初雪から十日、暖冬という言葉とは無縁の幻想郷は一面を雪に覆われ文字通り銀世界となっていた。
そんな世界を、フワフワという形容が相応しいスピードで一人の妖精が飛んでいた。明るい緑のジャンパースカートに、同じ色の頭髪。髪型は右側に留めるサイドポニーというスタイルで、それが彼女のトレードマークにもなっている。
彼女の名は大妖精、親しい友達からは大ちゃんと呼ばれている。由来はよくわからない、いつの間にか霧の湖に集まる妖精のまとめ役になっていて、気がつけば大妖精という名前が固有名詞として定着していた。この仰々しい名前を彼女はそれほど好いてはいなかったが、誰も彼もがそう呼ぶので今更変更する気にもなれない。
「予想はしてたけど、やっぱり誰もいないなあ」
見回しても湖の周囲には誰一人いない。暖かい季節には多くの妖精が集まって遊びまわる湖も、この季節は寂しいものだ。自然の具現である妖精は氷精や冬の精を除くとあまり寒さに強くない。大半の妖精が自分のねぐらに閉じこもってじっと冬を越しているのが一般的だ。
「なら」
大妖精は遠目に見える赤い洋館、『紅魔館』に進路を向けた。
館に潜り込むのは難しいが、大きな正面の前に毎日休み無しで立っている門番なら世話話に付き合ってくれるだろうと期待して。
*
「あっ、大ちゃん、こんちは~」
紅魔館の前を通りかかった大妖精が見たのは意外といえば意外な光景だった。
館の前に立っていたのは、どんな寒空の下でもマフラーだけで呑気に船を漕いでいる紅い髪の妖怪ではなく顔見知りの妖精だった。夏場は霧の湖で遊びまわっている妖精の一人で、確か秋の終わりに『紅魔館なら屋根付きの部屋で寝られるからちょっとメイドになってくる』と軽いノリで話していたのを覚えている。
上着にしている明らかにサイズの大きなダッフルコートの下にもかなり着込んでいるらしく、着膨れしてみの虫のような姿になっている。
「門番、大変そうだね?」
「頑張るよ、二時間我慢すれば美鈴さんお菓子くれるって言ったし!」
彼女は秋に話したときと同じような軽い口調で答えた。どうやらお菓子に釣られて門番を引き受けたらしい、あまりの安上がりっぷりに大妖精は思わず苦笑する。
「ところでその美鈴さんはどうしたの?」
大妖精が知る限り美鈴は居眠りの常習犯であると同時に、どんな土砂降りの日でも外に出て門番をしている生真面目さも合わせ持っている。寒いからといって簡単に仕事を投げ出すとは思えなかった。
「ああ、美鈴さんは中で仕事だよ。よくわかんないけどメイド長がいなくなったんでイロイロ大変みたい?」
「居なくなった!!?」
メイド妖精の衝撃的な一言に大妖精は素っ頓狂な声を上げた。
「あちゃー、なんでそんな誤解を招く言い方するかなあの娘は……」
血相を変えて尋ねてきた大妖精の顔を見て美鈴は呆れたように呟いた。
「心配しなくてもいいですよ、咲夜さんはちゃんとこの紅魔館に居ますから。ちゃんと説明したんだけどなあ、病気だから仕事には出てこないって」
「病気って、咲夜さん大丈夫なんですか?」
「軽……くはないか、インフルエンザだし。でも、一週間も寝てれば治るらしいので大丈夫です。幻想郷一のお医者さんの御墨付だし」
「……よかった」
美鈴の治るという言葉を聞いて大妖精はほっと胸をなで下ろした。
そしてようやく美鈴の格好がいつもと違うのに気づく。彼女は門番をしているときに着ている暗緑色のチャイナドレスではなく、咲夜や他の妖精メイドが着ているのと同じメイド服を身に着けていた。
「じゃあ、美鈴さんその格好って?」
「ええ、不肖ながらメイド長代理です。……もう大変ですよ、咲夜さんだけでなくパチュリー様までインフルエンザに罹っちゃって、館の管理だけじゃなくて二人の看病も私の仕事なんですから」
美鈴はガックリとうなだれた様子でそうつぶやく。
「あの……すいません。そんな大変な時に押しかけちゃって」
多忙の美鈴を呼びつけてしまったことを申し訳なく感じて、大妖精はペコペコと頭を下げた。
