「…しまったな」
呟くルナサは辺りを見回しながら失笑する。
ぼぅっとしているつもりは無かったのだが、気がつけば知らない道にでていた。
どこまでも続く竹薮は、無限回廊を思い起こさせる。
いっそ、自分と無限回廊はどちらのほうが先に尽きるだろうか挑戦してみたくもなったが、そんなことをしている間、妹たちは断食をしなくてはならないのでやめておくとしよう。
とりあえず…
「ここを乗り切らなきゃな」
手にしたヴァイオリンを構え、辺りにいる妖怪を見据える。
「知っているか?騒霊の音楽には、不思議な力が宿るんだぞ」
ヴァイオリンを奏ではじめる。
それは美しくも哀しい音色を響かせる。
いつもならそれと同時に弾幕が生成されるのだが、今日はそれをしない。
ルナサは相手を選ぶのだ。
こんな、音楽をノイズとしてしか認識できない低級の妖怪たちにそんなものは必要ない。
先ほども言ったとおり、騒霊の音楽には不思議な力が宿っているのだから。
美しくも哀しかったその音色は、いつのまにかその曲調を変えていた。
それは、強いて説明するなら狂気。
聞くものを狂わせるそのリズム、音色。
ノイズとしか認識されていなかったはずのそれは、たしかに妖怪たちに影響を与えていた。
「私は騒霊だが…私自身が騒ぐのはどうも苦手でね。おまえ達に騒いでもらうとするよ」
狂気のヴァイオリンはなおも激しさを増し、次第に妖怪たちは落ち着きを失っていく。
乱れるように、踊るように、妖怪は無様に舞い始める。
「さぁ、存分にその力を振るえ!いまから殺戮舞踏会を始めよう!」
ルナサが叫び、妖怪どもは雄叫びを上げる。
それが合図になって、その場は一種の結界となった。
結界の外の者はこの異常な光景の中に自ら入り込みたくはないだろう。
結界の内の者は、自らが狂っていることにさえ気付かないというのに、どうしてこの場から逃れられよう。
この世界には弱者も強者もいなかった。
血飛沫が、断末魔が…そしてヴァイオリンの音色だけが、この世界の全てだった。
「……ま、ざっとこんなものかな」
視界に動くものが見当たらなくなったところでルナサはヴァイオリンを弾く手を止めてそう呟く。
「ざっとこんなものなの」
「――っ!?」
背後から聞こえてきた聞きなれない声に、ルナサは自分でも驚くほど機敏に反応していた。
振り向きざまに距離をとり、相手と対峙する。
まさか、自分の魔力にあてられて平然としていられるほどの力を持つ妖怪がいたなんて…!
油断していた。
慌ててヴァイオリンを構え、演奏を再開する。
ヴァイオリンを弾き、弾幕を生成しながら…ようやく相手の容姿に気がつく。
「……なんだ、お前は兎か」
相手がまだ幼い兎の化身であることに気がつき、ルナサはヴァイオリンから手を離す。
赤き瞳の兎は狂気の化身。初めから狂っているものに狂気の音色が効くわけはない。
「あと、兎は頭がちっちゃい…」
「……?」
「いや、独り言だ。あまり気にしないでくれ。それで、お前はどうしてここにいるんだ?」
頭はちっちゃくても他の妖怪よりも言語を理解する兎の少女に、ルナサは何故か敵意を持てなかった。
まだ幼いというのもあるかもしれないが…それよりも、この真っ直ぐものを見つめるその瞳に惹かれていた。
その瞳は、姿はまったく違うはずなのにレイラを思い出させる。
瞳の色すら違うのに、どうしてそう感じるのだろう。
そんなことを考えながら、ルナサは少女の答えを待つ。
「……私は、お前じゃない」
一瞬、少女が何を言っているのか理解できなかった。
がしばらくして、それが先ほど呼ばれたお前という呼び方に反応しての言葉だと気がつく。
「あぁ、そうか。なら自己紹介をしないとな。私はルナサ。ルナサ・プリズムリバー。あなたは?」
「因幡、てゐ」
「それじゃあ、てゐ。てゐはどうしてここにいるの?」
「あなたの願いを叶えるため」
その答えは簡潔だった。
簡潔すぎて、曖昧だった。
「…困ったな。まさかいきなりそんなことを言われるとは」
頭をかきながら、いつものように目を細めて考え込んでしまう。
これは一体どういうことだろう。
まさかいきなり現れた兎の妖怪に、いきなりこんなことを言われるなんて誰が予想できようか。
正直、困り果てていた。
「私はレイラの願いの結晶だ。願いそのものである私に、願いなんてものは存在しないよ」
レイラが誰であるのか。
それはこの少女には知りえないことだが、こう言えば自分の言いたいことは伝わるだろうとルナサは考えながら言った。
しかしてゐはふるふると首を横に振る。
「あなたには、願いを…望みを持ちつづける資格がある。…それが、レイラの願いだから」
「――っ!?」
驚く。
何故、この少女は知らないはずのレイラのことを、まるで知っているかのように話せるのだろうか。
嘘?
