飛ぶ、避ける、すり抜ける。
溜める、放つ、送り込む。
心地よい風に身を揺らす鈴蘭のはるか上空、霧雨魔理沙とメディスン・メランコリーは今日も弾幕を交えていた。
背後から次々と迫り来るレーザー、空間を斜めに切り裂く星々。それら全てを軽やかに避けながら、攻めるべき一瞬をメディスンは模索する。
かつて魔理沙とも戦ったあの騒動から半年、日々の戦いの中でメディスンは魔理沙の弾幕のほとんどを見切れるようになっていた。
『弾幕はパワー』を信条とする魔理沙の放つ弾幕は一つ一つのスピード・破壊力にこそ優れるものの、それらを群として見た時の密度はそれほど濃いものではなかった。
そんな魔理沙の弾幕に対してメディスンの小さな体は非常に相性がよく、今では初見の弾幕でもないかぎり被弾することはほとんどない。
また、メディスンの能力であるところの『毒を操る程度の能力』、これが魔理沙に、というより人間に対して非常に効果的であった。
メディスンの放つ毒はそれほど危険性の高いものではない。それ故、外的な因子に対しすこぶる強い妖怪達の肉体にはそれほど大きな効果をあげることはできなかった。
だがしかし、こと人間に限ってはその効果は覿面だ。ほんの少しかすっただけでも、皮膚から神経に至る毒は一瞬で全身に回り、その動きを奪う。
それら二つの要因が、生まれて数年の妖怪であるメディスンを魔理沙と戦えうるものにしていた。
足りないものは経験、それすらも今まさにメディスンは魔理沙との度重なる弾幕ごっこの中で培っているところだった。
もちろん魔理沙とてメディスンが上達していくのをただ手をこまねいて見ているわけもなく、初邂逅において不覚を取った彼女相手に再びの敗北だけは喫するまいと日々研究を重ねていた。
そのせいで、最初の頃こそ三度の被弾で決着というルールだったこの弾幕ごっこ、その勝負に一時間以上を要するようになり、途中からは被弾=即死のサドンデスルールへと変わっていた。
しかしそれからさらに回数を重ねた今、たった一発の命中すらも安易には見込めなくなっている。
小技では仕留めきれない。安易な大技はただ消費するだけ。それを知る二人は、中空を駆けながら細やかな牽制とフェイントを繰り返す。
互いの体に触れることもない弾幕は交差し、混ざることなく虚空を飛び回る。
空を彩るいくつもの黒の大渦、そしてその中で一層光輝く星屑の魔法。それはまるで真昼に舞い降りた天体ショーかのようだった。
二人の間に広がるその均衡が破れる瞬間、どちらもそれを待ちながらも自分から動くことができない。撃てば動かれる、動けば撃たれる。
そんな中で、今日最初に動いたのはメディスンだった。
「さぁ、こっちから行っちゃうからねっ!」
魔理沙の位置でちょうど重なって交差するように放った低速高速二重の5WAYレーザーと、重なる前に抜けられないよう魔理沙の前方に配置した毒渦の同時弾幕。
魔理沙は周囲を観察し、動くべき道を探った。抜けるルートは後方。毒渦は配置されていないし、5WAYの間隔が一番広がるルートだ。
とは言ってもこれは誘導で、メディスンの本命は自分が下がったところでの次の一手だろう、魔理沙は敏感にその意図を感じ取っている。
だからといって前方には毒渦で抜けれない。左右は判定の長いレーザーで止められている。取りうる選択肢は後ろへ下がるか、この場で踏みとどまるか。
この場で踏みとどまれば、結局はさっきまでの牽制状態に戻るだけ。ウダウダと現状維持をするくらいなら相手の策に乗ってでも場を動かした方がいい。霧雨魔理沙とはそういうタイプの人間だった。
魔理沙は箒を持つ左手に力を、空いている右手に魔力を込めながら、目前の毒渦を注視した。
せめて相手の視線くらいは確認しておきたかったところだったが、ぶ厚く貼られた毒幕のせいで彼女の位置からはメディスンの姿はもうほとんど見えなくなっていた。
ゆっくりと自身に迫りつつあるレーザーを尻目に、仕方なく後方へと箒を走らせたその瞬間。突如自身を襲った粘ついた感触に魔理沙は大きくバランスを崩した。
「……んな!?」
―――渦?
どこに?
いつ?
