しんと静まり返っている。
じめじめとした空気が辺りをつつみ、木々から零れる雫が、地面に水溜まりを作り出す。
季節は梅雨だった。
*******
琥珀色の液体が、グラスの中でゆらゆらと揺れている。
くすんだグラスに並々と注がれたブランディは、提灯の明かりにキラキラと輝いていた。
「お客さん」
何とも言い難い歌が終わり、この焼き八目鰻の屋台の女将であるミスティア・ローレライは、机に突っ伏している猫耳の少女に、静かに声を掛けた。
「ねぇ、お客さんってば。ちょっと飲み過ぎよ?」
そう言って肩を揺するが、安らかな寝息を立てて微動だにしない少女。
むにゃむにゃと呟く彼女の様子に、ミスティアは我慢が出来なくなったのか、再び歌を歌い始めた。
「五月蝿いなぁ」
不機嫌そうな声と共に、猫耳の少女は顔を起こしてぺろりとグラスの淵に舌を這わせた。
「身体壊すって。もう止めておきなさいよ、橙」
ミスティアの忠告に耳を傾ける様子もなく、橙と呼ばれた少女はグラスを煽り、うぅと呻く。
カランと氷が鳴った。
「私にだって、酔いたいときはあるのよー」
「もう十分酔ってるじゃない」
いいからお代わりとグラスを突き出す橙に、ミスティアは呆れたように肩を竦め、グラスにブランディを注いだ。
*******
「なんで懐かないのかなぁ?」
ぐでっと二本の尻尾を垂らしながら、彼女はぼやいた。
「懐かないって……まだあの猫軍団を諦めてなかったわけ?」
「諦める訳無いじゃない、折角私の手から餌を貰うくらいにはなってるんだから。進歩はしてるのよ……」
「ふぅん、とてもそうは思えないけれど……」
よく見れば、橙の手や頬の至る所に無数の傷が見られる。
大層な傷ではないが、みみず腫れが痛々しい。
「それだけ引っ掻き傷貰っといてよく諦めないわねぇ」
呆れた、と、ミスティアは笑う。
それに対し、橙も笑いながら切り返す。
「猫のスキンシップだよ」
「嫌なスキンシップよね」
何故か誇らしげに胸を張る彼女に、わかんないわと肩を竦めるミスティア。
橙は更に胸を反らせた。
「この間なんて、二十匹近い雄猫にだきつかれて、死ぬような思いをしたんだよ?」
「へぇ、凄いじゃない……ところで、猫の発情期って、一月から六月くらいらしいのよねぇ」
「へぇ、じゃあちょうどこの時期なのね?」
あそこの猫達は全然発情しないみたいだけどなぁ。
そんなことを呟き、橙は大きく欠伸をする。
「案外その雄猫達、橙に発情してたんじゃないの?」
「は?」
「橙とえっちぃことしたくて押し倒したんじゃないかっつってんの」
「あっはは、馬鹿なこと言わないでよ、みすちー」
「はは、そうよねー。あんたみたいな発育不足に発情する奴なんていないわよね」
二人はあははと笑いあう。
若干橙の頬が引き攣っているような気もしたが、ミスティアが気付くことはなかった。
グラスに再びブランディを注ぎつつ、橙はミスティアへ手を差し出す。
どうやら八目鰻の催促のつもりらしい。
ミスティアが苦笑いをしながら焼きたての鰻を渡すと、橙は冷ます事なく、直ぐさま噛り付いた。
「ほ、ふぅぉぁぁぁぁぁぁあああっ!」
悲鳴にも似た奇声をあげ……というより奇声をあげて、橙は鰻を放り出してグラスを煽った。
いち早く舌を冷ますため、ブランディで口を満たす。
グラスいっぱいのブランディを飲み干した彼女は、けほけほと咳込んだ。
「あ、あひゅいわよみすちー!」
「当たり前でしょう、焼きたてなんだから!」
「私は猫舌なのよ!」
「知るか!」
怒鳴り付ける橙に、ミスティアは冷たい視線を返す。
橙はうぅと呻き声をあげると、首を振りつつ席を立った。
「うー、今日はもう帰ろうかな」
「おぅおぅ、帰れ帰れ」
赤く爛れた舌先を出しつつ、涙目で話す橙。
そんな彼女の様子に、ミスティアはしっしと手を振った。
「みすちーが奢ってくれるなら帰るかもー」
「しっかりきっちりツケにしたげるから、さっさと帰りなさいな」
「ちぇー」
「むくれてないでさっさと帰れ。引くわよ風邪、馬鹿なのに」
