「ふわぁ~あ」
大口を開けてあくびをひとつ。
目の端からは涙が流れ、赤い目を更に赤くしている。
一見、ボロで粗末な木戸にしか見えない『永遠亭の境界点』を前に、因幡てゐは暇そうにあぐらをかいて座っていた。
長い自前の耳までうな垂れ、これでもかと言わんばかりにやる気の無さをにじみ出させている。
――実際、彼女は暇だった。
紅魔館と違い、永遠亭には門番という役職が存在しない。
もともと月の使者に対して『屋敷内に誘い出してから撃退する』という対抗処置をとっていたこともあるが、それ以上に向いていないのだ。
なにせ屋敷内にいるほどんとの住人が兎である。
淋しいと死んでしまうというのは流石に嘘だが、ひとりっきりで長時間の孤独に耐えられないというのもまた真実だ。
兎たちにとって、門番など拷問以外の何ものでもない。
今も永遠亭の中ではせわしく楽しい声がする。並の地上兎では『ちょっと中に入ろっかなあ』と思わずにはいられない。
だが、健康マニアである因幡てゐは、コエンザイムQ10をバリバリ噛みながら、うろんな目でそれを無視した。
むろん、納得はしていない。
「分かってはいるのよ?」
思わず独り言を呟いてしまうほどだ。
「今日がスゴイ重要な日だってことは」
トクトクとコップに青汁を注ぎ、腰に手を当て一気に飲む。
ぷはっ、と息をはき、酔っぱらいのようにくだを巻く。
「あの新参の月兎にイタズラしたのが響いてるんだろうし、来てる人間を思えばアタシが会えないのも分かるよ? アタシは『人間を幸運にしてしまう』んだもんね、でも――」
ムシャムシャ、各種ビタミン錠剤を腹立ち紛れに噛み砕いてから、すっくと立ち上がり、
「こ~んな左遷みたいなことしなくてもいいじゃないのよー!!!」
彼方に向かって吠え叫ぶ、錠剤のカケラも一緒に飛んだ。
みのさんに電話してやる~!! ばか~!! などと、ピンクの服を膨らませつつ雄叫びをあげる。
どうも何もかもが上手くいかなかった。
あの月兎とやらが来てからである。
因幡てゐと鈴仙・優曇華院・イナバとの関係は、なかなかに複雑なものがあった。
まず、最下位に働き兎たちがいる。
ここにも細かな順位づけがされているが割愛だ。
その働き兎を統括するのが因幡てゐ、その因幡てゐを監督するのが八意永琳、その永琳の主として最上位にいるのが蓬莱山輝夜。とまあ、このように順列は綺麗にそろっていたわけだ。
ところが、ここに割り込んできたのがウドンゲなどと言うアヤシゲな逃亡者だ。
八意永琳に師事しているので彼女よりも下位であることは確かだが、では因幡てゐよりも上位かというと、これは首を傾げざるを得ない。
少なくともてゐは、普通兎にからかわれて半泣きになるようなのを上位者として受け入れることはできない。
それに、ウドンゲ自身、居候としての身分に自覚があるのか因幡てゐの指示に従うのだ。
従業員兎の間をちょこまか歩く月兎を見てると、『鈴仙・優曇華院が因幡てゐよりも強い』という事実を忘れてしまいそうだった。
――結局は、様々な意味での『異分子』。それこそがウドンゲなのだろう。
「ホント、ストレスは健康に悪いのに……」
真っ赤な頬を限界まで膨らませ、ぶちぶちと文句を言い続けた。
これは危険だった。
彼女は幸運をつかさどる兎。
笑う角には福来たるを本当に起こしてしまう生き物だ。
不満顔で不平不満を言おうものなら、その効果はてき面に現れる。
しかめ角には不幸が訪れるのだ。
「ん?」
秋空の果て、雲の谷間から『黒い何か』が見えた。
「なんだ――」
――ろうあれは。
そう続けられるはずの音は、すぐ横を通り抜けた衝撃波にかき消された。
『それ』は遠方から永遠亭の中までを一直線に通り抜け、簡易的に張ってあった結界と木戸をぶち破り、内部の兎たちを阿鼻叫喚の渦へと叩き込む。
突風というのも烏滸がましい、攻撃力として通用しそうな衝撃は月面風に整えられた庭や因幡てゐを弾き飛ばし、一撃で再起不能にさせていた。
「きゅう」と言って因幡てゐはそのまま気絶する。
起きるのにはしばしの時間が必要だった――
「ふははは!」
そんなことにはまるで注意を払わない霧雨魔理沙は、魔王のような高笑いを上げながら永遠亭の中を撹乱してた。
縦横無尽ににかき回す様子は楽しげで、傍若無人という言葉がぴったりと当てはまった。
