春のきざしをにわかに見せ始めた博麗神社。雪の白に覆われていた境内の石畳も、石の隙間から次第に土と雑草の混じる茶緑を取り戻していた。
影のさす灯篭の袂にわずか残る残雪の隣では、春の花が季節の新たな訪れを待ちきれない、といった風にはやってつぼみをつけている。
境内のその奥、賽銭箱が備え付けられた裏手にはこの神社の主、博麗霊夢の居住スペースがあった。
ほとんど社と一体になったそこは、元々人手を要さないためか人が一人暮らすのがやっとだ。
衣食住に不自由しない程度の備え付け。風呂釜、台所、寝室と居間に厠。純和風な空間であり、しかし無駄のない造りは霊夢のお気に入りでもあった。
だが、と思う。すくなくとも、名のある人物を迎えるのに適したような自慢の我が家とはどうしても思わない。
人妖問わず暇や厄介事を抱えてきてはお茶をすすって帰っていく。
そんな魅力がここにあるとはとても思えなかった。
起き抜けの一番がこれだ。朝のうららかな日差しが縁側にさしこんでいる。
そこでせんべいでもかじって、緑茶をその欠片とべたついた口内ともども流し込む。それが霊夢の趣味であり、生きる意味だ。
なのに面倒だなぁと重い気持ちを引きずって首を後ろに向けた。
「で、紫。アンタいつになったら帰ってくれるのよ」
「私にだって、どうにもできない事くらいありますわ。……薄情ね。
親愛と義務の心をもってこの異変の解決に協力をしてくださるのが、博麗の巫女の役割ではなくて?」
そう言って、どことなく居辛そうにそっぽを向かれた。
声の主こそ名のある大妖、八雲紫。こんなさびれた神社に訪れる理由のわからん人物の代表格だ。
幻想郷のなかでもとびきりの力をもった賢者のひとり。
彼女の容姿は、少女趣味といって差し支えがないほど装飾過剰なリボンとフリルの洪水。
紫を基調とした下地の可愛らしい衣服が似合う、幼さを残した美貌の少女。か細い手足はしかし、その実、どんな妖怪すら鎧袖一触、底知れぬ力強さを秘めている。
数多の死と争いをかえくぐってこそ身につく妖艶な表情を顔に貼り付けて胡散臭く微笑む。
そんな紫はときどきこうしてきまぐれに、霊夢のところに遊びに来るのだ。
だからこそ、居間の二人は居辛かった。
「はぁ…面倒くさいわね。ええと、じゃあ専門の業者の人でも呼べばいいのかしら」
霊夢はだるそうに、頬杖をついた。
「お手洗いがつまった時の人を呼べばいいってのなら、呼んであげるけど」
「霊夢。まじめに考えて頂戴よ…。ほんと、困ってるんだから」
「分かったから情けない声ださないの。アンタらしくもない。そもそもこの場合専門の業者って……紫なんだからどうしようもないわ」
フリフリ服の彼女は飾りが類として居座るには、畳とこたつの居間にあまりそぐわないと思う。
彫像じゃないんだからさ。
今日この日こそシュールで仕方ない。
唐突に朝のはよからリボンのついたどこぞの亜空。目玉がギョロリと覗くスキマから出現した紫は腰の辺りで途切れている。
悲しそうに顔をうつむかせる紫。
「なんで、こんなことになってしまったのかしら…。…ねえ、霊夢」
「私に聞かれても分からないわよ」
縁側にかかる日光が暖か。今日は晴れだろうなぁ。きっといい日になる。
だけど、振り返ればやっぱり悲しそうな紫。
紫には上半身しかなかった。斜め60°くらいの角度で虚空に固定されている。
八雲紫はスキマにつまっていた。
────
「スキマ、って物の隙間でしょ? 何にもないものに挟まるって一体どういうことなの?」
「それは簡単な考え違いよ。何も存在しないからこそ、そこに私が入り込む余地が生まれる。それが隙間ですわ」
「はぁ…お腹減ったわ。朝ごはんまだなのよね」
「霊夢のお腹もスキマだらけ、というわけですわね」
全然おもしろくない。
憂鬱な瞳で二人して縁側の空を眺めていると、迫ってくる人影があった。
最初、鳥かと見まごうたが、近づくにつれ、どうやら人であるらしかった。
「ご無事ですか、紫様!」
「無事も無事、大無事よ。この状態を見て分からないなんて愚図な式ね」
開口一番、不機嫌そうに応える紫。実際、間違いなく不機嫌。
上空から一気に神社の縁側まで降りてきたのは、導師服に身を包んだ長身の女性だった。
黄金色の髪にそれと同色のしっぽ。ふさふさのやわらかそうなのが九つも生えている。
「あなた紫の式よね…。たしかそう…名前は……」
「藍。八雲藍だ、博麗の巫女。しかし、これは一体どういうことだ」
「霊夢でいいわ。あー……」
居間のこたつの丁度真横あたり。畳から高さ1メートルの虚空からは紫の上半身が飛び出していた。
もちろん彼女のスキマからだ。
「どういうことって…そんなの私が聞きたいくらいよ。いつも通り朝起きて掃除して、朝食の準備を始めていたら胡散臭いのが急に現れて、『ウッ』て声を出したと思ったら腰から先の部分が出てこないわけ」
霊夢はそう口にして、目線だけを紫に移す。
九尾の妖狐は動悸も冷めぬまま息をまいた。
「紫様、今の話に違いはありませんか」
「……えぇ」
私が嘘をついてるというより、単に自分の主人が心配なんだろうけど。
宴会の席でたびたび見かけた妖怪、藍は紫に確認を取ると、わずかに安堵の息を吐いた。
新しく覚えた名前の具合を確かめつつ霊夢は口を開く。
「…で……えーっと、藍。そっちはどういう事情なの」
「ん…ああ、そうだな。説明しよう」
息をただし、調子を整えて言った。
「私は今朝方、起床された紫様が幻想郷をご遊覧なさると仰っていたので、朝餉の後に見送りをさせていただいた」
「珍しいわね。紫が早起きなんて」
「まぁ…そうだな。見送り といっても…スキマでご出立なさるだけだから私にできることはないのだが」
藍は顔をふせって続ける。
「そこで、普段と違うことがあった。紫様がスキマをくぐられるときに、臀部が…だな。…その…こちら側に取り残されていてな。しばらくたっても変化の様子がない。こんなことは初めてで。これはまさか何かあったかと、気配を頼りにこの博麗神社に飛んできたという次第だ」
「え、じゃあ紫、アンタ今お尻はマヨヒガに置いてきぼりなわけ?」
二人の会話を黙って見つめていた紫が、居心地悪そうにコクンと頷く。
それを見て、藍が今度こそ深い息をほぅっと吐いた。ご無事でしたか、と深刻そうな顔にも余裕が戻る。
霊夢にはどうも馬鹿らしい事態のような気がしてならないが。
「何にしても挟まれて、出て来れないだけらしいわ。自分のスキマにつまったみたいね」
「つまった、というと…。……は?」
思わず藍に聞き返される。当の紫はだんまり。
「つまる。尺に合わぬものを通そうとすると起きる、あれか? 本当に、つまった、それだけなのか?」
「みたいよ。さっきから命に別状がありそうな感じはしてないし」
しばし呆然としたかと思うと藍の顔がひとりでに百面相を開始した。
10秒もない内に困った顔、困惑した顔、奇妙な顔、口ごもった顔へと次々に変貌を遂げる。
いやにマイナス方向の仮面だらけだ。
そして最後に何かをこらえるような表情になった。口がむずむずしている。
「お二人とも、失礼」
藍は手で口元を押さえつつ、丁度、紫から見えない柱の影に隠れた。
不審に思う間もなく聞こえ漏れる「…クッ。ぷふっ…ククッ…つ、つまったってなんだよ…」小さな声。
主人を心配してかっとんできた来た式の忠義っぷりが知れる一面だ。
「失礼した。所要により席をはずした突然の無礼お許し願いたい」
「どんな所要よ」
しれっと、何事もなかったかのように戻ってきた藍。
動けない紫にきついジト目で睨まれる。
「藍。」
透き通るような紫の声。紫の目が語っている。曰く、あとでおぼえておけよ。
仲いいわねこいつら。随分フランクな主従関係だなぁ。
霊夢は肩をすくめた。
「ま、いいわ。立ち話もなんだから、上がりなさいよ。お茶くらい出すから」
────
釜のある台所に立つと、霊夢は急須に入ったお茶っ葉に沸かしたお湯を注ぐ。肌寒い手に、湯気がほかほかちょっと幸せ。
この茶葉がその身を削って緑茶を提供してくれるのは二回目だ。
「あちち…」
白い湯気が静謐な朝の空気に溶け込むように消えていく。
しだいに陶器にも熱が伝わってきて、霊夢はこりゃいかんと急須の取っ手を持ち替えた。
霊夢は基本的にお茶の葉を、三度目までは出涸らしだと思っていない。
都合四回ほど、懐具合によっては五回、これに湯を注いで飲むのだ。
味が濃く香りのある初回も結構だが、薄くなってくる三回目に、淹れた茶葉の残りかすと味の薄い緑茶を堪能するのも中々落ち着いて良い。
そのへんの事情を気にしない霊夢は、たとえば、最悪お客様に出すものも日によっては殆どただの温水であったりする。この辺り友人の魔理沙はよく心得ていて、茶葉の良い日に限って遊びに来たりするのだ。
板張りの廊下は足の裏が冷たい。
畳みの居間に、おぼんに乗っけた湯飲みとお茶請けをもって霊夢は逃げ込んだ。
勢いもそのまま、こたつに軟着陸。
「はい、粗茶だけど。どうぞ」
「ありがたい」
「と…とどかないわ…」
霊夢、紫、藍の三人は部屋の中心に囲むように座った。
幸いにして紫はこたつに対面した位置で動けなくなっていたので、霊夢は温かい毛布に両足を突っ込んだまま座布団にお尻を敷くことができた。
まさか紫の背中と会話するわけにもいくまい。
冷えた素足がじんわりと快感に痺れていく。うん、これはいい。まだ、しまわないでよかったわね、置ごたつ。
主人を差し置いて暖を取るのをためらっているのか、藍は足を崩さなかった。
スキマ妖怪は四角い机の上に置かれた湯飲みに手が届きそうで届かずを繰り返している。
妖怪二人と人間一匹。紫に切り出す。
「…で。なんでこんなことになったのか。心当たりはないの」
「残念ながら、ねぇ。私としては、こうして霊夢のかわいい顔を延々見つづける生活も悪くありませんけど……」
「そんなの視野にいれないでよ。ぞっとしないわね。とっととスキマから引っこ抜いて帰ってもらうわ」
「あら、つれませんこと」
幾ばくか調子を持ち直した紫は扇子で口元を隠し、にこやかに笑った。
ちょっと安心。でも朝目が覚めれば紫の顔なんて冗談じゃないわ。それに妖怪の住み着く神社なんて、誰もお賽銭をもって寄り付かなくなっちゃうし。
それにしても、つまる、かぁ。結界を操る霊夢にも皆目検討がつかない。
しばし軽口を叩き合っていると──ってあれ、扇子が出てる。
霊夢は指差した。
「それもスキマから出したのよね。ってことは何、別に力が使えなくなったとか…」
「えぇ。ないわ、当然よ。幻想郷の結界に不都合がでるようなことは絶対に許しませんもの」
「挟まってるのは腰だけ……。異常はそのスキマだけね。境界を操る程度の能力は使用できて。うぅん…謎ね。紫……単にアンタが太っただけじゃない?」
「ふ…ふと、って…れ、霊夢…」
「だってそうじゃない。だからスキマにつまっちゃったのよ。うん、こう考えると妙にしっくり来るわね」
「わっ…わたし、太って見えてるの?」
「ッ……博麗!」
大人しく茶をすすっていた藍が声を荒げる。頬には早くもお菓子の欠片が。
あ、先に食べたわねこいつ。
「紫様のお力は些細な物理的要因に左右されることはない。
水道管じゃないんだぞ。安易な発想で主人を蔑めるのはやめてもらいたい!」
「別に馬鹿にしたってわけじゃないわ」
水道管、はよく分からないけど。通るものが太ければつまる。違うのか。
真っ先に頭に浮かんできた霊夢の発想は禁句だったらしい。少々過剰反応な気もするが、少女を自称するだけあってウィークポイントだったのかもしれない。
「太って詰まったなどと根も歯もないことを…。ご自身の体調も管理できないようで妖怪の賢者と呼ばれはしない。
大体、ウェストの増減程度で妖怪の本質ともいうべきお力に、支障が出るはずがないだろう。ご自身より大きな物品を取り出せるスキマを忘れたか」
「藍…。私そんなに気にしてないわよ」
「しかし……」
「いいの。というか、そこまで必死に擁護されると逆に落ち込むわ…」
いきどおる藍を、紫が治めた。美しい主従愛だ。
その割には主人の顔にすこし悲哀の影がさしてるけど。
仕方無い。こんなの見せられては。霊夢は膝にかかる布団をのけて雄雄しく立ち上がった。
「アンタ達の心、確かに受け取り申した」
「なんだ、口調が……」
「藍、アンタにも手伝ってもらうわよ」
早く問題を片付けて、朝ごはんが食べたかった。
ゆかりきゅうしつさくせん、そのいちー
とりあえず引っぱってみる。
「いたたたたっ!やめ…やめて、いたいわ…いだだ!」
霊夢と藍の二人に体を掴まれて、泣きそうな悲鳴があがった。ギシギシと間接も悲鳴をあげた。
「紫様、ここがこらえどころですよ…!」
「いっせぇーの……で行くわよ藍。いっせぇーの……せぇーのっ!」
「それはどっちの掛け声にあわせればいいんだ…!博麗霊夢…!」
どこか間の抜けた空気の中、勝手にバラバラのタイミングで引く。
霊夢は紫のお腹を抱える満身の力を一層強く、藍は主人に、日頃の恩情に報いんがため抱えた首根っこを───首根っこ?
「毎日寝てばっかいんじゃねぇよスキマぁぁ……!こっちの迷惑考えろぉぉ…!」
「いやぁぁぁ、いたい…いたた、無理、無理よ!マトリョーシカみたいになっちゃう!真ん中で半分に…いたた…首やめて…って藍!どさくさにまぎれて何言ってんのよ!」
「誤解です。この掛け声が一番ちからが入るんですよ……っと!」
違った。日頃のなにがしかの鬱憤を晴らすために主人を引っぱる。ほんと仲いいわねこいつら。
だが歯をくいしばり、いくら踏ん張ってもスキマは微動だにせず、はまった紫も一向に抜け出す様子がない。
すこし紫が伸びるばかり。黒髪に結われた紅いリボンを後ろ手でかいて霊夢は首をかしげた。
「はぁ…はぁ……。あれ、おかしいわねぇ…。普段は異変も含めて、これで全部解決してるんだけど」
「ん? …ああ、力ずくってことか」
ぐったりする紫を尻目に、霊夢と藍はどうしたものかと思案する。
そもそも、ひっぱれば出てくるとか、そんな単純なものなんだろうか。
とにかく押しても駄目なら引いてみろっていうし。じゃあ、引いても駄目なら。
二人が言いかけた時点で、横から小さな悲鳴があがった。
「まあ普通物がつまったら、水か何かで押し流すか、油をさしてすべりをよくするじゃない?」
「スキマにその理屈が通じるかは分からんが……」
「うち今、菜種の油はないわよ。蝦蟇油もね。こんにゃくなら朝ごはんにと思ってあったから使ってみる? ヌルヌルしてるし」
「簡単な発想こそが真理に通じることもある。…ふむ。紫様、ご意見を伺いたいのですが」
藍が恨みがましそうにこちらを見つめる紫に伺いを立てた。
帰ってきたのは額にうっすら青筋を浮かべた紫の怒声。
「二人とも……さ、さっきから私のこと御便所のつまりくらいに考えてるでしょ!黙って聞いていれば何なのよ!痛いし、苦しいし!」
紫はいきどおって、声を張り上げた。
「もっと理論的にやって頂戴…特に藍!式神は数式と算術理論の化身でしょう!それをこんな幼稚で稚拙な仕打ち…」
「ご期待に添えぬ不肖の身なれど、不誠実なつもりなど毛頭ございません。お疑いになられますか、紫様。
しかし原因が分からない以上、実践とその都度の失態には申し訳なくも、ご辛抱いただくより他にありません」
「だから…あなた、なんで都合よくそうやって礼儀正しくなるのよ!」
「滅相もございません」
ぴしゃりと言い切り、かしずく藍。
苦々しい顔をする紫。若干の沈黙。一つ間をおいてから紫は口を開いた。
「分かったら、もう。…今度こそ真面目に考えて頂戴。八雲を冠する者の名にかけて、よ」
「…はっ。ご用命、しかと賜りました」
高速で思考を展開する藍のあたまの中では代案として、洋式トイレをぎっぽんぎっぽんする、赤い半球状のゴムが先についたアレが紫の頭部にはりついていた。
引っ張れば抜けるてくれるかなぁ。抜けないだろうなぁ。
完璧に取り繕った上っ面の対応をこれほど流麗に済ます様は、霊夢をして感心するほかない。
藍がお煎餅を口にくわえながらでなければ、絵にもなっただろう。
「ねえ紫、アンタの式ってこんな残念な感じだったっけ」
尋ねる霊夢に、紫は無言を返す。なにか日頃余程うらみを買ってるんだろうかこのスキマ様は。家事を全部押し付けるとか。
顔に現われたぎこちない笑みには自嘲含まれている気がする。
なんだか泣きそうになっている今日の紫はちょっとかわいそう。
「それにしても紫様…やはり今朝のあれが原因では」
「そんなわけないでしょ!」
紫はパチンと指を鳴らした。すると藍が急に、今喋っていたことすら忘却したように、呆けた。
「なんでもない。別件よ。アナタには伝えるべき事柄ではないと思うわ」
「…? まあいいけど、面倒くさいからなんかあるなら最初に言いなさいよね」
「八雲紫の判断が信用ならなくて? 本当に別のことなのよ。どちらかと言えば、私自身に属する問題ですわ」
なにやら不穏だ。あからさまな動揺に霊夢は、紫に目をやる。
だが帰ってきた視線と、読み取れるその表情からは、少なくない真剣さが伺えた。
あれ、ほんとに違うのかな。
霊夢は紫から目をはずし、軽く首をならす姿勢をした。
「そもそもスキマってのが私にはよく分からないし。どうしたもんかしらね」
音は鳴らなかったが、物珍しさか興味が手伝ったのか、無気力に過ごすことが生き方の霊夢に仕方ないか、とやる気が宿っている。
さすがに何日もずっとこのままじゃ私も困るし、紫にも結界の修復とか色々あるだろうしね。ご飯のたびに眼前で胡散臭く微笑んでいたんじゃたまらない。
縁側で日向ぼっこすると背中に視線。それも落ち着かない。だから、色々やってみるか。面倒だけど。
霧雨魔理沙が博麗神社を訪れたとき、場はまさに混沌が制していた。
「おまえら……なにしてるんだ?」
あんたこそ、何か用?
霊夢は、そう視線を投げかける。穏やかな、すこし早めの春風をおこして、『よっ』とかけごえ、魔法使いは自慢のホウキで庭に降り立った。
ホウキを右手に持ち替えると、浮遊力を失くして、着地の際に舞い上がった土埃も順次、地面へと帰っていく。
清潔感がある白いエプロンをかけ、黒いスカートと、同じ色の大きな、すっぽり頭に被れる帽子が小気味良くぱさっと揺れる。
その下からは綺麗なウェーブのかかった金色の髪に、それとセットで大きな瞳の勝ち気な少女の顔があった。
お日様のひかりでキラキラ反射する髪の毛。時刻もそろそろ昼頃だろうか、半そでの彼女にも肌寒さは感じない。
幼さを残すいたずらな表情で、魔理沙は霊夢に同じく視線だけで応えた。
暇つぶし。息抜き。遊びに来た。どれがいい?
