(・・・あれ)
という思いと共に、私は意識の覚醒を自認した。
未だ瞳を閉じたまま、たった今から私の続きが始まるのだということを納得したのだ。
目を開ける前に、ぼんやりとした頭で自分の状態を意識し、椅子に座ったままの姿勢、机に突っ伏す形で俯き、自分の両腕を枕代わりにしていることを自覚する。
その認識に私は、
(ああ、また)
と憂うように想った。
―――なかなか、上手くいかないものだな、と。
** 師走某日 月曜 朝
夜更かしの末にデスクをベッドにしてしまうことは往々にしてある。
否、実際の所、寝室の利用率の方が少ないほどだ。
事実、館のメイド長や我が友人は、
「ちゃんと夜はベッドで寝なさい」
などと、まるで子供に言い含めるかのような調子で言い、私はそれに反論できずにいる。病人は大人しくせよ、という簡単な論理だが、こうして言われるまではこんな辺境魔境の世界に於いても通じる理とは思いもしなかった。
でも、彼女らのそんな言葉に従って、書斎、即ちこの禁書宝庫、普遍なる大ヴワルから、館の私室や同寝室へと向うというそれだけの事が、どうにも私には億劫に感じられて仕方が無く。
結局、この通りの机暮らしである。
面倒なのではない。ただ、それが労力の無駄であると自覚しているだけだ。あるいは、これも思い込みなのかもしれないが。
私には本を読まずにいる瞬間が許されていない、と、考えもせずに信じる事も疑わず想い耽っているだけ、なのか。
真実であろうとなかろうと、私はいつだって本を読んでいたい。
本の隣にいない自分など想像できない。
私のような幻想の存在が、二束三文の真実などに迎合する必要は無いのだ。
ユメならばユメらしくユメを見ろ。さもなくばユメとなりて散り果てよ。
先人はそう伝えた、と本は言う。その言さえ真実である必然性は無い。
手放すのを厭うなら歩き読みでもすれば、とかつて友が言った。
ある意味では正しいであろうこの指摘も、私という存在に対しては余りにも無力だ。歩き読みをして目的地に辿り着けるとは到底思えない。怪異なりしこの私、暴力的なまでに巨大で枯渇する事を知らない我が精神が、己の器、このひ弱な肉体を支配下に置けていないという事実が、他ならぬ私自身をどこまでも束縛する。
ままならない、生命。だがそれこそが、私そのものなのであろう。不自由ほど安寧を生むのに適したスペースも無い。
私の名前はパチュリー。『知識』を冠する七曜の怪奇、“色遊びの電気屋(パーティカラートルマリン)”。
私は、魔女だ。
自己の定義を済ませ、私はようやく瞼を開ける。眩しさに目を細める事は無い。この書斎には明かりが少ないのだ。
いや、それ以前に、光の届かないこの場では、現在時刻を知ることも出来ない。
朝なのか、はたまた夜なのか?そのどちらであっても関係は無い。昼も夜も私には等価値。つまり無価値だ。
狭く開けた視界には、細く弱い両腕と、その下に押さえ付けられた書物が見えた。
そのまま身を起こし、両腕を上げて軽い屈伸をする。血行の促進の為という名目もあるが、単純に気分の問題である。
身の引き伸ばされる感覚の後、「ふわ・・・」と短く欠伸。
これで、私の起床は済む。洗面の類は小間使いや館のメイドが来るまでお預けだ。
水場まで行くのも、彼女らを呼びつけるのも難儀だから。
では、今から何をするのか?