それより5WAY。
避け。無理。被弾?ボム。間に合わな―――
―――間に合った。
解き放たれた魔力が周囲の弾幕と、彼女を覆った毒渦を吹き飛ばしてゆく。
ぞくり、と一瞬で魔理沙の体を駆け巡ったのはこれまでにない緊張感。
後方に配置されていたのはメディスンの配置した毒渦、それも極限まで濃度を薄めた、いわば見えないトラップ。
ボムが間に合ったのはその薄さゆえの拘束力の小ささと、魔理沙が事前に溜めておいた魔力のおかげだった。
額に浮かんだ冷や汗を袖で一拭いし、魔理沙は呼吸を整えた。
周囲にはもう新しく見えない渦が配置されている可能性が高い。自分だったら、相手の集中力が切れた今攻める。そう当たりを付け、魔理沙は周囲を注視した。
しかし、見えない。既に配置されているのか、それとも決定的な一瞬のために取っておいているのか。
判断できない魔理沙に襲い掛かるプレッシャーは、さらに彼女の集中力を削ってゆく。
目前の小さな人形が、今の魔理沙には等身大どころか自分よりも大きな相手のように思えた。
落ち着け。まだ被弾したわけじゃない。魔理沙はそう自分に言い聞かせ、深呼吸を一つ。急激な放出で失った魔力を周囲のマナから取り入れていった。
こうしている間にもメディスンは見えない渦を配置しているかもしれない。そう危惧する魔理沙だが、メディスンからは弾幕の一つすら飛んでくることはない。
いぶかしむ魔理沙に、弾幕の代わりに飛んできたのは対戦相手からの大声だった。
「どうしたの魔理沙ー?いきなりバランス崩しちゃうなんてねー」
「……はっ!そういうお前こそ、弾幕が止まってるがどうした?もう息切れか?」
そう言いつつも魔理沙は周囲への集中を切らさないように気を払う。
途切れた集中力をこの会話中に取り戻そうと、緊張の糸を一本一本張っていく。
わざわざ自分に時間を与えるこの会話に何かメディスンの狙いがあるとしても、今は乗るしかなかった。
「さぁ、どうかなー?それより魔理沙もわかったんじゃない?」
「あん?」
「自分の背後に気を付ける難しさ!」
そこにいたってようやく魔理沙は気付いた。
前方に目を引きやすく、また移動を制限しやすい星屑魔法。そこに後方からのアースライトレイでの表と裏、前方後方の攻撃で二択をかけていくのが自分の弾幕。
先ほどのメディスンの弾幕はどうだったか。前方に数を集めての毒渦と5WAYレーザーで注意を引き、後方へ見えない毒渦。前方の渦の黒さに慣れてしまった目では、余計に後方の薄渦が見えなくなり、そのまま5WAYにぶち当たる。
「……おいおい、ったく。やってくれるじゃないか」
「へへー。すごいでしょ」
ホントにな、と魔理沙は内心でメディスンの才能に舌を巻いた。
たかだか10戦もせずに相手の弾幕を盗み、自分流にアレンジする。相手の弾幕をコピーできる、ということはそれを見切ったということだ。まともに行ったら自分の通常弾幕はもはや当たることはないだろう。
自分にとって一番頼れるスペルに賭ける。かと言ってただ撃つだけでは通用しない。必勝の瞬間を読み切る。
魔理沙は汗だらけの右手で八卦炉を握り締めた。
「さぁ、今日こそ!今日こそあの日以来の二勝目をあげてみせるんだから!」
「やれるもんなら、なっ!」
そう叫んで魔理沙は扇状に高速弾。
するり、とそれをすり抜けたメディスンも同様に扇状に毒弾を放った。ただし魔理沙とは違い、メディスンのそれは超低速。
魔理沙は見えない毒渦を気にしてか、早め早めの回避に専念している。その姿を見て、メディスンはほくそ笑んだ。あと30秒。その瞬間に向けて、速度を調節しながら低速弾を撃ち出していく。
今、魔理沙の周囲には毒渦は無い。そう、たったの一つ足りとも。
いくら見えない毒渦とはいえその存在を知られた今、魔理沙の周囲に直接配置すれば感知されることだってある。メディスンはそう感じていた。
また、極限まで薄めてからでないといけないため、メディスンの毒渦は数秒に一つほどのペースでしか配置できなかった。一つ一つその位置を看破されてしまえば、全く意味をなさなくなってしまう。
だからこそ、メディスンは罠を敷いた。時間稼ぎの会話中に魔理沙は集中力を取り戻したが、その集中力も届かない場所、今戦っている自分達の下方50メートルほどの中空に。
自分の毒ガスは空気よりも比重が軽い。それは幾度かの実験の末にメディスンが気が付いたことだった。
