曇天。灰色の雲はぶ厚く幾重にも重なっているようで、幻想郷中がその下にすっぽりと覆われていた。生暖かく湿った初夏の空気はじきに降るであろう強烈な雨を予感させる。しかしそんな不穏な空の下でも、せっせとたき火に薪を継ぎ足す少女の姿があった。彼女は秋の実りを司る神様、秋穣子という。衣服の茜色は見るものに不思議と秋を連想させるようで、その姿は良くも悪くも初夏の新緑に映えていた。
「何してるんだ?」
「えひゃい!?」
突然耳元で掛けられた声に穣子は飛び上がる。しかし辺りを見回してみても誰もいない。ぱちぱちというたき火の音が聞こえるだけ。山の中ではあるが少し開けた広場のようなところだ。周りに隠れる場所など在りはしないはずだった。
「ここだよ、ここ」
先程とは違う方向から声がしたかと思うと、いつの間にかたき火をはさんだ目の前に穣子よりも一回り小さいくらいの少女が胡座をかいていた。頭からは立派な角が生えていて、噂に聞く鬼というものなのかもしれない。ただし鬼というよりもむしろ小鬼といった感じのその風貌から、あまり恐ろしさは感じられなかった。穣子は胡散臭そうに目を細める。
「だ…誰?びっくりさせないで欲しいんだけど」
「私だよ、忘れちゃったのか?」
まるで懐かしいものでも見るような目で穣子をみる小鬼(?)。しかし彼女の記憶にはない。
「いや、全く知らないわよ」
「つれないねえ。私はあんたの名前くらいは知ってるのに」
やれやれ、と大袈裟に首を傾げる。とは言っても穣子にとっては誰が知るか!としか言いようがない。変なのに捕まったなあ、と思う穣子だった。
「鬼だよ、鬼。萃香っていうんだ。あんたは秋穣子だろ?姉は静葉。たまに見かけてたから分かるよ」
萃香と名乗った小鬼は偉そうにのたまう。とても初対面の相手に話し掛ける態度ではない。
「鬼だなんて見れば分かる。それにしてもどこで私を見たって言うのよ」
話をしながらもたき火から目を離さず、適宜新しい薪や落ち葉を加えていく。少なくとも穣子はこの小鬼――萃香に会ったことはない。鬼といえばただでさえ珍しい存在だし、何より暇な冬の間に鍛えた記憶力には自信があるのだ。脳トレとか。
「それはまあ、今出て来たみたいに――」
ぱっと萃香の姿が消える。いや、正確には薄い霧みたいなものに姿を変えたらしい。
「――ほら、この能力で」
そしてまた元のように姿を現す。
「…便利な能力ね、羨ましい限りだわ」
一瞬おどろいたような表情を浮かべた穣子も、すぐに視線をたき火に戻した。
「ぐ…あまり羨ましがってるようには聞こえないけど…まあいいや、何してるんだ?この時期に、しかもこの天気なのにたき火なんて」
萃香は少し不満そうにしていたが、すぐに元の口調に戻った。
「芋を焼いてるのよ」
たき火の前にしゃがみ込み、その火をととのえながら穣子は言う。顔こそ見えないが、その言葉には職人のごとき気迫があった。
「え?」
「何か文句があるの?」
間抜けな声を出して目を点にする萃香。まあ、言いたいことは穣子にもうすうす分かる。
「いや、今芋の時期と違うじゃん。てっきり隠れて家庭ゴミでも焼いてるのかと…」
「ふ…私にとっちゃ農産物をとれたての状態で保管しておくことなんて朝メシ前よ。だって神様だもん」
穣子は得意げに胸を張る。彼女にとってみれば秋の恵みたる農産物を1年や2年変わらずにとっておくことなど造作もない。仕事柄秋には人々からたくさんの野菜をお供えものとしてもらうので、その一部を自分や姉のために保管しておいたりするのだ。何故今それを焼いているのかと問われれば、秋の味覚が恋しくなったからとしか言いようがない。姉の静葉はこの時期引きこもってばっかりで彼女の相手などしてくれないし、さらに最近の暑さも穣子のイライラを募らせる。要するに憂さ晴らしに好きなものをガツガツと食べたかったわけだ。