「いや、気にしないでください。お客様を誤解させたまま追い返すわけにもいきませんから。――しかし、珍しいですね大妖精さんが一人で尋ねてくるなんて、チルノさんはどうしたんですか?」
「チルノちゃんは今、レティさんの所に居ると思います」
「レティって、レティ=ホワイトロックですか? 私は名前だけしか知りませんが」
「はい、そのレティさんだと思います。冬しか表に出て来られない冬の妖怪で、冬と氷で相性がいいらしくてとっても仲がいいんです」
つぶやく大妖精の表情に少しだけ影が差したのを美鈴は敏感に感じ取った。
「うーん、変なこと聞くようですが大妖精さんは、そのレティさんと会えない事情でもあるんですか?」
美鈴が気になったのはそこだった。たとえチルノが他の仲のいい妖怪に会っているとしても、大妖精が親友と離れて一人になる理由にはならない。
「いいえ、そういうんじゃないです。レティさんの事はわたしも好きだし、挨拶に行こうと思ってるんですけど……その……せめて次の新月までは二人っきりにしてあげようと思って」
チルノがレティのことを姉か母親みたいに思っていることは大妖精にもなんとなく判る。だから、二人っきりにしてあげたい。大妖精がいたら、きっとあの寂しがり屋の妖精は強がって思いっきり甘えたりできないと思うから。
そのことを美鈴にいうのははばかられたので大妖精はとりあえず笑って誤魔化すことにした。
不意にポンと大妖精の頭に手が載せられる。
「エライ、エライ……お姉さんは大変ですねえ」
頭を撫でられているのに気づいたのは、そう言葉をかけられてからだ。
呆気に取られる大妖精の不意をつくように美鈴はいう。
「そうだ! 大妖精さん、次の新月まで紅魔館でメイドやって行きませんか? 紅魔館のメイドはなるも辞めるも自由ですから」
結局、大妖精は美鈴にいわれるままに紅魔館のメイドとして働くことを了承した。忙しそうな美鈴を助けたいという気持ちがあったのは確かだが、なによりヒマなのだ。一番の問題児であるチルノはレティの元に向かい、他の妖精は大半が寝床なり紅魔館なりで大人しくしている。かといって、他の妖精と同じように寝床で大人しくしている気にもなれなかった。
二人は大妖精が新月の夜まで大妖精が働くことを報告するためレミリアの私室に向かっていた。
これからレミリアと顔合わせとあって、大妖精はガチガチに緊張していた。なにしろこれから会う相手は音に聞こえた『紅い悪魔』、緊張するなというのが無理な話だ。
「そう硬くならなくてもいいですよ、お嬢様は細かいこと気にしない方ですから」
緊張のあまり手と足を同時に出して歩いている大妖精に向かって美鈴は冗談めかした口調で話しかけた。
「さっ、着きました心の準備はいいですか」
大妖精は美鈴の問いにコクコクと無言でうなずいて答える。
レミリアの私室の扉を開く――そこで二人が見たのは意外な人影だった。
「何やってるんですか、咲夜さん!!」
入室すると同時に美鈴は怒鳴り声を上げる。
レミリアの側に普段と同じように銀髪のメイド長が控えていた。ただし、目は遠目でもわかるほど充血している上に、顔の半分を鼻まで隠れるタイプのマスクで覆っている。オマケに化粧ノリもよくないらしくファンデーションで目下のクマを隠しきれていない。立ち位置が普段を同じだけに余計に痛々しく感じられた。
「熱も少し下がったからお仕事に復帰しようと思って……お嬢様にあまり不自由をかけるのも良くないと思うし」
「四十度超えていた熱が三十八度台になっただけでしょうかが……と、いうかお嬢様、いったいどういうつもりなんですか?」
「咲夜……私ももうしばらく地下で寝ていた方がいいと思うのだけど。インフルエンザってうつる病気なわけだし」
「よろしいんですか、小悪魔から『三日連続して中華で、もう飽きた』とお嬢様がいっていたと聞いたんですが?」
咲夜のセリフを聞いた美鈴がレミリアをジト目でにらむ。
「咲夜、美鈴の中華には飽きたから早く身体を治しして復帰なさい。ここで無理して倒れられたら、また中華続きになるじゃない」
これでいいんでしょと言わんばかりにレミリアは、美鈴に向かって目配せする。