自分達の下方へ放った毒は時とともに浮き始め、タイミングと設置高度を調節したそれはあと数秒で一斉に魔理沙の周囲へ見えない毒渦として現れる。
前方後方の表裏を意識させた先ほどの毒渦が、この前方下方の表裏を覆い隠す。
さっきの毒渦で落ちてくれるのがベストだったが、そうでなくてもメディスンにはこの二段構えの策があった。
猛毒は遅れて効いてくる。その毒が魔理沙へ完全に回ったことを確信し、メディスンは最後の低速弾を放った。
連続して放たれたいくつもの弾幕はメディスンの思惑通り、魔理沙を渦の真上へと誘導した。
「これで終わりっ!」
メディスンは仕上げとなる超高速弾を打ち込んだ。同時に魔理沙の周囲に毒渦がとぐろを巻いて現れ始める。
メディスンが勝利を確信したその瞬間、突如自らの動きを封じた毒渦に対して、魔理沙は驚くことも無くニヤリと笑った。
「マスター――――
回避。メディスンはそれさえできればよかった。苦し紛れのスパークさえ避けてしまえれば魔理沙の魔力は枯渇する。しかもタイミングのずれた毒渦が下方に少しばかり残っている。
いかなマスタースパークとて、回避に専念した相手を撃ち落せるほどの強さは無い。あとは浮いてくる毒渦で魔理沙を絡め取る。
メディスンが身構えたその瞬間、魔理沙は振り上げたその右腕を自らの真下へと向けた。
――――スパークッ!!」
普段目にするそれよりもずっと細い、最小限の魔力だけ込められた魔砲はそれでもなお周囲の弾幕と下方に残った毒渦を吹き飛ばした。
「しまっ……」
「タイミングがずれたのが致命的だったな!」
魔理沙は残した魔力で高速弾を放つ。
毒渦を一斉に出せていたら、今回こそボムが間に合わなかったのに。メディスンが失敗を振り返る間に飛来した高速弾の間を彼女は駆け抜けた。
相手が魔力を残せたのは計算外だったが、まだイーブンになったところだ。そう思い直し、毒弾を生成してゆく。
「まだまだこれから!」
「いーや、ところがどっこい。もう終わってる」
生成したつもり毒弾、の代わりにメディスンの右手からぷすんと音を立てて現れたのは白い煙。体外に出せる毒の限界が来たことを知らせるそれこそが、いつも魔理沙とメディスンの弾幕ごっこの終了を知らせるゴングだった。
「ぁー……今日はいけると思ったのにー」
「ま、ちょっとは危なかったかな」
と言いつつも内心では一杯一杯の魔理沙の背筋には、未だに冷たい汗が伝っていた。
それに気付くこともなく、今日もまた追加された判定負けの黒星にメディスンは深いため息をついた。
通算1勝7敗1分け。
生まれて間もないメディスンにとって、念願の二勝目はまだまだ遠いのだった。
その後、今回の弾幕ごっこについて一時間ほど話したところで魔理沙は帰っていった。
メディスンは鈴蘭畑の真ん中に体を横たえると、大きく深呼吸した。体の隅々に毒が染み渡ってゆくのが感じられた。
弾幕ごっこで枯渇しかけた毒を取り入れながら、メディスンはこれまでの魔理沙との戦いを振り返っていた。
―――初戦。花騒動の時。初見の毒渦にひっかかった魔理沙に勝ち。
―――二戦目。毒渦を放つ腕の角度から出現位置を読まれてそのままKO負け。
―――三戦目。前回の反省で目標位置を目で見て配置するようにしたら視線を読まれて負け。
―――四戦目。読まれてもいいやと毒弾を撃ちまくって初めての枯渇。そのまま飛ぶ力も無くなって落っこちた。負け。
―――五戦目。今度は逆に撃たなすぎて圧倒されKO負け。
―――六戦目。一ヵ月溜め込んだ毒弾を撃ちまくった。長期戦の末お互いに疲れて引き分け。
―――七戦目。速度差を付けた毒弾で誘導する方法を試すも、要所要所のボムで消されて枯渇。判定負け。
―――八戦目。開幕で連続してボムを使わせることに成功した。でも時間とともに魔力を回収されてこっちが枯渇。判定負け。最初で押し切れていたらいけたかも。
―――九戦目、今日。新技を試みるも、想像以上に早く枯渇。判定負け。
この九戦におけるメディスン自身も自覚する、彼女の問題点は二つ。
一つは、決め手となる技の不足。毒渦による撹乱はもうほとんど効かなくなってきており、新技を使った今日こそ通用したものの、最近はほとんど魔理沙が引っかかることはなくなっている。
そしてもう一つは、限界容量の低さ。こちらこそが、メディスンが考える自身の一番の弱点だった。
メディスンは鈴蘭の毒で動いている。彼女自身にもその原理は全くわからないし、また興味もなかった。しかしその自覚だけはしておかなければならないと彼女は思っていた。
