*ご注意*
このお話は
作品集63「星熊勇儀の鬼退治」
作品集64「エンゲージ~続・星熊勇儀の鬼退治~」
作品集65「おにごっこ~星熊勇儀の鬼退治・参~」
作品集65「温泉に行こう!~星熊勇儀の鬼退治・肆~」
作品集67「そらのしたで~星熊勇儀の鬼退治・伍~」
作品集72「貴方が妬ましい~星熊勇儀の鬼退治・陸~」
作品集73「葡萄酒と香辛料~星熊勇儀の鬼退治・漆~」
作品集75「黒猫一匹~星熊勇儀の鬼退治・捌~」
の流れを引き継いでおります。
紅魔館を出られることに安堵の息を漏らす。
旅支度と云うほどではない、日帰りの身なりで門を出る。
勇儀は美鈴に借りた上着を羽織り、私はいつも通りのマントを身につけていた。
「夜には帰るから、飯期待してるよ」
「私の朝食とかち合うタイミングじゃないと期待したのは出ないかもよ」
勇儀は振り返って見送りに来ていたレミリアと言葉を交わす。
……そう、帰ってくる。紅魔館は地上における私たちの定宿になっていた。
故に心配は消えはしないが――それでも安堵の息は漏れた。
出掛けている間は心配をせずに済むのだから。
「そういえばよくこんな時間まで起きてるな? 夜行性なんだろ?」
「宵っ張りが過ぎたかしらね。眠くてしょうがない」
時刻は昼過ぎ。
勇儀の紅魔館における仕事が一段落ついたので出かけることになった。
「どこから探すつもり?」
「そうだな、一番ありそうなのと云えば――」
ふと、レミリアと、修理の終わった門の前に立つ美鈴を見る。
美鈴は視線に気づき手を振ってきた。
迷惑はかけたくない。
だから出られることに安堵する。
私が居続けては何が起こるかわからないのだから。
「山かね。気が進まんが」
「あら、どうして?」
「歓迎はされないだろうからねぇ。一度は捨てた住処だし」
「ふぅん――」
思索に耽る風のレミリアを見る。
私より小さい体で――立派に紅魔館の主を務めるレミリア。
たった数日過ごしただけだけど、紅魔館の人たちの暖かさは理解できた。
理解してしまった。
だから……知られたくない。距離を置いておきたい。
レミリアと目が合う。
深い血色の瞳。
心情など読み取れない底の見えない眼。
――目を背ける。
こんな浅ましいことを考えてるだなんて気づかれたくなかった。
「ねぇ四天王」
願いが通じたのかレミリアは勇儀との会話を再開する。
「橋姫は情が深いらしいじゃない? 気をつけなさい」
しかし、その声は私に向けられているかのように耳に刺さる。
「浮気はせんよ」
「浮気ならまだいいんだけどね。刺されたくらいじゃ死なないでしょあなた」
少女の声音が変わる。
「誇り高く慈悲深い奴は、誰かのためなら簡単に壊れる」
意識を、逸らせない。聞き流すことすら、出来ない。
「簡単に抜いてはならない剣を抜く」
小さな吸血鬼の姿が目に焼きつく。
「気をつけなさいな四天王。あなたの怪力乱神も心には届かない」
耳に心地よい筈の彼女の声が――
……どうしようもなく、私を不安にさせた
山。――妖怪の山。
かつては鬼を始めとした有力な妖怪たちの住処だったらしい。
今では鬼たちも去り、天狗や河童がその後を継いだ形で暮らしているという。
紅魔館のある湖はその山の麓に位置するらしく、それほど時間をかけずに行けそうだった。
「山ってどんなところ?」
「ん? そうだなぁ……でこぼこした旧都って感じかな」
予想通りの答えだった。住処を変えたくらいじゃ鬼は変わらないようだ。
「5・600年は居たかね――いい思い出も悪い思い出もあり過ぎる」
言って、彼女は遠い目をする。
……今を、見てはいない。
「嫌なんじゃないの? 今の住人に拒否されるかもしれないのに」
「まぁ、嫌だからって行かんわけにもいかんさ」
――相変わらず、彼女はエゴイストだ。
今山に住む誰かを本気で気にしてはいない。
自分から捨てた事実だけを口にして、後に残された者のことを考えていない。
その強烈な我が魅力なのは事実だろうけれど――故に……
一度敵に回ればそれは憎悪の糧にしかならない。
不安はさらに積み重ねられる。
根が何かなのかは自分でもわからないけれど、積み重なったものははっきりしていた。
現在の山の住民……天狗や河童が、敵に回る可能性。
本人がどう思っていようが勇儀は鬼の四天王。
その輝きは峻烈で、それ故に見過ごすことなど出来よう筈もない。
まず間違いなく、ここでの温泉探索は穏便に済みはすまい。
「…………」
杞憂で終わらないという確信。
得られる情報からだけではなく……本能的なものが告げている。
それに、何故か耳にこびりついて離れないレミリアの声が――
「パルスィ?」
いつの間にか、勇儀が私の顔を覗き込んでいた。
「え、あ、なに?」
「なにって……いやにぼーっとしてるから」
「あ、うん」
……正直に言うべきなのかもしれない。
でも彼女の楽しみに水を差すようで、言い難い。
「えっと」
矛盾した思考はぐるぐると回り続けて――
「――なんでもない」
