■注意書き等々
このSSは作品集75にある『発明とは失敗を……(以下略)』の設定をそのまま使っています。
また、一部キャラ(咲夜)の過去と幻想郷の地理に関して多少の独自解釈が含まれています。
以上の点を踏まえた上で御覧下さい。それでは本文スタートです。
私は十六夜咲夜。
レミリアお嬢様から紅魔館の規律と治安を任されているメイド長、人呼んで『完全で瀟洒な従者』。
命令された事を完璧にこなすのは勿論、状況を的確に判断して命令より先に動く事を常に心掛ける――そんなパーフェクトメイドだ。
お嬢様に仕えてから今に至るまで命令を違えた事は一度もない。状況判断を誤った事も同様に一度もない。
そんな私に、お嬢様は仰った。
『完全無敵の百花繚乱で筋骨隆々の合体スペルを考えておきなさい』
はっきり言おう。
お嬢様に仕えてから今に至るまでに私が賜ったどの命令より、難題だ。
完全無敵で百花繚乱、これは分かる。つまり強力で華麗、お嬢様はそう言いたかったのだろう。しかし、筋骨隆々……これが問題なのだ。
よく考えてみてほしい。そもそも筋骨隆々とは威力や機能性を示す言葉ではない。そう、体格を表す言葉なのだ。
つまり筋骨隆々を体現するスペルなど、常識的に考えてありはしない。寧ろあると言うなら今すぐ私の前で見せて頂きたい。
……しかし、だ。
私はお嬢様から命令を賜った。これは確かだ。
私はお嬢様に仕える従者。如何なる状況であろうとも、お嬢様の命令には全身全霊を以てして答えなくてはならない。
それが例え前代未聞の破茶滅茶な命令であっても。
私は十六夜咲夜。
人呼んで『完全で瀟洒な従者』。
だから、必ずこの命令をこなしてみせる。そう、私のこの二つ名に賭けて!
信念の従者
早朝の紅魔館は、射し込んでくる薄い光と紅い廊壁が相まって仄暗い。初見の人にとってはこの上なく薄気味悪い場所だろう。
また、この時間帯は基本的に誰もいないので、広い館に自分の足音だけ、というなんとも落ち着かない雰囲気がある。この館に仕えて間もない頃は怖くて歩いていられず、私はいつもダッシュで駆け抜けていたのを憶えている。
時刻は6時45分。そんな早朝の紅魔館の廊下を今私は歩いている。仄暗さも響く足音も慣れれば大した事はないのだ。
因みに目指す先はシャワールーム、私の朝の習慣だ。朝一番の、誰もいない中(といってもこの紅魔館で朝にシャワーを利用するのは私しかいないから必然的に私一人になる)でのシャワー――これがないと私の一日は始まらない。
ちらりと窓の外に目をやると、薄い陽光が柔らかく差し込んでいる。ここの所は愚図ついた天気が続いていたけど、どうやら今日はいい天気のようだ。
やっと洗濯物が乾かせる――そんな事を考えつつ、私は脱衣場へ入った。
シャワー中……
「ふぅ……」
シャワーを終えて浴室から出ると、私はバスローブを羽織って脱衣場の隅に備え付けられている小型の冷蔵庫に向かう。
パチュリー様が開発した魔法駆動式の冷蔵庫をコンパクトに改造してもらい、私が脱衣場に設置させたやつだ。
補強処置が施された木製のドアを開けると、中からはひんやりとした空気が顔を出す。そしてその奥に控えるのは、整列した短めの瓶達だ。その内の一本を手に取り、私は蓋を開けた。
私の朝のもうひとつの習慣、シャワー後のコーヒー牛乳――これがないと私は本来の6割程度の力しか出す事が出来ない。
左手を腰に添えて、右手できんきんに冷えた瓶をぐいっと持ち上げ、コクと甘味を一気に喉に流し込んだ。
「……ぷはー。んん、たまんない」
いつも通りの一気飲み。眠っていた脳が起きる。
それと同時に、働いていなかった思考も呼び覚まされる。内容は勿論――
「合体スペル……考えなくちゃ」
部屋に戻った私は髪を乾かしながら、昨日考えた事を整理していた。
完全無敵の百花繚乱で筋骨隆々の合体スペル――予想通り簡単なものではない。
完全無敵で百花繚乱、つまり華麗で実用性がある合体スペルなら案外すぐに思い付く事が出来た。
しかし、そのどれもが「筋骨隆々か?」と聞かれたら首を傾げざるを得ない物だった。
筋骨隆々――筋肉が逞しく盛り上がっているさま。例え:爆肉鋼体にて筋骨隆々、100%中の100%にて筋骨隆々――辞書にはそう書かれている。
……そこが難しいのだ。
私は自分の二の腕に手を回して触れてみる。
「うーん……」
細腕だ。筋骨隆々とは程遠い、柔な腕。
私だけじゃない。力は凄まじいとはいえ、お嬢様も腕自体は細い。
そもそもお嬢様が筋肉質の丸太みたいな腕だったら……
「………」
この世の終わりだ……
カタストロフだ……
春の夜の塵に同じだ……
カオスを超えて終末が――
「……やめやめ」
余計な事まで思い返して、それでもって全く同じ反応をしてどうするんだ私は……
話を戻そう。纏めると、つまりこの『筋骨隆々の合体スペル』は最初から不可能だと言う事になる。
腕力や妖力の問題ではない、前提条件が達成出来ない……いや、させてはいけないのだ。筋骨隆々でムチムチのお嬢様――そんなものは私が全力で阻止して見せる。
……と、ここまでが昨日考えた事。
情けないけど、一人では答えに辿り着く事が出来なかった(不可能だ、などというのは答えにならない)訳だ。
平時ならこういう時は紅魔館一の知識人であるパチュリー様に相談するところだけど、今回の命令はそのパチュリー様達に対するお嬢様の対抗心に端を発するもの――とても相談など出来ない(そもそもパチュリー様達は私達が合体スペルの情報を掴んでいる事を知らないから尚更だ)。
同様の理由でフランドール様も駄目。小悪魔はやつれ具合を見るとそれどころではない気がするから、これも駄目。 ……となると後は――
