Coolier - 新生・東方創想話

レミィはつらいよ

2009/05/29 13:05:19
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 天高く、澄んだ水色で塗られたキャンバスのような空が広がっていた。風も無い訳ではなく、かと言って邪魔な状態ではないほどのそよそよとした、まさにそよ風が吹いている。そんな紅魔館のテラスでこの館の主たるレミリアは紅茶を口にしていた。もちろん、彼女用のテラスのため日が昇っている間中ずっと日陰になるように設計されている。どういう技術かは不明である。

 節目がちに、紅茶の注がれたカップを顔に近づけ、香りを楽しむ。今回は血液ではなく、本物の紅茶である。砂糖もミルクも、もちろん他のものを一切加えていないため、純粋に茶葉の香りを楽しめるのだ。甘味と渋みが混じったような魅惑的な香りを楽しむと、紅茶を口に少し含む。芳醇な香りが一層際立ち、己の舌に甘味や渋みが駆け回り、そしてこくりと飲み込む。一息つき、紅茶が醸し出す余韻を楽しむ。全身を包むような感覚は、もはや快感に近いものだと彼女は感じた。

「今日も見事な紅茶ね、咲夜」
「ありがとうございます」

 レミリアは己が後ろに銀の盆を両手で持ち、直立していたメイド長である十六夜 咲夜へ振り返らず告げる。咲夜も主が見ている訳ではないのは重々承知であったが、笑顔で深々と頭を下げた。これだけで二人の持つ信頼関係が伺えるというものだろう。実際、吸血鬼と人間という間柄同士ではあるが、レミリアは咲夜に自身の全ての信頼を寄せており、咲夜も彼女へ絶対的な忠誠を誓っていた。だからこその今の互いのやり取りが成立するのだ。はたから見てもその意思の疎通は見て取れるほどだろう。満足そうに頷くと、レミリアは今度は咲夜の方を見やる。

「どう? たまには一緒にお茶にしない?」
「恐れ多い。私ごときメイドがお嬢様と同席などと」

 レミリアはくすりと笑みを漏らす。あまりにも予想通り、百点の返答だったからだ。だが、それは彼女の意図を汲み取っている訳ではない。主の申し出を拒否しているからである。もちろん、咲夜もそれを承知しての返答だ。レミリアは椅子を座り直し、口を開く。

「まぁ、たまにはいいのではないのかしら?
 こんなにもいい天気で心地の良い風が吹いているなんて、そうそうあるものでもないわ」

 天気が良く、そよ風が吹く日などそうそうあるものだろう。つまりはレミリアが咲夜を同席させるための、意味も無い理由付けといったところだ。咲夜もそれを察しており、ふっと仕事中に緊張を解くと、柔らかな――歳相応な笑顔を浮かべる。

「わかりました。そうまで仰られてしまうと、断る私の方が悪者になってしまいますわ」
「ふふっ、『吸血鬼の狗』とまで呼ばれる事もある貴女が悪者ではないとでも?」
「確かに、そうですね」

 二人で笑い合う。主と従者という関係を越えたものは彼女らの事をいうのかもしれないと思えるほど、理想的なものであるといえよう。

「ところで咲夜」

 咲夜は椅子に腰を下ろすと、主の呼びに応える。

「なんでしょう?」
「……お、お砂糖とミルクをちょうだい」

 咲夜から視線を外しつつ、声も小さくなって今までの威厳がまるで無くなった。レミリア自体もストレートでの紅茶は好きではあるのだが、いかんせん高級で質のいい茶葉は味が濃い反面、渋みも強い。淹れ方によっては渋みを抑えられるが、咲夜は味の変化を嫌っているためそれをしなかった。レミリアも紅茶は好んでいるが、渋みが強烈なものはいかんせん苦手であった。そんな主の味覚を知りつつも、咲夜はあえてこの紅茶を出すのだ。

「いけませんわ、お嬢様。紅魔館を統べる者として真の味を知る必要があります」
「真の味はもうわかったから。それにお茶会というのは楽しめなくては意味が無いのではなくて?」

 ややジト目で咲夜を見つめるレミリアに、咲夜は笑みをこぼす。このやりとりも何度もやっているが、結局折れるのは咲夜の方である。まぁ、主を怒らせたい訳ではないため、当然といえば当然なのだが。

「えぇ、それもそうですね。では、こちらを――」



 ズドオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!



 刹那、轟音が響き渡る。咲夜は振動によって落ちそうになったティースプーンをさっと空中で拾う。レミリアと咲夜は互いに視線を交わし、同時に「はぁ」とため息を漏らす。例によっていつもの事だが、本当にいつもの『あれ』が来た事を知らせる轟音なのだ。レミリアは右手で顔を覆い、前髪をくしゃりと撫でる。

「またか……」
「そのようで、本当に美鈴は何をやっているのかしら」
「そうは言うけど咲夜。貴女も『あれ』に一度負けているわよ」
「……お恥ずかしい限りです」

 紅い霧の異変をレミリアが起こした際に、紅魔館へ乗り込んできた博麗の巫女と『あれ』に二人は一度敗れ去っていた。レミリアは博麗の巫女に、そして咲夜は『あれ』にそれぞれ破れたのだ。無論、咲夜は彼女が博麗の巫女に敗れた事についてはつつかない。主のプライドを守るのも大変なものだ。

「……貴女でさえ勝てなかった『あれ』を美鈴に対処させるのが、そもそもの間違いなのかもね」
「お嬢様。それは美鈴の処遇という事ですか?」

 いつのまにか砂糖とミルクを加えてミルクティーとなったそれを口につけつつ、レミリアは続ける。

「そうよ。毎度破られているのでは門番の意味が無いでしょう?」
「それはそうですが……侵入者の方が特殊過ぎるのではないでしょうか? いきなりスペルカードを撃ってくるような過激派ですし」

 続けて、ザッハトルテ(甘さ強め)をフォークで先端を切り、レミリアはその一欠けらを口にする。おやつモードではあるが、先ほどまでの威厳が復活し、冷徹なまでの視線を咲夜へ向ける。

「やけにあの子の肩を持つわね」
「それはそうです。美鈴が抜けたら……正直な話ですが、誰も門番なんてやりたがっていませんから」
「まぁ、いきなり魔砲をぶっ放されるのは誰だって嫌よね」
「左様でございます。美鈴ももちろん大切ですが、穴埋めができない今ではそうそうに交代もできません」

