「ふむ」
パタン、と本が閉じられた。何かを思いついたような表情と仕草。危険な兆候だ。幽々子様があの表情になって思いついたことには今までの統計から言ってもろくなことがない。
「妖夢妖夢」
名前を呼ばれる。ますます危険だ。
以前同じような流れで呼ばれたときには、西行妖の封印をといてみよう、と言われた。その後の成り行きについてはあまり思い出したくはない。とにかくすこぶる面倒な事後処理をすることになったことは間違いない。
「…なんですか」
それでも一応聞かないわけにはいかない。従者というのは辛い立場だ。あの時間を操る人間も、やはりこんな苦労を感じているのだろうか。
コタツの上には一冊の本。今度の思いつきの原因はあの本だろうか。きっとまた紫様が持ち込んだのだろう。たまに遊びに来てくれるのは嬉しいのだが、あまり幽々子様にオモチャを与えないでほしいものだ。概ねそのとばっちりは私に来るのだから。
「あのね」
にっこりと笑って言葉をつなぐ幽々子様。きっとまた面倒なことになるのだろう。やや諦め気味になりながら、幽々子様の言葉を待つ。
「妖夢、これからは私のことをお姉さまとお呼びなさい」
私は無言でコタツの上の本を手に取ると、力一杯引き裂いた。
☆☆☆☆
「なによう、呼び方くらいいいじゃないのー」
「よくありません」
だらしなくコタツに頭を乗せながら幽々子様がぶーたれている。冗談ではない、と思う。そうしたら私はつぼみ扱いか。十字架の首飾りを常時下げていろとでも言うつもりだろうか。ミカンをむきながら、ため息をつく。
「そんなにお暇なのですか?」
「んー…」
むいたミカンの一房をつまんで横向きになっている幽々子様の口に寄せる。幽々子様は、ありがと、とつぶやくと、私の指から直接ミカンをほおばった。
「美味しい」
もぐもぐと口を動かしながら、ふにゃと微笑む。私は再びミカンの一房をつまみ、今度は自分の口へ運んだ。…うん、今年のミカンはいい出来だ。
「暇というより…そうね、退屈なのよ」
そう言って幽々子様はむくりと体を起こした。
たしかに、秋頃には幽々子様好みの騒動があったのだが、それも落ち着いた最近は、新年に備えて正月準備をするくらいしかすることがない。まあそれも概ね私一人で行っているのだが。
「従者には、主人の退屈を解消する義務もあるのではないかしら。どう思う、妖夢?」
滅茶苦茶な論理だ。大体幽々子様は暇があれば私をオモチャにして遊んでいるではないか。あれも従者の義務というつもりだろうか。
…いうんだろうな。
容易に想像がついてげんなりとする。当の幽々子様はといえば、再びコタツの上に頭を乗せて、あーん、とわざとらしい声を出している。その口にミカンを放り込みながら、私はほう、と軽く息をついた。
「ならば、正月の準備を手伝っていただけませんか?」
「んー?」
即答で断られるかと思いきや、意外にも幽々子様は考えるそぶりを見せた。それほどまでに退屈していたらしい。ちょっと期待をしつつ答えを待つ。無駄に和風付いているこの屋敷と、無駄にイベント事に気合を入れる幽々子様のおかげで、正月や節分といった行事の準備は意外に手間がかかるのだ。
「…妖夢は有能よね?」
…それは、私一人で十分だ、ということか。どうやら所詮は考えるだけだったようだ。
「…まあ、私の仕事ですしね」
概ね予想通りだったので別段がっかりはしないが、不覚にも期待してしまった自分にちょっぴり腹が立つ。あーん、と口を開いている幽々子様を横目に見ながら、私はミカンの最後の一房を自分の口に放り込んだ。
「あー…」
わざとらしくしょぼんとした表情を作る幽々子様。その表情を見て、心の奥がほんのちょっとだけちくりとする。本当にしょぼんとしているわけではないのは重々分かってはいるのだけれど。
結局、私は二つ目のミカンに手を伸ばすことにした。つくづく私も甘いと思う。
「…なんですか」
ミカンの皮を剥く私を、くすくすと笑う声が包む。発生源は幽々子様。当然だ。私自身が笑っているのでなければ、後は幽々子様しかいない。
