Coolier - 新生・東方創想話

こまっちゃんのお話

2009/06/23 23:14:16
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キャラのイメージが違っているかもしれないので、
そういうのでも大丈夫という方以外は、戻るボタンを押してください。






















 今日も小町は三途の川の岸辺に正座させられ、あの恐怖を擬人化したような口うるさい上司、四季映姫に、頭を卒塔婆で叩かれながら怒られていた。厳しい声の最中に何度顔を上げ、あの金色の卒塔婆を質屋に持ってったらどんな顔をされるんだろう、と考えたことか。少なくとも、一瞬で金を渡してくれることはないな。かといって追い返しもしないだろうけど。

「私にはわかってますよ」と映姫がいくぶんか落ち着いた口調で言った。「あなたの耳が馬とそう変わらないことぐらい」

 小町は少しも反省していなさそうなにやけを見せて言った。「そりゃ驚いた。だがね映姫様、あたいは背中に鞍をつけられやしないし、勇ましいひづめがあるわけでもない。一言で言うならそうね、あたいは人間に極めて近い存在だ。そして人間は不快なことが大嫌いだ。つまり何が言いたいかというとね、今すぐあたいを、あのタイタニック号並の豪華客船に逃がして欲しいってことなんだ」

 小町は右を指差し、岸辺に着いてるというよりは、漂着しているといったほうが正しいみすぼらしい舟を示した。映姫はそちらには顔を向けず、一度小町の頭を卒塔婆で軽く叩くと、叱り付ける声を出した。「それはできません。なぜならあなたは、私の説教地獄にそのかわいらしいツインテールまでどっぷり浸かってしまったからです」

「なんとか逃げる方法はありやせんかね、ダンナ」

「少しもありませんね」映姫はぴしゃりと言う。「あなたがここに来てから、さぼった回数を記録していたんですが、あとでファイルを見返してびっくりしました。今日も含めてなんとその数、二十五万六千六百六十六回! これは決して大げさな表現ではありません。あなたのサボり癖が生み出してくれた数字です。ですが、わかってますね。それは炭素菌やサリンと同じで、生み出さなくてよいものなのです。それをわざわざ生んでくれたんですから、人を裁く仕事をしている者として、処罰をしなくてはなりません」

「それで」と肩をすくめて小町は言った。「その処罰っていうのは、一体どんなものなんです? 町中のコンクリについたガムを取り除く作業ですか? それとも、自宅謹慎ですか? あたいとしては、後者の処罰が一番きついと思うけどねえ」

 自分の鼻先に卒塔婆の先端が突きつけられたとき、もしや映姫様を怒らせてしまったんじゃないか、と小町は冷や冷やした。だがそうじゃなかった。映姫は卒塔婆の先端で軽く小町の鼻をつつきながら、こう言った。「あなたには今から現世に降りて、この卒塔婆を三十万円以上で買い取ってくれる店を探してもらいます。いいですね、わかりましたね? それがあなたへの処罰です」

 この言葉の意味するところは、と考えようとして、面倒くさくなってやめた。小町は鼻先から卒塔婆をどけるが、すぐに戻された。今度は先端を掴んでどかすが、その手を空いた方の手で映姫にはたかれた。「手油がつくでしょ、やめんしゃい」と言われたので、渋々離す。そのあと言った。「映姫様のおっしゃる意味が理解できません」

「何も考える必要はありません。例えば死刑囚を殺すのに、何故首吊りロープを使うのか、何故銃を使うのか、考えたことがありますか? 処罰の方法にはいちいち理由などつけなくていいのよ。目的のことができればいいのです。そして私の目的は、あなたにヒーヒー言わせてサボり癖をなくさせることです」

「なるほど」と小町は納得するふりをした。「ということはあれっすか、それはおじいちゃんにやらせたら、一瞬で背骨を痛めるぐらい大変な作業ってことですか」

 映姫はにっこりと笑った。「さあ。それはわかりません。あなたのがんばり次第で大変にもなるし、簡単にもなる。ですがただ一つだけ言えることは、明日までに私の前に三十万を用意できなかった場合、そして卒塔婆を売った店を言えなかった場合、あなたはこの世の地獄を垣間見ることになるでしょう」

「サボりの常習犯にはもってこいの処罰ってわけですね」

「冷静に言ってないでさっさとこれを売ってきなさい」映姫は戦争映画で出てくるような鬼軍曹みたいに厳しい顔になって、あぐらをかいている小町の足の上に卒塔婆を落とした。そしてその上に布も落とした。紫色で、端っこに顔の半分がなくなっている兎が刺繍された、なかなかの布だ。そいつで包んで持ち歩け、ということだろう。小町は布で卒塔婆を包みながら言った。

「私が帰ってきたら、イチゴショートとロシア製の酒があることを期待してますよ」

「それはおかしい理屈ですね」と映姫がずいぶん穏やかに言った。「具体的にどこがおかしいか、というのは言いません。ですが、とにかくおかしいです。なのでそのお願いは聞けませんね。いいからあんたはさっさと行きなさいほら!」

 命の危険を感じた小町は、急いで舟に乗って現世に向かった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 金に困って自殺した人間は今まで何べんも舟に乗せてきたが、そのたびに小町は、三途の川から蹴り落としただけで命が戻るなら、どんなに楽なことだろうか、とため息をついていた。肉体が再起不能なまでに傷ついていたら、蹴り落としたところで魂がそこに納まることはない。霊体のまま現世をさまよい、逆恨みのプロとなって人に迷惑かけるだけなのだ。

 まったく、金というのは人間関係の次に厄介なものだ。集まれば集まるほど幸せになれるけど、無いときはとことん不幸。そんなものぐらいで簡単に振り回されてしまう人間を、ずいぶんかわいそうだと思っていた小町だが、まさか自分がその憐れみの対象と同じく金に振り回されるとは、現世に降りた時点じゃまったく気付けなかった。

 降りてから三時間、小町はあらゆるところへ飛び回った。里の質屋や買取をしてくれる店をくまなくあたり、買い立ての新車のボディみたいにぴかぴかに磨いた卒塔婆を持っていったのだが、いずれの店もいい反応を示さなかった。三十万以上で買い取ってくれ、とまでいうと顰め面を通り越し、まるで新種の生物でも目の当たりにしているかのような顔をされ、店から追い出された。そのたびに、あの店主が死んだらわざと行き先を間違えて地獄に送ってやるぞ、と思ったものだ。

 だがいつまでも呪ってちゃ、とてもとても明日までに金を揃えることはできない。銭を三十万円分持ってったところで、殴り殺されるのは目に見えているし。困った小町は知り合いになんとかしてもらうことにした。

 向かった先は魔法の森。そこの奥深くにひっそりと佇む古めかしい木造の家を探し出し、ゴミの山の中に埋もれて眠っていた魔理沙を引きずり出して、卒塔婆を三十万で買ってくれ、と言ったのだが、腹の底から笑われてこう言われた。

 「どうしたよこまっちゃん、金に困ってんのか? 小町なだけに。はっはは、死神とあろうものが、かわいいぜ。まあ確かに金がないのはかわいそうだが、私になんとかしてもらおうとするのは大いなる間違いだな。実は昨日の夜に金食い虫が現れてな、有り金全部持ってかれちまったんだよ。どうしてもっていうんなら、霊夢のところに行ってみたらどうだ? 奴は稀代の大金持ちだぜ」

 小町は魔理沙の頭を卒塔婆で叩いて夢の中に送り返し、すぐに霊夢の元に向かった。

 霊夢は賽銭箱の前で、大の字になって仰向けに倒れていた。何事かと思って近づくと、その手には読んでくださいと言わんばかりに紙きれがある。そこにはこう書いてあった。〝おなかが減ってくたばりそうだわ。この哀れな巫女に少しでも同情したなら、私のおなかの上に何かおいしいものを乗せてちょうだい。〟

 どうやら、稀代の大金持ちはここで寝たふりをして、食べ物を運んでくる妖精を待っているらしい。小町はその腹の上に握り拳二つ分はある石をいくつか乗せ、次の場所に向かった。

 向かった先は紅魔館。門の前でぐっすり眠っている中華風妖怪を踏み潰し、色とりどりの弾で出迎えてくれたメイドを鎌で脅かして泣かせ、風呂場で妹と一緒に仲良く湯船につかっていたレミリアのところまでやってきた。

「なあ、ここに金に余裕がある吸血鬼がいるらしいんだが、お前さんたちがそうか? できればこの卒塔婆を三十万以上で買ってほしいんだが」

 レミリアは顔を真っ赤にして言った。「とりあえずお前には、私が今何しているかを考えてみることをお勧めするわ」

「風呂に入ってるんだろ。いいからこの卒塔婆を買ってくれよ、三十万なんてお前さんから見たらはした金だろ」

「ファッキューだなんて言葉生涯使うまいと心に決めてたけど、どうやら今使うときが来たみたいね。ファキョキョ、キュ、キュオ……いてて、舌噛んだ。む、むきゅー!」

 レミリアの隣で肩まで湯船につかっていたフランは、自分の姉と小町を何度か交互に見比べ、やがて何か閃いたように楽しそうな声を出した。「つまりあの人は死にたいってことね!」

