博麗神社は騒がしかった。
飲めや歌えやドンチャン騒ぎ。
定期的に行われる大宴会、この場所においては全てが許される無礼講。
吸血鬼も亡霊嬢も月の姫も蓬莱人も、あるいは鬼や妖怪、はては天人に死神や閻魔ですら分け隔てなく接することが許される。
日常から離れた、不思議な高揚感を煽る宴会の雰囲気をこの日ばかりは誰もが平等に楽しんでいた。
月が出ていた。
呆れるほどに眩しい、見事な真ん丸。
「月見酒も乙なものねぇ」
彼女はそう呟いて手にした杯をぐいっと煽る。
緑を貴重とした大陸風の衣装に、腰まで届く鮮やかな赤い髪。
鳥居に背をもたせ掛けるようにして、再び杯の水面に真ん丸の月を写すともう一口。
神社の騒がしい喧騒から一人はなれて美鈴は聞こえてくる喧騒に耳を傾けていた。
酔い覚まし、ではない。酔いがさめたら宴会は楽しめない。
ただ、なんとなく。美鈴的に月を肴に酒を飲みたくなったのだ。
「あら……」
そんな美鈴の耳が喧騒以外の音を捉える。
彼女が向けた視線の先には酒瓶を手にした紅白の巫女衣装。
「なぁに、主賓の巫女様がこんな所でどうしたのよ?」
「別に主賓じゃないわよ」
にやけた顔の美鈴の声に、博麗霊夢は苦笑で答えた。
「それより美鈴こそこんなところに居ていいの?」
霊夢の問いに美鈴が眉をひそめる。
「あんたの所の主人とメイド、鬼と呑み比べ始めちゃったわよ?」
そんなことかと美鈴は笑う。
「咲夜さんが付いていれば別に平気よ」
あの完全で瀟洒がいれば、たとえ主人が不利だとしても何とかしてしまうだろう。
そういうものなのだ。ここ数年間はずっとそうであった。
「随分信頼しているのね、でも……」
霊夢が呆れたようにため息ひとつ。
「咲夜が真っ先に飲み潰されてたわよ。一杯飲んだだけでひっくり返ってたわ」
「ありゃ、飲んだ振りが出来なかったのね……」
「鬼相手に振りなんか出来ないわよ、すぐに看過されてたわ」
「そうなの」
眉を下げて頭を掻く。ついでの酒を一口。
もたれ掛かっていた鳥居に崩れるようにして地面に座る。
「助けに行かないの? いかにレミリアとはいえ、鬼相手じゃ分が悪いんじゃない?」
「いいわ、なんだかんだいってお嬢様も楽しんでいるのよ、それに……」
「ん?」
「私まで潰れちゃったら、誰が皆を紅魔館まで担いで帰るのよ」
「道理ね」
霊夢は納得したように呟いて鳥居横の石段に腰を下ろした。
彼女は懐から杯を取り出すと酒瓶を傾ける。
一口、やや熱っぽい吐息が霊夢の口から漏れた。
「美鈴ってさ……」
「なによ」
「あまり妖怪って感じがしないわよね」
「よく言われるわね」
美鈴が視線だけ霊夢に移した。
「外見もそうだけど、その、妖怪っぽさって言うのが感じられないわ」
「そりゃ、人間の中で育ったからね」
「へぇ……」
くい、と美鈴が杯を傾ける。
「何よ、おねーさんに興味があるの?」
「ん~、黙っているのもなんだからね、聞かせてよ」
「たいして面白くないけどね」
ざわざわとした祭りの喧騒は遠い。
虫の音と風の音だけが辺りを覆っている。
「物心ついたとき、周りに居たのは人間だったのよ」
「その前は?」
「さあ、山奥を彷徨っていたり、妖怪から必死で逃げていたり、おぼろげにそんな記憶があるだけね」
「妖怪からも逃げていたの?」
「そうよ、私は弱かったから。実際、身体能力は人間並み、外見も人間。勝っているのは丈夫さくらいだったわね」
美鈴の杯の中では満月が揺らめいている。
「種族も分からず。家族も居ない。格好の餌だったわけよ」
閉じ込められてゆらゆらと満月がゆれていた。
「助けてくれたのが人間だったわ。おそらく、私を同族と勘違いしたのでしょうけど」
「それで、どうなったの?」
「一緒に暮らして色々学んだわ、まあ、二十あたりで成長が止まってから、あまり一箇所に留まる事が出来なくなったのだけれど」
閉じ込めた満月を一口で飲み干す。
「人と人の間を渡り歩いて、随分長い間、彷徨ったわ。そんな時、あの方と知り合ったの」
「あの方?」
「素敵な方だったわ。高貴で誇り高くて、何より強かった」
