森のざわめきも静かになり始める午後6時過ぎ、魔理沙は一人自宅で魔法薬の調合をしていた。
魔理沙は現在、同じく魔法の森に住むアリス・マーガトロイドに師事しようとしていた。
アリスは図書館の魔女に次ぐ膨大な知識と、誰にも負けない魔法の実践量を持っており、それは魔法を使い始めてそう長くはない魔理沙にとって圧倒的に足りていないものだった。
先週、そんな魔理沙はアリスに彼女が持つ知識を伝授して欲しいと頼み込んだのだった。
「……あなた本気で言ってるの?」
「本気も本気だ」
「魔法使いは己の真理のために生きる者。他人に表向きの成果を見せることはあれど、その中身を教えることなど無い。それはひよっことはいえあなたが一番わかっているでしょう?」
「それを承知の上で頼んでるんだ。魔法使いアリス・マーガトロイドでなくて、霧雨魔理沙の友人アリスに」
「……はぁ。まぁ何を言っても退かなそうだし、まぁいいわ」
「本当か! 恩にきるぜアリス!」
「ただし条件が一つ」
「げ」
アリスが提示した条件は、一週間以内に指定した魔法薬を自力で作ることだった。
使用する材料に関するヒントはアリスから貰っているため、材料の分量、そして混合する順序とタイミング。それらを探すことが魔理沙の課題だった。
魔法薬の混合にはセオリーがある。この薬草はこう使う、この薬はあれの後に混ぜる、この溶液は100℃以上で熱してはならない、等だ。
そういった知識の足りない魔理沙にとってこの課題はかなりの難問であり、魔理沙は魔法薬の完成を見ぬまま最後の一日を迎えてしまっていた。
明日の朝にはアリスが魔法薬のチェックをしに来る。そんな状況だと言うのに、魔理沙は比較的楽観的な気持ちでいた。
今回アリスが指定した魔法薬は、ある魔法薬AとBを混ぜ合わせて作る物であり、そのうち魔法薬Aの製作がついさきほど完成したところだ。
魔法薬Bはまだ丸々残っているものの、用意した材料の半数以上は魔法薬Aに使用する物だったため残りはほんの少し。
ど真ん中50ピースだけ残ったジグソーパズルのようなものだ、と魔理沙は思った。
「お、これは……いい感じじゃないか?」
残った材料を次々と混ぜていく。パズルのピースが噛み合っていく様を魔理沙は確かに感じていた。
最後に残されたのは3ピース。海ツバメの巣、卵の殻、それにアクア湖の水。
「んー……巣と殻はすり潰して、水は少しずつ足してってみるか」
ゴリゴリ、としばらくすり潰す音が続いた後、それら全てを混ぜ合わせた魔法薬はくすんだ緑色をしていた。アリスが見せてくれた見本はもっと綺麗な緑色だった。
どっかで間違ったか。魔理沙は考える。最後の3つまでは、おそらく分量もタイミングも合っているだろう。
もう一度そこまでやってみるか。さっきやった通りにすればすぐだしな、などと思ったところで魔理沙はようやく気が付いた。
「あ」
霧雨魔理沙にありがちなこと。
「調合メモ取るの忘れたーーッ! またかよ私! 覚えろ私!!」
『調子のいい時に限ってセーブを忘れる』
それから1時間ほど魔理沙は魔法薬の調合に勤しみ、なんとか再び残り材料3つのところまで漕ぎ着けていた。
しかしそこからが進まない。と言っても調合がわからないのではなく、気力の問題だ。
一度成功したことをもう一度やり直すのはかなりの苦痛だ。ましてや、それが前回はいとも簡単にできたはずのことならなおさらだ。
例えるなら、確かに枕元に置いたはずのメガネが見つからずに探し続けている時の気持ちだろうか。
間違いなくここだった。間違いなくこう置いた。確かにその光景が記憶に残っているのに見つからない。
心は抑えきれないイラつきに溢れ、視界はさらに狭くなる。ようやく洗面所で洗ったのを思い出して見つけた時には、自分のことなのに釈然としないやりきれなさが残る。