無難な回答へと逃げ出してしまう。
「……そうかい?」
釈然としない風な勇儀の声が胸に刺さる。
これで、いい。
私の益体の無い不安など語ってもしょうがないのだから。
勇儀が楽しんでるのを邪魔するよりはましなのだから。
「行きましょう」
「え、おい」
私が先に立つ形で歩き出す。
鬱蒼と生い茂る木々はその密度を増し、道は緩やかな傾斜を主張し始めていた。
漠然と、山に入ったのだと覚る。
冬だというのに――精気が濃い。
草木の少ない地下とはまるで違う、自然の息吹。
……勇儀は何も言わない。山に入ったことに気付いていないのか、それとも……
私の様子がおかしいことに気を回しているのか。
私自身……おかしいと自覚している。
柳の影に怯える幼子と大差ない。始終びくびくしていて、まるで怪我をした獣だ。
常に最悪を想定する私が、その上がある、その上が見えないと怯えている。
――見えないのだと己に言い聞かせている。
また、矛盾。
どこかに、矛盾を孕んでいる。
どうしようもなく……おかしい。
歩みが遅れる。
一歩を踏み出すのにひどく疲れて、歩くなんて当然のことがひどく苦痛で。
呼吸の仕方を忘れていて、喉を通る空気すら粘性を帯びた重さ。
溺れる魚のようだと、そう思った。
山道を歩く。
傾斜は緩く、平坦とも云える道なのに足取りは重くなる一方だった。
息は乱れ、冬だというのにひどく暑い。
途中何度も勇儀に声をかけられたが、それらは全て断った。
顔色が悪い、休もう。
引き返そう。
ここからなら紅魔館へ帰る方が近い。
などと、言っていたような気がする。
冗談じゃ、ない。彼女の足を引っ張るなんて御免だ。
紅魔館へも、戻りたく……ない。
少なくとも今は、どこにも、帰れない。
「お――」
勇儀の声にびくりと震える。
思わず上げた視線の先に、池があった。
少し奥まったところには祠も見える。
なんの変哲もない池のようだが。
「――ひっ!?」
のそりと、私の背丈よりも大きな蝦蟇が姿を現した。
「おぉ! まだ生きてたかおまえっ!」
勇儀が、親しげに歩み寄っていく。
……知り合い、なの?
「冬眠しなくていいのかおまえ。ん? ほほぅ、じゃあさぞかし強くなったんだろうな?」
――会話? 勇儀が勝手に相槌打ってるようにしか見えないけれど……
昔の友達、なのかしら。
気軽にぺしぺしと叩いてるところを見るに相当親しいようだけれど。
思えば地上に出てから初めて会う勇儀の知り合いだ。
私は幻想郷に知り合いなんて居ないけれど、勇儀はその限りじゃないだろう。
鬼が地下に去った時、地上に残った妖怪も居たのだから。
「ほぅ? そいつは活きの良い妖精だね」
……山に入った途端襲われるのを覚悟していたけれど、杞憂で終わるかもしれない。
もちろん全員が全員彼女に好意を抱いてるわけじゃないだろうことは承知しているが……
「――そうかい。ま、肝に命じとくよ」
安堵の息は、神妙な勇儀の声に遮られた。
のそりのそりと大蝦蟇は池に帰っていく。
「なんて?」
「あぁ、気をつけろとさ。天狗共の警戒が厳しくなってるそうだ」
心臓が、一際大きく鼓動を打つ。
「帰った、方がいいんじゃないかしら」
「なぁにいちゃもんつけてくるなら軽く捻ってやるよ」
楽観的な彼女の言葉に、安心できない。
不安を掻き消そうと、忘れようと、誤魔化そうと歩き出す。
足取りはさらに重くなっていた。
勇儀が何か言いたそうにしていたけれど、構う余裕が無い。
歩みが、重くて、遅い。
不安を掻き消したいのに、忘れたいのに、誤魔化したいのに、出来ない。
走りたいのに、走れない。
あの池からどれだけ進めたのかもわからない。
山の妖怪の襲撃、それ自体が怖いわけではない。私は、そうじゃなくて、怖いのは――
「パルスィ? ……本当に大丈夫か? おまえが嫌だって言うんなら私は」
手で制す。
違う。
私は、気づいて、いて。
それがなにか、理解っていて。
認められ、なくて……怖く、て。
「……帰ろうパルスィ。別に山を探さなくてもいいんだから」
勇儀の手が肩に触れる。
反射的に振り払おうとしてしまって
鉄の打ち合う音
「――え」
勇儀の頭が、跳ね上がって、る?
そのまま、倒れて――起き上がらない。
「え、うそ。勇儀?」
返事がない。ぴくりとも、動かない。
冗談が過ぎる、わよ、勇儀。
ねぇ、なんでそんなお芝居するのかわからないわよ。
もうわかったから……早く、起きてよ、勇儀……!
「ここから先は」
凛と、よく通る声。
「――通しません」
大きな剣を携えた少女が、立っていた。
白い、髪。獣の如き鋭い眼。
大きな、牙を模したかのような剣に、盾。
種族を表す、修験者風の意匠。
――白狼天狗。
「貴様――」
敵。
私の、敵。
勇儀を斬った、敵……!
「ここから先は山の深奥。入山には許可が必要です」
涼しげな声が、耳触りでしょうがない。
「黙れ、貴様、よくも――っ!」
スペルカード決戦などという生温いことはしない。
私の全妖力を以てしてもこいつは……!
