ぱちりと目を開けて、私はすぐさま固まった。思わず、はっと息を飲む。
上半身を抱きしめられていた。誰ってそれは、咲夜さんに。
咲夜さんのベッドの上、咲夜さんに抱きしめられながら、今まで眠っていたようだ。
確か眠りにつくときは、手を握り合っていたと思うんだけど、おかしいなぁ……。
私が眠った後に、咲夜さんが抱きしめてきたのかな? あわわ、想像したら恥ずかしくなってきた。
内心おろおろして、どうしたものかと悩んだ末、上体を動かして腕から逃れることにした。
だって、あまりにも身体が密着していて、咲夜さんの体温が伝わってきて、あぁ、恥ずかし過ぎる。
別に嫌じゃないんだけど、すごく嬉しいんだけど、でも駄目、やっぱり恥ずかしい。
……あぁもう、本当に私は羞恥心が強すぎるだろう! 少しヘコむなぁ……。
咲夜さんを起こさないように、ゆっくりと身体を離した。
正確に言えば、しようとした。
「……あれ」
ぐいぐい背中で腕の力を緩めようとするけど、上手くいかない。と言うか、咲夜さんの力、結構強い。
一見、華奢なように見えるけど、結構、力はあるのかもしれない。
思えばメイドとして、一日中立ち働いているんだもんね。仕事内容は思い切り肉体労働だ。日がな一日門の前で突っ立っているだけの私より(時々、庭の世話もしてるけど)しっかりと身体を動かしている。人間の女の人の中では、強い部類に入るんだろう。
それにしても、眠りながらこの力を維持するとは、さすが咲夜さん。恐るべし!
まぁ、妖怪の私がその気になれば、この程度の束縛は苦もなく抜け出せるけど、そうしたら咲夜さんを起こしてしまいそうだ。それに、そこまで力を出すほど、この束縛は嫌なものじゃないし……。
「うーん、どうしよ……」
でも、やっぱりこの体勢は恥ずかしい。密着してるんだもん。近過ぎる。恥ずかしい。
咲夜さんの吐息とか、体温とか、香りとか、あぁ、もう駄目! こんなの耐えられない。恥ずかしい!
ぐっすりと寝入っている咲夜さんには悪いけど、少し力を出させて頂こう。
「ごめんなさい……」
小声で呟いて、私はぐっと身を引いた。咲夜さんの腕が緩んで、私は間からすり抜けた。
「謝るくらいなら、最初からしないで欲しいわね。こういうこと」
「――あれ……?」
腕から抜け出して、上体を起こしたはずなのに、いつの間にか私は再び寝転がっていた。
目の前には不機嫌そうな咲夜さんが……ってあぁ! 咲夜さん起きてた? それとも私が起こした?
しかも、この状態、どう見ても能力を使われたよね。……私、咲夜さんに時を止められたんだ。
そう気付いたら、さーっと血の気が引いて行った。まずい。この状況は非常にまずい。
普段、私に能力を使うことなんてないのに、使ったということは、それほど怒ってるんだ……。
「あれ? じゃないでしょう。何私の腕の中から逃げ出そうとしてるのよ」
「逃げだそうなんて、そんな。あはは……」
「誤魔化そうったって無駄よ」
「――っ」
咲夜さんの手が伸びてきて、反射的に目をつぶった。しかし何も起こらない。
恐る恐る目を開けると、仏頂面の咲夜さんが、苦々しそうに見下ろしていた。
伸ばされた手は、進むことも戻ることもなく、私と咲夜さんの間、中途半端な位置で止まっている。
傷つけた……。 一瞬の後に理解した。頭をがつんと殴られたような衝撃が走った。
「――っ! あの、咲夜さん、私……」
「ねぇ、美鈴。私、そんなに怖い?」
「な、そんなこと!」
「だって貴女、今、完璧に怯えてたわよ」
「ご、ごめんなさい……」
「謝って欲しいわけじゃないの。……まぁ、良いわ……。こんなのもう慣れっこだから」
「え?」
咲夜さんは、ふぅ、とため息をつくと、乱雑にわしゃわしゃと頭を掻いた。
普段見せない粗雑な仕草で、思わず私は、じっと見つめてしまった。
「どうしかした?」
「あ、すみません。ただ、珍しいものを見たと……」
「え? あぁ、私だってこれくらいはするわよ。と言うか、自分の最もプライベートな場所でまで完璧で瀟洒でいる必要、ある? そもそも私たち、寝巻きのまんまだし、格好つけても締まらないでしょ?」
「あはは、それもそうですね」
「……まったく、やっと笑ってくれた」
