●
春が。
雪も向日葵も無い、普通の春が過ぎようとしている。
それは異変において被害者となりやすい人間と里にとって、有り難く享受すべきものだ。
享受とは、味わい楽しむという意味もある。妖怪達に負けず劣らず、人間達もまた宴会に勤しみ、外で団子の方をつまむことで享受を得ている。
だからこの季節は特に、彼女達にとって繁忙期と言えた。
「――ってなわけで、宿酔に効く薬があればもらいたいんだけどねぇ」
人柄の良さを感じさせる女の声が聞こえる。
それは人間の里の一角、長屋の玄関から響く会話のものだ。
尋ねる和服の中年女性に対し、問いを含んだ少女の声が返した。
「常備じゃないので有料ですが?」
「あー大丈夫大丈夫。先生ん所のは前にも買ったし、そんくらい払えるって」
「そうですか。では次回お持ちしますので、代金はその時に」
「悪いわねぇ。本当は川にでも沈めときゃ治るんだろうけど、あんたの先生ん所はすぐ良くなるし安いし……」
カラカラと笑い声を上げる女に対し、少女は頭上の兎耳を少しも動かさず、軽く頷いた。
「ええ、師匠の薬ですから。それでは次もありますので」
「悪いわね。じゃあ頼んだわ」
兎の少女は浅く一礼し、灰色のスカートを翻して足音を遠くした。
薄紫色の髪が、曲がり角の向こうに消えたのを見て女性は引き戸を閉じる。
木と木がぶつかる音が立つと同時に、背後からうめくような男の声が聞こえた。
「いつつ……」
振り返ると布団がのっそりと動く様が視界に入った。
布団から這い出たのは、無精髭を生やし、片手で頭をさする中年の男だ。
「……あー昨日は飲み過ぎた。おいかかあ、あれだ、薬くれ」
「この間も同じ事やってあんたが飲み干しただろ。さっき、いつもの娘に頼んだから今日は水飲んでおとなしくしてな」
女は呆れた表情をしながらも動いた。その先には水瓶がある。
「んなもん見てたから知ってら。……ところでよ」
「なんだい?」
戻ってきた女からお盆に載った湯飲みが差し出されると、男は半分ほどを一口にして、
「あの兎の嬢ちゃん、目も合わさないで相変わらず愛想悪いねぇ、もったいない! ――いでっ!?」
男の軽口に女が盆で頭を叩くと、男は頭を抱え大げさに痛がる。それを意に介さず、
「なにがもったいない! だよ。緊張してんのも分からない癖に」
「緊張? ウチに来るの初めてじゃないだろ」
男の記憶では、あの青い服を着た兎の少女は季節の変わる頃に家々を尋ねて回っている。
その他にも里で竹細工を売ったりするなど、単なる薬売りというより商売人に近い。
しかし客商売をするには素っ気ない態度で、淡泊な口調は丁寧だがよそよそしすぎる。
里に来るようになって一年はとうに過ぎているというのにその態度は、生来の性としか思えなかった。
だから緊張という言葉には疑問を抱く。
初対面ではない、そして力関係で人間を圧倒する妖怪である彼女が、人間相手に尊大な態度をとることはあっても緊張することなど考えられないからだ。
「……なんでよ? おめえ、他に里に来る妖怪に緊張なんてする可愛げのある奴いねぇだろ?」
「さあねぇ、あの娘にもいろいろとあるんだろうさ。とりあえずとっとと顔洗ってきな、だらしない」
「へいへい……痛つつ」
とりあえず仏頂面でも良いから、早く宿酔の薬を持ってきてくれと、男は残りの半分を仰いだ。
●
人間の里から他所に移動する道のいくつかは、街道として整備されている。
主に各地の集落と接続するもので、故に支線は獣道に近くなる事が多い。
日が夕陽へと移り変わる頃、伸びる影の先に少女がいた。
里で薬を売っていた、兎耳の少女だ。
すでに視界として捕らえている迷いの竹林へ向かう足取りはゆっくりとしたもので、その顔はそれを追っている。
少女は、疲れを声として出した。
「はぁ……今日も疲れたなぁ」
背面のほとんどを覆う薬箱を、時折背負い直しながら歩みを進める。
薬箱とはいえ軽い物ではないため、歩くより飛んだ方が負担は少ない。だが、
「うちに帰ってもどうせ雑用だしなぁ」
薬の消費と里の状況、宿酔の薬ほか注文品。それらを報告し終えれば師匠、八意永琳の手伝いか掃除洗濯家事雑事。後は他の兎達と共に竹細工に精を出す、といったところだ。少しばかりの時間稼ぎは許されて然るべきだと、自身に言い聞かせる。
「ま、どうせいつもやってることなんだけどね」
慣れを通り越して何も変わらない、永夜が終わってから続く繰り返しの日々。
意外と変化のない日々をやはり退屈だと思う時もあるが、それ以上に思う所がある。
「……地上人との接触は疲れる」
月にいたころでさえ、おおよそ顔見知りの月人としか会っていない。というのに、他人、ましてや自分達の敵とされた人種だ。個々人に恨みはなくとも心中は穏やかではない。
直すべきものだとは分かっている。だが現実には直せていない。
妖怪の感覚では短いが、人間にとっては相応の年月がファーストコンタクトからすでに経過している。早くどうにかするべきと常々師匠に諭されはするが、
「最初の地上人との接触があれじゃあねぇ……」
今でも時々うなされたりで、トラウマになっている。
紅白や黒白やメイドや幽霊が徒党を組んで押し寄せてくる異変は、聞く限りではあの永い夜以外には無い。後に知る事となった彼女らの強さを考えると、よく逃げ出さなかったものだ。もっとも逃げ場は自分で封じていたため実行不可能だったが。
……次は逃げ場を用意しよう……。
優秀な軍隊は退路も確保すると聞く。今度からはそうしよう。
心の中で握り拳を作るイメージを浮かべたあたりで、少女は日陰に入ったのを感じた。
足は間もなく、迷いの竹林を踏む。
●
鬱蒼と生い茂る竹は、林と言うより森の様相を示していた。
だが、森とは違い生物の音は無い。竹林は生き物にとって住みにくい土壌だからだ。
生の無い土の上を歩む姿がある。
青いブレザーに薬箱を背負った、兎耳の少女だ。
空に朱色が混じる頃、その少女は一つの屋敷の前に辿り着いた。
長く続く割竹の塀に、瓦とヒノキ皮が混在した屋根は、古い日本式邸宅のそれだ。
少女は四脚の正門を向こうに見て、やや小さく作られた扉の無い簡素な門――薬医門をくぐった。彼女は玄関となる引き戸を開け、一言帰ってきた事を告げるとそのまま靴を脱ぎ屋敷に上がる。廊下に置かれた待合用の椅子を横目に、診察室とある表札の部屋に入った。
多種多様な薬の入り交じった匂いがする中、机に向かっていた銀髪の女性が顔を見せる。
「戻るのが遅かったわね。サボってたのかしら、うどんげ?」
「そ、そんなことはありませんよ。ちょっと色々と話しかけられただけで……」
「あら? そんな世間話が出来るようになったの、いつの間に?」
「そ、それはあの、えと……」
しどろもどろになる兎の少女、鈴仙・優曇華院・イナバを見て、師匠、八意永琳は溜息を吐き、椅子を半回転させ顔の向きと身体を合わせた。
「うど――、いえ、レイセン。貴方、地上人と接触して短くないわよね? 私達が"あの日"までの生活を繰り返していたなら今の貴方でも問題はなかった。けれど今は、地上人と円滑なコミュニケーションを取る方が重要だと理解してないのかしら?」
「理解は、してます。ええ。ただどうにもまだ慣れが必要で……」
「そんなことでは慣れるまでに百年はかかってしまうでしょう。地上人は百年もあれば三世代は変わってしまう。その変化の間にこの家がどうなるか……」
どうなるか、と問われ鈴仙は考える。人が変わるということは、
……この永遠亭も、いつまで受け入れられるか……。
もし自分達が地上人の敵対者と知られたら、"妖怪討伐"の名の下に攻め込まれるかもしれない。良き隣人としてあるならば弾幕ごっこで済むかも知れないが、不気味な竹林の住人としてあればどうなるか想像に難くない。逃げるのも返り討つのもただの人間相手なら難しくないが、それでも幻想郷から出て行く事にはなるだろう。それは避けるべき事態だ。
「……そうですよね、私が頑張らないと永遠亭が――」
「……そう、財政破綻しかねない」
「…………は?」
「なにか?」
「い、いえ。その、私がフレンドリーにしないと幻想郷を出て行く事態に陥る危険性は?」
「そんなのどうでもいいわ」
どうでもよくないだろ! と鈴仙は心の中でツッコんだ。
「それより問題なのは、如何にして輝夜の生活水準を保つか、よ?」
「心配するほど豪勢な生活していましたっけ?」
長年の逃亡生活からか性格からか、輝夜の生活はむしろ質素と言える。無論、そこらの小作人のような生活ではないが、それでも月の王族と考えれば中流階級に毛の生えた程度の生活は慎ましいと言える。そしてそれに、輝夜が不満を抱いている様子も無い。
「なにも衣食だけではないわ。この永遠亭もすでに時が流れている。私達はともかく。……だいたい藤原の小娘が来襲してくるといつもどこかしら破壊されるじゃない」
「半分は姫様ですけどね……」
鈴仙の覚える限り、永遠を生きる蓬莱人の二人は破壊に鈍感だ。屋敷を主戦場とされると流れ弾であちらこちらが傷つく。だが姫様、蓬莱山輝夜は自分の屋敷だろうとお構いなしだ。
半目になって視線を永琳に送るが、永琳は明後日の方向を向き、さて、と話題を変え、
「……さて、そんなわけで修繕は貴方達がやるにしても建築材までは手が回らない。里から購入するならお金が必要になる」
「色々と言いたいですけど無駄なので放置するとしまして。……薬やいらない物と物々交換では駄目なんですか?」
「常備薬は人心を掴むための物だし、特定の病にしか効かない薬を常日頃から必要としているわけはないわ。需要がない時に売っても二束三文。いらない物についても、彼らの生活水準で必要とされる物ではない嗜好品がほとんど。大名でもいれば話は別だったかもしれないわね」
「だから、竹細工なんですか?」
「材料も豊富で、しかも私が月のを再現した竹細工製作機があれば地上人には到底真似できない細工が可能だわ。超合竹ロボット"ソユーズ"とか」
「今はもう"真・ソユーズ"になってるって月では言ってましたよ。相変わらず攻撃手段が無制限飽和攻撃一辺倒で保守的だそうですが」
「さすがに竹では四次元兵器庫まで再現できないのが残念ね」
なにはともあれ、と永琳は一息置き、
「そういう玩具にしても日用品にしても需要は普遍的に存在するわ。その上、人件費もかからないから原価率低いし、税金もせいぜいショバ代ぐらいだし」
「たまには私達の食事代ぐらい思い出してやって下さい」
「あー、さて」
「また誤魔化して……もういいですけど」
言葉通りの表情をする鈴仙を見て、永琳は苦笑した。そして己の頬に手を突いて、
「結構、貴方達の役割は重要よ? いずれも外部に依存する以上、接触する人物によって売れ行きだって変わってくる。愛想良くして良い印象を与えられたなら次へと繋がるチャンスになる。だけど主力の貴方がこれではねぇ……」
「うぅ……で、ですが私だって人とまともに接する事が出来ない理由があります!」
「エロオーラ以外になにが?」
何か言った気がするが気にしないようにしよう。
「……私の眼は、ご存知の通り人間なら無差別に狂わせてしまいます。相対する事が出来ないなら円滑なコミュニケーションのしようがありません」
鈴仙の瞳は狂気の瞳という特殊能力を持つ。見る者を、特にただの人間に対しては狂気を宿らせてしまう効果がある。そしてそれは短時間ならまだしも、人と目を合わせなくてはならない会話では確実にそうさせてしまうだろう。
「なるほど、貴方はつまりこう言いたいのね? 『この眼が悪いんです』って」
「えぇそうです。玉兎として生まれた以上、この眼が――」
悪い、と言いそうになった所で鈴仙は背筋に悪寒めいたものが走ったのを感じた。目の前を見れば、先ほどと変わらなく平静な顔をした永琳がいる。
「?」
最近の自分はどうにもネガティブ思考になりがちだ。きっとこれもその類だろう。いやそうだ。そうであってほしい。ポジティブ思考の自分頑張れ。
「それにしても、眼、ねぇ……。それは玉兎の特性である以上は仕方が無いわ。蓬莱の薬を服用したとしても、本質的な部分まで治療は出来ないし」
「禁断の薬をそう簡単に持ち出さないで下さいよ!」
「……冗談よ。だいたい造れる事と造る事は別よ?」
「それはそうなんですが、師匠が言うと冗談にならないというか……」
言うべきことが無くなり、沈黙が訪れる。
竹の葉が掠れる音が風を知らせ、室内の空気に動きが生じた時、永琳もまた動いた。それは立ち上がるもので、次いで、
「さて、そろそろ夕餉の支度をしないとね。今日は私も手伝うからさっさとしましょう」
鈴仙の脇を通り抜けて廊下へと出る。
師匠が炊事にと立つのは珍しいな、と鈴仙は思った。だが絶無な事ではない。
永琳の言葉に素直に頷き、診察室は無人となった。
●
幻想郷の朝は早い。
人口の大半を第一次産業が占めるため、日が昇ると同時に多くの人が活動を始めるからだ。
活動は新たな活動を生む。そしてまた、活動する理由も一つとは限らない。
それ故に、農家ではない永遠亭は動いていた。
屋敷の主、輝夜の起床はまだ先だが、それに向けて、掃き、炊き等の音が奏でられる。
廊下を行き交う使用人の兎達の中、内庭に面する一角に従者の一室があった。
障子越しに外光が照らす和室に、一組の布団が敷かれている。
布団の上、半身を起こし腕を上げる伸びをするのは、鈴仙だ。
彼女は緩慢な動きで立ち上がり、寝間着代わりのYシャツを軽く整え、スカートを穿いた。忙しくなり始めた音を遠くに聞きながら、廊下を欠伸しながら行く先は、共同の水道場だ。
板張りの一室を与えられた水道場は、永遠亭の外観とは違い近代的だ。大きな一枚鏡に陶器製の洗面台が複数、加えて各々にドライヤーと温度調節式の蛇口を備えている。
……こういう時は現代生活がありがたいわ。
何気ないが、月よりやや古いぐらいで近代生活が送れることは奇跡的と言える。
幻想郷の文明水準は外界とは比較にならない。幻想郷たらしめるのに必要な措置だが、地上の外界よりさらに発達した月で生活していた身で、お湯が自在に出ない生活は苦しい。
蛇口をひねり、ややぬるめに調節された水を顔に付けた。
二度三度とこすりつけ、鏡を見てまだ目ヤニが取れていないかを確認する。
「……?」
正面、鏡に映る姿を見て違和感を覚える。どこが、と言えば、
「眼と髪が――」
黒い。
赤い瞳が、薄紫の髪が、黒い。
光の加減かと角度を変えて映してみるが、どこからどう見ても黒目に黒髪で黒い。
「ちょっとまってよ!?」
まさかと思い指先に力を込めてみる。軽く弾幕ごっこに使用する弾を放つつもりで、しかし、
「……やっぱり」
出なかった。否、正確には出すための力そのものが失われていた。
赤い瞳は狂気を宿す。つまりは自分の力を表わすものだ。それが黒目となり消失している。
何故か?
問うまでもなく、心当たりがある。
「こんなのが出来るのはあの人ぐらいしかいないじゃない……ッ!」
鈴仙は黒髪をなびかせ、駆けだした。
その目には怒りを宿して。
●
「師匠ッ!」
怒声と共に永琳の居室に乗り込んできたのは、黒い瞳の鈴仙だ。
一目で分かる変容に驚く事もなく、すでに身支度を終えていた永琳は、
「……どうしたの朝から。騒がしいわねぇ」
「これは絶対に師匠の仕業ですよね! ってか伏線から考えて師匠以外にいないでしょ!」
「一人ボケ一人ツッコミは虚しいだけよ」
対面の壁の下、背を向け座卓に向かったまま、
「誰がボケですか。というか解毒薬ください! ないでしょうけど!」
「忙しない子ねぇ。――解毒薬ならちゃんとあるわよ」
「へ? ……今回はあるんだ……」
大抵の場合、解毒薬は無く自然治癒に任せるままにされている。実際苦かったり辛かったりすることはあったが、本当に解毒薬が必要なほど危険だった事は無い。解毒薬を求めるケースは、精神的に最悪なものか身体的な支障がある場合だ。今回は、
「精神的にも身体的にも最悪ですよねこれ!? 能力も使えない、弾幕も撃てない――」
「――おまけに身体能力も人並みね?」
「弱肉強食の幻想郷で死ねと仰いますか!」
あーはいはい、と言いつつ、永琳は栄養剤のものにも似た茶色い小瓶を投げて寄こした。
「ご所望の解毒剤よ。……でも、貴方が能力失ったぐらいでそんなに慌てふためくとはちょっと驚きね」
外見は栄養剤の癖になぜか金属ではなくコルクの封を開け、三回ほど喉を鳴らして飲み、
「……そりゃ慌てますよ。身体能力まで人間じゃ生存すら危ういですし」
「でも、人間は生きてるわね?」
それはそうだ。巫女や魔法使いの存在で忘れられがちだが、本当に普通の人間でも道具を駆使して妖怪と戦う事は出来る。
「それに、人間の里は妖怪が襲えない決まりじゃないですか」
里は妖怪の賢者により安全が保証されている。里以外でも人間の集落が襲われる事はそう無いが、特に里は人口規模もありそもそも容易に襲えるようなものではない。
「じゃあ貴方も里に行けば安全じゃない」
「そんな必要ありませんよ。……大体、私は玉兎、妖怪の側なんですから」
「人間の側の領域に踏み込みづらいのはそれで?」
問われて、考える。
……どうなんだろう……。
確かに種族の違いという溝は深い。人間を親友という河童ですら里は"出かける"対象だ。しかしここで言われている領域とは、物理的な意味ではないだろう。だとすれば、
「……人間、ましてや地上人と理解し合おうなんて無理ですよ……」
「そう。――じゃあ、はいこれ」
言うと同時に立ち上がった永琳は、鈴仙と正対すると右腕を前に出した。腕の先には一通の白い封書がある。受け取って表と裏を交互に見てみるが宛名はない。
「これがなにか?」
「貴方には朝食の後にお使いを頼むわ」
「はぁ。……それでどちらに届ければ?」
永琳は立ち上がると踵を返し、
「人間の里――」
彼女がすれ違い様に呟く名前は、よく聞き知ったもので、
「――上白沢慧音よ」
●
日が天頂に至ろうとしている。
人間の里では炊事の煙が最盛期を迎え、あちこちから良い匂いも漂い始める頃だ。
里の外縁、やや離れてこぢんまりとした一軒家がある。表札には『上白沢』とあり、またそれよりも大きく『自警団』の札が隣り合わせに掲げられていた。
中からは包丁がまな板を叩く音がする。奏でるのは、青のかかった白髪の少女だ。
彼女が釜の蓋を開けると、一瞬、蒸気が溢れ視界が白くなった。だが、すぐにまた晴れる。
晴れの下で米が炊けている事を確認し、配膳用の器を棚から取り出しに釜の前を離れた。
「ん?」
棚から器を取り出そうとした時、表の戸が叩かれる音がした。
「妹紅か……早かったな」
一人の名を呟きつつ、手近にあった手ぬぐいで軽く額の汗を拭き扉へと向かった。
引き戸を開いた時、目の前にいたのは見知らぬ少女だった。
「こ、こんにちは……」
可愛らしい少女だと慧音は思った。長く伸びた黒髪に、桜色の和服がよく似合う。
人の覚えには自信のある慧音だが、
「えーと、どこの娘だったかな……」
百姓、というよりは市街地に住む中流以上の生活をしている様に見える。そのような階層の住民は限られており、知らないという事はないはずだった。しかしど忘れなのか見覚えはない。
……どこかで見たような気はするのだがなぁ……。
困ったような顔をしたのに気付いたのか、眼前の少女は、えー、と前置きを入れながら、自分の名前を発した。
「永遠亭のうどんげなんですが……わかりませんよねぇ」
「うどんげ!? ……ああ、何かの罰ゲームかコスプレか」
ああってなんだよああって! と内心でツッコミを入れつつ、
……どちらかというと罰ゲームだよなぁ……。
仕方が無く、何故自分がこうなったかを説明した。
今朝、気付いたら人間同様、というより人間になっていたこと。
それが永琳が密かに混入させた謎薬によること。
何故か永琳が持っていたものを無理矢理着せられたこと。
空も飛べないので、ここまで歩きで疲れたし、妖怪にいつ襲われるかと怖かったこと。
だいたい師匠は悪戯が過ぎることが多すぎる。
この間もロウ原材料の羽根を生やされて『太陽行ってこい』言われたし。
酷いよね? 酷いですよね? 酷いよな? ってか頷けよおら。
「あーその、大変なのも苦労しているのも愚痴りたいのも理解した」
慧音が鈴仙の両肩を軽く叩き、悲哀といった眼差しを向けた。
「……それで? そんな苦労の後で何故私の所まで?」
「あ、すみません。手紙を届けに行くようにと……」
目尻に浮かぶものを拭い、懐に持っていた封書を慧音に手渡した。
「そうか。大変な後だったのにすまない」
お使いですから、と鈴仙は諦めたように溜息を吐いた。
その様を慧音は、健気だな、と思う。そして永琳は非道かとも。
……元より人の道から外れた者だがな。
それを悪い事だとは思わない。すでに彼女らは妖怪に等しいからだ。それに、
……身内にもいるし。
瞼に思い浮かべるのは青空の下、白髪を風に揺らす少女の後姿だ。
さて、と瞼を開け、気持ちを切り替え、手元の封筒を手で破り開ける。
鈴仙は封が開けられた事で、何かしらの返事が来るだろうと思い、立ち去ることなく慧音と共に立ち、読み終わるまで待った。
ほどなくして読み終えた慧音の表情は、
……困ってる?
眉をひそめ、訳が解らないといった風だ。しかし一度紙から視線を離し鈴仙を一瞥すると、納得したかのように頷き、再び鈴仙に視線を移した。
「お前はこれの内容は?」
「いえ、何も話されませんでしたが」
「そうか……。まったく何を考えているかと思ったが、まぁ良いだろう」
慧音は背を向け、家に足を一歩踏み入れたあたりで振り返り、
「昼食は食べていくんだろう? 一人分ぐらいならなんとかなるぞ」
「はぁ……」
確かにすでに昼時だ。ここから永遠亭に着く頃にはおやつ時になってしまうだろう。一歩踏み出し、
「ではお言葉に甘えて――」
「――なんだ、輝夜ん所のじゃないか」
背後から声が聞こえた。驚きではなく少しばかりの恐怖感に振り返ると、そこには白髪に大きなリボンを付けた少女が、手をポケットに突っ込んで立っていた。
「ああ妹紅、お帰り」
「ただいま慧音。……で、何かの使いか?」
妹紅と呼ばれた少女、藤原妹紅。彼女に鈴仙は覚えがある。それも十分すぎるほどに。
……姫様の敵、というより好敵手か……。
輝夜を度々襲撃してきて、また輝夜が強襲する相手だ。子供の喧嘩レベルで殺し合いをしている二人だが、鈴仙は輝夜の従卒として妹紅と何度も対戦している。最近こそ弾幕ごっこの為ケガ程度で済んでいるが、昔は半殺しにすら遭ったこともある。出来れば相対したくない人物だ。
「えぇ、ちょっと。……でも用事は済んだので帰るところです」
「そうなのか?」
へぇーと軽く理解した声を出す彼女は、悪い人じゃないと思う。だが過去を思うと苦手意識の方が優先された。
かつて、数日食べずにいた経験もある。人の身では不安だが、家に帰る程度の力はあるだろう。慧音の好意を受け取れないのは多少心苦しいが、そもそも昼食を厄介になるほど親好があるわけでもない。
鈴仙は、帰ったとして問題はないだろうと結論づけ、踏み出した足を引っ込めた。
「おい待て」
引っ込めようとして、それを慧音が呼び止めた。
「あ、すみません。昼ならなんとかなりますので」
「いやそうじゃない。……用事とやらは済んでいないぞ」
封を切られた筒が寄越された。中には先ほどの手紙があり、恐らくは読めということだ。多少はばかられたが、取り出し、見る。
紙面に躍る文章は一文だけで、
『優曇華院は人間になりました。二日ぐらいは戻らないのでそちらで面倒見てやって下さい』
一瞬があり、
「……by八意永琳。ってなによこれ――――!?」
人間の感情が折り重なった絶叫が響いた。
●
ちゃぶ台の天板は温もりを持っている。
先ほどまで昼食が並んでいたからだ。
皿はすでに片付けられ、食後の茶が三つ並んでいる。
今、ちゃぶ台のある家には三人いるが、正座をしているのは鈴仙だけだ。慧音は台所で片付けをしており、妹紅は座布団を枕に寝転がっている。
居間兼ダイニングの六畳で、正座の鈴仙は所在なさげに視線を動かしていた。
……人の家に上がるのなんて久々だなあ……。
しかも予定では、しばらく泊まることになる。慧音と妹紅からは気軽にして良いと言われてはいるが、落ち着かない。それは久々の見慣れぬ風景ということだけではなく、
「あの、何か手伝う事はありませんか?」
片足を立て慧音に問うが、すでに洗い終わるところだと返される。すでにこのやり取りは三度目だ。
再び座布団に座り直したところで、妹紅に話しかけられた。
「なぁ。そんな気にする事ないんじゃない? どうせアレの仕業でアンタに責任ないんだしさ」
「後半そうなんですが……前半はそう、気にするな、というのは難しいですね」
「ここは別に永遠亭じゃないんだ。仕事自体無いし」
「永遠亭では暇がそんなにありませんでしたから。常に仕事をする癖がついてしまったみたいで……」
人材不足の永遠亭では、仕事がとりあえず出来る者は他者の分まで押しつけられるのが常だ。朝からの仕事に加え永琳の下で勉強する事も含めると、何もしていない時間は貴重だ。そしてその貴重な物が今、溢れるほどにある。
だが貴重品も使い道あってのものだ。普段なら軽く寝てしまえもするが、生憎と眠くないし、来て早々に寝転がるのはどうかと思う。
「……暇な時って、なにをすればいいんでしょうか」
「……そいつはまた難しいね。わざわざ考えた事もなかった」
妹紅は驚いたような、それでいて感心するかのように目を丸くした。
そして涅槃仏の様に右手で頭を支え、目を閉じ思案する。
唸りながら考える彼女の口が開く前に、
「とりあえず、散歩でもしてみたらどうだ?」
言葉に振り返ると、居間に戻ってきた慧音が座ろうとしていた。
散歩、という言葉を聞いて妹紅が目を開く。
「散歩か……いいんじゃない? そんなにこの辺見て回った事ないだろう?」
「いえ、この辺りも何度か薬を届けに」
地図を見なくても道が分かる程度には。そういう趣旨での返答だったが、慧音は首を左右に軽く振り、そうではないと続けた。
「違う違う。そういうのは仕事で地図片手にだろ? そうではなく遊び、つまりは観光のようなもので里を歩いた事はあったか?」
「それは……ない、ですね」
使いや仕事として来る事はあっても、見て回るということはしたことがない。
「なら行ってくると良い。知らぬのなら楽しめる風景もあることだろう」
●
人間の里は複数区画に分ける事が出来る。
長屋の隣に蕎麦屋があることも多いが、大雑把に居住地域や商業地区といった区分けが為されている。
慧音の家は里の外側に位置するが、これは他の集落に出やすい利便性と外部からの侵入者警戒の目的からだ。
商業地区は賑わう中心部が主だが、故に外れた場所では地域密着型の商店が周辺住民の主な買い物どころとなる。しかしこうした店の品揃えは需要に特化しており、日用品以外は入手しにくい。
中心部へと向かう通りで、日用品以外を満たす小規模な市が開催されていた。
嗜好品や装飾品が中心の市には子供や少女が目立ち、いずれも物珍しい商品を遠巻きに、或いは手に取り笑みを見せる。
賑やかな雑踏の中で一人、周囲の風景そのものを見渡す姿があった。
耳が無く、黒い髪を揺らす鈴仙だ。
「へぇ……こんなに人がいたんだ」
里の人口規模はおおよそ把握している。だが小さな市とはいえ比較的大きな通りが狭いと感じる光景は実感を生じさせた。しかもこれで里の一部、地上人の一つまみにも満たないというのだから驚きだ。
行き交う少女達が、外見年齢だけで言えば自分と同世代の顔が笑顔でいる。
平和だ、と思い、また、久しい、と思う。かつては自分もあのような笑みを見せていた時があったのだと。
「……少しだけ」
ふと懐かしさが甦り、あの集団の近くに行ってみたいと思った。
敷物を路上に敷いただけの露天に近寄ってみた。先ほどの少女数人が、かんざしやくしと言った装身の装飾品を眺めながら、仲間内で評価と唐突な雑談を繰り返している。
……ま、どうせ買わないんだけどね……。
共通の話題を持つ事が楽しい。よしんば買うつもりであっても、この様子ではまだまだ店前で"相談"をしていることだろう。木箱を椅子にする壮年外見の店主も慣れているのか、それを咎めることはなく、少女達の"雑談"をBGMとしていた。
「お?」
こちらに気付き、商人が、らっしゃい、と挨拶をしてきた。少し心拍数が上がったが、どうにか会釈で返す。すると商人の男はにこやかな笑顔のまま屈み、敷物から何かを拾い上げた。
それは滑らかな光沢を放つ、小さな髪留めだ。
男は手を差し出しよく見えるようにして、
「どうだいお嬢ちゃん? あんた髪綺麗だから、こういうさり気ないのが似合うと思うんだよねえ」
「は、はぁ……どうも」
「彼氏だってきっと気に入るはずさあ」
「……あの、彼氏とかいないんですが……」
そもそも出来るような環境にないし、だいたい種族が違う。
鈴仙の返答を聞いた商人は、額を軽く叩いて大げさに、しまったー、と言葉を付けて、
「あちゃー失礼! 旦那の方でしたか」
「上! そこで上に飛躍するんですか!?」
「じゃあ何? 彼氏も旦那もいないってことは……」
一瞬の間があり、
「……彼女か嫁さん?」
「そこで斜めに飛ぶかあああ――!!」
「なに本当? あんたみたいのが独り身ってまたまたご冗談を」
ないない、と手を顔の前で横に振る商人。しかしそれを鈴仙は冷ややかな目で見つめ、
「――」
沈黙で返す。
「……本当?」
頷くと、男は三度、頭を縦に振り心底驚いたように目を丸くしながら、
「へぇーもったいない。あんたぐらいなら好き放題食い放題だろうにさ」
食い放題って何!? 食い放題って!! と思うが、そこでいい加減このやり取りにも疲れを感じた。それは今朝からの蓄積でもあり、また、
……地上人、いや、見知らぬ人と話すのはやっぱりなぁ……。
営業として、ビジネスとして立ち回るのなら言葉は選ぶだけで済む。だがしかし、アドリブで初対面相手に話すのはやはり難しい。
「……もういいです。帰りますから」
男は商人らしく去る者は追わなかった。次の言葉は、まいど、という常套句で締められ、鈴仙は安堵の気持ちを得る事が出来た。男と少女達に背を向け、次はどこへ行こうかと考える。
「――?」
考え始めた所で、鈴仙は違和感に気付いた。
……人が。
見れば通り沿い、先ほどまで各々に賑わっていた人々が全員、こちらに視線を寄せている。後の商人へのものだと思いたかったが、体中に突き刺さる感覚はまさしく自分宛だ。
何故かと己に問えば、思い浮かぶのは一つしかない。
……さっきの声、思ったより大きかった?