「妖怪の人。そちらの四天王様を心配してるなら無用ですよ」
声に、僅かな焦りが混じっていた。
「……え?」
嘘ではないと直感する。
この敵は今――焦りと、怯えを押し殺しながら構えている。
その注意は私ではなく後方に、倒れた勇儀に向けられていた。
剣を持ち上げる。
「――銘刀でこそありませんが、それなりに業物なんですが……」
掲げた剣には、大きな罅が走っていた。
「流石は山の四天王の中でも『力』の二つ名を持つお方だ」
「はっは。元気がいいねぇ――だが間違ってるよ。犬っころ」
「勇儀……っ!?」
むくりと起き上がり首をごきごきと捻る勇儀は、無傷に見える。
「パルスィが心配してくれてるんだ。無用なんてことはない」
いつもの物言い。いつもの余裕のある笑顔。生き、てる……
無事を主張するかのように彼女はすぐに立ち上がった。
「しっかしあれだな。いきなり斬りかかられるとは思わんかったよ。山も物騒になったねぇ」
勇儀の言に、天狗は噛みつく。
「物騒なのは貴女方だ。先日山の中腹を駆け抜けたでしょう」
元から鋭いだろう眼光は鋭さを増し、穿たんばかりに鬼の四天王を睨む。
「あれから山はずっと大騒ぎです。鬼が山を取り返しに来たんだと」
……杞憂で、終わらなかった。想像通りに話が進んでしまっている。
今はこの天狗一人だが、いつ山の妖怪が総出で来るか知れたものじゃない。
「相変わらず天狗も河童も賢しいねぇ。ちょっとした里帰りじゃないか」
「それだけ貴女方は未だに畏れられているのです」
誰でも軽口とわかるだろう言葉にまで、噛みつく。
それが彼女の生真面目さ故なのか余裕の無さ故なのかはわからない。
「平和主義を気取る気はないが、話合いじゃ済まないのかね」
譲歩とも取れる提案に、しかし天狗は頭を振る。
「いかなる理由があろうと、貴女方を山に入れるわけにはいきません」
折れる――べきだった。好戦的な鬼が、一度斬り掛かられたことを流そうとしているのに。
天狗の末路は決まった。
もう誰にも……助けられはしないだろう。
すぐにでも天狗の首が飛ぶかと身構えたが、勇儀は動かなかった。
何故か、私を見ている。
「…………」
何故私を見るのか、わからない。
見返すと、勇儀は視線を天狗に戻した。
「まぁ――ここで退けば鬼の名折れだ。通らせてもらうとしよう」
鬼らしく言い放つ。
しかし、勇儀らしくは、ない。
こんな思慮深そうに動き出すのは勇儀らしくない。
まるで、どう動けばいいのかを考え抜いているようで……
「そいじゃちょいと行ってくるよ。いいかい? 『おまえは何も』」
ぽんと、頭に手が置かれる。
「『しなくていい』」
その手が……とても、重く感じられた。
美鈴から借りた上着を脱ぎ捨てる。
隙だらけの自然体に見えるが、勇儀は既に臨戦態勢に入っていた。
対する天狗は――大上段の構え。
互いにいつでも始められそうに見えるが、動かない。
天狗が動かないのはわかるが……何故勇儀まで……?
いつもなら、あんな相手の出方を窺うなんて真似はしなかった。
真っ先に飛び出して闘い始めるのに……
「あー……犬っころ」
焦れたのか、勇儀が口を開いた。
「犬走椛です」
「そうかい犬っころ。なんで私の首を狙わず角を狙った?」
「殺すつもりはありませんでしたから。それに角が欠けでもすれば退いてくれるかと」
「はっは。元気のいいガキだ。だがまた間違えてるよ」
浮かぶは獰猛な笑み。
もう――彼女は待つ気もなければ許すこともあり得ない。
「鬼を相手に殺そうともしないなんて――微塵の勝機が零になる」
がくん、と勇儀の体が沈む。
四肢に力を溜め込んだ、獲物を前にした獣の姿勢。
ゆるりと、天狗の構えも変わる。
盾を前にした、攻防一体の構え。
しかしその構えとは裏腹に、帯びる殺気の鋭さは先程の比ではない。
「なら、お言葉に甘えて……殺させていただきます」
先に――天狗が動いた。
勇儀の言葉をなぞるような横薙ぎの一撃。
首を狙ったそれは、素手で受け止められる。
「いいぞぉっ! ガキと犬は元気なのが一番だっ!!」
真剣を素手で受けながらも勇儀の手には傷一つ無い。
実力差は明白で、万に一つも天狗に勝ち目などないのに。
そのはず、なのに……なんで、私は。
――無造作に放った様に見える勇儀の爪が、天狗の盾を砕く。
天狗も即座に反撃に出るが勇儀の優勢は変わらず、一太刀とてその攻撃は通らない。
「く――っ!」
間合いを取っても、刹那の間もなく追い付かれる。
容赦など無い。
如何に力が及ばなかろうと、挑戦を受けた鬼が手を抜くなど有り得ない。
天狗は引きながらも全力で斬撃を浴びせるが、全てが弾き返され傷一つつけられない。
……美鈴と闘った時とはまるで違う。勇儀は欠片のダメージも負っていなかった。
見るに、美鈴のような一撃必殺の技すら持っていないのだろう。
「そんなへっぴり腰じゃあ私は斬れんぞ犬っころ!」
「何を……っ!」
……安心する要素しかない。このまま行けば勇儀は無傷で勝利する。
彼女は傷つかない。それで、終わる――
「絶対に通さんっ!!」
天狗の渾身の一撃が、勇儀の首を掠めた。
「ほぉう? 名乗りもせんで斬り掛かってくるようなのが一人前に吼えるじゃないか」
それでも勇儀の余裕は揺らがない、けれど……
血、が。
「貴女とは、背負う物が違う……!」
「大きく出たな。何を背負う小娘」
勇儀の、首が、切れて。
僅かにだけど、血。
「……仲間です。貴女に怯える仲間たちの為なら、この身を盾にしても構わない」
「――む」
「だから、貴女を斬るっ!!」
一気呵成に天狗は攻め立てる。
対する勇儀は明らかに勢いを減じ、防戦一方に。
――勇儀が、傷つけられている。
「数百年もっ! 私が生まれるよりも前からっ! 放っておいてっ!!」
猛攻としか言い表せない天狗の攻撃は止まず、最早私の目では追えぬ域に達していた。
罅から折れたのか、剣先が飛んでも構わず斬り掛かる。
