「先生、それは何?」
「今日からお前たちの先生になる存在だよ」
言いながら慧音は教卓の上に、持ってきたものを置く。それは灰色で、四角のような、だ円のような形だ。
物体を置いた慧音は『ゆかりんのラジオ取扱説明書』と書かれた冊子を取り出す。生徒の声に耳を貸しながら、手は冊子をめくる。
「先生はどうなっちゃうの?」
「はは、安心しなさい。先生って言うのは冗談で、ただの教材だから。あーでも先生って言ってもまちがいじゃないな、うん」
「どういうこと?」
首を傾ける寺子屋の生徒たち。慧音は物体を触りながら、生徒たちの質問に答える。
「こんな世界に暮らしているから知らないかもしれないが……今外の世界では大変なことが起こっている。人によって引き起こされた、大変なことだ。
ひとつの国は消滅し、またある国は大国と戦争中――」
歴史嫌いの何人かが、うつらうつらし始めた。慧音は苦笑する。
「つまらない話だった」な、と反省して元に戻す。ぱっと生徒たちが目を覚ました。
「今、外の世界ではエゲレス、メリケンという二つの国が強大な力を持っている。その二つの言葉として使われるのが、英語という言葉だ。
近い将来、きっとこの言葉が共通語となるだろう」
【最後にキレたのは慧音だった】
エイゴ?
聞きなれない言葉に生徒たちがむずかしい顔をする。
「もしかすると将来、幻想郷にもこの言葉を話す人々がやってくるかもしれない。だからはやい段階で、英語教育をすべきだと八雲紫氏と話をして決まったんだ」
「僕たちがエイゴを話すの?」
「ああ、これからがんばって学んでいこうな。もっとも、私もすこしかじったぐらいだから、お前たちといっしょに勉強することになるが」
慧音はまだ机の上の物体をいじっている。相当苦労しているようだ。説明書と物体を交互に見て、けっきょくは説明書をにらむ。
好奇心旺盛な子どもたちは、またもや質問する。慧音の手がふさがっていることなんて関係なしだ。
「エイゴとその変なやつ、何の関係があるの?」
一人の子が灰色の物体を指差して言う。他のみんなも同じ気持ちらしく、小さくうなづいた。
「これは、八雲紫氏に手に入れてもらった、ラジオという機械だ。
これで外の国の音が聞こえるんだ」
「ええ――!」
生徒たちがおどろく。無理もない、そんな珍しいものが教室に来て、生徒たちが黙っているだろうか。
慧音はてのひらを生徒たちに向け、声を静めて補足説明する。慧音的には、補足説明のほうが重要だったりするのだ。
「機能については聞かないでくれよ?」
専門外。大半の人々は、機械の仕組みや発明者なんて知らずに使っている。慧音もまた同じ。
私は悪くない。知らなくても恥ずかしくない。
と、空想上で言い訳する。生徒たちが何も聞いてこなかったので、現実にはならなかったのだけど。
「わあ――!」
生徒たちがまたテンションの高い声を上げる。「ひゅーひゅー」というふうに、何かまちがっている声を上げている子もいた。
生徒たちが声を上げたのももっともだ。ラジオとやらから、音が流れたんだから。
「ほら、何か言ってるのが聞こえるだろう?」
「すげー!」
椅子から立ち、ラジオに寄る生徒たち。わくわくした目つきでラジオを眺め、ラジオが何か言うたびに歓声を上げている。
「よーし、じゃあ聞こえたことを繰り返してみよう!
