「なあ」
「なによ」
霧雨魔理沙の問いかけに、紅魔館のメイド長、十六夜咲夜は振り向きもせずに答えた。
いつものことなのだろう。魔理沙は特に気にした様子もない。
「最近中国を見ないんだが、どうしたんだ?」
中国・・・ああ、紅美鈴のことか。紅魔館の門番だと聞いているが、私、上白沢慧音も、初めてここを訪れた時に門前に立つ彼女を見たきり、今まで彼女を見ていない。
その言葉に咲夜は身を震わせ、立ち止まる。
しかしそれも刹那のことで、彼女は何事もなかったの用に歩を進めた。
「・・・咲夜」
なんとなく沈黙してしまった魔理沙にかわって、博麗霊夢が改めて問いかける。
「・・・・・・あ、貴女達が気にすることじゃないわ」
彼女にしては非常に珍しく、声を上擦らせて言う。本人にしてみれば平然と言ってのけたつもりなのだろうが、動揺しているのは瞭然だった。
きゃあああああああ・・・・・・
悲鳴。
正に今通り過ぎようとした扉の向こうから彼女の、美鈴のそれは響いた。
ああ・・・!い、妹様、それ以上はぁぁぁぁ・・・
あははっ。そんなこと言う割にはまだまだこんなに・・・
妹様・・・話に聞く、レミリア・スカーレットの妹、フランドール・スカーレットのことだろう。
全員の足が止まった。
「・・・なんで止まるんだよ」
「・・・貴女こそ止まってるじゃない」
声をひそめてるいるあたり、流石だった。
「うるさいわね、聞こえないじゃないの」
そんな二人に、霊夢は小声で抗議する。扉に耳をへばりつかせながら。
彼女の言葉に魔理沙と咲夜は互いに顔を見合わせると、霊夢と同じく耳を澄ませた。
・・・頭が痛い。
だ、だめです妹様っ!そんなにされたらわたっ、私はもう・・・っ!
大丈夫だよ、ほらっ!まだこんなになるじゃない!ほらほらっ!
もう・・・っ無理です・・・っ・・・いもうとっ、さまぁ!
鈍い音がした。
・・・ほら肘から折れちゃったじゃないですか。だからもう無理だと申し上げたのに。
あう・・・ごめんなさい、美鈴・・・
扉前の三人が突っ伏す。なんじゃそりゃあ、というのが彼女らの感想だろう。
・・・私としては、自分の腕が折られたにもかかわらず、平然と対応している美鈴に驚きなのだが。
あんまりおいたすると、レミリアお嬢様に言いつけちゃいますよ?
ああっ!それだけはやめて!かわいくするからぁ!
・・・わかりました。じゃあ妹様は少しお休みになっていて下さい。私は腕を修理に出してきますから。
はーい。
ものすごい会話だと思う。
近づいてくる足音に、霊夢たち三人は慌てて後ずさった。
「あら?皆さんお揃いで」
後ろ手に扉を閉めつつにこやかに言うのは、緑の服着た紅美鈴・・・ではなく、侍女服を着た彼女だった。
「どうしたんですか呆気にとられちゃって。・・・あ、この服のことですか?紅魔館の内勤はメイド服着用が義務なんですよ~」
「・・・いやそうじゃなくて」
彼女の的の外れた台詞に、魔理沙がようようと言葉を返した。
視線が否応なしにぶらぶらと奇妙に揺れる、美鈴の右腕に集中する。
「・・・痛くないのか・・・?」
「・・・・・・」
魔理沙のその言葉がスイッチだったかのように、彼女の額からぶわっと脂汗が吹き出した。みるみる顔色が青ざめていく。
「・・・痛くないですよだって五分で治りますし」
「治癒時間と痛みは比例しないだろ別に?!」
明らかに無理を言っている美鈴に、彼女は思わず突っ込みをいれた。
やせ我慢してみせていたその精神力は、称賛に値はするが。
「というかどうやったら骨折が五分で治るのよ」
「気パワーで。気取って言うならオーラ力で」
それは気取っているのか。
そう口走りそうになったが、こういう役どころは私ではないので黙っておくことにする。
そんなことを思っている間に、彼女は折れた右肘に左の手のひらを掲げていた。いかにもそれっぽい仕草だった。
いや、それっぽいだけではない。
霊力でも魔力でもない、そう・・・確か気パワーだったか、それが流れていくのがわかる。
これなら五分で完治するというのも、口先だけのことではないだろう。
だが、私はそんな彼女に魔力の手を伸ばす。
なんの抵抗もなく、彼女へと接触する。
私はかすかに眉をひそめた。
外部からの干渉になんの抵抗もなくその身を委ねる彼女。
強固な自我を持つ知的生命の歴史に、これほどあっさりと触れることができたのは初めてだった。
刹那に戸惑いつつも、私は彼女の『腕が折れた』という歴史を喰らう。
「・・・あれ?」
きょとんと美鈴は自分の右腕を見やる。
折れていたはずの肘を、曲げたり伸ばしたりして確認する彼女。何が起こったのかよくわかっていない様子だった。
「ありがとうございます、慧音さん!」
だが誰が起こしたのかはわかったらしい。美鈴はぺこりと私に頭を下げる。
そして何かに気付いたように、あっと口元に手をあてた。
「あまりお引き留めするのもなんですね。お嬢様もお待ちでしょうし。私もフランドール様にお茶をいれてきます。ごゆっくり」
手をしたっ、とあげてそう言うと、彼女の姿はみるみる小さくなり、視界の外へと消えてしまった。
待ったをかけようとした手が所在なくなる。他三名も呆気にとられているようだ。
行動的というか、落ち着きが無いというか・・・まるで一瞬の突風のようだった。
「喰ったのか?」
気を取り直すかのように咳払いをしてから、魔理沙が私に問いかける。
本来ならあまりやらない方がよいのだが、どうにも不憫だったのでつい手を出してしまった。
「ああ。・・・しかしあれほど無抵抗というのはどうかと思うんだが」
「それは貴女に、彼女を傷つける気が無かったからでしょ」
私の当初からの疑問に答えたのは、咲夜だった。
「どういう意味だ?」
「そのままの意味よ。彼女、殺気のない相手にはものすごくおおらかだから」
いまいち要領を得ない返事に、私は首を傾げる。
「・・・もしかして、そう言うわけなの?」
ピンときたのだが今ひとつ信じがたい、といった様子で霊夢が呟いた。
「そ。『気を使う』程度の能力。それを読むのもお手の物らしいわ。・・・だからこそ、彼女は門番なのだし」
害為す気のある相手には全力で、か。確かに、門番にはうってつけの能力だろうが。
「なら門番やらせろよ」
魔理沙のもっともな突っ込みに、
「なら妹様の相手をしてくれるの?」
咲夜はそう返した。
降参、とばかりに魔理沙は両手をあげる。まあ、さっきの彼女の有り様を見てはな・・・
「せめて、特別手当くらいは出ているのか?」
「出てるわよ、被残虐行為手当」
「・・・・・・」
なんというか、余りにも無体な名称に、私は思わず沈黙した。
「ちなみにいかほど?」
「コインいっこ」
「うわぁ・・・」
興味本位の質問の返答に、霊夢は引いたような声をあげる。
・・・そう言えば私を妹の教育係に云々、と以前言っていたような気がしたが・・・
少なくとも積極的に仕事場として選びたい環境ではないな、と私は内心呟いた。
くす。
「・・・いい葉を使っているな」
