「面倒ね」
辺りはすっかり黒に染め上げられている宵の真っ只中。
窓の少ない洋館の主の紅い悪魔は屋根の上で腕を組んでため息を一つはいた。
視線の先には松明の灯りと思われるものが点々と、隊列らしきものを組んでこちらへ向かっている。
おそらく、街の方の教会の手の者だろう。
誰から言い始めたのか或いは紅い悪魔が自分で言いふらしたのか定かではないがその洋館は紅魔館と呼ばれている。
文字通りの紅色を基調として塗装されているこの洋館の主人は幼き吸血鬼、名をレミリア・スカーレットという。
彼女は紅魔館の屋根の上から庭園へと飛び降り、首を捻って数回音を鳴らす。
「左が鳴らない……」
左側だけ音が鳴らなかったことに若干の不満を覚えつつも彼女は紅魔館の庭園を歩いていく。門へと向かって。
紅魔館の門番はまだいない。気に入った人材が見つからないのだ。
「早いところ見つけて観戦したいものだわ」
どうやらこの吸血鬼、敵襲時に外に出ること事態は面倒ではないらしい。
「四百十歳の時は結構楽しんでたじゃない?」
不意に声が飛んできた。
「四百くらいよ。それにそれは貴女に会ったばかりの頃じゃな
いの。それまでに何百…何千…ああ、もう覚えてないわ。兎に角沢山戦ったのよ」
レミリアは横から突然飛んできた声に驚くわけでもなく最初から横から声が飛んでくることをわかっていたかのように普通に返答をした。
「じゃあ今日は私がやろうかな」
「あら、珍しい」
闇に紛れていた姿が前へと歩み出る。尤も、闇に紛れているといってもそれは人間の視覚からしたらであって、吸血鬼であるレミリアには既にその姿は確認できている。確認しなくても誰かはわかっていたが。
薄紫色のネグリジェにボンネットを被った姿の魔女、パチュリー・ノーレッジは非常に珍しく館外に出ていた。
「今日は喘息の調子がいいの。新しい魔法の実験もしたいところだし」
「じゃあ今日は観戦にまわるわ。元々面倒なだけだったし。結果は見えてるもの」
レミリアは門を数歩でたところで立ち止まり、ゆっくりと背の羽で飛び上がる。
空中で、魅せるようにくるっと宙返りをして特に手入れされているわけでもない煉瓦の塀の上に乗る。
それを見届けることもせずパチュリーは数歩だけ歩いて門の前に陣取るように立った。
仁王立ち。といった堂々とした立ち方ではなく、魔導書を広げて顔を下に向けている。歩き出したらそこらの木にでもぶつかりそうである。
「後五分くらいね」
塀の上で立っているのが疲れたのか足を投げ出して座っているレミリアはパチュリーに注意を促す。
パチュリーはそれに返事をするわけでなく、魔導書を開いたままブツブツと何かを呟いている。
その様子にレミリアは別段機嫌を悪くするわけでもなく微かに笑って前方を見るだけの作業に戻った。
じっとしているのも退屈なのか足を交互に振りながら。
「今日こそ悪魔を討ち取るぞ! これ以上の被害を受けないためにも、我々が勝つ!」
次に被害を受けるのは自分たちだと微塵も思っていないのか堂々とした張る声で先頭の男が声をあげた。
それに呼応して後ろに続く兵団が雄叫びをあげる。
「馬鹿がきたわ」
「そうね」
端的な会話。
「わざわざ場所を知らせてくれるんだからね。馬鹿ではなく親切なのかもしれないけど」
「親切な人間なら招き入れる?」
「食べる」
「小食のくせに」
パチュリーとの会話にフフフと小さく笑って返答をしない。
「悪魔が見えたぞ! 戦闘だ。我に続けぃ!」
レミリアの言うところの馬鹿が騎士剣の切っ先をレミリアのいる塀の上に向けて叫んだ。
下にいるパチュリーに気がついてはいないらしい。
馬鹿を先頭に人間が数人突撃してくる。
その後ろでは残ったものが本を手にブツブツ呟いているのが見える。はやり教会の手の者だろうか。神様にお願いしても貴方の言葉は聞いてくれないと思うけれど。
……こんな少数で討ち取ろうと思っていたのね。やっぱり馬鹿だわ。
と、レミリアは欠伸をしながら思う。眠いわけではなく退屈なのである。
「ご愁傷様」
塀から飛び降りながらレミリアは敵の人間たちに向けてそう言った。きっとその言葉は相手の足音に掻き消されて耳には届かなかっただろう。