「わかりました。では、せめて今日のお夕飯だけでも……」
「咲夜さん」
なおも食い下がろうとする咲夜に美鈴は音もなく近づくとヒョイっと両腕でかかえるように抱き上げた。いわゆるお姫様だっこという奴だ。
「やっぱり無理ですよ咲夜さん。こんな状況になっても抵抗一つできないじゃないですか。それに……」
美鈴は躊躇なく自分の額を咲夜のものと合わせる。
「やっぱり三八度以上あるじゃないですか、今直ぐ部屋に戻ってもらいます。いいですね!」
有無をいわさぬ口調の美鈴に対して咲夜は小さくうなずいたあと。
「わかりました。美鈴……さま……」
と、つぶやいた。
途端に美鈴がバツの悪そうな表情を見せる。
「そいじゃ、咲夜さんを部屋に連行するので、お嬢様ちょっと待っていてください」
早口でまくし立てて美鈴は扉の向こうに消えていった。
「……ああいうの見ると昔思い出すわね。それはそうと、お前何者? 見覚えのない顔だけど」
一連の出来事に緊張を通り越して固まっていた大妖精はレミリアの言葉で我に返った。
「あの、今日から次の新月までお世話になります大妖精っていいます。よろしくお願いします」
「へえ、妖精の割にはちゃんと挨拶できるのね……って、お前もしかしてバカ妖精の相棒?」
「えっ、チルノちゃん知ってるんですか?」
「あれ、秋のはじめくらいだったかな。夜に湖の上を飛んでたらバカ妖精が喧嘩ふっかけてきたのよ、まあ軽く返り討ちにしてやったけど」
「ええ!」
大妖精は今日何度目になるか判らない驚きの声をあげる。チルノが大妖怪である風見幽香に度々喧嘩をふっかけているのは知っていたが、まさか紅い悪魔にまで喧嘩を仕掛けてるなんて思ってもいなかったことだ。
「ごめんなさい、ごめんなさい。チルノちゃんにはちゃんと言っておきますので」
大妖精は反射的にペコペコとレミリアに頭を下げる。
「ん……何でお前が謝るんだ?」
チルノの失態を自分のことのように誤る大妖精の態度に、レミリアはキョトンとした表情を浮かべる。
「いえ、チルノちゃんがご迷惑をかけたようなので……」
「バカ妖精の相棒だからってお前には関係ないと思うんだがなあ……とりあえず安心なさい、私はあのバカ妖精のこと嫌いじゃないし」
そこで言葉を切ってレミリアは大妖精に笑いかけた。
「あいつ、私がレミリア=スカーレットだと判って仕掛けてきたのよ、知らなかったとか、気づかなかったとかじゃなくてね。面白いと思わない?」
知らなかった、気づかなかった、そんな理由で戦いを仕掛ける手合いはレミリアの容姿だけ見て『勝てる』と思った手合いだ。しかし、チルノはレミリアに『勝てる』ではなく『勝つ』ために喧嘩を吹っかけてきた。愚かと断じてしまうのは容易いが、その心意気をレミリアは少しだけ面白いと思う。
もっとも、目の前にいる大妖精はそのことを汲み取れてはいないようだ。
「まあいいわ、見ての通り咲夜がいなくて現在紅魔館は猫の手も借りたい程忙しいの、せいぜい頑張ってちょうだい」
レミリアの表情が部屋に入ってきたときと同じ気だるげなものに戻る。
こうして大妖精は紅魔館の一員となった。
程なく戻ってきた美鈴と共にレミリアの元を辞した大妖精は、紅魔館メイドのユニフォームに着替え、今は美鈴と共に館内を回っている。
「やっぱり少し恥ずかしいですね」
スカートの裾を摘みながら大妖精はつぶやく。メイド服のスカートは太股がチラリと見える丈のミニスカタイプとなっている。幻想郷の一般的なスカートはフクラハギまで隠れる長さの物が一般的な為、やはり違和感は拭えない。
「美鈴さんみたいな、普通のスカートの服は他になかったんですか?」
「ああ、これですか」
大妖精は知る由もなかったが美鈴の着ていたメイド服は伝統的なヴィクトリアスタイルで、スカート丈も幻想郷の一般的なものに習う長さになっている。
「これは昔使っていた奴を引っ張り出したんですよ。紅魔館のメイド服はお嬢様の趣味でミニスカタイプになっちゃったんですが、やっぱ足出すの恥ずかしいじゃないですか……お嬢様にも、お前は足が太いからこれにしとけって言われたし」
