Coolier - 新生・東方創想話

秘封倶楽部の幽幻樂談

2009/06/07 23:36:02
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「ねえねえ蓮子。聞いて聞いて」
「何よメリー。話なら逃げないわよ」
「幽霊捕まえてきたのだけど、どうしようかしら?」



 新罧原街道に新たにオープンしたカフェは、川沿いの景観も相まって秘かな人気があった。
 車折神社の駅から歩いて15分。気軽と不便の境目にある位置取りが、そこに辿り着くまでのステップで気分を盛り上げてくれる。
 一時間事に品が代わる和衣装のウィンドウショップ。源平合戦を模した動く竹細工の森。噴水とトワイライト式ヴァーチャルが織りなす色水展。
 どれも通りがかりに横目で見るには丁度良い。

 こういった人の眼を楽しませるだけの娯楽で溢れているのも、首都の意地みたいなものだろうか。
 無駄に凝った職人芸が、かしこの場所で繰り広がれており、お祭り騒ぎのようになっているが、その実、まったく何もない空間も所々に配置されている。
 時間帯によってはこれら全てが眠るように動きを止め、その流れが静と動の風情を実現するのだ。

 車は地下を、人は地上を。
 昔に書かれた絵本のような交通網が、いち早く京都には実装され、それが当たり前になってから久しい。 
 そのおかげか、地上の元車道は人の精神を慰めるもので満ち溢れた。
 当初は『昔ながらの雰囲気を』というコンセプトがやや走りすぎた感もある首都圏だが、デザイナー達の弛まぬ努力によって日々洗練され続けている。
 一部ではロジックでも組み替えるように景観を操作できるようにしたというものだから、大したものだと言うべきか大した暇だと言うべきか……。

 ともあれ、今回はこの華やかなる待ち合わせ場所で私たちは落ち合ったのだけど、
「あまり好みじゃないなぁ」
 と、メリーは一蹴。いつもの暗げな紅茶館にでも行きたそうであった。
「偶には明るいところがいいわよ。そうしないと黴が生えてしまうわ」
 心の換気は必要だ。変化を少なめに暮らすのは、永遠に生きるつもりなら良いだろうけど、不老不死でも無い限りそれはどうせ達成できやしない。
 百年程度で摩耗しきってしまう人生なら、急いてでも視られるだけ娯楽は堪能するべきだと主張する暇人も割と多いのだ。
 まあ、私は単に美味しそうなケーキでも出ていないか気になっているだけだけど……。
 二人で川に一番近いテラス席に陣取ると、ベルを鳴らしてメニュー画面を宙にだす。

「変に凝ったような名前が多いわね。このジャパニーズ・グリーンティーって……ただのお茶でしょう。元の名前なら一文字で済むのにね」
 メリーはそう言うが、それだと流石に侘びしい感が漂い過ぎると思う。
「ケーキは普通かなぁ。やっぱりいつものところの方がいいのかも」
 残念ながらケーキの種類は落第点だった。
 これではメリーのぼやきも納得してしまいそうで少し悔しい。次はまた、あの陰鬱な雰囲気の紅茶館に逆戻りだろうか。
 注文の入力を済まして、カードで精算する。
 二人が頼んだのはどちらも同じ和菓子とお茶だった。食べ物の方も、非常に長ったらしく回りくどい名前だったのはご愛嬌。  

「それでそろそろ」
「うん?」
「幽霊の事だけど」
「あら、そろそろだったのね」

 先程、落ち合った際の会話の続きとなる。
 少し遅れたが自己紹介。私の名前は宇佐見蓮子。うさみれんこ、と読む。メリーからは普通に蓮子と呼ばれている。
 続きまして彼女の方は、マエリベリー・ハーン。そのままだと言いにくいので、メリーという愛称で呼んでいる。
 そして私達の関係は、同じサークル仲間というもの。とは言っても、二人しか居ないサークルだけどね。

「そういえば蓮子。今何時?」
「ん? ああ、今は15時07分よ」

 少し空に眼を向けて、そう答えた。今は昼間ではっきり分からないが、夜なら秒単位で答えられただろう。
 私には星を見ただけで今の時間が分かり、月を見ただけで今居る場所が分かる程度の能力がある。
 昼間は一見、星は見えないが、そこにある事には変わりないので多少の判別は可能だ。
 太陽という指針もあるし。うん、少し前より冴えてきているかもしれない。
 相変わらず気持ち悪いわねぇ、と言いながらメリーは注文した品を受け取っている。……人を時計代わりにしておいてそれはないなぁ。

 それにしても、ここではロボットではなくちゃんと人が運んでくるんだ。
 しかもその格好は矢絣に袴。そして足元は編み上げのショートブーツ。髪留めにはバレッタを使ったリボンかな?
 ほぼ紫で統一されていてまるでスミレが歩いているような印象を受ける。
 いつの時代かの制服をモチーフにしているようだけど、ちょっと気に入った。これでケーキの種類さえ豊富ならば、アルバイトを考えていたかも。

「こういうのでも三時のお茶なのかしら?」

 スリーピース・ライスケーキ、いわゆる串団子を見つめながらメリーが首をかしげた。
 わざわざ横文字テイストにしてあるのだから、それでも構わないとは思う。
 私にはどちらかというと、三時のおやつという感だけど。確か由来はブンメードウだったっけ。
 それはともかく、

「メリー、そろそろのまま話が切れてるよ。幽霊がどうかしたの?」
「あら、そういえば」
「忘れてたならそれはそれで──まあ、食べてからにしようか」

 なんの合成米を使っているか分からないが、なかなかこのライスケーキもといお団子は絶妙な味わいだった。
 食感もそうだが、特にヨモギの香りというやつだろうか、そこになにか拘りがある気がしてならない。うん、これならまた来てみても良いかな。

「そうね。大人しいからそんなに焦らなくてもいいわよ」

 なぜかカラメルソースをお団子にふりかけながら、フォークで串から団子を一つずつ取り出すメリー。
 その食べ方は……まあ、注意するほどでもないし、当人が美味しく食べられればそれでいいわよね──って、大人しい? 

「メリー。幽霊を捕まえたって言ってたけど……まさか本当に?」
「ええ、そうよ」 

 こともなげそうに言って、メリーがフォークに刺したお団子を口に含む。
 上品な西洋人形がもにゅもにゅと頬を膨らませている。そんな感じのアンバランスさ加減がややおかしい。
 とりあえず、彼女の喫食が落ち着くまで待ってから、私は尋ねた。

「まさか籠か何かに入れている訳じゃないわよね」
「それはそうよ。だってこれだもの」
 
 そう言って彼女がテーブルの上に置いたのは──携帯であった。


 携帯。それは万能性の限界を計るための道具だと誰かが言った。
 それはそうだろう。そうなるように作られていったのだから。
 最初に電話の機能があるものが普及し、次に音楽、テレビ、情報ネットワーク、お財布、身分証明、パスポート。次々と際限なく機能が追加され、携帯電話と呼ばれていたそれも、ポータブルネットやら携帯万理帖やらiPOCやら名前も様々なバリエーションが考案される。
 そして結局一般定着しているのが電話の文字を抜いただけの『携帯』。安いものである。
 単に皆、製作会社のネームアピール合戦につき合うのが面倒くさくなっただけかもしれない。
 
 今メリーが持っているのは、携帯がまだ電話の名を冠していた時代のを模した、シンプルな小機能タイプだ。
 万能の道具は万能過ぎるが故に実用性に欠ける、という文化精神の流れがいつしかでき、今では多機能賛美の方がむしろ少数派だ。
 確かにこのまま防犯のイタチごっこを続けていくよりは賢明だろう。
 行き着くところまで行ったら、不便さというものが利便と同じ意味を含むことに気がつく程度には、社会は落ち着きを取り戻していた。

 でも、こうした歴史の中、携帯で幽霊を捕まえられるという機能は果たして存在しただろうか。
 パッと大学の講義とテキストの内容を振り返ってみたのはいいものの、やはりそういった類の携帯は開発された覚えはない。当たり前だが。
 たまたま小機能タイプのメリーの携帯に、未知の機能が混入していたとも考えにくいし……まあ、そういう万が一は、ある意味彼女に相応しいけど。

「うーん……よくわからないわ。それってどういう事なの?」

 とりあえず未だ無駄な思考をしたがる理性をモグラ叩きで沈めて、素直に降参する事にした。
 メリーは「うんうん。そこが蓮子のいいところよ」とか言って、妙にご機嫌だ。
 こちらが話を聴く立場なのに、上手を取られたようで、私はやや機嫌斜めになる。

「メリー、あまりはぐらかさないで。こっちは話を待っているだけなんて、あんまりよ」
「うん、そうよね。ごめんなさい蓮子。百聞は一見に如かずだわ」

 はい、どうぞ。と携帯を渡される。
 レトロな上下開閉式の画面を広げると、そこには何か不思議なものが映っていた。

「チャペット? メリーにこんな趣味有ったっけ?」

 チャペットはヴァーチャルペットの略称だ。正式にはデータペットというのだが、こちらの愛称の方が好まれている。
 どこでも連れて歩けるし、専用のヴィジョン機能があれば、そこで立体的に活動させることも可能だ。
 生身のペット禁止の場所や、アレルギー持ちの人にも優しいヴァーチャルペット。実体がない事から幽霊ペットと揶揄される事もある。

