Coolier - 新生・東方創想話

排中律

2009/06/06 00:11:46
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 ……夏の匂いがする。



 夏は焼けた金属の匂いがするように思う。鉄か真鍮かそれとも鈴か。どことなく強烈な主張が鼻の奥にまで届いてくる。
 自分の中に流れる血が太陽に熱せられてそういうふうに感じるのかもしれない。
 夏は他の季節と違って、過ごしにくいという意味で厳しい季節ではあるけれど、その反対に、金属のような輝かしさも備えているように思う。
 いろんな存在がそれぞれ、自分をせいいっぱいに主張してくる。
 ここにいる、と叫んでいる。
 例えばセミなんかはわかりやすい例だ。でもそれだけじゃない、空気や水やあるいは木々も同じように声をあげている。
 感覚的なことを言っているから誰かに伝わるとも思わないし、誰かに伝える意図もないけれど、心のなかの真実としては、そういう肌で感じる微妙な違いがある。
 夏だった。
 正確には夏の終り。
 ツクツクホウシの鳴き声が木々の間を幾度となく反響している。うるさい。でもセミの声も遠くのほうから聞こえてくるような感覚があって、セミの声を除けばむしろ静寂が辺りを包んでいる。夏の強烈な日差しも森の中にまでは届かない。
 石炭のように濃い陰影で覆われている彩度の高い風景。
 かろうじて見える道。
 誰かが通ったあとが獣道よりは多少マシな程度に草を切り開いている。それにしたって人間がそこを歩くには多少なりとも努力が必要なようだ。
 僕は少しばかり身体が弱く、こういった道を歩くのに慣れていなかった。
 僕が誰であるかはこの場合あまり関係がないだろう。僕は里の人間で、どこにでもいる子どものひとりだ。人間の少年がひとり森のなかを歩いている、ただそれだけの事実がある。
 もちろん危険なこと。
 森の中には有象無象の妖怪たちが人間を食料にしようと狙っているらしい。死にたくはないので細心の注意を払いながら進んだ。
 しかし見つかるときは見つかるだろう。食べられるときは食べられてしまうだろう。
 妖怪は得てして人間よりも力が強く、逃げようと思っても逃げられるものではない。
 と、慧音先生が言っていた。子どもであれば、なおさらのこと。
 どちらにしても行くしかない。僕はおつかいを頼まれたのである。なんのことはないおつかい。
 博麗の巫女様に無病息災のお守りをもらってくるというのが、その内容。
 目的自体は近所の八百屋でにんじんを買ってくるのと変わらない難易度の低いものだけど、そこに到達するまでが難しい。
 博麗神社は幻想郷の東のはずれにあって、そこに到達するまではほとんど獣の道に等しい道を歩かなければならない。
 だから、危険。
 と、阿求ちゃんが言っていた。
 しかし危険であるという言葉よりも先に、おつかいを頼まれた、人に頼りにされたということが嬉しくて、僕は二つ返事で引き受けたのだった。
 愚かだと思うだろうか。
 あるいは大方の人間にとってはそうだろう。しかし僕はそうは思わない。愚かといえば愚かだろうが、一人で静かな森の中を散策するのは気持ちいい。僕には人と会話する能力が欠如していて、うまく言葉を話せない。だからそう思うのかもしれない。
――あるいは
 恐怖がないわけではないけれど、どこかその恐怖も夏の暑さに溶かされているような気がする。
 鈍感なだけだろうか。恐怖というものがイマイチわからない。死にたくはないし、痛いことも嫌だという気持ちはあるにはあるのだが、その気持ちを他人の視点で見ているようなどこか遠い感覚がある。夏にはそういった感覚を許容するような幻覚作用があるのかもしれない。
 空想に似たとりとめのないことを思いながら進んでいると、いつのまにか背の高い草むらが面前に存在した。道と呼べるのか疑わしい程度の道。かまわず進んだ。急に視界が開けたように感じた。
 瞼の裏が熱線で焦げたように熱かった。
 木の間を抜けた明るさ、もちろんそれもあった。でも、本当のところは少し違っていて、目に痛いぐらいの金糸のような髪の色をした女の子がいたからそのように感じたのだろう。
 それぐらい強烈な刺激。
 それぐらい鮮烈な色彩だった。
 彼女は草むらの下、大きな木の陰に座っていた。僕は呆気にとられ、しばらく二の句が告げなかった。その子は、ほおずきのような紅い瞳をこちらに向けて、ムスっとした表情でこちらを見ている。明らかに不審の表情。いや、もしかすると不満の表情か。着ている服も面妖だ。全体的に紅く染まった色をしていて、どうも洋物のワンピースとかいう服のように見える。あるいはスカートと呼ばれる裾の広がる服なのだろうか。僕にはよくわからない。里の女の子はほとんどの場合、着物を着ていてこういう特殊な服を着ている子は少なかった。