否。この少女がそんなことをするはずがない。
そんな淀んだ瞳はしていない。
「…声、が」
てゐが呟く。
錯乱しかけていた頭は、それで自然と落ち着きを取り戻していた。
てゐが続けて口を開く。
「レイラの願いが、聞こえた」
「レイラ…!レイラが近くにいるのかっ!?」
ルナサが叫ぶと、てゐはふるふると首を横に振り、「声だけ、ずっと遠くのほうから、聞こえてきた」と告げる。
「でも安心して。…レイラは、見えてるよ。私をここに連れてきたのも、彼女の声だから」
長い言葉を、拙いながらも必死に紡ぐてゐ。
それを見て、ルナサは自分の中で何かが崩れるのを感じた。
そして、まったく違うはずのてゐとレイラとの共通点を見つけ出した。
その瞳が、とても真っ直ぐなのだ。
とても、強い意志を宿しているのだ。
そこが、とてもよく似ていたのだ。
気がつけばルナサはてゐを抱きしめていた。
「……想い、を」
抱きしめたまま、祈るように…囁くように…振り絞るように、声を出す。
「もうこの世の者じゃないレイラを、誰が忘れようと…たとえ妹たちすらもその記憶の彼方に追いやってしまったとしても…私だけは、彼女を想いつづけることを、赦してくれ……!」
抱きしめる腕に力がこもる。
たとえ名前しか知らない少女だろうと、泣き顔を見られたくはなかったから。
レイラに似た少女に、そんな姿は見せられないから。
「それが私の願い…。昔から抱いていた、この先もずっと変わらないだろう私の願いだ…」
てゐは抱き返すことも、頷くこともしなかった。
ただそこに立ち続け、「わかった」と言っただけ。
多くの人の願いをかなえてきたてゐは知っているのだ。
ルナサが願っていることを。
彼女が欲しいのは抱き返されるぬくもりじゃない。
彼女が望んだものは、罪を受け入れる覚悟と、それを受け入れてくれる人。
だからただ立ち尽くし、ルナサが泣き止むまで待ち続ける。
ふと見上げた月は、自分のこの忌まわしい赤き瞳のように、紅く自分たちを照らし続けていた。
☆★☆★
「1めるぽ、2めるぽ、3めるぽっ。これでラスト~!」
最後の一匹をトランペットで殴り倒すのと同時に、トランペットはご臨終を果たす。
最近のトランペットはどうにも軟弱だ。たかだか50匹ほど殴り倒したくらいで壊れてしまうなんて楽器の風上にも置けない。
やはり以前愛用していたミズノ製トランペットをもう一度特注してみようか。
あの殴るのに適した重さ。グリップの太さ、感触。どれをとっても最高傑作と謳われた伝説のミズノ製トランペット。
ただ強いて欠点を挙げるとすれば楽器として使用できないということか。
「……はっ!?私は一体…て、あちゃぁ。またやっちゃったか。ここはどこ~、私は誰~、あなたは何処~」
ふと我に返ったメルランは意味不明な歌詞を歌いながらふらふらと竹薮の中を歩く。
まぁミズノ製のトランペットのことはおいおい考えるとして、今はこの竹薮から抜けることの方が先決だ。
姉妹で食事をとることにしているため、遅くなったら姉には怒られ妹には文句をぶつけられてしまう。
「きょ~うのごはんはなんだろう~♪」
何故かたんこぶを作って気絶している妖怪を足蹴に進んでいくと、視界の端にちっちゃくぴょこぴょこと歩く何かを見つける。
横を向くと、幼い少女が楽しそうに跳ねながら自分の隣を歩いていた。
メルランはこの少女を見た瞬間に悟った。
あぁ…「同士」だ、と。
「私はメルラン。あなたは?」
なんの違和感もなくそう切り出す。
いきなり話し掛けられたことに驚いたのか、少女は一瞬きょとんとする。
が、握手を求められて状況を理解する。
「てゐ」
簡単に答えて、メルランの手を握る。
「てゐは散歩をしていたの?」
その言葉にこくんと頷く。
「メルランは…徘徊?」
「う…目的のないお出かけだからそう言われると反論できないけど…せめて、散策っていってほしいなぁ」
てゐの毒舌に苦笑してしまう。
それから辺りを見回して座れそうな場所を探す。
ちょうどいいところで石の妖怪が気絶しているのを見つけ、そいつをイスの代わりに二人で座る。
「それで…あなたは私の同士っぽい雰囲気がそこはかとなくするんだけど、私に何か用?…て、あるからここにいるんでしょうけど、私にはそんなものないわよ?」
メルランに言われて、たしかに、とてゐは頷く。
たしかにメルランはてゐになんて用は何一つないだろう。
しかしてゐにはそれがあるのだ。
…さて、どう尋ねよう。
てゐは語彙の少ない頭で一生懸命に考え込む。
それを見ていたメルランが、一言だけ助け舟を出してやる。
「てゐが私に聞きたいのは、どの私の話かしら」
言われて、てゐは理解する。
メルランは自分のことを同士と言った。
それは性格の波長が一緒だということではなかったのだ。
メルランは理解している。
自分と、てゐの根本となる部分が同士なのだということに。
「始まりと終わりに現れる者。傍観者。妄想狂い人」
ならば遠慮はいらないと、てゐは素直に答える。
「……そう。てゐはその三つが全て同じことを示すことを知っているのね」
てゐの言葉を聞き、少しだけ考える素振りを見せるメルラン。
こくりと、てゐは頷く。
知っていて当然だ。
だって、私とメルランは、同士なのだから。
「てゐ……そうね、どこかで聞いたことのある名だと思ったら、あなたは因幡てゐだったのね」
底抜けの明るさを思わせるメルランの笑顔。
それはどこか場違いな雰囲気を漂わせながら、それでいてしっくりとその場に似合う。
「叶えられし者にして望む者、因幡てゐ。思い出したわ。あなたはたしかに私の同士ね」
同じ、始まりを与えるものとして。
「正確には同士、ではない。私は始まりを与えるだけ。プリズムリバーは、終わりも与える」
「そうね。だからこそ私の話を聞きたいんでしょう?どうすれば終わりも与えられるようになるのか…と」
てゐは無言だった。
メルランはそれを肯定と捉え、話を続ける。