四戦目、初めて体内の毒が枯渇した時。メディスンは体のあちらこちら調子が悪いと思いながらも撃ち続けた結果、途中で気を失い墜落してしまった。
たまたま落ちたところに向日葵が群生しており、クッションとなったそれらに助けられたメディスンはそれ以降毒切れの予兆である煙に気をつけるようにしていた。
しかし、どれだけ気を使っても、どれだけ効率よく弾を撃つようにしても、彼女が三十分以上戦えることは無かった。
むしろ気を使えば使うほど、消費が激しいのだとある時気が付いた。
例えば今回の見えない毒渦。毒渦それ自体に必要な毒の量は極々少量だが、極度の集中をするためメディスン本体が使用する量が非常に大きい。
弾幕の燃費を良くしようとすればするほど、メディスン自身の燃費が悪くなっていく。
かといって何も考えずに打った弾幕では、魔理沙は絶対に倒せない。
根本的な考え直しが必要な時が来ているのだとメディスンは悟った。
しかし、こうして一人で根を詰めて考えても一向にいいアイデアは浮かんでこないことをメディスンは知っていた。
こういう時に頼れそうな知り合いをメディスンは二人しか知らない。
そのうち一人は明らかに無理だった。なんせ対戦相手である霧雨魔理沙本人だ。
今頼れるのはもう一人の方。メディスンはおもむろに立ち上がると森の奥、向日葵咲き誇る彼女の家へと向かった。
「ねー幽香ー、聞いてよー」
はいはい、と気のない返事を一つ入れて風見幽香は目の前に二つ置いたカップへと紅茶を注いだ。
こうしてメディスンが彼女の家へやってくるのもそう珍しいことではなかった。
たいていの場合は魔理沙にやられた後に愚痴りに。あとは暇だったから、だとか気が向いた、だとかクワガタゲットした!だとかそんなところだ。
「今日も負けたんでしょう」
「う……なんでわかったの?」
「文字通り土がついてるわよ、背中。あぁもう、掃うなら外で掃いなさいな!」
「はーい」
いかにも面倒くさい、といった顔でメディスンは外へ駆けていく。
土だらけの背中をメディスンが掃い終える頃、風見家のテーブルには小さなお茶会の準備ができていた。
「わ、すごい!準備いいね」
「濃いのよ、あなたの毒は。2,3キロ先でもわかるわ」
「それでわざわざ準備してくれてたんだ?ありがとー!」
ただ単に気が向いただけよ、と言い放って幽香はカップへと口を寄せた。舌の上で広がるほのかな甘みが心を落ち着かせてゆく。
「で、本題は?」
「あのねー、実は……」
魔理沙との弾幕ごっこがいつも毒不足で終わってしまうこと。
決め手に欠けてどうしても長期戦になってしまうこと。
どうやっても弾幕の燃費を良くする事ができないこと。
自分が負け続けてきた弾幕ごっこの詳細を語るのは少し気恥ずかしく、メディスンはそれに纏わる悩みだけを打ち明けた。
二人のカップの中の紅茶が無くなった頃、全てを聞き終えた幽香は一言呟いた。
「無理」
「えーーーっ!?」
「いや、だって無理でしょう」
考えて御覧なさい、と幽香は続けた。
「あなたの毒容量は練習したり修行したりで伸びるものじゃない。今の容量が限界なのよ」
それは薄々ながらもメディスン自身が気付いていたことだった。
1週間溜め込んでも、1ヶ月溜め込んでも結局は同じくらいの時間しか戦えない。
「けれども魔理沙は違う。彼女は人間、これからもまだまだ伸びていくわね」
「そんなぁ……」
「それだけじゃないわね。あなたの使う毒と魔理沙の使う魔力、どこが違うかわかる?」
うーん、とメディスンは少し考え込んだ。
―――毒は有害だけど魔力は無害?でも濃い魔力は人を狂わせるとか聞いたことある。
毒は私しか使えなくて、魔力はみんな使える?でも使えない人もいっぱいいる。
毒はスーさんやキノコに宿るけど魔力は……あれ、魔力ってどうなんだろう。
古い道具に魔力は宿るって聞いたことがある。でもその道具に宿った魔力はどこから来たんだろう。空気中?だとしたら―――
「毒は毒物からしか取れないけど、魔力は色んなとこからとれる?」
「そうね、まぁ正解にしておいてあげる。マナとオドって聞いたことがある?」
「1%の才能でも99%の努力をすれば伊坂どんや一色どんにも勝てるってオドが言ってた」
「それはお父ね。4P田中君じゃなくてね。まずマナっていうのは……」
マナとは端的に言えば大気を満たしている、自己の外側の魔力のことを指す。