愚問だろう。当然、手元にある本の続きを読むのだ。
私が今読んでいるのは、旧い古い御伽噺。
私にとっての愛読書のようなものだ。
これまでにもう何度となく読み返し、内容の一言一句まで想い起こす事が出来るようになっているけれど、今でもこうして事あるごとに紐解いては読み、その度に新しい発見をしている。
良い本だ、と思う。通常、私にとって単なる情報の集積、それ自体ライブラリでしかない筈の紙束が、ことこの本に関しては千金に値するものにすら思えるのだ。座右の書を問われればまず間違いなくこれを挙げるだろう。
この書の題は―――
「あら、パチュリー様」
ふと、聴きなれた声が聞こえて、私は不意にそちらを振り向いた。何がしか考え事をしている最中に声をかけられた時、私はそれに気を取られて本から目を放すか、まるっきり無視して読書に没頭するかのどちらかの反応しかせず、今回は前者であった。
振り向いた先には、一言でメイドと言い表すのが勿体無いほどの麗人が立っていて、こちらを少し意外そうな目で見ている。
十六夜咲夜。このヴワル図書館を内包した紅魔の居城にメイド長として仕えている、正真正銘の年若き人間の女性である。
「またこんな所で寝て、と思ったら。起きてらしたんですね。珍しい」
聞きようによっては嫌味のように取れるこの発言も、彼女のさばさばとした口調にかかってはただの朝の挨拶になってしまう。
私は彼女のそんな『おはよう』に応えて、「おはよう、咲夜」と返した。
すると、咲夜は何故か驚いた様子で目をぱちくりとさせ始める。
「・・・? どうかしたのかしら」
そんな咲夜に向けて聞く。起き立てで回転速度の遅い頭を使うよりも、直接本人に聞いた方が速いと思ったのだ。
彼女は私の誰何に反応して平常の様子に戻り、
「ああいえ。ちょっと驚いただけですわ。パチュリー様が普通のご挨拶をなされるだなんて。
おはようって言葉、知ってらしたんですねぇ。
私てっきり、いつも仰ってる『ん、はいはい』ってのが、パチュリー様の朝の挨拶なんだと思ってたのですけれど」
「・・・そう」
軽い溜息と共にそう返す。それはこちらの台詞だ、と言いたい気持ちを押し隠して。
重ねて言うが、彼女は一切の含みも無く、率直に言葉を連ねているだけなのである。どんなに無礼な言葉を吐いているように聞こえても、奇術師にしては正直な彼女の発言に悪意はまるで含まれていないのだ。この正直さに腹を立てたところで、結果、馬鹿を見るのがオチと言える。
皮肉は言うが、通じる相手にしか用いない。むしろ皮肉の通じる相手には、皮肉を用いてしか喋らない節がある。また、そういった相手をこそ彼女は好むらしく、その辺りは実にマジシャンらしいと思う。不気味なだけの魔女とは大違いだ。
彼女がこうして皮肉を用いるという事は、つまり私は彼女にまだ嫌われていない、という事である。
忌避すべき事でも無いので、知り合ってからはずっとそんな間柄だ。皮肉を言ったり、言われたり。
それを友と呼ぶのなら、あるいは少ない我が友人の数が二桁の大台に達するのかもしれないが。
「じゃ、行ってらっしゃいませ」
物思いに耽る私に向け、咲夜がそう言って指を鳴らす。
一瞬の巨大な違和感の後、視界は薄暗い書庫から仄かに明るい洗面所にフェードした。
洗面を済ませ、幾分かすっきりとした心持ちになった私は、書を片手に館の廊下を歩いている。
今朝はどうやら体調が良いようなので、偶には朝食の席に着くのも悪くあるまいと思ったのだ。普段はこのように優しく照らす朝の陽光も観ずに、昼頃になってから起き出すのだが。気紛れに気を紛らわせるのも、時として許される行為であろう。
つらつら、長々と物を考えながら歩いても、なかなか目的のドアが見えてこない。
この廊下は、広すぎる。ヴワルにしてもこの真っ赤な廊下にしても、館の実際の建坪からすれば不自然な広さを保有している。