「里帰りっ!? 巫山戯るな、私たちがどれだけ恐れ、怯えたかっ!!」
叫びも止まらない。
「住む場所を奪われるとっ! 生活を壊されるとっ!」
口舌の刃まで、勇儀を斬りつけている。
言い返せば――いい。
彼女に、そんな気は無いのだし、こんなのは、言いがかりみたいで。
「勝手に地底に去っておいて、また勝手に帰ってくるっ!? どれだけ好き勝手をすれば気が済むっ!!」
なのに勇儀は黙って受け続けている。
剣も、叫びも。
「今更……っ! 今更何のために帰ってきたあぁっ!!!」
「……っく」
――違う。
これは違う。
美鈴と闘った時とは違う。
こんなものは――闘いとも呼べない。
彼女を、勇儀をただ傷つけるだけで。
守るためと大義名分を振りかざして。
勇儀は、こんなの望んでなくて。
こちらの言い分も聞かずに、一方的にまくし立てて。
勇儀が、血を流して。
――しい
信じて、疑ってない
己が正しいと信じている
あいつからすれば私たちが悪くて
忌避され、追いやられる悪鬼で
「貴女さえ来なければっ!」
その刃を振り下ろすことに迷いなど無く
「私たちは平穏に――っ!」
鬼女は、人々の為に討たれ――
ああ
かしゃりと
――妬ましい
枷の外れる音がした
勇儀の拳は地面を穿ち、天狗は剣を取り落とす。
「な……?」
「あら?」
困惑している。当然だろう、『戦いを止める気などなかったのに』。
歩き出す。
もう重さも疲れも感じない。
明確な目的を持った足は澱みなく歩を進める。
「邪魔させてもらうわ」
「ぱ、パルスィ?」
勇儀の横を通り過ぎる。
天狗は蹲ったまま、剣を手に取ろうともがいていた。
「不思議そうね。そんなに戦いたいのかしら」
睨まれる。
「じ、邪魔、を――」
「すると言った」
そんな目は、慣れている。
嫌悪を、侮蔑を、忌避を向けられることなど日常だった。
「冥土の土産に教えてあげるわ白狼天狗」
誰かに呼ばれた気がした。
気のせいだ。私はこいつを殺すのに忙しい。
「嫉妬の根は関心。嫉妬を取り除き尽くせばそれに至る行動は一切取れなくなる」
天狗が必死に拾おうとした剣を私が拾う。
「互いへの嫉妬を根こそぎ取り除かせてもらった」
折れて、鉈のようになった剣を持ち上げる。
「ああ妬ましい。その浅い思慮で剣を振るえる単純さが妬ましい」
天狗の目に、恐怖の色が落ちるのを見る。
「妬ましい。妬ましい。妬ましくてたまらない。
己を犠牲にしても勝てぬと知らぬ無知が妬ましい。
無暗に振るう言葉の刃がどれだけ人を傷つけるか知らぬ鈍さが妬ましい。
あなたが山の住人を守ろうとするように……
――誰かが勇儀を守ろうとすることに気付かない愚かしさが妬ましい」
ざん、と剣を振り下ろす。
見る。天狗を見る。逃げた天狗を見る。
何故逃げるのか、わからない。
どうせ、逃げれるわけがないのに。
「く――う……っ!」
二度と戻れぬ深みに踏み込んだのはあいつ自身。
蜘蛛の巣にかかった蝶のように。
地獄に落とされた罪人のように。
水底に沈みゆく船のように。
救いなどありはしない。
背が向けられる。
逃げ出される。
その背を、剣を引きずりながら追う。
「――逃がさない」
「待てパルスィっ! ま……っ!?」
倒れる音。
背後で、勇儀が倒れている。
「無駄よ。あいつを庇おうとする限りあなたは動けない」
動けない。その筈なのに、腕を掴まれる。
「――い――行かさな、い」
術に、抵抗されている。破るどころか、抵抗さえ出来ぬ筈なのに。
マフラーを、掴まれる。
「――あなたならそれも破ってしまうかもしれない。だから」
一歩、下がる。
「……『私への嫉妬を取り除く』」
マフラーが外れて
「待て、行く、な――っ」
かしゃんと鉄の枷が落ちた
「な、これは、外れ、な……っ!?」
目を見開いたまま、倒れ込む。
流石の勇儀でも――四天王でも、もう立ち上がることすら出来ないだろう。
「これであなたは私を追えない。あなたは私に関われない」
繋がりは切れた。
彼女からもらったものは全て外れてしまった。
呪われた鉄の枷さえ、私の呪いには耐えられなかった。
もう、私と彼女を繋ぐものは何もない。
だから――これはあなたの罪じゃない。
私が犯す、私の罪。
「――さようなら、鬼」
あなたはなにも……悪くない。
背を向け歩き出す。
天狗を追って歩き出す。
敵を呪って歩き出す。
彼女を傷つけた剣を引きずり歩き出す。
抱え切れぬ嫉妬に狂った鬼女は、止まれないのだから。
「ま、て……っ! パ、ル、スィ――っ」
黒く、黒く染まっていく
もう戻れない。振り返ることも出来ない
「――パル――スィ――っ!」
彼女の声すら、届かない
【星熊勇儀の鬼退治・拾 に続く】
このお話は
作品集63「星熊勇儀の鬼退治」
作品集64「エンゲージ~続・星熊勇儀の鬼退治~」
作品集65「おにごっこ~星熊勇儀の鬼退治・参~」
作品集65「温泉に行こう!~星熊勇儀の鬼退治・肆~」
作品集67「そらのしたで~星熊勇儀の鬼退治・伍~」
作品集72「貴方が妬ましい~星熊勇儀の鬼退治・陸~」
作品集73「葡萄酒と香辛料~星熊勇儀の鬼退治・漆~」
作品集75「黒猫一匹~星熊勇儀の鬼退治・捌~」
の流れを引き継いでおります。
紅魔館を出られることに安堵の息を漏らす。
旅支度と云うほどではない、日帰りの身なりで門を出る。
勇儀は美鈴に借りた上着を羽織り、私はいつも通りのマントを身につけていた。
「夜には帰るから、飯期待してるよ」
「私の朝食とかち合うタイミングじゃないと期待したのは出ないかもよ」
勇儀は振り返って見送りに来ていたレミリアと言葉を交わす。
……そう、帰ってくる。紅魔館は地上における私たちの定宿になっていた。
故に心配は消えはしないが――それでも安堵の息は漏れた。
出掛けている間は心配をせずに済むのだから。
「そういえばよくこんな時間まで起きてるな? 夜行性なんだろ?」
