妹紅と慧音が出会ってから多くの月日が流れた。博麗の巫女は次の代、そのまた次の代へと受け継がれ、御阿礼の子も今や何代目か。
始まりがあれば終わりが来る。出会いがあれば別れもある。
慧音と出会う前、妹紅は他者と関わることを頑なに拒否していた。関わってしまえば、辛い別れが待っているからだ。自らが不死であるが故に、その別れは相手の死という形で必ず訪れるから。
そんな妹紅を変えたのが慧音だった。勿論、そう簡単にはいかなかった。慧音がただの人間なら不可能だったかもしれない。半人半獣のため、人間より寿命が長かったことと、慧音が根気強く接し続けたからだ。
次第に妹紅は心を開いていき、やがて慧音は妹紅の良き理解者となった。
しかし、人間よりは寿命が長い程度の慧音と、絶対に死ぬことのない妹紅。二人に別れ時が訪れるのは当然のことだった。
寺子屋の中、子供たちに勉強を教える部屋の更に奥、教科書や歴史の本が保管してある部屋がある。その中央に妹紅は胡坐をかいて座っていた。目の前には何冊も本が積み上げられている。
──妹紅。歴史を学ぶといい。色々な事を教えてくれるぞ。
慧音がよく口にしていたことを思い出した。
「ばか慧音。この悲しみはどうしたらいいんだ……どこにも書いてないじゃないか……」
こんな思いをするなら慧音と関わるんじゃなかったなどとは口にしなかった。彼女に心を開いた時にこうなることは覚悟していたのだから。
誰かに殺された訳でもなく、病気でもなく、慧音を慕う人間や、妹紅に看取られて彼女は安らかに目を閉じた。
それ以来、寺子屋は開かれていないが、妹紅だけはこうして毎日通い、慧音が使っていた本を読み漁っていた。しかし妹紅が探している答えは見つからない。見つからないことなど分かっているが、こうでもしていないと何かが壊れてしまいそうだった。
かなりの量の本が置いてあるにも関わらず、毎日通い、本を読むことだけに時間を費やしてきたので、全てを読み終えるのにそう時間はかからなかった。
「もうここに来ることはないかな……」
来ても悲しい思いをするだけだ。
以前と変わることなく妹紅の瞳は悲しみに沈んでいた。
本を片付け終えた頃、入り口に誰かが立っていることに気がついた。
「やっぱりここに居たのね」
「輝夜か。何か用?」
輝夜は入り口に立ったままで中に入ろうとはしなかった。
「あれから結構経ったし、そろそろ元気になったかなと思って」
少し落ち着きが無い様に見えるのは、輝夜が妹紅に対してこのような言葉をかけたことがないからなのだろう。
「あ、あなたがいつまでもこんな状態だと、私もそろそろ退屈なのよね」
「もう少し放っておいてくれない? あと千年ぐらい」
「…………」
妹紅が蓬莱の薬を飲まなければこんなことにはならなかった。原因を辿れば自分にも責任があると感じている輝夜はそう簡単に引き下がる訳にはいかなかった。
「もうここの本は全部読み終わったのでしょう? 気晴らしに散歩でもしない?」
「……そうだね。最近は家とここの往復しかしてなかったし」
自分を気遣ってくれる相手を無碍にする訳にはいかず、あまり気乗りはしないが妹紅は輝夜の提案に乗ることにした。
* * *
特にあてもなく里を歩き回る二人。
会話もなく歩いているだけでは意味が無い。世間話など妹紅としたことがない輝夜だったが、何とか話題になるものは無いかと辺りを見渡した。
「ねぇ妹紅。あそこの茶屋に寄ってみない? お菓子が美味しいって噂よ」
輝夜がその店を指差す。妹紅がその方向を見た途端に溜息を漏らした。
「あぁ、確かに美味しいよ。慧音とよく行った……」
「…………」
「じゃ、じゃああそこ行かない? 服でも買ってさ。妹紅ってスカートも似合うと思うの」
「慧音に無理やり穿かされたことがあるよ。『女の子らしい格好もしてみたらどうだ?』ってね……」
「…………」
輝夜は顔をしかめた。ここではどんな話題を振っても慧音に結びつくのではないのかと。妹紅とは殺し合いしかしたことがないので、こんな時にどんな話をしていいのか分からなかった。