ヴワル魔法図書館は最早それ自体が一つの迷宮の如き面積を持つ。これは蔵書群の持つ奇妙な魔力の調和によって生まれる異空の割合が大きいが、空間の捩れ方で言えば廊下のそれと比べて余りにも真っ直ぐだ。ありえない伸び方をしているだけで。
この紅い廊下は、空間と空間、時間と時間の断絶が著しい。継ぎ接ぎだらけの捩れた道だ。
館に仕えるメイドたちは皆只者ではないため、このような異空には最早住み慣れてしまっているが、もし何らの能力も持たぬ一介の人間がこの場に立ち入ったとすれば、このぶつ切りの世界を認識出来ず、すぐさまに精神がばらばらになってしまうだろう。
まぁ、もしそのような客人が立ち入る事があるなら、この空間の主も少しは配慮して、まっとうな廊下に戻らせるとは思うが。
彼女は、十六夜咲夜は、そこまで分別の無い輩ではない。むしろ、気は利く方だと言えるだろう。
あのトキとソラを掌に収めた完全平方の王女は、夜の王にして紅魔の姫たる運命の奴隷、我が友人レミリア・スカーレットに匹敵する力を持ちながら、ただただこの魔城の管理人兼侍従長としての役割に務まって、円滑なる日々を重んじて生きている。
その心には何が潜んでいるのだろう。
頂点に立つキャパシティを持ってなお、世界に折り合いをつけようとする、その態度は。
―――確かに。他ならぬ、人間で無ければできない事かもしれないな。
そうして、一際豪奢な扉に辿り着く。
開けると、朝食の席には相応しからぬ薄暗さが私を迎えた。その薄闇に違和感を覚える。
(・・・?)
この食卓が暗いのはいつもの事だ。館の主は月影以外の強い光を嫌う。それゆえこの館は窓が少なく、取り分け館主の生活領域には数えるほどしか無い。
だが、(妙な言い方になるが)彼女とて好き好んで光を嫌っているわけではない。単にそれが彼女の弱点であるというだけで、犬好きでも動物アレルギであればペットにするわけにはいかないのと同じである。
『料理とは死肉を飾り立て見栄えさせること』と物の本にもあった。暗闇では料理の意味が無い。
だから食事の際のこの部屋は、燭台の蝋燭と壁掛けのランプが灯って、それなりに明るい筈なのだ。
なのに、食事時のはずの今、ここは薄闇に支配されている。
会食テーブルは無人で、また、誰かが立ち入ったような形跡も無かった。
「・・・ああ、いや」
良く部屋を見てみると、見慣れた会食場とは少々趣が異なっている。天井が高く、逆に奥行きはあまりない。一方の壁にはいくつもの窓があり、そのどれもがカーテンに隠されているだけだった。他方の壁に掛かっているのはランプではなく、見知らぬ風景を描いた絵画が、粗末な額縁に収まって飾られている。
(部屋を間違えた)
気付いた私は、翻って部屋を出ようとする。だがそこに、
『いらっしゃいませ』
という聞き慣れない声が届いたのを感じ、私はもう一度部屋に目を向ける。透き通った、妙齢の女性の声。
すると、音も無くカーテンが開かれ、眩い光が部屋中に広がった。明るくなった部屋の中は一言で言えば殺風景で、中ほどに純白のクロスが掛かったテーブルのある以外何も見当たらない。椅子の一つすらも無かった。
だというのに、
『こちらのお席にどうぞ』
と声は理不尽な事を言った。やれやれ、と再び部屋を出でようとした私だったが、一息を吐く間に何処からか椅子が立ち現れ、卓のこちら側に添え置かれていることに気付いて、そちらに近付く。
特に理由があってのことではなかった。どの道この部屋を出たところで、一度迷い込んでしまえば元の館に帰るのは至難であり、空間の主が気付くまでは回廊を歩きつづける羽目になるだけだ。それならば下手に動かず、じっとして本でも読んでいるのが最良であると、至極私らしい考えを持って、椅子へと近寄ったのである。