だと思ったわ。
霊夢は軽く息をはいて肩を降ろすと、表情でそれを魔理沙に伝える。
縁の下に靴を脱ぎ捨て、魔理沙が座敷に一足飛びで乗り出した。
「いらっしゃい、そこからがウチよ。ちなみに素敵なお賽銭箱はあっち」
「そうか。それならお客様に茶でも出してもらおうかな」
あっちを指差す霊夢を無視し、畳に上がった魔理沙はますます怪訝な顔をした。近くで見ても、より理解に苦しむだけだみたいね、やっぱり。
「紫のやつが、『ずっとこの体勢でいると、腹筋がつらい』なんて言い出してね」
「なんの話だ?」
「面倒なことになってるのよ」
「あー…。昨今の妖怪の間じゃ箪笥の上に乗っかるのがはやってるのか」
「はずれ」
「そのこんにゃくに見えるそれは、我が友、霊夢の新しい妖怪退治道具だ」
「違う。けどまあ惜しいわね、結構効いてるみたいだわ」
居間、座敷では紫が箪笥にお腹をのせていた。腰から下が途切れた上半身だけの姿で、運んできた小物箪笥に体重をあずけて消耗している。
紫の隣には、導師服の従者、藍。紫は消沈し、両腕と長い髪が重力にそってだらりと垂れ下がって、気味悪い幽霊みたいだ。
傍に置かれた括りつけの縄やら、力を使い果たして破れた博麗印のお札やら、皿の上のこんにゃくやらが、試行錯誤共が夢のあと。夏草や。
どれも当たって砕けろ的な意味合いが強かったものだったけど。
うんとこしょ。どっこいしょ。それでもゆかりはぬけません、と。
訪ねてきた白黒の魔法使いを無視して、二人の世界で勝手を言い合う主従。
「もういいわ。私ここで暮らす…」
「そんな、どうか諦めないでください紫様!」
「いいのよ。こんな日に三食もままならない神社でも住めば都っていうじゃない。それに同居人は可愛い巫女。言う事ないわ」
「このような場所に主人を置いてどうして帰宅の途につけましょうか! もし仕えるべき紫様を失えば、私は…。私は……」
「藍、あなた…」
盛大にため息をつくと、軽く睨んで霊夢はつき離した。
「嫌よ。紫と同居なんて面倒くさい」
「れ、霊夢…そんなにあからさまに嫌がらないで頂戴…。傷つくわ」
「私は……。私は………ん? あぁ、待てよ。そうすると、橙と二人きりか」
霊夢は寸劇を興じる紫と藍の途中に、冷ややかな一言を浴びせて台所へ通り過ぎていった。悲しそうな紫。
というか、ひどい台本だ。いまいる場所で飲んでるお茶は誰が出していると思ってるんだ。
律儀に新たな湯飲みを霊夢が用意してくる間、男勝りな胆力で知られる魔理沙も立ちっぱなし。困惑気味だった。
────
四人。紅白と白黒と九尾とスキマはこたつを囲む。
一連の不幸な事情を聞いた魔理沙の反応はまずこうだった。
「ブフッ…!アハハ、ハハハハハハハッ!」
次に。
「つ、つまったって、ふ…服着るときに…!こ、腰まわりのきついババァかよッ!ククッ…ハハハ!」
そして。
「やばい…息がッ!ゲホッ…ゴホッ…助け…ふっ、くふ…ふふふ!うふふ、うふふふふ」
始終大笑いだった。
涙目になる金の瞳。大口を開けて魔理沙は床を転げ回ったと思ったら、今度は息も絶え絶え仰向けで呼気を吹き出した。
霊夢は両手を胸の前にもってきて小さくガッツポーズ。
「あれは旧作笑い…!今日ラッキーね、貴重なものが見れたわ、うん」
「れい…む。息が……くふふっ。うふふふ、た…助け……」
真っ先に激怒するかと思った紫はうつむいて動かない。前髪がかかり、顔は見えない。
「まあ普通、紫がつまったって聞けば、こんな反応もするかもしれないわね」
「ぷっ…くく。げほっ……けほ…」
広げた手で目元を覆う魔理沙。仰向けに天井を見上げ、畳みの上で荒く息を整えている。ひゅーひゅー風が吹き抜けるみたいな音を出して。
藍はなにやらそわそわとしている様子だった。そりゃそうだろう。大笑いされた主人がその真横にいるんだから。
他人に侮辱されたと思う反面、自分も少しはおかしいと思ってしまっているから強く出れない節がある。
しかも今日に限っては自信に満ち満ちている主人が珍しくの失態だ。
霊夢は肩をすくめて伏した魔法使いに目をやる。
「魔理沙。そんなに笑い転げるのはやめなさい」
「霊夢…」
下を見る一方だった紫が、かすかに霊夢に応じて顔をあげる。
無表情ではあるが、それでいて瞳だけは悲哀と怒りを混ぜ合わせたような色合いだ。霊夢の声でそこに希望の光が宿る。
「ゆか……にほこりが立つわ」
「そっちか、霊夢!」
こたつの上を叩いて藍が叫ぶ。衝撃で卓上の湯飲みがガタついた。ゆか、か。ゆかりの方だって傷つくぞ。
転がっていた魔理沙がまた紫を見ては笑いだす。もはや箸が転がっても笑う状態になっている。
深海から引き上げらかけていた紫の表情がまた沈み込む。もう場がぐちゃぐちゃだ。
無遠慮な魔理沙の大笑いだけが部屋中に響き、やけに耳の奥まで染みこんでいった。
「アハハハハハッ!でぶりんだ、でぶりん!」
と、同時に悪寒をもよおす不気味さが霊夢の身を包んだ。寒気と、強いむず痒さを合わせたような感覚が肌を刺す。
それは上半身しかないスキマ妖怪の身体から放たれているように感じる。
これは知っている。これは妖力だ。それも、今までに感じたことがないほど強い。
横から、突然藍が声をあげた。
「霊夢、そしてその友人の魔法使い!我が主を侮辱するのはいい加減にしてもらおうか!」
「アンタ…。藍、アンタだってさっきは紫のことをからかってたじゃない。ちょっと前までは顔もにやついてたし」
「くっ…いや、それはだな霊夢。とにかく、それ以上の侮辱は冗談では済ませぬことになる!」
「侮辱っていうか……ま、いいけど。そうね、まあ困ってる妖怪をあんまり大笑いするのもよくないかもね」
「謝罪せよとは言わん。だが指をさして紫様を笑うのはやめてくれないか」
「だ、そうよ。魔理沙」
未だに涙目でくぐもった声を口から漏らしている魔理沙がこちらに向き直った。本当に指をさして笑っていた。
こいつは恐怖に対する勘がにぶいんだろうか、それとも気にしてないだけか。
藍は藍で振り向いて恐ろしげに佇む紫の様子を窺っている。相当お仕置きみたいのが、怖いみたい。
「どう?」
「おいおい、人を悪者みたいに言うなよ霊夢。わたしは自分に正直なだけだぜ……ぷふっ」
「はぁ…」
「だってなぁ。あの胡散臭い大妖怪がだぜ?」
言って、魔理沙はスキマ詰まりに目だけを向ける。言い知れぬ迫力が紫から迸っていた。
また可愛らしい口元をくふっとさせる。
「霊夢はなんだってこんなやつの味方してるんだよ。おまえも、こいつが可笑しくないのか?」
「はぁぁ……。私だって別に持ちたくて肩を持ってるんじゃないわ」
「ほーう。霊夢はわたしの知らん間に慈愛の心にでも目覚めたのか。そりゃめでたい」
「違うわよ…ただね、笑ってないで解決しないと、今夜のお夕食が二人分になっちゃうってわけ。そしたら家計のピンチなの。そしたらただでさえ記帳するのが嫌になる家計簿がもっと赤い方向にがんばっちゃうでしょ」
「怒るなよ。そいつは……至極、真っ当な意見だな。このままだったら養ってやるつもりだったってんだから霊夢の意外とお優しい一面を見せてもらった」
「座敷で、お腹すかせてる妖怪がいる真正面で自分だけおいしくいただけっての?」
落ち着かない藍をよそに霊夢と魔理沙は、片手間で茶請けをつつき続けていた。お茶と一緒がおいしい。
「あっ、ちょっと待ちなさいよ、そのお煎餅は最後の」
「こういうのは普通お客様にゆずるもんだろ」
力を込めると霊夢の側に煎餅が大きく割れた。拮抗した力で取り合ってたはずなのに、八割ほどの煎餅が霊夢の元へ。
満足そうに口に放り込むと醤油の香りが口内いっぱいに広がる。
「ぷくくっ……いや、よし。わふぁしも協力してやろう」
「口に物を入れながら喋るのふぁやめなはい魔理沙」
境界を操る力を間近で観察できるなんて僥倖だぜー、と気楽に手をひらひらやりだす。
最初、耳に入ってきた振動が言の葉だと分かるまで、若干の間があった。
一睨みで並の胆力の者ならばすくみ上がっただろう。声は確かに紫のものだった。無表情、に近い性質だと霊夢は思う。紫は笑って魔理沙を見つめていた。
表情に歪みが走り、それは一応笑い顔としての体裁を保ってはいたが、目はほがらなかな愉悦とは程遠い。
扇子で口元を隠すと、これまでの静かな怒気を明確な嘲笑へと紫は変えて、言い放った。
「協力? 冗談のつもりで言ったとしても、笑えないわ。アナタみたいな若輩の小娘が私の力の一端でも理解できるとお思い、邪魔なだけよ」
「ほう、邪魔とは言ってくれるじゃないか」
「当然ね。魔法使いなんてか弱い連中の、それすら種族でもない不完全な人間が何の役に立つのかしら」
紫の声色が不快感を露にしている。
「そのお力とやらで尻をつまらせてるヤツのセリフとは思えないな」
「アナタがどう思おうと別段関係ないわ」
「わたしの研究を馬鹿にするのか」
売り言葉に買い言葉というのか。魔理沙も次第に眉をひそめて言い返す。
霊夢は会話を割って入った。
「やめなさいよ魔理沙も、紫も」
「霊夢は黙っててくれ。単なる嫌味じゃない。こいつはわたしの生き方にケチをつけたんだ」
「そうよ霊夢。これは誤解よ。ケチをつけるどころか、関心すらまるでありませんもの」
「ババァ…」
「んふふ。研究ねぇ…。あら、その成果でアナタが私に一度でも勝てたことがありまして?」
「この…表出ろババァ!!なめやがって!」
「やってやろうじゃないクソガキ」
魔理沙は勢いよく立ち上がってホウキを引っつかみ、紫は扇子を激しい音で閉めると共に挑戦的に睨みつける。
余裕綽々の紫も今日ばかりは虫の居所が悪いらしい。嫌味も敵意もはぐらかす胡散臭さはなりを潜めていた。
「ったくもう……」
霊夢はまた面倒くさそうに深くため息をつくと、やれやれと頬杖をついた。
面倒な友人を持ったもんだ。どうも簡単に物事に決着をつけられるスペルカードルールは、ここの住人をすこし喧嘩っ早くした節がある。
小さな日常のわだかまりがなくなったのは結構だが、そのたびステージが博麗神社じゃたまらない。
だいたい紫も、どうやって"表"出るつもりよ。あんたつまってるじゃない。
「悪いな霊夢、場所借りるぞ。すぐ済ませてやる」
「あぁ異変だなんだと事あるごとに頼みもしないのに出張って、邪魔くさい。いいわ、だいたい私も前からアナタが気に入らなかったもの。身の程を教えて差し上げますわ」
「そっちこそ、そろそろ隠居の時期だって教えてやるぜ」
「ガキ…。開幕の合図はいらないわよね。あと一秒だってアナタの耳障りなさえずりを聞いていたくないもの」
「いいぜ、寝たきり老人になっても後悔するなよババァ!」
「……アナタには後悔する暇も与えないわ」
「むそーふーいーん」
だるー。
「うおぁ!?」
「キャッ!」
すさまじい光が座敷に満ち溢れた。間延びした声に反して、轟音と共に部屋の空気を揺るがす衝撃が襲い掛かる。
虹色の光弾が魔理沙と紫の顔面に吸い込まれるようにぶつかると、一段と強く発光して弾けた。残りの数発も霧散していく。
「手加減はしたわ。だから喧嘩はやめなさいっての」
「うぉぉぉ!鼻がぁぁ鼻がぁ!」
霊夢の思いやり。やんわりと手心をくわえられた奥義を鼻っ柱で受けとった魔理沙は床をのたうち回る。
手で顔を押さえつける魔理沙とは対照的に、その場から動けない紫は腰をギュンギュン振り回して無言で不思議な踊りをおどっていた。
激しい動きをくりかえして耐えていて、まな板に押さえつけられたドジョウみたい。
「紫も意地張ってないで。今は猫の手だって借りたいんだから、他の問題を起こしてる場合じゃないわ。魔理沙だって何かの役に立つこともあるでしょ?」
「っつぅ…鼻が…!」
「ほら藍。アンタからもなんか言ってやりなさい」
「不意打ちでスペルを顔面にぶつけておいて、手加減はないと思うぞ…」
「そうじゃなくって。私の夢想封印の感想はいいのよ。紫を説得してよって」
「鼻が……いつつ。霊夢、だいたいお前はその善良なお役立ち魔法使いさんにいま何をしたか…!」
「あ…あ、ああ。あー…そうか、そうだな。えー…紫様。人間の学問である魔法は学術的に体系化された論理性を組み立てています。彼女の見地からの意見も、このような問題を解決する手段として多少なり…有用ではあると思われます。どうか、怒りの矛をお納めください」
なんだかおざなりな説得を開始する藍に、魔理沙は血相を変えた。
「ま…待て! わたしは納得してないぞ!」
「魔理沙は黙ってなさい」
「わたしの問題だろこれ!?」
ゆるい発生と共に起きた強力なスペルにも理不尽を感じざるを得ない。
「なぁ…いいか霊夢、親しき仲にも」
「えびふらい」
「なんだそれ!」
鼻を赤くしている魔理沙はうっすら目元に虹の宝石を浮かばせた。そしてこの友人はお腹がすいているとひどく不機嫌になるのを思い出した。
眼前では、ゆっくりと痛みで顔をしかめながらもさすがは妖怪の賢者。
スキマ妖怪はすぐに理性を取り戻して一連の会話に耳をかたむけていたようだ。
恨みがましそうに霊夢を見つめる綺麗な菫の瞳。
昼下がりの博麗神社のお座敷にちょっとした沈黙が降りた。何かしらの返答を待っているが、紫が一向に口を開いて話してくれる気配はない。
ふぅ、と小さく息をついて霊夢は声をかけた。
「ま、冗談よ。悪かったわね」
「ふん…。幻想郷の巫女におかれましては冗談にも痛烈な暴力を使ってくださるのね。何事にも労力を惜しまれないようで、ありがたい限りよ」
「だからすねないでよ。こうでもしないと止まらなかったわ。それにね、早く解決しないと。紫のためでもあるんだから」
最後のセリフでそう言われるとむっとした顔の紫の表情がすこし緩んだ。
ちょっと卑怯な言い方だったわね。
「だ、だからってこんな…大層痛かったのよ? えぇ…それはもう、こんなに嫌われていたかしらって思うほどの威力だったわ」
「それは授業料。神社で妖怪が暴れそうだったから前もって退治したの。せっかく二度も潰れた神社を建て替えたのに、また壊されてたまりますかっての」
「建て直したの私なのに……」
「壊したのもアンタでしょ」
そう言うと二人の空気がすこし軽くなる。軽口の応酬ではあるけど。よかった。
最近神社を襲った局地的直下型大地震のことだ。霊夢はこれで自宅倒壊の憂き目にあっている。
その後、異変の主をとっ掴まえて全て建て直させたものの、これが紫の手によってもう一度建て替えられた。遷宮でもないのに。
ちなみに密かに博麗大震災と名付けている。
だから、ね? と霊夢が優しく首を傾けて尋ねてみたら、紫はなぜか急にそっぽを向くだけだった。
こりゃ相当機嫌悪くしちゃったみたいね。やりすぎちゃったか。
霊夢は横に首をふって、再びコタツについた魔理沙のほうに向き直る。
「ダメねぇ…。なんでアンタ達そんなに仲が悪いのよ」
「知るかよ」
こちらも顔をそらして向こうをむいてしまった。
この二人も普段からいがみ合ってるわけじゃないんだけど。
ようやく一応は矛を収めた両者の中間から藍が顔をだす。
「すまんな霊夢。紫様はこのお歳になっても、ごめんなさいとおねがいしますが言えない大妖怪であらせられるんだ」
「いいわよ。偏屈者には、なれてるから」
意図を掴んだ藍に軽く返答。それにしても早いとこ解決しないと朝ごはんどころかお昼ご飯も逃してしまう。
それとも作ってからみんなに出すか。いやいや、うちにそんな準備はない。
買出しに行くのも面倒だし、粥を四人で割って漬物を割ってして出すのはさすがに不評だろう。もてなしたくても先立つものがない。
このまま夜にもつれ込むのならそれも考えよう、か。
関係のない気鬱をぼーっと考え込む。かわいそうとか、そういった同情ではなく、仕方無いかぁとめんどくさそうに物事に当たる霊夢の常日頃の精神だ。
「じゃあ私からもお願いするわ。魔理沙、紫を助けてやって」
幾ばくか意外そうな顔をする魔法使い。失礼な。
人に親切な私がそんなに珍しいか。
せめて喧嘩はするな、とは言わなかった。
魔理沙は鼻をならす。腕組みをして、不機嫌さをすこしだけ幼稚にアピールした。
「おい。いいか、わたしは最初からこいつを助けたいなんて思ってない。わたしが首を突っ込むのは面白そうなことだから、いつでもこの理由だけだ」
「それ、いいわよってことなの?」
「霊夢に頼みごとされるなんて珍しい…し。なんだよ……ほんとに困ってるんだろ?」
「うん。ありがと」
となると、霊夢と藍はなりゆきを見守る紫に同時に視線を向けた。
「紫も、それでいいわよね?」
「よろしいですよね。紫様」
二人に見据えられた紫はたじろぐだけだった。無言で通して不満そうな顔はしているけど、とりあえず文句は口から漏れてこない。
よしよし。沈黙は了承ってことにしましょう。
仲直り完了。
「なぁ……問題があるなら、根本の原因をさがすのが一番冴えたやり方だぜ。そのためにゃ色々試してみるのがいい。もうさっきからなんかやってたんだろ?」
物事を引きずらない性格の魔理沙は、さっそくコタツの机に乗り出して尋ねてきた。少々鼻は赤みがあったが。
「まあね。どれもあんまり効果はなかったみたいだし、紫がスキマにつまってる原因も分かってないわよ」
「それでいい。今までのこと聞かせてくれよ」
天性の直感と結界への知識を持つ巫女。様々な魔法研究と実用を伴う経験を数多くもった魔法使い。
スキマの妖怪に、算術の申し子であるその式。事実、多くの異変を解決へと導いたコンビでもある。
この面々が集って解決できない問題なんて、きっと、あろうはずがない。
「…あたっ」
「それはそれとしてだ。一発は一発の魔理沙チョップだぜ」
魔理沙と霊夢の関係も、ちょっとだけ幼稚だった。
────
無理でした。
惨敗でした。
悲惨。悲劇。散々な結果。どれに言い換えてもいい。
霊夢はため息を、大きく、大きく吐いた。本日何度目かは数えるのも嫌になる。
スキマに腕を突っ込んで異常を確かめてみる。
藍の式を打ち込んで能力の正常化をこころみる。
もう一度上半身からスキマをくぐって出現してみる。
魔理沙の魔砲でスキマを吹っ飛ばしてみる。
マヨイガに移動して、お尻の方から押してみる。
思いつく限りなんでもやった。
果ては紫の洋服の腰部分を切り取ってわずかでも胴の幅を狭くすればと──これにはお気に入りの衣装を台無しにされたくないと嫌がる紫の説得にかなりの時間を要した──鋏を持ち出したが、事態はまるで進展しない。解決の糸口すらなかった。
空間に固定されてびくとも動かない。
「だぁーもう!なんだよババァ!てめえ真面目にやる気あんのか!」
「ちょっ……なによ、私にだってわかんないんだから仕方無いじゃない!」
怒鳴りつけられても無理はないというものだ。失敗と苛立ちのこのパターンも数度目。魔理沙もかなり煮詰まってきている。台所を借りると断わった藍が夕餉を用意してくれると、もう辺りは真っ暗だった。
雲もなく、星明りと月が地表をあかるく照らす冬の空。その後はみんなでいただきまーす。寒いから外の障子を閉めて。すこし休憩して。
お腹もいっぱいになって第二ラウンドが始まったが、やはりどうにもならない。
いつの頃からか誰かが持ち出した食後の一杯もちょびっと入りだす。
藍のほうは最初の不安はどこにいったのか、上機嫌で畳に腰を下ろした。
「それでなぁ…霊夢よ。橙がどれくらいかわいくて困るかと言うとだなぁ…うへへ」
「しっかしアンタの作る揚げ物は絶品だったわねー。またご馳走になりたいもんだわ。良い式をもってるわよ紫、アンタ幸せ者よ?」
「いやぁーこれが言葉では言い表せないから実に困ったものだな、はは」
「またババァっていったわね、このガキは…。霊夢、この馬鹿魔法使いをなんとかして頂戴」
「魔理沙、紫をホウキの先でつっつくのはやめなさい」
「ああ言ったぜ!耄碌してるのかよ。なんで自分のことなのに分かんないんだ、この!」
「いたっ、いたた!やめ…」
すこしづつ疲労の色がつのり、パーマのかかった金髪で長髪組は髪の毛がバサバサしだした。
「藍さまー!お風呂さきにいただきました。あがりましたよ」
とてとてかわいらしい足音を立てて廊下をかけてくる少女。その影は霊夢よりも背がひくい。
猫の妖怪はさっぱりした表情で頭髪をつやっぽく濡らし、ピンク色に花柄があしらった寝巻きを着ている。
橙はあらかた紫の救出アイディアも出し尽くした夕飯時に藍が呼んでいた。
別に凶兆の黒猫である彼女の能力が必要だからとかじゃなくて、ただ意味もなく、藍が呼んだ。
え、なにこれ?お泊まり会?
