずばり指摘したらどうなるかは想像に難くないが。
「霊夢の運命? しかし、彼女は誰にも縛られないと――」
咲夜がスカートを軽く整えて聞く。少しずつ風が強くなっている。風の流れが変わってきているのだ。
それは当然の疑問だった。
霊夢のあり方は無重力。あらゆる束縛から浮き、全ての干渉を受け付けないもの。
故に、彼女の運命もまた彼女を縛れないし、レミリアもまた彼女の運命を繰ることができない。
もちろん、それは彼女がその本質を最大まで引き出した時のみだが、現状では月の異変クラスの事件以上の時にしか見れまい。
その月の時ですら、まだ全開ではなかったのだ。
「そうね、でもどんなことにも例外はある。貴方の時空操作が通じないものがあるように、私に触れられない運命があるように、フランに壊せないものがあるように。
そしてあの亡霊の姫に殺せないものがあるように、彼の境界の妖怪に操れないものがあるように、月の頭脳に理解できないことがあるように、霊夢にもまた例外がある」
まるで詩を朗読するかのように、するするとレミリアが語る。
例外。あらゆる法則が内包する、自らの反存在にして半存在。それは法則を崩し、法則を支えるもの。それらは真逆たるゆえに、己の存在を相対的に定義する。
そこで、咲夜は気づいた。
「それは……、ああ、私が私の時を止められないように」
「その通り。彼女は自分のかけた呪縛から浮くことはできない」
-3-
意識が、ぐらぐらと揺れている。
それは、眩暈に似ている。まるで足元が液体になったような、自分のいる場所が水槽の中に放り込まれたような感覚。
「…………霊、夢」
霊夢が魔理沙へと告げた解答。それは、聞いただけでは何のことか解からない、謎かけのような言葉だった。
しかし、それは魔理沙にとっては解かり過ぎるぐらいに、その意味を悟れる言葉だった。
「……それは、あれか。お前は、今までのこと全部、否定する気か」
震える声を絞り出して、答えのわかりきっている問いを投げる。
それがスイッチになったのか、今まで過ごした日々が、勝手に魔理沙の脳裏を流れる。
霧と館の記憶。門を守る華人小娘。知識と日陰の少女。完全で瀟洒な従者。永遠に紅い幼き月。悪魔の妹。
冬と桜の記憶。再会した七色の人形遣い。騒霊三姉妹。幽人の庭師。幽冥楼閣の亡霊少女。神隠しの主犯。
月と永の記憶。知識と歴史の半獣。再戦する楽園の巫女と普通の黒魔法少女。狂気の月の兎。月の頭脳。永遠と須臾の罪人。蓬莱の人の形。
何度かきつい目にもあった。目も当てられないことにもなったし、苦労することも多かった。
だがそのどれもが楽しくて、新たな出会いと美しい弾幕に彩られた記憶ではなかったか。
そして、その記憶を共に歩んで、共に楽しんできたのはいったい誰だったか。
「……そうね。結果的にはそうなるかしら。でも、私が私でいられるのに必要なら、まあ構わないかしら」
感情を覗かせることなく、霊夢が独白のように語る。
魔理沙はそれに、また腹を立ててしまう。沈み込んだ気持ちがまた持ち上がってくる。
「待てよ。それじゃ消される連中は、忘れられる連中はどうなる。あいにくと心ってやつには詳しくないが、少なくともお前が触れられたように、お前が触れた奴だっているはずだぜ。たとえ踏み込まなかったとしてもな。
――そういう奴の気持ちを、お前は無視する気か。そんなの、お前らしくないぜ」
声の震えを押さえ込んで、睨むように応え――
霊夢の表情が変わった。いや、それは錯覚。表情ではなく、気配が明らかに変わった。
「……無駄話が過ぎたか。さっさと終らせないとね」
怒り、殺意、憎悪――彼女に似つかわしくない感情が声として形を結ぶ。
――だが、その奥になにか、震えているものを感じたのは気のせいだろうか。
「……ッ、霊夢!!」
「手加減なしよ。朽ち果てなさい」
そう宣言して取りだしたのは四枚の符。五行の残り三枚に力を失った二枚を引き寄せて左手に五行を揃え、残りの一枚を右手で掲げる。
真っ直ぐに、
「冥界――『獄門弾幕結界』……!!」
宣言し、五行の符で自らに結界を張ると同時に投げはなった右手の符が、
爆発した。
異常な角度で張り巡らされる多重の結界。風景すら屈折して名状しがたい色彩を露呈し、それはまさにこの世のものではない場所――獄門を連想させた。
そして吹き荒れる弾幕。予測すら破壊する力の嵐。左右上下前後、果ては意識することすら許されない角度からまで飛来する魔弾。
それは、視覚の時点ですでに魔理沙を封殺していた。
「……や、ば」
意識の底に、今まで考えすらしたこともない未来――死という幻像が浮かんだ。
式が見えない。道が見えない。残された手は、ただ加速する弾丸をすべて独力で避けつづけるのみ。