背中に嫌な汗が浮かぶ。それをお構いなしに響くのは、耳と口を寄せてのひそひそ話と、自分の店が注目されていると勘違いした商人の威勢の良い呼び込みだ。
「あ……その……」
顔に熱を感じる。それと同時に心に込み上げるものがあり、気がつけば、
「――ッ?!」
市の中を脱兎の足音が抜けていった。
●
「ん?」
悲鳴に近い声が一瞬聞こえた気がする。
大通りから一本外れた静かな道を歩きながら、意識は聞こえてきたと思しき方へ向ける。
ショートの白い髪から覗く耳が捉える方向は、
……前の方から……?
歩みを進める方角からそれは聞こえてきた。距離はそれほど無く、今から走れば何があったのか知る事ができるだろう。だが、
「真っ昼間、しかも向こうの通りの方か。大方、子供が泣きでもしたのだろう」
自分で言って納得させ、真っ直ぐに前を向いた。
背負う長刀が動きに合わせて金属音を鳴らし、自然と背筋が伸びる。それは支えが無くとも出来ている事だが、猫背の者からは疲れる姿勢に見えるらしい。
けれど骨格構造から言えば正しい姿勢の方が体への負担は少なく、楽なのだ。
……まぁ、自分は半分幽霊だし骨格とか本当にあるのか分からないけど……。
剣術を扱えるとはいえ、それは半人半霊流の剣術だ。人間からは年月の積み重ねが理由となり絶対に敵わぬとされているが、本当は微妙な身体の違いが差を生み出しているのかも知れない。
それはそれで良いと思う。ただの人間と半分違うことが力量差となることは、時に卑怯だとも言われる。しかしそのようなものは結局、流派の違い以上のものではない。
……そりゃあ鬼や天狗なら話は別なんだろうけど……。
自分の知っている彼女らを思い出し、敵うか微妙だと思う。
思いながら角を曲がった時、
「きゃあ!?」
「うわっ!?」
出会い頭にぶつかり、互いに尻餅をついた。
「痛っ……大丈夫ですか?」
「あ、はい。すみません、走っていたもので……」
「いえ、こちらこそ避けられなくて……」
普段の自分なら避けられただろうが、散漫になっていた自分を不甲斐ないと思う。それも一般人の少女にぶつかってしまうなど。
相手より早く立ち上がり、少女の手を取って引き起こした。立つ彼女は自分よりも背が高く、少しばかり自分の低さを考えた。
立ち上がった少女は乱れた前髪をかき分け、こちらを見た。
「――妖夢?」
魂魄妖夢という自分の名前を呼ばれた事に、妖夢は頭を即座に切り替えた。記憶を辿り、目の前の少女が誰かを思い出そうとする。しかし、
……どこかで見た様な顔ではあるんだが……。
思い出せない。
彼女は先ほど自分を呼び捨てにした。ということは割と近しい人に違いない。だがそれに思い当たる節は無かった。
……あまり聞くのは失礼だが。
「あの、申し訳無い。どうにも名前を思い出せなくて……どちら様でしたっけ?」
少女は問われ、一瞬目を閉じ溜息を吐いた。そりゃそうよね、と言ってから、
「永遠亭のうどんげです。信じがたいでしょうが……」
確かに、言われればそうだと妖夢は思った。しかし自分の記憶にある彼女は、このような髪や瞳の色をしていなかったはずだ。
何故こうなったのか。
理由を問うのは簡単だが、何も考えずに質問ばかりしてもいけない。考えつく理由で妥当なものと言えば、
「……夏毛に変わったか発情期か――」
「違ああああうッ!!」
里に再び、悲鳴に近い叫びが響く。
●
流れる雲が時に太陽を遮り、直下に影を作り出す。
長くて数分程度のものだが、日射しがやや強い日には涼しさを得られる。
それを心地良いと思いながら、鈴仙は妖夢は横に並んで、彼女の目的地へと向かっていた。
「なるほど……それはまた、気の毒に」
「いやいや気の毒って、そんな深刻な顔をされても」
鈴仙は口で言って、しかし自分の境遇を思い出す。
……今朝起きたら人間になっていて、それは師匠が夕飯に混ぜた薬のせいで、しかも元に戻るまで人の家に押しかけてろ、か。
「……ごめん、試薬実験とかに慣れていて不幸感覚が麻痺してたわ……」
「で、でも生きてれば良い事ありますって。私だって半分生きてるから良い事あるんですよきっと」
「逆に半分死んでるから幸せあるような気が……半分天界に行けるわけだし」
「今は行けないんですけどね……と」
妖夢が立ち止まり、鈴仙は視線の先を見た。
扉ではなく門がそこにはあり、表札には『稗田』の文字があった。
「それで、今日は何の用事で?」
この家に用事があるとすれば幻想郷縁起に関する事が考えられる。しかし現在の当主、阿礼九代目の稗田阿求の幻想郷縁起は出版されて間もない。
その事を悟ったのか、妖夢は首を横に振って、
「幻想郷縁起ではなく、別件ですよ」
龍を形取った鋳物の呼び鈴を鳴らすと、間もなく門が開き、侍女らしい女性が現われた。
●
案内された屋敷の中は鈴仙が見知ったものだ。それは薄い記憶だが、この家にも何度か薬を持ってきた経験からで、これまでは玄関近くの応接間に通され薬を渡すのがせいぜいだったが、
……思ったより広いんだなぁ……。
町中である以上、屋敷であってもその広さは永遠亭に及ばない。それでも今まで感じていた空間が広がるというのはある種の感動を伴う。
屋敷の奥、縁側の終着点となる和室の障子は開かれていた。
「ああ、お久しぶりです妖夢さん。……そちらの方は?」
文机から顔を上げた少女の言葉に、鈴仙は本日三度目の気分を味わった。
●
「まぁ、元気出して下さい。この事は私の中で留めておきますから」
「次世代にも残されるって事ですか……いえ冗談です。ちょっと考え方が暗い方向に行きがちになっているだけなんで……」
事情説明と後のやり取りを終え、鈴仙は眉尻を下げ、深い溜息を吐いた。
「……もうその話はもういいので、妖夢の用事に移って下さい」
「あ、はい。では」
阿求は正座から立ち上がると押し入れの襖に手をかけ横に滑らせた。
そして下段に入っている箱から何かを取り出した。それは、
「本?」
「はい。今度出版される新作です」
妖夢に手渡し、続いて鈴仙にも、
「よろしければお持ち下さい。どうせ余ってますので」
「ありがとうございます。……幻想郷ミシュランガイド?」
朱色をベースとした四色刷りの表紙には外来語らしきカタカナ語が躍る。しかし本自体は和装であり、また題名からはどのような内容か窺い知れない。
首を傾げる鈴仙の疑問の声に答えたのは妖夢だ。
「食事処の番付のようなものです。幽々子様が阿求さんに打診して製作が決定したもので、今回は出来上がったとのことで取りにいくように言われたんです」
「へぇ-。……それにしても幻想郷縁起以外にも本を書いていたなんて知らなかった」
阿求はその言葉に小さく笑い、
「えぇ、これ以外にも何冊か。きっと好きなんです。本を書くのが」
楽しく、嬉しいという表情をする彼女を見て、鈴仙は俯いた。
「? どうかされましたか?」
「……いえ、ちょっと考えてしまって。私が知る人間と言うのは、貴方のように知的ではなかったので……ごめんなさい」
謝る言葉の後、唐突な沈黙があり、風が流れる音がする。
座敷が雲の影に隠れ、風が肌寒さを運んだ時、
「……うどんげさん」
「はい」
やや暗いが表情はよく見える。その表情から紡がれる言葉は抑揚が無く、先ほどまでの少女はいない。
「私は人間です。ですが、今の貴方より人間ではありません。知的というのは所詮、"人間離れ"した能力故なのです。だから貴方が持つ人間観を修正するに足りません」
「――そんなことは」
「無いとでも仰いますか?」
口だけの微笑みで尋ねる阿求の前で、鈴仙は続けるべき言葉を見つけられなかった。
「私は一歩違えれば妖怪と変わりません。普通の少女だったなら、と思う事もあります。
でも、普通の少女って何でしょうね」
一息吸い、
「……私が知る、普通、というのは特殊な能力や短い寿命を持たないという程度の認識です。この過ぎたる力を輝かしい物だと思い、欲する人もいるのはなんとも矛盾した事ですが、私はそれを理解できます。理解した上で、私は九代目阿礼乙女として生きています」
羨む側が羨まれる側でもある。それを相容れぬ物としてではなく、理解できる物だと阿求は言った。
「貴方は――人間を指して知的かそうでないか言及し、一方で知的と評価するのは私を指しました。貴方の知る人間がどうなのかは分かりませんが、知的だという私は未熟で、しかも人間の中でも特殊な部類です。貴方が求める知的とは、狭く、程度の低い物です」
沈む顔、傍観する顔を尻目に、阿求は続ける。
「吾唯足るを知る。妖怪は人間より先にその境地に至ったとかつて書きましたが、不満ばかりを言い求めてばかりの貴方はそうではないように見えます。
……貴方はもう少し、人間を知るべきではないですか?」
まるで閻魔様に怒られているようだと鈴仙は感じた。
それは少女の外見や花のような声ではなく、言葉自体が持つ意味と心の重みがそうさせる。
和室に光が差し込んできた時、阿求は舌を小出しにしての微笑をしていた。
「閻魔様の所で働いた記憶もありますので、その声色を真似てみただけです。私のような未熟者が偉そうにしてすみません」
「いえ、謝らなくても。……私は知っているつもりで、何も知らないのは事実ですから」
「それが分かって頂けたのなら良かったです。実は貴方の言動でちょっと……」
言い淀む。何か自分が気に障る事でも言ったのだろうか、と鈴仙は思った。
「あの、どうぞ仰って下さい。素直に受け止めますから」
そうですか、と阿求は安心したように顔を明るくした。
余程言いにくい事なんだろうかと考え、それに対する身構えをするべきだと覚悟する。
一方で好奇心もある。ここまで言いにくい事とは何だろうか、と。
期待と不安を伴った視線の先、阿求が口を開いた。
「実は――――座薬無理矢理入れられたり普段から虐げられたりの被虐生活を聞いていたら、こうっ嗜虐心がムラムラっとわき上がってきまして。泣き顔見てみたい! みたいな?」
「あ、見てみたいかも」
「長い溜めの後であんたら最悪だ――ッ!!」
●
慧音と妹紅は、玄関が開く音と人影を見た。
夕陽で赤みがかるシルエットは、憔悴した顔の鈴仙だ。
「大丈夫か? 散歩の途中でなんかあったのか?」
妹紅が尋ねる。
「いえ、精神的に疲れただけですはい……」
妹紅と共に茶をすすっていた慧音は湯飲みを置き、
「疲れたか……では仕方ない、今日は家で食べる事にしよう、妹紅」
「まぁ慧音がそう言うならいいけどさ」
「どこか食べにでも行くんですか?」
「ああ、今日はうどんげもいることだし外にしようかと考えてたんだが、無理をさせては本末転倒だからな」
少し遅くなるが我慢してくれ、と慧音は立ち上がる。夕食用の買い物はしていない為、ありものが中心となる。折角の客人初の夕食が申し訳無い。
……ここで心労を重ねさせてはいけないからな。
豪華な物は無くとも、もてなしの心がある。客人に与えるべきはその先にある安らぎだろう。
「さて何が良い? とはいっても今からでは大した物は用意できないが」
「あの……」
話しかけてきたのは、扉を閉め内側にいるものの、まだ履き物を脱いでいない鈴仙だった。
「どうした? 早く上がって座ったらどうだ。この際、妹紅のように行儀悪く寝転んでいても構わないぞ」
「行儀悪くって、人のことそんな風に思っていたのかよ」
ぶーぶーと口から出して抗議した妹紅だが――、
……ああ、怒ってもその頬が膨らんだの最高だよもこたん……。
――鈴仙の行動は気になるようで、慧音と同じ先を見た。
●
二人がこちらを見た事で、自分が注目されたのだと感じる。
一人、慧音が惚けたような感じだが、自分が変に口を挟んだ所為だろう。
鈴仙は少し戸惑いながらも、
「あの、外に行くのでしたら構いませんよ?」
奇妙ににやける慧音はそれを聞いて、一瞬の後に真面目な顔に戻り、
「――ん? ああ、別に夕飯を作るぐらいいつものことだ。気にしなくていい」
妹紅もたまに作ってくれるがな、と手を顔の前で振って構わないとした。
鈴仙は慧音の言葉を聞き、少し逡巡してから、
「……えと、そういうのではなく、その、私も外で食べてみたいというか……。疲れたと言ってもおかしな言動する人達がいないんで、今、精神的には十分回復してます」
確かに外から見る彼女に暗さは無く、食べてくる程度の事は可能に見える。
「いいじゃん慧音。大丈夫だって言うんだったらさ。むしろなんか旨いもん喰った方が疲れも取れるって」
妹紅の後押しが決定打となった。
「――そうだな。なら行くとするか。今日は私の奢りだ」
外へ向かう三人は、三者三様に笑みを浮かべた。
●
賑わいの音が、夕暮れの空に響く。
地上から放たれる赤と黄の光は、店先の赤提灯と店の灯を光源とする。
人間の里、飲み屋を中心とする歓楽街だ。
通りを行く男達が横目にするのは客が入り始めた店中の様子だ。各々に馴染みの飲み屋や手近な赤提灯、看板の謳い文句を見て吸い込まれていく。
多くは仕事帰りに一杯ひっかけようとやってきた者達だが、大の男に混じって少女の姿も見える。
子供連れなら普通人間だが、そうでないなら妖怪か妖精、人間以外の存在だ。
種族の入り乱れる通りの端、歓楽街と非歓楽街との境に近いある店に客が入った。
カウンターの中で作業をしていた店主が暖簾に向かって威勢良く、
「らっしゃい。――おう先生、まいど」
「三人だ。座敷の方いいか?」
「手前の方空いてるから、そっちへどうぞ。これ作ったらお通し出しますよ」
小さな居酒屋にはカウンター沿いの数席と、座敷にテーブルが二つあった。テーブルのうち、奥の方にはすでに一人がお猪口を持っていた。
お猪口を持った紅白の巫女服はこちらに振り向くと、
「あら、あんたたちも飲みに来たの? 偶然ね」
「ん? 霊夢か、里で飲むとは珍しいな。何か仕事でもあったか?」
慧音達は手前のテーブル、座布団に座った。霊夢と呼ばれた巫女、博麗霊夢は背を向けて座る位置にあったが、半身をこちらに見せるように上半身を捻り、片手をついた姿勢になる。
「ま、ちょっと悪戯が過ぎたのをこらしめただけよ。酒に酔って適当な弾幕しか放てなかったし楽勝だったけど。でも臨時収入にはなったし、だから疲れた体を労ってるとこ」
「最近は天気も良いからか、ほろ酔い気分の者が人も妖怪も多くてな。自警団としても少々困っているところだ。協力に感謝する」
「巫女の仕事しただけよ。別に感謝する必要ないわ」
「へいお待ち」
霊夢の卓に焼鳥の盛り合わせが運ばれてきた。店主の親父はカウンターに載せておいた小皿を慧音達の卓に置く。中身は金平だ。
「とりあえず旨口の奴で冷や三つ。あと盛り合わせ三人前で」
注文して間もなく徳利が三つ運ばれてきた。
「それではいただくとするか」
乾杯、と杯を掲げて三者が一口すする。ほんのりとした冷たさと甘さが喉を通り、
「……ふむ、これは良い」
「だな。結構いける」
鈴仙は声に出さず、しかし旨いと思った。
各々に箸を金平に伸ばし始めたところで、
「ところでさ、あんたは何でまた黒くなってるの?」
霊夢の声は不意のものだった。箸の動きが止まり、
「……え? どうして……」
「へ? 兎でしょ、永遠亭の大きい方の」
頬に赤みは差しているが、霊夢の口、そして目は冗談を言っているものではない。
「どうして私だとわかったんですか?」
これまでに出会った人は、すべて分からなかったというのに。
霊夢は片手で酒を口につけ、
「最初は何となく、ね。よく見たら顔立ちはあんたのものだし、間違いないなって思っただけよ」
そういえば、と鈴仙は思い出す。かつて永夜の時も、この巫女は勘のままに進んで来たのだと。そしてその先に今の自分があると。
「……なに泣いてるのよ。泣き上戸だっけ?」
霊夢に問われ気がついた。
……涙が……。
悲しくはない。視界をぼやけさせる程の量でもない。
けれど確実に、顎先まで届く二筋の流れはある。
何故なのかは自分にも分からない。考えられるとすれば思い当たる事は山ほどあるが、今の会話の中できっかけとなるような事はあっただろうか。
問い返すように見つめると、霊夢は静かに語り始めた。
「……事情は良く分からないけど、あんたはその姿形になっている。呪いとかの類なら解いてあげるけど、そういうんじゃないんでしょ? なら元に戻るまでそのまんまでいればいい。そこの二人なら今後も面倒見てくれるだろうし、少しは"人生"を歩む事を楽しめばいいじゃない」
ぐいっと飲み干して、
「――だから、泣くのはもう止め。酒は美味しく飲むものよ」
身体を捻るのを止め、こちらには背を見せた。その背中が温かいもののように思えて、
「……ひっ」
静かに零れるものが止むまで、三人は待っていた。
●
店主から渡されたちり紙で鼻をかむと、気持ち晴れやかになっていた。
目頭はまだ熱があり顔も赤いのが分かるが、口に含む酒は旨い。
妹紅は慧音と鈴仙を見つつ手羽先を口に運び、慧音は鈴仙になにかと勧めてくる。霊夢は先ほどと変わらないが、時々こちらをちらりと見る。
……気にしてくれるんだ……。
店主からもサービスとして二、三本ほどおまけしてもらった。
……ここにいる人達は、地上人だけれど……。
不思議と安堵感がある。かつての、今朝までの自分からはそのような感情を抱くのは考えられない事だ。
「――霊夢はまだちょっと怖いけど」
「それは仕方が無い。里に襲撃をしかけてきたし」
「肝試しに来る馬鹿だし」
「……さーて、今ここで第二回肝試しをやろうかしら?」
「おいおい、やるなら店の外でやってくれよ」
互いに半目で睨み合い、
「……ぷっ」
最初に吹き出したのは鈴仙だった。
続けて店内に笑い声が続く。
●
頭に走る痛みで鈴仙は起床した。
布団からのそりと起き上がると広がる風景は見慣れた自室ではなく、
「あ、そうか。昨日からお世話になってたんだっけ」
冴えてくる頭は重く、痛みがある。手を当てながら考えるのは昨晩の記憶だ。
……あの後……。
笑いの後は吹っ切れた。そして霊夢も同じ卓に移りあれこれと注文して飲み食いした。
覚えている限りは徳利が七、八本ほどになったあたりまでだ。だとすれば、
「宿酔か……まさか私までなるなんて……」
普段ならあの程度で酔いつぶれる事はない。人間、というのがここにも現われているのだろう。
起こされた上半身は、白い襦袢姿だった。自分が着ていた着物は枕元に置かれている。
それは誰かに脱がされたということだ。恐らくは慧音だろう。
気恥ずかしくもあるが、同時にありがたいと思う。
首を動かすと、件の慧音、そして妹紅は横の布団でまだ寝ていた。
枕元に着物と共に置かれた巾着袋の中から常備薬としている頭痛用の薬を取りだし、鈴仙は彼女らを起こさないよう部屋を出た。
土間の格子窓から見える空は朝靄の向こうにあり、晴れてはいるがまだ暗い。
水瓶から柄杓で一杯すくい、薬と一緒に飲み込んだ。渇きを思い出した喉が水を欲し、もう一杯を飲み干す。
冷たい水が喉を通り意識が完全に醒めた。顔を洗おうと思う。
勝手口から外に出ると空気は肌寒く襦袢一枚では寒い。しかし冷たさが寝起きの火照った体には心地良く刺さり、近場の共用井戸で顔を洗い終わる頃には寒さがある程度和らいでいた。
「なんだ、顔を洗うぐらいなら水瓶でも良かったのに」
後から声をかけてきたのは慧音だ。
「おはようございます。――夕べは酔ってしまったみたいですけど、送ってくれたんですよね? すみません」
「おはよう。……まぁ気にするな。止めなかったこちらも悪い」
慧音は釣瓶を落とし、再び紐を引いた。
「さて、顔を洗ったら朝食にしよう。手伝ってくれるよな?」
返ってくる頷きと返事を聞き、慧音は朝の水を浴びた。
●
ちゃぶ台の上に並ぶものがある。
箸や湯飲みといった道具類に、漬物や味噌汁といった副食。
主食の米が湯気を立てている茶碗が到着し、上白沢家の朝食は始まった。
「あの、妹紅は起こさなくてもいいんですか?」
いただきます、と互いに言い終わった後、鈴仙はそのような疑問を得た。
「妹紅は深夜からの夜警担当だったからな。もうしばらく寝かしといてやってくれ」
味噌汁をすする音があり、
「んっ。……起きるまで時間はある。その間は仕事があるから退屈はしないだろう」
「あ、手伝います私」
「そう言ってくれると思った。なに、簡単なことだ」
慧音は部屋の隅を見た。そこには木箱が置いてある。
●
人の話す声に反応する者がいる。
奥座敷に敷かれた一組の布団の上で天井を見るのは妹紅だ。
後頭を掻きながら考えるのは今の時刻だ。
……たぶんまだ昼前か。
昨晩は慧音が酔いつぶれた兎を背負い、店の前で自分は別れた。このご時世で夜警などという面倒くさい仕事の為だ。特に最近は春を名残惜しむ宴会シーズンで、人妖問わず問題を起こしている事から夜間用人員が増やされている。昨日の夜もそうだ。
でも中年親父が守矢分社の前で信仰を叫びながら「全裸で信仰してなにが悪い!」は無いと思う。
ちょうど影にいたので全裸は見えなかったが、周辺住民の訴え『騒々しくて眠れない』を可及的速やかに解決するため、かつ安上がりにフェニックス召喚で解決した。
……でもこうも召喚用の羽根の消費量多くなると、高騰しそうで嫌だなぁ……。
需要と供給の問題だが、向こう側もライン拡大で逆に安くした方が売れるのではないか。
まあ長生きなんて不便だけどな、と笑いながら起きる。
奥座敷と居間は廊下ではなく襖で仕切られているに過ぎない。手をかけ引こうとし、
「あぁ! 出ちゃいました……」
鈴仙の声を聞き、止まる。続いて聞こえてきたのは慧音の声で、
「まったく……仕方が無い。あまり動きすぎるといけないと言ったじゃないか」
「すみません、でも素早く動かして緩急付けないと抜けにくいというか……」
「別に最初から上手くする必要は無い。大事なのは気持ちだ。だいたい最初は手本通りに丁寧だったというのに、……慣れてくると我慢しきれなくなりスピードアップしたいという気持ちは分からんでもないが」
……えー!? 何? 何がこの襖の向こうで起きてるの!?
気になりはするが、いきなり襖を開けるのは何故か不作法な気がした。故に、
……もう少し待ってから……。
「ふむ……そうだ。少しまた飲むと良い」
飲むって何をさ!?
「あの、さっきも出してくれた奴ですよね? ……私にはちょっと苦いんですが」
「そこは慣れだろう。私は自分で何度も飲んでいるからな。妹紅も最初は苦いと言っていたが、色々と試行錯誤した結果、今は割と積極的に飲んでくれるぞ!」
「人の恥ずい話まで無許可で語るな――!」
側面に叩きつけられた襖は奥座敷と居間とを妨げない。
妹紅の眼前には、
「ど、どうした朝から……」
と、戸惑う慧音と、
「お、お、おはようございます」
と、目を見開く鈴仙がいた。
二人は敷かれた新聞紙の上、徳利と筆と外から流れてきた"マグカップ"の中にいる。
目をしばたたく三人は顔を見合わせたまま動かず、ややあってから妹紅が、
「……えーと、何、やってるの?」
「何って……徳利の絵付け」
彼女らの手には筆があり、下には顔料の入った小皿がある。
「……だいたい予想は出来るんだけどさ、最後の方、飲むって……」
「この間手に入れた珈琲だが? 目が覚めると聞いたから河童に珈琲サイフォンも借りて……、お前も飲んでいたじゃないか。最初は苦いと言っていたが」
「……ごめん、疲れたからもう少し寝る」
音も衝撃も無く、奥座敷は居間と隔てられた。
向こう側で布団の動く音がしてから、
「なんだったんでしょうか、今のは」
鈴仙は見開いた目のまま、慧音に問う。
慧音は微糖目の珈琲を口に運び、一口飲んだ。
「さあ? きっと疲れているのだろう。――もうしばらく寝かしといてやってくれ」
●
人間の里の目抜き通りは、昼に向かい人を多くしていた。
この時間は外にある集落からの物品が運ばれ、里の商品が出て行く忙しない時でもある。
人力の荷車も足早に通り過ぎる中、二輪の小さなタイプが一台歩いていた。
楼閣のような帽子が引き、その横には黒髪の少女がいる。
黒髪が、すみません、と前置きして、
「……でも良いんですか? 私はただ付き添うだけなんて……」
「そう言って一町もしないうちに重いと断念したのは誰かな?」
「ううっ……。すみません慧音さん、お願いします」
「了解」
話のタネがなくなり、活気の音が二人を包んだ。
慧音は時々顔見知りに出会うと会釈や声で返し、互いに歩み留まることなくそれぞれの目的地へと向かっていく。
鈴仙は里で顔見知りとなりつつある人々を思い出し、自分がどうだったかを思う。
多くの場合、相手は世間話をしようと話題を振ってくる。しかし自分は適当に相槌を打ち、さっさと踵を返すだけだ。
慧音と自分との状況は変わらない。互いに仕事中での話だが、一方は相手が余計な話をしてくるわけではない。店先で暇そうにしている者でさえ、だ。
話しかけにくいということではない。多くの人達は先生、と気軽に呼び、それで終わりだ。
……呼び名に関係あるのかな……?
彼女は寺子屋で教師をしている。その所為だろうかと考え、本人に尋ねる事にした。
「あの」
「ん? どうした」
「先ほどから先生って呼ばれてますが……」
「寺子屋の関係だな。私が教師をやっていることは知っているのだろう?」
「いえ、その――」
十歩分ほどの間が空き、
「――なんだか軽い挨拶ばかりで、親しげなのに世間話の一つもしてないというか……」
「ん、まぁ特に話題も無いしな。同じ所に住んでいるし、顔は比較的よく合わせる。彼らの多くは元教え子だ。きっと私と話すと宿題を忘れた時のことでも思い出すんだろう」
大人だろうと容赦はしなかったからな、と慧音は楽しそうに笑う。
その声は少しだが、懐かしき記憶から来たるものだと、何となく鈴仙は感じる。
……記憶が良いものなのは、羨ましいなぁ……。
自分のは、思い出したくないものが多数派だ。この人のように笑みを浮かべる事は出来るのだろうか?