席に着くと、
『前菜で御座います』
という声と共に、何も無い筈の空間から、グラスに注がれた水と、簡単な和え物が乗った小皿が出現して、私の手前に置かれる。
声は聞こえど、姿は見えず。驚くには値しない。可能性はいくらでも考えられるからだ。
この部屋は、どこかの料理店の個室、ないしはかつてそうであったもの、だろう。とすれば、聞こえ来る声もまた、その料理店に纏ろうものなのだ。幽霊なのか、ただの残留思念なのか、それともこの部屋自体が妖怪なのか、その区別に興味は無かった。
折角料理を出してくれるというのだ。ご相伴に預かろうではないか。出される料理を断るような気分でもなかったから、私はすっかりこの場で朝食を済ませるつもりになっていた。
しかし、前菜とは・・・朝っぱらから、フルコースでも出すつもりなのだろうか。元より小食の私にそんなものを出しても、大半を残してしまうのだけれど。
困ったものだ。
『御代は、結構で御座います』
と言われたので、私は一言「ごちそうさま」とだけ返して席を立つ。
実際、味は悪くなかった、いや、料理の出来にあまり頓着しない私にも、はっきり美味しいと感じられるものばかりだった。
だが、一度この場を立ち去れば、二度と立ち入る事は出来まいという思いがあった。
故に、見えない料理長に対して「また来るわ」と告げる事は憚られた。
私が立つと、座っていた椅子は元から存在しなかったかのように溶け消える。メインディッシュのソースが跳ねて、小さな染みの付いたテーブルクロスも、私の視界の端で元の純白を取り戻している。
「・・・」
私は無言のままに扉へ向かう。不思議な空間ではあったが、それ以上の興味を持つにはありふれた不思議に思えた。
早く帰って、あの本の続きを読まねば。
ノブに手を掛け、扉の向こうへと渡る。
と。
『いらっしゃいませ』
聞き慣れる程の親しみを持つには早いが、聞き覚えのある声。
扉の向こう。一方に開けた窓、一方に壁に据え付けられた絵画、部屋の真中にテーブル。
クロスは純白で、今まさにその側に、ふ、と椅子が立ち現れた。
『こちらのお席にどうぞ』
透き通った女性の声。透き通っているのは声だけなのだろうか。
見えない料理長は、先程と全く同じ調子で私に語りかけてくる。
「・・・ふん」
私は思わず軽く鼻を鳴らした。
事態の理解は瞬時。今朝の私は調子がいいのだ。精神のみの純粋な最大七曜と、何ら遜色が無いほどに。
この部屋はループだ。反復世界。相克する螺旋である世界が、その両端において繋がってしまっている。すると自然、その世界は繰り返す事になる。ループタイエクステンド。
閉じた空間である。
『こちらのお席にどうぞ』
分断された空間にはこういった怪異が数多潜んでいるが、逆に、このような形態のものには常人は迷い込みにくい。その場に立ち入る資格すら持たない、ということだ。
今日の私は調子が良すぎて、ずれた次元に落ち窪んでも、精神に異常を来たすどころか、五体満足のままに通り抜けてしまった。
『こちらのお席にどうぞ』
衣擦れの音のように透明な声が反復する。
さてどうしたものだろう。片っ端からこの空間を解体していくのもいいが、ここには本が無いから、自力で読み解くことになる。そうすると、上手いショートカットの仕方もわからないから、明日の朝食に間に合うかも怪しいところだ。
『こちらのお席に』
正直言って、こんなところにあまり長く時間を取られたくない。
私には読みたい本があるのだから。
では、どうするのか。
『こちらの』
「うるさい」
ドアは、こじ開けるよりぶち破る方が楽に決まってる。
私は手に持った本を放り、ばさりと広がってぱたぱたと鳴るページを見ながら心に強く念じ、
口腔に魔力を膨らませてから、一気にそれを口外へ吐き出して言う。
