※食事中の方は絶対に読まないでください。食欲減退を訴えられても責任を負いかねます。
※一応、無在の書く、いつものフラン、パチュリー、レミリア、レミフラのお話です。
「ねえ、妹様、」
目の前に座っていたパチュリーから声がかかった。顔を上げると、紫色の双眸がどことなくぼんやりと私を見ていた。
「――うんこ味のカレーとカレー味のうんこ、どちらか食べろと言われたら、どちらを選ぶ?」
「え――?」
私は驚きのあまり、動かしていた手を止めた。
私――フランドール・スカーレットは呆然としていた。いきなり、この七曜の魔女――パチュリー・ノーレッジは何を言い出すのだろうと、頭の中が疑問符で一杯になった。私の驚きをよそに、パチュリーはいつもどおりのポーカーフェイスを保っていた。
「……えっと、パチュリー、今、何て言ったのかな?」
私はおずおずとパチュリーに尋ねた。聞き間違えかもしれない、と思いながら――いや、祈りながら。だが、図書館の魔女は無慈悲にも、私の期待を粉々に破壊してくれた。
「だから、うんこ味のカレーとカレー味のうんこのどちらかを食べなければならないとしたら、妹様はどちらを選ぶの?」
私は右手にもっていたものを置き、頭を抱えた。
パチュリーは紅魔館の主人、私の姉である吸血鬼――レミリア・スカーレットの親友だ。精霊魔法に精通している魔女で、紅魔館地下にある巨大な図書館――もっとも、お姉さまがパチュリーに与えた『書斎』であるが――に住んでいる。本の傍に存在するものこそが自分――彼女は自らをそう定義していた。そして、その通りに毎日、図書館の本を読み、また、自らも研究した魔法について記述している。
パチュリーは感情をあまり外に出さない人だった。どうやらそれは魔法使いに共通する特性であるらしい。白黒の魔法使いのような例外はあるが。でも、あの嘘つきな彼女のことだから、彼女の笑顔もまた、自分の心の裡を隠すための手段なのかもしれない。まあ、とにかくパチュリーの表情には喜怒哀楽の色が乏しかった。それゆえ、彼女の親友の妹である私も、パチュリーが普段、何を考えているのか、よくわからないところがあった。
でも、流石にねぇ……
うんこ味のカレーとカレー味のうんこのどちらかを選べ、って……
おかしい。確かにパチュリーの考えていることはよくわからないし、ときどきトラブルメーカーと化すこともあるが、それでもかなりまともな思考をもつ人物だったはずだ。いくらなんでも小学生かおまえはみたいなことを聞くとは思わなかった。
そこで、私は思い出した。
そういえば、小悪魔が、パチュリーが珍しく薬物調合の実験をしてたって言ってたなぁ……
今はそばにいないが、パチュリーは小悪魔に付き添われてきた。パチュリーの腕を引く小悪魔は心配そうな顔をしていた。不思議に思って彼女から話を聞いてみると、実験は無事に終了したのだが、その後、パチュリーの様子が少しおかしいのだという。どうやら、実験中に気化した薬物を吸って少しハイになっているようだ。ちょっと様子がおかしいので、申し訳ありませんけど見ていていただけませんか――小悪魔は実験の片付けがまだだということで、図書館に先に帰っていった。終わり次第、戻ってくるらしいが、いつになることやら。
そのハイの結果がこれか……
私はため息をつかざるをえなかった。これじゃ、キャラクター的にどちらが狂っているのかわかったものではない。
私はとりあえず、目の前で淡々と右手を動かしているパチュリーに聞き返した。
「うんこ味のカレーとカレー味のうんこ、どちらか選べって?」
「ええ、そうよ。全くもってその通りだわ」
「この質問、一応深い意味があるのかな?」
「ないと言えばないし、あると言えばあるわ」
『ある』可能性があるのか……。パチュリーはやがて、右手にもっていたものを静かに置き、腕を組みながら言った。
「妹様の顔を見ていたら、レミィがそんなことを言っていたのを思い出したのよ」
『レミィ』という単語を聞いて私は脱力した。レミィとは、レミリアお姉さまの渾名である。親友同士の二人は、『レミィ』、『パチェ』とお互いを渾名で呼び合っていた。しかし、私の顔を見て思い出したって、どういうことなの……
「確か、博麗神社の宴会からの帰りだったわね。紅魔館から帰る道すがら、うんこ味のカレー、カレー味のうんこについて話していたのよ」
聞きたくもないそのときの話について、パチュリーは詳細に話してくれた。二人とも酔っ払って、今のパチュリーみたいに無駄にハイな状態になっていたらしい。だからといって、どうして登下校中の小学生みたいな会話をしているのだろうか、この二人は。きっと傍には咲夜も控えていたのだろう。私は二人の馬鹿話に付き合わされる咲夜のことが可哀想でならなかった。