「へぇ~。やっぱ旨いの?」
萃香は興味深そうにたき火をつつく。
「当たり前じゃない。人里のみんなが心を込めて作った芋よ。それに私が焼いてるんだから美味しいに決まってるわ」
自信たっぷりに、嬉しそうに話す穣子。萃香はそれをたき火越しにニマニマしながら見つめている。
「どうかしたの?」
穣子は訝しげに萃香を見返す。
「いや、羨ましいな、と思ってさ。穰子は人間と仲がいいんだな」
「そりゃねー。豊作祈願のお祭りの時なんてみんなで大宴会するんだから」
「そっかぁ」
萃香は変わらず笑みを浮かべている。しかし穣子にはそれがどこか寂しそうなものに見えた。そしてその寂しさも、いつかどこかで感じたことがあるような、そんな気がするのだ。
「仲がいいと言うか…まあでも私は、秋の神様だし…それ以外の季節だと案外見向きもされなかったりするのよ。今の時期はまだましだけど…冬とかはちょっとね。そういえばあなたは…」
言いかけて口を閉ざす。この鬼もまた人が恋しいのかも、と思ったから。その気持ちは、穣子には痛い程分かるから。彼女からしてみれば、鬼もまた神様みたいなものだ。聞いたことがある。人の領域から追われた鬼の話を。
「別にいいよ。私はもう、慣れたし」
「…」
たき火の炎を見つめながら、淡々と。一見感情がこもっていないその言葉からは、逆に痛いほどの感情が感じられるのだ。
「やっと焼けたわ。はいこれ、食べてみて」
「え?」
言うが早いか穣子はたき火の中に埋もれた芋を木の枝で的確にズボッと突き刺し、やにわに萃香に突き出した。
「さっきも言った通り、きっと美味しいわ。私が保証する」
「…これ、食べていいの?」
目を白黒させながらも焼き芋を受け取る萃香。さつま芋の紫に程よく黒い焦げあとが付き、漂ってくるのは香ばしい匂い。二つに割ってみると輝く黄金色とともに立ち上る湯気が、さらに甘い芳香を辺りに広げていく。それはまるでどんよりとした梅雨の空気を一掃するかのようだった。
「うわあ…」
「見た目だけじゃないわ。さあ、ずずいと食べてみなさい!」
「…うまい」
一口食べてみた萃香の顔色がぱっと輝く。続けてはむはむと食べ始めた。
「ふふ、すごいでしょ。私も伊達に豊穰の神をやってる訳じゃない。秋の味覚は知り尽くしているわ」
鼻高々に語る穣子。しかしそれを聞いているのかいないのか、そんな彼女を尻目に萃香はもらった焼き芋を全て食べ切っていた。
「ぷはー、うまかったー」
萃香は幸せそうに口元を拭う。それを見て穣子は満足げに頷くのだった。
「そんなに美味しそうに食べてもらえるとその芋も冥利に尽きるというものよ。まあ、とは言っても収穫したてのものを食べるとさらにもっと美味しいんだけど」
若干火勢が弱まっているたき火に再び枝を突き入れて、食べ頃の焼き芋をもう一つ取り出した。それをしばらくじっと見てから穣子は言葉を続ける。
「でも、今こうやって食べるお芋も確かに美味しいのよね。時に旬のもの以上だったりする」
焼き芋の胴体辺りに真ん中からがぶりと豪快にかぶりついた。芋自体の優しい甘さが、ほくほくした温かさと共に五臓六腑に染み渡る。
「ほら、こんなに美味しい。これってやっぱり、一緒に食べる人がいるからだと思うのよ。いや、そりゃ私みたいのがこんなこと言うのはおこがましいかもだけど。季節が違うから、今は私なんて見向きもされないけど、こんなふうに他の人と焼き芋食べることもできる私って幸せ…みたいな、…あれ…、っていうか私さっきから何を言おうとしてたんだっけ」
真面目な表情から打って変わって首を傾げ始める穣子。実を言うと彼女自身もあまり考えて話していた訳ではなかったのだ。どうやら結局上手く纏め切れなかったらしい。じっとそれを聞いていた萃香も思わず苦笑いを漏らすのだった。
