ここは永遠亭。
妖怪兎達が住む迷いの竹林の奥深く、ひっそりとそびえる月の姫の館。
同時に知る人ぞ知る名医の居る診療所でもある。
「無理のし過ぎね……このままだと大変なことになるわ」
純和風の内装の中、白衣を着た女性……八意永琳はそう告げた。
「大変な……事ですか?」
応じて答えるのは場に不似合いなメイド服を纏った少女である。
名を十六夜咲夜、紅魔館のメイド長である。
「たとえばどのような?」
困ったようなの表情を浮かべて咲夜は問う。
最近、やや風邪気味でただ大事になる前にと診察に来たのだ。
「それは分からない」
それなのにこんなことを言われればそれは困惑するだろう。
「分からない?」
永琳はカルテを見ながらなんでも無い事の様に言う。
「そ、しいて言うならば、医者の勘って奴ね」
「はぁ……」
「結果的には風邪の初期症状よ。 まだ、たいしたことは無いわ」
カルテから顔を上げて咲夜に視線を移す。
「それで、二、三日程、休憩を取ってゆっくりして欲しいと言うのが医者としての意見なのだけれど」
「まあ、努力はします」
気の無い返事をする咲夜を尻目に永琳は、助手に指示を出し持ってこさせた袋を手渡す。
「はい、お薬。ちゃんと朝晩二回、五日分飲むのよ?」
「わかりました」
診察終了と判断し一度軽く頭を下げて咲夜は立ち上がった。
咲夜は永琳の言葉を思い出してため息をつく。
休めるわけなど無い、今の紅魔館の一切は自分が仕切っているのだ。
確かに少々体がだるいが行動に支障があるほどではない。
なあに、医者と言うのは得てして大げさに物事を語るものなのだ。
そんな事を考えながら、咲夜は時の止まった空間を疾走する。
----------暗い。
咲夜はそう思った。
あたり一面の闇。何も無い。
どうしてこんなに暗いのだろうと思ったところで瞼を閉じている事に気が付く。
苦笑しつつ瞳を開けると赤い天井が見えた。
徐々に戻る体の感覚を感じながら咲夜は身を起こした。
「ん~~?」
小さく唸りながら辺りを見回す。
いくつかのベッドに薬品棚。机には医学書が無造作に置いてある。
紅魔館の医務室だ。
「私、何で……」
「それはですね」
咲夜の呟きに応じる声があった。
彼女がそちらに顔を向けると何時の間にやら赤毛の少女が居た。
黒いベストとスカート。頭には蝙蝠のような二対の羽が小さく羽ばたいている。
「咲夜さん、倒れてしまったらしくて」
図書館に住み着く小悪魔だ。
「倒れたの……」
小さくため息をつく。体調は回復していたと思ったのに、知らぬ間に無理が祟ったのだろう。
悔しいがあの医者の言うとおりになってしまった、と言うことだろうか。
大変なこと、まあ、逆を言えばこの程度で良かったと言う考え方もできる。
「気分はいかがですか?」
「悪くないわ、すごくだるいけど」
「そうですか。それは良かった」
小悪魔が満面の笑みを浮かべている。
咲夜もつられて笑みを浮かべている。
だが、やがて咲夜は気が付いた。
小悪魔の視線がどこを向いているのかを……
「いやー、咲夜さん、お肌が白くて綺麗ですねえ」
脱がされていた。
いつものメイド服では無く、下着姿だった。
「しかも黒とは……いや、案外こう……」
うっとりとした表情を浮かべてご満悦な小悪魔。
咲夜は慌てて掛け布団を手繰り寄せて体を隠し、彼女を睨み付ける。
「あ、それでは皆さんを呼んできますね」
笑みのまま逃げるように小悪魔は部屋を出て行ってしまう。
まったく、と咲夜はぼやきを漏らした。
まだ思考がまとまらず、頭を左右に振りながら嘆息。
倒れる直前まで、何とか記憶を呼び起こそうとするが無駄なことであった。