「別に私の話をしてあげてもいいけれど…一つだけいいかしら。なんで、私がここに来ることを知っていたの?私は偶然ここに迷い込んだだけ。あなたには私が迷い込むことがわかっていたの?」
「前に、ルナサ・プリズムリバーが来たから」
てゐの言葉になるほどと思う。
そういえば随分昔、帰りがとても遅かったことがあったなと思い出した。
となれば自分がここに来たのも、きっと偶然ではなく必然なのだろう。
そういう物語が、すでに確固たるものとして記憶されているのだから。
そんなことを考えていると、イスに使っていた妖怪が目を醒ましかけているのか、かるく身動きをする。
それを手にしていた壊れたトランペットを思い切り顔面に投げつけて気絶させ、メルランはゆっくりと口を開く。
「…といってもあまり話すこともないのよね」
期待に添えなくて残念だけど、と目を伏せてため息をつく。
「それでもいいなら話すけど?」
こくり。てゐは頷く。
もとよりたいして期待してるわけじゃなかった。ただ、これが手掛かりになればというその程度のものだ。
てゐの気持ちを知ってか知らずか、メルランはようやく口にし始める。
「まず、私はそれはあなたと違って生まれたときに付けられた名よ。私が、レイラという少女に創られたときに…。
私たち三姉妹はほぼ同時に創られた。でもその魔力の差が証明するように、完全に同時ではなかったの。
最初に私が生まれ、次に姉さんが生まれ、最後にリリカが生まれた。
一番最初に生まれたのが私…だから、私は始まりの名をもらったの。
そして、始まりは終わりを見届けなければならない。
私はプリズムリバーの名が終わる瞬間を、見届けなければならない。
それが私とあの子の間で交わされた唯一の契約。
傍観者やら妄想狂い人ってのはそのおまけのようなものよ。
始まりと終わりは、見届けなければならないからその中間に干渉してはいけないの。
だから私は時に傍観者を決め込み、どうしても干渉しなければならない時は狂った振りをする。…って、狂うのは半分は地の性格ってのもあるんだけどね」
あはは、となんとも楽しそうに笑いながらそう答えるメルラン。
その姿は、とてもじゃないが幻想郷の中でも上位に食い込む魔力の持ち主には見えない。
その絶対的な魔力を笠に着ることもなく、ひたすらに脇役を演じ続けるメルランを、誰もそんな風には認識していない。
てゐがそんなことを考えていると、それを感じ取ったのかメルランは子供に諭すように言う。
「…私は、主役なんかになるよりも姉さんやリリカと、毎日を面白おかしく演奏して過ごすほうがずっと楽しいと思うし、そう過ごすのが好きだし、そう在るからこその私だと思うから」
目を閉じてその光景を思い浮かべる。
自然と、穏やかな笑みが零れてしまう。
「だから悪いわね。これから姉妹そろっての団欒の時間なの。そろそろ帰らせてもらうわ」
立ち上がってスカートをはたく。
ここの竹薮はどこへ行っても同じ場所をくるくると回っている錯覚に陥ってしまうけれど、大丈夫だろう。
だって私には聞こえるから。
はやく帰って来いとおなかを空かせて待っている、私の自慢の家族の声が。
だからはやく帰ろう。
「待って」
駆け出そうとした矢先、てゐに呼び止められる。
「最後に、一つだけ」
すぐにでも駆け出してしまうそうな勢いのメルランに、てゐは少し慌てながら言葉を紡ぐ。
「あなたの願いは、何?」
振り返るメルランは、なんの迷いもなく答える。
「そうね…当面はあなたの願いが叶うこと、かな?」
頑張ってね。
そう言って、再び駆け出す。
その顔には、今まで見たこともないような笑みが浮かべられていた。
★☆★☆
「うぇ~。もしかして道に迷っちゃったかなぁ…」
竹薮の中を歩いていたリリカは意外そうな声で呟く。
本来記憶力がいいはずの自分が、なんでこんな変哲もない竹薮で迷わなければならないのだろう。
これはおっちょこちょいな次女か意外と抜けたところのある長女の役割じゃなかったのか。
あぁ、考えただけでも億劫だ。出来ることなら今からポジションチェンジして自分は遠くでほくそえんでいたい。
「…や、まぁ別に姉さん達を嫌ってるわけじゃないけどさ」
いつもと違う事態に、いつもよりも卑屈になっていた思考回路を少しだけ軌道修正させる。
今はそんなことに頭を使っている場合じゃない。
今まで散々姉達のことを馬鹿にしておいて、自分が夕食時に道に迷ってましたではあまりに馬鹿すぎる。
リリカは知識をフル稼働させながら帰路を急ぐ。
出会った妖怪は不意打ちで即座にやっつけて、それ以外のときはひたすらに足を進める。
「うぇ…あの竹は、もしかして……」
が、その特徴的な竹を見つけてリリカの足は一瞬止まる。
嫌な予感を感じつつその竹に近づく。
そこには、リリカが付けた六個の傷痕が残っていた。
それを確認してから深くため息をつく。
もしかしてと思って付け始めたのが六回前。実際はもっと多くここを通っている。
やっぱり無闇に歩き回るだけじゃダメなのかなぁ、と思いながらもめげずに出口を探し回る。
なるべく単調な歩きにならないように気をつけながら歩く。
単調な動きは催眠効果とともに、時には幻覚を催すから。
こんな弱気になっているときにそれはまずい。
こんな状況で幻覚なんて見てしまえば…きっとレイラを見てしまうから。
「姉さん達は楽しいし頼れるし役に立つけど…甘えるには適してないもんねぇ」
自慢の姉達は徹底的に妹に甘いから。
きっと自分は甘えん坊で寂しがり屋だから。そんなことをしてしまえば、いつまでも甘えてしまう…依存してしまう。
その点レイラは厳しかった。
自分で姉達を創っておきながら、一定以上の依存を許してはくれなかった。
レイラは昔からそうだった。
本当は誰よりも弱くて心細くて、自分でもそれを自覚していながら。
でも誰よりも自分に厳しくて、自律する心を持っていた。
甘えることは許しても、依存は許さない。
自分に対しても、他人に対しても。
「レイラ…」
視界がじんわりと滲む。
リリカは慌てて目をこすり、きっと前を見据えた。
これから七回目の挑戦。今度こそ抜けてやる!
