夏の強い日差しが降り注ぎ、蒸し暑い空気が世界を包む。
この日も私達は講義の終了後、夏の暑さから逃げるように行きつけの喫茶店に足を向けた。
勿論、喫茶店の空調目当てであることは言うまでもない。
サークル人員二名で部室などあたえられるわけもなく、秘封倶楽部の活動は主にこの喫茶店で行うのが定例となっていた。
まぁ、活動と言っても、明確な目的がはっきりするまでは動くにも動けない。
そんなわけで、サークル活動と称して午後のティータイムを楽しむわけだ。
やや古びた入口を開くと、毎度変わらずカランカランといった鐘が鳴る。
座れるか心配だったのだが、生憎客は疎らだったので簡単に座ることが出来た。
席に着いたからにはさすがになにも注文しないのは気が引けるので、その際飲み物の注文を忘れない。
********
「ねぇ、メリー」
どこか、聞いたことのあるクラシックが悠々と流れる店内。
席に届けられたばかりのアイスコーヒーにミルクとガムシロップを溶かしていると、不意に名前を呼ばれた。
声の主は考えるまでもなく、対面の席の女、宇佐見蓮子のものである。
彼女は、ホットコーヒーをの入ったカップをゆらゆらと揺らしながら、ねぇってば、と続けた。
「なに?」
ストローを指先でつまみんでくるくると氷を回すと、焦げ茶色の液体に白い渦が浮かび上がり、やがては混ざって消える。
「そのさ、相談ごとがあったりなかったりなんかして……」
何やら蓮子らしからぬ真剣な顔だ。
何かトラブルだろうか?
「お金の問題なら、消費者金融に頼りなさい。私は一賎も出さないわよ」
「ち、違うわよ。そんなんじゃないの」
指を止め、ストローを口に含みつつ、蓮子の次の言葉を待つ。
しばらくの沈黙の後、ゆっくりと蓮子が口を開き――
「好きな人が出来たの」
「ブッ!?」
…口に含んでいたアイスコーヒーを吹き出してしまった。
その拍子に変な所にコーヒーが入り、噎せる。
「ゲホッ、ゲホッ……」
「落ち着きなさいよ、メリー」
そう言って、私の背中をさすってくれる蓮子。
有り難いが、今はそんな場合ではない。
何かとんでもない台詞を耳にした気が――
「ゲホッ……な、なんですって?」
「うん、私、恋しちゃった」
恐る恐る尋ねてみると、どうやら聞き間違いではなかったようだ。
さすが私の耳。
脱着式のウサミミなんぞ目じゃないわ。
……続けよう。
「だからね?なんてゆうのかな。こう、見た瞬間身体にビビって電気が走ったってゆうのか……」
「それって所謂一目惚れってやつ?」
こくりと頷く蓮子。
一目惚れなんて初めてだよー等と続ける彼女に対し、私はわけも判らず呆然とする。
私が盛大に吹いたにもかかわらず、そんなもの関係ないと言わんばかりに気持ち悪いくらいうっとりとした表情で虚空を見つめる蓮子。
あの、あんた髪から珈琲が滴り落ちてますよ?
「一目惚れ……蓮子がねぇ」
「うん……一目惚れー」
机に飛び散ったコーヒーをナプキンで拭きつつ、蓮子を見遣る。
蓮子が恋……
いやいや、蓮子も花も恥じらう女子大生。
恋の一つや二つするだろう。
そもそも恋愛に関して経験のない私が、蓮子にああだのこうだの言う方がおかしいだろう。
しかし何だか釈然としないのは何故だろう?
つーか悪い予感しかしない。
「でよ!」
「わっ!」
バンッとテーブルを叩き、立ち上がってずいっと近づいてくる蓮子。
近い。
特に顔が。
「私、これからどうすればいいのかなぁ?」
人に聞くのか。
「とりあえず落ち着け。顔が近いわ」
まるで他人事かのように話す蓮子。
自分のことだろうに。
まぁ、第三者からの意見も大事……なのかな?
「一目惚れねぇ。蓮子、その人と話したことは?」
「ない!」
ここぞとばかりに胸を反らす蓮子。
鼻息隆々といった様子。
いや、そんな威張って言われても、反応に困るのだけど……
つうか、威張るな。
この調子じゃひょっとすると、名前なんかも知らないんじゃないかしら?