ぐるん、と箒を中心に180°回転し弾丸をすり抜ける、右手を横に突き出し魔光を噴出させることで左へとスライド、塊となって襲う弾幕を間一髪で避ける、進行方向先にいる兎に蹴りを喰らわせ反転、突入する兎の軍団をあざ笑うように飛び越える――
魔理沙は永遠亭内を無秩序な、らくがきのようにデタラメな軌跡を描いていた。
兎たちは翻弄されるまま、この白黒い悪魔を捉えることができない。ドーピングしているとはいえ一般兎では常識外れの速度と軌道に対応できないのだ。
その反射神経は既に人の域を越えていた。
「遅いぜのろいぜせつないぜ? さあ、悔しければ輝夜の居場所を吐くんだ」
「なぁに訳わかんないこと言ってるのよ!」
「お、出たなウドン」
「ウドンゲよ、ウ・ド・ン・ゲ、変な略をしない! あと、それ呼んでいいのは師匠だけ!」
「固い事いうなよウドンゲインナバ」
「変な繋げ方もしない!」
「注文が多いぜ? そんなんだからウドンゲなんて呼ばれるんだ」
「しつこいっ!!」
叫び、弾幕を展開させた。
「今のは合ってるよなあ……」とボヤキながら魔理沙は余裕で避ける。
なかなか憎らしい様だ。
永遠亭最奥の『お客様との会談』を邪魔させぬため、月兎はこの場の死守を命じられていた。
ウドンゲは唇を噛み締め、強く強く強く睨む。
魔眼保持者が、その本気を見せようとしていた――――
+++
かこーん、と竹が鳴る。
時の間隔を告げる音は、高く、遠くにまで響きわたる。
ふたりがいる和室の中にもその音は響いた。
「…………」
「――――」
ふたりは、黙ったまま睨み合っていた。
特徴的な容姿を持つふたりだった。
片方はどこか和人形めいた雰囲気を持つ少女だ。真っ直ぐな黒髪はどこまでも艶やかであり癖などカケラも無い。夜闇の精髄をを溶かし髪へと変化させたような黒さ。病的なまでに白い肌とも相まって、それは奇妙にはっきりとした陰影を作る。
落着いていて愛らしいのに油断できない。魔的な『魅力的な昏さ』――――生き人形めいた少女なのだった。
もう片方、その対面にいるのは少女は真逆に、活発な下町娘といった雰囲気だった。ざっくりとしたシャツと少々大きめのズボンはサスペンダーで押さえられ、その一般性をもの語ってる。むろん、それだけでは収まらないものも当然ある。薄く引き伸ばされた硝子のような、極限まで冷たく凍った瞳は通常の娘ではありえない。海千山千でも足りるだろうかというほどの『毅さ』(つよさ)。
そこらにいる娘を鉄隗に見立て、これを焼き、叩き、水入れを幾億も繰り返し、最高の名刀に仕立てたのだとでもいうような『毅さ』なのだった。
『月人形少女』と『最強下町娘』は、互いに引くことなく対峙してた。
「…………」
「――――」
ふたりは先ほどから、1時間近くもこうして睨みあっている。
張り詰めた空気はどんな動きも許さない。
最初にお茶を運んだ下働き兎などは、出し終わった後に呼吸困難で倒れたほどである。その緊張は並ではなかった。
空気は帯電し、恐ろしいほどに禍々しい。窓の外に見える秋空がいっそ嘘臭いほどだ。
和室特有の薄暗さはおどろおどろしく、百鬼夜行以上の妖気。
地獄の底の、もっとも深い場所でもここまでの瘴気を発していないだろう。
(どうしてくれようか)
ほぼ同時にふたりは思った。
蓬莱山輝夜には養父母を殺されたという恨みがある。
妹紅が直接、殺害したわけではないが、彼女が不老の薬をくすねたお陰で死んだというのもまた確かだ。
輝夜が月世界を追われる契機となった薬、それをどんな気持ちで養父母に渡したか、この平凡娘は分かっていないことだろう。
現世を覗き、生きているはずの人間が死に、知らない人間が不老不死となっていたと知った時の、あの絶望は筆舌に尽くしがたい。
『もし』が許されるのであれば――もし妹紅が薬を盗んでいなければ――輝夜は生きて養父母とふたたび会えたのだ。
その機会を永遠に潰した人間が目の前にいる――
許しがたかった。
一方、藤原妹紅には、もっと直接的な恨みがあった。
彼女は輝夜の使いに幾度も『殺された』のだ。
およそ考えられるすべての殺害方法を使い、想像力の限界を試したのだと言わんばかりの『殺害』。
毒殺、銃殺、斬殺などはまだ生ぬるい。神経細胞があることを呪うほどの苦痛を伴なう『死』だ。
本来なら生涯に一度味わうだけで済む筈のその経験を、幾日も、幾晩も、絶えることなく繰り返されたのだ。