 それにしても目につくのは派手な色合いだ。金色の髪と紅い瞳はどんなに言葉を尽くしても表現できそうにない。
 あと、それに……もっと他のところに目がいっていたことも否定できない。
 不埒だと思われるかもしれないが、顔のほっぺたあたり。
 表情を除けば、白いお餅のような肌が柔らかそうで、里にいるどんな子よりもかわいかった。
 かわいさが七難を隠すというのは、世の中の常識らしい。
 もちろん、彼女の配色――といっていいかわからないが、髪の色や瞳の色からすれば、おそらく彼女は『妖怪』だろう。
 金色の髪は人間のなかにもそういう配色の人がいるらしいが、さすがに紅い瞳をした人間はいない。――と思う。
 いや、もし仮にいたとしても、深く昏い色をした紅は人間には持ち得ないものと感じた。
 つまり、僕は今とても危うい場所に立っていることになる。
「人間ね」
 蔑視とも侮蔑ともつかない、ただの事実の提示のような言葉だった。まあ、実際にその通りだ。僕は人間であり、彼女は人間じゃない。
「人間だよ。君は妖怪か」
 僕はつとめて冷静な調子で言った。
 会話が通じるから、もしかすると食べないこともあるかもしれない。人間を襲うのはそんなにないと言われている。ただ妖怪にとっては人間を食べることがあたりまえだから、あたりまえのように食べられるかもしれない。そのあたりは五分五分の確率だろう。こんな危険な状況でも僕はなぜか恐怖心を感じていなかった。
 彼女のようにかわいらしい妖怪に食べられるのなら、それはそれで幸運なことなのだと思ったのかもしれない。
 じっと観察するような視線を感じ、それから表情と同じような不機嫌そうな声が聞こえた。
「人間はすぐそうやって定義づけようとする。私は私よ」
「名前は何ていうの?」
「人に名前を聞く時は……」
「そうだね。僕は――」
「いや、いい」
 彼女は突然声をだして、僕の自己紹介をさえぎった。
「人間の名前を聞いてもしょうがないもの。そんなに興味もないし」
「そう。じゃあ僕はもう行くね」
 くるりと背を向けてなんでもないように立ち去るつもりだ。
「待ちなさい」
「なにか用?」
「あなた、私を助けなさい」
 彼女は尊大に、偉そうに、まったく悪びれずに言った。
「助ける? 人間の僕が君を助けることなんかあるのかな」
「ちょっと足を怪我したの」
 見ると、痛々しいことに彼女の右足は打撲痕で紫色に腫れ上がっていた。しかし、これは罠かもしれない。妖怪の再生能力は人間に比してかなり高い。そんな簡単に怪我をしているということは考えにくい。
「なによじっと見て」
「いや。妖怪は人間よりずっと丈夫だから」
「夏の陽光のせいよ。あれは私の力を奪う。私の力がうまく発揮できない」
 彼女はにくにくしげに天頂近くに上っている太陽に視線をやった。彼女の言うことが本当なら、それほど危険もないのかもしれない。
「で、どうすればいいの」
「殊勝な人間ね。私をおぶって連れてって」
「どこまで連れて行けばいいのかな」
「そうね……、とりあえず北に向かって欲しい」
「北? いまから僕は博麗神社に向かうところなんだけど」
「じゃあ、そこでもいいわ」
「一体なにがしたいのさ」
「怪我をしているから体を休めたいの。当然でしょ」彼女は怒気をはらませながら言った。「博麗の巫女は知り合いだからそこでも休めると思ったのよ」
「ああ、そうなんだ」
「さっさと連れてく!」
 彼女はとても短気な性格らしい。そんなところに少しおかしさを感じて、僕は言われるがまま彼女を背負った。
「軽いな」
 ぽつりと言うと、
 ぽかりと殴られる。
 非難の目で振り向くと、彼女はもっと怒っていた。
「普通、女の子に軽いは褒め言葉だと思うけど」
「人間風情が私を軽く扱うことは許されないの」
「意味が違うと思うんだけどなぁ……」



 それから十分ほど歩いた。
 彼女のことを軽いと言い放った僕だけれども、もとから身体が弱いこともあって、すぐに息があがった。ちょっとは見た目が可憐な彼女の前ではかっこつけたいところだったけど、身体的な状況がそんな精神論で変わるわけもなく、どうしようもなかった。
 腕はなまりのように重くなって、彼女の柔らかな身体も金属の塊のように感じた。
「ねえ。あなた……」
 後ろから彼女の声がかかる。
 少しだけ遠慮がちに聞こえるのは気のせいだろうか。
「ん?」