「ふふ、確かに幸せかもね。やっぱり穣子って面白いな」
「な…何よ」
「いやいや、ただ久しぶりにいいものを食べさせてもらって感動してただけさ。ありがとう」
名残惜しそうに芋が刺さっていた木の枝を眺めながら萃香はニヤリと笑う。心の底までは分からないが、どこか吹っ切れたような顔をしていた。
「いやいや、そんな、こちらこそありがとうございます…って感じだよ。最近ずっと独りだったし…」
恐縮したのか咄嗟に頭を下げてしまう穣子。あまり礼を言われるのに慣れていないのだ。祭りの時に感謝の言葉を述べられることはあっても、普段面と向かって礼を言われることなどないに等しい。
「そっか、そりゃ嬉しいなあ。そうだ、穣子にはお礼に私特製、鬼のお酒をあげよう。あ、でも芋焼酎とかじゃないよ」
「…別に私は芋関係なくても飲めるわ」
「あはは、怒らない怒らない。そういえば穰子、まだ芋はあるんだよな?」
萃香は何かを思い出したように尋ねる。
「まあ、そりゃあまだ秋まで暇な時間が続くしねえ」
「よし、それを使ってみんなで宴会やろう!」
「え?」
さすがの穣子も萃香の言葉を飲み込むのに数秒かかった。宴会はそもそも人がいないと出来ないではないか。今ここにいるのは穣子と萃香の二人だけだ。
「萃めるんだよ、みんなをここに。ここはいい感じに開けてて宴会にはもってこいなとこだし。私の能力をもってすればチョチョイのチョイってなもんさ。あー、楽しみだなー」
まるでそれが決定事項であるかのように語る萃香。
「いや、ちょっと待」
「あまり宴会には乗り気じゃないの?」
「そ、そういうことじゃなくて!そんなことしたら私の芋が…秘蔵の芋が…なくなってしまう…!」
声が上擦っている。当たり前だった。これから秋になるまでのこの欝陶しい夏を好物無しで堪え切るなんて考えるだけで寒気がするのだ。萃香の言う“みんな”がどれほどの数かは分からないが、一人や二人でないことは何となく予想がつく。
「別にいいじゃないか。来るやつらにはそれぞれ何か食べ物を持って来てもらうし。お酒もみんなで一緒に飲むと旨いんだぞー」
萃香は目の前で大きな瓢箪を振ってみせる。ちゃぽちゃぽと音がするのはお酒が入っているからだろう。
「…」
穣子はみんなでする宴会を想像してみた。久しぶりで、とても懐かしい感じがする。悪くないな、と思った。夏のことはまた、これから考えればいいことだ。
「ふう…仕方ない、付き合ってあげるわよ。ただし、お芋の代わりにたくさんお酒飲ませてもらうからね」
「やったー!そりゃもちろん、いくらでも飲んでおくれよ。私と飲み比べでもする?」
「ふ、望むところよ。神の力を見せてあげるわ」
「おーし!じゃあみんなを呼んでくるからちょっと待っててね!」
言うが早いかぱっと霧状に姿を変え、萃香はどこかへ飛び去っていった。後には穣子一人が残される。
「…騒がしいやつだったわね。雨が降ったらどうするのよ……でもまあ、こういうのも結構面白いかも」
足元を見ると、たき火の火はすでに消えてしまっていた。しかし心配することはない。暇な時にせっせと集めておいた薪や落ち葉はまだ大量にあるのだ。
「…今のうちにお芋を焼いとくか」
瞬間、頬に優しい風を感じて穣子は手を止める。それは一瞬のことだったが、気付けば先程に比べて空気が軽くなっているような気がした。空を見上げると、明らかに雲が薄くなったのが見てとれる。神として長く生きてきた経験上、こういう時はきっと晴れるのだ。たき火をととのえ始めた彼女の顔も自然とほころぶ。今日はせっかくの宴会なのだ。どうせなら絶好の焼き芋日和になればいいな、と、穣子は久しぶりにそう思っていた。
「何してるんだ?」
「えひゃい!?」