 ザッハトルテをフォークでまた崩しつつ、レミリアは頭を悩ませていた。紅魔館には何十人ものメイドや衛兵をかかえているが、人事についての采配は基本的に咲夜に一任している。現場を知る者がそこを管理するのは当然であり、主である自分は咲夜から知らせを受けて、給金や休暇等の調整を行っていた。だからこそ、一番過酷な門番には紅魔館で動かせる者の中で二番目に信頼を寄せていた美鈴を担当させたのだが。美鈴自体はそれほど弱い訳ではない。初見殺しとして名をはせていると風の噂で聞いた事もある。意味はわからないけど。仮に門番から離しても、警備隊長として任に就かせればいいだけなのだが。

「結局のところ、お前は何もわかってないってこった」

 声の方を見ると、本当にいつの間にか椅子へ腰を下ろし、あまつさえ咲夜の紅茶をズズズと飲んでいる少女と目が合った。先ほどまで話にのぼっていた、『あれ』こと霧雨 魔理沙である。

「ちょっと貴女。私の紅茶を勝手に飲まないでちょうだい」
「客人にはもてなしをするものだって、そいつに教わらなかったのか?」

 ついでに咲夜のザッハトルテも奪って食べつつ、フォークで「そいつ」とレミリアを指す。笑顔のまま、眉間をひくつかせながら精一杯の皮肉を咲夜は放つ。

「えぇ、門をスペルで破壊してくる奴を客とは教わりませんでしたわね」
「はははっ、そりゃそうだ」

 皮肉に全く動じず、豪快に笑い飛ばすと魔理沙は紅茶の残りを一気に飲み干した。味わいもへったくれもあったものではない。無礼極まりない魔理沙の態度を危惧した咲夜が「そいつ」呼ばわりまでされたレミリアを見やる。するとどうした事か。怒るでもなく、機嫌を損ねるでもなく、レミリアは目を見開いて、わなわなとやや震えていた。すっと彼女は顔を上げ、魔理沙に問う。

「魔理沙、私が何がわかってないっていうの?」

 自身で紅茶を注ぎ直していた魔理沙は、ティーポットを咲夜へ渡すと口を開く。

「下っ端のつらさってやつだな」
「なっ! そんな事がある訳ないでしょう! 私はちゃんと皆の事を考えて、任に就かせているわ!」

 声を荒らげて立ち上がるレミリアに、魔理沙は全く動じずに紅茶を一口飲み込む。見ている咲夜はいつ主が本気で激昂するかと、表面上は冷静を装っているが肝を冷やしていた。

「なら……お前は門番をした事があるのか?」
「何で私が自分の家の門番なんてしなくてはいけないの?」
「違う違う。紅魔館という括りは無いとしてだ。どうだ、あるのか?」
「それは……無い」

 魔理沙はにやりと、何とも悪知恵を思いついた男の子のような純粋であるが、黒さのある笑みを浮かべる。もう、咲夜は嫌な予感しかしなかったが、レミリアの出方を伺う事にした。主を差し置いて、自身の意見を通そうとしない辺り、メイドの鑑といえるが、融通が利かないともいえる。

「やった事もないくせに、他人に任せてだめだったらポイか。
 いやはや、紅魔館の主様はお厳しい限りですなぁ」
「そ、それは……」

 魔理沙の言葉を受け、レミリアは俯いてしまう。確かに自身で経験が無い事を他人任せにしているのは事実だ。このような館に生まれた時から、自身で行っていたのは人を使う事だけだったため、使われる側の心境など考えた事が無かったのだ。流石に言葉が過ぎると判断した咲夜は、きっと魔理沙を睨みつける。

「不法侵入の上に器物破損、いや破壊の常習犯がお嬢様に無礼を言うなんて許さないわ」

 咲夜は太もものナイフベルトから銀のナイフをすらりと抜き放つ。そして、その切っ先を魔理沙の鼻の頭に突きつけた。主を侮辱された事により、レミリアより先に自身が激昂している事に彼女は気づいていなかった。

「待って、咲夜」
「お嬢……様?」
「確かに、魔理沙の言う通りだわ」

 レミリアは顔を上げると、手で咲夜へナイフを仕舞うよう合図を送る。それを見た咲夜は表面上は出さなかったが、渋々とナイフを魔理沙から離した。だが、一応抜き身のままで手中には残していた。レミリアもそれはわかっていたが、妥協して話を進める。

「確かに私は『紅魔館の主』という座にあぐらをかいていただけにすぎない。
 だからこそ、毎回魔理沙の進入を許すし、咲夜には負担をかけるし、ひいては紅霧の時も失敗してしまった」
「いや、あれは失敗してくれなかったら幻想郷が色々とヤバかったんだぜ」

 汗を一筋流す魔理沙の言葉を無視してレミリアは続ける。

「咲夜からの情報は確かなものだった。けど、それは私が見たものでも、ましてや経験したものでもない」
「お嬢様。それは私がそのようにしていただけで――」
「言ったでしょう。咲夜、貴女にも負担をかけていたのだと」

 既にレミリアは何かを決意している。彼女の真剣な眼差しに咲夜はそれを感じ取った。こうなってしまっては自分が何を言っても、決して意見を曲げてはくれないという事も。

「だからこそ、決めた」
「ほう、何をするんだ?」

 魔理沙の言葉に、久方ぶりにふふんとレミリアは得意げな強い笑みを見せる。

「紅魔館の仕事を、私が全て経験するのよ! そして理想の職場を皆に提供する!」
「……は?」

 魔理沙と、くしくも咲夜でさえも全く意図していなかったレミリアの言葉に、完全にハモった状態で間の抜けた声を上げた。










 翌日。天気は昨日と同じく快晴。風はほとんど無かったが、過ごし易い日ではあった。紅魔館の門番である紅 美鈴は昨日の魔理沙の襲撃の際、衝撃波で吹っ飛ばされたものの怪我は無かったため、すぐに職場復帰となっていた。過ごし易い気候ではやはり眠気との戦いもあるのが常だったが、この日の彼女は違っていた。休めの姿勢のまま、微動だにしない。正面を見据えて、冷や汗をいくらか流していた。