いつかそうでありたいと、そうしようと思った。
●
鈴仙が記憶する限り、慧音はすでに二十人以上に声をかけられている。
今現在通っている現役から、恰幅の良い富裕層らしき大人まで多種多様だ。
これだけの人々が彼女を覚えている。しかも親しみを持ってのことだ。
多くの人に受け入れられているという事実から、しかし疑問が生じる。
「ではなぜ内職なんかを……?」
徳利に絵付けをする慧音は確かに職人に劣るものではない。その道のプロ、というよりは手慣れているという感じだ。恐らくは他にもそうした技能を持つのだろう。
だが今の彼女の本職は今は教師のはずだ。それも多くの人が集い、学び、親しみを覚える。化学実験もしない彼女の授業なら経費はさほどかかることもなく、授業料収入だけで暮らしていけると推測できる。
その疑問をそのままぶつけてみた。
「簡単な事だ。私に授業料収入はほとんど無いからな」
「取らないんですか?」
「いや、僅かだが徴収している。家賃を払える程度にはな。しかしそれはあくまで口実を与え、得るのが目的だ」
「口実……?」
「そう、口実だ。最初に開いた時は無料でやったんだが、授業が難解だと言われすぐに教室は空になった。私はこの性格だ。改めようと思ってもなかなか直せない。……未熟者の言い訳に過ぎないがな。それでも私は知る事が必要な事だと突っ走った。そして行き着いた先が」
「有料化、ですか?」
慧音は首を縦に振った。
「人間、例え一銭でも金を払ったという事実があればそれを口実に出来る。"金を払ったんだから授業を受ける権利がある"と。特に親の世代は教育の大切さを知っていた。だから子供に言えるんだ。勉強してこい、ってね。……まぁ当時は色々と言われたものだが、大人になった彼らは理解してくれている。ありがたいことだ」
彼女の言いたい事は分かった。けれども、
「でもそれなら、食べていけるだけの授業料を取ればいいのでは?」
鈴仙の問いに対し、慧音は首を横に振った。
「それだと高くなってしまう。小作人の息子でも通えるようにするには、安くしなければならなかったんだ。……元々が無料というのもありその抵抗もあったがね」
十字路で交差する人を待ち、車輪が再び回り出した。同時に鈴仙は言う。
「何故、そこまでして人間のためにするんですか?」
慧音が立ち止まる。鈴仙は数歩先で振り返り、彼女を見る。
端正な顔立ちが表情を作らず、何を考えているのか掴めない。普段なら相手の波長を感じる事で知る事はできるが、今、それは出来ない事だ。
やがて慧音は鈴仙の横に並んだ。
二組の足が調子を合わせる。
「……その実、私のためだ」
え? という疑問の声を鈴仙が上げ、慧音は一言で発せられた疑問に答える。
「私は人のようで人じゃない。私のように人の中で生きていく妖怪というのはほとんどいない。人間というのは本質的に自己で回帰する閉鎖社会を持っている。ただそれが個人の中か村という規模か、その大きさが違うだけに過ぎない。
その閉鎖社会に受け入れられる一番の方法は、なんだと思う?」
言わずとも分かる事だ。
「……人の、役に立つこと?」
「そうだ」
力の込められた一言だ。強調するための一息があり、
「――私が元々そういう妖怪であるという事もある。でも結局私がやる事は、すべて自分のためになるという結果から導き出されたもので、善意ではない。もちろん良かれと思ってやっていることだが、本質的には実に利己的な考え方だ。……だから時々、先生と呼ばれる事に憤りを覚えなくもない」
これはきっと本心なのだろう、と思う。先ほど自分は彼女の過去を良いものだと決めつけたが、
……この人にとってはそうではない……。
苦労をしているのは自分だけなのだという考えがあった。自分には悲観しかなく、他者には楽観があるのだろうと。それが違う事を、鈴仙は理解する。
「まぁ、妹紅なんかは考えすぎだと言ってくれる。対外的にはそうなんだろうし、私もそういう気持ちでやっているわけではない。……言い換えれば人と仲良くするための積極的活動とも言えるからな」
フォローする言葉が紡がれる。織りなされる言葉と視線の先には――、
「例えば八意の始めた薬売りだ。あれのお陰で多くの人が助かっている。私が自分で言った後でなんだが、人と関わろうとする事で人が助かっている。その事について私は、感謝したい」
――鈴仙がいた。
……ああ、そうか……。
自分の事を語り、自分の身内を語られたようで、その実……。
「"先生"の授業が難しいというのが、分かったような気がします」
「おいおい、随分と急に話が変わるな」
眉をひそめる慧音に対し、鈴仙は手を後に首を傾ける。
やや斜めになった笑顔から、
「結論を見つけるのがちょっと難しいだけですけどね」
勘違いかもしれないですが、と言う鈴仙に疑問はない。
●
荷車の目的地は、鈴仙も知る場所だった。
周囲は明るく、赤い光もない。だが店構えと仕舞われた暖簾には見覚えがある。
「ここって昨日の……」
昨晩に飲んでいた店だ。
慧音は戸を開け店主を呼ぶ。彼は間もなく奥から現われた。
「お嬢ちゃん、昨日は随分だったが大丈夫かい?」
そういえば、今朝はあった頭痛も重たさも無い。頭を軽く叩いてみるが、音が響くわけでもない。
「……はい、大丈夫みたいです」
「そうかい、そいつは良かった」
歯を見せて喜ぶ店主はその足で外に出る。
荷車にある木箱を開け、中の徳利を一本一本取り出してみる手は以外にも慎重だ。
やがて二本だけ取り出して荷台に置くと、
「悪いけどこの二本は除かせてもらうよ」
見れば、些細とは言えない程度に絵柄が異なる。描かれている模様の線にバラツキがあるそれは、
「すみません、……それ、私のです」
鈴仙は挙手をして、自分のだと告げる。
謝る対象は二人にだ。内職の失敗で賃金が減る事と、予定通りに調達できない事は双方にとって不利益なことであり、それはまた自分が迷惑をかけてしまったということだ。
最悪、自分の所持金で補填しようと考える。だが店主はただ黙って頷いただけで、
「そんな顔したらいけねぇよお嬢ちゃん。何を心配そうな顔すんのかは分かるがよ、失敗なんてものはいくらでもある。だいたい作ったの、二本だけじゃないんだろ?」
「ああ、三分の一ぐらいは彼女に手伝ってもらった」
「なら上出来上出来。成功の方が失敗より多いんだ。こちとら気にしないからよ、あんたも気にしないことだ」
両肩を二回、豪快に叩かれた。そのまま反論の余地も与えられず、
「先生、この失敗した奴は持ってってくれていい。支払いはいつも通り月末でいいかい?」
「うむ。ありがとう。ではまた何かあったら呼んでくれ」
「おうよ」
店主は木箱を軽々と担ぎ上げて、灯のない店の中へと消えていった。
「……さて、帰るか」
「あの、展開が早すぎて何が何だか……」
「気にする事はない。あの店主は気さくで豪快で、旨い酒を提供するのが上手いだけだ」
行こう、と風が吹いた。
●
昼の席は三人で囲んでのものだった。
帰りがけに買った野菜や肉で構成され、今は食後の一杯が並んでいる。
昨日の同じ時間にもこうして喉を茶が通っていたことを思い出す。
……なんだか一日で随分と慣れちゃったなぁ……。
言って、いやそうではないと改める。この一日でこれまで抱えてきた、わだかまりがほとんど無いからだ。
自分の抱えてきた悩みとは、こんなにもちっぽけな存在だったのだろうか?
「私の存在意義ってなんだろうなぁ……」
独り言だ。しかし普段とは違う、不平不満ではなくもっとスケールの大きな問題の、だ。
当然答えられるものはいない。これは自分で考え、見つけなくてはならない問題だからだ。
だから独り言とする。自分の心情を吐露し、外部に一度放出することで内部整理を進めるために。
慧音の足が土間から上がってきた。スカートの布地を払い整えるが、座ろうとはしない。
炊事中は外していた帽子を手に取り、
「では妹紅、戸締まりは頼んだ」
被った後、降ろす手はそのまま鈴仙に差し向けられた。
「午後からは農作業もほぼ無くなる。子供達が自由になり、そして学ぶ事が出来る時間だ。
……文句は、無いのだろう?」
鈴仙は、きょとんとした目で手先を見ていたが、すぐに立ち上がり応えた。
「先生の授業がどんなのか、期待してみるわ」
気をつけて、と妹紅の眠たそうな声と同時に、家は一人だけとなる。
●
寺子屋を営んでいるのは慧音だけでは無い。人間の里にも複数箇所あり、また里以外の集落にも識者が開く小さな物や、巡回用の出張所がある。
慧音は人間の里以外にも授業を行いに行くが、今日は里の一角での授業が行われる日だ。
寺子屋は比較的大きく、教室となる部屋にはすでに三十人ほどの子供達が集い、授業前の一時を楽しんでいた。
その様子を眺めるのは鈴仙だ。教室の後側に立っている。
右側から音がした。廊下を走る音の後に続き、走り込んできたのは、
「よっしゃセーフッ!」
青のジャンパースカートを着た氷精と、
「は、走らなくても大丈夫だってチルノちゃん……」
黄色いリボンに緑髪の妖精だ。
チルノと呼ばれた氷精は会った事がある。幻想郷縁起にも載るほど著名な、
……バカだ……。
そのバカがなぜ勉強の場にいるのだろうか。考えてみた。
「……二人とも、ここは遊び場じゃないのよ? 悪戯なら外でやりなさい」
「ふん、なによ偉そうに。あんた寺子じゃなさそうだけどさ」
「い、悪戯じゃないんです。私とチルノちゃんは授業を受けに来たんです」
「へ?」
思わぬ答えに戸惑った。
「そうそう、大ちゃんの言う通り」
チルノ自身が肯定していることから、大ちゃん――大妖精と名乗った。彼女が言う事で間違いないのだろう。本当に授業の意味を分かっているかまでは責任を持てないが。
受けるのは良いとしよう。この場に来るという事は、この場を知っているという事だ。それに、
……ちょうど席が二つ分空いてるし……。
想定された事なのだろう。まだ来ぬ先生が許可を出したに違いない。なら、自分が止める事もないが、ただ、
「ねえ大ちゃん、勉強なんてしなくても、アタイ十分頭良いんだけどさ?」
「私は勉強に上限なんて無いと思うの。チルノちゃん、特に保健体育とか足りなそうだし――そこがいいんだけどね!」
……大丈夫かなぁ……。
心配したその時、前の方でだべっていた子供達が一斉に自分の机へと戻り、正座した。
「おはよう皆、揃っているようだな」
開く音に遅れて、慧音が授業が始まる事を告げた。
●
「期待はずれとはまさにこの事ね……」
慧音の授業は恐ろしく結論先延ばしだった。
彼女は彼女が持つ歴史に基づき、百年単位での出来事を智慧とすることができる。それは単なる史実だけではなく、自身が覚えてきた知識もまた歴史として吸収可能なため、
……文系理系お手の物の超教師……だと思う。
もはや学者の領域だが、語られる内容はそれ故に詰め込まれ、淡々とした物だ。莫大な情報を一気に伝えようとするからそうなるのだが、本人は気付かない。
鈴仙はチルノの方を見る。彼女は授業開始直後に睡眠を始め頭突きされ、紙飛行機を折って頭突きされ、真面目に手元の黒板に、
「ねぇチルノちゃん、何描いてるの?」
白一色で描かれた毛むくじゃらで髭が伸びた物体は、
「けーねだよ!」
速攻で頭突きが飛び机に叩きつけられた。分厚い木板が軋む音がする。
教育上よろしくない絵図だが、なぜか周囲の寺子は一瞬振り返っただけで、すぐに板書書きへと戻った。
……日常茶飯事ってことかしらね……。
こうして事なかれ主義が育成されていくのか、と思いつつ、しかしこのままチルノを放置するのは、その思想に染まっていない者としてやるべきではないだろう。
時既に遅し、だが、鈴仙はチルノの後で乱れた髪を直している慧音に進言した。
「慧音さん、あまりやり過ぎるとバカがバカになってバカバカに……」
「チルノちゃんがそんな卑猥な感じに……!」
先生と参観者は無視した。
「大丈夫だ。9になにをかけても足しても、最終的に0かけて9を足し直せば同じだ」
「それって結局問題解決になりませんよね?」
「うーん……うるさいなぁ……」
「あ、回復早い」
若干めり込んだように見えたが、さすが自然の権化だと鈴仙は思う。
周囲に若干の冷気が漂う自然は、今しがた起きたかのように頭を持ち上げ、左右上下に動かし、ややあってから隣の大妖精を見た。
「……大ちゃん、ここどこ?」
「歩きもせずに忘れたか……」
「やっぱりバカバカというか鳥頭というか妖精頭というか……」
「大丈夫? 保健室で診てあげようかっていうか視ようか!?」
頭突きもされていないのに大丈夫そうじゃない大妖精を、とりあえずチルノから引き剥がし、
「で、だ。ちょっと今のは力が入ってしまったかもしれない。まだ痛むか?」
「おぉー慧音じゃん。……ていうかここどこ?」
「学舎、寺子屋だな。ついでに忘れてそうだから言ってやるが、お前達は私の授業を受けたいと言い、今日この場にいる」
「ほへぇ……ねえ、帰ってもいい? つまんなそうだし」
また頭突きされると直感した。授業も止まっているし、さすがに止めようとして、
「……そうか、良いぞ」
鈴仙は、あっさりと許可された事に驚いた。
一方慧音の許諾を得た事に対し、チルノは、ありがとう、と礼を言い、大胆なんだから~、などとうわごとを言う大妖精の手を引いて教室を後にした。
騒々しかった教室に、寺子達のチョークが黒板を滑る音が戻る。
さて、と慧音は教室の前に戻り、授業を再開させようとした時、
「あの」
「ん? どうした」
「なんであんなに、あっさりと帰してしまったんですか?」
慧音は、くすりと笑い、少し考えてから、
「なに、私の授業が退屈だと出て行く者は経験があるのでな。それにあの二人が来ては帰ってというのは、もういつもの事だ。……それでも彼女らは、ここに"学び"に来るんだ」
息を吸い、
「学ぼうという意思のある者を、私は拒まない。学問は本質的に自由なんだ。……だが、家の都合で自由に学べない者もいる。理由は違えど、学習時間に差異が出てしまうのは同じ事だ」
教室の中、子供達は一様ではない。
或いは、日に焼けていない。
或いは、やや背が曲がった。
或いは、動作が流れるように。
皆、違う生活を生き、しかし今は共に座学する級友だ。
「家の都合で早退しなければならない子もいる。そういった事情も鑑みなければ寺子屋はやっていけないし、この子達も来にくいだろう?」
見れば、子供達は慧音を見ている。彼らの感情は表に出ているわけではないが、各々の雰囲気は、気恥ずかしさや笑みといったものだと分かる。
「……ま、恥ずかしい事を言ってしまったな。だが……」
黒板を見て、
「継続は力なり。今日は帰っても明日が来れば、また学ぶ事も出来るだろうさ」
チョークを再び手にした。
●
里は一時を得ていた。
昼の忙しい時間を抜け、今は夕方に向けて準備をする、その手前だ。
甘味処が賑わう時間でもある。
往来の音も控えめな町中、通りから外れた一軒の家がある。
長屋形式ではなく、元は有力者が使用人用にと用意した下宿だ。今でも上階は倉庫として利用されているが、一階は壁をぶち抜き一つの教室としてある。
表札には所有者の名前と共に、『上白沢塾』と書かれていた。
教室の上手、大きな黒板に慧音が書き込むのは数式だ。
「――っと、ここから求められるわけだ。解ったな?」
『はーい』
寺子からの返事に張りはなく、皆、目を完全に閉じそうになっている。
教室の後で参観する鈴仙も、なんとか欠伸を我慢している状態だ。
……余分な言葉が無いだけ楽だけど……。
算学というジャンルもそうだが、そろそろ集中力も無くなり眠くなる時間だ。
今、新しい問題に取り組んでいる子供が一人、書いては消しを繰り返していた。
……あの男の子、さっきも悩んでいたけど苦手なのかな……?
少し気になり、膝で腕で歩いて近づいてみる。
少年はそれにも気付かず、目前の問題と格闘していた。見れば、すべてを消しているのではなく途中まで解いて、その先が続かない様子だ。
「ちょっと貸してみて」
「あ」
横から手を伸ばし、詰まっていると考えられる部分を書いてやる。
「ここまでやれば解けるでしょ?」
小さく、しかしはっきりと聞こえる声で、
「凄ぇな姉ちゃん。先生の知り合い?」
「ま、まぁそんなところかな?」
凄いと言われて、少し嬉しかった。
自分にしてみれば簡単に教えられる程度のものだが、彼にとっては悩むに値する。
「あの……僕もちょっといいですか?」
それは彼だけではない。隣にいる、彼より少し年上と思しき少年も、
「私もちょっとわからなくて……」
反対の席に座っている少女も。気付けば、教室中の生徒がこちらに黒板を見せてくる。
「え……えぇと……」
困った。一気に注目を受けることで硬直し、次に言うべき言葉が出ない。
当然、慧音が動いた。
「……お前達、解らない事があるならまずは先生に聞くのが筋だろう? あまり迷惑をかけてはいかん」
口では他者の感情を配慮しているが、その目は怒りの感情を含んでいる。
それを知ってか知らずか、子供達は口々にこう言った。
「……だってこの姉ちゃんの教え方わかりやすいし」
「……先生の言う事はいちいち難しいし」
「……そもそもつまらないし」
満月でもないのに、慧音の頭に角が見えた気がした。
さすがに子供達も雰囲気を察したのか、弧を描くように三歩ほど後退。
鈴仙もそれに倣おうとした時だ。
「――お前ら、ちょっとケツを出せ」
教室が阿鼻叫喚に包まれた。
●
「今日はすまなかったな――、子供達が」
「後半は先生が主因だと思いますが」
赤みを帯び始めた空の下、里の目抜き通りを行くのは、黒髪の鈴仙と慧音だ。
二人の手にはそれぞれ、道すがら買った野菜など夕飯の食材の入った竹籠がある。
家に続く道へと曲がろうとした時、
「ん?」
鈴仙の目が直線の先に捉えたものがある。
それは遠目にも真新しく見える鳥居と、その前に立つ少女の姿だ。
慧音は鈴仙が何を見ているのかに気付いた。
「ああ、早苗か。毎日どこぞの紅白とは違って関心なことだ」
「早苗……」
「知らないか? 山に越してきた神社、守矢の風祝――まぁ巫女のようなものだ」
聞いた事はある、というより里で情報収集していたのは自分だ。
もっとも、妖怪の山まで調査しに行こうと進言して、永琳に止められたが。
「あまり詮索しなくても大丈夫でしょ、商売敵でもないし。って感じで」
「詳細までは知らないか。ならちょうどいい、会っていこう」
曲がろうとした足を切り返し、歩みを鳥居へと向けた。
近付くにつれその全容が明らかになる。
鳥居があるのは家々の間、ちょうど空き地となっていたらしき小さな場所。
小さな木々が鎮守の森としてあり、人の背丈程度の鳥居の向こうには、道中の稲荷神のものに近い小規模な社があった。
その社の周囲に手箒をかける後姿が、こちらを振り向く。
「参拝ですか? ――っと、慧音さんでしたか。こんにちは」
緑髪の少女は会釈ではなく腰を曲げての礼をした。
「元気そうでなによりだ」
「ええ。それで、そちらの方は?」
「ああ、永遠亭は聞いた事があるだろう。そこの従者の」
「うどんげです、初めまして」
「早苗です。守矢神社の風祝――まぁ巫女のようなものをしています」
「すまん早苗、それはすでに説明してある」
「あ、そうですか……ちょっと残念」
舌をちょろっと出し微笑む彼女は、至って普通の少女だ。
彼女は視線を鈴仙に合わせて、
「ところで、求聞史紀では耳があったと思うのですが。――コスプレ?」
「最後は何か悪い意味な気がするので放置しますが、色々とワケありで今は無いんです」
「へぇ……それは良かったです。月の兎が耳無しだったら影になりませんから」
「影?」
「ええ、月の影です。餅つきしているの――ご存知ですよね?」
問われて鈴仙は、自分の記憶を辿る。
……確かにそう見えなくもないけど……。
地上に来てから初めて故郷というものを見上げた。しかしそれは知識としてある外観図でもあり、影としてある海も地名がまず浮かぶ。それに、
「餅つきよりも戦闘訓練に明け暮れていたから、あまり見えないわ」
言った後で失言だと気付いた。目の前にいるのは元々は"外の"地上人だ。彼女自身が戦闘に加わっていたとは思えないが、下手をすれば激昂させてしまうかもしれない。力の無い今、それは避けるべきだ。
慌てて訂正しようとして、
「戦闘訓練って、なんでです?」
鈴仙は耳を疑った。
「……なにって?」
「ああ、もしかして火星人とか攻めてきているんですか? あれは普通の武器じゃなくて音楽が聞くんですよ。昔、諏訪子様が持ってきた映画だと」
「火星人……?」
「あれ? 違いますか。じゃあ金星人が――」
「――ふざけないで!」
突如とした感情の声に、二人が驚きに身体を震わせた。
しかし震わせるのは眼前、黒髪の少女も同じだ。彼女は前髪を垂直に垂らし、顔は見えない。
だが見えなくとも、先の言葉で感情は察する事が出来る。
早苗は自分の言動を振り返りつつ、鈴仙に声をかけた。
「すみません……戦争中で大変だというのに、軽率な発言でした」
「違う……」
「違う……?」
「そう、違う!」
急速に振り上げられた髪々が早苗の頬を擦った。勢いとともに現われる憤怒の表情に、早苗は仰け反り一歩を後退した。
「大変って、貴方達"穢れた地上人"の所為じゃない! それを他人事みたいになによ!!」
「穢れ……私?」
「ええそうよ。貴方達の所為で傷つき、追い込まれ、失った! それなのに私達の事はなにも知らないって何? 私達はそもそも"無かった事"になっているっていうの!?」
一息、
「そんなのって……じゃあ、私が悩んできた事は? 私の罪は? 貴方達の侵略さえ無ければ誰も、誰も……」
言葉が続かず、鈴仙は膝から崩れた。
すでに怒りは無く、ただしゃくり上げる彼女に、慧音は肩を支える。
早苗は立ち尽くしたまま何事かを言うべきと口を開くが、何も紡がれない。
往来の中に立ち止まる人が出始めた頃、急に光が生まれたのを早苗は見た。
それは社からのものであり、光量が増した辺りで、
「穏やかじゃないねぇ。何事かい? ってまあ一部始終見ていたわけだが」
「神奈子様……どうして」
目を腫らしたことで赤くなった瞳に、宙に浮く胡座姿が見えた。
背中に環状のしめ縄を負う神、八坂加奈子だ。
「さて、よくもうちの娘に八つ当たりをしてくれたねって罰の一つでも与えたいが、さすがに本気で泣かれているのには気が引けるからね。――これは慈悲だよ」
濡れる視界が陰に入ったように暗くなる。夕立の時にも似た光陰の変化は、頭上の風切り音とともに鈴仙に警鐘を鳴らす。
背にいる慧音を左手で突き飛ばし、崩れたバランスを利用して左方向へと転げた。
直後、地鳴りと衝撃を持って柱が地に突き刺さった。
●
早苗は目前で起こった衝撃に目を伏せた。
やがて土埃が晴れて見えるのは、成人とほぼ同じ大きさの御柱だ。
地面に突き刺さる柱の横、倒れてはいるが立ち上がろうとしているうどんげと慧音が見える。
良かった、と安堵を得た後、早苗は視線の切っ先を神奈子へと向けた。
「神奈子様! こんなことをしてもし当たったらどうするんですか!?」
「これでも手加減したんだよ? 結構自制するのは難しいねぇ」
「答えになってません!」
「まぁまぁいいじゃないか。……それに、少しは二人とも"話せる"ようになったんじゃないかい?」
二人、という言葉に自分も含まれている事に気付く。
すでに口は動き、言葉も自在に出る。
ならばと思う先、兎耳の無い兎の少女の瞳は、元の黒色をしていた。
●
冷静という一語が頭にある。そしてそれを実行できる理性も。
鈴仙を取り巻く状況は不利にある。
何も知らぬ少女に一方的につっかかり、そして無理を押し通す力もない。
謝る方向で動くべきだが、それを良しとしないものがある。それは、
「……でも、私は話したくありません」
「うどんげさん……」
早苗と目を合わせないように伏せる鈴仙に、神奈子は言う
「迷える子羊、もとい小兎か。汝の悩み、憤りは天にお見通しぞ」
乾を創造できるしな、と神奈子は注釈を入れ、
「まず、貴方に何があったのかを我々は知らない。月の事も含めてな。無知は罪かもしれないが、少なくともうちの子にはそれを含めても関係のない話だ。
うちは単なる引っ越してきた神様、そしてその風祝。分かるかい?」
「それは……」
「理解できているならよろしい。なに、納得しろとまでは言わない。貴方にも色々とあったんだろうからね。世の中ってのはそう言うものさ。神様ですら幸せ一杯夢一杯ってわけにはいかないんだ。なのに自分だけ幸せになれるってのは傲慢だし、幸せになれないからって人を傷つけるのは自分勝手に他ならない。
……誰かにぶつけそうになるぐらいなら、まずは神様に相談してみな。懺悔という名の愚痴吐きは、バテレンの専売特許じゃないからね」
頬杖をつき微笑む神奈子の横、早苗もまた、鈴仙に笑みを返した。
「私達でよければいつでも相談に乗りますよ。個人情報はこちらでも守りますから」
「……ごめんなさい」
「謝る必要はないです。ただ少しだけ、信じてあげて下さい」
「そうそう。守矢の神、八坂加奈子の源は皆の信仰心だからね。歓迎するよ」
「――ちょっと待て神奈子おおお!」
背後が光ったと思った瞬間、神奈子に跳び蹴りが炸裂していた。
「なにカルト宗教みたいに自分の信者増やそうとしてるんだよ! 少しは自重しな」
「痛たたた……。おい諏訪子、こっちは神代の時代からいるんだ。そんな詐欺集団と一緒にするんじゃないよ」
諏訪子と呼ばれた少女、洩矢諏訪子はキックで乱れた帽子とスカートを直して、
「ハッ! 誘い方が怪しいって言ってんだよ。だいたい私も祀られてるのになに神奈子様信者にしてるわけ?」
「良いじゃないか! だいたい信仰ポイント分けてるの誰だと思ってるのよ!?」
互いの背中に巨大な蛇と蛙の虚像が見える。鈴仙は何事が起こっているのかを把握するより先に、慧音に手を取られていた。
「うどんげ、もう良いか? 良くなくても行くが」
「はぁ……とりあえず、わだかまりもなにも吹っ飛んだというか蹴られたというか……」
「よし、逃げよう」
聞くより引っ張る足の方が早く、振り返った先で鈴仙はその理由を知った。
「二人とも……いい加減にしなさ――――いッ!!」
二柱が五穀の弾幕に被弾していた。
●
十五夜ではないが、輝く月がある。
雲は少量で、遮られない星が彩る夜空がある。
青白く光る道の上、人通りはほとんど無い。
いくつかの軒先で提灯が赤く、中で羽根の生えたのや尻尾の生えたのが飲んでいる。
一方、町外れはそうした小さな物音も無く、住宅街特有の静けさに包まれていた。
その中に佇む上白沢の家にあるのは二人分の寝息。立てるのは鈴仙と慧音だ。
「……ん?」
不意の音で二人とも目が覚める。互いに顔を見合わせ、音のする方へ向けた。
聞けば、戸を乱暴に叩く音だ。
ハッとなり、慧音は飛び起き玄関へと向かう。開けられた戸の向こうには、
「同心か……なにがあった?」
黒の半纏、腹と額に白の帯を持つ男は自警団に属する同心――警察官だ。
本来は江戸の治安維持役『火付盗賊改方』に属する名であり、町奉行の下、幹部級の与力に対し実働の中心となる下級役人だ。便宜上、江戸と同じような役職名を自警団にも採用している。
だが、
……小事程度なら彼らには私的に岡っ引きを雇っている。彼らを使わないということは、確実に現場の状況を伝える必要があるからだ……!
ここまで走ってきたのだろう。同心の男は呼吸を繰り返し、息を整え、
「よ、酔っぱらった妖怪が、暴れてます。見ねぇ顔だが、力だけはやたらとあるもんで手えつけられねえんだ。先生」
「分かった。着替えたらすぐに出る。そこで待っててくれ」
戸を閉め身を翻した先、
「慧音さん……」
「……なに、酔っぱらいの対処はいつものことだ。妹紅は竹林の方まで散策に行っているからまだ戻らない。鍵をかけて待っていてくれ」
妹紅が戻ってくるまでには片付ける、と慧音は着替えを急ぐ。
その横で鈴仙は、
「……なにをしている?」
「私も手伝いに行かせて下さい」
すでに帯を締めようとしている所だ。早い、と心の中で呟きを得て、しかし慧音は否定する。
「駄目だ! 今の自分の状況を考えろ」
妖獣としての彼女ならともかく、今は弾幕すら放てない一少女に過ぎない。
「そんなお前が行ったところで、足手まといになるだけだ」
慧音の服は洋風だ。基本的に着物より手間は少ない。
着替えの工程で鈴仙に追いついた。
「……師匠は酔うとすぐに人を脱がせようとします。姫様は長々と昔話を語り出すし、てゐは酔ったフリをして人を落とし穴に落とそうとします」
絡まった髪を払い、
「酔っぱらいの対処なら、私の力が通用しない相手に十分やってきました。状況は今とさほど変わらず、経験は豊富。……使えない程度に見える経歴ですか?」
「……人の役に立つということは、別にこういうことだけではないんだぞ?」
「別に役立つとか、そういうのじゃありません。最近鬱憤が溜まっていたんで、それを晴らしたいだけです」
「それは八つ当たりだな」
「ええ、八つ当たりです」
苦笑し、
「……せいぜい自分の身は自分で守ってくれよ?」
行こう、という声と共に三人が駆けだした。
●
静けさはとうに破られている。
遠い空は濃紺系黒だが、近空、家々の上空に白の火球があり、眼下は昼よりも明るい。
火球の正体は弾だ。スペルカードではなく通常弾幕だが、地上に流星の如く降り注いだそれは鈴のような音を連鎖させ、衝突した跡を道に刻みこむ。家々にそれは無いが、すでに直下の地面に平坦な場所はない。
弾は流れるように注がれるが、それは放つ術者の動きに合わせた拡散によるものだ。
音と光がいったん止み、月下に黒く大きな翼とそれに被さる白マントが大きく羽ばたきの動きを見せる。
さらにその背中には、しがみつく猫耳が見えた。羽ばたきを持つ少女と共に赤ら顔で、二叉の尻尾を揺らしている。
羽ばたきを持つ少女は、右手の人差し指の腹を自分に向けながら大声で、
「ふはははは! 見ろ、地上が灼熱地獄のようだー!!」
背中にしがみついた猫耳は、同じく陽気な声で、
「火力は調整してよね、おくう。炭になると崩れて運びにくくなるから」
「大丈夫だって。お燐の分ぐらいは残しておいてあげるから」
「レアでよろしくー」
おくう――霊烏路空は黄色と白の大玉を生み、全周に放った。
虚空に放つ分は無駄だが、自分の持つ無限に近いエネルギーはその程度で弾切れにならない。オーソドックスだが力任せの大玉連鎖が、空に、地に放たれた。
彼女らがいる宙は中心部、歓楽街に添う大通りの直上だ。下方に放たれたほとんどは無人の土にめり込むが。一部が民家に向かい、そして、
「――?」
直前で消滅した。
今、自分が放った物は爆符系のように距離に比例して減衰するようなものではない。その上、
「さっきから家に被害が出ていない……」
正常な判断が出来ない頭が、そのままに冷めていく。
目を凝らしてよく見ると、屋根には数本の矢が刺さっていた。
「おくう、向こう!」
背のお燐――火焔猫燐が指差す先には開ける十字路がある。
かがり火が四隅を照らす内側に、複数の人間の姿が見えた。
人間達は黒の半纏、腹と額に白の帯を持ち、その手には弓が。腰には十手と太刀の取り手がある。彼らの先頭、光沢を放つ黒の陣笠に羽織袴姿の男が、拡声機構の無いメガホンを手にし、
「――おうてめえら! 俺達は何だ言ってみろ!!」
『押忍!! 人間の里自警団"は組"ィ!!』
「じゃあ俺は何だ言ってみろ!!」
『押忍!! は組団長、名は鉄三郎!!』
「おうよ! お江戸の真似して火付盗賊改方、火の玉鉄三郎とは俺のことよッ!!」
『押忍!! 火の玉の鉄三郎兄貴!』
「で、俺っちについてくるおめえら! 何が出来る言ってみろ!!」
『火盗改は序の口! かかあに言われて炊事洗濯おまけに妖怪退治ィ!』
「炊事洗濯は情けねえが、かかあと妖怪どっちが怖ぇか!!」
『かかあの方が百万倍!』
「よっし。じゃああの妖怪二匹程度、五十万分の一だなおい!」
『押忍!』
「聞いたかお二人さんよぉ? それでも抵抗するってんなら、俺たちが退治しちまうぞ!!」
警告の後、弓が構えられ、その矢尻が円としてお燐には見える。
「……なんか正義の味方っぽくてむかつくー。――おくう!!」
呼ばれ、おくうは右手の制御棒を前に突き出した。
「レアな地表は後回し。あいつらはウェルダンでいくよっ!!」
対し自警団は狙いを澄ませて、
「けっ。……人間ナメるなよ?」
直後、大空に弾幕が放たれた。
●
慧音は見た。
人々が身の回りの品だけを持ち、こちらに向かい歩いてくる姿を、だ。
自警団の文字が入った提灯を手にする者達が誘導し、避難する列に乱れはない。
慧音と鈴仙は彼らの表情に不安ではなく迷惑が浮かんでいるのを見て、少しばかり安堵した。
……深刻なら不安が先に来るものね……。
慧音が誘導する若者に手を軽く挙げ挨拶した時だ。
「先生!」
呼ぶ声に立ち止まると、
「店長さん?」
昨夜、そして今朝方も会った飲み屋の店主だ。避難列の中から抜き出してきた彼は、慧音に向かい真剣な面持ちで、
「すまねぇ先生。今日のは俺ん所の客なんだ……」
「それは災難だった。……で、どういう奴らなんだ?」
「ああ。一見さんでよ、鳥っぽいのと猫っぽいので飲んでいたんだ。飲みっぷりがいいもんだから止めずにどんどん運んじまってこのザマさ……。すまねえ先生」
「なに、こんなことぐらい朝飯前だ。……今度はおごりな?」
「勘弁してくだせえって言いたいけど仕方がねぇ。――これ終わったら自警団の連中も連れてきなよ」
「微妙に死亡フラグっぽいが、まぁ楽しみにしてよう。では……!」
店主が手を振って見送る。それは慧音だけでなく、自分にも向けられたものだ。
……何故?
