ぎらついた太陽が世界を無慈悲に照らす。
まばらな人家のひとつで、乾いた大地を懸命に耕していた男は、手ぬぐいで額の汗をぬぐい、日焼けした顔を空に向け、また目線を戻した。
男がこの世に生を受けたとき、すでに季節はめちゃくちゃになり、四季を感じさせるものは少なくなっていた。土は痩せ、食料といえば、救荒作物であるサツマイモや、食べられる野草の根、涸れかけた川の小さな魚ぐらいしか得られない。男が幼少時に母から聞いた話によれば、昔、ここは緑豊かな山や森、清廉な水をたたえた川と湖、人々の耕した水田や田畑が広がり、人、神々、妖怪、妖精がバランスを保って暮らす理想郷だったという。母が幼かったころの話だ。それが本当だったとしても、自分がそうした世界を拝める日はたぶん来ないだろう。そう男は考えた。
乾ききった切り株に腰を下ろし、妻からもらった昼食の包みを開けた。茹でたサツマイモとこれまた煮込んだ何かの根っこを食べる。代わり映えのない食事ではあったが文句は言っていられない。妻は流産したばかりの身でありながら、必死にこの食事を作ってくれたのだ、男と妻の間には子はまだいなかった。ようやく授かった子だったのに……。そして、こうした悲しみはすでに村のあちこちで……。
不意に何かひんやりとした物が、やせ細った男の体にぶつかった。
振り向くと、同じくやせこけた、出来損ないのわら人形のような妖精だった。
「ひいっ」
ぶつかった妖精はちらりと男のほうを見たが、何をするでもなく、そのまま無気力に飛び去る。
男の幼少時には、それでも年に10回は可愛らしい妖精が飛んでいる姿を見かけることができたが、最近は年に1~2回、それもさっき見かけたようなモノしか姿を見せない。死んだ魚のようなどろりとした目つき、左右非対称のぼろ布のような羽根、もはや悪戯を仕掛ける気力すらなく、ただ消滅していないだけの存在と成り果てている。気味が悪いというより、哀れさを感じさせる。
妖精が手に握っていた緑色の何かが、するりと抜け落ち、風に舞った。髪の毛のようだった。
「…………うあ……だ………………ちゃん」
すると妖精は声にならないうなり声のようなものを上げながら、その緑色の髪の毛を拾い集めていく。
その時だけ瞳に執念のような光が宿っていたが、目に付く限りの緑色の髪の毛を拾い終えると、再び夢遊病者のような目で、どこへともなく飛び去っていった。
生きとし生けるものの生命力が、年を追うごとに弱まっている。そう男は感じた。
昼食を終えて、男は鍬を持ち、作業を再開した。
少なくとも男には、まだ守るべき人がいるのだ。
こんな世界でも、まだ人間は生きている、あるいは、死ねないでいる……。
◆
「ねえ藍、この光景、霊夢や魔理沙が見たらなんていうかしらね」
幾分廃屋になりかけたマヨイガで、しわの増えた隙間妖怪は椀と箸をちゃぶ台に置き、尻尾の減った狐に言った。
「恐れながら、紫様のお体でしょうか、それとも、今の幻想郷ですか」
「両方よ」
「そんな、今は勢いを失っていますが、いつかきっと、元のにぎやかな世界になりますよ」
「そうかしら、あなた自身、今のあなたの言葉を信じられる?」
いまや三尾の狐と化した藍は答えに窮した。幻想郷は外界の人々の、「こんな妖怪が存在するかもしれない」とか、「今はないが、かつてこんなものが実在したという、どんなものだろう」といった外界の人々の空想が具現化した世界といえる。その世界が精彩を欠くようになったということは、外界の人間が滅びかけているという事なのだろうか、だとしたら、どんな手を尽くたところで……。
「私のかわいい藍、このまま、静かに朽ち果てるのも悪くないと思うの」
骨と皮になりかけた手でお茶をすする。
「紫様……」
「この幻想郷も、貴方たちも、人間たちも今まで良くがんばったわ、もう休むべき時が来ているのよ」
急に紫が咳き込み、湯飲みを取り落とした、藍はあわてて駆け寄り、背中をさする。
「紫様、しっかりして下さい」
「藍、私が消えるまで、傍にいてくれるかしら」
「もちろんです、だから元気を出してください」
「ありがとう藍。それから今日の定例会議は休むわ。行ったってどうせ解決策なんてないもの」
藍は紫を布団に寝かせた後、ここ三日間ほど姿を見せない橙のことを考えた。
◆
まだかろうじて原形を保っている紅魔館のテラスで、レミリアはテーブルに肘をついて、小さくなった湖を眺めながら物思いにふける。目に映る景色は、緑より黄色や茶色が増えていた。
「お嬢様、紅茶をお持ちしました」
艶を失いかけた黒髪をした細面の女性がドアをノックした。
彼女は十六夜咲夜から数えて五代目のメイド長である。
飢饉の村で一人泣いていた赤子の彼女を、偶然見かけたレミリアが拾ってきたのだ。
彼女も歴代メイド長と同じく、レミリアに忠実である。
「ありがとう、美鈴はどこへ?」
「また、付近の人里へ農業指導に行っております」
「そう、いつか、またどんちゃん騒ぎができるといいわね、最後の宴会は何年前だったかしら?」
「たしか、私が二十歳になったかならないかの時だったと思います」
「ずいぶんと昔ね、パチェに調べさせたんだけど、この世界がどうしてこうなってしまったかは大体の見当がついてるのよ。だから今夜の定例会議で提案するつもり」
幻想郷が豊かさを失い続けるようになってから、さまざまな種族が集まり、どうしたらよいか話し合う会合を開いていた、最初は不定期だったが、後に一ヶ月に一度開かれるようになった。
当初は宴会とほぼ変わらないムードだったが、回を重ねるごとに悲壮感を帯びるようになり、足を運ぶ者は減っていった。しかし、また楽しい日々を過ごせるようになりたいという一心から、レミリアはしつこく通い続けているのだ。
「さあ、出かけるわよ」
◆
月明かりの空のもと、すすき野に妖怪と人間が荒野に集っている。
ここで定例会議が開かれる。
「地霊殿、白玉楼、魔界は相変わらず音信不通。鈴仙ちゃん、月の都はどう?」
いつのころからか、橙が会議を取りまとめるようになっていた。
「今日も駄目、ノイズばかり」
鈴仙がため息をついた。
「以前は月から誰かが攻めてくるんじゃないかと思っていたけど、今じゃそんな悩みすら贅沢に感じるわね」
永琳は腕を組む。
「うちは皆元気だけど、妖精メイドが日に日に消滅してそこらじゅうホコリだらけよ」
レミリアの言葉に、永琳もうなずいた。