パチュリーは一見平静に見えるがその奥に狂気を潜めた――私には狂気の沙汰にしか思えない――紫水晶の瞳で私を睨んだ。……正直、震え上がるほど怖かった。
「それで、妹様はどっちがいいの?」
「どっちが、って言われてもねぇ……」
私は必死に冷静を保とうとしていた。今のパチュリーは酔っ払いだ。酔っ払いは適切に扱わなければならない。下手に対応すると思いも寄らぬ攻撃を受けることがある。私はできるだけ丁寧な語調で答えた。
「うん……正直言って……どっちも嫌だな」
すると、パチュリーは腕を組んだままうなずいた。もっともだ、と納得するように首を振っている。
「まあ、誰だってそう答えるわよね」
私はパチュリーの反応に少し驚いていた。「どっちかを選びなさい……」と絡まれることも想定していたのだが、どうやら、パチュリーはそれほど悪酔い――もっとも今回は薬品だけど――するほうではないようだ。
「結局のところ、誰もがそういう結論を出して終わるのよね」
パチュリーはつまらなそうに言った。私は苦笑するしかなかった。
「そりゃそうでしょ。誰もそんなもの食べたいと思わないもの」
「特殊な性癖をもっている人は除いてね」
「まあね……」
うなずきたくないが、私はうなずくことしかできなかった。一生、そんな性癖をもった人と出会わないことを願うばかりである。パチュリーは私の考えていることなどどうでもいいかのように話を進める。
「この話が成立するポイントは、カレーとうんこが形状的に似ているというところよね」
「そうだね……」
それなりに正しいと思ったので、私はまたうなずくしかなかった。強引にそんなことはないと否定することもできたが、今のパチュリー相手には危険だと思った。しかし、一応正しいことを認めているはずなのに、どうしてこんな理不尽な気持ちになるんだろう。地下から出て、まだ10年も経たない私には、やはりわからないことが多すぎた。
パチュリーは淡々と説明を続けた。
「形状的に似ているということは、見ただけではそれがどちらなのか、判断できないということ。つまり、食べるまでそれがどちらかをわからないということだわ」
「……匂いとかはどうなの?」
「ふむ。それはもっともな指摘だけど、この質問では無視してもいいでしょうね。香りは食事の味において重要な要素だけど。まあ、そんなもの些細な条件だわ」
パチュリーはそこで少し考えるように視線を天井に向けた。何を考えることなどあるのだろう。考える必要性など、どこにもないだろうに。というか、パチュリーはこの話をして、私をどこに連れて行くつもりなのだろう?
パチュリーは考え事が終わったのか、理性と狂気に満ちた紫の双眸をまた私に向けて言った。
「まあ、前提をまとめるとしたら、以下のようになるのかしら?」
パチュリーは落ち着いた声で、言葉を紡ぎ続ける。
「カレー味のうんことうんこ味のカレーの話においては、この二つは見分けがつかない、つまり、食べるまでどちらであるかわからないものであるということ。そして、その料理――料理というと料理人に対する侮辱になるけど――を提供する側、提供される側は何らかの方法によって、それがどちらか理解しているということ。少なくとも、提供する側はそれを確実に知っているということ」
「提供される側は確実じゃないの?」
「ええ。この話だと、提供者が主体だからね。被提供者に対して問いかけ、そして、『料理』を与えるわけだから。ひょっとすると、提供者が嘘をついている可能性もある」
「ああ、確かに」
私はうなずいた。きっとパチュリーの言っている前提条件というものは正しいのだろう。私もパチュリーの考えに賛成だった。賛成も反対もしたい話じゃなかったけど。
ところで、これは心理テストか何かなのだろうか――私はふとそう思った。
誰もがどこかで聞いたことのある話で、下品ながらも考えて込んでしまう話だけど、結局のところこの話は何を言いたいのだろうかと思う。
カレー味のうんことうんこ味のカレー――きっと、そこには好き嫌い、というか妥協が存在するのだろう。でも、私やパチュリーが言ったように、最終的には皆両方とも嫌だと結論付けてしまうのだ。 そして、質問された側がどちらかを選ばなかったからといって、ペナルティーを課せられるわけでもない。もしかすると、そういう拷問の方法もあるのかもしれないが、そうじゃないケースの方が多いだろう。
質問の意図は不明。