「お、待ってたぞちぇーん」
「らんしゃまー!」
「ちゃんと湯銭には肩までつかって百かぞえたか? いくら水が苦手といってもきれいにしないのは許さないからな」
「はい。ちゃんとしましたよ」
「よしよしいい子だ。ははっ、こいつめ」
両手をいっぱいに広げて自分の式を受け入れる藍。そこに猫まっしぐら。
霊夢はお茶を新しく急須にいれつつ、九尾の胸元でうりうりされてる少女に話しかけた。
「あ…湯加減どうだった?」
「うん。よかった。ただちょっと熱かったわ」
「そっ、まあ猫だものね。ならよかったわ。お風呂マヨイガと勝手が違って混乱しなかった?」
「あ……違うの違うの。私は八雲の姓を頂いてないから、マヨイガには住んでないの。紫様と藍様とは別居させてもらっていて、場所は妖怪の山よ」
「へぇ…意外ねぇ。アンタの主人ったらアンタのこと一秒でも目を離したくないんだと思ってたわ」
「うん、藍さまは私のこととても気にかけてくれてるよ」
うずめていた豊満な胸から顔を引き抜いて橙が応えてくれる。
橙の顔が自分の胸元からぽっこり生まれたうれしいのか、藍はだらしなく表情をゆるませた。
「あとで外の露天風呂の方も一緒に行ってみような、ちぇーん♪」
「はーい、藍しゃまー」
甘ったるい空気を発散する二人を前に、霊夢は畳に腰をおろして淹れたての緑茶をすする。
はぁ、平和ねぇ。
スキマ詰まりは全く解決しないけど。どうしたもんかしら。妖怪の置き物になってもらう案も真剣に。いやいや。
相変わらず紫は即席の棚をひじ掛けにして肘楽な姿勢をとっている。
と思ってそちらを見やると、苛立った紫が腕を変なところから出して、橙をスキマの中に放り込んだ。
「藍さまー!」
「なっ!?橙!」
引き裂かれた恋人同士のような、または幼い子とその親のような悲鳴をあげて子猫はどこかに消えていく。
「心配しなくても、あの子の自宅に放り込んでおいただけよ」
「なんて強引な…。突然することないでしょう紫様!」
「だから、自宅に送っただけじゃない」
「紫様のお力には現在支障が出ているのですよ。まかり間違ってでも橙が変なところに放り出されたら…」
「…だから…そうよ、異常なの、今は。それなのにさっきからいい加減にしなさい」
ピシャリと藍を叱り付けた。魔理沙も雰囲気にのまれてか食事と紫にちょっかいを出すのをやめて、大人しく手を膝におく。
「笑うところでも冗談でもなく、これは幻想郷の危機。平時の緊張感を欠く自由はある程度与えているけれど…それほど日和ったのかしら」
不愉快に、紫は肘元の箪笥を苛立たしげになでつける。
意識してかどうかは分からないが、木目がガリガリと浅く削れる音がした。
「状況が見極められないほど愚かなら罰を与えます。それでも直らなければ、アナタの式をはずすことも考慮の内よ。藍、分かるわよね、アナタなら」
「紫様…」
「それとも何、私の力が信用ならなくて? そんなに心を煩うほど自分の式が心配なのアナタは。主人である私自身の問題を棚にあげるほど」
「いえ…決してそのような…」
「埒があかないわ。少しはこの状況にかこつけて霊夢で遊べるかしらなんて思っていたけど、飽きましたわ」
その発言にはひっかかるものがあった。
湯飲みを机に置いて霊夢は不満そうに息をつく。
「ちょっと何よそれ。聞いてないわよ」
「隠していたわけではなくて、これは手段として取りうる最後のものだっただけよ」
「……はぁ、何よ。からかうつもりだったの。大体そういうのあるんなら先に言いなさいってば」
「出来る限りアナタ達の協力だけで解決したかったのよ。確実だけど、最善の手法ではないわ」
「なんかあるのね、やり方が」
紫が言わんとすることは分かった。
もったいぶった言い回しだがつまり彼女は自分だけで、どうやるのか霊夢にはさっぱり検討もつかないが、すでに何かしらの用意ができるらしい。
そうなのだ。この大妖怪が問題に当たるときは、すべからく解決の手段を携えているはずなのだ。口先ではどうあろうと。
ここまでつき合わせておいて、ずるい話だとは思う。
ま、それとはちょっと別の理由もあるでしょうけど。
ふとした違和感はとりあえず、霊夢は面倒そうに畳から身体をひねって起こした。
「で、それってのはどんな方法なの。私達もなにかしなくちゃいけないわけ?」
「さてな。ダイエットじゃないか?」
非難めいた声色が聞こえてきた。
「協力ったって……おまえの能力についてはいまいちよく分からないし。つまってる原因も曖昧だし、それで問題を解けってほうが無茶な話だぜ」
自分が期待はずれだと思われたのが不満だったのか、魔理沙が唇をとがらせる。
食後に羊羹をつついていた串も止まり、だが小ぶりな唇はまだすこし濡れていた。
比べて紫は余裕をもって応えた。
「境界を操る程度の能力も、観測器具がないせいで資料も作れない。とんだくたびれ儲けだ」
「あら、アナタ自身の好奇心に手を貸したんではなくて?」
「…まあ、それは…確かにそうだな」
「少ない情報から解を導くことこそ優秀の証。アナタの職業はそれが得意だと思っていたけれど、勘違いだったかしらねぇ…」
魔理沙は露骨な嫌味に渋顔をつくるが、なめられるかと、持ち前の不遜な顔にすぐ立ち戻る。
紫に煽られた、のだけど二人ともその事は分かっている。
「んにゃ、そうだ。その通りだ。だから、ここまで振り回しといて、はいさよならなんてのはなしだろ」
ずい、と身を乗り出す。
魔理沙のブロンドの髪が棚引いて、疲れを知らない魔法使いの、好奇心満載の面構えが顔を覗かせた。
「ここまで手伝わせたんだ、何がなんでも一枚かませてもらうぜ」
「えぇ、勿論よろしければアナタにもご協力お願いしますわ、魔法使いさん。ただし今宵ここで起きることは必ず他言無用で」
「やめろよ気持ち悪い。わたしの知ってる八雲紫が他人にものを頼むときは、『お願い』じゃなくて『強制』だぜ?」
文句言ってるわりには乗り気じゃない。
二人のやる気に反して、霊夢の声には自然と渋りが混じった。
「うわぁ…なんだか雲行きが怪しくなってきたわね。私降りていい?」
「あら霊夢。昔から困った妖怪化生を助けると不思議と良い事があるそうよ。興味ないかしら」
「妖怪なんて朝に恩をうけても、晩ごはんには恩人を食べちゃってるようなヤツらばっかでしょ」
「安心なさい。そんなに大したことをするわけじゃないのよ」
なだめにかかられるのは良い気分じゃない。
おまけにすでに協定が組まれていた。
やめてもいい。ただし、お前んちの居間には少女くさい妖怪の上半身が居座ることになるがな。そういって魔理沙もにやりと笑った。
おのれ。面白そうなことを見つけるとさっそく敵になってしまった。
指を宙に泳がせて紫は説明する。
それを唇の前にもってきて、ピタリと止めた。
「これからするのは、私の境界を操る程度の能力を一時切断すること。いい? 強大な力を所持している妖怪というものは是非に関わらず、その能力の一端を無意識に行使しているわ。たとえば霊夢、あなたが本気で駆け出せばたとえ足を使おうとも、空を飛ぶ能力が後押しして素晴らしい速度で走れるようにね」
そういって紫は霊夢に笑いかけた。
「勿論私も例外じゃないわ。最も、用途は多岐に渡りすぎているから説明ははぶかせて頂戴。その一切を…一時的に切るの。いま私を拘束している忌まわしい境界も全てリセットされることになるわ。どんなバグだろうと、例外なくね。簡単な概要はこんなところだけれど…ご理解いただけたかしら」
頭を手でおさえて、うーとうつむく。言葉にするとやけに簡単なような。
畳み掛けられる理論に穴があるのかないのか、所詮妖怪のことだ。実際に通用することなのか、霊夢にはよく分からない。
「待って、一気に言われても…。よく分からないけど…。ねぇ紫、それって結構大変なことなんじゃないの」
アンタの力がどれくらい幻想郷に関わってると思ってるのよ。
それを突然やめたら大変なことになりそうだわ。
「その点に関しては問題ないわ霊夢」
「ちょっと紫。人の心読まないでよ。話が早くて助かるけど。で、たとえば博麗大結界はどうすんのよ? 外来人を遠ざける意識領域の境界は紫の結界でしょ」
「そう。そこがまさに貴方達に手伝ってもらうところでもある要点ね」
巫女としての霊夢も幻想郷で有用な役を担ってはいるが、紫ほどではない。
「どういう意味だ?」
興味深そうに黙して聞いていた魔理沙がコタツに入れた足を組み替えながら、口をはさむ。
腕組みをして、紫に促した。
「ふふ…それはね、藍、藍。あら、ちょっと…何やってるかしら」
部屋の隅の方でコタツに背を向けて橙どこ行ったかなぁ、心配だなぁとぶつぶつやってる藍の周囲はそこだけ冬に戻ったみたいに暗かった。
気のせいだけども。
ちょっと紫が脅しすぎたせいで沈んでる。
ちなみにただ落ち込んでるように見えてちゃんと幻想郷を捜索できてるあたりスキマ妖怪の式神は役得だなぁ。
私も紫の式にしてもらおうかな。あ、藍が紫のファンシー傘で突っつかれてる。
あれ趣味悪いわよね。やっぱりやめとこっと。
それにしてもいまいちシリアスになりきれないやつらだ。
────
つまり、これまでの『紫の能力を異常を取り除く』ではなく紫の力自体を無効化することで原因そのものを失くそうという試みらしい。
それ異変の原因事態は相変わらず分かってないんじゃ。随分強引な話だと思う。紫らしくもない。
エラーが起きたカラクリを再起動させるようなものよ、との補足は霊夢にはよく分からなかった。
「準備いいぜー」
紫の真正面に位置を取った魔理沙が了解の発声。
コタツは邪魔なのでどけて、神社の居間に四人が配置した。
自信ありげな表情がよく似合う少女を除けば、けたたましいのは障子の外の虫たちの鳴き声くらいなものだった。
その白い障子を両開きにすれば綺麗な星が見えているだろう。
暗い、シンとした早春の夜だった。
霊夢はおぼつかない足元と眠気を、あくびと共に締め出す。こんな夜は気持ちよく寝れる、と思うと夜更かしはすこし惜しい。
省みれば、黒衣の魔法使いと、おとぎの国から飛び出してきた少女妖怪と、それを横から眺める巫女さん。和洋折衷もいいとこだ。
そもそも畳のうえを靴下で歩き回る神経が霊夢にはよく分からない。
不思議そうな顔をして、魔理沙は紫にたずねた。
「にしてもこんな重要なこと、わたしらにまかせてよかったのか?」
「あら、いざ必要となったら意識も記憶も都合よくいじらせてもらうから心配いりませんわ」
魔理沙は本当に感情が顔にでやすい。
あれは『少しでもこんな妖怪信頼したわたしが馬鹿だった。しかもそのことをちょっとでも嬉しく思ってた自分が』みたいなことを考えてるに違いない。
露骨に顔をしかめたあと、頭をがしがしと掻いてる。
「…なんだよ霊夢? わたしの顔に何かついてるか」
「べつに、なんでもないわ」
そりゃまあ頭の中に色々されるって聞いちゃいい気分はしないわよね。
「藍、用意は?」
「いつでもよろしいかと」
「いいわ。それでは始めます」
紫はコホンとひとつ咳払い。
「これより幻想郷における博麗大結界の管理権限を全て、八雲藍に委任します。委任後は速やかに打たれた式と同様の行動を取り、諸手続きの後、能力と権限は再び自動で私に返還されます。いいわね」
すました顔で紫は言うと、確認を込めて皆の顔を見まわす。
霊夢は一応と小さく頷いた。緊張か興味か魔理沙は口元を結ぶ。ポーカーフェイス、表情を止めた藍からは何も読み取れない。
「はぁ…なんだか大変なことになったわね。やっぱり」
「あまり深刻に考えないで結構よ霊夢。ほんの2、3秒…その半分もあれば全ては済んでしまうことですもの。それこそ欠伸する暇もないほどにね」
紫は両手を顔の横にもってくると人差し指をこめかみにあてて、両目をつむる。ムムムと唸ったかと思うとすぐにまた瞼を開けた。
「はい、これで幻想郷の全賢者へこの旨伝えたわ」
たった一秒もなかった。これである。
霊夢は素直に関心した。ただのこれだけで彼女は強大な妖怪仲間達にこの騒動の全ての情報を伝え終えたと言うのだ。
さて、と霊夢はことの概略を振り返ってみる。
実に大きな話になってしまった紫のスキマづまり作戦は彼女の式を利用して解決するらしい。
なんでも力の一端を与えている式の藍に、幻想郷の維持に必要な能力を代行して行使させ、自分自身はスキマを封印する。そうすることで今つまっている腰から先が抜けるとか。
正直霊夢には理解できない部分も多いが、自分に課されたことだけをやればいいと確信している。
「なぁ、おい。スキマが消えたら、そのまま身体が真っ二つとかってことないのか?」
「無用の心配よ。物と物とのスキマを移動することは、二つに隔たる事とはまるで違うわ。要素を多分に含む方、恐らくこちら側にはじき出されることになりますわね」
「お前ならそれでも生きてそうだぜ」
妖怪に従う巫女ってのも変なものね。
誰にも気付かれぬように自分をすこし笑い、神職祭事用の棚から数枚の札を引き抜くと、それを指の中で遊ばせた。
ちょうど手の平から飛び出す大きさの紙それぞれには、効力を高めるため霊夢自身の直筆でありがたい文句が施されている。
どれとして不備がないことを確認してから座敷の四隅の柱と障子に固定していった。
霊夢はそれとなく三者の顔を見回した。
紫の立ち居振る舞いには理解しがたい魅力がある。なんとなくだが、霊夢が何時の頃からか疑問に思っていたことだ。
その正体を探って、考えてみたことは何度かある。と言ってもあまり思考が長らえない霊夢はなぜなのかしらね、と頭を数度捻るだけだったが。
それはおそらく今後も思考を重ねるていくことで導かれる論理的な答えとしては見つからないだろう。多くの感情を経験し、年を経ることで少しずつ分かっていく。そんな類のものなのかもしれない。
こうして彼女の言うことを素直に聞いている自分がいるのは巫女の直感が悪意を感じなかった他に、心のどこか安心しているからだからだと思う。
紫ならきっと、悪い方向には導いてくれないだろう、という。
胡散臭いスキマ妖怪の本当の恐ろしいところは、そんな心の警戒のスキマにすら入り込んでくることだ。
好意の正体がこの事と関係あるのかは、分からない。
「そうしておいて、食べられちゃったわってのもよく聞く妖怪話だけどね」
「どうしたの?霊夢」
「なんでもないわ」
同性すら魅了しそうな紫の横顔。無論、きれいだから手伝っているのではない。
気づかう視線から、なんとなく霊夢は顔を逸らした。居心地が悪くなって、早く仕事に戻ろうと、湿らせた口で二言三言呟く。
すると貼り付けた札はゆっくり青白い光を放ち出した。
最初は薄っすらと、しかし弾幕ごっこなどとは違い、ひとつひとつ噛み合わせで組上げていく強固な結界の作りが次第に出来上がっていく。
一枚の札の光に隣の札が共鳴し、さらにその隣へ、そして隣へと回った後に最初に戻る。四方を回る青光りが独楽のように速度をあげて回転すると、霊夢にしか分からない感触で完成が告げられる。
天井と床下の様子が手に取るように分かった。四方に結界を張ると居間の座敷は完全に外界と遮断された。
ぼんやりした蛍光はほんの数秒で消えていき、また夜の静寂が戻る。
障子を開けると、外からは変わらぬ虫の鳴き声と月明かりが差し込んでいた。
「できた。一応言っておくけど…紫、藍、アンタらが触ったらバチッとくるから気をつけなさいよ」
「中々の手並みね。良い子よ霊夢」
「ふむ、それは怖いな。ご苦労だ」
魔理沙のナロースパークを打ち込むと完成になる。
もうすでにこの部屋へ、外界からの妖怪の進入が不可能となっている。
結界は薄い壁だ。恐ろしく強固な、要素を通さない半透過膜。
特定物を透過して、認めない一切は出る事も入る事も許さない。しかし中にいるものを害するものでも、また無い。
この居間の妖怪は紫と藍だけだし、結界がある限りは増えも減りもしない。
数瞬でも紫が無防備になる時間ができるための措置だ。
万が一にもスキマ妖怪のこんな隙を数百年つけねらってたやつがいた時のための対策。
本当の大妖怪や神なんて存在は、対象が少しでも隙を見せれば、すぐに察知し、呪いをかけられるらしい。
霊夢の結界は妖怪の自然的な力を締め出す。内側から満遍なく結界表面に分散して伝導する魔理沙の魔砲が物理的、魔力的な攻撃を遮断。
藍が二人をサポートしながらそれと、電磁波っていうのかしら。なんとか線がどうのとか波長がとか、とにかくそれに対しての防御をするらしい。
藍に力を移し、紫がただの少女に戻る瞬間だけなら、文字通り鬼でも手出しできないだろう。
畳に立つ藍が一歩進んで目配せをした。
「それでは紫様、よろしくお願いします」
「えぇ。じゃあ…また後ほどね」
無表情だった藍の、それでも意思を湛えていた目から光が消え去った。
「へ…なんの挨拶?」
「万が一の反逆もなきよう、意思の剥奪を」
なんでもないことのように紫は言った。
どこにも向けていない藍の瞳はいかにも、不気味に思える。どこかで見た風だと思ったら、人の死体の顔がこんなであったと霊夢は思い当たった。
「念のいったことだな」
彼女を知る内で最も親しい身内すら信頼しない紫に、あるいは、できない彼女の立場に魔理沙は嫌悪感を露にする。
化生の美貌も相まって、藍の顔は能面のようだった。生き物の心地がしない。
「それはもう。万難を排すとはこのようなことよ。泥棒なら覚えておきなさい、魔法使いさん」
「やりすぎじゃないか? 少なくともそいつがおまえを裏切ってる姿なんて想像もできん」
「あら心外ね。私が好きでやっていると?」
「どうだかな。性悪ババァのことだ。案外分からん。他人が信じられなくなったら終わりだぜ」
「…こうして、アナタの故郷は守られているわけですわ」
ほんとに、本当にわずかだけ寂しそうに、それをすぐさま掻き消して、やはりなんでもないように話す紫。
いくらかばつの悪そうに帽子のつばに手をやり、魔理沙は黒い斜塔を被りなおした。
こんな、感情が豊かで、素直なところは彼女のいいところだと思うんだけどね。
「悪い…。さて、やっとわたしの出番だ」
八卦炉をかまえる親友の近くで霊夢は床と相談する。
この結界にしてもそうだが、紫の対応は少々過剰な気がする。
弱った猫は体調を正すまで身を隠すという。安全な場所を作るという意味で、似た様なものだと考えるとそう不自然でもないのだが。
常ならぬ紫の一面を見れるのは面白いが妙に神経質というか。思考は友人の行動で阻害された。
光が視界を占領する。
こぼれたミルクが床から天井まで広がって、霊夢はびっくりして顔をあげた。
とびのく背後からパチパチ泡のあじける音がして、膝でこらえて前傾姿勢を保ち、部屋全体を見回す。
紫電であった。狭い座敷の中央をふたつに切り裂いて、魔理沙から直線でのびていくミルキーウェイ。
それが霊夢の結界にぶつかると新品のキャンバスになってくみたいに生まれ変わり、上質の和紙に染みさせたみたいに綺麗に白が伝播していく。
魔理沙の魔法だ。それも普段の七色の光線とはだいぶ違った。
「悪りぃ…!けどな、なにぼうっとしてるんだよ霊夢!」
さすがに今日は宣言なしでぶっ放したらしい。
あっさり呟く自分とは違う。彼女の大きく技の名を叫ぶスペルカードは未だに霊夢にとってすこし恥ずかしかったりもする。
「ちょっとやるときは言ってよ!」
「ハハハッ、霊夢なら不意に対応できるから大丈夫だろ! ん……てか言ったぞ今!」
「聞いてなかったわよー!」
が、それを気にしてる余裕もあまりない。突然撃つものだから結界の強度調整がおっつかない。
霊夢は魔理沙の魔法をよく知っている。親和性の高さを生かし、上下含め六方の結界に魔理沙の砲撃を乗算させていった。
スパークは結界に阻まれる。そして結界の表面をすべるように、急激に紫電に染まっていった。
四方が完全に白く塗りつぶされると同時に、自らの魔砲の余波で服をたなびかせる魔理沙が叫んだ。
突き出した片手の八卦炉からは光の柱があふれ出ている。
「く…くそ。おいこれ、いつまでやってりゃいいんだ!」
「まだよ。出力を一定になさい」
「…つ…うおおお!」
徐々に狭まっていく砲撃。地面と平行に走る白い柱はしかし、細くなるにつれ波浪を収めていく。
室内に停滞した魔力の熱気と風。悪い視界の端に見えた魔理沙の顔から汗がふき出している。せまく、せまく…いま!