 と、僕は普通の調子で答えた。
「ちょっと苦しそうじゃない。どうしたの」
「ただの体力不足だよ」
「汗もすごいし」
「夏だから当然だよ」
「そうね……、夏は嫌な季節だと思う」
「どうしてそう思うの?」
「もともと相容れない季節だから。私と」
「人間にはそういうことはないからわからないな」
「夏は太陽がいっぱいで気が狂いそうになる。暑いし、面倒くさい」
「人によるね。お日様が好きな人間は多いよ。いや、夏が好きな人は多いよ。どこかしら水に浸かったように時間の流れが遅くなるような感覚がある」
「そうね……、人間は季節にあわせて自分を変えることができるみたいだから便利ね。でも総じて人間は弱いということも最近知ったわ。ここで休憩しましょう」
「いいの?」
「なにが?」
「急ぎの用じゃないのかと思って」
「べつに。急いでない。というより、博麗の巫女のところで休むのも思いつきだし」
「そう。じゃあ、そこの木陰で少し休もうか」
 目線の先には巨木が悠然と横たわっていた。自然に倒れた木なのだろう。根元からぽっきりと折れてしまっている。
 彼女を日陰になるように下ろしてから、僕は彼女に聞こえないように小さく息を吐いた。
 そして彼女の隣に腰を下ろした。
 彼女に気づかれないように細心の注意を払って息を整える。彼女の前でかっこつけるという意味あいもあるのだけど、別の意味では食べられないため。弱っているところを気取られないためだ。
「それにしても、変な人間ね。あなた」
「え? どうして」
「普通、私みたいな異形の存在に出会ったら逃げようとするものよ。なぜ逃げようとしなかったの?」
「困ってるようだったし……」
「困ってるふりをしてるだけかもしれないじゃない。そういうふうに警戒心がなくなったらすぐに食べられるわよ。私だったから良かったけれど。それに――そもそもこんなところにあなたみたいな子どもが独りでうろついていること自体がおかしい」
「おつかいを頼まれたんだよ。父さんに」
「どんな?」
「博麗神社で無病息災のお守りをもらってくること」
「ふうん……」
 彼女は不思議そうな――なんとも形容しがたい表情になった。僕は少し笑いたい気分になって、実際そのとおりに笑った。
「なにがおかしいのよ」
「いやなんとなく」
「やっぱりあなた少し変……」
 彼女の表情はなんと表現すればいいだろう。ものすごいじと目で僕のことを見ている。まがりなりにも美少女に見つめられると、どうも落ち着かない気分になってくるのだけど。
 そんなことを伝えるのもどうかしている。
 妖怪は妖怪。
 人間は人間。
 原則的には相容れない。彼女と夏の季節が相容れないように。
「もしかして妖怪のことを舐めてる?」
「いやそういうわけじゃない。ただ――、妖怪に食べられるという感覚がよくわからないのかもしれない。なにしろ、食べられてしまうと、二度と食べられることはない。つまり、食べられることはすべての人間にとって初体験だから、わかりようがないのは当然だと思う」
「想像することぐらいはできるでしょ」
「想像することぐらいは――。でも、それはやっぱり実際とは違っている可能性があるから、それが答えだという確信がもてない」
「……もしかして、食べられたいとか思ってるの?」
「いや――」
 と、僕は否定の言葉を発した。
 でも、心の中では案外その答えは当たっているようにも感じた。
 どこかで、僕は食べられたいと思っているのかもしれない。
 彼女の小さく息を吐く音が聞こえた。
「人間。妖怪に食べられることはわりと痛いことなのよ」
「そうかもしれないね」
「痛いだけじゃない。わりと苦痛なの」
「そう?」
「例えば――」
 と、少し彼女が考えるような仕草をする。具体的には人差し指を顎の右端にあてて、空中に視線をやる行為。
 今からは、おそらく話の流れ的に残酷な物語が語られそうだけれども、そんなこととは不釣合いなほどにかわいい動きだった。
「土蜘蛛という妖怪がいるわ」
「話ぐらいは聞いたことあるけど」
「そいつらの捕食方法って知ってる?」
「いや、知らない」
「ただ食われるってだけじゃないの」彼女は不敵に笑う。「ゆっくりと溶かされるのよ」
「溶かされる?」
「そう文字通りの意味でね。まず人間は白くて丈夫な糸で全身を絡みとられて、ちょうど繭のようになる。顔の部分だけはかろうじて外が見えるけど、首すら動かせない状態になるわ。そのまま、意識はあるけど身体は指一本動かせないままずっと放っておかれるの」
「へぇ……」