しばらくするとドアを開けて誰かが入ってくる。
さきほどと同じ赤毛だ。だが、こちらのほうが背が高いし、蝙蝠の羽も無い。
「咲夜さん、元気そうですね。良かった」
そういいつつ、手に持っていたティーセットやらなぜか蓋をした土鍋やらを机に置いていく。
「お腹も空いたと思ったので食事の用意も……咲夜さん?」
なぜか言葉を失っている咲夜に彼女は再度呼びかけた。
「咲夜さ~ん?」
反応を示さない咲夜の前で手を振り振りさせる。
そこで初めて咲夜が彼女に疑問を問うた。
「美鈴、その格好は……」
「ああ、これですか?」
ロングスカートのすそをつまんで優雅に一礼。白いヘッドドレスがふわりと揺れた。
普段の大陸風の衣装ではなく、ややフリル多めの紅魔館のメイド服を着ている。
「メイド美鈴の復活ですよ~、まあ、当時はこういう服は着ていませんでしたが」
当時、と言うのはおそらく咲夜が紅魔館に来る前から来てしばらくの間だ。
そのときは彼女が妖精メイド達に指示を与え紅魔館の一切を仕切っていたのだ。
「不思議と似合うわね……」
「ありがとうございます」
思わずもれた呟きに少し嬉しそうに美鈴が答える。
「あなたが私の変わりに紅魔館を仕切っていたということは……私はどれくらい倒れていたの?」
「ああ、ほんの半日ほどですけど」
「門番の仕事はどうしたのかしら?」
咲夜の視線が鋭くなる。
「門番隊の子にお任せしているのですよ、なぁに、そこら辺の木っ端妖怪なんて目じゃないですから」
誇らしげに言い切る美鈴に咲夜は納得したように息を吐いた。
「なら、ごくろうさま、もういいわ美鈴。門番に戻りなさい。あと、私のメイド服を……」
「駄目ですよ、何があるか分からないから休んでいていただかないと」
「でもね、私が居ないとこの館は……」
「それでも駄目ですよ」
問答を繰り返し、咲夜が苛立ったよ様に目を細め……
「あれ?」
動きを止める。
「あれ?」
再び、同じ呟き。
「咲夜さん?」
呆然としている咲夜に美鈴は声を掛けた。
「……おかしいわ、時が止められない」
美鈴と話していても埒が明かないと判断し、時を止めて移動しようとした。
いつものように能力を使おうとして、何も起こらなかったのだ。
「咲夜さん、あのですね」
美鈴の呼びかけにも反応しない。
今この瞬間にも何度も能力の発動を試しているのだろう。
「時を止める力が使えないんですよね」
言葉に咲夜が頷いた。
「今、パチュリー様が原因を調べてくれていますから」
咲夜が美鈴を見つめて、しばらくの沈黙。
「随分、落ち着いているのね美鈴、まるで私が能力を使えないことがわかっていたみたいじゃない?」
「ええ、その、紅魔館が元のサイズに戻ってしまっていましたから」
「ああ、そうなの」
そういう事かと、咲夜が額に手を当てて項垂れる。
紅魔館は普段、咲夜が能力を使って広げている。
それが元のサイズに戻ったと言うことは、そういうことだと思われてもおかしくは無い。
ドアの開く音がした。
紅魔館の主であるレミリア・スカーレットと図書館の主パチュリー・ノーレッジだ。
「咲夜、調子はどうかしら?」
「お嬢様、その……」
近付く主に咲夜が申し訳なさそうな様子を示す。
「とりあえず大事にはいたらなさそうね、あまり私に心配をかけないで欲しいわ」
「申し訳ございません」
不機嫌そうな主にただただ咲夜が恐縮する。
「能力については?」
パチュリーが咲夜に問う。
苦い顔のまま彼女が使用不可であることを告げる。
「よく聞きなさい。あなたのその症状は魔力消失現象と呼ばれているものよ」