「姫様は元気だけど、てゐも最近杖をついて歩くようになったし、妖怪イナバも半数近くがどこかへ消えてしまったわ」
「みんなー、現状報告お願い、新たに生存確認できた子とかいる?」
橙は期待を含めた口調でしゃべろうとしたが、暗い内容の報告になるのをどこかで覚悟していた。
人間や妖怪たちが、口々に幻想の生き残り状況を橙に知らせていく。
「廃人ならぬ廃妖精同様の奴が漂っていた」 人間の男
「太陽の丘は、ひまわりが1割、雑草が2割、残り7割が荒地といったところですね。かすかに幽香さんの気配を感じましたが、妖怪の私でも姿は見えませんでした」
天狗の新聞記者
「一応人里の食糧生産は安定している、でもギリギリ餓死しない程度といわざるを得ない。肥料が不足しているしな」
白澤
「香霖堂は営業していました、でも店主の髪も品揃えも薄くなってしまいました」 当代の紅魔館メイド長
「人形使いは生死不明、引きこもっているのか消滅したかは分からない。霧雨邸も朽ち果てたまま」
ホームベースのすずらん畑が枯れた弱毒人形
「山の妖怪たちも、最近目立った活動は見られないね」 無名妖怪1
「あいつら、科学の力でよろしくやっているんじゃない、妬ましい」
地上に遊びに来て取り残された橋姫
「そんな事ないよ~。最近の配給といったら、味もそっけもない合成きゅうり一日一本。お腹がすいてしょうがないのよ」
技術屋河童
「配給? あるだけマシよ」 当代の博麗の巫女
「いいニュースもありますよ、ご先祖様が言ってた、神奈子さま、諏訪子さまの存在を感じ取れるようになった気がします、まだお姿を拝見させて頂くには至りませんでしたけど」
当代の風祭
「げっげっげ」 「げしげしげし」 「げげげげげ」 萌え補正が切れた妖精三匹。
「くぅ~ん」 同じく萌え補正が切れた白狼天狗
「あ~~~~~っ、もういらいらする……うっ」
レミリアが苛立つ。だが貧血を起こしてその場に座り込んでしまう。
「ここんとこ血を吸ってなくて……」
「お嬢様、お吸いください」
メイド長が肩をはだけさせてレミリアに寄り添い、血を分け与える。
首筋に牙を立て、命の糧を分けてもらう間、メイドはレミリアを優しく抱きしめている。
噛み付いて血を吸う行為とはいえ、さながら母親が子に母乳を与えている光景に一同はため息をつく。
「ああ、なんだか見ているこちらまで癒される」 誰かの言葉。
終わった後、今度はメイドが貧血で座り込んでしまった。
「しっかりしなさい、貴方が倒れてどうするのよ」
「お嬢様、すみません」
「貴方のおかげで元気になったわ、少し休みなさい」
メイドを茣蓙に寝かせた後、レミリアは仕切り直しを始める。
「いい? 私たちが今すべきなのは、現状をぼやくことではなく、こんな下らないコントを披露することでもないわ」
「おいそれは言いすぎだろう?」 白澤が眉をひそめる。だが吸血鬼は悪びれない。
「いいのよ、これが歴代メイドとのコミュニケーション作法だから。本題に戻すわ、私はかつての幻想郷を取り戻したいのよ、提案があるんだけど、外界に出てみない?」
一同が絶句した。少し間をおいて、巫女がやれやれと肩をすくめる。
「そんな事、出来るわけないじゃない」
「霊夢が貴方を見たら笑うわよ、幻想郷を守る巫女でしょ! 諦めるなんて、楽園の素敵な巫女の二つ名が泣くわ、荒野の腐れ巫女に改名しなさい」
「ちょっとあんた、いくら満月だからって」 怒った巫女を白澤が抑える。
「まあまあおちつけ。レミリアどの、その口ぶりからして何か考えがあるんだろう? もったいぶらずに教えてくれないか」
「単純よ、この幻想郷は、外界の人間たちの幻想で成り立っている。その幻想郷が衰えているということは、外界の人間が私達を忘れつつあるという事、だから、紫に結界を空けてもらって、外界に私達の存在をアピールしに行くのよ」
「外か……危険だが、この荒廃の要因が外部にあるとすると、調べてみる価値はあるな」
「私、紫様や藍様に頼んでみる、結界を開けてもらえる様になったら、有志を集めてとりあえず、アピールのための調査開始、これでいいね」
橙の動議を一同は支持した。
たとえ幻想郷が滅びる運命にあったとしても、やれるだけのことをやってみるべきだ。
種族は違えど、思いは一つだった。
◆
「まあいいんじゃないの、頑張ってみなさい」
八雲紫はあっさりと橙の申し出を承諾したが、藍は戸惑っていた。久しぶりに姿を見せたと思ったら、突拍子もない提案をされた。だが橙の説得によりしぶしぶ協力することになった。もっとも、結界修復を積極的にしなくなった紫のせいで、結界を開いてもらわずともあちこちに綻びを見つけることができたのだが。
調査隊出発の日、橙をリーダーとする生き残りの妖怪有志は、博麗神社の前に立った。
ここを出発点に選んだのは、幻想郷の命運をかけた調査隊の出発である以上、そこらの綻びではなく、正式な接点から外界に入りたいと橙が望んだからだ。
「橙、気をつけてな」
「大丈夫だよ藍さま、それよりも、帰ってきたら幻想郷が終わっていたなんて風にしないでよ」
藍は軽い驚きを感じた。いつから橙はこんな目をするようになったのだろう。
「ああ、任せとけ。もうすぐ結界が開く時間だ」
「さあ、出発するよ」
橙の後姿が、やけに頼もしい。
酸性雨が容赦なくコンクリートを侵食する。
かつて大学と呼ばれた建物のある研究室で、教授の岡崎夢美は、頭と手を休め、助手のちゆりがいれたコーヒーを味わった。ここでは、荒廃した地球を何とか救うための試行錯誤の一つが行われている。
あまり期待をかけられた研究ではなかったが……。
「教授、また国からの予算も削られるそうです」
「驚いた、まだ国なんてものがあったのね」
助手の憂いを、教授と呼ばれた女性、岡崎夢美は軽く笑い飛ばす。
「地球を捨てず、あくまで環境再生を目指してるんだから、もうちょっと目をかけてくれても良さそうなモンだけどな」
紛争、環境破壊、天変地異、さまざまな要因が重なり、大地は人が住むのに適した場所ではなくなりつつあった。人々の大半は地球を捨てた。しかし彼女たちはその選択をしなかった。
「たとえ別天地を見つけてそこに移り住んだって、人間の心が変わらない限り同じ事を繰り返すだけ、その時はまた星を捨てるのかしら? 第一、他の惑星を人が住めるように改造できるなら、地球をどうにかすべきじゃない。だから、私たちぐらいはここで踏みとどまるべきなのよ」
「それ、100パーセントの本音ですかい?」