「うん、ありがと、みすちー」
きっちりと引き攣った笑みで返し、屋台の赤提灯から離れた。
******
じっとりとした空気が、肌に纏わり付く。
ぽつりぽつりと空から雫が零れ出した。
「うあ、まずい、式が剥がれちゃうわ」
慌てた様子で彼女は走り出す。
都合のいいことに、雨宿りの出来そうな大きな木を見つけた。
危うい足取りで幹に駆け寄り、彼女は腰を下ろした。
途端に雨脚が強まった。
「困ったなぁ」
彼女はため息を零した。
雨脚は強まるばかり、とてもじゃないが、すぐに止むとは思えない。
彼女は再びため息を零した。
ざあざあという音が耳に心地いい。
一定のリズムが眠気を誘う。
酒のせいもあってか、すぐにうとうととし始めた。
*******
「橙」
「うに?」
いつの間にかに眠りについていた橙は、自らの名前を呼ぶ声で目を覚ました。
ぼやける目を擦り、顔をあげると、そこには見知った顔があった。
「あ、あれ?あれれ?藍様?」
「ああ、藍様だ。探したよ、橙」
金色の尻尾を揺らしながら、藍は微笑んだ。
雨音は、未だ強い。
彼女は傘を手に雨の中に立っていた。
「さぁ、家に帰ろう」
そう言って、手を差し出す。
橙はその手を取り―――
「はい、藍様」
笑った。
******
なかよしこよし
ねこときつねがてぇつなぐ
あめがざあざあふってても
きんぴかたいようほほえんだ
きんぴかきつねはほほえんだ
ねこはそのばでねころんだ♪
*******
その杯を潤すのは、甘い蜜。
その唇を潤すのは、甘い蜜。
その心を潤すのは、甘い蜜。
満たすのは、甘い、甘い、恋。
*******
橙を追い返してから数刻が過ぎたころ、屋台には見慣れない客が訪れていた。
どうやら初めてのお客らしい。
額からにょっきりと生えた角が特徴的な、ないすばでぇなねーちゃんが、飲みに飲み続けて、これでもかと言わんばかりに飲み続けている。
正直、見ているこっちが吐きそうだと言いたいミスティアだったが、客商売をしている身からしてみれば、そんなことを言えるわけもない。
なおも、朱に染まった杯に、彼女は蜜を注ぐ。
使い古されたその杯を満たす透明な液体は、月の明かりを受けてキラキラと輝く。
ぐいっと杯を飲み干した女は、ことりとそれを置くと、その場に突っ伏した。
……遂に潰れたか?
「お客さん」
既視感を感じつつ、この焼き八目鰻屋の女将であるミスティア・ローレライは、少し躊躇いつつも、そっと女に声を掛けた。
「お客さん、ちょっと。大丈夫?」
そう言って、肩を揺すろうとしたのだが、ミスティアはぴたりと動きを止めた。
女の肩が小刻みに震えていた。
「ぅ……ぅく……っ……」
「えっと……」
どうやら、女は泣いているらしい……
どうしたものかとミスティアが頭を掻いていると、女はふっと顔をあげた。
その頬にはやはり涙が流れており、提灯の明かりにキラキラと輝いた。
「お代わりを貰えるかい、可愛い女将さん?」
「ま、まだ飲むの!?そんなに泥酔してるのに!?」
「私はまだ酔ってないし、飲む為に店はあるのだろう?」
その白い手で涙を払いながら、女はミスティアにそう言った。
ミスティアは、まぁそうだけどとで足元を漁ると、女の前に一升瓶をドンと置いた。
「どうぞ、ウチの隠しメニュー『鬼殺し』です」
「隠しメニュー?」
訝しげに眉をひそめる女。
ミスティアは、瓶の栓を抜くと、杯へと釈をする。
「普段は常連さんにも滅多に出さないんだけどね」
「私は常連どころか、ここに来るのは初めてなんだけれど……」
「酔えるから」
お姉さんには必要なんじゃないかと思ってね。
ミスティアがそう言うと、女はきょとんとした表情をした後、ありがとうと微笑む。
「いい店だね、此処は」
「御褒めに預かり、光栄ですわ」
「しかし、鬼の私に『鬼殺し』とは……」
私、死ぬのかしらなどとぼそぼそと呟いた女の声は、ミスティアの耳には届かなかった。
*******
「うくっ……うぅ……」
さらに半刻程過ぎただろうか。