「もしかして、誰かのデータでも拾ったの? ID登録されているなら、ちゃんと報告しなきゃ駄目よ」

 チャペットはコピーが禁止されている。
 単一である事がよりペットらしいという製作者の趣向だ。この考えはペット愛好家たちにも快く受け入れられていた。
 なので、データベースのやりとりの際にうっかり転送してしまって、情報の海の中、行方不明のペットをもとめて探し回ったという笑い話もある。

「違うわ蓮子。よく見て」

 メリーに促されてもう一度よく見る。
 半球体に尾びれがついたような、半透明の白い塊。たしかにその姿はよくあるディフォルメされたおたまじゃくし型の幽霊に見える。
 これが別の何かだとしたらと考えたが、嫌な連想になりそうなので早々に切り上げた。悪趣味に過ぎるだろう。
 まあ、動きは可愛らしいけど……こんなに単純な造形じゃあ、ペットどころかただの待受画面の映像にしか見えない気もする。つまり、

「ねぇメリー。これでは幽霊を捕まえたって証拠にならないわよ」
 となる。当然。
「あらそう?」
 対して、彼女はまた何でもないかのように、もきゅもきゅとやり始めていた。
 ……本気でこれだけで納得するとでも思っていたのだろうか。

「画面におさまっているものは次元が違うわ。最低三次元で映されないと、まずそれを認めるかどうかの議論で一日終わっちゃうじゃない」

 多次元生物学の基礎である。だけど専攻も違うし、素人同士で語り合おうとするほど不毛なものはない。
 メリーもそれがわかっているだろう。お団子をお茶で飲み込んでから、私から携帯を受け取る。そして溜息を一つつき、

「やっぱり出さなきゃ解らないかしら」

 と、コンコンコンと画面の裏側を叩き始めた。







「幽霊? なんだってそんなものを」
 尋ねに行った先の教授は、開口一番そう言った。


 16時11分。此処は私達の通う大学の、とある研究室。
 研究室とはいっても広々と快適な、まるで室内プールのような部屋である。
 備品も少なく、中央にある巨大な白いナスのような機械が目立つ程度。ヘタ部分が向いている先の空間には、見事になにも置かれていない。
 こういった光景もこの大学という建物内では珍しくはなかった。

 時代が進むにつれ、大学は大きく膨らんでいった。
 会社、店舗、住居、道路、敷地──その他の景気悪い学校や土地を飲み込んで、肥大化していくこの化け物は、国の保護も受けてますます増長していく。
 文化精神は教養によって養われる。学問の館とは人生全てにおいてお付き合いしましょう、と奨励されるようになったのはいつの時代からか。

「ここは不可測物理科学の研究錬だが、君達はどういったものを課題にしているんだい?」

 さて、この化け物屋敷の胃袋の一つで不機嫌そうしている教授は、別に幽霊の存在を馬鹿らしいと考えている訳ではないだろう。
 むしろ逆で、今更そんなもの、と言った感じであった。

 今の時代、幽霊は当たり前のように肯定するもので、むしろ躍起になって否定する事が恥ずかしいという風潮がある。
 これはエネルギー肥大の限界に伴い、物理学が事実上の終焉を迎え、解釈や哲学方面に科学が進んでいる影響だろう。
 他にも理由があるにはあるが、それより、

「いえ、幽霊とはいっても観測上の観点から視た場合のことなのです。教授は特にこちらに詳しいと他の方からも窺っていて──」

 今はどうしても、客観的な現象として見た幽霊というものを確かめたかった。
 【実物】を見せられてしまったからには尚更である。


 先程、メリーが携帯を叩いた次の瞬間、今までコミカルな動きで画面内を泳ぎ回っていたチャペットもどきが、そのまま外に飛び出してきた。
 最初お団子の仲間のようだったそれが、ポンとふくらみ、人の頭より大きくなる。
 急に追い出された事に戸惑っていたのか、ソレは上空で何度か旋回すると、今度は興味深そうにカフェテラスをうろつき始めた。

「どうかしら。三次元にもなったけど」

 メリーはそう言って、グリーンティーの容器を手で弾いた。
 特殊緩衝材が含まれたそれは、音もせず揺らぎもしない。

 ……私はとりあえず、目の前にいるなにかを肯定する作業から入らなければならなかった。
 具体的には、指で頭をねじっていただけど……。──ああ、私の脳の容器はそれほど頑丈には出来ていないようね。
 
「ねぇ蓮子。幽霊の研究というのも、たまにはいいじゃない」
 心の換気よ、と付け加えてメリーはほほえむ。

 私たちのサークルは確かにオカルトの部類に入るけど、まともな霊能活動といったものを行った試しはない。
 それは二人の合意の上で決まっていたことだけど……なんにせよメリーの行動力がなにかしらの課題をよく持ってくるのだ。それが今回、幽霊だったというだけの話である。
 ……以前のような夢の世界のクッキーとか筍とかのほうがまだ対処しやすかった気がする。
 今度は無茶苦茶にさらに磨きがかかっているし……ああ、もう、これだからメリーとの活動はやめられないわ──
「オーケー。じゃあ早速、色々調べてみましょ」
 私はお茶を一気に飲み干して、この好奇心旺盛な【幽霊】の存在もとりあえず呑み込むことにした。


 まずは物理的な見地から、つまり私の土俵から幽霊のアピールをしてみたい。
 そのためには他人の意見が必須となる。最初にアレを見てしまった私には、もう公平な判断はもう難しいだろう。
 客観的に見てこそ明確な真実が存在する。
 そも、私があれをとりあえず幽霊と認めた根拠というのも、メリーは決して下手な嘘や悪戯をしないという信用に他ならない。これではお話にならないだろう。
 ……ああ、なるほど。メリーはそれを思って出し渋っていたのね。迂闊だったなぁ。
 
 ともかく、そういう訳で大学の研究室へ向かい、あれこれそれらしい理由をつけて尋ねてみる事にした。
 最初は渋っていた教授も、私が熱意をもって話すと次第に相好を崩す。
 途中何度かメリーに背中をつつかれたのは、演技がすぎたからかもしれない。……まあ、聞ければいいよね。
 教授は咳払いを一つして、簡単に説明するが……という前置きと共に話し始めた。

「私はね、視認できる幽霊は禁制線の一種なのだと考えている」

 禁制線というのは原子・分子などで、あるエネルギー状態間の遷移が禁止されていて、通常の条件では観測されないが、特殊な条件の下では遷移がおこって観測される弱いスペクトル線の事である。
 平たく言うと、ものすごく確率の低い、滅多に見えない特別な発光線だ。

「電式天文学への応用の一つだが、水素原子の代理をつとめる物体αが観測空間に一様に分布していると仮定しよう。そこに通すことによって、視線上でもこの21cm線が観測されることになる。物体α……これはダークマター等ではなく、電子、またはイオン性物質の可能性が観測証言の状況から高いとみているね。さらにここに、昨今の、フェルミッサーの地表観測によるドップラー効果新理論を組み合わせると、自ずと幽霊の正体が掴めるだろう。ここを詳しく解説するならば────」
「ねぇ、ねぇ、蓮子」
 話に相づちを打つ私の後ろから、メリーが裾を引っ張ってきた。
「ん?」
「置いてかないで?」
 少し困ったように首をかしげて、にっこりと催促をしている。
 私はとりあえず柔らかく話を切り上げ、教授にお辞儀をして、講義の礼を述べた。
 そして、最初入った時よりご機嫌そうな教授から、後で読んでみなさい、と渡された論文データを受け取り、二人で研究室から出る。

 廊下で一度振り返ると、『幽体光学観測室』と書かれたプレートが、珍しく訪れた来客たちを恨めしそうに見送っていた。



「──どこが簡単なのよ。あれじゃ幽霊以上に正体不明じゃない」
 人気のない自動購買で飲み物を買って、近くの窓際の席に落ち着いた瞬間に、メリーからあの講義への抗議が入った。
 とばっちりで携帯をつつかれ追い出されてしまった幽霊が、せわしそうに辺りを飛び回っている。 

「メリーが解らないのは単に知識の問題よ。単語を知らなかっただけの話。今から説明するね」
 そう言いながら、私もその幽霊をつついた。

「──が、禁制線。で、あの後教授は、こう説明したのよ」
 窓にふっ、と息を吹きかける。
 そして曇った硬化ガラスをスッ、と指をなぞると、真ん中に線が浮かびあがった。
「21cm線の観測──霧やホコリに光を当てると線に見えるでしょ?
 幽霊も同じで、なにか特定の空間で観測──まあ、見えやすい場所があるっていう事よ」
「それって……暗いところとか、墓場とか?」
「うん。そんな感じね。で、さらに……ドップラー効果はわかるわよね?」
「わかるわ。救急車のサイレンの事よね」

 ドップラー効果とは波の発生源と観測者との相対的な速度によって、波の周波数が異なって観測される現象のこと。発生源が近付く場合には波の振動が詰められて周波数が高くなり、遠ざかる場合は振動が伸ばされて低くなる。
 メリーの例えでは、救急車などが通り過ぎる際、近付くときにはサイレンの音が高く聞こえ、遠ざかる時には低く聞こえるのがこの現象によるものである。
 ……しかしこれまたレトロな比喩だなぁ。あれはまだ東京では現役なのかしら?