「80パーセントは本音よ、後の半分は……」
彼女がかねがね主張していた第五の力『魔力』を証明し、それを地球の復興に役立てることで、自分を追放した学会を見返してやりたいとの本音も、彼女のエネルギー源となっていた。
正確には学会を追放されたのではなかった。ただ発表会では常に人気の少ない早朝の部にまわされるのだ。それでも夢美は自分の信ずる理論を唱えたが、トンデモ理論、話のネタ程度として受け入れられるのみだった。あの二人を除いては……。
「ちゆり、例の不思議スポットの調査は明日だったわね。宇佐美さんとマエリベリーさんは来られるかしら?」
夢美はカレンダーをにらむ。
「火星に行ってなければな」 とちゆりは答えた。
◆
缶詰の合成竹の子に、パックの合成米、これまた缶詰の合成たくあんの朝食を食べ終え、酸性雨から肌を守るコートに身を包んだ時点で、宇佐美蓮子はルームメイトのマエリベリー=ハーンがまだ夢の世界の住人であることに気付き、その毛布を思い切り引っぺがした。
「こらあ、メリー起きなさい」
「う~ん、あと5時間」
「ふつうあと5分って言いなさい、まったくもう]
枕を抱いてうずくまるメリーの姿をうらやましく思いつつ、蓮子は仕方なくメリーの朝食を準備する。
「ほら、今日は午後から調査でしょ、さっさと目を覚ます!」
やっと布団から起き上がったメリーの髪をブラシでとかしてやる。
半目を閉じているメリーはされるがままにしているが、家では唯一合成ではない緑茶を飲ませたら頭がさえてきたようだ。
「まだ寝たかったのにな~」
「あんまり寝てると、胡散臭い妖怪変化になるわ」
「超統一物理学なんてものを学んでいる割に、非科学的なことを言うのね」
「科学の領域と、宗教や精神の領域は別よ、さっさとご飯食べて」
蓮子は朝食だけは手早く済ませたメリーにコートを着せてやり、ファスナーをおろした。
外の新聞受けに、火星移民募集のチラシが入っていた。
蓮子もメリーも受け入れる気はなく、一瞥してマンションの階段を下りる。
「残念だけど、私たちはまだ、この星を味わい足りないのよね」
「蓮子、今いい事いった、えらいっ」
今日も鉛色の雲から酸性雨が降り続けていた。
遠い爆音がして東の空を見上げると、移民団をのせた船が一筋の糸を引いて天へ昇っていく。
ある者は彼らを新天地を目指す挑戦者と呼び、またある者は故郷を捨てた脱走者と呼んだ。
蓮子とメリーは、どちらの評価もしない。
「ねえ蓮子、あそこの人たちと私たち、どっちが一番賢明だったのかな?」
メリーが今までの寝ぼけまなこから一転して、シリアスな口調で聞いてくる。
「どちらが正解なのかしら?」 もう一度言った。
「きっと正解はないのよ。誰かがうまくいかなくても、別の道を歩む人がいれば全滅は防げる、お互いがお互いの保険になってるんだと思う」
「それを聞いてちょっと安心したわ、ありがとう」
蓮子は慣れない腕時計の針を見た。もうすぐバスが来る時刻だ。
「ほら行くわよ」
「うにゅ」
再び眠気に取り込まれそうになったメリーの手を引いて歩いてゆく。
◆
午前の講義の後、蓮子たちを乗せたバンは曲がりくねった山道を進んだ。
禿山とひび割れたアスファルトの道路、錆びたガードレールが一行の気分を暗くする。
「地球はこんなんですが、火星も結構大変みたいですよ、友人からのメールによると、虫だかロボットだかのような怪物が出現したり、クーデター騒ぎが起きたり、衛星フォボスが地表に落下したとか」
運転していた同級生の青年がつぶやいた。彼も蓮子やメリーと同様、岡崎研究室の学生である。
「やっぱ地球に残って正解だったかもね、あらもう空っぽ?」 蓮子がタケノコチップスの袋をまさぐる。
「最近また量をケチるようになったわね」 メリーが口を尖らせた。
蓮子はメリーの唇にくっついていたチップスのかけらをつまみ、口に入れると、粛々とメリーの脳天にチョップを炸裂させる作業を実行した。
「いったぁーい、何よたかが食い物で」
「これ最後のチップスだったのよ」
「はあ、お前らは気楽でいいな、目的忘れんなよ」
「ごめんなさい、ちゆり先生」
「でも、こんな状況で笑い合えるのはすばらしいと思うわ」 夢美が微笑む。
「ええっ? 私たち、今シリアスに喧嘩していたつもりですが」 メリーが真顔で問う。
「貴方たち、とても楽しそう、こんなときこそ笑顔ね」
急に青年がブレーキを踏んだ。シートベルトをしていなかった助手席のちゆりは頭をぶつけそうになる。
「なんだよ危ねえな」
「それは北白川の自業自得だろ。先生、行き止まりです」
道路は土砂崩れでふさがっていた。もともと人通りが少なく、火星移民に熱心な政府の意向もあって、ここの復旧には手が回っていないようだった。
「しょうがないわね、目的地まで後ちょっとだし、歩くわよ」 夢美はなおも前向きだ。
「ええ? 行くんですか」 青年が口を尖らせる。
「だって、第五の力を証明できる千載一遇のチャンスかもしれないのよ。貴方も歴史的瞬間の生き証人になれるかもよ」
「荷物はみんな『るーこと0号』に持たせるから楽だぜ」
ちゆりがバンの後ろを指差した。そこに米軍放出品の荷物運搬用四足ロボットがあった。
「まあ、動きがちょっと気持ち悪いけどな」
「このロボットかわいい~。よろしくね」
「メリー、あんたどういう感性……」
気味悪がるちゆりを尻目に、メリーはるーこと0号のボディをぺちっと叩いて笑った。
かくして、夢美とちゆり、蓮子とメリー、運転手の青年は土砂崩れを超えて目的地を目指す。
◆
蓮子とメリーは最初、ただのメンバー二人のオカルトサークルだった。
とくに活動内容を発表するわけでもなく、生まれ持つ不思議な能力を利用して結界を探索して遊ぶのがなによりの楽しみだった。今ではそれが仕事の一部となっている。
地球環境がいよいよ衰えていく段階になって、大学で学んだ知識を生かして環境再生のための研究に参加したが、思わしい成果は得られずにいた。そこへ嘲笑されながらも持論の研究を続ける岡崎夢美の部署から声をかけられたのだ。
自分たちのもつ不思議な能力、彼女の主張する第五の力『魔力』の理論。
そこに突破口があると直感した二人は、周囲の反対を押し切り、自分たちの能力の事を夢美に伝え、同時に研究スタッフとして迎えられる事になったのだ。
◆
1時間ほど曲がりくねった勾配を歩いていると、さすがに一向の顔に疲れの表情が見えてくた。最初ピクニック気分だったメリーも口数が少なくなる。ただるーこと0号だけが、変わらない調子で駆動音を山に響かせていた。