静かに、静かに酒を飲み続けた女は、再び肩を震わせ、涙を流し始めた。
ミスティアも、そこそこ長く屋台をやってはいるが、このような経験は初めてだ。
酒は飲んでも飲まれるな、とはよく言ったものだが、幻想郷の住人達はそうそう飲まれることはない。
基本的にはザルな者達ばかりだ。
その中でも、鬼という種族は特に酒に強い部類に入ると、何時だかに誰からか聞いた覚えがあるのだが……
「ぐすっ……なぁ、みすちー、私は可哀相な奴だとは思わないかい?」
「そ、そうですねぇ」
とてもではないが、目の前の星熊勇儀と名乗った鬼の様子からは、とても酒に強いとは思えなかった。
絡み酒。
隙あらば彼女はミスティアに酒を飲ませようとして来た。
「あ、あの、勇儀さん?」
「なにさ、みすちー」
「なにか、嫌なことでもあったの?」
―――
―――――
ぴしりと、空気が固まった。
「う、うぁぁああん!」
「おぉう」
子供の様に泣き出す勇儀の姿に、ミスティアは呆然とした。
泣き上戸。
とてもじゃないが、歌なんて歌える状況ではない。
「お、落ち着いて。話し聞くから、ね?ね?」
そんな調子で、夜の屋台では一介の妖怪風情である夜雀が、泣きじゃくる鬼をあやすという珍妙な光景が広がっていた。
*******
「好きな男がいたんだ」
彼女は言った。
「へぇ、どんな男?」
「人間」
「……冗談でしょう?」
「いや、本当さね」
鬼は嘘を吐かないのさ。
彼女はそう言った。
「偶然……本当に偶然出会ったんだ。これがまた妙な人間でねぇ、なんというか、博麗の巫女に雰囲気は似ていてね」
「それ、絶対嫌な奴よ」
「残念、これが恐ろしいほどいい奴でね。私が鬼だと言ったら何て言ったと思う?」
無言でミスティアは首を振った。
「わからないわよ」
「彼はこう言った『へぇ、凄いな。ところで僕は脆弱で貧弱な人間なんだけどどうかしたかい?』だと」
「嫌な奴だわ」
「『酒を飲むにはそんなことは関係ない』とも言っていたな」
「嫌な奴よ」
ミスティアがそう吐き捨てると、勇儀は苦笑いを返した。
「でも、私は彼に恋をしていた」
そう言って、彼女は杯を傾ける。
ミスティアは、黙ってその様子に視線を向けていた。
「地底にいて、荒い岩肌を眺めながらも、頭に浮かぶのは彼のことばかりさ」
どうしようもないだろう?
勇儀はそう言って、自嘲気味に笑う。
「どうしようもなくて、どうしようもなくなって、ついに今日、私は彼に想いを伝えたのさ……」
「……」
「そして断られた」
黙り込んだ。
静寂が辺りを包み込む。
「まぁ、曖昧模糊に受け流されたってのが本当のところかね。力の勇儀が呆れたものだよ。叶わぬ恋だとはわかっていたはずなのにねぇ……」
そして、彼女は再び杯を傾けた。
「その、何て言えばいいのかわからないけど、元気出してよ」
「ありがとう、みすちー……」
空になった杯に、ミスティアは酒を注ぐ。
「だがなぁ……いったい私は何を間違えてしまったのだろう?」
「そう言えば、断られたってことは、告白したのよね?」
「んん?あぁ、そうだが?」
「何て言ったの?」
瞳を輝かせて問うミスティアに、勇儀は苦笑しつつ答える。
堂々と、声高らかに――
「そうだな……
『私と子供を作らないか』
と言った」
「……」
静寂が支配する。
彼女は地底に暮らすと言っていた。
地底に暮らすということは、余り人間との交流はないというより、そもそも他人との交流自体が少ないのかもしれない。
しかし、例えそうだとしても、ミスティアは思った。
それは、引くよ。
******
おにがないた
わんわんないた
こいにやぶれてわんわんないた
つわものたちがゆめのあと
ゆめさえかたれぬおきゃくなら
おさけにおぼれてできししろー♪
じめじめとした空気が辺りをつつみ、木々から零れる雫が、地面に水溜まりを作り出す。
季節は梅雨だった。
*******
琥珀色の液体が、グラスの中でゆらゆらと揺れている。
くすんだグラスに並々と注がれたブランディは、提灯の明かりにキラキラと輝いていた。