「あ……」
思わず緩んだ頬に咲夜さんの手のひらが触れた。寝起きのためか、いつもより少しだけ熱い。
確かめるように手のひらを見てから、再び咲夜さんに視線を戻すと、真摯な眼差しがそこにあった。
美しい、心の奥まで見透かすかのような青い瞳に、吸い込まれそうになる。目が逸らせない。
「……生娘的な羞恥心と、私に喰われそうで怖い! って言う女性の本能的な恐怖心ね……」
「え……?」
「いやまったく、この防衛本能は、なかなかの強敵ねぇ……」
「いや、あの、と言うか、冷静に分析しないでください! 恥ずかしいですよ」
「何言ってるの。そう解釈でもないと、拒否されるこっちとしてはやってられないの。傷つくのよ」
「あ、うぅ……」
思わず、地霊殿の主にでも覚らせたのかと思いましたよ。咲夜さん。
……だって、だってしょうがないじゃないですか。こういうの恥ずかしいんですもん。
むしろ、積極的で、恥ずかしがらない咲夜さんのほうが、私としては信じられないですよ。
傷つけてるのは、とても申し訳なく思いますけど……。
……うーん、最近の人間の女性は、恋愛に積極的ってことですか? そんな積極的な咲夜さんには大変申し訳ないですが、私は古い考えの妖怪なんですよ……。お母さんにも厳しく言いつけられて……
「口ごもっちゃって、可愛いわね」
「……うぅ、そんな意地悪な顔で、恥ずかしいこと言わないでください」
「あらあら、頬が林檎みたいに真っ赤よ? そうだ。今日のお茶菓子はアップルパイにしましょう」
「えぇ!? 思い出すから止めてください!」
「何言ってるの? それが目的だもの。愛情込めるから、ちゃあんと残さず食べてね?」
「――あぁあぁ、もう耐えられない!」
このままでは悶死してしまう! どうしてこんなに次から次へと恥ずかしい言葉が出てくるんだろう? その発想力はどこから……。言われ続けるこっちの身にもなって欲しい。
「耐えられない? じゃあ、さっきみたいに抜け出してみたら? ここから」
「う……」
咲夜さんは私の頬から手を離すと、シーツの上に置いた。両脇に手を突かれた私には、逃げ場がない。
……と言うか、この状況、実はとんでもない状況なんじゃ? 今更だけど、私押し倒されてる!
あぁ、お母さん、私は一体どうしたら……。恥ずかしいよ。身の危険を感じるよー。
予防策は教えてくれたけど、こうなった時の対処法は教えてくれなかったもんな……。
落ち着け、落ち着け。口から心臓飛び出しそうだけど落ち着け。何か打開策があるはず……。
――はっ、待てよ。まだ逃げ道があった! 横が駄目なら下だ! 下からするりと抜け出そう。
思いついた瞬間、私は寝起きとは思えぬほど素早く体を動かし、強引にすり抜けた。行けー、私!
「甘い!」
「ひゃ!」
動きを読んでいたかのように、咲夜さんの膝が私の脚の間に割り込んできて、慌てて動きを止めた。こうなっては、下から逃れることは出来ない。……と言うか、ますます危ない状況に陥ってしまった。
「めいりーん。まさか本当に逃げようとするとはね。私が傷つくって言ったそばから……酷いわ」
「な、何を仰いますか! だって咲夜さん、意地悪なんですもん!」
「意地悪……ねぇ……」
咲夜さんは、何か考え込むかのように視線を逸らすと、再び私の目を覗き込んできた。
……あ、これは、さっきの、真剣な眼差しだ……。
普段の咲夜さん……と言うか、メイド長としての、完璧で瀟洒な咲夜さんだ。
「じゃあ今日は、もう意地悪するのは止めましょうね」
「え……?」
「ここから先は本気モードよ」
言うや否や咲夜さんの顔がぐんと近付いてきた。咲夜さんが肘をついたからだ。
脚に、お腹に、咲夜さんの重みを感じる。今までにないほど密着されて、思わず固まってしまった。
「美鈴、キスだけなら、良いでしょう?」
「き、キス……ですか?」
「えぇ。メイド長である、この私が、それだけで良いって言ってるのよ。もちろん良いわよね?」
言葉を紡ぎながら、咲夜さんは私の長い髪を玩び始めた。優しい声音ながらも有無を言わせない口調。先程、困り顔でわしゃわしゃと頭を掻いていた人とは思えない。