「……あの、本当にご一緒されるんですか?」
「もちろんよ」

 視線を正面から外さないまま、美鈴は隣にいる少女へ話しかけた。少女は眼光鋭く正面を見据え、手には日傘を持っていた。何の事はない。紅魔館の主であるレミリア・スカーレットが、自身の館の門番をしているだけの事であった。

「いやいやいやいや! 『だけ』の事じゃないでしょう!?」
「美鈴、誰と話しているの?」
「い、いえ……時々、宝船と交信する修行を最近始めておりまして……」
「宝船? そんなの飛んでなんてきやしないわよ」
「そ、そうですよね! なははははは……はぁ」

 最後のため息はレミリアには聞こえないように、彼女に背を向けてそっと吐き出した。美鈴からしてみれば、レミリアが「門番をやる」と言い出し、更に咲夜からも一緒に行うよう念が入った。紅魔館の門番を始めてからもう何年も経過しているが、このような事は無論初めての事であった。当然である。主が門番などに就くなど、意味が全く成さない事だ。レミリア本人は大真面目で門番という職を体験する事が目的なのだが、手段のために目的を破棄している事に気づいていなかった。

 だが、門番たる美鈴はそんな主の意図は知らされているはずもなく、急に自身の隣で「むふぅ」と意気込む彼女を一瞥し、冷や汗をドバドバと溢れ出す。

(まさか……解雇フラグ!?)

 毎回、侵入者――魔理沙限定だが――に門を破壊された上に突破される自身の体たらくを監視に来たのではないか。そう考えるのが妥当であった。最終審査をかけた上で、レミリアのおめがねにかからなければ解雇されてもおかしくはないと、美鈴は客観的に自身を分析していた。

(いや、まさかこの前お嬢様のアイスを勝手に食べたのがばれたとか!?)

 先日、あまりに喉が渇いたため冷凍庫にあった氷菓タイプの棒アイスを無断で食べた事があった。よくよく袋を確認すると「レミリア専用」と非常に達筆な文字で書かれていた。ある意味でアイスを食べるよりも数億倍は血の気が引いて涼を得られた。見つからないように、地底のステンドグラスが眩い館の燃えないゴミのゴミ箱まで捨てに行ったのだが……、あれが見つかったのではと思えてきた。

(そういえば、この前の飲み会でお嬢様の悪口を言っちゃったのが……あれはまず過ぎる!)

 白玉楼の庭師と永遠亭の薬師見習い、あとは三途の川の死神と呑んだ際に各々が上司の悪口を場の雰囲気に任せて吐きまくった事を思い出す。あの三人とはある意味で固い絆に結ばれているため、ばれるという事はありえないはず。だが、そこを誰かに聞かれていたとしたら。悪い思考というものは、とことん悪い方向へと転がっていくもののようだ。

「美鈴、少しは汗を拭きなさい」
「オウ、イエスマイロード」
「それは何語かしら?」

 ハンカチーフでごしごしと汗を拭う。もしも解雇以外の理由があったとすれば、すぐにその旨を直接か、咲夜を通して言うものなのだが、今の美鈴にはそこまで考えが至る思考の柔軟さが失せていた。そのまま十分ほど経過しただろうか。美鈴にはもっと長く感じていたが、ふいにレミリアが問いかける。

「ねぇ、美鈴」
「はひっ、何でしょうお嬢様!?」
「暇だわ」
「……そりゃまぁ、門番の仕事は待つのが主ですから」

 そもそも門を抜けてもそこは吸血鬼や、瀟洒なメイド長がいると悪名高い紅魔館だけに、実のところ門の突破を試みるのは魔理沙くらいなのであった。他のある程度の名を上げようとする妖怪達の場合は、もれなく美鈴に撃退されるのがオチなのだが、最近はそのような者もいなくなっていた。美鈴もそこまで弱い訳ではないため、ある程度は名が知られているのだ。そのためか、紅魔館の門番は実は魔理沙さえ来なければ他の来客は普通に尋ねてくるため、かなり暇な任であるのだ。

「ここまで過酷な任だったなんて……」

 だがレミリアにとって、待つ事自体が苦痛のため、暇な事が過酷な事と履き違えていた。美鈴は心の底からガッツポーズを取る。心の中で。

「それに日の位置が変わってきてなかなか傘の差し位置が難しい」
「お嬢様。流石に日傘を差しながら門番として動けないのでは?」

 何とかこれ以上、冷や汗を集めて美鈴の脂なんていって販売可能になる環境に終止符を打つべく、美鈴は行動に移る。

「そんな事はないでしょう」
「仮に魔理沙みたいなのが来たら、それを差しながら応戦する気ですか?」
「ふむ、確かに応戦中に私自身が太陽でこんがりローストね」
「そうですよ。だから、ここはもう私に任せて頂ければ結構ですから、館の中にお戻りください。ね?」
「そうね、わかったわ」

 レミリアは優雅に翻ると、館へと戻っていった。その様子を見送ると、美鈴は安堵のため息を漏らす。何とか職場に平和を取り戻す事ができたようだ。

 だが、その数分後。見慣れない黒い物体が館から現れた。悲しい事に、どこから見てもダース○イダーである。吐息が見事に「コーホー」と言っているのが不気味だ。ちなみに背はかなり低い。美鈴の胸の辺りくらいまでしかないため、このダースベ○ダーが誰かは頭に急速に痛みを感じるほどに理解してしまった。

「お、お嬢様?」
「コーホー。何かしら美鈴。コーホー」
「……暗黒面(ダークサイド)に目覚められたので?」
「そういう訳ではないけど。コーホー。パチュリーに全身を隠せて、コーホー、日光も差し込まないものをと用意してもらったらこれがね。コーホー」

 いちいちブレスを「コーホー」に変換する機能など誰が考えたのだろうか。正直なところで気味が悪くて仕方が無かった。腰には某光の剣も携えている。小物まで完璧とはと、美鈴はパチュリーに無駄な敬意を表した。だけど、もうちょっといい服はあっただろうに。

 それからしばらく、隣から発せられるコーホーコーホーという吐息に背筋をびくつかせながらも、美鈴は門番としての任を続けた。正直なところ、腹痛を理由に早退させてもらいたい気持ちで一杯だったが。日も高くなり、まもなく正午を迎えようとしていた。温度もやや高くなってきたため、何とかこの環境に慣れ初めて冷や汗は止まったが、今度は本当の発汗が出てきたため、再度ハンカチーフで汗を拭う。ふと隣を見やるとダースベイ○ー、もといレミリアは直立不動のままコーホーを繰り返していた。やや間隔が短くなっているのが気になったが、美鈴は正面に向き直る。

