若干のキャラのおかしさは御了承ください。
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じっとりとした空気。
湿った空気が幻想郷を覆い尽くす。
幻想郷は夏を迎えた。
この夜も、熱帯夜と呼ぶに相応しい蒸し暑さとなっていた。
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じっとりとした空気が身体に纏わり付く。
グラスの表面を露が滑り、カウンターに水溜まりを作り出した。
時折吹き抜ける風さえも湿り気を帯び、お世辞にも心地よいと言えたものではない。
不快に感じながらも、喉と心を潤すアルコールに胸を躍らせながら、少女はグラスに注がれたジントニックをぐいと煽った。
「ふはぁ」
ライムの香りの漂う吐息をほうっとはき、少女はグラスをコトリと置く。
そして、そのままくたりと頭をうなだれた。
「あら、お客さん、珍しくお疲れのようじゃない」
そんなお客の様子に、ミスティアは思わず口を開いた。
「まぁ……ちょいと身内でごたごたがありましてねぇ」
そう言って少女、射命丸文は再びため息をつく。
「へぇ、身内ってぇと……お客さん、天狗だったっけ」
「そのとおりです。ああ、やっぱり、疲れた時には屋台で一杯やるに限りますねぇ」
よくみれば……いや、よく見るまでもなく、彼女は疲れた様子であった。
以前に彼女が屋台を訪れた時に比べると、ずいぶんと窶れてみえる。
力ある妖怪である、鴉天狗の彼女が露骨に疲れを表情に出す程だ、きっとそのごたごたとは余程のことなのだろう。
ミスティアはそう思った。
「私になんかできることがあれば手を貸すよ」
主に歌とかと続けるミスティアに、文は苦笑いを浮かべる。
いざ歌い出そうとしたミスティアを押さえつつ、彼女はくすりと笑顔を零した。
「へんてこな歌は結構です」
「遠慮なんてしないでよ、焼鳥撲滅同盟の仲間じゃない」
「じゃあ、歌以外でなんかしてくださいよ。激励の為に今日は奢って下さるとか」
「だが断る」
「あやや、なんだか悲しくなってきました」
よよよと泣いたふりをしてみせる文。
しかし、そう言う文の表情はどこか柔らかくなっていたのだが……
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「はぁ?」
素っ頓狂な声を上げ、ミスティアは眉を潜めた。
「ですから、上司から見合いを奨められているんです」
「……見合いって、あのお見合いよね?」
「ええ、そのお見合いってやつです」
文はそう言って、グラスを煽った。
空になったグラスを置き、彼女は再び熱い吐息をはく。
「そろそろ君も、身を固めたらどうかと上司に言われまして」
「物凄くかつ盛大に余計なお世話よね」
「まぁ私の事を思っての事なんでしょうけど……」
「それで、お見合いを受けるのに気乗りしないと」
そうなのですと頷く彼女に、成る程ねぇとミスティアは呟いた。
「名案があるわ。断ればいいのよ、すっぱりきっぱりと」
「名案というより、まんまじゃないですか。まぁ、その通りなんですけど。なんですけどー」
「けど?」
「上司からの奨めである手前、断るにも断れなくてですねぇ」
「あー……」
成る程、文の言うごたごたとはこのことか。
思えば、天狗の社会では組織の締め付けというのは中々なものだと、以前屋台を訪れた他の天狗も愚痴を零していたのを微かに覚えている。
「うーん、面倒臭いわねぇ」
「面倒だろうがなんだろうが、組織に属するということは、それなりに拘束を受けるということであるのは承知しています。承知はしていますけど……」
「でも、断れないわけじゃあないんでしょう?」
「ええ、ですから逆に困っているんです」
「……はあ?」
ミスティアは、わけがわからないといった様子で首を傾げる。
そんな彼女の様子に、文は今日何度目ともわからないため息を零すのだった。
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「その上司はですね、私の恩師でもあるのです。あ、お代わり貰えます?ハイボール、ロックで」
「へ?あ、うん……それじゃあ恩師の紹介だから断りにくいわけだ」
はいと言って、彼女は新しいグラスを文に差し出した。
文はグラスを受け取ると、それを一口含み、ことりと置く。