「ああ、先生、目的地はアレじゃないですか」 青年が道路の横にある参道を指差した。
「そうね、急ぎましょう」
はやる気を抑えられない夢美を追いかけ、残りの四人と一台も参道に足を踏み入れた。
ちゆりが銃を取り出し、構えた姿に青年はぎょっとした。
「ちゆり先生、その銃は?」
「ああ、どんな危険があるかわからないからな、小さくても必殺の武器だぜ。お前もこれ持っとけ」
蓮子やメリーと大して年の違わないちゆりは、青年にも武器を手渡した。
「あの、これは?」 パイプ椅子を持たされた青年がつぶやく。
「ああ、これも結構強力な武器だぜ」
不満がありそうだが黙っている青年の顔を見てメリーがけらけらと笑い、蓮子はそんなメリーに軽いチョップを食らわせる。
「ぷっ、どんなときでもマイペースだなお前らは」
そんなちゆりの頬も少し緩んでいた。
枯れ木に囲まれた参道を抜けると、小さな広場と、朽ち果てる寸前の木の建物が姿を現した。
ここは神社だったのだろう、人々に忘れ去られてどれほどの年月が経ったのか。
先行した夢美があちこちを調べていたが、別段変わった様子もないようだった。
人を寄せ付けぬオーラのようなものは誰も感じられず、神社はただ無言で、数十年ぶりの参拝客を迎えるのみ。
「ここか、マエリベリーの言ってた境界ってのは?」
先ほどのやり取りを一切無視して、真剣な表情に戻るちゆり。
「メリーでいいです。そうですね、この神社が境界の要です」 ちゆりの言葉を受けて、メリーの瞳もシリアスなものに変わった。
「大学の建物から望遠鏡で景色を眺めていたら、なんだかこの辺の空間に違和感を感じて、こっちの世界と境界の向こう側がつながったような気がしたんです。確か今ごろでした。ねえ蓮子」
蓮子は望遠鏡で昼の星を見て答える。
「ええ、正確にはあと2分35秒後にです」
メリーは顕界と異界をつなぐ境界を見る力が備わっている。
蓮子は月を見ることで位置を、星を見ることで時刻を知る能力がある。
お互いの能力を知ったのは友達になってからだった。
単なる遊びのツールに過ぎなかった能力は、いま人類を救う(かも知れない)ために活用されているのだ。そう思うと、蓮子はなんだか不思議な気持ちになる。
結界の開く時刻が近づくにつれ、鼓動がテンポを増す。
「蓮子、いつものサークル活動と思えばいいのよ、変に気負うのはあんたらしくないわ」
メリーが蓮子の頭になで、緊張を解きほぐす。
「ありがと、いつもやってきた事だしね」
あと1分、一同は黙って社殿を見守る。
「あと10秒」
青年が二礼二拍手一礼を行い、心の準備をした。
「5秒、3,2,1」
青年が手を触れる前に、しゃらん、と鈴が鳴った。
◆
何かが開いていく、視覚で感じたのではない、見えない壁、この世界と別の世界を隔てる境界が曖昧になっていく、少なくともメリーはそう感じた。他の者も同じ感覚を共有しているのかは分からないが、皆も何か神秘的なものを感じる顔つきになっている。
「あれ、貴方たちは……」
聞きなれぬ声に一同が振り向くと、見慣れない衣服を身につけ、獣のような耳や鳥のような翼を生やした者たちが、きょとんとした表情でそこにいた。
『向こう側』の住人。誰もが直感的にそう悟った。
「先生、こいつらって……」 ちゆりが息を呑んだ。
「やっぱり、私の仮説は正しかったわ」
夢美はそう言ったが、新発見の喜びより、目の前の現象に対する衝撃が上回っている。
沈黙を最初に破ったのはメリー。
たった一人で、一歩足を踏み出し、にっこりと笑って、右手を相手の少女に差し出した。
「はじめまして、私の名はマエリベリー=ハーン。メリーって呼んで。仲良くしましょ」
大陸風の衣服を見に包み、猫のような耳と尻尾を生やした少女も、次の瞬間笑顔でうなずき、差し出された手を握る。
「はじめまして、私は橙(チェン)、よろしくね、外界の人たち」
堰が切れたように、さまざまな話し方や身振り手振りでコミュニケーションを試みる一同。
「紫様、橙がやりました!」
隙間から一同のやり取りを見守る藍から、橙たちが外界人との再接触に成功したことを伝えられると、、床についていた紫は淡々と口を開く。
「結界を張ってから、432年と5ヶ月と14日ぶりのランデヴー……。まさかこんな日が来るなんて」
「これで、外界人たちに我々の存在を再認識させれば……」
期待に胸を膨らませる藍を、紫はたしなめる。
「まだどうなるか分からないわ、足りないものを互いに補い、両者の再生につなげるのか、それとも、また軋轢を起こして決別するのか、あるいは、潰れかけた店が合わさった所で、大きな潰れかけの店が出来るだけなのか、過度の希望的観測は禁物よ」
藍も知っている。古来、異文化の接触は双方に恵みをもたらすだけでなく、時には争いの火種ともなったことも。
不安がないわけでもない。だが今この時だけは、平和的な出会いを喜びたい。
そして、この再会が良き結末を迎えて欲しい。そう二人は願った。
「でも紫さま……」
「そうね、あの子達なら存外やってのけるかもね」
やがて大地は穏やかに芽吹きだす。
まばらな人家のひとつで、乾いた大地を懸命に耕していた男は、手ぬぐいで額の汗をぬぐい、日焼けした顔を空に向け、また目線を戻した。
男がこの世に生を受けたとき、すでに季節はめちゃくちゃになり、四季を感じさせるものは少なくなっていた。土は痩せ、食料といえば、救荒作物であるサツマイモや、食べられる野草の根、涸れかけた川の小さな魚ぐらいしか得られない。男が幼少時に母から聞いた話によれば、昔、ここは緑豊かな山や森、清廉な水をたたえた川と湖、人々の耕した水田や田畑が広がり、人、神々、妖怪、妖精がバランスを保って暮らす理想郷だったという。母が幼かったころの話だ。それが本当だったとしても、自分がそうした世界を拝める日はたぶん来ないだろう。そう男は考えた。
乾ききった切り株に腰を下ろし、妻からもらった昼食の包みを開けた。茹でたサツマイモとこれまた煮込んだ何かの根っこを食べる。代わり映えのない食事ではあったが文句は言っていられない。妻は流産したばかりの身でありながら、必死にこの食事を作ってくれたのだ、男と妻の間には子はまだいなかった。ようやく授かった子だったのに……。そして、こうした悲しみはすでに村のあちこちで……。
不意に何かひんやりとした物が、やせ細った男の体にぶつかった。