「宵っ張りが過ぎたかしらね。眠くてしょうがない」
時刻は昼過ぎ。
勇儀の紅魔館における仕事が一段落ついたので出かけることになった。
「どこから探すつもり?」
「そうだな、一番ありそうなのと云えば――」
ふと、レミリアと、修理の終わった門の前に立つ美鈴を見る。
美鈴は視線に気づき手を振ってきた。
迷惑はかけたくない。
だから出られることに安堵する。
私が居続けては何が起こるかわからないのだから。
「山かね。気が進まんが」
「あら、どうして?」
「歓迎はされないだろうからねぇ。一度は捨てた住処だし」
「ふぅん――」
思索に耽る風のレミリアを見る。
私より小さい体で――立派に紅魔館の主を務めるレミリア。
たった数日過ごしただけだけど、紅魔館の人たちの暖かさは理解できた。
理解してしまった。
だから……知られたくない。距離を置いておきたい。
レミリアと目が合う。
深い血色の瞳。
心情など読み取れない底の見えない眼。
――目を背ける。
こんな浅ましいことを考えてるだなんて気づかれたくなかった。
「ねぇ四天王」
願いが通じたのかレミリアは勇儀との会話を再開する。
「橋姫は情が深いらしいじゃない? 気をつけなさい」
しかし、その声は私に向けられているかのように耳に刺さる。
「浮気はせんよ」
「浮気ならまだいいんだけどね。刺されたくらいじゃ死なないでしょあなた」
少女の声音が変わる。
「誇り高く慈悲深い奴は、誰かのためなら簡単に壊れる」
意識を、逸らせない。聞き流すことすら、出来ない。
「簡単に抜いてはならない剣を抜く」
小さな吸血鬼の姿が目に焼きつく。
「気をつけなさいな四天王。あなたの怪力乱神も心には届かない」
耳に心地よい筈の彼女の声が――
……どうしようもなく、私を不安にさせた
山。――妖怪の山。
かつては鬼を始めとした有力な妖怪たちの住処だったらしい。
今では鬼たちも去り、天狗や河童がその後を継いだ形で暮らしているという。
紅魔館のある湖はその山の麓に位置するらしく、それほど時間をかけずに行けそうだった。
「山ってどんなところ?」
「ん? そうだなぁ……でこぼこした旧都って感じかな」
予想通りの答えだった。住処を変えたくらいじゃ鬼は変わらないようだ。
「5・600年は居たかね――いい思い出も悪い思い出もあり過ぎる」
言って、彼女は遠い目をする。
……今を、見てはいない。
「嫌なんじゃないの? 今の住人に拒否されるかもしれないのに」
「まぁ、嫌だからって行かんわけにもいかんさ」
――相変わらず、彼女はエゴイストだ。
今山に住む誰かを本気で気にしてはいない。
自分から捨てた事実だけを口にして、後に残された者のことを考えていない。
その強烈な我が魅力なのは事実だろうけれど――故に……
一度敵に回ればそれは憎悪の糧にしかならない。
不安はさらに積み重ねられる。
根が何かなのかは自分でもわからないけれど、積み重なったものははっきりしていた。
現在の山の住民……天狗や河童が、敵に回る可能性。
本人がどう思っていようが勇儀は鬼の四天王。
その輝きは峻烈で、それ故に見過ごすことなど出来よう筈もない。
まず間違いなく、ここでの温泉探索は穏便に済みはすまい。
「…………」
杞憂で終わらないという確信。
得られる情報からだけではなく……本能的なものが告げている。
それに、何故か耳にこびりついて離れないレミリアの声が――
「パルスィ?」
いつの間にか、勇儀が私の顔を覗き込んでいた。
「え、あ、なに?」
「なにって……いやにぼーっとしてるから」
「あ、うん」
……正直に言うべきなのかもしれない。
でも彼女の楽しみに水を差すようで、言い難い。
「えっと」
矛盾した思考はぐるぐると回り続けて――
「――なんでもない」
無難な回答へと逃げ出してしまう。
「……そうかい?」
釈然としない風な勇儀の声が胸に刺さる。
これで、いい。
私の益体の無い不安など語ってもしょうがないのだから。
勇儀が楽しんでるのを邪魔するよりはましなのだから。
「行きましょう」
「え、おい」
私が先に立つ形で歩き出す。
鬱蒼と生い茂る木々はその密度を増し、道は緩やかな傾斜を主張し始めていた。
漠然と、山に入ったのだと覚る。
冬だというのに――精気が濃い。
草木の少ない地下とはまるで違う、自然の息吹。
……勇儀は何も言わない。山に入ったことに気付いていないのか、それとも……
私の様子がおかしいことに気を回しているのか。
私自身……おかしいと自覚している。
柳の影に怯える幼子と大差ない。始終びくびくしていて、まるで怪我をした獣だ。
常に最悪を想定する私が、その上がある、その上が見えないと怯えている。
――見えないのだと己に言い聞かせている。
また、矛盾。
どこかに、矛盾を孕んでいる。
どうしようもなく……おかしい。
歩みが遅れる。
一歩を踏み出すのにひどく疲れて、歩くなんて当然のことがひどく苦痛で。
呼吸の仕方を忘れていて、喉を通る空気すら粘性を帯びた重さ。
溺れる魚のようだと、そう思った。
山道を歩く。
傾斜は緩く、平坦とも云える道なのに足取りは重くなる一方だった。
息は乱れ、冬だというのにひどく暑い。
途中何度も勇儀に声をかけられたが、それらは全て断った。
顔色が悪い、休もう。
引き返そう。
ここからなら紅魔館へ帰る方が近い。
などと、言っていたような気がする。
冗談じゃ、ない。彼女の足を引っ張るなんて御免だ。
紅魔館へも、戻りたく……ない。
少なくとも今は、どこにも、帰れない。
「お――」
勇儀の声にびくりと震える。
思わず上げた視線の先に、池があった。
少し奥まったところには祠も見える。
なんの変哲もない池のようだが。
「――ひっ!?」
のそりと、私の背丈よりも大きな蝦蟇が姿を現した。
「おぉ! まだ生きてたかおまえっ!」
勇儀が、親しげに歩み寄っていく。
……知り合い、なの?