でも、どうしてか、皆、その質問に引っかかりを感じてしまう。
そんなことを考えていると、パチュリーが説明を再開した。
パチュリーは人差し指を立てて、私に言い聞かせるように語りだした。
「この質問のままじゃつまらないから、私流――というかレミィ流のアレンジを加えるわ」
「アレンジ、ね。そして、やっぱりお姉さまの考えていたことなんだ……」
「前提条件を動かさないままで、少しだけ質問を変えましょう。つまり、『カレー味のうんことうんこ味のカレーどちらがいいか』ではなく、『カレー味のうんことうんこ味のカレーのどちらかを食べなければならない場合、どちらを選びたいか』と」
私はパチュリーの言葉に考えながらうなずいた。馬鹿馬鹿しい話ではあるが、もう自棄である。折角だから、この暴走している七曜の魔女に付き合うことにした。
「強制力を加えてみた、ということ?」
「ええ。『どちらがいいか』だったら、放棄するという選択肢の可能性もあるからね。だから、皆、どちらも嫌だ、と逃げてしまう。でも、『どちらかを選ばなければならない』だったら、逃げることは許されないからね」
パチュリーはテーブルの上のお冷で、喉を潤しながら語った。
「むしろ、さらに押し進めてこう言ってしまいましょう。『どちらかを選ばなければならない運命にあるのだとしたら』、とね」
「……私はそんな運命は嫌だなぁ」
「私も嫌だわ。でも、運命なんて大概そんなもの。押し付けられる運命と獲得できる運命、両方存在するけど、後者より前者の方が圧倒的に多いわ」
運命か……
お姉さまがよく使う言葉だった。
「運命は命令の最上級互換とも言えるしね。神が創造物である我々に命令するという意味で」
「カレー味のうんことうんこ味のカレー、どちらかを選ばなければならない運命なんて、神様って根暗だなぁ」
「あいつは昔から性格が捻くれ曲がってるって決まってるからね。それはともかく、妹様、さらにこの質問を有意義にするために、もうちょっとアレンジを加えましょう」
パチュリーはそこで真剣な目で私を見た。
今までと少し違う、強い想いがこもっている瞳だった。
「『もし、今まさに、カレー味のうんことうんこ味のカレーを食べているとしたら、あなたはどちらを食べているか』、とね」
どうしてだろう。
私はその言葉がとても重要な意味があるように思えた。
下らない話なのに。
カレー味のうんことうんこ味のカレー、なんていうただの下ネタの話なのに。
でも、どうしてか私は心が麻痺して、黙らざるを得なかった。
「さらに運命という言葉を付け加えるなら、『今のあなたは、カレー味のうんことうんこ味のカレーのどちらを食べている運命にあるのか』ということになるわ」
パチュリーは何もかも見通すような紫水晶の目で私を射ながら言った。
「今の妹様は、カレー味のうんことうんこ味のカレー、どちらを食べている運命にあるのかしら?」
その質問に対して、私は答えた。
意図せず、私の声は硬いものになっていた。
「何それ? それはつまり、私の運命が、カレー味のうんこか、それとも、うんこ味のカレーかしかないって、言ってるの? パチュリーはそう言いたいの?」
「さあ、どうかしらね?」
パチュリーは挑戦的な目で私を見た。
「私は何となく聞いているだけだから」
そこで私はパチュリーがハイになっているということを改めて思い知った。
きっとパチュリーは酔っ払っているから、こんなことを私に言うのだと。
普段のパチュリーならば、こんな人の心を抉るようなことを言わないだろうから。パチュリーは人と深く関わるのを良しとしない性格だった。人には守られるべき領域が存在する――そのことを強く信じている人種だった。だから、パチュリーがこんな風に人の心の奥深くまで入ってこようとするのは見たことがないし、ましてされたことなどなかった。
同時に、パチュリーがこの話に深い意味がある、と言った理由もわかった。
うんこ味のカレーとカレー味のうんこ。
それは比喩にしか過ぎない。
少なくともパチュリーが使っている限りでは。
『うんこ』とはマイナスで、
『カレー』とはプラスなのだ。
プラスとはすなわち、喜び、楽しみ、安心、安らぎ……
つまりは幸福。
マイナスとはすなわち、悲しみ、痛み、苦しみ、不安、恐怖……
つまりは不幸。
そして、『~味の』という接続語。
それは、『~のようである』という意味でしかない。
あくまで似てはいるが、それは似ているだけに過ぎず、完全に異なるというニュアンス。
パチュリーが使う意味での、カレー味のうんことうんこ味のカレー、すなわち、その意味は――