振り向くと、同じくやせこけた、出来損ないのわら人形のような妖精だった。
「ひいっ」
ぶつかった妖精はちらりと男のほうを見たが、何をするでもなく、そのまま無気力に飛び去る。
男の幼少時には、それでも年に10回は可愛らしい妖精が飛んでいる姿を見かけることができたが、最近は年に1~2回、それもさっき見かけたようなモノしか姿を見せない。死んだ魚のようなどろりとした目つき、左右非対称のぼろ布のような羽根、もはや悪戯を仕掛ける気力すらなく、ただ消滅していないだけの存在と成り果てている。気味が悪いというより、哀れさを感じさせる。
妖精が手に握っていた緑色の何かが、するりと抜け落ち、風に舞った。髪の毛のようだった。
「…………うあ……だ………………ちゃん」
すると妖精は声にならないうなり声のようなものを上げながら、その緑色の髪の毛を拾い集めていく。
その時だけ瞳に執念のような光が宿っていたが、目に付く限りの緑色の髪の毛を拾い終えると、再び夢遊病者のような目で、どこへともなく飛び去っていった。
生きとし生けるものの生命力が、年を追うごとに弱まっている。そう男は感じた。
昼食を終えて、男は鍬を持ち、作業を再開した。
少なくとも男には、まだ守るべき人がいるのだ。
こんな世界でも、まだ人間は生きている、あるいは、死ねないでいる……。
◆
「ねえ藍、この光景、霊夢や魔理沙が見たらなんていうかしらね」
幾分廃屋になりかけたマヨイガで、しわの増えた隙間妖怪は椀と箸をちゃぶ台に置き、尻尾の減った狐に言った。
「恐れながら、紫様のお体でしょうか、それとも、今の幻想郷ですか」
「両方よ」
「そんな、今は勢いを失っていますが、いつかきっと、元のにぎやかな世界になりますよ」
「そうかしら、あなた自身、今のあなたの言葉を信じられる?」
いまや三尾の狐と化した藍は答えに窮した。幻想郷は外界の人々の、「こんな妖怪が存在するかもしれない」とか、「今はないが、かつてこんなものが実在したという、どんなものだろう」といった外界の人々の空想が具現化した世界といえる。その世界が精彩を欠くようになったということは、外界の人間が滅びかけているという事なのだろうか、だとしたら、どんな手を尽くたところで……。
「私のかわいい藍、このまま、静かに朽ち果てるのも悪くないと思うの」
骨と皮になりかけた手でお茶をすする。
「紫様……」
「この幻想郷も、貴方たちも、人間たちも今まで良くがんばったわ、もう休むべき時が来ているのよ」
急に紫が咳き込み、湯飲みを取り落とした、藍はあわてて駆け寄り、背中をさする。
「紫様、しっかりして下さい」
「藍、私が消えるまで、傍にいてくれるかしら」
「もちろんです、だから元気を出してください」
「ありがとう藍。それから今日の定例会議は休むわ。行ったってどうせ解決策なんてないもの」
藍は紫を布団に寝かせた後、ここ三日間ほど姿を見せない橙のことを考えた。
◆
まだかろうじて原形を保っている紅魔館のテラスで、レミリアはテーブルに肘をついて、小さくなった湖を眺めながら物思いにふける。目に映る景色は、緑より黄色や茶色が増えていた。
「お嬢様、紅茶をお持ちしました」
艶を失いかけた黒髪をした細面の女性がドアをノックした。
彼女は十六夜咲夜から数えて五代目のメイド長である。
飢饉の村で一人泣いていた赤子の彼女を、偶然見かけたレミリアが拾ってきたのだ。
彼女も歴代メイド長と同じく、レミリアに忠実である。
「ありがとう、美鈴はどこへ?」
「また、付近の人里へ農業指導に行っております」
「そう、いつか、またどんちゃん騒ぎができるといいわね、最後の宴会は何年前だったかしら?」
「たしか、私が二十歳になったかならないかの時だったと思います」
「ずいぶんと昔ね、パチェに調べさせたんだけど、この世界がどうしてこうなってしまったかは大体の見当がついてるのよ。だから今夜の定例会議で提案するつもり」
幻想郷が豊かさを失い続けるようになってから、さまざまな種族が集まり、どうしたらよいか話し合う会合を開いていた、最初は不定期だったが、後に一ヶ月に一度開かれるようになった。
当初は宴会とほぼ変わらないムードだったが、回を重ねるごとに悲壮感を帯びるようになり、足を運ぶ者は減っていった。しかし、また楽しい日々を過ごせるようになりたいという一心から、レミリアはしつこく通い続けているのだ。
「さあ、出かけるわよ」
◆
月明かりの空のもと、すすき野に妖怪と人間が荒野に集っている。
ここで定例会議が開かれる。
「地霊殿、白玉楼、魔界は相変わらず音信不通。鈴仙ちゃん、月の都はどう?」
いつのころからか、橙が会議を取りまとめるようになっていた。
「今日も駄目、ノイズばかり」
鈴仙がため息をついた。
「以前は月から誰かが攻めてくるんじゃないかと思っていたけど、今じゃそんな悩みすら贅沢に感じるわね」
永琳は腕を組む。
「うちは皆元気だけど、妖精メイドが日に日に消滅してそこらじゅうホコリだらけよ」
レミリアの言葉に、永琳もうなずいた。
「姫様は元気だけど、てゐも最近杖をついて歩くようになったし、妖怪イナバも半数近くがどこかへ消えてしまったわ」
「みんなー、現状報告お願い、新たに生存確認できた子とかいる?」
橙は期待を含めた口調でしゃべろうとしたが、暗い内容の報告になるのをどこかで覚悟していた。
人間や妖怪たちが、口々に幻想の生き残り状況を橙に知らせていく。
「廃人ならぬ廃妖精同様の奴が漂っていた」 人間の男
「太陽の丘は、ひまわりが1割、雑草が2割、残り7割が荒地といったところですね。かすかに幽香さんの気配を感じましたが、妖怪の私でも姿は見えませんでした」
天狗の新聞記者
「一応人里の食糧生産は安定している、でもギリギリ餓死しない程度といわざるを得ない。肥料が不足しているしな」
白澤
「香霖堂は営業していました、でも店主の髪も品揃えも薄くなってしまいました」 当代の紅魔館メイド長
「人形使いは生死不明、引きこもっているのか消滅したかは分からない。霧雨邸も朽ち果てたまま」
ホームベースのすずらん畑が枯れた弱毒人形
「山の妖怪たちも、最近目立った活動は見られないね」 無名妖怪1
「あいつら、科学の力でよろしくやっているんじゃない、妬ましい」
地上に遊びに来て取り残された橋姫
「そんな事ないよ~。最近の配給といったら、味もそっけもない合成きゅうり一日一本。お腹がすいてしょうがないのよ」
