それはまだ、幻想郷が作られたばかりで―――
「勇儀ー、こんなの拾ったー」
まだ、鬼が妖怪の山に君臨していた頃のお話。
「ん、なんだこの変な猪口は。普通に立たないじゃないか」
そして、弾幕ごっこもスペルカードルールも未成熟な若い幻想郷時代のお話。
萃香が持ってきたのは、底が丸い硝子製の器。
張りも薄く、鬼の怪力であれば一瞬でビードロのように砕けてしまうだろう。
そこは、鬼の四天王を務める萃香。
外見相応の幼女から、本来の力まで自由自在である。
しばしの間、萃香と勇儀はその猪口の使い道について、頭をつきあわせた。
「勇儀、角痛い」
「生まれつき前についてんだ。仕方ないだろう」
星熊勇儀の角は、鉄板に穴を開けるほどに強靭。
身分を省みず襲い掛かった人間や鬼を、それで何人何匹打ち倒してきたことか。
童子の名を持つだけのことはある。
「これ、ハジキとか当てて壊す遊びじゃないよなぁ」
「それは、間違ってもないと思うよ」
「とりあえず、酒でも注いでみようか」
「あ、あっあっ」
勇儀は萃香の瓢箪を奪い取り、酒を注ぎ始めた。
小さい器に、なみなみと注がれた鬼の酒。
表面張力限界まで、酒は注がれた。
「さぁ、萃香飲め」
「応」
器の容量も相まって、速攻で片付けられる中身。
そして、萃香は瓢箪を奪い返す。
「何を勝手に、人のものを使うんだよ。婆さんか爺さんに教わらなかったのかい」
「いいんだよ、鬼だから」
「なんだと」
「やんのか」
角を打ち鳴らす二人。
まるで、大きなトカゲが世界を征服していた時代だ。
紛れもなく、その程度の力を持つ種族。
その頂点に近い二人の喧嘩は、山の倒壊で済むだろうか。
もし、始まってしまったら止める術はない。
賢者の誓いも、約束して早々に泡と消える。
もちろん、二人もそれを理解している。
だから、
「ま、飲むか」
「応」
いつもどおりのジャレ愛なのだ。
二人の周りに鬼はいないが、緊張感だけは伝わったことだろう。
暇つぶしで本拠地を壊されたら、たまったものではない。
最強を名乗る種族が、内輪喧嘩で宿無しだ。
哀れ。
さらに、それを三つ重ねて哀れである。
そして、地味に農作業なんぞに精を出すはめになるのだ。
悲しすぎる。
「さて、酒を呑む以外に何か面白いことに使えないものかね」
萃香は、指先で器を弄びながら言う。
昔からではあったが、基本的に鬼は暇なのだ。
人攫いも遊び。
突然の喧嘩も、御伽噺のように退治されることも遊び。
勝負の結果ではなく、その過程を楽しむ。
それが鬼なのだ。
無類の酒好きであるのは、言うまでもない。
「あ、そうだ。萃香、里へ降りよう」
「何か思いついた?」
「あぁ。多分面白い」
「そう。じゃ、いこっか!」
軽いノリで、鬼の人里襲撃は確定した。
ものすごく、迷惑で自由な話だ。
「ちょっとだけ、里の人間と妖怪で遊ぼう」
「……なんで、私がここにいるのでしょうか?」
「攫ったから」
「酒が美味いから」
「……私は、これから何をさせられるのですか?」
「客寄せ?」
「天の岩戸解放大作戦」
「脱げと?!」
「うん」
「うん」
「伊吹様も、星熊様も自由すぎますよぉ! 仕事あるのに!」
人間より先に攫われた天狗、若かりし頃の射命丸文。
外見こそ変わらないが、この頃はまだ真の意味で清く正しかった。
窓ガラスを突き破る新聞もない。
そんなこんなで、哀れな烏天狗は人里近くの森に転がされていた。
逃げられないように、小さい萃香が後ろ手を掴んでいたりもする。
そんな様子にご満悦の勇儀は、件の器を天狗に手渡した。
すでに、波々と酒は注がれている。
「まぁ、まず一献」
「あ、どうも」
自分の上の上の上の略して雲の上のような、そんな階級からの酌だ。
下っ端天狗には、断る権利はない。
とは言っても、天狗も劣らず酒豪の種族。
勢いよく、一口で飲み干す。
実に、天晴れな飲み方だ。
鬼二人も、「おー」と歓声をあげた。
「ぷはー。美味しいですね、コレ」
息をつく射命丸。
やはり、酒は好きらしい。
そして、器を返す前に次の一杯が注がれた。
飲んで、注いで。
飲んで、注がれて。
里の外れで酒盛りをするなど、非常識というか危険というか。
現在のように、まだ人間と妖怪が同居しているなんてことはない。