先生は訳していくからな!」
「はーい!」
慧音は適当に、音量やチャンネルのネジみたいなやつを回す。最初に慧音の耳に入ったのは、ウェザーフォーキャスト――天気予報だった。
天気予報か、実用的だな。
これにするぞ、と慧音は生徒たちに呼びかけた。
◆
一生懸命やっているのは伝わる。しかしやっぱり初体験、ぜんぜん正しい音は聞き取れていなかった。はっきり言うとむちゃくちゃだ。
でも仕方ないか。『English』という単語を聞いて『えんげれせ』と聞き取った日本人がいたらしい。ぜんぜんちがうように思える。しかし、異国語というのは本当に難しいのだ。
実際慧音だって、最初ラジオの使いかたもそうだけど、英語には散々苦労させられていた。
最初はこんなものだな、と慧音は微笑む。それに、自分の教育によって将来この子たちが英語を話せるようになる。それってすばらしいじゃないか。
「ふむふむ」
「先生、何て言ってるの?」
「今後24時間、気温の変化はないと言っている」
「へー、そうなんだー、先生すごーい!」
紫にラジオを譲ってもらってからしばらくは、独占して英語耳にしたかいがあった。「先生だからな!」と言う慧音の言葉の裏には、人に知られると恥ずかしい努力の歴史があったのだ。
「ほらほら、まだ続いてるぞ。
なになに、原因不明な大気の乱れ――、低気圧が南下――、強い風を伴った雨――、変な天気だな」
幻想郷でも何度かそういった天気はある。しかし、外でもわからないことがあるのか。
案外進歩していないのだな、と慧音は思う。進歩しすぎもどうかと思うから、別にいいのだけど。
「天気予報終わり。どうやらオーケストラを聴かせてくれるみたいだ」
慧音はチャンネルを変えようとする。
今生徒たちに聞かせるべきは音楽ではなく、英語だ。他のチャンネルのほうが効率的だろうと思ったのだ。
ただ、生徒たちが聞き入っていると変えにくい。
もう少しだけ待ってみるか。
◆
……あれ。
慧音はラジオに耳を当て、故障を疑う。とつぜん、音が止まったのだ。
「先生、らじお寝ちゃったよ」
生徒に「あれ」と「ああ」の混じった、変な返事。困っていると言葉にならない声が出るのだ。
すこし待ってもラジオは沈黙したまま。わがままを言ってふくれた子どものように、何も言おうとしない。
ふと、このとき慧音は思い出した。ラジオ――いや、機械全般に通じる技がある、とかつて紫に教えてもらったことがある。
教育的にはどうかと思う。しかしながら、効率的な技だ。
ここで使わないでいつ使う?
慧音はチョップの構えをとり、ラジオにたたきつけようとする。
ところがラジオにぶつかる直前、ビビッたのかラジオがしゃべりだした。慧音はギリギリのところで手を止め、耳を澄ませる。
オーケストラとは思えない、早口の男の声だ。
「何だ、すごくあわててるぞ?」
アナウンサーの様子がおかしい。緊張しているのかやたらとあわてていて、慧音でもほとんど聞き取れない。
「え、え、どういう意味だ、もう一回言ってくれ!」
一方通行な機械に頼み込んでも、繰り返してくれるはずがない。ついていけない慧音たちを置いて、放送は進んでいく。
そしてまた、オーケストラが流れ出した。
「すまない、もうすこし聞かせてもらっていいか?」
生徒たちも気になるようで、全員首を縦に振る。
どれくらい待っただろうか。やがて、新しい情報が流れた。アナウンサーは、ひどくあわてている。
「……なんだって!?」
「なに、どうしたの先生!?」
ふだんは冷静な慧音が大声を上げたことにおびえ、子どもたちが視線を落とす。
「火星って知ってるか? 宇宙というところに浮かぶ星の一つなんだが……」
子どもたちはよくわからない。中には知っている子もいただろうけど、ほとんどが知らないだろう。