「最初の三日間ぐらいは心地よく、お酒に酔ったようにぼーっとしてくる。なぜかおなかもすかないから助けが来ないかと漫然と思うことが多いらしいわね。それから、突然気づくの。自分の身体の感覚がだんだんしびれてくるらしいわ。足が無い? 手が無い? そんな感覚。嘘って思うらしいわね。でも現実は重たい存在感で真実を突きつけてくる。パニックになる。それからかなり暴れる。でも無駄。人間風情の力じゃ糸を千切ることはできない。もうすでに大部分が溶けちゃってるからね」
「それからどうなるの?」
「だんだん気持ちよさが消えてくる。痛みだけが広がっていく。全身をマグマのなかに投げこまれたかのような痛み。このとき、ほとんどの場合、人間はもう絶望している。仮に助けがきたところで絶対に助からないことを悟っているから。つまり、身体が無くなっているから。そして意識が消失するまでずっとそのままというわけ」
 彼女のルビーのように紅い瞳がうっすらと翳りを帯びたように見えた。
 一種の殺気のような、針で刺されるような感覚がこちらに伝わってくる。
 しかし――それでも。
「それはずいぶんと怖い話だね」
 僕の声は間延びしていた。
 怖くなかったかといえば嘘になるが、彼女がそういうことをわざわざ伝える意図を考えると、どうも恐怖が薄れてしまう。
 要するに僕の危うさを彼女は見抜いていて、僕のためにわざわざそういう話をしてくれたのだろうから。
 顔の表情をうまく操れず、僕は少し笑ってしまっていたのだろうか。彼女はもはや定番になったように少し怒ったような表情になった。
「……言っても無駄のようね」
「そういう性格なんだ」
「勝手に食べられるといい」
 彼女はプイと横を向いた。機嫌を損ねてしまったらしい。
「ありがとう」
「唐突になによ」
「そういう話をしてくれるってことは、心配してくれてるってことだろうから」
「ただの気まぐれよ」
「そうだとしても、僕にわかりえる君のことは、外側から見える部分だけだよ」
「悪魔にでも出遭ったら、あなた三秒も持たずに死ぬわね」
「そうかもしれないけどね」
 実際そのとおりだと思う。
 けれど、人間である僕になにがわかるというのだろう。人間が出会った相手のことを判断するには外側を見て判断するしかないじゃないか。だって人間は覚りとかいう心を読める妖怪ではないのだし、心のなかでどんな残酷なことを考えていても、考えるだけじゃ伝わらない。
 だから僕は言った。
「あまりうまく言えないんだけど、僕は……、つまり君のことを信じようとしているのかもしれない」
 彼女は一瞬面食らったように表情を硬直させた。
「出会って一日も経ってないのに、信じるほうがどうかしている」
「じゃあ、もっと君のことを知りたいのだけど、信じるために」
「何が知りたいっていうのよ」
 今度はいくぶんあきれ顔。
 彼女の表情はくるくると変化して、おもしろい。
「君がどうしてここにいるのかという理由かな」
「あなたみたいな愚かな人間を捕食するためよ」
 彼女は淡々と言う。
 それから、身をのりだすようにして、僕の肩に手を置かれる。
 貝殻のような爪先が、首のあたりへと伸びる。
 僕は一言も喋ることができない。
 いや、喋ったらその瞬間に首がとびそうな感覚に襲われた。
 背中には水を浴びせかけられたかのように汗。
 いよいよもって僕の立場は危ういものになった。
 そう思ったのもつかの間、彼女はじっと僕のことを見ていたが、やがて大きなまるい瞳を閉じて、長いタメイキをついた。
「嘘だよ、べつにあなたを食べるつもりはない。ただね……、私にはお姉様がいるのだけど、ちょっと喧嘩しちゃったの」
「喧嘩? ご飯の取り合いでもしたの」
「そういうのじゃない。なんというかもっと精神的な喧嘩。お姉様は自分が偉いって思ってるところがあって、そういうところが気に食わないって思ってたの。で、堪忍袋の限界的爆発。さすがに殴り合いはしなかったけど、喧嘩別れして家から飛び出してきたわけ」
「姉にまさる妹はいないってやつか」
「そうね。一言で言えばそんな感じ。能力的に言えば私のほうが絶対に優秀なのに」
「……」
 なんとなくだけど、妹のほうもずいぶんな性格をしているらしい。
 喧嘩するのも必然というか、なんというか。
「仲良くしたほうがいいんじゃないかな。姉妹なんでしょ」
「うるさいわね。そんなのわかってるわよ。でもね、時々許せないときってあるじゃない。家族だって。姉妹だって」
「確かにそうかもしれないけどね」
「でしょ? あいつはきっと自分が世界で一番偉いとか思ってるのよ」
「君だって同じように思ってるんでしょ」
「なんですって」
 一見してわかるほどの怒りが見て取れた。
「似たものどうしなんじゃないかな。君と君のお姉さんも」