それに対してオドとは、自己の内側から生まれる魔力のことを指す。
妖精を倒した時に「P」やら「点」やらが書かれた札が出てくるが、あれこそが体外に出る際にそういったアイテムとしての形を取ったオドであり、それらを獲得することで魔理沙は自分の魔力を回復している。
魔理沙が取りきれなかった分のアイテム達は、一旦その場の大気にマナとして吸収される。そしてそれらの一部はいずれ魔力の馴染みやすい古道具や、既にオドを備えている人間へと還ってゆき、残りはいつまでも中空を漂うことになる。
「だから魔理沙が使っている魔力ってのはそのあたりにいっくらでも転がってるのよ。周りから吸収し放題ってこと」
「ヴァンパイア編で外気功が使えるようになったりょーちん的な?百歩神拳打ち放題?」
「あー、うん。的確な解だけど。どこで聞いてくるのよそんなの」
「スーさんが言ってた」
「私の知る鈴蘭とあなたの言うスーさんがどんどんかけ離れて行く気がするわ……」
まぁとにかく、と脱線しかけた話を幽香は引き戻した。
「あなたも常時毒を吸収できる環境で戦えばいいってことね」
「スーさん畑の中で戦うってこと?でもそれは……」
確かにそうすることで同じ条件になるようにはメディスンにも思える。
しかし、魔理沙にとって鈴蘭は毒。お互いに周囲から力を吸収できる条件なら、毒がある分今度は魔理沙のほうが不利になってしまう。
「別にいいじゃない。魔理沙だって今まで一方的に吸収してたんだから」
「そうだけどー、なんか全力の魔理沙相手じゃないと勝った気にならないしー……」
メディスンが自分の家を訪れる度に、幽香がこうして提案する作戦。
曰く、鈴蘭を5、6本引っこ抜いて背中にいれておけ。
曰く、鈴蘭の毒をカプセルに入れて飲み込んで、時間とともに溶け出すのはどうか。
曰く、当たっても死ぬわけじゃないしルール的には問題無い、全画面毒渦にしてしまえ。
これまでに提案してきたそれら同様、今日も幽香の作戦は退けられるのだった。
「次こそ堂々と勝ってみせるもん!また新技作ってやるんだから」
「新技ねぇ。あなたのそれは練度が低いのよ。今日だってそうでしょう。これまでずっと使ってきた毒渦、空気より軽いだなんて魔理沙だって気付いてる」
「あ、だから下に……」
「そうね、いきなり毒渦が周囲に表れたら下からしかない。ちゃんと毒渦のタイミングを合わせられていたら、魔理沙も身動き取れなかったわね」
「あれ、そんなことまで話したっけ?」
「……話してたでしょう、ついさっき。とにかくもっと一つ一つの動作を洗練させなさい。半端に色々手を出したって何にもならないわよ」
そういって幽香は二杯目の紅茶に手をつけた。
先ほどはああ言ったものの、メディスンがあちらこちらに手を出してしまうのは仕方が無いと幽香は考えていた。
メディスンはまだ生まれてそう時間も経っていない、言わば子供だ。周囲のあれやこれやに興味を持って当たり前なのだ。
閻魔に以前の騒動の際に視野が狭すぎると言われたのも無関係ではないだろう、とも幽香は当たりをつけていた。今は躍起になって自分の世界を広げているというわけだ。
最初こそこうしてメディスンが自分の家へと押しかけてくるのを苦々しく思っていた幽香だったが、最近はそう悪い気分ではなかった。
「えー、でも話してないと思うんだけどなー」
「とにかく!自分でなんとかしなさい。堂々となんて言いつつ私に頼ろうとここに来ているようじゃ一生勝てないわよ」
「……わかった!もう幽香なんかに頼らないもん!いーっだ!絶交だからね!幽香のバカ!」
小学生か、と幽香が突っ込む間もなく、飲みかけの紅茶とクッキーを残してメディスンは飛び出していった。
秘蔵のクッキーは余ってしまったが、あの分だと来週もどうせまた来ることになるだろう、と幽香は一つため息をついて缶の蓋を閉めた。
いつかは勝利の報告を聞きたい幽香だったが、その日はまだまだ遠そうだった。
タッ、トン。タッ、トン。飛ぶ音、着地する音を交互に響かせながら、人形が森を歩く。
それにしても幽香があんなこと言うなんて、とメディスンは先ほどの会話を振り返りながら、飛び移るべき次の木陰を探した。
タッ、トン。タッ、トン。
幽香の家を出る前の、彼女の最後のセリフがメディスンには引っかかっていた。
タッ、トン。