 どさり、と音が響く。嫌な予感を押し殺しつつ、美鈴はレミリアの方を向くと、何の事は無い。呼吸の穴以外は完全に密閉され、しかも全身漆黒の衣装のためレミリアが暑さに負けて、ぶっ倒れていただけだった。

「いやいやいやいやいやいやいや! だから『だけ』じゃないでしょう!?」
「め、美鈴……コーホー、これはマジで逝っちゃう五秒前だわ、コーホー……」

 見るとやけに悟りを開いたような面持ちのレミリアのエクトプラズムが天に昇ろうとしていた。……気がした。

「あぁっ!? 何か違うフォースが!」
「あれ……コーホー、小野塚 小町がなんでここに? コーホー」
「ノーモアウォーッ!!」

 謎の雄叫びを上げつつ、美鈴は職務を放棄してレミリアをおぶると、全力で紅魔館の中へと消えていった。これによりレミリアは理解する。門番とは非常に過酷であり、死と隣り合わせの任である事を。余談だが、その後で美鈴に本気で叱られるパチュリーという天然記念物級に珍しい光景が見られたという話だ。










「……それで、今度はこっちという事?」

 かけていた眼鏡を外しつつ、図書館の主であるパチュリー・ノーレッジは座った視線を友人に送る。流石にレミリアが自分の家の前でぶっ倒れて死にかけたというファニーな話題は既に紅魔館中に知られていたのだ。そんな中でも、渦中のレミリアは得意げにふんぞり返っていた。

「そうよ、紅魔館の全ての職を体験すると決めたのだからね」
「一応聞くけど、その格好は咲夜が用意したものかしら?」
「あら、よくわかったわね」

 わからないでか、とパチュリーは胸中でつぶやく。現在のレミリアは彼女が使役する使い魔である小悪魔と同じような事務員的なスーツに身を包んでいた。

「それで、ここでは何をすればいいの?」
「私はあいにく本を読むだけだから」
「パチェ」

 レミリアは珍しく慈愛に満ちた面持ちを浮かべ、パチュリーの肩に手を置く。

「労働とは尊いものよ?」
「……あぁ、そうね。そう言われると思っていたわ、ファッキン」
「大丈夫、貴女の体質が改善するまでは私が養ってあげるから。それが例えNEETだったとしても」
「ひぃっ!? お願い、そんな綺麗な目で私を見ないで……。ちなみに、三十五歳以上はニートとは呼べないらしいわ」
「じゃあ……ただ友人宅で本を読んで、惰眠を貪るだけの無職?」
「墓穴を掘った!?」

 もはや漫才じゃねぇか。後ろで控えていた小悪魔は主とその友人である自身の雇用主を見つめつつ、ため息を漏らす。助けてオー人事。

「小悪魔、レミィに仕事を教えてあげてちょうだい」

 いきなり自分も渦中に巻き込まれるのであった。びくりとなりつつも、主に向き直る。

「あっ、はい。承知しました」
「よろしく頼むわね、小悪魔」
「レミィ」

 パチュリーの目がきらりと嫌な光を放ったのを、小悪魔は見逃さなかった。ついでに口元にも普段見られない歪み――あれはきっと笑っているのだろう。ともかくにたりと不気味に笑ってもいた。レミリアは全く気づいていないのか、呼びかけに素直にくるりとパチュリーへと向き直る。

「一応、小悪魔は仕事においては先輩なのだから、その態度はどうかと思うわ」
「いえいえ、私なんぞの事は気にせずに……」

 小悪魔は己が主が明らかに『面白がって何か企んでいる』事を理解する。そのため、穏便に済まそうと努力をするのだが。悲しいかな。レミリアはその真面目過ぎる性格が仇となったようで、

「確かにそうね。今だけだけれど……無礼をお許しを、小悪魔先輩」

 急激に、そして激烈に、小悪魔は自身の胃が痛み出すのを感じた。何このストレスの過剰摂取は? 助けてオー人事。パチュリーは見えないように本で隠しているようだが、盛大に吹き出しているようだ。小悪魔は本気で謀反を起こそうかと思い始めていた。

「では参りましょう、先輩」
「あ、あの……レミリア様」
「レミリアで結構よ。……じゃなくて、です」
「むおおおぉぉぉぉぉ……」

 小悪魔の胃が真剣にキリキリ言い出した。これって本当に穴が開いたら労災は降りるのだろうか。などと考えられる辺り、まだ彼女には余裕があるようだが。レミリア自身が先ほど「今だけは」と言っていたため、あまり過度な態度で接しられないのは事実である。後でどんな報復がくるか想像もしたくないと小悪魔は思った。だがである。もし、ここで彼女の望むような態度を示さなかったら。言う事を聞かないとして、機嫌を損ねてしまい給金等の待遇が下がる恐れがある。前述の通り使役者はパチュリーだが、雇用主はレミリアなのだから。小悪魔は胃と待遇を天秤にかけ――

「……じゃあ行こうか、レミリウァ」
「声が上ずってますよ、先輩」

 胃を犠牲にする事にした。大丈夫、あとで永遠亭の女医さんに見てもらえばいい。小悪魔はそう自分へ言い聞かせた。小悪魔は本を積んだカートをひくと、膨大な数の本棚へとレミリアを案内した。途中、小悪魔は先日入荷した新書を積んだカートを手に取る。

「先輩、それは私が」
「えっ……うん、そうで、じゃなくてそうね。お願いできるかしら」

 どうにも普段から敬語を用いる小悪魔にとって、崩した言葉は逆に使いづらいものであった。しかし、鍛え上げられた従者精神がものをいってか、なんとか意識的に敬語を使用する事を自重できていた。もちろんその度に胃が万力で締め付けられたように痛んでいた。

「こっちでいいですか?」
「そうね、行きましょうレミィリア」
「先輩、まだ声が上ずってます」

 小悪魔は無理をしているため、やはりまともにレミリアを呼び捨てにする事だけは拒絶反応を催していた。一方、初めて母親からお使いを頼まれた子供のように、どことなくレミリアは嬉しげであった。そんな様子を見て、小悪魔も釣られて心が少し安らいできた。