そのままよね、図書館の主は苦笑する。
「別名魔術師殺し。これは病気ではなくて現象ね。
その名の通り、本来持っているはずのすべての魔力が消えてしまうの。
何の前触れも無く、理由も無く、昨日まで使えたものがなくなってしまう」
パチュリーは目を逸らさない。
自分をまっすぐ見つめる咲夜の視線を受け止め続ける。
「魔力が戻るかどうか、なのだけれど……」
それは咲夜にとって残酷なことであった。
「見込みは殆ど無いわね、魔術師殺しの別名は伊達じゃないと言うことかしら」
「……そう、ですか」
もはや咲夜の顔色は病的なまでに青ざめている。
「もちろん解決の方法は調べてみるつもりよ」
言葉が途切れた。
パチュリーは自分の用件は終わったとばかりに出口に向かう。
去り際にあまり悲観しないでね、と呟いた。
レミリアが、どう声を掛けてよいのか迷っている。
五百年生きた真祖とはいえ根はまだ子供なのだ。
「ではお嬢様。咲夜さんを休ませてあげたいのですが」
「そ、そうね、では私は行くとしよう」
レミリアはそういって出口へと向かう。
「はやく体を直しなさい、私はお前の入れてくれる紅茶が恋しくて仕方ないのだから」
出口へ消えた主を見送って美鈴は表情の無い咲夜へと向き直る。
「……あなたも……出て行って……」
呟くような微かな声に構わず、美鈴はティーポットからお茶を注いでいる。
「いいえ、食事の世話をしないといけませんから」
「いらない、出て行って!」
少し強い口調。ただ相変わらず俯いたままだ。
美鈴は小さく息を吐く、柔らかい笑みのまま告げた
「おねーさんの言う事、聞いてくれないですかね?」
「………」
咲夜が顔を上げる。
普段の冷静な態度はどこにも無かった。
途方にくれたような表情で美鈴を見つめている。
美鈴は安心させるように咲夜へと微笑んだ。
もう、拒絶は無いと判断しは食事の準備に取り掛かる。
「美鈴特性お粥~」
開いた土鍋からふわりと湯気が立ち上った。
いそいそとそれを小皿へとよそる。ついでに葱味噌を一沿え。
スプーンで一掬い、咲夜の口元へと持っていく。
湯気とともに微かな昆布の香りが漂った。
咲夜はしばらくそれを眺めていたが遠慮がちに一口。
しばらく口を動かして味わった後飲み込む。
無言で、何度も何度も同じやり取りが交わされて、やがて土鍋が空になった。
「ごめんなさい」
息を吐いて、咲夜が言う。
「そしてありがとう。一人きりになっていたら私は悪いほうに物事を考えて
まだ、何もしていないうちからきっと潰れてしまっていたかもしれない」
「咲夜さんは昔から思いつめる性格でしたからね」
「その度にあなたが和ませてくれたわ、何か失敗して落ち込む度にあなたが傍にいてくれた。
それは、ただ美鈴が私の教育係だったからかもしれないけれど、美鈴には……」
咲夜が美鈴をまっすぐに見つめた。
「感謝してるわ、本当に」
穏やかな笑みを浮かべて告げる。
「私、がんばってみる。この能力が無くても頑張れるんだって。完全で瀟洒の二つ名を汚すわけにはいかないわ」
「はい、良く出来ました」
そういって、美鈴が再度、咲夜の頭を撫でる。
咲夜が気持ちよさそうに目を細める。
「久しぶりね、こうしてあなたに頭を撫でてもらうのは」
「昔は子ども扱いしないでとか怒られましたけどね」
「それでも払い除けたりはしなかったでしょう? そういうことよ」
顔を合わせて笑う。
他愛も無いことをしばらく話した。
門番とメイド長ではなく美鈴と咲夜として。
楽しそうに会話に興じる咲夜は、メイド長ではなくただの少女として笑っている。