あらかじめ決めてある歩数ごとに、あの竹に付けているのとは別の傷を竹に付けていき、今まできた道かどうかを判断しながら進んでいく。
歩いては傷を付けて、歩いては傷を付けて…それを十回ほど繰り返したころ。そろそろ十一回目を付けようと周りを見回してみると、ふと見慣れないものが視界に入ってきた。
それは自分よりも幼い姿をした兎の妖怪だった。
少女の姿をしたそれは、リリカを見つけると兎らしく跳ねながら近づいてくる。
リリカはそれを怪訝そうに眺めながらう~っと唸る。
どうやら向こうに敵意はなさそうだ。だけど掴まったら厄介なことに巻き込まれる気がする。
ならどうすればいい?
決まっている。少女に背を向けて走り去ればいい。
頭ではわかっている。
だけど身体は動いてくれない。
何故?独りが寂しかったから?
違う。私は以前にもこの少女と同じような瞳を見たことがあるからだ。
それは忘れるはずもない、私の大切な――。
ついに少女が目の前に来てしまった。
「…………」
だが少女は何も言わない。
既視感を与える瞳をこちらに向けながら、ただ無言で立ち尽くす。
二人の間に妙な空気が流れ始める。
泥沼に嵌ってしまったような、何者かにじわじわと追い詰められているような、そんな空気。
「――レイラ・プリズムリバー」
少女がぽつりと呟く。
それを聞いて、リリカはこの妙な空気の原因を理解した。
――あぁ、これは過去のしがらみに囚われてしまったときの空気だ。
先ほどまでレイラのことを思い出しており、見覚えのないはずの少女からレイラの名前を聞かされるという、普段ではありえないこの状況。
では、自分は既に幻覚に囚われてしまったのだろうか。
頭の中がうまく働いてくれない。
思考が、ぼんやりとあやふやになってくる。
「レイラが死んでしまったこと…後悔している?」
うまく状況がまとまらない頭で、でも一つだけ理解できたことがあった。
この少女は知っているのだ。
私達しか知りえないはずの、レイラの死の原因を。
だからこれはきっと幻だ。自分は今夢を見ているんだ。
「後悔はしてないよ。……ただ」
なら、姉にさえ言ったことのない本心を口に出してしまおう。
現実でそれを口にしてしまえば、姉達が悲しむから。
夢の中でさえ言えないのは…辛すぎるから。
そう。私はただ…
「レイラともう少しだけ、楽しい時間を過ごしたかった……」
口にした途端、涙が溢れてきた。
膝から下の力が抜けて座り込む。
あぁ、なんてみっともないんだろう。
だけど構うもんか。これは、私だけの夢の中の出来事なんだから。
「…願いを、叶えてあげようか?」
少女がゆっくりと近づいてくる。
リリカはその問いかけに、自然と頷いていた。
リリカと少女の距離が狭まる。
あと四歩。あと三歩。あとニ歩。あと――。
伸ばされた少女の指が、リリカの髪に触れる。
「目を、閉じて…」
言われたとおりにする。
「叶えてあげる。…永遠の夢の中で」
徐々に少女の声が遠くから聞こえるようになる。
遠く…遠く……遥か彼方へ………。
「させるか!」
瞬間、沈みかける意識を引き上げるような叫び声が聞こえる。
「ルナサ…姉、さん……?」
間違えるはずのない姉の声。
聞いたことがないほど大きなルナサの叫び声に、リリカの瞳がかすかに開く。
目の前にいたはずの少女は、既にリリカからは手の届かない位置に後退しており、その足元には抉られた地面があった。
それはルナサが叫んだときに放った弾幕の後だろう。
その威力の高さに、ルナサは本気なのだと理解できた。
「うちの妹に手を出さないでもらえないか、てゐ」
続けて弾幕を放ちさらにリリカとの距離を離させる。
「私の妹をこの世界に引きずり込まないでくれないか?囚われ人の名を貰うのは、私だけで十分だ」
再び地面を大きく抉る弾幕を放ち、それを目隠しにしてメルランがリリカをてゐの間に入り込み、リリカをてゐの視界に入れさせないようにと前からリリカを抱きしめる。
「リリカ、安心しなさい。あなたのことは私達が絶対に守ってあげるから」
リリカを安心させるように、強くぎゅっと抱きしめる。
その間にも二人を挟んでてゐと対峙するルナサの弾幕はさらに激しさを増す。
「一つだけ聞いていいか。もう、後戻りは出来ないのか?」
言葉一つ一つを弾幕に変えながら、ルナサはてゐに話し掛ける。
てゐはそれを、鼻で笑うかのように嘲笑して返す。
「ルナサ・プリズムリバー。影の囚われ人。自分の名前を最も忌み嫌う者。負け犬の言葉は聞かない」
ルナサの放つ弾幕を避けながら、てゐは反撃の様子を見せない。
否。出来ないのだ。
曲がったことが嫌いでまっすぐな弾幕は、しかし絶え間なく降り注ぎてゐに魔力を練る時間を与えない。
「負け犬の言葉は聞けない…か。それじゃあ、メルラン。そろそろバトンタッチしよう」
弾幕をぴたりと止めて、今度はルナサが後ろからリリカを抱きしめる。
「了解。姉さん、しっかりとリリカを守ってあげてね」
メルランがリリカから手を離し、てゐと向き合う。
「わかっている。…メルランも、自分で蒔いた種はしっかりと自分で処理しなさいよ」
「……もとはといえば、最初にここに迷い込んじゃった姉さんが原因とも言えなくはないんだけど」