「ちょっと、前提を覆すようだけど……」
パチュリーは私の返答を聞かず、話を先に進めた。
「カレー味のうんことうんこ味のカレーなんて存在するのかしら?」
それはちょっとどころか、全否定を表す台詞だった。私は黙ってパチュリーの言葉の続きを聞く。
「尋ねるまでもないわね。そんなものはこの世に存在しない。あくまで仮定だけの存在。カレーの味がするならば、当然、その成分もカレーと同じものになる。香辛料、塩分、水分、具にいたってはジャガイモ、豚肉、たまねぎ、にんじん、その他もろもろ。そうでなければ、カレーの味は出せない。カレー味である限りは、それはカレー以外の何物でもないし、そして、好き嫌いの程度こそあれ、そこそこ食べる人を満足させる味であるに違いない」
パチュリーの語気はいつもより少しだけ強かった。
「うんこについては、語るまでもないかもしれない。私は糞便を食べたことがないから、うんこ味について想像もできないし、そもそも全てのうんこに共通した味があるのかはわからない。でも、『うんこ味』という言葉を聞けば誰でもこう思うでしょうね。『きっと不味いんだろうな』、と。そして、それがうんこ味ならば、きっとそれは動物の排泄物でしかないんでしょう」
パチュリーは断言した。
「この世には、うんこ味のうんこか、カレー味のカレーしかないのよ」
「それを言って、どうするのさ……」
私はパチュリーの反論していた。なぜか、とても不愉快な気持ちだった。
「確かにパチュリーの言うことは正しいのかもしれないけど、それを言ったら、今までの話はどうなるのさ?」
「ええ。確かに、現実の世界では、うんこ味のうんこかカレー味のカレーしか存在しないわ」
パチュリーはとんとんと自分の頭を人差し指でつついた。
「でも、私達が想定する上では、カレー味のうんことうんこ味のカレーは存在するのよ」
「あるいは、」パチュリーはぺろっと舌をだして、今度はそれを指差す。
「出された『料理』を食べている人の味覚においては、ね」
私はまた黙りこんでしまった。なぜかやるせない気持ちでいっぱいだった。
パチュリーはそんな私にかまわず、どんどん話を続けた。
「カレー味のうんことうんこ味のカレーは確かに心の中に存在する。形而上学的存在とも言えるかもしれない。確かにうんこを食べてもそれをカレー味だと感じ、カレーを食べてもそれをうんこ味だと感じる人間がいるのだとすれば、厳然とカレー味のうんことうんこ味のカレーは存在する」
『料理』の質が特殊なのではなくて、食べる人間の味覚に問題がある――
つまりはそういうトリックなのだ。
パチュリーは物語を読み聞かせるように、静かな声で言葉を紡いだ。
「あなたの目の前にはカレーのような料理があります。ですが、今、あなたの目の前にはその料理しかなく、その料理以外に食べるものはありません。そして、その料理を食べ切るしかありません。あなたは仕方なくその料理を食べています。現在進行形で食べています。それはカレー味かもしれません。あるいはうんこ味かもしれません。ですが、それは本当にカレーであり、またはうんこであるのでしょうか?」
パチュリーは私を真っ直ぐ見つめながら言った。
「そして、あなたはシェフに尋ねます。これはカレーなのか、もしくは、排泄物でしかないのか、と。ですが、シェフは黙ったきりです。あなた自身がそれを判断しなければなりません。では、それがカレー味ならばあなたはそれを満足であるとし、うんこ味ならばあなたはそれを不満であるとするのでしょうか?」
「……カレー味だったら満足だし、うんこ味だったら不満なんじゃないの?」
私はひどく不機嫌だった。
「だって、自分でしか判断できないんでしょ? 判断するにしても、判断材料がない。なら、その味のまま、自分の感じる味覚のまま、それを肯定するしかないんじゃない?」
私はため息をつきながら、言った。
「その人の人生は、その人じゃないと、幸福か不幸かなんて判断できないでしょ。幸せと感じるならそれはそうなんだろうし、不幸せと感じるならやっぱり不幸せなんだよ。それには何の問題もないでしょ?」
「もっともだわ」
パチュリーは私の言葉に深くうなずいた。だが、すぐに首を横に振る。
「でも、それはとても不安定だわ」
パチュリーの言葉は私の口を再び閉じさせてしまった。
「うんこ味のカレーは置いておくとして、カレー味のうんこについては、不安定と言わざるを得ないでしょうね。実はどうしようもなく不幸なのに幸福だと思い込んで生きていることは、確かに本人には良いことで、周囲の人間もその人の気持ちを考慮するならそれを認めざるを得ないけど、それはとても危うい」