突然耳元で掛けられた声に穣子は飛び上がる。しかし辺りを見回してみても誰もいない。ぱちぱちというたき火の音が聞こえるだけ。山の中ではあるが少し開けた広場のようなところだ。周りに隠れる場所など在りはしないはずだった。
「ここだよ、ここ」
先程とは違う方向から声がしたかと思うと、いつの間にかたき火をはさんだ目の前に穣子よりも一回り小さいくらいの少女が胡座をかいていた。頭からは立派な角が生えていて、噂に聞く鬼というものなのかもしれない。ただし鬼というよりもむしろ小鬼といった感じのその風貌から、あまり恐ろしさは感じられなかった。穣子は胡散臭そうに目を細める。
「だ…誰?びっくりさせないで欲しいんだけど」
「私だよ、忘れちゃったのか?」
まるで懐かしいものでも見るような目で穣子をみる小鬼(?)。しかし彼女の記憶にはない。
「いや、全く知らないわよ」
「つれないねえ。私はあんたの名前くらいは知ってるのに」
やれやれ、と大袈裟に首を傾げる。とは言っても穣子にとっては誰が知るか!としか言いようがない。変なのに捕まったなあ、と思う穣子だった。
「鬼だよ、鬼。萃香っていうんだ。あんたは秋穣子だろ?姉は静葉。たまに見かけてたから分かるよ」
萃香と名乗った小鬼は偉そうにのたまう。とても初対面の相手に話し掛ける態度ではない。
「鬼だなんて見れば分かる。それにしてもどこで私を見たって言うのよ」
話をしながらもたき火から目を離さず、適宜新しい薪や落ち葉を加えていく。少なくとも穣子はこの小鬼――萃香に会ったことはない。鬼といえばただでさえ珍しい存在だし、何より暇な冬の間に鍛えた記憶力には自信があるのだ。脳トレとか。
「それはまあ、今出て来たみたいに――」
ぱっと萃香の姿が消える。いや、正確には薄い霧みたいなものに姿を変えたらしい。
「――ほら、この能力で」
そしてまた元のように姿を現す。
「…便利な能力ね、羨ましい限りだわ」
一瞬おどろいたような表情を浮かべた穣子も、すぐに視線をたき火に戻した。
「ぐ…あまり羨ましがってるようには聞こえないけど…まあいいや、何してるんだ?この時期に、しかもこの天気なのにたき火なんて」
萃香は少し不満そうにしていたが、すぐに元の口調に戻った。
「芋を焼いてるのよ」
たき火の前にしゃがみ込み、その火をととのえながら穣子は言う。顔こそ見えないが、その言葉には職人のごとき気迫があった。
「え?」
「何か文句があるの?」
間抜けな声を出して目を点にする萃香。まあ、言いたいことは穣子にもうすうす分かる。
「いや、今芋の時期と違うじゃん。てっきり隠れて家庭ゴミでも焼いてるのかと…」
「ふ…私にとっちゃ農産物をとれたての状態で保管しておくことなんて朝メシ前よ。だって神様だもん」
穣子は得意げに胸を張る。彼女にとってみれば秋の恵みたる農産物を1年や2年変わらずにとっておくことなど造作もない。仕事柄秋には人々からたくさんの野菜をお供えものとしてもらうので、その一部を自分や姉のために保管しておいたりするのだ。何故今それを焼いているのかと問われれば、秋の味覚が恋しくなったからとしか言いようがない。姉の静葉はこの時期引きこもってばっかりで彼女の相手などしてくれないし、さらに最近の暑さも穣子のイライラを募らせる。要するに憂さ晴らしに好きなものをガツガツと食べたかったわけだ。
「へぇ~。やっぱ旨いの?」
萃香は興味深そうにたき火をつつく。
「当たり前じゃない。人里のみんなが心を込めて作った芋よ。それに私が焼いてるんだから美味しいに決まってるわ」
自信たっぷりに、嬉しそうに話す穣子。萃香はそれをたき火越しにニマニマしながら見つめている。
「どうかしたの?」
穣子は訝しげに萃香を見返す。
「いや、羨ましいな、と思ってさ。穰子は人間と仲がいいんだな」