苦笑しながらも、てゐから視線を外さない。
「始めは姉さん、次に私…ここまでくれば、あなたがリリカの物語に介入しようとしてることくらい容易に想像がつく。なら一番の原因をつくっているのはあなた自身かしら?」
メルランの問いかけに、てゐはふるふると首を振る。
「一番の原因は、始まりと終わりに現れる者にある。あなたが…私の目の前に現れたから。だから私は、始めることにしたの」
てゐの始まり…それは、終わりを導く者としての始まり。
始まりを与えるだけでなく、終わりを導ける者として。
だから最初にルナサに出会った。この物語の始まりとして。
次のメルランで確信に変わった。この物語には終わりがあるのだと。
最後にリリカを永遠に夢の中に閉じ込めれば、終わるはずだったのだ。
プリズムリバーという名の物語が。
終わりを導く者としての始まりが。
「…てゐ。あなたは何か勘違いをしていない?」
そんなてゐを、メルランは憐れむような目で見つめる。
「私は始まりと終わりよ。私で始まった物語は、須く私で終結するの。つまり…」
「うるさい…」
「あなたの望みは、私が全て断ち切ってあげる。だってあなたは私に望んだから。私にはそれを終わらせる義務がある。それはようするに…」
「うるさい!」
「――あなたが私に代わってその名を口にすることは、絶対にありえないわ」
「うるさいうるさいうるさい!私は、お前に代わってその名を継ぐんだ!姫達のそばにいられるように、私は強くなるんだ!」
メルランの鋭利な眼差しと、その言葉にてゐは叫んでいた。
「強くなって、誰にも私が役立たずだなんて言わせたりしない!誰にも私の居場所を奪わせない!」
自分でも驚くほどの魔力の奔流。
でも今なら扱いきれる気がした。
以前、輝夜が見せてくれた、あの技を!
「喰らえ、エンシェントデューパー!」
同時に三つの魔力を練りスペルを構成する。
道を塞ぎ、追い詰めて、止めを刺すために。
「あら、てゐ。開き直ればそれなりに強いじゃない」
それを時には避けて、時には自らが放った弾幕で相殺させ、メルランは笑う。
そのいつもの変わらぬ笑みは、こんな事態まるで瑣末なことだということを強調されているみたいで、てゐはさらに魔力の出力を上げる。
「…う~ん。本当は魔力切れを待ったほうがはやいんだろうけど…それじゃ、終わりの名が泣くわよね」
声とともに弾幕を発生させしばらくの弾避けとする。
「でもこれじゃあなかなか…近づけないわねぇ」
消しきれなかった弾幕がちりちりと服を破っていく中、メルランは慌てる様子もなく思考する。
そして何か思いついたのか、ぽんと手を叩き、後ろにいるはずのルナサに向かって話しかける。
「姉さん、少しだけヴァイオリンを貸してくれない?」
メルランがそう言うと、後ろから妙な沈黙が流れる。
後ろを見て確認したわけじゃないけど、メルランは確信していた。
…あ。私に貸すのめちゃくちゃ嫌がってる、と。
「ほら、応戦したいにもトランペットじゃ吹いたりしないといけないじゃない?別に吹かなくても出来るけど音がないと調子が乗らないし…」
だから貸して、と言う前にルナサの深いため息が聞こえる。
「言っても無駄かもしれないけど…大切に使いなさいよ」
ルナサの言葉とともにヴァイオリンが飛んでくる。
手を使わずに楽器を操れるのはこういうとき便利だよなぁ、と思いながらそれを受け取る。
ルナサとの会話中、わずかに遅れをとった右腕がかすかに悲鳴をあげるが気にしない。
不敵に笑って、てゐに向かって言い放つ。
「実はね…ヴァイオリンを使うと一番強いのは姉さんじゃなくて、私なのよ?」
メルランの後ろで深い深いため息が聞こえたが気にしない。
自棄になっていて、こちらの言うことをまったく聞いていないてゐのことも気にしない。
てゐの弾幕を紙一重で避け続けながら、ヴァイオリンを構える。
深く息をついてから、弦を引く。
「秘技――」
びくん、と。ここにきてようやくてゐが反応する。
まさか、という表情。
てゐのその表情に、メルランは満足げに頷く。
そう、そのまさかだ。
「怪音波弾幕っ!」
メルランの演奏が始まった。
おおよそこの世のものとは思えない音とリズム。
力の込めすぎによるヴァイオリンの破壊音は、人間ですら三半規管をやられ立っていることすらままならなくなるほど。それは聴覚の鋭い兎にとっては、まさに拷問。
無意識にではなく意識的にその破壊音をさらに凶悪なものへと変えながら、メルランは弾幕を生成する。
この世のものとは思えない音とめちゃくちゃなリズムに従ったそれは、無規律にちらばり訳の分からないうねり方をして前進する。
敵味方区別なく襲い掛かる弾幕は、はっきり言って阿鼻叫喚の有様だ。
以前ルナサがここで展開させた地獄絵図なんて、これに比べたらなんて慈悲深かったのだろうか。
「~~~っ!?」
もう自分の声さえ聞こえない。
てゐにはもうこの有様の中、自分の弾幕が維持できているのかさえわからなかった。
だが魔力の奔流はまだ溢れつづけているので、もしかしたらメルランの弾幕とともに暴走しているかもしれない。
最悪だ…最悪すぎる!
