さわさわさわ。さわさわさわ。
竹の揺れる音だけが静かな夜を彩る。
「静か…か」
自分で言っておいてなんだが、あたりを見回して自嘲してしまう。
これで静かとは、言いえて妙だ。
事実はただ、このあたりに巣食う妖怪を一掃しただけなのだから。
血の池溜りにどすんと寝転がる。
粘着質な水が服を浸透してきて気持ち悪かったが仕方ない。体が動かないのだから。
寝転がったまま見上げる空には、満ちたとびきりの月があった。
それを見て理解する。
自分にとっては忌むべき月だが、妖怪にとっては今日は最高の夜。その中に人間が入り込めば妖怪どもの宴が繰り広げられるのも当然というもの。
かさかさ。
誰かが竹薮をかき分け、こちらに近づいてくる音が聞こえる。
死肉を貪る妖怪どもが群がってきたのだろうか。
だとしたら…最悪だ。
生きたまま身動きも抵抗もできずに抉られる肉の感触は、できればあまり味わいたくない。
しかしとりあえずは少し休むことができた。
死蝕鬼たちを追っ払える程度の力が回復していることを祈って体に力を込める。
――と。
ぴょこんとした可愛らしい耳と、大きくまんまるい瞳が、自分を覗き込んでいることに気がつく。
「…てゐ」
あぁ、そうか。ここはもう彼女達の領域なのか。
突然名前を呼ばれたてゐは、なんで私の名前を知ってるの?と言いたげな瞳で首を傾げる。
その様子を見て、苦笑してしまう。
うさぎの脳は小さいというけれど、もう何十回と会っているんだからそろそろ顔と名前を覚えてもいいころだろうに。
「あなたの願いは、何?」
だが妹紅の事情などお構いなしに、てゐはそれだけを聞いてくる。
あなたの…私の願い、か。
本当は完全なる死を望みたいところだが、それをてゐにお願いするのは酷な話だろう。
…いや、そんなことをお願いすると死ぬまで何度も殺されることになりそうだから言わないだけだが。
「そうだな…私の傷が治ったら、この竹薮の出口まで案内してくるか?」
いつもと同じお願いすると、てゐはこくんと頷いて妹紅の隣にちょこんと座った。
足を伸ばして満月を見上げるてゐ。
お尻に生えたまんまるの尻尾が、なんだか妙に愛らしい。
「てゐ~。てゐ~、どこ~?」
もう一つ、竹薮をかき分けて聞こえてくる少女の声。
それはまるで姉が妹に呼びかけているように聞こえて、微笑ましい気持ちになる。
「あ、てゐ発見。…それと、妹紅さん?」
「……やっ」
竹薮からひょっこりと顔を出した鈴仙に、力なく答える。
「…あ~。とりあえず聞きますけど、狂気に晒されて痛みを忘れるのときちんと薬の塗るの、どっちがいいですか?」
またひどくやられましたね、と近寄ってくる鈴仙に、妹紅は即答する。
「薬で頼むわ」
「かしこまりました」
くすくすと笑いながら妹紅の体を触り、傷の度合いを確認していく。
その手はやはり輝夜なんかとは違い、いたわりを持ったやさしい手だった。
「毎度のことだけど…いつも、悪いね」
だから自然と妹紅の態度もやわらかいものとなる。
そもそも彼女が憎むべきは輝夜だけであり、鈴仙やてゐとは仲良くやっていきたいと思っているのだ。
「でも今日はこんなにきれいな満月だってのに、月見もしないでどうしたん?」
そう聞くと、薬草を巻きつけた包帯を傷口に当てて縛っていた鈴仙が苦笑する。
「こっちもいつもと同じです。てゐが迷い人がいそうな気なするって飛び出しちゃったから追い駆けてきたんです」
ちらりとてゐの方を見ながら鈴仙が答える。
何箇所か包帯を巻いたあと、とんとかるく包帯を押して終了です、と鈴仙が呟く。
いつものことだが手際のいい治療に、思わず感嘆の声が漏れる。
「ならてゐには感謝しないとね。おかげで今日も死蝕鬼に食われなくて済んだ。てゐ、ありがとね」
妹紅がてゐに向かってそう言うと、てゐはぷいっと背を向けてしまった。
「こら、てゐ。ダメでしょ?お礼を言われたんだからどういたしまして、でしょ?」
鈴仙にこつりと叩かれたてゐはう~、と唸りながらも「どういたまして」と呟いた。
「そういうのはきちんとその人のほうをしっかりと見て言うっ!」
無理やりてゐの向きを変えて座らせる鈴仙。
てゐは一瞬だけ鈴仙のほうを見て、「うどん、いじわる」と言ったあと、今度はきちんと妹紅に向かって「どういたまして」と言う。
「鈴仙、これも毎度のことだけど少し躾が厳しすぎやしない?」
多少動くようになった腕でよしよしとてゐを撫でてやりながら言うと、鈴仙はふんっと鼻を鳴らして両手を腰に当てた。