「冬眠しなくていいのかおまえ。ん? ほほぅ、じゃあさぞかし強くなったんだろうな?」
――会話? 勇儀が勝手に相槌打ってるようにしか見えないけれど……
昔の友達、なのかしら。
気軽にぺしぺしと叩いてるところを見るに相当親しいようだけれど。
思えば地上に出てから初めて会う勇儀の知り合いだ。
私は幻想郷に知り合いなんて居ないけれど、勇儀はその限りじゃないだろう。
鬼が地下に去った時、地上に残った妖怪も居たのだから。
「ほぅ? そいつは活きの良い妖精だね」
……山に入った途端襲われるのを覚悟していたけれど、杞憂で終わるかもしれない。
もちろん全員が全員彼女に好意を抱いてるわけじゃないだろうことは承知しているが……
「――そうかい。ま、肝に命じとくよ」
安堵の息は、神妙な勇儀の声に遮られた。
のそりのそりと大蝦蟇は池に帰っていく。
「なんて?」
「あぁ、気をつけろとさ。天狗共の警戒が厳しくなってるそうだ」
心臓が、一際大きく鼓動を打つ。
「帰った、方がいいんじゃないかしら」
「なぁにいちゃもんつけてくるなら軽く捻ってやるよ」
楽観的な彼女の言葉に、安心できない。
不安を掻き消そうと、忘れようと、誤魔化そうと歩き出す。
足取りはさらに重くなっていた。
勇儀が何か言いたそうにしていたけれど、構う余裕が無い。
歩みが、重くて、遅い。
不安を掻き消したいのに、忘れたいのに、誤魔化したいのに、出来ない。
走りたいのに、走れない。
あの池からどれだけ進めたのかもわからない。
山の妖怪の襲撃、それ自体が怖いわけではない。私は、そうじゃなくて、怖いのは――
「パルスィ? ……本当に大丈夫か? おまえが嫌だって言うんなら私は」
手で制す。
違う。
私は、気づいて、いて。
それがなにか、理解っていて。
認められ、なくて……怖く、て。
「……帰ろうパルスィ。別に山を探さなくてもいいんだから」
勇儀の手が肩に触れる。
反射的に振り払おうとしてしまって
鉄の打ち合う音
「――え」
勇儀の頭が、跳ね上がって、る?
そのまま、倒れて――起き上がらない。
「え、うそ。勇儀?」
返事がない。ぴくりとも、動かない。
冗談が過ぎる、わよ、勇儀。
ねぇ、なんでそんなお芝居するのかわからないわよ。
もうわかったから……早く、起きてよ、勇儀……!
「ここから先は」
凛と、よく通る声。
「――通しません」
大きな剣を携えた少女が、立っていた。
白い、髪。獣の如き鋭い眼。
大きな、牙を模したかのような剣に、盾。
種族を表す、修験者風の意匠。
――白狼天狗。
「貴様――」
敵。
私の、敵。
勇儀を斬った、敵……!
「ここから先は山の深奥。入山には許可が必要です」
涼しげな声が、耳触りでしょうがない。
「黙れ、貴様、よくも――っ!」
スペルカード決戦などという生温いことはしない。
私の全妖力を以てしてもこいつは……!