確実に安定感を持ち出したスパークは、ちょうど二の腕ほどの太さになったところで綺麗に乱れが止まった。完全な円柱となる。
「いいでしょう…よくもったわね!やるわよ藍!」
結界の内側に留まったぶ厚い魔力層ができる。波紋が消え、表面に一切皺のない平坦で真っ白な部屋。
外から見れば、神社に突然白い箱が生まれたように見えるだろう。
見慣れた居間にいたはずが、霊夢はまったくより知らぬ白色の海に投げ出されたように錯覚した。
直立不動の妖狐は返事も無く、淡い光を纏う。地の底から這い出たような低い音が響いた。
黄色の焔立ち上がる藍はそれでも表情が揺るがない。間近で見ていた霊夢にもそこから感情の起伏を見つけることはできなかった。
大きくなる低周波が重々しく頭を殴りつけ始める。
比重を増す頭痛と共に、霊夢はジワリと手に汗を握るのを自覚した。
はためく髪。リボンの先が風に揺らされて宙を泳ぐ。瞼を開けることが困難な閃光の中だ。
畳の床も、板の天井も、いまや強大にまで迫った藍の迫力すら、全て白く染まっていった。
「これは…きついわね…!」
霊夢のごちた言葉は誰にも届かない。この結界は強度を低すぎれば魔力が漏れ、高すぎれば最悪、この部屋ごと圧死する。数秒は今こそ長い。
しかし、弱音を吐いていられる立場じゃない。内部で肥大する何かを押さえ込むことこそもまた結界の本業だ。
霞んでいく視界のなかで懸命に八卦炉を握り反動に耐える魔理沙が見える。
歯を食いしばって、魔力の奔流の反動に必死に抗っていた。
不意にその影が、一際強い風に煽られて消える。
「ッ…魔理沙!」
一瞬、目を焼かれたせいと思い込もうとしたが違う。
もう一度顔を上げても魔理沙の姿は無い。
細く目を狭めて探そうとするが、わずらわしい強風と光が絶えず霊夢に向かい流れ込んでくる。
目前だってもう見えはしない。
どうする。どうすればいい。きっと転んだか、吹き飛ばされたに違いない。
帯電したスパークの中に落ちればタダではすまない。
自分自身の術だ。多少の耐性は備えているかもしれないが、それでもだ。
事故が起きていた場合に致命的になり得る間を空けてしまった。
一瞬も無駄にせず判断しなきゃ。紫と魔理沙、どちらかを優先しなければならない。
結界を解けばすぐさま部屋の魔力は拡散していく。しかしそれは紫の安全を放棄するということだ。
その思い、逡巡が霊夢の行動を遅らせた。
「あ、あぁ…やだ。そんな…」
緊張しきった身体とは反対に、力ない声が喉の奥から出てくる。霊夢は情けなく立ち尽くすしかなかった。
すぐに助けたいが、叶わない。結界を切りたいが、許されない。
親友と、博麗の巫女としての役割のどっちを取るか。そんなもの考えるまでもないことだ。
紫を危険にはさらせない。一人の人間のために、己に与えられた生を全うするのをやめてしまえば、霊夢は霊夢ではなくなってしまう。
結論は出ている。だと言うのに、頭は混乱しきっていた。
何物にも囚われない無重力の巫女がなんてザマだと叱り付けた思考は、不安と動揺の混濁に流されていく。
走り出そうとして、足が震えた。
とにかく魔理沙の近くに寄ろうとするが、身体がいう事を聞かず、躓きそうになった。
培った身体のバランス感覚から分かった。
いま駆け出せば、きっと転ぶ。
そして自分まで巻き込まれては事態は悪化する。思考にほんのすこし残った冷静な部分がかろうじて霊夢を押しとどめた。
いよいよ悔しくなって、ただ立ち尽くすだけ。
いっそ全てを捨ててしまえばどれほど楽になれるだろう。霊夢は結界の根幹を成す札の構成に、意識を集中させようとする。
そのとき、後頭部の奥底から声が聞こえた。
『ここは楽園。どちらかを選ぶ必要はないわ』
ブチリと切断される音。鉈で竹の繊維を断ち切るとか、桑を地面に突き入れて雑草の根っこごと切断するとかそんな音だった。そんなものが聞こえた気がした。
霊夢の頭の中では何かが確かに切れて、ああこれが緊張の糸ってやつかな、なんてくだらない事を思いながら膝が崩れ落ちる。
汗ばむ身体。肌に水分が張り付いている。
あえぐように首をあげて、霊夢は荒い呼吸を繰り返す。
指は、動く。
かじかんで震えているが、意思の通りに指先は動いてくれた。
その指先で字を描いて結界をゆるやかに解くと、居間に充満していた過剰な魔力がすこしづつ外側へ四散していく。
世界が白から色を取り戻していくように、次第に視界が開けてきた。我が家の全貌が元通りになりつつある。
紫電が大気に溶け込み、周囲に濃度の平均を保つ物理法則に従って薄く晴れていく白色。
時刻は夜闇も暗い頃であるが、スパークの光度と交じり合った夜は、まるで雲の切れ間から降り注ぐ陽光のように輝いて眩しかった。
その薄れていく魔力の海に呑みこまれるまん前で、宙に魔理沙はひっかかっていた。
帯電地帯の境界の瀬戸際で魔理沙は不思議と浮いている。
「………魔理沙、無事だったのね…」
「お、おう…なんとかな」
乾いた笑みを浮かべる親友が、スキマから出てきた見覚えのある白い手袋に襟首を掴まれていた。
猫の子みたいに首からぶらさがっている。
「あぁ…はぁ…。ほんと、間一髪…だったのかしら」
「は…はは」
変な風に笑ったまま、カチカチ歯を鳴らす魔理沙。
今になってやってきた恐怖で、身体がかじかんだままだ。
それでもって唖然とした顔を霊夢の方に向けながら、完全に固まっている。
その手がパッと開き、魔理沙は床にお尻から落ちる。と思ったら足取りも軽く走りこんだ紫にキャッチされた。
「はい、ごくろうさま」
戸惑いがちに抱きかかえられる魔理沙の顔を見て、今度こそ本当に安心した。
疲れがでてきて、何度か息を整えてもひざが笑いそうになって霊夢はどうにも立ち上がれなかった。
冷や汗で体中が湿っている。
にこやかな紫の腕の中で魔理沙はようやく口を動かす。
「わたしの帽子、どこだ?」
魔理沙はキョロキョロ頭を振って周囲を見回した。
はいこれ、と言ってスキマから、どこかへ飛んでいった黒くて大きな帽子を取り出される。
「…いや、死ぬかとおもった」
おっきな魔女の帽子を受け取って被ると、魔理沙はもう一度言った。
目を開いて、口を開いて、真っ直ぐな視線で。ずっと霊夢を見つめたままで。
「死ぬかとおもった…」
やがてようやく意識がはっきりしたのか、魔理沙は腕から抜け出すとフラフラ床を歩く。
案の定つんのめったので、慌てて霊夢は立ち上がり正面から支えた。
「…ねえ魔理沙、まずするのが帽子の心配なの?」
「お気に入りなんだよ」
「自分自身よりってことないでしょ」
「今度から飛ばされないに、クリップでつけとくかな。もしものときも、冥界まで持っていきたいし」
「馬鹿、笑い事じゃないわよ…」
部屋の端で佇んでいる藍から、かすかにうめき声があがった。
腰を曲げて眉間に手をやると何度か被りを振って、奇妙な帽子の耳が二対ともそのたびについてくる。
「これをやると毎度頭痛がするな…。……おや、どうやら何事もなく健在なご様子。ご無事、なによりで…」
「おかえりなさい、藍」
「……はい。ただいま、紫様」
霊夢によりかかっている魔理沙が自力を取り戻して立つ。
離れるときに香った金色に輝く髪の匂いが、霊夢には彼女の存在を証明してくれている気がして、もうすこしこのままでもいいと惜しく思った。
いなくなってしまったらどうしようかと思った。結局、どちらも霊夢には選べなかった。
目深く帽子の端をいじって被りなおす魔理沙の姿、なんでもないその癖にすら安堵を覚える。
「いやー、しかし危なかったな。あと少しでも後ろに飛ばされてたら、やばいことになってた」
「アンタ…ねぇ…」
「この反動は魔法を連続で使用することを想定してなかったせいじゃないかと思う。これは改善の余地があるぜ」
思わず怒鳴ってやろうとして、やめた。
目が合ってしまって気付いたが、見れば、魔理沙の瞳が未だに揺れていたからだ。
妙に口が軽く饒舌なのもきっと誰より怖かったせいだろう。
「今、意識がない間の記憶を見たよ。二人とも、ありがとう。大変だったろう。今日は紫様と私が随分世話になったようだな」
「えぇ。ほんとですわ」
藍はすっかり生気を取り戻した。それに続いて紫も相槌を打つ。
丁寧に言われ、すぐさま霊夢の方から振り返った魔理沙はなにかを思い出したのか居心地を悪そうにする。
いや、居心地というより、もじもじって感じかも。
「あ、いやそ…こっちもだな」
「ん?」
「紫…ぁ、ありがと…な。助けてくれて」
不思議なことに、あとになって見たことが補完できるらしい藍が深く頭を下げてきた。
わざわざ帽子までとったせいで、地毛から繋がる狐の耳が見えている。
今ややっと何時も通り華奢にしてバランスの取れた、可憐な両手両足を取り返した紫は、扇子を広げて今日一番の笑顔で言った。
「やっと名前で呼んでくださいましたのね」
その光景と、暗くなった居間に差し込む月明かりでようやく霊夢は普段の自分に戻っていくのを自覚する。
あのとき頭の中で聞こえた声は紫だった。安心したのだ。彼女の声に。
そしてその紫がいま目の前でほがらかに笑っている。板ばさみの感情で悩む問題は、もうなくなってしまった。
感傷的な心持ちが静まる。
いつもの静かな夜だ。気を利かせた藍が、蝋に明かりをとって部屋を照らした。
虫の一鳴きが聞こえると、黒い服をほのかに明るく染めた魔理沙が畳に座り込んだ。
「ま、好きでやったことだがな。だけど魔女から恩を買ったんだぜ。それなりに高くつくことは覚悟してもらおうか」
畳に手をつき心底疲れた顔で、それでも不遜は崩さない。
こちらに目配せをしてくる。大したヤツね。
疲れた。でも嫌いじゃない疲れだ。精神的なこわばりがなくなったせいで、心地よい疲労だ。
霊夢も魔理沙の横にドスンと座り込んで、今度こそふーっと尊大に息をつき、深く力を抜く。
「はぁ…疲れたぁ…。そうね、こんな危険な目にあったんだもの。お酒の一週間分はもらわないと割に合わないわ。魔理沙も無事だったからよかったものの…」
「おお霊夢、心配してくれるのか」
「当然でしょう? 私たちったら大の親友だもんね。ついでにご飯もよ、お米よ」
「そういうわけだ。わたしは外来の道具がいいな、できればマジックアイテム」
いかに大人びてるとはいえ霊夢も若輩の少女。
はーっと魔理沙と一緒に、目を閉じたまま息を吐き出して疲労をアピールする。
そんな二人の姿をみて大妖怪たちは、はいはいと、何故かやさしそうにわらっていた。
しばしは疲労にまかせ、月明かりの元、四人は小半時ほどの休憩を経た。
心の片隅にどこか暖かいものがあるのを感じながら、そういえばと霊夢は思い出す。
「それにしたって…ねぇ、結局紫はなんでつまってたの?」
「詰まったなんて…霊夢まで嫌な言い方しないで頂戴」
手早くちょっと解説してくれる。
本人曰く、すでに万全らしい身体をくねっとさせて紫は怒る。
見事作戦は成功。見たとおりは健在で、心身共にどこにも異常はないようだ。
霊夢の前で普段通り年若いフリフリの洋服を見事に着こなしている。相変わらずリボンとフリルは過剰な気はあるが。
揺れるスカートを見ていると、やっと人としてのバランスを取り戻したよう紫に違和感が浮かぶという不思議な気持ちになった。
実際、上半身だけの人間の姿というのは、良くも悪くもかなり印象深いものだったらしい。
紫は言葉で嫌悪をしめしつつも、あまり嫌そうに顔をかえなかった。
「長く生きているとね、時々こんなことがあるのよ。人間で言えば風邪のようなものかしら」
口元に紫は指をあてがう。
「ううん…? 病気ってことかしら。妖怪の風邪も、風邪の妖怪も聞いたことないけど」
「妖怪の力は日常において、ほんのわずかづつ強まり、また弱まり、ズレが生じていくわ」
「へ…急に変なこと言ってどうしたの。なにそのズレって」
「エラーよ。ねえ霊夢。物質世界にその身を置く以上、どんな者でも魂のあり方はすこしづつ変わっていくものなの。一つ一つは取るに足らないものでしょうけど、精神が肉体の存在に直結している妖怪では話が別だわ」
突拍子もない話をした後、ふと紫はやさしげな口調になる。
私は長いこと、長いこと生きたと。
「影響なんてまるでない微細な心と身体のズレ。でも…それも何十年、何百年と積み重なると、ある日突然自らの能力に顕現することがある。心が、生き方が変わるのね。それに身体の方がついてこうとして、体調を崩すのよ。あまりにも小さな変化だから、自覚、なんてとてもできないわ」
「もしかして…原因はそれってわけ。なんか不思議な話ね。ちょっと紫それ大丈夫なの?」
「言ったでしょう? 風邪のようなものって。一度症状が出てもすぐ治まるものなのよ。ここ何百年かきてなかったから、すっかり忘れちゃってたわ」
「忘れちゃってた…って…」
一時的に能力を失う類の話は珍しいことではない。特に妖精界隈なんかじゃ、季節が変わるごとに毎年日常的に起こっている。
妖怪の賢者にすらあるらしいそれは霊夢も一度体験したことがあるのだ。
霊力が弱まって悩んだ幼い日。一週間すると、前よりすこし強力になって元通り。脱皮みたいなもんじゃないかと思う。
ふっと可愛らしく紫が笑う。
なんだかその笑顔に、気概は全部取られてしまう。
こんなに悪びれずに言われると、あまり文句を口にする気になれない。
一応、そう、とだけ霊夢は言っておく。
こういった生理的な共感には、寛容にならざる得ないし。魔理沙は妙に納得いかない顔しているけど。
「それじゃそろそろお開きにするか」
霊夢の隣で、勢いをつけて魔理沙が立ち上がった。
「帰るの? 疲れてるなら泊まってってもかまわないけど」
「いや、いい。服だって着替えたいし、せっかく魔法の改良点も分かったんだ。忘れない内にな」
汗のせいで髪もバサバサ。
思いついたら突っ走っちゃう魔理沙のことだから、もしかしたら徹夜になるのだろうか。
また油断して危険な目に合わないよう、今夜ばかりは近くで見張っていたい気にもなった。
ようやく定位置を取り、紫の後ろに控えることができた藍が、縁側でしゃがんで靴を履く魔理沙の背に話しをかける。
「紫様のスキマに関する興味と言っていたが…もし今日のことで疑問があれば、可能な限り答えよう。好きなときに訪ねてくるといい。霊夢もだ。二人とも、今日は本当に世話になったな」
「おう」
「いいわよ別に」
またも藍は礼を欠かさない。形はどうあれ一応主人を救った恩人、ってことになるのかな。字面にするとどうも大げさだけど。
ほんと、よくできた従者だわ。いや、式だっけ。そこら辺の違いは分かんない。
むしろ救われたのは…そう思考して霊夢は紫を見やった。
いつも通りの胡散臭そう笑顔、とっても綺麗…なんだけど少し微妙な顔をしてる。疲れたのかな。
霊夢の視線に応えて『ん?』と軽く小首をかしげてくれる。
そこに安心を見出すようになるなんて、ほんとに自分は妖怪退治の巫女としてヤキが回ったのかもしれない。
「ん、紫」
「…どうしたの?」
「さっきの声のことなんだけどさ…やっぱ、あれアンタよね」
「声……声、とは?」
「…とぼけないでよ。私の頭に直接響いてきた声。さっき魔理沙が危なかったときよ」
「さて、何のことだかさっぱりですわ。幻聴を耳にするほど私の声が聞きたかったのかしら…可愛いわね」
「からかわないでよ。真面目に聞いて」
「寂しかったのね霊夢、ああ…ごめんなさい気付かなくて…こんな私を許して頂戴」
むっ。わざとらしい紫。しかし霊夢にはどこからどう見ても、悲しみに暮れて謝罪しているように見えない。
そもそも紫がいつもの調子に戻ったのなら、のらりくらりでまともに取り合ってくれることすら少ないのだ。人が珍しく真面目な話をしようとしているのに。
間をおいて、紫はまた穏やかな表情になった。
「そうねぇ…例えば、全てがすべて幻想郷のためにあれなんて狂信者は、何れ周囲を巻き込み破綻するわ。短くて三代。長く続いて十五代ね。何事も強弱適度に抜き、適度に守る、その偏らない指向性、交じり合った混沌がいつだって世界を形作るの。誰かが空けた穴をほかの誰かが埋めてくれる。意外と世の中って大雑把なものよ」
「……いきなり哲学?」
「道に迷った巫女を一人、導いて差し上げようと」
「じゃあお説教ね」
「博麗に生まれたからといって、自分にずっと重責を課して感情を殺すことないわ。楽園の巫女のはずが、辛気臭い顔をしてたらたまりませんもの」
虚を突かれたように霊夢はわずかに固まった。心の奥まで覗かれたようで、不思議な気がした。
紫の感情を見通す瞳にたまらなくなって、目を逸らす。
親友と、巫女としての役割、そのどちらを優先すればいいのか。少なからずある、ただ凡庸な少女としての自我が霊夢を惑わした。
霊夢は落ち着かずに自分の首筋をなぞって、小さく掻いた。
幼い頃からとりわけ生涯の意味は定まっていた自分だ。生まれたときから博麗の結界師で、死ぬまで博麗の結界師。
誰に対しても平等に接して、幻想郷を守る。自覚しろ、自分は管理する側の人間だ。嫌いとか好きとかじゃなくて、もう霊夢はそうなのだ。
でも、ほんの時々その少女の部分は囁くのだ。私は自由になりたい、って。
役目を忘れて同世代の子と町で遊び、好きな妖怪に肩入れし、神社のことも忘れたいし日もあるし。好きな人だって作ってみたい。もし自分の魔法に落ちてくバカで大切な友達がいたなら
「魔理沙だって助けたい…」
誰にも聞こえぬように俯いて、小さく呟く。
こんな風に思ってしまう自分を、霊夢は素直に受け入れた。今日のことでよく分かった。認めるしかない。
自分には葛藤があるんだ。
「博麗の巫女も人の子ということね」
そういって紫が頭に手を置いてくれた。ちっちゃな子供をあやす様に数回、左右にさすってくれる。
変な感覚が頭のてっぺんに集った。
「やめてよ紫…。気持ち悪いわ」
「ふふっ…それなら手をどけたらどうなの?」
なんだか自分を理解してくれるおっきな大人に甘えてるようで悪くないな、と霊夢はすこし思ったが、すぐ隣にそんな自分達を奇怪なものを見る目で戸惑っている魔理沙がいて、慌てて頭上の手を取っ払う。
なんでもない、そう、すこしきつめの目で告げた。
「いいの、やめてよっ。やっぱりいいわ。私がちゃんと結界を張らなきゃ誰がやるのよ」
「気まぐれなスキマ妖怪の従者がもしかしたら。それにそこで硬直している魔法使いだって、将来有望じゃない可能性もないことも無くないわね」
「紫じゃないんだ…」
「面倒ですもの」
ほほっ、といつになく上機嫌に扇子を口元で扇ぐ。
役目は果すべくして果すのは結構だけど、適度に肩の力を抜きなさい。紫が教えたいのはたぶんそんな事だった。
黙って二人を眺めている藍と、心底意味が分からない体の魔理沙は、静かに立ち尽くしていた。
────
夜の帳が降りきって、幻想郷の喧騒もとっく店じまい。代わりに出勤する夜雀の姿も今夜は見れない。
真夜中の境内には月明かりが差し込んで石畳を照らし出す。
その反射が障子を全開した縁側から入り込んだ。
火照った身体が夜風に冷えていく。汗が風に飛ばされてすこし寒いくらいだ。
霊夢は開け切った障子から手を離し、後ろを振り向く。
「はぁーあ。私疲れたわ藍。先に帰って寝てるわね」
「あ…はい。お疲れ様でした。どうぞごゆるりと」
藍が一礼する。紫が手を伸ばすと、そこに紫色にほの暗い隙間が現われた。
不気味に覗く目玉も、紫の腰を挟んでたと思うと、ちょっとばかり愛嬌があるように見えてくる。
「お酒とご飯忘れないでよね、紫」
「えぇ勿論。逆にアナタがお礼を言いたくなるほど送ってあげるわね。お腹いっぱい食べなさい」
「何よその目は…私はいやしくないわよ。じゃ期待しとくわ。もっとも、だとしてもこんな面倒二度とごめんだけど」
「ほんとつれないんだから…。安心なさいな、あと数百年はこんなことありませんわ」
「そ、なら私が生きてるうちは大丈夫ね。よかった…面倒じゃなくて」
なら今度は何十代もあとの博麗にこの厄介ごとを押し付けるとしましょ。
瞼の裏にいまと少し違う顔の巫女が、同じように笑う紫と一緒に浮かんで消えた。
「魔理沙」
「うん、なんだ?」
「………ううん、やっぱなんでもない。アンタももう帰るのよね」
「そうだけどな。どうした、妙に口ごもったりするなんて…まさか本当に人寂しいのか。言っとくが、私にアリスみたいな趣味はないからな」
「それこそまさか。どれだけ自分の顔に自信があるっての。馬鹿言わないでよ」
「だよな。だと思った」
自分の口は思ったより頑固みたい。いらない言葉だけはスラスラ出てくる。
こんなときくらい素直に言えないものだろうか。無事でよかった、くらい。なんでもないじゃないか。
きっと意外な顔をされるだろう。他人に関心なんかない、なんて自分は思われてるだろう。人心の機微に鈍感だと言われてる霊夢にもそれくらいは分かる。
実際はなんとなく人の心が分かっても、その期待に答える反応を霊夢はしないだけだ。
たぶんこの機会を逃したらもう一生言えない気がする。
そして霊夢は、それでも別に良いと思った。
庭先でホウキに跨ったスカートがはためく。
漆黒の衣装は夜闇に溶け込んで、飛び立てばすぐに見えなくなるだろう。
霊夢は月の出る彼方を仰ぎ見た。外の世界、特にこの近郊ではここで見る空いっぱいの星はもうないらしい。
なんでもない夜空の光景だが、それが存在するために自分が多少なりとも貢献してると思うと、霊夢は少し誇らしい気持ちになる。
幸いにして幻想郷はここしばらく平和みたいだし、友人のことも、自分のこともこれから時間はたっぷりある。
友達を心配していいか、なんてことで迷ってるの、自分だけだろう。
しばらくは些細な悩みに頭をすこしだけ抱えるのもいいかもしれない。すこしずつ、ゆっくり口にすればいい。
「それじゃ霊夢、さようなら。また会いましょう」
「ええ。もうしばらくはごめんだけ……ん、また今度ね」
手を振る紫に応える。
寂しいかも。なんてさすがに思わなかったけど、布団に潜り込むと、きっと静寂が耳に痛いのかもしれない。
素直に思える自分。霊夢に残った少女の部分がちゃんと表に出てきて、ちょっとだけ笑った気がした。
少しずつ、こうして自分は年相応の子供に戻ってしまうのか。
一時の気の迷いなのか分からないが、鬱陶しいと過去に消した感情が再び心に宿る。何かがうれしくあった。
一層穏やかな顔をして、紫はお別れを言い直してくれる。
仰ぎ見る夜空はやっぱりいつもどおりで、けれど霊夢にはすこし優しく見えたのだ。
「えぇ…またね、霊夢」
そう言って紫は空間の裂け目に消えていき、またスキマに詰まった。
「 待 て ぇ ! ! ! 」
────
え、なにこれ。なになに。なんなのこれ。
「ババァ!ババァ!クソババァ!!」
「このババァ!ババァ!悪いババァ!」
魔理沙が紫に向かって、ホウキを上から下へ大上段の構えで振り下ろしている。
「なんだよ、これ! おいてめえなんとか言え! ババァ!ババァ!」
「このうじゃりん、ゆあきん、靴下洗うこっちの気持ちも考えろ!」
「いッ…!やめ…やめてったら!」
『ババァ』の掛け声と一緒の一撃ごとにバシバシいい音がなっている。
藍はトイレのぎっぽんぎっぽんするヤツで紫を叩いていた。
なんでだ。
「はぁぁぁ…………」
頬を卓上にだらしなく貼り付けて、霊夢は炬燵に突っ伏した。
「いたっ!いたっ!いや…やめて!いたい!ババァって呼ばないで!」
「ババァ!でぶりん!この野朗ふざけんな!」
「やめてって言ってるでしょ!…私だっていい加減怒るわもがぁっ!」
あちゃー。タイミングよく開いた口に魔理沙のホウキが突っ込んだ。痛そう。