唸るように、感心したように、慧音はカップの中の液体を見つめる。
彼女曰く、妖魔の巣窟に赴く人間の護衛らしいけど、実のところお茶が目当てなんじゃないかと思う。ま、本当のところはあれなんだろうけど。
「貴女にそう言ってもらえると、かいがあるというものだわ」
微笑みながらレミリアは言い、含みのある視線を魔理沙に送る。気持ちは分かるけど。
「・・・なんだよその目は」
お茶請けのスコーンを片手に、彼女は憮然とした表情になった。
「別に?ただ感想を貰いたいと思っただけ」
「・・・あー、美味いと思うぜ?相変わらず」
すました様子の彼女に、魔理沙は思いついたように言う。
くす。
「・・・魔理沙」
同情するような口調で、彼女の名前が漏れた。
「な、なんだよ霊夢」
後ろめたさのようなものを混ぜつつ、魔理沙はもごもごと言う。
ほんとに気付いてないのね・・・
「先日の茶の葉とは、種類が全く違うぞ」
私の言葉に続いて、慧音がそう付け足した。
「・・・・・・」
気まずそうに沈黙し、魔理沙はちらりとレミリアを見る。
何も言わず微苦笑を浮かべ、優雅にカップに口を付ける彼女。
くすくす。
「猫に小判」
「馬の耳に念仏」
「歯に衣着せろよ少しは?!」
交互に言う私と慧音に、彼女は思わず声をあげる。
ことわざを使ったあたり、かなりおもんばかったつもりだったんだけど。
「そもそもお茶の真髄ってのは茶葉の優劣じゃないぜ!問題は・・・」
立ち上がりつつ演説するかのように言う魔理沙。
くすくす。
「魔理沙」
「魔理沙だな」
「うがー!」
その中途を、再び私と慧音が受けた。奇声を上げる彼女を生暖かい目で見守る。ひとしきりそれを終えると、魔理沙は脱力したように席に着いた。
「・・・なんだか霊夢が二人いるみたいね」
今まで傍観していたレミリアが、そんな事を言う。
「だろ?やっぱり似てるよな、こいつら」
魔理沙もそれに同意するけど。
くすくすくす。
「それは彼女に対する侮辱ね」
「それは彼女に対する蔑みだな」
ほとんど同じくして、私と慧音は言った。
決定的に。
くすくすくすくす。
ずれた。
「・・・霊夢?」
くすくすくすくす。
眉間にしわを寄せる私に、怪訝そうな、レミリアの声がかけられる。
何をしているんだか。
うるさい。
くすくすくすくす。
こんなことをしたって、
うるさいうるさい。
「霊夢?」
くすくすくすくす。
うるさいうるさいうるさい。
私を呼ぶ声。誰の声かは、何故かわからない。
くすくすくすくす。
うるさいうるさいうるさい何も言うな。
なんにもならないのに。
うるさい!
椅子を蹴倒し立ち上がる。
そんな私を驚いたように見上げる三人が見・・・
見えなかった。
真っ赤に染まった視界。
それなのに、完膚無きまでにいる私。
「霊夢?!」
音をたてて倒れる紅白の巫女に、魔理沙は叫んで、焦ったように取りすがる。
「咲夜」
「はい」
動揺の色はかすかに、レミリアは自らの従者を呼んだ。今の今までこの部屋になかった銀色の影が、忽然と霊夢の傍らに現れる。
気絶した彼女を咲夜は軽く持ち上げると、一礼して扉から退出していく。慌てて魔理沙はその後に続いた。
残されたのは、私とレミリア。
物言いたげに私を見る彼女。動じずにいた私にその視線が向けられるのは、まあ当然か。
「やり方は、他にもあったかもしれん」
今更どうしようもないことを、私は呟いた。
彼女を救う。
何ともおこがましいことだが、ともかくそれをなす為には、彼女と私の邂逅は絶対的に必要だった。
吉凶が如何に出るかは、正直予想できることでもなかったが。
いや。
わかっていたのかもしれない。こうなることは。
おそらくこれは、通過儀礼。
「どういうことかしら」
私の呟きにその真紅は、レミリア・スカーレットは見定めるように私を見据えた。
「彼女がああなった切欠は、私にあると言った」
努めて平坦な口調で私は言う。
それに応じて、彼女の視線がす、と鋭くなる。射抜くように。
ああ、これだ。
この視線だ。
確かに私は知らしめた。彼女にそれを知らしめた。
だがね、レミリア・スカーレット。
君の、魔理沙の、その視線が、気持ちが、想いが、それが彼女にのしかかる。それが彼女に思い知らせるんだ。
私の言葉を待つ彼女に、口を開く。
私はその先にある、何もない白い壁面を指さした。
「そこに」
居るんだよ。おいてあるんだ。『私』がね。
そんな私の言葉に、彼女は眉をひそめる。
「『私』は言うんだ。踏み込むな、と。そこで止まれ、と」
それ以上、近づくな、と。
「何故?貴女は人間が好きだと言った。だから里を守るのだと。それは、とてもとても下らないことだと思うけれど、でもそんな在り方もあるんでしょう」
だから彼女は言った。何故、愛するものから離れゆくのかと。どうして敬愛でなく、畏敬たるのかと。
「私が私であるために」
いつぞやに、魔理沙に言うのと同じ言。
個でなく全を愛するが故に。
個を愛して『特別』を造り、全に仇為す化生となることがなきように。
個でなく全を愛するが為に。
「とんだ腑抜けね。大した逃げ口上だこと」
蔑むように、失望したように、彼女は息を吐いた。
「いかな金言であろうと、語り手が聞き手でない限り、それは単なる言い訳になるだろうな」
私は気にした風もなく、事実気にすることなく平然と言った。
彼女の苛立ちが増すのがわかる。
「話を戻そう。彼女のことだ」
寝室への扉を一瞥し、私は言う。
「彼女にも、それがいる」
私のように前ではなくて、上か後ろか見えぬ所に。
何故なら私は、それを自らおいたが、彼女のはおそらく始めから居続けたから。
そしてそれは。
「彼女には必要のないものだった。それなのに彼女には在った」
在ってしまった。
魔理沙は言った。私と彼女は似ていると。
確かに似ている。
私はそれを意識し、彼女はそれを意識していないという違いはあったけれど。
だがそれは、絶対的な差異。
そして私と会うことで。
「彼女は知ってしまった。それがいることを。それと自らの剥離を」
そして彼女は知った以上、もはや常ではいられまい。
「何故?」
レミリアが問う。幾千幾万の夜をひとり超えた彼女が。
「お前は孤独に戻れるのか?」
逆に問いかけた私に、彼女は押し黙る。
戻れるはずがない。友を得、共にあることの心地よさを知った彼女が、暗く冷たい孤独の時を、再び刻めるはずもない。
そういうことだった。
彼女も、霊夢も同じ事。
もう、私たちは手を出すことも、口を出すことも出来はしない。
彼女の結論を、ただ座し待つのみ。
「運命の、刻だな」
私の呟きに、レミリアは驚いたように目を見開き、ややあって艶やかに微笑んだ。
何かおかしな事を言っただろうか?彼女の豹変に、私は怪訝な表情を浮かべる。
「運命ね」
意味ありげに、くすくすと笑う。
「彼女を相手に運命を持ち出すのなら、結果は見えているわ」
彼女は言う。
「私程度が操れるそれに、彼女が屈するはずがない。彼女を縛れるはずがない」
詩を詠むように、彼女は紡ぐ。
「だって、彼女は」
わかったでしょう?