美鈴はその時の状況を思い出して苦笑いを浮かべる。
『普段着ている服もけっこう際どいと思うんだけどなあ?』
美鈴の普段着になっている深くスリットの入ったチャイナドレスを思い出し、大妖精はそんなことを思ったが、あえて指摘しないことにした。彼女の半分は優しさでできているのだ。
「……さて、気を取り直して仕事の話をしましょうか?」
「はい!」
大妖精は仕事の話と聞いて緊張した面持ちになる。彼女の妖精としては稀有な真面目さを感じて、美鈴は満足げにうなずいた。
「基本的にやることは他の妖精メイドと同じで館内の管理、主に掃除ですね。常駐の子は担当を決めているんですが、大妖精さんはアルバイトだからなあ……とりあえず私の補助ってことで、今日はとにかく私についてきてください」
「いいんですか? そんな曖昧で」
「ええ、私は大妖精さんにすごく期待していますよ。これからやる館内の見回りをやるんで、その理由はイヤでも判ると思います」
そうして二人は再び紅魔館の館内を歩き始める。
紅魔館の館内は咲夜の能力によって広げられているため、外から見た目よりも遥かに広い。
「やっぱ単純に広いってだけで掃除って大変なんですよ、加えて古くて高価な調度品が多いから毎日キチンと清掃しないと屋敷はすぐにダメになってしまいます。だから妖精メイドを募って仕事をお願いしているんですが……」
美鈴は大妖精を伴って個室の一つに入る。そこは客室の一つらしかった、ベッド二つに、観葉植物をはじめとする調度品が複数設置されている。
中では三人の妖精メイドがホウキや雑巾を持って掃除に勤しんでいた。
「あっ、美鈴さん見回りおつかれさまです」
三人の妖精メイドは美鈴の姿をみると掃除の手を止めて、なぜか敬礼する。
「はい、おつかれさまです。あと、皆さんに紹介しときますね、これからしばらく貴方達と一緒にお仕事をすることになった大妖精さんです」
「あっ、大ちゃんだ!」
美鈴が大妖精のことを紹介するやいなや、三人の妖精メイドの歓声があがる。
「大妖精さん、知り合いなんですか?」
「はい、そうです」
目の前にいる妖精メイド達は元霧の湖の妖精だ。紅魔館が湖の湖畔に居を構えた前後に『あの素敵な洋館に住みたい』といってねぐらを変えた妖精達で、こういうタイプが他にも数十名いたのを覚えている。
「大ちゃんもここに引っ越すの」
「あとで一緒に遊ぼうよ、皆にも知らせてくるから」
パンパン!!
手を叩く大きな音が部屋に響き、大妖精の姿を見てはしゃいでいた妖精メイド達は一斉に美鈴に注意を向けた。
「はい、旧交を温めるのはいいですが、これから掃除の出来映えをチェックするのでちゃんと私の話を聞いてくださいね」
そういって美鈴は、部屋の状態をチェックしテキパキと指示を出していく。内容は主に掃除のミスと指摘だ。妖精メイド達の仕事は一言でいうと雑だった。目に見えない場所が放置されていたり、調度品を磨くのに決められたブラシを使ってなかったりと、とにかくケアレスミスが多い。
妖精メイド達も決して不真面目ではないらしく、ミスを指摘される度に恐縮した表情を見せる。
「それじゃ、以上のことを踏まえてお仕事頑張ってください。大妖精さん、次行きますよ」
美鈴は大妖精の手を引いて部屋を後にする。
二時間近くかけて館内の見回りは終了した。
広い紅魔館を早歩きで歩き回ったので、終わったころには大妖精はグッタリした表情になっていた。
「おつかれさまです。うちは、外はともかく中は広いですからね、見回りだけでも重労働なんですよ」
「そういう美鈴さんは、元気そうですね……」
美鈴は息一つ乱れていない。同じように見回りをしていても、彼女は妖精メイドの仕事ぶりをチェックし、その都度指示を与え、場合によっては手助けをしていた。その仕事量は、ただ見学していた大妖精とは比較にもならない。
「なに、鍛え方が違いますから」
美鈴はそう言って腕を振り上げる。長袖のメイド服を着ているので力コブは見えなかったらが、かなり鍛えられているのは見なくても想像がついた。