「この子にはこれくらいしないと意味ないんですっ!」
「とか言って、私には普段遊ばれてる腹いせのようにしか見えないんだけど?」
「う…っ!?」
図星を指された鈴仙は誤魔化すようにそっぽを向いた。
…もろバレだっての。
でも、そんな子供っぽさが鈴仙の魅力なのかもしれない。
「む~。妹紅さん、今笑ったでしょ?」
「いや、気のせいじゃない?」
そーかなぁ、そーなのかなぁ、と首を傾げる鈴仙を尻目に妹紅は立ち上がる。
死なない程度の能力と月の住人の治療の効果は伊達ではない。
…とはいえ、まだ無理をすることもできないか。
輝夜が阿呆面でこの満月の夜を楽しんでいるだろう方角を睨みながら、冷静に判断する。
このまま輝夜の屋敷に潜入すれば、死蝕鬼に喰われるよりも凄惨な事態になるだろう。…悔しいが、今夜は戦略的撤退をするのが賢明だ。
「……はぁ。相変わらずすごい回復力ですね」
感心するような、呆れるような声。
「私自身の回復力はそんなにえばれたものじゃないよ。死なないだけで、魔力を巡らせなけりゃ回復がはやまるわけでもないからね」
今日の戦いはかなりの魔力を消耗していたので、もし鈴仙に見つけてもらえなかったらあとニ時間は動けなかっただろう。
そしててゐに発見されていなければ、死蝕鬼に襲われてさらに回復が遅れていただろう。
あいつらは、肉とともに体内の魔力も奪っていくから。
「いえ、私は魔力がなるべくはやく回復するようにってお手伝いしてるだけですから」
そう言って、鈴仙は笑う。
「でも…たとえ魔力が尽きたとしても死ねないっていうのは…辛いですよね」
その泣きそうな瞳を見せられて、戸惑ってしまう。
この子は…鈴仙は、輝夜のもとにいるにはあまりにも性根がやさしすぎる。
永琳のように割り切るでなく、てゐのように無邪気でもなく、ただそのやさしさで全て包み込もうとする鈴仙。
だけど、きっとこの子には輝夜を包み込むことはできない。
あの輝夜は誰の中にも入りきらない、底知れぬ闇。輝く夜にあって夜よりもなお際立つ、底見えぬ黒なのだから。
「それじゃ、私の傷をいつでも治せるようにこっち側につく?」
「…えっ?」
だから。たとえ慰め程度しか効果がなかったとしても、抜け道はあるのだと教えてあげたかった。
それを知っているのと知らないのでは、いざというときにできる心の余裕が違うのだから。
「なんて、冗談冗談。まだあんたじゃ未熟だしね。…ま、あと100年くらいしっかりと永琳のところで薬でも学んでなさい。そうしたら私が引き抜いてあげる」
鈴仙の頭をかるくぽんを叩きながら、てゐを連れて歩き出す。
まだ歩くには少し辛いが、てゐの肩を借りれば歩けないこともない。
「というわけだから、今日は輝夜に見つからないうちにこの竹薮の中から退散するわ」
手をひらひらを振り鈴仙に背を向ける。
「でも妹紅さんの家ってたしかこの竹薮の中…。出ていってどこに行くんですか?」
「この状態で輝夜に見つかると厄介だからね。今日は慧音の家にでも行ってのんびりとしてるよ」
「なら私もそこまで一緒に行きますね。…正直、てゐだけじゃ妖怪に襲われたとき少し危ないし」
そう言うと鈴仙は妹紅の隣につき、少しでも楽になるようにと手を貸す。
「……うどん、邪魔」
これは私が頼まれたことだ、と不満がましい目でてゐが鈴仙を睨む。
しかし少ししか怯まなかった鈴仙を見て、「あとで覚えてる」とだけ呟いててゐは道案内を再開させた。
同じような道が続く竹薮。ここを正確に抜けるにはてゐの道案内が不可欠だ。
鈴仙はてゐの脅しとともに帰りの道のことを考えたのか、やや沈み気味の表情。
このまま今日は慧音の家に泊まっていけば?と勧めれば乗ってきてしまいそうな鈴仙を見て、妹紅は苦笑しながら助け舟を出す。
「てゐ?鈴仙はあんたのことも心配してるんだから、そんな意地悪言っちゃだめでしょ?」
妹紅がそう言うと、てゐはそれは違う、とでも言いたげに首をふるふると振った。
「うどん、姫と師匠の間に一人でいたくないだけ」
あぁ、なるほど。あの中に鈴仙一人いたらいい遊び道具にしかならないか。
「…妹紅さん、今絶対失礼なこと考えましたね?」
気のせいじゃないかな?妹紅はそう誤魔化し、同時に目を鋭く光らせた。
「鈴仙。…正確な数、わかる?」
「前方に三、後ろに六です」
人間である妹紅は敵の殺気に反応し、聴覚に優れる鈴仙は音に反応する。
前方に三…これはきっと囮。たいした力を持たない使い捨てなのだろう。ならてゐと二人でなら渡り合えるか?