わからないから待ったをかけたい。
だけど続きを聞きたいと言う気持ちが先走り、子どもたちは知っているふりをする。
「その火星に住む人々が、メリケンを攻撃したらしい」
子どもたちは理解できなかった。誰もが重大性を理解していない。まわりの子に尋ねてみようとする子もいたけど、誰一人わからなかった。
火星、メリケン、攻撃――。短い時間に、あまりに多くの情報を詰め込まれたからだろう。
「どういう関係があるの?」
「ラジオによると、火星人たちはメリケンの人々を、『サツジンコウセンジュウ』とやらで一瞬にして消してしまったらしい。
まだやつらは『ニュージャージーシュウ』というところにいるらしい。そこがどこなのかはわからないが、もし我々のところに来れば……」
さあっ。
不気味な音が、寺子屋にいた全員の耳に入った。血の気がみるみる引き、顔が真っ青に染まるときの音だ。
「……消され、ちゃうの?」
誰かが遠慮がちに尋ねる。
慧音は答えない。わからないからだ。
のちに慧音は、何でもいいから答えておけばよかった、と後悔することになる。慧音が何も言わなかったことが不安を呼び、生徒たちをパニックに陥れたのだ。
「やだ、わたし死にたくない!」
誰かが叫んだ。それに続いて生徒たちが一人、二人と叫びだす。慧音は必死に止めようとしたけど、間に合わない。
何人かの生徒たちが恐怖からか、寺子屋を飛び出してしまった。
「こら、まちなさい! まだ来ると決まったわけじゃ――!」
残る生徒たちもまた転げるように走り出し、慧音が追う。
最終的に寺子屋に残されたのは、つぎつぎとメリケンの惨状を伝えるラジオだけだった。
◆
子どもたちのネットワークはバカにできない。とうぜん最初は、親たちは話を信じなかった。だけど、子どもたちの話の語尾に「けーね先生が言ってたもん!」とついただけで、話は真実になった。
しかも情報はふくらむふくらむ。里の人々が情報を知ったころには、外の世界はすでに火星人が住み着いて、地球は火星人の土地になっていた。
誰が流したのか知らないけど、余計なことをしてくれたじゃない。
ウソっぽい情報だというのに、本当のことのように大騒ぎじゃないか。
と、博麗の巫女はため息をついた。
今、博麗神社にはおそろしい数の人々が集まっている。
みんな博麗の巫女だけが頼りなのだ。今まで何度も異変を解決していたから、自然とそちらに助けの手が伸びたのだろう。
「何とかしてくれ、殺されちまう!」
「巫女様、おねがいします!」
集まった全員が、目的は一つでありながらもちがう言葉を吐く。
人の数だけ言葉がある。もちろん聞き取れない。
しかし、外の世界で起こっているということだけは把握した。
「あんたたちねえ!」
お湯飲みを乱暴に地面におき、仁王立ちになって民衆に向かって叫ぶ博麗の巫女。お茶の時間を台無しにされた巫女は、かなりお怒りのようだ。
「大事なことを忘れてるわよ、小さいころお母さんに言われなかった!?」
八つ当たりのように、人々に説明する巫女。
しかし人々は心当たりがなく、ざわざわと騒ぎ出した。
「何ですかそれは」
「教えてください巫女様!」
巫女はため息をはき、そのかわり新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込んだ。
きっと誰もが言われたことのある、ある意味当たり前の言葉を、あわれな群集に投げかける。
「よそはよそ、ウチはウチ!」
固まる人々。
「よそのことなんて気にしてる暇ある、ないよね!? 外の世界は文明が発達してるんだから、自分たちで何とかする!
そういうことは、カセイジンとやらが幻想郷に来てから言えッ!