「そう……、ね」驚くべきことに、彼女は少し間を置いて認めた。「だから嫌になるのかな」
「仲直りしたら?」
「嫌よ。あっちが謝ってくるならわかるけど、こっちから仲直りするなんて嫌」
「わがままだな」
「お姉様のほうがずっとわがままなの!」
 それから彼女は岩のようにかたくなになった。
 まあ、そういうことはよくあることで、それを僕のような他人がどうこうしようと無駄なのかもしれない。
 僕にできることは――とりあえずのところ、彼女を博麗の神社へ届けることだけだ。



 再び歩き出し、僕と彼女は森の深いところへ立ち入っていた。
 陰が濃い。
 黒い平坦に伸ばされた影が森を極端に暗くしていた。
「こういう雰囲気はあまり好きではないな」
「あなたね。背負ってる私が人間からすれば化け物だってこと忘れてない?」
「それは忘れてないけど考えないことにしている」
「ふん……バカ。さっき言ってたことだけど、あなただって人のこと言えないよね」
「どういうこと?」
「あなた。家族と仲悪いでしょ」
「いや……、そんなことは無いけど」
「じゃあ――、なんでこんな危ないところにいるの?」
 首のあたりに彼女の温かな息がかかった。
 僕は腕に力をこめて、一度彼女をひょいと空中に持ちあげて、背負いやすいように体勢を整えた。
 そうこうしてる間にも容赦なく声は続く。
 声の発信源を背負ってるから逃げようもない。
 なんとも嫌な感じだったけど、そういう絶望的な状況が少し心地よくもあった。土蜘蛛に捕食されて絶望しきった人間もそういう心地よさを感じたのかもしれない。もうそれ以上底がない不幸なら、どことなく安定しきっているように感じる。そういう倒錯した心地よさだ。
「これは想像に過ぎないのだけど、あなたは家族に対して、諦めてしまったんじゃないの? 父親からここに来るように頼まれたって言ってたわよね。どうしてそれを受け入れるのかを考えたらそうとしか考えられない」
「君の言うとおりだよ」
 ここで下手に言い訳してもどうせ無駄だろう。
 彼女の言ってることはまさにそのとおりで、僕が思ってるとおりのことだったから。
 言い訳のしようもなかった。いや――なにかしらの嘘を言いたくなかった。誰かに相談したかったのかもしれない。彼女が見ず知らずの他人で、まして人間でないからこそ、僕は正直に答えることができた。
「君が言うとおり……、僕は諦めてしまったのかもしれない」僕は小さく言った。「父さんに嫌われるのが怖かったから」
「嫌われるのが怖かったから、言われるがままここにきたってこと?」
「そうだよ」
「死んでしまったら元の子もないじゃない」
「父さんはたぶん僕が死んでもどうも思わない」
「へえ。どうしてそう思うの」
 後ろをちらりと振り向くと彼女は能面のように無表情だった。
 ちょっと怖い。
「僕が生まれるとほとんど同時にね、母さんは死んだんだ。ちょうど今のような夏の終りだった。で――、それから十年と少し経って父さんは再婚した。あとは言わないでもわかるだろ?」
「わからないわね。最後まで言ってちょうだい」
「僕は邪魔になったってこと」
「あなたが勝手にそう思ってるだけじゃない」
「そうかもしれないけどね。僕だって再婚した父さんのことを悪く言うつもりはないよ。男にはどうやら女が必要らしい。僕にはまだわからないけど、そうらしいということぐらいは理解できる。でも――」僕は声を荒げた。「父さんはあの女といっしょになって僕をここに追いやったんだ!」
「つまり――、あなたは、あなたの父親も再婚相手も、あなたのことを死ねばいいと思ってると考えたわけね」
「そう」
「だから、自棄になって、魑魅魍魎どもに食べられてもいいと思った」
「わからないよ。そんなにまとまりのある考えでもない。ただ哀しかったんだ」
「哀しい認識ね」
 彼女の声の調子は沈んでいた。
「普通だよ」
「普通ってなによ。そんなのが人間の普通なの?」
「そうだよ。それが人間の普通」
「嘘つき」
 蝶がはばたくような、優しい声色だった。
 おかしいな。どうしてそういうふうに言うのだろう。彼女の言動は予測がつかない。それもそうだろうと僕は思いなおす。なぜなら彼女は妖怪なのだろうし、妖怪は人間ではないからだ。人間でない存在に人間のコトワリがわかるはずもない。
 いや――そうやって人間という一般化した概念によらないでも、僕のことは僕にしかわかりえないのだし、それだけは揺るがないはずだ。
 僕は父さんとあの人が僕を博麗神社に行かせようという話し合いをしているのを聞いたし、そんな場面に出くわしたら誰だって、僕のことが嫌いなんだって思うのが自然なはずだ。