「よう先生、それは早計ってもんだ」小町はへらへら笑った。

 そのあと鬼と悪魔の顔が溶け合ったような形相をした咲夜に、風呂の窓から外に投げ出されたのは、十秒もかからなかった。

 次は永遠亭に向かった。あそこはずいぶん医療で儲けているはずだし、何より月のオヒメサマがいるんだから、きっと金持ちに違いない。〝本日休業〟と書かれた紙が張ってある門を蹴破り、「お引取りください!」とかわいい手で押してくるウサギたちを蹴散らし、『えーりんのお屋部』と記された紙が張ってあるふすまを開ける。そこは和室で、前方に永琳と輝夜がいた。永琳が畳みの上にうつ伏せに寝転がり、その背中を、今にも文句を言いだしそうな顔をした輝夜が、ぐいぐいとマッサージしている。

「何か用かしら」と輝夜が小町の方に顔を向けて言った。すると永琳が首を振り向け、誰かを挑発するようないやらしい笑みを浮かべた。

「あら、誰かと思ったらどこぞの優秀で生真面目な死神さんじゃない。お見苦しいところ見せてごめんなさい。姫――ああいやいや、輝夜に黒ひげ危機一髪で勝って、一日姫様権を手に入れたものですから。お姫様永琳って呼んでちょうだいな。ぐっ、ぐやっふふふ!」

「そういうことよ、だからあなたはさっさと帰るべきね。そしてこのことは、あなたの胸の中だけにしまっておいて、二度と取り出してはいけないわ」言い終えたあと、輝夜が永琳の背中を一度叩いた。永琳はそんな輝夜を見て、ふふんと笑った。小町はそのやり取りの全てを無視して言った。

「実はこの卒塔婆を、三十万円で買い取って欲しいんだ」

 布を取って卒塔婆を見せる。永琳はそれに興味を示したような様子を見せたが、竹槍と猟銃と水鉄砲を携えたイナバたちが集まってきたので、惜しいと思いながら逃げ出した。右手からふすまを突き破って軍用車両のジープが飛び出し、廊下にタイヤの跡をつけながら追ってきたとき、小町はひき殺されるかと思ったが、別のふすまを突き破って出てきた鈴仙に助けられた。鈴仙はジープに乗っているてゐに向かって叫ぶ。

「こらーてゐ! 廊下を自動車で走ったらいけないって、何度言ったらわかるのよ!」

「コラーテイ? それは新種の栄養か何か?」てゐはけらけら笑った。「廊下を走っちゃいけないのは生物の足だけよ。それがわからない鈴仙は、この車両のタイヤの下敷きになってもらうしかないわね。大丈夫、ここは病院みたいなものだから」

「月の狂気に当てられたのね、しっかりしてよてゐちゃん! あなたはイナバたちのリーダーなのよ!」

 そのすぐあとに、錆び付いた鉄扉を無理やり開けるときのような、凄まじい絶叫が聞こえたが、小町はもうすでに何事もなかったかのように竹林の上を飛んでいた。

 とまあ、これが小町の体験した三時間だ。博麗神社の石段の始まりのところに腰を下ろし、布を外して卒塔婆を見つめる。金の輝きを放つそれは、鏡のような役割も果たし、疲れ切った自分の顔を映し出した。

「なーんで誰も買ってくれないのかねえ」小町は独りごちたが、自分としては卒塔婆に話しかけてるつもりだった。

「それはきっとですねえ」自分の背中に人の気配がしたと同時に、卒塔婆に映った自分の顔の隣に、射命丸文の小憎らしい顔が入り込んだ。「買いたくないからですよ」

 これまた困った奴と遭遇しちまったな、と卒塔婆に布を巻きつけながら小町は思った。文はにこにこしながら小町の前に立つと、両膝を折ってしゃがんだ。こいつは今はしゃいでいる。それは誰が見ても明らかだろう。支配したい人間の弱みを見つけたときのように、心の中が舞い上がっているに違いない。それは小町にとって、実に都合が悪かった。あの誠実でまじめな新聞だけには、断じて載りたくはないものだ。世間の笑いものになってしまう。

「まあお前さんの言いたいことはわかるよ」小町は疲れたような口調で言った。「回転寿司で目の前にうまそうなネタが流れてきても、欲をおさえて取らない僧なんてこの世にいないもんな。いや、あの世にもいないな。あたいの知る限りでは。まあ人の頭の中にはいるけどね」

「それは面白いお話ですね。ぜひとも先が聞きたいです」

 文の顔に張り付いているのは、いかにも親から大事にされてきたような、温室育ちの少女特有の邪念一つない笑顔だ。この笑顔を保ったまま首を切り取って店先に置いておけば、里の男の何十人かの足を簡単に止めることができるだろう。だが小町は騙されやしない。布を巻いた卒塔婆で、映姫のまねをして文の頭を軽く叩きながら言った。

「先はないよ。あたいが言うと冗談には聞こえないかもしれないけど、とにかく、あんたに聞かせる話の続きは、一足先にあの世に逝っちまった。悪いね、あいつは肺がんを患ってたものだからさ。あれほどタバコはやめろって言ったのに。さあ、話のできなくなった奴は、お前さんからしたら死体同然だろう? さっさと新しい地に飛び立ちな。死体にかまってると悪臭がまとわりつくよ」

 文は立ち上がって中腰の姿勢になり、顔をぐいと小町に近づけた。ちょっとびっくりした。「いやいやいやいや、いやいやあややや。そーんなこと言ったって、鷹より鋭いこのカラス天狗の目はごまかせませんよ。あなたの胸中を当ててみせましょう。うむむむ、うむむむ……。なるほど、あなたは今、その手に持っている卒塔婆を売りたくて仕方が無いようですね」

「なんでわかった」小町はでこを文につけて言った。「天狗の神通力のなせる技か? いや待て、陣痛力って手もあるな。ということは何か、お前さんまさか子供を身ごもったのか!」

「わけのわからないことを言ってないで、私の話しを黙って聞いてくださいな」

「その前にあんたは、産婦人科に行って母子手帳をもらってきたほうがいいな」

 小町が言い終えたあと、文は体を離し、背中から自分の体を包み込めるぐらい大きい羽を出し、それの片側で小町の顔を拭き始めた。猫の腹に顔を擦り付けているような、かわいさと鬱陶しさが混ざり合った奇妙な気持ちになり、それは小町がさっきまで考えていたことを忘れさせた。文は羽をしまうと、相変わらず仮面のような笑みを浮かべたまま言った。

「私、簡単にお金を出してくれる太っ腹な人を知っていますよ。白玉楼んところの、あのぽけぽけした桃色お嬢さんです。どうせ今家にいるだろうから、ちょっと行ってみます?」

「是が非でも行きたいね」小町は言う。「お前さんがそこの養子になれるよう、お願いしてみたいと思っていたんだ」

「そういうことはエイプリルフールに言うものですよ」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 石で富士山でも作ろうとしたんじゃないか、と思えるくらい長い階段を上り、ようやくその屋敷は姿を現した。寝殿造に近い構造のその家は、一見すると大勢の人間が住んでいそうだが、実際には二人しかいない。そのうちの一人である魂魄妖夢が、玄関の側に生えていた草を刀で器用に刈りながら、「お嬢様なら寝室で腕立て伏せをしてますよ」と言った。

「そいつは驚くべき事実ですね」と文が言った。しかし小町は疑問に思う心があって、何も喋れなかった。妖夢は初めから、自分たちが来るのをわかっていたような口調だったけど……。と、玄関の引き戸が唐突に開いて、小町の思考が途切れた。そこにいたのは、曇り一つ無い笑顔の西行寺幽々子。そいつは久々の客人に喜ぶ寂しがりやの人みたいに、手を合わせて笑った。

「よく来てくれたわね、死神さん。それから、えっと、スズメさん?」

「カラスと言ってくれた方が嬉しいです」

「あらそうごめんなさい。まあとにかく、こんなところで立ち話もなんだから、和室に来てちょうだい。何かお話があるんでしょう? 死神さん、スズメさん」

 幽々子が小町の手を引っ張ろうとしたとき、妖夢が刀をしまって言った。「腕立ての方はどうしたんです? 確かダイエットしたいとかうんたらかんたら言ってたような」

「頭の中でいっぱいしたわ」幽々子は言い、妖夢に手招きした。「お茶を用意してちょうだい、妖夢。いい? お茶よ。自分が飲みたいからって、カルピスジュース持ってきちゃだめだからね。和菓子なんてもってのほかだわ」