てゐの方を見ると、てゐは既に自分の方を見上げていた。
その瞳を覗き込み、にこりと笑う。
「バックアップは任せたわ、てゐ」
かるく頭に手を乗せてあげ、けして速いとはいえないながら前方に駆け出す。
せっかく回復した少量の魔力。それをこんな雑魚相手に無駄な消耗するのは愚者の愚かしい行為。
いつもポケットの中に仕込んである幾つもの暗器の中から小さな玉を取り出し放り投げる。
地面にぶつかり、強い衝撃を与えられたそれは、小さな破裂音とともに赤の閃光を放つ。
火薬を詰め込んだそれは、香霖堂の主人曰く「爆丸」という品物らしい。
もともとは永琳が作っていたものを見様見真似で作ってみたものなのだが、いかんせんやはり知識がないため威嚇用にしか使えない品物となってしまった。
やはり格好よかったという理由だけで作ろうとしたのが間違いだったのだろうか。
「…ま、こうやって飛び出させることはできるからいっか」
そんな呑気なことを呟きながら取り出す暗器は二本のクナイ。
両手に構えたそれを、投げるのではなくナイフとして扱う。
奇怪な声をあげる三匹の妖怪。放たれる弾幕を最小限の魔力を乗せたクナイで弾き、斬り裂く。
隙を見て放たれる妹紅の一閃は、突きを主体とした攻撃だった。
妖怪を斬り捨てるには体力が回復しきっていない。それなら急所を狙った一撃のほうがよほど効果的だと判断しての突き。
それに今の妹紅にはてゐのサポートがある。
『人間を幸福にする程度の能力』
言い換えればそれは、人間を不幸にしない程度の能力。
ならば敵の攻撃が妹紅に当たる道理はなにもなくなる。
「せぃっ!」
鋭く踏み込んだ突きが一匹の妖怪の瞳孔を貫く。
突き刺さったクナイはそのままに、苦痛に絶叫する妖怪の口に爆丸を放り投げてやる。
瞬間に破裂し飛び散る脳髄。
まずは一匹目。
顔にかかったぬめりとしたものを空いた手で振り払い、残った二匹を睨みつける。
連携をとっていた一匹が殺られ、動揺する妖怪。
…ふん、そろそろ頃合か。
部分部分が腐敗を始めているのを確認し、侮蔑するような笑みを向ける。
クナイに塗った毒が回ってきていることに気付かない妖怪。
せめて苦しまないよう、この一瞬で決めてやろう。
懐から二枚の御札を取り出す。
「破裂しろ…」
寸分の狂いもなく、まるでホーミングするかのように二つの鳩尾にそれは張り付く。
「フジヤマヴォルケイノ!」
スペルを宣言した瞬間。妖怪の体内を山の噴火を連想させる焔が渦巻き、腐敗した肉を焼きながら溢れ出る。
それはまさに火山。噴火した山と流れ落ちるマグマ。焼け焦げる匂いさえも焼き尽かせながら焔は体内で膨張を続ける。
そして…妖怪の皮膚はその膨張に耐え切ることができなくなり、破裂する。
「……丹精込めて作った爆丸よりもきれいな爆発って、どうよ?」
花火を思わせるその光景に少しだけ落ち込みながら、その場に座り込む。
後ろを見れば、鈴仙が二匹の妖怪を相手にしていた。
「あぁ、もう!しつこい妖怪は嫌われるって師匠が言ってたぞっ!」
がむしゃらにも見える妖怪の弾幕と物理攻撃。
「セット!」
それを後ろに大きく跳躍して回避した鈴仙は右腕を前に突き出す。
人差し指を突き刺し、親指を立てたいつものポーズで標準を合わせるように左手を添える。
「これでも喰らえ~!」
ぱん、と銃を撃ったあとのように腕を引く鈴仙。
それを合図に、鈴仙の背後に無数に現れた弾丸のような小さな弾幕が妖怪に向かって発射される。
弾丸のように小さな弾幕は、しかし無数にあることで威力の低さを補ってなお余りある。
結局二匹の妖怪は、原型がわからなくなるまで撃ち貫かれ、絶命した。
「相変わらず、顔に似合わずえげつない攻撃だことで」
「妖怪噴火を楽しむ妹紅さんほどじゃありませんよ」
ぽつりとした呟きに、鈴仙は心外ですと少し大きめの声で反論する。
「……本当は、やるならもっと苦しまないやり方がいいんですけどね。でも私はまだ未熟だから」
薬師としても、妖怪としても。
寂しげに笑う鈴仙。
「…ま。未熟だろうがなんだろうがその気持ちを忘れなきゃ、きっとあんたは大きくなれるよ。輝夜や永琳よりも、ね」