「それも合っているけど、今回は音じゃなくて、光のドップラーね」

 光の場合でも同様の効果が観測され、遠ざかる光源からの光は赤っぽく見え、近付く光源からの光は青っぽく見える。
 そこに昨今の新たに論じられた理論云々は割愛して、結論を言う。

「音と同じで、光も等速距離や条件、見る人の位置によって情報が変化するのよ。
 同じく、幽霊も見る人やその位置によって、変化してしまう事を言いたいようね」
「ふぅん? 隣にいる人だけが幽霊を見てびっくりとか?」

 幽霊のほうを眺めながら、メリーが紅茶をすすった。

「うん。で、これらは幽霊が急に消えたり現れたり、または人によって見える見えない事に対する解釈ね。
 空間に投影された幻影──あくまで【見える存在】としての幽霊の事で、死んだ人の霊魂とか云々ではないわ。これだと……ただの光だもの」

 私も幽霊のほうを眺めながら、珈琲をすすった。

 この理論は細かく詰めていけば観測者の霊感とかの説明までできるだろうけど、その実、色々と推測じみたものに仕上がるだろう。
 昔の人で幽霊はプラズマとか言っていた学者がいたそうだけど、それと似たようなものだ。
 科学が進んだ時代といっても、この辺りが限度かも知れない。【物理】だから当たり前の話だが。

 さて、あのヴィジョンで映されていた教授の熱弁には悪いが、この幽霊に関しては先程の理論は×である。
 確かにこれは光の一種に見えるが、二人で同時に観測しても、そこには著しい差異は認められない。
 ホログラフやカレイドなど光科学現象なら、このような日差しのある窓際席では、角度によって消えたり歪んだりしてしまう。
 というか最初から、真っ昼間の外で見えているし……。
 もしプラズマだったとしても、そこから発せられる高磁場を、大学の防犯設備が黙っちゃいないはず。
 それに、この規模のプラズマをつついた私もただじゃあ済まなかっただろう。
 何より先にメリーの携帯が壊れているはずだ。

「結局、解らないのねぇ」
 
 メリーが手招きすると、飛び回って疲れていたのか、幽霊はおとなしく携帯におさまった。
 うん……完全にチャペット化しているぞこの幽霊。

 ふと空を視る。
 
 時刻は16時58分。夕刻に近づいていた。








 夕食は構内のカフェテリアで摂ることにした。
 とは言っても、お茶やケーキを楽しみつつお腹が減ったら軽食をつまもうといったもの。

 
「そういえば、前に話してた無重力で淹れる珈琲。あれ、ここでも出来るようになったみたいよ」
「ええ?」
  
 新作のケーキを席まで持って行く傍ら、メリーが話題を振ってきた。

「正確には、無重力で淹れたものに“近い”濃厚な珈琲みたいだけどね」

 昨今、月旅行が一般化され、宇宙に浮かぶ人工衛星にまでカフェが設置された事が話題になった。
 真空を利用した、沸騰しながら凍らせるサテライトアイスコーヒー。この目玉メニューはニュースでも大きく取り沙汰された。

 だが一口に一般化されたと言っても、まだまだ一般人がお気軽に行ける料金には程遠い。
 なのでせめて飲み物だけでも、といった声が上がったのも、自然と言えば自然だ。
 その声を受け、先駆けて作った会社のソレは出来が良かったらしく、味の区別がほとんどつかないと評判だそうだ。

「でも、結局偽物じゃない。そんなので満足できるのかなぁ」

 ケーキをテーブルに置いて、私達は向かい合う。

「いいのよ。お団子と同じで、そこに代わりの形を見いだせれば、人は風流を楽しむ事ができるわ」

 そう言って、メリーは雨月というものの話を始めた。
 昔の人は、雨の多い時季のお月見で、丸いお団子に雲の裏側にある満月を視てそれを楽しんだ────というものである。
 
 そうなると、今の人達は無重力珈琲の味で、そこに人工衛星に作られたカフェを夢想するのだろうか。
 なんだか滑稽なようで、その実それはそれで楽しめる人も多いかも知れないと納得する。
 現在はそういった精神性が尊ばれる時代だからだ。

「私は嫌だけどね。やっぱりそういうのは現場で味わなきゃ解らないわ。
 そもそも行ったこと無いのに想像できるわけないじゃない」

 満月は視覚で実物を見ることが出来るが、人工衛星内部のカフェなんて、映像でしか拝めない。
 まるで捏造の捏造。劣化品の重ね合わせ。それではせっかくの高尚な想像も浮かばれまい。

 対して、相変わらず前時代的ね、とメリーは呆れたような声をあげる。

「蓮子、何度も言ってるけど、真実は主観の中にあるわ。
 だから人は映像や小説に言葉、そういったものだけで現実が変わってしまうの。自分が感じるものが真実だわ」

 この美味しいと思えるケーキみたいにね。とメリーは新作のケーキをほおばる。
 私も一口……悔しいがこの例えは強力だった。
 だけど、

「私もこのケーキは美味しいと思うけど、中にはそうでない人もいるわ。
 だからこういったものの真実を計るためには、多くの統一見解、つまりあくまで客観で考えなければならないの」

 このケーキにも人前に出される前、どれくらい多くの人が認めたか、という数値がある。
 それがあってこそ私たちはご馳走にありつけるのだ。
  
「主観も大事だけど、他者の評価やその統計、社会が成り立つ上では多くの証拠が必要だわ。
 これは単純な話──その方が多くに伝わりやすいからよ」

 言葉、文字、映像。様々な情報はその重要度が増すほどに、主観性は取り払われていく。
 これは個ではなく群として進化した人間の性でなのである。
 主観とは客観の前には儚く潰されてしまう幻想なのだ。

「……と、ここまでが前時代のこれまた古びた解釈なわけよね。メリー」
「あら、覚えていてくれたのね」

 くすくすと笑って、メリーは携帯を叩いた。
 分野が異なる二人が議論したところで、水掛け論にもならない。
 そも、偽物云々に関してはメリーも普段から私と同じような事を言っている。反証は話のスパイスと割り切るべきだろう。

 携帯からにゅっ、とトコロテンのように顔(?)を出した幽霊が、二人の間にあるケーキに興味を示したようだった。
 うん、そういえばこの幽霊とはあまり関係ない話だった。  

「蓮子の言いたい事も解るわ。これが幽霊であると証拠を得るためには、つまり、この子を檻にでも閉じ込めて見せ物にして回ればいいのよね」

 メリーがそう言うと、幽霊がビクリ、と動いて私の背後に回った。
 言葉もわかってるのかなぁ。頭は軽そうだけど。

「まあ、単に一人一人に認めさせてしまえば、この幽霊は社会的に存在するようになるわ。でもそれは、」
「今更なのよね」

 現在、幽霊は社会的にも認められている。
 これは実用的な数値で、あるエネルギーが地上を循環している事が観測されたためだ。

 過去、龍脈やらエーテルやら五大元素などと呼ばれた地球上を流れ巡る霊子的エネルギー。
 これが生物という媒介に振動を起こす。あるいは逆に肉体の振動……心臓の鼓動などに惹かれ、肉体にそのエネルギーの一部が宿る。
 これがいわゆる魂であり、肉体が振動を止めた後、宿っていたエネルギーがまだその余波で振動を続けて残留しているもの、これが幽霊である。

 ……という、有名な学士による最もらしい論文が、数多くのデータと共に学界に提出され、それが受け入れられているのが現状。
 つまり心や魂やら幽霊の正体は、電波や音波と変わらない振動であるそうだ。

「ただ、個人観測はやっぱり難しいから、誰々が見たそれが幽霊だとは証明できないという話ね。
 この幽霊を学界に提出してみる?」

 私の後ろで、二度目の震えが走った幽霊がますます縮こまった。これだと提出前に逃げ出すのは確実だろう。
 首を振ってから、とりあえず個人的な観測手段が確立していない事に念頭においた前置きをする。     

「そう言った意味では、幽霊は認められているようで、認められていない。未だ曖昧な定義のままとも言えるわね」

 観測された霊子エネルギーは土地開発分野で今大いに活躍中だ。京都などは元から優れた霊地であった事から、当時非常に注目された経緯がある。 
 が、幽霊に関しては実用も何も、放っておかれているのが現状だ。
 ……いや、宗教や人間の心情的な問題が重なって、あえて無視していると考えるべきか。これも触らぬ神に祟り無し、かな。

「まだ数値上でしか確かめられない、とされているしね。幽霊発見器みたいなのはあるけど──見るのはあくまで人間の視覚。本人以外がこれで確実だと言い切れる証拠はないのが、昔から変わっていないところかな」
「そうねぇ」

 今や地上から不思議は消え去った。全ての物事は説明できる。細かいところも次第に全て解るだろう。
 そんなスタンスは、自然から孤立して人間が力を持ち始めた時代よりのお決まり事である。

 物理学は地上で扱えるエネルギーの問題で一旦終焉を迎えたが、考え方という意味では現役も現役だった。
 私の専攻は超統一物理学。まだまだ理論や図式、数値の上で世の中をひっくり返せることなど幾らでもある。
 “ひも”の研究も最近新たな局面を迎えたところだ。

「幽霊はそちらではどうなっているの?」

 そろそろメリーが話したそうにしていたので、こちらから促すことにした。
 彼女はティーカップを揺らしながら、うれしそうに話しだす。

「今日の蓮子はあまり一人語りしないし、私も簡単に説明するわね。
 幽霊とはつまり──見えないモノよ」

「それってあの幽霊も、って意味?」

 私の後ろにいた幽霊は、いつの間にかカフェテリアをしげしげと観察し回っていた。
 当然、周囲の何人かにも見えているようだが、みんな珍しいチャペットと思っているらしい。横目で見やったり、へぇ、と感心していたりする。