 だから――僕は言う。
「嘘じゃないよ」
「でもおかしいと思わない?」
「なにが」
「もしも――もしもだけど、仮にあなたの父親があなたのことを死んでもいいと思っているのなら、どうして無病息災のお守りをもらってくるように頼んだの」
「建前だよ。人間には建前が必要だ」
「ふうん。まぁ、人間は弱い生き物だから、いろいろと形式を必要とするのはわかるわ。でも、病が無く災いが已むお守りを頼むというのは矛盾以外のなにものでもない。少しおかしいと思わない?」
「思わないな。僕をうまく消すにはそういう嘘が必要だったんだろ。理由なんてなんでもよかったんだ。ただ、より確実に僕が消えるためには、一番遠くて一番危険な博麗神社へと向かわせるのが都合がよかったんじゃないかな」
 僕は淡々と考えていた答えを述べた。
「あなたも人のこといえないくらいわがままね」
「わがまま?」
「我が強い。我が儘と書いてわがままと呼ぶとおり、自我は棘になるのよね。あなた、気づいているのかもしれないけれど、心の底ではやっぱり家族を信じたいって思ってるんじゃない?」
「さあね」
「だっておかしいじゃない。私のような『妖怪』を信じておきながら家族を信じないのは、変でしょう?」
「君を信じようとしたのは――、いや……」
 うまく言葉がでてこない。
 どうして、僕は彼女のことを信じようとしたのか。
 そうしたかったからとしか言いようが無い。
 そういった感情は、自然と湧き出でるものだから、自分自身でも説明がつかないところではあるけれど、彼女が言うように、僕はどこかで家族を信じたいと思っていて、だからこそ彼女を信じたいと思ったのだろうか。
 それとも、ただ死にたいと思っただけか。
 いや、もっと単純に誰かに必要とされたかったのか。
「わからないな」
 僕はぽつりとつぶやいた。
 結局、わかりようもない。自分の心も他人の心も。限定的な視点しか持たない僕には、何もかもが不確定で、五分五分の確率で起こりうる。
「あなたの家族はあなたの帰りをいまかいまかと待ちわびているのかもしれない」と彼女は言う。
「早く死んで欲しいと願っているのかもしれない」と僕は反論する。
「あなたの幸せを願ってるかもしれない」
「僕の不幸を願ってるんだよ」
「あなたがそういうふうに鬱屈しているから、状況を打開しようとしたんでしょう」
「だとしてもやりようがあるだろ。こんな危険なところに子どもひとりで行かせるなんてどうかしている」
「考えが浅いのは確かにそのとおりかもしれないわね。あなたのようなヤケを起こした人間のことが妖怪にとってはたまらない好物だから」
「だろう」
「でも――あなたは母親のいのちと引き換えに生まれてきたわけよね。それで――、なんといったらいいか原罪のようなものを負ってると自分でも知らないうちに感じている。家族としてはどうにかしてあげたいと思うのも無理ないわ。彼らにとっては賭けだったのかもしれないわね。つまり、一種の荒療治」
「全部推測じゃないか」
「そうよ。全部推測。でも、確率的には五割程度でしょう。そんなに分の悪い賭けでもないわ。生きるか死ぬかも、所詮は確率的には五割なのだから」
「排中律か。慧音先生が言ってた。正しいよ。人間には生きているか死んでいるかのどちらかの状態しかない。でも――」僕は少し間を置いて答える。「ずいぶんと極論だね」
 いつのまにか僕は無意識に笑っていた。彼女も釣られて少し笑った。
「極論よ。でも現にあなたは生きている。つまりあなたは賭けに勝ち続けている。まだ負けていない」
 力強く放たれる言葉に、僕は心臓のあたりを撃ち抜かれるような気分がした。どうしてこんなに――僕自身の心の結界ってやつが破壊されていくような感じがするのに、心地よく、それを受け入れてしまうんだろう。
 光が見えてきた。
 獣道を抜けた最後に、博麗神社の長い階段が見えた。
「そろそろ到着だね」
「さすがにこの階段は無理そうね」
「がんばればなんとかなると思うよ」
「よわっちぃ人間のくせに」
「その人間に背負われてきたくせに」
「言うわね。まあいいわ……。とりあえず肩ぐらいかして」
「わかったよ。肩に掴まって」
 彼女は僕の左肩に弾力のありそうな手のひらを置いた。ふわりと、にわかにいい匂いがする。鼻腔をくすぐる柔らかな女の子の匂いに僕はなんだか脈拍が速くなるのを感じた。背中にいるときはあまり意識しなかったけど、横にいるとどうも僕と彼女は同じぐらいの背の高さのようだ。
 もちろん、妖怪というものは得てして人間よりも長命である場合が多いので、僕なんかよりは何倍も下手すると何十倍も長く生きているだろう。