わかったでしょう?貴女がどれほどに「外れて」いるのか。
・・・・・・
魔理沙と他愛のないことを話して、レミリアとお茶を飲んで、幽々子の宴会で騒いで、紫に頼み事をされて。
いつまで続くの?それが。
いつかは終わるの、それは。
・・・・・・
無くなってしまう。失われてしまう。喪われてしまう。
終わるのは、悲しい。
無くなるのは、つらい。失うのは、苦しい。喪うのは、痛い。
それなら、そんなのはいらないじゃない。
終わるのなら、始まらないで。
無くなるのなら、ほしくない。失うのなら、得ようと思わない。喪うのなら、望まない。
魔理沙と他愛のない話をするのは、楽しい。レミリアとお茶を飲むのは、好ましい。幽々子と宴会で騒ぐのは、愉快だ。紫の頼み事は、刺激的だ。
でも、そんなことをしても、なんにもならないのに。そんなことは無用で無為で無駄で無意味なのに。
・・・・・・
だから私はここにいる。
踏み込まないように、踏み込ませないように、私はずっと嗤ってる。
ずっとずっと、今までそうだったじゃない。
これからもそれでいいじゃない。
熱くも冷たくもない、そんな時を過ごせばいい。
緩やかな流れに、身を委ねていればいい。
私がずっと、見ていてあげる。
そう。
最初は、そう思っていた。
私は壊れていて、外れていて、異常なのだと思っていた。
でも気がついた。それが在ることに。
彼女がそれを、気付かせた。
いつにない、強烈な邂逅に戸惑いもしたけれど。
でも。
「五月蠅いな」
そう言った。
そう言えた。
白けた世界の独白が止む。
まだわからないの?
あくまでも穏やかに、諭すように『私』が言う。
「魔理沙と話すのは無用だって?」
そう。
「レミリアとお茶をするのは無為だって?」
そう。
「幽々子と騒ぐのは無駄だって?」
そう。
「紫の頼み事をきくのは無意味だって?」
そう。だって貴女は私だから。
「はっ」
戯言を笑い飛ばす。
「あんたが私?笑わせないで」
『私』が・・・いや、こんな呼び方も烏滸がましい、『それ』が沈黙した。
「あんたは私じゃない。私はあんたなんかじゃない」
魔理沙との会話も、レミリアとのお茶会も、幽々子の宴会も、紫の頼み事・・・は微妙だなぁ・・・あ、まだ報酬も貰ってないし。いや、それはひとまず置いておこう。
とにかくそれらは、無用でも無為でも無駄でも、ましてや無意味でもありはしない。
何故?
「私がそう思わないからに決まってるでしょ」
そんなはずはない。貴女は私なんだから。
「だから、違うんでしょうが」
呆れて私はそう言った。
「阿呆なのよ、あんたは」
阿呆のくせに、悟ったように聡いような事を言って、えらそぶる。
阿呆のくせに、踊らないでどうするのよ?
でも、悲しいのよ?つらいのよ? 苦しいのよ?痛いのよ?貴女はそれでいいの?貴女はそれに、耐えられるの?
当たり前じゃない。
何故?
楽しさを望んで。好ましさを望んで。愉快さを望んで。刺激を望んで。
だからそれは、望んだ悲しみ。望んだつらさ。望んだ苦しみ。望んだ痛み。
私は歩ける、走れる、飛べもする。
だから、飛ぶんだ。
『だけど』、飛ぶんじゃない。
空を飛ぶ程度の能力。
私は飛べる。飛べるのが私。
何者も私を止められない。
ましてやあんたなんかに、繋がれてやらない。束縛なんて、されてやらない。
自由。
それこそが私。
私はそう決めた。
私がそう決めた。
あんたは。
だからあんたは。
私なんかじゃ、ない。
・・・・・・そう。
なら・・・・・・
眼を開く。白い天井は、いやに高かった。
ふかふかの上掛け。身が沈むほどに柔らかな敷布。腰に悪そう。いや決してやっかみではなく。
そう言えばレミリアってどういう風に寝てるのかしら。普通に横になると羽根が邪魔そうだし。うつぶせ?それとも座って?ああ、これだけ布団が柔らかければ、羽根も痛まないのかも。
「・・・なんで寝てるのかしら」
とりとめのない思考を打ち止めて、私は身を起こす。
「霊夢?!」
すぐ横手から私を呼ぶ声。
そこには心配そうな顔でベッドに手を置き、身を乗り出す魔理沙の姿。
「おはよー」
そんな彼女に、私はぱたぱたと手を振ってみせる。
私の様子に安心したのか、魔理沙はほっと息をつき、
「なにがおはよー、だ。いきなりぶっ倒れて、何事かと思ったぜ」
今度はしかめっ面をしてみせた。
あー、そっか。お茶の席でいきなり倒れたんだっけ。そういえば後ろ頭がちょっと痛い。
「心配してくれたんだ?」
小首を傾げ、彼女の顔をのぞき込んでみる。
すねたようにそっぽを向く魔理沙。
彼女の様子に、私は思わず笑ってしまう。
うん。そうだ、笑ってる。
私は確かに、笑ってる。
そんな私の様子に、魔理沙は怪訝な面もちでこちらを見た。
私は、もう一度改めて笑って、
「ありがとう」
私の言葉に、彼女は目を丸くする。そして照れているのか頬を僅かに朱に染めた。
「なんだよ、随分殊勝じゃないか」
まぁ、そう言うのも無理ないかもしれないけどさ。
「人が感謝してるんだから、素直に受け取りなさーい!」
言って私は、彼女の首に手を回した。
「うわっ?!な、なんだよ霊夢!」
「いーから行くわよ!今日は騒ぐんだから!」
魔理沙の首を抱えたまま、勢いよくベッドから立ち上がる。
我ながら浮かれた調子で。
そして蹴り破るように、寝室の扉を開けた。
「運命の担い手に、勝利したのだから」
レミリアの言葉と同時に、入り口の扉が景気のいい音と共に開かれた。
溌剌と現れたのは霊夢。それに振り回されるように、魔理沙。
「迷惑かけたわねレミリア!」
「気にすることないわ」
いやに元気よく、それ故あまり悪びれている様子無く謝る彼女に、レミリアは無論どうこう言うつもりはないようだ。
それどころかそんな霊夢の様子を見、嬉しげに見える。事実、そうなのだろう。
「お詫びと言っちゃなんだけど、今晩こっちに来なさいよ!咲夜たちも連れてね!慧音、あんたもだからね!それじゃ!」
「霊夢首絞まってる」
ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ、という魔理沙の悲鳴じみた声を引きずりながら、霊夢はもときた扉から姿を消した。
レミリアを見る。
ほらご覧なさい、と言わんばかりに彼女は私に微笑んだ。
苦笑する。是非もなかった。
そうか。そう、なれたのか、彼女は。
「あら、貴女もお帰り?」
立ち上がった私に、レミリアはそう声をかける。
「彼女直々のお誘いだ、無下にはできまい。多くもない知り合いに、声をかけるとするよ」
馳走になった、と礼を一つすると、私も彼女たちが出ていった扉に足を向けた。
「貴女は」
踵を返した私の背に、彼女の声があたる。
「どう?」
足を止める。
「何がだ?」
肩越しに振り返り、そう訊いた。
「わかっているくせに」
あえかに苦笑して言うレミリアに、
「その言葉、そのまま返そう」
そして私は、今度こそ扉をくぐった。
私が博麗神社に着いたときには、既にお祭り騒ぎは始まっていた。
見知った顔もいくつかあるが、見知らぬそれが大多数。
騒ぎの中心には、楽器をかき鳴らす三つの影。あれは騒霊音楽隊か。
その音楽にあわせて舞い踊るのは、亡者の姫君。
少し離れたところでは、赤いリボンを付けた金髪の少女と氷の精、それに式の猫が、大食いだか早食いだかの競争をしている。
「いらっしゃい、慧音さん」
主催者じゃありませんけど、と言いながら徳利と猪口を持って寄ってきたのは、紅魔館の門番、紅美鈴だった。
「すごい騒ぎだな」
彼女から猪口を受け取りつつ、私は素直な感想を口にした。
「でしょう?今までにも何度かここで、お花見とかお月見とかしたことありましたけど」
こんな大騒ぎになったのは初めてです、と私の猪口に透明な液体を注ぐ。
軽く礼をしつつ、猪口に口を付ける。芳醇な香りが口いっぱいに広がった。
「美味いな」
「秘蔵のお酒だって、霊夢さんが」
干したそれに、もう一杯酒を注ぐ。
楽しそうな彼女の様子を何とはなしに見ていると、楽隊とは別のところでなにやらどおっと怒号が起こった。
振り向いた先、あれは妹紅と・・・輝夜?!