「みんな見えてると思うけどなぁ」

「そうね。でもそれは、見えているのではなく、“視る”なのよ。
 そう、例えるなら──蓮子、ちょっと目を瞑ってくれる?」

「え? うん」

 私が目を閉じると、眉間に柔らかいものがコツコツと触れた。
 ……こりゃあ、メリーの指だろう。まったく何の悪戯なのだか。

 私は目を開けると、案の定こちらをつついていたメリーの指先を捕まえた。

「きゃっ」

 さらにクリームのお土産をつけて返却してあげると、……もぉう、とか言いながらメリーは指をちゅぱちゅぱやりはじめた。 
 ややはしたないので、ナプキンをさり気なく横に置いてあげる。
 どうもね、とメリーは指先を拭ってから、紅茶のおかわりを私の分まで注いだ。

「…………」

 自然、二人しばらく紅茶の香りと味を楽しむ。
 沈黙の天使が通った後のような、ふとした間。紅茶の香りが胸の奥まで浸透し、暖かみが流れ込む。
 視線はあわせず、ただ互いに存在を意識するだけ。
 止まっているようで、動いている。まるで砂時計になったような一時。

 ──こうした静と動の情緒はまるでひものように美しく折重なり合い、新たな数値を導き出すのだ。

 メリーがスプーンで受皿を軽く叩き、音がチリンと響くと、夢から覚めたように時は終わる。
 紅い空を視てみれば、3分12秒程度の短い情感であった事が窺えた。

「人間の感覚はありとあらゆるもの、即ち六感で構成されるわ。
 今、蓮子も味わった通りの五感と、その他の一」

 メリーが指をふる。

「さっき、貴方が目を瞑った時にこの指でつついたけど、すぐに私の指だと解ったでしょう?
 これは過去の記憶に照らし合わせて、触感という感覚に一致したからよね。
 指の輪郭ぐらいは頭に思い浮かんだんじゃないかしら?」

 メリーが指先を組んで、そこに軽くあごを乗せた。

「目を瞑っても、私達は炎や水、その他のものを知覚できるわ。
 これに過去の情報が加われば、それに基づいた映像……仮想(ヴァーチャル)として頭の中に表示されるでしょう。
 これが幽霊を視る基本原理。私達は過去の情報を元に、今の状況に合わせて脳内から視覚やその他の感覚に投影している」

「外から内にではなく、内から外にという事?」

「ええ。正確にはその両方。
 なにかしらの刺激があって、それを脳内で処理した結果、視覚を変化させるの。
 受け取る情報量(ファクター)、幽霊という前情報(フィルター)、感覚に送られる後情報(フィードバック)。
 これらが多ければ多いほど、人はそこに幽霊を視てしまう」

 つまり幽霊は人の感受性、脳内処理、視覚投影。この三点の働きによって現される。

 柳の下の幽霊。つまり見間違いという理屈もソレであるらしい。
 なにか寒気を感じたり、気配を感じたり、金縛りにあったり、よくわからないものを見る。
 それらの材料を幽霊の情報という濾過器に通して、最後に自分の感覚に再出力するのだ。
 感覚の強化作用と言っても良いかもしれない。それだけで火傷したり死亡したという実例もあるくらい、これには無駄に強力な働きがある。

 次に幽霊の定義だけど、とメリーは続ける。 

「なにかしらの感受性が特化している場合、その中には通常の社会情報では処理できないモノがある。
 なんで私はこんなものが見えるのか、
 なんで私にはこのものが聞こえるのか、
 なんで私はこんなになにかを感じるのか、
 正体不明を前にして、人間が作り出した便利な答えが“幽霊”または“神様”はたまた“妖怪”その他云々。
 そしてそれは科学や医術、その他の理論の前に淘汰されていって──未だ残っている、未知への解答の一つが幽霊。
 したがって、解らないもの、見えないモノでなければ幽霊という存在ではない、とされているの」

 この中で妖怪は、この地上の殆どをくまなく捜査できるようになって、どこに行ってもそんな生物はいないじゃないかという常識の前に消えている。
 幽霊より物質的であると一般に認知されていた妖怪では、あらゆる未知の部分を説明できる答えにもう成り得ない。
 古来から多くの負の部分を請け負った妖怪という存在。病気、不幸、事故、天災、それらの説明に対して彼等では不足になったという訳だ。

 メリーは未だ漂っている幽霊のほうを横目で見る。
   
「周りの人達はあの幽霊にチャペットという答えをだしているわ。そして私達は“幽霊”という答えね。
 どちらも主観に違いはなく、ただ見解と前情報が違うだけなの。
 別にあれが幽霊であろうとなかろうと、“答え”でしかない存在として扱われるわ」

 幽霊とは未知への答えである。

 結論は一言で済むものだった。
 確かに、幻覚、障害、病気、不幸といった自身の精神に負担がかかる答えより、未だ幽霊という代理は非常に有用性があるだろう。

「これが、ちょっと古い相対性精神学での幽霊見解。今はもう少し複雑なの」

 でも、わかりやすい方が良いわよね、とメリーは言葉を締めた。

 私は話をまとめるために頭をひねる。
 
「……この理屈だと霊感のあるメリーは何かしらの感受性が特化していて、
 受け取った情報をすぐに具体的な形に頭の中で処理できて、
 幽霊と認知するだけの器も備わっているから、人より霊感がある……となる訳ね。
 そしてそれは単に“未知への答え”に過ぎないと……なんだか浪漫だか怠慢だかわからない話ね」

「ロマンですわ」 

 そう言うメリーは自分の意見を特に反映していないようだった。
 横のテーブルの上では、幽霊がゴロゴロと転がってくつろいでいる。
  
「あれも神秘?」
「神秘よね」

 投げやりである。
 とは言っても、面白味のない一般解だから、無理もないかも知れない。

 暇そうにしている幽霊を眺めた後に、二人は顔をあわせてクスリと笑った。





 時刻は18時12分19秒。

 お腹も減ってきたので、ちょっとした軽食を取りに行く事にした。
 なんでもない話だが、カフェは珈琲店もとい喫茶店の事で、お酒や軽い食事もだす飲食店を指す。  
 が、なぜか昨今の京都ではサロンのような社交場全般もカフェと呼んでいる。これはこの国に初めてカフェが出来た時の状況と似ていた。
 昔のはちょっといかがわしい意味合いもあったが、現在のはセレブな人達の集いである。まあ、考える事は高尚か婉曲かどうかの違いだが。

 そして今、二人がいるのは大学のカフェテリア。
 あらかじめ並べられている料理や飲み物を選んだり、カウンター越しに料理をよそってもらい、最後に学生カードで精算する。
 公共施設に人気のカフェテリアだが、最近は電車の中にもこれが次々と導入されてきた。これも昔の時代からの習いである。
 どんなものでも、時代はしぶとく繰り返すのだ、という教訓をこの社会はさりげなく教えてくれていた。

 そういえば小さい頃、カフェテラスとカフェテリアを勘違いしていた事があった。
 カフェテラスはカフェで外に張り出して椅子・テーブルを並べた場所のことである。
 暴風雨の吹き荒れるその日に、カフェテラスに行きたい! と連呼していた小さな私に、あなたはなにをしたいのよ、となじりをぶつけたい。

 そんなどうでもいい事を考えていたら、盛りつけた量が妙に多くなってしまっていた。
 ……いけない、これだと太ってしまう。あとでメリーにも手伝って貰おう。


「てんこ盛りねぇ」

 テーブルに先に着いていたメリーから感想がそれだった。
 てんこ……って確か信州の方言よね。実家の東京から近いこともないだろうけど、なんでメリーがつかうのだろう?

「うん、悪いけどちょっと手伝って」

 え~、というメリーの声を無視して、私はちょこちょこと料理を盛り分ける。
 宙では、なんだか嬉しそうな幽霊がぴょんぴょんと跳ねていた。……食べられるのかな?

「そういえば蓮子。月旅行の話だけど」
「あら、もしかして目処がたったのメリー?」

 コストが高すぎて一度は断念した月旅行。だけど今、私たちはそこに別の方法を使って不法侵入を考えている。

「大学の池からはどうだった?」
「駄目ね。やっぱり大きさが全然足らないわ。もっともっと、それこそ大きな湖とか」
「琵琶湖とか? でもあそこは殆ど埋め立てられちゃってるしなぁ……近くだと離れ湖とか」
「できるだけ由緒ある処がいいわね……遠出も考えて、色々検討したいから──」

 二人で悪戯でも考えるように、次から次へとアイディアを提示していく。
 ああ、月旅行行きたいなぁ。それも他の人がいくのとは違う月の世界に。

 兎が不老不死の薬を搗き
 その上を三本足の烏が飛んでいて
 その横で優雅に羽衣を纏った天女が舞っている

 高度な文明を持ち、高貴な人々が住まう月の都

 メリーの“眼”にはそれが視えている。
 彼女には世界中の結界、つまり境目が見えてしまう。
 私たちの主なサークル活動は、その結界の切れ目を探しては、別の世界に飛び込んでみることなのだ。

 月旅行の計画もその一つ。
 
 最初はツアーで月面に降りた時に乗じて結界を探そうと思ったのだが、これは一学生には到底不可能のセレブな罠が仕掛けられていた。
 そこでメリーが思いついた方法というのは……虚像の月を映す地上の水面から結界を探し出し、直接、隠された月世界に躍り出ようというものだ。
 いや、まったくもってメリーの眼は気持ち悪い。こんなの他の誰に出来るって言うのよ。
 