 ガンッ。ゴンッ。ガキャン。

 レミリアはカートが押しづらいのか、あっちこっちの本棚にぶつけまくっていた。一応、レミリア本人の所有物ではあるのだが、パチュリーが本棚にできるこの手の傷にはやたらと口うるさい。むきゅうむきゅうとかわいい音を上げながら、胃の中でルナティック弾幕を放出されたような痛みを覚え、小悪魔はその場に腹を押さえてうずくまる。食べる前に飲むべきだったかと、意味のわからぬ事まで脳裏をよぎり始めた。もうだめかもしれないと彼女はどんより思った。

「先輩、大丈夫ですか?」

 レミリアはうずくまる小悪魔を心配そうに覗き込む。覗き込む拍子にカートから手を離し、ガインガジョンガシャーとぶつけまくっていた。小悪魔はGO GO HEAVENできるほどの勢いで疾走する胃痛にのた打ち回る。このままではいけないと思い、痛みを文字通り押し殺してレミリアに向き直る。

「えーっと……カートは優しく本棚にぶつけないようにひいてくれないかなぁ?」

 小悪魔は精一杯頑張って雇用主を注意する自分自身を褒めてあげたかった。頑張って自分へのご褒美(笑)はもちろん決まっている。液キャ○だ。

「そ、そうですね。先輩、申し訳ありませんでしたっ」
「きょけえええぇぇぇぇぇぇっ!?」

 深々とレミリアに頭を下げられ、抑えていた胃痛が「やぁ☆」という具合ににょっきり顔を出させられ、思わずファンキーな奇声を思わず上げてしまう。

「……先輩、本当に大丈夫ですか? 確かまだ有給が残っていましたから、使ってもいいんですよ?」

 彼女を心配するあまり、敬語ではあるが視点が雇用主に戻っていた。部下を思いやる気持ちは一級品なのだが、それが強過ぎるが故に現状を理解していないのかもしれない。むしろ、何故気づかないというところだ。

「ダイジョウブデス……ハイ……モウマンターイ……」
「はぁ、そうですか」

 小悪魔は鋼の意思で虚勢をはった。だが、明日は絶対に有給を使うと心に決めてもいた。そして、なんとか立ち直ると自らカートをひいて、新書用の本棚の前まで移動した。

「まずは新書を新書専用の棚に並べま……並べるの。
 順番は本のタイトルの頭文字が記号や数字が最初で、次にアルファベットや他国の言語、最後に日本語ね」
「なるほど、わかりましたわ」
「じゃあ私は棚の上に並べなければいけない記号や数字、アルファベット関連をやるから、レィミリーアンは日本語をお願いするわ」
「先輩、それはもう私の名前ではないです」

 流石に呼び捨てする際はフルパワー時被弾のような強力さで胃が豪快に痛み出すため、まともに声を出せないのが原因だったのだが。レミリアはそんな彼女の内なる戦いに気づくはずも無く、くすりと笑ってみせる。本来であれば雇用主のこのような屈託の無い笑顔は、従者としては最高の褒美なのだが、今の彼女にはそれを素直に受け取れるほどの余裕が既に失せていた。にへらと何とか笑って返すと、自身の担当分の新書を手に取り、棚の上方へと飛び上がる。本棚の量が膨大なだけでなく、その大きさも通常のものと比べて随分と長身である。そのため、流石に飛ばないと管理はやりづらいという事だ。

 新書を丁寧に、傷つけないように所定の場所へ収めていき、ふと下のレミリアを見やる。見るからに子供のお手伝いという風に一生懸命仕事をこなしていく様がよくわかり、しばらくぶりに小悪魔に微笑みが戻る。

 が、それもすぐに凍りつく事となった。レミリアの手元を良く見る。本の上下が逆である。しかも背表紙を奥にして本棚へ突っ込んでいる。そう、ズコッというような感じで突っ込んでいる。悲しいかな丁寧とは口が裂けても言えない。

 どうするか、小悪魔は思案する。このまま任せておいて、パチュリーにそれが見つかれば自身が仕事を的確に教えなかったとして叱りを受けるだろう。逆に一生懸命なレミリアを再度注意したらどうか? 機嫌を損ねて減俸なんて事もなりかねない。もしかしたら即座に解雇されるやもしれない。前門のパチュリー、後門のレミリア。彼女に逃げ場は既に無かった。

 思案を高速で巡らせ、小悪魔はついに「ゲフッ」と吐血する。胃も限界を迎えたらしい。凍りついた笑顔のまま、彼女は地面へと落下する直前で気づいたレミリアに受け止められるのであった。そしてレミリアは知る。図書館の管理とはここまで神経をすり減らさなければいけない、精密な職であると。これも余談だが、永遠亭の診療所へ運ばれた小悪魔は胃に常人では考えられないような穴が開いており、全治三ヶ月と診断されたのだった。無論、労災はおりた。










 最後にレミリアは咲夜の職であるメイドの体験を行う事とした。もちろん、咲夜の用意で彼女にあったメイド服――咲夜と違い、ロングスカートだった――を着用している。てっきり咲夜とお揃いになるのかと期待していただけに、レミリアはややがっかりしていた。そして咲夜に連れられて来たのは、レミリア自身の部屋であった。

「咲夜、私の部屋がどうかしたの?」
「……えぇ、この際ですからどうにかして頂かないと困りますね」

 ドアを開くと、そこには『いつもの』レミリアの部屋が広がっていた。どこにも違和感が無い自身の部屋に、レミリアは首を傾げるしかなかった。

「これが何か問題でも?」
「おわかりにならないのであれば、ひとつひとつご説明して差し上げますわ」

 咲夜は職務をこなす際の涼しい顔ですたすたと歩き、ある物の前まで行くと手で指し示しながら続ける。

「まず、脱いだ靴下は脱ぎ捨てずに洗濯物のかごへ入れてください」

 また、すたすたと歩く。

「飲んだジュースの缶はちゃんと中身を洗って、材質に合わせた資源ごみの場所へ持ってきてください」

 更に続く。ここからは二倍速でお届けします。

「読んだ漫画はちゃんと本棚にしまってください」
「ama○onの箱は潰して、まとめてください」
「ゲームのディスクを違うゲームのパッケージに入れないでください」
「箪笥は開けっぱなしにしないでください」
「咲×レミ以外のカップリングは認めません。レミ×咲も不可です」