魔理沙は頭を振って正常な思考を引き戻し、
「……霊夢ッ!!」
最後に一度だけ呼びかける。
後は、生き残るにはあまりにも絶望的な結界に抗うのみ――
「くっそ、なんで、こんな――」
あまりにも今さらすぎる言葉を吐き、
迫り来る雪崩れのような光弾を急激に下降して避け、
さらにあふれだすように飛び出した札を空を蹴るように横へ飛んで避け、
「いったい、どうしちまったんだよ、お前は――」
そこへ後ろから飛来するつぶてのように固まった弾丸。
さらに周囲全体から竜巻のように襲い来る誘導弾。
「なんで、こんな事する必要があるんだよ、お前らしくないぜ!!」
叫び、前へと突破口を見出して突撃する。途中、何度も全身を弾幕が掠めていく。
目まぐるしく歪み、移り変わる世界に方向感覚が壊れていく。
「無駄口を――」
苛立つ霊夢がさらに弾幕を厚く張る。
その密度は視界を、魔理沙の生存時間を奪っていく。
「いつものお前なら、簡単に答えを出せるはずだろ、なのに、なんでっ……!!」
どれだけ盛大に撒かれていようと、その一発一発に込められた妖力はあくまで強い。
かするたびに強い痛みが体を走る。
――それでも、魔理沙は言葉を紡ぐことを止めない。
「本当に、こんなのお前らしくないぜ、霊夢っ……!!」
痛みに耐え、ひたすら死に逆らい続けて、叫び続けた魔理沙の声。
それに――
「…………あんたに、いったい何がわかるのよっ!!」
初めて、霊夢が叫び返した。
その声は、最初の時とも、その次の時とも違う、全く新しい、痛みに満ちた声だった。
――その言葉に、頭が真っ白になる。
先ほどに一度否定された時とは違う喪失。
思わず動きが止まり、避けられるはずの妖弾が肩口に当たる。
「…………く、あっ!!」
信じがたいほどの痛み。おそらく頭の中の神経が耐え切れずにいくつか焼ききれたに違いないと納得できるほどに。
「そうよ、こんなの私らしくないなんて分かってる!!」
まるで堰を砕いたように霊夢からあふれだす感情。
「でも、じゃあいったいどうすれば良かったのよ!!」
彼女自身が張った/縛った、自らの結界/心。
それが、ゆっくりと崩れ去っていくのを、視た気がした。
「…………っ!!」
再び、声も出ないほどの痛みが走る。
二撃目は背中、右肩甲骨の上付近。
びりびりと右腕までしびれ、箒を握っていられなくなる。
残るは左腕。知らず、強く握りしめて振り落とされないようにと耐えて震える。
それを断ち切ろうとするかのように、苛烈さを増す弾幕の風景。
その隙間から、
「……怖かった。いつもの自分が少しずつ変わっていくのが。博麗としての在り方を崩されていく自分が怖かった!!」
霊夢が泣いているのが見えた、気がした。
体を走る痛みよりも、彼女の言葉よりも。
魔理沙にとっては、その表情が、涙が、一番辛かった。
それは中庸。裁定者。結界の守り手。幻想郷の守護者。
そう在る為には、どの人間にも、どの妖怪にも、どの世界にも、どの心にも偏ってはならず、ただ孤独のままでいることを強いられる。
それは、おそらく常人では耐えられないことなのだろう。
「……それでも、私はなんとか私でいられた。まだ、その時感じていたものが恐怖だなんて知りもしなかった。だから耐えていけた!!」
だから、博麗を継ぐ者は自らの心に強い壁を作る。
踏み込ませず、踏み込まず、孤独という猛毒を遮り、あらゆる外部からの力を断ち切るために。無重力の本質を継承するために。
だが、それは――
「でも、知ってしまった。だから、どうすればいいかなんて全くわからなかった。だって、今までずっと、感じたことがなかったんだから!!」
その結界が壊れてしまったとき、自らの支えをすべて失うことでもあった。
「だから間違ってたとしても、今の私には、全部なくしちゃう私には、こうすることしかできなかったんだから…………!!」
ゆえに、博麗霊夢は自らではなく外を壊そうとした。
それしかできなかった。それが、間違いと知っていても。
「…………ッ」
あまりにも残酷で、悲しい独白。
魔理沙は、唇をかんで、それに耐える。
湧きあがる自責の念に。
……気付いてやれなかった。
右足に札が当たり爆発を起こす。痛みに集中がとぎれ、箒の高度が下がる。
空いた意識の隙間に、自分の雑念――想いがそのまま言葉として注ぎ込まれる。
……そっか、怖かったのか。
体の感覚が遠ざかっていく。まるで遠い場所の出来事のように自分が感じられる。
集中していた魔力が流れ出していく。箒が空を駆ける力を失っていく。
……私が、私たちが変えてしまったのか。
視界には、ゆっくりと迫っていく境内。
激突すれば、本当に死んでしまうかもしれない高度。
死。