「宇宙服は必要なのかしら?」

 万一、表の月に飛び込んでしまった場合の話だろうか。首をかしげるメリーに対して、私は問題の解決策を提示していく。
 宇宙空間ならともかく、月面上のような一応足が着く空間なら、今は色々とやりようがある。
 それにしても、月の地名って海とか湖とか入江とか水に関係するものばっかよね。表面温度は120℃から-170℃まで上下するっていうのに。

 ふと気がつくと、横では幽霊が切なげにふるえていた。
 一応小皿を差しだしてみたのだが、やはり食べるのは無理だったらしい。
 すっかり蚊帳の外においてなんだけど……。私は肩を叩く感じで幽霊を励ました。

「幽霊ならば、月まで簡単にいけるのかしらね」
 力場の何にも影響を受けないで、のんびりゆらゆら飛んでいくと仮定するなら、鶴の一生程度かな。急げば長生きの猫ぐらい。
「時間がかかり過ぎるのも問題よね。そういえば幽霊の体ってどのくらい長持ちするんだろう?」
 物理的に言うなら半永久。精神的に言うなら人類滅亡まで。
「もう、蓮子。さっきから答えが投げやりよ?」 
 それはディナーが美味しいからである。
「うん。ともかく」
 私は食べ物を飲み込んで、人生の至福の一つを味わった。いつもここの新メニューは侮りがたい。
 特にチェシャー・チーズを加えた、代用海ガメのスープがたまらなかった。

「幽霊かぁ。こうやって観察してても、未だよくわからないよね」
 メリーが綿飴でも作っているかのように、幽霊をなでまわしている。
「そうねぇ。そろそろ未知の生命体Xに名称変更する?」
 幽霊がむずがるように動いた。
「それってUMA? 携帯に出入りする時点でどうかしら」
 そしてテーブルをすり抜けて下へと潜ってしまう。
「ヴィジョン要らずのチャペット、というのが今のところ一番近いのよね。他の見解はどう、蓮子?」
「そうねぇ。例えば──」

 それから私達は様々な観点からの幽霊を提示しあった。

『──彼は研究を終えた後、一つの論文と自分のコピーAIを残してビルから飛び降りる。
 遺書には今の自分がいなくなれば世界移動が完了する、とだけ書かれていた』

 自分を三次元から二次元に移そうって試みをしたある学者兼怪人物の話を例えにいれて、
 幽霊とは高次元からの投影であるというもの。

『まず、霊能力というのはさっき話した三つの精度の問題よね。仮にA、B、Cという情報が私の周りに存在していたとするわ。
 ──その通りよ、最後に第四の要素として、自己を世界に繋ぎとめるためには観測者が必要なの』

 霊能力者としての見解を踏まえて、先程の話から三つの働きを現しつつ、
 幽霊とは主観で確認し、客観で確定してもらうもの。

『単純に視覚化できないという事は、つまりニュートロン信号のように……つまり携帯と同じね。
 全て情報体という、デジタルで説明できるわ。これなら物質的証明は必要ないから──』

 電子信号における世界概念と、それの体や脳に対する影響を考慮して、
 幽霊とは情報そのものであるという理論。

『魂が存在している時点で、私達は生きながら死んでいる──これは箱の中の猫と同じ、同時に存在するものなの。
 この猫は猫自身の死を認識できるかしら? 外から観測しなければ、ある意味生死の観念すら──そう、そこに出現するのが』

 精神存在を認める上で、シュレーディンガーの猫の話をも取り込んで、
 幽霊とは世界の重ね合わせ上に現れる存在。

 どれもこれもそれらしく、くだらない理論でお互いを楽しませる。
 途中から話はどんどんと頭が軽い内容になっていった。 

「次元生物学によると、幽霊はある種の素粒子で構成された、次元が違う存在とされているわ。
 それが高次元ならば時空間移動も可能になる。つまり幽霊になればタイムスリップも可能ね」

 オカルト界でも人気の考え方である。タイムスリップした幽霊が過去を遡り、それが伝えた情報が予言となるとか。

 ふと、今までのサークル活動を振り返る。
 太古に亡びたような謎の石柱群。冥界の趣を漂わせる古寺。人間がやけに小さくて、大きな機械だけ闊歩する不思議な文明。鳥と竜の世界。
 メリーと境界を越える瞬間、私も高次元存在の幽霊になっているのかもしれない。
 それを言うと、彼女はくすくすと笑い出した。

「今日の蓮子は普段私が言いそうな事を言うのね。明日は京都にサテライトレーザーでも降るかしら? あまり夜に根詰めちゃあ駄目よ」

 そういえば最近、自主課題をまとめるために徹夜が多かった気がする。そろそろ瞬間スリープ装置も悲鳴をあげそうだ。
 ……それにしてもサテライトレーザーが降るとは。昨今のテロはほぼハックでそればっか狙うから、メリーのそれは冗談きつい。

「そういうメリーはやけに私みたいな話し方をしているよ。明日は幽霊相手の講座でも開くのかしら? あまり夜に出歩いちゃあ駄目よ」

 そう言い返してやると「やあねぇ」とか言って手を振りながら、テーブルの下を覗き込む。
 私も見てみると、床ではスヤスヤと眠り込むように幽霊が横たわっていた。

「科学者として、蓮子は確かめたくないの?」

 携帯をパチンと閉じて、そう尋ねてくるメリーに対して私は、

「そりゃあ、まだ学生だもん。考えるので精一杯よ」

 これでも身をわきまえているつもりだ。
 高価な測定機材などほいほい使って良いわけがない。今の私に、幽霊は過ぎたるものである。

「ふふ。蓮子ならすぐに教授とかになれるわ。期待して待ってるわね──未来のプランクさん」

 それは誉めてるつもりなのだろうか。第一プランクは過去の人だし。

「魔術師さんに将来を期待されるのは光栄だけどね。それより今出来る事をやりたいわ」

 私はまたカウンターに向かって、合成苺のアイスクリームを二人分貰ってくる。
 うん、今はこれの味の測定の方が重要よね──


「じゃあ、また明日ね。蓮子」
「うん、また明日よ。メリー」

 大学の門で二人は別れる。

 時刻は20時22分18秒。

 さてと……。

「いそがなくっちゃ」

 もう一度そう呟いてから、私は闇のスープへと身を浸していった。










 露と消えば 蓮台野に 送りおけ 願う心を 名にあらはさむ



 旧北路通に古くからオープンしてる墓地は、常闇の景観も相まってまったく人気がなかった。
 鞍馬口の駅から歩いて22分。気楽と不穏の境目にある位置取りが、そこに辿り着くまでのステップで気分を盛り上げてくれる。
 一時間事に首が代わる和人形のウィンドウショップ。源平合戦の亡霊が立ち並ぶ四肢細工の森。鮮血とトワイライト式ヴァーチャルが織りなす紅水展。
 どれも通りがかりに横目で見るには丁度良い。

 こういった妖の眼を楽しませるだけの娯楽で溢れているのも、霊都の意地みたいなものだろうか。
 無駄に凝った職人芸が、かしこの場所で繰り広がれており、お祭り騒ぎのようになっているが、その実、まったく何もない空間も所々に配置されている。
 時間帯によってはこれら全てが眠るように動きをトめ、その流れが静と動の風趣を実現するのだ。

「ああ、レンデエノ、デンデラノ、デンデエラノ、デンデエロ、デンデロ、デンデラノ」
 唄いながら、遠くの物語を思い出す。

 人は地上に、骨は地下に。
 昔に画かれた絵本のような龍脈網が、いち早く京都には実装され、それが当たり前になってから久しい。 
 そのおかげか、地上の元死道は霊の精神を慰めるもので満ち溢れた。
 当初は、昔ながらの雰囲気を、というコンセプトがやや走りすぎた感もある首都圏だが、デザイナー達の弛まぬ努力によって日々洗練され続けている。
 一部ではロジックを組み替えるように結界を操作できるようにしたと言うものだから、大したものだというべきか大した暇だというべきか……。


 時刻は2時27分。
 
 前みたいに墓石を回転させる必要は有るのか無いのか。流石に今回は卒塔婆を抜くのは止しておこう。
 何も弄らなくても、思ったより此処は自動的。オートマチックに私を何処の場所へと運んでくれる。

「今日も楽しかったな」

 ……もう昨日だっけ? まあいいわ。
 二人一緒ならいつも楽しい。それが当たり前になってからどの位経ったのか──考えてみるのも莫迦莫迦しいものね。
 こんなのを視る力は、このサークル活動ぐらいでしか役に立たないし……。
 ああ、星がきれい。本当に。この三日月も、狂気じみていて素敵だわ。

 時刻は2時28分。

 ふと、足元に彼岸花が咲いているのに気がついた。
 まだ時季じゃないのに此処には年中咲いている気がする。
 ……もしかして、これも幽霊なのかしら? 幽霊花。うん、そう呼ばれる事もあるものね。

 そういえば、墓場に彼岸花が多い理由って今のみんなは知ってるのかな。
 この花には普通に食べたら酷い目に遭うくらいの毒がある事くらいは、有名よね。
 だから、これを植えていると周りに動物が寄ってこなくて、土が荒らされないの。
 昔はみんな土葬だったからね。人はこれを植えて、死者の眠りを守ったわ。ついでに“田んぼ”もね。

 守り人として、薬として、食べ物として、人に有益な植物である彼岸花。
 でも私はこの花が嫌い。小さい頃からそうだったわ。
 普段の紅い色も嫌だけど、白や黄に染まった時なんて本当に最悪。
 なんでかって? だって……そんな血を流す人間なんていないでしょう。気持ち悪い。

 時刻は2時29分。

 草木も眠るこの時間。
 家の軒が3寸下って、魔物がとびっくらする刻も、もうすぐ終わり。
 さあ、あと少しで【あちら】の扉が──

「2時27分41秒よ」

 今夜は廻さなかった墓石の後ろから、にゅっ、と顔が飛び出してきた。


「きゃっ」

 思わず跳ねちゃったわ。……って、27分?