「美鈴、か……」
あまり気は乗らないけど、一人で考えても埒は開かない。……行ってみるとするかな。
◆
時刻は7時05分。秋も半ばに入り、この時間の外の空気はシャワー後の体には予想以上に肌寒い。ダッフルコートを羽織っては来たものの、効果の及ばない足下は空っ風に晒されて鳥肌が立ってしまっている。
日の出日の入りも一月前に比べて随分遅くなってきているし、夜は虫達の静かな鳴き声が平時聞こえる様になった。
それらから連想されるのは本格的な冬の到来――なのだけど……
「くー……くー……」
「………」
相変わらず半袖の服で平然と寝ている美鈴を見ると、なんだか季節感がこんがらがってしまう。
しかし……それよりも異常なのがこのポーズだ。大股開きで両手を前に突きだす、確か……站椿(たんとう)、だったかな? その体勢のまま、気持ち良さそうに寝ている。
通れるもんなら通ってみろ! と聞こえてきそうな後ろ姿だけ見れば物凄く頼もしいのだけど。やれやれ……
「美鈴、起き「寝てませんよ? 英気を養っているだけです」
……何たる超反応。
「……おはよう」
「おはようございます。いい朝ですね!」
寝起きとは思えないハキハキした口調で話す美鈴。しかしそれ以上に爽やかな笑顔が目を引く。
そして、それらからは反省の色が少しも感じられない。
「たまに来てみれば堂々と居眠りとはねえ。誰かが侵入を試みたらどうするつもりよ」
「大丈夫ですよ。誰か来たらちゃんと起きますし」
「私が後ろにいても起きなかったのに? それより、やっぱり貴女寝てたんじゃない」
「う……すみません。でも今起きなかったのにはちゃんと理由があるんですよ?」
「どんなよ?」
「『気』です。館の周りを囲むように私の気を張っているので、館内から来た咲夜さんには気付かなかったんです」
流石に空間を越えてくるような侵入は防げませんけどね、と美鈴は苦笑して言う。
成る程、気か。初耳だけど、確かに美鈴ならそれくらい出来るかもしれない。
いや、寧ろその程度は朝飯前と言えるだろう。何せ私が生まれるより遥かに前からこの紅魔館を守り続けているのだから。
……しかし、だ。
「勤務時間中に居眠りした事に変わりはないわね。よって朝食抜き」
「うわぁ……」
「うわぁ、じゃない。そんな『愛をください』みたいな顔しても駄目よ」
だって最近誰も来ないんですもん、と言って美鈴は口をへの事に結んでいる。
まあ、確かにその言い分は一理ある。と言うより時期に関わらず元々来客は殆んどない(泥棒まがいの魔法使いならしょっちゅう来るが)のが現状だ。
「それより咲夜さん、この時間にここに来るなんて珍しいですね。何かあったんですか?」
「ん? ああ、そうそう。貴女にちょっと相談があってね」
「私にですか? これまた珍しい」
「まあ、ね。因みにこれは他言無用。お嬢様の意志だから守るように」
「了解ですっ」
私は何やら嬉しそうに言葉を待つ美鈴に順序を追って話した。
まず最初に、パチュリー様とフランドール様が合体スペルを研究しているという事。
「パチュリー様の賢者の石とフランドール様のレーヴァテインを合わせて『賢者テイン』と言うらしいわ」
「ひゃー。想像しただけで冷や汗もんですね」
そして、それを知ったお嬢様が私に『完全無敵の百花繚乱で筋骨隆々の合体スペル』を考えておくよう命令した事。
「完全無敵の百花繚乱はまだ分からなくもないですけど……筋骨隆々って変じゃないですか? だってホラ、筋骨隆々って体格を表す言葉だし」
「まあ、ね……」
最後に、一人で考えてみたけど答えが出ず、美鈴に相談しようと思ってここに来た事。
「成る程、そういう事でしたか」
「そういう事。突然で悪いけど、何かいい案はない?」
「そうですねえ……」
美鈴は額に右手を添えて難しそうに考えている。その表情は珍しく真剣そのものだ。
よくよく考えてみたら、この紅魔館で誰が一番「筋骨隆々か?」といえば、それは間違いなく美鈴だ。
皆が皆インドアなこの館に於いて、年中半袖の服で門前に立つ美鈴以上に筋骨隆々な奴はいない。
これは期待が持てるかもしれな――
「――うん、わかりました!」
「……え?」
話を振ってから僅か十数秒、美鈴は腰に両手を添えて勝ち誇ったように胸を張った。顔からは自信が満ち溢れている。
しかし……こんなにも早く答えなど出るのだろうか? 私が昨晩あれだけ考えても導きだせなかった答えを、こんな一瞬で――
「――分からない事がわかりました!」
「……は?」
「いや、だから分からない事が「……奇術『エターナルミー「わーっ! ストップストップ!」
……どうやら期待した私が馬鹿だったらしい。
「全く貴女は……」
「まあまあ落ち着いて考えてみて下さい。私と咲夜さんじゃあ属性が違うんですよ」
「属性?」
「私は門番、咲夜さんは従者。ね? 属性が違うでしょう? だから申し訳ないけど、私じゃお役に立てそうもありません」
………。
よくわからない理論だけど、要するに何も思い付かなかったと言う事か。
でもまあ、それも当然と言えば当然か。寧ろ「ハイ出来上がり」みたいに答えを出されたら悩みに悩んだ私が何だか馬鹿みたいだ。
「もっと咲夜さんに近い立場の人に話を聞いてみたらいいんじゃないですか?」
「近い立場って、妖精メイドにでも聞けっていうの?」
「いや、流石にあの子達じゃキツいでしょう。それどころかすぐ噂になっちゃいそうですし」
「じゃあ他に誰がいるのよ? 私に近い立場の誰かなんてもう紅魔館には――」
――成る程、そういう事ね……!