パチュリーは一つ長く息を吐いて言った。
「今はそれで良いかもしれないけど、自分が食べてるものがカレーだと思い込めなくなるときがくるかもしれないから。人間も妖怪も心には限界があるもの。心では幸福だと感じていても、どこかに軋みは絶対に存在する。軋んで軋んで、もうこれ以上曲がらなくなるくらいになって、ついには壊れてしまう。自分が食べているものがうんこではなくカレーだと誤魔化しても、いつかはその味覚が壊れて、正しいものを認識しなければならないときが来る」
パチュリーは目を伏せながら言った。
「そうなったら、人は本当の意味で壊れてしまうのでしょうね」
壊れる、か――
私はパチュリーの言葉をどこか遠くに聞いていた。
それは、きっと狂ってしまうことなのだろうな、と。
私はパチュリーに少しだけ反論することにした。
「100パーセント幸福な人生なんてないよ」
私はパチュリーの綺麗な紫色の目を見ながら言った。
「どんな人間も何かしら不幸を抱えているし、幸福でないときだってたくさんある。絶対どこかに軋みはある。もし、パチュリーの意見が正しいなら、この世の者は誰一人残らず、狂ってしまうんじゃない?」
だが、パチュリーはくすりと微笑んだ。微笑みながら、首を振る。
「珍しく、妹様にしては的外れな意見ね。それは軋みじゃないわ。自分が不幸であると認識していること――それは正しい在り方だもの。確かに、自分の認識が正しいか、それを判断する定規は存在しないけどね。でも、幸福を感じながら、同時に不幸を感じることができれば、それは健全な証拠よ。本当に恐ろしいのは、自分が今不幸なのか、悲しんでいるのか、苦しいのか、わからなくなること。ただ無意識だけが悲鳴を上げて、ぎりぎりと軋んでいる――そんな状態。人は意識が全てではない。必ず無意識に支配されている。無意識が壊れてしまえば、意識もまた壊れてしまう。人間も妖怪も、意識は完全な心の支配者じゃないの」
パチュリーはまた、テーブルの上のお冷を一杯あおった。
「うんこ味のカレーを食べる人間はまた違うけどね。その人は自分が不幸であると思い込んでいるの。どんな幸せになれるイベントがあっても、自分はそれに似つかわしくない、自分は幸福になれないと信じ込んでいる人間なのよ。そういう人はむしろ、うんこ味をカレー味だと思い込んでいる人ね。あるいは、そう思い込むしかなかったのかもしれない。でも、その人はたぶん、不幸の部屋に閉じ込められたまま――閉じこもったまま出てこられないのでしょうね」
私は何となくぼーとしていた。ぼーとして、これまでのことを思い出していた。
優しい両親と優しい姉の下に生まれ、
その能力の危険性のために地下室に閉じ込められ、
いつの間にか、自分でもどうしようもできないくらい心が狂ってしまっていて、
495年経って、ようやく地上に戻ってくることができて、
でも、私はまだ外に出ることができなくて、
外に出ることにあまり興味がもてなくて、
そして、それが何となく、とても恐ろしくて。
どうなんだろう。
私は幸福なんだろうか。
不幸なんだろうか。
不幸の癖に幸福になった気でいるのだろうか。
幸福になれるくせに不幸のままでいようとしているのだろうか。
わからなかった。
自分が幸福だとか不幸だとか考えることを、私はそもそもしてこなかった。
私には地下室しかなかった。
ここ数年、ようやく私は外の世界のことを、本だけでなく、体験で知ることができるようになってきた。その意味で、私の人生は始まったばかりなのだった。
でも――
私はときどき寂しいと感じるのだった。
言いようもなく寂しいときがあった。
魔理沙や霊夢と弾幕ごっこをして――
そのときは楽しいけど、帰ってしまう二人を見送るとき、ものすごく寂しい気分になった。
友達というのは大概そうなんだろうけど。
でも、そこに諦めのような感情を抱くものではないんじゃないかと思う。
お姉さまが神社に出かけるのを見送るときもそうだった。
自分が外に出てはいけないのはわかっている。
でも、それがとても寂しい。
そして、同時に私はどうしようもなく諦めているのだった。
お姉さまの傍に並んで歩くことを諦めている自分がいるのだ。
私が一歩前に進めば、お姉さまはきっと私と一緒に出かけてくれるだろうに。
だが、それでも私が満足しているのは事実だった。
私は今の生活にそこそこ満足しているのだった。
私は自分が不幸だとは思っていない。どころか、ある程度、幸せであるとさえ感じている。
でも、それは思い込んでいるだけなのだろうか?