どうやって呼びつけたのかは知らないが、永遠亭の面々まで勢揃いしていた。
「大丈夫ですよ」
慌てて止めに入ろうと一歩踏み出した私を、美鈴が引き留める。
何故だ?と問いかける間も、彼女を振り向く暇もなかった。
二人の側頭部を、紅白で陰陽を象った球体が直撃したからだ。倒れ臥す二人。
「お酒の席で啀み合ってるんじゃないわよー!」
仲裁に入ったのは、一升瓶を片手にした霊夢だった。仲裁と言うにはあまりにも破壊的ではあったが。
案の定、二羽の兎が抗議の声をあげている。
その口に一升瓶を突っ込み、酒を流し込む霊夢。
・・・ああ、相当酔っているな、これは。
二羽の兎も仲良く地に臥す。飲み慣れていなかったのだろう。酒は百薬の長だというのに。
そんな彼女らを唯一の生存者、永琳は引きつった表情を浮かべて立ちつくしていた。
「霊夢さんが、それはもう張り切っちゃってはっちゃけちゃって」
「・・・そのようだな」
少しげっそりとしつつ、私は視線を戻す。
ある意味自業自得ではあるのだが・・・
「霊夢さん、いつも騒ぎの真ん中に居ますけど、自分から騒ぎを起こすのって珍しいんですよね」
皆さんしきりに首を傾げていましたよー、と美鈴は自分の杯に口を付けながら言う。
「その割には、随分と集まったものだな」
改めて周りを見渡す。すきま妖怪それの式。紅魔の館のいつもの面々。唄う夜雀を照らすは蛍。亡妃を援ずる半幽霊。
「みんな、霊夢さんのことが好きなんですよ」
「貴女もか?」
「ええ」
屈託もなく言う彼女に、私は頷いた。
「めーりん、出番だよー」
「はーい」
音楽隊の方から、美鈴を呼ぶ声。フランドールか。
見れば西行寺の舞が終わったところらしい。拍手の中優雅に一礼する彼女。
「じゃあちょっと行ってきますね」
隠し芸大会にいつの間にかエントリーされちゃってて、と笑顔で言うと、彼女は私に徳利を手渡し、駆けだした。
「七番、紅美鈴!剣舞やりまーす!」
おおー、と再び沸く境内。盛大な中国コール。
「中国って言うなーっ!」
そう言いつつも、彼女はとてもとても、楽しそうに笑っていた。
徳利と猪口を片手に、私は喧騒から外れた縁側に腰掛けた。
酒を注ぐと一息にあおる。
境内は随分と騒がしい。美鈴の剣舞は盛況のようだった。
こんな風に一歩離れて、お祭り騒ぎを肴に酒を呑むというのもなかなかおつな・・・
「なぁーに黄昏てんのよぅ」
いきなり絡まれた。
相手は博麗霊夢その人。
天真爛漫、天衣無縫と言えば聞こえはいいが、その実体はただの酔っぱらいだ。
「酔っているな」
「酔ってなんか、なぁい」
全く否定としての意味を為していない返事を、彼女はする。
んー?と私の手元をのぞき込み、
「そんなちっこいのでちまちまやってないで、これ使いなさいこれ」
言って霊夢は、一抱えほどありそうな朱塗りの大杯を私に押しつけた。
間髪入れず、それに酒を注ぎ込む。たっぷりと。
にこにこというよりは、にやにやとした笑みを浮かべる彼女。
そんな彼女に私は軽く鼻で笑うと、杯に口をつけ淀みなくそれを飲み干してみせた。
「・・・いける口ね」
「まあな」
目をまん丸に見開く霊夢に、私は意地悪く笑う。
「霊夢」
ふと表情を真剣なものに改め、私は彼女を見た。
「んー?」
「・・・楽しいか?」
そんな私の問いかけに、彼女はにへらと笑ってみせた。
「楽しいわよ」
「・・・そうか」
彼女の返答に、私は自然と頬がゆるむのを感じる。
「だから・・・」
「霊夢ー!」
なにやら言いかけた彼女を、レミリアの呼び声が遮った。
「貴女も何かやりなさいよー!」
「おー!」
声だけは威勢良くあげると、霊夢はよたよたと舞い上がった。
そして私を振り返り、なにごとかを囁きかける。
何とも言えないいい気分で、私は再び祝杯をあげた。
宴の後。
参加者達は、累々とその身を横たえさせている。
起きているのは私と、
「これで概ね終わりですかね」
やたらと大きな客間に、大量の布団と酔いどれ客を並べていた、美鈴だけだった。
「ああ、こちらもだいたい終わったよ」
洗い物を済ませ、彼女の様子を見にきた私はそう答えた。
「大変だな」
「お互いに」
言って彼女はくすりと笑う。
「それじゃあ私は戻りますね」
「泊まっていかないのか?」
ここにはレミリアを始め、紅魔館の重鎮が勢揃いしている。てっきり彼女もここで夜を明かすものだと思っていたのだが。
「はい。きっとこうなるだろうと思って、夜勤をいれてきたんです」
私ばっかり楽しんでちゃ、部下に悪いじゃないですか、と当たり前のように言ってのけた。
「・・・大変だな」
改めて、私はそう言った。
彼女はきっと、そうは思っていないのだろうが。
「なあ」
ふと思い立って、私は彼女に声をかける。
「はい」
「彼女は、どう見えた?」
「気は晴れた、と言ったところでしょうか?」
成る程。
彼女が言うのだから、きっとその通りなのだろう。
「・・・なあ」
しばし思いを巡らせ、もう一度、彼女に問いかける。
「はい」
「逃げ、だったのかな」
「そうですね」
迷い無く、彼女はそう言った。少々面食らう。
「随分とはっきり言うな」
「疑問じゃなくて、確認ですよね」
私は一瞬沈黙し、
「・・・違いない」
結局は、わかっていたことだった。彼女の言葉に苦笑う。
そんな私の様子に、美鈴は満足したようだ。一つ頷き踵を返す。
「じゃあ、行きますね。よい夢を」
「お勤め、ご苦労様」
にっこりと笑うと、彼女は手を振り夜空に消えた。
縁側へ出る。
そのままにしておいた酒杯と酒瓶、その傍らに腰掛けた。
朱塗りの杯に、酒を注ぐ。
酒杯に映る半途の月を、私はゆるりと飲み干した。
視線をあげる。
彼女はただ、呆れたように肩をすくめると、ふいと夜中に消え入った。
その仕草がおかしくて、もはや聞くものも居ない境内に笑声をあげる。
本当におかしくて、本当に楽しくて、笑いが止まらなくて、だから涙が零れて。
そして私は滴を拭い。
乾杯と、もう一度酒杯を掲げあげた。
何とも楽しい、この世界に。
「なによ」
霧雨魔理沙の問いかけに、紅魔館のメイド長、十六夜咲夜は振り向きもせずに答えた。
いつものことなのだろう。魔理沙は特に気にした様子もない。
「最近中国を見ないんだが、どうしたんだ?」
中国・・・ああ、紅美鈴のことか。紅魔館の門番だと聞いているが、私、上白沢慧音も、初めてここを訪れた時に門前に立つ彼女を見たきり、今まで彼女を見ていない。
その言葉に咲夜は身を震わせ、立ち止まる。
しかしそれも刹那のことで、彼女は何事もなかったの用に歩を進めた。
「・・・咲夜」
なんとなく沈黙してしまった魔理沙にかわって、博麗霊夢が改めて問いかける。
「・・・・・・あ、貴女達が気にすることじゃないわ」
彼女にしては非常に珍しく、声を上擦らせて言う。本人にしてみれば平然と言ってのけたつもりなのだろうが、動揺しているのは瞭然だった。
きゃあああああああ・・・・・・
悲鳴。
正に今通り過ぎようとした扉の向こうから彼女の、美鈴のそれは響いた。
ああ・・・!い、妹様、それ以上はぁぁぁぁ・・・
あははっ。そんなこと言う割にはまだまだこんなに・・・
妹様・・・話に聞く、レミリア・スカーレットの妹、フランドール・スカーレットのことだろう。
全員の足が止まった。
「・・・なんで止まるんだよ」
「・・・貴女こそ止まってるじゃない」
声をひそめてるいるあたり、流石だった。
「うるさいわね、聞こえないじゃないの」
そんな二人に、霊夢は小声で抗議する。扉に耳をへばりつかせながら。
彼女の言葉に魔理沙と咲夜は互いに顔を見合わせると、霊夢と同じく耳を澄ませた。
・・・頭が痛い。
だ、だめです妹様っ!そんなにされたらわたっ、私はもう・・・っ!