大体、ホントに危ないなら紫が何とかするわよ!」
「しかし、あの人寝て――!」
「そのときは起きてるかもしれないじゃない!」
博麗の巫女は引かない。民衆の反論を、つぎつぎ黙らせていく。出てきたモグラをハンマーでたたくかのように。
「とにかく、幻想郷はよそに干渉しない主義なの!」
「でも幻想月面戦争騒動は――」
「あれはあれ、これはこれ!」
これは議論なのか、それにしては頭ごなしすぎるだろ。
誰もが思ったことだろう。本人以外の。
「待ってくれー!」
納得のいかない人々を掻きわけて、慧音が神社へとやってきた。巫女が助けてくれないと知った人々の手は、今度は慧音へと伸びはじめる。
人が慧音にまとわり付くまとわり付く。
よく自分の声がみなによく聞こえるようにと、巫女のもとにまで行こうとした慧音。だけどそれは無理で、人々の中心あたりで雪だるまみたいになった。
「とりあえず、そのことは忘れてくれ!」
雪だるまの真ん中から、思いっきり叫んだ。
すると全員の頭から、火星人の記憶がふっと消えた。何か言いかけた人々は言葉を失って、黙り込んでしまう。
「あれ、何であんたたち、こんなところにいるんだっけ?」
博麗の巫女が尋ねる。誰も答えられない。
「用がないなら帰ってよね、お茶飲みたいんだから。
慧音、あんたが言ってよ。先生だからみんな言うこと聞くでしょ?」
「ああ、悪かった。今日のことは忘れてくれ!」
人々は慧音に先導され、しっくり来ない気持ちでぞろぞろと帰っていった。
対する慧音は、謝らずにこっそり隠したほうがよかったかな、と思うのだった。
◆
「何とか、騒動は治まったか……」
ラジオで放送を聴いたということ。人々が火星人侵略のうわさを知っていること。
パニックになりかねないこの二つをなかったことにして、慧音はとりあえず一息ついた。
外の世界の人々に、罪悪感を覚えながら。
(すまない……私たちには、あなたたちを助けることはできない。
……許してくれ)
もしかすると、巫女や紫が助けてくれるのじゃないかと思っていた。なのに、巫女には拒否された。きっと、同じ理由で紫も動こうとはしないだろう。
他の妖怪や人間においては、外に出ることだって難しい。
どうにもできないのだ。
つまり、見てみぬふりだ。教師としての苦渋の選択だった。
私は、教師失格かもしれない。
勝手に背負った罪で勝手に苦しみ、勝手に落ち込んでしまう慧音だった。
◆
「あれ先生、らじおは?」
「あああれな、故障しちゃったんだ」
今もまだ、メリケンでは惨劇が続いているかもしれない。
子どもたち――人々に、メリケンの悲劇を思い出させるわけにはいかない。ラジオはしばらく中止。
あれから何年も経った。慧音はまだ、自分の大罪に苦しめられていた。外の様子は聞いていない。こわくて聞けない。
また、何年も経った。
自称宇宙人たちが幻想郷に引っ越してきた。もちろん、永遠亭の人々のことだ。
宇宙人が幻想郷入りしたと知って、やっと罪から開放された気持ちになった慧音だった。
永遠亭の人たちは月の人。だから火星人とはちがう。だけど、そこは気にしない。
◆
またしばらく経って。
さまざまな歴史を知っている慧音にも、知らない国が一つあった。
アメリカという国だ。それもそのはず、アメリカとはメリケンのこと。慧音がずっと歴史を学ぶのを拒んでいた国だ。
しかし慧音は、ついにアメリカの歴史を学ぶことにした。なぜなら、自分が見捨てた国の歴史だろうと、国は国。学び、改めて自分のやったことを知り、反省するべき。それがアメリカ人にできる償いだ、と勝手に思っていた。
アメリカの歴史を大まかに学んだものの、火星人の事件については書かれていない。
おかしいな、大事件のはずだが? 時間が経ちすぎて忘れられたのか?
もう70年位前のことだから――。
気になって細かいことも調べた。すると、『火星人襲来騒動』と呼ばれる事件があるのに気づいた。
びくっと反応したものの、勇気を出して真実を追いかける。
『1938年10月30日 火星人襲来騒動
アメリカのラジオがハロウィン特別番組として、ウソの放送をおこなった。『これはフィクションです』という警告が二度あったものの、一度目の放送は番組開始直後、二度目は番組終了間際だった。
つまり天気予報から聴きはじめてすぐに避難してしまった人々は、二回とも警告を聴かなかったことになる。フィクションだと知らなかった彼らは、恐怖で逃げまわることとなった。
彼らは二度と、ラジオを信じることはないだろう』
慧音はキレた。
にしても霊夢働けw
素で知らなかったのでオチも読めなかった。
文章も簡潔でスラスラ読める。面白かった。
そんなことは些細な問題だった
大爆笑した最後w
群集心理って恐ろしいですね…
慧音、キレていいよ。思う存分キレていいよ。
けーねは何も悪くない ってもこーが言ってた
霊夢の投げ遣りな態度がとても面白かったです。
生真面目な慧音が絡むと、この手の話は妙に面白くていいですね。
それはそれとしてあとがき自重w
アメリカが「すでに火星人に侵略されている」という歴史を創っちゃう訳ですね