咲夜さんはずるい。例え寝巻きのままだって、こんなにも格好良くなれてしまうんだから……。
「美鈴、良いわよね」
「……咲夜さん」
「拒否権は、ないわ」
あぁ、ますます顔が近付いてくる。熱い吐息がかかる。でも、私は動けない。
慈しむような表情からは、先程の意地悪さは完璧に消え去っていて、そんな咲夜さんに、魅せられる。
抵抗なんて、もう、出来るはずもなかった。
「――っ」
視界が咲夜さんで埋め尽くされたと思ったら、唇に柔らかい感触。
咲夜さんの唇だ。反射的に、呆けたまま半開きになっていた唇を引き結んだ。
「……逆よ。開けなさい」
「……ぅ」
唇に咲夜さんのねっとりとした舌が触れる。
催促するように両唇をなぞられると、くすぐったく、むず痒い感覚が沸き起こった。
甘く優しい命令に逆らうことは出来なくて、恐る恐る唇を開いた。
「っ、……っ」
開くやいなや、咲夜さんの舌が遠慮なく入り込んできた。
「ん、ん……」
近い……いや、これは近いなんてものじゃない。
咲夜さんの熱が、舌と吐息を通して伝わってくる。
舌や、粘膜や、口内隅々まで探られて、もうわけが分からない。
あぁ、そんな奥、私も触ったことがないのに……。
近い。いや、近いなんてものじゃない。だって身体の内側から咲夜さんを感じるもの。
駄目。もう駄目。これ以上は。これ以上の侵入は。
二人の境界線が、あやふやになる――。
「――っ」
咲夜さんの侵入に耐えられなくて、私は舌で舌を押し返した。すると、するりと絡みついてくる。
咲夜さんの舌の、熱く、湿った、ぬるりとした感触をはっきりと感じて、身体が震えた。
これが快感によるものなのか、緊張からくるものなのかは、良く分からない。判断している余裕がない。
思わず引っこめると、奥まで追ってくる。逃げても逃げても、解放してはくれない。
苦しくなって、目線で咲夜さんに訴えようと目を合わせると、青い瞳は氷解したかのように潤んでいた。こんな目は見たことがない。熱く溶けた瞳を目の当たりにして、一気に心拍数が跳ね上がった。
いくら鈍い私でも、欲情されている、と気付くには十分で、それと同時に、自分も今同じ状態なのかもしれないと思った。私の目も潤んでいてたまに視界がぼやけてしまう。咲夜さんと同じように潤み切った目をしているに違いない。唇を離してしばし無言で見つめ合った。私の呼吸ばかりが、荒くてうるさい。
「……咲夜さん……」
「……捕って喰ったりしないから、逃げないで」
再び唇を塞がれた。逃げないで。という咲夜さんの声が、頭で反芻される。逃げないで。逃げないで。……あれ? 何で私は逃げたんだっけ? 恥ずかしいから? 初めての感覚に戸惑ったから? そうかもしれない。でも、逃げないで。咲夜さんは、そう言った。逃げる。でも。逃げる。私。逃げないで。そう。私は、こんなに咲夜さんのことが好きなのに。逃げないで。そうだ。逃げるなんて、おかしい――。
「……っ、……は……」
咲夜さんの舌に、少しずつ自分の舌を絡ませた。正しいやり方なんて、分からない。技巧も何もなく、ただただ夢中になって、一所懸命、咲夜さんを求めて、自分の気持ちを伝えた。だってこんなに身体から溢れるくらい咲夜さんのことが好きなのに、逃げたら何も伝わらない。それだけは嫌だった。
勢いだけの、稚拙なキスにもかかわらず、咲夜さんは咎めることなく、優しくリードしてくれた。
「……ふ……っ」
頭の奥が痺れて、じんじんする。唇も痺れている。意識がぼんやりして、頭が上手く働かない。
……もう、限界かもしれない。そう感じ始めた頃、咲夜さんのほうから唇を離してくれた。
途端に、口内にひんやりとした空気が思い切り入り込んできて、思わず私は咳き込んでしまった。
「――ちょっ、美鈴、大丈夫?」
「はっ……はぁ……へいき、です。すみま、せん……」
「良いから、ゆっくり深呼吸しなさい」
咲夜さんは私の背中に腕を入れて持ち上げると、私をベッドに座らせて、背中を優しくさすってくれた。咳の衝撃で零れ落ちた涙は、指先でそっと拭ってくれた。
「……すみません。私、はぁっ、格好悪いですね……」