「妖怪の人。そちらの四天王様を心配してるなら無用ですよ」
声に、僅かな焦りが混じっていた。
「……え?」
嘘ではないと直感する。
この敵は今――焦りと、怯えを押し殺しながら構えている。
その注意は私ではなく後方に、倒れた勇儀に向けられていた。
剣を持ち上げる。
「――銘刀でこそありませんが、それなりに業物なんですが……」
掲げた剣には、大きな罅が走っていた。
「流石は山の四天王の中でも『力』の二つ名を持つお方だ」
「はっは。元気がいいねぇ――だが間違ってるよ。犬っころ」
「勇儀……っ!?」
むくりと起き上がり首をごきごきと捻る勇儀は、無傷に見える。
「パルスィが心配してくれてるんだ。無用なんてことはない」
いつもの物言い。いつもの余裕のある笑顔。生き、てる……
無事を主張するかのように彼女はすぐに立ち上がった。
「しっかしあれだな。いきなり斬りかかられるとは思わんかったよ。山も物騒になったねぇ」
勇儀の言に、天狗は噛みつく。
「物騒なのは貴女方だ。先日山の中腹を駆け抜けたでしょう」
元から鋭いだろう眼光は鋭さを増し、穿たんばかりに鬼の四天王を睨む。
「あれから山はずっと大騒ぎです。鬼が山を取り返しに来たんだと」
……杞憂で、終わらなかった。想像通りに話が進んでしまっている。
今はこの天狗一人だが、いつ山の妖怪が総出で来るか知れたものじゃない。
「相変わらず天狗も河童も賢しいねぇ。ちょっとした里帰りじゃないか」
「それだけ貴女方は未だに畏れられているのです」
誰でも軽口とわかるだろう言葉にまで、噛みつく。
それが彼女の生真面目さ故なのか余裕の無さ故なのかはわからない。
「平和主義を気取る気はないが、話合いじゃ済まないのかね」
譲歩とも取れる提案に、しかし天狗は頭を振る。
「いかなる理由があろうと、貴女方を山に入れるわけにはいきません」
折れる――べきだった。好戦的な鬼が、一度斬り掛かられたことを流そうとしているのに。
天狗の末路は決まった。
もう誰にも……助けられはしないだろう。
すぐにでも天狗の首が飛ぶかと身構えたが、勇儀は動かなかった。
何故か、私を見ている。
「…………」
何故私を見るのか、わからない。
見返すと、勇儀は視線を天狗に戻した。
「まぁ――ここで退けば鬼の名折れだ。通らせてもらうとしよう」
鬼らしく言い放つ。
しかし、勇儀らしくは、ない。
こんな思慮深そうに動き出すのは勇儀らしくない。
まるで、どう動けばいいのかを考え抜いているようで……
「そいじゃちょいと行ってくるよ。いいかい? 『おまえは何も』」
ぽんと、頭に手が置かれる。
「『しなくていい』」
その手が……とても、重く感じられた。
美鈴から借りた上着を脱ぎ捨てる。
隙だらけの自然体に見えるが、勇儀は既に臨戦態勢に入っていた。
対する天狗は――大上段の構え。
互いにいつでも始められそうに見えるが、動かない。
天狗が動かないのはわかるが……何故勇儀まで……?
いつもなら、あんな相手の出方を窺うなんて真似はしなかった。
真っ先に飛び出して闘い始めるのに……
「あー……犬っころ」
焦れたのか、勇儀が口を開いた。
「犬走椛です」
「そうかい犬っころ。なんで私の首を狙わず角を狙った?」
「殺すつもりはありませんでしたから。それに角が欠けでもすれば退いてくれるかと」
「はっは。元気のいいガキだ。だがまた間違えてるよ」
浮かぶは獰猛な笑み。
もう――彼女は待つ気もなければ許すこともあり得ない。
「鬼を相手に殺そうともしないなんて――微塵の勝機が零になる」
がくん、と勇儀の体が沈む。
四肢に力を溜め込んだ、獲物を前にした獣の姿勢。
ゆるりと、天狗の構えも変わる。
盾を前にした、攻防一体の構え。
しかしその構えとは裏腹に、帯びる殺気の鋭さは先程の比ではない。
「なら、お言葉に甘えて……殺させていただきます」
先に――天狗が動いた。
勇儀の言葉をなぞるような横薙ぎの一撃。
首を狙ったそれは、素手で受け止められる。
「いいぞぉっ! ガキと犬は元気なのが一番だっ!!」
真剣を素手で受けながらも勇儀の手には傷一つ無い。
実力差は明白で、万に一つも天狗に勝ち目などないのに。
そのはず、なのに……なんで、私は。
――無造作に放った様に見える勇儀の爪が、天狗の盾を砕く。
天狗も即座に反撃に出るが勇儀の優勢は変わらず、一太刀とてその攻撃は通らない。
「く――っ!」
間合いを取っても、刹那の間もなく追い付かれる。
容赦など無い。
如何に力が及ばなかろうと、挑戦を受けた鬼が手を抜くなど有り得ない。
天狗は引きながらも全力で斬撃を浴びせるが、全てが弾き返され傷一つつけられない。
……美鈴と闘った時とはまるで違う。勇儀は欠片のダメージも負っていなかった。
見るに、美鈴のような一撃必殺の技すら持っていないのだろう。
「そんなへっぴり腰じゃあ私は斬れんぞ犬っころ!」
「何を……っ!」
……安心する要素しかない。このまま行けば勇儀は無傷で勝利する。
彼女は傷つかない。それで、終わる――
「絶対に通さんっ!!」
天狗の渾身の一撃が、勇儀の首を掠めた。
「ほぉう? 名乗りもせんで斬り掛かってくるようなのが一人前に吼えるじゃないか」
それでも勇儀の余裕は揺らがない、けれど……
血、が。
「貴女とは、背負う物が違う……!」
「大きく出たな。何を背負う小娘」
勇儀の、首が、切れて。
僅かにだけど、血。
「……仲間です。貴女に怯える仲間たちの為なら、この身を盾にしても構わない」
「――む」
「だから、貴女を斬るっ!!」