幽香もなんだかんだ言って歓迎してくれてると思ってたのに。本当は自分に来て欲しくないのだろうか。メディスンは考え込んだまま次の影へと飛ぶ。しかし、そこから飛べる影はもうなかった。
自身考案の「影しか踏んじゃいけないゲーム」が終わってしまったメディスンは残念そうに、そのまま日向へと一歩踏み込んだ。
このゲームを幽香に教えた時も色々言れた気がする、とメディスンは当時のことを思い返した。そういえばあの騒動の際に初めて会った時も、とそこまで至ったところで、ふいに気付いた。これだ。これならいける。
自分の属性たる毒。それを活かしつつも、体内の毒を使わずに済む方法。メディスンはついにそれに思い当たった。
タッ、と踏み切る音が響き、人形は自分のテリトリーへと跳んだ。
一方、自宅のベッドの上で魔理沙もメディスンとまったく同じ答えに行き着いていた。
魔理沙は自分の弾幕を目の前でアレンジされて黙っていられるようなタイプの人間ではなかった。
同じことをメディスンにやり返す。メディスンの生命線であり、その武器である毒を使って。
とは言っても通常の毒ではメディスンに吸収されるだけ、使うべきは物質として肉体を蝕む毒でなく、精神を蝕む毒。魔理沙は自分の至った結論に満足そうに笑みを浮かべた。
メディスンの毒が満ちるまで一週間、その時には。
「毒功完成というわけだ」
魔理沙はベッドの上で大きく手足を広げた。その姿は、同じ頃メディスンが鈴蘭畑で取っていたのと奇しくも同じ構えだった。
そして一週間が経った。
メディスンの毒は体内に満ち、魔理沙の新しい挑戦は完成を迎えた。
魔理沙はいつものように鈴蘭畑を訪れ、メディスンはいつものようにそれを迎え、そして幽香はいつものようにこっそり近くの大木に登り、いつものように三人が揃った。
ただ違うのは、今日は普段より魔理沙が訪れるのが少し早いことだった。前回の借りを返しに来たのだろう、と幽香は予測した。
他人に弾幕をコピーされるのがどれだけ屈辱なのかは、かつて魔理沙に己のフラワースパークをマスタースパークとしてコピーされた幽香自身が誰よりも知るところだった。
だが、だからといってコピーした方を責めるのは筋違いだ。コピーされる方が間抜けなのであり、コピーした方はむしろその才を賞賛されるべきだと幽香は感じていた。
幽香は大木の一番上、頂点近くの枝に座り込むと、その幹にいつもより少し多めに解毒作用のある植物を生やした。これで準備は終わった。
こうして観戦の準備を終える度、幽香は自問するのだった。
どうして自分はあの人形にこれほど肩入れしているのだろうか、と。
思い当たる理由が無いでもなかった。だがしかしそれは幽香にとってはあまり認めたくはないものだった。
自分はあの人形にかつての己を重ねている。
それが幽香が思い当たる理由だった。
彼岸花騒動の際、初めてこの鈴蘭畑で見た一人佇む人形の姿。それは幽香に否が応でも花畑の中の自らの孤独を思い起こさせた。
彼女を助けることでかつての自分を救っているつもりにでも?馬鹿らしい。そんな感傷はとっくに捨てたはず。幽香は己の陳腐な結論を鼻で笑い飛ばした。
ただ、その一方では完全に否定できていなかった。わずかながらではあるが、そういった感傷が己にも残っているのだろうと幽香は思った。
こうやって何度もメディスンの戦いを見に来ても、完全にしっくりくるような理由は思い当たらなかった。まるでパズルの最後のピースが欠けているような。
だが、幽香がこうして観戦するのも10戦目。その積み重ねのおかげか、だんだんと幽香はそれでいいのだと思うようになっていた。
心の在り様など、本人にだってわかりはしない。それでいいのだ。パズルのピースが一つや二つ欠けていたって、遠目にはわかりはしない。
だから、ただ自分がそうしたいと思うようにすればいいのだと、幽香は結論付けた。
はるか視界の下方、鈴蘭畑の二人が大空へ舞い上がる。
自分の座る大木の少し上まで飛んだ二人を見て、幽香はさしかかる陽光に目を細めた。
さぁ始まる。
「……んじゃ、前回の借りを返させてもらうとするぜ」
「それはこっちの台詞、今までの黒星を突っ返させてもらうから」
今日も今日とて鈴蘭畑の上空で言葉を交し合う二人。
魔理沙の眼前でメディスンは不適に笑い、前方へと距離を詰めた。
それを見た魔理沙の方も、自分から距離を詰めていく。
「おいおい、いいのか?こんな距離じゃ私の速射砲は避けられないぜ?」
「魔理沙こそどうなの?こんな距離じゃ私の毒を直接流し込むことだってできちゃうよ?」