何が悪かった?途中までは順調だったはずなのに…あともう少しでリリカを取り込めるはずだったのに。そうすればプリズムリバー姉妹だって取り込めたはずなのに…なんで。
耳を折りたたみ、さらに手でぎゅっと押さえながらてゐはメルランに背を向ける。
てゐは良くも悪くも無邪気で無垢なのだ。この場から逃げ出すのになんの躊躇もしない。
――が。
「少し、判断するのが遅かったわね」
いつの間にか、目の前にはメルランの姿が。
手にはトランペットが握られており、上段に構えられている。
「今宵のトランペットはミズノ製…他のものとは破壊力が違うわよ」
がん!
鈍い音がして、トランペットが振り下ろされたのが分かる。
あぁ、自分はあれで殴られたんだ…。
そう理解するのにさほど時間はかからなかった。
土の匂いを強く感じながら、意識が白濁としてくる。
「やっぱり。私にヴァイオリンを貸せって言うからもしやとは思ったけど…吹けないトランペットに意味はないだろうに」
ルナサの呆れた声が後ろから聞こえる。
「あはは~。やっぱり、この感触は一度味わったら忘れられなくてね~」
「まったく。…悪いな、てゐ。しばらくの間縛らせてもらう」
メルランの満足げな声とすまなそうなルナサの声を聞きながら、てゐの意識は闇に落ちていく。
なんだか、ものすごいやるせなさを感じながら。
☆★☆★
しばらくして目が覚めたてゐは、その目の前の光景を見て絶句した。
「あ~はっはっはっは~っ!」
「リリカっ!なんでもいいから弾幕を!その隙に私が叩く!」
「これでも喰らえ~!」
「めるぽめるぽめるぽめるぽっ!」
「うわっ、姉さんはやく!もうこの弾幕じゃあまり長く抑えてられなくなってる!」
「わかってる!だけど…くそ、近づけない……!」
「げっ、もう時間切れ!?姉さん、一時退却~!」
うわ~っ!と叫びながらルナサとリリカがてゐの側まで後退してくる。
「…………」
状況が理解できないでいるてゐは頭の上にはてなマークを乗せながら二人を見つめる。
その視線にまずリリカが気がつき、ルナサに説明をうながす。
「あぁ……まぁ、見ての通りメルランが暴走している。すぐ終わらせるから少し待っていてくれ。…いくぞ、リリカ!」
「おぅっ!」
そう言って二人はまたメルランの放つ弾幕の中を突き進んでいく。
その光景を見ていててゐはなんだか目眩を起こしそうになる。
よくこんなうるさいのに眠っていられたものだ。
身動きがとれないように縛られていることに気がつきながら、それを解こうとする気力も沸いてこなかった。
それは動かすたびにずきずきと来る怪音波の攻撃の余波のせいか、それともこの目の前で繰り広げられる、プリズムリバー姉妹にとっては重要で、でも他の人から見ればどうでもいい騒ぎのせいなのかは定かではないが。
あぁ、そんなくだらないことを考えるだけで頭が痛くなる。物理的にも、精神的にも。
「打ち取ったりっ!」
向こうのほうで、リリカが叫びながら気絶するメルランの髪を掴んで高らかに掲げている。その姿はさながら将軍の首を取った兵のよう。
その表情はどこか誇らしげでもある。
「…ん?てゐ、何か言いたげだな。どうした?」
てゐが複雑な表情をしているのに気がつき、ルナサが近づいてくる。
「一番聞きたいのはメルラン姉さんの暴走のこと?」
リリカもメルランを引き摺りながらやってくる。
頭を振るとまだ視界が大きく揺れるため、「違う」とだけ答える。
暴走することは知っていたから問題はない。一番気になるのは…
「ルナサもリリカも、あの怪音波を聞いてた。なのになんでそんなに元気?」
てゐの質問に、ルナサとリリカは顔を見合わせて曖昧な笑みをつくる。
「……騒霊、だからかな」
「……慣れ、だよね。きっと」
騒霊だとか慣れで何とかできる域を超えている気もするが、疲れた二人の様子を見てつっこむのはやめておいた。
二人にもいろいろあるんだ、きっと。
「う…んぅ?」
思い切り殴り倒されていたはずのメルランは、もう回復したのかうめき声をあげながらうっすらと目を開ける。
メルランの声に本能的に身体が反応してしまう。
「あ~…一旦落ちてるから、たぶん落ち着いてるはず。大丈夫だ」
ルナサの心もとない言葉とともに、メルランがゆっくりとした動作ながら立ち上がる。
「ん~、よく寝たわ。…あ、てゐ。もう起きたんだ?」
先ほどの暴走なんてなかったかのように、さわやかにメルランは微笑む。
「メルランが暴走してるときにな」
「あはは。久しぶりに暴れたからすっきり~。当分は暴走しないだろうから安心していいよ、姉さん」
暴走するならせめて私たち以外の人の前でしてくれ…。ルナサのそんな呟きを当然のように無視して、メルランはてゐに向きなおる。
「さて、と…。それじゃあ話を進めましょうか。リリカに今日のことにまつわる話を大体説明してあなたのことを許すかどうか決めさせたんだけど…」
ちらりとリリカの方に視線を向けるメルラン。
どうやら暴走していたときの記憶はあまりないらしく、いきなり真面目な話に持っていかれてリリカも少々困り気味だったが、それもいつものことなのかメルランに合わせて話を続ける。
