少し残酷な表現があります。大丈夫という方はどうぞ。
八月の博麗神社にて。
和室の真ん中で、毛布一枚だけかけて寝ていた博麗霊夢は、ちょっとした肌寒さを感じてうっすらと目を覚ました。顔のすぐ横にあった電子時計(香なんとかいう店で買った)が、今が早朝の五時三分であることを示している。
さあいつもみたいに歯磨きしてティータイムしなくちゃ、と思い上体を起こしたとき、外から聞こえる、みんみんとやかましいせみの鳴き声に気付いて、違和感を覚えた。
(おかしいな、今は八月の中旬。私の脳味噌がまだまだ現役なら、こいつは私の肌に〝暑い〟という信号を送るはずよ。それが何かしら。三月に入ったばかりのような肌寒さを伝えてきやがる)
ほんの数秒考えた末、とある人物が頭に思い浮かんだ。妖怪の賢者、八雲紫だ。もしかしたら、あの女の境界を操る能力で、体感温度を変えられちまったのかもしれない。ちょいと聞き出してみようかな。確証なんてないけど、そんなことはどうでもいい。この巫女の恐ろしい拳で、使い古したぼろ雑巾みたいにしちまうわけじゃないんだから。
まあでも、どうせいつもの、暇潰しのいたずらだろうから、そんなに焦ることもないか。今はとりあえずご飯を食べて、縁側でゆっくりお茶でもすすって、やる気が起きたら行こう。
障子を開けたすぐ先は縁側だ。夏とはいえまだ五時、太陽は昇りきっていない。雲のない空や、前方四メートルほどのところに城壁のように広がる林は、薄紫色に包まれ、影をより一層濃くしている。それは木々を衰弱させたように見せ、霊夢に死体を思わせた。
立ちくらみがした。たまらず霊夢は、ぱたりと膝をつく。ああくそ、眠気が取れてないときに、急に立つもんじゃないな。こいつは具合が悪けりゃ、吐き気も催してきやがる。
しばらく経ってから、不快感が抜けて視界が良好になったとき、縁側の板の障子に近いところに、CDほどの範囲の赤茶けた薄い染みがついているのを発見した。何かしら、と思い四つんばいで近づいてじっくり見てみる。血か錆び水のように見えるが、判別はできなかった。
まあとにかくご飯よご飯。今度は立ちくらみしないよう、ゆっくり立ち上がった。
いつの間にか、目の前の一本の木から、人間の頭が横に突き出ていた。さほど驚かなかったのは、それが見知った顔だったからだ。亡霊のお姫様、西行寺幽々子。血色悪そうな白い肌は、雪を塗りたくったかのようにむらがない。
「おはよう」
口だけを動かして、幽々子が喋った。その、耳鳴りを少し低くしたような声は、空気の振動を使うことなく頭の中に直接響いた。霊夢の頭の中でしばらく反響し、やがて風船がしぼむように消えていく。それから霊夢は縁側に座り、足元に投げ出されているつっかけを履いて、相変わらず首から先のみを見せている幽々子に言った。
「気持ち悪いわね、明け方に亡霊が訪ねてくるなんて」
幽々子が口元だけを吊り上げ、にこやかに笑った。そのまま木の陰からその身を出す。草を踏みしめる音も、木の肌と着物が擦れる音も出さなかった。せみの鳴き声にかき消されたわけじゃないのは、わかってる。
霊夢は、自分の動悸がテンポを一つか二つ上げたような気がして、左手で胸元を押さえた。指先に伝わってくる拍動が、自分が今緊張していることを告げている。おかしいな、と思った。いつも、とは言わないけど、それなりに顔を見せ合った仲だっていうのに。
「今日は涼しいわね」
言いながら、幽々子がこっちに向かってゆっくり滑ってきた。何せ足を全く動かさないで近づいて来るんだから、そう形容するしかない。そこで霊夢は、幽々子の瞳が自分を見てないことに気付いた。どこか遠いところを見ている。こっちの世界かあっちの世界かは知らないけど。
霊夢は、顔の筋肉が硬直して、半開きにした口を閉じれなくなった。こうしている間にも心拍数はどんどん増していき、肺の辺りに石を詰め込んだような、痛みとも不快感ともしれないものが溜まっていく。白くなりかけていた意識を強くして、適当な話題を考えた。
よし、そうだ、紫について聞こう。思い立ったところで喋ろうとしたが、幽々子がこちらを見下ろしてきた瞬間、体中の筋肉が強張って喋れなくなった。ずっと笑んでいた幽々子は、端を吊り上げたままひび割れるように口を開けて、真っ黒い口内を覗かせた。
「聞いて霊夢ちゃん。私はたった今さっき紫を殺してしまったわ」
なななななに、なんだって?