輝夜が話しかけない限り妹紅が口を開くことはなく、やがて輝夜の口数も少なくなり、いつのまにか二人は無言のまま迷いの竹林の中を歩いていた。
何処に向かって歩いているのか、それは二人にも分からない。似たような景色ばかりが流れていく。
「ねぇ、何処に向かってるの?」
妹紅の歩みが徐々に速くなっていることに気がついた。気を抜くと二人の距離が段々と遠くなっていく程に。
妹紅は答えない。まるで何かに導かれるように歩き続けた。
どれだけ歩き続けたのだろうか。輝夜は妹紅の姿を見失っていたが、足音を頼りに後を追い続けた。
ふいに足音が止んだ。
小走りでその場所へ近づいていくと、妹紅の背中が見えた。
「ここに何かあるの?」
隣に並び、横顔を覗いてみると、悲しそうな、何かを懐かしむような顔をしていた。
妹紅の見ている先を目で追ってみるが、これといって他の場所との違いが見当たらない。しかし、妹紅にとっては忘れられない何かがここであったのだろう。
静寂に支配されていた二人だけの空間に、妹紅の静かな声が響いた。
「まだ、お前と殺し合いなんかを始める前の話さ。あの時はこの体が嫌で仕方がなかった……」
妹紅は一度言葉を区切り、輝夜を見た。
「責任を感じてる? 輝夜が気にすることじゃない。あれは私の一方的な逆恨み」
「でも……」
「この話は終わりだ。続き、話してもいいかな?」
「ええ……」
* * *
不死の体になって以来、輝夜に復讐することだけを考えて生きてきた。永劫に続く時の中では何か目的がないと心が持たないから。何百年の時が過ぎても輝夜に会えなかった。もう輝夜は死んでいるのだろうと諦めた時、妹紅は生きる意味を失った。
自ら命を絶とうとしたが無意味だった。
高所から身を投げた。地面に激突した瞬間、四肢はバラバラに千切れ、人としての形すら保っていなかった。しかし、散乱した肉片がゆっくりと一箇所に集まり、結合し、元通りになった。
毒を飲んだ。全身が痙攣し、心臓が破裂しそうなほど暴れだし、口から泡を吹いた。しばらくそんな状態が続いたが、やはり死ぬことはなかった。
首を鋭利な刃物で切り裂いた。傷口から夥しい量の血が流れ出し、足元に血溜まりを作った。血を流し過ぎたため、意識が飛びそうになるが、ただそれだけ。流れ出た血は全て妹紅の体内へと戻っていった。
どんな方法も無意味だと知った妹紅は、絶望に顔を歪め、声が枯れるほど、喉が潰れるほどに絶叫した。同時に全身が炎に包まれた。
数百年の時の中で身に着けた妖術による炎が、妹紅の体を蹂躙する。煙が立ち昇り、骨すらも残さない業火で自らを焼き尽くした。
そして灰だけが残された。
一陣の風が吹き、灰は空へと舞い上がり、消えて無くなるはずが、何かに操られているかの様に人型を為した。今までに比べて時間はかかったが、やはり何事も無かったように妹紅は復活した。
もはや妹紅の心は壊れる寸前だった。虚ろな目つきで手にした刃物を自らの心臓に突き刺した。肉を裂き、肋骨の間を通り、心臓に到達する度に激痛が走り、体が震え、意識が途切れるが、刃が体外に出る頃にはもう蘇生していた。
何度も同じ行為を繰り返す。何度も、何度も、何度も、何度も。
もっと力を込めれば死ねるかもしれない。ぼんやりとそんな事を考え、刃物を握る手により一層力を込め──
「何をやっているんだ!」
胸に刺さるはずの刃は、声の主によって阻まれていた。
「離してよ……」
「どうしてこんなことをする!?」
「関係ない。離さないと、指落とすよ」
刃を握る手からは赤い血が流れていた。
妹紅が腕を横に振れば、親指を除く全てが地面に落ちるだろう。
「好きにしろ。絶対に死なせないからな」
妹紅は柄の部分を強く握り込んだ──
瞬間、乾いた音が響き、妹紅がその場に崩れ落ちた。
「済まない。こうでもしないとな……」
その手には妹紅が持っていた刃が握られていた。
「私は上白沢慧音という。煙が上がっていたので何事かと思って来てみれば……」
「どうして邪魔をする……」
「どうしてって、まだ若いのに死に急ぐものではない」
「こう見えても、あんたの何倍も生きてるよ」
「どういうことだ?」
「言葉の通りさ」