「で、どうでした感想は?」
「その……すいません。私の仲間が迷惑かけてるみたいで」
紅魔館で働く妖精メイドの約半分が大妖精の知り合い。現、または元霧の湖に集まる妖精達だった。
そして、メイド達の仕事ぶりは最初に見た部屋と同様、雑の一言。管理する美鈴や咲夜の苦労は容易に想像がついた。
「やっぱり、あなたはお姉ちゃんですねえ……まあ、気にしないでください。お礼をいうのはこっちの方なんですから、大妖精さんのお友達のおかげで助かっていますって。こっちも注意力不足はわかって雇っていますからね、メイド長が見回りすれば特に問題はないです」
「でも、咲夜さんも大変ですね、毎日こんな見回りしてるなんて」
「大変だと思いますよ。咲夜さんは見回りなんてしていませんから」
「えっ?」
「咲夜さんは妖精メイドが雑に掃除したところを全部自分でやり直していますよ。だから、毎日紅魔館はピカピカです」
「すごいですね、わたしには絶対に無理」
「私にも無理ですよ……咲夜さんの『時間を操る程度の能力』があればこその芸当です。もっとも、私はいいことだとは思いませんね、メイド長はもっとドカッと構えて部下を使うべきなんです。いつになったら判ってくれることやら」
そこまで言って美鈴は大きなため息をついた。
「あの……美鈴さん。わたし頑張りますね、咲夜さんが復帰しても迷惑かけないようにします」
昼間と同じように大妖精は不意に頭を撫でられた。
「やっぱり大妖精さんはいい娘だなあ、あなたみたいなメイドが一人でもいれば咲夜さんの負担も相当減るんだけどなあ……どうです家の常駐になりませんか?」
「あの……それはちょっと……」
申し訳なさそうに大妖精は首を振る。
紅魔館の専属になればチルノを始めとする湖の妖精たちと一緒には居られなくなる。湖の大妖精をやっている限りそれはできない相談だ。
「割と本気なんだけどなあ……まあいいや早速手伝ってくれませんか。これから夕飯を作るんですが、大人数だから大変なんですよ」
「あの……わたし料理したことないんだけど、いいんですか?」
大妖精は申し訳なさそうにつぶやく。妖精は自然のゆがみから発生した存在なので、生きるための食事は基本的に必要としない。そのため彼女が今まで食べてきたものは野生の果実と、冬にレティが作ってくれた料理だけで彼女自身が料理をする機会はなかった。
「問題ありません、料理は私が教えます。これでも人に教えるのは自信あるんですよ」
見回りのときと同じように大妖精の手を引いて厨房に向かう。
大妖精は美鈴の指導の元生まれて初めて料理をすることになった。彼女が切った野菜はかなり不揃いだったが、できた料理の味は一生忘れられないくらい美味しかった。
*
――大妖精が紅魔館に来て四日が過ぎた。
幻想卿の冬は厳しい、窓から見える世界も降り積もった雪以外は、所々が凍りついた霧の湖が見えるだけだ。
すっかり昼前に起きることが習慣化してしまった吸血鬼レミリア=スカーレットは外の景色を見ながら寝起きの紅茶を楽しんでいる。
「お嬢様、痛くないんですか? 雪の照り返しけっこう厳しいと思うんですけど」
「心配いらないわ、この程度の照り返しなら目覚ましになっていい」
レミリアの傍にはメイド長代理をしている美鈴と、大妖精が控えている。
普段門番をしている彼女が自然体でレミリアの側に立っていることに、大妖精は不自然さを感じた。
「で、咲夜の容体はどうなの? 昨日見舞いに行ったときは『暇で仕方ない』ってぼやいてたけど」
「咲夜さんは順調に回復していますよ、明日、永琳さんが回診に来るのでそこでOKが出たら復帰ですね」
「うさぎじゃなくて、宇宙人が来るんだ。あの医者、暇なの? 人里は病人だらけのはずなのに」
「パチュリー様の容体が悪いから助かりますよ、中々熱が下がらないんですよね……人間じゃないんで死ぬ心配はないんですが」
順調に回復している咲夜とは対照的にパチュリーは治りが悪い、持病のせいか、基礎体力がないせいか判らないが、小悪魔の話では今でもベッドから起き上がれない状態らしい。