「えぇー紫様ー。紫様ー。振り下ろした拳の到着駅は紫様でございます。お足元にご注意してーご乗車くださいー」
藍の拳が紫の後頭部へと吸い込まれる。
いつの間にか拳骨に持ち替えていた。
「いづッ!? 藍やめて!素手は、ほんとに痛いのよ!」
「そうでしょうね、だからやってるんですよ」
ゴンッ。ゴンッ。きゃー。
バシ。バシ。バシ。ぎゃー。
気持ちは分からないでもない。というか、分かる。
なんだか霊夢にはさっぱり理解できない事態が起きていた。
あれだけやっといて、え、なに?みたいな。
またも腰が引っ掛って、紫は自分のスキマを見て、『?』マークを顔に浮かべながらこっちを見た。上半身だけで。
そして三人と目が合う。
見られたって困る。霊夢も魔理沙も藍も、当事者の紫でさえ事態の把握が追いつかなかった。
しばらく不思議そうな顔をする紫と見詰め合って、沈黙するしかなかった。
時間が止まるとはあの瞬間のことを言うんだろうか。瀟洒いらずね。
そして現在(いま)に繋がる。
あれだけいい話だったのに…。あそこで終わりだったらよかったのに…。
霊夢は何も見なければよかったのに。せめて紫が飛んで帰ってくれれば、問題がまた露見する翌朝辺りまでは、絶対に素敵な夢見心地だった。
卓上に頬を置いたまま、気だるげに霊夢は尋ねた。
「さっきの風邪が云々ってのは嘘だったの、紫?」
霊夢は小さな声で、あと少なからず私が感動した会話も、とつけたした。自然、声は突き放すようになった。
「う、嘘だなんて心外だわ…。霊夢…そんな冷めた目で見ないで、お願いだから」
「じゃあ何よ。なんでアンタはまたつまってるわけ」
「あれは……」
「あれは?」
「…い、一番可能性の高そうな事例を推測として提示しただけですわ。だって、そうでもしないと格好がつかないじゃ…ないの…。ゆかりんは…ほら、賢者だし……」
しどろもどろになり、最後は消えていくような声で紫は弁明する。
「つまり嘘なのね?」
「……」
ひたすら沈黙。霊夢と目を合わせぬように紫は下に俯いた。
叱られた子供のようにただただ肩を狭めて小さくなる。
耐え難いと思ったのか、畳に向かってさらに小さく言い訳を再開する。
「だから……それに一回、隙間を再起動したから…もう大丈夫かな…って……。ゆかりん思って…」
紫を叩く手を止めていた一人と一匹の眉間に亀裂が走った。それはもうビシィっと。
「もうダメだ。我慢できん。ひとっ走り、このスキマババァのケツにホウキの柄をねじ込んでくる!」
「ふむ…ならばこれは独り言だが、マヨイガは現在妖怪の山の真東に存在している。紫様の下半身を探したいならそこが最適だろう。寝室は二階だ」
白々しく顎をかいて藍は呟いた。
「よし!行ってくるぜ!」
ホウキに手をかけて魔理沙が神社を飛び立とうとしていた。
紫は目を見開いて止めにかかった。式の裏切りに先ほど取り戻した余裕と威厳は綺麗さっぱりもう消えている。ついでに皆の信頼も。
「なっ! ら、藍…あなた、主人のお尻がどうなっても良いっていうの!? 危険よ、ピンチよ、そこの馬鹿を早く止めたらどうなの!」
「申し訳ありませんが、私は尻に仕えた覚えはありませんので紫様」
「私のお尻よ!と、とにかく……早く助けなさい藍!」
「ところで紫様。さきほど自宅前の庭に投げ出された橙は……溶けた雪と土の混じった水溜りに落ちて、いまは泣きながらお気に入りの服を洗濯しています」
「ひぃぃ!」
恐怖の声をあげて身をよじるが、紫は腰が空中に固定されてその場を離れられない。
正面に座り込んで自分を間近で見つめてくる式に、両腕で壁をつくってじたばた弱弱しい抵抗をする。
紫の無駄な慧眼がかろうじて白黒を捕らえた。
夜空に溶け込もうと、まさに縁側から躍り出る魔理沙が見慣れたスキマに縫い付けられた。
急に速度をなくした慣性で前かがみに身体がしだれる。髪と腕がわっと前に出て、魔理沙は衝撃に咳き込んだ。
「げほっ…!な、なにすんだよ!」
「ぜはー…ぜっ…は…。行かせないわよ…」
振り向き際に宙で止まった魔理沙に下半身はない。腰の部分から消えてあたふたしている。魔理沙もスキマに詰まっていた。
これはひどいあてつけだ。
「ざけんなッ!とけよこれ!」
「ふ……フン、アナタも私と同じ悲しみを味わえばいいわ」
一連の光景に霊夢は本気で疲れを感じた。自分を気苦労が多い方だととは思わないが今日ばかりはため息で誰にも負けないんじゃないだろうか。
それも、さっき感じた心地よい疲労とは別の疲れ。肩を思いっきり落として一度目をつぶった。
開いたときになにもなくなっていることを願って。
開いた。当然何も変わらない風景があった。
開始されるホウキVS扇子。射程の差で殴りかかる魔理沙の攻撃を紫が捌いていった。
「なにがゆかりんだ、この野朗!率直に言ってキモイぜ!」
「役立たずの馬鹿魔法使い、やめなさいよ!助けなさい藍!」
呼ばれた藍は不良座りで紫に背中を向けていた。
いかにも、『聞いてませんよー』。どうやら大変遅めの反抗期に入ってしまったようで主人の声にまるで反応しない。
このままでは埒が明かないと代わりに霊夢はホウキを取り上げた。
嫌なものは嫌だが、これ以上事態がこんがらがるのも本意じゃない。
「返せよ霊夢!こいつが」
「喧嘩はやめなさいってさっき言ったはずよ」
「んだよ、この期に及んでこいつの擁護か…霊夢は」
「イラついたんならスペルカードで決着つければいいでしょ?」
「それができないからこうしてんだろ!こいつが先にやったんだぜ!」
魔理沙の怒りの矛先が多少霊夢に向かった。
すぐに紫と同じ状態になった彼女の、非難に満ちた瞳が容疑者を睨みつけた。
歩み寄った霊夢の後ろに紫が隠れる。
自分の安置を確保すると、紫は顔だけを出す。
不干渉を決め込むのもそろそろ限界かと霊夢は思った。子供かこいつら。
「…」
「紫だって大人げないのよ? スキマ使うのはやめてあげて」
「だって…藍も助けてくれないし」
「まあ、それは…普段の行いとかのせいじゃないの、きっと」
式としては反抗期って存在意義の自壊じゃないかと霊夢は思う。見るとその式神は無関心を決め込んでた。
ぼそっと紫が呟く。
「藍…。あとで、橙無視三日」
突如として藍が振り返った。目が大きく見開かれる。
急にガタガタと身体を震わせて、動揺を露わにした。今まで主人の言動などに毛ほども関心を見せていなかったというのに。
寒さに身を凍てつかせる人が、まさにこの肉声である。開ききらない唇から要領を得がたい言葉が空ろに、藍の唇より零れ落ちる。
「橙…無視……です…か?」
相変わらずスキマに四苦八苦している魔理沙。
そんなことお構いなしに霊夢は見入った。まるで阿呆になったかのごとく呆然と言葉を繰り返す藍。
この錯乱のわけを知るには、彼女の悲しみを知らなければなるまい。
────
橙無視。それは式神として与えられる厳罰の中で、もっとも厳しいものの一つである。
八雲 藍には溺愛する式があり、名を橙という。内容は字の如し、これを無視するのだ。
罰を受ける本人が無視されるのではない。無視する側、となる奇妙なものだ。
しかし藍に限ってはこれは心を痛める、これ以上ない罰則となる。
朝会えば、藍のかわいらしい式は普段通り、大きなおめめをぱっちりと開けて
「おはようございます、藍さまっ」
と、挨拶をしてくれる。
それを無視するのだ。
最初は聞こえなかったのかな?などと首をかしげ、わずかに不思議そうな顔をすると詰め寄ってくる。
そしてまるでなんでもない朝に、藍に会えたことがたまらなく嬉しいといった風に笑ってもう一度。
「おはようございます藍さま!」
再び応えない主。
あの、どうなされたんですか。などと言いながら、反応のないことをさすがに不審に思い始める橙。
目を合わせない。
「藍さま……その、なぜこたえてくれないのですか? あ…えと…もしかして、何か、怒ってらっしゃるんですか」
マヨヒガの我が家の廊下を、小さな式をいないものとして押し進む。通路の邪魔な荷物に嫌悪を示すように藍は通り過ぎた。
びっくりして藍にぶつからないように脇に避けた橙の顔に、不安の色が濃くなってきた。
「わたし、何か粗相をしてしまったのでしょうか。でしたら……あの、おっしゃってください」
目線をしたに向け、しおらしくしゅんとなる。
ああ違う。違うんだよ橙。頼むから悲しそうな顔をしないでおくれ。
すべてあの性悪なスキマ妖怪のせいなんだ。
その後も藍の機嫌を取ろうと、家の掃除を率先して行う橙。
無言で戸板に雑巾がけをしながら、ときどきこちらをチラと見ては再び掃除に戻る。
それを徹底首尾、無視するのだ。
午後にさしかかろうという頃、突然小さな影が藍の前に飛び出して、声をあげた。
悲痛な声色で、肩が小刻みに震えている。
「藍さま……橙は悪い式です…。知らない内に藍さまを怒らせることをしていたに違いありません…。
だからわたし…ごめんな…さい。いけないところはきっとなおして見せますから、だから」
見れば、瞳には薄く涙がにじんでいた。
「だから…何かおっしゃってください!お願いだから……無視…しないでください…藍さま!」
ギリと握り締めた己のこぶしから血が一筋流れる。何も、何も悪くないんだ橙。自分を責めないでくれ。
いますぐに駆け寄って抱きしめて、頭を撫でてやさしい言葉をかけて不安を取り去りたい。
おまえが心配することなど何もない。
こんなにも優しく可愛らしい子に何の非があろうか。
だがこの身は式。これこそが罰なのだ。橙無視なのだ。
主の命令は絶対だ。叫びだしたいほどの胸の痛みに耐え、一切の表情を変えず廊下を通り過ぎる。
八雲藍は自らの式を無視せねばならぬ。相手にしてはならぬ。
後ろからしゃくりあげる泣き声を背に受け、藍も心で泣いた。
この一日は忘れようがない。
「耐えろ、耐えるんだ。一日だけ。今日一日を耐え切ればまたいつもの日常が戻ってくる。
そうさなんでもない、これしきの試練乗り越えられぬわけない。私と橙の絆は揺らぎはしない」
ぶつぶつと俯きながら、つぶやく。
夕餉まであと一刻になった時分、少々薄汚れて橙は帰ってきた。
家を汚さぬように体を丹念に拭いてはいるが、まだしっとりと黒髪が濡れている。
その両手には見事な鯉があった。
「これはこの辺りの川で、一番に立派な川魚なんです」
はにかみながらお尻の尻尾を立てて上目遣いでこちらを見上げてくる。
「こ、これを…ぜひお夕食に使ってもらえれば……」
肉付きが良く形もツヤも文句なし、見るからに新鮮だとわかる。鯉のあらいにすればたいそう美味いだろう。
小さな腕には収まらぬ大きさだ。こいつを取ってきたのか。
この季節の水のなんと寒いことだろう。いかに妖怪とはいえ、猫の苦手な川の中を、紫様と私のために。
残酷な。なんと残酷な罰だろうか。肺から空気を搾り出すように満身の力をこめて、喉からどうにか言葉がもれる。
歯の根が噛み合わぬ。震えを押さえ、過去これほどつらい自制があったか。
「いらん」
ビクッと橙の体が震えた。
「こんなもの…! …こんなぁ…こんなもの!」
上等の鯉を、マヨヒガから飛び出した橙は両手を上から下に、地面へと投げ出した。
無残に土だらけになった魚の前でひざを折って、今度こそ悲しくなって大声で泣き出す。
「ふぇぇん……らんしゃまぁぁーー!」
藍はそれを草葉の影から見ていた。それこそ、血涙を流さんばかりの悔しさと自責の念に苛まれながら。
────
それを、三日、だと
「うぐおおぉぉあああぁぁぁぁぁあああああああああああああ!!」
意味不明の叫び声を発しながら狐の大妖は畳を転げまわった。
「な、なに…ちょっと、どうしたのよ!?」
「気にしないで頂戴。ちょっとフラッシュバックしてるだけみたいだから」
「…フラッシュバック?」
「要は私の与えた罰を思い出してもだえているだけですわ。ふ…フン、いい気味ね。この子は少し自分の式に入れ込みすぎなのよ」
「ああぁぁぁぐぉぉぉおおお!!」
目の前で九尾がゴロゴロと転げまわる怪異を引き起こすほどの罰とは一体。
畳の上をばったんばったん大の大人、それも美女がのたうつのは光景は笑えなくもないが、たいへん邪魔だ。
ほこり立つし。
霊夢は部屋の隅のほうへ藍を転がし、関わるのも面倒なので放置しておくことにする。
「うあああぁぁぢぇぇぇぇぇーーん!ごめんよぢぇぇーーん!」
すこし、うるさい。
隣では無駄と知りつつも魔理沙が腰に手をやり、スキマに攻撃を加えていた。
「くそ…おいこれとけよ!八つ当たりじゃないか、こんなの妖怪の賢者がやることかよ!助けてやった恩人に!」
じたばたじたばた。
必死になって自分で自分をすっぽ抜こうとしているが、それは釣り糸で自分を宙に吊り上げるような徒労ではないだろうか。
霊夢は、耳に入る藍の叫びを無視したまま、はて、と湧いた疑問を口にしてみる。
「あ、あれ…そういえば魔理沙の下はどうなってんの?」
「下?」
「下半身よ…紫がどっかにやったんでしょ。マヨイガにお揃いで並んでるの?」
「あぁ……それね、ふふ…」
不気味に紫が忍び笑い。取り出したるはいつものスキマ。
ただちょっと違うところは、それが扁平に広がって、中に霊夢も見覚えのある風景が広がっていたことです。
寂れちゃいないけど明らかに流行っていない店内。客の特殊な要望に応えすぎて一般客に敬遠されそうな数々の品物。
駄目な商店の典型のような………あらこれ香霖堂。ごめん霖之助さん。
「これを御覧なさいな霊夢」
「どれどれ」
「ひやぁ!」
スキマの映像に興味を寄せる二人の後ろから素っ頓狂な魔理沙の悲鳴があがった。
場面は二転三転するが、ところかわって香霖堂。
店主である霖之助は、来客の会計用からほぼ自分の読書用へと性質を変えた商売机に肘をつけ、雑多な外界の雑誌に目を通していた。
はて、その机の上に見慣れないものがある。
いや見慣れてるといえばそうなのだが、少なくともこんな場所でお目にかかったことはなかったはずだ。
二つに連なる黒い半球状の肉質から、白い二つの突起が下に伸びている。それは途中で一度折れて関節をなしていた。
生物に備わった本能のようなもので、これは折り曲がり、元に戻ることで移動を可能にするものだと直感した。
直感か、銘銘たる理論を重ねて結論を導く僕らしくもないな、と霖之助は自嘲した。
それくらい明らかだったのだ。
最初に記した黒い半球の横には赤いリボンの結びついた紫色の裂け目が横に広がっている。中からは目玉が無数に覗いていた。
なるほど怪異である。奇怪な物体だ。
これを見て正体を見極めようとしたら、早々に思考を投げ出して、諦め気味に宇宙人だなんだとのたまうのが関の山だろう。
だが生憎、これらのパーツを別々に見た場合、霖之助には検討がついた。
さて、ところで霖之助には一つ悪癖がある。
彼には手に取った物の名前と用途が分かるという、類まれなる能力がある。
そこせいか幼いころから、分からないものはなんでも手に取ってみたのだ。
興味津々の子供はその力を非常に親しみ、かくして独自の価値観と論理性を組み上げたいまの霖之助ができあがった。
それは現在でも変わっていない。彼は多大な興味心を子供の頃の癖として残したまま、大人になったのだ。
ふむ、僕が知るところでは、これはある魔法使いの少女の腰についていたはずなんだが。
顎を掻いて首をかしげる。確かめてみなければなるまい。
ゆっくりと手が伸びていく。黒い布に包まれたそれを霖之助はしかと掴んだ。
やわからくも弾力のある感触。
頭にいくつかの事柄が浮かんできた。
名称、霧雨魔理沙の尻。用途……
「お、おい…な、なんか…むず痒いんだが」
焦って問い詰める魔理沙に、紫は映し出されたのスキマ映像を見えるところまでもってきてくれた。
中を覗き込む。紫は最高の笑顔をしていた。
「きゃぁぁぁああああ!」
可愛らしい悲鳴が境内に響き渡った。
「わ…!やだ、やめろ!ちきしょう…くそっ!」
一層もがいて魔理沙は暴れる。
「やめて…やめてよ!離して、やめて香霖!」
顔を真っ赤だ。
手が何もないところで水泳開始。もうこれ以上ないってくらい慌てて焦った。
「やめてっ!助けて…ひぁっ!触らないで、助けて…やめてぇ…!」
浮かぶ涙。
大きなお目目からにじんだそれは抵抗と共にむなしく神社の空へ消えていく。
顔は羞恥と驚きでぐしゃぐしゃになっていた。
「……ほほほほ!いい気味ね!」
「やだよ。もうやめ…!」
年端の頃も相応な少女へと口調が変貌する。
異性を意識するだけで少々照れてしまう女の子がお尻を撫で回されるってどんな気分なんだろう。
きっと目の前にいる魔理沙が答え。
高笑いする紫。リアルタイム香霖堂中継の中では暴れた魔理沙のかかとが霖之助さんの顎にクリーンヒットしていた。
おほほほほ。
霖之助さん、あとでおぼえときなさい。
愉快な笑い声をあげて恨みを晴らす紫。霊夢に必死に助けを懇願する魔理沙。床を転げまわる藍。
夜中だってのにうるさいけど、誰も来ない神社だけあって近所迷惑の心配はないわね。よかった。
霊夢はのんきに発想を逸らす。博霊の巫女は、何物にも囚われないのだ。
ていうかそうしないと、頭痛がしてくる。マジで。
霊夢はつぶやいてみた。
「魔理沙だって、助けたい…」
その言葉が自身を奮い立たせることはなかった。
ごめん魔理沙。でも現実逃避させて。
しばし耳をふさいでいたい気分になったが、しばらく好きにわめいたあと、理性を取り戻してからの魔理沙と藍の行動は早かった。
当然のごとく、向ける敵意は同一の敵性を指している。
「ちきしょう…ちきしょう……殺してやる。ババァァ……てめぇぇッ……!」
「橙…泣くな…泣くんじゃない…。全てはこいつが…このスキマぁぁぁ!!」
うわぁ。人って本気で怒るとこんな顔になるんだ。
怖い、というより霊夢はちょっと引く。強すぎる激情に表情がついてけてない感じだ。
それはそうだろう。どんなときだってこれほど顔面の筋肉を強くは使わない。慣れがないのだ。
顔の色が変わり、髪の毛が血管の収縮で逆立ちをもって、すこし浮く。
口元のえくぼは大きく皺が入り、咆哮をあげる。女性としての体面なんてもう欠片も気にならない。
さて、キャットファイトで済むのかどうか。
いまの弱ってる紫がこの怒りを受け止めたらどうなるでしょう。
「死ねぇえええええ!!」
「っぐがぁぁぁッ!!」
霊夢は障子の外を見やる。雲ひとつない綺麗な冬の夜空だ。背後からは混雑な怒号が響き渡った。
「はぁ…平和ね」
ため息を一つつくと、白い煙となって消えていった。
「嘘だけど」
~少女+αブチ切れ中~
────
月影もない夜空は星と月の光を真っ向に地上へと打ち出す。草葉は白い光を湛えて風情ある情景を彫り出し、鳴る虫が一層日本の四季を味わい深くするのだ。
月よりの民すら住まう幻想郷の夜は深く静かだ。
長い時を外界と隔てたこの里に、祭り夜を除いてしまえば、人工の明かりが点り続けることはそうそうない。
深夜に誰もが家を出ないのは、星明りだけでは人間の目には少々心もとないからだ。
だが、しかしその実ここは多種多様な作為的、環境の調整により成り立っている。
草木も眠る丑三つ時。しかし幻想郷の管理者は、決して眠らない。
その中の賢者が一、八雲紫。
彼女はといえば百戦錬磨の古強者であり、人妖問わず、心身含め傷を負わせることはどんな手段を講じても困難だろう。
即ち、憤怒したとはいえたかが若輩の魔法使い、手の内知ったる己が式、最初から二人がどう頑張ろうと、紫には無意味なのだ。
さて結論。
紫が泣いちゃった。
「ふぇええぇんっ……」
顔を両手で覆って、ぽろぽろと紫は泣きつづける。
手の平なんかじゃとても足りなくて、涙がしたに落ちていった。
「うぇっ…うぇぇん…。ひぐっ……」
足があったなら泣き崩れて皆には背中を向けていただろう。
先ほどから紫の湿っぽい泣き声が、居間を占領していた。
「ひどい…ひどい…わよっ。うぇっ……ぐすっ…ふぇっ、えぇぇん…っ」
半時もであった。この世のありとあらゆる罵詈雑言を一緒くたにまとめてここぞとばかりに魔理沙と藍はぶちまけた。
動けない紫をいいことに、ここを攻め、あそこを攻め。
また攻めたところに穴が空いたらそこから広げてまた攻める。どんどん奥まで潜っていって、悪口はつもりつもって心を深く抉る。
体を固定されていては泣き顔なんか見られたくないと思っても、後ろを向けない。手では完全に隠しきれないのだ。
形のいい顔が歪んで、指の隙間から時折覗くさまをみると、自業自得とはいえ、なんだか霊夢はいたたまれなくなってきた。
畳が涙滴に濡れていく。
「紫…」
さすがに霊夢も可哀想になってきた。髪の毛に刺さっているホウキの枝が一層哀れを誘う。
声をかけてみるが、近づけた手が振り払われた。
「バカぁ、もう知らないわよっ。みんないなくなっちゃえばいいのよ…!」
やった側の二人もすこし居心地悪そうに頬がふくれていた。
魔理沙も藍も目が語っていた。ちょっとは悪いと思う……けど、と。
「言っておくが、わたしは謝らないからな」
「……紫様」
怠惰に見えるその性格。彼女の少女趣味。服装。好み。果ては普段の些細な立ち居振る舞いまで。
意地悪い姑のごとくネチネチ、欠点どころか彼女の長点だって悪く言って見せた。
魔理沙はストレートにけなし。藍は式という立場で、紫様はここをこうすればもっと素晴らしくなりますよ等、延々と苦言を呈す。
紫にも非があることを知らない人間が聞いたら、責める二人の人格を疑うことも全く不思議じゃない。
それほど苛烈な責め苦だった。
最初の内は紫も嫌味を返したり反撃の意を示していた。
だが辛酸を舐めた乙女たちの強いこと強いこと。次第に青くなっていく紫の顔。
黙って俯くようになるまで時間は掛からなかった。
女って怖い。
霊夢は思った。
「なによ!なによなによ!なによ……。私がなにしたっていうのよ…。そこまで言うことないじゃないのよぉ…」
色々しただろう。紫は泣きじゃくる。
「私だっ……私だって、一応女なんですからね……ひぐっ」
「…そんなに泣かないの、紫」
「……っ」
「二人だって感情的になりすぎただけなんだから、ほんとはそんなこと思ってないわよ
……たぶんね」
紫はひっく、ひっく、言いながら、顔を覆った手をどけてくれて、なんとかこちらを見上げてくる。
「だっ、だってみんなして私のこと…」
「アンタのこと嫌いならこうして皆、かまってあげてないわよ…ほら」
意識のやり場に困って、気まずそうに霊夢は頬を掻く。
「れいむ……ほんと?」
「はいはい。きっと思ってないわよ」
「思ってるぜ、グズりん」
また紫の顔がくしゃっとなった。グズって、鼻水がちょっと出ている。
服の裾をを握ぎりしめて、魔理沙もいまだ薄っすら滲む目元で睨みつけてきた。
「ふざけんな、泣いたらいいと思ってるのかよ。わたしなんてなぁ…香霖になぁ…!」
「そこは紫が一方的に悪かったわね…というか、まぁ、霖之助さんが」
なぜ揉んだし。
魔理沙の顔がもうよくわかんない風に赤くなったり湿ったりしていた。
「霖之助さんが、その手のことを積極的にするほど興味をもってた記憶はないけどね…。ただ少し抜けたところのある人だからかしら」
「ぐっ…うぇ…ふぇぇん……」
「死ね…クソババァ…最低最悪だ」
気が付くと藍が畳の上で手紙をしたためていた。
やたらと達筆で離縁状と書き出された隣には住民登録票があった。大きく紫にバッテンがしてあって、藍と橙の名前が燦々と輝いている。あるんだ登録票、幻想郷に。
さすが世情に聡い九尾の狐。主人との絶縁の数センチ隣で、自分の幸せな人生設計を同時に推し進めている。
しゃくりを上げる紫がその光景に気が付くと、一層悲しみを深くした。
え、いや、ていうか泣いちゃうの?