私はどちらの人間なのだろう。
カレー味のうんこを食べているのか、それともうんこ味のカレーを食べているのか。
パチュリーが紫色の目で私を見据えた。
それはまるで、審判を下す裁判官のようでもあった。
「さて、妹様、あなたはどうなのかしら?」
パチュリーの声は静かで冷たく、そして、何より厳しかった。
「あなたは、カレー味のうんこ、それとも、うんこ味のカレー、どちらなの?」
私は――答えられなかった。
苦しい沈黙がやってきた。
この質問に答える義務などないのだろう。
だから、ふざけないで、と一言言ってしまえば終わりであるはずだった。
だけど、私は答えなければならない気がした。
それこそ運命であるかのように。
けれども、私は答えられなかった。
苦しくて苦しくて、私は泣きそうだった。
だが――
「ぷっ…………」
パチュリーが噴き出していた。そして、おかしくてたまらないと言わんばかりに、くすくすとあどけない少女のように笑い始めた。
私はぽかんとしてしまった。張り詰めていた空気が和らぐ。私は困惑するしかなかった。どうしていきなり、パチュリーがそんなに楽しそうに笑っているのか、理解できなかった。私はむかっとした気分でパチュリーに尋ねた。
「どうしたのさ、パチュリー? 私は真剣に考えているのに、笑うだなんてパチュリーは失礼だよ」
「くくく……ごめんなさい。でも、ちょっとおかしくて……」
パチュリーは眦にたまった涙を払いながら言った。パチュリーは厳しそうな顔から一転して、優しく微笑んでいた。
「妹様、そんな簡単に騙されちゃ駄目よ」
その言葉に私はまた呆けてしまった。パチュリーは穏やかに笑いながら、話を始めた。
「妹様、私の言ったことだけどね、この話はものすごく狭い前提条件があるからこそ成り立つの。そもそも、人生なんて広大なレベルのことにまで拡張できるメタファーじゃないわ。妹様の言った通りなのよ。人生は100パーセントの幸福でできているわけじゃない。そして、100パーセントの不幸でできているわけでもない」
パチュリーは教え子に九九を教える先生のように、優しげに話した。
「人生を、幸福だとか不幸だとかすっぱり、分けることなんてできないわ。うんこだとか、カレーだとか、そんな一刀両断に考えられるはずないじゃない。でも、そんな些細なことより、妹様は一番気づかなければならないことがある。一番、前提として認めてはならないことがある」
「何かわかるかしら?」とパチュリーは楽しそうに私に尋ねる。私は少し考えてみたけど、わからなかったので、その通りに答えた。すると、パチュリーは少しだけ真剣な色を、その綺麗な紫色の瞳に混ぜて言った。
「それはね……」
パチュリーはとても楽しそうだった。
「『妹様がどちらかを食べている運命にある』というところよ」
パチュリーはどこか誇らしげだった。
「この『運命』にある、というところが一番の問題なの。さらにわかりやすく言えば、『妹様の前に皿が一つしかなくて、妹様はそれを食べきらなければならない』というところね。妹様はそれを否定しなければならなかったのよ」
パチュリーは私に優しく微笑みかけた。
「ねえ、妹様、本当に皿は一つしかないと思う?」
私はじっとパチュリーの顔を見ていることしかできなかった。
「もし、うんこを食べていると気づいたなら、それを投げ捨てて、新しい『料理』を――本当のカレーを食べちゃいけない、と思う?」
パチュリーの笑顔は星の光のように綺麗だった。
「そんなことはないわ。人生をやり直せないなんて――新しい幸福を手にすることができないなんて、誰が決めたの?」
そして、またパチュリーはおかしそうに笑う。
「レミィもそう言ってたわ」
お姉さまが――
私は胸が熱くなるのを感じた。
「レミィはこう言ってた。もし、今の妹様の人生が本当はつらいもので、それを誤魔化して生きてるなら――妹様がカレー味のうんこを食べているなら、自分はそれをひったくって、神に向かって投げ捨ててやるってね」
私はただ驚くことしかできなかった。