「熱が四〇度越えているのに本読む根性はさすがだと思いますけど」
「あの、紫もやしが……今度、少し強引でもパチェを外出させましょう。人間より妖怪の方が病気に弱いなんてあり得ないし」
不意に頭が痛くなったレミリアは気を紛らわせるべく紅茶に口をつける。
「あれ……美鈴、この紅茶誰が淹れたの?」
「さすがお嬢様、御分かりになりましたか」
「お前とも大概長い付き合いだしね。紅茶の味くらいはわかるわ」
レミリアはわかっているんだぞ、といわんばかりに美鈴の隣に立っている大妖精に視線を向ける。
「ご想像通りですよ、今日の紅茶は大妖精さんに淹れてもらいました。昨日特訓したんでその成果をお嬢様にも見てもらおうと思いまして」
「あの……お気に召さないようでしたらすぐに取り換えますので……」
レミリアに視線を向けられて肩を震わせていた大妖精は絞り出すような声でそうつぶやいた。
「問題ないわ……というか、美鈴。この子の方がお前よりお茶淹れるの上手いわよ」
「えっ、マジですか!」
本気で動揺する美鈴に向ってレミリアは悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「さあ、どうかしらね……しかし、ずいぶん入れ込むじゃない、そんなに気に入ったの?」
「大妖精さんは仕事覚えるのが早いんで教えるの楽しいんですよ、咲夜さんもきっと気に入ると思います」
「そんな、わたしはただ教えられたことを一生懸命やってるだけで」
「なるほどね」
一生懸命仕事をする妖精メイドが貴重なのだが、それを自覚しないのが彼女のすごい所なのかもしれない。
「ん……お嬢様、不味いことが起こりました」
突然、美鈴は湖の方向をにらんで険しい表情を浮かべる。
「なにかあったの?」
「魔理沙が来ます」
美鈴の言葉から数秒の間をあけて、今度は外にいた妖精メイドが直接レミリアの部屋に飛び込んでくる。
「お嬢様、美鈴さん。大変です、魔理沙が襲撃してきました。現在、庭にいたメイドが応戦していますが長く持ちそうにありません」
その報告を聞いてレミリアと美鈴は同時にため息をついた。
「例によって魔理沙の目的は図書館かしら」
「マズイですよ、普段ならともかく今日はパチュリー様がインフルエンザで寝ているんですから」
美鈴は頭を抱えたい気分になった。
現在図書館は、絶賛闘病中のパチュリーがインフルエンザウイルスをまき散らしている。魔理沙の襲撃にパチュリーが応戦して更に病状が悪化したら悲惨だし、魔理沙にうつって感染拡大なんてことになったら目も当てられない。
「別にいいんじゃない? インフルエンザ、うつったのなら自業自得でしょ」
レミリアは興味が失せたといわんばかりに外の光景から視線を逸らした。
「しかし、お嬢様!」
「じゃあどうするの? 咲夜を動かすのは当然却下、私は寝起きで魔理沙と戦う気はないわよ。そして、美鈴、貴方じゃ弾幕ごっこで魔理沙を倒すのは無理でしょ」
「無理ってほどじゃないと思いますけどね」
だが、対魔理沙の勝率は二割程度。今戦って確実に勝てるかと問われたら否だ。
「仕方ない……あまり手荒な真似はしたくないけど……」
美鈴は拳を握る。弾幕ごっこではなく得意の拳法を使って戦えば勝率はグンと上がる。しかし、それは不意打ちに近い行為だし、怪我をさせる可能性も高くなる。
泥棒とはいえ見知った友人を怪我させるのは出来れば避けたかった。
「あの……魔理沙さんを図書館に行けないようにすればいいんですか?」
「……あと出来れば無傷で取り押さえられればベストかな」
大妖精は人差し指を顎に当てて数秒思案する。
「できると思います。美鈴さんとレミリアさんの協力があればですが」
「面白そうね、話を聞かせなさい」
「家の中を霧で満たすとはな、レミリアの奴なに考えてるんだ?」
紅魔館に突入した魔理沙を出迎えたのは防衛線を張る妖精メイドではなく、紅霧異変の際に幻想卿を覆った紅い霧だった。
太陽光線を遮る紅い霧は著しく視程遮る。紅魔館の館内は廊下の端すら見渡せない状態になっていた。