言葉に興味を引かれた霊夢が美鈴へと視線をめぐらせた。
「レミリアの事?」
問いに、美鈴は首を振った。
「その親よ。先代様ね、結局、滅ぼされてしまったけれど」
「そう……」
「私は、あの方から二人の娘を託されたのよ……」
遠くを見るような眼差しで美鈴が言葉を重ねる。
「教会から逃げて、狩人から逃げて……敵を撒くために十年以上街で過ごすことも稀じゃなかった、でも……」
「でも?」
「そこで助けてくれたのも人間だったわ。……私の人生の殆どは人と共に在ったのよ。だから……」
「そんなに人間っぽいのね」
そんなところね、と美鈴が答える。
「それでさ、聞きたいんだけれど……」
「なんなりと」
霊夢は美鈴から視線を逸らして酒を一口。
沈黙、それから先の言葉はなかなか来ない。
「あのね……その……」
普段の様子から考えて霊夢にしては歯切れが悪い。
対する美鈴はとりたてて催促もせずただ酒を飲んでいる。
「……ある?」
消え入りそうな声で霊夢は言った。
「えっと、ごめん。聞こえなかった」
「ん、あのね……」
美鈴が霊夢を見て息を吐いた。
珍しい光景だと笑みを浮かべる。
「人を好きになった事とか、ある?」
耳まで赤いのは酒のせいばかりではないだろう。
「あんたも、そういうのに興味があるの?」
「ん~正確にはその先」
「その先?」
なんでもないと平静を装うとしているが紅潮した頬が全てを台無しにしている。
「子供よ、子供」
「は?」
「結婚して、出来るでしょ? そういう経験はあるのかって聞いてるのよ!」
美鈴がん~、と唸る。
「な、なによ……」
見つめる美鈴に霊夢は気弱な声を漏らした。
しばらく考えを巡らせて、不意に思いついたように言った。
「ああ、過程って、興味があるのは男女の交わ……」
「そこまでよ!」
声と共に動かない大図書館が割って入る。
あっけに取られる二人を尻目に悠々と飛び去っていく。
沈黙が辺りを支配する。
「あー」
耐えかねたように霊夢が口を開いた。
「違うわよ、単純に子育てしたのかどうか、聞きたかったの」
いまだに顔は赤いが、気分は落ち着いているようだ。
「そういうことか、おねーさん取って置きの猥談があったのにな~」
霊夢はいらんわ、と呟いてため息。
美鈴は少しだけ困ったような、穏やかな笑みを浮かべる。
「私と人間の間には子供は出来ないみたいよ、欲しいと思った事、あったんだけどね~」
なんでも無い事の様に美鈴は言った。
表情を歪める霊夢に気にしてないから、と笑った。
「まあ、でもね、育てた事はあるわよ。路地で拾ったり、孤児院から引き取ったりね」
皆、立派に育て上げたんだからと誇らしげに答える。
「でも、どうしてそんな事が気になったのよ?」
「私は博麗の巫女だから」
霊夢は酒瓶を傾けて、中身の無い事に気が付いた苦笑する。
「後継者を育て上げないといけないのよ」
美鈴が自分の酒を霊夢に注ぐ。
「適当な孤児でも拾ってこようかとも思っているんだけれどね。
でも、才能や潜在霊力の面で言うと、見つかるかどうか分からないし」
ただ、美鈴は酒を飲む。
「それが駄目だったら自分で産まなくちゃいけないの。その場合は才能も資質も引き継がれるから、確実なのよ」
相手を探さなくちゃいけないけどさ、と呟く。
「あんたは、そういうの気にしないと思ったのに」
不意に、美鈴がそういった。
「生涯現役とか言って、おばあちゃんになっても飛び回っていそうな自由なイメージがあるし」
「自由って……あのね、いくら私でもね、なんとなく分かるわよ。
私になにかあると、この幻想郷が駄目になってしまうって、それは代々の私達の役目なんだってさ」
霊夢が美鈴を見つめる。
「私の先代はね、病気で死んだの。実にあっけなく。それを見ちゃうとね。人間、何で死ぬか分からないかなってさ」
一旦言葉をとめて、美鈴の注いでくれた酒を飲む。
「普段は考えないようにしてるんだけど、酒が入るとなんか、思い出しちゃうのよね」
参ったわねと、霊夢は苦笑する。
「ねえ、霊夢?」
「なによ」
声は、霊夢の後ろから聞こえた。