【月曜よ】
がぁん、という銅鑼を打ち鳴らしたような金属音が、私の喉から発せられた声と共に響き。
瞬時、この狭い空間に満ちる、空気の色が変わる。
【七曜の転変、質容の天変。並べて世の七力は妙なる一力に歓喜して打ち震え、諫早、いざはやとて聞こし召す】
部屋全体を震わせる私の声。本は呪わしき言葉を受けて宙にふわりと浮かび、独りでにページをばたばたと捲る。
本に牽かれるように私の身体も浮かび上がり、何処からとも無く吹く風が髪と服とをなびかせるが、私はそれが視界を遮るのも気にせず、力強く言葉を紡いでいく。
【されば七階の位相を七点の数量を七世の趨勢を知り得、
万世の平伏す一介の一階、一介の一点、一介の一世をその穢れし両の手に収め、
欲しいままに欲するが欲の慾たる所以なるを会得す】
風はなおも強く吹き荒れ、カーテンが荒れ狂い、テーブルが舞い上がる。
それら全てがガタガタと鳴って、その存在が、色彩が単純化していく。
カーテンは模様を失ってただの紅色へ、クロスはそのまま、テーブルが木目を消されて純粋な茶色へ、
その狭間は単純にして深淵なる灰色の線で仕切られる。
世界の七極化。属性の徹底した純化。ランブルカテゴリー。
混ざり合う以前の原色に戻して、それら全てを統べ集う。
【祖は太、疎は陰、普く曇天を照り返す三界の静謐なる月華】
これが私の用いる魔法、七曜の魔術、ステンドグラスマジック。
本日は月曜。
朝方から地平線より、銀色の光が降り注ぐ。
【塗り替えよ、月光】
それは、余りに静かな月の―――
【 ――― サイレントセレナ ――― 】
** 師走某日 月曜 午後
「はあ。それは、災難でしたねー」
「美味しいご飯の対価と見れば、安いものだけどね」
廊下からヴワルに帰還して。
私は、小間使いとして使役している小悪魔に、今朝の出来事を語って聞かせた。
そう長い話にもならないから、と言ったのだけれど、この子は丁度お茶の時間だからと律儀にメイドを呼んだ。
そして私たちは今、暖かな紅茶とさくさくのクッキーをお供に、たまの雑談を楽しんでいるのだった。
「結局その部屋、何だったんでしょう?」
「さぁ。知りたいとも思わないわ」
「あれ、そうですか。私はちょっと興味あります」
「暇潰しの雑誌も無いような料理店、私には相応しくない」
「やっぱり本なんですね」
「当然。どの道、もうあの料理は食べれないわ。
私が念入りに黙らせてきたから」
「うー。そうですね。残念・・・」
サイレントセレナ。黙月の女王。沈黙曜日の支配者。
休日を越え、静けさと共に始まる新たな一週、その象徴たる静謐の月曜。
あの反復する透明な声が、あんまりにも耳障りに思えたもので、つい本気を出してしまった。閉塞世界は完全なる静寂という名の雑音が混じったことで崩壊し、私は剥がれ落ちた壁面から抜け出て、哀れな声に別れを告げたのである。
哀れ。私のような者が、間違えて立ち入りさえしなければ。
あの透明な料理長は閉店時間を迎える事無く、永遠に料理を出し続けることが出来ただろうに。
「あーあ。私も食べたかったなー、幽霊のお料理」
「亡霊なら、そう遠くない山の上にいるみたいよ」
「でも、こんなところまで来ませんよねぇ、そいつらは」
「呼べば来るんじゃない?呼ばないけど」
「お嬢様に頼んでも?」
「レミィと亡霊って、あんまり相性が良いとは思えない」
呟きながら、あんまりどころかきっと悪いだろう、と思い直す。
紅魔館館主、深夜の真紅、レミリア・スカーレットはプライドの塊のような生き物だ。その自尊心の巨大さと言ったら、世界自体を押し潰して余りあるほどである。だが、この尊大さには寛大さも含まれていて、自分が頂点に立つものであるという無根拠の自覚を、他者に違和感無く受け入れさせる事に、彼女は凄まじく長けている。