二人の位置は普段よりもずっと近い。わずか3メートルほどの距離を挟んで二人は対峙した。
お互いに狙いは一緒。それを二人ともが悟った。
勝負が決まるまでは早い。二人が心に溜め込んだ毒、その密度と量が雌雄を決する。
「そうかい。それじゃまぁ今日も」
「そうね。それじゃあ今日こそ」
そして前口上とともに―――
「始めるとしようか!チンチクリンのボロ切れ人形!」
「終わらせてやるわ、まな板胸の絶壁チビ魔女!」
毒舌合戦が始まった。
同時にずっこけた幽香が大木の根元へと落ちていった。犬神家である。
上空では二人が一週間考え抜いた膨大な悪口が次々と炸裂している。
「バーカ!」
「チービ!」
地面に埋まったままの幽香の耳にも未だに聞こえてくるその罵声。
こいつらバカだ。幽香はしみじみと思った。
「あれ、今チビとか言われた気がするがなぁ、誰に言われたのかなー?そういえばメディスンはどこ行った?小さすぎて見えないぞ?」
「うわー、もう耄碌してるよこの人。3メートル先が見えないなんて、一度眼球取り出して洗った方がいいわよ、ねぇスーさん」
「あーあ、スーさんとか言ってまた妄想の世界飛んじまったよ。現実見えてない奴だなぁ相変わらず」
「現実見えてないのは魔理沙の方じゃないのー?魔女(笑)になるとか、思春期までで終わっておいたほうがいいよ」
二人の口はもはや考えるよりも早く動いていた。
浮かんできた言葉を吟味する前に吐き出す。その姿はまさに小学生であった。
「世間知らずの人形が!」
「間抜け面晒しまくるよりはマシ!」
「このダボハゼ!」
「何よヌケサク!」
あぁ、これは決着が着くのだろうか。幽香は再び大木の頂上まで登りなおして、ふと考えた。もし自分だったら、ものの数秒でどちらもKOする自信があった。
しかし、この二人の低レベルな争いでは、致命的な一言は出そうにはない。
そう思った幽香だったが、意外にもあっさりその一言は発せられた。
「お前のかーちゃんデーベソ!」
出た。幽香は身を乗り出した。もし自分が魔理沙と戦うのであれば、彼女の家庭のことを突く。あぁ見えてまだまだ親離れの完全にはできていない娘だ、おそらくすぐにボロが出るだろう。幽香は決着を意識した。
その言葉が魔理沙の耳に届くや否や、幽香の予想通り魔理沙は途端に慌てふためいた。
「うっせー!親は関係ないだろう親は!」
言ってから魔理沙はしまった、と思った。
こういった悪口合戦においては守りに入ったほうの負けだ。相手の言うことなど関係なく、自分の主張を押し通した方が勝ちなのだ。
そしてそんな魔理沙の表情を見て、メディスンは気付いた。これは効く。
「今頃魔理沙のお父さんは泣いてるだろなー、俺の娘が……俺の娘が……こんなまな板に成長してしまったぁ!俺は参ったぞぉ!娘はまないっただぞぉ!ってさ!」
「思うかっ!」
反応しないように、と思ってはいてもつい体も心も反応してしまう。
自分は親のことなど忘れたはずだ、そう言い聞かせて魔理沙は自分を落ち着ける。
「お母さんだって泣いてるよ、あかぎれだらけの手でさ、魔理沙どこへ行ったの、って夜な夜な街を彷徨うの」
「うちのはまだまだ健常だっ!」
「あれ、あれれー?魔理沙は家と関係を断ったはずなのになー、なーんで知ってるのかな、実はこっそり見に行ったりしてー!」
「ぐぅっ……」
「いやいや、いいのよ魔理沙!だって魔理沙もまだまだ子供だもんね!木陰からこっそり見てたら寂しくなって『お母さーん』なんて声かけたくなっても仕方ないよね!」
うわー、これはきっつい。幽香は少しばかりメディスンの台詞に引いた。
子供は時に残酷な台詞を口にするものだ。さらにそれが人と異なった精神構造をする妖怪であり、さらに自らの親を持たない人形の子供であるならば、そういった台詞を口にするのに一片の躊躇も無い。
「あああああああああもうそっから離れろボロ人形!」
「その言葉遣いもそうだよね、両親に教わらなかったのー?女の子たるものもうちょっとお淑やかなしゃべり方しないとねー」
「ック!」
効いている。メディスンは己の毒が魔理沙のそれを上回ったことを確信した。
毒でこのメディスン・メランコリーを上回ろうというのが土台無理な話なのだ!メディスンは心の中でそう笑い、最後のトドメとなるべき言葉を模索した。
すると、すぐに思い浮かんだ言葉が一つ。かつて初めて会った時の幽香に自分が言われたその台詞を思い出し、さらに自分流に付け加える。