大丈夫だよ、ほらっ!まだこんなになるじゃない!ほらほらっ!
もう・・・っ無理です・・・っ・・・いもうとっ、さまぁ!
鈍い音がした。
・・・ほら肘から折れちゃったじゃないですか。だからもう無理だと申し上げたのに。
あう・・・ごめんなさい、美鈴・・・
扉前の三人が突っ伏す。なんじゃそりゃあ、というのが彼女らの感想だろう。
・・・私としては、自分の腕が折られたにもかかわらず、平然と対応している美鈴に驚きなのだが。
あんまりおいたすると、レミリアお嬢様に言いつけちゃいますよ?
ああっ!それだけはやめて!かわいくするからぁ!
・・・わかりました。じゃあ妹様は少しお休みになっていて下さい。私は腕を修理に出してきますから。
はーい。
ものすごい会話だと思う。
近づいてくる足音に、霊夢たち三人は慌てて後ずさった。
「あら?皆さんお揃いで」
後ろ手に扉を閉めつつにこやかに言うのは、緑の服着た紅美鈴・・・ではなく、侍女服を着た彼女だった。
「どうしたんですか呆気にとられちゃって。・・・あ、この服のことですか?紅魔館の内勤はメイド服着用が義務なんですよ~」
「・・・いやそうじゃなくて」
彼女の的の外れた台詞に、魔理沙がようようと言葉を返した。
視線が否応なしにぶらぶらと奇妙に揺れる、美鈴の右腕に集中する。
「・・・痛くないのか・・・?」
「・・・・・・」
魔理沙のその言葉がスイッチだったかのように、彼女の額からぶわっと脂汗が吹き出した。みるみる顔色が青ざめていく。
「・・・痛くないですよだって五分で治りますし」
「治癒時間と痛みは比例しないだろ別に?!」
明らかに無理を言っている美鈴に、彼女は思わず突っ込みをいれた。
やせ我慢してみせていたその精神力は、称賛に値はするが。
「というかどうやったら骨折が五分で治るのよ」
「気パワーで。気取って言うならオーラ力で」
それは気取っているのか。
そう口走りそうになったが、こういう役どころは私ではないので黙っておくことにする。
そんなことを思っている間に、彼女は折れた右肘に左の手のひらを掲げていた。いかにもそれっぽい仕草だった。
いや、それっぽいだけではない。
霊力でも魔力でもない、そう・・・確か気パワーだったか、それが流れていくのがわかる。
これなら五分で完治するというのも、口先だけのことではないだろう。
だが、私はそんな彼女に魔力の手を伸ばす。
なんの抵抗もなく、彼女へと接触する。
私はかすかに眉をひそめた。
外部からの干渉になんの抵抗もなくその身を委ねる彼女。
強固な自我を持つ知的生命の歴史に、これほどあっさりと触れることができたのは初めてだった。
刹那に戸惑いつつも、私は彼女の『腕が折れた』という歴史を喰らう。
「・・・あれ?」
きょとんと美鈴は自分の右腕を見やる。
折れていたはずの肘を、曲げたり伸ばしたりして確認する彼女。何が起こったのかよくわかっていない様子だった。
「ありがとうございます、慧音さん!」
だが誰が起こしたのかはわかったらしい。美鈴はぺこりと私に頭を下げる。
そして何かに気付いたように、あっと口元に手をあてた。
「あまりお引き留めするのもなんですね。お嬢様もお待ちでしょうし。私もフランドール様にお茶をいれてきます。ごゆっくり」
手をしたっ、とあげてそう言うと、彼女の姿はみるみる小さくなり、視界の外へと消えてしまった。
待ったをかけようとした手が所在なくなる。他三名も呆気にとられているようだ。
行動的というか、落ち着きが無いというか・・・まるで一瞬の突風のようだった。
「喰ったのか?」
気を取り直すかのように咳払いをしてから、魔理沙が私に問いかける。
本来ならあまりやらない方がよいのだが、どうにも不憫だったのでつい手を出してしまった。
「ああ。・・・しかしあれほど無抵抗というのはどうかと思うんだが」
「それは貴女に、彼女を傷つける気が無かったからでしょ」
私の当初からの疑問に答えたのは、咲夜だった。
「どういう意味だ?」
「そのままの意味よ。彼女、殺気のない相手にはものすごくおおらかだから」
いまいち要領を得ない返事に、私は首を傾げる。
「・・・もしかして、そう言うわけなの?」
ピンときたのだが今ひとつ信じがたい、といった様子で霊夢が呟いた。
「そ。『気を使う』程度の能力。それを読むのもお手の物らしいわ。・・・だからこそ、彼女は門番なのだし」
害為す気のある相手には全力で、か。確かに、門番にはうってつけの能力だろうが。
「なら門番やらせろよ」
魔理沙のもっともな突っ込みに、
「なら妹様の相手をしてくれるの?」
咲夜はそう返した。
降参、とばかりに魔理沙は両手をあげる。まあ、さっきの彼女の有り様を見てはな・・・
「せめて、特別手当くらいは出ているのか?」
「出てるわよ、被残虐行為手当」
「・・・・・・」
なんというか、余りにも無体な名称に、私は思わず沈黙した。
「ちなみにいかほど?」
「コインいっこ」
「うわぁ・・・」
興味本位の質問の返答に、霊夢は引いたような声をあげる。
・・・そう言えば私を妹の教育係に云々、と以前言っていたような気がしたが・・・
少なくとも積極的に仕事場として選びたい環境ではないな、と私は内心呟いた。
くす。
「・・・いい葉を使っているな」
唸るように、感心したように、慧音はカップの中の液体を見つめる。
彼女曰く、妖魔の巣窟に赴く人間の護衛らしいけど、実のところお茶が目当てなんじゃないかと思う。ま、本当のところはあれなんだろうけど。
「貴女にそう言ってもらえると、かいがあるというものだわ」
微笑みながらレミリアは言い、含みのある視線を魔理沙に送る。気持ちは分かるけど。
「・・・なんだよその目は」
お茶請けのスコーンを片手に、彼女は憮然とした表情になった。
「別に?ただ感想を貰いたいと思っただけ」
「・・・あー、美味いと思うぜ?相変わらず」
すました様子の彼女に、魔理沙は思いついたように言う。
くす。
「・・・魔理沙」
同情するような口調で、彼女の名前が漏れた。
「な、なんだよ霊夢」
後ろめたさのようなものを混ぜつつ、魔理沙はもごもごと言う。
ほんとに気付いてないのね・・・