 階段は長い。幻想郷を一望できるほどに高い場所に位置するだけあって、博麗神社の階段はおよそ人間が参拝するに適した長さだとはいえない。
 そういえば、博麗の巫女様は空を飛翔することができるらしい。
 空を飛べるんなら、こんな階段使わないから、参拝の苦労とかわからないのだろうな――などと考えたりした。
 もしかすると隣にいる彼女も空を飛べたりするんだろうか。
 階段も中ほどまであがってみると、空気が薄くなったように感じる。すぐに呼吸が乱れた。体力がなくて思うように身体が動かないのは歯がゆい。
「休みながら行く?」
「そうしてもらえると助かるね……」
 僕は情けないことにその場にへたりこむ。彼女のほうが圧倒的に体力はあるようで、足の痛みが回復すれば、たぶん彼女が空を飛ばないでも絶対に負けるだろう。
「さっきの話の続きだけど。あなた……どうするつもりなの」
「ずいぶんと親身になってくれるね。人間風情のことに」
「多少は興味が湧いたから」
「とりあえずお守りをもらって帰るよ。なんとかここまで食べられないで来たし、帰りも巫女様に頼んで送ってもらおうかな……」
「それからあとは?」
「それからあとは――たぶん」
 僕が口を開く前に、かたわらにいる彼女が叫んだ。
「……お姉様!」
 視線の先には、彼女とよく似た顔立ちの女の子が、夏の日差しのもとに浮揚していた。夏の陽光は彼女の力を奪うんじゃなかったか。彼女の姉が彼女と同じような属性だとすると、陽光に身体を晒し続けてるのはあまりよくないことじゃないのだろうか。
 やがて、彼女の姉はこちらに気づいたようで、風を切るような速度で近づいてきた。
 決して優雅な着地じゃない。一見して明らかな焦燥感の漂う動きだった。
「心配したのよ。あなたがいつまで経っても帰ってこないから。怪我したの?」
「うん……、怪我しちゃった」
「もう……、本当に、あなたって子は後先考えないから」
「お姉ちゃんだって」
 彼女の口調がにわかに崩れる。顔の表情も同じように崩れた。透明なしずくが頬を伝った。泣いていた。
「お姉ちゃんだって、ずっと私を探し続けて、無茶したんでしょう」
「姉が妹を心配するのは当然のことよ」
 それから不意に、お姉さんは彼女の小さな体を抱き寄せた。
 それで結局、仲直りは済んだらしい。ずいぶんと簡単で単純な儀式だった。けれどその儀式は決して不要なものではなく彼女たちにとっては必要不可欠なものだったに違いない。
「人間よ。お世話になりましたね」
 彼女のお姉さんが僕に話しかけてくる。静かな口調で、彼女に比べればずいぶんと淡白な印象を受けた。
「いえ……」
「なにかお礼をしましょう。捧げられた祈りに答えるように、受けた恩義は返すのが『神様』の務めです」
「神様?」
「そうですよ。穣子は言ってなかったのですか?」
 穣子というのがどうやら彼女の名前らしかった。
 僕が彼女のほうへと振り向くと、彼女は少し怒ったようにプイと横を向いた。
 なんだか笑いたい気分だったので、僕はタガがはずれたかのように笑った。
 まったく――
 嘘つきはやっぱり彼女のほうじゃないか。神様もある意味で妖怪のひとつに数えられるのかもしれないけれど、一言もそんなことは言わなかった。そのうえで妖怪に食べられる話を語るなんて、意地が悪い。
 



 どうやら彼女たちは秋を司る神様らしい。人里にもわりと呼ばれるらしいから、知らなかったのは僕があまり人と会話せずに体力的にも弱いから家からもあまりでなかったせいだろう。僕の世間知らずなところは自分の不徳としか言いようが無いので、それはのちの宿題ということで――。
 それでとりあえずの事後の経過について。
 三人(正確には二柱と一人だ)で階段を登って、神社お守りをもらったあとは、博麗の巫女様にいくらかの『お布施』をすることで人里近くまで送ってもらい、僕はなんとか妖怪に食べられずにすんだ。
 どうやら生還に成功したようだ。
 そして今、僕がいるのは家の前。
 しばらくの間、じっとその場にいて、つれづれと考えた。
 最初に思ったことは、僕には会話が足りないんじゃないかってこと。
 暗い森の中を彷徨うことになったのは必然と言えば必然で、僕はあまり父さんとも、あの人とも会話をかわしてこなかったから、そうなったのだろう。なぜ話し合わなかったかというと、そうするのがなんだか恥ずかしかったというのもあるし、そうするのがなんだか怖くもあったからだ。自分が生きてることがなんだか申し訳ないようにも思っていたというのもある。言葉にできるほど意識していたわけじゃないけれど、彼女にいちばん臓腑をえぐられた感じがした言霊は『原罪』だった。まあそういう言葉があるのは知ってるし、さすがに僕もその言葉の意味ぐらいは知ってる。無意識にしろそう思っていたということを認めるには時間がかかりそうだけど。