でも……
「一理あるけど、外に出るには時間が足りないわ。お嬢様の起床時刻まであと一時間ちょっとしかないし……」
表情を曇らせる私に、美鈴は爽やかな笑顔のままで、
「その心配は咲夜さんらしくありませんよ。ほら、ザ・ワールド! ってね」
そう言って、変なポーズを取った。
「……少し館を空けるわ。その間、お願いね」
「了解ですっ。お気を付――」
世界から音と色が消える。私の能力、時間停止を発動させたのだ。
羽織っていたダッフルコートのボタンをとめて、私は色のない紅魔館を飛び立つ。ちらりと振り返ってみると、美鈴は相変わらずの爽やかな笑顔だった。
◆
時刻は7時20分。因みにこの時刻は私が紅魔館を出たときから進んでいない。
今私はよく晴れ渡った音のない空を足早に駈けている。目的地は冥界。美鈴が言っていた属性、それが私に近いであろう人物――魂魄妖夢に会うためだ。
左手には魔法の森が延々と続いていて、その木々は風を受けた途中だったのか所々で少し傾いている。動いた時間の中で見たら、それはきっと深緑の海――そんな表現が似合いそうだと思った。
「ふう……」
かれこれ飛び続けて20分くらい経っただろうか。連続して時間を止めているのに加えてかなり飛ばしているので、少し疲れてきた。
私の記憶が正しければここは3割5分くらいの位置の筈、まだ先は長い。
目的地の冥界は西方――博麗大結界の最果てに位置するため、幻想郷のほぼ中央にある紅魔館から最も遠い場所の一つだ。
春雪異変の際に向かった時は色んな連中に邪魔された事もあって、辿り着くまでに四半日近く掛かったのを憶えている。
春雪異変、か。あれからもう一年半、何だか懐かしく感じる。
今ではたまに館(と言うより図書館)に来るようになったアリス・マーガトロイドもあの時会ったのが最初だったし、この間館でコンサートを開いた騒霊の三姉妹もそうだ。
あとは冬の黒幕、レティ……ホワイティー? だったかな。まあいいや。
それと八雲の式の猫もいた。名前は確か、ちぇん――
「――あら?」
ちぇんだ。ちぇんがいる。
ん? 隣のあのもふもふは……あれは、八雲藍。
成る程。二人のほのぼのとした顔を見るに、どうやら親子(?)でお出かけ中らしい。
それにしても、こんな朝っぱらから主だけ置き去りにしてお出かけとはねえ。それは従者として如何なものか――
「――従者……ああ、そういえば」
考えてみたら、八雲藍も私と同じ従者(正確には式だけど立場的には大差ない)の属性か。この間の永夜異変の時「紫様は私をメタルブレードか何かと勘違いしている」とか何とか言っていたから忠誠云々は少し疑わしいけど。
でも、聞くところによるとこの人はかなりの頭脳明晰だと聞いているし、ここで会っておいて見過ごす手はなさそうだ。
よし……
「時よ、動け」
世界に色が戻る。
「――いですね藍さ……!? ぎにゃああああああああ!!」
「どうした橙!? ――お前は紅魔館の……?」
物凄い叫び声をあげたちぇんは八雲藍のもふもふな尻尾の後ろに隠れてしまった。
まあ、いきなり目の前に人が現われたんだから驚くのも無理はないだろう。そんな事があったら叫びこそしなくても私だって驚く。
「十六夜咲夜、何の真似だ!? 返答次第では容赦せんぞ!」
「ああ、敵意はないわ。ほらこの通り」
全身でちぇんを庇いながら凄い剣幕でまくし立ててくる八雲藍に私は小さく両手を上げて見せる。
それにしても……八雲藍、こんなに短気な人だったかしら?
「ごめんなさい、驚かせてしまったようね」
「うぅ~~……」
「よしよし、大丈夫だよ橙。何があっても橙はこの私が守るからね。……で、敵意が無いという事は何か用かな。生憎私と橙はこれから愛のお買い物を控えていて忙しいのだが」
愛のお買い物……?
まあ、いいや。余り気にしないでおこう。
「ちょっと相談したい事があるの。すぐに済むから安心して」
「相談? 私にか?」
「ええ。貴女じゃないと駄目なのよ」
「ふむ……何か訳がありそうだな。分かった、話を聞こう。橙、ちょっとだけ待っていてくれるかな? このお姉ちゃん、私に教えてほしい事があるみたいなんだ」
「はい藍様! 橙はいい子で待ってます!」
「ああ、橙はなんていい子なんだ……! 後で美味しいお菓子を買ってあげるからね。……で、相談の内容は何だ? 遠慮せずに言ってみなさい」
「……ええ」
とろけそうな甘ったるい顔でちぇんの頭を撫でた後、こちらに体を向ける八雲藍。実に凛とした、頼れるお姉さん風の顔にいつの間にか変わっている。
――八雲藍は二重人格なのか?
などと考えて少し不安になりつつも、気にしたら負けだと思い直して私は話し始めた。
説明中……
「筋骨隆々の合体スペル……? 何だそれは?」
「そういう命令なのよ」
八雲藍は怪訝な表情で腕を組んでいる。
因みに本来は『完全無敵の百花繚乱で筋骨隆々の合体スペル』だけど、上二つは問題ではないので伝えなかった。
「おいおい、少し、いやかなりおかしいだろう。そもそも筋骨隆々は体格を表す言葉だぞ?」
「それくらい知ってるわ。でも、お嬢様は確かにそう仰った。それがお嬢様の意志である以上、私はそれを完璧に果たさねばならない」
「従者に疑問は必要ない――という訳か」
「そういう訳よ。もし貴女が八雲紫から同じような命令を受けたら、どう答える?」
そうだなぁ、と八雲藍は上を向いた。どうやら場面を想像しているらしく、表情がみるみる曇っていく。
「ううむ……」
凄い……一目で「困りますよ紫様」と言っているシーンが連想出来るくらい迫真の困り顔だ。
「むむむ……」
今度は「ふざけないで下さい」――どうやら想像の世界で八雲紫と喧嘩しているらしい。額に浮かぶリアルな青筋が容易にそれを連想させる。
「ぬおお……!」
おっ、ついに取っ組み合った! ……ん?
………。何だこれ。
く……いつの間にか私も乗せられていた……!
「ぬあああ!」
「待てフォックス」
「ん、何だ? 今丁度紫様をぶちのめすいい所だったのに」
「私には余り時間がないの。真面目に答えて」
私が睨むと八雲藍は、すまんすまん、と言って頭を掻いた。因みにちぇんはどこ吹く風、小鳥を捕まえてじゃれている。
「そうだなあ。私なら多分、そんな命令は聞けません、という風に言い返すと思う」
「……言い返す?」
「ああ。いかに主とはいえ、こっちを困らせる事が目的のような命令は断固として言い返すよ。それは主の為でもある」
「主の為……」
「そうだ。従者として主の命令は絶対、というお前の考えは間違っていない。しかし傍若無人な振る舞いを全て許してしまっては、それは主を暴君にしようとする事と同じさ。恐らくその命令、レミリア・スカーレットもふざけ半分で出したものだろう? ならばそれを諫めるのも従者の立派な使命だよ」
「………」
主を諫めるのも従者の使命、か。成る程、その考えは一理ある。
……しかし、だ。
八雲藍が言っているのはあくまで『主がふざけて命令を出した場合』の話。……あの時のお嬢様は、間違いなく真剣だった。
「まあ、なにもすぐにそうするべきだと言っている訳じゃない。これは私個人の考えだからな。ただ、長く主に仕えた上での考えだから、少なくとも的外れでは無いと思うよ」
わかってる。貴女の言っている事は正しい。 ……だけど、これに関してはそういう問題じゃないんだ。
考えてもみて欲しい。真剣な表情で命令を出したお嬢様に向かって「意味が分かりません。そもそも筋骨隆々は体格を表す言葉ですよ?」なんて他愛もない事を言えると思う?