魔理沙はまさにそんな状況だった。そしてどっと押し寄せてきた気疲れに負けて伏せった瞬間、彼女のお腹が小さく鳴った。
「ん、八時か」
普段ならとっくに夕食を取っているはずの時間に、ようやく彼女は動きだす。
たまねぎ、にんじん、ジャガイモ。鶏肉、ピーマン、マッシュルーム。最後に香霖堂で珍しく買ったカレールーの元。スパイスを使うより格段に楽になる一品だ。
ピーマンを入れるのはおかしい、とアリスが以前言ったことがあったが、カレーは何を煮込んでも美味くなるからカレーなのだと魔理沙は思っていた。
鍋と一緒だ。食料であればたいていは何を入れても美味しく食べられる。そんな魔理沙の今日の仕上げは紅茶だ。
以前ミルクを入れたところ、わりと美味しくなったことがある。何事も挑戦がモットーの魔理沙にとって料理とは未知を開拓することだった。
段取りを全て終え、グツグツと鍋で煮込み始める。後はひたすら待つだけなのだが、彼女の胃袋はそんな悠長なことを許してくれる状況ではなかった。
カレーは夜食と朝食。今日の夕食は霊夢のところへ行こう。少しばかり遅いが何かしら残ってはいるだろう、と魔理沙は鍋の火を消し、入り口に立てかけておいた箒を掴んで夜の森へと飛び出した。
森を吹き抜ける風は少なく、木々は静寂を保っている。木々の代わりに支配するのは、いくらばかりのミミズクの声。
こんな静かな夜には魔理沙はいつもどうしようもなく叫びたくなるのだった。森に生きる全てのものに、私はここにいると。
その代わりに魔理沙はいつも歌を歌う。ミスティアほどではないものの、彼女自慢の歌声を披露する。
「わったっしっはっ魔ーっちゃーん! 歌っておーどるー! 15秒だけのツーンデーレー……ら……」
霧雨魔理沙にありがちなこと。
「……あ、いえ、あの、私聞いてませんから! 大丈夫ですよ続けても! それじゃ!」
『チャリンコ漕ぎながら歌っているといつの間にか知らない人が併走している』
「うわあああああ恥ずかしいいいいぃぃぃ……いつの間にいたんだよ、早苗……」
「おーーっす霊夢」
「ん。……なんか疲れた顔してるわね」
魔理沙がようやく博麗神社へと辿り着いたその時、霊夢は縁側でお茶を啜っていた。
霊夢が夕食の直後に茶を啜るのは毎日の習慣であり、それを知る魔理沙はまだ温かいご飯が残っていることを確信した。
「実験やらでちょっとな。座るぜ」
「あんたもよくやるわねぇ」
天才肌の霊夢には、魔理沙が普段しているような地道な実験や練習は酷く大変なことのように思えた。
努力型の魔理沙にしてみれば、確かに大変ではあるがそれは当然そうであるべきことで、止めようと思ったことは一度も無かった。
「ま、こればっかりは私の性分だからな」
「そう。適当に頑張んなさいな」
そう言って霊夢は両手で持った茶を一啜り。
霊夢はいつだって適当に頑張れ、としか言わない。一度走り出した魔理沙は何を言っても途中で止まったりしないことを知っているからだ。
魔理沙も、そんな自分に口出ししてこない霊夢のスタンスを好ましく思っていた。
「あぁ、適当にな。んでまぁ、それはそうと……」
「はいはい。ご飯ならあるわよ。たくさん作ったから好きなだけ食べていきなさいな」
「さっすが霊夢。ありがたくいただくぜ!」
縁側から屋内に入った魔理沙は小走りに厨房へと向かう。しかしその途中、魔理沙は何故だか嫌な予感を感じて立ち止まった。そう予感させたのは先ほどの霊夢の言葉。
「たくさん作った……?」
今日の霊夢は一人だった。誰か客が来ていたなら大量に作ることもあるのだろうが、一人の時にたくさん作り置く料理と言ったら。魔理沙は嫌な予感を抑えつけながら厨房ののれんをくぐる。
「いやいや、まさかな」
霧雨魔理沙にありがちなこと。
『夕食はカレー、翌日は給食もカレー』