「心配しなくてもちゃんと持ってきますよ」妖夢は言い、先に廊下に上がってすたこらさっさと歩いていく。幽々子の手に引っ張られ、考える間もなく小町も家に入れられた。

 和室に入ると、三人は座卓につく。小町と文が仲良く二人並んで座り、机を挟んだ向こう側に幽々子が正座した。「それで、何の用があって来たのかしら」

 そう訊いてくるが、幽々子は、これから小町が出す物がなんなのか全てわかってますよ、とでも言いたげな笑顔だ。その予想を裏切って、文のカメラでも出してやろうかと意地悪な考えが思い浮かぶが、結局布を取った卒塔婆を天板の上に出した。

「面白いだろ」と小町は言う。「これを三十万で買ってくれって言うんだよ、おっかねえ死神が。だけど商人に転向したわけじゃない、てのは、あんたにもわかってるよね」

「何か理由がおありなのね」幽々子は、目の前に置かれた食べ物が罠かどうかを勘ぐる猫のように、指先で卒塔婆をつついた。「別に聞かないけど」

「まあその方がいいね。サボりまくった罰として、卒塔婆を無理やり売りに行かされてるだなんて周りに知れたら、恥ずかしくって外に出歩けなくなるよ。さ、それでお嬢ちゃん、そのクソ野郎を買ってくれるのかくれないのか、一言で伝えてくれないかい。あんまりのんびりしてられないもんでね」

 幽々子は卒塔婆を掴み、しげしげと眺めながら言った。「買うわ」

「そいつは天気予報より信じていいんだな!」小町は思わず身を乗り出した。文が隣で失笑したが、そんなものは気にしない。嬉しいというよりは、怪物に追われてて、樽の中に入ってたら助かったときのような、命の危険が過ぎ去った安心感が胸を占めた。

 妖夢が障子を開けて入ってきた。その手にある盆には、紙に包まれた羊かんがピラミッドのようにうず高く積まれている。そんなに食べられやしないよ、と小町は思ったが、幽々子の前に盆が置かれたことから、どうやらそれは全てその子のものみたいだ。へえ、びっくりだな。なかなか健康的な亡霊だ。盆を置いたあと、妖夢は幽々子の左にちょこんと座った。お茶を持ってくることなどすっかり忘れてるみたいだ。

「あらあら、妖夢が量を間違えちゃったみたい」幽々子は紙に包んだままの羊かんを口に入れる。「ごめんなさいねえ、きっと半霊がエラーを起こしたのね。でもせっかく持ってきてくれたんだから、食べないわけにはいかないわよねえ」

「でもその量はあなたでもきついでしょう。よっし、この射命丸文が手伝ってあげましょう。手伝い料は指定の口座にお願いしますよ」文は羊かんに手を伸ばすが、幽々子に閉じた扇子ではたかれた。幽々子の目は獲物を狙う鷹そのものだ。哀れなカラスは、その手を引っ込める。それを見て、幽々子の顔に微笑みが戻った。

「それで、なんの話しをしてたんだったかしら」そのあと何か思い出したかのように、妖夢の頭を一度扇子で叩いた。五秒後に、妖夢はびくりと体を震わせた。「そうそう、思い出したわ。卒塔婆を三十万で買う話しだったわね」

 小町は言う。「本当に三十万出してくれるんだね?」

「ええ出すわ。だけどね、ほんとのことを言うと、こんな卒塔婆一つに何十万も出せやしない。それはあなたにもわかってるわよね? だから、私が今から言うことを実行してもらうわ。妖夢、アレ持ってきなさい」

「わかりました。冥界一速い足、その目にごらんに入れましょう」妖夢は言うと面倒くさそうにのろのろ立ち上がり、障子を開けて廊下に出て行く。幽々子が羊かんを全て食べ終わる頃、一枚の古びた紙を持って戻ってきた。その間は大体三分ぐらいだろうか、と小町は推測した。

 幽々子は妖夢の頭を撫でてから紙を受け取り、座卓の上に広げた。それは大航海時代に使われる、右下にわけわからん動物が描かれた海図のようなものだった。だがそれと違うのは、海がまったく描かれていないことと、わけのわからない動物が、膝を抱えて座り込んでいる八雲紫になっていること。つまりこいつは幻想郷の地図だ。地図の右上の端にはドクロマークで示された博麗神社があり、そこの南西五百メートルほどのところに、バッテンがついている。幽々子はそこを指差し、言った。

「ここにバッテン印があるわね。いい? バッテン印よ。ハッテン印じゃないわ。それで私が言いたいのはね、死神ちゃんとスズメちゃん、あなたたちにはここに向かってほしいのよ。ここがどこなのか先に言わせてもらうけど、炭鉱だわ。そこでむさ苦しいお兄さんたちのお仕事を手伝ってほしいのよ」

 小町は片眉を吊り上げた。疑問に思ったのは幽々子の言葉の意味ではなく、文がにこにこしたまま不満一つ漏らさなかったことだ。まあどうせ、小町の醜態をいつカメラに収められるのかが楽しみだからだろうけど。はっはは、面白いなカラス天狗、現場についたらカメラを噛み砕いてやるぞ。

「いいだろう」と小町は言った。「まあ別に、何でそこに行かなくちゃいけないのか、なんてのは訊きゃしないよ。処罰の方法に理由なんかいらねえ、て映姫様も言ってたしね。だがゆゆさん、それは一日で終わるんだろうね」

「半日で終わるわ」幽々子は言う。

「そっか。それじゃあ安心だ」小町は立ち上がり、文の手を引っ張った。「それじゃあさっさと行かないとな。帰ってきたら三十万、頼むよ」

「ええわかってるわ。妖夢、一万円と二十九枚コピー用紙を持ってきなさい」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 サービス精神旺盛な小町は、炭鉱につくまで三途の川の長さについて説明していたのだが、文はとうとう最後まで、うん、へえ、そう、と相槌しか打たなかった。これは百パーセント聞いていないな。しかし小町は喋り続けた。だがその努力も、「あ! あれがそうっすよ!」とはしゃぐ文の声にかき消され、砂の城に蹴りをくれるように崩壊させた。

 そこは十五メートルほどの崖だった。暗闇しか映さない炭鉱の入り口があり、そこから舌のようにトロッコのレールが伸びている。入り口の近くには、蓋に汚水が溜まっているドラム缶が数本と、腐った木材がいくつか落ちている。入り口の上が大きく抉れているのが気になるが、崖崩れでも起きたのだろうか。だがまあそれよりも――。

「ふうむ」小町は大鎌の柄の底で軽く文をつついた。「あたいの目には、ここが人のいるような炭鉱には見えないんだがね。お前さんはどう思うよ?」

 文は辺りをきょろきょろしながら言った。「確かにこのへんには誰もいないようですね。でも、外にはいないだけかもしれませんよ。奥にはきっとわんさかいるに違いないんです、ともかく、四の五の言わずに中に入りましょうよ」

 小町が答えを出す間もなく、文は入り口に向かってぱたぱたと駆け出す。その体が暗闇に溶け込んでいくのを見て、仕方ないなあ、と思いながらも小町はついていった。

 黒の中に足を踏み入れる寸前、入り口のすぐ側に、二、三本の花が置かれているのを発見し、ふと足を止める。しかし、それほど気にすることでもなかったので、かまわず炭鉱の中に入った。

 中は幅二メートルほどの通路だった。明かりと呼べるものはまったくないが、それをつけるためのランプは壁に一定の間隔を空けて取り付けられている。しかし、それらは全て埃を被り、とても使えそうにない。けっこういい加減な連中なのか、と小町は思った。

 それにしても、と小町は幽々子を思い浮かべる。西行寺の娘さんも、何を考えているのか。こんな、廃坑と呼んでも誰も文句を言わないであろうところに、まじめで優柔な死神を手伝いに行かせて、幽々子に何か得でもあるのだろうか。

 それとも、単に自分に働く苦しみを教えたいだけなのか。そっちの方が当たってそうだな、と小町は思った。幽々子のことだから、卒塔婆を売るという行為が、サボり癖のある小町に与えられた処罰であることぐらい、見抜いているのかもしれない。なぜわかるのは考えない方がいい。わかっているから、わかるのだ。