「んーん、別に?」
そう答えながら、やっぱりくすくすと笑う。…非常に居心地が悪い。顔が火照ってくるのを感じながら、黙ってミカンの皮を剥くことに集中する。
「ねえ、妖夢」
横向きになったまま、名前を呼ばれる。ミカンに集中しているために幽々子様の表情は見えない。見えないが、どんな表情をしているのかは容易に分かる。…ああ、いやな予感がする。
「…なんですか?」
手元のミカンから視線をずらさずに答える。皮を剥き終え、白筋を丹念に取っていく。幽々子様はミカンの白筋が嫌いなのだ。
「妖夢は、有能、ね?」
瞬間、手が止まる。顔がさらに火照っていくのが分かる。
ざざぁ、と庭で音がした。どうやら突風が庭の木を揺らしたらしい。それを合図に、私の体は動きを取り戻した。
「…幽々子様の従者ですからね」
白筋まで取ったミカンの一房を、あーんと開かれた幽々子様の口の中に放り込む。ありがと、とつぶやいて、幽々子様は私の顔を見ながらやっぱりくすくすと笑う。
…きっと私の顔はたいそう真っ赤になっているんだろう。私は幽々子様から顔をそらして───
幽々子様と一緒にくすくすと笑うことにした。
☆☆☆☆
「結局、今日は正月の準備が全然進みませんでした…」
とっぷりと日が暮れた後、夕食を食べながらつぶやく。今日やったことといえば、コタツで座ってぼーっとミカンを食べていたくらいだ。
「まあまあ、正月まではまだ間があるわ。ゆっくりやればいいわよ」
何が嬉しいのか、幽々子様はすこぶる機嫌が良い。それはそれで歓迎すべきことだ。ただ、幽々子様の言うゆっくりに付き合っていると、正月の準備は節分くらいにならないと終わらない。
「…今何か、失礼なことを考えていなかった?」
滅相も無い。
暖かな空気とともに、白玉楼の夜は更けていく。太陽がまた昇れば、やってくるのは今日に続く明日。ゆったりとした時間とともに、白玉楼の一日がまた終わる。
「でもやっぱりお姉さまって呼ばない?」
「呼びません」
パタン、と本が閉じられた。何かを思いついたような表情と仕草。危険な兆候だ。幽々子様があの表情になって思いついたことには今までの統計から言ってもろくなことがない。
「妖夢妖夢」
名前を呼ばれる。ますます危険だ。
以前同じような流れで呼ばれたときには、西行妖の封印をといてみよう、と言われた。その後の成り行きについてはあまり思い出したくはない。とにかくすこぶる面倒な事後処理をすることになったことは間違いない。
「…なんですか」
それでも一応聞かないわけにはいかない。従者というのは辛い立場だ。あの時間を操る人間も、やはりこんな苦労を感じているのだろうか。
コタツの上には一冊の本。今度の思いつきの原因はあの本だろうか。きっとまた紫様が持ち込んだのだろう。たまに遊びに来てくれるのは嬉しいのだが、あまり幽々子様にオモチャを与えないでほしいものだ。概ねそのとばっちりは私に来るのだから。
「あのね」
にっこりと笑って言葉をつなぐ幽々子様。きっとまた面倒なことになるのだろう。やや諦め気味になりながら、幽々子様の言葉を待つ。
「妖夢、これからは私のことをお姉さまとお呼びなさい」
私は無言でコタツの上の本を手に取ると、力一杯引き裂いた。
☆☆☆☆
「なによう、呼び方くらいいいじゃないのー」
「よくありません」
だらしなくコタツに頭を乗せながら幽々子様がぶーたれている。冗談ではない、と思う。そうしたら私はつぼみ扱いか。十字架の首飾りを常時下げていろとでも言うつもりだろうか。ミカンをむきながら、ため息をつく。
「そんなにお暇なのですか?」
「んー…」
むいたミカンの一房をつまんで横向きになっている幽々子様の口に寄せる。幽々子様は、ありがと、とつぶやくと、私の指から直接ミカンをほおばった。
「美味しい」
もぐもぐと口を動かしながら、ふにゃと微笑む。私は再びミカンの一房をつまみ、今度は自分の口へ運んだ。…うん、今年のミカンはいい出来だ。
「暇というより…そうね、退屈なのよ」
そう言って幽々子様はむくりと体を起こした。