「さて……咲夜さん。食事をして汗をかいたでしょう」
不意に、美鈴がそんなことを言い出した。
「え、ええ。確かに少し……」
言いかけて何かを思い出したのか咲夜が慌てたように言葉を止める。
「体を拭かなくてはいけませんね。汗かいたままだとべとべとして嫌でしょう?」
がちゃりっとドアが開くと、満面の笑みを浮かべた小悪魔がタライいっぱいの水と大き目の布、替えの下着を持って現れた。
「じ、自分で出来るから、ね」
あせったように咲夜が言う。
「病人じゃないですか、動く事だって億劫なはずですよ」
布を水に浸しながら美鈴は言う。
笑顔だ。だがとても逆らいがたい威圧感のようなものを放っている。
「だ、だいじょう……」
布を持った美鈴がじりじりと間合いをつめてくる。咲夜は戦慄する。はるか昔の記憶が蘇る。
下着を剥かれて体中を綺麗に拭かれて、新しい下着を着せられてはては子守唄まで歌われるだろう。
これが美鈴なのだ。病人に対してはこと一切容赦が無い。まったくもって色々容赦が無い。
ついで下心もまったく無い、それが逆に恐ろしい。
「さあ、おねーさんに身を任せてくださいね~」
「いやぁぁぁ~」
捕獲された咲夜の悲鳴が響いて、それを見学する小悪魔の顔は緩みっぱなしであった。
「さて。はじめましょうか」
そう言い放った咲夜の顔はすでに悪魔の犬と呼ばれた紅魔館のメイド長のものだった。
掃除道具を片手に歩を進めながら彼女は計算を働かせる。
咲夜が広げていた空間が無くなったとはいえ部屋数は四十を超える。
「一部屋五分として……」
銀時計をみる。現在正午十一時。
最近のお嬢様はなぜか朝起きて夜寝るリズムになってしまった。
ゆえに、ティータイムは午後三時。
約四時間もあればすべてが終わるはずだ。
十六夜咲夜はそう計算し最初の部屋の掃除に取り掛かった。
「な、なんたる誤算」
壁にもたれかかり彼女は呟いた。
単純なことだ。部屋から部屋への移動時間を含めなかった。
それと掃除時間も最初こそ良かったが、疲労のためか徐々に五分では収まらなくなってきた。
疲労によるため息を吐きながら銀時計を見る。午後二時三十分。
それに対して残部屋数は十七。まったく持って話にならない成果だ。
残り時間から考えてティータイムは今から準備をしないと間に合わない。
「どうしよう……時さえ止められれば……」
言いかけて、頭を振って言葉を言葉を止める。
「無いものねだりはもっとも愚かよ」
そんな事は完全で瀟洒に相応しくない。
ならば、掃除をほっぽりだしてでも行くしかないか。
でもそれでは完全とは言えず。そもそも、妖精メイドたちがもうちょっとちゃんと掃除をしていれば……
そんないまさらなことを思いながら再びため息をついていると。
「咲夜さん」
妖精メイドを数人引き連れた美鈴がやってきた。
「ここまでの部屋はやっておきましたので咲夜さんはお嬢様のお茶の準備を……」
「め、美鈴」
「はい?」
「ありがとう、次はもっとうまくやるから……」
咲夜は疲れた足に鞭打って厨房へと駆け出す。
「疲れているんですか? なら、私が……」
もう言葉は聞こえない。ただ夢中で全力疾走。残された時間は少ない。
妖精メイドが宙を舞った。
被害者は一人ではない。三人目だ。
ものすごい勢いで驀進するティーカートを避け損ねた結果だ。
十六夜咲夜の目には目の前の通路しか映っていない。
時間は残り十分、せめて五分前行動。
完全で瀟洒な意地が咲夜を駆り立て、限界を超えさせていた。
「見えたっ!」
親愛なる主人の部屋のドアが見えそのまま速度を落とさず進む。
ドアの前で踵を引いて。急ブレーキ!