本人に聞こうにもすでに足はトップスピードに向かっている。なら、また今度聞けば良い。
大きく振られる手を後にし、走る先を見たその時、鈴仙は前方、空が光るのを認めた。
「――遅かったか! 仕方ない。飛ぶぞ!」
返事をする前に手を掴まれ、足が地面を離れた。
●
光は空中で生じた。
おくうが放った白色の中弾連鎖は一定の指向性を持ち、十字路の自警団に加速した。
対し自警団は、
「迎撃用意――ッ!」
射手から見ると一本の太い線に見える弾幕群に狙いを定め、
「一発も漏らすなよ? ――放てッ!!」
陣笠の男の号令で、矢が飛翔した。
矢は白線と相対、衝突し、そして、
「……え?」
霊撃に似た円が展開し、全弾を打ち消した。
おくうとお燐は驚愕した。
「……おくう。地上の人間って、巫女と魔法使い以外にも強いのいたのね」
「でもあれって、ただの矢だよね? 魔法って感じじゃないみたいだけど」
再び拡声された声が響く。
「妖怪退治は専売特許じゃないぞ? 俺らにだってあらかじめ力を込められた符や神具を使えば弾幕を凌ぐ事ぐらいは出来る。……自警団は伊達じゃないことを身に刻んで、お帰り願おうか!」
「……だってさ、どうするおくう?」
自警団の言う事は確かだ。護符や魔法道具等を使えばただの人間でも瞬間的な力は得られるし、攻撃も出来る。だが、
「所詮、あっちは瞬発的な核分裂に過ぎない。こっちは上位系の核融合を操れるのよ?」
おくうはお燐に歯を見せる笑みを浮かべていた。口が開き、
「究極のエネルギーが酔狂じゃないってことを身に染みこませなさい!」
●
おくうの言葉を自警団の団員達は聞いていた。
陣笠の隊長、鉄三郎は、
……カクユウゴウってなんだ……?
妖怪の言動は人間にはよくわからないと何かに書いてあった気がする。きっとそういう類なのだろう。
とにかく攻撃が来る事は確かだ。相手の力は相当な物だが、危険度は中程度と見える。使い方は直線的で、攻撃前の動作も察知しやすい。
「……問題は猫又の方か」
先ほどから背に乗っているだけで、一向に攻撃を仕掛けてこない。妖怪である以上、人間相手で戦えない可能性は低く、
「なんでもいいから死体に早くなーれー」
……後方支援役ということは無いな。
注意は怠らず、間もなく来るはずの弾幕に備えさせる。
自分達の攻撃手段は実は乏しい。スペルカードを持たない以上、旧来通りの力比べとなる。しかし力と力のぶつかり合いでは、自前の力に乏しいこちらが不利だ。ほとんどは里に被害を出さないために使わざるを得ず、防戦が主体となる。
……まだか。
今、こちらに急いでいるであろう彼女は数少ない力の担い手だ。
早く来てくれと思う矢先、太陽が生まれたのを一同は光と熱で知った。
●
「……!?」
十字路まで少しの所で、慧音は西の空に夜明けを見た。
だが水平線から日が昇るわけはない。事実、太陽は小さく空にあった。
「慧音さん、太陽の下!」
下に人影が二つある。一つはこちら側からでは首から上しか見えないが、黒翼を広げる白のブラウスはよく見える。
元凶を認め、慧音は叫んだ。
「うどんげ! 悪いが降りるのは日暮れになってからでいいか?」
「そろそろ腕が痺れてきたのでお早めに!」
了解、と鈴仙を引き上げ自分の背に乗せる。腹にまわる腕の感触があり、少しくすぐったい。
自由になった両手で懐から取り出すのは、一枚のスペルカードだ。
相手に聞こえるように一際大声で名を告げる。
……ルール上は回数掲示が必要だが……。
相手は真面目に戦っているように見えて、その実ただの酔っぱらいだ。鬼ならともかく宴会の席でもやるような酔いどれ決闘なら、
「多少の無視は無礼講と解釈しよう! ――国符『三種の神器 鏡』!!」
渦を巻くように白の米弾が射出され、外側に向かう。すると米弾が途中でクナイ弾に変わり九十度反転。対象を縦横にクナイ弾が襲い、さらに放射線状に広がった大玉が阻害する。反対側からも第二射がほぼ同時に迫り、逃げ場はない。
「それだけ大きな塊を抱えていてはロクに回避行動はできまい!」
「……確かに弾数は多いし速度も速いわね。――けど!」
突如として人工太陽が消失した。
「核融合を生むも消すも自由自在! 本物の大玉ってやつを見せてあげるわ!!」
お燐はおくうの体が熱を生むのを急速に感じた。
「ヤバっ!?」
彼女の中で大きな力が準備されているのだ。下手に巻き込まれては熱耐性があるとはいえ危険だ。
「じゃあおくう頑張って! ――私はあっちを片付けるから」
おくうの耳に届いているかはわからない。彼女は既にスペルカードを無意識に取り出し、出来るだけ格好良く掲げようとしているからだ。
けれど聞こえてなくても問題はない。自分が離脱できれば十分だ。
お燐が離れた瞬間、おくうを中心に無数の火球が生まれた。
「――爆符『ギガフレア』!!」
高音域の爆発音が降り注ぎ、小型の太陽が次々と迫ってくる。
大きさを保つために有効射程の短い減衰型だが、ニュークリアフュージョンより早く、ランダム性もある太陽群だ。加えて弾が爆ぜて生じる時に小弾も吐き出すため、単純に避けていれば追い詰められる初見殺し系でもある。
「避けるも避けぬも無く、被弾しなさい!」
●
慧音は焦りを覚えていた。
……上手く鴉の方は気を逸らせたが……。
上空に向かう弾なら町に被害は出ない。しかし、片割れが十字路へと跳躍したのを見た。
無数の太陽によって作られた影、そこに隠れて彼女は行動している。自分が目撃できたのは偶然だが、向こうはその偶然を手にしただろうか?
……可能性は低いな。
自分は半獣で身体能力は人間よりかなり高い。言い換えれば、彼らの視力で認識できるかどうかはかなり怪しい。声で教えようにも、この爆発音に遮られてしまう。
どうすれば、と目の前の光を避けながら考えていると、
「――あそこの屋根が少し高いです」
背中の鈴仙だ。彼女の声が向かう先、確かに周囲より高く、珍しい三階建てがある。
「あそこに近づいて下さい。――私が走って、皆さんに知らせてきます」
「どうしてそんなことを?」
「さっきから貴方の眼が関係のないところと弾幕とを往復してました。そして私の眼にも背中にいたはずの猫がいないのは見えます。と、なれば結果は一つでしょう?」
洞察力の凄さ、そして場の把握能力に慧音は思わず息を呑む。
今は弾幕の回避中だ。視界の多くは太陽に遮られ、例え弾を見ていなくても外を見て、ましてや把握するなど並大抵の者が出来るわけはない。
……何者なんだろうか……。
恐らくは答えてくれないのだろう。少し残念に思うが、
「今はそれどころじゃない、か」
「なんか言いましたか?」
「いや……。次の波に隙間がある。ギリギリだが飛び降りてくれ」
「はい!」
ギガフレアの弾幕は密度が高いが、ランダム性だ。故に一定割合で大きめの隙間がある。
第一波を抜けて二秒後、慧音の体が大きく動いた。
「今だっ!」
まわしていた腕を放し、鈴仙は飛び降りた。だが僅かにずれている。
……このままだと地面行き……!
三階の高さだ。下が土とはいえ、骨折は免れない。そうなれば伝令に走れない。
……お願いっ!!
空中で体をよじり、必至で軌道修正を試みて、
「――!」
足が瓦屋根の樋にギリギリ届いた。足を踏ん張り体を屋根に叩きつける。
やや乱暴だったが、鈴仙は胴体着陸に成功した。
痛みを得る暇もなく、鈴仙は二階、一階と屋根を伝い、
「着いた!!」
上空を見上げると、先ほどまで自分と大差無かった慧音が手の平より小さかった。
今、彼女は太陽の弾幕に押されている。心配だが、自分がいたところで機動力を下げるだけだ。
そんな自分に出来る事は、
「……走らなきゃ!」
速く、もっと速くと足を動かす。
十字路まで百メートルもない。
●
お燐は屋根伝いに移動していた。
自警団と名乗った人間達は、おくうに向かい護符を貼り付けた矢を放ち続けている。だが彼女の周囲にある太陽に逐一焼却される。
その結果は彼らにもさすがに見えているだろう。それでも諦めないのが人間か。
環境に良くないなーと思いつつ、お燐は彼らを吟味する。
……今日は猫車忘れて来ちゃったからなぁ……。
巫女と魔法使いが地獄にやって来て以降、今まで封印同然の状態だった地下の妖怪達が地上に来る事が許されるようになっていた。
今日は人間の里を見学に来たが、つい匂いに釣られて店に入ってしまった。
酒は旨く、焼鳥もあるらしかったがおくうの前でさすがに自重した。しかし代わりのツマミも酒に劣らず、ついつい深酒をしてしまった。
……さっき醒めたばかりだけど、まだ頭が痛いわ……。
おくうはまだまだ絶好調らしいが、そのうち頭痛が勝って醒める事だろう。それまでの間はあの半獣に任せるとして、
「両手でも二人がせいぜいかな? 少ないけど久々だしいっか」
そういえば、地上に来る時に賢者を名乗る胡散臭い妖怪に、人間絡みでなにか言われた気がする。なんだったっけ、と思い出そうとするが、
「痛っ。……まぁ、酔いの残滓に負ける程度なら大したことないね、きっと」
自分を納得させ、
「……では――!」
体を人から元の姿、猫の姿に戻す。この方が動きやすいし大きさも小さくできる。突撃には向いているスタイルだ。
前足と後ろ足に力を込め、体を縮めこみ、バネのようにして、
「じゃあ」
突撃、と続けようとして、
「――皆さん! 右上! 中二階の屋根に妖怪がいます!!」
「!?」
響いた声で突撃姿勢から力が失われた。
歯をむき出し見る先には、
「あれはさっきの……」
半獣の背にいた黒髪の少女だ。
自警団の方が騒がしくなり、数本の弓がこちらに向かい射出される。
お燐は大きく跳躍しそのすべてを回避して、
……なんだかわかんないけど、邪魔された腹いせ! お姉さんをもらってくよ!!
黒猫が猛獣のように鈴仙へと突進していく。
●
伝えた。
確かに、自分に出来るだけの声で届かせた。
屋根から降りた後に走ったが、すでに黒猫は攻撃の予備動作に入っていた。
このままでは間に合わないと思い、どうしようかと刹那に焦り考える。
その時、黒の陣笠を被った男が、円錐状の筒を持っているのが眼に留まった。
何故こんな簡単な事に気付かなかったのか。しかし気付いた後の判断は一瞬で行われた。
声が、通りを走った。
結果、彼らが気付くだけでなく、警戒した猫が攻撃を中止するというおまけ付きだ。
だがしかし、良かったと思うより速く副産物が疾走する。
視界の隅に映る自警団は次射を構えているが、
……間に合わないッ……!?
この時ほど、自分が人間で無力だと思った事はない。
思考は方法を得ている。どうすれば回避し、反撃するかまで全てをだ。
策はある。それなのに――。
「――結局、人間になって得た事が無駄になっちゃった、か」
眼を閉じて、覚悟を決める。
「うどんげ――っ!?」
遠く、慧音の声が聞こえるが、彼女は回避に精一杯だった。ここに駆けつける余裕は無い。
思えばこの二日間で三十年分ぐらいの経験をしたように思う。
いつの間にか人々と打ち解けて、普通に喋れるようになっていた。
それもこれも、人間だったからだと思う。同族だったからだ、と。
でも、
「でも……、今度は妖怪に戻っても、きっと上手くやれるはず」
経験が、人と関わった、短いながらも濃厚な思い出がある。
これを糧とすれば、きっと――。
そう呟きかけて、自分の中に異変を感じる。
今更になって恐怖が込み上げてきたのだと思った。だが、
「……?」
様子が違う。身体の震えは寒気のあるものではなく、熱く、力に溢れている。
疲労した筋肉が。
荒い息も。
重さを感じる着物も。
全てに力があり、
全てが整えられ、
全てが軽い。
眼を開けると、いつの間にか巨大化した黒の猛獣がいる。
その身体に波を見つけた。
「見えたッ!!」
判断は一瞬。飛びかかる腹に向かって、
「――喪心『喪心創痍』――ッ!!」
ガラスが割れるような音が響き、眼前が開けた。
●
「戻ったのか!?」
眼下にいる少女は青みがかった紫の髪をなびかせ、小さな黒猫を足元に、赤い眼でこちらを見上げた。
「……アンタ、余所見している暇はあるの?」
おくうの弾幕は激しさを増す事も減らす事もなく、一定出力で濃密だ。
対し、慧音の弾幕は衰えを見せている。体力の限界が近い。
一発でもスペルカード級の攻撃を当てられれば崩せるが、
「弾幕が邪魔で……」
狙いを定めきれない。今の体力ではせいぜい一発放てるのが限度だろう。だが、
「うどんげ! 頼む!!」
果たして、鈴仙はその通りにした。
スペルカードは持っていないが、彼女はその名を口にした。
「散符『真実の月』――!」
円、さながら満月のような真円を描く弾幕の波動が、
「すり抜けろっ!」
言葉と同時に存在が幾重にも"ブレ"て、太陽群を抜けた。
「何――っ!?」
一瞬にしてゲージが下がり、
「――痛ててて……」
「そんな……足りなかったの……!?」
しかし残った。
おくうの服はあちこち千切れていたが、それでもその姿は健在だ。
しまった、と思う。慧音や自警団の攻撃はギガフレアによりほとんどが届かず、まともなダメージは今の一発が最初なのだろう。元より火力低めの自分では一撃粉砕とまではいかなかった。
「じゃあ二発目! 散符――」
「――させないよッ!」
飛び込んでくる影を避けた事で照準がぶれた。声の主を見ると、
「よくもやってくれたわね、お姉さん。……だけど次はもう喰らわないよ」
多少動きは鈍いが、爪と目を爛々と光らせるお燐がそこにいた。
「もう復活したの!?」
「さすがにあの距離はきつかったけどね……今度は当たらないよ。兎のお姉さん?」
一度は逆転した状況がさらにひっくり返された。
慧音は限界で、自分の攻撃は通らない。自警団は流れ弾対策で手一杯だ。
それでも、
「私は……逃げるのだけは、"あの時"から止めたのよッ!!」
火炎を纏う黒猫を見定めた。
「覚悟はいいねぇ惚れるねぇ。ま、死後にたっぷり遊んであげるよっ!!」
左右に跳躍しながら加速を増すお燐を、鈴仙は仁王立ちで待ち受けた。
高速の相手に対し、本調子ではない自分では当てるのは難しい。
……相討ちになる可能性が高いけど……。
確実に一撃を見舞うには、攻撃に飛び込んでくる時しかない。
鈴仙はその時を待った。
「じゃあね、兎のお姉さんッ!!」
「こっちのセリフよ、猫のお嬢ちゃんッ!!」
互いに歯を見せる笑みを返し、一撃が叩き込まれた。
●
叩き込まれたのは一本の矢、それだけだった。
黒猫の振り上げた手を地面に縫い付けただけのそれは、
「へぶっ!?」
しかし彼女を静止させるのに十分だった。
手足を使っての猫跳躍を行っていた彼女は前のめりに頭から地面に落ち、多少のめり込みの中、痛みに起き上がろうともしない。気絶しているのだろう。
続けて頭上から声がする。天を仰いだ鈴仙の眼には、太陽に劣らぬ炎の翼があった。
「よっ。英雄は遅れて登場するってね」
「妹紅!」
「妹紅さん!?」
「妹紅の姐さん!!」
空中、地上、十字路から三者一様の声が上がる。
不死鳥を模した炎の翼を広げる妹紅は、歓声にも似たそれらの声を受け、
「おっし! じゃあその声に応えるとしますか。――慧音!」
「ああ、わかった」
妹紅の登場に気を取られ、弾幕が薄くなった隙を突いて慧音は離脱した。
「あ、ちょっと! ……うにゅぬぬ英雄気取りなんて気に食わないわね! 炭火焼き鳥にしてあげるわ!!」
慧音を取り逃がした事で、おくうは妹紅に怒りをぶつける。
矛先を変え来襲する弾幕を、難なく妹紅は避け、おくうへと距離を縮めた。
「どうしたの? この程度じゃアイツの難題の前座にもなりはしないわ!」
「うるさーい! もう本気出すから、後悔してもしらないよ!?
――爆符『ぺタフレア』ッ!!」
ギガフレアの上位版を宣言と共に繰り出した。弾幕構成は大差無いが、
「ちっ! 発生が早すぎて近づけない!?」
妹紅が放つ弾幕のほとんどが太陽に焼却されていく。その上、
「的の姿が見えないんじゃ話にならないわ!」
「敵でしょ敵! 字が違あう!! 人を的みたいに言いやがって-!」
どうやら相手からは見えているらしい。今は適当に放っているだけだが、これで狙いまで付けられては堪ったものではない。
スペルカード連続使用で強引に割る事も考えられるが、出来ればこちらの攻撃で被害を拡大しないよう、一撃で決めたい。
「ほらほらー、さっきまでの威勢はどうしたのよ? もしかして怖い?」
……もう里とかどうでもいいから殴っていいかな?
拳を握りながらも、妹紅は避ける方を選んでいる。
●
妹紅が手を出さない理由を、鈴仙は察していた。
だが手伝いたいがあの弾幕の前では牽制すら無駄だ。
「畜生。姐さんの火力さえ届けば一撃なのによう」
背後の自警団も限界だ。矢も札も底が見え始めている。
「なあ姉ちゃん」
声をかけたのは鉄三郎だ。
「あんたさっきの弾幕届かせられたよな? あれを妹紅ちゃんにも出来ないか?」
無理だ。あれは自分の放つ弾幕だし、かといってスペルカードを妹紅に手渡せる状況にはない。
「……残念ですが、あれは私が放つ弾幕ですから……あれ?」
そう、自分の持つスペルカードの多くは幻視効果を付与させたものだ。
故に術者の放つ弾幕にしか効果はないが、
「……一つだけ、一つだけあります!」
「うどんげ、それは本当か?」
疲れを表情とする慧音は、しかし鈴仙の言葉に笑みを見せる。
「ええ、お任せください」
期待の顔がある。それは顔を見せられる者、すべての者のだ。
それをプレッシャーとしてではなく追い風として、鈴仙は走り出した。
●
爆発音の中に、妹紅は近付く足音を聞いた。
同時に聞こえる声は、
「妹紅さーん! 一発用意しておいてくださーい!」
鈴仙の言う用意しろ、ということは、
「何か当てられる策があるってことか……? そう、なら用意してあげようじゃないの!!」
ポケットに手を忍び込ませ、いつでも出せることを態度で示した。
鈴仙はそれを確認すると身体を浅く抱き、力を集中させる動きを見せた。
「小手先なんて私には通用しない。その前に撃墜してあげるわ!!」
ペタフレアが一時止み、だがおくうの姿が見える前に新たなスペルが宣言される。
「――『ヘルズトカマク』!!」
「うおっ!? 危ねぇ!」
ゆったりとした動きの小太陽が、おくうと妹紅の背後に通り抜けた。
いきなりではあったが、ただの二発、実質一発で当たるわけはない。
「フェイント……?」
「!? いや、違うぞ妹紅!」
十字路にいる慧音の声は届かない。けれど妹紅は培った経験から、両太陽の中間に退避した。
間一髪の距離で、太陽が巨星と化した。
半球を互いに見せる巨大な弾に挟まれ、妹紅の動きは不自由となる。そこに内部から生じる無数の小弾が、同じく熱を帯びて妹紅を追い詰めた。
間を挟まずに襲いかかる弾幕。加えておくうは自身の後方で膨張した太陽に身を隠している。先ほどまでの小馬鹿にするセリフも無いということは、
「位置を悟らせないため……バカにしてはよくやるわ」
「誰がバカだ!」
全力で発生源に打ち込むが手応えは無かった。またも舌打ちするが、無駄弾なのは明らかだ。
下を見る。
彼女の周囲、大気に歪みが生じ、漏れる力でほのかに光る。流れ弾が至近弾として土埃を舞い上げるが動じない。背後は遠く、何人かがこちらに向かい放つ物は、彼女への直撃コースとなる弾を疑似霊撃で消去していく。
彼らの中に汗を流さぬ者はいない。
早く、と小さく口にする。
それは僅かな時を置いて、叶えられた。
「――いきます!」
桜色に身を包み、紫色を靡かせて、耳を家に置いてきた少女が、赤い眼を開いた。
「フィールドウルトラレッド!」
かざしたのは一枚のスキルカード。珍しくその名に漢字の当ては無い。
英名の通り、世界が赤く染まる。
本来は補助的で規模も小さいそれは、しかし発動と共に霊球全てを消費した。
コストと引き替えに現われるのは巨大な異相空間。
巨星を越えたそれは、当然飲み込んだ。
弾幕が半透明となり消失する。
「何ッ!?」
おくうの視界が急速に開かれ、眼前には不死鳥がいる。
「一つ試したかったんだが」
炎で構成される翼を羽ばたかせ、妹紅は一枚のカードを手にする。
「火の鳥の炎で焼き鳥になる鴉。まあちょっと硬そうだけどな?