だがその前に、これだけの弾幕を浴びて、どうして私はまだ命を保っているのか。
それが、疑念として浮かび、
そこで、魔理沙は気付いた。
……ああ。あいつは、
ゆっくりと、下へ加速していくのを肌で感じる。
意識の中で、断片として記憶していたものが繋がっていく。
行動。言動。弾幕。慟哭。告白。そして――死んでいない自分。
まだ、あいつのままだ。
……なら、
そこで、自分の底から、何かが噴きあがっていくのを感じた。
それが闘志、あるいは覇気と呼ばれるものだと気づく。
呼び合うように意識が身体へ近づいていく。
ぴったりと、互いがはまった。
――私が、
感覚が甦る。
右腕はすでに箒を握りしめていた。
魔力が荒れ狂う風のように箒へと流れこんでいく。
そして、魔理沙の中で、一つの意志が形を結んだ。
「責任、取らなくちゃな……!!」
完全に五感が覚醒した。箒を強引に再起動させる。
たたき起こされた箒が空気を蹴って一気に急上昇した。
追撃をかけていた弾がその軌道についていけずに境内へ穴をあけた。
「…………なっ!?」
あまりにも予想外。すでに死に体だった相手が甦ったかのように見違えた動きを見せるさまに、霊夢は思わず声を上げた。
魔理沙のアクロバットはまだ終らない。
急上昇した後、眼の前から弾幕が飛来するのを見て、加速から減速へ、そして停止する。当然、その後は自由落下だ。
その表情には、彼女らしい不敵な笑いがあった。
轟、と耳をつんざく風の歓声。それに身を任せ、後ろから迫っていた誘導弾を見もせずにすり抜ける。
そこで箒を再び急加速。落下速度を抑え、地面すれすれで直角に曲がり、
「よっ、と!!」
足をつけて急制動を駆け、土を削るけたたましい音と盛大な砂埃を舞い上げて、ようやく止まった。後に残ったのは、呆然と魔理沙を見つめている霊夢と、それに不敵な笑みを向けている魔理沙のみ。
弾幕はすでに消え失せていた。それに続いて硝子細工のように狂った風景を映していた結界が消えて去る。符が力を使い切ったのだ。
「…………どうして」
「なに、気合はいつもストックしてあるんだぜ。小分けして使えるようにな」
いつもの調子で応える。もう、恐れも震えもない。
その雰囲気の急変に、霊夢は当然のように首を傾げた。やや苛立ったように。
「…………自棄にでもなったの?」
「いーや。まあ、自分の馬鹿さ加減に気づいたというか何というかだな。要するに、単純なことだぜ」
さらにわけがわからない。
霊夢の眉間にややしわがよった。まるで謎かけに応える旅人。
「まあ、あれだ。わからないことがあったらまず自分で調べて、それでも駄目だったら人に聞けって奴だぜ。うん、真理だな」
「……何が言いたいのよ」
その問いにうんうんと頷くように答えて、魔理沙は霊夢を軽く指差した。
「お前だお前。わからないことがあるなら人に聞け。人材はともかく人望には恵まれてるんだ。少なくとも実にはなるぜ」
その呑気とも取れる物言いに、
「……そんな簡単に言って!! どれだけ私が苦しかったかさっきも言ったでしょ!!」
霊夢が一寸切れた。まあ、ある意味当然ではある。
「だーかーらー。人の話は最後まで聞け」
それをあっさりと流して、
「つまり、私が答えを教えてやるってことだよ。
……まったく、どうしてこんな簡単なことに気づかなかったのか。アリスに馬鹿って言われてもしかたない、かもな」
苦笑。それとともに高らかと宣言した。
「……………………何を、いまさら」
霊夢が、俯いてかすかに震えている。
どんな表情をしているかまでは見えないが、まあ八割方怒っているのだろう。
「まあ、今さらだけど今さらだぜ。だから、この答えは……」
いいながら、魔理沙は右の腕を掲げて、
ざあ、と袖を振り、スペルカードを三枚、右手に収める。
これで打ち止め。
「まず、弾幕で見せてやるぜ。ヒントは無しで、意味は是非とも自分で考えてくれ。ま、賞品は特に決めてないけど」
その動作に、霊夢は次でこの勝負に決着がつくと予感した。
防御に使っていた五行符をしまうと、最後の一枚と思しきスペルカードを取り出す。
「そう…………なら、せいぜい頑張りなさい。どうせ殺すけど」
押さえた声で、宣戦を布告。その奥には、怒りと、何かよくわからないもの。
言葉と感情が合っていない。それに、また霊夢が苛立った。
魔理沙が再び宙を浮き、霊夢の正面に陣取る。それに合わせて、霊夢もまた距離を離し、弾幕が展開するのに充分な間合いを得る。
月が朧にかげり、再び力を取り戻した瞬間、
互いに、高らかに符の真名を詠った。
お体をお大事にしてくださいね。そして続き期待しますよ~。
続き楽しみにしてます
霊夢の中立である、あらねばならないというのはなるほどと感じました