正しく、生まれながらの王。
尤も、これをノーブレス・オブリージュと捉えるには、彼女は我儘に過ぎるのだが。
山にいる亡霊というのは、冥界の何とか言う亡霊お嬢様の事で、お嬢様同士であれば、それはつまり我儘同士ということである。仲の良し悪し以前に、周囲の者の為に近寄るのは避けるべきだろう、と思った。
「でもパチュリー様。朝はそれでいいとして、お昼は食べてませんよね?」
「一日三食。遠い形態よね」
「そんなことばっか言って。今、この通り間食してますよねー」
「それはほら、あれよ。
えーっと。どの本だったかな」
「・・・別腹?」
「そう、それ」
「そんな事書いてある本があるんですか」
「そう。
えーっと。どれかな」
「いいですって、探さなくっても」
「あ、そう」
「じゃ、少し遅いけど、ブランチといきましょう。
今、メイドさん呼んで来ますね」
口早にそう言うと、小悪魔は席を立ってぱたぱたと飛び去った。悪魔の癖に、快活な事である。
呼び止めようかとも思ったけれど、まぁ、偶には朝昼続けて食べても良いだろう、と思ったので、私は黙って小悪魔の背を眺めていた。
何といっても、空腹であったから。
見えない料理長の出す料理は、どれもこれも非常に美味であった。
それは間違い無い。だが問題は、いくら食べても腹に溜まらない、というところにあった。
あの部屋のすべては、透明な料理長の生んだ幻影。閉塞した世界は、既に道筋の決まったそれは、一義的・主観的な形でその構成を何度も何度も再現するものである。
部屋があり、扉から客が入ると、客は椅子に座って、己の出した料理を一つずつ食べ、終えたら席を立ち、扉を開けて出て行く。
そして、振り出しに戻る。朧な概念の世界。
この場において料理とは、『客』に自分の想定した味を与えて、『自分からは見えなくなる』というただのフラグである。
私が口の中に頬張り咀嚼を終え飲み下すと、それは喉の途中でふつりと消えていってしまったのだ。
これでは私が満腹になろう筈もない。
あんな所にずっといたら、程無くして私は餓死してしまうであろう。
そんな茶番に付き合ってやる義理は、無かった。
そういうわけなので。
月曜の午後、私は住み慣れた日陰での、遅い朝食を待ち。
いつもの通り、手中の本に目を落とす。
そうして、私の一週間が始まるのだ。
<ブギーマジックオーケストラ・序 了>
面白い道具立てが過不足なく料理されていて非常に良いです。
あと、この文体はパチュリーに合うな、と改めて思ったり。
私的にはラヴクラフト(特に大瀧訳)を思い出しました。
教養のある人物がインテリであることを自負しながら語っているような雰囲気が。
ほとんどが一人称の独り言で進む形式でありながら説明不足に陥ることなく、
物語の世界にすっ、と引き込ませる手法は素晴らしいです。
一話完結式の長編ということですが、続きがどのようになるのか楽しみです。
一人称の語りにおいて作者様の引き込み方はもはや匠の域と言ってよいのでは。
そんな風にさえ思ってしまう見事な文章でした。
最初は少しだけ重い感じがしましたけど、話の展開がそれを消し去りました。そして味の深さに魅入れられ、そして小悪魔との談話で締まる。バランスが抜群でペースもいいです(ノリではない、念のため。どっちというといい感じのミドルペース)。
んで、万が一がここに。いや別にどうでもいいがそんなの。
ではでは、続きも待ってます~
読み手を引き込む文章力は素晴らしいとしかいい様がありません。
場面場面の情景が、容易に思い浮かべられました。
個人的な好みですが、魔法の詠唱が唸るほど良いです。
ここまで引き込まれる文章書けるところがすばらしいです。
時間も忘れて読んでいて、気付いたら読み終わっていました。
いつもながら文章表現の良さに感服します。