「まにあ……」
そして咲夜は気が付いた。世の中のしくみには慣性と言うものがある。
止まった勢いをまともに受けティーセットがカートを離れた。
「止まれ!」
言葉を出しても能力は発動せずに……
盛大な破砕音があたりに響く。
カートに乗せたティーセットが全て落下し、無残な姿をさらしていた。
「あ……」
呟きが咲夜の口から漏れた。
それで緊張の糸が切れたのがそのまま呆然と座り込む。
咲夜は暫しその様子を眺めていたが慌ててティーセットの残骸を拾おうとする。
「……っ!?」
指を切った。指先から赤い斑点がじわじわと沸いてくる。
それでも構わずに残骸を集めティーカートに載せていく。
「咲夜、どうしたの?」
咲夜が体を跳ねさせる。
恐る恐る振り向いた先には……
「……パチュリー様」
図書館の主パチュリー・ノーレッジだ。
その後ろにはティーカートを押した小悪魔がいた。
「小悪魔、咲夜を手伝ってあげて」
「はい」
小悪魔が座り込んだ咲夜に駆け寄って手伝おうとする。
すぐに咲夜の指の傷に気が付いた。
「これは……」
流れる血。迷うことなく指を咥える。
小悪魔は血を舐めとってハンカチで傷を押さえると言う。
「咲夜さん、ここは私が片付けますから早く傷の手当をしていてください」
「でも、お嬢様のティータイムが……」
「私がやるわ、これでも紅茶くらいはいれられるのよ」
パチュリーが小悪魔に変わりティーカートを押してレミリアの部屋へと消えていく。
「はやく、ここは片付けますから」
手際よくティーセットの残骸を片付ける小悪魔に急かされ、ふらふらと咲夜が遠ざかっていく。
その姿が完全に見えなくなった後、小悪魔は呟いた。
「咲夜さんの指、最高でしたわ……」
こう、うっとりとした表情で。
今の十六夜咲夜をたとえるなら誰もがこう答えるだろう。
まるで幽霊のようだ、と。
顔色はもはや蒼白を通り越して土気色で瞳は虚ろ、血の流れる指をそのままに危なっかしい足取りで歩いている。
その様子は通りすがりの妖精メイドがおもわず悲鳴を上げかけたほどだ。
不意に、咲夜の視線が窓の外へと向いた。
そこには、それが映っていた。
魔女だ。箒を駆って飛び回り、門番妖精達と激しい弾幕戦を繰り広げている。
「迎撃に行かないと……」
咲夜の口から呟く。
美鈴が居ない門はすぐに突破されてしまうだろう。
そしていま、図書館にはパチュリーは居ない、きっと好き勝手に荒らされてしまうだろう。
止めなくてはいけない。
「阻止しなくちゃ……」
とうに感覚の鈍くなった足が自然と駆け足を刻みだす。
数本の銀のナイフをその手に構え、彼女は一直線に疾走。
「魔理沙さえ止められれば、まだ私の居場所が……」
言葉は空気に溶けていく。
悲鳴を上げて門番妖精の最後の一人が落ちて行く。
それを確認した魔理沙は館に向かい速度を上げて突き進む。
飛翔したまま入り口のドアをぶち破り中へ進入……
「……ちっ!?」
寸前で飛来した何かを停止して回避、そのまま後方へ下がる。
「咲夜か!」
直も執拗に飛んでくるナイフを旋回しながら避ける。
肝心の咲夜の姿が見えない。発射地点と思われる場所に弾幕を打ち込んでも手ごたえ無し。
「かくれんぼか、だが、生憎とお前に構うつもりはないんだ!」
ナイフの隙間を縫いながら進入の隙をうかがう魔理沙。
だが、不意にナイフの雨が止んだ。
罠かと暫し警戒したが考えても仕方ないと判断し再び館に突撃を掛ける。
咲夜は焦っていた。
不意を突いて一度は進入を阻止した。
弾幕を展開しつつ魔理沙を牽制。ここで問題が発生した。
弾切れだ。咲夜の武器はナイフで当然、数に限りがある。
いつもは時を止めて回収に向かうのだが、それが出来ない。
「迂闊な……」
まだ、時を止められるつもりで居たのか!?