 しかし、それだったらもうちょっと明るいところに連れて行ってほしかったよなあ。文句の一つも言いたい気分になっていると、前から焦った様子の文が走ってきた。

「おう、どうしたよ」小町が声をかけると、文はぴたりと止まった。

「すみません、実は白玉楼にカメラ忘れてきちゃって。十六秒で戻ってくるので、先に行っててくれませんかね」

 そう言って、文はまた駆け出す。別に持ってこなくていいんだけどなあ、とその背中に言ってやりたかったが、面倒なのでやめた。

 背後の出入り口の光が、ハンバーガー並に小さくなるまで進んだところで、小町は足を止める。一メートル先は左に折れていたのだが、そこに差し掛かるすんでのところに、〝安全第二 俺様第一〟と書かれた、錆びだらけの薄汚れたバリケードがあったのだ。線路もそこで途切れている。ここから先はない、ということだろうか。ふと目の端に白いものが映り、右に顔を向けた。〝本日休み〟と書かれた紙が張ってある。昨日今日取り付けたばかりのような、汚れの少ない綺麗な紙だ。

「おいおい、愉快な紙を貼り付けてくれてんな」小町はがっかりしたような声を出した。本日休み。なるほど、どうりで誰もいないわけだ。これは本気で文句の一つぐらいは言った方がいいかもしれない。いやそれとも、やってきましたと嘘をついて、何食わぬ顔で三十万を受け取る方がいいだろうか。よしそうだ、そうしよう。

 そのとき、左に折れた先から聞こえてくるかすかな話し声に気付かなかったら、そのまま振り返って外に出ていただろう。もしや職員か、と思って小町は聞き耳を立てる。耳鳴りにかき消されてうまく聞き取れないが、その呟くような声は、小町を不可解な気持ちにさせた。

 あれは、子供の声だ。まだ声変わりを迎えていない小さな男の子と、熊のぬいぐるみが喋ったらこういうのだろうな、と思えるくらいかわいい小さな女の子の声。小町はしばらく、妖精が会話しているようなそのかすかな音に耳を傾けていた。もしかしたら子供が探検に来てるんじゃないか、と思うまでにかかった時間は、大体二分ぐらいだった。

 いかんなあ、と小町は思った。子供にはしかるべき遊び場がある。少なくともそれはここじゃあない。どちらかというと、ここは遊び場にしてはいけないところだ。あの世の案内人として、ここは一つ叱ってやらないとな。大丈夫、毎日映姫様に怒られているから、他人への叱り方はしっかり心得ている。

 小町はバリケードをどかして通路を左に曲がり、十メートルほど先の突き当たりにあった引き戸を見つける。ドアと壁の間から、微かに光が漏れている。小町はノックもせずにそこを開けた。

 そこは五畳ほどの部屋だった。奥には、折れ曲がり途中で切れている、切れ口を地面につけている錆びだらけのダクト。真ん中にはところどころ欠けた木製のテーブル。それを見下ろす、白いランプ。壁の端には埃だらけのストーブが一つ。多分ここは休憩所か、事務所なのかもしれない。

 テーブルには、二人の子供たちがついていた。薄緑の着物を着た十二歳ぐらいの男の子と、十歳ぐらいの、茶色の服を着た長髪の女の子。二人とも絶句して、青白い顔を小町に向けている。小町はこの子供たちに、自分が死神であることを伝えて怖がらせてやりたくなったが、泣き出されるのも嫌なのでやめた。

「もしかしたら、どっちかはインディなんとかが好きなんじゃないかい」小町は出し抜けにそう言った。「そうだっていうんなら、今すぐ帰ってその映画の続きを見るべきだ。そうじゃないってんなら、今すぐ帰ってお母さんの肩でも叩くべきだ。わかるね、ん?」

 子供たちは何も喋らない。小町はさらに言った。「子供は遊ぶものだけど、遊び場所を間違うのはよくない。ここは大人の人の仕事場なんだからね。さあ、わかったらさっさと家に帰るんだ。大人の言うことを訊かない悪い子は、三途の川を渡るときに、ワニに頭を噛まれるよ」

 そのとき、長髪の女の子が声を上げた。かわいらしい声だった。「もうちょっとここで遊びたいわ」

「それの許可をおろすのは難しいな」と小町は笑って言った。「怖いこと言うけど、もしここに危ない物があったら、お前たちは死ぬかもしれない。大人の仕事場には大抵そういうものがあるもんさ。大人はそれを対処する術を持ってるが、まだまだ子供のお前たちじゃあそうはいかない。じゃあどうしたらいいかというと、このまま家に帰ることだ。そして別の安全なところで遊べばいい」

 二人の子供は視線で会話でもするかのように、互いに顔を見合わせた。その間に小町は、映姫様だったら子供にも容赦なく厳しい声をぶつけるだろうな、と思って笑いそうになった。大して怖くないのが欠点だけど。

 そしてやがて、二人は渋々テーブルから離れると、小町の側にやってきた。

「おお、よしよしいい子だな、お前たち」小町は言って、横に向けたどんぐりみたいな目をしている男の子の頭を、一回撫でた。「大人の注意をしっかり聞く子は、死ぬ寸前にいい墓に入ることができるんだよ。よかったねえ、羨ましいねえ。よし、行くか」

 小町はさっと振り向き、数歩進むと、後ろへ首を回した。あの小さな子たちがちゃんとついてきていることを確認すると、よしよしと頷きまた進んだ。

 曲がり角に差し掛かったときだった。

 低く重い大きな音が、炭鉱内を振動させた。それはおそらく、小町が自我を持ってから初めて聞いた轟音に違いない。口がやけに大きい正体不明の巨大な化け物が、肺を振り絞って上げる怒りの叫び声のような音だった。それと同時に揺れの大きい震動が起き、小町は危うく倒れかかった。

「おいおい、なんだなんだ」揺れと音がおさまった頃、小町は仰天した声で言った。振り向くと、二人の子供は互いに手を繋ぎ合って座り込んでいる。ちょっと胸が痛んだ。子供が怖がってるところを見るのは、あんまり性に合わないのかもしれない。死神だなんだ言って驚かせなくてよかった。

 小町は子供たちに駆け寄ろうと思ったが、ふと嫌な予感がして、曲がり角の方に向かった。

 なんてこった、と小町はへらへら笑いたくなった。本来ならここから一番奥には、希望を見せてくれる眩しい出入り口があるはずなのだが、今は真っ暗闇だ。出入り口が崩れてしまったのだ。

 小町は肩をすくめる。「これはいわゆる、神様の勤労感謝って奴かい? でも残念だ、こんな素晴らしいものは、あたいの柄に合わないよ。もうちょっと控えめな方がよかったかもねえ」

 背後に気配がしたので振り向くと、いつの間にか二人の子供たちがいた。石造みたいにその場に突っ立って、口をぽかんと開けたまま青褪めている。小町は、子供たちが音も出さずに自分のすぐ近くに来れたことに、少々驚きを感じたが、すぐにそんなのどうでもよくなった。

 狭い炭鉱内に閉じ込められてしまった。

「まいったねえ」小町は苦笑いして言った。「この炭鉱さんは、あたいたちが大好きなんだって」

 満面の笑みでなくとも、ちょっとぐらい微笑んでやれば子供たちも安心するだろう。小町はそう気楽に考えていたが、その二人のうちの一人、女の子の顔から、絶望の色が消え失せることは無かった。そしてその顔は段々と泣き顔に切り変わっていく。この炭鉱内を女の子の惨めな泣き声が支配するまで、そう時間はかからなかった。

 女の子の声が鼓膜を刺激していくうちに、黒板を引っかいているときの音を聞いているような心地になり、小町は少々頭が痛くなった。だが男の子は、そんなの全く苦にしていないような平然とした顔で、女の子の肩を揺さぶり「泣くなよ」と言っている。なかなかの奴だな、と小町は思った。泣かないのは男の子だからかな? 