いつものようにからかうように手を振り、立ち上がる。
「…と、とっ?」
しかし予想外に力を使いすぎたのか、ふらついてしまう。
なんとか転ぶという無様な行為を避けようと近くの竹にもたれかかる。
「参ったな。こりゃ慧音の家までたどり着けるか微妙だ…」
立っているだけで魔力を吸い取られていくような感覚。
やはり勢いに任せてフジヤマヴォルケイノを使ってしまったのがいけなかったか。
「――まったく。普段は達観した調子なのに、なんでこういうところは子供っぽいんだか」
不意に聞こえてきた声に、失笑してしまう。
本当、なんてタイミングのいい妖怪だ。
「ちょうどいいところに来たね。よかったら私を背負ってくれないかな?」
首だけを後ろに回し、にっこりと笑いかける。
そこにいた妖怪――上白沢慧音は、呆れたように大きくため息をついて近寄ってくる。
「私だって満月に当てられた一介の妖怪だぞ?それでもいいというのなら背負ってやろう」
「素直に背負ってあげるって言えばいいのに。素直じゃないなぁ」
自分に向かって背を向ける慧音の背中によいしょとしがみつく。
「んで、なんで慧音がこんなところにいるの?」
「…ふん。今日は満月だからな。お前が無茶してないか歴史を覗き見たら案の定だったんで慌ててやってきたんだよ」
「ふ~ん、そりゃごくろうさん」
慧音の背中にしっかりと固定されてから、隣に鈴仙とてゐがやってくる。
「こんばんわ、慧音さん。家の前までお供していいですか?」
鈴仙が行儀よく訪ねると、慧音はてゐのほうを見て苦笑する。
「どうせダメだと言っても来るんだろう?お茶とにんじん料理くらいならご馳走しよう」
その言葉にてゐの瞳が輝く。
そんなてゐにはしたないわよと注意をしながらも、鈴仙の瞳にも同じような色があった。
それから推測するに、輝夜宅の今日の夕食は酒と団子だろう。
うさぎは甘いものが食べれないと知っているはずなのに…本当、意地の悪い奴だ。
それを見越して慧音も食事を準備してやると言ったのだろう。
慧音は村に害を為さない妖怪にもやさしい妖怪だから。
「…妹紅、何を笑っているんだ?気味の悪いやつだな」
「いや、なんでもないよ。ただ私が輝夜たちと対立してるときとそうでないときで鈴仙たちに接する態度が全然違うなぁっと思っただけ」
「……まぁ、な。お前が敵とみなしてなければ私一人がどうこういったところで無駄だろう?それに私だって好き好んで対立させたいわけじゃない。できるならそろそろ和解してもらいたいと思ってるんだ。ならこういう交流は大切にしないとな」
「あ、それは私も同感です。妹紅さん、そろそろ姫と仲直りしましょうよ。いがみ合うより、みんなで楽しく食事したりするほうが絶対に楽しいですよ?」
良識派二人が口を揃えて和解を勧める。
それを内心ちっと舌打ちしながら、寝たふりをしてやり過ごす。
最初に感じた憎しみは、今では遠い過去だ。
そこから現在に至るまでに、すでに自分と輝夜の間には覆すことのできない凄惨な出来事を繰り広げすぎてしまった。
だから。
今では、父親のことなんてどうでもいい。純粋に輝夜のことが憎くてしょうがなかった。
でも奴はきっと違うのだろう。
私が憎いんじゃない。
奴を憎む私を見て面白がってるだけなのだ。
その捻くれ曲がった性格が気に食わない。
永琳が薬を飲ませて輝夜の性格を変えるでもしないかぎり、この関係は一生このままだろう。
「…ま、今はまだ何を言っても無駄か。食事の用意ができたら起こす。それまではゆっくりと眠っていろ」
あからさまに落胆した慧音の声。
ふわり。自分の背中になにかあたたかいものが被さるのがわかる。
きっと鈴仙が自分の上着を被せてくれたのだろう。
そんな二人の心遣いに感謝しながらも、意識は確実に闇に沈んでいく。
…眠りとは、一時的な死。
――このまま覚醒しなければいいのに。
いつも心の中で祈る言葉を祈りながら、妹紅は次に蘇るまでの死を今日も受け入れる…。
うどんと呼び捨てにされてるのか(^^;
一人称で心がうまく描かれています。
ちょっ、てゐ、げがたりん。だがそこがGJ