紫が? おかしいでしょ、冷静に考えてみると。あの大妖怪がよ。待って、おかしくない?
場の空気に流されそうだったけどさ。
今の光景なんて、きっと冗談ですわって言って、さっぱり泣き真似もやめちゃうって簡単に吹き飛んじゃうような。
それが紫でしょ。それが紫……だよね?
霊夢は泣きはらしたスキマ少女に目を向ける。
ほとんど困惑気味の紫は口を開いた。
「バカぁ…」
しばらく湿っぽい空気が続いた。
しかし人間、時間が経つと冷静になって物事が見れる。
感情にまかせてわめいていた面々も、くだらない喧嘩に身を任せてはしょうがないと問題を見つめ直す。
それでも魔理沙は相変わらずふてくされてはいた。
藍は自分の尻尾をつまんで、主人と目を合わせまいとしていたが、とりあえず三人とも、話を進める気にはなったようだ。
「えーっと……面倒くさいのよね、そんなに泣かれると。はぁ…じゃあさっきのアレ、もう一回やってみる?」
「アレ、隙間の再起動。無理よ。それでどうするっていうの。どうせまた現状に戻るに決まってるわ」
「だって寝てないでしょ、紫。お風呂とかだって。空を飛んで帰ればいいわけだし」
「嫌よ」
提案を不機嫌に跳ね除ければ、鬱陶しそうに空返事。
「少なくとも、今よりマシな状態になるじゃない」
「飛び方なんて忘れましたわ」
「馬鹿言わないでってば。大元の解決にはなんないけどさ…」
「だから無理なの!それにねぇ、他の賢者になんて言えばいいのよ。全く同じ失敗をしたから、またチャンスをくれって言えばいいの!? 学習もしないで、原因も分からないで、馬鹿な犬みたいに同じところをグルグル回ってますわって、そう伝えればよろしいのかしら!」
紫は髪を振り乱す。
「それこそ、あの連中になんて言われるか分かったもんじゃないわよ…」
苦い顔をして、頭を下に向け何かを想起している。
己の手に爪をたてた後になって紫はハッとした。
「あ…ご、ごめんなさい。アナタ達には関係のない話だったわね」
眉尻をさげて霊夢から視線を逸れた。
不意打ちみたいに真面目な話を出すものだから、霊夢は少し気圧されてしまった。
紫は他人に情けなく泣き喚いた姿を見せた自分にイラついているようだった。歳を取るほど、そういうプライドは大きくなるものだし。
そしてまた、その些細な体面を気にして苛立っている自分にも腹が立つ。悪い循環だ。
どうやら彼女には、この里で気ままに暮らす愉快な住民達とは違うしがらみがあるらしい。
この狭い幻想郷での力関係を維持しようと気を回せば、それこそ切が無いだろう。楽園の裏方だ。
紫が詰まった。馬鹿らしくすら聞こえる状況だが霊夢には笑えない。
実際、一度も笑っていない。
どことなく険悪な空気が漂う。
もし例えば誰かが気まぐれに今神社を訪れて、紫の姿を笑ったなら、今度は冗談では済まないのではないだろうか。
「どうしたもんかしらね」
「手詰まりだな。振り出しに戻ったとも言う」
藍が肩を落とした。さすがに紫にすこし絞られた様子。
さっきからふざけているようで、状況をわきまえていて、切り替えの要領が良い性格だなと霊夢は思った。
その後はもう言うことがないといった風に、誰も口を開かなかった。
机上の論理は霊夢の得意とするところではない。それも煎餅が乗っている机上では大した結論なんて出ようはずがない。
珍しく口数少ない魔理沙と二言三言、慣れない相談を重ねていると見慣れないことが起こった。
少々時間をくれと言って以降、本腰を入れて自己解析にあたっていた紫が脱力する。
「どうだったの紫?」
「駄目、だったわ」
微動だにせず、恐ろしい量の情報を頭の内に錯綜させていた彼女が瞼を開いた。
一度霊夢を見やる。そして顔に手をあてて、喉から乾いた風を吐き出す。味のない声だ。
「駄目だった…結局、何も分からず終いよ」
彼女が笑うところも、怒るところも、泣くところも見たことがあったが、失意に沈むのはついぞ見たことがなかった気がした。
肌寒さがいよいよ増してきたので、霊夢はすべきこともなくなって仕方なく障子を閉め直した。
魔理沙がだるそうに首をもたれていた姿勢を正すと、魔理沙が落ち着いた声で語りかける。
「なぁ、わたしと霊夢をさ、からかうとかじゃなくて、ほんとに分からないのか」
「えぇ」
「いつもの悪ふざけじゃないんだよな。本気で原因を探してみて、それでも心当たりがないんだよな」
「しつこいわね。その通りよ」
「おい、これ解け」
「え……あぁ、ほら…いいでしょ」
忘れていた、なんて具合に実になんでもなく魔理沙の腰のスキマは消え去った。
スキマを抜け出して、魔理沙はいきなり出現した足を何度か振って調子を確かめると、どっかと座り込み、大きく首をかしげた。
「こうなると、もう病気の類なんじゃないか。永遠亭に頼るとか、どうだ?」
紫は憂鬱そうに髪のリボンを指でいじくりまわす。
「無理」
「あのなぁ……」
「嫌よ。問題外」
「おい紫。強情なのは確かにお前の勝手だけどな、状況を考えろよ」
「あんな辺鄙な場所で、天才を名乗った変人に体を好き勝手弄られるなんてゾッとしないわね」
せめてもと、眉をひそめて言い返す。
「スキマを調査させてくれんなら、わたしが魔法使い連中集めてだな…」
「それも嫌」
「けど紅魔館ってとこにでかい図書館があって、そこはな…」
「い、や」
「なんで、やなんだよ」
「嫌だから、嫌」
カァーと魔理沙の顔があつくなった。
「じゃあどうしろって言うんだよ!」
「そんなの、私にも分からないわよ!」
折角話し合いの場となったのに、これでは元の木阿弥だ。
あまりいい空気ではない。
よく考えれば、冗談のような雰囲気の内に問題を解決しようとする紫の姿勢あってこその団欒だったのではないだろうか。
再び喧嘩が始まろうというところで、霊夢だってうんざりし始める。
不眠気味だ。そんな些細な不満も神経に障りだした。
「ああもういい加減やめなさいって、紫も魔理沙もさぁ。怒るから…」
駆け寄る寸前で、藍が霊夢の耳元に手を添えて囁いてくれた。
「待ってくれ。あぁ仰られてはいるが、紫様には妖怪の賢者としての立場というものがある」
「……うん」
「だからおいそれと、幻想郷の一勢力に頼るという訳にはいかん。紫様が誰かに借りを作るということは、想像以上に厄介なんだ。あまり事を大きくするわけにもいかん。単に不機嫌なだけや嫌悪感がある、だからではないんだ」
ちょっと困ったように藍は笑う。
「すまんな霊夢。いや、お前達には分からないことかもしれない。紫様はそういうことを子供達に覚られるのを、非常に嫌うお方なんだ」
「子供でもないけどね…。そっか」
「ああ、だから、できれば紫様を叱らないでやってほしい」
「そうでもないわよ。分からないわけじゃ、ま…いいけどね」
「そうか、有難い。だが、困ったものだな」
紫が本気で取り掛かっても理解できない異変。
霊夢にふと一つの考えがよぎった。たった一つだけ、妖怪が自覚症状を感じずに身を患うことがある。
それが頭に浮かんだとき、霊夢は寒気を感じた。
多少声がうわずりながらも、腕組みをして様相を見守る藍に尋ねる。
「これって…もしかして、寿命…とかってこと、ないわよね……?」
「…ああ。なんだ、そんなことはありえない。紫様が衰えれば、たとえ隠そうとも、自然と式である私にも分かるものだ。往生には遠いさ。まだまだこれからもご健在でいらっしゃるだろうよ」
「そう」
「珍しいな。我が主人への配慮は有難いが、巫女に心配されるほど紫様はやわではないよ。安心してくれ」
「別に心配ってわけじゃない。ただ面倒なのが嫌なだけ……そんだけ」
それはもう殆ど言い訳になっていたかもしれない。
もし誰かが死んでしまったら、悲しいから、面倒で嫌なだけだ。
妖怪としての寿命は、外見も永らくそのまんま、老衰が起こると次の日にはなんでもなく治っているか、もしくは二度と誰も姿を見ることが叶わなくなるか。
それは誰にも分からない。たぶん本人にさえ。そんなものらしい。
霊夢はほっと一息ついた。
言い争っていた二人から一際大きな叫びが上がった。
「…くだらない!なんなのよ!何が協力よ、ふざけないでッ!」
意外にも、先に取り乱したのは紫の方だった。
両の拳を握って、甲高い声が居間に響く。金切り声とはいかないまでもとても聞き良くは無い。
耳に不快な怒声が紫が叫んでいると思うと、霊夢は何故かすこし嫌な気分になった。
「役立たず!」
「なんだとババァ…黙って聞いてりゃ」
「ババァババァってねぇ!それよさっきから、アナタはなんでもなしに言ってるけど一々耳障りなのよ!」
「な、なんだよ、本当のことで言っただけで」
「私はね!」
紫が肩をいからせて震えていた。
「私は…八雲紫なのよ!それをこんな、わけの分からない!こんな、こんな!馬鹿にして!」
血が沸騰するように踊り、紫の細い二の腕に血管が太く血走った。一気に膂力を有した腕を自分の身体に叩きつける。
腰の部分に拳を打ち付けられて、鈍い音が響いた。妖怪の力にあてられた洋服が、打撃を受け止めた部位から消失していく。
摩擦で黒く焦げ付いていた。
「この私をわずらわせるものなんて、なんだって潰して、私は…!」
紫の腕はスキマには決して届くことはなく素通りして、彼女の身体にぶつかる。
叫び声と共に何度も何度も、打たれたところが水ぶくれで青黒く変色していく。
そんなことは無駄だと分かっていても、紫はやめなかった。
見ていた魔理沙も顔を青ざめる。
「や、やめろって!わたしも言い過ぎたからさ!」
「邪魔!」
振り上げた腕の速度には霊夢も対応できなかった。しなった腕が一閃ともいうべき高速の鉈と化す。技術でも反復による修練の結果でもない。ただ凄まじい筋力の賜物だった。
霊夢の隣で控えていた藍が床を蹴った。禿げ上がる畳の欠片が舞うと、いまにもぶつかろうとしていた拳の裏側をかろうじて受けとめる。
魔理沙の顔面の前で拳が止まった。
「お…おわっ…」
数瞬を経て、ようやく魔理沙がへたりこむ。腕を振り回して紫は自失した。
踏ん張りが利かないはずの上半身でいかほどの力か、かするだけで、家具の一部が抉れて、吹き飛んでいく。
致命傷をもたらす弾丸を藍が手刀で叩き落していった。
「私だって…やったのよ」
「紫様、ご自重ください!」
「えぇそうよ…大妖怪で、なんでもできて…八雲紫様よ!」
紫が、自分の腰の肉を思い切り掴む。
血走りが指先にまで広がった。あれは駄目だ。
「御覧なさい、この様を…」
「おやめください!」
「邪魔だって言ってるでしょ!」
肩を押さえ込んだ藍がなぎ払われ、地面に転がった。
万力のように腹の肉を締め付ける両の手。紫は、身体を引き千切る気だ。
霊夢は袖から瞬時に針を引き抜くと、肘と手首の回転に霊力を乗せて撃ち出した。
紫の手首がはじかれる。
「やめなさい紫!」
「…痛い、じゃない……」
「落ち着きなさいよ、話を聞いて」
「私だから…できる、私だからって私だからって、さっきから、誰も真面目に取り合ってくれないじゃないのよぉ……。なによぉ…」
怒りに震えた言葉が、ただ悲しい声色に変化していった。
「なんで抜けてくれないの、よ…。こんなこと一度だってなかったじゃない…」
ゆっくりと手が降ろされた。
意気消沈する紫を目の当たりにして、霊夢は困惑する。
逆ではなかったか。
万事にことごとく作為と計算で取り組む彼女はその実、誰よりも不意に弱く、未知に臆病ではなかったのか。
なまじ頭が良いだけに、誰より自身の身の内に起こる不明が、怖くてたまらなかったんじゃないのか。
紫は乱れた息を落ち着かせて、周囲を見回した。
畳に尻をつけて、呆然と見つめる魔理沙と目が合う。魔理沙は視線に怯えた。
「あ…うぁ…」
「何も、しないわよ」
座敷は木クズが散乱し、荒れ果てていた。
霊夢はすでに二本目の針をかまえている。妖怪の力では意図していなくとも、わずかな余波でも、人間には致命傷となり得る。
すぐ紫の隣でへたり込む魔理沙の安全を確保する。打ち出す右手の緊張をほどき、構えを解こうとしたところで身体が固まった。
癇癪を起こしていたはずの彼女に、一通り暴れたせいか、すでに冷静さが宿っている。
紫が、霊夢をすっと見つめている。
うめきながら藍がよろよろと立ち上がると、やっと紫は数秒前に自分がしたことを完全に理解する。
目の前で狂態をみせたはずの紫の顔が、ひどく悲しそうになった。
涙が一筋、頬を伝った。
「は……ふふ」
スペルカードルールが制定されてより、暗黙に禁止されている直接の暴力。妖怪を統制する立場、最も規制を遵守すべき人物による違反。
そんな事柄が紫の頭を巡ったが、一番は。
大妖怪におびえて、腰を抜かしている魔理沙が如実に現状を示していた。
微妙なバランスで保っていた、人間との交友関係。
もし、あの拳が止められなかったらと思うと、数多の経験により、驚くほどリアルに潰れた人間の頭部が想像できた。
遊び目的ではない。頭に血が昇り、本気で殴って殺そうとしていた。
「無様」
希薄に笑う。紫は自嘲した。
「もう、終わりね…」
何故だかは分からない。霊夢は針を投げ捨てて、駆けた。ささくれ立った床に転がる、ぼさついた金属音。
心底悲哀と、すこしの後悔が混ざったそれが、霊夢にはお別れの言葉に聞こえてしまった。
勘だった。だが、紛れも無い確信だった。諦めを含んだ寂しそうな表情で、最期に、もう一度霊夢を見つめてくる。
紫は指を構えた。親指と中指をかみ合わせ、弾けば音が鳴る、簡単な指打ちの動作。
それを鳴らせてはいけない気がした。
数間の間もないのに全力で走り、霊夢は一瞬で紫の手を取った。
「…なに!?れい…!」
「黙って」
耳元で告げると、霊夢は思い切り紫の顔を、自分の胸元に押し付けた。
「逃げようたって、そうはいかないわよ」
ふわふわした紫の帽子を掴んで、巫女服にこすりつける。
金の髪に指をからみつけて、両手でギュウっと紫の頭をきつく抱え込んだ。
「アンタ、また勝手に何かしようとしてたでしょ」
「あ…!ひッ……は、放しなさい!」
「私たちの記憶でも消すつもりだったのかしら」
霊夢は暴れる紫を抑えつける。
「それとも本当に胴体でも削り取るとか? はぁ、もうなんだって…意外とアンタ無茶する方なのよね。まあいいわ、そんなに興味ないし」
「んんぅー!」
「私が気に食わないのはね、紫」
喋れないように、胸に密着させる。霊夢の中で紫を溺れさせてやった。
「私が気に食わないのは…えー、あ…っと、うーん……なんなのかしら」
「んんーーー!」
納得がいかない抗議なのか、もがく力が強くなった。
霊夢は、ええい、とまたそれをきつく抱きなおす。
「……うまく言えないし、なんだか分かんないけど。一人で納得して、全部自分でやろうとするのはやめなさいよ。大げさなのよ。神社で暴れるくらい、妖怪なら誰だって一度はやってるわ…悲しいけど」
壊れた家具を尻目に格好だけ落胆してみせてから、霊夢は考えてみた。
人間が眉を吊り上げるのは、とても怒ったとき。笑うのは、やっぱり嬉しいとき。悲しい表情は、嫌なことがあったら。
じゃあ寂しそうな顔をするのは。
…何かにお別れをするときだ。
ああ、そういうことね。
霊夢は一人、深く頷く。
私が気に食わないのは、このまま紫がいなくなっちゃうんじゃないかってことで、要は紫が、勝手に私たちにお別れしやがったってことだ。
魔理沙の気質は分かってる。そんなの彼女だって許しっこない。
納得いくと、二言三言、言葉を纏めてから霊夢は舌の根を湿らせた。
「魔理沙は確かに危なかったけど…。そしたら本人と喧嘩すればいいじゃない」
「ん…ぅ……!」
「冷静じゃなくなっちゃうくらい、それくらい不安だったんでしょ? 生まれたときからある自分の力がさ、訳わかんなくなっちゃったら…そりゃね。私だって、急に空を飛べなくなったらきっと同じよ。でも……だからっていきなり泣いて逃げ出すことないじゃない。アンタ年頃の小娘かっての」
紫が身体をもがく振動が、最後のセリフで一度大きくなり、それが霊夢の身体に伝わってきた。
「怖かったのよね。今まで当然あったことが急に消えて、どうしても取り戻せなくて、終いには……もう自分がどうやってたのかも分かんなくなって」
「ん…!」
霊夢は苦しいかな、と腕の力を少し緩めてやる。
「だからすぐ解決しようと…普段通りに振舞って、強引にでもスキマを消してみたりしてさ」
なにより霊夢は知っている。妖怪の力を封じるという巫女の仕事の一部分。彼ら彼女らのうろたえが、今の紫と重なった。
なんだ、賢者だなんだと呼ばれても、案外紫も普通の妖怪じゃないか。
胸に、自分の何十倍も長生きの少女を抱えながら、霊夢に妙な感覚が芽生えつつあった。胡散臭いはずの大妖怪がこんなにも近くにいて、今までだったら絶対に言えないような言葉の数々。
自己を見失う不安に年齢なんて関係ない。むしろ、頼って来た年数の分だけ、失った能力の動揺は大きいかもしれない。この世にたった一種のスキマ妖怪。故に前例を聞き及べない異常が襲ってきたときの恐怖は、のだ。
「魔理沙、藍…大丈夫?」
荒んだ座敷は、埃が上がって、視界が悪くなっていた。
軽く咳き込むと、腹に手をあてて、藍は立ち上がっている。
「私なら仔細ない。それより…」
じつに簡単に言ってくれるが、藍だって紫の膂力で殴りつけられたのだ。
表情を隠すのが得意というか、無愛想さなら、私にも勝るんじゃないか。
「い…いっとくけどな。わたしの魔法実験なんて、いつもこんなのよりずっと危険なんだからな!」
一気に身体を起こすと、魔理沙はスカートについた埃を大げさにバサバサ打ち落とした。
「なんでもないぜ、こんなの!」
ゴミを払い終え、魔理沙は息を整える。続けざまに焦って口を開いた。
「大体……おまえの式が、わたし守ってくれたんだろ。そのためにいる、万全のための式、だろ」
「ほんとに大丈夫、魔理沙? …これ聞くの今日で二度目だけど」
「ああ。だから霊夢、そいつどこにも行かすなよ」
危険だと言い張っているが、魔理沙の実験だって安全策に策を重ねた上での実践だ。
幻想郷じゃ、自分の命は自分の責任。自分の不始末も自分の責任。死と生は中々近しいお隣さんだ。
その点で事前に用意して、自らの式で失態に備えてる紫はなんでもないと、霊夢は思った。
都合のいい解釈かもしれない。
強がってるな、魔理沙。霊夢は彼女のそんなところに、苦笑した。
でも、紫はそういうことができるタイプの妖怪だから。
霊夢は胸元に湿ったさを感じる。紫の涙で、そこはすこし濡れていた。
「紫、アンタの事情は私全然分かんないわ。アンタの気持ちだって。だから私の考えてること正直に言ってみる。一度しか言わない。聞かせるから、聞いてなさい」
「離し……んんっ!」
自分の気持ちに正直になる。いまがそのときだ。
絶対私は、恥ずかしいことを言う。たぶん空気をはずしてるし、恥ずかしいし、嫌だ。
でもこのスキマ妖怪は人の心なんていくらでも察せるくせに、本人が言ってくれないときっと駄目なんだ。
だから選択の余地はない。
ないったら、ない。
そう思い込んで霊夢は冒険することにした。
暴れるからじゃなくて、これから言うことのために霊夢は、もう一度胸の奥に紫をうずめた。両手でぎゅっと縛る。
顔は見られたくなった。