「そりゃねー。豊作祈願のお祭りの時なんてみんなで大宴会するんだから」
「そっかぁ」
萃香は変わらず笑みを浮かべている。しかし穣子にはそれがどこか寂しそうなものに見えた。そしてその寂しさも、いつかどこかで感じたことがあるような、そんな気がするのだ。
「仲がいいと言うか…まあでも私は、秋の神様だし…それ以外の季節だと案外見向きもされなかったりするのよ。今の時期はまだましだけど…冬とかはちょっとね。そういえばあなたは…」
言いかけて口を閉ざす。この鬼もまた人が恋しいのかも、と思ったから。その気持ちは、穣子には痛い程分かるから。彼女からしてみれば、鬼もまた神様みたいなものだ。聞いたことがある。人の領域から追われた鬼の話を。
「別にいいよ。私はもう、慣れたし」
「…」
たき火の炎を見つめながら、淡々と。一見感情がこもっていないその言葉からは、逆に痛いほどの感情が感じられるのだ。
「やっと焼けたわ。はいこれ、食べてみて」
「え?」
言うが早いか穣子はたき火の中に埋もれた芋を木の枝で的確にズボッと突き刺し、やにわに萃香に突き出した。
「さっきも言った通り、きっと美味しいわ。私が保証する」
「…これ、食べていいの?」
目を白黒させながらも焼き芋を受け取る萃香。さつま芋の紫に程よく黒い焦げあとが付き、漂ってくるのは香ばしい匂い。二つに割ってみると輝く黄金色とともに立ち上る湯気が、さらに甘い芳香を辺りに広げていく。それはまるでどんよりとした梅雨の空気を一掃するかのようだった。
「うわあ…」
「見た目だけじゃないわ。さあ、ずずいと食べてみなさい!」
「…うまい」
一口食べてみた萃香の顔色がぱっと輝く。続けてはむはむと食べ始めた。
「ふふ、すごいでしょ。私も伊達に豊穰の神をやってる訳じゃない。秋の味覚は知り尽くしているわ」
鼻高々に語る穣子。しかしそれを聞いているのかいないのか、そんな彼女を尻目に萃香はもらった焼き芋を全て食べ切っていた。
「ぷはー、うまかったー」
萃香は幸せそうに口元を拭う。それを見て穣子は満足げに頷くのだった。
「そんなに美味しそうに食べてもらえるとその芋も冥利に尽きるというものよ。まあ、とは言っても収穫したてのものを食べるとさらにもっと美味しいんだけど」
若干火勢が弱まっているたき火に再び枝を突き入れて、食べ頃の焼き芋をもう一つ取り出した。それをしばらくじっと見てから穣子は言葉を続ける。
「でも、今こうやって食べるお芋も確かに美味しいのよね。時に旬のもの以上だったりする」
焼き芋の胴体辺りに真ん中からがぶりと豪快にかぶりついた。芋自体の優しい甘さが、ほくほくした温かさと共に五臓六腑に染み渡る。
「ほら、こんなに美味しい。これってやっぱり、一緒に食べる人がいるからだと思うのよ。いや、そりゃ私みたいのがこんなこと言うのはおこがましいかもだけど。季節が違うから、今は私なんて見向きもされないけど、こんなふうに他の人と焼き芋食べることもできる私って幸せ…みたいな、…あれ…、っていうか私さっきから何を言おうとしてたんだっけ」
真面目な表情から打って変わって首を傾げ始める穣子。実を言うと彼女自身もあまり考えて話していた訳ではなかったのだ。どうやら結局上手く纏め切れなかったらしい。じっとそれを聞いていた萃香も思わず苦笑いを漏らすのだった。
「ふふ、確かに幸せかもね。やっぱり穣子って面白いな」
「な…何よ」
「いやいや、ただ久しぶりにいいものを食べさせてもらって感動してただけさ。ありがとう」
名残惜しそうに芋が刺さっていた木の枝を眺めながら萃香はニヤリと笑う。心の底までは分からないが、どこか吹っ切れたような顔をしていた。
「いやいや、そんな、こちらこそありがとうございます…って感じだよ。最近ずっと独りだったし…」