慧音が座り込んだ妹紅を見下ろす形で話は続いていく。
「証明してみせようか。ちょっとそれ、返して」
慧音の手に握られている刃物を指差し、ゆっくりと立ち上がった。
怪訝な顔をした慧音だが、妹紅に大丈夫、自殺なんかしないからと諭され、渋々刃物を手渡した。
刃の部分には血が残っていた。
慧音からそれを受け取ると、すぐさま空いている方の腕を切りつける。皮膚が裂け、血が滲み出る。
「おい! 一体……」
何をしている。と言い終える前に傷口は跡形もなく消えていた。
「あんたが手に怪我してまで止めなくても、私は死ぬことはないんだよ」
「では何故意味のない事を?」
「何度も繰り返しやっていれば、いつかは死ねるんじゃないかって」
「……良かったら話を聞かせてくれないか。何か力になれるかもしれない」
「力になれるかどうかは期待しないけど、話をするだけならいいよ。時間は死ぬ程あるわけだしね」
妹紅は自分の生い立ちから、蓬莱の薬のこと、現在に至るまで、全てを話した。
「そうだったのか。私はてっきり妖怪の類かと勘違いしていた」
「仕方ないよ。死なない人間なんて私ぐらいしかいないだろうから」
「それで、どうだい? あんたに何か出来ることはあるの?」
「ふむ……」
慧音は黙り込み、考えを巡らせている。
「次会う時までに考えておこう」
「次って? また会うの?」
妹紅は少し驚いた顔を見せた。
「ああ。時間は死ぬほどあるのだから少しぐらいは付き合ってくれてもいいだろう?」
「ま、まぁ少しぐらいならな……」
「そういうわけで、また明日だ」
「明日かよ……」
* * *
「そうだったの。ここで初めて……」
慧音と共に歩んできた道、楽しかった思い出、全てはここでの邂逅から始まった。
「それで慧音の奴、本当に次の日に会いに来てさ、何て言ったと思う?」
輝夜は黙って妹紅の話に耳を傾けている。
「『死なない体でも妹紅はれっきとした人間だ。こんなところで隠れていないで、人間らしく里に下りて来て、そこで暮らすんだ』って。そしたらいきなり抱きしめられた。突然過ぎて意味がわからなかった。でも涙が溢れて止まらなかった。何百年ぶりに感じたよ。人の温もりってやつを……」
──何なら私の家に来るといい。
「最後にそう言われて、涙で顔をくしゃくしゃにしたまま首を縦に振った」
「それからは楽しいことしか無かったな……」
すっかり暗くなった空を見上げ、慧音との楽しかった日々に思いを馳せる。
妹紅の頬に一筋の涙が流れた。
「名前を呼んでくれるだけで嬉しかった……目を覚ましたとき、隣にいるだけで心が安らいだ……くだらないことで笑い合うのが好きだった……」
慧音との思い出を語る度に涙が溢れ出した。
「身体は何をしてもすぐ再生するのに、どうして心だけは……」
輝夜は痛い程に胸を締め付けられていた。自分がどうにかできることではない。何と声をかけていいか分からない。ただ同情することしかできないが、そんなことに何一つ意味は無い。妹紅が自分で立ち直らなければならないのだ。
しかし、これぐらいなら許されるだろう。
「妹紅。実は慧音から預かっているものがあるの」
妹紅は顔を上げた。一寸先すら見えない暗闇の中に、希望の光を見出したかのような表情で。
輝夜は懐に手を入れ、取り出した物を妹紅に差し出した。
「手紙……」
「折を見て渡してくれと頼まれたわ」
壊れ物を扱うように、封筒から綺麗に折りたたまれた和紙を取り出した。
寺子屋で教えていた時、家で書き物をしていた時に、何度も目にした慧音の綺麗な字が並んでいる。
『妹紅へ。
この手紙を読んでいるということは、相当参っているのだろうな。また昔のように一人になろうとしているのではないか? でもそれは駄目だ。前へ進むんだよ。後ろを振り返るなとは言わない。たまになら構わない。だが、後ろばかり見ていて、前へ進めないようでは、私と妹紅の出会いは無意味になってしまう。そう思わないか?
人は一人では生きていけないからな。輝夜や永琳とは仲良くするんだぞ。同じ時間を歩んでいけるのはあの二人だけだからな。
私は人なんかじゃない。だから一人で大丈夫だ……なんて思ってないか?