「ロイヤル――」
そこまで言った所でやっと人間がパチュリーの存在に気がついた。
「フレア!」
気づいた頃には遅かった。
パチュリーの新しい魔法は放たれ、月と星だけで照らされていた夜の闇を真っ赤な炎の色で照らした。
「まだ呪文詠唱に時間がかかりすぎるのが難点ね。これじゃあ普段は喘息で唱えきれないわ」
パタン。と音を立てて開いていた魔導書を閉じる。
ふぅ、とため息を一つついてレミリアの前までやってくる。
「今度は掃除しなくていいのね」
「いつも自分ではしないでしょうに」
跡形もなく消え去った人間たちが先程まで居た場所をパチュリー越しに見るレミリア。
因みに掃除とは死体の片付けである。
「何とか木に燃え移らないように調整したけれど…熱波も凄いわ。水も一緒に使ったほうがいいかもしれないわね」
レミリアに言うわけではなく、一人で呟くパチュリー。
どうやら新しい魔法――ロイヤルフレアはまだまだ改良を加えなければならないようだった。
レミリアはまだ数年の付き合いとあれど、これは独り言なんだとわかっている。
特にそのパチュリーの言葉を気にするわけでもなく何も言わずに門の内側に入っていくパチュリーにレミリアはついていく。
「あ、パチェ。今思い出したんだけど」
紅魔館内に入ったすぐにレミリアは声をあげた。
この後はすぐに図書館――紅魔館の地下にあるパチュリーの住居でもある大図書館――に戻ろうと思っていたパチュリーだが親友に名を呼ばれて立ち止まる。
「何?」
別に鬱陶しいわけでもなかったがロイヤルフレアの試し撃ちで少しだけ疲れていたのかパチュリーでも思わず不機嫌な声がでる。
それに機嫌を悪くしたわけでもなく、むしろ全く気づいていない様子でレミリアはパチュリーに詰め寄った。
「転送魔法はまだなの?」
爛々と輝く瞳でパチュリーを見つめて言った。
これではまんま人間の子供の顔である。吸血鬼のカリスマ性など微塵も感じられない。
そんな親友の様子に内心複雑な感じになりながらもパチュリーは表面は至って冷静に、
「あらかたは出来てるわ。私の理論が正しければこれでこの館ごと移動できるはず」
「初めての引越しよ。ワクワクするわ」
そんな言葉まで使ってはもうどう転んでも今のレミリアは人間の子供である。
「転送する場所はパチュリーに任せるけども、湖があるところがいいわ。これさえ守ってくれれば後は任せる」
その言葉は既に何十回と聞いている。
そんな友人をパチュリーは親が子供を見やるような優しい目で見つつ、内心自分もワクワクしていたりした。
なにしろ自分の理論が証明されるはずの機会なのだ。
小さな物を転送するくらいならこれまでに幾度となくやってきた。
だが、紅魔館程の大きさの建物、それと同時に自分たちも一緒に飛ばすことはまだ嘗て試したことがない。
これが成功すればまた大幅に一歩研究が進むはず。とパチュリーは考えていた。
「そうね。私の理論が正しければきっと大きな湖の畔に召喚されるはずよ」
「流石パチェね」
「移動した先が私の知識と理論で探り当てた場所ならば、門番になりうる人材なんてすぐに見つかるはずよ」
「それは楽しみだわ」
ますますレミリアは上機嫌になって今にも館中を飛び回りそうな勢いだった。
「決行は?」
「半月くらいあればけると思うわ」
「楽しみにしてる」
「勿論よ」
言葉にしなくてもわかるレミリアの心をパチュリーは本人から聞き取ったところで、じゃあ私は寝るから。と片手をひらひらと振って図書館へと向かった。
吸血鬼のレミリアの友人といえど、別に夜起きて朝に寝ているわけではない。今日は夜更かしをしただけだ。
図書館に戻りながらパチュリーは微笑を浮かべた。
レミリアのいい誕生日プレゼントになりそうだと考えたりしながら。
尤も、レミリアがその日の丁度数百年前に誕生したのかどうかはパチュリーどころか本人すらも覚えて――知らないとも言う――いないが。
「半月後からは忙しくなりそうね」
一人呟いて図書館の大きな扉の内側へと入った。
紅魔館が転移して美鈴に出会うまでの物語も読んでみたいです。