八雲藍の言う通り、確かに間違いを指摘するのも従者として立派な使命だ。
ただ、そうする事によって主の威厳を著しく損なわせてしまう場合、それは従者としてやってはいけない事だと私は思う。
……ていうか、今回はまさにそういうケースだから困っている訳で――
「――お役に立てたかは分からないが、そろそろ私達は失礼するよ。じゃ、行こうか橙。愛のお買い物にね」
「はい藍様! あいのお買い物に行きましょう!」
え……? ちょ、ちょっと――
「幸運を祈るよー」
「がんばってねー!」
「………」
八雲藍とちぇんは美鈴に負けないくらい爽やかな笑顔で、私に向かって手を振りながら愛のお買い物に行ってしまった。
◆
時刻は7時35分。貴重な時間を無駄にしてしまった。……ド畜生。
八雲藍め、言いたいことだけ言ってトンズラこきやがって……結局何一つ解決してないじゃないゴン狐!
なぁーにが「幸運を祈るよー」よ! 運で解決する問題じゃないでしょうがフォックス・マクラウド! それならまだちぇんに言われた「がんばってねー!」の方が励みになるっての!
大体あの謎の顔芸は何!? 余りのクオリティの高さに思わずちょっと見とれちゃったわよこの20世紀フォックス!
………。
落ち着こう。
只でさえ時間を止め続けるのに神経を使うこの状況、いつまでもむしゃくしゃしてはいられない。
それに、話し掛けたのは他でもない私。答えを得られなかった事を八雲藍の所為にするのは筋違いというものだ。
運が悪かった――そう思って諦めよう。
「ふぅー……よし、しまっていこう!」
私は大きく深呼吸し、黙々と冥界に向かって音のない空を進んだ。
先程まで左手に見えていた魔法の森は既に後方、道程は大体7割くらいだ。
小ぢんまりとした丘陵地帯を越えるとそこには幅20メートル程の川が流れていて、その先には『緑の絨毯』と呼ばれる広大な草原が広がっている。抜ければそこは楼花結界、冥界の玄関先だ。
「そろそろ、かな……」
私は飛ぶ足を止めずに一度時間を動かす。時間停止の持続限界、それが近いためだ。
実は先程八雲の親子に会った時も持続限界近くだった。だからどの道、私はあそこで時間を動かす必要があったのだ(無駄な時間を食った事に変わりはないけど)。
世界に色が戻り、動き出した冷たい風が私の髪を大きく揺らして通り過ぎて行く。
「さむ……」
右手に見える巨大な山岳地帯、そこから吹き下ろすからっ風だ。相変わらずダッフルコートは足元を守ってくれず、思わず私は内股になる。
出来る事なら早く時間を止めたいのだけど、私の能力は連続して使うと次回の発動までに時間がかかる。持続限界近くまで能力を使った今の場合だと大体5分くらい必要だ。
だから暫くはこのまま飛ぶしかないのだけど……それにしても寒い。ニーソックスを履いてくればよかった――
「――ん?」
前の方、誰かいる。しかもまた二人だ。
……知らない顔だ。何ていうか、全体的に茶色い。 ……一人は、裸足? この寒い中でよくもまあ……
「「おはよ――」」
挨拶させておいて悪いけど、時間がないから無視。
「なによー! これでも神様なんだぞー!」
「あらあら」
次の時間停止まであと3分強、か。早く行かないと……
「……ん?」
待てよ……冥界まではあと15分程で着く――と言う事は、次の時間停止が出来るようになるまで何をしても到着時刻は変わらないんだ。
だったら聞くだけ聞いてみよう。もしかするともしかするかも知れないし。
「あれ? 戻ってきたよお姉ちゃん」
「みたいね」
私は二人の茶色い人の前に立ち、早口で話す。
「おはよう。時間が限られているから手短に話すわ。筋骨隆々の合体スペル、これに心当たりはない?」
「「……はい?」」
狼狽えているようだ。でも、それは予想済み。
と言うよりこの質問の内容で狼狽えない人がいたら私が狼狽える。こいつ大丈夫か?という具合で。
「筋骨隆々の合体スペルよ。さあ、考えて」
「そ、そんな意味不明な事突然言われても……ねえ?お姉ちゃん。 ……お姉ちゃん?」
「……貴女、それは誰かに頼まれた――いいえ、主に命令された事でしょう? いついつまでに考えておけ、という感じで」
「……え?」
どうして、それを……?