自分自身を叱咤し、進入した魔理沙を追って館に駆け込む。
目標はすぐ見つかった。
こちらへと八卦炉を向けて……
「隠れてるんなら誘い出すまでだぜ!」
言葉とともに放たれる魔砲マスタースパーク。
「時よ!」
とっさに叫んで……気が付いて。
迫りくる光はもはや回避不可能な距離まで迫っている。
その光景は酷くゆっくりと感じられた。
咲夜の表情がゆがんで行く。それは自嘲。
「私は……馬鹿だ……」
直後に耳を劈くような轟音。
呟きも、後悔も、視界も、すべてが白に染まっていく。
部屋に明かりは無い。
窓から差し込む凛とした青さの月光のみが部屋を照らしている。
あたり一面には無数の銀製のナイフが転がっている。
「他愛ないわね」
目の前の少女が言う。
月明かりに鮮やかな青銀の髪。
二対の蝙蝠の羽、真紅の瞳。
少女こそが永遠に幼き紅き月。真祖と呼ばれる吸血鬼。
「だが、面白いわ、実に面白い」
膝を突いた自分。覗き込むように見て少女は言った。
「その力、買ったわ。遺憾なく私の為に発揮なさい、そうすれば……」
少女が笑う。それは傲慢で無邪気で痺れるほどに妖しい笑みだった。
「与えてあげる、お前が欲しくてたまらなかったすべてを、居場所も、名前も、生きている意味も全部与えてあげる」
伸ばされた手を、ためらい無く取った。
目の前の背の高い赤髪が驚くのを小気味良く思った。
「次は何をすればいいの?」
赤髪が思案する。
「時を止める力とやらを使ったのね」
「そうよ、これさえ使えば貴方が手を焼いていた全てが楽になるわ」
「だが、お前に負担がかかりすぎてしまうわ」
何を言うかと思えばそんな心配か。
「問題ない、お嬢様はこの力を買って私を召抱えてくれたの」
この力と引き換えに与えてくれた、私の居場所。
だから、それを守るためには何を犠牲にしても構わない。
「それだけじゃないけどね。お嬢様は不器用だから」
さてと、呟いてこちらに手を伸ばす。
反射的に避けようとして、我慢する。攻撃されるわけではない。
怖いけど、相手を露骨に避ける訳にはいかない。
何かと思ったら頭を撫でられた。
「子ども扱いしないで!」
「いいじゃない、うまく出来たんだから褒めてるのよ」
確かに貴方から見たら私は子供。
でも十の半ばを越えている女に対してこれは無いでしょう?
まあ、悪い気はしないけど……
----------暗い。
先ほど見ていた光景が一瞬で闇に変わる。
ああ、夢だと咲夜は理解した。
随分と懐かしい夢を見たものだと。
瞼を開けると赤い天井。場所は分かる、医務室だ。
彼女は今度ははっきり覚えていた。
「気が付きましたね」
咲夜を、見慣れた赤髪が覗き込んでくる。
「ええ……」
ぼんやりとそれを眺める咲夜
「あー咲夜」
声がする。
「悪ぃ。能力が使えなくなっているなんて知らなかったからな」
霧雨魔理沙は罰が悪そうに脱いだ帽子を抱えている。
「別に……謝る必要なんてないわ」
攻撃を受けて、応戦した。当然のことだ。
謝られると余計に惨めだと咲夜は思った。
場を沈黙が支配する。
「とりあえず、咲夜さんは無事でしたから」
落ち付かない様子の魔理沙を退室させて、美鈴がベッドの横の椅子に座る。
「美鈴……」
「はい」
「馬鹿みたいね、私……」
何が、がんばってみるだ。と呟きが漏れる。
「私の、完全で瀟洒はしょせん時を操る能力の上で成り立っていただけなのね」
ただの一日で理解した。それだけで自信が砕かれた
自分の行動の全ては、時を止めるこの力の上で成り立っていたのだと。
「私は、能力が無ければたいしたことの無いただの人間だった」
自虐、諦め。
彼女は天才であった。美鈴の教えた事はほぼ一度ですべて覚えた。
戦う力も礼儀作法も調理もすべて瞬く間に吸収し、あっという間に美鈴を追い抜いてメイド長になった。
やがて美鈴達が分担してやっと済ませていた紅魔館の仕事をたった一人で済ませるようになっていった。
何か失敗しても止めれば良かった。時間が足らなくても時をとめればよかった。
「どうしよう……私、役立たずだ」
でも、もう、時を止める力は使えない。
美鈴とのやりとりで芽生えた、やれるかもしれないと思う希望で支えられていた理性は現実を前にしてあっさり折れた。
彼女を弱いと攻められるだろうか? 当たり前のように使えていた能力が無くなって、その力が無ければ基本すら出来なくなっていて。