 だから、もう少し会話を交わしてみようと思った。それぐらいしかたぶん今の状況を改善する方法はないだろう。
 きっと人間には出会った相手やこれから出会う相手が破壊の限りを尽くす悪魔かそれともちょっと怒りっぽい女神かを区別する術はないのだし、いつだって賭けてみるしか手段はないのだから。
 僕は信じて生きてみる。

「ただいま」から始めてみよう。

今でもバイオベースはトラウマ。
それと彼女はオリキャラではありません。
近況。わりと早めに次を投下できそう。今度はもっとオーソドックス。

クリティカルなミスを編集。やっべ。指摘サンクス…
超空気作家まるきゅー
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なんだフランちゃんじゃないのか
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>夏は他の季節違って
夏は他の季節と違って

本当だ。区別できなかった。
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フランだと思って読んでたぜ
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俺も背負いたい
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おもしろかった!
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最初はルーミアだと思った。
次はフランだと思った。
結果は穣子だったとさ。
……一本取られました
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俺もずっとフランだと思ってました
文体からして意図してのひっかけでしょうか
してやられました
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俺もフランだと思ってた


>バイオベース
やめてマジやめて。土蜘蛛のところで思い出しちゃったじゃないかw
小学生の俺にトラウマを植え付けたあれだけはマジ勘弁
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ルーミアかと思って読み進んだ→姉云々が出て来た
→眼が赤だったか考えながら読み進んだら秋姉妹だった。ノーマルが精々なので姉なぞ知らんなぁ(ry
生体基地>当時大貝獣?ではなくLALをプレイしていた私に隙は無かった。 ェ?何、東方LAL? ギャー
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フランじゃないなんて……正直いい意味で驚きました。
読み返せば、服装の描写なんかは巧妙にぼかしてあるのですね。
博識で、ぽかりと人間を殴っても違和感が無い辺りは確かに稔子。
オリキャラ(人間のほう)も嫌な感じはしませんでした。
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初めルーミアだと思った>あれ?でも闇の中は夏涼しいんじゃなかったけ?
次に「お姉様」と来たのでフランだと>しかしあの子が怪我くらいで飛べなくなるんかい?
こいしちゃんかなとも思ったけどでもあの子金髪でも紅瞳でもなかったような?

まさか穣子様とは。さすがに意表を突かれました。
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これはやられた。フランだと思っていた。
御見事です。読み返すとまさに穣子でした。
人間くんに拾われて拾った神様の語りが実に良かったです。
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フランと思ったらまさかの秋姉妹
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完璧にフランだと思っていました。
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雰囲気が良いなぁ