「私はそういうの面倒だから、パス」
「ていうことで許しが出てるので、あとはあなたがリリカのことを諦めてくれれば万事解決なんだけど…」
あれのどこが許しを出していたのだろうか。
そんなことを考えながらも、てゐはぷいっと顔を背ける。
長い沈黙のあと、いい返事がもらえないとわかってメルランが落胆するのがわかる。
「…にんじん三本で手を打たない?」
「ちょっと姉さん?いくらなんでもそれと私とじゃ価値が釣り合ってなくない?」
姉の安すぎる交渉に、思わずけちをつけたのはリリカ。
その言葉にメルランは少しだけ考える素振りを見せて口を開く。
「そうね。それじゃあにんじん五本?」
「が~んっ」
あれだけ考えておいて二本しか増えないのかとリリカがショックを受ける。
てゐが黙っていると、二人はてゐのことを一時的においておいて勝手に本数交渉をし始めた。
少しずつ増えていくにんじんの本数に心を奪われかけて、必死で我慢するてゐ。
本数が二桁を越えた辺りから二人の会話が平行線になり始め、ついには黙ったままにらみ合ってしまった。
だがそんな妙な沈黙のあと、不意にメルランはてゐの方を見ながらにこやかに言ってきた。
「にんじん十六本で手を打たない?」
さわやかなメルランと対照的の傷付いた様子のリリカの顔が印象的だった。
ついついその顔に同情し、頷きかけてからふと気がつく。
――それはリリカを諦めるにしては安すぎだっ。
慌てて縦に振りかけた首を停止させ、二人を睨む。
「…もしかして、策略?」
メルランはてゐの言葉を理解できていないよう。リリカは笑いながら、てゐにすら微かにしか聞こえないほどの声でちっと舌打ちする。
…さすがは三女。侮れない。
「う~ん、仕方ないわね…。本当は穏便に済ませたかったんだけど…」
リリカの策略にまったく気がつかないまま、メルランはてゐに背を向けて後ろにいたルナサと向き合う。
にっこりと笑って、無言のまま手を差し出す。
ものすごく嫌そうな顔でメルランの無言の催促を無視しつづけたルナサだったが、めげないメルランの態度についに根負けしてヴァイオリンをその手の上に乗せる。
「メルランも真面目に弾けば…この子だって喜ぶのに」
「あ、姉さん。てゐが身動きできないようにして耳をしっかりこっちに向けさせておいてね」
ルナサの呟きはやはり無視されて、さらにメルランに命令される。
もはや諦めの境地に達したのか、もう何も言うまいとため息をついててゐに近寄るルナサ。
口には出さないが、その瞳にはたっぷりと同情の念が込められていた。
その瞳が意味する内容をようやく理解できたてゐは、ようやく暴れ始める。
だがじたばたと暴れてみても、先ほどのダメージが回復していない上に縛られているため、ろくな抵抗も出来ずにルナサに捕縛されてしまう。
「リリカ。私がてゐを押さえてるから耳を立てておいてくれないか」
耳を折りたたむくらいの権利は与えてもらおうと必死に身体を動かすが、それも無駄な抵抗だったようだ。
リリカが耳を立ててメルランのほうに向ける。
メルランはそれを確認してゆっくりとヴァイオリンを構える。
メルランからてゐまでの距離は、先ほど対決していたときよりも全然近い。
あの破壊音をこんな間近で聞かなければならないのかとてゐの顔から血の気が引く。
いや、しかし。しかしだ。
もしかしたらヴァイオリンでそうやって人を洗脳させるような呪歌があるのかもしれない。きっとそうに違いない。
「安心しなさい。今回はヴァイオリンを弾くだけであの弾幕は張らないから」
それはつまり、ヴァイオリンはさっきと同じように演奏するということか。
「メルラン、行っきま~す!」
てゐが待ってと叫ぼうとしたその直前に、無情にもメルランの声がてゐの耳に届き、演奏が開始されてしまった。
「~~~~っ!?」
もう叫び声さえ届かない。
先ほどよりも近距離なうえ、耳を折りたたむことさえ許されない地獄にてゐの身体はびくんと大きく反応する。
だがそれを押さえつけるルナサやリリカはまったく動じない。
涙目になりながら抱きしめるように後ろから抱いていたルナサの顔を覗き込む。
まるでこれが私達の日常だと言わんばかりの表情に、てゐは戦慄を覚えた。
救いを求めるようにリリカの方も見てみると、こちらも平然とした表情でこのメルランの演奏が終わるのを待っていた。
やはり騒霊という名は伊達じゃないのか。
「第二楽章、行っきま~す!」
くだらないことを考えているうちに降参するタイミングを逃してしまったらしく、メルランの演奏が続行される。
時間の経過とともに耳が慣れるかと思いきや、音は確実に破壊力を増していきてゐの体力を奪っていく。
「第三楽しょ――」
「わ、わかった!やめる!リリカはもう狙わないからっ!」
当初の目的を忘れたのか、うっとしとした表情で第三楽章を弾き始めようとするメルランに、てゐは慌てて言葉を紡いだ。
これ以上喋ると頭が割れるほど痛むため、涙を湛えた瞳で必死に訴える。
それにメルランはにっこりと笑って答え――
「第三楽章、行っきま~す!」
てはくれなかった!