「貴女の服装と、その焦り切った精神状態を見ればそれくらい分かるわよ」
「貴女は、一体……?」
「紅葉を司る神、秋静葉よ。こちらは私の妹で豊穣を司る神、秋穣子。以後お見知――」
世界から音と色が消える。先程時間を動かしてから5分、再度能力を発動させたのだ。
紅葉を司る神様か……頼りになりそうではあるけど、こうもゆったり話されたら日が暮れてしまう。それよりも先を急ごう。
私は二人の動かない神様に向かって二拝二拍手一拝すると、冥界に向かって足を進めた。
◆
楼花結界――幻想郷と冥界とを分かつ四つの大柱からなる結界だ。ここを通らずに冥界に行く事は出来ず、結界と言うより門の役割を果たしている。
二人の神様と別れてから15分、今私はこの楼花結界の上空にいる。当然、時間は停止させたままだ。
春雪異変の際に来た時は騒霊の三姉妹に絡まれた(手掛かりを探す為に私から話し掛けたのが発端)けど、今回はその心配もない。
さて、ここまで来ればもう一息――私は高度を落として一気に結界を抜けた。
冥界の中心に位置する館――白玉楼。そこへ至る為の長い石段を私は足早に進む。
周りを見渡すと霊魂と思わしき半透明の浮遊物がそこかしこに見て取れて、目的地が近い事を私に教えてくれる。
時刻は7時40分。私が館を出てから20分が経過した。多少時間を食ったとはいえ、ここまでは概ね予定通りだ。
ただ、問題はここから。果たして妖夢が私の求める物を示してくれるか――という話だ。
恐らくこの時間なら妖夢はまず間違いなく白玉楼内にいる筈、会って話を聞く事は出来るだろう。でも『妖夢に会って話を聞く』事は私がここに来た目的ではない。
そう、あくまで私の目的はお嬢様から出された命令を完遂する事。極端に言ってしまえば、ここに来たのはただ単に助言が欲しかったからに過ぎないのだ。
と言っても、何も同じ従者というだけで適当に妖夢を選んだ訳ではない。
小さな体躯ながら二本の刀をぶん回す妖夢――私の知る従者というカテゴリに属する人物の中で、最も筋骨隆々だと思ったから頼ろうと決めた。
「見えてきた……!」
長かった石段の先、うっすらと白玉楼の門が見える。
鬼が出るか仏が出るか――そんな事を考えながら、私は門前に立った。
「時よ、動け」
世界に色が戻る。私は服装の乱れを正して一息つくと、静かに門をくぐった。
◆
「あらあらいらっしゃい。今日は千客万来ねぇ」
「おはよう。お先にお邪魔してるわ」
門をくぐってすぐの石畳の上、そこには白玉楼の主、西行寺幽々子と――
「八意永琳……何故貴女がここに?」
「その言葉をそっくり返すわ。完全で瀟洒な従者、十六夜咲夜さん」
ほんの数日前に起きた永夜異変、その首謀者である八意永琳が薬箱と思わしき箱を片手に立っていた。
因みに妖夢の姿はどこにも見えない。
「あらあら、酷いわねえ。ここの主人の私は置いてけぼり?」
「ん……失礼したわ」
扇子で口元を隠しながら苦言を呈する(思いっきり笑ってはいるが)幽々子に私は小さく頭を下げる。
「あらあら、そんなに畏まらなくてもいいのよ? それより、何か御用かしら? 随分急いで来たご様子だけど」
「ええ、妖夢に会わせてほしいのよ。少し相談したい事があってね」
誤魔化さず、私はストレートに用件を伝えた。
有耶無耶で通そうとしてもどうせ見破られるだろうし、妖夢に会うのなら主人である幽々子に呼んでもらうのが一番早いと思ったからだ。
「あらあら、それはタイミングが悪かったわねえ」
「タイミングが悪い……? どういう事?」
眉を八の字に曲げて、困った風に幽々子は言う。言葉から察すれば妖夢がここにいないのは何らかの事情があっての事らしい。
でも、それだけでは私は納得出来ない。遥々ここまで来たのは他でもない、妖夢に会うためなのだから当然だ。
「どこかへ出掛けたの? それなら今すぐ追うから、場所を教えて」
「あらあら、困ったわねえ……」
「教えて! ……この通りよ……!」
私は幽々子に向かって深々と頭を下げた。
意地悪で会わせまいとしている訳じゃない事くらいは分かる。それでも、会えもせずに帰る事だけはどうしても嫌だった。
「うーん、ますます困ってしまうわ。一応妖夢は自分の部屋にいるけど、恐らく会う意味はないと思うわよ?」
「会う意味がない……? それは――」
「――月の毒にやられたのよ。私がここに呼ばれたのもその為」
「え……?」
ただただ焦る私に、ここまで話に一切入ってこなかった永琳が口を開く。
内容は殆ど死刑宣告。それでも私は諦め切れず、一握の希望を求めて問い掛けた。
「じゃあ、妖夢は……」
「寝ているわ。少し強めの薬を飲ませた後だから暫くは起きない筈」
「と、言うわけなのよ。ごめんなさいねえ」
「………」
ごめんなさい、という幽々子の言葉――それが決め手になり、私の心はぽきりと折れた。
そして、全身から力が抜けていくのを感じた。
「そう……わかったわ」
駄目で元々――そう考えていた筈だった。もし答えを得られなくても話を聞いてくれれば、と。
それがまさか会うことすら出来ないなんてね……質の悪い笑い話だわ。
ふふ、惨めね。きっと今の私は、笑ってしまうくらい無気力な顔をしているんだろうなあ……
「ありがとう。お邪魔したわね」
そんなみっともない顔をいつまでも晒すくらいならさっさと立ち去ろう――そう思い、私は二人に背を向けた。
「あらあら、随分見くびられたものねえ」
「そのようね。私達じゃあ相談役は勤まらない、と思われているみたい」
「え……?」
「あらあら、そんな『幽々子様、素敵です!』みたいな顔しなくてもいいのよ? 相談に乗る事くらい朝飯前だから。あ、そう言えば朝ご飯まだだったわ」
「さっき食べてなかった? ……まあいいわ。言いたい事は私も同じよ。ほら、ボサッとしてないで話してみなさいな」
この時私は、二人が『頼れるお母さん』に見えた。
「……ありがとう。お言葉に甘えさせて頂くわ」
◆
時刻は7時55分。帰りの時間を考えたら、ここに滞在できるのは残り15分か20分しかない。
でも、それだけの時間があれば十分だと私は思う。
私の前に立つ、二人の『頼れるお母さん』――西行寺幽々子と八意永琳がいれば、寧ろ時間が余りそうな気さえするのだ。
本来なら妖夢に相談する筈だった話、その内容は既に伝えた。あとは二人からの返答を待つばかり。
どんな答えが返ってくるのか、少し楽しみだ。きっと私なんかでは想像もつかないような、高度で素晴らしい言葉が――
「意味が分からないわ」
「意味が分からないわねえ」
………。
ま、まあ当然の反応だ。
美鈴も八雲藍も二人の神様も同じような感じだったし。
「大体、筋骨隆々は体格を指す言葉よ? どんなスペルにしろ、結び付く事はない」
「それは分かってるけど……そういう命令なのよ」
「貴女も大変ねえ。何ならウチに来ない? 意志があるなら今すぐお茶を煎れてあげるわ。ゲルセミウム・エレガンスのやつね」
「……遠慮するわ」
うーん、やっぱり常識的に考えてもらっても答えは出そうにない。少し言い方を捻らないと……
「じゃあ『もし答えを出せなかったら死ぬ』という状況だったらどうする?」
「私、亡霊」
「私、蓬莱人」
コントかよ!
……突っ込んでる場合じゃない。ええと他には――
「――そうそう、思い出したわ。筋骨隆々っぽいスペルなら一つ知ってるわよ」
「え……本当!?」
私は期待に胸を膨らませる。因みに隣にいる永琳も興味がありそうな顔だ。
天衣無縫の亡霊姫、西行寺幽々子……一体どんな素晴らしい答えが――
「ええ。ほら、あの鬼っ子が使う――」
……ん? 鬼っ子……?