「謝らないで。むしろ謝るのは私のほう。貴女がキスの止め時なんて分からないって知ってたのに、私、貴女が積極的になってくれたのが嬉しくて、止められなかった。もっと早く離してあげれば良かったのに」
「そんな……こと……」
身体を支えてくれている咲夜さんの肩に、そっと寄りかかった。
今なら。羞恥心が薄れている今なら、素直に咲夜さんに甘えられそうな気がした。
「嬉しかったですから……」
「……そう」
咲夜さんは、一瞬間を置いてから、そっと返事をした。
「本当ですよ?」
「分かってるわよ。……貴女の恥ずかしがり屋なところも、純真なところも、全部分かってるから」
言いながら、咲夜さんも身体を傾けて、私に寄りかかってきた。
でも、背中はきちんと支えてくれている。そのさり気ない優しさが嬉しくて、何だかくすぐったかった。
「……咲夜さんが、好きなところも?」
「それはもう、十分過ぎるくらい」
「あはは」
揺るぎのない、自信に満ち溢れた答えを聞いて、私は思わず笑ってしまった。
「何よ。自分から振っておいて。……まぁ、良いわ。私、貴女の笑顔が一番好きだから、貴女のためなら滑稽なピエロにでも、間抜けな愚者にでも、何にでもなりましょう」
「ふふ。何ですかそれ」
「言葉通りの意味よ」
笑い混じりにそう言うと、咲夜さんは再び私の髪を梳き始めた。咲夜さんに触られるのは、とても心地良い。ブラッシングされるペットの気持ちって、こんな感じなのかもしれない。もしも私が猫だったら、間違いなく喉をゴロゴロ鳴らしているだろう。
「もう少ししたら、着替えましょう。着替え終わったら、私が髪を結んであげる」
「良いんですか?」
「えぇ。貴女の髪は柔らかくて指通りが良いから、好きなの」
「ありがとうございます」
今の言葉で、私はこれからも髪をロングにし続けようと思った。たまに、髪を洗ったときとかに、長いのが鬱陶しくなるときもあるけど、絶対に短くするのは止めよう。それからきちんと手入れもしよう。
髪を褒められただけなのに、嬉しくて仕方がない。
「それから、今日の仕事が終わったら、その髪を私がほどいてあげるわ。……優しくね」
「ありがとうございま……え?」
ほわほわした気分で咲夜さんの言葉に返事をしようとしたけど、何だか声に不穏なものを感じて慌てて振り返った。その視線の先で、咲夜さんは案の定、とても愉しそうな目をしていた。
「と言うことで、今日も一緒に寝ましょうね。美鈴」
「えぇ!? そういうことですか?」
「そういうことなのよ。ふふ、今日もお仕事頑張れそう」
「う……」
そう言われてしまっては、断ることが出来ない。それ以前にその言葉に喜んでしまっている自分がいる。
……あぁ、やっぱり咲夜さんはずるい。いつだって私は、咲夜さんの意のままになっている。
思わず、むう、と眉根が寄った。このまま終わるのは悔しくて、せめてもの仕返しにと、反動をつけて思い切り咲夜さんの腕に体重をかけた。耐えきれずにぐらりと倒れるかと思ったけど、びくともしない。暫し固まっていると、上からくすくす咲夜さんの忍び笑いが聞こえてきて、一瞬で頬が熱くなった。
「まだまだね。美鈴。メイドは存外、力仕事なの」
今日のところは私の完敗のようだった。
私が咲夜さんに勝てたためしは、今まで一度もないけれど……。
そしてイカロ池wwww
とまぁ、冗談はこの辺にして。
文章は丁寧に作られている感じがして読みやすかったです。
でも、台詞回しが少し説明臭かった気がしました。特に咲夜の台詞が。
最後に。なんだかんだ言いましたけどこの甘ったるい空気結構好きなので、これからもがんばってくださいね。
⊂(゚∀゚)⊃ そ こ ま で よ !
…失敬。咲夜×美鈴は大好物なもので…
うい美鈴に乾杯。ふつくしい咲夜さんに完敗。咲夜さんの眼差しは反則ですよねー
応援してますので今後もバシバシお願いします!
いや、ここまでどストレートなのがくるとは……
何かオチがあるものだと信じて疑わなかったのにww
しかし良いものを見たぜ、ぐへへ
甘くて、甘いだけじゃなくて、良かったです。
雰囲気が特に。
だれか、だれか塩辛ください……
しかしこれはいいさくめーでした。
めーさくではなくさくめーなのがミソ。
口から砂糖が止まりません!w
ご馳走様ですいいぞもっとやれ