 レミリアは涼しい顔でひとつひとつ指し示す咲夜を見つめつつ、どうやって逃げようか思案していた。そのせいか、ひとつ恐ろしく不穏な注意を完全に聞き漏らしていたのだが。

「では、こちらのお部屋の掃除からやりましょうか」

 振り返り、にっこりと微笑む咲夜は腹立たしい程に優雅であった。既に逃げるタイミングも、理由捏造の時間も封じられてしまったレミリアはため息をこぼしつつ、自身が読み散らかした漫画から手に取り始めた。

「……これってメイドの仕事なの?」
「あら、嫌ですわ。ご自身の事もできない方が、部下をまとめられるとでも?」
「ぬぅ……咲夜、私の事嫌い?」
「いいえ、敬愛しております。だからこそ、お嬢様にしっかりして頂きたいがために私も心を鬼にしているのです」

 反論、返答。ともにやはり咲夜は百点満点の答えしか出してはこなかった。レミリア自身で彼女のメイドスキルを初期は叩き込んだのだが、それからは咲夜自身が独学で進めたのだがそれがまた完璧であり、レミリアが予想していた以上のまさに瀟洒の名が相応しい存在となっていた。今はそれを恨むしかない。

「では、私は他の部屋の掃除をして参りますので、終わりましたらお声掛けください」
「はーい……」

 文字通り渋々と、レミリアは自身の部屋の掃除を始める。前に掃除したのって何年前だったか? などと考えたが、自身で掃除などした記憶が無いため、すぐに考えるのをやめた。



 しばらく掃除を続け、咲夜がやったものとは遠く及ばないが何とか綺麗に部屋を整える事ができた。普段やらない事をやり切ったため、レミリアは心地良い達成感に満たされていた。だが、まとめたごみを出さなければいけないため、よっこらせとごみ袋を手に部屋を後にした。

 台所裏のごみ置き場にごみを分別してごみバケツに入れて、ドアを開け台所に入ると金髪の少女に出くわす。

「お姉様、何その格好?」

 そこにいたのはレミリアの妹であるフランドール・スカーレットであった。彼女は手に医師胡椒ジュースの缶を持っていた。

「雇用体制の見直しのために、今はメイドをやっているのよ」
「へぇ、いいなー。ねぇねぇ、フランもやっていい?」
「だめだめ、フランにはまだ社会進出なんて早過ぎるわ」
「ちぇー」

 ぶーぶーと不平を口にする彼女を、咲夜を真似して涼しい顔であしらってみせる。フランドールの方は暇潰しのために言ってみただけなので、そこまで怒ってはいないのが救いであった。その際、「ぐう」とあまりかわいくない音がフランドールの腹から上がり、彼女は照れ隠しに笑う。

「フラン、ご飯は食べてないの?」
「あははっ、うん、さっき起きたばっかりなんだ。
 だから何か食べるものがないかなってここに来てみたんだけど、
 すぐに食べる……というか飲めるものがこれしかなかったんだよね」

 と、先ほどの医師胡椒の缶をちゃぽちゃぽと振って見せる。レミリアはふむと唸る。そういえばそろそろ夕食の時間である。いつも夕食を用意している咲夜はおそらくまだ膨大にある部屋の掃除を行っているのであろう、まだ姿を見せない。食事の用意はメイドの仕事、それを雇用主である自身が日頃の感謝を込めて作るとどうだろうか。レミリアは考えてみる。

『凄い! レミリア様がこんな美味しい料理を!』
『流石はレミリア様! 私達にできない事を平然とやってのける!』
『あぁ、門番の疲れも一発で吹っ飛びます……』
『……やるわねレミィ、舌の上でシャッキリポンと踊るわ』
『お姉様、うまいぞおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!』
『ご立派になられて、お嬢様……』

「これだ!」
「何が!?」

 ぶつぶつと呟きながら俯いていたところ、いきなり拳を握って闘志を燃やす姉にフランドールは真剣にビビる。そんな彼女に、レミリアは爽やかな笑顔を浮かべつつ、親指をぐっと立てて見せる。

「フラン、待ってなさい。私が美味しいおゆはんを用意してあげるわ」
「おゆはん?」
「そうよ、咲夜がそう言っていたのだから間違いないわ。きっと素晴らしい夕餉の意味ね」
「……絶対違うと思うんだけど」

 フランドールの言葉が耳に届かないレミリアは、台所にかけてあったフリルのたっぷり付いたちょうどいいサイズのエプロン(咲夜謹製)を身にまとうと冷蔵庫を開ける。ひやりと冷気が漏れ出し、中を見やるとたくさんの食材が収められていたが、フランドールが先に言っていた通りに調理が必要なものしかなかった。出来合いではなく一から自身で、という完璧主義の咲夜らしい信念が見て取れた。

 しかし、それは料理若葉マークのレミリアにとっては高過ぎるハードルであったのだが、彼女は全くその事に気づかずに料理人を気取って厳選しながら食材を選び始める。先に断っておこう。彼女は料理経験が無いため、無根拠な自信なのである。

「お、お姉様。……何を作るの?」
「ふっ、私も馬鹿ではないわ。咲夜の真似事なんてできる訳もない。だからここは簡単にカレーにする」

 カレー。その単語にフランドールは心底胸を撫で下ろす。カレーならばどんな初心者でも、そうそう失敗するものではないとパチュリーに聞いた事があったからだ。どんな話の流れだったかは覚えていないが。そして、姉に視線を戻すと、それが楽観視であったと即座に訂正せざるをえなかった。お気づきのように、『そうそう失敗しない』などという単語は失敗フラグに他ならない。

「お姉様」
「今度は何よ?」
「カレーにでこぽんは入れないと思うの」
「馬鹿ね。こういうもので甘味を付けた方が美味しいのよ」

 普通はリンゴかパイナップル辺りではないか、と極めて冷静に的確に心中でツッコミを入れる。流石に四百九十五年も地下に篭っていると知識だけはそれなりに増えるものであった。なお、でこぽんとは拳くらいの大きさがある柑橘類の一種である。

「お姉様」
「だから何?」
「カレーに豚レバーと鱈の白子も入れないと思うの」
「馬鹿ね。こういうものを入れた方が精力がつくのよ」

 だから普通ににんにくとか牛肉でいいんじゃないだろうか。上機嫌な姉を前に、フランドールはその一言が言えなかった。ちなみに料理下手な条件その一、無駄に食材を多数ぶちこむ、である。