 だが女の子は泣き止む気配がなかった。男の子の顔に困惑が浮かぶのが見えたところで、そろそろ自分の出番だな、と小町は思った。誰かを慰めたことなんてほとんどない小町だけど、小さい子の一人や二人ぐらい、安心させることはできるはず。膝をついて女の子と顔の高さを合わせ、鎌を傍らに置き、極力腕に力を入れないように女の子の体を抱き締めてやった。

 途端、むしょうに恥ずかしくなって、小町は頭だけアマゾンの奥地に行ってしまったような気分を味わった。こんなのは柄に合わない、実に合わない。今すぐにでも離れたくて仕方なくなったが、女の子が抱き返してきたもんだから、そういうわけにはいかなくなった。くっそ、食らを皿わば毒までだ、と小町は思い、女の子の頭をぽんぽんと叩いてから言った。

「大丈夫よお嬢ちゃん、大丈夫大丈夫。死ぬほど大丈夫だ。なーんにも怖いことはない。なんてったって、お前さんは強い子だからね。こんなところでひどい目にあうことはないよ。あたいが保証しよう。なあに、何も保証書にサインさせて個人情報をふんだくろう、だなんてことをするつもりはないよ。ただ、あんたは強い子、ここで泣くべき子じゃない、て言ってるんだ。わかったな? よしよし、わかったら泣き止むんだぞ。お前さんは強い子なんだから」

 もしかしたらこの女の子は、自分の言葉の半分も聞いていなかったかもしれない。抱き締めた瞬間にはもう、泣き止んでいたからだ。そう思うと、またもや頭だけ熱帯雨林に飛んでいきそうになった。ちゃんと聞いてくれよ、恥ずかしいじゃないか。

 小町は女の子を離すと、右手で女の子の手を、左手で男の子の手をとり、崩れた出入り口に向かって歩いた。そこにつくと手を離し、何度か出入り口を塞ぐ岩をこつこつ叩く。うん、固いな。少なくとも、蹴りをくれたくらいじゃびくともしないだろう。

「あー、まいったまいった」どっと疲れが押し寄せてきて、小町はその場に座り込み、壁にもたれた。こんな調子じゃあ、一日なんてあっという間に過ぎてしまう。終日ずっと炭鉱内に閉じ込められてました、なんて映姫に知れたらどうなることか。怒り狂ったバッファローの本心を隠す、穏やかな映姫の笑顔が想像され、ひどくぞっとした。

 ああそういえば、と脳裏にカラス天狗の小憎らしい顔が思い浮かぶ。あのカラスさんは、一体いつになったらここに来るんだ? 十六秒で来るとか言っておいて、一向に姿を現さない。カメラ探しに手間取っているのか。それとも、カラスの肉に興味を持った幽々子に、胃袋にお引越ししませんか、とでも持ちかけられたのか。

 男の子と女の子が二人手を繋いで、小町の隣に座ってきた。ちょっと気分がよくなったのは、もしかしたらその子たちは自分になついているんじゃないか、と思ったからだ。何か話そうと思ったが、男の子に先を越された。「僕たちどうすればいいの」

 その声には微かに震えがあった。女の子は泣き止んでいるが、暗い方向に話を持っていったらすぐにまた泣き出しそうだ。そこで小町は、舟の上で魂のお客さん相手に鍛えた話術で、一時的にでもこの炭鉱内を、トークショー番組に出しても差し支えない空間にしてやろう、と思い立った。目の前で落ち込んでいる子がいたら、楽しませなくてはならない。これが重要だ。

 小町は一度軽快な笑い声を上げると、目を丸くした子供たちに向かって言った。「どうもしなくていいさ。何もする必要はない。あたいの友達がもうすぐここに来る予定だから、百パーセント間違いなく助かる。だから大丈夫だ。気楽に行こう」

 子供たちの目に希望の色が入ったのを見たとき、小町は自分が、神様でもなし得ない善行をしたように思えた。いっそ死神をやめて、保母さんにでもなろうかと思ったほどだ。

「本当に助かるの?」女の子が期待たっぷりな声で訊いてきた。

「嘘は言わないって生まれたときから決めてるんだ、姉ちゃん――」

「小町さーん!」

 小町が喋り終えたときと、岩の向こう側から、苦しみなど一度も味わったことのないような明るい声が聞こえたのは、ほぼ同時だった。それ見ろ、と小町の心のどこかが踊り狂った。言ったそばからだ。あのカラスっ子には何度か困らされたが、使えるときにはとことん使える。

「ほら来たほら来た」小町は嬉しそうに言い、岩に手をついた。「文、聞こえてるな? 十六秒で帰ってこなかったことに関しちゃ、文句は言わない。だから今すぐ、この忌々しい岩をどかしちまってくれ。一人でどうにもできないなら、里から力自慢の奴を何人か集めてきてくれよ。そうしないとあれだ、一ヵ月後くらいに、死神と幼い子供の白骨死体の写真を、お前の新聞に載っけることになっちまう」

 返ってきたのは、「え?」という呆けたような声だけだった。しかしその声は、小町を奇妙な気持ちにさせるには、十分過ぎるパワーを持っていた。状況がまったくわからない、といった感じだったのだ。小町は思わず黙ってしまう。この場には何一つ、小町の置かれた状況をわからなくする要因はないはずだけど。ややあって、誰かと話をしているような文の声が聞こえた。

「え、あや、あ、そうなんですか! そうかそうか、なら仕方ないですね。ちょっとびっくりしちゃった」次の声は、炭鉱内の小町に向けられた。「すいませんね小町さん、いやあ、実は一緒に来てる幽々子さんが、岩を食べたいとか言い出しましてね。で、今聞いたんですけど、岩じゃなくてイワシだったみたいです。すみませんね」

「はーい、幽々子よー」とぼけた声が文に続く。

 なんだよそうか、と小町は安堵した。あんまり奇妙な気持ちにさせないでくれ。それにしてもゆゆさんも来てるとは、心強い。これは思ったより早く出られそうだ。

「子供たちもいるなら、早く出してあげないといけませんね」文が言った。「待っててください、今から幽々子さんと一緒に、里の人を呼んできますから」

「今度こそ短時間で頼むよ」言ってから、小町は大事なことを思い出した。「そういえばゆゆさん、この炭鉱は今日休みらしいんだ。それでも三十万くれるのかい?」

 岩の外から幽々子の声がする。「もちろんよ。心配しないで」

「そっか。そいつはよかった。これで閻魔様から、最高の接待を受けることはなくなるな」肩の荷が下りる、というのはこういうときに使うのかもしれない。小町は子供たちの側に座り、中指を立てかけて、慌てて親指を立てた。「ほれ見ろ、大丈夫だって言ったろ」

 子供たちは手を繋いで喜ぶ素振りを見せ、それから女の子が小町の片腕を掴み、これを物質に例えたら蛍光灯だろうな、と思わせるくらい明るい笑顔をして言った。「ありがとうお姉さん!」

 小町は笑った。「はっはは、ええよええよ。まあ、もう心配事は何もないわけだし、里の人たちが来るまで何か話でもしていようや。うーん、そうだねえ、例えば、お前さんたちはどうしてこんなところに遊びに来たのか、とか」

 少し心臓の鼓動が速くなったのは、子供たちの明るい笑顔が段々となくなっていくからだ。ああくそ、前言撤回という言葉が、物理的に使えたらいいのに。いやまあしかし、訊いてしまったものは仕方ない。小町は子供が喋るまで待った。

 やがて、男の子が答えた。「あんまり外で遊びたくないんだ」

「その理由を言ってくれると、お姉さん嬉しいねえ」

 すると男の子と女の子は、相談するように顔を見合わせた。それを見ながら小町は、この子達はもしかして兄弟なのかな、と思った。双子ではないようだけど。やがて、男の子が曇った顔を見せて言った。「僕たちお金ないから、外に出るといじめを受ける」

「おいおい」と小町は思わず言った。「また深刻な理由を持ち出してきたな」

「あいつらはひどいんだ。簡単に言うとクソ野郎さ。僕らを見かけると、よってたかっていじめてくる。だからこういう、人目につかないところで遊ぶしかないんだ。ひどいザマだろ?」

「ああ、ひどいザマだ。そうか、いじめられてるのか……」

 はてさて、話すことだけは一丁前にうまい小野塚小町は、この哀れな子供たちになんて声をかけるべきなのか。心を包み込むスモッグを吹き消すには、どういった話をすればいいのだろう。しばらく考え、やがて小町は言った。「なあお前さんたち、ちょっといいもん見せてやるよ」

 子供たちの顔がこちらに向いた。小町はその子たちの前に、手相でも占ってもらうかのように右手を差し出し、そこに片方の手を重ねた。うーん、と念じたふりをすると、手を離す。右手のひらの上には、映姫の卒塔婆みたいに金に輝く、十枚の銭貨があった。子供たちの顔が、その輝きを吸ったように明るくなっていくのを見て、小町は子育てを楽しむ親の気持ちがわかった気がした。

「すごーい! どうやったの!」女の子がはしゃいだ声を上げた。

「そいつは秘密さ。まあとにかく、全部で十枚ある。二人で仲良く分け合いな」言って、小町は女の子と男の子の手に、それぞれ五枚ずつ銭貨を乗せてやった。女の子がまた、「ありがとうお姉さん!」とはしゃいだ声をあげる。男の子もそれに続いて、同じ言葉を言った。何よりも安心したのが、子供たちにつきまとっていた薄暗い影が、綺麗さっぱりなくなったことだ。子供ってのは忙しい奴だな、と小町は思った。感情の切り替えが実に早い。それの一挙一動にいちいち振り回される大人も、似たようなものだけど。つまり、総じて人間は忙しいということだ。死ねば楽になるってのは、あながち間違いでもないな。