「お客さん」
何とも言い難い歌が終わり、この焼き八目鰻の屋台の女将であるミスティア・ローレライは、机に突っ伏している猫耳の少女に、静かに声を掛けた。
「ねぇ、お客さんってば。ちょっと飲み過ぎよ?」
そう言って肩を揺するが、安らかな寝息を立てて微動だにしない少女。
むにゃむにゃと呟く彼女の様子に、ミスティアは我慢が出来なくなったのか、再び歌を歌い始めた。
「五月蝿いなぁ」
不機嫌そうな声と共に、猫耳の少女は顔を起こしてぺろりとグラスの淵に舌を這わせた。
「身体壊すって。もう止めておきなさいよ、橙」
ミスティアの忠告に耳を傾ける様子もなく、橙と呼ばれた少女はグラスを煽り、うぅと呻く。
カランと氷が鳴った。
「私にだって、酔いたいときはあるのよー」
「もう十分酔ってるじゃない」
いいからお代わりとグラスを突き出す橙に、ミスティアは呆れたように肩を竦め、グラスにブランディを注いだ。
*******
「なんで懐かないのかなぁ?」
ぐでっと二本の尻尾を垂らしながら、彼女はぼやいた。
「懐かないって……まだあの猫軍団を諦めてなかったわけ?」
「諦める訳無いじゃない、折角私の手から餌を貰うくらいにはなってるんだから。進歩はしてるのよ……」
「ふぅん、とてもそうは思えないけれど……」
よく見れば、橙の手や頬の至る所に無数の傷が見られる。
大層な傷ではないが、みみず腫れが痛々しい。
「それだけ引っ掻き傷貰っといてよく諦めないわねぇ」
呆れた、と、ミスティアは笑う。
それに対し、橙も笑いながら切り返す。
「猫のスキンシップだよ」
「嫌なスキンシップよね」
何故か誇らしげに胸を張る彼女に、わかんないわと肩を竦めるミスティア。
橙は更に胸を反らせた。
「この間なんて、二十匹近い雄猫にだきつかれて、死ぬような思いをしたんだよ?」
「へぇ、凄いじゃない……ところで、猫の発情期って、一月から六月くらいらしいのよねぇ」
「へぇ、じゃあちょうどこの時期なのね?」
あそこの猫達は全然発情しないみたいだけどなぁ。
そんなことを呟き、橙は大きく欠伸をする。
「案外その雄猫達、橙に発情してたんじゃないの?」
「は?」
「橙とえっちぃことしたくて押し倒したんじゃないかっつってんの」
「あっはは、馬鹿なこと言わないでよ、みすちー」
「はは、そうよねー。あんたみたいな発育不足に発情する奴なんていないわよね」
二人はあははと笑いあう。
若干橙の頬が引き攣っているような気もしたが、ミスティアが気付くことはなかった。
グラスに再びブランディを注ぎつつ、橙はミスティアへ手を差し出す。
どうやら八目鰻の催促のつもりらしい。
ミスティアが苦笑いをしながら焼きたての鰻を渡すと、橙は冷ます事なく、直ぐさま噛り付いた。
「ほ、ふぅぉぁぁぁぁぁぁあああっ!」
悲鳴にも似た奇声をあげ……というより奇声をあげて、橙は鰻を放り出してグラスを煽った。
いち早く舌を冷ますため、ブランディで口を満たす。
グラスいっぱいのブランディを飲み干した彼女は、けほけほと咳込んだ。
「あ、あひゅいわよみすちー!」
「当たり前でしょう、焼きたてなんだから!」
「私は猫舌なのよ!」
「知るか!」
怒鳴り付ける橙に、ミスティアは冷たい視線を返す。
橙はうぅと呻き声をあげると、首を振りつつ席を立った。
「うー、今日はもう帰ろうかな」
「おぅおぅ、帰れ帰れ」
赤く爛れた舌先を出しつつ、涙目で話す橙。
そんな彼女の様子に、ミスティアはしっしと手を振った。
「みすちーが奢ってくれるなら帰るかもー」
「しっかりきっちりツケにしたげるから、さっさと帰りなさいな」
「ちぇー」
「むくれてないでさっさと帰れ。引くわよ風邪、馬鹿なのに」
「うん、ありがと、みすちー」
きっちりと引き攣った笑みで返し、屋台の赤提灯から離れた。
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じっとりとした空気が、肌に纏わり付く。