「こういうこと言うのは面倒臭いし、嫌いだし、苦手なんだけどさ」
目をつむって、ひとつ霊夢は深く深呼吸。
「困ってるときこそ助けるのが……だから、友達ってもんでしょ」
案の定、気恥ずかしくなって、霊夢は前置きをおいた。
ああ、鏡を見たら顔が赤くなってるのが分かるかもしれない、なんて思った。
ゆっくり息を吐き出して、なるたけ緊張しないように、ってもそんなもの無理。
落ち着かない気持ちのまま、とにかく霊夢は一言目を出す。
「私はまあアンタ妖怪だけど、友達だと思って……るわ。一応ね、一応」
噛み締めて、間違いなく一つ一つ吐き出していく。
「これまでだって迷惑かけられてきたけど、きっとこれからもそうだろうし…少しならかけられ続けてもいいかな、なんて思っちゃってるのよ…私は。気に食わないけど……悪くないって思ってるのよ、こんな生活も」
本人に言ったら悔しくなると思っていたけど、浮かんできたのは羞恥だけだった。
「逆に私だってアンタに手間取らせる事があるかもしんないわ」
上ずりそうになる声を、霊夢は抑える。
どうにもやっぱり平常心は無理そう。
「……それでたとえばアンタが、こんがらがっちゃって、訳分かんなくなちゃって、もし友達に手をあげちゃってよ? 困ってても、紫は私に仲直りの機会をくれないの? 一回癇癪起こして喧嘩したら、そのままお別れなの?」
暴れる力がなくなってきた。
霊夢は紫の肩をもって自分の正面に置き、顔を合わせる。
「ね…紫はそれでもいいの?」
涙を振り払ういきおいで、紫はブンブンと首を横に振った。
何時の間にやら、紫の顔も、悲しみの涙と別に理由で赤くなっていた。胸に抱いていた、というのが相当効いたらしい。
目を霊夢と合わせないために俯いて、消え入りそうな声で紫は呟く。
「霊夢…そういうふうに思っててくれたのね……」
「まあ、多少大げさだったかもしれないけどね…。…ちょっとは」
「そ、そう…。そうなの…」
「えぇ…うん」
相当驚いたみたいだ。
なんだか霊夢は、最高にやりづらくなった。
二人してこんなに密着しているのに、顔すら合わせられない。
言い訳気味に霊夢は愚痴を吐く。
「だからこういうこと言うの嫌いなのよ…」
変だ。とても変な気分だ。やっぱり言わなきゃよかったかもしれない。
でもここまで来ちゃったし、最後まで霊夢は行ってみる。
「…みんな怒るときは、そりゃ本気で怒っているわ。さっきの魔理沙だってそう、死ぬとこだった。でも、頭に血が昇っても大丈夫なように紫は備えてたんでしょ」
「だ、だけど私は」
「怒ってるのは嫌いだから、じゃないのよ。そもそもアンタのこと嫌いだったら…こうして私たちも協力してないわよ。なに勝手に一人で、嫌われちゃったって思い込んでるのよ。さっきも言ったけど…どんな乙女よ」
紫がすこしむくれた。
「なによ、霊夢。その言い方…まるで私が年寄りみたいに」
「だってそうでしょ。こんなんじゃ」
ちょっとだけ上体を反らして、紫から離れるようにする。
どっちかっていうと友情ってより、母性本能なのかしら。大きな子供をあやしているみたい。
「ほらもう泣かない? 逃げないんなら離してあげるわよ」
「…いい」
「…なに、どうしたの?」
「もう少しこのままで、いい」
なんでもなく抱いて抑えつけたというのに、その一言で紫が胸の中にいるのが、もっと照れくさくてたまらなくなる。
逃がしてやるとはいったが、実際逃げ出したいのは霊夢のほうでもあった。
それでもここでこの妖怪を放り出せば、もっと面倒なことになる。
仕方無いと、今日ばかりはと霊夢は紫を胸に留まらせてやった。
珍しく、本当に珍しく彼女が弱ってるんだ。胸くらい貸してあげてもいっか、なんて思ってしまった。
すがり付く紫の頭をなでながら、しばらく霊夢は、何をするでもなく呆けていた。
まるで子供、じゃなくて、まるっきり子供みたい。静かに過ぎていく夜の帳を紫と一緒に感じている。
甘えるなんていっても、別に胸元で大泣きするわけじゃない。
ただそっと寄りそって動かないだけだ。
最初の内は他人に触られている不快感があるんだけど、しばらくする次第に緊張は薄れていく。
この生き物とずっと触れ合っていても、悪いことなんてないですよ、って体が分かってくれるのだ。
そうして強張りがなくなると、布越しに体温がじんわり染み出してくる。
温めあって、感触を確かめ合って、ぬくい匂いに安心する。
布団を耳まで被ったりとか、もぐりこんだ炬燵とか、そんな感じだ。不思議な浮遊感があって、すこし眠気がする。
自分たちが何か大きな一つの生き物になった気がして、心が安らいだ。
あせっていた魔理沙はまたも床にへたりこんで、息をついていた。
ときどき頭を掻いたり、自分の指をいじったり、落ち着きがない。
隣に突っ立つ藍と見上げるように目が合うと、所作のやりどころなく魔理沙は微動する。
「れ…霊夢が? あー……うん…そうだな。わたしはこの状況に一体なにを言えばいいんだ」
「私とて今日ほど驚きの多い日はそうはないさ」
「どうなってんだ……。お前んちの妖怪って、こんなキャラだったか?」
「紫様はとても落ち着きのない方だな。とても良いことさ」
すこし満足そうに片眉をあげて、口元に笑みのえくぼを作る藍に、魔理沙はますます分からなくなった。
藍が起立しながら、お返しの疑問を呈する。
「博麗の巫女こそいかがなものか。私の記憶にこの姿はない」
「さあな」
隣で自分たちの批評なんだか、なんなんだかをされて、さすがの霊夢も魔理沙たちを軽くにらむ。
だから、私がこんなんだとそんなにおかしいか。特に優しいと。そんなの知ってる。変だって自分でも分かってる。
だが魔理沙は未だに気の抜けた姿だった。
「分からん。ほんとお前だけは昔っからさっぱり分からん。特に今日の霊夢はまるっきり分からん」
「失礼ね」
「なあ霊夢…いまさっきお前が言ってた、その、友達がどうの…って、わたしも入ってるのか」
「……知らないわよ」
袖が引っ張られて、霊夢は俯いた。
霊夢の襟を、未だ涙に瞳が濡れた紫がクイクイと引いている。
見上げてくる視線を霊夢は再び胸元にうずめさせる。背中に手をやり、調子をとってさすってやった。
さしずめ、そっちにはかまわないで、といったところだろうか。
「いい加減…子供扱いなんてして…この私を」
子供どころか。もう赤ん坊並だ。
人里を離れた霊夢には、どちらも抱いた経験はないが。
「そう思うんなら離してくれると助かるんだけど」
「霊夢、アナタなんて小娘より私はどれほど生きてると思ってるのよ」
「話を聞きなさいって」
「私をよ。八雲紫を…なっ、慰めるだ、とか…どれほどのことか分かっているのかしら…。八雲紫、よ?」
「知ってるわよ。それともアンタ改名でもしたの?」
紫の言わんとすることは分かるが、自分の胸の中で、それも発音をつまずきながら聞かされたのでは迫力もなにもない。
頬の上気が冷めやらぬ紫を見ながら、霊夢は案外言葉が自然と出てくる自分に少しだけ驚いた。
「大体こんなことして…妖怪と、むっ…結びつくなんて、巫女として失格なんじゃなくて?」
「アンタどっちがいいのよ。さっきは自分勝手にしなさいって言っといて」
「だってこんな情けない姿を見られたら…」
「知らないわ。そっちはアンタで解決しなさいよ…私は私でどうにかするから。だからそんで解決したらまたお茶、飲みに来なさいよ。私はずっと縁側にいるわ。それでいいでしょ…煩わしいことなんか全部さ」
霊夢は気楽な態度でもって紫に語りかける。
巫女と妖怪の賢者が仲良くするのがいけないってのなら、そんなものなんだろう。
だが、知ったことか。すこしならよかろう。少々変な強気が霊夢にこびり付いていた。
紫がまた霊夢の体にそっと寄り添ってくる。
言いたいことは全部言い終えてしまった。喋っている間はとても平静じゃなかった。気がつけば、随分すごいことを口にした気がする。
その証拠に、見れば胸元で紫は震えていた。
それはもう暴れるわけでも、苦しいわけでもなくて、なんだか感極まっていた。
恥ずかしくなって、霊夢は離れようとするが、紫の手が自分の腰に巻きついて引き剥がせない。
無理にはがすのも気が引ける。
「つっ……、まあいいけどね」
大人しく佇む藍から、空気の漏れいずる音がした。小刻みに笑いが出た。
「いや…くっ、ククッ。今代の博麗は紫様を口説くつもりなのかな」
湿り気のある声。
「く、くだらないこと言わないで頂戴」
「なるほど。これですこしは紫様にも落ち着きが生まれるというものだ。もらってやってくれ、霊夢」
「藍ったら…!」
「これで意外と可愛らしいお方なのだよ。おっと、失言だな」
意外の部分はたとえば今みたいに、年不相応なところかしら。
さすがにそれは遠慮したい。
「そんなわけないでしょ。それよりアンタの主人が手を離してくれないんだけど」
「引き離す? 仕える方の本意にそぐわぬことなど、式の分際であってはとてもとても…」
「藍!」
「このように、別れなどと言えばひどくお怒りのご様子。しばしその姿勢でこらえてほしい」
「藍、あとで………橙無視半日」
「はい、分かりました。紫様」
すかした顔のまま、藍は応えた。
きつめの視線を送って紫は抗議するが、藍は厳罰にこたえてないようだった。
「減ったじゃん、よかったな」
取り残されていた魔理沙も調子に乗り出す。
「挙式にゃ呼んでくれよ」
「やめてよ魔理沙まで」
「おめでたい。紅白饅頭送りつけてやるぜ」
「そしたら霖之助さんはアンタのものね」
「いらないぜあんなやつ」
唇を尖らせて、魔理沙は吐き捨てた。
そして霊夢と紫が抱き合うのを見て、遠慮がちに目を背けてから口を開く。
「けどこのままだったら本当にそうなんじゃないか?」
相変わらずスキマに固定された紫。
気がつけば、抱きしめた姿勢が中腰に近いせいで、けっこう体が痛い。
一体どうやったら、抜けてくれるのやら。
霊夢は脱力した。
幸せそうな紫を見ていると、どうにもここから抜いてやろうという気が萎えてくる。
それどころか、本人はきっとこのままでも良いと思ってるかもしれない。
そう考え、霊夢はまたため息をほっとついた。
これ一度ごとに幸運が一つ逃げるらしいが、いまなら一つくらい逃げても問題ない気がした。
────
探し物は、探すのをやめたときに見つかるのもよくある話で。
事件の顛末ってのは意外なところに転がっているものかもしれない。
なんだかうなり声が聞こえて、何かと思えば紫が悩んでいた。
何秒か考え込んで、突然決心した表情に変わる。
軽く指を打ち鳴らされた。
「紫様、こ…これは…!」
「そうよええ。まさか違うとは思うけど…ね」
藍は最初驚きに、そして檄を飛ばさんがごとく厳しく、最後に青ざめ、なんともやりきれない顔になった。
見かけ苦虫を噛み潰し…たはいいが、思わぬ珍味に飲み下し、案外悪くないのど越しに戸惑うような、とまあ霊夢は自分でもよく分からず尋ねてみた。
「ん、どしたの?」
「くっ!」
なぜか藍はこちらの視線におびえた。
「い、いいかな霊夢。これから私が話すことはいかに紫様が信頼をおいているかということであり…」
「やめてよ藍。そんな大げさに、絶対、ほぼ…違うんですからね」
「あ…ああっ、紫様!紫様、かまいませんよね」
「ぇ…ええ勿論。二人に話してくれて結構よ」
「むしろ紫様ご自身が仰ったほうが…」
「違うって言ってるわ!こんなの私の口から言わせる気!?」
紫と藍は、大いに焦った。しどろもどろで、ばたばた落ち着きなく声を張り上げる。
何事かと様子をうかがうが、要領を得ない。紫が指を鳴らしたことと、関係があるのだろうか。大妖怪たちの珍しい姿だ。
「慌てんのはいいけどさ。私の…ここで暴れないでよ」
「あらっ…ご、ごめんなさい霊夢」
「素直に謝られても困るけどね」
変わらず紫は近くに陣取っている。お腹をひじで押されて、霊夢は軽く咳き込んだ。
二人ともかなり不審だ。
「もしかして、おまえがつまってることと関係あんのか?」
「ないわよ!!」
「なんだ、ないのか」
「い…いえ。ない訳ではないかもしれな…い…かしら」
「はぁ? どっちなんだよ。はっきりしようぜ」
ため息をつく魔理沙。場をおさめるよう、藍が仰々しく一度咳払いをした。
とりあえず居間の視線は藍に集まった。
「すまん、言い直させてもらう」
先の恥ずかしい顛末があって一呼吸。
この騒動に皆も疲れがきて、そろそろお布団でも敷こうかしらと思ったのが矢先のことだ。
「霊夢。そして魔理沙。私がこれからする話は、紫様が君たち二人に、大いに心を開いているからこそする話だ。そこをもってまず理解してほしい」
尊大な態度で、藍が語りかける。
「だからこそ、説明させてもらおう」
「そうか。けどわたしは別にうれしくない」
「それで何のことなの?」
不安そうな顔した紫が、霊夢の胸元でもぞもぞとうごめく。
「あ…でも聞きたくないなら、いいのよ」
「何の話かもわかってないのに」
「だって…絶対違うし…。こんなのが原因なわけないのよ」
「すこしでもアンタの異変が治るかもしんないなら、どんな小さな事でも当たってみましょ。心当たりだしはずれててもいいわよ。話しづらいとかも今さらでしょうが」
「………わかった。いいわ、藍、言って頂戴」
紫の覚悟を悟り、ゆっくり藍が頷いた。
たとえ見当違いな考えでも、誰も紫を笑ったり茶化したりしないだろう。
いまこの場の全員がそのことは分かってる。真剣に悩んでいる彼女を笑うことなんてできない。
丸机の上に手をおくと、つらつらと言葉は流れ出す。
「今朝のことであった」
『紫様、お召し物を替えさせていただきます』
『ええ』
やわらかな陽光が障子の隙間から入り込む。冬の気配が抜け切らぬ朝ではあったが、布団を抜け出すと心地よい寒さが身体を包み込み、意識を覚醒させる。
八雲紫は、ここぞとばかりに大きく伸びをした。
誰かへの体面も気にならなければ、見せ付ける殿方もいらっしゃらない。
そんな朝の、自分の式と二人きりの気持ちよい早朝だった。
『良い朝ね。小鳥も鳴いているわ』
朝も早くから小さな体にどれほど元気をつめ込んでいるのか、小鳥たちがせわしなく飛び回っている。歌う鳥の声を聞くのも紫はしばらくぶりだ。
布団から上半身だけを起こす。
後ろから、手馴れた手つきで藍が洋服のリボンを解いていった。
『朝食はあれにいたしますか』
『やめなさいよ』
紫は半身が裸になった。いつの間にか鏡台が正面に運ばれている。
『こんなにかわいいのに…』
鏡に映りこむ自分を見て、すぐ庭先を飛び回っていたはずの雀を左手に収めて見て、紫はうっとりと呟いた。
──
霊夢と魔理沙を見回し、藍は確認を取る。
「そこまではいかにも普通の朝だった。ただ変わったことといえば、紫様が早起きしたくらいか。だがそれ自体珍しいことではあれ、異変というものではない。頻度の差はあっても、紫様も早起きくらいする」
いまのところ、おかしなことはない。
続きを促すように、二人は頷いた。
『可哀想ね。離してあげるわ』
紫がスキマに雀を押し入れると、庭先から大急ぎで一羽の雀が飛び去っていく。
失礼します。
立ち上がった紫に、藍は下着をつけていった。
藍は知っていた。紫はこんな日は決まって、外へ遊びに出かけるのだ。
太陽が地上を容赦なく照らすまでのひと時。朝の余韻を残す時刻は彼女のお散歩日和。
余所行きの服に一揃え着替えさせて、髪にリボンを結ぶ。そうしてお見送りしよう。
だが上着を着せる段になって、ふと藍は気がついた。
藍が隣の魔理沙に語りかける。瞳はどこか優しげだった。
「お前たち新しい世代のおかげもあって、幻想郷は随分穏やかになることができた。紫様にしても私にしても、ここ数百年で今が一番安らいでいる時間だろう」
「昔は人間と妖怪が戦ってたんだろ?」
「ああ。そうだ」
「霊夢のスペルカードルールだよな」
魔理沙の声に、藍は頷いた。どこか、魔理沙は誇らしげな顔だ。
「うむ。しかし平和にも当然、弊害はある。…普通、妖怪の体つきというのは生涯変化を見ないものだ」
神妙な顔をして藍は続ける。
「だがほんのわずか…やはり使わない器官は衰える。緊張やストレス、数百年ぶりに心労から開放された紫様はごくわずか…なのだが…な。たるむというか…」
一旦言葉を途切って、藍は紫を見やった。
霊夢の脇から顔を出して、紫はGOサインを促す。藍は確認が取れると、また口を小さく開いた。
「腰の…肉が……な」
白エプロンに黒スカート。霧雨魔理沙は、腕組みをして考える。自分たちが生きる平和な時代。当たり前に考えてるけど、そうじゃない時間だってあったはずだ。
うん…?なんか、だんだん雲行きが怪しくなってきてないか。
「私はそう思考しながらも紫様の着付けを続けていた」
「……」
頭の隅に嫌なものを感じながらも、霊夢と魔理沙は口を挟むのを我慢した。
さても本題に入ろうという所、緊張して、紫が恥ずかしそうにまた霊夢に埋まる。顔が見えなくなって、すこし息が乱れている。
「さてここで折の悪いことが起きた。紫様はすっきりした目覚めの上機嫌に、ちょっとの悪戯心をお持ちになったんだ」
『藍…どうしたの、奇妙な顔しちゃって』
『…』
「そう聞かれても、とにかくそんな思考を傍において主人の疑問に応えるわけにはいかん。ただここで誤解しないで欲しいのは、私はこの事を嬉しく思っていたいうことだ。静謐な時間は愛しむべきものだ。もしそれが紫様を変えたなら、きっと良いことなのだろう。だからか…」
だから紫は自分の式に簡単な悪戯をすることにした。おふざけだった。紫は気になった。
自分の髪を梳きながら、着付けをしてくれる藍は、一体何を考えてるのかと。
「簡素な式…命令をお打ちになられた。たった今、己が式が思考していることを、口に、出しなさい…と」
魔理沙は、魔法使いの頭脳をフルに回転させて話の理解に勤める。
簡単に纏めれば、いま藍は何を考えてるのかしら~うふふっ、ってとこだ。
当然生まれてきた疑問を、藍に向けて、魔理沙は口にした。
「それで、おまえはなんて言ったんだ?」
「紫様、すこしウェストラインが緩やかになりましたね」
……。
「それで、こいつはなんて?」
「正直恐ろしい沈黙だったよ。無言で着付けを済ますと、『朝食はいらないわ』、それだけ言い残して……紫様はこの神社へとスキマで移動されていった」
「そんで動けなくなった」
「ああ」
やはり自分で言わせても不満はあるのか、ジト目でにらむ紫を無視して、一気に藍は続ける。
「ここから先は私の推測も混じっての解説となる。が、恐らく間違ってはいない」
間を取る暇もなく、息を継ぐ。
「境界を操る程度の能力を紫様はまさに、手足のごとく容易にお使いになる。だがその裏で、この能力は数え切れぬ膨大な計算と算術の上に成り立っているのだ。たとえばスキマを使って、手が届かぬ高さの茶碗を取り寄せたとしよう。それに要する計算は人間が一生かけてもしきれまい」
八雲の妖怪は、能力の多くを数学的思考に依って行使する。
つらつら言葉を発する藍だったが、口元の饒舌とは裏腹に、表情は沈んだものだった。