「ねえお姉さん」銭貨を大事そうに握り締めたまま、女の子が訊いてきた。「お姉さんは、どうしてここに来たの? やっぱり誰かにいじめられてるの?」

 小町はそのかわいらしい肩をぽんぽん叩いた。「いんや、そんなことないぞ。私のところには人をいじめるような悪い奴はいなくてなあ。ちょっと偉い人から、おつかいを頼まれたんだよ。ここの炭鉱の人たちを手伝ってほしいってね。でも、今日は休みみたいだ。はっは、笑っちゃうね」

 すると、女の子は首を傾げた。「ここはずっと前から誰もいないよ」

「またぶっ飛んだことを言うね」

 小町はサボっているときテレビで、豆電球をつけるために回路をいじくっている番組を見たことがあるが、自分の頭も今同じことをしているのかもしれない。配線を色々繋いで、必死に電気をつけようとしている。自転車が、自分の目の端から端に向かって移動するまでの時間を経たあと、その電気は脳内でまばゆい光を放ち、小町の目をかっと見開かせた。

 まさか幽々子にからかわれてたんじゃないか。そう思ったのだ。廃坑に行かせて閉じ込めて、小町の慌てっぷりを見て喜ぶために、こんなことを思いついたんじゃ。いかんぞお死人嬢、それはいかん。それじゃあまるでサディストじゃないか。かわいい笑顔の裏に、とんでもない邪悪を秘めていやがる。面白いな、うちの上司と同じだ。あとで二人で旅行にでも行ってみたらどうか? それもただの旅じゃない、マゾほいほいの最高の旅だ

「それは面白い言葉だね」小町は苦笑いしか浮かべられなかった。「まさか廃坑だったとは……。文は気付いていたのかねえ。いやちょっと待て、もしかして、あたいに注意力が足りなかっただけか? はっ、そりゃあジョージさんが大統領になるぐらい悪い冗談だな」

「やっぱり誰かにいじめられてるの?」男の子がそう訊いてきたので、小町は片手を振って否定した。

「ああいやいや違う違う。お茶目な人たちのお遊びに巻き込まれちまっただけさ、何も気にすることじゃない。それよりな、ほら、もうちょっと楽しい話しよう。ほれそこ、なんかないか?」

 小町は女の子の頭を撫でた。子供たちは納得していなさそうな顔をしていたが、しばらく経ってから、女の子がその瞳に悲しみの色を入れて、こう訊いてきた。「ねえ、お姉さん大人だよね。ということは頭がいいんだよね。だから訊くけど、どうして皆はお金がない人をいじめるの? それだけが、ずっとわからないの」

 それはあまり面白くない話だな、と思いはしたが、子供の質問にはまじめに答えてやらなくちゃいけない。小町は笑って言った。「それは多分あれだ、やっつけてほしいからだよ」

 子供たちはきょとんとした。小町も話が続けられなくて少し困ったが、言葉のパーツを一つ一つ丁寧に組み上げて、なんとかその先を言うことができた。「世界中に悪い奴らがいるだろう? あれは全部、自分のことをやっつけてほしいから悪いことをするんだ。暴力を奮われることに快感を覚える連中だ。生まれつきそうなんだ」

 なんだかわけのわからないことを言っちまったな、と小町は自分に呆れた。もっと気の利いたことは言えなかったのか。見てみろ、子供たちはどんな反応をしていいかわからず、ぴくりとも動かない。小町はなんとしてでも、その顔を明るくさせたかった。今までに感じた悲しみの感情がどんなもんだったか忘れるくらい、嬉しくさせてやりたかった。鬱が嫌いな小町は、子供が悲しそうにしているところを見るのが耐えられない。そのためにはどんな言葉を言えばいいのか。さあ考えろ、今のこの沈黙は、考える時間だ。

 考えている間に、男の子が喋り出した。「僕たちをいじめてた奴も、それに当てはまるの?」

「もちろんさ」でたらめなこと言うなよ、と思いながらも小町は言った。「だからやっつけていいんだ。閻魔様はどんな暴力も許さないかもしれないが、あたいは許す。丸めた紙切れみたいに、ぼこぼこにしてやれ。奴らは暴力が大好きなんだ。だから暴力を与えてやるんだ。素敵な贈り物だろ?」

「でもあいつらは強い上、いっぱいいやがる。僕には、二百年経ってもやっつけられやしない」男の子はそう言い、顔を伏せた。

 その顔をそれ以上下に向けちゃいけない、と小町は思った。だが思っているだけじゃあだめだ、それはわかっているな。実行に移さないといけない。しかし気の利いた言葉が思いつかない。言葉を合体させてる時間なんてなかった。男の子の顔を陰気が包み込む。小町はもうやけになった。男の子と女の子を、二人一緒に抱き締めてやった。

「よーしよしよし、あたいの話しを聞け。聞くんだ。よーく聞くんだ。こいつを聞けば、今すぐにでも笑顔になれるぞ」男の子の頭をぽんぽんと軽く叩いた。「お前さんは男の子だ。男の子は女の子を守らなくちゃいけない。だがね、時たま自分の手には負えない、最低な敵が現れるもんだ。そのときは人に任せるんだ。もっと強い人にな。そうすりゃ全部終わる」

「でも」と女の子が、弱々しい声を上げた。「大人の人、皆私たちのこと無視するの。お金がないから見返りがないって思って、助けてくれないんだ。きっと」

 小町はあはは、と笑ってやった。「そうかそうか。困った大人がいるもんだな。よし、それならあたいにお願いしてみたらどうだ? お金なんかいらないよ。円じゃあないが、金なんか腐るほど出せるしね。あたいがその悪い奴らをやっつけてきてやる。お前たちを守ってやる。な、これで文句ないだろ? だからにっこり笑ってみろ。にっこりとな」

 二人を離し、小町は膝立ちになって子供たちを見つめた。子供たちは、まだ何か疑っているような顔をしていた。男の子が喋った。「僕らは貧乏だから、大人になってからもいじめられる。そのときも、暴力で解決しなくちゃいけないの?」

「それはやめといた方がいいな」小町は微笑みかけてやった。「大人になっていじめられたら、助けてくれる人のところに逃げるべきだ。誰も文句言いやしないよ。それにもし現世に敵しかいなかったとしても、死後の人たちは皆お前さんたちの味方だぞ。だからほら、そう気を落とさなくっていいんだよ。つまらない人生を送っちまった奴は、閻魔様が同情して、楽しみしか感じられない来世に生まれ変わらせてくれるんだ」

「それは本当なの?」

 女の子が訊いてきた。小町は自分が死神であることを伝えようかと思ったが、結局やめて、こう言った。「もちろん本当さ。あたいは嘘を言わない誠実な奴なんだ。そうだ、あたいが先に死んだら、お前さんたちを天国に送ってくれるよう、閻魔様に頼んでやるよ。な。だからほれほれ、元気出せ」

 子供たちはまだどこか心配しているような様子だったが、一応笑顔を浮かべてくれた。だがまあ、それで十分だ。小町は二人の頭を、初めて獲物を捕らえることのできた犬を褒めるみたいに、がしがしと撫でてやった。

「お姉さんありがとう」男の子が言った。「お姉さんほど元気付けてくれる人は、僕の生涯には一人もいなかったよ」

「あっはは、そうかそうか。それはよかった」

 小町が笑ってそう言ったあと、閉ざされた出入り口の向こう側から、聞き慣れた文の声が響いてきた。「こまーちさーん、生きてますかー? 里の人たちを呼んできましたよー」

「おお、でかしたぞ」小町は言って、さっと立ち上がった。「よかったなあお前たち、もう出られるぞ。さあ、ここから出たら悪ガキどもの場所に行ってみようか。このあたいがやっつけてやるからな」

 子供たちは小町を見上げ、助けが来たことで気が緩んだのか、固さが全くない明るい笑顔を浮かべた。いいことをしたな、と小町は思った。これはきっと、マザーテレサでも成し遂げられない善行に違いない。今日はきっと酒がうまいぞ。

 そこで小町は、自分の手がやけに寂しいことに気がついた。この違和感の正体を突き詰めていくうちに、あの死神の象徴である大鎌に思い至った。ああそうか、最初に女の子を抱き締めたときに、曲がり角に置きっぱなしだったんだ。小町は「ちょっと待ってろ、忘れ物だ」と子供たちに言うと、ぱたぱた駆けた。

 思った通りそこには、まるでこの廃坑に数多く転がっている石の一つであるかのように、無造作に置かれている大鎌があった。小町はそれを持ち上げ、振り返るが――

「……きゃ、きゃん?」

 小町は間の抜けた声を出した。思考がこんがらがった糸みたいになり、どうしていいかわからず体が硬直する。さっきまで出入り口を塞いでいた岩が、種のない消失マジックのようになくなっていたのだ。

「んん? ん、んん? ん? おろおろおろ?」

 糸が少しずつほどけてきた頃、小町は自分の聴力の心配をし始めた。いやこれは冗談ではなく、非常に真面目な問題だ。岩で塞がれていたはずの出入り口が、入ってきたときとまったく変わらない大きさの口を開けている。里の人たちが開けてくれた、というのはわかるが、物音が何一つ聞こえなかったのはどういうことだ? 