「蓮子。まだ27分ってどういう事?」

 晒し首みたいに墓石に頭を乗せている友人は、何言ってるのよ、と眉をよせた。

「その携帯、時刻表示が壊れているじゃない。だからお昼の時も、私に時間を確かめたんでしょ」
「あ」

 そうだったわ。
 幽霊を捕まえた時から、なぜか時計が安定しなくて、戻ったり進んだりしてしまうのよね。
 普通、携帯の時計が狂うなんて有り得ないから……勘違いしちゃった。

「それはそれとして、なんで貴方がここにいるの?」
「なんでって? そりゃサークル活動は全員集合が基本でしょう」

 二人しか居ないけどね。

「活動とはいっても……今は幽霊を返しに行くだけよ?」
「幽霊って一日レンタルだったのね。それはともかく、せっかく結界を越えるのに……メリーだけなんてずるい!」

 そう言って蓮子は私から携帯をひったくった。

「準備も万端だし、今更仲間外れは無しよ。元々この蓮台野の境目は私が見つけたんだから」
「それはそうだけど……。もう、どうして気がついたのかしら」

 そう尋ねると、蓮子は優雅に墓石に片肘をつけ、トランプを切るように、お気に入りの手帳をパラパラ捲りながら流暢に語り出した。

「そりゃ簡単なことよ、メリー。
 一つ目は今日の貴方が遠慮がちだったこと。最初は積極的に話を振ったのに、なぜか幽霊の意見はほとんど自己を投影しない消極的なものだったわ。
 これじゃあ、なにか隠し事があるってことぐらい私にはわかるわよ。
 二つ目は……この幽霊はいくら何でも大人しすぎるわね。それにそこらの浮遊霊には有り得ないくらい暢気すぎる。まるで浄土に近いくらいに。
 私も霊能力者の端くれ……あれから調べたけど、この幽霊は間違いなく“この世”のものじゃないわ。
 この世じゃなきゃ、“あの世”のものに決まってる。つまり冥界の幽霊ね。
 それでピンときたのよ。貴方はこの幽霊を捕まえた時、此処に来たんだって。
 今まで飛び込んだ場所で、冥界に移動できるのはこの入り口だけだったしね」

 正確には東京にもあったけど、新幹線を使ってまで慌てて行こうとは思わないでしょ、と告げられる。
 ……確かにその通りだわ。お金もったいないし。

 それにしても貴方って人は……もう、これだから蓮子とのサークル活動はやめられないのよね──

「最後に、メリーはなぜわざわざこんな事をしたのか……これは簡単ね」

 墓石ごしに、蓮子は私の手を掴んだ。
 そして時刻は、

「──2時30分ジャスト!
 逝くわよメリー。
  幽霊がどういうものか、
  貴方がなにをしようとしたのか、
  冥界の古くさいお寺で全て答えてあげるわ!」
 
 吐息のようにぬめる、真っ白な光に包まれて──秘封倶楽部の二人は世界を飛び越えた。



 

 








 
 どこまで行っても同じ風景だった。
 日を嫌うように並ぶ強化煉瓦の高壁と、夢を視ているかのように傾いだ街灯。
 地面では空っぽのゴミ箱がカラカラ廻り、一見ネコと見間違えそうな機械人形がゴミ漁り──ゴミ回収をしている。
 
 時折すれ違う人々はみんな足元まで隠すようなトレンチコートを着込んでいて、本人にとっては快適な涼みを与えていた。
 思い出すかのように、壁に扉が。マンションの何々号室のように、一つ一つ素っ気なく並んでいる。
 これでその上に出されている標識が、なにかしら洒落た名前で書かれていなかったら、とても商店街には思えなかっただろう。
 とはいえ【帽子屋】と書かれたそれが、内部はサイコセラピーだったというのだからまた笑えない。

 私はこの薄気味悪い街道を、独り歩いている。

 女の子がこんな処に来ちゃ危ないじゃないか、等という下卑た囃し文句は、慣れという生理の前にはただ儚い。
 無駄に遠い。沈んだ気分をもさらに貶めるこの道程。そこから伸びる目的地は、まだ遠い。
 狭い空を視て、確かめる。
 時刻は16時42分……7秒。
「──いそがなくっちゃ」

 そしてふと思い出す。あの時のこと。










 私たちは確かに一緒に境界を飛び越えた。だけど次の瞬間──私一人だけだった。

「メリー」

 相棒を呼ぶ。
 手まで繋いでおいて、どうしてはぐれるのか。相手が天然だからというレベルじゃあないって、これ。
 でもその疑問も、この景色の前では致し方ないのでは……ともう一人の私が囁いた。

 乳白色の限界に迫ったようなこの濃い空間。まさに一寸先は闇……霧だった。
 まるで白い檻。これでは私の眼も無力に過ぎない。
 時間も、居場所すら把握できない現実を前に、ただ肩が震えた。

「メリー!」

 もう一度。今度は叫んだ。
 だけど何処にいるのか、まったく届かない位置に居るのか、声は濃霧に咀嚼されて消えてしまう。
 私はとりあえず襟元から伸びるネクタイを締めた。帽子も被っている。靴も履いている。衣服には乱れ無し。
 手帳も持っているし、携帯も──あ、そういえばメリーのまで持っていた。しまった、これでは彼女と連絡がとれないじゃない。 
「…………」
 いや、落ち着こう。元々、こうした場所で携帯が使えた試しはない。
 時刻だって、私の眼でなければわからないくらいだ。……ともかく今は、考えよう。 
 
 息を吸って、吐いて、落ち着いた。

 足元を確認する。
 今、私が立っている地形は、どうやら階段のようだった。端はぼんやりとしていてよく見えない。
 視界の広さは……おおよそ3メートル半くらい。思ったより酷い霧でもないようだ。

 そういえば、ここは冥界なのだろうか?

 今まで同じ境目から飛び込んだ時、場所を大きく違えた事は無いと思う。ならば此処は冥界と仮定しよう。
 階段の素材は……まあ、普通の石に見えるけど、うん、これは前に来たときに見た覚えがある。間違いない。
 以前のことを思い返す。

 一面桜の空間。私たちは仄暗い墓場から飛んできて、ただその光景に圧倒されたのだった。

「…………」
 花見の思い出のあるこの場所も、今は霧のせいでそのまま思い浮かべるのが難しい。フィードバックは不可能か。

 すがりつくように、パカリと、メリーの携帯を開いてみた。
 ……画面には、チャペットのようにスヤスヤと眠り続ける幽霊。それを眺めていたところで、

「騒がしいですね」 
 
 濡れたような紅いモノを、ひたひたと堕としながら、刀をぶらさげた少女が現れた。








 目的地が近くなる。
 暗い路地は益々その湿り気を帯びてきて、私の足は嫌々するみたいに前後のリズムを繰り返す。
 鼠なのか、他の何かなのかわからない生き物が足元を通りすぎた。
 こんな処に、チーズでもあるのだろうか。ダウジング棒を片手にそれを探す鼠を夢想する。
 ああ、あれからやや頭がおかしくなっているのか……いや、それなら三月ウサギの方がずっと面白そうだ。
 それに今は五月も過ぎたし、むちゃくちゃに気が狂ってる、ってことはないよね――少なくとも、三月の時ほどじゃあない。


 街道の終点間際、ようやく目的の扉が見えてきた。
 上の看板もとい標識の文字は、かすれていて読む事が出来ない。
 元は漢字だったらしいそれは、時代外れの前衛アートのようにただのマークとして機能していた。
 もし入る扉を間違えたら、自分が商品となってしまいそうなこの場所で、これはあんまりな扱いだと思う。
 二三度よく確認してから、私は赤い扉を開けた。

 ──チリンチリン

 軽い鈴音と共に侵入した。異空のようなその場所で、

「遅くなってごめん!」
「2分19秒遅刻」

 またよ、と、奥の席で相棒のメリーは呆れたようにそう呟いていた。



「もう、いつも蓮子は呼び出しておいて時間に遅れるんだから」

 何度か聞いたその台詞を聞き流しながら、私は向かいに座って目をこすった。寝不足なのである。
 気づくと、今日メリーが選んだこの席には、端に小さな人形がちょこんと置かれていた。うん……あまり可愛くはない。

 この通称【紅茶館】は陰気な街道に居を構えるだけあって、今日も私達以外に人気はなかった。
 店内の装飾はそれほど悪くはないのだが、ともかく模様と色が陰気でどこか胡散臭いのだ。
 それこそ何も知らずに入ったら五秒で立ち去りたくなるくらい。 
 まあ、そのおかげで私たちのサークルにとっては、貴重な活動拠点の一つとなっているのだけど。
 サテライトレーザーから避難するにも丁度良い場所よね。