――不死『火の鳥 ―鳳翼天翔―』っ!!」
燃えさかる火の鳥が太陽を突き抜け、地獄鴉に直撃した。
●
「偽の月も落ちれば、太陽もまた同じね」
遠くに落ちる影を見て、八意永琳は弓を降ろした。
屋根の上、闇夜に浮かび上がる姿は三人分。
「まったく、弾幕中に急いで帰る理由がこれなんて。妹紅もまだまだね」
仕方が無いと、しかし口の端を上げ弓状にする蓬莱山輝夜と、
「もう少し遅ければ相討ち、ねぇ。私の能力も随分と効果範囲が広くなったもんだ」
輝夜の言葉に自画自賛を加える因幡てゐだ。
彼女らは向こう、妹紅に抱きつかれ困惑する鈴仙を見つめる。その周囲に慧音がやって来て、自警団の面々が集う。
中心となり、終いには胴上げまでされる彼女を見て、
「イナバは若いんだから、まだ私達と違ってやり直せるかもね」
「私の次に若いんですから、なんとかなるでしょう」
「……そういうことにしといてあげるわ」
永琳に睨まれた気がするが、輝夜はこれを無視した。
眼を閉じると、声が聞こえる。前方からは胴上げに伴う歓声が。後方からは文句を言いつつも安堵を心とする人々の声が。
「さて、先に帰りましょうか」
一陣の風が吹いた時、屋根の上には誰もいなかった。
●
東の稜線に沿う光がある。
未明を過ぎて朝となろうとしている日の光だ。
明るさが生じた事で、里に幾つもの影が見える。
路上にある無数の陥没口、剥がれ、或いは破損した瓦。いずれも戦闘の足跡だ。
濃くなる影の中で、立つ人影がある。
赤い瞳の鈴仙と、慧音、妹紅、自警団の面々が太陽を背にしており、おくうとお燐が正面に受ける形となっている。そして後者は地の上で正座になり、二人に挟まれる形で立つ姿がある。
紫色の髪、赤い瞳のイミテーションを左胸に携えた少女だ。少女は頭を深く下げ、
「このペット達の折檻は後でやりますが、ペットの責任は飼い主にあります。地霊殿の主
として、ご迷惑をお掛けした事を謝ります。あ、補償もちゃんとしますので」
「古明地さとり、だったか。謝罪は受け取るが、ご覧の通りだ。幸い死傷者こそ出なかったから良かったものの、一歩間違えれば大惨事になっていたかもしれない。そこを――」
「――ええ、よく言い聞かせますし、里の出入りも禁じさせます」
「随分と察しが良いな……まぁ話が早い分にはいい。
出入りに関しては別に禁じなくてもいい。酔っぱらいの馬鹿騒ぎは、ままあることだしな」
禁じない、という慧音に対し、さとりは表情を柔らかいものに換え、
「そう仰って頂けるとありがたいです。……もしまた出入りできなくなってこの子達があれこれされるかと思うと不憫で不憫で……」
「あたい達が不憫なのはさとり様の所為じゃ――痛っ!? 手! 手はまだ再生しきってないギブギブ!」
「うるさい馬鹿猫。後で徹底的に口を割らせますからね」
手をにじられるお燐と、力を使いすぎたのか魂が抜けたかのように呆然とするおくう。
彼女らの虐げられる様を見て、鈴仙は懐かしさを覚えた。
……あの子達とは意外と仲良くできるかも知れない……。
さとりの行動にある面影が重なる。本当は重なってはいけない気がするが。
そう思いながら周りを見渡す。
すでに町には活気が戻り始め、他地域から品々を運ぶ商人が行き交う。
彼らが避ける破壊跡では地元の大工らが修復作業を行っていて、今朝方になって業務を引き継いだ"め組"が交通整理を担っている。しかし陣笠の鉄三郎はまだ残る仕事があるのか、あれこれ指揮をしている。時折こちらをチラ見するが、その顔は、慧音にすべてを任せる、というものだ。
この中で一番疲労しているのは彼らだろう。その代表格がそう言うなら、里の被害や人心はなんとかできる。
視線を戻せば、さとりが大柄な一本角の鬼と、彼女が抱える二人を連れて帰ろうとしている所だ。
交渉を終えた慧音は妹紅と何かを楽しげに喋っている。
胴上げの感触が残る背中で、
……そろそろ、帰ろうかな。
竹林の中にある屋敷、そして彼女らを思い出す心は、寂しさからではない。
思い起こせば追い出されたようなものだが、すでに二日の期限は過ぎている。戻っても問題はないだろう。
ふっ、と息を漏らし、立ち去ろうとして、
「待て」
引き留める慧音は、柔和を声としてこう言った。
「……忘れ物があるぞ」
●
幻想郷のいつもの朝がある。
しかし里の一角では様子が違っていた。
上白沢の家の前で、三人分の人影がある。
一つは、家に向き合い、別れを告げる者だ。
「そういや、遅くなってすまなかった。輝夜に出会っちまってな……」
妹紅が罰が悪そうに、頭を掻く。
「いえ、それより姫様と遊んでくださって、ありがとうございました」
桜色の着物に、薄紫色の髪が映える。
耳こそ無いが、そこには妖兎、鈴仙・優曇華院・イナバがいた。
「また、遊びに来てくれ」
「はい」
慧音の言葉に送られ、二日ばかりの家を後にしようとした。
「――では、これは忘れ物、もとい宿題だな」
振り返ると、慧音は何かを手渡してきた。手の内を見ると、
「これは、徳利……?」
「昨日もらっただろう? 一本はお前のものだ。
……それを反省材料に、今度は失敗無しで頼むぞ」
受け取って、息を吐いて、慧音を見て、
「はい!」
踵を返す鈴仙に、無言で手が振られる。
互いにそれは、少しばかりの別れだと知ってのものだ。
そもそも、自分達はいつでも逢えるのだから、と。
●
里と迷いの竹林の間、人影のない道、迷いの竹林へと向かう道中に少女はいた。
少女は桜色の着物に、青い髪、赤い瞳をしている。
手には徳利があり、所々曲がっているが、鮮やかな模様が絵付けられている。
春が。
雪も向日葵も無い、普通の春が過ぎようとしている。
少しばかりの異変があった春が。
終
春が。
雪も向日葵も無い、普通の春が過ぎようとしている。
それは異変において被害者となりやすい人間と里にとって、有り難く享受すべきものだ。
享受とは、味わい楽しむという意味もある。妖怪達に負けず劣らず、人間達もまた宴会に勤しみ、外で団子の方をつまむことで享受を得ている。
だからこの季節は特に、彼女達にとって繁忙期と言えた。
「――ってなわけで、宿酔に効く薬があればもらいたいんだけどねぇ」
人柄の良さを感じさせる女の声が聞こえる。
それは人間の里の一角、長屋の玄関から響く会話のものだ。
尋ねる和服の中年女性に対し、問いを含んだ少女の声が返した。
「常備じゃないので有料ですが?」
「あー大丈夫大丈夫。先生ん所のは前にも買ったし、そんくらい払えるって」
「そうですか。では次回お持ちしますので、代金はその時に」
「悪いわねぇ。本当は川にでも沈めときゃ治るんだろうけど、あんたの先生ん所はすぐ良くなるし安いし……」
カラカラと笑い声を上げる女に対し、少女は頭上の兎耳を少しも動かさず、軽く頷いた。
「ええ、師匠の薬ですから。それでは次もありますので」
「悪いわね。じゃあ頼んだわ」
兎の少女は浅く一礼し、灰色のスカートを翻して足音を遠くした。
薄紫色の髪が、曲がり角の向こうに消えたのを見て女性は引き戸を閉じる。
木と木がぶつかる音が立つと同時に、背後からうめくような男の声が聞こえた。
「いつつ……」
振り返ると布団がのっそりと動く様が視界に入った。
布団から這い出たのは、無精髭を生やし、片手で頭をさする中年の男だ。
「……あー昨日は飲み過ぎた。おいかかあ、あれだ、薬くれ」
「この間も同じ事やってあんたが飲み干しただろ。さっき、いつもの娘に頼んだから今日は水飲んでおとなしくしてな」
女は呆れた表情をしながらも動いた。その先には水瓶がある。
「んなもん見てたから知ってら。……ところでよ」
「なんだい?」
戻ってきた女からお盆に載った湯飲みが差し出されると、男は半分ほどを一口にして、
「あの兎の嬢ちゃん、目も合わさないで相変わらず愛想悪いねぇ、もったいない! ――いでっ!?」
男の軽口に女が盆で頭を叩くと、男は頭を抱え大げさに痛がる。それを意に介さず、
「なにがもったいない! だよ。緊張してんのも分からない癖に」
「緊張? ウチに来るの初めてじゃないだろ」
男の記憶では、あの青い服を着た兎の少女は季節の変わる頃に家々を尋ねて回っている。
その他にも里で竹細工を売ったりするなど、単なる薬売りというより商売人に近い。
しかし客商売をするには素っ気ない態度で、淡泊な口調は丁寧だがよそよそしすぎる。
里に来るようになって一年はとうに過ぎているというのにその態度は、生来の性としか思えなかった。
だから緊張という言葉には疑問を抱く。
初対面ではない、そして力関係で人間を圧倒する妖怪である彼女が、人間相手に尊大な態度をとることはあっても緊張することなど考えられないからだ。
「……なんでよ? おめえ、他に里に来る妖怪に緊張なんてする可愛げのある奴いねぇだろ?」
「さあねぇ、あの娘にもいろいろとあるんだろうさ。とりあえずとっとと顔洗ってきな、だらしない」
「へいへい……痛つつ」
とりあえず仏頂面でも良いから、早く宿酔の薬を持ってきてくれと、男は残りの半分を仰いだ。
●
人間の里から他所に移動する道のいくつかは、街道として整備されている。
主に各地の集落と接続するもので、故に支線は獣道に近くなる事が多い。
日が夕陽へと移り変わる頃、伸びる影の先に少女がいた。
里で薬を売っていた、兎耳の少女だ。
すでに視界として捕らえている迷いの竹林へ向かう足取りはゆっくりとしたもので、その顔はそれを追っている。
少女は、疲れを声として出した。
「はぁ……今日も疲れたなぁ」
背面のほとんどを覆う薬箱を、時折背負い直しながら歩みを進める。
薬箱とはいえ軽い物ではないため、歩くより飛んだ方が負担は少ない。だが、
「うちに帰ってもどうせ雑用だしなぁ」
薬の消費と里の状況、宿酔の薬ほか注文品。それらを報告し終えれば師匠、八意永琳の手伝いか掃除洗濯家事雑事。後は他の兎達と共に竹細工に精を出す、といったところだ。少しばかりの時間稼ぎは許されて然るべきだと、自身に言い聞かせる。
「ま、どうせいつもやってることなんだけどね」
慣れを通り越して何も変わらない、永夜が終わってから続く繰り返しの日々。
意外と変化のない日々をやはり退屈だと思う時もあるが、それ以上に思う所がある。
「……地上人との接触は疲れる」
月にいたころでさえ、おおよそ顔見知りの月人としか会っていない。というのに、他人、ましてや自分達の敵とされた人種だ。個々人に恨みはなくとも心中は穏やかではない。
直すべきものだとは分かっている。だが現実には直せていない。
妖怪の感覚では短いが、人間にとっては相応の年月がファーストコンタクトからすでに経過している。早くどうにかするべきと常々師匠に諭されはするが、
「最初の地上人との接触があれじゃあねぇ……」
今でも時々うなされたりで、トラウマになっている。
紅白や黒白やメイドや幽霊が徒党を組んで押し寄せてくる異変は、聞く限りではあの永い夜以外には無い。後に知る事となった彼女らの強さを考えると、よく逃げ出さなかったものだ。もっとも逃げ場は自分で封じていたため実行不可能だったが。
……次は逃げ場を用意しよう……。
優秀な軍隊は退路も確保すると聞く。今度からはそうしよう。
心の中で握り拳を作るイメージを浮かべたあたりで、少女は日陰に入ったのを感じた。
足は間もなく、迷いの竹林を踏む。
●
鬱蒼と生い茂る竹は、林と言うより森の様相を示していた。
だが、森とは違い生物の音は無い。竹林は生き物にとって住みにくい土壌だからだ。
生の無い土の上を歩む姿がある。
青いブレザーに薬箱を背負った、兎耳の少女だ。
空に朱色が混じる頃、その少女は一つの屋敷の前に辿り着いた。
長く続く割竹の塀に、瓦とヒノキ皮が混在した屋根は、古い日本式邸宅のそれだ。
少女は四脚の正門を向こうに見て、やや小さく作られた扉の無い簡素な門――薬医門をくぐった。彼女は玄関となる引き戸を開け、一言帰ってきた事を告げるとそのまま靴を脱ぎ屋敷に上がる。廊下に置かれた待合用の椅子を横目に、診察室とある表札の部屋に入った。
多種多様な薬の入り交じった匂いがする中、机に向かっていた銀髪の女性が顔を見せる。
「戻るのが遅かったわね。サボってたのかしら、うどんげ?」
「そ、そんなことはありませんよ。ちょっと色々と話しかけられただけで……」
「あら? そんな世間話が出来るようになったの、いつの間に?」
「そ、それはあの、えと……」
しどろもどろになる兎の少女、鈴仙・優曇華院・イナバを見て、師匠、八意永琳は溜息を吐き、椅子を半回転させ顔の向きと身体を合わせた。
「うど――、いえ、レイセン。貴方、地上人と接触して短くないわよね? 私達が"あの日"までの生活を繰り返していたなら今の貴方でも問題はなかった。けれど今は、地上人と円滑なコミュニケーションを取る方が重要だと理解してないのかしら?」
「理解は、してます。ええ。ただどうにもまだ慣れが必要で……」
「そんなことでは慣れるまでに百年はかかってしまうでしょう。地上人は百年もあれば三世代は変わってしまう。その変化の間にこの家がどうなるか……」
どうなるか、と問われ鈴仙は考える。人が変わるということは、
……この永遠亭も、いつまで受け入れられるか……。
もし自分達が地上人の敵対者と知られたら、"妖怪討伐"の名の下に攻め込まれるかもしれない。良き隣人としてあるならば弾幕ごっこで済むかも知れないが、不気味な竹林の住人としてあればどうなるか想像に難くない。逃げるのも返り討つのもただの人間相手なら難しくないが、それでも幻想郷から出て行く事にはなるだろう。それは避けるべき事態だ。
「……そうですよね、私が頑張らないと永遠亭が――」
「……そう、財政破綻しかねない」
「…………は?」
「なにか?」
「い、いえ。その、私がフレンドリーにしないと幻想郷を出て行く事態に陥る危険性は?」
「そんなのどうでもいいわ」
どうでもよくないだろ! と鈴仙は心の中でツッコんだ。
「それより問題なのは、如何にして輝夜の生活水準を保つか、よ?」
「心配するほど豪勢な生活していましたっけ?」
長年の逃亡生活からか性格からか、輝夜の生活はむしろ質素と言える。無論、そこらの小作人のような生活ではないが、それでも月の王族と考えれば中流階級に毛の生えた程度の生活は慎ましいと言える。そしてそれに、輝夜が不満を抱いている様子も無い。
「なにも衣食だけではないわ。この永遠亭もすでに時が流れている。私達はともかく。……だいたい藤原の小娘が来襲してくるといつもどこかしら破壊されるじゃない」
「半分は姫様ですけどね……」
鈴仙の覚える限り、永遠を生きる蓬莱人の二人は破壊に鈍感だ。屋敷を主戦場とされると流れ弾であちらこちらが傷つく。だが姫様、蓬莱山輝夜は自分の屋敷だろうとお構いなしだ。
半目になって視線を永琳に送るが、永琳は明後日の方向を向き、さて、と話題を変え、
「……さて、そんなわけで修繕は貴方達がやるにしても建築材までは手が回らない。里から購入するならお金が必要になる」
「色々と言いたいですけど無駄なので放置するとしまして。……薬やいらない物と物々交換では駄目なんですか?」
「常備薬は人心を掴むための物だし、特定の病にしか効かない薬を常日頃から必要としているわけはないわ。需要がない時に売っても二束三文。いらない物についても、彼らの生活水準で必要とされる物ではない嗜好品がほとんど。大名でもいれば話は別だったかもしれないわね」
「だから、竹細工なんですか?」
「材料も豊富で、しかも私が月のを再現した竹細工製作機があれば地上人には到底真似できない細工が可能だわ。超合竹ロボット"ソユーズ"とか」
「今はもう"真・ソユーズ"になってるって月では言ってましたよ。相変わらず攻撃手段が無制限飽和攻撃一辺倒で保守的だそうですが」
「さすがに竹では四次元兵器庫まで再現できないのが残念ね」
なにはともあれ、と永琳は一息置き、
「そういう玩具にしても日用品にしても需要は普遍的に存在するわ。その上、人件費もかからないから原価率低いし、税金もせいぜいショバ代ぐらいだし」
「たまには私達の食事代ぐらい思い出してやって下さい」
「あー、さて」
「また誤魔化して……もういいですけど」
言葉通りの表情をする鈴仙を見て、永琳は苦笑した。そして己の頬に手を突いて、
「結構、貴方達の役割は重要よ? いずれも外部に依存する以上、接触する人物によって売れ行きだって変わってくる。愛想良くして良い印象を与えられたなら次へと繋がるチャンスになる。だけど主力の貴方がこれではねぇ……」
「うぅ……で、ですが私だって人とまともに接する事が出来ない理由があります!」
「エロオーラ以外になにが?」
何か言った気がするが気にしないようにしよう。
「……私の眼は、ご存知の通り人間なら無差別に狂わせてしまいます。相対する事が出来ないなら円滑なコミュニケーションのしようがありません」
鈴仙の瞳は狂気の瞳という特殊能力を持つ。見る者を、特にただの人間に対しては狂気を宿らせてしまう効果がある。そしてそれは短時間ならまだしも、人と目を合わせなくてはならない会話では確実にそうさせてしまうだろう。
「なるほど、貴方はつまりこう言いたいのね? 『この眼が悪いんです』って」
「えぇそうです。玉兎として生まれた以上、この眼が――」
悪い、と言いそうになった所で鈴仙は背筋に悪寒めいたものが走ったのを感じた。目の前を見れば、先ほどと変わらなく平静な顔をした永琳がいる。
「?」
最近の自分はどうにもネガティブ思考になりがちだ。きっとこれもその類だろう。いやそうだ。そうであってほしい。ポジティブ思考の自分頑張れ。
「それにしても、眼、ねぇ……。それは玉兎の特性である以上は仕方が無いわ。蓬莱の薬を服用したとしても、本質的な部分まで治療は出来ないし」
「禁断の薬をそう簡単に持ち出さないで下さいよ!」
「……冗談よ。だいたい造れる事と造る事は別よ?」
「それはそうなんですが、師匠が言うと冗談にならないというか……」
言うべきことが無くなり、沈黙が訪れる。
竹の葉が掠れる音が風を知らせ、室内の空気に動きが生じた時、永琳もまた動いた。それは立ち上がるもので、次いで、
「さて、そろそろ夕餉の支度をしないとね。今日は私も手伝うからさっさとしましょう」
鈴仙の脇を通り抜けて廊下へと出る。
師匠が炊事にと立つのは珍しいな、と鈴仙は思った。だが絶無な事ではない。
永琳の言葉に素直に頷き、診察室は無人となった。
●
幻想郷の朝は早い。
人口の大半を第一次産業が占めるため、日が昇ると同時に多くの人が活動を始めるからだ。
活動は新たな活動を生む。そしてまた、活動する理由も一つとは限らない。
それ故に、農家ではない永遠亭は動いていた。
屋敷の主、輝夜の起床はまだ先だが、それに向けて、掃き、炊き等の音が奏でられる。
廊下を行き交う使用人の兎達の中、内庭に面する一角に従者の一室があった。
障子越しに外光が照らす和室に、一組の布団が敷かれている。
布団の上、半身を起こし腕を上げる伸びをするのは、鈴仙だ。
彼女は緩慢な動きで立ち上がり、寝間着代わりのYシャツを軽く整え、スカートを穿いた。忙しくなり始めた音を遠くに聞きながら、廊下を欠伸しながら行く先は、共同の水道場だ。
板張りの一室を与えられた水道場は、永遠亭の外観とは違い近代的だ。大きな一枚鏡に陶器製の洗面台が複数、加えて各々にドライヤーと温度調節式の蛇口を備えている。
……こういう時は現代生活がありがたいわ。
何気ないが、月よりやや古いぐらいで近代生活が送れることは奇跡的と言える。
幻想郷の文明水準は外界とは比較にならない。幻想郷たらしめるのに必要な措置だが、地上の外界よりさらに発達した月で生活していた身で、お湯が自在に出ない生活は苦しい。
蛇口をひねり、ややぬるめに調節された水を顔に付けた。
二度三度とこすりつけ、鏡を見てまだ目ヤニが取れていないかを確認する。
「……?」
正面、鏡に映る姿を見て違和感を覚える。どこが、と言えば、
「眼と髪が――」
黒い。
赤い瞳が、薄紫の髪が、黒い。
光の加減かと角度を変えて映してみるが、どこからどう見ても黒目に黒髪で黒い。
「ちょっとまってよ!?」
まさかと思い指先に力を込めてみる。軽く弾幕ごっこに使用する弾を放つつもりで、しかし、
「……やっぱり」
出なかった。否、正確には出すための力そのものが失われていた。
赤い瞳は狂気を宿す。つまりは自分の力を表わすものだ。それが黒目となり消失している。
何故か?
問うまでもなく、心当たりがある。
「こんなのが出来るのはあの人ぐらいしかいないじゃない……ッ!」
鈴仙は黒髪をなびかせ、駆けだした。
その目には怒りを宿して。
●
「師匠ッ!」
怒声と共に永琳の居室に乗り込んできたのは、黒い瞳の鈴仙だ。
一目で分かる変容に驚く事もなく、すでに身支度を終えていた永琳は、
「……どうしたの朝から。騒がしいわねぇ」
「これは絶対に師匠の仕業ですよね! ってか伏線から考えて師匠以外にいないでしょ!」
「一人ボケ一人ツッコミは虚しいだけよ」
対面の壁の下、背を向け座卓に向かったまま、
「誰がボケですか。というか解毒薬ください! ないでしょうけど!」
「忙しない子ねぇ。――解毒薬ならちゃんとあるわよ」
「へ? ……今回はあるんだ……」
大抵の場合、解毒薬は無く自然治癒に任せるままにされている。実際苦かったり辛かったりすることはあったが、本当に解毒薬が必要なほど危険だった事は無い。解毒薬を求めるケースは、精神的に最悪なものか身体的な支障がある場合だ。今回は、
「精神的にも身体的にも最悪ですよねこれ!? 能力も使えない、弾幕も撃てない――」
「――おまけに身体能力も人並みね?」
「弱肉強食の幻想郷で死ねと仰いますか!」
あーはいはい、と言いつつ、永琳は栄養剤のものにも似た茶色い小瓶を投げて寄こした。
「ご所望の解毒剤よ。……でも、貴方が能力失ったぐらいでそんなに慌てふためくとはちょっと驚きね」
外見は栄養剤の癖になぜか金属ではなくコルクの封を開け、三回ほど喉を鳴らして飲み、
「……そりゃ慌てますよ。身体能力まで人間じゃ生存すら危ういですし」
「でも、人間は生きてるわね?」
それはそうだ。巫女や魔法使いの存在で忘れられがちだが、本当に普通の人間でも道具を駆使して妖怪と戦う事は出来る。
「それに、人間の里は妖怪が襲えない決まりじゃないですか」
里は妖怪の賢者により安全が保証されている。里以外でも人間の集落が襲われる事はそう無いが、特に里は人口規模もありそもそも容易に襲えるようなものではない。
「じゃあ貴方も里に行けば安全じゃない」
「そんな必要ありませんよ。……大体、私は玉兎、妖怪の側なんですから」
「人間の側の領域に踏み込みづらいのはそれで?」
問われて、考える。
……どうなんだろう……。
確かに種族の違いという溝は深い。人間を親友という河童ですら里は"出かける"対象だ。しかしここで言われている領域とは、物理的な意味ではないだろう。だとすれば、
「……人間、ましてや地上人と理解し合おうなんて無理ですよ……」
「そう。――じゃあ、はいこれ」
言うと同時に立ち上がった永琳は、鈴仙と正対すると右腕を前に出した。腕の先には一通の白い封書がある。受け取って表と裏を交互に見てみるが宛名はない。
「これがなにか?」
「貴方には朝食の後にお使いを頼むわ」
「はぁ。……それでどちらに届ければ?」
永琳は立ち上がると踵を返し、
「人間の里――」
彼女がすれ違い様に呟く名前は、よく聞き知ったもので、
「――上白沢慧音よ」
●
日が天頂に至ろうとしている。
人間の里では炊事の煙が最盛期を迎え、あちこちから良い匂いも漂い始める頃だ。
里の外縁、やや離れてこぢんまりとした一軒家がある。表札には『上白沢』とあり、またそれよりも大きく『自警団』の札が隣り合わせに掲げられていた。
中からは包丁がまな板を叩く音がする。奏でるのは、青のかかった白髪の少女だ。
彼女が釜の蓋を開けると、一瞬、蒸気が溢れ視界が白くなった。だが、すぐにまた晴れる。
晴れの下で米が炊けている事を確認し、配膳用の器を棚から取り出しに釜の前を離れた。
「ん?」
棚から器を取り出そうとした時、表の戸が叩かれる音がした。
「妹紅か……早かったな」
一人の名を呟きつつ、手近にあった手ぬぐいで軽く額の汗を拭き扉へと向かった。
引き戸を開いた時、目の前にいたのは見知らぬ少女だった。
「こ、こんにちは……」
可愛らしい少女だと慧音は思った。長く伸びた黒髪に、桜色の和服がよく似合う。
人の覚えには自信のある慧音だが、
「えーと、どこの娘だったかな……」
百姓、というよりは市街地に住む中流以上の生活をしている様に見える。そのような階層の住民は限られており、知らないという事はないはずだった。しかしど忘れなのか見覚えはない。
……どこかで見たような気はするのだがなぁ……。
困ったような顔をしたのに気付いたのか、眼前の少女は、えー、と前置きを入れながら、自分の名前を発した。
「永遠亭のうどんげなんですが……わかりませんよねぇ」
「うどんげ!? ……ああ、何かの罰ゲームかコスプレか」
ああってなんだよああって! と内心でツッコミを入れつつ、
……どちらかというと罰ゲームだよなぁ……。
仕方が無く、何故自分がこうなったかを説明した。
今朝、気付いたら人間同様、というより人間になっていたこと。
それが永琳が密かに混入させた謎薬によること。
何故か永琳が持っていたものを無理矢理着せられたこと。
空も飛べないので、ここまで歩きで疲れたし、妖怪にいつ襲われるかと怖かったこと。
だいたい師匠は悪戯が過ぎることが多すぎる。
この間もロウ原材料の羽根を生やされて『太陽行ってこい』言われたし。
酷いよね? 酷いですよね? 酷いよな? ってか頷けよおら。
「あーその、大変なのも苦労しているのも愚痴りたいのも理解した」
慧音が鈴仙の両肩を軽く叩き、悲哀といった眼差しを向けた。
「……それで? そんな苦労の後で何故私の所まで?」
「あ、すみません。手紙を届けに行くようにと……」
目尻に浮かぶものを拭い、懐に持っていた封書を慧音に手渡した。
「そうか。大変な後だったのにすまない」
お使いですから、と鈴仙は諦めたように溜息を吐いた。
その様を慧音は、健気だな、と思う。そして永琳は非道かとも。
……元より人の道から外れた者だがな。
それを悪い事だとは思わない。すでに彼女らは妖怪に等しいからだ。それに、
……身内にもいるし。
瞼に思い浮かべるのは青空の下、白髪を風に揺らす少女の後姿だ。
さて、と瞼を開け、気持ちを切り替え、手元の封筒を手で破り開ける。
鈴仙は封が開けられた事で、何かしらの返事が来るだろうと思い、立ち去ることなく慧音と共に立ち、読み終わるまで待った。
ほどなくして読み終えた慧音の表情は、
……困ってる?
眉をひそめ、訳が解らないといった風だ。しかし一度紙から視線を離し鈴仙を一瞥すると、納得したかのように頷き、再び鈴仙に視線を移した。
「お前はこれの内容は?」
「いえ、何も話されませんでしたが」
「そうか……。まったく何を考えているかと思ったが、まぁ良いだろう」
慧音は背を向け、家に足を一歩踏み入れたあたりで振り返り、
「昼食は食べていくんだろう? 一人分ぐらいならなんとかなるぞ」
「はぁ……」
確かにすでに昼時だ。ここから永遠亭に着く頃にはおやつ時になってしまうだろう。一歩踏み出し、
「ではお言葉に甘えて――」
「――なんだ、輝夜ん所のじゃないか」
背後から声が聞こえた。驚きではなく少しばかりの恐怖感に振り返ると、そこには白髪に大きなリボンを付けた少女が、手をポケットに突っ込んで立っていた。
「ああ妹紅、お帰り」
「ただいま慧音。……で、何かの使いか?」
妹紅と呼ばれた少女、藤原妹紅。彼女に鈴仙は覚えがある。それも十分すぎるほどに。
……姫様の敵、というより好敵手か……。
輝夜を度々襲撃してきて、また輝夜が強襲する相手だ。子供の喧嘩レベルで殺し合いをしている二人だが、鈴仙は輝夜の従卒として妹紅と何度も対戦している。最近こそ弾幕ごっこの為ケガ程度で済んでいるが、昔は半殺しにすら遭ったこともある。出来れば相対したくない人物だ。
「えぇ、ちょっと。……でも用事は済んだので帰るところです」
「そうなのか?」
へぇーと軽く理解した声を出す彼女は、悪い人じゃないと思う。だが過去を思うと苦手意識の方が優先された。
かつて、数日食べずにいた経験もある。人の身では不安だが、家に帰る程度の力はあるだろう。慧音の好意を受け取れないのは多少心苦しいが、そもそも昼食を厄介になるほど親好があるわけでもない。
鈴仙は、帰ったとして問題はないだろうと結論づけ、踏み出した足を引っ込めた。
「おい待て」
引っ込めようとして、それを慧音が呼び止めた。
「あ、すみません。昼ならなんとかなりますので」
「いやそうじゃない。……用事とやらは済んでいないぞ」
封を切られた筒が寄越された。中には先ほどの手紙があり、恐らくは読めということだ。多少はばかられたが、取り出し、見る。
紙面に躍る文章は一文だけで、
『優曇華院は人間になりました。二日ぐらいは戻らないのでそちらで面倒見てやって下さい』
一瞬があり、
「……by八意永琳。ってなによこれ――――!?」
人間の感情が折り重なった絶叫が響いた。
●
ちゃぶ台の天板は温もりを持っている。
先ほどまで昼食が並んでいたからだ。
皿はすでに片付けられ、食後の茶が三つ並んでいる。
今、ちゃぶ台のある家には三人いるが、正座をしているのは鈴仙だけだ。慧音は台所で片付けをしており、妹紅は座布団を枕に寝転がっている。
居間兼ダイニングの六畳で、正座の鈴仙は所在なさげに視線を動かしていた。
……人の家に上がるのなんて久々だなあ……。
しかも予定では、しばらく泊まることになる。慧音と妹紅からは気軽にして良いと言われてはいるが、落ち着かない。それは久々の見慣れぬ風景ということだけではなく、
「あの、何か手伝う事はありませんか?」
片足を立て慧音に問うが、すでに洗い終わるところだと返される。すでにこのやり取りは三度目だ。
再び座布団に座り直したところで、妹紅に話しかけられた。
「なぁ。そんな気にする事ないんじゃない? どうせアレの仕業でアンタに責任ないんだしさ」
「後半そうなんですが……前半はそう、気にするな、というのは難しいですね」
「ここは別に永遠亭じゃないんだ。仕事自体無いし」
「永遠亭では暇がそんなにありませんでしたから。常に仕事をする癖がついてしまったみたいで……」
人材不足の永遠亭では、仕事がとりあえず出来る者は他者の分まで押しつけられるのが常だ。朝からの仕事に加え永琳の下で勉強する事も含めると、何もしていない時間は貴重だ。そしてその貴重な物が今、溢れるほどにある。
だが貴重品も使い道あってのものだ。普段なら軽く寝てしまえもするが、生憎と眠くないし、来て早々に寝転がるのはどうかと思う。
「……暇な時って、なにをすればいいんでしょうか」
「……そいつはまた難しいね。わざわざ考えた事もなかった」
妹紅は驚いたような、それでいて感心するかのように目を丸くした。
そして涅槃仏の様に右手で頭を支え、目を閉じ思案する。
唸りながら考える彼女の口が開く前に、
「とりあえず、散歩でもしてみたらどうだ?」
言葉に振り返ると、居間に戻ってきた慧音が座ろうとしていた。
散歩、という言葉を聞いて妹紅が目を開く。
「散歩か……いいんじゃない? そんなにこの辺見て回った事ないだろう?」
「いえ、この辺りも何度か薬を届けに」
地図を見なくても道が分かる程度には。そういう趣旨での返答だったが、慧音は首を左右に軽く振り、そうではないと続けた。
「違う違う。そういうのは仕事で地図片手にだろ? そうではなく遊び、つまりは観光のようなもので里を歩いた事はあったか?」
「それは……ない、ですね」
使いや仕事として来る事はあっても、見て回るということはしたことがない。
「なら行ってくると良い。知らぬのなら楽しめる風景もあることだろう」
●
人間の里は複数区画に分ける事が出来る。
長屋の隣に蕎麦屋があることも多いが、大雑把に居住地域や商業地区といった区分けが為されている。
慧音の家は里の外側に位置するが、これは他の集落に出やすい利便性と外部からの侵入者警戒の目的からだ。
商業地区は賑わう中心部が主だが、故に外れた場所では地域密着型の商店が周辺住民の主な買い物どころとなる。しかしこうした店の品揃えは需要に特化しており、日用品以外は入手しにくい。
中心部へと向かう通りで、日用品以外を満たす小規模な市が開催されていた。
嗜好品や装飾品が中心の市には子供や少女が目立ち、いずれも物珍しい商品を遠巻きに、或いは手に取り笑みを見せる。
賑やかな雑踏の中で一人、周囲の風景そのものを見渡す姿があった。
耳が無く、黒い髪を揺らす鈴仙だ。
「へぇ……こんなに人がいたんだ」
里の人口規模はおおよそ把握している。だが小さな市とはいえ比較的大きな通りが狭いと感じる光景は実感を生じさせた。しかもこれで里の一部、地上人の一つまみにも満たないというのだから驚きだ。
行き交う少女達が、外見年齢だけで言えば自分と同世代の顔が笑顔でいる。
平和だ、と思い、また、久しい、と思う。かつては自分もあのような笑みを見せていた時があったのだと。
「……少しだけ」
ふと懐かしさが甦り、あの集団の近くに行ってみたいと思った。
敷物を路上に敷いただけの露天に近寄ってみた。先ほどの少女数人が、かんざしやくしと言った装身の装飾品を眺めながら、仲間内で評価と唐突な雑談を繰り返している。
……ま、どうせ買わないんだけどね……。
共通の話題を持つ事が楽しい。よしんば買うつもりであっても、この様子ではまだまだ店前で"相談"をしていることだろう。木箱を椅子にする壮年外見の店主も慣れているのか、それを咎めることはなく、少女達の"雑談"をBGMとしていた。
「お?」
こちらに気付き、商人が、らっしゃい、と挨拶をしてきた。少し心拍数が上がったが、どうにか会釈で返す。すると商人の男はにこやかな笑顔のまま屈み、敷物から何かを拾い上げた。
それは滑らかな光沢を放つ、小さな髪留めだ。
男は手を差し出しよく見えるようにして、
「どうだいお嬢ちゃん? あんた髪綺麗だから、こういうさり気ないのが似合うと思うんだよねえ」
「は、はぁ……どうも」
「彼氏だってきっと気に入るはずさあ」
「……あの、彼氏とかいないんですが……」
そもそも出来るような環境にないし、だいたい種族が違う。
鈴仙の返答を聞いた商人は、額を軽く叩いて大げさに、しまったー、と言葉を付けて、
「あちゃー失礼! 旦那の方でしたか」
「上! そこで上に飛躍するんですか!?」
「じゃあ何? 彼氏も旦那もいないってことは……」
一瞬の間があり、
「……彼女か嫁さん?」
「そこで斜めに飛ぶかあああ――!!」
「なに本当? あんたみたいのが独り身ってまたまたご冗談を」
ないない、と手を顔の前で横に振る商人。しかしそれを鈴仙は冷ややかな目で見つめ、
「――」
沈黙で返す。
「……本当?」
頷くと、男は三度、頭を縦に振り心底驚いたように目を丸くしながら、
「へぇーもったいない。あんたぐらいなら好き放題食い放題だろうにさ」
食い放題って何!? 食い放題って!! と思うが、そこでいい加減このやり取りにも疲れを感じた。それは今朝からの蓄積でもあり、また、
……地上人、いや、見知らぬ人と話すのはやっぱりなぁ……。
営業として、ビジネスとして立ち回るのなら言葉は選ぶだけで済む。だがしかし、アドリブで初対面相手に話すのはやはり難しい。
「……もういいです。帰りますから」
男は商人らしく去る者は追わなかった。次の言葉は、まいど、という常套句で締められ、鈴仙は安堵の気持ちを得る事が出来た。男と少女達に背を向け、次はどこへ行こうかと考える。
「――?」
考え始めた所で、鈴仙は違和感に気付いた。
……人が。
見れば通り沿い、先ほどまで各々に賑わっていた人々が全員、こちらに視線を寄せている。後の商人へのものだと思いたかったが、体中に突き刺さる感覚はまさしく自分宛だ。
何故かと己に問えば、思い浮かぶのは一つしかない。
……さっきの声、思ったより大きかった?