もう少し霊夢の心臓の皮が弱かったら、今頃張り裂けて周辺の内臓に、あのしょっぱくてぬめり気のある血液をぶちまけていたことだろう。突然自分の寝床に人の首が落っこちてきたような、そんな恐怖を感じて、霊夢はぞくりと大きく体を震わせた。無意識のうちに顔が下を向いてしまう。地面から五センチほど上に浮いている、筋張った魚の腹みたいな色の幽々子のはだしが見えた。数秒後、幽々子の声が頭の中に浸透してきた。
「あの子よく寝るでしょ。だからね、寝てるところを、首を絞めて、ね」
幽々子の腕が動く気配がして、霊夢は顔を上げた。満面の笑みを浮かべた幽々子が、自分の首を締め上げる動作をしていた。自分の手で窒息死するんだ、とでも言うかのように、血管が浮き出るほど力を込めて。幽々子の体が小刻みに震えだし、頬の辺りに青筋が浮き出てきた。げほっ、と咳が一つ出るが、相変わらず真っ黒い口内を見せたまま笑みは絶やさず、手に込めた力を緩める気配もなかった。
「も、もうやめとこうよ。わかったから」
もう見てられなくて、霊夢は発作的に止めた。幽々子はしばらく首を絞めたあと、ゆっくりとした動作で腕を下ろした。霊夢は一瞬、今度はその青っ白い手が自分の首をわし掴むんじゃないか、と危惧したが、幽々子は何をするでもなく、霊夢を見下ろすばかりだった。幽々子の瞳は、よく見ると焦点が定まっていない。気が狂ってしまったのだろうか。
「あんた、どうしちゃったの」
震え気味な声で、そう霊夢が訊いた。
「どうって?」
「だから、なんで紫を殺したのよ」
「私が何かしたの?」
「したって、自分で言ったじゃない。なんで紫を殺したのよ」
「紫ったらかわいそうにねえ」
「だから――」
言いかけて霊夢は、妖夢のことを思い出した。そしてあのかわいらしい庭師が、ふらふらと家出したこのあほたれの手を引っ張って、納戸にぶち込んでくれることを願った。自分の目じりから涙が零れ落ちそうになっているのがわかる。心臓はせわしなく拍動し続け、録音機をくっつければ、しゃれたブラストビートが録音できそうなぐらい。この亡霊は、しばらく見ないうちに頭がおかしくなってしまったらしい。ちくしょう、時間って野郎は、いつだって自分に喧嘩を売っている。
幽々子が腰を九十度近く曲げ、ほんの少し顔を前に出せばキスができそうなくらい顔を近づけてきた。頭から足首にかけて、霊夢の体に鳥肌が立つ。そしてそこまで近づいて初めて、鼻をつく死臭に気がついた。排泄物と生ゴミをミキサーにかけ、それに二年前の牛乳を振りかけたような、とんでもない臭い。それに混じって、腐った木や土の臭いらしきものもかすかにした。喉元まで込み上げてくるものがあったが、何も食べてないので、抑えるのは簡単だった。
幽々子は目をかっと見開いていた。白目は黄色く濁り、眼球の下の方は、赤くて極細の血管がいくつも枝分かれしている。霊夢も目を見開いていたが、閉じると恐ろしいことが起きそうだったので、そうするしかなかった。
「ねえ聞いて」
幽々子が喋った。その後、少しの間激怒の表情を浮かべると、また笑みに戻った。たまに目を細めて睨みつけてきたりもする。そんなことを二、三度したあと、語尾を伸ばすようにゆっくりとした口調で喋り始めた。
「うちの庭にあるでっかい木、なんていいましたかな……。ああそうそう、あれよ、西行妖。綺麗な桜を咲かせる妖怪桜。あれがすごいことになってるのよ。太い根がいくつも生えてきて、私の屋敷を覆い尽くしそうなの。幹自体もおっきくなっちゃって困るわ。そうねえ、高さは知らないけど、幅はこの神社の二倍くらいかしら」