ぽつりぽつりと空から雫が零れ出した。
「うあ、まずい、式が剥がれちゃうわ」
慌てた様子で彼女は走り出す。
都合のいいことに、雨宿りの出来そうな大きな木を見つけた。
危うい足取りで幹に駆け寄り、彼女は腰を下ろした。
途端に雨脚が強まった。
「困ったなぁ」
彼女はため息を零した。
雨脚は強まるばかり、とてもじゃないが、すぐに止むとは思えない。
彼女は再びため息を零した。
ざあざあという音が耳に心地いい。
一定のリズムが眠気を誘う。
酒のせいもあってか、すぐにうとうととし始めた。
*******
「橙」
「うに?」
いつの間にかに眠りについていた橙は、自らの名前を呼ぶ声で目を覚ました。
ぼやける目を擦り、顔をあげると、そこには見知った顔があった。
「あ、あれ?あれれ?藍様?」
「ああ、藍様だ。探したよ、橙」
金色の尻尾を揺らしながら、藍は微笑んだ。
雨音は、未だ強い。
彼女は傘を手に雨の中に立っていた。
「さぁ、家に帰ろう」
そう言って、手を差し出す。
橙はその手を取り―――
「はい、藍様」
笑った。
******
なかよしこよし
ねこときつねがてぇつなぐ
あめがざあざあふってても
きんぴかたいようほほえんだ
きんぴかきつねはほほえんだ
ねこはそのばでねころんだ♪
*******
その杯を潤すのは、甘い蜜。
その唇を潤すのは、甘い蜜。
その心を潤すのは、甘い蜜。
満たすのは、甘い、甘い、恋。
*******
橙を追い返してから数刻が過ぎたころ、屋台には見慣れない客が訪れていた。
どうやら初めてのお客らしい。
額からにょっきりと生えた角が特徴的な、ないすばでぇなねーちゃんが、飲みに飲み続けて、これでもかと言わんばかりに飲み続けている。
正直、見ているこっちが吐きそうだと言いたいミスティアだったが、客商売をしている身からしてみれば、そんなことを言えるわけもない。
なおも、朱に染まった杯に、彼女は蜜を注ぐ。
使い古されたその杯を満たす透明な液体は、月の明かりを受けてキラキラと輝く。
ぐいっと杯を飲み干した女は、ことりとそれを置くと、その場に突っ伏した。
……遂に潰れたか?
「お客さん」
既視感を感じつつ、この焼き八目鰻屋の女将であるミスティア・ローレライは、少し躊躇いつつも、そっと女に声を掛けた。
「お客さん、ちょっと。大丈夫?」
そう言って、肩を揺すろうとしたのだが、ミスティアはぴたりと動きを止めた。
女の肩が小刻みに震えていた。
「ぅ……ぅく……っ……」
「えっと……」
どうやら、女は泣いているらしい……
どうしたものかとミスティアが頭を掻いていると、女はふっと顔をあげた。
その頬にはやはり涙が流れており、提灯の明かりにキラキラと輝いた。
「お代わりを貰えるかい、可愛い女将さん?」
「ま、まだ飲むの!?そんなに泥酔してるのに!?」
「私はまだ酔ってないし、飲む為に店はあるのだろう?」
その白い手で涙を払いながら、女はミスティアにそう言った。
ミスティアは、まぁそうだけどとで足元を漁ると、女の前に一升瓶をドンと置いた。
「どうぞ、ウチの隠しメニュー『鬼殺し』です」
「隠しメニュー?」
訝しげに眉をひそめる女。
ミスティアは、瓶の栓を抜くと、杯へと釈をする。
「普段は常連さんにも滅多に出さないんだけどね」
「私は常連どころか、ここに来るのは初めてなんだけれど……」
「酔えるから」
お姉さんには必要なんじゃないかと思ってね。
ミスティアがそう言うと、女はきょとんとした表情をした後、ありがとうと微笑む。
「いい店だね、此処は」
「御褒めに預かり、光栄ですわ」
「しかし、鬼の私に『鬼殺し』とは……」
私、死ぬのかしらなどとぼそぼそと呟いた女の声は、ミスティアの耳には届かなかった。
*******
「うくっ……うぅ……」
さらに半刻程過ぎただろうか。
静かに、静かに酒を飲み続けた女は、再び肩を震わせ、涙を流し始めた。
ミスティアも、そこそこ長く屋台をやってはいるが、このような経験は初めてだ。