初めての大きすぎる挫折は、まだ齢二十を数えていない彼女には大きすぎた。
「追い出されちゃう……居場所がなくなっちゃう……」
(その力、買ったわ。遺憾なく私の為に発揮なさい、そうすれば……)
また、路頭に迷うのだろうか、いや、そんなことはどうでもいい。
(与えてあげる、お前が欲しくてたまらなかったすべてを、居場所も、名前も、生きている意味も全部与えてあげる)
咲夜は紅魔館が好きだった。だから取り乱した。冷静な判断が出来なくなるほどに。
度重なる失敗が、能力を失ってしまった絶望が彼女の何かを粉々にしてしまった。
力が無ければ自分は必要ないとそう極論で考えてしまうほどに。
「そんなこと、無いですよ」
「……あるわ、だってお嬢様は私の力を買ってくれたんですもの」
「当時はそうだとしても、今は違います」
「何が違うの!?こんな役立たず、おいておく必要ないじゃない!掃除もまともに出来ず、お茶の用意も出来ず、簡単に侵入者に倒されて!」
咲夜は美鈴を睨みつけると叫ぶ。
「こんな私をおいておく理由を納得できるように説明してみなさいよぉ!!」
説明の変わりに美鈴の腕が伸びた。
そのまま背と頭に手を回して、胸元に抱き寄せる。
「……っ!離して……いらない……」
そのまま逃がさないように強く抱きしめる。
美鈴は知っていたのだ。咲夜が何を求めているのか。
美鈴は弱かった。
発生したとき、彼女は身を守る爪も牙も無かった。
なまじ人間そっくりだったために、仲間であるはずの妖怪から狙われて殺されかけた。
助けてくれたのが人間だった。世話をして、身を守るすべを教えてくれた。
彼女は人の中で生き続けた。
長く生きるうちに正体がばれて何度も裏切られる事もあった、守りたい者を守れずに絶望に落ちたこともあった。
でも、それでもまた救ってくれたのは人間だった。温かい言葉を掛けて抱きしめてくれた。
だから知っていた。それは幾千の言葉を重ねるよりも確かなもの……
それは、ぬくもりだ。
何よりも暖かい、体温と生を刻む鼓動。
どんな状況でもそれは安心を与えてくれる。
やがて抱きしめた咲夜から啜り泣きが聞こえるようになった。
それは嗚咽となり、止まらない泣き声となった。
美鈴はただ静かに、黙って彼女を撫で続けた。
夜の帳が落ち、辺りを闇が包んでいる。
静かに寝息を立てる咲夜をレミリア・スカーレットはただ見つめ続けている。
彼女に向かい手を伸ばして、寸前で躊躇するように止まる。
「撫でてあげたらどうですか?」
控えめな声がかかった。
美鈴は困ったような表情のレミリアに微笑みかける。
「ねえ、美鈴」
手はしばらく止まっていたがやがて覚悟を決めたかのようにその髪に触れた。
「私はお前が羨ましいわ。咲夜がこんなに思いつめていたのに、私はどうしていいのか分からなかった」
咲夜を起こさないように優しく撫でる。
「もし昼間、ちゃんと向き合っていたら咲夜は傷つかずに済んだのかもしれない」
せめて優しい言葉を掛けてやることも出来なかったと苦笑する。
「奪うことは得意なのに、与えることは苦手、まったく、真祖ともあろう者が情けない」
「お嬢様、ならばこれから覚えていけばよいのですよ」
「そうね……美鈴、お前には教わってばかりだわ」
撫でるのを止め眉を下げた笑みのままレミリアが振り向く。
「まずは手始めに、素直な気持ちを与えてあげてください」
言葉に、レミリアは軽く唸る。咲夜へと再び向き直った。
「あーそうね」
暫し考えるように目を閉じていたがやがて言葉をつむぎだす。
「咲夜、お前は勘違いをしているようだけど私はお前の能力だけを見ているのではないわ。
あの時、召抱えたときからずっと咲夜自身を見てきた、家族なの。だからその……」
闇の中でも分かる、微かに頬に朱が寄った。
「もう役立たずなどと言うな、能力など無くとも私にとってお前は必要なのよ。居なくなられるとその…悲しい…わ…」
相手が眠っているとはいえ恥ずかしいものは恥ずかしい。
「これでいい?」
誤魔化すように乱暴な口調で美鈴へと向き直り、予想外の穏やかな笑顔に狼狽する。
「な、何を笑っているの」
「いえ、良く出来ましたって」
頭を撫でようとする美鈴から逃げるように距離をとる。
「もう……子ども扱いするなって言ったでしょう!」
(子ども扱いしないで!)