「先日の茶の葉とは、種類が全く違うぞ」
私の言葉に続いて、慧音がそう付け足した。
「・・・・・・」
気まずそうに沈黙し、魔理沙はちらりとレミリアを見る。
何も言わず微苦笑を浮かべ、優雅にカップに口を付ける彼女。
くすくす。
「猫に小判」
「馬の耳に念仏」
「歯に衣着せろよ少しは?!」
交互に言う私と慧音に、彼女は思わず声をあげる。
ことわざを使ったあたり、かなりおもんばかったつもりだったんだけど。
「そもそもお茶の真髄ってのは茶葉の優劣じゃないぜ!問題は・・・」
立ち上がりつつ演説するかのように言う魔理沙。
くすくす。
「魔理沙」
「魔理沙だな」
「うがー!」
その中途を、再び私と慧音が受けた。奇声を上げる彼女を生暖かい目で見守る。ひとしきりそれを終えると、魔理沙は脱力したように席に着いた。
「・・・なんだか霊夢が二人いるみたいね」
今まで傍観していたレミリアが、そんな事を言う。
「だろ?やっぱり似てるよな、こいつら」
魔理沙もそれに同意するけど。
くすくすくす。
「それは彼女に対する侮辱ね」
「それは彼女に対する蔑みだな」
ほとんど同じくして、私と慧音は言った。
決定的に。
くすくすくすくす。
ずれた。
「・・・霊夢?」
くすくすくすくす。
眉間にしわを寄せる私に、怪訝そうな、レミリアの声がかけられる。
何をしているんだか。
うるさい。
くすくすくすくす。
こんなことをしたって、
うるさいうるさい。
「霊夢?」
くすくすくすくす。
うるさいうるさいうるさい。
私を呼ぶ声。誰の声かは、何故かわからない。
くすくすくすくす。
うるさいうるさいうるさい何も言うな。
なんにもならないのに。
うるさい!
椅子を蹴倒し立ち上がる。
そんな私を驚いたように見上げる三人が見・・・
見えなかった。
真っ赤に染まった視界。
それなのに、完膚無きまでにいる私。
「霊夢?!」
音をたてて倒れる紅白の巫女に、魔理沙は叫んで、焦ったように取りすがる。
「咲夜」
「はい」
動揺の色はかすかに、レミリアは自らの従者を呼んだ。今の今までこの部屋になかった銀色の影が、忽然と霊夢の傍らに現れる。
気絶した彼女を咲夜は軽く持ち上げると、一礼して扉から退出していく。慌てて魔理沙はその後に続いた。
残されたのは、私とレミリア。
物言いたげに私を見る彼女。動じずにいた私にその視線が向けられるのは、まあ当然か。
「やり方は、他にもあったかもしれん」
今更どうしようもないことを、私は呟いた。
彼女を救う。
何ともおこがましいことだが、ともかくそれをなす為には、彼女と私の邂逅は絶対的に必要だった。
吉凶が如何に出るかは、正直予想できることでもなかったが。
いや。
わかっていたのかもしれない。こうなることは。
おそらくこれは、通過儀礼。
「どういうことかしら」
私の呟きにその真紅は、レミリア・スカーレットは見定めるように私を見据えた。
「彼女がああなった切欠は、私にあると言った」
努めて平坦な口調で私は言う。
それに応じて、彼女の視線がす、と鋭くなる。射抜くように。
ああ、これだ。
この視線だ。
確かに私は知らしめた。彼女にそれを知らしめた。
だがね、レミリア・スカーレット。
君の、魔理沙の、その視線が、気持ちが、想いが、それが彼女にのしかかる。それが彼女に思い知らせるんだ。
私の言葉を待つ彼女に、口を開く。
私はその先にある、何もない白い壁面を指さした。
「そこに」
居るんだよ。おいてあるんだ。『私』がね。
そんな私の言葉に、彼女は眉をひそめる。
「『私』は言うんだ。踏み込むな、と。そこで止まれ、と」
それ以上、近づくな、と。
「何故?貴女は人間が好きだと言った。だから里を守るのだと。それは、とてもとても下らないことだと思うけれど、でもそんな在り方もあるんでしょう」
だから彼女は言った。何故、愛するものから離れゆくのかと。どうして敬愛でなく、畏敬たるのかと。
「私が私であるために」
いつぞやに、魔理沙に言うのと同じ言。
個でなく全を愛するが故に。
個を愛して『特別』を造り、全に仇為す化生となることがなきように。
個でなく全を愛するが為に。
「とんだ腑抜けね。大した逃げ口上だこと」
蔑むように、失望したように、彼女は息を吐いた。
「いかな金言であろうと、語り手が聞き手でない限り、それは単なる言い訳になるだろうな」
私は気にした風もなく、事実気にすることなく平然と言った。
彼女の苛立ちが増すのがわかる。
「話を戻そう。彼女のことだ」
寝室への扉を一瞥し、私は言う。
「彼女にも、それがいる」
私のように前ではなくて、上か後ろか見えぬ所に。
何故なら私は、それを自らおいたが、彼女のはおそらく始めから居続けたから。
そしてそれは。
「彼女には必要のないものだった。それなのに彼女には在った」
在ってしまった。
魔理沙は言った。私と彼女は似ていると。
確かに似ている。
私はそれを意識し、彼女はそれを意識していないという違いはあったけれど。
だがそれは、絶対的な差異。
そして私と会うことで。
「彼女は知ってしまった。それがいることを。それと自らの剥離を」
そして彼女は知った以上、もはや常ではいられまい。
「何故?」
レミリアが問う。幾千幾万の夜をひとり超えた彼女が。
「お前は孤独に戻れるのか?」
逆に問いかけた私に、彼女は押し黙る。
戻れるはずがない。友を得、共にあることの心地よさを知った彼女が、暗く冷たい孤独の時を、再び刻めるはずもない。
そういうことだった。
彼女も、霊夢も同じ事。
もう、私たちは手を出すことも、口を出すことも出来はしない。
彼女の結論を、ただ座し待つのみ。
「運命の、刻だな」
私の呟きに、レミリアは驚いたように目を見開き、ややあって艶やかに微笑んだ。
何かおかしな事を言っただろうか?彼女の豹変に、私は怪訝な表情を浮かべる。
「運命ね」
意味ありげに、くすくすと笑う。
「彼女を相手に運命を持ち出すのなら、結果は見えているわ」
彼女は言う。
「私程度が操れるそれに、彼女が屈するはずがない。彼女を縛れるはずがない」
詩を詠むように、彼女は紡ぐ。
「だって、彼女は」
わかったでしょう?