背中に嫌な汗が浮かぶ。それをお構いなしに響くのは、耳と口を寄せてのひそひそ話と、自分の店が注目されていると勘違いした商人の威勢の良い呼び込みだ。
「あ……その……」
顔に熱を感じる。それと同時に心に込み上げるものがあり、気がつけば、
「――ッ?!」
市の中を脱兎の足音が抜けていった。
●
「ん?」
悲鳴に近い声が一瞬聞こえた気がする。
大通りから一本外れた静かな道を歩きながら、意識は聞こえてきたと思しき方へ向ける。
ショートの白い髪から覗く耳が捉える方向は、
……前の方から……?
歩みを進める方角からそれは聞こえてきた。距離はそれほど無く、今から走れば何があったのか知る事ができるだろう。だが、
「真っ昼間、しかも向こうの通りの方か。大方、子供が泣きでもしたのだろう」
自分で言って納得させ、真っ直ぐに前を向いた。
背負う長刀が動きに合わせて金属音を鳴らし、自然と背筋が伸びる。それは支えが無くとも出来ている事だが、猫背の者からは疲れる姿勢に見えるらしい。
けれど骨格構造から言えば正しい姿勢の方が体への負担は少なく、楽なのだ。
……まぁ、自分は半分幽霊だし骨格とか本当にあるのか分からないけど……。
剣術を扱えるとはいえ、それは半人半霊流の剣術だ。人間からは年月の積み重ねが理由となり絶対に敵わぬとされているが、本当は微妙な身体の違いが差を生み出しているのかも知れない。
それはそれで良いと思う。ただの人間と半分違うことが力量差となることは、時に卑怯だとも言われる。しかしそのようなものは結局、流派の違い以上のものではない。
……そりゃあ鬼や天狗なら話は別なんだろうけど……。
自分の知っている彼女らを思い出し、敵うか微妙だと思う。
思いながら角を曲がった時、
「きゃあ!?」
「うわっ!?」
出会い頭にぶつかり、互いに尻餅をついた。
「痛っ……大丈夫ですか?」
「あ、はい。すみません、走っていたもので……」
「いえ、こちらこそ避けられなくて……」
普段の自分なら避けられただろうが、散漫になっていた自分を不甲斐ないと思う。それも一般人の少女にぶつかってしまうなど。
相手より早く立ち上がり、少女の手を取って引き起こした。立つ彼女は自分よりも背が高く、少しばかり自分の低さを考えた。
立ち上がった少女は乱れた前髪をかき分け、こちらを見た。
「――妖夢?」
魂魄妖夢という自分の名前を呼ばれた事に、妖夢は頭を即座に切り替えた。記憶を辿り、目の前の少女が誰かを思い出そうとする。しかし、
……どこかで見た様な顔ではあるんだが……。
思い出せない。
彼女は先ほど自分を呼び捨てにした。ということは割と近しい人に違いない。だがそれに思い当たる節は無かった。
……あまり聞くのは失礼だが。
「あの、申し訳無い。どうにも名前を思い出せなくて……どちら様でしたっけ?」
少女は問われ、一瞬目を閉じ溜息を吐いた。そりゃそうよね、と言ってから、
「永遠亭のうどんげです。信じがたいでしょうが……」
確かに、言われればそうだと妖夢は思った。しかし自分の記憶にある彼女は、このような髪や瞳の色をしていなかったはずだ。
何故こうなったのか。
理由を問うのは簡単だが、何も考えずに質問ばかりしてもいけない。考えつく理由で妥当なものと言えば、
「……夏毛に変わったか発情期か――」
「違ああああうッ!!」
里に再び、悲鳴に近い叫びが響く。
●
流れる雲が時に太陽を遮り、直下に影を作り出す。
長くて数分程度のものだが、日射しがやや強い日には涼しさを得られる。
それを心地良いと思いながら、鈴仙は妖夢は横に並んで、彼女の目的地へと向かっていた。
「なるほど……それはまた、気の毒に」
「いやいや気の毒って、そんな深刻な顔をされても」
鈴仙は口で言って、しかし自分の境遇を思い出す。
……今朝起きたら人間になっていて、それは師匠が夕飯に混ぜた薬のせいで、しかも元に戻るまで人の家に押しかけてろ、か。
「……ごめん、試薬実験とかに慣れていて不幸感覚が麻痺してたわ……」
「で、でも生きてれば良い事ありますって。私だって半分生きてるから良い事あるんですよきっと」
「逆に半分死んでるから幸せあるような気が……半分天界に行けるわけだし」
「今は行けないんですけどね……と」
妖夢が立ち止まり、鈴仙は視線の先を見た。
扉ではなく門がそこにはあり、表札には『稗田』の文字があった。
「それで、今日は何の用事で?」
この家に用事があるとすれば幻想郷縁起に関する事が考えられる。しかし現在の当主、阿礼九代目の稗田阿求の幻想郷縁起は出版されて間もない。
その事を悟ったのか、妖夢は首を横に振って、
「幻想郷縁起ではなく、別件ですよ」
龍を形取った鋳物の呼び鈴を鳴らすと、間もなく門が開き、侍女らしい女性が現われた。
●
案内された屋敷の中は鈴仙が見知ったものだ。それは薄い記憶だが、この家にも何度か薬を持ってきた経験からで、これまでは玄関近くの応接間に通され薬を渡すのがせいぜいだったが、
……思ったより広いんだなぁ……。
町中である以上、屋敷であってもその広さは永遠亭に及ばない。それでも今まで感じていた空間が広がるというのはある種の感動を伴う。
屋敷の奥、縁側の終着点となる和室の障子は開かれていた。
「ああ、お久しぶりです妖夢さん。……そちらの方は?」
文机から顔を上げた少女の言葉に、鈴仙は本日三度目の気分を味わった。
●
「まぁ、元気出して下さい。この事は私の中で留めておきますから」
「次世代にも残されるって事ですか……いえ冗談です。ちょっと考え方が暗い方向に行きがちになっているだけなんで……」
事情説明と後のやり取りを終え、鈴仙は眉尻を下げ、深い溜息を吐いた。
「……もうその話はもういいので、妖夢の用事に移って下さい」
「あ、はい。では」
阿求は正座から立ち上がると押し入れの襖に手をかけ横に滑らせた。
そして下段に入っている箱から何かを取り出した。それは、
「本?」
「はい。今度出版される新作です」
妖夢に手渡し、続いて鈴仙にも、
「よろしければお持ち下さい。どうせ余ってますので」
「ありがとうございます。……幻想郷ミシュランガイド?」
朱色をベースとした四色刷りの表紙には外来語らしきカタカナ語が躍る。しかし本自体は和装であり、また題名からはどのような内容か窺い知れない。
首を傾げる鈴仙の疑問の声に答えたのは妖夢だ。
「食事処の番付のようなものです。幽々子様が阿求さんに打診して製作が決定したもので、今回は出来上がったとのことで取りにいくように言われたんです」
「へぇ-。……それにしても幻想郷縁起以外にも本を書いていたなんて知らなかった」
阿求はその言葉に小さく笑い、
「えぇ、これ以外にも何冊か。きっと好きなんです。本を書くのが」
楽しく、嬉しいという表情をする彼女を見て、鈴仙は俯いた。
「? どうかされましたか?」
「……いえ、ちょっと考えてしまって。私が知る人間と言うのは、貴方のように知的ではなかったので……ごめんなさい」
謝る言葉の後、唐突な沈黙があり、風が流れる音がする。
座敷が雲の影に隠れ、風が肌寒さを運んだ時、
「……うどんげさん」
「はい」
やや暗いが表情はよく見える。その表情から紡がれる言葉は抑揚が無く、先ほどまでの少女はいない。
「私は人間です。ですが、今の貴方より人間ではありません。知的というのは所詮、"人間離れ"した能力故なのです。だから貴方が持つ人間観を修正するに足りません」
「――そんなことは」
「無いとでも仰いますか?」
口だけの微笑みで尋ねる阿求の前で、鈴仙は続けるべき言葉を見つけられなかった。
「私は一歩違えれば妖怪と変わりません。普通の少女だったなら、と思う事もあります。
でも、普通の少女って何でしょうね」
一息吸い、
「……私が知る、普通、というのは特殊な能力や短い寿命を持たないという程度の認識です。この過ぎたる力を輝かしい物だと思い、欲する人もいるのはなんとも矛盾した事ですが、私はそれを理解できます。理解した上で、私は九代目阿礼乙女として生きています」
羨む側が羨まれる側でもある。それを相容れぬ物としてではなく、理解できる物だと阿求は言った。
「貴方は――人間を指して知的かそうでないか言及し、一方で知的と評価するのは私を指しました。貴方の知る人間がどうなのかは分かりませんが、知的だという私は未熟で、しかも人間の中でも特殊な部類です。貴方が求める知的とは、狭く、程度の低い物です」
沈む顔、傍観する顔を尻目に、阿求は続ける。
「吾唯足るを知る。妖怪は人間より先にその境地に至ったとかつて書きましたが、不満ばかりを言い求めてばかりの貴方はそうではないように見えます。
……貴方はもう少し、人間を知るべきではないですか?」
まるで閻魔様に怒られているようだと鈴仙は感じた。
それは少女の外見や花のような声ではなく、言葉自体が持つ意味と心の重みがそうさせる。
和室に光が差し込んできた時、阿求は舌を小出しにしての微笑をしていた。
「閻魔様の所で働いた記憶もありますので、その声色を真似てみただけです。私のような未熟者が偉そうにしてすみません」
「いえ、謝らなくても。……私は知っているつもりで、何も知らないのは事実ですから」
「それが分かって頂けたのなら良かったです。実は貴方の言動でちょっと……」
言い淀む。何か自分が気に障る事でも言ったのだろうか、と鈴仙は思った。
「あの、どうぞ仰って下さい。素直に受け止めますから」
そうですか、と阿求は安心したように顔を明るくした。
余程言いにくい事なんだろうかと考え、それに対する身構えをするべきだと覚悟する。
一方で好奇心もある。ここまで言いにくい事とは何だろうか、と。
期待と不安を伴った視線の先、阿求が口を開いた。
「実は――――座薬無理矢理入れられたり普段から虐げられたりの被虐生活を聞いていたら、こうっ嗜虐心がムラムラっとわき上がってきまして。泣き顔見てみたい! みたいな?」
「あ、見てみたいかも」
「長い溜めの後であんたら最悪だ――ッ!!」
●
慧音と妹紅は、玄関が開く音と人影を見た。
夕陽で赤みがかるシルエットは、憔悴した顔の鈴仙だ。
「大丈夫か? 散歩の途中でなんかあったのか?」
妹紅が尋ねる。
「いえ、精神的に疲れただけですはい……」
妹紅と共に茶をすすっていた慧音は湯飲みを置き、
「疲れたか……では仕方ない、今日は家で食べる事にしよう、妹紅」
「まぁ慧音がそう言うならいいけどさ」
「どこか食べにでも行くんですか?」
「ああ、今日はうどんげもいることだし外にしようかと考えてたんだが、無理をさせては本末転倒だからな」
少し遅くなるが我慢してくれ、と慧音は立ち上がる。夕食用の買い物はしていない為、ありものが中心となる。折角の客人初の夕食が申し訳無い。
……ここで心労を重ねさせてはいけないからな。
豪華な物は無くとも、もてなしの心がある。客人に与えるべきはその先にある安らぎだろう。
「さて何が良い? とはいっても今からでは大した物は用意できないが」
「あの……」
話しかけてきたのは、扉を閉め内側にいるものの、まだ履き物を脱いでいない鈴仙だった。
「どうした? 早く上がって座ったらどうだ。この際、妹紅のように行儀悪く寝転んでいても構わないぞ」
「行儀悪くって、人のことそんな風に思っていたのかよ」
ぶーぶーと口から出して抗議した妹紅だが――、
……ああ、怒ってもその頬が膨らんだの最高だよもこたん……。
――鈴仙の行動は気になるようで、慧音と同じ先を見た。
●
二人がこちらを見た事で、自分が注目されたのだと感じる。
一人、慧音が惚けたような感じだが、自分が変に口を挟んだ所為だろう。
鈴仙は少し戸惑いながらも、
「あの、外に行くのでしたら構いませんよ?」
奇妙ににやける慧音はそれを聞いて、一瞬の後に真面目な顔に戻り、
「――ん? ああ、別に夕飯を作るぐらいいつものことだ。気にしなくていい」
妹紅もたまに作ってくれるがな、と手を顔の前で振って構わないとした。
鈴仙は慧音の言葉を聞き、少し逡巡してから、
「……えと、そういうのではなく、その、私も外で食べてみたいというか……。疲れたと言ってもおかしな言動する人達がいないんで、今、精神的には十分回復してます」
確かに外から見る彼女に暗さは無く、食べてくる程度の事は可能に見える。
「いいじゃん慧音。大丈夫だって言うんだったらさ。むしろなんか旨いもん喰った方が疲れも取れるって」
妹紅の後押しが決定打となった。
「――そうだな。なら行くとするか。今日は私の奢りだ」
外へ向かう三人は、三者三様に笑みを浮かべた。
●
賑わいの音が、夕暮れの空に響く。
地上から放たれる赤と黄の光は、店先の赤提灯と店の灯を光源とする。
人間の里、飲み屋を中心とする歓楽街だ。
通りを行く男達が横目にするのは客が入り始めた店中の様子だ。各々に馴染みの飲み屋や手近な赤提灯、看板の謳い文句を見て吸い込まれていく。
多くは仕事帰りに一杯ひっかけようとやってきた者達だが、大の男に混じって少女の姿も見える。
子供連れなら普通人間だが、そうでないなら妖怪か妖精、人間以外の存在だ。
種族の入り乱れる通りの端、歓楽街と非歓楽街との境に近いある店に客が入った。
カウンターの中で作業をしていた店主が暖簾に向かって威勢良く、
「らっしゃい。――おう先生、まいど」
「三人だ。座敷の方いいか?」
「手前の方空いてるから、そっちへどうぞ。これ作ったらお通し出しますよ」
小さな居酒屋にはカウンター沿いの数席と、座敷にテーブルが二つあった。テーブルのうち、奥の方にはすでに一人がお猪口を持っていた。
お猪口を持った紅白の巫女服はこちらに振り向くと、
「あら、あんたたちも飲みに来たの? 偶然ね」
「ん? 霊夢か、里で飲むとは珍しいな。何か仕事でもあったか?」
慧音達は手前のテーブル、座布団に座った。霊夢と呼ばれた巫女、博麗霊夢は背を向けて座る位置にあったが、半身をこちらに見せるように上半身を捻り、片手をついた姿勢になる。
「ま、ちょっと悪戯が過ぎたのをこらしめただけよ。酒に酔って適当な弾幕しか放てなかったし楽勝だったけど。でも臨時収入にはなったし、だから疲れた体を労ってるとこ」
「最近は天気も良いからか、ほろ酔い気分の者が人も妖怪も多くてな。自警団としても少々困っているところだ。協力に感謝する」
「巫女の仕事しただけよ。別に感謝する必要ないわ」
「へいお待ち」
霊夢の卓に焼鳥の盛り合わせが運ばれてきた。店主の親父はカウンターに載せておいた小皿を慧音達の卓に置く。中身は金平だ。
「とりあえず旨口の奴で冷や三つ。あと盛り合わせ三人前で」
注文して間もなく徳利が三つ運ばれてきた。
「それではいただくとするか」
乾杯、と杯を掲げて三者が一口すする。ほんのりとした冷たさと甘さが喉を通り、
「……ふむ、これは良い」
「だな。結構いける」
鈴仙は声に出さず、しかし旨いと思った。
各々に箸を金平に伸ばし始めたところで、
「ところでさ、あんたは何でまた黒くなってるの?」
霊夢の声は不意のものだった。箸の動きが止まり、
「……え? どうして……」
「へ? 兎でしょ、永遠亭の大きい方の」
頬に赤みは差しているが、霊夢の口、そして目は冗談を言っているものではない。
「どうして私だとわかったんですか?」
これまでに出会った人は、すべて分からなかったというのに。
霊夢は片手で酒を口につけ、
「最初は何となく、ね。よく見たら顔立ちはあんたのものだし、間違いないなって思っただけよ」
そういえば、と鈴仙は思い出す。かつて永夜の時も、この巫女は勘のままに進んで来たのだと。そしてその先に今の自分があると。
「……なに泣いてるのよ。泣き上戸だっけ?」
霊夢に問われ気がついた。
……涙が……。
悲しくはない。視界をぼやけさせる程の量でもない。
けれど確実に、顎先まで届く二筋の流れはある。
何故なのかは自分にも分からない。考えられるとすれば思い当たる事は山ほどあるが、今の会話の中できっかけとなるような事はあっただろうか。
問い返すように見つめると、霊夢は静かに語り始めた。
「……事情は良く分からないけど、あんたはその姿形になっている。呪いとかの類なら解いてあげるけど、そういうんじゃないんでしょ? なら元に戻るまでそのまんまでいればいい。そこの二人なら今後も面倒見てくれるだろうし、少しは"人生"を歩む事を楽しめばいいじゃない」
ぐいっと飲み干して、
「――だから、泣くのはもう止め。酒は美味しく飲むものよ」
身体を捻るのを止め、こちらには背を見せた。その背中が温かいもののように思えて、
「……ひっ」
静かに零れるものが止むまで、三人は待っていた。
●
店主から渡されたちり紙で鼻をかむと、気持ち晴れやかになっていた。
目頭はまだ熱があり顔も赤いのが分かるが、口に含む酒は旨い。
妹紅は慧音と鈴仙を見つつ手羽先を口に運び、慧音は鈴仙になにかと勧めてくる。霊夢は先ほどと変わらないが、時々こちらをちらりと見る。
……気にしてくれるんだ……。
店主からもサービスとして二、三本ほどおまけしてもらった。
……ここにいる人達は、地上人だけれど……。
不思議と安堵感がある。かつての、今朝までの自分からはそのような感情を抱くのは考えられない事だ。
「――霊夢はまだちょっと怖いけど」
「それは仕方が無い。里に襲撃をしかけてきたし」
「肝試しに来る馬鹿だし」
「……さーて、今ここで第二回肝試しをやろうかしら?」
「おいおい、やるなら店の外でやってくれよ」
互いに半目で睨み合い、
「……ぷっ」
最初に吹き出したのは鈴仙だった。
続けて店内に笑い声が続く。
●
頭に走る痛みで鈴仙は起床した。
布団からのそりと起き上がると広がる風景は見慣れた自室ではなく、
「あ、そうか。昨日からお世話になってたんだっけ」
冴えてくる頭は重く、痛みがある。手を当てながら考えるのは昨晩の記憶だ。
……あの後……。
笑いの後は吹っ切れた。そして霊夢も同じ卓に移りあれこれと注文して飲み食いした。
覚えている限りは徳利が七、八本ほどになったあたりまでだ。だとすれば、
「宿酔か……まさか私までなるなんて……」
普段ならあの程度で酔いつぶれる事はない。人間、というのがここにも現われているのだろう。
起こされた上半身は、白い襦袢姿だった。自分が着ていた着物は枕元に置かれている。
それは誰かに脱がされたということだ。恐らくは慧音だろう。
気恥ずかしくもあるが、同時にありがたいと思う。
首を動かすと、件の慧音、そして妹紅は横の布団でまだ寝ていた。
枕元に着物と共に置かれた巾着袋の中から常備薬としている頭痛用の薬を取りだし、鈴仙は彼女らを起こさないよう部屋を出た。
土間の格子窓から見える空は朝靄の向こうにあり、晴れてはいるがまだ暗い。
水瓶から柄杓で一杯すくい、薬と一緒に飲み込んだ。渇きを思い出した喉が水を欲し、もう一杯を飲み干す。
冷たい水が喉を通り意識が完全に醒めた。顔を洗おうと思う。
勝手口から外に出ると空気は肌寒く襦袢一枚では寒い。しかし冷たさが寝起きの火照った体には心地良く刺さり、近場の共用井戸で顔を洗い終わる頃には寒さがある程度和らいでいた。
「なんだ、顔を洗うぐらいなら水瓶でも良かったのに」
後から声をかけてきたのは慧音だ。
「おはようございます。――夕べは酔ってしまったみたいですけど、送ってくれたんですよね? すみません」
「おはよう。……まぁ気にするな。止めなかったこちらも悪い」
慧音は釣瓶を落とし、再び紐を引いた。
「さて、顔を洗ったら朝食にしよう。手伝ってくれるよな?」
返ってくる頷きと返事を聞き、慧音は朝の水を浴びた。
●
ちゃぶ台の上に並ぶものがある。
箸や湯飲みといった道具類に、漬物や味噌汁といった副食。
主食の米が湯気を立てている茶碗が到着し、上白沢家の朝食は始まった。
「あの、妹紅は起こさなくてもいいんですか?」
いただきます、と互いに言い終わった後、鈴仙はそのような疑問を得た。
「妹紅は深夜からの夜警担当だったからな。もうしばらく寝かしといてやってくれ」
味噌汁をすする音があり、
「んっ。……起きるまで時間はある。その間は仕事があるから退屈はしないだろう」
「あ、手伝います私」
「そう言ってくれると思った。なに、簡単なことだ」
慧音は部屋の隅を見た。そこには木箱が置いてある。
●
人の話す声に反応する者がいる。
奥座敷に敷かれた一組の布団の上で天井を見るのは妹紅だ。
後頭を掻きながら考えるのは今の時刻だ。
……たぶんまだ昼前か。
昨晩は慧音が酔いつぶれた兎を背負い、店の前で自分は別れた。このご時世で夜警などという面倒くさい仕事の為だ。特に最近は春を名残惜しむ宴会シーズンで、人妖問わず問題を起こしている事から夜間用人員が増やされている。昨日の夜もそうだ。
でも中年親父が守矢分社の前で信仰を叫びながら「全裸で信仰してなにが悪い!」は無いと思う。
ちょうど影にいたので全裸は見えなかったが、周辺住民の訴え『騒々しくて眠れない』を可及的速やかに解決するため、かつ安上がりにフェニックス召喚で解決した。
……でもこうも召喚用の羽根の消費量多くなると、高騰しそうで嫌だなぁ……。
需要と供給の問題だが、向こう側もライン拡大で逆に安くした方が売れるのではないか。
まあ長生きなんて不便だけどな、と笑いながら起きる。
奥座敷と居間は廊下ではなく襖で仕切られているに過ぎない。手をかけ引こうとし、
「あぁ! 出ちゃいました……」
鈴仙の声を聞き、止まる。続いて聞こえてきたのは慧音の声で、
「まったく……仕方が無い。あまり動きすぎるといけないと言ったじゃないか」
「すみません、でも素早く動かして緩急付けないと抜けにくいというか……」
「別に最初から上手くする必要は無い。大事なのは気持ちだ。だいたい最初は手本通りに丁寧だったというのに、……慣れてくると我慢しきれなくなりスピードアップしたいという気持ちは分からんでもないが」
……えー!? 何? 何がこの襖の向こうで起きてるの!?
気になりはするが、いきなり襖を開けるのは何故か不作法な気がした。故に、
……もう少し待ってから……。
「ふむ……そうだ。少しまた飲むと良い」
飲むって何をさ!?
「あの、さっきも出してくれた奴ですよね? ……私にはちょっと苦いんですが」
「そこは慣れだろう。私は自分で何度も飲んでいるからな。妹紅も最初は苦いと言っていたが、色々と試行錯誤した結果、今は割と積極的に飲んでくれるぞ!」
「人の恥ずい話まで無許可で語るな――!」
側面に叩きつけられた襖は奥座敷と居間とを妨げない。
妹紅の眼前には、
「ど、どうした朝から……」
と、戸惑う慧音と、
「お、お、おはようございます」
と、目を見開く鈴仙がいた。
二人は敷かれた新聞紙の上、徳利と筆と外から流れてきた"マグカップ"の中にいる。
目をしばたたく三人は顔を見合わせたまま動かず、ややあってから妹紅が、
「……えーと、何、やってるの?」
「何って……徳利の絵付け」
彼女らの手には筆があり、下には顔料の入った小皿がある。
「……だいたい予想は出来るんだけどさ、最後の方、飲むって……」
「この間手に入れた珈琲だが? 目が覚めると聞いたから河童に珈琲サイフォンも借りて……、お前も飲んでいたじゃないか。最初は苦いと言っていたが」
「……ごめん、疲れたからもう少し寝る」
音も衝撃も無く、奥座敷は居間と隔てられた。
向こう側で布団の動く音がしてから、
「なんだったんでしょうか、今のは」
鈴仙は見開いた目のまま、慧音に問う。
慧音は微糖目の珈琲を口に運び、一口飲んだ。
「さあ? きっと疲れているのだろう。――もうしばらく寝かしといてやってくれ」
●
人間の里の目抜き通りは、昼に向かい人を多くしていた。
この時間は外にある集落からの物品が運ばれ、里の商品が出て行く忙しない時でもある。
人力の荷車も足早に通り過ぎる中、二輪の小さなタイプが一台歩いていた。
楼閣のような帽子が引き、その横には黒髪の少女がいる。
黒髪が、すみません、と前置きして、
「……でも良いんですか? 私はただ付き添うだけなんて……」
「そう言って一町もしないうちに重いと断念したのは誰かな?」
「ううっ……。すみません慧音さん、お願いします」
「了解」
話のタネがなくなり、活気の音が二人を包んだ。
慧音は時々顔見知りに出会うと会釈や声で返し、互いに歩み留まることなくそれぞれの目的地へと向かっていく。
鈴仙は里で顔見知りとなりつつある人々を思い出し、自分がどうだったかを思う。
多くの場合、相手は世間話をしようと話題を振ってくる。しかし自分は適当に相槌を打ち、さっさと踵を返すだけだ。
慧音と自分との状況は変わらない。互いに仕事中での話だが、一方は相手が余計な話をしてくるわけではない。店先で暇そうにしている者でさえ、だ。
話しかけにくいということではない。多くの人達は先生、と気軽に呼び、それで終わりだ。
……呼び名に関係あるのかな……?
彼女は寺子屋で教師をしている。その所為だろうかと考え、本人に尋ねる事にした。
「あの」
「ん? どうした」
「先ほどから先生って呼ばれてますが……」
「寺子屋の関係だな。私が教師をやっていることは知っているのだろう?」
「いえ、その――」
十歩分ほどの間が空き、
「――なんだか軽い挨拶ばかりで、親しげなのに世間話の一つもしてないというか……」
「ん、まぁ特に話題も無いしな。同じ所に住んでいるし、顔は比較的よく合わせる。彼らの多くは元教え子だ。きっと私と話すと宿題を忘れた時のことでも思い出すんだろう」
大人だろうと容赦はしなかったからな、と慧音は楽しそうに笑う。
その声は少しだが、懐かしき記憶から来たるものだと、何となく鈴仙は感じる。
……記憶が良いものなのは、羨ましいなぁ……。
自分のは、思い出したくないものが多数派だ。この人のように笑みを浮かべる事は出来るのだろうか?