振り向こうとした霊夢の頭を何か暖かいものが包む。
「ん~。無駄にでかいわね」
「よく言われるわ」
背後から美鈴に抱きしめられて、だがとりたてて慌てずに霊夢が言った。
「変わるのが怖いの?」
「………」
どうして急に霊夢がこんな話を始めたのか。
それは単に成り行きだ。成り行きだからこそ。
また、普段あまりかかわりの無い相手だからこそ、酒の勢いを借りて吐き出せた。
誰もが持っている将来への漠然とした不安。
「……なんで?」
霊夢はそう呟いた。
子供、後継者。先代の死。
博麗の血筋の重み。
それらが、まだ二十にも満たない少女を束縛していた。
「未来に起こるかもしれないことを語ったから。
どうみても楽しそうじゃなかったのと、仕方ないと自分を納得させてるように見えたから、かな」
夢や希望に満ち溢れた未来。
そんなものを信じられる人間は僅かだ。
大概は早々に自分の器と未来を悟り、なるべくはみ出さないようにと歩き出す。
とくに、霊夢のような特別の血筋ならなおさらだ。
「吐き出しちゃいなさいよ」
「ん~」
「どうせ酔ってるんだから、明日には忘れてるわ。私も、あんたもね」
「そっか、忘れちゃうのね」
ただ、そう答えた霊夢の声は驚くほど静かなものだった。
「私は、今が楽しいわ。
のんびり毎日を過ごして。魔理沙やレミリアたちが遊びに来て。
たまに異変を解決して……こんな日がずっと続けばいいと思ってるの」
柔らかい感触を心地よく思いながら、彼女はただ続けた。
「変わりたくない、変わるのが怖い。
博麗の血筋なんて知らない!いつまでもいつまでもこのままで!」
荒げた語尾は一瞬。それが、消え入りそうな声に変わる。
「私は、過ごして居たかったの……」
でも、無理なのだ。
楽しい時も、辛い時も、ただ時は無常に、平等に過ぎ去っていく。
「ねえ、美鈴?」
「ん?」
「私ね、宴会があまり好きじゃないの」
「意外ね、いつも楽しんでいると思ったけれど」
「宴会が終わって、後片付けをして、誰も居なくなった神社で一人きりで居るとね、思い知らされるのよ」
霊夢は自分の手を美鈴の手に重ねた。
「終わってしまったって、また過ぎ去ってしまったって。
はは、なにか宴会って、人生みたいね。騒いでいるときは楽しいけど、過ぎ去ってしまえばあっという間。
どんなに望んでも楽しかった過去は戻れない。残るのは思い出と余韻だけで、それが積み重なって時が過ぎていく」
瞳を閉じて、霊夢は言葉をとめた。
それでおしまい。ただ、美鈴は優しく、彼女を抱きしめる。
霊夢は答えが欲しかったのではない。
どうにもならないと諦めているからこそ、聞いて欲しかったのだ。
変わるのが怖いと、聞いて欲しかった。だからそれに答えを返すのはただ、無粋。
しばしの沈黙。
心地よい、やさしい静寂。
暫しの後に霊夢がそう言った。
「ありがとう」
「どういたしまして」
美鈴が霊夢から離れる。
霊夢が立ち上がり宴会に戻ろうと歩を踏み出したときに。
鬼が振ってきた。
一本角の鬼は星熊勇儀。
二本角の鬼は伊吹萃香。
「よう、紅魔の龍。お前の主人は敗れたぞ!」
「にゃはは~。メイドも大図書館も膝を屈したぞ~」
愉快そうに、止まらない笑いそのままで鬼たちはまくし立てる。
「主人の敵討ち、挑んでみるかい?」
「あんたが酒に一番強いって事は知ってるんだぞ、さあさあ!」
待ちきれないように無限に酒が湧き出る瓢箪に口をつける。
「やれやれ、引くわけにもいかない、か」
美鈴は苦笑しながら、それでも楽しそうに前に出る。
「しかたないわね」
その横に、霊夢が並ぶ。
「無理しなくていいわよ?」
そう気遣う美鈴に彼女は笑う。
「さっき宴会は人生みたいだと、言ったわよね」
「ええ」
訝しがる美鈴に霊夢は答えた。
「宴会って言うのは今を楽しむために開くものでしょう?」
「違いない」
満面の笑みを浮かべて、二人が鬼に挑んでいく。
ただ、頭上に浮かぶ満月だけが、全てを見届けていた。
-終-
小悪魔の頭は便利なのか不便なのかww
君ならきっと、いや絶対できる!
あと、流石小悪魔。俺たちの予想通りにやってこれる!!