一気呵成に天狗は攻め立てる。
対する勇儀は明らかに勢いを減じ、防戦一方に。
――勇儀が、傷つけられている。
「数百年もっ! 私が生まれるよりも前からっ! 放っておいてっ!!」
猛攻としか言い表せない天狗の攻撃は止まず、最早私の目では追えぬ域に達していた。
罅から折れたのか、剣先が飛んでも構わず斬り掛かる。
「里帰りっ!? 巫山戯るな、私たちがどれだけ恐れ、怯えたかっ!!」
叫びも止まらない。
「住む場所を奪われるとっ! 生活を壊されるとっ!」
口舌の刃まで、勇儀を斬りつけている。
言い返せば――いい。
彼女に、そんな気は無いのだし、こんなのは、言いがかりみたいで。
「勝手に地底に去っておいて、また勝手に帰ってくるっ!? どれだけ好き勝手をすれば気が済むっ!!」
なのに勇儀は黙って受け続けている。
剣も、叫びも。
「今更……っ! 今更何のために帰ってきたあぁっ!!!」
「……っく」
――違う。
これは違う。
美鈴と闘った時とは違う。
こんなものは――闘いとも呼べない。
彼女を、勇儀をただ傷つけるだけで。
守るためと大義名分を振りかざして。
勇儀は、こんなの望んでなくて。
こちらの言い分も聞かずに、一方的にまくし立てて。
勇儀が、血を流して。
――しい
信じて、疑ってない
己が正しいと信じている
あいつからすれば私たちが悪くて
忌避され、追いやられる悪鬼で
「貴女さえ来なければっ!」
その刃を振り下ろすことに迷いなど無く
「私たちは平穏に――っ!」
鬼女は、人々の為に討たれ――
ああ
かしゃりと
――妬ましい
枷の外れる音がした
勇儀の拳は地面を穿ち、天狗は剣を取り落とす。
「な……?」
「あら?」
困惑している。当然だろう、『戦いを止める気などなかったのに』。
歩き出す。
もう重さも疲れも感じない。
明確な目的を持った足は澱みなく歩を進める。
「邪魔させてもらうわ」
「ぱ、パルスィ?」
勇儀の横を通り過ぎる。
天狗は蹲ったまま、剣を手に取ろうともがいていた。
「不思議そうね。そんなに戦いたいのかしら」
睨まれる。
「じ、邪魔、を――」
「すると言った」
そんな目は、慣れている。
嫌悪を、侮蔑を、忌避を向けられることなど日常だった。
「冥土の土産に教えてあげるわ白狼天狗」
誰かに呼ばれた気がした。
気のせいだ。私はこいつを殺すのに忙しい。
「嫉妬の根は関心。嫉妬を取り除き尽くせばそれに至る行動は一切取れなくなる」
天狗が必死に拾おうとした剣を私が拾う。
「互いへの嫉妬を根こそぎ取り除かせてもらった」
折れて、鉈のようになった剣を持ち上げる。
「ああ妬ましい。その浅い思慮で剣を振るえる単純さが妬ましい」
天狗の目に、恐怖の色が落ちるのを見る。
「妬ましい。妬ましい。妬ましくてたまらない。
己を犠牲にしても勝てぬと知らぬ無知が妬ましい。
無暗に振るう言葉の刃がどれだけ人を傷つけるか知らぬ鈍さが妬ましい。
あなたが山の住人を守ろうとするように……
――誰かが勇儀を守ろうとすることに気付かない愚かしさが妬ましい」
ざん、と剣を振り下ろす。
見る。天狗を見る。逃げた天狗を見る。
何故逃げるのか、わからない。
どうせ、逃げれるわけがないのに。
「く――う……っ!」
二度と戻れぬ深みに踏み込んだのはあいつ自身。
蜘蛛の巣にかかった蝶のように。
地獄に落とされた罪人のように。
水底に沈みゆく船のように。
救いなどありはしない。
背が向けられる。
逃げ出される。
その背を、剣を引きずりながら追う。
「――逃がさない」
「待てパルスィっ! ま……っ!?」
倒れる音。
背後で、勇儀が倒れている。
「無駄よ。あいつを庇おうとする限りあなたは動けない」
動けない。その筈なのに、腕を掴まれる。
「――い――行かさな、い」
術に、抵抗されている。破るどころか、抵抗さえ出来ぬ筈なのに。
マフラーを、掴まれる。
「――あなたならそれも破ってしまうかもしれない。だから」
一歩、下がる。
「……『私への嫉妬を取り除く』」
マフラーが外れて
「待て、行く、な――っ」
かしゃんと鉄の枷が落ちた
「な、これは、外れ、な……っ!?」
目を見開いたまま、倒れ込む。
流石の勇儀でも――四天王でも、もう立ち上がることすら出来ないだろう。
「これであなたは私を追えない。あなたは私に関われない」
繋がりは切れた。
彼女からもらったものは全て外れてしまった。
呪われた鉄の枷さえ、私の呪いには耐えられなかった。
もう、私と彼女を繋ぐものは何もない。
だから――これはあなたの罪じゃない。
私が犯す、私の罪。
「――さようなら、鬼」
あなたはなにも……悪くない。
背を向け歩き出す。
天狗を追って歩き出す。
敵を呪って歩き出す。
彼女を傷つけた剣を引きずり歩き出す。
抱え切れぬ嫉妬に狂った鬼女は、止まれないのだから。
「ま、て……っ! パ、ル、スィ――っ」
黒く、黒く染まっていく
もう戻れない。振り返ることも出来ない
「――パル――スィ――っ!」
彼女の声すら、届かない
【星熊勇儀の鬼退治・拾 に続く】
勇儀と椛の戦いや椛の言葉の刃にパルスィの力が表に出てきましたけど
これからどうなっていくのでしょうね……。
次回のパルスィと椛がどんなことになるのかも気になりますが、術にかかり動けない勇儀が
どんなことをしてくれるのか楽しみですね。
操るとはそういうこと、パルスィの本領ですね
次回は明るく終わると信じてます
呼んでて涙が滲んできました。
続きを期待しております
続きが気になって夜も眠れなくなりそうです。