いつかそうでありたいと、そうしようと思った。
●
鈴仙が記憶する限り、慧音はすでに二十人以上に声をかけられている。
今現在通っている現役から、恰幅の良い富裕層らしき大人まで多種多様だ。
これだけの人々が彼女を覚えている。しかも親しみを持ってのことだ。
多くの人に受け入れられているという事実から、しかし疑問が生じる。
「ではなぜ内職なんかを……?」
徳利に絵付けをする慧音は確かに職人に劣るものではない。その道のプロ、というよりは手慣れているという感じだ。恐らくは他にもそうした技能を持つのだろう。
だが今の彼女の本職は今は教師のはずだ。それも多くの人が集い、学び、親しみを覚える。化学実験もしない彼女の授業なら経費はさほどかかることもなく、授業料収入だけで暮らしていけると推測できる。
その疑問をそのままぶつけてみた。
「簡単な事だ。私に授業料収入はほとんど無いからな」
「取らないんですか?」
「いや、僅かだが徴収している。家賃を払える程度にはな。しかしそれはあくまで口実を与え、得るのが目的だ」
「口実……?」
「そう、口実だ。最初に開いた時は無料でやったんだが、授業が難解だと言われすぐに教室は空になった。私はこの性格だ。改めようと思ってもなかなか直せない。……未熟者の言い訳に過ぎないがな。それでも私は知る事が必要な事だと突っ走った。そして行き着いた先が」
「有料化、ですか?」
慧音は首を縦に振った。
「人間、例え一銭でも金を払ったという事実があればそれを口実に出来る。"金を払ったんだから授業を受ける権利がある"と。特に親の世代は教育の大切さを知っていた。だから子供に言えるんだ。勉強してこい、ってね。……まぁ当時は色々と言われたものだが、大人になった彼らは理解してくれている。ありがたいことだ」
彼女の言いたい事は分かった。けれども、
「でもそれなら、食べていけるだけの授業料を取ればいいのでは?」
鈴仙の問いに対し、慧音は首を横に振った。
「それだと高くなってしまう。小作人の息子でも通えるようにするには、安くしなければならなかったんだ。……元々が無料というのもありその抵抗もあったがね」
十字路で交差する人を待ち、車輪が再び回り出した。同時に鈴仙は言う。
「何故、そこまでして人間のためにするんですか?」
慧音が立ち止まる。鈴仙は数歩先で振り返り、彼女を見る。
端正な顔立ちが表情を作らず、何を考えているのか掴めない。普段なら相手の波長を感じる事で知る事はできるが、今、それは出来ない事だ。
やがて慧音は鈴仙の横に並んだ。
二組の足が調子を合わせる。
「……その実、私のためだ」
え? という疑問の声を鈴仙が上げ、慧音は一言で発せられた疑問に答える。
「私は人のようで人じゃない。私のように人の中で生きていく妖怪というのはほとんどいない。人間というのは本質的に自己で回帰する閉鎖社会を持っている。ただそれが個人の中か村という規模か、その大きさが違うだけに過ぎない。
その閉鎖社会に受け入れられる一番の方法は、なんだと思う?」
言わずとも分かる事だ。
「……人の、役に立つこと?」
「そうだ」
力の込められた一言だ。強調するための一息があり、
「――私が元々そういう妖怪であるという事もある。でも結局私がやる事は、すべて自分のためになるという結果から導き出されたもので、善意ではない。もちろん良かれと思ってやっていることだが、本質的には実に利己的な考え方だ。……だから時々、先生と呼ばれる事に憤りを覚えなくもない」
これはきっと本心なのだろう、と思う。先ほど自分は彼女の過去を良いものだと決めつけたが、
……この人にとってはそうではない……。
苦労をしているのは自分だけなのだという考えがあった。自分には悲観しかなく、他者には楽観があるのだろうと。それが違う事を、鈴仙は理解する。
「まぁ、妹紅なんかは考えすぎだと言ってくれる。対外的にはそうなんだろうし、私もそういう気持ちでやっているわけではない。……言い換えれば人と仲良くするための積極的活動とも言えるからな」
フォローする言葉が紡がれる。織りなされる言葉と視線の先には――、
「例えば八意の始めた薬売りだ。あれのお陰で多くの人が助かっている。私が自分で言った後でなんだが、人と関わろうとする事で人が助かっている。その事について私は、感謝したい」
――鈴仙がいた。
……ああ、そうか……。
自分の事を語り、自分の身内を語られたようで、その実……。
「"先生"の授業が難しいというのが、分かったような気がします」
「おいおい、随分と急に話が変わるな」
眉をひそめる慧音に対し、鈴仙は手を後に首を傾ける。
やや斜めになった笑顔から、
「結論を見つけるのがちょっと難しいだけですけどね」
勘違いかもしれないですが、と言う鈴仙に疑問はない。
●
荷車の目的地は、鈴仙も知る場所だった。
周囲は明るく、赤い光もない。だが店構えと仕舞われた暖簾には見覚えがある。
「ここって昨日の……」
昨晩に飲んでいた店だ。
慧音は戸を開け店主を呼ぶ。彼は間もなく奥から現われた。
「お嬢ちゃん、昨日は随分だったが大丈夫かい?」
そういえば、今朝はあった頭痛も重たさも無い。頭を軽く叩いてみるが、音が響くわけでもない。
「……はい、大丈夫みたいです」
「そうかい、そいつは良かった」
歯を見せて喜ぶ店主はその足で外に出る。
荷車にある木箱を開け、中の徳利を一本一本取り出してみる手は以外にも慎重だ。
やがて二本だけ取り出して荷台に置くと、
「悪いけどこの二本は除かせてもらうよ」
見れば、些細とは言えない程度に絵柄が異なる。描かれている模様の線にバラツキがあるそれは、
「すみません、……それ、私のです」
鈴仙は挙手をして、自分のだと告げる。
謝る対象は二人にだ。内職の失敗で賃金が減る事と、予定通りに調達できない事は双方にとって不利益なことであり、それはまた自分が迷惑をかけてしまったということだ。
最悪、自分の所持金で補填しようと考える。だが店主はただ黙って頷いただけで、
「そんな顔したらいけねぇよお嬢ちゃん。何を心配そうな顔すんのかは分かるがよ、失敗なんてものはいくらでもある。だいたい作ったの、二本だけじゃないんだろ?」
「ああ、三分の一ぐらいは彼女に手伝ってもらった」
「なら上出来上出来。成功の方が失敗より多いんだ。こちとら気にしないからよ、あんたも気にしないことだ」
両肩を二回、豪快に叩かれた。そのまま反論の余地も与えられず、
「先生、この失敗した奴は持ってってくれていい。支払いはいつも通り月末でいいかい?」
「うむ。ありがとう。ではまた何かあったら呼んでくれ」
「おうよ」
店主は木箱を軽々と担ぎ上げて、灯のない店の中へと消えていった。
「……さて、帰るか」
「あの、展開が早すぎて何が何だか……」
「気にする事はない。あの店主は気さくで豪快で、旨い酒を提供するのが上手いだけだ」
行こう、と風が吹いた。
●
昼の席は三人で囲んでのものだった。
帰りがけに買った野菜や肉で構成され、今は食後の一杯が並んでいる。
昨日の同じ時間にもこうして喉を茶が通っていたことを思い出す。
……なんだか一日で随分と慣れちゃったなぁ……。
言って、いやそうではないと改める。この一日でこれまで抱えてきた、わだかまりがほとんど無いからだ。
自分の抱えてきた悩みとは、こんなにもちっぽけな存在だったのだろうか?
「私の存在意義ってなんだろうなぁ……」
独り言だ。しかし普段とは違う、不平不満ではなくもっとスケールの大きな問題の、だ。
当然答えられるものはいない。これは自分で考え、見つけなくてはならない問題だからだ。
だから独り言とする。自分の心情を吐露し、外部に一度放出することで内部整理を進めるために。
慧音の足が土間から上がってきた。スカートの布地を払い整えるが、座ろうとはしない。
炊事中は外していた帽子を手に取り、
「では妹紅、戸締まりは頼んだ」
被った後、降ろす手はそのまま鈴仙に差し向けられた。
「午後からは農作業もほぼ無くなる。子供達が自由になり、そして学ぶ事が出来る時間だ。
……文句は、無いのだろう?」
鈴仙は、きょとんとした目で手先を見ていたが、すぐに立ち上がり応えた。
「先生の授業がどんなのか、期待してみるわ」
気をつけて、と妹紅の眠たそうな声と同時に、家は一人だけとなる。
●
寺子屋を営んでいるのは慧音だけでは無い。人間の里にも複数箇所あり、また里以外の集落にも識者が開く小さな物や、巡回用の出張所がある。
慧音は人間の里以外にも授業を行いに行くが、今日は里の一角での授業が行われる日だ。
寺子屋は比較的大きく、教室となる部屋にはすでに三十人ほどの子供達が集い、授業前の一時を楽しんでいた。
その様子を眺めるのは鈴仙だ。教室の後側に立っている。
右側から音がした。廊下を走る音の後に続き、走り込んできたのは、
「よっしゃセーフッ!」
青のジャンパースカートを着た氷精と、
「は、走らなくても大丈夫だってチルノちゃん……」
黄色いリボンに緑髪の妖精だ。
チルノと呼ばれた氷精は会った事がある。幻想郷縁起にも載るほど著名な、
……バカだ……。
そのバカがなぜ勉強の場にいるのだろうか。考えてみた。
「……二人とも、ここは遊び場じゃないのよ? 悪戯なら外でやりなさい」
「ふん、なによ偉そうに。あんた寺子じゃなさそうだけどさ」
「い、悪戯じゃないんです。私とチルノちゃんは授業を受けに来たんです」
「へ?」
思わぬ答えに戸惑った。
「そうそう、大ちゃんの言う通り」
チルノ自身が肯定していることから、大ちゃん――大妖精と名乗った。彼女が言う事で間違いないのだろう。本当に授業の意味を分かっているかまでは責任を持てないが。
受けるのは良いとしよう。この場に来るという事は、この場を知っているという事だ。それに、
……ちょうど席が二つ分空いてるし……。
想定された事なのだろう。まだ来ぬ先生が許可を出したに違いない。なら、自分が止める事もないが、ただ、
「ねえ大ちゃん、勉強なんてしなくても、アタイ十分頭良いんだけどさ?」
「私は勉強に上限なんて無いと思うの。チルノちゃん、特に保健体育とか足りなそうだし――そこがいいんだけどね!」
……大丈夫かなぁ……。
心配したその時、前の方でだべっていた子供達が一斉に自分の机へと戻り、正座した。
「おはよう皆、揃っているようだな」
開く音に遅れて、慧音が授業が始まる事を告げた。
●
「期待はずれとはまさにこの事ね……」
慧音の授業は恐ろしく結論先延ばしだった。
彼女は彼女が持つ歴史に基づき、百年単位での出来事を智慧とすることができる。それは単なる史実だけではなく、自身が覚えてきた知識もまた歴史として吸収可能なため、
……文系理系お手の物の超教師……だと思う。
もはや学者の領域だが、語られる内容はそれ故に詰め込まれ、淡々とした物だ。莫大な情報を一気に伝えようとするからそうなるのだが、本人は気付かない。
鈴仙はチルノの方を見る。彼女は授業開始直後に睡眠を始め頭突きされ、紙飛行機を折って頭突きされ、真面目に手元の黒板に、
「ねぇチルノちゃん、何描いてるの?」
白一色で描かれた毛むくじゃらで髭が伸びた物体は、
「けーねだよ!」
速攻で頭突きが飛び机に叩きつけられた。分厚い木板が軋む音がする。
教育上よろしくない絵図だが、なぜか周囲の寺子は一瞬振り返っただけで、すぐに板書書きへと戻った。
……日常茶飯事ってことかしらね……。
こうして事なかれ主義が育成されていくのか、と思いつつ、しかしこのままチルノを放置するのは、その思想に染まっていない者としてやるべきではないだろう。
時既に遅し、だが、鈴仙はチルノの後で乱れた髪を直している慧音に進言した。
「慧音さん、あまりやり過ぎるとバカがバカになってバカバカに……」
「チルノちゃんがそんな卑猥な感じに……!」
先生と参観者は無視した。
「大丈夫だ。9になにをかけても足しても、最終的に0かけて9を足し直せば同じだ」
「それって結局問題解決になりませんよね?」
「うーん……うるさいなぁ……」
「あ、回復早い」
若干めり込んだように見えたが、さすが自然の権化だと鈴仙は思う。
周囲に若干の冷気が漂う自然は、今しがた起きたかのように頭を持ち上げ、左右上下に動かし、ややあってから隣の大妖精を見た。
「……大ちゃん、ここどこ?」
「歩きもせずに忘れたか……」
「やっぱりバカバカというか鳥頭というか妖精頭というか……」
「大丈夫? 保健室で診てあげようかっていうか視ようか!?」
頭突きもされていないのに大丈夫そうじゃない大妖精を、とりあえずチルノから引き剥がし、
「で、だ。ちょっと今のは力が入ってしまったかもしれない。まだ痛むか?」
「おぉー慧音じゃん。……ていうかここどこ?」
「学舎、寺子屋だな。ついでに忘れてそうだから言ってやるが、お前達は私の授業を受けたいと言い、今日この場にいる」
「ほへぇ……ねえ、帰ってもいい? つまんなそうだし」
また頭突きされると直感した。授業も止まっているし、さすがに止めようとして、
「……そうか、良いぞ」
鈴仙は、あっさりと許可された事に驚いた。
一方慧音の許諾を得た事に対し、チルノは、ありがとう、と礼を言い、大胆なんだから~、などとうわごとを言う大妖精の手を引いて教室を後にした。
騒々しかった教室に、寺子達のチョークが黒板を滑る音が戻る。
さて、と慧音は教室の前に戻り、授業を再開させようとした時、
「あの」
「ん? どうした」
「なんであんなに、あっさりと帰してしまったんですか?」
慧音は、くすりと笑い、少し考えてから、
「なに、私の授業が退屈だと出て行く者は経験があるのでな。それにあの二人が来ては帰ってというのは、もういつもの事だ。……それでも彼女らは、ここに"学び"に来るんだ」
息を吸い、
「学ぼうという意思のある者を、私は拒まない。学問は本質的に自由なんだ。……だが、家の都合で自由に学べない者もいる。理由は違えど、学習時間に差異が出てしまうのは同じ事だ」
教室の中、子供達は一様ではない。
或いは、日に焼けていない。
或いは、やや背が曲がった。
或いは、動作が流れるように。
皆、違う生活を生き、しかし今は共に座学する級友だ。
「家の都合で早退しなければならない子もいる。そういった事情も鑑みなければ寺子屋はやっていけないし、この子達も来にくいだろう?」
見れば、子供達は慧音を見ている。彼らの感情は表に出ているわけではないが、各々の雰囲気は、気恥ずかしさや笑みといったものだと分かる。
「……ま、恥ずかしい事を言ってしまったな。だが……」
黒板を見て、
「継続は力なり。今日は帰っても明日が来れば、また学ぶ事も出来るだろうさ」
チョークを再び手にした。
●
里は一時を得ていた。
昼の忙しい時間を抜け、今は夕方に向けて準備をする、その手前だ。
甘味処が賑わう時間でもある。
往来の音も控えめな町中、通りから外れた一軒の家がある。
長屋形式ではなく、元は有力者が使用人用にと用意した下宿だ。今でも上階は倉庫として利用されているが、一階は壁をぶち抜き一つの教室としてある。
表札には所有者の名前と共に、『上白沢塾』と書かれていた。
教室の上手、大きな黒板に慧音が書き込むのは数式だ。
「――っと、ここから求められるわけだ。解ったな?」
『はーい』
寺子からの返事に張りはなく、皆、目を完全に閉じそうになっている。
教室の後で参観する鈴仙も、なんとか欠伸を我慢している状態だ。
……余分な言葉が無いだけ楽だけど……。
算学というジャンルもそうだが、そろそろ集中力も無くなり眠くなる時間だ。
今、新しい問題に取り組んでいる子供が一人、書いては消しを繰り返していた。
……あの男の子、さっきも悩んでいたけど苦手なのかな……?
少し気になり、膝で腕で歩いて近づいてみる。
少年はそれにも気付かず、目前の問題と格闘していた。見れば、すべてを消しているのではなく途中まで解いて、その先が続かない様子だ。
「ちょっと貸してみて」
「あ」
横から手を伸ばし、詰まっていると考えられる部分を書いてやる。
「ここまでやれば解けるでしょ?」
小さく、しかしはっきりと聞こえる声で、
「凄ぇな姉ちゃん。先生の知り合い?」
「ま、まぁそんなところかな?」
凄いと言われて、少し嬉しかった。
自分にしてみれば簡単に教えられる程度のものだが、彼にとっては悩むに値する。
「あの……僕もちょっといいですか?」
それは彼だけではない。隣にいる、彼より少し年上と思しき少年も、
「私もちょっとわからなくて……」
反対の席に座っている少女も。気付けば、教室中の生徒がこちらに黒板を見せてくる。
「え……えぇと……」
困った。一気に注目を受けることで硬直し、次に言うべき言葉が出ない。
当然、慧音が動いた。
「……お前達、解らない事があるならまずは先生に聞くのが筋だろう? あまり迷惑をかけてはいかん」
口では他者の感情を配慮しているが、その目は怒りの感情を含んでいる。
それを知ってか知らずか、子供達は口々にこう言った。
「……だってこの姉ちゃんの教え方わかりやすいし」
「……先生の言う事はいちいち難しいし」
「……そもそもつまらないし」
満月でもないのに、慧音の頭に角が見えた気がした。
さすがに子供達も雰囲気を察したのか、弧を描くように三歩ほど後退。
鈴仙もそれに倣おうとした時だ。
「――お前ら、ちょっとケツを出せ」
教室が阿鼻叫喚に包まれた。
●
「今日はすまなかったな――、子供達が」
「後半は先生が主因だと思いますが」
赤みを帯び始めた空の下、里の目抜き通りを行くのは、黒髪の鈴仙と慧音だ。
二人の手にはそれぞれ、道すがら買った野菜など夕飯の食材の入った竹籠がある。
家に続く道へと曲がろうとした時、
「ん?」
鈴仙の目が直線の先に捉えたものがある。
それは遠目にも真新しく見える鳥居と、その前に立つ少女の姿だ。
慧音は鈴仙が何を見ているのかに気付いた。
「ああ、早苗か。毎日どこぞの紅白とは違って関心なことだ」
「早苗……」
「知らないか? 山に越してきた神社、守矢の風祝――まぁ巫女のようなものだ」
聞いた事はある、というより里で情報収集していたのは自分だ。
もっとも、妖怪の山まで調査しに行こうと進言して、永琳に止められたが。
「あまり詮索しなくても大丈夫でしょ、商売敵でもないし。って感じで」
「詳細までは知らないか。ならちょうどいい、会っていこう」
曲がろうとした足を切り返し、歩みを鳥居へと向けた。
近付くにつれその全容が明らかになる。
鳥居があるのは家々の間、ちょうど空き地となっていたらしき小さな場所。
小さな木々が鎮守の森としてあり、人の背丈程度の鳥居の向こうには、道中の稲荷神のものに近い小規模な社があった。
その社の周囲に手箒をかける後姿が、こちらを振り向く。
「参拝ですか? ――っと、慧音さんでしたか。こんにちは」
緑髪の少女は会釈ではなく腰を曲げての礼をした。
「元気そうでなによりだ」
「ええ。それで、そちらの方は?」
「ああ、永遠亭は聞いた事があるだろう。そこの従者の」
「うどんげです、初めまして」
「早苗です。守矢神社の風祝――まぁ巫女のようなものをしています」
「すまん早苗、それはすでに説明してある」
「あ、そうですか……ちょっと残念」
舌をちょろっと出し微笑む彼女は、至って普通の少女だ。
彼女は視線を鈴仙に合わせて、
「ところで、求聞史紀では耳があったと思うのですが。――コスプレ?」
「最後は何か悪い意味な気がするので放置しますが、色々とワケありで今は無いんです」
「へぇ……それは良かったです。月の兎が耳無しだったら影になりませんから」
「影?」
「ええ、月の影です。餅つきしているの――ご存知ですよね?」
問われて鈴仙は、自分の記憶を辿る。
……確かにそう見えなくもないけど……。
地上に来てから初めて故郷というものを見上げた。しかしそれは知識としてある外観図でもあり、影としてある海も地名がまず浮かぶ。それに、
「餅つきよりも戦闘訓練に明け暮れていたから、あまり見えないわ」
言った後で失言だと気付いた。目の前にいるのは元々は"外の"地上人だ。彼女自身が戦闘に加わっていたとは思えないが、下手をすれば激昂させてしまうかもしれない。力の無い今、それは避けるべきだ。
慌てて訂正しようとして、
「戦闘訓練って、なんでです?」
鈴仙は耳を疑った。
「……なにって?」
「ああ、もしかして火星人とか攻めてきているんですか? あれは普通の武器じゃなくて音楽が聞くんですよ。昔、諏訪子様が持ってきた映画だと」
「火星人……?」
「あれ? 違いますか。じゃあ金星人が――」
「――ふざけないで!」
突如とした感情の声に、二人が驚きに身体を震わせた。
しかし震わせるのは眼前、黒髪の少女も同じだ。彼女は前髪を垂直に垂らし、顔は見えない。
だが見えなくとも、先の言葉で感情は察する事が出来る。
早苗は自分の言動を振り返りつつ、鈴仙に声をかけた。
「すみません……戦争中で大変だというのに、軽率な発言でした」
「違う……」
「違う……?」
「そう、違う!」
急速に振り上げられた髪々が早苗の頬を擦った。勢いとともに現われる憤怒の表情に、早苗は仰け反り一歩を後退した。
「大変って、貴方達"穢れた地上人"の所為じゃない! それを他人事みたいになによ!!」
「穢れ……私?」
「ええそうよ。貴方達の所為で傷つき、追い込まれ、失った! それなのに私達の事はなにも知らないって何? 私達はそもそも"無かった事"になっているっていうの!?」
一息、
「そんなのって……じゃあ、私が悩んできた事は? 私の罪は? 貴方達の侵略さえ無ければ誰も、誰も……」
言葉が続かず、鈴仙は膝から崩れた。
すでに怒りは無く、ただしゃくり上げる彼女に、慧音は肩を支える。
早苗は立ち尽くしたまま何事かを言うべきと口を開くが、何も紡がれない。
往来の中に立ち止まる人が出始めた頃、急に光が生まれたのを早苗は見た。
それは社からのものであり、光量が増した辺りで、
「穏やかじゃないねぇ。何事かい? ってまあ一部始終見ていたわけだが」
「神奈子様……どうして」
目を腫らしたことで赤くなった瞳に、宙に浮く胡座姿が見えた。
背中に環状のしめ縄を負う神、八坂加奈子だ。
「さて、よくもうちの娘に八つ当たりをしてくれたねって罰の一つでも与えたいが、さすがに本気で泣かれているのには気が引けるからね。――これは慈悲だよ」
濡れる視界が陰に入ったように暗くなる。夕立の時にも似た光陰の変化は、頭上の風切り音とともに鈴仙に警鐘を鳴らす。
背にいる慧音を左手で突き飛ばし、崩れたバランスを利用して左方向へと転げた。
直後、地鳴りと衝撃を持って柱が地に突き刺さった。
●
早苗は目前で起こった衝撃に目を伏せた。
やがて土埃が晴れて見えるのは、成人とほぼ同じ大きさの御柱だ。
地面に突き刺さる柱の横、倒れてはいるが立ち上がろうとしているうどんげと慧音が見える。
良かった、と安堵を得た後、早苗は視線の切っ先を神奈子へと向けた。
「神奈子様! こんなことをしてもし当たったらどうするんですか!?」
「これでも手加減したんだよ? 結構自制するのは難しいねぇ」
「答えになってません!」
「まぁまぁいいじゃないか。……それに、少しは二人とも"話せる"ようになったんじゃないかい?」
二人、という言葉に自分も含まれている事に気付く。
すでに口は動き、言葉も自在に出る。
ならばと思う先、兎耳の無い兎の少女の瞳は、元の黒色をしていた。
●
冷静という一語が頭にある。そしてそれを実行できる理性も。
鈴仙を取り巻く状況は不利にある。
何も知らぬ少女に一方的につっかかり、そして無理を押し通す力もない。
謝る方向で動くべきだが、それを良しとしないものがある。それは、
「……でも、私は話したくありません」
「うどんげさん……」
早苗と目を合わせないように伏せる鈴仙に、神奈子は言う
「迷える子羊、もとい小兎か。汝の悩み、憤りは天にお見通しぞ」
乾を創造できるしな、と神奈子は注釈を入れ、
「まず、貴方に何があったのかを我々は知らない。月の事も含めてな。無知は罪かもしれないが、少なくともうちの子にはそれを含めても関係のない話だ。
うちは単なる引っ越してきた神様、そしてその風祝。分かるかい?」
「それは……」
「理解できているならよろしい。なに、納得しろとまでは言わない。貴方にも色々とあったんだろうからね。世の中ってのはそう言うものさ。神様ですら幸せ一杯夢一杯ってわけにはいかないんだ。なのに自分だけ幸せになれるってのは傲慢だし、幸せになれないからって人を傷つけるのは自分勝手に他ならない。
……誰かにぶつけそうになるぐらいなら、まずは神様に相談してみな。懺悔という名の愚痴吐きは、バテレンの専売特許じゃないからね」
頬杖をつき微笑む神奈子の横、早苗もまた、鈴仙に笑みを返した。
「私達でよければいつでも相談に乗りますよ。個人情報はこちらでも守りますから」
「……ごめんなさい」
「謝る必要はないです。ただ少しだけ、信じてあげて下さい」
「そうそう。守矢の神、八坂加奈子の源は皆の信仰心だからね。歓迎するよ」
「――ちょっと待て神奈子おおお!」
背後が光ったと思った瞬間、神奈子に跳び蹴りが炸裂していた。
「なにカルト宗教みたいに自分の信者増やそうとしてるんだよ! 少しは自重しな」
「痛たたた……。おい諏訪子、こっちは神代の時代からいるんだ。そんな詐欺集団と一緒にするんじゃないよ」
諏訪子と呼ばれた少女、洩矢諏訪子はキックで乱れた帽子とスカートを直して、
「ハッ! 誘い方が怪しいって言ってんだよ。だいたい私も祀られてるのになに神奈子様信者にしてるわけ?」
「良いじゃないか! だいたい信仰ポイント分けてるの誰だと思ってるのよ!?」
互いの背中に巨大な蛇と蛙の虚像が見える。鈴仙は何事が起こっているのかを把握するより先に、慧音に手を取られていた。
「うどんげ、もう良いか? 良くなくても行くが」
「はぁ……とりあえず、わだかまりもなにも吹っ飛んだというか蹴られたというか……」
「よし、逃げよう」
聞くより引っ張る足の方が早く、振り返った先で鈴仙はその理由を知った。
「二人とも……いい加減にしなさ――――いッ!!」
二柱が五穀の弾幕に被弾していた。
●
十五夜ではないが、輝く月がある。
雲は少量で、遮られない星が彩る夜空がある。
青白く光る道の上、人通りはほとんど無い。
いくつかの軒先で提灯が赤く、中で羽根の生えたのや尻尾の生えたのが飲んでいる。
一方、町外れはそうした小さな物音も無く、住宅街特有の静けさに包まれていた。
その中に佇む上白沢の家にあるのは二人分の寝息。立てるのは鈴仙と慧音だ。
「……ん?」
不意の音で二人とも目が覚める。互いに顔を見合わせ、音のする方へ向けた。
聞けば、戸を乱暴に叩く音だ。
ハッとなり、慧音は飛び起き玄関へと向かう。開けられた戸の向こうには、
「同心か……なにがあった?」
黒の半纏、腹と額に白の帯を持つ男は自警団に属する同心――警察官だ。
本来は江戸の治安維持役『火付盗賊改方』に属する名であり、町奉行の下、幹部級の与力に対し実働の中心となる下級役人だ。便宜上、江戸と同じような役職名を自警団にも採用している。
だが、
……小事程度なら彼らには私的に岡っ引きを雇っている。彼らを使わないということは、確実に現場の状況を伝える必要があるからだ……!
ここまで走ってきたのだろう。同心の男は呼吸を繰り返し、息を整え、
「よ、酔っぱらった妖怪が、暴れてます。見ねぇ顔だが、力だけはやたらとあるもんで手えつけられねえんだ。先生」
「分かった。着替えたらすぐに出る。そこで待っててくれ」
戸を閉め身を翻した先、
「慧音さん……」
「……なに、酔っぱらいの対処はいつものことだ。妹紅は竹林の方まで散策に行っているからまだ戻らない。鍵をかけて待っていてくれ」
妹紅が戻ってくるまでには片付ける、と慧音は着替えを急ぐ。
その横で鈴仙は、
「……なにをしている?」
「私も手伝いに行かせて下さい」
すでに帯を締めようとしている所だ。早い、と心の中で呟きを得て、しかし慧音は否定する。
「駄目だ! 今の自分の状況を考えろ」
妖獣としての彼女ならともかく、今は弾幕すら放てない一少女に過ぎない。
「そんなお前が行ったところで、足手まといになるだけだ」
慧音の服は洋風だ。基本的に着物より手間は少ない。
着替えの工程で鈴仙に追いついた。
「……師匠は酔うとすぐに人を脱がせようとします。姫様は長々と昔話を語り出すし、てゐは酔ったフリをして人を落とし穴に落とそうとします」
絡まった髪を払い、
「酔っぱらいの対処なら、私の力が通用しない相手に十分やってきました。状況は今とさほど変わらず、経験は豊富。……使えない程度に見える経歴ですか?」
「……人の役に立つということは、別にこういうことだけではないんだぞ?」
「別に役立つとか、そういうのじゃありません。最近鬱憤が溜まっていたんで、それを晴らしたいだけです」
「それは八つ当たりだな」
「ええ、八つ当たりです」
苦笑し、
「……せいぜい自分の身は自分で守ってくれよ?」
行こう、という声と共に三人が駆けだした。
●
静けさはとうに破られている。
遠い空は濃紺系黒だが、近空、家々の上空に白の火球があり、眼下は昼よりも明るい。
火球の正体は弾だ。スペルカードではなく通常弾幕だが、地上に流星の如く降り注いだそれは鈴のような音を連鎖させ、衝突した跡を道に刻みこむ。家々にそれは無いが、すでに直下の地面に平坦な場所はない。
弾は流れるように注がれるが、それは放つ術者の動きに合わせた拡散によるものだ。
音と光がいったん止み、月下に黒く大きな翼とそれに被さる白マントが大きく羽ばたきの動きを見せる。
さらにその背中には、しがみつく猫耳が見えた。羽ばたきを持つ少女と共に赤ら顔で、二叉の尻尾を揺らしている。
羽ばたきを持つ少女は、右手の人差し指の腹を自分に向けながら大声で、
「ふはははは! 見ろ、地上が灼熱地獄のようだー!!」
背中にしがみついた猫耳は、同じく陽気な声で、
「火力は調整してよね、おくう。炭になると崩れて運びにくくなるから」
「大丈夫だって。お燐の分ぐらいは残しておいてあげるから」
「レアでよろしくー」
おくう――霊烏路空は黄色と白の大玉を生み、全周に放った。
虚空に放つ分は無駄だが、自分の持つ無限に近いエネルギーはその程度で弾切れにならない。オーソドックスだが力任せの大玉連鎖が、空に、地に放たれた。
彼女らがいる宙は中心部、歓楽街に添う大通りの直上だ。下方に放たれたほとんどは無人の土にめり込むが。一部が民家に向かい、そして、
「――?」
直前で消滅した。
今、自分が放った物は爆符系のように距離に比例して減衰するようなものではない。その上、
「さっきから家に被害が出ていない……」
正常な判断が出来ない頭が、そのままに冷めていく。
目を凝らしてよく見ると、屋根には数本の矢が刺さっていた。
「おくう、向こう!」
背のお燐――火焔猫燐が指差す先には開ける十字路がある。
かがり火が四隅を照らす内側に、複数の人間の姿が見えた。
人間達は黒の半纏、腹と額に白の帯を持ち、その手には弓が。腰には十手と太刀の取り手がある。彼らの先頭、光沢を放つ黒の陣笠に羽織袴姿の男が、拡声機構の無いメガホンを手にし、
「――おうてめえら! 俺達は何だ言ってみろ!!」
『押忍!! 人間の里自警団"は組"ィ!!』
「じゃあ俺は何だ言ってみろ!!」
『押忍!! は組団長、名は鉄三郎!!』
「おうよ! お江戸の真似して火付盗賊改方、火の玉鉄三郎とは俺のことよッ!!」
『押忍!! 火の玉の鉄三郎兄貴!』
「で、俺っちについてくるおめえら! 何が出来る言ってみろ!!」
『火盗改は序の口! かかあに言われて炊事洗濯おまけに妖怪退治ィ!』
「炊事洗濯は情けねえが、かかあと妖怪どっちが怖ぇか!!」
『かかあの方が百万倍!』
「よっし。じゃああの妖怪二匹程度、五十万分の一だなおい!」
『押忍!』
「聞いたかお二人さんよぉ? それでも抵抗するってんなら、俺たちが退治しちまうぞ!!」
警告の後、弓が構えられ、その矢尻が円としてお燐には見える。
「……なんか正義の味方っぽくてむかつくー。――おくう!!」
呼ばれ、おくうは右手の制御棒を前に突き出した。
「レアな地表は後回し。あいつらはウェルダンでいくよっ!!」
対し自警団は狙いを澄ませて、
「けっ。……人間ナメるなよ?」
直後、大空に弾幕が放たれた。
●
慧音は見た。
人々が身の回りの品だけを持ち、こちらに向かい歩いてくる姿を、だ。
自警団の文字が入った提灯を手にする者達が誘導し、避難する列に乱れはない。
慧音と鈴仙は彼らの表情に不安ではなく迷惑が浮かんでいるのを見て、少しばかり安堵した。
……深刻なら不安が先に来るものね……。
慧音が誘導する若者に手を軽く挙げ挨拶した時だ。
「先生!」
呼ぶ声に立ち止まると、
「店長さん?」
昨夜、そして今朝方も会った飲み屋の店主だ。避難列の中から抜き出してきた彼は、慧音に向かい真剣な面持ちで、
「すまねぇ先生。今日のは俺ん所の客なんだ……」
「それは災難だった。……で、どういう奴らなんだ?」
「ああ。一見さんでよ、鳥っぽいのと猫っぽいので飲んでいたんだ。飲みっぷりがいいもんだから止めずにどんどん運んじまってこのザマさ……。すまねえ先生」
「なに、こんなことぐらい朝飯前だ。……今度はおごりな?」
「勘弁してくだせえって言いたいけど仕方がねぇ。――これ終わったら自警団の連中も連れてきなよ」
「微妙に死亡フラグっぽいが、まぁ楽しみにしてよう。では……!」
店主が手を振って見送る。それは慧音だけでなく、自分にも向けられたものだ。
……何故?