いつかの、記憶。
その中の言葉が重なって美鈴はくすくすと小さく笑った。
「~~~っ!」
憮然とするレミリア。
「いえ、咲夜さんも同じ事を言ったんですよ。幼い頃のお嬢様と同じで」
「そうなの?」
「ええ、なんだかおかしくなってしまって」
「まったく」
照れたような、怒ったような笑みを浮かべてレミリアは部屋を出て行く。
取り残された美鈴は咲夜を見て何かに気が付いたように一度だけ頬に手を当てる。
「おやすみなさい」
そう告げて、彼女も部屋を去っていく。
誰も居なくなった部屋で咲夜の目元から透明な雫が落ちて行く。
咲夜の能力は翌日にあっけなく戻った。
喜び勇んでいつもどおりの業務に立ち戻ろうとした咲夜だったが、そうはいかなかった。
レミリア、パチュリー、美鈴のみならず小悪魔や妖精メイド達からの嘆願があり仕事量減少を強いられることとなった。
自分達が働かせすぎたからだと皆責任を感じており、その日一日皆に泣き落としをされた咲夜はついに折れることとなった。
かくして彼女の仕事量は実質半分となり、妖精メイド達の仕事量が三割程増えたが誰も文句は言わなかった。
美鈴は門番に戻り、レミリアが少しだけ身の回りのことを自分でやるようになった。
小悪魔の脳内メモリーに咲夜フォルダが追加されパチュリーが微妙に行動するようになったがとりあえずは元の紅魔館に戻ったのだ。
紅魔館の一室。
「そんなことがあったのね」
八意永琳は紅茶をすする。
「ええ、大変でした。貴方の言う通りになってしまいましたね」
対面に座る十六夜咲夜はため息をつく。
「でも、結果的にはゆっくり休めたんでしょう?」
「心労が祟って休むどころではありませんでしたよ」
苦笑しつつ咲夜も紅茶をすする。
「それどころか仕事量も減らされてしまって……時間が余ってしまいます」
「医者的には良かったと思うわよ。貴方、そうでもないと意地でも仕事を減らさないでしょう」
「まあそうですが……」
ごちそうさまっとカップを置いて永琳は立ち上がった。
「もう、行くのですか?」
「ええ、次の診察がありますし」
「わざわざありがとうございました」
「いいえ、患者を気にするのも医者の勤めよ」
見送る咲夜に手を振って永琳は歩き出す。
珍しく上機嫌な雰囲気だ。
やがて彼女は門のところへ差し掛かる。
「お疲れ様でした」
「こちらこそ」
そういって怪訝そうな美鈴を尻目に永琳は去っていく。
咲夜との会話を聞いていて幾度と無く出てきた名前、それが彼女だ。
「患者がちゃんと休め、さらに良好な生活を送れる土台を作るのが医者の務め」
歩を進めながら彼女が言う。
「なんにせよ、うまくいってよかったわ。まあ、失敗するとは思っていなかったけれど」
永琳は呟いて次の診察場所へと急いだ。
-終-
咲夜がかわいくてよかったです
小悪魔ハァハァ…
やっぱ咲夜さんは可愛いな…
あと小悪魔自重ww
みんなに愛されてるのが一番似合っとる
紅魔館メンバーの心の中に詳しい永琳に変な不気味さを感じました
自分の想像で補完するのも楽しいんですけどね
みんな気を使ってても1ヶ月もしたら元のメイド長過労期間が再開されてしまう気がするぜw
でも絆はちゃんとあるんだよ。と
しかし美鈴のお母さんorお姉さんポジは不動だ!!
誤字だとわかってても想像が膨らみます。
衒いのない、ストレートに良い話だった。
あと、後書きに一言。こっちみんなw
いい話でした。
掛け布団もしくは毛布ではないでしょうか?
ミスタータイガース、お前咲夜さんに何しとんじゃ!歳を考えろ!
小悪魔www お前というやつはw
美鈴の優しさに涙!
しかし、ここの小説内の変態小悪魔率高けぇwww
面白いからいいけど。
そして、こっちみんなwww
さくや「えーりんの罠だ!」
そして相変わらずの小悪魔フルスロットル。