 そういえば、子供たちの姿もない。なんだろう、もう外に出てしまったのか? 小町はしばし、その場に立ち尽くして考えた。体に自分の魂が戻ったのは、逆行で黒いシルエットにしか見えない誰かが、出入り口に立ったときだった。「こまちさーん。何してるんですか、早く出てきてくださいよ」

 どうやら、あれは文みたいだ。何か釈然としないが、小町は出入り口に向かって歩き、眩しい太陽光線が降り注ぐ外に出た。

 その場にいたのは、にこにこした文と、廃坑の上を見上げている幽々子だけだった。里の人間は影も形も見えないし、岩をどかした形跡もまったくなく、あの子供たちもいない。状況がわからない、なんてものじゃなかった。言うなれば、虎の腹を裂いたらキリンが出てきて、その腹を裂いたらまた虎が出てきたところを目の当たりにしたようなものだ。不可解、不可思議といった言葉で形容されるべき感情が、小町の中を支配していた。そんなだったから、目の眩む太陽の光も、少しもありがたいと思えなかった。

「なあ」と小町は、辺りを見回しながら言った。「里の人間がいないようだけど、どういうことかね。まさか、新型の迷彩でも開発したのかい?」

 文が言った。「そんなもん作ってませんよ、やだなあ。まあ意味がわからないかと思いますが、とりあえず聞いてください。里の人間は一人も呼んでません。そして私たちは、あなたが廃坑に閉じ込められた、と思い込んだときから、ここにずっといました」

「ちょちょちょっと待て文さんよ。思い込んだってのはおかしいぞ。まさかお前さんは、一つしかない出入り口を岩で塞がれても、開放感抜群の空間に自分がいると思ってるのか」

 舌を噛みつつも小町が言うと、文は幽々子に目配せした。幽々子は小町の脇を通り過ぎると、出入り口の側にあった花の前に座り込み、昔話でも語り聞かせるような口調で言った。

「むかしむかしあるところに、お金がなくて一日二食が限界の貧しい家庭がありました。その家の子供は貧乏であることをからかわれ、他の子供たちから泥をぶつけられたり、侮辱されたりしていじめられていました。

 ある日、その家庭の食料とお金は危機に陥り、困ったお父さんは子供を二人連れて、廃坑に向かいました。食い扶持を減らすため、殺して埋めようと思ったのです。どうせいじめられているのだから、誰も不審には思わないだろう、お父さんはそう考えていました。

 しかし、やはり血を分けた自分の子に、直接手を下すことはできませんでした。だから崖の上を、危険な店で盗んできた爆弾で壊し、がけ崩れを起こさせて、出入り口を塞いでしまったのです。そして子供たちは廃坑に閉じ込められ、餓えて死んでしまいました」幽々子はいったん止めると、元の口調に戻った。「地獄にいたその子たちのご両親から、閻魔様が聞きだしたものよ」

 小町は黙っていた。喋るべき内容が何もなかった。しばし間を空けたあと、幽々子はまた口を開いた。「死神さん、あなたが閉じ込められた、と思ったのは、その子たちに幻覚を見せられたからなのよ。自分たちの死んだときの気持ちを、あなたにも味わってほしかったのね。だからそこのスズメさんには、あなたがちょっと奇妙に見えたの。私が止めなかったら、岩をすり抜けてあなたをびっくりさせたでしょうね」

「させますよー、何せ天狗ですからね」文は胸を張って言った。

 小町は頭の中で何かが整合したような気がして、言った。「ということはゆゆさん、あたいが話してた子供たちは、その死んだ子供たちだってのか。未練を持って現世をふらふらさまよい歩く、かわいそうな幽霊さんだってのか」

「そうよ」

「おい、はっはは、くそ、そりゃびっくりだ!」

 幽々子は花を一本取った。「このお花は、三日前にここを通りかかったとき、私と妖夢が置いたものよ。こんなんで供養できるとは思ってないけど、無視するのもなんかかわいそうだから」

 しばらく花をいじったあと、幽々子はそれを元の場所に置き、立ち上がって振り向く。小町の前にまで来ると言った。「あなたにここに来てもらったのはね、死神さん。ここにいるかわいそうな子供の幽霊を、供養してほしかったからなのよ。幽霊ってね、心から安心したりすると、成仏しちゃうものなのよね。でも口下手な私には、安心させてあげる自信がなかった。毎日舟の上で違う誰かと話しをしてるあなたなら、人を安心させることぐらい簡単なんじゃないか、と思って大抜擢したのよ。そして、あなたは私の期待通りに、子供たちを成仏させてくれたわ」

 幽々子は振り返って、炭鉱の上を見上げた。小町も同じところを見るが、もう空に昇っていく魂なんてかけらも見えず、ただ青い空が広がっているだけだった。

「優しいお姉さんに会えてよかった、て、言ってたわ」幽々子は言う。「あんなに優しく励ましてもらったことなんか、今までで一度も無い、て。スズメさんには聞こえなかったみたいだけど」

 幽々子がくすくす笑うと、文はむくれ面をした。「私は幽霊ではなく、立派な生物ですからね。幽霊の声だなんて陰鬱なものは、聞こえなくていいんです!」

「あらあら、ごめんなさい」幽々子の顔は小町に向く。「まあとにかく、心優しいあなたのおかげで、二つのかわいそうな子供の霊は救われました。お駄賃をあげるわ。そういう約束だったものね。ええと、確か三十万だったかしら。卒塔婆の分が百円だとすると、残りの二万九千九百円は、あなたの努力分ね」

「二十万九十九百円ですよ」

「二十九万九千九百円だ」

「あなたたちはずいぶん、細かい人生を生きているのね」

 幽々子は胸元から、レンガの半分くらいの大きさの白い封筒を取り出し、小町の手を取ってしっかり握らせた。久しぶりに小町を疲れさせてくれた、この愛すべきクソ野郎はなかなかの重量だ。大体、缶ジュース一本分くらいだろうか。

 その封筒を触って、中にある札束の感触を楽しんでいるうちに、全身の力が抜けていき、小町はその場にどさりと座り込んでしまった。「うっへぇあー、よかったよかった。本当によかったよ。これでなんとか、この世の地獄を垣間見ずに済みそうだ」

 突然強い光が襲いかかり、小町はあまりの驚きで心臓を口から出してしまうところだった。だがそれは何も、凶悪な殺人光線ってわけじゃない。にやにやしている文の手に持たれたカメラが、そいつを証明している。

「人情味溢れる死神さんが、成仏できない子供の霊を救う」文が楽しそうに言った。「こいつはニューヨークタイムズよりいい記事が書けそうだ!」

「あら、それじゃあ私のことは絶対載せないでね」幽々子は扇子を使って自分にそよ風を当てながら言った。「あなたの素敵な新聞には、私みたいな亡霊は似合わないもの。もちろん妖夢もだめよ」

「はっはーん、そんぐらいわかってますよ! あなたたちを載せたりなんかしたら、私の新聞が下品なテレビ番組の心霊特集のネタにされちまいますからね!」

「死神さんの記事を書くつもりなら、それはおかしい理屈ねえ」

 文と幽々子はお互いを、扇子とうちわで扇ぎながらアハハと笑った。

 小町は二人のやり取りをまったく聞かずに、暗闇に包まれた炭鉱を見つめて思った――そうか、死んでたのか。あたいのあげたお金がなかったのは、あの世に一緒に持っていったからかな。すまないなあ、気付けなくて。死人だったのなら、このあたいが気付かないはずがないんだけどなあ。死神の勘がちょっくら鈍ったか? 