「ミッシングパープルパワー」
………。
「私は初耳ね。それはどんなスペルなの?」
「疎と密を操る鬼っ子がいるのよ。その子が能力で体を巨大化して、ドカーン。ね? 筋骨隆々でしょう?」
「成る程、それは確かに筋骨隆々かもしれないわ。ただ、まず間違いなくその子にしか使えないわね」
「そうねえ。そこが唯一の問題ねえ」
唯一にして最大の問題じゃないのよ! ていうか問題云々の前に不可能だっての!
ああもう、あんまり時間がないっていうのに――
「――ようは筋骨隆々であればいい訳でしょう? それならば解決法があるわよ」
「え……本当!?」
私は、今度こそ!と期待に胸を膨らませる。因みに幽々子は扇子で口元を隠しながら微笑んでいる。
月の頭脳、八意永琳……一体どんな高度な答えが――
「ええ。これよ」
永琳は持っていた箱を開いて、深緑色の液体が満載された小瓶を取り出した。
「秘薬『粉骨砕身狂瀾怒涛α』。服用すれば100%中の100%になれるって慧音が言ってたわ」
………。
「あらあら、物凄い色ねえ。で、もう誰かで実験したんでしょう?」
「ええ。粗相をやらかした弟子で実験したら、突然服が破れるくらいの筋肉質になったわ」
「あら、それだけ?」
「そのすぐ後に『ブルスコァァァァァァァァ!!』とか意味不明な叫びをあげながら空瓶を頭に添えてヘッドスピンを始めたわ」
突っ込みどころがありすぎてもう訳が分からないわよ! ていうかそんな怪しい薬を持ち歩くな!
「ああ、安心して。大体一時間半くらいで元に戻るから」
聞いてないっての! ていうかその薬を使う方向で話を進めるな!
はぁ、疲れてきた……こんな調子で時間までに答えが――そうだ、今時間は……8時13分……!
「いけない、もう戻らないと……!」
「あらあら、そんなに急ぎだったの?」
「ええ、忙しくてね……」
「薬、持ってく?」
「いらないわよ!」
迂闊だった……時間がないことは分かっていたのに確認を怠るなんて……!
でも、20分足らずがこんなに短く感じるなんて……いつの間にか私はこの会話を楽しんでしまっていた、と言う事のようね。
ふふ、私もまだまだ未熟。本当の『完全で瀟洒な従者』になれるのはいつのことやら……
「それじゃ、今度こそ失礼するわ。話を聞いてくれてありがとう」
「どういたしまして。ウチに来る気になったらいつでも大歓迎よ」
「死んだら考えさせて頂くわ」
「大して助力出来なくて申し訳なかったわね。薬、やっぱり持ってく?」
「いらないってば」
私は二人に向かって一礼する。
答えこそ出なかったけど、来て良かった、と思えるのはこの二人のおかげだ。
出来たら時間のある時にまた話がしたい――そんな事を考えながら私は能力を発動させた。
「――貴女が欲するのは大衆からの名声? それとも主からの信頼?」
「――!」
世界から音が消える。
思わず振り返ると、常に微笑んでいた幽々子の顔は威圧感すら感じさせる真剣なものに変わっていた。
因みに隣では永琳が「持ってけ」と言わんばかりに小瓶を手のひらに乗せて微笑んでいた。
◆
時刻は8時15分。太陽はもうすっかり顔を出し、雲一つない空からさんさんと陽光を放っている。時間停止によって少しの風もない今、少し暑く感じる程だ。
楼花結界を抜けて冥界を後にした私は今、音のない『緑の絨毯』上空を紅魔館に向かって飛んでいる。
お嬢様の起床予定時刻は8時30分、そして私がここから紅魔館に着くまでに掛かる時間が10分だから、時間の余裕は殆どないと言っていい。
しかし、私の足取りは重い。別れ際の幽々子の言葉、それがどうしても頭から離れないのだ。
――貴女が欲するのは大衆からの名声? それとも主からの信頼?――
「そんなの……」
お嬢様の信頼に決まっている――私は果たして一片の迷いもなくそう言い切れるだろうか。
大衆からの名声、つまり周りの評判を一切気にする事なく、お嬢様に仕えてきたと言い切れるだろうか。
「………」
最初の内は、ただただ必死だった。炊事、洗濯、掃除、どれも満足に出来なくて、それが悔しくて無我夢中で憶えた。
少しでもお嬢様の為になりたいと、その一心で寝る間も惜しんだ。
そして数年――私はメイド長になり、お嬢様の従者として身の回りのお世話を任された。……あの時の言葉に出来ない程の嬉しさ、今でも忘れない。
そんな折、私に一つの通り名が付いた。
――完全で瀟洒な従者、十六夜咲夜
私はそう呼ばれる事を誇りに思った。お嬢様も「なかなかいいあだ名じゃない」と嬉しそうに言ってくれた。
それから私はより一層奮い立った。命令された事を完璧にこなすのは勿論、状況を的確に判断して命令より先に動く事を常に心掛けた。
異変が起きた時も躍起になった。明らかに自分より力が上であろう相手にも構わず立ち向かい、そして退けた。
その代償に、死にかけた事も何度もあった。でも、私は厭わなかった。
そう――全ては私が『完全で瀟洒な従者』である為に。
「完全で瀟洒な従者……か」
そうだ……丁度あの頃からだ。名前を失うのが怖くなったのは。
何をするにもそればかり気にして、誰に対しても本音で話が出来なくなったのは。
重い――そう感じたときにはもう手遅れ。もう私は後戻り出来ないくらい、名前に縛られていた。
これをしたい。でも、これは『完全で瀟洒な従者』の名にそぐわない。これはしたくない。でも、これくらい出来なくて『完全で瀟洒な従者』と言えるだろうか? そんな自問自答の繰り返し。名前に操られた、まるで傀儡の様な日常。
今回だってそうだ。
私が焦っていたのは、お嬢様から賜った命令を完遂出来ない事に対してだけじゃない。
命令をこなせない事で名を落としめる事、それを恐れてのものだったんだろう。そう――『完全で瀟洒な従者』の名を。
そして、幽々子はそれを見抜いていた。そして私に、貴女は名前を取るの? それとも忠誠を取るの? ――と、そう問い掛けた。
「……ふふ」
何だか馬鹿みたい。私は何をそんなに求めていたんだろう。
権力? 名声? そんなものは必要ないのに。
私が欲しかったものは、あの時から変わらない。そう――
――大好きな紅魔館の皆と一緒に過ごす『時間』
……いつの間にか忘れていたわ。私が何で必死だったのかを。
私は紅魔館の皆に認めてほしかったんだ。紅魔館の一員である事を。
大好きな紅魔館の皆に、私が『家族』の一員である事を。
そして何よりも――
「――お嬢様に、私に生きる意味を与えてくれたレミリアお嬢様に命を懸けて恩返しする為」
帰ろう、紅魔館へ。
それで、お嬢様にお詫びしよう。今回の命令を完遂出来なかった事を。
それと――
◆
「あ、おかえりなさーい!」
ここを発った時と変わらない爽やかな笑顔で美鈴が私を出迎える。