 レミリアはその他の食材も多数用意し、適当に包丁で切り刻む――もちろん大きさなど揃っていない――と、それを一気に寸胴の鍋に放り込んでコンロの火をつける。レバーが下になっているのか、明らかに血生臭い匂いが台所に充満し始める。他の食材の匂いと混じり、血液を好む吸血鬼であるフランドールでさえ「うっ」と一歩後退するような異臭に化けていた。レミリアもそれを感じ取ったらしく、ひとつのボトルを手にする。

「匂い消しといえばこれよね」
「ファ○リィーーーズッ! って、お姉様流石にそれはだめ!」
「何で?」
「それはお部屋の匂い消しであって、料理に使っちゃだめなの!」
「そう、じゃあこっちね」

 そう言うと、フランドールに確認の隙を与えずに鍋へどばりと何かを投入する。恐る恐るフランドールが彼女が手に持ったものを見てみると、ラベルに『豆板醤』と記載されていた。匂い消しではないのはもちろんだが、本来は爪の先ほど加えただけでも辛味を出す調味料を、レミリアは五百グラム入り(業務用)を一本丸ごと入れたようだ。匂いも異臭とまではいかなくなったが、変な匂いである事は変わらないため、フランドールはこれをこれから自分が食べなければいけないのかと思うと空腹が失せて微妙な吐き気さえ覚えていた。料理下手の条件その二、味見をしない。

「えーっと……お姉様、フランやっぱりご飯はいら――」
「もう、そんなに待ち切れないの? 困った子ねぇ」

 お姉ちゃんとして妹にこんな事をしてあげられている。それがレミリアは嬉しくてたまらないのであろう。フランドールは生涯で一番の姉の笑顔を見たのであった。こんな環境でなければ、泣いて抱きついていたかもしれないが、あいにく今はどうやって鍋の中身を破壊するかで頭の中が一杯であった。いや、鍋ごと破壊でもいいとフランドールは無駄に胸中で付け足す。

「待っててフラン。私が至高のカレーを食べさせてあげる!」

 しかも無駄に燃料投下にまで繋がってしまい、鍋のそばから離れようとしない。意図的に鍋を破壊したら、姉はどれほど悲しむだろう。そう思うと異物となった鍋であっても手を出す事ができなかった。

「う、うん……たっ、楽しみにしてるね」

 心にも無い事を口から出す自分に、フランドールの胸はちくりと痛んだ。そしてそのまま台所を出ると、扉の陰に隠れていたと思われる人物とばったり目が合う。

「咲夜!?」
「お静かに、妹様……」

 彼女は口に人差し指を立てて当てて見せる。フランドールが察するに咲夜はおそらくそれなりに前からここにいるようであった。小声でフランドールは彼女へ告げる。

「咲夜、アレどうにかならないの?」
「難しいですが、流石に私も掃除が終わって今の疲れた状態でアレを平らげる自信はありません。……何とかします」

 すると咲夜は懐から四枚のスペルカードを取り出す。

「しっ、始末するの!?」
「違います! 全部これです」

 フランドールに突きつけたスペルカードは全て『咲夜の世界』であった。

「私が時間を停止してお嬢様が作っておられる変な……独創的な料理は何とか修正してみせます」

 この期に及んでまだ主を立てる辺り、フランドールは咲夜に真のメイドのなんたるかを見たような気がした。合わせて、本当にこんな状況じゃなければと胸中で独りごちるが。

「でも大丈夫? それって短時間しか止められないし、消耗が激しいんじゃないの?」
「えぇ、合わせて申し上げますと、ご覧の様に四回という回数制限もあります」
「……できるの? アレだよ?」

 そう言い、レミリアが上機嫌でかき回す鍋を指差す。匂いは何とか沈静化してきてはいるようだが、カレーのはずなのに何故か乳白色になっていた。流石の咲夜も「うっ」と若干の吐き気を催す。だが、一旦目を閉じて集中し、従者心得を暗唱する事で何とか折れそうな気持ちを立て直す。

「妹様、できるかではないのです」
「え?」
「やるんです。おそらくですが、私がこれをしくじれば……」

 再度鍋を見やる。レミリアが嬉しそうにローリエを一瓶全てを投入していた。通常は一枚入れれば十分である。

「食べさせられた紅魔館スタッフが全て辞表を提出するやもしれません」
「ま、まっさかー。いくらなんでもそんな――」
「アレを本当に食べたいですか?」
「やだ」

 咲夜の問いに、フランドールは光の速さを超えるほどの速答であった。それに咲夜も無言で頷く。フランドールが彼女の手元を見てみると、『咲夜の世界』のスペルカードが三枚になっていた。鍋への介入行動は始まっているらしく、きちんと味見もしているようだ。彼女の顔色が若干紫がかっていた。

「い、妹様……あれ、マジでやべぇっス……」
「瀟洒モードがオフになってるよ」
「も、申し訳ありません。ですが、あれはまさにカオスの権化たる存在です……、うぶっ」

 咲夜は必死で『こみ上げてくるもの』を平静に徹して我慢していた。こみ上げる度に彼女の顔色は紫から白へと段々と変わっていく。明らかに生命の危機に瀕しているような速度での変わりようである。

「ねぇ、咲夜」
「な……なんでしょう?」
「どうして咲夜はお姉様にそこまで尽くすの?」

 このような状況でも姉への忠誠を曲げない彼女に、フランドールは率直な質問を述べる。異様に悪い顔色のまま、咲夜はにっこりと微笑む。

「お嬢様は私達、紅魔館に仕える者達のために今回の事を始められました。
 始めた理由はどうあれ、私達の事を思っての事です。
 そんなお嬢様を私は心より誇りに思います。
 仕えさせて頂いてきた日々はやはり間違いではなかったと、そしてこれからもその想いは変わ――」

 そこでぼちゃんと豪快な水への落下音が響く。嫌な予感しかしない二人が揃って再度鍋へ視線を移すと、どうにも餡子を大量に投入したようであった。フランドールはげんなりしつつ、続ける。

「……あれでも?」
「ももっ、もちろんです!」

 咲夜はフランドールと目を合わせようとしなかった。おそらくごくわずかではあるが、忠誠心が揺らいでしまった事を悟られたくなかったのだろう。だが、そのあまりにわかり易いリアクションのため、フランドールには瞬時にばれていた。