「それでどうしたの? まさかこれからサークル活動なわけ?」
「ううん。まあ、まったく関係ない訳じゃないけどね」

 そう言いながら私は横目で日替わりメニューを、手書きのボードから読み取った。
 ……今日はマロウの紅茶かぁ。あのリトマス紙みたいなやつ。
 
「時間が経てば、話を聞けると思ったのよ」
「そう? じゃあ、まず蓮子からお願いね」

 ケーキと紅茶の注文を済ませてから、私たちはあの時の事を語りだした──








 メリーが急にいなくなり──私は刀を構えた少女と対峙していた。

「何者ですか」

 チャリ、と刃音を起てながら、相手は私に近づいてくる。
 刀にまとわりつき、ポタポタと落ちる赤いソレは……もしかして、

「彼岸花?」
「あ」

 私の呟きに反応して、慌てたように少女が消える。
 再び白闇から姿を現したとき、彼女はバツが悪そうに私を見た。

「……庭の剪定の途中でした。あの花があると、他の草木までやられてしまうので」

 彼岸花は球根で増えていく花だから、実に繁殖しやすい。
 だから、本気で刈るなら地面まで掘り返した方がいいと思うけど……。それより、

「ねえ、あなた。私以外にもう一人見なかった? 一緒に来たのだけど、はぐれてしまったの」

「もう一人? 不法侵入者の報告が増えたところで嬉しくありませんね。
 それより先に答えなさい。目的はなんですか? どうやって此処に?
 ……返答次第では、その無駄そうな手足を、枝葉のように切り落としてあげましょう」

 そう宣告して、刀を横薙ぎに一度振るう。
 いけない。この子ものすごく好戦的だ。どうしよう。

「というか生きている人間が此処にいる時点でものすごく怪しい。
 やはり問答無用。
 貴方の目的は庭荒らしに決定。おかあさ……先代が丹精を込めて育てあげた草花には指一本触れさせません。
 来た方法などは、聞き出すのがめんどいのでどうでもいいです。
 さあ、死んでわずかなりとも冥界の土の肥やしとなりなさい」

 この刀に斬れぬものはそんなに無い、とか言いながら少女が迫ってくる。
 これはいけない。早く逃げないと──ああ、いや、もう駄目もう間に合わない。

「最後に言いたいことでもありますか」

 そうね。もう思いついた辞世の句しか言いようがないかしら。
 前にメリーがつぶやいていた歌とか。


 露と消えば 蓮台野に 送りおけ 願う心を 名にあらはさむ

(私が死んだら蓮台野に葬って下さい。
 極楽の蓮台に座るのが私の願いです。
 この地名はその願いをあらわしています) 

 
 喉元に当てられた白刃が、ピタリと止まる。 

「失礼。主人のお客様でしたか」

 キン、と刃音が高鳴り、真剣が鞘に収められた。 
 ……辞世の句のつもりで読んだものが、なぜか私を救ったようだった。
 もし反応してくれなかったら、私は首だけで階段を下っていただろう。

 ともかくなにか勘違いしてくれたのは──都合が良い。
 ここの主人とやらに関係のある歌だったのかしらね。
 私の心臓は未だひどい暴れっぷりだったけど、なんとか外面だけは取り繕い、すかさず言を述べた。  

「此処には幽霊を届けにきたのよ。他意はないわ」
「幽霊?」

 私はメリーの携帯を開く。そしてコンコンコンと裏側から叩いた。

「貴方にも、視えるわよね?」

 ポン、と幽霊が携帯から飛び出し、膨らんだ。
 寝起きを叩き起こされた所為か、不機嫌そうに私の周りを飛び回っている。

 少女はしばらくその様子を観察していたようだが、やがてポツリと口を開いた。

「……そりゃ、私は幽霊のプロフェッショナルですから。見えるに決まってます」

 半分ですが、と彼女は自分の肩を指し示した。 
 そこには、こちらとそっくりの幽霊が浮かんでいる。……霧に紛れて気がつかなかった。

「ご協力感謝します。実ははぐれ幽霊の捜索願が出されていたところで、少し困っていたのです」

 お辞儀してから、そう微笑んでいる姿は、普通のかわいらしい少女のものだった。
 先程の言動と、物騒な腰の得物さえなければ、私も笑い返せたかもしれない。

「もう一人方おられるという事でしたが、そちらも私が探しておきましょう。
 ……生きた人間ですよね?」

 死んでたら困る。

「特にこの辺りに危険はありませんよ。みんな大人しいですから」

 一番危険なのは目の前にいるしね。……まあ、幽霊だけならメリーは平気よね、それにしても、

「でも、幽霊のプロかぁ……うーん、ねぇ、聞きたい事があるんだけど」
「はい? なんでしょう」
「正確には聴いて貰って、それからそれが正しいか答えてもらいたいの。お願いできるかしら?」

 こんなチャンス、滅多にないわ。逃す手はないわ。
 私はメリーと話した幽霊談義を脳内処理し、まとめていった。

「はぁ……、まあ聞くだけなら。なんなりと」
「ありがとう。じゃあ、まずね──」








「あきれた。それからずっとその子と話していたの?」
「うん、そうよ」

 紅茶が運ばれてきて、私はそのハーブにレモン果汁を一滴垂らす。
 最初は青色だったそれが、一瞬できれいなピンクへと様変わりした。
 夜明けから朝焼けに変化する時と似ていると言われるそれは、なるほど、確かに目に麗しい。

「その子も災難ねぇ。一度始まった蓮子の語りは止まらないんだから。 
 結局、幽霊講座したのは貴方じゃない」

 そうは言っても、仮にも相手がプロフェッショナルを名乗ったのなら、こちらもそれ相応に立ち向かわなくてはならないじゃないの。
 ……まあ、確かに今思い返すと半分も相手が理解していなかった気がする。解りやすく説明したつもりだったけどなぁ。

 紅茶を一口ふくむと、ふわりと優しい風味が胸をくすぐった。うん、この出来は──流石【紅茶館】ね。
 余りのハーブは持ち帰ってうがい薬にも使えます、と紙と容器が添えられていた。サービス良いなぁ。

「ケーキも楽しみね」

 頷く。 
 ここのケーキはいつも出来たてをご馳走してくれる。
 その分時間が掛かるのが欠点だけど……種類も多いし、なにより味の保証は折り紙つきだ。
 流石に天然の素材までは使ってないだろうけど……いや、もしかしたら? そんな馬鹿げた事すら考えてしまう。
 
「そういえば蓮子」
「ん?」

 シルバーティップ入りの茶葉を使った、ルフナの紅茶──見た目はコーヒーに近い──にミルクを垂らしつつ、メリーが訊ねてくる。

「私、まだ答えを貰ってないわ。
 あの時、幽霊のこととか……色々、応えてくれるって言ってたじゃない?」
「ああ、そういえばそうね」

 すっかり忘れてた。
 私は紅茶をもう一口ふくんでから、手帳をめくる。

「まあ、簡単な事よ。つまり幽霊っていうのは──楽しむものなの」

 メリーがやりたかった事は正にそれ。
 冥界からあの幽霊を、わざわざ捕まえてきたのはそれが動機だったのだ。
 その為に、大人しく、また暢気そうなあの幽霊をメリーは探し出し、連れ出した。

「幽霊研究の為、というのは建前でしょ? 
 本当は幽霊の正体そのものより、それについて楽しく話せる事の方が重要だったのよ」

 つまり話のネタである。

 そして、それはこの社会でも同じ。
 私たちは幽霊という存在に対して、様々なスタンスをとる。
 
 例えばそれは死んだ者への思いだったり、尊い祈りだったり、生者への戒めだったり。恐怖の対象だったり。
 利用を考えるならば宗教、自己顕示の道具、商売道具、脅し、言い訳、物語の素材。
 
 良きにせよ、悪しきにせよ、区別する事なく自在に形を変えてくれるモノ──幽霊。

「今回メリーはその存在を、幽霊を楽しむものとしてとらえた。
 そしてあの幽霊はその要求に見事に応えてくれ、役目を果たしてくれた」

 小説、漫画、映画、ゲーム、一度そういったメディアに出れば大活躍。
 悪いところもひっくるめて、私達を大いに楽しませる──これ程多様で、愛らしい存在が他にどのくらいあるだろうか。
 主観にせよ、客観にせよ、どんな科学や理論の前にでも屈しない。
 どんなに時代が進んでも、それは人々の心に、熱く、冷たく、根強く有り続けるに違いない。
 
 そう、今も昔も人々にとって幽霊とは──最高の娯楽なのだ。

 






「は? 何を言っているんですか」

 今まで、呆然と話を聞いていただけの少女が、最後のこの意見だけ反旗を翻した。

「娯楽ですって? 巫山戯ないで下さい。幽霊だって一生懸命死んでいるんです。
 それを光だとか未知だとか幻やら電波やら振動やら箱入りニャンコやら……わけがわからない事で説明して……。
 いいですか。
 幽霊は幽霊なんです。
 他の何者でもありません。妙な事言ってないで、寝ぼけているのならさっさと顔洗って寝て下さい!」