「じゃあ、まずは話してみて、それからお友達から始めたらいいんじゃないかしら?性格が合う合わないもあるだろうし、お試し期間みたいな…?」
ホットコーヒーのお代わりを注文しつつ、うーんと唸る蓮子。
「相変わらず、メリーは現実的ねぇ」
「蓮子が夢を見すぎなのよ。一目惚れした相手が性格よし器量よしなんてゆうのは小説やドラマの中だけよ?」
「いいじゃない?夢がないよりかは」
「そりゃそうだけど」
にこにこと笑う蓮子。
彼女は、けどいい案ねと言って、再び届けられたホットコーヒーを啜った。
「ま、私と貴方の仲だし、応援なら喜んでするわよ?」
「ふふ、メリーならきっとそう言ってくれると思ったわー」
あちち、等と言いながら、一気にコーヒーを飲み干す。
「と、い・う・わ・け・で」
空になったコーヒーカップをテーブルに置き、おもむろに立ち上がる。
まさか……
「さぁ、行くわよメリー。愛しの彼の元へ!」
やっぱり。
蓮子が一時の感情で動くのは別に構わないのだけど、唐突過ぎる。
死に急ぎ過ぎじやないだろうか?
まぁ、こうして彼女に振り回されるのも今に始まったことではないし、それなりに私も楽しんでいるのだから問題はないのだけど……
強いて言わせてもらえるなら、コーヒーを飲み終わるまで待ってほしいところではある。
「ちょっと待って蓮子」
席を立つ蓮子を呼び止めつつ、慌て半ば残るアイスコーヒーを飲み干す。
「メリー、早く早く!」
そう言って、私を急かしながら、駆け足で店の出口へと向かう蓮子。
……出口へ向かう?
あら、何故領収書が私の手元にあるのかしら?
「ってちょっと待て蓮子!あなた、料金――」
蓮子がくるりとこちらを振り返る。
その顔は、ニッコリとした満面の笑みで――
「むふふ、じゃ、支払いよろしくー」
カランカランと、出入口の鐘がなった。
店内に取り残された私は、深く息をついた。
……やられた。
「蓮子ぉ!覚えておきなさいよぉ!」
静かな店内。
私の叫びが響き渡り、周りの客達が何事かと視線を向けてくる。
若干視線が痛かった。
*******
くそう、蓮子め……
恨み言を呟きつつ、伝票を手にカウンターへと向かう。
すると、こちらに気がついたのか、やぁと言わんばかりに手をあげる男性が一人。
「やぁ、ハーン君。また蓮子に伝票を押し付けられたのかい?」
にこにこと、細い目を更に細めて笑う男性。
本当に言いやがった。
やぁって。
彼はこの喫茶店の店主のマスターである。
マスターはマスター。
いや、マスターってどう考えても本名じゃないんだけど、名前を聞いても答えてくれないので、馴染みの客達からは愛称をこめてマスターと呼ばれているというわけ。
好青年という言葉が無駄にぴったりな容姿の男性だけど、その若さにして喫茶店を経営していたり、店員も誰も彼の名前を知らなかったり、いつの間にやら私達の名前を知っていたりという、ある意味『あちらの世界』よりも謎の多い人だったりする。
店内で大騒ぎされたというのに、いつものようにニコニコとした表情で出迎えてくれるマスターに思わずはぁとため息が出る。
はぁ……
「マスター、居たんなら蓮子を止めてよ」
恨み言を言うが、マスターはただ微笑むだけ。
「ははは」
歯がキラーン。
ウザイ。
「笑い事じゃないわよ。今月ピンチなのに……」
ぶつぶつと呟きながら、財布を漁る。
野口さんが三枚。
「二人で980円だね。まいどー」
くっ、どうしてマスターはこうも笑顔なのだろう?