「なんでそんなにでかくなっちゃったのよ」
幽々子は少し首を傾けた。霊夢の怯えようを面白がっているようだ。
「なんかね、怒ってるみたいなのよ。すっごくね。あなたが幽明結界を壊したあの日からずっと。生きている世界と関わるのが嫌なのね。毎日毎日頭の中で、誰の物だかわからない悲鳴だか怒鳴り声だかが鳴り続けてて、どうにかなっちゃいそうだわ」
声の反響が失せた頃、そうか、と霊夢は気付いて、固まりきっていた顔の筋肉を緩めた。
幽々子とあの化け物桜は一心同体だ。まさかあの大馬鹿野郎が、幽々子をおかしくしちまったってのか。あの桜が幽々子の体を乗っ取り、いつまでも幽明結界を直さないゆかりにオトシマエをつけさせにいった、と。指一本で済めばどんなによかったことか。こりゃあ、笑ってる場合じゃない。こいつは今は幽々子じゃなく、西行妖という危険な妖怪。ゆかりでさえ手に負えない相手だ。
「紫は困ったちゃんでね、幽明結界を直してって頼んだのに、直さないで生き物の冥界入りを簡単にしちゃった。だから天国に行っちゃったわ。でも本当に悪いのはあなたよ。壊しちゃったのはあなたなんだから」
「そいつはごもっともだけどね大先生!」
霊夢は怒鳴るように言った。喉が縮こまっちゃって、そういうふうな言い方でないと声が出なかった。
「来るんならあんた一人で来なさいよ、この大木野郎! さっさとその体を幽々子に返しな、レンタル料金払ってんのかしらね!」
幽々子は黙っていた。霊夢は自分の言葉が届いたのかどうか不安になったが、もう一度言う気にはなれなかった。というよりさっきの怒鳴り声のあと、恐怖感が爆発して口や首の力が一気に抜け、言おうと思っても言えなくなったのだ。
スペルカードを使ってなんとか身を守れないか、と思ったが、今少しでも身動きをとれば、幽々子の死に誘う能力で即死にさせられるかもしれない。相手は道理のない妖怪、弾幕ごっこに応じるはずがない。そう思うと、別の解決策を考えようとしても、どうせ意味がないとすぐ諦めてしまうようになった。
霊夢も幽々子も何も喋らないまま、時間が過ぎていった。
五分ほど経ったときだった。泣き伏す寸前の霊夢の感情を抑えたのは、幽々子の顔に戻った血色だった。幽々子は精神異常を患ったピエロのような笑みを剥ぎ捨て、霊夢から顔を遠ざけると、口元に手を当てておかしそうにけらけらと笑い始めた。
「ふふふ、泣きそうな顔しちゃって。かわいいわ」
霊夢は半開きにした口を閉じることなく、呆然としていた。第三者が見ていたらきっと、奴は脳に水か何か入れられちまったのか、と心配することだろう。首から下の神経がカットされてしまったような心地だった。
そのうちに頭の中で、幽々子が何をしたかったのかが議論されていき、意味がわかると、途端に恥ずかしくなって顔の温度を上げた。つまり、いつものからかいだ。西行妖がどうとか言って、本当はなんにも関係ない。単なるおふざけに命の危険を感じていたということだ。面白おかしいわねちくしょう、怒ればいいのか笑えばいいのかさっぱりわからないわ。
「すっかり騙されてたわね」
言って、幽々子はくすくす笑った。
「紫は今もまだ、おうちでかわいい布団にくるまってぐっすり眠ってるわよ。私が紫を殺すわけないでしょ、友達なんだもの」