「それで…だ。全身の毛先に至るまで自身の輪郭を算出しつくした紫様は、機嫌を直すべく博麗神社に移動なさった。化粧をし、お気に入りの霊夢に会いに、楽しみにな。……その時、私の言葉を気になさった紫様が、だな。その……腰周りの数値だけを本来のものより、細めに計算して……スキマをくぐられたのだろう。そのせいでエラーが発生し、この異変が起きた、と私は愚考している、わけ…だ」
最後には自信を無くし、小さくなりきった声を発する。
喋り終わると、居間はシンと静まり返った。静寂の支配の下、蝋の明かりが周囲に伸びて、四人の影を蠢かせた。
まるで気味悪い生き物のように、黒い影が躍動する。ゆらゆら炎が揺らめいた。
時の流れがゆるく、長く感じられる。何秒か、何分か、経った時間も分からぬまま、やっと最初にこんがらがる頭を引き起こしたのは、魔理沙だった。
この静けさは、藍が自分に今の話に、何かしらの感想を求めているものと気づく。
「その朝からだよな、こいつがつまったの」
「…あぁ。その朝のことだ。まさにその後のできごとだ。一昨日はまるで異常はなかった」
目を丸く開いて、魔理沙はウンと大きくあごを引いてうなずく。
「ふむ、そうか」
無邪気に思ったまんまの疑問を口にする子供と全く同じ表情で、魔理沙は言った。
「……なぁおい。それもしかしても何もさ、完全にそれが原因なんじゃないか…?」
心底、純粋に不思議がる目線に合ってしまった紫は、目の前の巫女服をキュッとつかむ。
紫はそんな魔理沙を威嚇するように、紅白衣装の腰に腕をまわしてつよく抱き込んだ。その陰から、ちっちゃな敵意で魔法使いをにらみつける。
怒るというより、すねているようだった。
未だに泣きはらして腫れた頬と、目元に涙をにじませている。顔は恥ずかしくて、熱くなっている。
それで片方のほっぺを霊夢の腰にすりつけて、もう片方のほっぺをぷーっとふくらませた。
そして、言った。
「ゆかりん、ふとってないもん」
「……………は?」
霊夢と魔理沙は、凍りついた。
「……え?」
魔理沙は間抜けに聞き返す。
「お…おい。おいおい……おいおいおい。なにそれ…なんだそれ。何の冗談だ?」
呂律も回らず、魔理沙は混乱する。
おかしい。明らかに何かがおかしい。だが、頭がよく回らず、理性がどこかに飛んでいったように意識がまとまり切らない。
「まさか、おい、おまえのその意地のために……ずっと意地張ってたからとか、ないよな」
事態を理解しようとする心と、理解してはいけないと叫ぶ心が衝突して、魔理沙は頭が空回りしていた。
魔理沙の方は、得体の知れない黒いぶつぶつが心の底から這い上がってくるのに気がついた
次第に強く、何かは分からないが、何かが自分のなかで爆発しようとしている。
「ちょっと待て…わたしがバカなのか?あれ、なんだこれ…。なんだよ…おい、なんとか言えっておい…なぁ」
霊夢の方は。霊夢は。
「おい!!」
魔理沙は叫んだ。
「そ、そうだよ!こんなふざけた理由だったら、こいつが先に言ってるもんな!」
大声とともに、魔理沙は藍を指差す。
渋い顔をして、それを正面から受け取れず、本当に苦痛に満ちた顔をして、藍は謝った。
「………すまん」
頭がクラッと来て、眩暈が襲い掛かった。
フラつきながらも呆然と、ただ魔理沙はスキマ妖怪を見つめる。
「ゆかりんは……ふとってないもん…」
そんなに驚いた態度をとるなど失礼なヤツだと思って、紫はもう一度言い返す。
「なん、だよ…それ…」
魔理沙の頭に、煮えたぎった鉄が注ぎ込まれていった。
激情のスパークが静かに帯電を開始する。
もうこの後のことなど考えてられない。ぷーっと膨れた紫のお顔を神社ごと、ぜんぶマスタースパークで吹き飛ばしてやる。
これまでの不可解な経緯が、パズルのピースのようにきれいに嵌っていく。
理解してしまったら、もう止められない。
つまり、すべてはこのババァが、自分がふとったことを、認めたくなかった、だけの。
「そうか…あぁちきしょう。理解しちまったよ、全部」
魔理沙は魔力の集積装置、八卦炉を構えた。
「あばよババァ。たとえ死んでも、おまえのことは明日になったらきれいさっぱり忘れてやるぜ」
紫はふくれた顔のまま、固まった。
はたと気づく。腕を止めたのは決して、魔砲の筒を正面からかざされて、への字の口になった紫を思ってのことではない。
霊夢が邪魔だったのだ。
紫を撃ち抜くには、まず障壁となっている霊夢を退けなければならない。
「そこ邪魔だぞ霊夢。どいてくれよ。聞いてんのか霊夢……れい、む…?」
霊夢は肩を震わせていた。
「う……あ…」
「お、おい…大丈夫か?」
異様な雰囲気だった。
腰に巻きつく細い腕を払うと、寄って来る魔理沙を制して、霊夢は下に俯いた。
カタカタ小刻みに揺れて、霊夢は息を乱す。一呼吸の荒さが聞き取れるほど大きくなってきた。
「どうした!気分、悪いのか!?」
「あぁぁ…ッ」
足取りも頼りなく、スキマから離れていく。
魔理沙は背筋に怖気を感じた。魔理沙が顛末を知って湧き上がったのは強烈な怒りだったが、霊夢の場合、想像もつかない。
いま彼女の内ではどんな感情が渦巻いているのか。
吐き出した声色は、普段とはまるで別だった。溺れ苦しむ哀れな小動物のように、立ちながら喘いだ。
おかしさに気づいた紫は、心配そうな顔で様子を見ている。
「…大丈夫、霊夢? 」
「紫」
「は、はい!」
突然指名されて、頓狂な声での返事になる。
霊夢の垂れる黒髪の隙間から、横顔を唯一見ることができた魔理沙は、その顔にひどく驚いた。
彼女は普段通りの表情だった。
てっきり、壮絶な怒りを溜め込んだそれを想像していたし、般若や阿修羅のごとき面を被っているのものだと思っていた。
ぽつりと霊夢は呟く。
「私…今日、色々なこと、考えさせられたわ」
冗談みたいで、冗談じゃないこの現実に、霊夢は語りかける。
「私…悩んだし、妖怪でも…不安なのは嫌かなって、すっごく勇気を出して…恥ずかしいことも言った」
無性に湧き上がってくるものがある。
「私…!」
怒ってはいなかった。声は震えている。
怒っていないからこそ皆は反応に、困ってしまった。このときになってようやく、三人は霊夢がどんな顔をしているか完全に分かった。
「アンタなんかねぇ……。アンタのため思って…私、本気で柄にもなく…心配してッ!」
霊夢は肩で、拳を握りこんで荒く息を繰り返す。
髪がかかって見えないが、霊夢はほとんど泣いていた。
涙こそ見せなくても、嗚咽混じりの叫びに、紫は百年はなかった焦燥に身を焦がされていく。
何の責任かなどは都合よく抜けていた、ただ目の前の少女が、自分が原因で泣きそうになっていることが紫には我慢ならなかった。
「霊夢…!あぁ、泣かないで頂戴!」
泣きやましてやろうと、悲しい子をあやしてやろうと、抱きしめる両手を伸ばしたところで
紫の数センチ横を、疾風が過ぎ去った。
あまりの出来事に思考が停止する。
反射的に顔をずらしてなければ、肉の一部が抉り取られていた。
震えながら拳を構えた霊夢が、そこには立っていた。
「……へ? あの、何の…つもり…かしら」
霊夢は、淡々と答えた。
「え? なにって、異変が起こってるから解決してるだけ、だけど?」
紫の明晰な頭脳はすぐさま答えを導き出した。
異変の場所、私の頭。解決、ドタマをぶち割る。
泣きじゃくる霊夢を優しく慰める未来の自分の想像が、一気に猟奇的な映像に切り替わった。
「ひぃっ!」
「フ……フフ…アンタなんかねぇ…」
不気味な笑みを浮かべながら、霊夢は一歩ずつ歩み寄る。
「アンタなんかねぇ…!アンタなんかねぇ…!!」
震える唇から、これ以上ないってくらい息を吸い込んだ。
相手の瞳からはおびえが見て取れる。だけど同情とかの気持ちは、ひとっかけらも起こらない。
地面を思いっきり踏みしめて、目の前の紫に向かって、霊夢は怒りを爆発させた。
「アンタなんか…! アンタなんか…! 私だって…こんな無愛想な私だって、本気でアンタのこと思って! ちょっとは尊敬してるし、でも泣いちゃって……それもすこしはかわいいかもとか思って! 大変かなって、同じ立場かなって、心配して、信頼して! 魔理沙だって危ない目にあって…で、でも…でも私、選べなくて…! でも、紫が助けてくれて…それで、嬉しくって…!やっぱり紫にも悩みがあって……まさかね、スキマに挟まったのも実は私の悩みのために起こしてくれた異変なのかも、なんてバカらしいけど、ちょっとほんとに思ったりして…! 紫自身だって…危ない目にあったし…それで私は、タイミング分かんなくって、心配だったって、あと、ありがとって、一言が言い出せなくって。それでそんなことで悩んで…一人で生きて…死ぬのはやっぱ寂しいのかな…って!博麗ってそんなものかって思ってて…だけど、頭をなでっ…なでられたらさっ、お母さんってこんな感じ…な、なのか……ひっぐ…な、って…全然分かんなくて…さ…。 そんな、そんな私は……私は、私はぁ……あぁぁぁ!!ちきしょう馬鹿かぁぁぁ!! なにが友情だふざけんなぁぁ! てかアンタ、マジでふとっただけかぁッッ!! つかそれで最初の方ふとったって過剰反応してたのかよ! 嘘つき!! この腐れ外道!! もう知らない、知るか、知ったことか! アンタなんか…アンタなんか馬鹿でッ、ババァでッ、胡散臭くてッ、へ…変な服でッ、変なリボンな上に、変な傘でッ! いっつも私を困らせて…大っ嫌いで…!!」
霊夢は、しどろもどろになって、泣きながら叫んだ。
「アンタなんかアンタなんかアンタなんか…!!アンタなんかぁぁ!アンタなんか!ゆかりんじゃなくて、つまりんよぉぉぉ!!!!」
霊夢の目が光輝いた。理由のわからない涙が出てくるのは、初めての経験だった。
「ゆぅぅぅぅぅかぁぁぁぁりぃぃぃぃ…!!!」
「きゃあああああああああ!!」
轟音を立てながら、凄まじい数のパンチが紫に襲い掛かかる。
もはや両手の指で数えることを不可能にまで迫ったそれは、人間の放てる攻撃を遥かに上回る。
一滴、目から零れ落ちた光が風に乗って消えていく。
「顔も見たくない!!出てけ、出てけでてけでてけぇぇっ!」
「ひぃ!あぶなっ…!れい…やめて!ほんと、お願い!」
柱が霊夢の打撃で吹き飛んだ。
魔理沙と藍は遠い目をしながら二人を眺めている。霊夢のブチ切れ具合とあんまりな事態に、冷静というより、達観の域に精神が達してくれた。
「おっ、霊夢が切れた」
「うむ…仕方あるまい」
二人の適応は早い。
「う、うわ~…ハハ。こりゃえげつないぜ…。家具吹き飛んでるし、もう人間のする戦いじゃないな……うおっ、すっげ。ババァもやるな、滅茶苦茶な反射神経だ…ありえない角度まで身体曲がって避けてるぞ」
「ああ。だが見てみろ。紫様は腰が固定されている。そこを狙わず、避けられる顔を殴るとは……。なんだかんだ、霊夢は紫様を思っているのかもしれないな…ふふ」
「と思ったら思いっきり腹にボディーブロー入れやがった。さすが霊夢だ。油断させといた腹筋に…あー、ありゃ地獄だな…。うげ…汚ったねえ……紫汁(ゆかりじる)吐いてるぞ」
「動きが止まったな。あとはもうミンチか。だが、紫様にただの殴る蹴るでは、あまり効き目はないぞ」
「霊夢が握り拳に針を挟んで、それを退魔用の札でグルグル巻きに固定してなきゃな」
「さようなら紫様」
チーン。
藍は手を合わせた。
「死ねでぶりんがぁぁぁ!!」
「助けてぇぇ!!」
「アハハハハッ!!!ほら、行くわよストマック!ボディー!レバー!!」
「げっほぁぁ!?」
畳が削れて、床に亀裂が入る。
「なんか言ってるぞ、助けなくていいのか?」
「あの霊夢相手に、私にどうしろと」
「こわいぜ」
「全くだ。…それにしても、怒っていないのだな」
「わたしか? いや、確か怒ってたはずなんだがな、なんか色々ありすぎて、もうどうでもよくなった」
「藍!!!!!」
「は、はい!」
突然の霊夢の呼び声に、藍は背筋を硬直させた。
「アンタこいつの尻に要石ぶちこんで来なさい!!!」
「はい!」
叫びだけで弱った天井にヒビが刻まれた。
朝焼けがふいに差し込む。
「ううううっう、う、裏切り者!!藍!!」
「アンタは黙ってろ!!」
「うげふぉぁ!?」
床下の基礎が、紫と共にひん曲がって折れた。
「魔理沙ぁぁ!!」
「おっ…おお!」
「アンタも手伝うよ…!とっとと!!」
「そ、そんな無茶な…。第一、そんなことしたら幻想郷が壊れて…」
「いいからやれぇぇ!!」
「ヒァァ…っ」
家屋の自重に耐え切れず居間の一部が圧壊をはじめる。
「こんなもんは…こうして…、このっ…こうすればね!!」
床板をぶち破り、霊夢は大きな岩を両手で抱え込み、掴んだ。
地面が悲鳴をあげ、ズルズルとすこしずつ、それが引き抜かれていく。
狂乱の霊夢の前で、変わらず上半身だけの滑稽な姿で、紫は手を組み合わせて懇願した。
霊夢がちょうど巨大な岩を、登り始めた朝日に掲げたところであった。
「霊夢…あなた、誤解しているみたいだけど、本当に、私は真剣だったのよ。決してふざけてたわけじゃないの。これは重要な問題だったの、深刻な異変って言ってよかったの。多少意固地になってたのは認めるけど…同じ、女の子ならアナタにもこの悩みが分かるでしょう? ねっ、お願いよ霊夢…許して…ねっ?」
「問答ぉぉ……無用ぉぉ…!!!!」
「分かった! 私認めるから、すこし…ほんの少しだけゆかりんはぽっちゃりしちゃったってわた」
ドグシャァァ。
とりあえず、神社は潰れた。
「ひっどい!!私じゃなかったら死んでるところですわ!」
「待たんかコラぁぁぁぁ!地獄の果てまで追い詰めてやるわぁぁあああああああああああああッッ!!」
山稜よりまぶしい朝の光が顔を覗かせる。
抜けるような青空へと飛び立っていく、元に戻った身体の紫。それを追って、霊夢がすごいスピードで飛んでいった。
まだまだ朝の風は冷たい。
心地よく頬にあたる空気に、魔理沙はいつもより風通しがよくなった神社を見回す。
石畳にはじけて飛ぶ朝日がさわやかな一日の始まりを告げ、さえずる鳥の声が遠くから聞こえてきた。
実に良い朝だ。
魔理沙は思った。
徹夜明けに作業を終わらせて、窓を開けて冷気を取り込み、疲れた身体にほっと一息背を伸ばす。
そして砂糖とミルクをたっぷり入れたコーヒーを飲むってのは格別なもんだ。そんな休日の気分だった。
魔理沙はちょいと横を見る。おや、藍の野郎がすごい顔をしているわねえ、うふふ、うふふふふ。
変な口調で思考して、ニマッと笑ったりしてみる。
足元に振動を感じた。
地面全体が低い音を発し、次第に揺れが大きくなっていく。
「さて、どうしよっかな」
幻想郷は、今日もおおむね平和だ。
その後、三ヶ月ほど、紫は霊夢に口をきいてもらえなかったそうな。
シリアスに呑まれて読んでたら途中から…
いやぁ最高だね!
ところで要石を尻にぶち込むのは止めようZE☆要介護賢者が出来ちまうから(笑)
ですがペース配分に少々無理を感じるのと、後書きの作者のテンションにはちとキツイものがありました。
太ったゆかりんもかわいいよ(*´д`*)ハァハァ
キャラ達がいい感じに感情を表に出してはっちゃけてました。
1言で言うと面白かった
八卦炉ですよー。路じゃあございません。
いや、こんな誤字なんて関係ないくらい面白かった。すっげぇボリューム。
ただ、後半がテンションあがりすぎて頭打ちになっている気配がするので、ちょっと無理やりっぽく感じましたよ。
終わったなー良い話だったなーのところでスクロールバーを見て呆然とするでござる。
笑ったらいいのか感動したらいいのか、
面白いけど何かしっくり来ないんです。
しかしそれを差し引いてもこの点数。
長編なのに読みやすいし、ゆかりんカリスマが全開だし、ゆかれいむだし。
次回作は和解ENDで。あと藍しゃまに優しくしたげて・・・
ゆかりん太っても可愛いよ。
私もお尻より胸の方が好きです(殴
中盤の切り返しがとても良いのですが、締めが惜しい
様々なSSや小説を読んでますが、理解するために同じ箇所を何度も読み返したのは久々です。
読みやすく、ギャグとシリアスを絡めているのに物語がちゃんと進行しているのがすばらしい
八雲紫というキャラが存分に発揮されている作品かと。
でもちょっと藍がかわいそうかなぁ…
ゆかりんはちょっとぽっちゃりしても可愛いよ!
あとゆかれいむいいよ!
長いし、テンポも悪いし、ギャグなのかシリアスなのか分かり辛いし。
けれど、それによって読者を登場人物の心情にシンクロさせたのは凄いなと思いました。
ただ65番の人のいってる部分もありました。
今度は短めの話とかも読んでみたいです。頑張ってください。
ただちょっと誤字が多すぎるかな…
ちょいと冗長すぎる部分はあったと思いましたが、自分と相性が良かったのでこの点で。
凄いことだと思います。私にはぴったりでした。
読んでいて疲れました。
でも楽しめました。ゆかりんの本気の取り乱し方がなんというか非常にらしい感じで好きです。
ただ、展開が急すぎた箇所もあって、少し早足にならないと着いていけなかった部分も……ですがこの点数で。
あと藍しゃまをいぢめないでぇぇぇっ
賛否両論ということで…どちらの意見も書き込んでくださるのは自分としてはうれしい限りです。ありがとうございます。
やはり長い、かな…と それとオチ、終盤について批判的な感情の方が多くいらっしゃるようで、自分でもよく考えてみます。
違和感や、分かりづらい文章、イライラしたなどのところ、もし感じた方がいらっしゃったらフリーレスなどで具体的にちょっと教えてくれると今後のためになってうれしいです。
まだもし見てくださっていたら。またそうでなくとも。
楽しんでくれた方はありがと。次はもちょっと短い作品作ってみます。誤字報告も引き続き。
、
それはそれは長かったけど十分に楽しめました。
でもわたしもお尻よりおっぱいが好きなのでまんてんです(^q^)
時間を忘れて読んでしまいましたw
俗に言う支離滅裂。
なまじキャラクター作りに関しては光るものがある分、地とセリフの温度差が激しく、私は読むのに物凄く疲れました。
そう感じる最たる要因として、地とセリフの両方で人物の感情を繰り返し描いていることが挙げられます。
自身の長所を活かす為にも、抑えるところは抑えて書く訓練をしましょう。
今後に期待。
掘り起こすという荒業に噴きつつもしんみりしつつも笑わせていただきました。
つまりなにがいいたいかというとババァふざけんな。
盛大に吹かせてもらいましたwww。
オチヒデェwww
お疲れ様です
友情、意地、決別
再会 そして 愛
すべてが集まって形作られている
すばらしきこの幻想にこの言葉を捧げます
もうだめだこいつら
気にすんな!
さて魔理沙の尻ね。ふぅ
解決したと思ったら再度詰まった所で吹いたw
気になったのは終盤の霊夢の叫び(「アンタなんか…! アンタなんか…!(ry)
なんか流れを切ってるように感じられたなあ
しかしギャグでこれだけ長いのもすごい。
いやぁ面白かったですw
天子とばっちりwww
貴方凄いよホント 引き込まれた、これだけ感情移入できる話なかったよ
橙無視1日は辛すぎる可愛すぎるww
紫の軽率すぎる行動とか
タイトルとタグでなんとなく想像できるオチをだいぶ引っ張ってから否定してやっぱりそうだったとか
ちょっと状況的に笑えないギャグが多いなーと思いました