「ところがどっこいしょ」
「どっこいしょ?」
「問題はそこだけではないのです」
「そこだけではないのですか」
「ないのです」
そう言って、ずいと顔を寄せる。
「実は、お見合いの相手側にも少々問題がありまして……」
「へぇ、まさかその上司の息子さんだとか?」
「うーん……」
半分正解ですと言って、文はグラスを口へ運ぶ。
ミスティアは、怪訝そうに眉を潜めた。
「半分ってどういうこと?ひょっとして、どこぞの庭師みたいに半分な方が相手とか?」
ミスティアの言葉に、文はまさかと言って笑う。
「ええと、実はですねぇ、その相手というのが――
大天狗様の御子息なのです」
「ぶっ!?」
文の予想の遥か斜め上を行く答えに、ミスティアは吹いた。
盛大に。
「まぁ、次男だそうですけど」
「な……なっ……」
お気楽な妖怪をやっているミスティアでさえ、その名前には覚えがある。
大天狗天魔と言えば、強大な力を持つ天狗達のトップ。
事実上、妖怪の山を統べていると言っても過言ではない、それほどの実力者である。
例え次男であろうとも、当然のことながら、将来のトップとなりえる可能性はあるわけである。
「ま、まじ?」
「大まじです」
「え?いつもの新聞みたいにガセネタじゃなくて?」
「失礼な。文々。新聞は真実の塊です。一片の狂いもありません」
「ほえー」
どうやら事実らしい文の様子に、ミスティアはぽっかりと口を開き、間抜けな声を零した。
「ってことは、玉の輿じゃない。何が不満だってのよ?」
「それは……そのぅ」
「なに?」
「いや、まあ、そのですねぇ……――」
「へ?」
ミスティアの言葉に、何故か文は語尾を濁らせた。
「何?何て言ったの?」
「嗚呼、もう!
私にも、好きな殿方の一人くらいいると言ったのです!偉い人にはそれがわからないのです!」
「のです!」のです!」のです!」と、ドップラー効果よろしく、文の声は夜の森へと響き渡る。
そして、静寂が訪れた。
ぱちぱちと燃える炭の音だけが響く。
やがて、それを破るようにミスティアは口を開き――。
「……へ?」
顔を真っ赤に染め上げた文に対し、ミスティアは今日何度目ともわからない間抜けな声をあげたのだった。
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「あやややや、失敗しましたねぇ」
屋台を出た文は、先程の自分の失態を思い出し、誰に言うわけでもなく一人ごちた。
あの後、彼女の叫びを聞き付けた鬼やら魔砲使いやらがどこからともなく続々と現れ、散々にからかわれたあげく、鬼に延々と酒を飲まされ続けたのだ。
鬼はともかく、あの魔砲使いのことだ、暫くはこのネタで弄られることになるだろう。
これから先、自らの身に訪れるであろう事を考え、文はほぅと息をついた。
「まぁ、あんまりしつこいようなら潰せばいいわよね」
彼女はそう結論付けると、空にぽっかりと浮かんだ月を眺めた。
不意に、あの屋台の店主の事が思い浮かんだ。
『少しは好き勝手にやってもいいんじゃない?』
彼女は、文の帰り際にそう言った。
『上司との関係も大切かもしれないけれど、自分の気持ちの方が大切でしょう?』
彼女は、言った。
『少なくとも、私だったら断るわ』
言った。
『後悔したくないもの』
「はぁ」
文は彼女の言葉を思い出し、ため息をついた。
彼女の言葉は、まさに文の求めていたもののそれだった。
「夜雀なんかに諭されるようでは、私もやきがまわったかなぁ」
再び、彼女は夜の空へと舞い上がる。
緩んだ頬をそのままにして。
少女の脇を、風が擦り抜けて行く。
その風を受けて、森の木々がさわさわと歌いだす。
遠くに、夜雀の歌声が聞こえる。
無意味に明るい歌声は、夜の森にこだまする。
まるで、自分を応援するかのようなその歌声に、文はぼそりとお礼を言った。
ありがとう。
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てんぐのむすめがこいをした
てんぐのむすめはこいをした
かぜといっしょにとんでいけ
おもいびとへ
あいをつたえにー♪
ミスティアが言った言葉とか良いですね。
読みやすかったですし、話の内容なども面白かったです。
ミスティアの屋台にいってみたいなぁ……。
誤字の報告です。
>将来のトップとなりゆる可能性はあるわけである。
『なりえる』ではないでしょうか?