時刻は8時23分。予定だともう少しギリギリになる筈だったけど、不思議と足が軽かったからか早く着いたようだ。
一、二分なら大丈夫か、と私は門柱に背中を預けた。
「ただいま。 ……ふぅ、取り敢えず疲れたわ」
「お疲れ様です。それより咲夜さん、どうやらうまくいったみたいですね!」
「あら、どうしてそう思うの?」
「気を見れば一発ですよ。今の咲夜さんの気、凄くイキイキしてますからね! あとはそのすっきりした顔かな?」
「イキイキしてるの? ふふ、私にはさっぱりだわ。 ……おっと、そろそろお嬢様の所へ行かないと」
「忙しいですねえ。ちょっとお待ちを……よいしょっ、と」
私が服装の乱れを簡単に正している間に、美鈴は既に門を開けてくれていた。
全高5m、全幅10mを誇る紅魔館の鉄拵えの正門、きっと私では殆ど動かせないであろうこの門扉を軽々と押す美鈴は、やっぱり筋骨隆々だと思う。
「ありがとう。……あ、そうそう。貴女が言ってた属性、あんまり関係なかったわよ」
「あれ、ホントですか? おかしいなあ」
「まあ結果的に外へ出たのは正解だったから構わないけどね。それじゃ私は行く。門番の仕事、しっかりお願いね」
「任せて下さい! 睡眠十分で気合十分、今日の私は強いですよ!」
「あら、頼もしいわね。だったら朝食を食べてもっと気合いを入れて貰おうかしら?」
「え……? 朝ご飯食べていいんですか!?」
「ええ。その代わり誰かに門を破られたら明日は三食抜きよ?」
「仏様ぁぁぁぁぁぁ!」
目に涙を溜めて狂喜乱舞する美鈴。朝食ひとつで大袈裟な……
でも、美鈴には本当に感謝しなければならない。あの時美鈴が私に助言してくれていなかったら、今のこの清々しい気持ちにはなれなかっただろうから。
「……ありがとね、美鈴」
「え? 何ですか仏様?」
「ふふ、何でもないわ」
はてな、な顔をする美鈴を後目に、私は門をくぐった。
時刻は8時27分。館内ではもうメイド達が仕事を始めていた。
「あ、メイド長。おはようございます」
横を通り掛かった妖精メイドから挨拶を受ける。でも見るからに緊張気味だ。
そういえば……最近メイド達の間で私に対する新たな二つ名が定着しつつあると、少し前に美鈴から聞いた事があった。
曰く――鬼のメイド長。
一切の妥協を許さず、例えこちらが血反吐を吐いても仕事をさせる冷血サイボーグ――私はメイド達からそんな風に思われているらしい。……そこまで酷使した覚えはないんだけど。
でも、メイド達から必要以上に恐れられているのは間違いなさそうだ。これも私が名前ばかり気にしていた事の弊害と言う訳か。
よし、だったら――
「――ええ、おはよう。今日も一日頑張りましょうね」
おっと笑顔も忘れずに。にこり。
「うぇ…!? は、はい! 頑張りますっ!」
恥ずかしそうな、加えて怪訝な顔を隠しながら妖精メイドはそそくさと去っていった。
「……うぇ?」
うーん……私がちょっと優しい言葉を掛けるのはそんなに驚くべき事なんだろうか? それとも笑顔が不自然だったとか?
いずれにしても今の子、丸で鳩が豆鉄砲を食らったような感じだった。
そこから先もメイドとすれ違う度に優しく労ってみたけど、例外なく全員がさっきの子のような反応。私は少し落ち込みながらも、顔には出さずに最上階に向かって歩みを進めた。
紅魔館の最上階に一室だけ造られた部屋。言わずもがな、お嬢様の寝室だ。
時刻は8時29分50秒。うん、時間通り。
私はもう一度服装の乱れを正して、豪華な装飾が施された扉をノック――
「――咲夜ね。入りなさい」
……え?
「どうしたの? 早く入りなさい」
「し、失礼します!」
◆
時刻は8時30分。今私はいつも通りお嬢様の寝室にいる。
ただいつもと違うのは、お嬢様は既に起きていて着替えまで済ませている事。そしてベッドに腰掛けて、何やら分厚い本を読んでいる事だ。
「おはよう咲夜。不愉快な天気ね」
「おはようございますお嬢様。起きていらしたんですね」
早起きは三本の得ってやつよ、と本に目を落としたままお嬢様は言う。
「8時30分、まさに時間通りね。流石は咲夜。それでこそ『完全で瀟洒な従者』だわ」
「お嬢様、私は――」
「筋骨隆々、ここに書いてあるわ。筋肉が逞しく盛り上がっているさま。例え……爆肉鋼体にて筋骨隆々、100%中の100%にて筋骨隆々、ですって」
「お嬢様、あの――」
「色々飛び回って疲れたでしょう?」
「あ……」
顔を上げたお嬢様は悪戯っぽく笑っている。
「どうしたの? 何だか妙にすっきりした顔をしてるわね。貴女がメイド長になりたての時のような、そんな顔だわ」
「………」
「まあ、それは置いておきましょう。それより、答えは出た? 完全無敵の百花繚乱で筋骨隆々の合体スペル――その答えは」
そう言って、お嬢様は本を閉じた。
……そうか、お嬢様の真意、それが今漸く分かった。
幽々子と同様にお嬢様も見抜いていたんだ。名前に縛られて動けない私を。
だから、私にこの『答えのない命令』を出した。
名前を失いたくないが為だけに命令をこなす私に、それでいいのか?という言葉を込めて。
今なら分かる。お嬢様が出した命令、その意味が。
――貴女は完全で瀟洒な従者? それとも、私の従者?――
「……お嬢様」
「ん?」
だったら、私の答えは一つだ。
「申し訳ありません。意味が分からなかったので、その答えは出せませんでした」
完全で瀟洒な従者、私はそんなんじゃなくていい。
「でも、私はお嬢様のどんなスペルにも合わせられる自信があります。だって私は――」
そう、私は――
「レミリアお嬢様の従者ですから!」
だから、もう一度やり直そう。お嬢様の為、そして私自身の為に。
「……ふふ、命令一つこなせないなんて駄目な従者ねえ。それじゃあとても『完全で瀟洒な従者』とは言えないわ」
「申し訳ありません」
「でも、私のどんなスペルにも合わせられるなら、私はそっちの方がいい。咲夜、命令よ」
「はい。何なりとお申し付け下さい」
「今日、パチェとフランに合体スペル対決を申し込みに行く。その時までに私達に相応しい合体スペルを考える事。この部屋で私と共に、ね」
「畏まりました! 必ずご期待に応えて見せます――」
私は十六夜咲夜。
完全で瀟洒ではないけれど、お嬢様への忠誠心だけは誰にも負けない信念の従者。
だから必ずこの命令をこなしてみせる。
そう――
「――私の信念に賭けて!」
おまけ
ハイどうもー。楽園の素敵な司書(自称)、『こあ』こと小悪魔です。
変換すると小悪魔と出てきます。感動の極みです。
まあ、そんな事はどうでもいいのですよ。話の主な所は別にあります。
実は私、困っているのです。ええ、そりゃもう冗談抜きに。
原因ですか? それは、
「「……0! 賢者テインッ!!」」
ドゴオオオオォォォォォォォォン!!!