わかったでしょう?貴女がどれほどに「外れて」いるのか。
・・・・・・
魔理沙と他愛のないことを話して、レミリアとお茶を飲んで、幽々子の宴会で騒いで、紫に頼み事をされて。
いつまで続くの?それが。
いつかは終わるの、それは。
・・・・・・
無くなってしまう。失われてしまう。喪われてしまう。
終わるのは、悲しい。
無くなるのは、つらい。失うのは、苦しい。喪うのは、痛い。
それなら、そんなのはいらないじゃない。
終わるのなら、始まらないで。
無くなるのなら、ほしくない。失うのなら、得ようと思わない。喪うのなら、望まない。
魔理沙と他愛のない話をするのは、楽しい。レミリアとお茶を飲むのは、好ましい。幽々子と宴会で騒ぐのは、愉快だ。紫の頼み事は、刺激的だ。
でも、そんなことをしても、なんにもならないのに。そんなことは無用で無為で無駄で無意味なのに。
・・・・・・
だから私はここにいる。
踏み込まないように、踏み込ませないように、私はずっと嗤ってる。
ずっとずっと、今までそうだったじゃない。
これからもそれでいいじゃない。
熱くも冷たくもない、そんな時を過ごせばいい。
緩やかな流れに、身を委ねていればいい。
私がずっと、見ていてあげる。
そう。
最初は、そう思っていた。
私は壊れていて、外れていて、異常なのだと思っていた。
でも気がついた。それが在ることに。
彼女がそれを、気付かせた。
いつにない、強烈な邂逅に戸惑いもしたけれど。
でも。
「五月蠅いな」
そう言った。
そう言えた。
白けた世界の独白が止む。
まだわからないの?
あくまでも穏やかに、諭すように『私』が言う。
「魔理沙と話すのは無用だって?」
そう。
「レミリアとお茶をするのは無為だって?」
そう。
「幽々子と騒ぐのは無駄だって?」
そう。
「紫の頼み事をきくのは無意味だって?」
そう。だって貴女は私だから。
「はっ」
戯言を笑い飛ばす。
「あんたが私?笑わせないで」
『私』が・・・いや、こんな呼び方も烏滸がましい、『それ』が沈黙した。
「あんたは私じゃない。私はあんたなんかじゃない」
魔理沙との会話も、レミリアとのお茶会も、幽々子の宴会も、紫の頼み事・・・は微妙だなぁ・・・あ、まだ報酬も貰ってないし。いや、それはひとまず置いておこう。
とにかくそれらは、無用でも無為でも無駄でも、ましてや無意味でもありはしない。
何故?
「私がそう思わないからに決まってるでしょ」
そんなはずはない。貴女は私なんだから。
「だから、違うんでしょうが」
呆れて私はそう言った。
「阿呆なのよ、あんたは」
阿呆のくせに、悟ったように聡いような事を言って、えらそぶる。
阿呆のくせに、踊らないでどうするのよ?
でも、悲しいのよ?つらいのよ? 苦しいのよ?痛いのよ?貴女はそれでいいの?貴女はそれに、耐えられるの?
当たり前じゃない。
何故?
楽しさを望んで。好ましさを望んで。愉快さを望んで。刺激を望んで。
だからそれは、望んだ悲しみ。望んだつらさ。望んだ苦しみ。望んだ痛み。
私は歩ける、走れる、飛べもする。
だから、飛ぶんだ。
『だけど』、飛ぶんじゃない。
空を飛ぶ程度の能力。
私は飛べる。飛べるのが私。
何者も私を止められない。
ましてやあんたなんかに、繋がれてやらない。束縛なんて、されてやらない。
自由。
それこそが私。
私はそう決めた。
私がそう決めた。
あんたは。
だからあんたは。
私なんかじゃ、ない。
・・・・・・そう。
なら・・・・・・
眼を開く。白い天井は、いやに高かった。
ふかふかの上掛け。身が沈むほどに柔らかな敷布。腰に悪そう。いや決してやっかみではなく。
そう言えばレミリアってどういう風に寝てるのかしら。普通に横になると羽根が邪魔そうだし。うつぶせ?それとも座って?ああ、これだけ布団が柔らかければ、羽根も痛まないのかも。
「・・・なんで寝てるのかしら」
とりとめのない思考を打ち止めて、私は身を起こす。
「霊夢?!」
すぐ横手から私を呼ぶ声。
そこには心配そうな顔でベッドに手を置き、身を乗り出す魔理沙の姿。
「おはよー」
そんな彼女に、私はぱたぱたと手を振ってみせる。
私の様子に安心したのか、魔理沙はほっと息をつき、
「なにがおはよー、だ。いきなりぶっ倒れて、何事かと思ったぜ」
今度はしかめっ面をしてみせた。
あー、そっか。お茶の席でいきなり倒れたんだっけ。そういえば後ろ頭がちょっと痛い。
「心配してくれたんだ?」
小首を傾げ、彼女の顔をのぞき込んでみる。
すねたようにそっぽを向く魔理沙。
彼女の様子に、私は思わず笑ってしまう。
うん。そうだ、笑ってる。
私は確かに、笑ってる。
そんな私の様子に、魔理沙は怪訝な面もちでこちらを見た。
私は、もう一度改めて笑って、
「ありがとう」
私の言葉に、彼女は目を丸くする。そして照れているのか頬を僅かに朱に染めた。
「なんだよ、随分殊勝じゃないか」
まぁ、そう言うのも無理ないかもしれないけどさ。
「人が感謝してるんだから、素直に受け取りなさーい!」
言って私は、彼女の首に手を回した。
「うわっ?!な、なんだよ霊夢!」
「いーから行くわよ!今日は騒ぐんだから!」
魔理沙の首を抱えたまま、勢いよくベッドから立ち上がる。
我ながら浮かれた調子で。
そして蹴り破るように、寝室の扉を開けた。
「運命の担い手に、勝利したのだから」
レミリアの言葉と同時に、入り口の扉が景気のいい音と共に開かれた。
溌剌と現れたのは霊夢。それに振り回されるように、魔理沙。
「迷惑かけたわねレミリア!」
「気にすることないわ」
いやに元気よく、それ故あまり悪びれている様子無く謝る彼女に、レミリアは無論どうこう言うつもりはないようだ。
それどころかそんな霊夢の様子を見、嬉しげに見える。事実、そうなのだろう。
「お詫びと言っちゃなんだけど、今晩こっちに来なさいよ!咲夜たちも連れてね!慧音、あんたもだからね!それじゃ!」
「霊夢首絞まってる」
ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ、という魔理沙の悲鳴じみた声を引きずりながら、霊夢はもときた扉から姿を消した。
レミリアを見る。
ほらご覧なさい、と言わんばかりに彼女は私に微笑んだ。
苦笑する。是非もなかった。
そうか。そう、なれたのか、彼女は。
「あら、貴女もお帰り?」
立ち上がった私に、レミリアはそう声をかける。
「彼女直々のお誘いだ、無下にはできまい。多くもない知り合いに、声をかけるとするよ」
馳走になった、と礼を一つすると、私も彼女たちが出ていった扉に足を向けた。
「貴女は」
踵を返した私の背に、彼女の声があたる。
「どう?」
足を止める。
「何がだ?」
肩越しに振り返り、そう訊いた。
「わかっているくせに」
あえかに苦笑して言うレミリアに、
「その言葉、そのまま返そう」
そして私は、今度こそ扉をくぐった。
私が博麗神社に着いたときには、既にお祭り騒ぎは始まっていた。
見知った顔もいくつかあるが、見知らぬそれが大多数。
騒ぎの中心には、楽器をかき鳴らす三つの影。あれは騒霊音楽隊か。
その音楽にあわせて舞い踊るのは、亡者の姫君。
少し離れたところでは、赤いリボンを付けた金髪の少女と氷の精、それに式の猫が、大食いだか早食いだかの競争をしている。
「いらっしゃい、慧音さん」
主催者じゃありませんけど、と言いながら徳利と猪口を持って寄ってきたのは、紅魔館の門番、紅美鈴だった。
「すごい騒ぎだな」
彼女から猪口を受け取りつつ、私は素直な感想を口にした。
「でしょう?今までにも何度かここで、お花見とかお月見とかしたことありましたけど」
こんな大騒ぎになったのは初めてです、と私の猪口に透明な液体を注ぐ。
軽く礼をしつつ、猪口に口を付ける。芳醇な香りが口いっぱいに広がった。
「美味いな」
「秘蔵のお酒だって、霊夢さんが」
干したそれに、もう一杯酒を注ぐ。
楽しそうな彼女の様子を何とはなしに見ていると、楽隊とは別のところでなにやらどおっと怒号が起こった。
振り向いた先、あれは妹紅と・・・輝夜?!