酒は飲んでも飲まれるな、とはよく言ったものだが、幻想郷の住人達はそうそう飲まれることはない。
基本的にはザルな者達ばかりだ。
その中でも、鬼という種族は特に酒に強い部類に入ると、何時だかに誰からか聞いた覚えがあるのだが……
「ぐすっ……なぁ、みすちー、私は可哀相な奴だとは思わないかい?」
「そ、そうですねぇ」
とてもではないが、目の前の星熊勇儀と名乗った鬼の様子からは、とても酒に強いとは思えなかった。
絡み酒。
隙あらば彼女はミスティアに酒を飲ませようとして来た。
「あ、あの、勇儀さん?」
「なにさ、みすちー」
「なにか、嫌なことでもあったの?」
―――
―――――
ぴしりと、空気が固まった。
「う、うぁぁああん!」
「おぉう」
子供の様に泣き出す勇儀の姿に、ミスティアは呆然とした。
泣き上戸。
とてもじゃないが、歌なんて歌える状況ではない。
「お、落ち着いて。話し聞くから、ね?ね?」
そんな調子で、夜の屋台では一介の妖怪風情である夜雀が、泣きじゃくる鬼をあやすという珍妙な光景が広がっていた。
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「好きな男がいたんだ」
彼女は言った。
「へぇ、どんな男?」
「人間」
「……冗談でしょう?」
「いや、本当さね」
鬼は嘘を吐かないのさ。
彼女はそう言った。
「偶然……本当に偶然出会ったんだ。これがまた妙な人間でねぇ、なんというか、博麗の巫女に雰囲気は似ていてね」
「それ、絶対嫌な奴よ」
「残念、これが恐ろしいほどいい奴でね。私が鬼だと言ったら何て言ったと思う?」
無言でミスティアは首を振った。
「わからないわよ」
「彼はこう言った『へぇ、凄いな。ところで僕は脆弱で貧弱な人間なんだけどどうかしたかい?』だと」
「嫌な奴だわ」
「『酒を飲むにはそんなことは関係ない』とも言っていたな」
「嫌な奴よ」
ミスティアがそう吐き捨てると、勇儀は苦笑いを返した。
「でも、私は彼に恋をしていた」
そう言って、彼女は杯を傾ける。
ミスティアは、黙ってその様子に視線を向けていた。
「地底にいて、荒い岩肌を眺めながらも、頭に浮かぶのは彼のことばかりさ」
どうしようもないだろう?
勇儀はそう言って、自嘲気味に笑う。
「どうしようもなくて、どうしようもなくなって、ついに今日、私は彼に想いを伝えたのさ……」
「……」
「そして断られた」
黙り込んだ。
静寂が辺りを包み込む。
「まぁ、曖昧模糊に受け流されたってのが本当のところかね。力の勇儀が呆れたものだよ。叶わぬ恋だとはわかっていたはずなのにねぇ……」
そして、彼女は再び杯を傾けた。
「その、何て言えばいいのかわからないけど、元気出してよ」
「ありがとう、みすちー……」
空になった杯に、ミスティアは酒を注ぐ。
「だがなぁ……いったい私は何を間違えてしまったのだろう?」
「そう言えば、断られたってことは、告白したのよね?」
「んん?あぁ、そうだが?」
「何て言ったの?」
瞳を輝かせて問うミスティアに、勇儀は苦笑しつつ答える。
堂々と、声高らかに――
「そうだな……
『私と子供を作らないか』
と言った」
「……」
静寂が支配する。
彼女は地底に暮らすと言っていた。
地底に暮らすということは、余り人間との交流はないというより、そもそも他人との交流自体が少ないのかもしれない。
しかし、例えそうだとしても、ミスティアは思った。
それは、引くよ。
******
おにがないた
わんわんないた
こいにやぶれてわんわんないた
つわものたちがゆめのあと
ゆめさえかたれぬおきゃくなら
おさけにおぼれてできししろー♪
シリーズ化は希望
俺も付き合うぜ
じゃあ勇義さんと子作り
…え?角を尻にいれるの?
猫ども自重しろww
いきなり「子作りしないか」って言われたら引くって言うか怖いですわ!
あと橙頑張れ、超頑張れ
……橙藍は本当に可愛いなあ。
藍さまの尻尾は、幽香のヒマワリよりぽかぽかお日様だと思うんだ。