「とにかく、アレは私が紅魔館のために、そしてお嬢様の威信のためにもまっとうものにしてみせます」
「咲夜、無茶しやがって……」
「お褒めの言葉として承りますわ」

 にこりと笑みを浮かべると、咲夜は鍋へと向き直り、その次の瞬間にはスペルカードが二枚になっていた。咲夜の顔色も更に悪化していた。人間、顔面蒼白を通り越すと緑がかってくるらしい。などと思いつつ、フランドールは孤高の闘いを繰り広げる彼女の事を見守り続けた。










「さぁ、遠慮なく食べてちょうだい!」

 数十分後、咲夜の力によって拡張された食堂へ場所を離れても問題の無い、もしくは非番のメイド達や、美鈴やパチュリーらも呼ばれて夕食となった。咲夜の涙ぐましい努力によって、なんとかカレーっぽいものに変貌したそれを皆口を揃えて美味しいと賞賛した。

 だが、闘いから帰還した咲夜はというと、多数の部屋を掃除した疲労と上位スペルを連発した疲労の蓄積、更に途中で何度も味見をしなければいけなかったため、精魂尽き果ててもはや風体は死人のそれに近かった。とてもではないが食欲など無かったのだが――

「咲夜は普段からお世話になってるから、大盛りサービスね」

 と、少し照れ笑いを浮かべながら彼女の皿に大量のカレーをよそうレミリアを前に、泣き出しそうな笑顔を取り繕って、必死でかき込んでいた。次の日、彼女にしては珍しく体調不良により仕事を休んだのは言うまでもない。

 レミリアは空いている席に腰を下ろすと、用意していたお冷を一気に飲み干す。仕事をやり切った充実感が彼女の気分をやや高揚させていたため、火照った身体に冷たい水が心地良かった。そして一息つくと、苦笑交じりに誰にも聞こえないような小声で呟いた。



「まったく、雇用主も楽じゃないわ」
真面目過ぎるが故に、周囲を振り回してしまった事ってありませんか?
自分は何故かありません。
こんなにも真面目なSSしか書けないのに不思議ですね。
やきそば。
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コメント



0.4000簡易評価
8.100名前が無い程度の能力削除
我らが紅魔館のお嬢様はいつだってカワイイのです。
だがその可愛さには物理的な破壊力が伴うのです。
9.80名前が無い程度の能力削除
ちょっとオチは弱かったかなぁ。でもあまりやると優しさとか可愛らしさがダウンしそうとも思うんで……というかギャグよりほのぼのしてしまった自分がいるんでこれはこれで。

>普通ににんにくとか牛肉で
それ挿れちゃらめー!
14.80煉獄削除
メイドとして掃除したりとか門番したりと面白かったですよ。
メイド服姿のレミリアですか…可愛いでしょうねぇ。
しかし作ったカレーはまあ、なんというか独創的でしたね……。
咲夜さんが、カレーをまともな味にできたのが素晴らしいです。

誤字?の報告
>すぐにばれているが。
『すでに(もしくは既に)ばれているが。』ではないでしょうか?
19.100名前が無い程度の能力削除
ダース・ベイダー姿のお嬢様……だとぉ!?
貴様!俺を鼻血の海に沈めて失血死させるつもりか!?

美鈴も小悪魔も咲夜さんも、あまりの苦労っぷりに涙がホロリだぜ。
22.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです!なんか咲夜さんが男前(ぇ でした。
23.100名前が無い程度の能力削除
いやー、ドクター&香辛料(ペッパー)大活躍だなww
25.70名前が無い程度の能力削除
ギャグとお嬢様の愛らしさに100点。
魔理沙の説教強盗っぷりが不快だったので-30点。
32.90名前が無い程度の能力削除
咲夜さん無茶しやがって…
40.80名前が無い程度の能力削除
美鈴と小悪魔と咲夜さんの中で、美鈴がだんとつで被害が小さいことに驚きを禁じ得ないw
44.90名前が無い程度の能力削除
無茶しやがって
51.100謳魚削除
こあさんのすとまっくがかんぜんふっかつされることをいのっております。
レミリアお嬢様可愛いよレミリアお嬢様。
54.100名前が無い程度の能力削除
面白すぎる&かわいすぐるwwww
おぜうさまぁぁぁあああああああ
55.100名前が無い程度の能力削除
見ていて本当に「無茶しやがって」と素直に思ったwww
60.無評価やきそば。削除
本作を読んで頂き、皆様ありがとうございました。
前作とほぼ平行して書いたため、序盤のノリと大きく逸脱している部分が明らかです。
最初からギャグのノリで書けばよかったかとやや後悔です。

>それ挿れちゃらめー!
まぁ、知識だけですのでご心配なさらずに。
本当に入っていたら卒倒でもしてしまうかもですね。それもありか!

>ちょっとオチは弱かったかなぁ。
散々回りを振り回すだけ振り回して、本人は静かに終わるという目論見でした。
それがうまくお伝えできない時点でだめでしたね。ご意見ありがとうございました。
最初は門の防衛が異常強化するというのも考えてはおりましたが、構成できずに断念でした。

>『すでに(もしくは既に)ばれているが。』ではないでしょうか?
フランにすぐまれていた、という意味合いなので間違ってはいないのですが、わかりづらいですね。
その点は大幅修正させて頂きました。

>魔理沙の説教強盗っぷりが不快だったので-30点。
咲夜さんに一応ナイフを突きつけさせてツッコミも入れましたが、
確かに魔理沙は反省もせずにフェードアウトしてますからな。
不快な思いをさせてしまい申し訳ありませんでした。今後の描写改善の糧とさせて頂きます。

>美鈴がだんとつで被害が小さいことに驚きを禁じ得ないw
最初に書いた辺りなので、まだギャグの方向性がぐらついていた時ですね。
そのため、美鈴は被害無しという状況になってしまいました。

>無茶しやがって×お三方
咲夜さんはきっと戦闘機に乗って旅立たれたのです。
66.30名前が無い程度の能力削除
レミリアが馬鹿すぎるww
82.100名前が無い程度の能力削除
ダースベイダーレミィ…うん、いいかも。
88.60名前がない程度の能力削除
最後ら辺の咲夜とフランの会話が特に目に浮かびました
97.無評価名前が無い程度の能力削除
マジでやべぇっスワロタww

咲夜さんGJ!まったくメイドも楽じゃない
98.100名前が無い程度の能力削除
↑点数忘れ