いっそ狂わなかったのが不思議なほどだった。
そして、目の前にいるのは『すべてを指示した張本人』だ――
恨みを、晴らさずにはいられなかった。
妹紅は右手を引いた。
目は輝夜を睨んだままだ。
袖口に隠してある符をそっと握る。
輝夜は目を細め、黙って力を開放した。
長い髪が揺らめき、服が風もないのに舞い上がる。
和室内の空気が尖った。
静から動へ。
停滞から繚乱へ。
氷原の冷たさから地獄の業火へと、すべてが一挙に動きだそうとした。
可燃性ガスの充満した場所での火遊びにも似た危機感。
知らず、両者の顔は凶悪な笑みに変わりつつあった。
+++
逃げる避ける翻る。魔理沙は放たれる弾幕を全てすり抜けていた。
空気を熱く焦がすほどの弾幕量。視界いっぱいを埋め尽くす『歪み』『消える』弾丸を、身体中に燐光を纏わせながら、ごく簡単に避けるのだ。
その姿は楽しげで、遊んでいるようにさえ見える。
だが実情は異なっていた。
(じ、時間がヤバイぜ……)
心中を焦りで灼かれていた。
余裕たっぷりの外面とは裏腹に、じりじりと焦燥が満ちる。
残り時間は1分を切っていた。
こんなところで遊んでいる場合では決してない。
(慧音んところで永遠亭の場所を、紳士的かつ丁寧に聞き出してコッチに来たからな、やっぱ時間が足りないか……)
ちなみにこの場合の『紳士的かつ丁寧に聞き出す』とは、『臨界状態の魔符を住民に突きつけながら頼み込む』の意である。
――テロとほとんど変わらないと、もっぱらの噂だ。
(ただでさえ長ったらしい廊下とか、偽の通路とか、迷路じみた屋敷内を探索せにゃならんのに、コイツの相手をしてるヒマなんて無いってんだ――――しっかし、なんだか妙に執念深いな、コイツは。何でこんなに必死になってるんだ?)
それはもちろん、魔理沙が屋敷内の書物を常習的に盗んでいるからである。これ以上の月知識の流出を防げと、師匠の八意永琳からキッツイお達しを受けてるのだ。
「くらえくらえくらえー!!」
2度とあの『この世のものとは思えないほど苦くて青い液体』――永琳特製健康ドリンク――を飲みたくないウドンゲは、それこそ死に物狂いで弾幕を放出した。
「こら座薬使い! とっとと諦めた方が吉だと、このおみくじも言ってるぜ?」
「座薬言うな! あと、そんな占い知らないわよ」
「なにおう、当たらないと有名な博麗神社のおみくじだぞ、そんなこと言うとバチを当てられるぜ」
「誰が、誰に!」
「むろん、私が霊夢に!」
「ならオッケーじゃない!」
「犠牲者は少ない方がいいんでな、通らせてもらう!」
「だからダメだってば!」
めまぐるしく位置を入れ替えながら、ふたりは屋敷内でドックファイトを行っていた。
螺旋を描きながら廊下せましと暴れまわる。
ただし、攻撃するのはウドンゲの側だけだった。
『宅急便屋』として働いているためなのか、霧雨魔理沙は弾幕を張らず避けるだけに終始していた。
(――『魔女のなんとか』じゃ、スペルカードを使ってなかったからな――――きっと、そういう宅急ルールなんだろうぜ)
ってなものである。
思考の間にも座薬――いや、弾幕は魔理沙を撃墜しようと画策する。魔眼すらを併用して放たれる『歪む弾丸』は、すべて紙一重で避けられ、むなしく屋敷内に着弾した。
弾幕放出によるスピード低下を狙い、魔理沙は逃げ出そうと箒の出力を上げた。
黒い魔法防御壁を展開し、箒からの魔力光を倍増させ、その身体を彼方まで瞬時に移す。
内側から透明に見えるはずの防護壁が、空気との摩擦のため赤く灼熱する速度だ。大気は苦痛のあまり声を張り上げ、その余波は通路をズタズタに引き裂く。
「行かせないわよ!」
だが、その速度を以ってしても月兎の魔眼からは逃げ切れない。
ウドンゲの『狂気を操る能力』により『感覚を狂わせられる』。視覚、聴覚、触覚が主人を裏切った。
前から来るはずの風切り音は真横から聞こえる、重力が真後ろに発生し、見える風景に至っては泥酔した方がマシと思えるほどの前衛芸術だ。
前方? それは一体どこのどちら様ですか? といった塩梅だった。
速すぎるスピードが仇となり、舵取りが狂う。
一度、崩れてしまったバランスは修正するのが難しい。
「くっ!」
ほどなく上だか横だか分からない壁へと突っ込み、墜落同然の煙と轟音を高く上げた。速すぎるスピードは一度の衝突では止めきれず、数回のバウンドと回転を繰り返してようやく止まる。