どうやって呼びつけたのかは知らないが、永遠亭の面々まで勢揃いしていた。
「大丈夫ですよ」
慌てて止めに入ろうと一歩踏み出した私を、美鈴が引き留める。
何故だ?と問いかける間も、彼女を振り向く暇もなかった。
二人の側頭部を、紅白で陰陽を象った球体が直撃したからだ。倒れ臥す二人。
「お酒の席で啀み合ってるんじゃないわよー!」
仲裁に入ったのは、一升瓶を片手にした霊夢だった。仲裁と言うにはあまりにも破壊的ではあったが。
案の定、二羽の兎が抗議の声をあげている。
その口に一升瓶を突っ込み、酒を流し込む霊夢。
・・・ああ、相当酔っているな、これは。
二羽の兎も仲良く地に臥す。飲み慣れていなかったのだろう。酒は百薬の長だというのに。
そんな彼女らを唯一の生存者、永琳は引きつった表情を浮かべて立ちつくしていた。
「霊夢さんが、それはもう張り切っちゃってはっちゃけちゃって」
「・・・そのようだな」
少しげっそりとしつつ、私は視線を戻す。
ある意味自業自得ではあるのだが・・・
「霊夢さん、いつも騒ぎの真ん中に居ますけど、自分から騒ぎを起こすのって珍しいんですよね」
皆さんしきりに首を傾げていましたよー、と美鈴は自分の杯に口を付けながら言う。
「その割には、随分と集まったものだな」
改めて周りを見渡す。すきま妖怪それの式。紅魔の館のいつもの面々。唄う夜雀を照らすは蛍。亡妃を援ずる半幽霊。
「みんな、霊夢さんのことが好きなんですよ」
「貴女もか?」
「ええ」
屈託もなく言う彼女に、私は頷いた。
「めーりん、出番だよー」
「はーい」
音楽隊の方から、美鈴を呼ぶ声。フランドールか。
見れば西行寺の舞が終わったところらしい。拍手の中優雅に一礼する彼女。
「じゃあちょっと行ってきますね」
隠し芸大会にいつの間にかエントリーされちゃってて、と笑顔で言うと、彼女は私に徳利を手渡し、駆けだした。
「七番、紅美鈴!剣舞やりまーす!」
おおー、と再び沸く境内。盛大な中国コール。
「中国って言うなーっ!」
そう言いつつも、彼女はとてもとても、楽しそうに笑っていた。
徳利と猪口を片手に、私は喧騒から外れた縁側に腰掛けた。
酒を注ぐと一息にあおる。
境内は随分と騒がしい。美鈴の剣舞は盛況のようだった。
こんな風に一歩離れて、お祭り騒ぎを肴に酒を呑むというのもなかなかおつな・・・
「なぁーに黄昏てんのよぅ」
いきなり絡まれた。
相手は博麗霊夢その人。
天真爛漫、天衣無縫と言えば聞こえはいいが、その実体はただの酔っぱらいだ。
「酔っているな」
「酔ってなんか、なぁい」
全く否定としての意味を為していない返事を、彼女はする。
んー?と私の手元をのぞき込み、
「そんなちっこいのでちまちまやってないで、これ使いなさいこれ」
言って霊夢は、一抱えほどありそうな朱塗りの大杯を私に押しつけた。
間髪入れず、それに酒を注ぎ込む。たっぷりと。
にこにこというよりは、にやにやとした笑みを浮かべる彼女。
そんな彼女に私は軽く鼻で笑うと、杯に口をつけ淀みなくそれを飲み干してみせた。
「・・・いける口ね」
「まあな」
目をまん丸に見開く霊夢に、私は意地悪く笑う。
「霊夢」
ふと表情を真剣なものに改め、私は彼女を見た。
「んー?」
「・・・楽しいか?」
そんな私の問いかけに、彼女はにへらと笑ってみせた。
「楽しいわよ」
「・・・そうか」
彼女の返答に、私は自然と頬がゆるむのを感じる。
「だから・・・」
「霊夢ー!」
なにやら言いかけた彼女を、レミリアの呼び声が遮った。
「貴女も何かやりなさいよー!」
「おー!」
声だけは威勢良くあげると、霊夢はよたよたと舞い上がった。
そして私を振り返り、なにごとかを囁きかける。
何とも言えないいい気分で、私は再び祝杯をあげた。
宴の後。
参加者達は、累々とその身を横たえさせている。
起きているのは私と、
「これで概ね終わりですかね」
やたらと大きな客間に、大量の布団と酔いどれ客を並べていた、美鈴だけだった。
「ああ、こちらもだいたい終わったよ」
洗い物を済ませ、彼女の様子を見にきた私はそう答えた。
「大変だな」
「お互いに」
言って彼女はくすりと笑う。
「それじゃあ私は戻りますね」
「泊まっていかないのか?」
ここにはレミリアを始め、紅魔館の重鎮が勢揃いしている。てっきり彼女もここで夜を明かすものだと思っていたのだが。
「はい。きっとこうなるだろうと思って、夜勤をいれてきたんです」
私ばっかり楽しんでちゃ、部下に悪いじゃないですか、と当たり前のように言ってのけた。
「・・・大変だな」
改めて、私はそう言った。
彼女はきっと、そうは思っていないのだろうが。
「なあ」
ふと思い立って、私は彼女に声をかける。
「はい」
「彼女は、どう見えた?」
「気は晴れた、と言ったところでしょうか?」
成る程。
彼女が言うのだから、きっとその通りなのだろう。
「・・・なあ」
しばし思いを巡らせ、もう一度、彼女に問いかける。
「はい」
「逃げ、だったのかな」
「そうですね」
迷い無く、彼女はそう言った。少々面食らう。
「随分とはっきり言うな」
「疑問じゃなくて、確認ですよね」
私は一瞬沈黙し、
「・・・違いない」
結局は、わかっていたことだった。彼女の言葉に苦笑う。
そんな私の様子に、美鈴は満足したようだ。一つ頷き踵を返す。
「じゃあ、行きますね。よい夢を」
「お勤め、ご苦労様」
にっこりと笑うと、彼女は手を振り夜空に消えた。
縁側へ出る。
そのままにしておいた酒杯と酒瓶、その傍らに腰掛けた。
朱塗りの杯に、酒を注ぐ。
酒杯に映る半途の月を、私はゆるりと飲み干した。
視線をあげる。
彼女はただ、呆れたように肩をすくめると、ふいと夜中に消え入った。
その仕草がおかしくて、もはや聞くものも居ない境内に笑声をあげる。
本当におかしくて、本当に楽しくて、笑いが止まらなくて、だから涙が零れて。
そして私は滴を拭い。
乾杯と、もう一度酒杯を掲げあげた。
何とも楽しい、この世界に。
帰って来れた事が素直に嬉しく感じました。
魔理沙に伝えた「ありがとう」という言葉は、彼女が一人では
無いことの証ですね。
全ては在るがままに。それが幻想郷唯一の規律を持つ、霊夢の在り方。
そんな僕の霊夢観からは、霊夢の逡巡する描写はとっても苦痛。
それなのに、貴殿の霊夢モノはいつも美しい。