技術屋河童
「配給? あるだけマシよ」 当代の博麗の巫女
「いいニュースもありますよ、ご先祖様が言ってた、神奈子さま、諏訪子さまの存在を感じ取れるようになった気がします、まだお姿を拝見させて頂くには至りませんでしたけど」
当代の風祭
「げっげっげ」 「げしげしげし」 「げげげげげ」 萌え補正が切れた妖精三匹。
「くぅ~ん」 同じく萌え補正が切れた白狼天狗
「あ~~~~~っ、もういらいらする……うっ」
レミリアが苛立つ。だが貧血を起こしてその場に座り込んでしまう。
「ここんとこ血を吸ってなくて……」
「お嬢様、お吸いください」
メイド長が肩をはだけさせてレミリアに寄り添い、血を分け与える。
首筋に牙を立て、命の糧を分けてもらう間、メイドはレミリアを優しく抱きしめている。
噛み付いて血を吸う行為とはいえ、さながら母親が子に母乳を与えている光景に一同はため息をつく。
「ああ、なんだか見ているこちらまで癒される」 誰かの言葉。
終わった後、今度はメイドが貧血で座り込んでしまった。
「しっかりしなさい、貴方が倒れてどうするのよ」
「お嬢様、すみません」
「貴方のおかげで元気になったわ、少し休みなさい」
メイドを茣蓙に寝かせた後、レミリアは仕切り直しを始める。
「いい? 私たちが今すべきなのは、現状をぼやくことではなく、こんな下らないコントを披露することでもないわ」
「おいそれは言いすぎだろう?」 白澤が眉をひそめる。だが吸血鬼は悪びれない。
「いいのよ、これが歴代メイドとのコミュニケーション作法だから。本題に戻すわ、私はかつての幻想郷を取り戻したいのよ、提案があるんだけど、外界に出てみない?」
一同が絶句した。少し間をおいて、巫女がやれやれと肩をすくめる。
「そんな事、出来るわけないじゃない」
「霊夢が貴方を見たら笑うわよ、幻想郷を守る巫女でしょ! 諦めるなんて、楽園の素敵な巫女の二つ名が泣くわ、荒野の腐れ巫女に改名しなさい」
「ちょっとあんた、いくら満月だからって」 怒った巫女を白澤が抑える。
「まあまあおちつけ。レミリアどの、その口ぶりからして何か考えがあるんだろう? もったいぶらずに教えてくれないか」
「単純よ、この幻想郷は、外界の人間たちの幻想で成り立っている。その幻想郷が衰えているということは、外界の人間が私達を忘れつつあるという事、だから、紫に結界を空けてもらって、外界に私達の存在をアピールしに行くのよ」
「外か……危険だが、この荒廃の要因が外部にあるとすると、調べてみる価値はあるな」
「私、紫様や藍様に頼んでみる、結界を開けてもらえる様になったら、有志を集めてとりあえず、アピールのための調査開始、これでいいね」
橙の動議を一同は支持した。
たとえ幻想郷が滅びる運命にあったとしても、やれるだけのことをやってみるべきだ。
種族は違えど、思いは一つだった。
◆
「まあいいんじゃないの、頑張ってみなさい」
八雲紫はあっさりと橙の申し出を承諾したが、藍は戸惑っていた。久しぶりに姿を見せたと思ったら、突拍子もない提案をされた。だが橙の説得によりしぶしぶ協力することになった。もっとも、結界修復を積極的にしなくなった紫のせいで、結界を開いてもらわずともあちこちに綻びを見つけることができたのだが。
調査隊出発の日、橙をリーダーとする生き残りの妖怪有志は、博麗神社の前に立った。
ここを出発点に選んだのは、幻想郷の命運をかけた調査隊の出発である以上、そこらの綻びではなく、正式な接点から外界に入りたいと橙が望んだからだ。
「橙、気をつけてな」
「大丈夫だよ藍さま、それよりも、帰ってきたら幻想郷が終わっていたなんて風にしないでよ」
藍は軽い驚きを感じた。いつから橙はこんな目をするようになったのだろう。
「ああ、任せとけ。もうすぐ結界が開く時間だ」
「さあ、出発するよ」
橙の後姿が、やけに頼もしい。
酸性雨が容赦なくコンクリートを侵食する。
かつて大学と呼ばれた建物のある研究室で、教授の岡崎夢美は、頭と手を休め、助手のちゆりがいれたコーヒーを味わった。ここでは、荒廃した地球を何とか救うための試行錯誤の一つが行われている。
あまり期待をかけられた研究ではなかったが……。
「教授、また国からの予算も削られるそうです」
「驚いた、まだ国なんてものがあったのね」
助手の憂いを、教授と呼ばれた女性、岡崎夢美は軽く笑い飛ばす。
「地球を捨てず、あくまで環境再生を目指してるんだから、もうちょっと目をかけてくれても良さそうなモンだけどな」
紛争、環境破壊、天変地異、さまざまな要因が重なり、大地は人が住むのに適した場所ではなくなりつつあった。人々の大半は地球を捨てた。しかし彼女たちはその選択をしなかった。
「たとえ別天地を見つけてそこに移り住んだって、人間の心が変わらない限り同じ事を繰り返すだけ、その時はまた星を捨てるのかしら? 第一、他の惑星を人が住めるように改造できるなら、地球をどうにかすべきじゃない。だから、私たちぐらいはここで踏みとどまるべきなのよ」
「それ、100パーセントの本音ですかい?」
「80パーセントは本音よ、後の半分は……」
彼女がかねがね主張していた第五の力『魔力』を証明し、それを地球の復興に役立てることで、自分を追放した学会を見返してやりたいとの本音も、彼女のエネルギー源となっていた。
正確には学会を追放されたのではなかった。ただ発表会では常に人気の少ない早朝の部にまわされるのだ。それでも夢美は自分の信ずる理論を唱えたが、トンデモ理論、話のネタ程度として受け入れられるのみだった。あの二人を除いては……。
「ちゆり、例の不思議スポットの調査は明日だったわね。宇佐美さんとマエリベリーさんは来られるかしら?」
夢美はカレンダーをにらむ。
「火星に行ってなければな」 とちゆりは答えた。
◆
缶詰の合成竹の子に、パックの合成米、これまた缶詰の合成たくあんの朝食を食べ終え、酸性雨から肌を守るコートに身を包んだ時点で、宇佐美蓮子はルームメイトのマエリベリー=ハーンがまだ夢の世界の住人であることに気付き、その毛布を思い切り引っぺがした。
「こらあ、メリー起きなさい」
「う~ん、あと5時間」
「ふつうあと5分って言いなさい、まったくもう]
枕を抱いてうずくまるメリーの姿をうらやましく思いつつ、蓮子は仕方なくメリーの朝食を準備する。
「ほら、今日は午後から調査でしょ、さっさと目を覚ます!」