魔理沙が『本当の下方』へとズルズル落ちる間、ウドンゲは再び接近し、滅殺とばかりに弾幕を放出する。
なんとか意識を取り戻した魔理沙はそれを避け、体勢を整えてから再び逃げ――
――という繰り返しだった。
速度では一日の長がある魔理沙だが、ウドンゲの魔眼を前にしては無効化される。いくら速いとはいっても『見る』という作業を振りほどくほどのスピードは出せない。音速突破はともかく光速突破は何かと問題をはらんでいるのだ。魔力で克服するにも難しい壁だ。
「くそう、特殊相対性理論の奴め。私に何か恨みでもあるのか?」
「なに訳の分かんないこと言ってるのよ! いいから素直に当たりなさいよぅ!」
頑是ない子どもの顔でウドンゲは弾幕を張る。
あまりに当たらないので泣きそうだった。
どれだけ綿密な弾幕でも、どれだけ魔眼で弾を『狂わせ』ても、スイスイと気軽に魔理沙は避けてしまうのだ。
なんだか無駄なことを続けている気分にすらなってくる。
「うぅっ!」
「こりゃあ、困ったなあ……」
『当たらない』に『逃げられない』。
状況は膠着し、千日手に近い有様だった。
流石に眉を寄せ、霧雨魔理沙は考えた。
この状況を打破する手はないものか、と。
(まず、弾は出せない。それは却下だ。『宅急便屋』の名が廃る。かといって逃げ出す事もムズカシイ――あの魔眼はやっぱり厄介だ。ならば――――)
着々と策を練る横合い、遥か廊下奥の入り口方面より、真っ赤な頬っぺたを更に赤くした、怒れる因幡てゐが恨みを晴らそうと突進して来ていた――
永遠亭のメンバーをひっかけて来たストーリーもレア度が高くて高印象です。
1の方からずっと笑い転げながら読みました。
続きをかなり期待しています。
あと読んでて凄く読みやすかったです。
エンタですね。良いなぁ。
テンポの持続力が実に高くて、気取りながらも飾らない。
いえ、修飾もまた素敵なのであります。あー、実に好みですな。
ウドンゲが格好いい・・・しかし、それより何より、
てゐの立ち位置が自分とかなりシンクロしてるのがかなり楽しく感じました。
次回も楽しみでありますよぅ。
てゐはもはや性悪キャラで皆さん固定されてますね・・。
マリサの今後の仕事振り(テロ活動)に期待してます。
随所の小ネタも、とにかく突っ込みたいったらありゃしないですね。何食ってるんだよてゐ、とか、音速突破は無問題なのかよ魔理沙、とか。
とりあえず、永琳特性健康ドリンクは某テニス漫画の某汁をモロに彷彿とさせますね。
魔理沙がきちんと仕事をこなせるのか、今後の展開から目が離せません。
『臨界状態のスターダストレヴァリエ符を住民に突きつけながら頼み込む』
と言う文の「スターダストレヴァリエ符」は「魔符」とした方が
よろしいのではないかと思います。
オール回避のみプレイ――っ!?(何)
……おほん。1話2話ともに読みました。やー、凄いですねこのすっ飛びテンポ。色々と細かく気になる所もありますが、それでも中々に面白いです。
(もうちょっと抑えた方が良い所は結構多いと想いましたが)
後は……乾先輩っ! とか、訳の分からない突っ込みはさておくとして、小ネタもかなり良い挿入の仕方をしてると思います。そうです、こういう小ネタはネタが分かっても分からなくても楽しめる入れ方をしないとっ!
GJです、続きを期待しております、頑張って下さい!!
※余談ですが、私が書いてる夏の日シリーズが完結後、実は私の次の話の予定は
「霧雨魔理沙の宅急便@荷物と不幸を誰よりも速く運ぶぜ」
というタイトルでした(おぉ)魔女の宅急便よろしく、助手に橙をつけてーという。見事にネタ被りまくりなんで止めときます(苦笑)
ブレイジングスターで滑空するのはほとんど反則だろ…
魔理沙のテロ活動並の行動力もいいが、てゐの食事シーンなんて読んでいて吹きましたね。
兎とは思えないほどの健康に気を付けているてゐが良すぎるぅ。
輝夜と妹紅の展開も気になりながら、続きを期待。
駆け抜ける様なテンションを保ち続けることで魔理沙の爆走感がとてもよく伝わってきます。
かと思えば一転してねっとりじんわり燻る輝夜と妹紅の対峙にぶち当たり、そのテンポの差異がまた心地良い。
場面に応じてギアを換えてくる作者様の巧手にはもう、頭が上がりません。