「やっぱりカレーかよ、霊夢……」
「文句あるなら食べなさんな」
「いや、食うぜ」
「はいはい」
「んじゃ帰るぜ」
「はいはい」
「まったくつれない奴だ」
「はいはい」
「んじゃまたなっ!」
「ん」
夕食の後、縁側で一緒に茶を飲みながらの適当な会話。
いつも通りのそれも終わって霊夢と別れ、魔理沙が自宅に戻ったのは零時を軽く過ぎた頃だった。残り時間は八時間。
厨房で再び火にかけられた鍋の中身と、胃袋に収められた内容物のことを思うととめどなくガッカリ感が溢れてきたが、魔理沙は無理矢理それを抑えて動き出した。
さきほど使って切らした材料を引っ張り出してまた混合に戻る。材料はたった三種。作りかけの溶液を含めても四種。パターンは限られているし、これならいける。魔理沙は確信した。
だが肝心の材料がちっとも見つからない。出てくるのはこれまで集めた無駄な蒐集品ばかり。
カゲからせしめた忍者刀。
ハゲからせしめたアイスソード。
ヒゲからせしめた青龍偃月刀。
マゲからせしめた備前長船。
いらないものばかりが積もり積もってゆき、ようやく目的の品を見つけたときには隣の部屋から出した荷が、居間に新たな山を作っていた。
本当に隣の部屋に全て入っていたのかと疑うほど膨大な量の蒐集品を前にして、魔理沙は先ほどより一層大きな使命感が湧き上がってくるのを感じた。
「よし」
霧雨魔理沙にありがちなこと。
「掃除するかぁ!!」
『テスト前日は部屋の掃除をする使命が降りてくる』
「お、探してた本発見!ナイスだ私!」
『荷造りの最中に限って読みたかったマンガを見つける』
「上中下巻の中だけ無い……中途半端じゃアレだからこの巻見つけて読み切ったら終わるか」
『一旦読み始めたら最終巻まで止まらない』
「みっけたぜ! ってこれ上巻! 二冊目!? 香霖から貰ったりしたっけか……?」
『兄弟が同じ巻を同時に買ってくる』
「しまった読みきっちまった! 魔法薬!!」
『全てが終わった時には朝日が昇っている』
「せめてアリスが来るまでに!!」
『自信の無いテストに限ってすぐ採点されて返ってくる』
「いい朝ね」
「いい、朝だな。アリス……」
「ええ魔理沙。ホントに、ね」
「そして物の見事に間に合わなかった、と」
「いやホントすまん。この通りだ」
結局魔理沙は一時間ほどの猶予を貰って魔法薬AとBを作ることには成功したものの、その二つの混合比については間に合わせることができなかった。
「まぁ、別にいいわよ。あなたは自分から求めた課題に合格できなかった。ただそれだけのことだし」
「ま、待ってくれアリス! 私は、私は……お前に少しでも認めてもらいたくて……うぅっ……」
机に崩れ落ち、ボロボロと泣き始める魔理沙。
「な、ちょっと! 何泣いてるのよ! もう……あぁ、魔法薬AとBまではできたし……あぁ、もういいわ! 補欠合格、ってことにしておいてあげる」
「本当か! アリス、アリスッ……!」
感極まった魔理沙はアリスに抱きつく。
うつむいたその顔ではアリスからは表情が読めない。真っ赤になりながらもアリスは魔理沙を引き剥がした。
「いいからとっとと離れなさい! まったくもうあんたは……」
霧雨魔理沙にありがちなこと。
「……ありがとな!アリス!」
『女の涙の九割は嘘泣き』
魔理沙はアリスに見えないようニヤリと一笑いすると、こっそりとポケットに目薬をしまったのだった。
イヤホンして気持ちよく歌ってたら友達が2828してるんですねww
ああ、カレーはわかる、わかるよ~
おいしいんだもの
みつを
その時に歌っていたのがラヴリ~な歌詞のアニソンとかだと、もうね……。
何でカレーって必ずと言っていいほど
連続で続くんだろう?
うん…今も昔もこればっかりは不変ですね。
何の文句があると言うのだ!?