「『私は何をしてでも、フランにカレー味のカレーを食べさせてやる。何度失敗してもいい。いっしょにカレー味のカレーを食べることができるようになるまで、私は頑張り抜いてやる。もし、そのカレーがうんこのような味に感じるのなら、ちゃんとカレー味のカレーだとわかるようになるまで、私はフランとずっと一緒にいて教えてやる』」
私は喉の奥につかえていた苦しさが融けて消えていくのを感じた。パチュリーはため息をつきながら、言った。でも、そのため息は決して悪いものではなかった。
「まったく、レミィはとんだ姉馬鹿ね」
「まあ、そこがいいところなんでしょうけど――」とパチュリーは言う。私は今度は別の意味で泣きそうだった。私はうつむいて、涙が出そうになるのを必死でこらえていた。
「それにあの質問、私だったら、こう答えてたわ」
パチュリーの言葉に、私は涙を零さないように顔を上げた。パチュリーは朗らかに笑っていた。
「今食べてるところだから、わからないってね」
パチュリーは肩をすくめてみせた。
「わからないなら、わからないって素直に言えばいいのよ。だいたい、いくら自分の人生だからって、わからないことだらけだわ。幸せだと思ってるのならそれで良し。不幸だと思うなら、抜け出そうと努力すれば良い。簡単な話だわ」
「ま、その努力は決して簡単でもないし、難しくないわけでもないんだけどね」と、パチュリーは右手にスプーンをもった。そして、そのままずっと中断していた食事を再開する。
「……ねえ、パチュリー?」
私はパチュリーに尋ねる。パチュリーは口に料理を運びながら、「んー?」と返事をした。
「どうして、パチュリーはこの話をしてくれたの?」
パチュリーは淡々とスプーンを動かしながら答えた。
「まあ、気まぐれね。最初に、妹様の顔を見てたら思い出したって言ったじゃない」
「それとまあ……」とパチュリーは少し言いにくそうだったが、言った。
「やっぱり、レミィの努力を妹様に知ってほしかったというのもあるかしらね」
「……………………」
「レミィも妹様のために努力してるんだから、妹様もちゃんと努力しなさいって言いたかったのかしらね。自分でもよくわからないわ」
「……何だか自分でもお節介になってきたわね、隙間妖怪の影響かしら? 勘弁して欲しいものだわ……」と、ぶつぶつ言って、パチュリーは食事に集中し始めた。
私はやはりパチュリーは酔っ払っていたのだと思った。
酔っ払ったから、あんなことを言ったのだと。
この恥ずかしがりやで、実はとても優しい魔女は、酔っていたからこそ、お姉さまの努力を私に伝えてくれたのだと。
私もまたスプーンをとった。
そして、目の前の料理を見つめる。
「ねえ、パチュリー?」
「何かしら、妹様?」
「やっぱり、食事のときにこういう話するのは、やめない?」
「……やっぱりそうだったかしらね」
「特にカレーのときに」
「うん、まあ、そうね」
「でも、一応……」
「うん?」
「ありがとうね、パチュリー」
「……お礼を言われるほどのことじゃないわ」
私は目の前のカレーライスを一匙掬った。
そして、ゆっくりと口の中に運ぶ。
咲夜のカレーは美味しかった。
カレー味のカレーは美味しかった。
『やっぱり、食事のときにこういう話するのは、やめない?』
よく考えたら、この言葉こそ、一番最初に言うべきだったのだ。
私は一人でくすくす笑った。
でも、まあ、いいだろう。
こんな遠回りもたまにはいいかもしれない。
そこで、食堂の扉が開いた。
「――あら、今日はカレーかしら?」
美味しそうね、と柔らかな声がかかる。ちょうど今、神社から帰ってきたようだ。
「――お帰りなさい、お姉さま」
私は、私といっしょにカレー味のカレーを食べてくれる人に、最大限の笑顔を向けた。
,
おもわず100点にしちゃうジャマイカ
スクリーンが滲んじまったじゃねぇかよ
パチュリー分を補給出来ました。これで1週間は頑張れます。
フランにはこれからも「カレー味のカレー」を食べてほしいですね。
フランよ…………足りなかったら、いくらでもレミリアにおかわりをもらうんだ!!