「だが、こんなものじゃ私を止めることはできないZE!」
魔理沙は幾分スピードを落としながらも飛んだまま廊下を直進する。『勝手知ったる他人の家』とはよく言ったもので、図書館までの道のりは眼をつぶったままでもたどり着けるほど完璧に把握している。
しかし、いつもと同じ調子で飛んでいられたのは最初の数分だけだった。
行けども、行けども廊下が続くばかり。図書館へと続く地下への階段は一向に見えてこない。
「マズイな相手の術中に飛び込んじまったか」
考えるまでもなく原因はこの霧だ。
ただ、不思議なこともある。レミリアが霧を使って人を迷わす術を使えるなら、解決を妨害するために迷わずこの術を使っていたはずだ。人を傷つけずに迷わす術だから、進行を妨害する術として申し分ない。しかし、紅霧異変のとき霊夢と魔理沙は霧の中で特に道に迷うことはなかった。
「違う……道に迷ったよな私たち……」
魔理沙が思い出したのは霧の湖での出来事。紅霧異変の時、魔理沙は妖精の悪戯のせいで霧の湖に閉じ込められ同じところをグルグルと回る羽目になった。
「もしかして……これはお前の仕業か?」
霧の中から大妖精が姿を現した。なぜか紅魔館のメイド服を身につけているが特徴的なサイドポニーを忘れるハズがない。彼女は魔理沙に向って魔力で精製したクナイ弾を放つ。
「甘いな、こんな弾に当たるわけないぜ」
クナイ弾をかわしながら反撃すると、ふっと大妖精の姿がかき消える。
「なるほど、それがお前の特技だったな」
迷わず魔理沙は後ろに振り返る。予想通り、大妖精の姿は魔理沙の背後にあった。短距離限定の瞬間移動、紅霧異変の時に見た彼女の得意技だ。
大妖精は振り返った魔理沙の姿を確認すると迷わず背を向けて逃げ出した。
「私を誘ってるのか……上等だぜ」
魔理沙は適度に弾をばら撒きながら大妖精を追跡する。
大妖精は魔理沙の攻撃を瞬間移動でやり過ごしながら逃げ続けた。
「大妖精か、なかなかやるじゃない。まさか、私の霧を使って自分の結界を作ってしまうなんて」
レミリアは手にまとわりつく霧の感触を確かめる。
霧はスルリと彼女の手から逃れていってしまう。自分で作った霧なのに自分の思い通りにならないのは少し不快な感じがした。
「これが本領なんでしょう、だって彼女は『霧の湖の大妖精』なんですから」
大妖精を追っていた魔理沙がたどりついた場所。
それは紅魔館の館内で一番広い場所、玄関ホールだった。
「まいったな、ふりだしかよ……だがこのまま帰る気はないZE!」
床に降りた魔理沙はほうきを両手で持ち、背後に向けて思いきりフルスイングした。
ゴッと硬いゴムにぶつかったような鈍い音が響く。
「ちっ、咲夜かと思ったのに門番かよ」
「私が潜んでいると、よくわかりましたね?」
美鈴は魔力で強化されたほうきのフルスイングを片手でこともなげに受け止めていた。
「勘だぜ」
「だけど、あきらめなさい。今日のあなたはもう詰んでいます」
美鈴は普段仕事をしているときと同じ笑顔でそう告げた。
*
「それで、それで、どうなったの?」
チルノはいつも以上に目をキラキラさせて大妖精に詰め寄ってくる。
「もちろん美鈴さん勝ったよ、関節を取って魔理沙さん一瞬で取り押さえられちゃった」
大妖精の考えた作戦は彼女作った結界で魔理沙を図書館から遠ざけ、霧にまぎれて接近した美鈴が取り押さえる。幻想郷でも一、二を争う武術家である彼女に準備なしで接近されたら、魔法使いである魔理沙の勝ち目はほとんどない。事実、その通りになった。
ここは霧の湖のほとり、昨夜の吹雪は朝日と共におさまり。顔をのぞかせた太陽のおかげでちょっとした小春日和になっていた。
大妖精はそこで半月ぶりにあったチルノに紅魔館での出来事を話して聞かせている。
「だけど、めーりんって強かったんだね。いつもは魔理沙に、ぴちゅーんってやられてるのに」
「美鈴さん、弾幕は苦手だっていってたからそのせいだと思うな……多分だけど……」
思い出してみても、いろいろと謎が多い人だ。
本当はどのくらい強いのか? なぜ門番なんてやっているのか?