本人に聞こうにもすでに足はトップスピードに向かっている。なら、また今度聞けば良い。
大きく振られる手を後にし、走る先を見たその時、鈴仙は前方、空が光るのを認めた。
「――遅かったか! 仕方ない。飛ぶぞ!」
返事をする前に手を掴まれ、足が地面を離れた。
●
光は空中で生じた。
おくうが放った白色の中弾連鎖は一定の指向性を持ち、十字路の自警団に加速した。
対し自警団は、
「迎撃用意――ッ!」
射手から見ると一本の太い線に見える弾幕群に狙いを定め、
「一発も漏らすなよ? ――放てッ!!」
陣笠の男の号令で、矢が飛翔した。
矢は白線と相対、衝突し、そして、
「……え?」
霊撃に似た円が展開し、全弾を打ち消した。
おくうとお燐は驚愕した。
「……おくう。地上の人間って、巫女と魔法使い以外にも強いのいたのね」
「でもあれって、ただの矢だよね? 魔法って感じじゃないみたいだけど」
再び拡声された声が響く。
「妖怪退治は専売特許じゃないぞ? 俺らにだってあらかじめ力を込められた符や神具を使えば弾幕を凌ぐ事ぐらいは出来る。……自警団は伊達じゃないことを身に刻んで、お帰り願おうか!」
「……だってさ、どうするおくう?」
自警団の言う事は確かだ。護符や魔法道具等を使えばただの人間でも瞬間的な力は得られるし、攻撃も出来る。だが、
「所詮、あっちは瞬発的な核分裂に過ぎない。こっちは上位系の核融合を操れるのよ?」
おくうはお燐に歯を見せる笑みを浮かべていた。口が開き、
「究極のエネルギーが酔狂じゃないってことを身に染みこませなさい!」
●
おくうの言葉を自警団の団員達は聞いていた。
陣笠の隊長、鉄三郎は、
……カクユウゴウってなんだ……?
妖怪の言動は人間にはよくわからないと何かに書いてあった気がする。きっとそういう類なのだろう。
とにかく攻撃が来る事は確かだ。相手の力は相当な物だが、危険度は中程度と見える。使い方は直線的で、攻撃前の動作も察知しやすい。
「……問題は猫又の方か」
先ほどから背に乗っているだけで、一向に攻撃を仕掛けてこない。妖怪である以上、人間相手で戦えない可能性は低く、
「なんでもいいから死体に早くなーれー」
……後方支援役ということは無いな。
注意は怠らず、間もなく来るはずの弾幕に備えさせる。
自分達の攻撃手段は実は乏しい。スペルカードを持たない以上、旧来通りの力比べとなる。しかし力と力のぶつかり合いでは、自前の力に乏しいこちらが不利だ。ほとんどは里に被害を出さないために使わざるを得ず、防戦が主体となる。
……まだか。
今、こちらに急いでいるであろう彼女は数少ない力の担い手だ。
早く来てくれと思う矢先、太陽が生まれたのを一同は光と熱で知った。
●
「……!?」
十字路まで少しの所で、慧音は西の空に夜明けを見た。
だが水平線から日が昇るわけはない。事実、太陽は小さく空にあった。
「慧音さん、太陽の下!」
下に人影が二つある。一つはこちら側からでは首から上しか見えないが、黒翼を広げる白のブラウスはよく見える。
元凶を認め、慧音は叫んだ。
「うどんげ! 悪いが降りるのは日暮れになってからでいいか?」
「そろそろ腕が痺れてきたのでお早めに!」
了解、と鈴仙を引き上げ自分の背に乗せる。腹にまわる腕の感触があり、少しくすぐったい。
自由になった両手で懐から取り出すのは、一枚のスペルカードだ。
相手に聞こえるように一際大声で名を告げる。
……ルール上は回数掲示が必要だが……。
相手は真面目に戦っているように見えて、その実ただの酔っぱらいだ。鬼ならともかく宴会の席でもやるような酔いどれ決闘なら、
「多少の無視は無礼講と解釈しよう! ――国符『三種の神器 鏡』!!」
渦を巻くように白の米弾が射出され、外側に向かう。すると米弾が途中でクナイ弾に変わり九十度反転。対象を縦横にクナイ弾が襲い、さらに放射線状に広がった大玉が阻害する。反対側からも第二射がほぼ同時に迫り、逃げ場はない。
「それだけ大きな塊を抱えていてはロクに回避行動はできまい!」
「……確かに弾数は多いし速度も速いわね。――けど!」
突如として人工太陽が消失した。
「核融合を生むも消すも自由自在! 本物の大玉ってやつを見せてあげるわ!!」
お燐はおくうの体が熱を生むのを急速に感じた。
「ヤバっ!?」
彼女の中で大きな力が準備されているのだ。下手に巻き込まれては熱耐性があるとはいえ危険だ。
「じゃあおくう頑張って! ――私はあっちを片付けるから」
おくうの耳に届いているかはわからない。彼女は既にスペルカードを無意識に取り出し、出来るだけ格好良く掲げようとしているからだ。
けれど聞こえてなくても問題はない。自分が離脱できれば十分だ。
お燐が離れた瞬間、おくうを中心に無数の火球が生まれた。
「――爆符『ギガフレア』!!」
高音域の爆発音が降り注ぎ、小型の太陽が次々と迫ってくる。
大きさを保つために有効射程の短い減衰型だが、ニュークリアフュージョンより早く、ランダム性もある太陽群だ。加えて弾が爆ぜて生じる時に小弾も吐き出すため、単純に避けていれば追い詰められる初見殺し系でもある。
「避けるも避けぬも無く、被弾しなさい!」
●
慧音は焦りを覚えていた。
……上手く鴉の方は気を逸らせたが……。
上空に向かう弾なら町に被害は出ない。しかし、片割れが十字路へと跳躍したのを見た。
無数の太陽によって作られた影、そこに隠れて彼女は行動している。自分が目撃できたのは偶然だが、向こうはその偶然を手にしただろうか?
……可能性は低いな。
自分は半獣で身体能力は人間よりかなり高い。言い換えれば、彼らの視力で認識できるかどうかはかなり怪しい。声で教えようにも、この爆発音に遮られてしまう。
どうすれば、と目の前の光を避けながら考えていると、
「――あそこの屋根が少し高いです」
背中の鈴仙だ。彼女の声が向かう先、確かに周囲より高く、珍しい三階建てがある。
「あそこに近づいて下さい。――私が走って、皆さんに知らせてきます」
「どうしてそんなことを?」
「さっきから貴方の眼が関係のないところと弾幕とを往復してました。そして私の眼にも背中にいたはずの猫がいないのは見えます。と、なれば結果は一つでしょう?」
洞察力の凄さ、そして場の把握能力に慧音は思わず息を呑む。
今は弾幕の回避中だ。視界の多くは太陽に遮られ、例え弾を見ていなくても外を見て、ましてや把握するなど並大抵の者が出来るわけはない。
……何者なんだろうか……。
恐らくは答えてくれないのだろう。少し残念に思うが、
「今はそれどころじゃない、か」
「なんか言いましたか?」
「いや……。次の波に隙間がある。ギリギリだが飛び降りてくれ」
「はい!」
ギガフレアの弾幕は密度が高いが、ランダム性だ。故に一定割合で大きめの隙間がある。
第一波を抜けて二秒後、慧音の体が大きく動いた。
「今だっ!」
まわしていた腕を放し、鈴仙は飛び降りた。だが僅かにずれている。
……このままだと地面行き……!
三階の高さだ。下が土とはいえ、骨折は免れない。そうなれば伝令に走れない。
……お願いっ!!
空中で体をよじり、必至で軌道修正を試みて、
「――!」
足が瓦屋根の樋にギリギリ届いた。足を踏ん張り体を屋根に叩きつける。
やや乱暴だったが、鈴仙は胴体着陸に成功した。
痛みを得る暇もなく、鈴仙は二階、一階と屋根を伝い、
「着いた!!」
上空を見上げると、先ほどまで自分と大差無かった慧音が手の平より小さかった。
今、彼女は太陽の弾幕に押されている。心配だが、自分がいたところで機動力を下げるだけだ。
そんな自分に出来る事は、
「……走らなきゃ!」
速く、もっと速くと足を動かす。
十字路まで百メートルもない。
●
お燐は屋根伝いに移動していた。
自警団と名乗った人間達は、おくうに向かい護符を貼り付けた矢を放ち続けている。だが彼女の周囲にある太陽に逐一焼却される。
その結果は彼らにもさすがに見えているだろう。それでも諦めないのが人間か。
環境に良くないなーと思いつつ、お燐は彼らを吟味する。
……今日は猫車忘れて来ちゃったからなぁ……。
巫女と魔法使いが地獄にやって来て以降、今まで封印同然の状態だった地下の妖怪達が地上に来る事が許されるようになっていた。
今日は人間の里を見学に来たが、つい匂いに釣られて店に入ってしまった。
酒は旨く、焼鳥もあるらしかったがおくうの前でさすがに自重した。しかし代わりのツマミも酒に劣らず、ついつい深酒をしてしまった。
……さっき醒めたばかりだけど、まだ頭が痛いわ……。
おくうはまだまだ絶好調らしいが、そのうち頭痛が勝って醒める事だろう。それまでの間はあの半獣に任せるとして、
「両手でも二人がせいぜいかな? 少ないけど久々だしいっか」
そういえば、地上に来る時に賢者を名乗る胡散臭い妖怪に、人間絡みでなにか言われた気がする。なんだったっけ、と思い出そうとするが、
「痛っ。……まぁ、酔いの残滓に負ける程度なら大したことないね、きっと」
自分を納得させ、
「……では――!」
体を人から元の姿、猫の姿に戻す。この方が動きやすいし大きさも小さくできる。突撃には向いているスタイルだ。
前足と後ろ足に力を込め、体を縮めこみ、バネのようにして、
「じゃあ」
突撃、と続けようとして、
「――皆さん! 右上! 中二階の屋根に妖怪がいます!!」
「!?」
響いた声で突撃姿勢から力が失われた。
歯をむき出し見る先には、
「あれはさっきの……」
半獣の背にいた黒髪の少女だ。
自警団の方が騒がしくなり、数本の弓がこちらに向かい射出される。
お燐は大きく跳躍しそのすべてを回避して、
……なんだかわかんないけど、邪魔された腹いせ! お姉さんをもらってくよ!!
黒猫が猛獣のように鈴仙へと突進していく。
●
伝えた。
確かに、自分に出来るだけの声で届かせた。
屋根から降りた後に走ったが、すでに黒猫は攻撃の予備動作に入っていた。
このままでは間に合わないと思い、どうしようかと刹那に焦り考える。
その時、黒の陣笠を被った男が、円錐状の筒を持っているのが眼に留まった。
何故こんな簡単な事に気付かなかったのか。しかし気付いた後の判断は一瞬で行われた。
声が、通りを走った。
結果、彼らが気付くだけでなく、警戒した猫が攻撃を中止するというおまけ付きだ。
だがしかし、良かったと思うより速く副産物が疾走する。
視界の隅に映る自警団は次射を構えているが、
……間に合わないッ……!?
この時ほど、自分が人間で無力だと思った事はない。
思考は方法を得ている。どうすれば回避し、反撃するかまで全てをだ。
策はある。それなのに――。
「――結局、人間になって得た事が無駄になっちゃった、か」
眼を閉じて、覚悟を決める。
「うどんげ――っ!?」
遠く、慧音の声が聞こえるが、彼女は回避に精一杯だった。ここに駆けつける余裕は無い。
思えばこの二日間で三十年分ぐらいの経験をしたように思う。
いつの間にか人々と打ち解けて、普通に喋れるようになっていた。
それもこれも、人間だったからだと思う。同族だったからだ、と。
でも、
「でも……、今度は妖怪に戻っても、きっと上手くやれるはず」
経験が、人と関わった、短いながらも濃厚な思い出がある。
これを糧とすれば、きっと――。
そう呟きかけて、自分の中に異変を感じる。
今更になって恐怖が込み上げてきたのだと思った。だが、
「……?」
様子が違う。身体の震えは寒気のあるものではなく、熱く、力に溢れている。
疲労した筋肉が。
荒い息も。
重さを感じる着物も。
全てに力があり、
全てが整えられ、
全てが軽い。
眼を開けると、いつの間にか巨大化した黒の猛獣がいる。
その身体に波を見つけた。
「見えたッ!!」
判断は一瞬。飛びかかる腹に向かって、
「――喪心『喪心創痍』――ッ!!」
ガラスが割れるような音が響き、眼前が開けた。
●
「戻ったのか!?」
眼下にいる少女は青みがかった紫の髪をなびかせ、小さな黒猫を足元に、赤い眼でこちらを見上げた。
「……アンタ、余所見している暇はあるの?」
おくうの弾幕は激しさを増す事も減らす事もなく、一定出力で濃密だ。
対し、慧音の弾幕は衰えを見せている。体力の限界が近い。
一発でもスペルカード級の攻撃を当てられれば崩せるが、
「弾幕が邪魔で……」
狙いを定めきれない。今の体力ではせいぜい一発放てるのが限度だろう。だが、
「うどんげ! 頼む!!」
果たして、鈴仙はその通りにした。
スペルカードは持っていないが、彼女はその名を口にした。
「散符『真実の月』――!」
円、さながら満月のような真円を描く弾幕の波動が、
「すり抜けろっ!」
言葉と同時に存在が幾重にも"ブレ"て、太陽群を抜けた。
「何――っ!?」
一瞬にしてゲージが下がり、
「――痛ててて……」
「そんな……足りなかったの……!?」
しかし残った。
おくうの服はあちこち千切れていたが、それでもその姿は健在だ。
しまった、と思う。慧音や自警団の攻撃はギガフレアによりほとんどが届かず、まともなダメージは今の一発が最初なのだろう。元より火力低めの自分では一撃粉砕とまではいかなかった。
「じゃあ二発目! 散符――」
「――させないよッ!」
飛び込んでくる影を避けた事で照準がぶれた。声の主を見ると、
「よくもやってくれたわね、お姉さん。……だけど次はもう喰らわないよ」
多少動きは鈍いが、爪と目を爛々と光らせるお燐がそこにいた。
「もう復活したの!?」
「さすがにあの距離はきつかったけどね……今度は当たらないよ。兎のお姉さん?」
一度は逆転した状況がさらにひっくり返された。
慧音は限界で、自分の攻撃は通らない。自警団は流れ弾対策で手一杯だ。
それでも、
「私は……逃げるのだけは、"あの時"から止めたのよッ!!」
火炎を纏う黒猫を見定めた。
「覚悟はいいねぇ惚れるねぇ。ま、死後にたっぷり遊んであげるよっ!!」
左右に跳躍しながら加速を増すお燐を、鈴仙は仁王立ちで待ち受けた。
高速の相手に対し、本調子ではない自分では当てるのは難しい。
……相討ちになる可能性が高いけど……。
確実に一撃を見舞うには、攻撃に飛び込んでくる時しかない。
鈴仙はその時を待った。
「じゃあね、兎のお姉さんッ!!」
「こっちのセリフよ、猫のお嬢ちゃんッ!!」
互いに歯を見せる笑みを返し、一撃が叩き込まれた。
●
叩き込まれたのは一本の矢、それだけだった。
黒猫の振り上げた手を地面に縫い付けただけのそれは、
「へぶっ!?」
しかし彼女を静止させるのに十分だった。
手足を使っての猫跳躍を行っていた彼女は前のめりに頭から地面に落ち、多少のめり込みの中、痛みに起き上がろうともしない。気絶しているのだろう。
続けて頭上から声がする。天を仰いだ鈴仙の眼には、太陽に劣らぬ炎の翼があった。
「よっ。英雄は遅れて登場するってね」
「妹紅!」
「妹紅さん!?」
「妹紅の姐さん!!」
空中、地上、十字路から三者一様の声が上がる。
不死鳥を模した炎の翼を広げる妹紅は、歓声にも似たそれらの声を受け、
「おっし! じゃあその声に応えるとしますか。――慧音!」
「ああ、わかった」
妹紅の登場に気を取られ、弾幕が薄くなった隙を突いて慧音は離脱した。
「あ、ちょっと! ……うにゅぬぬ英雄気取りなんて気に食わないわね! 炭火焼き鳥にしてあげるわ!!」
慧音を取り逃がした事で、おくうは妹紅に怒りをぶつける。
矛先を変え来襲する弾幕を、難なく妹紅は避け、おくうへと距離を縮めた。
「どうしたの? この程度じゃアイツの難題の前座にもなりはしないわ!」
「うるさーい! もう本気出すから、後悔してもしらないよ!?
――爆符『ぺタフレア』ッ!!」
ギガフレアの上位版を宣言と共に繰り出した。弾幕構成は大差無いが、
「ちっ! 発生が早すぎて近づけない!?」
妹紅が放つ弾幕のほとんどが太陽に焼却されていく。その上、
「的の姿が見えないんじゃ話にならないわ!」
「敵でしょ敵! 字が違あう!! 人を的みたいに言いやがって-!」
どうやら相手からは見えているらしい。今は適当に放っているだけだが、これで狙いまで付けられては堪ったものではない。
スペルカード連続使用で強引に割る事も考えられるが、出来ればこちらの攻撃で被害を拡大しないよう、一撃で決めたい。
「ほらほらー、さっきまでの威勢はどうしたのよ? もしかして怖い?」
……もう里とかどうでもいいから殴っていいかな?
拳を握りながらも、妹紅は避ける方を選んでいる。
●
妹紅が手を出さない理由を、鈴仙は察していた。
だが手伝いたいがあの弾幕の前では牽制すら無駄だ。
「畜生。姐さんの火力さえ届けば一撃なのによう」
背後の自警団も限界だ。矢も札も底が見え始めている。
「なあ姉ちゃん」
声をかけたのは鉄三郎だ。
「あんたさっきの弾幕届かせられたよな? あれを妹紅ちゃんにも出来ないか?」
無理だ。あれは自分の放つ弾幕だし、かといってスペルカードを妹紅に手渡せる状況にはない。
「……残念ですが、あれは私が放つ弾幕ですから……あれ?」
そう、自分の持つスペルカードの多くは幻視効果を付与させたものだ。
故に術者の放つ弾幕にしか効果はないが、
「……一つだけ、一つだけあります!」
「うどんげ、それは本当か?」
疲れを表情とする慧音は、しかし鈴仙の言葉に笑みを見せる。
「ええ、お任せください」
期待の顔がある。それは顔を見せられる者、すべての者のだ。
それをプレッシャーとしてではなく追い風として、鈴仙は走り出した。
●
爆発音の中に、妹紅は近付く足音を聞いた。
同時に聞こえる声は、
「妹紅さーん! 一発用意しておいてくださーい!」
鈴仙の言う用意しろ、ということは、
「何か当てられる策があるってことか……? そう、なら用意してあげようじゃないの!!」
ポケットに手を忍び込ませ、いつでも出せることを態度で示した。
鈴仙はそれを確認すると身体を浅く抱き、力を集中させる動きを見せた。
「小手先なんて私には通用しない。その前に撃墜してあげるわ!!」
ペタフレアが一時止み、だがおくうの姿が見える前に新たなスペルが宣言される。
「――『ヘルズトカマク』!!」
「うおっ!? 危ねぇ!」
ゆったりとした動きの小太陽が、おくうと妹紅の背後に通り抜けた。
いきなりではあったが、ただの二発、実質一発で当たるわけはない。
「フェイント……?」
「!? いや、違うぞ妹紅!」
十字路にいる慧音の声は届かない。けれど妹紅は培った経験から、両太陽の中間に退避した。
間一髪の距離で、太陽が巨星と化した。
半球を互いに見せる巨大な弾に挟まれ、妹紅の動きは不自由となる。そこに内部から生じる無数の小弾が、同じく熱を帯びて妹紅を追い詰めた。
間を挟まずに襲いかかる弾幕。加えておくうは自身の後方で膨張した太陽に身を隠している。先ほどまでの小馬鹿にするセリフも無いということは、
「位置を悟らせないため……バカにしてはよくやるわ」
「誰がバカだ!」
全力で発生源に打ち込むが手応えは無かった。またも舌打ちするが、無駄弾なのは明らかだ。
下を見る。
彼女の周囲、大気に歪みが生じ、漏れる力でほのかに光る。流れ弾が至近弾として土埃を舞い上げるが動じない。背後は遠く、何人かがこちらに向かい放つ物は、彼女への直撃コースとなる弾を疑似霊撃で消去していく。
彼らの中に汗を流さぬ者はいない。
早く、と小さく口にする。
それは僅かな時を置いて、叶えられた。
「――いきます!」
桜色に身を包み、紫色を靡かせて、耳を家に置いてきた少女が、赤い眼を開いた。
「フィールドウルトラレッド!」
かざしたのは一枚のスキルカード。珍しくその名に漢字の当ては無い。
英名の通り、世界が赤く染まる。
本来は補助的で規模も小さいそれは、しかし発動と共に霊球全てを消費した。
コストと引き替えに現われるのは巨大な異相空間。
巨星を越えたそれは、当然飲み込んだ。
弾幕が半透明となり消失する。
「何ッ!?」
おくうの視界が急速に開かれ、眼前には不死鳥がいる。
「一つ試したかったんだが」
炎で構成される翼を羽ばたかせ、妹紅は一枚のカードを手にする。
「火の鳥の炎で焼き鳥になる鴉。まあちょっと硬そうだけどな?
――不死『火の鳥 ―鳳翼天翔―』っ!!」
燃えさかる火の鳥が太陽を突き抜け、地獄鴉に直撃した。
●
「偽の月も落ちれば、太陽もまた同じね」
遠くに落ちる影を見て、八意永琳は弓を降ろした。
屋根の上、闇夜に浮かび上がる姿は三人分。
「まったく、弾幕中に急いで帰る理由がこれなんて。妹紅もまだまだね」
仕方が無いと、しかし口の端を上げ弓状にする蓬莱山輝夜と、
「もう少し遅ければ相討ち、ねぇ。私の能力も随分と効果範囲が広くなったもんだ」
輝夜の言葉に自画自賛を加える因幡てゐだ。
彼女らは向こう、妹紅に抱きつかれ困惑する鈴仙を見つめる。その周囲に慧音がやって来て、自警団の面々が集う。
中心となり、終いには胴上げまでされる彼女を見て、
「イナバは若いんだから、まだ私達と違ってやり直せるかもね」
「私の次に若いんですから、なんとかなるでしょう」
「……そういうことにしといてあげるわ」
永琳に睨まれた気がするが、輝夜はこれを無視した。
眼を閉じると、声が聞こえる。前方からは胴上げに伴う歓声が。後方からは文句を言いつつも安堵を心とする人々の声が。
「さて、先に帰りましょうか」
一陣の風が吹いた時、屋根の上には誰もいなかった。
●
東の稜線に沿う光がある。
未明を過ぎて朝となろうとしている日の光だ。
明るさが生じた事で、里に幾つもの影が見える。
路上にある無数の陥没口、剥がれ、或いは破損した瓦。いずれも戦闘の足跡だ。
濃くなる影の中で、立つ人影がある。
赤い瞳の鈴仙と、慧音、妹紅、自警団の面々が太陽を背にしており、おくうとお燐が正面に受ける形となっている。そして後者は地の上で正座になり、二人に挟まれる形で立つ姿がある。
紫色の髪、赤い瞳のイミテーションを左胸に携えた少女だ。少女は頭を深く下げ、
「このペット達の折檻は後でやりますが、ペットの責任は飼い主にあります。地霊殿の主
として、ご迷惑をお掛けした事を謝ります。あ、補償もちゃんとしますので」
「古明地さとり、だったか。謝罪は受け取るが、ご覧の通りだ。幸い死傷者こそ出なかったから良かったものの、一歩間違えれば大惨事になっていたかもしれない。そこを――」
「――ええ、よく言い聞かせますし、里の出入りも禁じさせます」
「随分と察しが良いな……まぁ話が早い分にはいい。
出入りに関しては別に禁じなくてもいい。酔っぱらいの馬鹿騒ぎは、ままあることだしな」
禁じない、という慧音に対し、さとりは表情を柔らかいものに換え、
「そう仰って頂けるとありがたいです。……もしまた出入りできなくなってこの子達があれこれされるかと思うと不憫で不憫で……」
「あたい達が不憫なのはさとり様の所為じゃ――痛っ!? 手! 手はまだ再生しきってないギブギブ!」
「うるさい馬鹿猫。後で徹底的に口を割らせますからね」
手をにじられるお燐と、力を使いすぎたのか魂が抜けたかのように呆然とするおくう。
彼女らの虐げられる様を見て、鈴仙は懐かしさを覚えた。
……あの子達とは意外と仲良くできるかも知れない……。
さとりの行動にある面影が重なる。本当は重なってはいけない気がするが。
そう思いながら周りを見渡す。
すでに町には活気が戻り始め、他地域から品々を運ぶ商人が行き交う。
彼らが避ける破壊跡では地元の大工らが修復作業を行っていて、今朝方になって業務を引き継いだ"め組"が交通整理を担っている。しかし陣笠の鉄三郎はまだ残る仕事があるのか、あれこれ指揮をしている。時折こちらをチラ見するが、その顔は、慧音にすべてを任せる、というものだ。
この中で一番疲労しているのは彼らだろう。その代表格がそう言うなら、里の被害や人心はなんとかできる。
視線を戻せば、さとりが大柄な一本角の鬼と、彼女が抱える二人を連れて帰ろうとしている所だ。
交渉を終えた慧音は妹紅と何かを楽しげに喋っている。
胴上げの感触が残る背中で、
……そろそろ、帰ろうかな。
竹林の中にある屋敷、そして彼女らを思い出す心は、寂しさからではない。
思い起こせば追い出されたようなものだが、すでに二日の期限は過ぎている。戻っても問題はないだろう。
ふっ、と息を漏らし、立ち去ろうとして、
「待て」
引き留める慧音は、柔和を声としてこう言った。
「……忘れ物があるぞ」
●
幻想郷のいつもの朝がある。
しかし里の一角では様子が違っていた。
上白沢の家の前で、三人分の人影がある。
一つは、家に向き合い、別れを告げる者だ。
「そういや、遅くなってすまなかった。輝夜に出会っちまってな……」
妹紅が罰が悪そうに、頭を掻く。
「いえ、それより姫様と遊んでくださって、ありがとうございました」
桜色の着物に、薄紫色の髪が映える。
耳こそ無いが、そこには妖兎、鈴仙・優曇華院・イナバがいた。
「また、遊びに来てくれ」
「はい」
慧音の言葉に送られ、二日ばかりの家を後にしようとした。
「――では、これは忘れ物、もとい宿題だな」
振り返ると、慧音は何かを手渡してきた。手の内を見ると、
「これは、徳利……?」
「昨日もらっただろう? 一本はお前のものだ。
……それを反省材料に、今度は失敗無しで頼むぞ」
受け取って、息を吐いて、慧音を見て、
「はい!」
踵を返す鈴仙に、無言で手が振られる。
互いにそれは、少しばかりの別れだと知ってのものだ。
そもそも、自分達はいつでも逢えるのだから、と。
●
里と迷いの竹林の間、人影のない道、迷いの竹林へと向かう道中に少女はいた。
少女は桜色の着物に、青い髪、赤い瞳をしている。
手には徳利があり、所々曲がっているが、鮮やかな模様が絵付けられている。
春が。
雪も向日葵も無い、普通の春が過ぎようとしている。
少しばかりの異変があった春が。
終
ころころと表情の変わるうどんげが可愛かったです。
神奈子さまの名前が数箇所 加奈子 になってたので
この点数にしておきます。
次作期待してますね。
あえて言うならこれをこんぺに出した場合はちょっとお題が弱かったかも。
しかし座薬はアウトだろ、月の頭脳。
コメントが遅れましたが、こんぺ参加者の一人として、作品の感想を述べさせていただきます。
ストーリーの裏に流れる、のんびりとした優しい空気。その表で行動する生き生きとした主人公。
所々に入る台無しなボケも、隠し味となっていて面白いw つくねさんの世界観が伝わってくる良作だと思います。
ただ、あえてこの作品を、こんぺという場で評価するとなると、強烈な事件が無いだけに、どうしても全体の長さが目についてしまったと思います。
それぞれのエピソードを大筋に沿って連結させ、数場面を切り取るなどして、もう少し短くまとめることができるのではないか、と考えました。
つくねさんのポリシーには反してしまうかもしれませんが、例え削ってしまっても、ストーリーの一場面がそこにあったと仮定して書くだけで、作品の中に奥行きが生まれると思うのです。
とはいえ、話自体は好みで、登場キャラにも和みましたw
実際のコメントでは、7~8点をつけていたと思います。
私の中では、高評価と受け取ってくださいませ。
それでは、次回のこんぺに間に合うことを祈っておりますw
あと、鈴仙はうどんげと呼ばれるのを嫌っていたはずです
このあたりが気になったのでこの点で