たしかに、秋頃には幽々子様好みの騒動があったのだが、それも落ち着いた最近は、新年に備えて正月準備をするくらいしかすることがない。まあそれも概ね私一人で行っているのだが。
「従者には、主人の退屈を解消する義務もあるのではないかしら。どう思う、妖夢?」
滅茶苦茶な論理だ。大体幽々子様は暇があれば私をオモチャにして遊んでいるではないか。あれも従者の義務というつもりだろうか。
…いうんだろうな。
容易に想像がついてげんなりとする。当の幽々子様はといえば、再びコタツの上に頭を乗せて、あーん、とわざとらしい声を出している。その口にミカンを放り込みながら、私はほう、と軽く息をついた。
「ならば、正月の準備を手伝っていただけませんか?」
「んー?」
即答で断られるかと思いきや、意外にも幽々子様は考えるそぶりを見せた。それほどまでに退屈していたらしい。ちょっと期待をしつつ答えを待つ。無駄に和風付いているこの屋敷と、無駄にイベント事に気合を入れる幽々子様のおかげで、正月や節分といった行事の準備は意外に手間がかかるのだ。
「…妖夢は有能よね?」
…それは、私一人で十分だ、ということか。どうやら所詮は考えるだけだったようだ。
「…まあ、私の仕事ですしね」
概ね予想通りだったので別段がっかりはしないが、不覚にも期待してしまった自分にちょっぴり腹が立つ。あーん、と口を開いている幽々子様を横目に見ながら、私はミカンの最後の一房を自分の口に放り込んだ。
「あー…」
わざとらしくしょぼんとした表情を作る幽々子様。その表情を見て、心の奥がほんのちょっとだけちくりとする。本当にしょぼんとしているわけではないのは重々分かってはいるのだけれど。
結局、私は二つ目のミカンに手を伸ばすことにした。つくづく私も甘いと思う。
「…なんですか」
ミカンの皮を剥く私を、くすくすと笑う声が包む。発生源は幽々子様。当然だ。私自身が笑っているのでなければ、後は幽々子様しかいない。
「んーん、別に?」
そう答えながら、やっぱりくすくすと笑う。…非常に居心地が悪い。顔が火照ってくるのを感じながら、黙ってミカンの皮を剥くことに集中する。
「ねえ、妖夢」
横向きになったまま、名前を呼ばれる。ミカンに集中しているために幽々子様の表情は見えない。見えないが、どんな表情をしているのかは容易に分かる。…ああ、いやな予感がする。
「…なんですか?」
手元のミカンから視線をずらさずに答える。皮を剥き終え、白筋を丹念に取っていく。幽々子様はミカンの白筋が嫌いなのだ。
「妖夢は、有能、ね?」
瞬間、手が止まる。顔がさらに火照っていくのが分かる。
ざざぁ、と庭で音がした。どうやら突風が庭の木を揺らしたらしい。それを合図に、私の体は動きを取り戻した。
「…幽々子様の従者ですからね」
白筋まで取ったミカンの一房を、あーんと開かれた幽々子様の口の中に放り込む。ありがと、とつぶやいて、幽々子様は私の顔を見ながらやっぱりくすくすと笑う。
…きっと私の顔はたいそう真っ赤になっているんだろう。私は幽々子様から顔をそらして───
幽々子様と一緒にくすくすと笑うことにした。
☆☆☆☆
「結局、今日は正月の準備が全然進みませんでした…」
とっぷりと日が暮れた後、夕食を食べながらつぶやく。今日やったことといえば、コタツで座ってぼーっとミカンを食べていたくらいだ。
「まあまあ、正月まではまだ間があるわ。ゆっくりやればいいわよ」
何が嬉しいのか、幽々子様はすこぶる機嫌が良い。それはそれで歓迎すべきことだ。ただ、幽々子様の言うゆっくりに付き合っていると、正月の準備は節分くらいにならないと終わらない。
「…今何か、失礼なことを考えていなかった?」
滅相も無い。
暖かな空気とともに、白玉楼の夜は更けていく。太陽がまた昇れば、やってくるのは今日に続く明日。ゆったりとした時間とともに、白玉楼の一日がまた終わる。
「でもやっぱりお姉さまって呼ばない?」
「呼びません」
こういう、のほほ~んとした妖夢とゆゆ様のお話、いいですよね~。