やっと布団から起き上がったメリーの髪をブラシでとかしてやる。
半目を閉じているメリーはされるがままにしているが、家では唯一合成ではない緑茶を飲ませたら頭がさえてきたようだ。
「まだ寝たかったのにな~」
「あんまり寝てると、胡散臭い妖怪変化になるわ」
「超統一物理学なんてものを学んでいる割に、非科学的なことを言うのね」
「科学の領域と、宗教や精神の領域は別よ、さっさとご飯食べて」
蓮子は朝食だけは手早く済ませたメリーにコートを着せてやり、ファスナーをおろした。
外の新聞受けに、火星移民募集のチラシが入っていた。
蓮子もメリーも受け入れる気はなく、一瞥してマンションの階段を下りる。
「残念だけど、私たちはまだ、この星を味わい足りないのよね」
「蓮子、今いい事いった、えらいっ」
今日も鉛色の雲から酸性雨が降り続けていた。
遠い爆音がして東の空を見上げると、移民団をのせた船が一筋の糸を引いて天へ昇っていく。
ある者は彼らを新天地を目指す挑戦者と呼び、またある者は故郷を捨てた脱走者と呼んだ。
蓮子とメリーは、どちらの評価もしない。
「ねえ蓮子、あそこの人たちと私たち、どっちが一番賢明だったのかな?」
メリーが今までの寝ぼけまなこから一転して、シリアスな口調で聞いてくる。
「どちらが正解なのかしら?」 もう一度言った。
「きっと正解はないのよ。誰かがうまくいかなくても、別の道を歩む人がいれば全滅は防げる、お互いがお互いの保険になってるんだと思う」
「それを聞いてちょっと安心したわ、ありがとう」
蓮子は慣れない腕時計の針を見た。もうすぐバスが来る時刻だ。
「ほら行くわよ」
「うにゅ」
再び眠気に取り込まれそうになったメリーの手を引いて歩いてゆく。
◆
午前の講義の後、蓮子たちを乗せたバンは曲がりくねった山道を進んだ。
禿山とひび割れたアスファルトの道路、錆びたガードレールが一行の気分を暗くする。
「地球はこんなんですが、火星も結構大変みたいですよ、友人からのメールによると、虫だかロボットだかのような怪物が出現したり、クーデター騒ぎが起きたり、衛星フォボスが地表に落下したとか」
運転していた同級生の青年がつぶやいた。彼も蓮子やメリーと同様、岡崎研究室の学生である。
「やっぱ地球に残って正解だったかもね、あらもう空っぽ?」 蓮子がタケノコチップスの袋をまさぐる。
「最近また量をケチるようになったわね」 メリーが口を尖らせた。
蓮子はメリーの唇にくっついていたチップスのかけらをつまみ、口に入れると、粛々とメリーの脳天にチョップを炸裂させる作業を実行した。
「いったぁーい、何よたかが食い物で」
「これ最後のチップスだったのよ」
「はあ、お前らは気楽でいいな、目的忘れんなよ」
「ごめんなさい、ちゆり先生」
「でも、こんな状況で笑い合えるのはすばらしいと思うわ」 夢美が微笑む。
「ええっ? 私たち、今シリアスに喧嘩していたつもりですが」 メリーが真顔で問う。
「貴方たち、とても楽しそう、こんなときこそ笑顔ね」
急に青年がブレーキを踏んだ。シートベルトをしていなかった助手席のちゆりは頭をぶつけそうになる。
「なんだよ危ねえな」
「それは北白川の自業自得だろ。先生、行き止まりです」
道路は土砂崩れでふさがっていた。もともと人通りが少なく、火星移民に熱心な政府の意向もあって、ここの復旧には手が回っていないようだった。
「しょうがないわね、目的地まで後ちょっとだし、歩くわよ」 夢美はなおも前向きだ。
「ええ? 行くんですか」 青年が口を尖らせる。
「だって、第五の力を証明できる千載一遇のチャンスかもしれないのよ。貴方も歴史的瞬間の生き証人になれるかもよ」
「荷物はみんな『るーこと0号』に持たせるから楽だぜ」
ちゆりがバンの後ろを指差した。そこに米軍放出品の荷物運搬用四足ロボットがあった。
「まあ、動きがちょっと気持ち悪いけどな」
「このロボットかわいい~。よろしくね」
「メリー、あんたどういう感性……」
気味悪がるちゆりを尻目に、メリーはるーこと0号のボディをぺちっと叩いて笑った。
かくして、夢美とちゆり、蓮子とメリー、運転手の青年は土砂崩れを超えて目的地を目指す。
◆
蓮子とメリーは最初、ただのメンバー二人のオカルトサークルだった。
とくに活動内容を発表するわけでもなく、生まれ持つ不思議な能力を利用して結界を探索して遊ぶのがなによりの楽しみだった。今ではそれが仕事の一部となっている。
地球環境がいよいよ衰えていく段階になって、大学で学んだ知識を生かして環境再生のための研究に参加したが、思わしい成果は得られずにいた。そこへ嘲笑されながらも持論の研究を続ける岡崎夢美の部署から声をかけられたのだ。
自分たちのもつ不思議な能力、彼女の主張する第五の力『魔力』の理論。
そこに突破口があると直感した二人は、周囲の反対を押し切り、自分たちの能力の事を夢美に伝え、同時に研究スタッフとして迎えられる事になったのだ。
◆
1時間ほど曲がりくねった勾配を歩いていると、さすがに一向の顔に疲れの表情が見えてくた。最初ピクニック気分だったメリーも口数が少なくなる。ただるーこと0号だけが、変わらない調子で駆動音を山に響かせていた。
「ああ、先生、目的地はアレじゃないですか」 青年が道路の横にある参道を指差した。
「そうね、急ぎましょう」
はやる気を抑えられない夢美を追いかけ、残りの四人と一台も参道に足を踏み入れた。
ちゆりが銃を取り出し、構えた姿に青年はぎょっとした。
「ちゆり先生、その銃は?」
「ああ、どんな危険があるかわからないからな、小さくても必殺の武器だぜ。お前もこれ持っとけ」
蓮子やメリーと大して年の違わないちゆりは、青年にも武器を手渡した。
「あの、これは?」 パイプ椅子を持たされた青年がつぶやく。
「ああ、これも結構強力な武器だぜ」
不満がありそうだが黙っている青年の顔を見てメリーがけらけらと笑い、蓮子はそんなメリーに軽いチョップを食らわせる。
「ぷっ、どんなときでもマイペースだなお前らは」
そんなちゆりの頬も少し緩んでいた。
枯れ木に囲まれた参道を抜けると、小さな広場と、朽ち果てる寸前の木の建物が姿を現した。
ここは神社だったのだろう、人々に忘れ去られてどれほどの年月が経ったのか。
先行した夢美があちこちを調べていたが、別段変わった様子もないようだった。
人を寄せ付けぬオーラのようなものは誰も感じられず、神社はただ無言で、数十年ぶりの参拝客を迎えるのみ。