すっごく小ばかにされている気がしてムカつくわ。
「ツケにしてくれるとか、そうゆう優しさはない?」
「無いよ。生憎、僕はそうゆうのを覚えておくのが苦手なんだ」
くそう……
恨めしげにマスターを睨みながら、野口さんとのお別れをする。
さようなら、私の野口さん……
「はい、千円から」
「そ、そんなに睨まないでほしいかな?」
はいお釣り、と、小銭を渡される。
「それじゃあマスター、コーヒー美味しかったわ」
「どうも、またのお越しをお待ちしているよ」
これで出番の終了したマスターの笑顔を背に、私は出口の扉を押したのだった。
宇佐見蓮子、コーヒー二杯、チーズケーキ一つ。
計760円。
この日も私達は講義の終了後、夏の暑さから逃げるように行きつけの喫茶店に足を向けた。
勿論、喫茶店の空調目当てであることは言うまでもない。
サークル人員二名で部室などあたえられるわけもなく、秘封倶楽部の活動は主にこの喫茶店で行うのが定例となっていた。
まぁ、活動と言っても、明確な目的がはっきりするまでは動くにも動けない。
そんなわけで、サークル活動と称して午後のティータイムを楽しむわけだ。
やや古びた入口を開くと、毎度変わらずカランカランといった鐘が鳴る。
座れるか心配だったのだが、生憎客は疎らだったので簡単に座ることが出来た。
席に着いたからにはさすがになにも注文しないのは気が引けるので、その際飲み物の注文を忘れない。
********
「ねぇ、メリー」
どこか、聞いたことのあるクラシックが悠々と流れる店内。
席に届けられたばかりのアイスコーヒーにミルクとガムシロップを溶かしていると、不意に名前を呼ばれた。
声の主は考えるまでもなく、対面の席の女、宇佐見蓮子のものである。
彼女は、ホットコーヒーをの入ったカップをゆらゆらと揺らしながら、ねぇってば、と続けた。
「なに?」
ストローを指先でつまみんでくるくると氷を回すと、焦げ茶色の液体に白い渦が浮かび上がり、やがては混ざって消える。
「そのさ、相談ごとがあったりなかったりなんかして……」
何やら蓮子らしからぬ真剣な顔だ。
何かトラブルだろうか?
「お金の問題なら、消費者金融に頼りなさい。私は一賎も出さないわよ」
「ち、違うわよ。そんなんじゃないの」
指を止め、ストローを口に含みつつ、蓮子の次の言葉を待つ。
しばらくの沈黙の後、ゆっくりと蓮子が口を開き――
「好きな人が出来たの」
「ブッ!?」
…口に含んでいたアイスコーヒーを吹き出してしまった。
その拍子に変な所にコーヒーが入り、噎せる。
「ゲホッ、ゲホッ……」
「落ち着きなさいよ、メリー」
そう言って、私の背中をさすってくれる蓮子。
有り難いが、今はそんな場合ではない。
何かとんでもない台詞を耳にした気が――
「ゲホッ……な、なんですって?」
「うん、私、恋しちゃった」
恐る恐る尋ねてみると、どうやら聞き間違いではなかったようだ。
さすが私の耳。
脱着式のウサミミなんぞ目じゃないわ。
……続けよう。
「だからね?なんてゆうのかな。こう、見た瞬間身体にビビって電気が走ったってゆうのか……」
「それって所謂一目惚れってやつ?」
こくりと頷く蓮子。
一目惚れなんて初めてだよー等と続ける彼女に対し、私はわけも判らず呆然とする。
私が盛大に吹いたにもかかわらず、そんなもの関係ないと言わんばかりに気持ち悪いくらいうっとりとした表情で虚空を見つめる蓮子。
あの、あんた髪から珈琲が滴り落ちてますよ?
「一目惚れ……蓮子がねぇ」
「うん……一目惚れー」
机に飛び散ったコーヒーをナプキンで拭きつつ、蓮子を見遣る。
蓮子が恋……
いやいや、蓮子も花も恥じらう女子大生。
恋の一つや二つするだろう。
そもそも恋愛に関して経験のない私が、蓮子にああだのこうだの言う方がおかしいだろう。
しかし何だか釈然としないのは何故だろう?
つーか悪い予感しかしない。
「でよ!」
「わっ!」
バンッとテーブルを叩き、立ち上がってずいっと近づいてくる蓮子。
近い。
特に顔が。
「私、これからどうすればいいのかなぁ?」
人に聞くのか。
「とりあえず落ち着け。顔が近いわ」
まるで他人事かのように話す蓮子。
自分のことだろうに。
まぁ、第三者からの意見も大事……なのかな?
「一目惚れねぇ。蓮子、その人と話したことは?」
「ない!」
ここぞとばかりに胸を反らす蓮子。
鼻息隆々といった様子。
いや、そんな威張って言われても、反応に困るのだけど……
つうか、威張るな。
この調子じゃひょっとすると、名前なんかも知らないんじゃないかしら?