「やったわフラン! また成功よ!」
「やったねパチュリー! これでもう怖いものなしだね!」
これですよ。
この賢者テインとかいう無理ゲー極まりないスペル、どうやら成功しようが失敗しようが爆発する仕様のようです。どう原作の両スペルを解釈したら爆発に結び付くのやら。
……ああ、ご存知だと思いますが後始末は全て私の仕事です。
おかげでこの数日間のうちに何と10kgのダイエットに成功しました。凄いでしょう? 思わず中指を立てたくなりますねー。
因みに派手に爆ぜちゃあいますが、本『だけ』は無事です。パチュリー様自ら保存術式を掛けてましたから。 ……辻褄合わせとか言わない。
「ねえパチュリー、賢者テインの成功率も上がってきた事だし、そろそろ新しい合体スペルを考えてみない?」
「私も同じ事を考えていたわ。 ……あら、その顔はもう何か案がありそうな感じね」
「正解! 言ってもいい?」
「ええ、いいわよ」
「パチュリーのサイレントセレナと私の過去を刻む時計を合体させて、名付けて『サイレント時計』! どうかな?」
目覚まし時計の対義語ですか?
やー、流石はフラン様。ネーミングセンスは姉のレミリア様譲りで抜群です。
ただ、いくらなんでもこれはパチュリー様が許さな――
「――素晴らしいわフラン! 早速研究に取り掛かりましょう!」
「うん!」
あははー。私ゃもう知らん。勝手にしくされ大江山。
バタン!!
……あー? 誰だー? 誰なんだー? って、お嬢様と咲夜さんじゃないですか。珍しいですねー。
でも、確か図書館の扉には『立ち入り禁止、命を無駄にするな』って赤文字で書いた貼り紙をしといた筈なんですが……
「パチェ! フラン! 対決を申し込みに来たわ!」
「パチュリー様。フランドール様。そういう事なので、どうかお手合わせ願います。」
……はぁ?
「ふん……どういう積もりか知らないけど、いい度胸ねレミィそして咲夜……!」
「手加減しないよ、二人とも!」
あー……成る程。そういう事ですか。そういう落ちなんですね。
「行くわよフラン!」
「任せてパチュリー! せーのっ……」
おもしれェ……どうせ落ちが分かってんなら全力で実況してやろうじゃねェか! 楽園の素敵な司書を舐めんなよッ!
「「賢者テインッ!!」」
出ましたッ! パチュリー、フラン両選手の必殺合体スペル、その名も賢者テイン!
それぞれ火水木金土を司る魔石が五つ、そして隣では『災いの杖』の名を持つ紅い魔剣が猛ります! 何故ここから爆発に繋がるのか私にはさッッぱり分からない!
さァ、レミリア選手と咲夜選手、この巨大なエネルギーにどう立ち向かうか注目です!
「流石、壮観ね! でも、私達の合体スペルも負けていなくてよ! 行くわよ咲夜ッ!」
「お任せください! 殺人……」
「グングニルッ!!」
これはァァー!? なんと、こちらも合体スペルで対抗ですッ! その名は殺人グングニルッッ!!
狙った物は必ず貫く紅い槍と変幻自在のナイフ乱舞がまさかのコラボ! これはもう名前だけでも冷や汗ダラダラ未練タラタラァァァッ!!
「「「「はああああァァァァァァ!!」」」」
普段の咲夜選手とパチュリー選手はまず言いそうにないような気合い十分の雄叫び! これはどうらや刻一刻とフィナーレが近づいてる模様だッ!!
さァ、見届けましょう! この最低最強の茶番をッ!
そして、たまに思い出してやって下さい! その茶番に否応なしに付き合わされた憐れな使い魔が一人いたことをッ!
それでは――
ドゴオオオオオオオォォォォォォォォォォォォン!!!
皆さん、さようならッッ!!
「やるわね……パチェ、フラン」
「お姉様達もね。引き分け……かな」
「勝敗は次回に持ち越しと言う事ね。 ……じゃ、こあ。いつも通り片付けておいて」
「あははー。やってられるか大江や――」
「――小悪魔、私も手伝うわよ」
「ほ……仏様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
めでたしめでたし
合体スペルを作ったりと面白かったです。
ネーミングとか爆発する賢者テインよりも殺人グングニルのほうが私は好きですねぇ。
グングニルと殺人ドールの組み合わせや、小悪魔がちょっと可哀相ではありましたけど
咲夜さんに「仏様」といったり、合体スペル対決の語りなど良かったです。
ところで続くんですか?続くんですよね?
ここで盛大に吹きました。
……秋姉妹出番途中でカットされた。
>おっと笑顔も忘れずに。にこり。
咲夜さんかわええ……
>煉獄さん
殺人グングニルはmugenプレイ中に偶然生まれたのが元で、真っ先に使おうと思ったネタです^^
>6さん
続く予定です。ただちょっと先の話です。
>8さん
こあは第二の主役です。
>12さん
言葉の続きは「――り置きを」です。その先は多分ありません^^;
>14さん
確かに……無いですね。いい感じの語呂だったので考え付いたやつです。
>15さん
ブランカかメタルブレードかでちょっと悩んだ箇所だったりします。
>17さん
俺もその部分は書いててニヤッとしてたりしました。
実はEx状態なのです^^