メディスンは久方ぶりの勝利への扉がついに開けたと信じ、その言葉を放った。
「だいたい魔理沙は匂うのよ、お風呂入ってるのー?お風呂には100まで浸かれってちゃんとお父さんに教えてもらったのー?」
時が止まった。
幽香は思った。メディスンの負けだ。
魔理沙は己の頭に浮かんだ疑問を素直にそのまま口から吐き出した。
「……いや、入ってるけど、お前はどうなんだ?」
「え?」
「だからお前は風呂入ってるのかなぁって」
「……え?お、風呂?」
見るからにメディスンの声が沈んでゆく。
来た。来た来た。魔理沙はついに自らの攻め時が来たことを確信した。
「……いやいや、まっさか自分から言い出したのに風呂に入ってないなんてことは……ないよなぁ?」
入っているわけがない。
生まれてこの方風呂というものを見たことすらないメディスンは、体が汚れたら川で水浴びをするくらいしかしたことがない。
服だって一着しか持っていないし、水浴びしながら洗濯してそのままはだかで乾かしているくらいだ。
「は、入ってるもんっ!」
嘘付け。幽香は即座に突っ込んだ。
メディスンが幽香の家以外の家を訪れるところなど見たことが無い。
かといって幽香の家で風呂に入ったことも無かったし、もちろん鈴蘭畑に彼女自身の風呂があったりなどするわけがなかった。
「あぁ、やっぱり入ってるよなぁ!女の子たるもの風呂くらいは毎日入らないとな!やっぱ匂う、そう匂うもんなぁ!入らないと!」
「そ、そうだよね……うん……」
「もしお前が風呂に入ってなかったらさ、これから弾幕する時は常に風上取らないといけなくなっちゃうからなぁ!匂いが漂ってきそうだし!集中できなくなっちまうぜ」
「あ、ぁ……」
メディスンは完全に挙動不審になっている。
先ほどまでとは完全に攻守が逆転し、魔理沙はここぞとばかりに溜め込んだ毒を吐き続けている。
「にしても、こんな鈴蘭畑のど真ん中に風呂があるなんてなー!どれどれ、どこにあるんだ?見えないぞ?やっぱ耄碌してきたかなぁ、もうちょっと下に降りてみるか!」
「ッ!ダ、ダメッ!」
「ん、なんでだ?ちょっと冷えてきたし、ここらでひとっ風呂浴びるのもいいなぁと思うんだがなー!鈴蘭風呂なんて気持ちよさそうじゃないか!」
そう言って魔理沙は満面の笑みでメディスンを見やった。
「お、お風呂はあるけど……そう、ここじゃない!ここじゃないの!」
「おいおい、この辺に温泉が沸いてるなんて聞いたこと無いぜ?一体どこにあるって言うんだ?まさか川か?いやいや川は風呂じゃないよなぁ!」
「そっ、それはぁ……あの……うぅっ……」
メディスンは完全に涙目になっている。
魔理沙は勝利の女神が自らに微笑んだことを確信して、最後となるであろう一言を放った。
「んー?聞こえんなぁ!もう一度だけチャンスをやろう、風呂の場所を言ってみろぉ!!」
メディスンの頭はがっくりと項垂れ、もはや完全に沈黙した、かのように見えた。
プルプルと震え続ける両肩の間で、彼女の口は自身すら思いもよらぬ言葉を紡ぎだした。
「……ゅ」
ゅ。あぁ、ゆ。出ちゃったよ。この後に来るであろうメディスンの台詞を幽香は完璧に読み取り、頭を抱えた。
「ゆーかの家で入ってるんだもんっっっ!!」
ほぉら来たよ。本日極大の大嘘だ。
頭を抱えたまま、幽香は自分がメディスンに肩入れする理由、その最後の1ピースが何だったのかをようやく悟った。
バカな子ほど可愛い。巷で言われるそれは間違いのない真理なのだ。幽香は遠い目をして深く心に刻み込んだ。
「……へぇ、幽香んちでねぇ!んじゃ幽香んち行ってみるか!生半可な人形には行けない家だからなー!憧れちゃうなー!」
「ぅ、こ、こっち……」
二人は地上へ降りると、向日葵畑に向かって歩き出した。
メディスンは所在なさげに辺りをきょろきょろ見回しながら、普段のペースよりずっとゆっくり歩いている。
ため息をつきながら自宅へと先回りする幽香の顔は、どことなく楽しそうだった。
彼女が今日沸かすことになる湯は、いつもとは違って紅茶の分だけでは済まないようだった。
そしてそれを面倒だとすら思わない自分を、幽香はわりと好きになれそうだった。
メディさんの毒が入った毒風呂…
僕も入ってみたい…
幽香お母さんにニヤニヤが止まりません。本当にありがとうございました。
三人とも可愛かったです。
おかあちゃんなゆうかりんはステキだと思います。