霊夢は俯いて、赤面しているはずの自分の顔を見られないようにした。そしてそのままの姿勢で、怒りの声を上げた。
「おバカ、こういうのやめてよね。本気で怖かったじゃない。危うく、あんたを退治するところだったわ」
「それはおっかないわ」
言って、またけらけらと笑う幽々子。霊夢は、大笑いされるほどこっけいなことをしていたのか、と思うと羞恥心が極限に達して、それをまぎらわすように大声を上げながら立ち上がった。
「うぎぎ、笑うな! 弾幕ごっこなら今すぐ受けるわよこの――」
途端、気が遠くなった。すぐに、急に立ち上がったことによる立ちくらみだと気付くが、折れる膝を止めることはできなかった。
「あらあら、大丈夫?」
幽々子はまだ楽しそうな声をしている。それにあいまいな返事で答えると、霊夢は座ったまま後ろを向いて、縁側に手をついた。そのまま空いた手で頭を抑えて、視界を覆った黒いもやもやが消えるのを待つ。
完全に消えたので立ち上がろうと思ったのだが、その体を一瞬で硬直させたものが、縁側の下、三メートルほど先にあった。
あれはちょうど、寝室の床下かもしれない。そこに、二つの白い小さな目玉があった。目をこらす。そしてようやく気付いた。あれは人の頭だ。首を綺麗に切断され、床下の地面の上に、そこにいて当然と言わんばかりに置かれている。黒い長髪がだらしなく広がっている。口の端が針のようなもので、不自然なほど高く吊り上げられ、笑みの形を作らされている。
ぎょっとして全身の筋肉が引き締まり、喉が詰まって呼吸が荒くなった。この首は、自分と同じ顔をしている。目蓋は切られ口は歪に変形しているが、どことなく面影があった。
「実はね、紫には何もしてないけど、妖怪桜がかんかんに怒ってるってのは本当なのよ。妖怪桜っていっても、私のことなんだけど……」
幽々子の声が脳内に響き渡る。その声を聞きながら霊夢は、幽々子の声がこんなふうに直接脳に響いたことなんて、昨日まで一度もないことに気付いた。
「あのね、私は結界を直さない人は別にどうもしないけど、結界を壊した人は許さないわよ」
そのあとにけらけら笑いが続いた。最初に聞いたのとは違う、壊れたアコーディオンみたいな調子っぱずれな笑い声だった。
それも山も良くわからない淡々とした。
これを読んで何を感じればいいのでしょうか?
しかし、なぜゆゆこが事を起こしたのかのキッチリした説明が最後までないとなると、同姓同名の別人としか感じられない。
「気が狂った人が人を殺したましたよ」これだけのことしか書かれてない。
これだけでおもしろいかと言われると、面白くはなかった。
ワイドショーの殺人事件をあつかった報道でも、何故殺されたか殺したのかに重点して報道されてたりするよね。
そこをバッサリカットで読ませるとなると、きっとすごく大変な工夫が必要になるんだろうな。
でもとにかく文章の雰囲気とかはサイコホラーっぽい良い空気あったんで、この世界を突き詰めてほしいと思いました。
あとは苦手な人が回避出来るよう、忠告つけるとかタグにグロとかいれた方があんま叩かれないかも。
読み直してみたら修正が入っていますね。
良い感じにホラーになっていました。
修正前より話に筋も通っています。
というか怖いw
改めて点数を。
こういうの大好きだけどな。西行妖どうのこうのも一応筋が通っているし。
何よりゆゆ様が怖かった。鳥肌が立ってしまった時点で負けた。