そして、みんなと一緒にたべろよ!みんなで食べた方がきっとおいしいから!
カレーとウンコの話を読んでたと思ったら、すげえいい話になってた
ただイイ台詞中に「カレー味のウンコ」とか出てくると吹くw
途中からいい話になってるし、イロイロな意味で意表を突かれました。
うんこでいい話って何だよ!?
面白かったです
常人には想像もつかない発想と展開、まさに天才ですね(もちろん紙一重的な意味も含めてw)
あなたの書くレミィの姉バカには毎回癒されています。
「妹様とパチュリー様がカレーとうんこの話をしていたと思ったら、いつの間にか幸福と不幸とか姉妹の絆とかの話になっていた」
な、なにをいっ(ry
妹さまの○○○なら喜んで食べたい
なにをいってr(略
果たしてこれを「不幸」「孤独」の象徴と断じて良いのだろうか? むしろ逆だ。
ところで、カレーを食べた後のうんこは「カレー味のうんこ」だ。
しかし……うんこという言葉は、当然排泄物という意味を持つ。
則ち、肛門から排泄されるまで、その物体はうんこではない。
この時……消化中の物体は「うんこ味のカレー」か、はたまた「カレー味のうんこ」なのか?
よもやカレーであると答える人はいないだろう。かといって、それはうんこでもないはずなのだ。
幸福と不幸を二元論で語る試みは、この時点で破綻している。
幸福や不幸は連続しない。人は、喉元を過ぎれば熱さを忘れるのだ。
……パッチェさんの言う通りだよ。
話の本筋からは外れるけど、
カレーを食べ、消化し、排泄する。そしてまたカレーを食べる……
これを幸福論にフィードバックしてみた。
幸せを享受し、……、不幸となる。そしてまた幸せを享受する……
そう、人生には「幸福でも不幸でもない状態」が存在する。おまけにこの期間は大変長い。
だから、そう焦ってカレーをがっつかなくてもゆっくりすればいいんじゃない?胃腸にも優しいし。
……とはいえ、このサイクルはカレーを食べねば始まらない。何がしかの幸福を経験しないといけないのだ。
幸せの供給がないことは、つまり心の飢餓を意味する。
そう考えると、フランは心のひもじい時を過ごしていたんだなあ……
駄文だなんてとんでもない、全俺が感動した深い作品でした。
こういう真面目に馬鹿やってるのは大好きです。
とは言え、なかなか考えさせられる話でしたね。
幸か不幸かそれは難しい問題ですが、しかしフランならどんな不幸な運命が行く先に待ち構えていたとしてもきっと大丈夫でしょう。
だって、こんなにも素敵な姉や友人達に囲まれているのですから。
とか思ってしまうほど良い話しでした。
いい話の筈なのになぜかそれと感じさせない不思議。
今ならパッチェさんの〇〇〇を食べれる気がしますww
ただウンコ食ってるときにカレーの話はやめていただきたい
まあ相変わらずどこかとぼけていて、でも確実に優しい彼女らの姿が見れてなんだか幸せです。
なのにUNKが感動の邪魔をするwwwwwちくしょうwwwww
10作目では狂気に振れたパチュリーでお願いしますw
なんで良い話になってるんだ?
うんこカレーうんこカレー。ぶっちゃけ、読みたくないのにやめられないという摩訶不思議な魔力に汚染されて読みきってしまった。
感想? 分からないよ……僕には分からないよパトラッシュ……。
何というか、あらゆる意味で点数は入れられない。うん、入れたら負けだと思うんだ。
でも、何というか、これからも頑張って下さい。
うんこに100点はつけたくない・・・
いい話……?
「バカな話だなーwとか思って適当に読み飛ばしたら、気がついたら幸福がどうたらこうたらって話になっていた」
な、なにを言っているのか(ry