 一刀両断。
 正にそれに相応しい切り口で、すっぱりとこちらの結論を叩き斬ってくれた。   

「ああもう、主人はなんでこんな変なお客を招いたのでしょう……。
 ともかく答えはしましたよ。これで心置きなく職務を果たせます。──おいで」

 少女が手招きをすると、私の傍にいた幽霊が顔(?)をあげてユラユラとそちらに向かった。

「この分だともう一人の方も頭が痛くなりそうな客ですかね。
 ん? ……これは」

 幽霊が少女の元に辿り着くと、彼女は首をかしげた。

「私が探していた幽霊ではありませんね。……というより」
「……?」
  
 なんだろう。急に黙り込んだけど。
 少女は……なんだか泣いてるような笑っているような複雑な表情をしている。
 そこに、小さな幽霊がやってきた。急に辺りが冷えた気がする。

「え? あの方が来ておられる? いつの間に眠りから覚めたのですか? ──あ、はいはい。わかりました。
 すぐに向かいます」
 
 幽霊と二三言葉(?)を交わした少女が、ゆっくりとこちらを見た。

「悪いですが、急用です。もう一人の人間は見つけ次第こっちに送りますから、その場から動かないで下さいね」

「わ、わかったわ……でも、その幽霊大丈夫なの? なんだか違ったみたいだけど」

 ちょっと気になる。

「いえ、問題ありません。必ず元の処に送り届けます。その程度の能力はありますから」

 そう言って、少女は階段を上っていく。
 その後ろ姿は……なぜか最初に視た時より凛々しく、大人びて見えた。
 
「それとですが」

 霧の中から声が響いてくる。

「この霊ですが、貴方は幽霊、幽霊と言ってましたが、半分違いますよ」

「へ?」

「ふふ、単に意地悪です。貴方は考え事がお好きなようですから、どうぞ後は存分に」

 冥界の少女はそう言い残し、白闇の中、幽霊たちと共に消え去った──








「──という訳、どう? これで貴方の目的は達成かしらメリー」
「完璧よ。蓮子。まさに完璧だわ」   
 
 先程から2分15秒も笑い続けているメリーに、さり気なくハンカチを渡す。
 ああもう、紳士よね私。

 そんなにこちらの幽霊論、もといネコ真っ二つのやりとりが面白かったのか。

「それよりメリーは何やってたのよ?
 あれから戻ってきたときも、よく覚えてないで済まされちゃったし……」
「ああ、うん。アレね……本当によく覚えていないのよ。
 ただ、すごいお屋敷で、そこでお茶飲みながら誰かと話してたのは覚えているわ」

 メリーの話だと、今までお寺だと思っていたあの場所はどうやら勘違いだったようである。
 ……お屋敷かぁ。どんなお茶菓子が出てきたんだろ。

「実は最初に幽霊捕まえに行ったときも、なんだかうろ覚えなのよねぇ。
 ……あ、でも捕まえた瞬間は覚えてるわ。どこかの畳の敷かれたお部屋で……そうそう、近くに女の子が寝ていたわ。
 このくらいの短い髪で、可愛らしかったわね。多分、貴方が話した子じゃないかしら?」

 メリーは肩にかかるかどうかの長さを示す。
 ……うーん、多分違うなぁ。あの子はもっと髪が長かったし。

「それにしても、あの幽霊ずいぶんとメリーに懐いていたよね。あれは優しさで? それとも恐怖?」
「あら、優しさに決まってるじゃない。半分ね」

 二人笑い合う。
 それにしても、あの幽霊……いや、あの暢気な謎の霊にとって、今回の件はどう思えたのだろう?

 きっと……そう、それは私たちと同じだ。
 別世界にタイムスリップして、好奇の感情をいっぱいに満足させて還ったのだろう。

 昔の童話にあった、パラドクスに満ちた冒険をした少女のように。
 さしずめ私は白兎、メリーは……女王様かな? 

「ねぇ、メリー。今度また博麗神社の入り口を見に──ん?」

 陰気な館に、急に音楽が流れだした。

「あら、素敵な曲ね」

 メリーが感心したように頷く。

 なんともアップテンポで、この店の雰囲気に全然似合わない明るい曲だった。
 何だろう? 古い曲のようで、まだ新しいような……東洋の音楽を無理矢理盛り上げてみました、みたいなノリ。
 フィージョン……いや、ニューエージ風かなこれは。誰が作った曲なんだろう? 題名は?

 私は気になって、いつも能面のような顔をしているマスターに声をかける。

「────」
 
 案の定、空気の痛い沈黙だけが返答だった。
 そんなにコップ磨きが楽しいのだろうか。メリーとはたまに話をする癖に。
 と、思って睨んでいたら──キュ、キュッという音が妙に音楽に重なっているのに気がついた。
 もしかして、ノっているのかな?

 その店主の傍には、いつの間にか一体の贋作人形が置かれている。
 モチーフは最近の童話アニメ、不思議な國のアリス……のつもりらしい。
 とてもじゃないが、これを子供にあげたら必ず泣くだろうと思わせる酷い出来映えであった。まるで邪神である。

「あれでも著名な人形師の作品らしいわよ。確か……上海の」

「へぇ」

 この東方に最も近き、西の都のものか。
 それなら納得。あそこは未だ大国の威圧すら不条理で押し返す異彩の文化。
 其処で創られたものなら、他がどんなに何を言おうとも、反社会性を崩さない作品に仕上がるだろう。

 まあ、それをいったら私たちの不良サークルも十分、反社会的だけどね。

 と、そこに注文したケーキが届く。うん……これは実に、社会的にも美味しそう。

「今夜は何に乾杯しようか?」

 メリーがほほえみながら、私を誘う。

 時刻は17時59分55秒。

 私は帽子を脱いで、準備はできたよ、と合図を送る。  


「この不思議な夜に」「あの不可知な霊に」

 ──乾杯

 チリン、とティーカップの音が鳴り響き、冥い街で二人はいつもと変わらない祝杯をあげた。

 

































  

 


 
 
 そうして少女は目覚めました。
 そして朝ごはんの時に、姉のように慕う主人に話しかけます。 

「──今朝はなんだかすっごくみょうな夢を見ましたよ!」
「あらあら。今朝はどれだけひょんな夢を視たのかしら?」
「半分しか覚えてないですけどね。えっと──」

 それは、不思議の国の、みょんなお話なのでした。


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▼あとがき


最近は妙に肌寒いです。これは天気の所為でしょうか、それとも……。
ともかく、そろそろ梅雨の時季に入りますね。
このじまっとした空気が……という方も多いと思いますが、これを考え方一つで楽しくできたらそれに越した事は無く、素敵だと思えます。

東方の世界に虜になったのは、やはり音楽からだったでしょうか。
音楽CDもたくさん出てますが、どれも物語性・世界観があって素敵です。いってみたい近未来への妄想が膨らみます。
中でも題名と音楽そのものに衝撃を覚えた彼の曲は、今でもお気に入りのままです。これに美味しいケーキがつけば言うこと無し。

今回は秘封倶楽部の日常的なSSに挑戦。
まったりぬるい温度の半霊紅茶と、秘封製オカルトケーキの味は如何だったでしょうか。

では、雨にも霊にも負けないよう精神力を鍛え、皆様のティータイムが楽しく過ごせるように願いつつ──乾杯“チリン”
ネコん
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コメント



0.1450簡易評価
3.80沙月削除
秘封倶楽部とはやはりこうあるべき!
幻想郷と秘封倶楽部の距離感、
蓮子とメリーの距離感。凄く良かったです。
4.100名前が無い程度の能力削除
あれ? プチのと‥‥‥。違うかな。
とてもいい秘封倶楽部でした。論議と洒落た会話に乾杯です。
10.100名前が無い程度の能力削除
これぞ秘封テイスト。普段の東方とは違う近未来の世界観が楽しかったです。
そいえば蓮台野の句は西行ゆかりの言葉だったなぁ、とか
あの冥界は未来の白玉楼で、あの少女は妖夢の子か? とか色々考えさせられました。
メリーに攫われて未来に飛んだ半霊……実に不思議の国のみょん……。

ともかくメリーの指ちゅぱは俺のジャスティス。
17.100名前が無い程度の能力削除
副題 「さらわれた半霊」
18.100名前が無い程度の能力削除
これはおもしろかった
よくもまぁ、ここまで色々と用語を思いつけますねぇ

メリーは誘拐犯
19.80名前が無い程度の能力削除
役不足の使い方が間違ってます
20.無評価ネコん削除
>19様
誤字指摘有難うございます。
修正しました。
21.100GUNモドキ削除
ごちそうさまでした。
現実と幻想のように白と黒のクリームに彩られたケーキと、透明なのに濃い味と香りのする紅茶は絶品でした。
ケーキの飾りには彼岸花のように赤くT大きなイチゴが一押しですね。
25.100名前が無い程度の能力削除
色々と想像を掻き立てられる、幻想的なお話でした。
出だしで一気に引っ張り込まれた。

二人は未来の幻想郷に行ったのかなあ。
「おかあさん」って言いかける庭師が可愛い。
35.100秘封好き削除
読後感がすごくいい感じです。
設定がなかったり、はっきりさせない方がいいと思っていたりするので無ければラストで流れていた曲が気になるので教えてもらえませんか?
36.無評価ネコん削除
>>秘封好きさん
曲は上海紅茶館です!
東方にハマるきっかけになった曲ですねー
38.100名前が無い程度の能力削除
文句なし!
40.100名前が無い程度の能力削除
ネコんさんのss大好きです
原作風味がなんとも
43.100名前が無い程度の能力削除
文章が頭の中で映像として鮮明に浮かんでくるような素晴らしい描写