 だが大して危機感は持たなかった。それほど重要なことでもない上、そのうち戻るだろ、と楽観していたからだ。いつもそうだった。花が異常に咲き乱れようが、巫女が針を持って襲い掛かってこようが。だから、これからもそれでいこう。それでいいんだ。何も問題じゃない。映姫は怒るかもしれないが。

 しかしまあ、別に何から何まで前と同じ、というわけでもない。当分の間サボりはやめてまじめに働くかね、という約束もした。

 幽霊にはいろんな奴がいる。当然、あの世に行こうにも、未練があってなかなか素直になれない奴もいる。もしそういう奴らを送るときが来たら、今回みたいにアホなことを舟の上でべらべら話して、心の重圧を取り除いてやり、安心して、何も思い残すことがないくらい明るい気持ちにさせて、あの世に送ってやりたい。ただ舟を漕ぐだけなら、舟のケツにエンジンをくっつければいいだけなんだから。一方的でもいいから話して、楽しい気持ちのままあの世に送ってやろう。それが渡し人のやるべきことだ。

 そこまで考えて小町は、それじゃあ前と何も変わってないな、と思い直して笑いそうになった。まあとにかく、とっとと帰ってこの金を閻魔様の顔面に叩きつけてやったあと、あの子供たちが来世で楽できるよう、ちょっとお願いしてみるかね。

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 彼岸花が咲きほこる無縁塚には、それぞれ違う人種の存在が三人いた。一人目は、舞い上がる心を抑えきれず、ふんふんと鼻歌を唄う閻魔様。二人目は、そんな閻魔様に小町から買い取った卒塔婆を渡す笑顔の亡霊。三人目は、新聞を抱えているカラス天狗。彼女たちはとある作戦を決行し、それが見事に大成功したものだから、嬉しくて仕方なかったのだ。

「私は完全に策士ですね!」映姫が得意げに言った。そしてそれに、すげえっす、とんでもないわ、と必要以上にお褒めの言葉を返す、幽々子と文。

 小町はまだここには来ていない。どうせどこかで道草食っているんだろう。それはいつもなら咎めるべき行為だが、今の映姫にとってはそんなのどうでもいい。文から新聞をひったくると、それをぱっぱと広げ、賞状を自慢するかのように他の二人に見せた。

 その新聞の一面の見出しには、〝仁義の死神、子供の霊を供養する〟とあり、炭鉱内であぐらをかいて子供二人と話しをしている小町の写真が、その隣にあった。フラッシュをたかずに撮ったらしいのでよく見えないが、まあたいした問題じゃない。

「見てください二人とも!」映姫は誇らしげに言った。「あのサボりで有名なうちの小町が、親に殺された哀れな子供の霊を慰めるため、一生懸命に話しをしているところです!」

 幽々子はくすくす笑った。「大成功ね。この新聞が幻想郷にばら撒かれれば、職務怠慢で有名なあなたたちへのみんなの見方が、三百六十度変わるわ」

「いや怠慢してるのは小町だけですよ」まあとにかく、と映姫は卒塔婆で幽々子の頭をぽむぽむ叩いた。「幽々子さん、それから文さん、協力してくださってありがとうございますね」

 文と幽々子は人を小ばかにするように、大げさなくらいわざとらしく照れる素振りを見せた。

 ――映姫は常に人の目を気にしていた。毎日のように岸辺に寝転がっている小町を見ていると、嫌でもそんなふうになってしまう。冥界ってけっこういい加減らしいぜ、なんて下界のものに思われるのは屈辱以外の何ものでもない。だが嫌われるのも嫌なので、あんまり強く小町を叱るのも気がひける。なので映姫は、文にどこぞの国の大手会社、毎週新聞社のバッジを与えることを条件に、情報操作をお願いした(バッジはインターネットのオークションにかけられていたものを、一円で買った)。文は二つ返事で了承してくれた。

 だが、映姫は文に全部やらせるつもりはなかった。一人にあんまりあれこれ押し付けるのは、自分の性分じゃない。ということで、冥界の管理人であり、部下でもある幽々子に、芋羊かん五千個を褒美に出すことを約束し、善行をしている小町を撮影するにはどうしたらよいかを考えさせた。そして幽々子は、子供の霊がいる炭鉱を発見し、そいつらを供養させればイメージアップになるんじゃないか、と提案した。映姫は幽々子を天才だと思った。

 まず映姫が適当な処罰を下して小町の逃げ場をなくし、同時に現世へ下りる口実をつくる。卒塔婆が売れなくてとぼとぼしている小町を文に見つけさせ、白玉楼に連れて行く。そこで交渉成立したように見せかけ、小町を炭鉱に連れて行く。そして小町に、子供の霊を供養するという善行をやらせる。その記事を文に書かせ、幻想郷にばらまかせる。そして翌日から小町や自分に注がれる視線は、熱い尊敬の念がこもったものになる。これが、映姫の考えた威厳復活計画だ。

「元々閻魔様の卒塔婆なんて、畏れ多くて誰も買えるわけないのよね。別のものだったらすぐに買われて、作戦失敗だったわ」幽々子は笑って言い、映姫はそれに頷いた。

「実を言うと処罰はとっさに考えたもので、そこまでは計算していませんでした。それはさておき」と映姫は、文に新聞を返して言った。「その出来上がったばかりの新聞、どんどん増刷して幻想郷にまきなさい。それが、今のあなたにできる善行です」

「大変よくわかりました」文は言い、右手を差し出す。映姫はそこに、〝毎〟と大きく刻まれたバッジを乗せた。文はそれを見て嬉しそうに「これで私も、お給料ガッポで遊んで暮らせますね!」と言うと、身を翻し曇り空に向かって飛んでいった。その姿が見えなくなったあと、幽々子が映姫の方に何かを期待しているような顔を向け、ぺこりと一度頭を下げると、彼岸花に囲まれた道を歩いて去っていった。わかってるわよ死人嬢、と映姫は思った。あとでちゃんと白玉楼の蔵に、納まりきれないくらいの芋羊かんを送ってあげる。

 空の彼方から小町が飛んで来たのは、だいぶ時間が過ぎたあとだった。買い物袋を二つ持っている。それは映姫の姿を認めると、急降下してきた。もう少し体を動かすのが遅かったら、映姫は今頃上半身と下半身を引きちぎられていたかもしれない。

「はっはー! ただいま映姫様!」買い物袋を地面に置くと、胸元から分厚い封筒を取り出した。「目的のもん、しっかり持ってきましたよ。白玉楼んとこの素敵なお嬢さんが買ってくれたんです」

 ああどうも、と言って、映姫は金を受け取った。「ところで、その買い物袋は一体なんなんでしょうかね」

「ああこれっすか」小町は笑った。「実は今日めでたいことがあって、帰り際に買ってきたんですよ。酒瓶四本とおつまみが少量。ああ心配しないで、全部あたいのお金で買ったんだからね」

「まーたお仕事さぼるつもりですか」映姫が怒ったふりをしてそう言うと、小町はわずかに笑顔を固くした。

「いやいや、仕事が終わってから飲む予定ですから、そんな眉間に皺寄せないでくださいよ」

「別に寄せちゃいませんよ」

 小町があたふたしている間に、映姫はちょっと考えた。長いこと黙ったあと、こう言った。「まあ別にいいですよ。それより、見事私の与えた試練を乗り越えてくれたことですし、あなたに休暇をあげましょう。三日ほどね」

「そりゃぶったまげた」小町が、猫の鳴き声を発する蛙を見てしまったかのような顔で、言った。何か不満でも、と映姫が言うと、小町はぶんぶんと手を振った。「いやいや、そうじゃなくって。映姫様の口から休暇だなんて言葉が出たのは、初めてなもんで」

「要するに、私は閻魔であって鬼ではない、ということですよ」

 映姫は微笑みかけ、軽そうな方の買い物袋を持ち上げた。中に入っているのはえびせんやらっきょうや柿の種だったので、あまり重たいものを持ったことがない映姫でも、楽に抱えられた。しかし、小町にすぐそれを取られて「いかんですよ、映姫様にこんなものを持たせるわけにはいきやせん」と言われ、酒瓶が四本入った買い物袋を持たせられた。

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 数日後。

 いつものように参道に散らばった落ち葉を、霊夢がほうきで払っていると、後頭部に本をぶつけられたような衝撃が走った。なんだと思って振り返ると、下に新聞が落ちている。毎日朝七時ごろに送られてくる、文々。新聞だ。

「ああよかったわ」と霊夢は喜んだ。「窓拭き紙とトイレットペーパーが不足してたのよね、これで一週間は清潔に過ごせそう」

 霊夢は新聞を拾い上げると家に戻り、中身も見ずに、不要な新聞を入れる籠にぶっこんでおいた。ちなみにその下には、物乞いを思わせる文書が書かれた紙があったが、霊夢はもうそれを見たいとは思わなかった。恥ずかしかった。

「そういえば、魔理沙も新聞が足りなくて、紅魔館のトイレ使ってる、とか言ってたわね」霊夢は独りごちた。「あとで分けてあげなくちゃね。幻想郷で文々。新聞とってるの、うちぐらいのもんだし」

 霊夢は畳みの上に寝転がるとあくびをかき、猫のように体を丸めてすやすや眠り始めた。
ここまで読んでくれて本当にありがとうございます

内容としては、子供を優しく慰める小町といったところです

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コメント



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独特な会話の感じがツボでした。
四季さま策士だわー。
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ちょっと小粋な文章を書いてるつもりなのかもしれませんが正直ウザいです。
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あまりにも世界観が違いすぎて東方の二次創作を読んだ気になりませんでした。
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これいいな
理由はないけど気に入った
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ところどころ面白い。
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自分も細々SS書いてる身として、なけなしの自信が無くなります。