そして、鬼を倒す道具も技術も失われていない。
実は、一触即発の状態なのである。
互いに気づいていないだけで。
ところで、射命丸の様子がおかしい。
顔は紅潮し、まるで茹でた蛸のようだ。
天狗は、こんな手のひらに収まるような器の酒を飲んだところで潰れることはない。
それこそ、樽飲みでもしない限りは。
「お、どうしたい天狗」
「なんか……目が回ります……毒でもはいってるんれすか?」
「いんや、普通の酒」
「じゃあ……なんれ……」
「さて、そろそろ行こうか」
「そうだな」
「まってくらさいよぉ~」
ちなみに、飲ませたのは伊吹瓢から出る酒ではない。
TILT有の無限ではなく、残り少ない稀代の酒。
名前も付けられず、飲めたものではないと人間に棄てられたもの。
ついた異名は、鬼殺し。
「お邪魔するよー」
「やっほー」
「あれ? なんか目の前がぐるぐるしますよぉ?」
「な、何だお前ら!」
一行がやってきたのは、里の真中にある長の家。
警護もいたが、当然のようにのされてしまった。
無理もない。
困惑する長に、自然な動きで勇儀は器を握らせた。
中身は、もちろん酒。
しかし、量は半分である。
「ま、とりあえず飲むといい」
「いきなり何を―――」
「理屈っぽいのは、嫌いだなぁ」
「ぐいっといけば、いいんれすよぉ」
もはや、天狗の羅列はどこかの果てへ飛んでいってしまった。
しばらく、帰っては来まい。
さらば。
「う、うぶぉっ」
「おやぁ? 鬼の酒が飲めないってのかい?」
常人が飲めるわけも無い。
何せ、人間のソレとは強さが違う。
辛さも違う。
何より、その癖がひどい。
まろやかで、万人にも合うように見せかけた剛酒。
鈍角に至らずとも、遠からず。
まさに、人を呑む酒。
「ようし、里長! 宴会するぞ宴会!」
「そうだ! 人を呼べぇ!」
「よし来た!」
「ぐてぇ~」
このように。
哀れ、最初の犠牲者・名無しの里長。
この後、鬼人の一行は―――
「よう! お前らも飲め!」
明日の仕込みに忙しい、割烹の厨房からツマミを調達し、
「大将~まらやってますかぁ~」
店仕舞いも近付く飲み屋に押し入り、
「酒がたらんよ酒がぁー!」
一行は、酒屋を襲い、
「あっはっは! 楽しいなぁ!」
里全体を巻き込んだ、大宴会へ発展した。
それこそ、夜なのに天照が顔を出したがるほどに。
月さえも、それから目を背けるほどに。
「あぁ、楽しかった」
「うん、楽しかった」
その宴会からややあって、鬼二人は帰路に着いていた。
里の連中は、悉く潰される悲惨な有様。
夏の入りも近いため、死ぬことはないだろう。
もっとも、二人がそこまで考えているかは彼女のみぞ知る訳であるが。
「んで萃香」
「何さ勇儀」
「あの猪口、一体何だったんだい? 酒が湧くわけでもなく、味が変わるわけでもない」
「んー。なんだったんだろうねぇ。しかも忘れてきたし」
「おいおい」
「んま、いいんじゃない? どうせ、私たちは自分の器があれば十分だったし」
あの程度のサイズでは、鬼は満足できない。
如何に強い酒であっても。
「むしろ、飲むしかなくなって潰れるのが早くなってしまったんじゃないか」
「それが楽しいんじゃない? 潰れでもしないと、互いに面子が立たないさ」
誘った手前、鬼が加減することは侮辱となり。
人が音を上げるのも、あちらには不快となる。
その点、潰れてしまえば無礼講だ。
どうとでもなる。
「そのかわり、明日は地獄じゃないのかい?」
「そこまでは責任もてないよー」
「……まぁ、いいか。どっちにしろ飲み足りないし、山で河童捕まえて飲むかー」
「おー」
夏も近付く夜の暮。
鬼たちは、度々人里で悪戯を楽しんでいたという。
その後、やんごとなき流れによって旧都に移るまで。
鬼は人間の敵ではなく、友であったという。
人を攫わずその意識を攫うとして、人間の新たな脅威ともなったとか。
了
>外見相応の幼女から、本来の力まで自由自在である。
この一文の意味が少しわからなかったです。
なんというか、ああ、この二人らしいなぁと思った作品でした。絡まれたほうはたまったもんじゃないんですけどね(苦笑)
面白い話でした。ありがとうございました。
そんな文を見てみたいものです