妹紅は寂しがり屋だから、泣いてばかりいないか心配だ。誰かを想って涙を流せるうちは化け物なんかじゃない。人間だよ。
妹紅、お前は不死鳥だ。その身体だけではなく、何度も甦る心も持っているはずだ。
だから、
強く、生きろ。
妹紅が立ち直ったら、たまには私の方から会いに行こうと思う。妹紅がこちら側へ来ることは無さそうだからな。閻魔様にお願いすればいいのだろうか? まだ勝手が良く分からないが多少は融通を利かせてくれるはずだ。
最後にお願いがあるんだが、聞いてくれると嬉しい──』
妹紅は読み終えた手紙を折りたたみ、封筒にしまってからポケットに入れた。
「悪い、ちょっとやることができた」
そう言って、輝夜を置いて走り出した。
「ちょっと! どこ……」
あっという間に妹紅の姿は見えなくなってしまった。日が沈んでしまった今、どこへ行くというのか。
輝夜が視界の片隅に捉えたものは、決意に満ちた妹紅の双眸だった。
「……もう大丈夫そうね」
そう言って、輝夜は笑った。
* * *
妹紅が走って向かった先は寺子屋だった。
走りながら手紙の最後に書かれていた言葉を何度も反芻する。
『里の人間たちを、子供たちを頼む』
慧音が守りたかったもの。その遺志を継ごうと妹紅は決めた。
人間たちを守る、子供たちを育てる。今まで慧音がしてきたことを引き継ごうと。
終わりなどない。この不死の身体、人間たちの為に捧げよう。
そして妹紅は気づかされた。
手紙の最後の言葉。
忌み嫌っていた不死の身体に意味をくれたのだ。
『不死でもない限り、ずっと見守り続けることなど不可能だ』
慧音の生前の言葉を思い出した。
* * *
数ヵ月後、
あの日以来、輝夜と妹紅は顔を合わせていない。
少し寂しさを感じた輝夜は妹紅を探して里を訪れていた。
もうあそこには来ていないだろうと思ったが、なんとなく寺子屋に向かうことにした。
目的地が見えた。すると寺子屋から二人の男の子が出てきた。
「手加減して欲しいよなー。まだ痛いよ……」
「うん。たぶん慧音せんせーより痛いぜ」
そう言いながら、二人とも額を手で押さえていた。
その二人に続いて姿を現したのは、
「明日は宿題忘れるんじゃないぞー。3回忘れたらフジヤマヴォルケイノだからな」
「わかってるよー じゃ、また明日ねー」
「妹紅せんせー、ばいばーい」
「ああ、また明日なー 気をつけて帰れよー」
二人の背中を見送る妹紅を見て、輝夜は目を見開いた。
「妹紅……何してるの?」
「あぁ、輝夜か。何って、見ての通りじゃないか」
「なんでまた?」
「慧音に頼まれてさ……」
「そう……良かったじゃない。それにしても、あなたが人に教えることなんてできるの?」
「あの時、ここにある本は全部読んだからな」
親指でたった今自分が出てきた建物を差した。
「私にも手伝えることがあったら遠慮なく言って頂戴」
「一体どういう風の吹き回しだ?」
輝夜は答えずに、くるりと妹紅に背中を向けて歩き出した。
「あなたが変なことしてるから、何しにここへ来たか忘れていたわ」
慧音が一日だけこっちへ戻って来るって、と続けた。
「ほう、そりゃ楽しみだな」
遺志を継いで寺子屋の先生になったり、妹紅に宛てた手紙に書かれていた
『不死でもないかぎり~』という言葉なども良かったですし、面白いお話でした。
誤字の報告です。
>その中央に妹紅は胡坐とかいて座っていた。
『胡坐をかいて』ではないでしょうか。
あと、すこしずつ気を使う輝夜に良いカリスマを感じました。
ただ、話の筋を頭っから決め付けて追ってしまっているようで、動きが(心の動きも含めて)固く感じました。
地の文の視点や場面、表現をもう少し推敲すればよいかもしれないかと思います。
再度言いますが、お話としてのストーリーはとてもよかったのでこれからに期待しています。
>ご指摘ありがとうございます! 修正しておきました。
「不死でも~」のセリフは中々決まらなかったので、そう言って頂けるとモチベーションが上がります!
>悲しみとか絶望を書くのは結構好きなので、その辺を評価してもらえて嬉しいです。輝夜も妹紅の理解者の一人ですからね。
>評価ありがとうございます。
ご指摘頂いた点を考慮しながら読み直してみると、確かに、と思うことばかりでした。精進したいと思います。