「じゃあ、まずは話してみて、それからお友達から始めたらいいんじゃないかしら?性格が合う合わないもあるだろうし、お試し期間みたいな…?」
ホットコーヒーのお代わりを注文しつつ、うーんと唸る蓮子。
「相変わらず、メリーは現実的ねぇ」
「蓮子が夢を見すぎなのよ。一目惚れした相手が性格よし器量よしなんてゆうのは小説やドラマの中だけよ?」
「いいじゃない?夢がないよりかは」
「そりゃそうだけど」
にこにこと笑う蓮子。
彼女は、けどいい案ねと言って、再び届けられたホットコーヒーを啜った。
「ま、私と貴方の仲だし、応援なら喜んでするわよ?」
「ふふ、メリーならきっとそう言ってくれると思ったわー」
あちち、等と言いながら、一気にコーヒーを飲み干す。
「と、い・う・わ・け・で」
空になったコーヒーカップをテーブルに置き、おもむろに立ち上がる。
まさか……
「さぁ、行くわよメリー。愛しの彼の元へ!」
やっぱり。
蓮子が一時の感情で動くのは別に構わないのだけど、唐突過ぎる。
死に急ぎ過ぎじやないだろうか?
まぁ、こうして彼女に振り回されるのも今に始まったことではないし、それなりに私も楽しんでいるのだから問題はないのだけど……
強いて言わせてもらえるなら、コーヒーを飲み終わるまで待ってほしいところではある。
「ちょっと待って蓮子」
席を立つ蓮子を呼び止めつつ、慌て半ば残るアイスコーヒーを飲み干す。
「メリー、早く早く!」
そう言って、私を急かしながら、駆け足で店の出口へと向かう蓮子。
……出口へ向かう?
あら、何故領収書が私の手元にあるのかしら?
「ってちょっと待て蓮子!あなた、料金――」
蓮子がくるりとこちらを振り返る。
その顔は、ニッコリとした満面の笑みで――
「むふふ、じゃ、支払いよろしくー」
カランカランと、出入口の鐘がなった。
店内に取り残された私は、深く息をついた。
……やられた。
「蓮子ぉ!覚えておきなさいよぉ!」
静かな店内。
私の叫びが響き渡り、周りの客達が何事かと視線を向けてくる。
若干視線が痛かった。
*******
くそう、蓮子め……
恨み言を呟きつつ、伝票を手にカウンターへと向かう。
すると、こちらに気がついたのか、やぁと言わんばかりに手をあげる男性が一人。
「やぁ、ハーン君。また蓮子に伝票を押し付けられたのかい?」
にこにこと、細い目を更に細めて笑う男性。
本当に言いやがった。
やぁって。
彼はこの喫茶店の店主のマスターである。
マスターはマスター。
いや、マスターってどう考えても本名じゃないんだけど、名前を聞いても答えてくれないので、馴染みの客達からは愛称をこめてマスターと呼ばれているというわけ。
好青年という言葉が無駄にぴったりな容姿の男性だけど、その若さにして喫茶店を経営していたり、店員も誰も彼の名前を知らなかったり、いつの間にやら私達の名前を知っていたりという、ある意味『あちらの世界』よりも謎の多い人だったりする。
店内で大騒ぎされたというのに、いつものようにニコニコとした表情で出迎えてくれるマスターに思わずはぁとため息が出る。
はぁ……
「マスター、居たんなら蓮子を止めてよ」
恨み言を言うが、マスターはただ微笑むだけ。
「ははは」
歯がキラーン。
ウザイ。
「笑い事じゃないわよ。今月ピンチなのに……」
ぶつぶつと呟きながら、財布を漁る。
野口さんが三枚。
「二人で980円だね。まいどー」
くっ、どうしてマスターはこうも笑顔なのだろう?
すっごく小ばかにされている気がしてムカつくわ。
「ツケにしてくれるとか、そうゆう優しさはない?」
「無いよ。生憎、僕はそうゆうのを覚えておくのが苦手なんだ」
くそう……
恨めしげにマスターを睨みながら、野口さんとのお別れをする。
さようなら、私の野口さん……
「はい、千円から」
「そ、そんなに睨まないでほしいかな?」
はいお釣り、と、小銭を渡される。
「それじゃあマスター、コーヒー美味しかったわ」
「どうも、またのお越しをお待ちしているよ」
これで出番の終了したマスターの笑顔を背に、私は出口の扉を押したのだった。
宇佐見蓮子、コーヒー二杯、チーズケーキ一つ。
計760円。
よし、後半も見に行くぞー