恐縮したのか咄嗟に頭を下げてしまう穣子。あまり礼を言われるのに慣れていないのだ。祭りの時に感謝の言葉を述べられることはあっても、普段面と向かって礼を言われることなどないに等しい。
「そっか、そりゃ嬉しいなあ。そうだ、穣子にはお礼に私特製、鬼のお酒をあげよう。あ、でも芋焼酎とかじゃないよ」
「…別に私は芋関係なくても飲めるわ」
「あはは、怒らない怒らない。そういえば穰子、まだ芋はあるんだよな?」
萃香は何かを思い出したように尋ねる。
「まあ、そりゃあまだ秋まで暇な時間が続くしねえ」
「よし、それを使ってみんなで宴会やろう!」
「え?」
さすがの穣子も萃香の言葉を飲み込むのに数秒かかった。宴会はそもそも人がいないと出来ないではないか。今ここにいるのは穣子と萃香の二人だけだ。
「萃めるんだよ、みんなをここに。ここはいい感じに開けてて宴会にはもってこいなとこだし。私の能力をもってすればチョチョイのチョイってなもんさ。あー、楽しみだなー」
まるでそれが決定事項であるかのように語る萃香。
「いや、ちょっと待」
「あまり宴会には乗り気じゃないの?」
「そ、そういうことじゃなくて!そんなことしたら私の芋が…秘蔵の芋が…なくなってしまう…!」
声が上擦っている。当たり前だった。これから秋になるまでのこの欝陶しい夏を好物無しで堪え切るなんて考えるだけで寒気がするのだ。萃香の言う“みんな”がどれほどの数かは分からないが、一人や二人でないことは何となく予想がつく。
「別にいいじゃないか。来るやつらにはそれぞれ何か食べ物を持って来てもらうし。お酒もみんなで一緒に飲むと旨いんだぞー」
萃香は目の前で大きな瓢箪を振ってみせる。ちゃぽちゃぽと音がするのはお酒が入っているからだろう。
「…」
穣子はみんなでする宴会を想像してみた。久しぶりで、とても懐かしい感じがする。悪くないな、と思った。夏のことはまた、これから考えればいいことだ。
「ふう…仕方ない、付き合ってあげるわよ。ただし、お芋の代わりにたくさんお酒飲ませてもらうからね」
「やったー!そりゃもちろん、いくらでも飲んでおくれよ。私と飲み比べでもする?」
「ふ、望むところよ。神の力を見せてあげるわ」
「おーし!じゃあみんなを呼んでくるからちょっと待っててね!」
言うが早いかぱっと霧状に姿を変え、萃香はどこかへ飛び去っていった。後には穣子一人が残される。
「…騒がしいやつだったわね。雨が降ったらどうするのよ……でもまあ、こういうのも結構面白いかも」
足元を見ると、たき火の火はすでに消えてしまっていた。しかし心配することはない。暇な時にせっせと集めておいた薪や落ち葉はまだ大量にあるのだ。
「…今のうちにお芋を焼いとくか」
瞬間、頬に優しい風を感じて穣子は手を止める。それは一瞬のことだったが、気付けば先程に比べて空気が軽くなっているような気がした。空を見上げると、明らかに雲が薄くなったのが見てとれる。神として長く生きてきた経験上、こういう時はきっと晴れるのだ。たき火をととのえ始めた彼女の顔も自然とほころぶ。今日はせっかくの宴会なのだ。どうせなら絶好の焼き芋日和になればいいな、と、穣子は久しぶりにそう思っていた。
萃香さんと穣子様という珍しい組み合わせもナイス
丁寧な文章に交換を覚えました
次も期待~
良い話なのに、わざわざ難しい漢字や表現で
読み手の集中力を切らせない。
そそわは、横書きのゴシック体だし、概ねが
明るい色の背景に黒っぽい文字、しかも、モニタは光ってる。
読み易いのは大切な事ですので忘れないで欲しいですね。
いいお話をありがとうございます。
やっぱり寂しさを吹き飛ばすのは賑やかな人の声って事で。神様と鬼だけど。
素敵な小話でした。