メイドの仕事は大妖精から見てもとても有能だったから、門番なんかやらずにメイドの仕事をした方が有益だと思うのだが……。
真相を知る本人は、きっと今日もマフラー一枚の軽装で事も無げに門の前に立っているだろう。
「たいしたものね、実質大ちゃんが魔理沙を倒したようなものじゃない」
「あっ、レティだ」
「れ、レティさん! どこから聞いてたんですか?」
雪景色の中から浮かび上がるようにレティ=ホワイトロックが姿を現わした。ほぼ一年ぶりに顔を合わす彼女は記憶のなかにあるのと同じ柔和な笑みを浮かべていた。
「魔理沙が紅魔館に来たって所からよ、大ちゃんの活躍は一部始終聞かせてもらったわ」
「そんなことないですよ、美鈴さんやレミリアさんの協力がなければなにも出来なかったわけですし」
「でも、二人を動かしたのは大ちゃん。なら、やっぱり主役は大ちゃんよ、チルノだってそう思うでしょ?」
「うん、大ちゃんは頭良いもんね、大ちゃんはスゴイ」
「うう……」
大妖精は顔を真っ赤にしてその場でうつむいた。二人に無条件の賞賛を浴びるのは確かに嬉しいが、同時にとても照れくさいものを感じる。
「しかし、それだけの活躍をしてよく生きて紅魔館から出られたわね? 下手すると監禁されていたわよ」
「そんな、最初から期間限定の約束だし、そんなことあるわけないじゃないですか」
大妖精は思わず高い声で反論する。
レティの表情から彼女が冗談を言っているのはわかっているが、実はその言葉あながち間違いというわけではない。最終日だった昨日、大妖精は咲夜からかなり強烈な遺留の説得を受けていたのだから……。
「あらあら、あながち間違いというわけでもなさそうね」
「どういうこと? レティ」
「もしかしたら大ちゃんが紅魔館にさらわれちゃうかもしれないってことよ」
「大丈夫だよ大ちゃん、だれが来てもあたいが大ちゃんを守るから。だってあたいさいきょーだもん」
大妖精よりさらに背の低いチルノが立ち上がって小さな胸を張る。
「ありがとう、チルノちゃん」
力の強弱は関係ない、一本気な彼女はきっとその言葉を実行するだろう。大妖精は風が吹けば飛んでしまいそうなチルノの立ち姿が、とても頼もしく感じられた。
「ところで二人ともこれから私の家に来ない? さっきお菓子を作ったから一緒に食べましょう」
「甘いもの、行く!」
食べ物があると聞いてチルノは脱兎のごとく飛び出していく。
「チルノちゃん、待って」
大妖精がチルノを追いかけようとしたその時、彼女は後ろからフワリとした感触に包まれた。
「なにはともあれ、お帰りなさい、お姉ちゃん」
そこでようやく、レティに後ろから抱き締められているのに気がついた。
冬の妖怪の抱擁は、予想に反してとても温かかった――。
ぼかぁ、ぼかぁもうーーーーーーーーーー!
(数多の中の1つの)理想の大妖精がこの物語には書かれている…!
それだけにタイトルの誤字が惜しい…なんか狙いがあるのかと思いましたが本文では普通ですし。
(ヨ ) ( E)
/ | _、_ _、_ | ヽ
\ \/( ,_ノ` )/( <_,` )ヽ/ / good job!!
\(uu / uu)/
| ∧ /
ただ、タイトルの誤字は流石に見過ごせない。
何か狙いがあるのか?と思って読み始めたクチだから、読み終えて結局只の誤字と分かった今は少し釣られた気分。なのでその分は減点で。
タイトルはその作品の顔とも言うべきものだから、次の投稿からは気を付けてほしい。
長文失礼。
「げえっ、大ちゃん!?」
「これは大ちゃんの罠じゃ、退けぇい」
>次の新月まで紅摩館でメイドやって行きませんか?
ここの誤字が惜しい。
お姉ちゃんな大ちゃん、ごちそうさまでした。
おねいちゃん大ちゃん、とってもよかったです。
あ、美鈴と咲夜の過去について詳しくお願いします。
なんかコメ欄に横島がいるような……w
みんな大好き大ちゃん、いいもの読ませてもらいましたよww
ただ内容がドンピシャだっただけにタイトルの誤字が残念でした…
みんながお互いを信頼して、家族みたいに想いあっている。
ドライな幻想郷も好きですが、こういう優しさに満ちた幻想郷も素晴らしいですね。
それにしてもヴィクトリアンメイド美鈴は美人だと思う。
メイド服姿の大ちゃん……良いなぁ…。
魔理沙撃退の功績や咲夜さんからの本気の誘いなども面白かったですよ。
誤字・脱字の報告です
>決められた毎日キチンと清掃しないと
ちょっと文章がおかしいかと。『毎日キチンと決められた清掃をしないと』など、
こういった文章などのほうが良いかと思います。
>大妖精の考えた作戦は彼女作った結界で
『彼女が作った』ですよ。
話も纏まっていて面白かったですよ。
これで初投稿ですかと言わざるおえない。
いやしかし、いいSSでした。
良いお話をありがとうございました。
視界を遮る、かな?
そして優しいお母さんなレティさんに狂喜乱舞だぜ
これで初投稿とは実に末恐ろしい。
良かったよ