「ここか、マエリベリーの言ってた境界ってのは?」
先ほどのやり取りを一切無視して、真剣な表情に戻るちゆり。
「メリーでいいです。そうですね、この神社が境界の要です」 ちゆりの言葉を受けて、メリーの瞳もシリアスなものに変わった。
「大学の建物から望遠鏡で景色を眺めていたら、なんだかこの辺の空間に違和感を感じて、こっちの世界と境界の向こう側がつながったような気がしたんです。確か今ごろでした。ねえ蓮子」
蓮子は望遠鏡で昼の星を見て答える。
「ええ、正確にはあと2分35秒後にです」
メリーは顕界と異界をつなぐ境界を見る力が備わっている。
蓮子は月を見ることで位置を、星を見ることで時刻を知る能力がある。
お互いの能力を知ったのは友達になってからだった。
単なる遊びのツールに過ぎなかった能力は、いま人類を救う(かも知れない)ために活用されているのだ。そう思うと、蓮子はなんだか不思議な気持ちになる。
結界の開く時刻が近づくにつれ、鼓動がテンポを増す。
「蓮子、いつものサークル活動と思えばいいのよ、変に気負うのはあんたらしくないわ」
メリーが蓮子の頭になで、緊張を解きほぐす。
「ありがと、いつもやってきた事だしね」
あと1分、一同は黙って社殿を見守る。
「あと10秒」
青年が二礼二拍手一礼を行い、心の準備をした。
「5秒、3,2,1」
青年が手を触れる前に、しゃらん、と鈴が鳴った。
◆
何かが開いていく、視覚で感じたのではない、見えない壁、この世界と別の世界を隔てる境界が曖昧になっていく、少なくともメリーはそう感じた。他の者も同じ感覚を共有しているのかは分からないが、皆も何か神秘的なものを感じる顔つきになっている。
「あれ、貴方たちは……」
聞きなれぬ声に一同が振り向くと、見慣れない衣服を身につけ、獣のような耳や鳥のような翼を生やした者たちが、きょとんとした表情でそこにいた。
『向こう側』の住人。誰もが直感的にそう悟った。
「先生、こいつらって……」 ちゆりが息を呑んだ。
「やっぱり、私の仮説は正しかったわ」
夢美はそう言ったが、新発見の喜びより、目の前の現象に対する衝撃が上回っている。
沈黙を最初に破ったのはメリー。
たった一人で、一歩足を踏み出し、にっこりと笑って、右手を相手の少女に差し出した。
「はじめまして、私の名はマエリベリー=ハーン。メリーって呼んで。仲良くしましょ」
大陸風の衣服を見に包み、猫のような耳と尻尾を生やした少女も、次の瞬間笑顔でうなずき、差し出された手を握る。
「はじめまして、私は橙(チェン)、よろしくね、外界の人たち」
堰が切れたように、さまざまな話し方や身振り手振りでコミュニケーションを試みる一同。
「紫様、橙がやりました!」
隙間から一同のやり取りを見守る藍から、橙たちが外界人との再接触に成功したことを伝えられると、、床についていた紫は淡々と口を開く。
「結界を張ってから、432年と5ヶ月と14日ぶりのランデヴー……。まさかこんな日が来るなんて」
「これで、外界人たちに我々の存在を再認識させれば……」
期待に胸を膨らませる藍を、紫はたしなめる。
「まだどうなるか分からないわ、足りないものを互いに補い、両者の再生につなげるのか、それとも、また軋轢を起こして決別するのか、あるいは、潰れかけた店が合わさった所で、大きな潰れかけの店が出来るだけなのか、過度の希望的観測は禁物よ」
藍も知っている。古来、異文化の接触は双方に恵みをもたらすだけでなく、時には争いの火種ともなったことも。
不安がないわけでもない。だが今この時だけは、平和的な出会いを喜びたい。
そして、この再会が良き結末を迎えて欲しい。そう二人は願った。
「でも紫さま……」
「そうね、あの子達なら存外やってのけるかもね」
やがて大地は穏やかに芽吹きだす。
教授達と橙の出会いは未来の幻想郷に変化を与えるんだろうか。
自分達で想像するのもいいだろうけど……。やはり作った人のが見たいです。
将来はこうなるのかねぇ……
受け入れやすい作品だと思います。
幸せになってほしいね
幽香や地底の妖怪がどうなったのかが気になるところ
続きが激しく気になるな
月はどうなったんだろうか、火星移民とかの話がある以上
月面都市くらい作ってそうだが、そうなると月人は穢れで存亡の危機に…
続きは気になるところですね。興味深い内容でした。
やっぱり続きが読みたいですな
こんな始まりがあってもいいなと思った。・・・もし続きの構想があったら、自分も続きを希望します。
どきどきしながら読んでました。
とりあえず、パ ラ レ ルなら仕方がないな
まさか設定の矛盾からこう逃れるとは
最悪だ(←ほめ言葉
希望を捨てないレミィも、とってもいい味出してますね。
シリアスな中にギャグ的な要素が混じっているのが異様な感じがして、でもある意味そこが幻想郷らしいのかな
泣いた。や、そこじゃなくて。これはよいパラレル
大妖精と予想
とりあえず
白澤って誰ですか?
予想はつきますが。
テーマの割に受け入れやすいと感じました
根本的な設定が守られているからでしょうか
ゆかりんは流石にへばってたけど
あまりこういう奇をてらったものは受けにくいと思っていましたので、予想以上の評価に驚いています。
書く動機として、「バッドエンドからの反撃」
あるいは「グッドエンドの時間軸にしか価値はないのだろうか?」というのがあります。
悲しい状況からなんとか再生につなげていく様を書きたいと思いました。
続編については過去の経験からして、あまり変なものを書いて期待を裏切ってしまうのが怖いので迷っています。
(作品集32「アーマードこあ」と作品集55「アーマードこあ Ⅹ(完結)」の点数、コメントの落差をご笑覧下さい)
プロの作家さんですら、「一作目が一番面白かった」といわれる事も多いですし、とりあえず保留という事で……。
誤字? 風祭→風祝
これが一番哀しかった。
皆大変だけど、椛はそのままでもいいと思うな。
ですがそこら辺は作者様にまかせますw
ハッピーエンドなら見たいですねww
頑張って下さい!
もし書いて頂けるのならば見てみたいです
結果がバッドになろうとハッピーになろうと作者様が思うように書いてくれれば
結界の内と外の問題ではなく地球単位の危機に、教授達や妖怪達がどう立ち向かっていくのか、想像するだけで不安を期待で胸がいっぱいになります!