聞こえなかったのだろうか。聞こえなかった振りをしているのだろうか?ただ単に暴走してるだけなのだろうか?どれにしろ最悪だ。
助けを求めるように自分を取り押さえているルナサを見つめる。
ルナサはてゐの視線に気がつき、苦笑しながら教えてくれる。
「大丈夫。てゐが諦めるって言った瞬間、メルランの雰囲気が変わったから。これから弾くのは真面目な曲だ」
「そうそう。んで、ルナサ姉さんよりも技術的には拙いけど…メルラン姉さん、本気を出せば変曲とかお手のものだから、いつもと違う雰囲気の曲が聞けて楽しいよ?」
てゐの耳を掴んでいたはずのリリカも、いつの間にかてゐの隣で座って笑っていた。
それに習うようにルナサもてゐから腕を離し、てゐの隣に座る。
「――ほら。さっきまでとは音が全然違うだろ?これがヴァイオリン本来の音だ」
メルランが演奏を開始して、まるで我が子の自慢をするようにルナサが言う。
目を閉じて、我が子がようやくまともな舞台に立てたとばかりにその音に聞き入る。
その姿があまりにも幸せそうで、だからてゐも目を閉じてみる。
どうやらメルランは先ほどまでの曲の続きを弾いているらしく、リズムに若干の名残はあるが、音が先ほどまでとまったく違うため、不快感を覚えない。
目を閉じて聞いているうちに、あの怪音波の影響で麻痺していた様々な機能が復活していく気がした。
「…私達は騒霊だからな。人を不快にさせるのも癒すのも思いのままだ。……もちろん、睡魔に襲わせることもな」
…ルナサの声が、遠い。
何かに包まれる感覚に心をゆだねながら、目を閉じたまま曲に聞き入る。
「…おやすみ、てゐ。目が覚めたとき、そこにはもう私達はいないだろうし、もう二度と会うことはないだろうけど…それでも多分、私はてゐに会えてよかったと…思っているよ」
メルランの演奏が終わるか終わらないかというところで、てゐはルナサの呟きとともに眠りについた。
メルランの呪歌の効果もあるのだろうが、それ以上にてゐは力を使いすぎたというのもあるだろう。
ルナサはてゐを縛っていた縄を解き、立ち上がる。
「てゐの願いはこれで終わり…か。なんだか、哀しいな」
「あら、姉さん。それは勘違いよ」
ルナサの呟きに、演奏を終えてルナサに近寄ってきたメルランが答える。
「私はあの子が企てた私達に関する物語と、あの子の願いの始まりを終わらせただけ。あの子は何か勘違いしてたみたいだけど…てゐの願いは私が与えたものじゃないもの。それを終わらせる権限は私にはないわ」
地面に横たわるてゐを愛しそうに見つめてから、メルランはてゐに背を向けて歩き出す。
「ここら一帯の妖怪は多分あの怪音波にやられて当分ここには近寄らないだろうし、てゐが起きる前に帰りましょ」
「それはいいけど…帰り道、わかるの?」
「あら姉さん、知らないの?人間には動物的帰巣本能があるのよ」
「ならメルラン姉さんが先頭だね。一番野性的勘が鋭いし」
「…リリカ、何気に毒舌?もしかして今回一番目立たなかったのが悔しいの?」
「あはは、それもあるかもね~」
「……どうでもいいけど、はやく帰らないと明日につかえるよ。明日は皆で演奏会に出かけるんだろ?はやく家に帰らないと」
「それもそうね」
「それじゃあ、レッツゴー!」
こうしてプリズムリバー三姉妹はわいわいと騒ぎながら竹の出口を目指す。
メルランが先頭を歩いて以降、あの特徴的な竹は見当たらなかったため、おそらく一発で抜けられたのだろう。
先ほど抜けきった竹薮を振り返りながらリリカは思う。
――今回、本当になにもしなかったなぁ。
★☆★☆
余談ではあるが、その後目が覚めたてゐは腹いせに永遠亭にいる兎を締め上げて、いつのまにやら兎達のリーダーとしての地位を確立させていったらしい。
しかしそれはまた別のお話。また次の語り部が現れるまで、この話は永遠亭の戸棚の奥にでも仕舞っておくとしよう――。
・・・そして怪音波弾幕に思わず噴きました(笑) 子守唄と称してショックで永眠させられる破壊力ですな。あれだけは死んでも食らいたくないなぁ・・・
にしても、すっかりメルランは暴走キャラがあちこちで板についてきましたねぇ。てか、トランペットは鈍器扱いですか(笑)
次回作も期待させていただきましょう。